アントニオ猪木さんへ藤波辰爾が惜別の言葉「私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです」

<アントニオ猪木お別れの会>◇7日◇東京・両国国技館
アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)の愛弟子となるプロレスラーの藤波辰爾(69=ドラディション)が、天国へ旅立った師匠へ惜別の言葉を送った。出会いから別れまでの53年間を振り返り、「私の永遠の師匠であり、不滅のヒーロー」と話した。
藤波のあいさつは以下の通り。
◇ ◇ ◇
初めてあなたに会ったのは16歳でした。私は今69歳になりました。気が付けば53年の月日が流れました。田舎の少年がブラウン管に映し出されるあなたの雄姿に夢を見て、あこがれました。アントニオ猪木になりたくて、郷土の先輩をたよって入門して、その日から53年がたちました。
今も昨日のことのように思い出されます。あなたが日本プロレスから独立し、新日本プロレスを旗揚げした際、何一つ迷うことなくあなたについて行きました。私の決断は間違っていなかったと心に確信しています。
夜逃げ同然(※1)であなたのスーツケース5、6個を持ち、出来たばかりの新日本プロレスの事務所に駆け込んだ夜。あなたを筆頭にたった6名での旗揚げだったですね。必死さは山本小鉄さんや我々にも伝わり、まさに手作りの旗揚げでした。
アントニオ猪木になりたい。本気でそう思いました。洋服も髪形も全てあなたのまねをしました。あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。豊かになり、ともに練習し、タッグを組み、時に戦いました。その全ての瞬間が私の人生の財産です。1人のレスラーとして、あなたに勝ちたくて、超えたくて、大きな背中を追いかけてきました。横浜文化体育館でのあなたとのタイトルマッチ(※2)はかけがえのない思い出でです。ベルトを巻いてもらったことがこの上ない喜びでした。
さまざまな困難にもともに立ち向かいました。新日本プロレスの社長時代(※3)には、オーナーであるあなたに背を向けたこともありました。でも、あなたを恨むことも嫌いになることも出来ませんでした。あなたが去ってから心の寂しさはまだまだ癒えることはありません。自分の親よりも長く過ごしたあなたの存在は、この先もずっと忘れることはないでしょう。
私はあなたから教わった闘魂を胸に戦い続けています。たましいをもう一度震わせて、あなたの教えを後輩たちにつなげていきます。
あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです。初めて許された休息の時、ゆっくりと安らかにお休みください。でも、時々リングに会いに来てください。僕はいつでも帰りを待っています。限りない感謝を込めて。
2023年3月7日 藤波辰爾
※1 71年12月、日本プロレスに対してクーデターを画策したとして永久追放された後、新日本プロレスを設立
※2 88年8月8日、IWGPヘビー級王者だった藤波に猪木が挑戦。60分時間切れ引き分け
※3 99年~04年
- 「アントニオ猪木お別れの会」で弔辞を終え席に戻る藤波辰爾(撮影・河田真司)
- 「アントニオ猪木お別れの会」に臨む武藤敬司(左)と蝶野正洋(撮影・河田真司)
- 「アントニオ猪木お別れの会」であいさつする坂口征二氏(撮影・河田真司)
- アントニオ猪木さんお別れの会が執り行われる両国国技館に設置される献花台(撮影・河田真司)
- アントニオ猪木お別れの会が執り行われる両国国技館に設置される献花台(撮影・河田真司)
- 「アントニオ猪木お別れの会」で執り行われる追悼の10カウント(撮影・河田真司)
- 【イラスト】「アントニオ猪木お別れの会」主な参列者