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女王アスカ、バンクスと舌戦「お前は私に敵わない」

スマックダウンに登場したロウ女子王者アスカ(C)2020WWE,Inc.AllRightsReserved.

<WWE:スマックダウン大会>◇20日(日本時間21日)◇米フロリダ州オーランド

ロウ女子王者アスカが、22日(同23日)に控えるPPV大会サバイバー・シリーズで激突するスマックダウン女子王者サーシャ・バンクスとリングで舌戦を展開した。

スマックダウン大会に乗り込んだアスカは「サーシャ、サバイバー・シリーズをむちゃくしゃ楽しみにしてるわ。あなたを倒すことを…」と自身のツイッターで勝利を予告。さらにリングでにらみ合うと「お前は私の『ボス』じゃない」とバンクスの愛称「ボス」を引用しながら挑発を続けた。するとサーシャに「面白いわね。でもPPV大会は笑いごとじゃない。(得意技)バンク・ステートメントでタップ勝ちしてやる」と反撃を受けた。

両者の舌戦はこれで終わらなかった。アスカはジョン・シナの得意ポーズをマネしながら「見えっこねえ」と言えば、バンクスも「PPV大会を待たなくてもいい。アスカは私がベストの中のベストだって知るべきだ」と怒り心頭。最後はアスカが「お前は私に敵(かな)わない」とお決まりのセリフを言い放った。

一方、バンクスはアスカとの舌戦に気を取られ、赤いコスチュームに身を包んだカーメラに襲われ「背後に気を付けろって言っただろ。『ボス』タイムは終わりだ」と顔面にスーパーキックを浴びてKOされていた。

スマックダウン女子王者バンクス(右)と舌戦を繰り広げたロウ女子王者アスカ(C)2020WWE,Inc.AllRightsReserved.

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徳勝龍“妹”に会いたい、夫人も認めるそっくり芸人

徳勝龍(2020年9月27日撮影)

大相撲の東前頭9枚目徳勝龍(34=木瀬)が、初場所の幕尻優勝で現れた“妹”との対面を熱望した。28日の稽古後、電話取材に対応。

お笑いトリオ「3時のヒロイン」かなで(28)が、テレビで自身の優勝インタビュー時のものまねを披露していることについて「メチャクチャ似てるっすよね。自分でも思う」と絶賛した。

自身とそっくりな顔で「自分なんかが優勝していいんでしょうか」などの“名言”を使い、千恵夫人も「似てる」と口をそろえる。クオリティーの高いものまねに「勝手に妹ができた感じ。お兄ちゃんみたいな感じで見てます」と親近感は強まった。奈良県出身でお笑い好き。バラエティー番組で活躍中の“妹”に「会ってみたいっすね。でもほんと、自分でも似てるなと思います」と繰り返した。

3時のヒロイン・かなで(2019年12月9日撮影)

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八角理事長「目立っている」正代の相撲内容を評価

正代(左)は栃ノ心を一気に寄り切る(撮影・山崎安昭)

<大相撲秋場所>◇6日目◇18日◇東京・両国国技館

役力士の中で大関貴景勝(24=千賀ノ浦)とともに1敗グループで優勝争いの先頭を走る関脇正代(28=時津風)について、協会トップの八角理事長(57=元横綱北勝海)が「(1敗の中でも)目立っている」と存在感を認めた。

栃ノ心相手に、もろ差しで寄り切る力強い相撲。栃ノ心が苦し紛れに左で頭を押さえようとしたところを逃さず、右を深く差しての完勝に「自信がついているね。自分の形になったらサッと出てる。右を差したら走るというかな」と内容を評価。「(栃ノ心に)頭を押さえ付けられても足を出してよく残している。ドッシリした感じはしないけど、よく足が出ている。出足がある感じだね」と前に圧力をかける攻めの姿勢をほめた。

栃ノ心を破り勝ち名乗りを受ける正代。土俵下右は朝乃山(撮影・河田真司)

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貴景勝は左膝回復「はよやりたい」秋場所待ち望む

貴景勝(2020年7月23日撮影)

大相撲7月場所で途中休場した大関貴景勝(24=千賀ノ浦)が25日、負傷した左膝の回復をアピールした。

電話取材に応じ、すでに稽古場でぶつかり稽古を再開していることを明かし「(左膝は)もう治っています。不安なくいけると思う」と、秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)に向けて万全を強調した。

7月場所はかど番こそ脱出したものの、優勝の可能性を残した状況で12日目から休場した。千秋楽まで優勝争いがもつれる展開を、貴景勝はテレビで観戦していたという。

「あの争いの中に入っていたらどうなってんのかなという感じで見てました。悔しさとかはないけど、けがしてる時点で優勝の資格がない。自分で後れを取っているので。あそこで出続けて大けがしたり悪化したら治りも遅くなる。ぎりぎりのところでやっていたので、いい選択をしたかなと思う」

秋場所まで約3週間。通常より場所の間隔が短い中で「はよやりたいです。現役力士なんで戦ってなんぼ。早く9月場所来てくれるのはうれしい」と待ち望んでいた。

今月5日には24歳の誕生日を迎えた。笑みを交えて「前厄であんな感じやったから、本厄で今年どうなんねんやろなと思っているんですけど」と冗談っぽく語ったが、年男でもある2020年。「まあ望むところって感じです。どんな状況でもいい成績を残せてもおごらないで、どんなに最悪でも腐らないで1年間精いっぱいやっていきたいと思います」。

昨年秋場所は関脇で12勝を挙げて優勝同点。来場所では大関として初めての優勝を目指す。【佐藤礼征】

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真壁刀義「こういう時こそ本領発揮」/連載1

長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組  コーナーの石井(下)を殴る真壁(2019年6月26日撮影)

真壁刀義が語るプロレスの力<1>

プロレスには不思議な力がある。戦後始まった日本のプロレスは、カタチを変え、苦難を乗り越えながら続き、時に人々を勇気づけてきた。新型コロナウイルスの影響で業界全体が苦しい状況にある中、新日本プロレス旗揚げの年に生まれ、24年の選手生活で地獄も天国も見てきた苦労人、真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめ直す。【取材・構成=高場泉穂】

◇  ◇  ◇

ウイルスという、見えない敵と戦う日々。緊急事態宣言が解除されても、その終わりは見えず、人々の不安は消えない。

真壁は「こういう時こそ本領発揮しなくちゃいけないのがプロレスだと思う」と言葉に力を込めた。

プロレスは主に屋内で行われ、密集、密閉、密接の「3密」が当てはまる。新日本は2月末の興行を最後に52試合を中止していたが、6月15日から無観客での試合再開が決定した。7月11日の大阪城ホール大会から観客を迎え、興行を行う。

1972年(昭47)の旗揚げ以来、110日間も試合が中断したのは初めて。それでも、真壁ら選手たちは再開に備え、変わらず体を鍛えてきた。リングの上で戦う姿が何かの力になると信じて。

「俺は最後に勝ちゃいいじゃねえか、と思ってんだよね。プロレスは1回、2回、3回負けた。それでも4回目、5回目に勝ちゃいいの。何か人生でつまずくことがあったとする。そのままあきらめるんだったら、あんたの人生はそれでいいじゃん。ただ、あきらめないでいこうと思ってんだったら、さぁがんばれよ、ってケツをたたきたいね。まわりの人間がどう思っているかは関係ない。自分自身がどう転がるか、どう戦うかだよ。俺の言ってることは確かに理想だ。簡単に言うなと思うかもしんないけど、言ってんの俺だぜ?俺、言っとくけど地獄の底を見てきたからね」

プロレスが日本で本格的に始まってから今年で69年。いい時も、悪い時もあった。それでもプロレスは現在まで続いてきた。その不思議な力とは何なのだろうか-。今年でデビュー24年目を迎える真壁は、業界の浮き沈みを、身をもって経験してきた。

真壁が新日本に入門する90年代後半、プロレスはブームを迎えていた。96年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会。その翌日に入門を控えた真壁は地元の幼なじみとともに2階スタンド席にいた。

メインは新日本の“破壊王”橋本真也とUインター高田のIWGPヘビー級選手権。団体の威信をかけた2人の攻防に1つ1つに、大歓声が重なった。終盤、橋本がミドルキックをきっかけに流れを引き寄せ、最後は垂直落下式DDTから三角絞めに持ち込み勝利。びっしり埋まったドームが、大きく揺れた。

真壁は米粒のように小さく見える2人を見ながら、ぼんやりと自分のことを考えていた。

「東京ドームのスタンド上の上まで超満員。本当にびっしり埋まってた。試合を見ながら、明日から、この団体に入るのかぁ…て不思議な気持ちだったよね」

翌日、東京、世田谷・野毛の道場で行われたドーム大会一夜明け会見には、団体創始者のアントニオ猪木、長州力、橋本真也ら当時の新日本のスターが集結した。

多くの報道陣も駆けつけ、狭い道場はぎゅうぎゅう詰めとなった。その中に放り込まれた新人真壁は「本日、入門しました真壁です!」と先輩たち1人1人にあいさつしてまわったが、ことごとく無視された。

「目の前に立ってあいさつしても、返事もしてくれねえの。何でかっていうと、俺が明日までいるかどうかわかんないから。当時はすぐ辞めるやつが多かったの。夜逃げ。練習や環境がきつすぎて、朝起きると、逃げちゃうんだって。おれがあいさつしたところで、みんなこいつ残るわけねぇって思ってっからさ。“空気扱い”だった」

当時は政界から一時身を引いた猪木が道場によく顔を出し、選手を叱咤(しった)激励していた。上下関係は厳しく、若手はデビューするまで先輩の理不尽なしごきに耐える。華やかな表舞台の裏には、そんな殺伐とした環境があった。

真壁は「言い方は悪いけど、殺意がないと残れなかったよ」と振り返る。つらくても、夢半ばで辞めるのはプライドが許さなかった。

それまで、プロレスラーは日本人にとって長く憧れの対象だった。戦後、日本で本格的なプロレス興行を始めたのは、大相撲の元関脇、力道山。空手チョップで次々と外国人選手を倒す姿は復興の象徴となった。

その弟子のジャイアント馬場が全日本、アントニオ猪木が新日本プロレスを72年に旗揚げ。今ほど娯楽が細分化されていなかった時代。ゴールデンタイムでお茶の間に広まったプロレスは野球、相撲に並び国民に愛されるコンテンツだった。

元横綱の輪島、元五輪選手の長州力、馳浩ら、大きな体と超一流の能力を持った人間も集まった。全日本ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・ファンクスら個性豊かなスターが続々生まれ、新日本の猪木はボクシング世界王者ムハマド・アリとの異種格闘技戦で大きな注目を浴びた。

80年代に入ると、アニメの世界から出てきたタイガーマスクが四次元殺法でこどもたちの心をつかみ、長州と藤波が「名勝負数え唄」を繰り広げた。

89年に新日本は初の東京ドーム興行を行い、獣神サンダー・ライガーも誕生。全日本は鶴田、天龍の「鶴龍対決」で人気を集め、その流れは四天王プロレスにつながっていった。

新日本、全日本の2大メジャー団体ができた72年に生まれた真壁は、テレビの向こうのプロレスラーに憧れて育った。先輩たちの姿はそばで見るには、まぶしすぎた。

「反骨心はあったけど自分がトップに立つイメージは正直、あん時は描けてなかったよ。若手の時は、よくセコンドに入った。大先輩たちの試合を、近くでまじまじと見るわけだ。試合中の観客の盛り上がりを感じながら、『俺このリングにあがって、ベルトとれんのかな』と思ってた。俺は、毎日ボロ雑巾のようにしごかれてる。だから、現実味がなかったんだよね。ギャップがありすぎた」

新日本は“闘魂三銃士”が活躍し、97年には東京、大阪、ナゴヤ、福岡での初4大ドームツアーも成功。一方、全日本も四天王プロレスの真っ盛り。危険をかえりみない激しい試合で、日本武道館を毎回満員にしていた。そんなプロレスブームの98年に猪木が現役引退する。東京ドームに7万人を集めた猪木の引退試合を、デビュー2年目だった真壁は見ていない。膝の半月板の手術が重なり、動けない状態だった。

「あそこまで憧れた人の引退試合なのに、俺、何やってんだろな、とベッドでうなだれてたよ。猪木さんが新日本からいなくなったら、何をするんだろう。新日本に関係なくなるのか、後輩たちを教育するのか…。いろいろ考えたけど、下っ端の俺は考えを知る立場じゃないから。ただ、どうなんのかなと思ってた」

真壁らの予想を超え、猪木は当時ブームになりつつあった総合格闘技に肩入れしていった。そして、その格闘技の存在によって、プロレスというジャンルが大きく揺らぎ始めた。

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木村花さんは「WWEでも成功」武藤敬司が思い語る

15年10月、W-1プロレス総合学院1期生の入学式で写真に納まる武藤敬司校長(前列中央)と木村花さん(2列目左端)

22歳の若さで23日に死去した木村花さんは、世界最大のプロレス団体、米WWEでもトップレスラーになり得る逸材だった-。木村さんが基礎を学んだプロレス総合学院で、当時校長を務めた“師匠”の武藤敬司(57)が26日、日刊スポーツの取材に応じた。

デビュー前に約半年、デビュー後に約3年、成長過程を見る中で「将来的にはWWEでも成功すると思っていた」。娘のような存在、しかも将来性抜群の素質が失われた哀(かな)しみを語った。

   ◇   ◇   ◇

「ジーニアス(天才)」と呼ばれる武藤は、木村さんの天才的な素質に期待していた。武藤と化身のグレート・ムタ、両方で日米のトップに君臨した経験を持つからこそ、木村さんの国境を越える魅力に、底知れない将来性を感じていた。

武藤 名前の通り、華があった。オリエンタルな顔立ちにスタイルの良さ。それに力強さと、まだ粗削りだったけど迫力もある。何より自己主張の強さ、人を引きつける天性のものがあった。将来的にはWWEでも成功すると思っていた。

それは亡くなった今、感傷的になって発した言葉ではない。木村さんが、武藤率いるWRESTLE-1(レッスルワン=W-1)所属だった19年3月までのデビュー前後の約3年半、プロレス総合学院1期生と校長として、団体の若手とエースとして接する中で、常々思っていたという。

武藤 会うと必ず、しっかりと目を見て元気に「こんにちは」と、あいさつする気持ちの良い子だった。でも、メークにしても技にしても、こだわりがあって頑固なところもあった。そういういちずな性格が自己主張の強さ、人間的な魅力になっていた。将来が楽しみだった。オレは23歳の息子と20歳の娘がいて、ちょうど間の年齢だから子どものような感じだった。本当にショックだよ。

そんな木村さんの真面目な性格を知るからこそ、SNSによる誹謗(ひぼう)中傷に心を痛めたのは、想像に難くなかったようだ。

武藤 頑固ゆえに考えすぎたのかな。言い方は難しいけど、SNSでもヒール(悪役)を徹底して、誹謗中傷を歓迎するぐらいのキャラクターを演じきっていれば、割り切って悩まずに済んだかもしれない。さらに外出自粛になったことで、家で一人、殻に閉じこもってしまったんじゃないかなと思う。

今春で無期限活動休止したW-1では、実は木村さんを軸とした一つの構想があったことも明かした。

武藤 結局(木村さんが19年3月に)スターダムに移籍してしまったし、今では団体がなくなってしまったけど、本当はW-1で女子部をつくりたかった。WWEのように。そしてやっぱり、将来的にはWWEで活躍してほしかったな。

武藤は米国には旧知のプロレス関係者も多い。「グレート・ムタの娘」。世界中のプロレスファンを熱狂させるスーパースター誕生の夢も、今は見ることができなくなった。【高田文太】

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ハーンズ伝説のラスベガス恐怖の一撃/薬師寺の一撃

薬師寺保栄氏

<ボクシング、忘れられない一撃~2>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄氏(51=薬師寺ジム会長)の忘れられない一撃は「ラスベガス恐怖の一撃」。高校生の時に見た伝説の一戦、のちの5階級制覇王者トーマス・ハーンズ(米国)-ロベルト・デュラン(パナマ)で受けた衝撃を語った。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 84年6月15日、WBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチで王者ハーンズとWBA王者デュランが対戦した(WBAはタイトル戦を認めず王座剥奪)。「ヒットマン=殺し屋」の異名をとったハーンズと「石の拳」デュランの激突は世界中の注目を集めた。試合は序盤からハーンズが攻勢。残り約30秒、ハーンズが右の打ち下ろしでデュランのあごを打ち抜き、ダウンを奪う。立ち上がったところにラッシュで2度目のダウンもゴングに救われる。2回もハーンズがラッシュをかけ1分過ぎ、右ストレートでまたもあごを打ち抜かれたデュランが前のめりに崩れ落ちるKO負け。この右が「ラスベガス恐怖の一撃」と語られる。

◇  ◇  ◇  ◇

衝撃だったね。(享栄)高校でもうボクシングをやってたんだけど、震え上がるような右ストレートだった。いまだに忘れられないほどだよ。

あのデュランが、エッフェル塔が倒れるように、爆破されたビルが崩れ落ちるように、かな。前のめりに倒れた。今もたまに映像を見るけど、すごいシーンだったよね。

ハーンズはリーチが長くて、スピードもある。代名詞がフリッカージャブ(右構えなら左のガードを下げ腕をむちのようにしならせてスナップを利かせて打ち込む)だった。死角から強烈なのが飛んでくるから。デュランもそれで、相当にダメージを蓄積していたと思う。

リーチの長さと独特のしなやかさが必要で、日本人がまねるのは無理やね。自分もやろうとしたけど、高校のコーチに怒られた。「ガードを下げるな!」って。日本のボクシングはそれが鉄則だから。

自分の選手にも絶対教えませんよ。「ガードを下げるな!」って、同じことを言うやろね。

◆薬師寺保栄(やくしじ・やすえい)1968年(昭43)7月22日、大分・津久見市生まれ、愛知・小牧市育ち。中学3年からボクシングをはじめ、享栄高から松田ジムで87年7月にプロデビュー。91年12月にWBC世界バンタム級王座を獲得し94年12月、暫定王者辰吉丈一郎との世紀の一戦を判定で制する。95年7月、V5に失敗後、現役を引退。戦績は24勝(16KO)3敗1分け。07年に名古屋市内に薬師寺ジム開設。

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「しずちゃんとやりたい」赤井沙希七番勝負への思い

「おきばりやす七番勝負」の初戦藤本つかさ戦に臨む赤井沙希(撮影・高場泉穂)

DDTのプロレスラー赤井沙希(32)が、11月24日後楽園大会から七番勝負「おきばりやす」をスタートさせる。第1戦は昨年女子プロレス大賞の藤本つかさ(36=アイスリボン)。DDTで紅一点として戦う赤井にとって、女子選手とのシングルは貴重な機会。さらに飛躍するための七番勝負に向け、意気込みを語った。【取材・構成=高場泉穂】

-七番勝負が決まった経緯は

赤井 七番勝負というものを知ったのは自分が13年にプロレスを始めてから。やるのは、キャリアの浅い新人さんというイメージ。私はもう6年目なので、言われたときは「いまやるんだ…」とは思いました。新人がやるか、経歴やキャリアがあってくすぶっている人がやると聞いていたので。もっと伸びてほしいという団体からの期待と受けとめました。

-女子選手とのシングルについて

赤井 DDTは女子選手が私1人しかいないので、これまでのシングルは片手におさまるぐらい。だからうれしいです。自分自身が変わらなきゃいけないし、勝ち負けが大事。さらにそれ以外のものもつかみにいかないとと思っています。

-藤本選手とは過去に他団体のタッグ戦で対戦したことがある。印象は

赤井 先輩としての格、オーラがありながら、若い選手に寄り添って試合をされていた。藤本さんの器の中にいる感じがして悔しかったです。

-藤本選手は赤井選手に対し、「男子の中でやっているから、華を添えるポジションに落ち着いているのでは」と挑発

赤井 自分の中で、そういう立場にもやもやしたことは確かにありました。もっと、バチバチやりたいと。でも、その時求められることをやるのがDDTのレスラーとして必要。たとえ華を求められる役だとしても、プロレスラーとしてリングに立っているので、華も添えられて、試合も強くて。それが一番いいじゃないですか。華があってなにが悪いのと言いたいですね。

-さらに藤本選手から「喜怒哀楽」のうち、怒り、哀(かな)しみがみえない、と指摘された

赤井 (怒りも哀しみも)ありましたよ。リング上でゴング鳴った瞬間、泣いちゃったこともあるし、7月の両国大会で世志琥選手に負けたときは、涙が出ましたが見えないようにしました。

怒ったり、悔しい時は必ず向かい側に女子がいることに気付きました。

-2戦目以降の相手は未定。対戦してみたいのは

赤井 まずマッハ文朱さんですね。自分がデビューする前に引退されたんですが。タレントからレスラーになった人で、身長も170ぐらいある。重なる部分が多い大先輩です。あとは、しずちゃんですかね。私もボクシングをしていましたし、グローブ付きのプロレス技ありルールとか。カイヤさんもやってみたい。普通にでかいし、パワーもある。私は声でかいとびびっちゃうので不利ですが…。DDTなら対戦は可能かもしれない。

-七番勝負を通して得たいものは

赤井 DDTの選手として、戦力になりたいし、ベルト戦線に絡んでいきたい。悔しいですが、里村さんら仙女(センダイガールズ)のみなさんが今年KO-D6人タッグベルトを取って、自分もベルトを狙えると気付かされました。女子とか、男子とか関係なく、一戦力となってDDTをもっと盛り上げて、戦いをお客さんに楽しんでもらえるようになりたいです。

◆赤井沙希(あかい・さき)1987年(昭62)1月24日、京都府京都市生まれ。タレント活動を経て、13年8月、DDT両国大会でデビュー。14年プロレス大賞で女子初の新人賞を受賞。芸能活動と並行しながら、DDTリングで活躍する。得意技ケツァル・コアトル。父は元ボクサーで俳優の赤井英和。174センチ、53キロ。

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婚約高安が杜このみの人柄「根がまじめで誠実な方」

福岡県庁を表敬訪問し、婚約を祝福されて笑顔を見せる大関高安(撮影・菊川光一)

大相撲の大関高安(29=田子ノ浦)が、美人演歌歌手の杜このみ(30)との婚約判明から一夜明けた29日、祝福に次ぐ祝福を受けた。九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)に向けて福岡・大野城市の部屋で稽古を再開後、福岡市内に移動し、まずは十両以上の関取衆による力士会に参加。「いろんなお相撲さんに声を掛けてもらいました」と、照れ笑いを浮かべながら明かした。鶴竜、白鵬の両横綱にも声を掛けられたといい「(白鵬は)ビックリしていましたね」と笑った。

その後、福岡市役所と福岡県庁を鶴竜と、昨年の九州場所で優勝争った大関貴景勝らとともに表敬訪問した。福岡県庁では、原中副議長から「高安関は、ご結婚をされるということで、おめでとうございます」と、名指しで激励された。これに大曲副知事らが拍手で追随し、お祝いムード一色のなごやかな雰囲気となった。

高安は31日に福岡・大野城市で、杜とともに会見に臨む予定。前日29日は、相手の魅力など具体的なことは何も話さなかったが、この日は多くの報道陣に囲まれ「根がまじめで誠実な方」と、杜の人柄を表現した。

さらに「歌声にひかれた部分もあるか」と問われると「そうですね」と返し、まじめな表情から一転、目じりを下げた。高安も歌唱力には定評があり、加山雄三の歌謡曲「君といつまでも」が十八番。杜にささげるような歌詞でもあり、杜の前で歌ったことがあるか問われると「歌ったことはありますけど…」と、恥ずかしさをかき消すように、いよいよ大声を出して笑い出していた。

婚約が判明したことで「たくさんの方に激励の言葉をいただき、よりいっそう身の引き締まる思いです」と気持ちも新た。

この日の稽古では、九州場所で使用予定の新しい締め込みを初めて着けたが、色は従来の黒からエンジ色に変えた。新十両に昇進した10年当時に使った色の締め込みだが「気持ちも新たにやります。気を引き締めて」と、初心に帰って、好成績を目指す。

十両時代以来となるエンジ色の締め込みを着けて、ゴムチューブを使ったトレーニングを行った高安

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白鵬「今一番脂乗っている」朝乃山の出稽古受け入れ

宮城野部屋での出稽古で朝乃山(背中)は白鵬に土俵にたたきつけられる(撮影・前岡正明)

大相撲名古屋場所(7月7日初日、ドルフィンズアリーナ)を前に1日、豊田市の宿舎で朝乃山の出稽古を受け入れた横綱白鵬(34=宮城野)は「久しぶりに重い、強い、勢いがある、今一番、脂の乗っている力士と稽古できて、気持ちいいね」と喜んだ。

最後の1番で朝乃山が脳振とうのような症状を起こした時は「(痛めたなら)どこなのかなと…」と状況がよくわからなかった様子。「でも、帰る時は元気そうだったし、そのへんが平成(生まれ=現代っ子)かな」と安心していた。

春場所千秋楽で右上腕部の筋肉を断裂、夏場所を全休。復活を期す中、部屋の石浦、炎鵬という小兵と相撲を取ってはいたが、朝乃山は177キロ。大型力士と初めて相撲を取った。

同じ右四つとあって、がっぷり組んで、力の入り具合を試すような場面もあった。「(右で)すくい投げも豪快に決まった。(恐怖心を)脳から消していかないといけないしね」と右腕の回復に手応えを得たようだ。

本場所が迫る。「明日、明後日も(出稽古に)行きたい。逆に新小結なんだから“来い”とも言いたいね。待ってます」。朝乃山に続いて、暗に阿炎、竜電を指名、肌を合わせることを望んでいた。

出稽古のため宮城野部屋を訪れた朝乃山(右)は白鵬に水をつける(撮影・前岡正明)

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朝乃山「うれしい」富山のから世界のアサノヤマに

トランプ米大統領(左)と握手を交わす朝乃山(撮影・河田真司)

<大相撲夏場所>◇千秋楽◇26日◇東京・両国国技館

初優勝を果たした前頭8枚目の朝乃山(25=高砂)が、世界の「アサノヤマ」になった。優勝は前日14日目に決めていたが、この日の表彰式では、大相撲を初観戦したドナルド・トランプ米大統領から、新設の米国大統領杯を直接受け取った。取組は小結御嶽海に寄り切られて3敗目を喫したが、令和初の優勝に加え、同杯の初代受賞者としても歴史に名を残し、相撲の象徴的存在として世界に発信された。

  ◇    ◇    ◇

「アサノヤマ、ヒデッキ!」。表彰状を読み上げるトランプ大統領から名を呼ばれた朝乃山は、一段と背筋を伸ばした。初めて立った表彰式の土俵で、目の前に187センチの自身よりも大きい米大統領。どんな名力士も経験したことのないシチュエーションに、緊張しないわけがなかった。右手で表彰状を手渡された際には声を掛けられた。だが「おめでとう、かな…」と、言語が日本語だったか英語だったかも覚えていない。それでも「富山の人間山脈」が一躍、「世界のアサノヤマ」へ。「うれしいです」と自然と声は弾んだ。

すべてが異空間だった。当初、トランプ氏は最後の3番だけ観戦する予定だった。だが前日に優勝したことで、朝乃山の取組を見るため、最後の5番を観戦した。安倍首相と、それぞれが夫人を伴って入場。前の取組が終わってから通常の2倍以上の時間を要した。「トランプ大統領が来ているのでピリッとしていた」と、厳重な警備態勢がかもし出す、独特の緊張感に冷静さを欠いた。結局、何もできず御嶽海に完敗。歯を食いしばり、左目をつぶって悔しがった。「一番悔しいのは、トランプ杯をもらう立場で目の前で勝てなかったこと」と唇をかんだ。

大統領杯は当初、土俵上に置かれた台の上に、白い布に掛けられていた。布が取られると、上部にワシがあしらわれた銀色のトロフィーが姿を見せた。その演出だけで圧倒されかけたが、表彰状を手渡された後は握手を求められた。「ガッときた(笑い)」と、力強い握手にまた驚いた。ただ、どんな言動にも「ありがとうございます」と、日本語で返した。ホワイトハウスによると、高さ137センチ程度、重さ約30キロの巨大トロフィーを軽々と受け取り、力士の存在感も示した。

この様子は、間違いなく世界中に伝えられる。初優勝だが、世界では全力士の代表という扱いだ。7月の名古屋場所は新三役の可能性も十分。「ライバルを変えて、上の人をライバルにして稽古に精進する」。大関貴景勝や15場所連続三役が確実な御嶽海らへと“アサノヤマ”が挑戦状をたたきつけた。【高田文太】

朝乃山(右)にアメリカ合衆国大統領杯を手渡すトランプ米大統領(撮影・河田真司)

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貴ノ岩おい新弟子検査、スキマスイッチで日本語勉強

新弟子検査を受けた尾上部屋のガルダン・スフバト(撮影・横山健太)

大相撲夏場所(12日初日、東京・両国国技館)の新弟子検査が同所で行われ、元前頭貴ノ岩のおいでモンゴル出身のガルダン・スフバト(20=尾上)ら受験した13人全員が、身長167センチ、体重67キロ以上の体格基準を満たした。

スフバトは身長178センチ、体重126キロ。「(入門前に)おじから『人の何倍も努力しなさい』と言われた。(将来的には)関取になりたい」と目を輝かせた。

モンゴルの中学では部活動に所属し、柔道に打ち込んでいたが「おじさんがやっていて自分もやろうと思った」と、元貴ノ岩の影響で相撲を始めた。高1から日本に留学し、埼玉栄高では元横綱大鵬の孫で現在幕下の納谷らと同級生。高3の時に個人戦で関東大会準優勝の成績を収めた。異国にわたって約4年。「最初は言葉が全然分からなかった」と新しい環境に苦労したが、高校の先輩の影響で「スキマスイッチの『奏(かなで)』をずっと聴いて」日本語を勉強したという。

この日の取材対応でも達者な日本語を披露。目標の力士を問われると、元大関北天佑を挙げた。「DVDで見ていた。出足がすごく強かった」。部屋の環境にもすでになじんでいる様子で「稽古でいろんな人とやっている。勝てない相手に勝ったときは、相撲取って楽しいなと思う」と、屈託のない笑顔を見せた。

身長測定をする尾上部屋のガルダン・スフバト(撮影・横山健太)

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WWE女子王座獲得アスカ明かす「感無量」の胸の内

WWEスマックダウン女子王座を防衛したアスカ(C)2018WWE,Inc.AllRightsReserved.

WWEで16日に日本人初のスマックダウン女子王座を獲得したアスカ(37)が19日、防衛戦を行った米国カリフォルニア州フレズノで電話インタビューに応じた。

WWE女子王座としては前身WWF時代の94年11月、ブル中野が獲得して以来、約24年ぶり2人目の快挙。「WWEに所属した目的の1つだったので、やっとたどり着いたという思いですね。しかも男子のスーパースターが勢ぞろいのTLC(テーブル、はしご、いす使用)のメインで、あの日1番の歓声。もう感無量でしたね」と振り返った。

既にゴールドバーグが持つWWE女子の連勝記録を抜き267連勝をマークし、今年1月には30選手出場の生き残り戦となる女子ロイヤルランブルで初代王者となるなど数々の偉業を達成。あとは「1番上のベルトだけ」という状況だった。「目の前にあるのになかなかつかみきれなかったので、18年最後のペイ・パー・ビュー(PPV)でつかむことができてほんまにうれしく思います」と声を弾ませた。

自身初のTLCで王者ベッキー・リンチ(31)とシャーロット・フレアー(32)と激闘を繰り広げた。「初めてのルールだったんですけど、けっこう好きですね」と楽しんだ一方、実ははしごに苦戦していた。「あのラダーめちゃめちゃ高いんですよ。揺れますし。試合じゃなかったら上までのぼれないです。ジェットコースターとかそういうのダメですね。でも、試合になったら、勝たなという気持ちがあるので、なんとか大丈夫でした」と笑いながら裏話を明かした。

着実に結果を残してきたが、まだやることがある。今後の目標について「私がここ(WWE)に来た1つの理由は、女子のクオリティーの底上げ。今までにないほど女子のクオリティーはあがっていると思いますけど、まだまだ通常の放送もペイ・パー・ビューもメインの数が男子には勝てない。もっとフィーチャーされるように、もっと女子が認められるようにしていきたいと思っています。それが私に課せられた使命だと思っています」と熱く語った。

インタビューの最後には「1つ言っていいですか?」と同じくWWEに所属する後輩の紫雷イオ(28)とカイリ・セイン(宝城カイリ=30)について語り始めた。

「前はWWEに挑戦するだけですごいと言われていましたが、最近は周りが結果を求めているような感じがする。海外で生活して、挑戦するのは、ほんまに生活習慣や言葉が違いますし、ほんま簡単じゃないんですよ。ストレスを抱えて、その中で挑戦している。記録をつくれとか、結果を残せとか、アスカと同じようにとか、アスカを超えろとか言いますが、私はWWEの中でもレアケースだと思う。比べんてあげといてほしいなと。海外で挑戦するというのはそれだけですごいので、応援してあげてほしい。今後日本からくる選手に負担をかけてしまうんじゃないかと思う」。自分と比べずに、それぞれの選手を応援してほしいと訴えた。

18日には早速防衛を成功。今年も例年通り日本での試合を予定しており、「日本で試合する時に、みなさんにこのタイトルを見せられるように努力しますので、応援よろしくお願いします」とベルトを巻いて凱旋(がいせん)するつもりだ。

◆アスカ 本名・浦井佳奈子(うらい・かなこ)。1981年(昭56)9月26日、大阪市生まれ。03年にアルシオン入門し、華名のリングネーム華で04年にAtoZからデビュー。06年に慢性腎炎で一時引退。07年9月に現役復帰すると異端児として国内マットで活躍。15年9月にWWEと契約。16年4月にNXT女子王座を獲得。17年5月、デビュー以来の連勝記録が174勝に到達し、ゴールドバーグの持つ173連勝を抜いてWWE史上最長記録を達成。160センチ、62キロ。

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華名でデビューも06年病気で一時引退/アスカ略歴

WWEスマックダウン女子王座を獲得したアスカ(c)2018WWE,Inc.AllRightsReserved

<WWE:PPV大会TLC>◇16日(日本時間17日)◇米カリフォルニア州サンノゼSAPセンター

WWEのアスカ(37)がスマックダウン女子王座を獲得した。16日(日本時間17日)に米サンノゼで開催されたPPV大会で、3WAYの同王座TLC(テーブル、はしご、いす使用)戦に出場。天井につり下げられたベルトを奪って新王者に就いた。前身WWF時代の94年11月、ブル中野が女子ベルトを獲得して以来、約24年ぶり2人目の快挙となった。

◆アスカ 本名・浦井佳奈子(うらい・かなこ)。1981年(昭56)9月26日、大阪市生まれ。03年にアルシオンに入門し、華名のリングネームで04年にAtoZからデビュー。06年に慢性腎炎で一時引退。07年9月に現役復帰すると異端児として国内マットで活躍。15年9月にWWEと契約。16年4月にNXT女子王座を獲得。17年5月、デビュー以来の連勝記録が174勝に到達し、ゴールドバーグの持つ173連勝を抜いてWWE史上最長記録を達成。160センチ、62キロ。

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稀勢の里が出稽古、堂々振る舞いに見学ママ色めいた

北勝富士(右)と熱のこもった稽古を繰り返した稀勢の里

大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が6日、九州場所(11日初日、福岡国際センター)に向けて、福岡市の九重部屋に出稽古した。

同じく出稽古で訪れていた西前頭筆頭の北勝富士(26=八角)を三番稽古に指名し、計12番で9勝3敗。序盤での顔合わせが予想される、立ち合いに威力のある相手に、安定感の増した下半身で粘って押し返すなど、仕上がりの良さを披露した。

稽古後は、小さな子どもを連れて見学に訪れていた女性グループの記念撮影にも応じた。赤ちゃんを抱っこする際には「泣かない?」と、笑顔でたずねるなど、なごやかなムードも演出。

加えて、堂々とした立ち居振る舞いに、稀勢の里が去った後に若いお母さんらは「かっこいい」と、色めき立っていた。

9月の秋場所では9場所ぶりに皆勤して10勝5敗だった。今場所の目標について、これまで「優勝争い」としか話していなかったが、この日、目標を問われると、ついに「もちろん優勝です」と断言した。「(稽古内容は)よかったですよ。体はいいと思いますし、初日に向けていい調整ができている。1日1日、しっかり集中して、初日から15日間やり通す。その結果だと思う」と、穏やかな表情とともに、言動にも余裕をのぞかせた。「しっかり最後を締めて、いい1年にしたい」。苦しかった1年の最後に、最高の結果を残すつもりだ。

北勝富士(右)と熱のこもった稽古を繰り返した稀勢の里

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安美錦3連勝「相撲にも通じる」大坂なおみの心得

明生(手前)をはたき込みで破る安美錦(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇3日目◇11日◇東京・両国国技館

ベテランの西十両筆頭安美錦(39=伊勢ケ浜)が、東十両2枚目明生(23=立浪)をはたき込みで下して初日から3連勝した。

明生の出足に土俵際まで一気に後退したが、俵の上に右足1本で残りながらはたき込んだ。軍配は安美錦に上がったが物言いが付き、協議の結果、軍配通り安美錦の勝ちとなった。

「残っているとは思った。もしかしたら(右足の)かかとがついてるかなぐらい。負けはないと思った」と自信があった。

この日で、魁皇に並ぶ史上4位タイの通算出場1731回を達成。「魁皇関には入ったときから稽古もつけてもらって、かわいがってくれたので光栄です」と喜んだ。史上1位の大潮の1891回に対しては「架空の人物だね」と苦笑いを浮かべながらも「毎日に一生懸命やるだけです」と話した。

勝ち越せば来場所での再入幕が見える番付での3連勝。「一番一番集中しながら、稽古場でやってることを出す。我慢、我慢と大坂なおみちゃんじゃないけど、言い聞かせながらやっていこうと。考え方1つでプレーが変わる。相撲にも通じる」と、テニスの全米オープン女子シングルスで初優勝した若手の心得を参考にした。

明生(下)をはたき込みで下す安美錦

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八角理事長が白鵬の立ち合い分析、相手の力を封じた

懸賞金の束を手に持つ白鵬(撮影・鈴木正人)

<大相撲夏場所>◇10日目◇23日◇東京・両国国技館

 今場所の優勝を占う結びの一番は、横綱白鵬(32=宮城野)が関脇高安(27=田子ノ浦)の挑戦を、気迫のこもった相撲で寄り倒しで退けた。協会幹部は、両者の経験値の違いなどを勝敗の分かれ目として分析した。

 右から張ると右に変化気味に体を開き、右を差した白鵬。粘られると今度は横綱が頭をつけ、勝利への執念を見せた。以前の白鵬なら、強引に投げを打つことも考えられたが、そんな強引さは封印し、勝ち方も念には念を入れる慎重さ。八角理事長(元横綱北勝海)は「白鵬は高安に力を出させない立ち合いをした。相手が強いと認めた証拠だろう」と、まずは立ち合いに注目。頭をつけたことには「危機感だろう。力をつけた相手に確実に勝つという余裕というかな」と推測した。

 37度優勝の横綱だけに、高安との経験値の差を挙げ「(持っている)勝ち方のバリエーションの違いでしょう。今日の相撲が大事なこと、優勝の仕方が分かっている」と評価。高安については「立ち合いが正直すぎた。心の準備が出来ていなかったような気がする」と読み解いた。自分の立ち合いが出来なかった時、その後の対処法に難があることは、かねて指摘していた。

 土俵下で審判長を務めた二所ノ関審判部長(元大関若嶋津)は「反対だよな。反対に(高安が)頭をつけないといけない」と挑戦する立場の高安が、受けに回ってしまったことを敗因として指摘。一方で「しぼって、まわしを取りにいっている。横綱がうまいということ」と百戦錬磨の白鵬を評価した。

全勝を守り支度部屋で笑顔を見せる白鵬(撮影・小沢裕)

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白鵬、おいムンフイデ君の朝稽古参加に笑顔

おいのムンフイデ君(右)と2ショットで撮影に応じた白鵬(撮影・加藤裕一)

 休場明けとなる横綱白鵬が右肩の違和感を明かした。

 2日、都内の宮城野部屋で朝稽古後、今日3日の稽古総見について質問され「ここ(右肩)が痛いんです」と語った。4月27日から症状があったといい「関節や筋の問題で、ほぐせば大丈夫でしょう。朝起きてみてかな」。参加は当日の状態を見て決める。朝稽古に参加した鳥取城北高相撲部1年のおいムンフイデ君との記念撮影に笑顔で応じるなど表情は明るかった。

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休場明けの白鵬が右肩の違和感明かすも表情明るく

朝稽古の後、おいのムンフイデ君(右)と2ショットで撮影に応じた白鵬(撮影・加藤裕一)

 休場明けとなる横綱白鵬(32=宮城野)が2日、右肩の違和感を明かした。

 東京・墨田区の同部屋での朝稽古後、3日の稽古総見について質問されると「ここ(右肩)が痛いんです。腕は上げられるけど」と語った。4月27日から症状があったといい、稽古中も右肩の内側を気にするしぐさが見られた。「関節や筋の問題だと思う。ほぐせば大丈夫でしょう。明日朝起きてみてかな」と言い、稽古総見の参加は状態を見て決めることになりそうだ。

 ただ、表情は終始明るかった。この日は東京合宿中の鳥取城北高相撲部から9人が朝稽古に参加したが、その中に、おいのムンフイデ君(1年)も。「いい体になってきた。早いもんだね。逆に聞きたいけど(自分と)似てる?」と報道陣に逆取材。「顔がそっくり」と言われて「そう?」と喜んでいた。

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新十両小柳が連勝「周りが見えるようになりました」

<大相撲九州場所>◇2日目◇14日◇福岡国際センター

 期待の大器、新十両小柳(おやなぎ、23=時津風)が、連勝した。初日は緊張したというが、「周りが見えるようになりました。攻めて止まるとうまい相手が多いので、先手先手でいきました」と、初日のように突き押しに徹し、佐田の富士を押し出した。

 15日間、毎日取組があることについては「毎日(土俵に)立てるのは自分に合ってます」ときっぱり。新十両の初日を白星で飾った前夜は、部屋で特別な祝福はなかったといい「初日だから。終わってからかな」と浮かれていなかった。

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