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元WWEガスパードさん死去 息子と海水浴で高波に

元WWEのガスパードさん死去を伝えるWWEの公式サイト

アントニオ猪木が主宰したIGFにも参戦した元WWEのプロレスラー、シャド・ガスパードさんが死去した。39歳だった。17日に10歳の息子と米ロサンゼルス・ベニスビーチで海水浴を楽しんでいたところ、高波にさらわれて行方不明に。20日早朝、ビーチに遺体があると通報があり、警察とロス消防署が捜査によってガスパードさん本人であることが確認された。米沿岸警備隊は17時間近く捜査した後、19日に一時捜索を中断していた。

05年にWWEと契約し、06年にはジェイソン・ポール(JTG)とともにユニット「クライム・タイム」でデビューしたガスパードさんは07年にWWE一時退団し、インディー団体を経て、08年にWWEと再契約。一時はジョン・シナともユニットを組む時期もあった。10年11月までWWEで活躍した後、再びインディー団体で活動し、11年にIGFで初来日し、同年2月5日、GENOME14大会で現WWEのボビー・ラシュリーと組み、タッグ戦に出場。エリック・ハマー、沢田敦士組と対戦していた。

プロレスラーになる以前はジョージア州立パリメーター大のバスケットボール選手として活動。ブリトニー・スピアーズやマイク・タイソンのボディーガードも担当していた。WWEは20日に公式サイトでガスパードさんの死去を伝え「温かさとユーモアで友人や同僚に称賛されていた。ガスパードさんの家族、友人、ファンに哀悼の意を表します」などとコメントしていた。

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WWE名物リングアナ「ザ・フィンク」死去、69歳

米プロレス団体WWE殿堂入りの名物リングアナウンサー、ハワード・フィンケル氏が16日、死去した。69歳だった。同日にWWEが発表した。

「ザ・フィンク」の愛称で親しまれ、77年にWWEの前身WWWFのマディソンスクエアガーデン大会でリングアナとしてデビュー。02年までメインアナとしてマイクを握っていた。

70~80年代、WWEの前身WWFが提携していた新日本プロレスのアントニオ猪木、藤波辰爾、タイガーマスクらがWWFニューヨーク大会に参戦した際もリングでコールを担当していた。90年代後半にはタキシードマッチに臨むなどリングで戦う活躍もみせていた。

09年にWWE殿堂入りを果たしたフィンケル氏に向け、ハルク・ホーガンは「ハワード・フィンケル氏は良い時も悪い時も『チーム・ホーガン』にいました。私の良き友人よ、安らかに眠ってください。あなたを愛している」と自らのツイッターでつづれば、WWEビンス・マクマホン会長も「WWE初期からのスタッフだったフィンケル氏の死を知って悲しみました。彼の象徴的な声のおかげで、スポーツエンターテインメントの歴史の中での偉大な瞬間は、よりグレートになりました」と追悼していた。

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ライガーWWE殿堂入り「なんでボクなんでしょう」

引退式を終えた獣神サンダー・ライガーは歓声に応えながら引き揚げる(2020年1月6日撮影)

今年1月の東京ドーム大会で引退した新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが米団体WWE名誉殿堂「ホール・オブ・フェーム」入りすることがWWE、新日本プロレス両団体から発表された。

日本人選手としては、10年のアントニオ猪木、15年の藤波辰爾に続く3人目の快挙。レガシー部門では力道山、ヒロ・マツダ、新間寿氏も受賞している。ライガーは「新日ジュニアの象徴」として国内外で活躍。世界中で高い知名度と人気、長きに渡る功績により、今回の殿堂入りが決定した。

受賞を受けて、ライガーは「いやー、びっくりしましたね!『なんでボクなんでしょうか?』という気持ちです」と驚きのコメントを発表。「本当にもったいないような大きな賞を頂いて感動してますし、緊張してますし。そういう名に恥じない、これからもレスラーとしての獣神サンダー・ライガーという名前は付いてまわりますので、キチッとしていきたいなと思います。襟を正すっていう形でね」と名誉ある賞に気を引き締めた。

殿堂入りセレモニーは、4月2日(日本時間3日)にフロリダ州タンパベイのアマリー・アリーナで行われる。

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武藤が前田が長州が60周年猪木から闘魂注入ビンタ

「燃える闘魂60周年メモリアルセレモニー」でポーズを決め写真に納まる、左から長州、武藤、木戸、藤原、前田、木村、アントニオ猪木、越中、ヒロ斉藤、AKIRA、蝶野、藤波(撮影・横山健太)

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇28日◇東京・後楽園ホール

新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロレス興行の中止、延期が相次ぐ中、武藤敬司(57)がプロデュースするプロレスリング・マスターズの大会が行われ、会場は熱狂に包まれた。

今回は武藤の師匠であるアントニオ猪木氏(77)のデビュー60周年記念大会。試合後に猪木氏がリングに上がり、さらに武藤、蝶野正洋、越中詩郎、藤原喜明、藤波辰爾、木村健悟、前田日明、木戸修、長州力と猪木氏の弟子にあたるレジェンドらが集結し、師匠をぐるっと囲んだ。

マイクを持った猪木氏は「元気ですかー!元気があれば、なんでもできる」と第一声。「ここに来る途中、いろんなことを考えました。60周年なんかオレ関係ねえのにな」と大会の目玉にされたことを笑いながら愚痴りつつも、「熱い声援をもらったら、人前に出ることは素晴らしいこと」と喜びを語った。

さらに周囲、観客の声に背中を押され、武藤、蝶野、前田、長州にビンタで闘魂注入。「がんばっていこうよ。これからのプロレスが世界に向けて勇気と希望を発信できるように」と1、2、3、ダー! のかけ声で大会を締めた。

毎回人気の大会とありチケットは事前に完売。だが、コロナウイルス感染拡大の影響により、直前に約300件のキャンセルがあり、入りは8割程度にとどまった。メインのタッグマッチのセコンドに入った蝶野は客席に向かって「おいい、お前ら! よくもぬけぬけと出てきたな」と話し、笑わせつつつも、大会開催を決めた武藤に「心からお礼申し上げる」と感謝した。

試合後、武藤は「ここ2、3日追い詰められてたので、(猪木氏に)ビンタをもらってうれしかった」と、開催するかどうか悩んだことを明かした。さらに「今回マスターズやらなかったら、次1人欠けるかもしれないから、必死でやったんだよ」と決行に至った理由をブラックジョークで説明。「今の時点ではやってよかった」と胸を張った。

前田(中央)に闘魂ビンタをするアントニオ猪木(右)。左から武藤、藤波(撮影・横山健太)
アントニオ猪木(左から4人目)からの闘魂ビンタを嫌がる長州(同2人目)を無理矢理引っ張り出す蝶野(左)と武藤(同3人目)。右は前田(撮影・横山健太)

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武藤敬司プロデュース公演、28日に予定通り開催

昨年行われたプロレスリング・マスターズ大会 後方左から2人目が武藤敬司(2019年8月30日撮影)

プロレスラー武藤敬司(57)がプロデュースする「プロレスリング・マスターズ」は27日、28日の東京・後楽園大会を予定通り開催すると発表した。

新型コロナウイルス対策として来場者にマスク着用などを呼びかけるほか、観戦キャンセル希望者には返金対応する。大会は武藤の師匠であるアントニオ猪木氏が来場。メインイベント出場予定だった新日本プロレス天山広吉、小島聡が欠場となり、藤波辰爾、藤原喜明組対武藤、スーパーJ組にカード変更となった。また、プロレスリング・ノアは3月8日の横浜文化体育館大会、全日本プロレスは3月7日千葉・銚子大会を延期するとそれぞれ発表した。

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天龍、藤波、長州らが「日本プロレス殿堂会」発足

日本プロレス殿堂会発足会見で記念撮影する、左から天龍源一郎、藤波辰爾、長州力(撮影・浅見桂子)

天龍源一郎(70)、藤波辰爾(66)、長州力(68)らが20日、都内で会見し「日本プロレス殿堂会」の発足を発表した。日本プロレス界の発展に貢献した選手の功績を後世に伝え、引退した選手支援のために立ち上げられた。

初期メンバーは3人に、故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木氏を加えた5人。今後、会独自の選考基準をクリアした選手が殿堂に加入していく予定。15年に米WWE殿堂入りした藤波は「日本にもできたらという思いが強かった。レスラー全員、ファンの願いでもある」と喜びを語った。

日本プロレス殿堂会発足会見で、笑顔で記念撮影する、前列左から天龍源一郎、藤波辰爾、長州力。後列左から嶋田紋奈、LEONA、池野慎太郎(撮影・浅見桂子)

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長州力「夢や希望与えた」猪木氏を国民栄誉賞に推薦

アントニオ猪木氏(右から2人目)に、ビンタを食らう長州力(左から2人目)。左奥は天龍源一郎、右は藤波辰爾(撮影・浅見桂子)

長州力(68)が20日、77歳の誕生日を迎えたアントニオ猪木氏こそ国民栄誉賞にふさわしいとたたえた。

都内で開いた「日本プロレス殿堂会」発足会見の中で、昔と今のプロレスの違いに言及しつつ「いつの時代のプロレスも、1つ同じことが言えるのは、夢を与えているんじゃないかと思いますね。元気を与えているんじゃないかと」と変わらぬ魅力を語った。

そこから「話はちょっとそれちゃいますけど」と話題は国民栄誉賞へ。「日本の国民栄誉賞は、なぜアントニオ猪木がもらえないのかな、といつも不思議ですね」と疑問を呈した。

「これほど有名で、若者にも夢や希望を与えた。(ジャイアント)馬場さんが健在でしたら馬場さんも。アントニオ猪木が健在のうちに、そういう話があがってほしいなと思いますね。いちアスリートをやっていた感覚からすれば、最近の国民栄誉賞は何の基準でいただけているのか、分からないですね。メダルを取れば、記録を伸ばせば国民栄誉賞なのかな。夢や力を与えている、そういう人物がいてもいいんじゃないかなと思うんですけどね」と意見を堂々と語った。

アントニオ猪木氏(左から2人目)に、長州力(右)が何やら急に訴え、藤波辰爾(右から2人目))に阻まれる。左は天龍源一郎(撮影・浅見桂子)
「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」で、古舘伊知郎アナウンサー(左)の呼び込みで登場したアントニオ猪木氏(中央)(撮影・浅見桂子)

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アントニオ猪木氏77歳誕生日 古舘伊知郎がコール

「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」で、仁王像の写真の奥から拳で突き破って登場したアントニオ猪木氏(撮影・浅見桂子)

アントニオ猪木氏(77)が誕生日の20日、都内のホテルで開かれた「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」に出席した。

昭和プロレスを名実況で彩ってきた古舘伊知郎に呼び込まれ、テーマ曲「燃える闘魂」が流れる中、スクリーンを破ってど派手に登場。「今日からまた、新しいスタート」とあいさつ。「もう飽きました。みなさんの方が元気じゃないですか」とぼやきながらも「元気ですかー。1、2、3、ダー!!」と大きなかけ声で盛り上げた。

まだまだ意欲に燃える。会の中で、現在熱心に取り組んでいる水プラズマ開発について説明。「政府と話をしながら確実に進んでいる。世界に向けて、バカヤローと言える時期が来る」と自信をみせた。また、新たにYouTubeチャンネルを開設したことも報告。ともに日本プロレス殿堂会入りした天龍、長州、藤波3人のほか、故力道山の妻田中敬子さん、藤原喜明、歌手の川畑要らが出席。親交のあるボクシング世界6階級制覇王者マニー・パッキャオからのビデオメッセージも届いた。

「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」で、「1、2、3、ダーッ!」と気合を入れるアントニオ猪木氏(撮影・浅見桂子)

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タイガー服部「もう時間」レフェリー生活44年で幕

引退セレモニーでオカダ(左)から花束を受け取り労われるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)

タイガー服部(74)が44年のレフェリー生活に幕を下ろした。

19日、新日本プロレス後楽園大会のセミ、メイン2戦を裁き、メイン後の引退セレモニーでは10カウントゴング、胴上げで送られた。

76年に米国でレフェリーデビュー。以来、95年北朝鮮・平壌でのアントニオ猪木-リック・フレアー戦、99年1月4日の橋本真也-小川直也戦などプロレス史に残る数々の試合を裁いてきた。

優秀な海外選手を招くなど、コーディネーターとしても新日マットを支えた。レフェリーが引退試合を行うのは異例。それだけ選手からの信頼は深かった。

セレモニーには、ザ・グレート・カブキ、馳浩、武藤敬司、長州力ら豪華ゲストが来場。天龍源一郎、アントニオ猪木からはビデオメッセージが届き、猪木氏からは「長い間本当にご苦労さまでした」とねぎらわれた。

会場は1600人の超満員。マイクを取った服部レフェリーは「コロナという不気味なものに負けないで、これだけたくさん来られて感謝しております」とまずあいさつ。

そして、「自分はこのユニークなスポーツに出会えて、一生プロレスというものを愛し、だけど自分の人生という感じがします。素晴らしいことも友情もいろいろありますが、裏切りもあります、悲しいこともあります。まるで自分の人生みたいな感じがします」とプロレスと自分の人生を重ねた。

選手、スタッフ、ファンに感謝を述べ、「こういう思い出は一生忘れないように頭の中に刻んで生きていきたいと思います」と目を潤ませた。10カウントゴングの後、米国時代の盟友、故マサ斎藤さんの入場テーマが流れる中、選手らに胴上げされた。

レフェリーとしての哲学は「選手を邪魔しない。無駄な場所にいないこと」。それがうまくできなくなったため、「もう時間だな、と思って」と自ら引退を決めた。

最後の3カウントをたたき、「やり切った感があった。燃え尽きました」。1年新日本との契約を延長し、米国での興行、イベントを裏方で支える予定だ。

【高場泉穂】

引退セレモニーでタイガーマスク(左)と握手を交わすタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
後藤(右奥)にオコーナーブリッジを仕掛けるSANADA(手前右)にカウントをとりにかかるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
タイガー服部レフェリー(中央)引退セレモニーでリングに上がり写真に納まる、左から武藤敬司、長州力、1人おいてザ・グレートカブキ、馳浩(撮影・河田真司)
引退セレモニーでアントニオ猪木のサプライズビデオメッセージを見つめるタイガー服部レフェリー(右)(撮影・河田真司)

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現在無冠オカダ「そわそわして」“猪木発言”に言及

ウィル・オスプレイ、オカダ・カズチカ組対ザック・セイバーJr.、タイチ組 タイチ(左)をレインメーカーでマットに沈めるオカダ・カズチカ(撮影・清水貴仁)

<新日本:大阪大会>◇9日◇大阪城ホール

現在無冠の前IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(32)が思わせぶりな発言を行った。

「シリーズが終わって、次は(中西学らの)引退試合ですけど、新日本プロレスは何も変わらないところを大先輩のみなさんにしっかりお見せしてやっていきたいです」とした後、2・2札幌大会での“アントニオ猪木発言”について言及した。

「オカダ君はいろいろ気になることを言っちゃうけど…いや、いろいろ気になることを言っちゃった、言っちゃったけどね。みんながそわそわする中で、次の大会までそわそわしてください」。“猪木発言”の真意はまだやぶの中。ファンが気をもむ状況を楽しんでいるようだ。

この日は札幌で激闘を繰り広げたタイチ(39)とスペシャルタッグマッチで激突。強烈なバックドロップを食ったが、オスプレイとの巧みな連係から、タイチにレインメーカーを完璧に決め、3カウントを奪って見せた。

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猪木も!武藤2・28マスターズで藤波藤原とタッグ

武藤敬司

武藤敬司(57)がプロデュースするプロレスリング・マスターズの2月28日後楽園大会メイン「燃える闘魂60周年メモリアルマッチ」の対戦カードが17日、発表された。

当日は武藤の師、アントニオ猪木氏(76)が初来場。今年でプロレスデビューから60周年を迎える猪木氏と縁深いレスラーがメインで集結する。新日本プロレスの猪木氏の弟子、藤波辰爾(66=ドラディション)、藤原喜明(70=藤原組)、武藤がタッグを結成。対するのはセコンドの蝶野正洋(56)が率いる「TEAM2000」で、小島聡(49)、天山広吉(48=ともに新日本)、スーパーJ(57)が組む。

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ライガー「怒りの獣神」の大合唱で別れ、息子は号泣

引退式で10カウントを聞き終えてマントを翻す獣神サンダー・ライガー(撮影・山崎安昭)

<新日本:大田区大会>◇6日◇東京・大田区総合体育館

1月5日の新日本プロレス東京ドーム大会で引退したレジェンド、獣神サンダー・ライガーの引退セレモニーが6日、大田区総合体育館の興行前に行われた。

新日本の創始者、アントニオ猪木氏(76)からビデオメッセージで31年のプロレス人生をねぎらわれ、10カウントゴングと入場曲「怒りの獣神」の大合唱で見送られた。

   ◇   ◇   ◇

ライガーは試合の時と同じ、本気のフルコスチュームで最後のリングに立った。花束贈呈で棚橋、オカダらに続き、妻千景さん、長男貴光さんが登場すると思わず目が潤んだが、貴光さんが先に号泣。「貴光のバカ、先に泣きやがって。それで冷静になりました(笑い)」。花を受け取ると、2人を抱き寄せた。

サプライズもあった。新日本の創始者で大先輩のアントニオ猪木氏からビデオメッセージが届いた。「31年もよく頑張りましたね。引退というと、寂しい気もするけど、また、若い人たちに夢を贈れるように、頑張ってください。長い間、ごくろうさん」。ねぎらいの言葉をもらうと、画面に向かって深々と頭を下げた。ライガーは「教え子としては落第生。よく怒られましたし、ろくなことしていませんでした。本当にありがたいです」と感謝した。

最後のあいさつ。ファンに対し、感謝とともに、変わらぬ応援をお願いした。「平成元年に東京ドームで獣神サンダー・ライガーはデビューしました。そして、昨夜同じく東京ドームで最後の試合をさせていただきました。対戦相手のヒロム選手に粉々に砕かれましたが、これで引退できると確信いたしました。31年間、ファンのみなさま、ご声援本当にありがとうございました。プロレスラー、獣神サンダー・ライガーはこの日で終わりますが、新日本プロレスは、ますます大きくなり続けていくと思います。変わらぬご声援みなさまにお願いして、あいさつと代えさせていただきます」と述べた。

そして「最後に個人的なコメントをさせていただきたい」と前置きし、家族への感謝を語った。まず、広島から来場してくれた母へ、「お母ちゃん、頑丈な体に生んでくれて本当にありがとう」。妻と子へ「今まで寂しい思いをさせた分、父親らしいことをしていきたいと思いますので、よろしくお願いします」と、それぞれ言葉をかけた。

満員札止め、来場した約4000人のファン、後輩レスラーに囲まれながら、10カウントゴングを聞くと、四方に深々と頭を下げた。棚橋の合図で始まった入場曲「怒りの獣神」の大合唱に包まれながら、レスラーとして、最後の役目を終えた。武藤敬司からは「ほとぼりが冷めたら…」と「マスターズ」参戦の誘いを受けている。だが「カムバックは絶対にない。誓います」と笑いながら否定。今は「ゆっくり寝たい」。少し休み、若手選手らのサポートに回る第2の人生へ進む。【高場泉穂】

引退式でオカダ・カズチカ(後列左)らと記念撮影に臨む獣神サンダー・ライガー(2020年1月6日)
引退式を終えた獣神サンダー・ライガーは歓声に応えながら引き揚げる(2020年1月6日)
引退式で獣神サンダー・ライガーは泣きじゃくる息子貴光さんに突っ込みを入れる。右は千景夫人(撮影・山崎安昭)

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内藤哲也「大合唱だ、カブロン!」史上初2冠へ闘志

IWGPインターコンチネンタルのベルトを手にポーズを決める内藤哲也(撮影・中島郁夫)

IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(32)が、挑戦者で19年G1クライマックス覇者の飯伏幸太(37)を下し、5度目の防衛を果たした。 5日は、この日IWGPインターコンチネンタル新王者となった内藤哲也(37)と史上初の2冠をかけて戦う。

   ◇   ◇   ◇

最後は内藤がリングにいた。白ベルトを海野レフェリーから奪うように受け取り、4万人を超えた観客の支持を得た。33分54秒の激闘を制した余韻を味わい、右拳を突き上げた。昨年9月、同王座から引きずり降ろされるなど2戦2敗だったホワイトに雪辱。オカダとの史上初となる2冠戦に臨む舞台が整った。

容赦ない左膝攻撃でもん絶した。鎌固め、NTO(裏4の字固め)、ロープを挟んだドラゴンスクリューを浴び、左膝は悲鳴をあげた。だがSSSで投げられるとリバース式フランケン弾で応戦し、旋回式デスティーノで局面打開。バリエンテで脳天から落とし、デスティーノでとどめ。逆転の内藤を印象づけた。

「このベルトを取るだけが目的じゃないからさ。トランキーロ! あっせんなよ」。昨年10月の両国大会から沈黙を貫いた。5月から体調面の不安を抱え「このまま引退かな…と不安になるぐらい、結構、落ち込んでました」。ドーム2連戦が近づいた年末、旅などのリフレッシュ効果で心身の不安を洗い落とした。一気に目標に掲げてきた2冠のチャンスを手中に収めた。

2年前、IWGP戦で屈したオカダに「ドームのメイン、最高に気持ちいいだろ。勝つと、もっと気持ちいいぞ」と上から目線で言われた。全試合終了後、その屈辱を胸にオカダと対峙(たいじ)。「ドームのメインに戻ってきたぜ。史上初の偉業。オレがオカダを倒して大合唱だ、カブロン(バカ野郎)!」。有言実行の2冠王者へ、準備は整った。【藤中栄二】

◆IWGPヘビー級王座 新日本プロレスの至宝。。87年創設。初代は団体創始者のアントニオ猪木。世界に乱立するベルトを1つに統一して真の世界王者を作るためのリーグ戦「IWGP=International Wrestling Grand Prix」が第5回大会の87年かタイトル化された。100キロ以上の選手を対象としていたが、現在制限はなし。ジュニアヘビー級が100キロ未満。最多戴冠は棚橋弘至の8度。オカダが12度の最多連続防衛、29度の最多通算防衛記録。

ジェイ・ホワイト(左)に飛び蹴りを放つ内藤哲也(撮影・河田真司)
オカダ対飯伏 試合後、翌日対戦する内藤(右)はオカダを挑発する(撮影・滝沢徹郎)

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レスラー&和泉市議員のスペル・デルフィンは今は?

プロレスラーと和泉市議で活躍するスペル・デルフィン(撮影・横田和幸)

プロレスラーと大阪府和泉市議で活躍するスペル・デルフィンは今-。引退する獣神サンダー・ライガーへの思いも独白

プロレスラーのスペル・デルフィン(本名・脇田洋人=52)は、沖縄プロレス社長の肩書を持ち、2012年に大阪・和泉市議に初当選して現在2期(8年)目を務めている。

最大会派の明政会に所属し、定数24の市議の中でスポーツ振興などを所管する厚生文教委員会、市議会だよりを作成する広報広聴委員会などを兼務する。現役プロレスラーながら「先生」として精力的に活動する。

大阪府の南西部に位置する和泉市は、かつてベッドタウンとして発展し、現在の人口は約18万6000人。大阪プロレス時代に多く取材した記者だが、市議の姿は初めて見ることになる。市役所内の1室に覆面姿で登場したデルフィンは、以前と何も変わらない笑顔で和泉市と現在の自分について口を開いた。

「和泉市って全国的にはもちろん、たぶん関西でもいまいち知られていない。堺、岸和田市の隣、関西空港の近くとしか形容されないんと違いますか。いまだにどこにあるの? と言われる。言われないためには観光名所を作るとか、インバウンド(訪日旅行)を誘致するしかない。そのためにスポーツや芸術面に力を入れてます。特にスポーツの分野では他の議員に勝てる自信があります」

例えばこの任期中、プロ野球オリックスのホーム試合で「和泉市民観戦デー」の開催にこぎつけた。泉北高速鉄道の和泉中央駅には漫画家松本零士氏、弘兼憲史氏の協力でそれぞれのキャラクター漫画の銅像を設置。元ボクシング世界王者長谷川穂積氏を招いての講演会を市内の小学校で開いた。すべて自らの人脈で実現させた。

そもそも政治家の道を志した理由は何だったのか。潜在意識の中には、やはり国会議員となったアントニオ猪木らの存在が大きかったようだ。元々はプロレスでファンを笑顔にするのがライフワークだった。そこに政治との共通点を見つけた。政治で市民に喜んでもらいたいという結論に行き着いた。

「レスラーってリング上でマイクパフォーマンスすることが多い。試合の興行の宣伝で街でチラシを配ったり、宣伝カーを走らせる。政治家は議場でしゃべり、選挙カーで街頭演説をする。動き自体は似てるでしょ。プロレスは日本人だけでなく、外国人にも通用する強いツール。プロレスをやりながら和泉市をアピールしたいと思ったんです」

幸いなことに、市議としてマスク着用が最初から許可された。実は素顔で活動する覚悟はあったが、会派代表者会議で許された。例えばマスク姿で各地の市役所に出向く。すると必ず熱烈なファンがいてくれ、そこから話題が広がる。プロレスの力を改めて感じるという。

一部の市議らが私的に使い込んで社会問題化した政務活動費についても聞いた。和泉市の政務活動費は、月に7万円(年間84万円)と定められている。一括で受け取るのではなく、42万円を2回に分けて支給される。

「これは今、厳しいんですよ。自宅からマイカーで市役所に通うガソリン代も議会がある時は出ない。議会がない時は出る。議会がある時は議員活動だからあかん、政務活動はいいよと。ややこしいでしょ。ちょっとでも間違えてたら指摘されますよ。交通費でも厳しく制限されてます」

政界に身を投じて最も大きな変化は、やはり金銭面だったという。プロレスラーという職業は極めて不安定だ。メジャー団体の所属選手でない限り、1試合でギャラは1万円、場合によっては数千円程度。試合がなければ収入はない。デルフィンは99年から務めた大阪プロレス社長時代、経営者として苦しんだ。

「今、議員になって人生で初めて固定給をもらえている。ボーナスも初めてもらえた。プロレスラーとどっちがええんやと言われたら、うーん…。プロレス経営でもうかっていたらええけど、ひーひー苦労しながらやっていた。大阪プロレス時代はちゃんと選手に給料を払ってましたけど、逆に僕はもらっていなかった。市議は任期4年間は安心でも、それ以降は選挙があって大変な目にあう。比較は難しいですね」

今回の取材の目的はもう1つあった。来年1月、デルフィンが尊敬してやまない獣神サンダー・ライガー(新日本)が55歳で現役を引退するからだ。デルフィンといえば1994年6月、新日本の大阪府立体育会館大会のメインでライガーとのシングルマッチが実現した。

ジュニアの最強を決めるトーナメント「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」の優勝決定戦で対戦し、当時地方団体みちのくプロレス所属で、名前がさほど知られていなかったデルフィンが、ライガーと歴史に残る一戦を展開した。18分27秒、最後は惜しくも敗れたが、巧みな技や華麗な空中戦にファンは酔いしれた。これが俗にいうデルフィンの出世試合。記者も魅了された1人だ。

「あの試合は人生のターニングポイント。いまだにあれを見てファンになったと言ってもらえる。レスラーとして成功させていただいた試合。あれがあったからこそ全国で試合をさせてもらい、議員にもなれた。新日本とライガーさんには感謝しています」

当時、絶頂の人気を誇った長州力や闘魂三銃士らを差し置いてメインを飾るなど難しく、ヘビー級ではなくジュニアの認知度は決して高くはなかった。その恩人の引退が迫ってきた。

「ライガーさんは山口百恵みたいに、いいときにやめるという考え。動ける時にやめるのは大賛成だし、格好悪いライガーは見せたくないんでしょう。僕はみなさんに喜んでもらえれば、体が動く限りやります」

現在の生活に占めるプロレスと市議の割合を表してもらうと、即座に「1対9」という返答があった。

「市議って副業は大丈夫だけどプロレスに特化していたら、市議として何をしとるという批判になる。議会には100%出ないといけない。ずる休みとかありえないし、風邪をひいても骨折してもいかなければならない。僕への反対意見があったり、嫌なことももちろんある。でも、すべて自己責任による『やりがい』がある。とにかく和泉市のために頑張りますよ」

取材後、素顔のデルフィンと市役所の近所に昼食へ出かけた。素顔を知られていないから、市民から声をかけられることもない。「この時間は唯一、気楽なんですわ」。覆面レスラーの特権を楽しむ余裕が、今は少しできたようだ。【横田和幸】

◆スペル・デルフィン(本名・脇田洋人=わきた・ひろと)1967年(昭42)9月22日、大阪・和泉市生まれ。21歳の時、オランダでプロレスデビュー。FMW、ユニバーサル、みちのく、大阪を経て沖縄プロレスに。172センチ、80キロ。家族は夫人のタレント早坂好恵と1女。

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蝶野「私を利用して売名やめて」松井大阪市長と舌戦

舞台上でにらみ合う蝶野正洋(左)と松井大阪市長(右)(撮影・南谷竜則)

6日から9日で開催されている大阪モーターショー(インテックス大阪)で9日、同イベントのスペシャルサポーターを務めるプロレスラー蝶野正洋(56)が松井一郎大阪市長(55)とスペシャルトークショーを行い、舌戦が繰り広げた。

これに先駆け、松井市長が5日に自身のツイッター上で「蝶野さんとスペシャルトーク? 知らんかったわ」とコメント。吉村洋文大阪府知事(44)が「松井市長、強烈ビンタに気をつけて下さい」とリツイートしたことから、蝶野は「私を利用して売名するのはやめてくれ」と不快感をあらわにしていた。

この日、プロレスのリングイン風に「青コーナー、蝶野正洋」のアナウンスで登場すれば、松井市長は蝶野の師匠・アントニオ猪木の入場曲「イノキボンバイエ」をバックに入場。舞台上でにらみ合った2人だったが、徐々に近づいていきがっちり握手。名刺交換をし、終始笑顔でトークショーを展開した。

高齢社会にとって、車の自動運転は高齢者が外に出るきっかけになるという話から、「最近は目が悪くて、サングラスをかけていると見えない。スマホも老眼鏡がないと見えない」と“黒のカリスマ”といわれるイメージから掛けざるをえない事情を説明し、笑いをとった。

14年には一般社団法人NWHスポーツ救命協会を立ち上げ、地域防災・AED救急救命の啓発活動や「消防応援団」、「AED大使」などの社会貢献活動も行っている。「ビンタのイメージが強いが、たまにはいいことをやっているんです」と自虐的に“白のカリスマ”の一面を見せた。【南谷竜則】

大阪モーターショーでトークショーを行った蝶野正洋(左)と松井大阪市長(右)(撮影・南谷竜則)
名刺交換をする蝶野正洋(左)と松井大阪市長(右)(撮影・南谷竜則)

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猪木氏が58年ぶり靖国リング「もうひと踏ん張り」

靖国神社奉納プロレスでリングに上がって「1・2・3・ダーッ!」を決めるアントニオ猪木氏。右はZERO1の大谷晋二郎(撮影・丹羽敏通)

アントニオ猪木氏(76)が26日、東京・千代田区の靖国神社で行われたゼロワンの「奉納プロレス」に来場した。

猪木氏が靖国のリングに上がるのは、1961年(昭36)4月23日の日本プロレス奉納プロレス以来58年ぶり。テーマ曲とともに、赤いつえをつきながらリングへ上がると、「元気ですかー」と集まったファンに闘魂注入した。

61年に靖国神社で2回試合したことを振り返り、ファンから「覚えてるよー」と声をかけられると、「うそだろー」と返し、笑いを誘った。「元気が売りもんだけど、体は痛いし、腰も痛い。でも、もうひとふんばりしないといけない」と語り、「世界を変えてやるよ」と現在注目しているプラズマ技術についても熱弁した。

「人前に出たくない」思いがありながら来場したのは、58年前にこの地でプロレスを開催した師力道山への思いと「一生懸命大谷が頑張っている」とゼロワン大谷晋二郎の熱い思いに動かされたから。「歴史がおろそかにされるようになってきた。少しでも次の世代に伝えていきたい」と生き証人として、プロレスの歴史をつなげる。

囲み取材に応じるアントニオ猪木氏(撮影・丹羽敏通)
靖国神社のリングへ上がるアントニオ猪木氏(撮影・丹羽敏通)
あいさつを終えてリングをあとにするアントニオ猪木氏(撮影・丹羽敏通)

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天龍源一郎「元気ですかー」脳梗塞公表以来初公の場

都内でトークショーを行った天龍源一郎(左)と高田延彦

小脳梗塞を発症していたことを今月9日に公表した天龍源一郎(69)が22日、都内で高田延彦(57)とトークショーを行った。

病を公表したのは最近だが発覚したのは4月で3度の入院を経て、6月に退院。その後もトークショーやテレビ出演をするなど精力的に活動していた。この日集まった約180人のファンの前に登場すると、「元気ですかー!」と第一声。アントニオ猪木のフレーズで、いきなり笑いを誘い、健康ぶりをアピールした。

天龍と高田といえば96年の2度の一騎打ちが知られる。場が温まってきたところで、その年の年間最高試合となったUWFインターナショナル神宮大会での初シングルに話が及んだ。高田は「不思議なファイターであり、アーティストであり、もちろんプロレスラーであり、格闘家であり、すべて兼ね備えている、人一倍なにくそという気持ちをもっている方。そういう天龍さんと交える幸福感があった。会社がきついとかそういうことふっとばして、たくさんの人が見ている前でやらせてもらえる、これを私のキャリアーにとって、大きな勲章にしたいという思いが強かった」と回想。「あの短い時間の中で、宇宙にいったり、観客を俯瞰(ふかん)してみれたりした。名勝負製造器である天龍さんが相手だったから、評価をいただいた。ありがたい気持ちでいっぱい」とあらためて先輩天龍に感謝した。天龍は「キックの打ち出すとき、佐山と高田は見えないんですよ。すっと入る」と高田の天性のキックを思い出し、たたえた。

病気公表以来初の公の場に姿を現し、変わらぬ元気っぷりを示した天龍に対し、高田は「156歳ぐらいまでしっかり生きていただいて、天龍魂を後生に伝えてほしい」とエールを送った。

登場するなり「元気ですかー」とアントニオ猪木氏のフレーズで笑いをとる天龍源一郎

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猪木氏「ごめんなさい」夫人の思い出話で言葉詰まる

亡くなった田鶴子夫人の話をしながら言葉を詰まらせ、天を仰ぐアントニオ猪木

今年6月に政界引退したアントニオ猪木氏(76)が15日、東京・杉並区高円寺の飲食店「CACCスネークピットジャパン“ちゃんこ”の台所」を電撃訪問した。

新旧UWFで活躍し、CACCスネークピットジャパンの道場内で同店の経営を開始した宮戸優光代表(56)を激励。プロレス道場で培ってきた経験を生かした“名物”湯豆腐鍋などで舌鼓を打った。

自らの師匠・力道山が在籍した二所ノ関部屋流ちゃんこ鍋の味が宮戸代表にも受け継がれており、猪木氏は「力道山時代はちゃんこ番がいて、その流れでしたからね。ちゃんこは味が違うんですよ。レスリングではなくて味を引き継いでくれて」と太鼓判を押した。

8月27日に専属カメラマンだった妻の田鶴子さん(享年62)が他界した後、その翌日からテレビ収録などの仕事を再開している。猪木氏は「翌日がお笑い番組。仕事がやれるかなあと思ったけれど。彼女が言ってきた仕事で、そこまではしっかりやろうと。涙は流さないことにしていたのに、ごめんなさい」と夫人との思い出話をしながら言葉を詰まらせるシーンもあった。

また「世界発信」をテーマに新たな試みを展開することも明かし「リハビリしいて体調を良くしている。じっとしてはいられない。世界へ発信していくことがあるのでワクワクしている」とも口にしていた。

CACCスネークピットジャパン宮戸代表(左)が経営する飲食店で湯豆腐鍋を味わうアントニオ猪木
CACCスネークピットジャパン宮戸代表(右)と若手時代の写真を懐かしむアントニオ猪木

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猪木氏、居酒屋に行くのは「1ぺん…失恋した時です」

モンテローザ×アントニオ猪木×ハイネケン ラグビー応援!元気ですかー!!キャンペーン」記者発表会でハイネケンのビールを飲むアントニオ猪木氏(撮影・小沢裕)

アントニオ猪木氏(76)が2日、都内のモンテローザ本社で行われた「ラグビー応援! 元気ですかー!!」キャンペーン記者発表会で、居酒屋に行く時は「失恋した時です」と言い、笑った。

会見を主催したモンテローザが白木屋、魚民、笑笑などの居酒屋を展開していることから、イベントでは居酒屋に行く時はあるかと質問が出た。猪木氏は「1ぺんだけあるんですけどね」と答えた。その上で「すぐフォーカスされちゃうんで。行きたいんだけど、行かない時がありますよ」と、写真週刊誌に追いかけられたため、居酒屋に行くのをためらっていると明かした。

猪木氏と言えば、現役時代にはプロレスラーとしても並外れた酒量を誇ることで知られ、政界に進出後も、得意の外交で“飲みニケーション”を図ることも有名だ。この日も「飲む量は、昔は違った。1番、飲んだ時は、日本酒で5升5合。ロシア外交の時は、ウオッカを飲んで、みんな吹っ飛ばした」と、飲みの席での武勇伝を語った。

一方で「豪華なレストランじゃなくて、ちょっと飲みながら、という方が好き」と、本当は地味な飲みが好きだとも明かした。そして「最近は失恋じゃなくて、先に旅立たれてしまった…」と、8月27日未明に亡くなった、専属カメラマンでもあった妻の田鶴子さん(享年62)の死を惜しむ一幕もあった。【村上幸将】

スペアリブにかぶりつくアントニオ猪木氏(撮影・小沢裕)

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猪木氏、田鶴子夫人死去後初の公の場「元気がない」

「モンテローザ×アントニオ猪木×ハイネケン ラグビー応援!元気ですかー!!キャンペーン」記者発表会に参加したアントニオ猪木氏(撮影・小沢裕)

アントニオ猪木氏(76)が2日、都内のモンテローザ本社で行われた「ラグビー応援! 元気ですかー!!」キャンペーン記者発表会に出席した。

6月26日の参院本会議をもって参院議員を引退してから、初の公の場に姿を見せた猪木氏は、闘魂色の真っ赤なつえを右手に登場し「元気ですかぁ~!」といつもの叫びをした後「ちょっと、元気がない」と苦笑いした。

猪木氏は8月27日未明に、専属カメラマンだった妻の田鶴子さん(享年62)を亡くしたばかりだった。今回のキャンペーンに使用されている写真も、田鶴子さんが撮影したものだった。猪木氏は「先に旅立たれてしまった。いろいろやっていたんでね…見届けなきゃと…最後まで頑張った」と、しみじみ語った。

田鶴子さんは生前、関係者に「私にもし、万が一のことがあって、葬式とかがあっても、猪木のスケジュールは変更しないで。お仕事に迷惑はかけないでね」と言い残しており、猪木氏は8月28日に行われた。明石家さんまがMCを務める関西テレビ「さんまのまんまSP」(9月13日放送)の収録に続き、この日の記者発表会にも出席した。

猪木氏は、田鶴子さんの死の翌日に行った「さんまのまんまSP」の収録について「さすがに翌日、私もお笑いの番組も…と思ったんですが。こなしたよと」と田鶴子さんに仕事の報告をしたと明かした。そして「俺はこういう性格なんで、何を聞かれても良い。この通り、開けっぴろげ…大丈夫です」と口にした。

「ラグビー応援! 元気ですかー!!」キャンペーンは、白木屋、魚民、笑笑などモンテローザグループの全国1500店舗で、20日から開幕するラグビーW杯日本大会のワールドワイドパートナーを務めるハイネケンとのコラボ企画として、3日から11月2日まで開催。「アントニオ猪木コラボメニュー」として、かつて猪木氏が展開し、人気を呼んだスペアリブ専門店「アントンリブ」をアレンジした料理「最強のスクラム 闘魂バックリブ」などを食べることが出来る。

猪木氏は「最強のスクラム 闘魂バックリブ」を見ると「おいしいもの、一切、食べてない。匂いをかいで、早く食べたい」と言い、試食した。そして「食べやすくて味は濃厚。人気が出るよ」と答えたが「思い出の味? 」と聞かれると「いろいろなことを思い出したくない」と複雑な心情をのぞかせた。【村上幸将】

闘魂ビンタを浴びせるアントニオ猪木氏(撮影・小沢裕)
「モンテローザ×アントニオ猪木×ハイネケン ラグビー応援!元気ですかー!!キャンペーン」記者発表会に臨むアントニオ猪木氏(撮影・小沢裕)

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