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天国の馬場さんへ届け 天龍、越中らレジェンド集合

ジャイアント馬場23回忌追善興行で、あいさつする天竜源一郎氏(撮影・丹羽敏通)

<ジャイアント馬場23回忌追善興行>◇4日◇後楽園ホール

天国の馬場さんに届けとレジェンドたちが軽やかな? 動きで観客を魅了した。

最初に登場したのは70歳天龍源一郎だった。元気よくリングに上がり「選手たちが、馬場さんの作った、明るく楽しく激しいプロレスをしてくれると思います。馬場さん、見ていてください」と声高らかに開会宣言を行った。

第2試合の8人タッグマッチでは、78歳グレート小鹿が菊池毅の胸に強烈な逆水平チョップを浴びせ、63歳大仁田厚は場外で2代目タイガーマスクを鉄柵に何度もぶつけ、62歳越中詩郎もフットワークの軽さで相手の技をかわした。最後は67歳渕正信が菊池を丸め込み、66歳和田京平レフェリーの3カウントで沈めた。4人合計270歳のレスラーたちが、リングで暴れ回った。

試合後、渕は「みんな姿、形は変わってしまったけどね」と振り返り、和田レフェリーは「同窓会みたいで控室も入りにくい(笑い)。こんなに集まってくれてうれしい」と目を細めた。自分たちの試合後には、82年2月の馬場対ハンセンの伝説の試合が放映。渕は「もう40年も経つんだね。あの試合が流れる前で良かった。あの迫力を見た後にはやりにくい」と笑いを誘った。和田レフェリーも「40年前の映像見るとやっぱりすごい。今やってほしいくらい」と馬場さんの偉大さを改めて感じた。

第1試合に登場した、みちのくプロレスの54歳、新崎人生は白装束に身を包み、さっそうと登場。ロープ上を綱渡りのように歩く、拝み渡りも披露し、バランスの良さも見せた。「22年経ってもリングで元気に上がっているということを伝えた」。

馬場さんとの思い出を聞かれ、初参戦した97年の全日本世界最強タッグリーグでのエピソードを披露。12月2日の誕生日の試合後、控え室に誰もおらず、元子夫人に呼ばれていくと、馬場さんがケーキを持ってハッピーバースデーを歌って祝ってくれたという。

「30代前半で恥ずかしかったけど、自分のためにやってくれてうれしかった」と笑顔で振り返った。

馬場さんと縁のある多くのレスラーたちが、リング上で肌を合わせ、それぞれの思い出を語り合った。

渕正信に3カウントを奪われた菊地毅(撮影・丹羽敏通)
トップロープの上を歩くパフォーマンスを披露する新崎人生(撮影・丹羽敏通)
トップロープから攻撃を仕掛ける新崎人生(中央)(撮影・丹羽敏通)

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グレート小鹿・シマ重野ベルト奪回「前進止めない」

新潟タッグ王座選手権で王者組を破って王座奪回に成功したグレート小鹿(右)とシマ重野

新潟プロレスの新潟市東区プラザホール大会が26日行われ、メインの新潟タッグ選手権で、挑戦者で前王者のグレート小鹿(78=大日本)シマ重野(新潟プロレス)組が、河上隆一、菊田一美の王者組を破り、ベルト奪回を果たした。

前回、6度目の防衛を阻まれた小鹿組は「今回奪回できないと年越しができない」と悲壮な決意で王者組に挑んだ。両者譲らぬ激戦の末、最後は14分03秒、小鹿が首固めで菊田を破り、王座を取り戻した。試合後、現役最高齢で再びベルトを手にした小鹿は「自分の体がはっきり言って自分が思うほど動いてくれませんでした。でも、やっと年末に戻ってきたベルトをながめながら、今夜は重野選手と喜びの祝杯をあげています。私には、ギネスブックに世界最高齢のベルト保持者として載るという使命があり、前進を止める訳にはいきません。来年も、前回できなかった6回連続の防衛を目指し、重野選手と戦っていきます」と話していた。

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78歳グレート小鹿、32歳翔太を足4の字で勝利

天龍源一郎引退5周年記念大会で勝利したグレート小鹿(撮影:松熊洋介)

<革命伝承 天龍源一郎引退5周年記念大会>◇15日◇東京・後楽園ホール

78歳のグレート小鹿が元気だ。

井上雅央(50)とタッグを組み、リッキー・フジ(55)、翔太(32)と対戦。相手の「結構元気だな」の挑発に乗らず、コーナーに倒れた際には審判からも「行け!」という活を入れられながら、11分翔太に足4の字固めを決め、見事勝利した。

天龍源一郎引退5周年記念試合とあって試合後「昔バチバチやっていたのを思い出した」と当時を振り返った。印象に残っている試合として、約40年前の後楽園ホールでのアジアタッグを挙げ「70分近い試合をした。(天龍は)やられっ放しは嫌いで、1つやられると3つくらいやり返してきたのを覚えている。元気だったら、またやりたいね」と話した。

また、体調を崩した天龍には「長いこと時代を作ってきた人間。今よりももっと元気になって欲しい」とエールを送った。自身は78歳だが毎日トレーニングを欠かさず行っているという。「足腰から弱ってくる。毎日やれることをやるだけ。今後どうなるかは分からないが、あと2年やって、80歳超えるまでできたら」と、オファーがある限り、リングの上に立ち続ける。【松熊洋介】

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78歳グレート小鹿組が王座陥落 ギネスあきらめぬ

グレート小鹿(2019年11月4日撮影)

<新潟&大日本合同興行:新潟大会>◇25日◇新潟市西川多目的ホール

新潟プロレスと大日本プロレスの合同興行が25日、新潟市西川多目的ホールで行われ、メインで行われた新潟タッグ選手権で、王者組のグレート小鹿、シマ重野組は、挑戦者の河上隆一、菊田一美組に敗れ、6度目の防衛はならなかった。

78歳の小鹿は、国内最年長現役レスラーで、これまで5度の防衛に成功。最年長ベルト保持者としてギネス申請も視野に、6度目の防衛に臨んだ。試合は、20分を超す激戦。小鹿も奮闘したが、最後は小鹿が菊田にフォールされ21分34秒に敗れ防衛に失敗した。

試合後、小鹿は「負けました。命を半分持っていかれたような気分です。自分にはギネス申請という目標もあるから、まだまだあきらめない。次のチャンスを期待しながら、またねらいます」と話していた。

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78歳グレート小鹿が9月防衛戦「暴れ回るからな」

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)

新潟プロレスは10日、1月以降、新型コロナウイルス感染症のため中断していたプロレス大会を9月12日より再開すると発表。

新潟タッグ王者で世界最年長ベルト保持者のグレート小鹿(大日本)が、78歳になって初の防衛戦を9月13日、新潟市東区プラザ大会で行うことが決定した。9月12日には、新潟無差別級選手権が同市のサントピアガーデンで行われ、王者河上隆一(大日本)に、ビッグ・THE・良寛(新潟)が挑戦する。シマ重野(新潟)と中断前の1月に5度目の防衛を果たした小鹿は、6度目の防衛戦を前に「コロナで大変な思いをしたが、ボクは、それをいい方向に考えている。コロナのおかげで、ギネス記録認定を目指す最年長防衛記録が1歳伸びたからね。新潟プロレスも大日本プロレスもコロナには負けない。ボクも、どんどん防衛記録を伸ばして、リングの上で暴れ回るからな。ワッハッハ」と意気盛んだった。

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)
防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)

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大日本プロレス「最高の準備をして」興業あえて決行

19年の「新潟プロレス×大日本プロレス提携記念大会」で戦ったでグレート小鹿(右)とシマ重野(新潟プロレス提供)

<もしもし日刊です>

プロレス界でデスマッチの独自路線で人気を博す大日本プロレスも、新型コロナウイルスの感染拡大で苦境に立たされている。

ほとんどの団体が中止している興行をあえて決行。中止を余儀なくされることもあり、開催できても観客はまばらだ。団体の創始者で会長のグレート小鹿(77)に聞いた。

-興行の現状は

小鹿 3月26日に熊本でやったけど、あんまり人が来なかった。27日の広島は県から中止命令が出た。29日の名古屋も中止した。

-感染防止の対策は

小鹿 国や都道府県の首長の指示を守りながら、会場の管理者とコミュニケーションを取ってやっています。会場にアルコール消毒液やマスクを置いたり、3つも4つも大きな扇風機を回して換気したり。お客さんが指示に従ってくれるので幸せだと思っています。

-興行は続ける

小鹿 「今日は休みで来月からやります」なんてことはボクらはできない。会場は半年前から押さえてあるし。やってもお客さんは入らないし中止も厳しい。引いても前に進んでもダメということなら、引いてしまうとみんながしょんぼりする。

-自粛要請も出ている

小鹿 日本人だから日本政府の言うことは聞きたい。でも40人以上いる従業員をどうするの。ボクらは彼らを食わしていかないといけない。国の言うことを聞いて、最高の準備をして決行しますよ。

-小鹿さんは何を

小鹿 ボクは地方へ営業に回っています。3月31日は金沢に行ったけど、観光客が思ったより多くてびっくりした。

-4月28日で78歳になる

小鹿 ボクは元気ですよ。今月78歳になって、5月31日には新潟プロレスの長岡大会で新潟タッグ王座の防衛戦が予定されています。そこで防衛に成功したら、ギネスブックに最年長防衛記録の申請をしようと思っています。【聞き手・桝田朗】

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大日本プロレス、コロナ対策講じ今日記念大会実施へ

大日本プロレスのグレート小鹿会長

大日本プロレス(グレート小鹿会長)は16日の旗揚げ25周年のメモリアル大会となる横浜文化体育館大会を、新型コロナウイルスの感染防止対策を講じた上で、予定通り開催することを15日にホームページで発表した。一方、同大会の観戦チケットの他大会への振り替えも実施する。

体調不良、せき、発熱(37・5度以上)のある場合は観戦を控えるように呼び掛け、会場入り口、ロビー内、アリーナ入り口には消毒用アルコールを設置して来場者への利用を強く推奨、来場者マスク着用も周知する。

また選手への握手や接触は不可とし、恒例のフランクフルトの販売も中止。さらに会場ロビー、1階アリーナ内は終日換気のため扉を開け、会場内の窓も定期的に開けて換気をする。

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新潟プロレス3・29開催か中止か、お客の安全重視

新型コロナウイルスの感染拡大によって全国的に各種イベントが中止になる中、県内のスポーツ団体も影響を受けている。

新潟市を拠点に活動する「新潟プロレス」は29日に新潟市西川多目的ホールで試合を予定。世の中の情勢、他団体の動きなどを見ながら開催か中止かの判断を下そうと慎重になっている。

「中止となるとかなりの痛手。ただ、いちばん大切なのはお客さんの安全」。新潟プロレスの代表でトップレスラーのシマ重野(46)は頭を悩ませている。

29日の大会には大日本プロレスの主力が参戦予定。自身は大日本プロレスの人気レスラー、グレート小鹿(77)とのタッグでメインイベントに出場する。事務所にはファンから開催の問い合わせの電話がくるようになった。ホームページには来場者にアルコール消毒、マスク着用の徹底、選手との握手を控えるお願いなど感染防止策を掲載した。

新潟プロレスの年間収入のうち、1カ月1度のペースで行う興行は約40%を占める。1大会の収益は団体の1カ月の運営費にも相当する。全国のご当地プロレスも状況は同じ。そのため、予定通りに試合を行う団体も少なくない。

「プロレスはお客さんとの距離が近い。直接触れ合ってのファンサービスも積極的にする。その分、主催側の感染防止の意識も高いです。ただ、それで万全というわけではない」と重野代表。「お客さんが気持ちよく試合を楽しめる状況にならなければ。そこを重視したい」と話した。

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大日本プロレス「ピンチ」トラック全滅で募金を実施

会見でトラックの募金実施について語った大日本プロレス登坂栄児社長

今年旗揚げ25周年を迎える大日本プロレスが団体存亡の危機に陥っている。昨年10月に巡業バス、同12月に機材などを載せるトラックが故障。

今月8日にもう1台のトラックも故障し、計3台の自社車両が全滅。登坂栄児社長は11日、都内で会見を行い「ゴキブリみたいな団体ですみません…」と恐縮しながら、トラック募金の実施を発表した。

この日の後楽園ホール興行は、レンタカー2台に積載量ギリギリで荷物を詰め何とか乗り切ったが、今後遠方への巡業となるとトラック1台約2万円、バス1台約25万円のレンタル費用が1日ごとにかかるため、経費がかさむ。3月の西日本、4月の札幌巡業までに新たに購入したいところだが、バスは約750万円、トラックは1台450万円かかる見込みで、資金繰りが難しいという。登坂社長は「今までにないピンチ。戦後広島カープのたる募金のように、ぜひ助けていただきたい」と訴えた。

原因はいずれも事故ではなくラジエーターなどの故障によるもの。数年間でバスは70万キロ、トラックは40万キロ、70万キロそれぞれ走行しており、度重なる巡業で車も限界にきていた。グレート小鹿会長は「よう働いてくれた」と3台の車をねぎらい、「車がなくて困っている。みなさん1つお願いします」と協力を求めた。

実は04年にもトラック募金を行っていた。北海道・北見大会の移動中にトラックが横転。運転していた山川竜司と当時部長だった登坂氏、村上リングアナは無事だったが、車は大破し、使えなくなった。その後、ファンからの募金約130万円と、団体で集めた数十万円でトラックを買い戻せたものの、今回は被害の規模が違う。「本当にピンチ。助けてほしい」と登坂社長はSOSを繰り返す。令和のたる募金は実るのか-。

募金は各会場の募金箱に加え、専用口座で受け付ける。

トラック募金受付口座

三井住友銀行新横浜支店普通口6507305 有限会社四ツ葉工芸

まだ元気に動いていた頃の大日本プロレスの車両3台。選手移動バス(右)とリングやグッズを運ぶトラック2台(大日本プロレス提供)
切実な表情でトラック救済募金箱を持つ大日本プロレスの河上隆一

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ケンドー・ナガサキさん死去、デスマッチ戦線をけん引

バラ線パーフェクトホールデスマッチに臨むケンドー・ナガサキさん(1995年3月16日撮影)

「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが亡くなったことが13日、分かった。71歳だった。死因は不明。元所属先の大日本プロレスによれば、12日に千葉の自宅で亡くなっているところを知人に発見されたという。

桜田さんは64年に大相撲立浪部屋で初土俵を踏み、71年に日本プロレスでデビュー。70年代後半から80年代にかけて米国で落武者姿のヒールレスラーとして活躍した。95年には大日本旗揚げに参加。同団体デスマッチ戦線をけん引するだけでなく、総合格闘技にも挑戦。プロレス界「ケンカ最強」と言われてきた。

この日の大日本後楽園大会では、10カウントゴングでの追悼が行われ、試合中は遺影がリングサイドに飾られた。グレート小鹿会長(77)は「彼の協力がなかったら、今の大日本はない」と感謝。米国に子どもはいるが、日本では独り身だったと明かし、「もし親戚、知り合いの方ががいれば大日本まで名乗り出てほしい。あらためてお別れの会を開きたい」と話した。140キロの巨体を誇るデスマッチエース、アブドーラ小林(43)は「入門時に体重75キロだったのが数カ月で100キロまで増えたのは竹刀を持ちながらちゃんこを食わせてくれたおかげ」と故人をしのんだ。

かつて米国で生活をともにした武藤敬司(57)は「若手時代に海外で大変お世話になり、本当に良くして頂きました。実は自分がプロデュースする大会にも来て頂こうと構想があったのですが…、残念です」。角界の同期でともにSWS旗揚げメンバーだった元プロレスラー天龍源一郎(69)氏は「あまりにも早すぎる訃報に、あんなに頑丈な人がと思うと残念でなりません」と急逝を悼んだ。

◆ケンドー・ナガサキ 本名桜田一男(さくらだ・かずお)1948年(昭23)9月26日、北海道網走市生まれ。中学卒業後、大相撲立浪部屋に入門。1971年(昭46)に日本プロレス入門。同年6月27日、戸口正徳戦でデビュー。73年の団体解散後に全日本入りし、76年から米マットなど海外で活躍。81年にケンドー・ナガサキとなる。90年にSWS旗揚げに関わり、NOWを経て、95年に大日本旗揚げに参加。98年に退団し、フリー。188センチ、120キロ。

13日後楽園ホールで行われた大日本プロレス後楽園大会では、創設メンバーだったケンドー・ナガサキさんの遺影がリングサイドに飾られた(撮影・高場泉穂)
ケンドー・ナガサキさんの思い出を語る大日本プロレスグレート小鹿会長(撮影・高場泉穂)

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新潟プロレス結成10周年 大日本と提携記念戦も

新潟プロレスのトップレスラー・シマ重野(2016年11月7日撮影)

新潟県を拠点に活動するプロレス団体の新潟プロレスが今年で結成10年目を迎えた。

メモリアルイヤー最初の大会は大日本プロレスとの提携を記念した「新潟プロレス×大日本プロレス提携6周年記念大会」で、19日に新潟市西川多目的ホールで行う。新潟プロレスのトップレスラー・シマ重野(46)、大日本プロレスの人気者アブドーラ・小林(43)、河上隆一(31)がこのほど共同で大会のPRを行った。3人ともメインとセミファイナルでタイトルマッチに出場。気持ちの入ったファイトを誓った。

   ◇   ◇   ◇

新潟と大日本の提携記念大会は新春恒例の開催。15年から始まり、6回目の今回は初めてメインとセミファイナルでダブルタイトルマッチを行う。メインは新潟タッグ選手権。シマ重野と大日本の会長で新潟プロレス顧問でもあるグレート小鹿(77)の王者組が、アブドーラ小林・星野勘九郎(44)組の挑戦を受ける。セミファイナルは新潟無差別級選手権。王者で新潟プロレスのマスクマン、ビッグ・THE・良寛が、大日本のホープ、河上と対戦する。

重野は「小鹿さんのためにも負けられない一戦」。小鹿はタイトルホルダーとしては世界最高齢レスラー。防衛に成功後、ギネスブックに申請することも考えているという。ただ、小鹿の弟子でもある小林は「阻止することが恩返し」ときっぱり。「自分はプロ生活25年。最初はただ働きだった。積年の恨みもあるからね」と笑う。

セミを戦う河上は「良寛選手とは3年前に対戦してボコボコにしている」と自信を見せる。「タイトルを取って新潟にセカンドハウスを持ちたい」。自身の個人初タイトル獲得で、新潟でのファン拡大を図る。

大日本の新潟開催に重野が参戦したことが縁で提携がスタート。首都圏の人気団体との交流に重野は「プロレスそのものだけでなく、興行面などたくさん学ばせてもらった」と感謝を忘れない。新潟は今年で結成10年目。アオーレ長岡など大規模ホールでの興行や、定期的に大会を開催する市町村が増え、注目度は上がった。J2新潟、B1新潟の試合前にイベントマッチを行うなど活動の場も広がった。大日本の好影響が形になっている。

小林、河上も「真面目にプロレスに取り組んでいる」と新潟に好印象を持つ。「メイン、セミで初めて新潟対大日本という構図をつくることができた。充実したものにする」。重野は中身の濃い試合を約束した。【斎藤慎一郎】

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77歳グレート小鹿3度目の防衛成功「80歳まで」

グレート小鹿(2008年12月18日撮影) 

<新潟:村上大会>◇24日◇村上市民ふれあいセンター

国内最年長現役レスラーのグレート小鹿(77=大日本)が24日、新潟プロレス村上大会で、新潟タッグ王座の防衛戦を行い、3度目の防衛に成功した。

小鹿はシマ重野と組んで、MAZADA、KAZUMA SAKAMOTO組と対戦。激戦の末、21分20秒、小鹿がチョークスラムからの体固めでMAZADAからフォール勝ちした。小鹿は4月に同タイトルの初代王座決定戦に勝利して、77歳、喜寿での王座獲得という国内最年長記録を更新していた。小鹿は「77歳でもワシはまだまだやれる。こうなったら80歳まで防衛してやる」と鼻息荒く語っていた。

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「デスマッチドラゴン」伊東竜二20周年記念で勝利

伊東、佐々木組対葛西、佐久田組 デビュー20周年試合に勝利し佐々木(右)から勝ち名乗りを受ける伊東(撮影・滝沢徹郎)

<大日本:両国大会>◇4日◇両国国技館

“デスマッチドラゴン”伊東竜二(43)のデビュー20周年記念凶器持ち込みタッグデスマッチが行われた。

伊東は元大日本でライバルとしてしのぎを削ってきた佐々木貴と組み、宿敵である“カリスマ”葛西純、デスマッチ界のホープ佐久田俊行組と対戦。デスマッチ界をけん引してきたベテラン3人に、最も勢いのある佐久田を加えた一戦は、血まみれの死闘となった。ノコギリボード、剣山、植木鉢などさまざまなアイテムで痛めつけあう中、佐久田は5メートルはあるとみられる入場口へ移動。そこから飛んでスワントーンボムで攻めるところが目測を誤り、床に誤爆。腰を打って、一瞬会場がざわついた。

佐久田が無事リングに戻ると、さらに過激さは増した。伊東が注射器を持ち込むと、佐久田がそれを奪い、伊東と佐々木のほほに突き刺す。さらに佐久田が金属の魚串を持ち込むと、今度は伊東らが奪って佐久田、葛西のほほを貫く。4人ともほほに鋭利物が刺さった地獄絵図となった。最後は伊東と佐々木の連係が光り、伊東が佐久田にドラゴンスプラッシュを決めて勝利した。

試合後、伊東は永遠のライバル葛西と握手。「20年いろんなことがありました」としみじみとプロレス人生を振り返り、「20年は通過点。40、50年、いやグレート小鹿を追い越すまで頑張りたい」と77歳でいまだ現役の小鹿を超えるまで現役を続けると約束した。

伊東、佐々木組対葛西、佐久田組 佐久田(奥)にフォークで耳を切られる伊東(撮影・滝沢徹郎)
伊東、佐々木組対葛西、佐久田組 佐久田(下)をドラゴンスプラッシュで仕留めた伊東(撮影・滝沢徹郎)

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グレート小鹿 タッグ王座守る「80歳まで防衛を」

新潟タッグ王座の2度目の防衛に成功したグレート小鹿(左)とシマ重野

国内最年長現役レスラーのグレート小鹿(77=大日本)が11日の新潟プロレス「アイスリボン新潟大会」で、新潟タッグ王座の防衛戦を行い、防衛に成功した。シマ重野と組んで2度目の防衛戦に臨み、ビッグ・THE・良寛、前田誠組と対戦。激闘の末13分15秒、重野が前田から3カウントを奪い勝利した。

4月28日、77歳の喜寿の誕生日に初代王座決定戦で獲得したベルトを守った小鹿は、防衛戦から一夜明けた12日、日刊スポーツのインタビューに答え「お客さんの応援がものすごくて、オレたちの背中を押してくれた。77歳と4カ月で年長ベルト保持記録を更新したけど、まだまだ。こうなったら、80歳まで防衛を続けてやる!」と鼻息荒く宣言した。

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グレート小鹿「ボクらの見本だった」レイスさん悼む

グレート小鹿(08年12月撮影)

「ケンカ早い男だったけど、ケンカしたら仲良くなる、人間くさい男だったなあ」。国内最年長の現役プロレスラー、グレート小鹿(77=大日本)が、1日(日本時間2日)に76歳で亡くなった米国の名レスラー、ハーリー・レイスさんを悼んだ。

小鹿が1968年から米国で活躍していたころ、カンザスシティーのレイスさんに呼ばれてデトロイトから試合をするために出かけたという。試合が終わって、ギャラをもらう際に、事前のオファーで提示された額より安く、口論になったという。「そのときにケンカしてね。お客が思ったほど入らなかったからとか言い訳していた。まあ、自分の会社を守りたかったんだろう。怒って長距離バスのに10時間ゆられて帰ったことを覚えているよ」。

しかし、その後も米国で試合に呼ばれる機会があり、付き合いは続いた。「全米を渡り歩いているから、レスラーの移動の情報や、その土地のトップは誰かなどの情報をボクらにいろいろ教えてくれた」と、小鹿が米国各地を転戦する際の情報源として役に立ったという。

日本では、ジャイアント馬場との戦い、ジャンボ鶴田との対戦がファンを熱狂させた。「ブレーンバスターで相手を高々と持ち上げて、お客さんが1、2、3と時間をカウントするのは、レイスが初めてやったんじゃないかな。リング上に、いつも新しいアイデアを持ち込んで、お客さんを喜ばせるのが好きだった。プロとしてボクらの見本だったよ」。

プロレスラーとして米国でも日本でも人気者だった。「彼は日本でも米国でもトップを取る選手。正真正銘のメインイベンターだった。また1人、昔の仲間がいなくなった。寂しいよ」と小鹿は、故人をしのんだ。

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77歳グレート小鹿が王座防衛、新潟プロレス顧問に

グレート小鹿(08年12月撮影)

最年長ベルト保持記録を持つグレート小鹿(77=大日本)が23日、新潟プロレスの豊照大会で、新潟タッグ王座の防衛に成功した。

小鹿は、シマ重野と組み、ビッグ・THE・良寛組と対戦。25分25秒に重野が良寛を仕留め勝利した。小鹿は、新潟プロレスから顧問就任を要請されていたが、これまで初防衛ができてからと固辞。防衛したことで「顧問就任を引き受けさせていただきます」と宣言した。

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グレート小鹿77歳誕生日に王座奪取「この勢いで」

グレート小鹿(08年12月撮影)

現役最年長プロレスラーのグレート小鹿(大日本)が77歳の誕生日の28日、新潟プロレスの初代タッグ王者になった。

新潟市内で行われた同団体の大会でシマ重野と組んで、8チーム出場の同決定トーナメントに出場。決勝はビッグ・ハマー・ベイダー、スタン・小林組と対戦。重野が小林からフォールを奪い勝利した。喜寿の小鹿は「77歳の誕生日に、記念すべきベルトを取ったぞ。自分で自分に誕生プレゼントだ。この勢いで、全日本のアジアタッグ王座も手に入れるぞ」とご機嫌で話していた。

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異例!全日本アジアタッグ5・5大日本リングで実施

アジアタッグ王座挑戦要求に、大日本の5月5日横浜文化体育館大会での王座戦実施で応じた王者岩本煌史(左)。右から大日本の菊田、小鹿会長、河上

<全日本:横浜大会>◇27日◇横浜ラジアントホール

アジアタッグ王座戦の大日本リングでの実施が決定した。

大日本の河上隆一、菊田一美組が、第4試合のタッグ戦で、アジアタッグ王座を持つ岩本煌史とF・アキラのコンビと対戦。ラフファイトや反則攻撃を交えた河上組は、菊田がアキラを顔面蹴りで粉砕して勝利した。試合後に2人は岩本に対してベルトへの挑戦を要求した。にらみ合いの後に、リング上で乱闘となった。大日本組のやり方に激怒した岩本は「全日本のリングで汚いことしてんじゃねえよ。5月5日、オレとジェイクでこれを持って、お前らの所に乗り込んでやるよ」と、5月5日、大日本の横浜文化体育館大会でのタイトル戦を宣言。これに対し大日本組のセコンドについていたグレート小鹿会長は「岩本選手、ありがとう。岩本選手が言うんだから、5月5日のアジアタッグ王座戦はこれで決まり」と満足そうに言った。インタビュールームでも小鹿会長は「これから彼らにアイデアを授けて、100%取れるようにする」と不敵な笑みを浮かべていた。

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関本大介、岡林裕二組が初防衛「全面戦争ですよ」

タイトル防衛に成功した関本(左)と岡林。中央は大日本プロレスのグレート小鹿社長(撮影・中島郁夫)

<全日本:横浜大会>◇24日◇横浜文化体育館

世界タッグ王者の関本大介(38)、岡林裕二(36=ともに大日本)組が、挑戦者のジェイク・リー(30)、崔領二(38=ともに全日本)組を倒し、初防衛した。

全日本との全面抗争を打ち出したグレート小鹿会長がセコンドでげきをとばす中、2人は肉弾戦で圧倒。粘り強く向かってくるリーに対し、岡林が連続ラリアット、さらにゴーレムスプラッシュを決め、勝負を決めた。

世界タッグはもともと全日本のベルト。防衛したことで、小鹿会長が掲げる全日本ベルト総取りへ一歩進んだ。岡林は「全面戦争ですよ」。関本も「連続防衛記録つくりましょう」とそれぞれ息巻いた。

岡林(左下)はジェイク・リーに、関本(右下)は崔リョウジにそれぞれアルゼンチン式背骨折りを決めた(撮影・中島郁夫)

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馬場さんの付け人務めた大仁田厚「愛してましたー」

第3試合 勝利の雄たけびを上げる大仁田(撮影・河田真司)

<ジャイアント馬場没20年追善興行>◇19日◇両国国技館

かつて馬場さんの付け人を務めた大仁田厚(61)がデスマッチで馬場さんへの愛を表現した。

黒い革ジャンを着て登場し、76歳のグレート小鹿をパイプイスで殴打し、佐藤を机にたたきつけるなど大暴れ。有刺鉄線ボードに投げられ流血し、巨人石川に持ち上げられピンチになったが、すかさず仕込んでいた赤い毒霧を噴射し応戦。最後は仲間の鈴木が勝利をおさめ、リング上で「社長を愛してましたー!」と叫んだ。

73年に全日本に入門。歴代5代目の馬場さんの付け人を3年半務めた。「ろくでもない付け人だったが、かわいがってもらった」とプロレスだけでなく生き方すべてを学んだ師匠に感謝の言葉を連ねた。けがを繰り返してきた両膝は限界で、今日20日人工関節を入れる手術を受ける。「これで悔いなく手術台にのれる」と、この1戦に力を出し尽くした。

第3試合 グレート小鹿(右)にパイプイスで攻める大仁田(撮影・河田真司)

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