「パット・パターソン」に関する記事が5件あります
中邑真輔が追悼試合でミステリオJr.らと熱戦
ビッグE(左)にスピンキックを打ち込む中邑(C)2020WWE,Inc.AllRightsReserved
<WWE:スマックダウン大会>◇4日(日本時間5日)◇米フロリダ州オーランド
元スマックダウン・タッグ王者中邑真輔が、2日に死去した故パット・パターソンさんの追悼マッチに出場した。
オープニングでパターソンさんの追悼10カウントゴングが鳴り響く中、WWEメンバーとそろって黙とう。サミ・ゼイン、ドルフ・ジグラーとタッグを組み、ダニエル・ブライアン、レイ・ミステリオJr.、ビッグEと6人タッグ戦で激突した。
中邑はエルボーやショルダータックルでミステリオJr.を攻めると、ハリケーン・ラナで反撃された。ビッグEには、ベリー・トゥ・ベリー3連発からのビッグ・スプラッシュを浴びたものの、スピンキックでやり返した。さらにライダーキックも成功させたが、ミステリオJr.のセントーンを食らって動きを止められた。
試合はゼインがブライアンのイエスロックで追い込まれ、最後は丸め込まれて3カウントを許した。負けた後も、ジグラーが捕まってパット・パターソンにささげるブライアンのアトミック・ドロップを食らうと、ミステリオJr.の619、ビッグEがビッグ・エンディグも浴びてしまった。
パット・パターソンさん死去 馬場や猪木と対戦
ジャイアント馬場、アントニオ猪木とも対戦したカナダ人プロレスラー、パット・パターソン氏が死去したと2日(日本時間3日)、WWEが発表した。79歳だった。近年、がんで闘病生活を送り、マイアミの病院で亡くなったという。17歳だった58年にデビュー。NWAなどで活躍後、68年4月、日本プロレスで初来日し、ワールド・リーグ戦では馬場、猪木、山本小鉄、星野勘太郎らと対戦した。73年12月には北米タッグ王者として新日本プロレスに再来日し、猪木、坂口征二組と防衛戦にも臨んだ。77年には猪木が保持していたNWAヘビー級王座にも挑んだ。
米国ではWWE前身のWWFで活躍し、初代のインターコンチネンタル王者として、WWEヘビー級王者ボブ・バックランドとも対戦した。84年に現役を引退した後、96年にはWWF殿堂入り。WWEの裏方としたプロデューサーやクリエーティブ・コンサルタントなどを務め、毎年1月のPPV大会で開催されるロイヤルランブル戦も考案していた。
ホーガン、オースチン…WWE史上最大の同窓会開催
WWE史上最大の「同窓会」に登場したホーガン(左端)とフレアー(右端)(C)2019WWE,Inc.AllRightsReserved
<WWE:ロウ大会>◇22日◇フロリダ州タンパ・アマリー・アリーナ
「ロウ・リユニオン」と題し、レジェンドレスラーが集結するWWE史上最大の「同窓会」が開催された。
エンディングでリック・フレアーとハルク・ホーガンがマーク・ヘンリーら他レジェンドたちとステージに集結すると、最後にストーンコールド・スティーブ・オースチンがリングに登場。リングでビールを浴びて「ヘル・ヤー! とさけべ」と会場をあおり「みんなファミリーだ」と宣言し、ビールで乾杯して大会を締めくくった。
オープニングにはハリウッド俳優としての仕事が多忙になったジョン・シナがあいさつし、第1試合のウーソズVSリバイバルのタッグ戦には、それぞれリキシとディーボンがセコンドについた。今年新設の24/7王座を巡ってはパット・パターソン、ジェリー・ブリスコ、ケリー・ケリー、キャンディス・ミシェル、アランドラ・ブレイズ、テッド・デビアスが奪い合いを展開。さらに第5試合のレイ・ミステリオJr.とサミ・ゼイン戦には、カート・アングル、ロブ・ヴァン・ダム、サージェント・スローター、ハリケーンがステージに姿をみせ、帰ろうとするゼインを止めた。
ミック・フォーリーがリングでWWEの思い出を語ろうとすると、不気味なマスクを装着したブレイ・ワイアットに襲撃されるなど、次々とWWEで活躍してきたレスラーたちが集結。お祭りムード漂うロウ大会となった。
馬場、猪木らと戦ったスミルノフさん死去 71歳
ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村らと戦ったアレックス・スミルノフさんが5日(日本時間6日)に亡くなったと米メディアが報じた。71歳だった。死因は腎不全だという。
69年にデビュー。72年2月に初来日し、全日本プロレスに参戦。デビュー時のマイク・デュボアの名で参戦した。76年にロシア系のアレックス・スミルノフを名乗り、AWA地区でビル・ロビンソンらと抗争し、悪名をとどろかせた。
サンフランシスコではパット・パターソンをチェーン・マッチで撃破。US王座を奪取し、一躍脚光を浴びる。この勢いで77年9月、国際プロレスに参戦し、ラッシャー木村との壮絶な抗争を展開し、国際の常連エース外国人として活躍。木村からIWA王座を獲得した。
その後、全米を転戦し、各地で王座を手中に収め、WWEにも参戦し、名を挙げた。81年10月、全日本プロレスに初参戦。鶴田のUN王座、馬場、ジャンボ鶴田の保持するタッグ王座にも挑戦。
86年7月、新日本プロレスに参戦し、猪木とシングル戦で対戦。87年5月の新日本参戦が最後の来日となった。88年に現役引退。大型、悪党レスラーですごみのある選手だった。(デーブ・レイブル通信員)
ローデスさん葬儀にドリー・ファンクJrら
11日に69歳で亡くなったWWE殿堂入りのダスティ・ローデスさん(米国)の葬儀が17日(日本時間18日)、米フロリダ州タンパのセント・ローレンス・カトリック教会でしめやかに営まれた。
WWEで活躍中のローデスさんの息子ゴールダスト、スターダストら親族に、好敵手だったドリー・ファンクJr、ジェリー・ブリスコ、パット・パターソン、さらに世界ヘビー級王者セス・ロリンズ、ダニエル・ブライアンら、ローデスさんの教え子たちも参列。往年の大スターに最後のお別れをした。(デーブ・レイブル通信員)