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田中兄弟・亮明&恒成が酒田合宿「金&4階級」誓う

日本海と青空を背に今後の飛躍を誓った田中恒(左)と田中亮(撮影・相沢孔志)

日本ボクシング界のプロアマをけん引する「田中兄弟」が9~11日の3日間、山形・酒田市内などで合宿を行った。世界3階級王者で、現在はWBO世界スーパーフライ級1位の弟田中恒成(25=愛知・畑中)と、東京五輪フライ級日本代表の兄田中亮明(26=岐阜・中京教員)がトレーニングを公開した。東北から本拠地に帰省した以降も、来る一戦に向けて調整中だ。

合宿最後の練習メニューは遊佐町・西浜海水浴場での砂浜ランニング。青空の下で日本海の潮風に当たりながら、2人は1歩ずつ前に進んだ。「走ることがボクシングの基本」と恒成。同合宿では徹底した走り込みを実施し、陸上競技場やゴルフ場、羽黒山の山頂を目指して2446段の石段も登った。走行距離は1日約30キロを目標に、3日で約100キロを走破した。恒成は「モチベーションは落ちていないけど、1度リフレッシュして、スタートしたい思いがあった。とてもいい合宿になった」と充実した日々を振り返った。

同合宿に至った経緯は、以前から交流があった酒田市内にある「だるま寿司」の店主が、同店の80周年記念イベントのゲストで恒成を招待。また南海キャンディーズの「しずちゃん」こと、山崎静代(41)のボクシングトレーナーを務め、13年に亡くなった酒田市出身の故梅津正彦さん(享年44)が、恒成が所属する畑中ジムと交流があったこともきっかけとなった。同合宿は昨年に続いて2回目だが、今年が初参加の亮明は「人も温かくて、海も山もすごくいいところ。ご飯もおいしくて、夜におすしを食べることが楽しみだった」と人生初の酒田を風土や食でも満喫した。

コロナ禍でプロは7月から興行が可能となったが、恒成は2月に現階級へ変更して以降、試合はできておらず、亮明も東京五輪の延期が決まった。それでも恒成は「今はチャンピオンではない。まずは4階級制覇をしたい」。亮明も「目標は金メダル。来年に(同五輪が)開催してくれるのであれば、モチベーションは下がらない」と意気消沈はしていない。「4階級制覇と金メダル」。港町の期待を背に、2人は夢への挑戦を止めない。【相沢孔志】

◆田中兄弟の近況 弟恒成は今年1月31日、WBO世界フライ級王者を返上し、階級を上げて4階級制覇の意向を明かした。対戦相手には日本人初の4階級王者、WBO世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(31)を希望。6月にはユーチューブ「たなちゃんねるKOsei tanaka」を開設した。兄亮明は3月20日、五輪開催国枠で出場する男子3選手の1人に選出された。

砂浜でランニングをする田中恒(左)と田中亮(撮影・相沢孔志)
砂浜でランニングをする田中恒(左)と田中亮(撮影・相沢孔志)

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元世界王者の比嘉大吾「KOで」10・26移籍初戦

比嘉大吾(2018年2月4日撮影)

ボクシング元WBC世界フライ級王者比嘉大吾(25=Ambition)が10日、オンライン会見で移籍初戦を発表した。10月26日に東京・後楽園ホールでのノンタイトルのバンタム級10回戦で、日本同級13位堤聖也(24=角海老宝石)と対戦する。

比嘉には2月に6回TKOで再起して以来の試合となる。3月に白井・具志堅ジムとの契約を解除し、6月に4階級制覇王者井岡一翔(31)と同じジムに移籍。野木トレーナーとのコンビを復活させて練習してきた。「試合が楽しみ。移籍初戦なのでしっかり倒して勝ちたい」と話した。

日本人とは14年のプロ3戦目以来2人目の対戦となるが、宮古工時代に九州学院だった堤には2敗した。WBC8位、WBA9位とすでに同級でも世界ランク入りし、プロでは格の違いを見せるつもりだ。「手数があり、いろいろやってくる。今度はKOで決着をつける」と自信を口にした。

18年4月に体重超過で世界王座を剥奪され、野木トレーナーはジムを退職した。3月からは比嘉が横浜に引っ越し、朝と夜にマンツーマンの2部練習で鍛え直してきた。

野木トレーナーは「2月とは別人。世界王者の時よりパワーがついている」。比嘉も「フライではコンビネーションだったが、バンタムでは1発でも大事」と手応えを得ている。来年世界挑戦を目標に据え、再スタートを切る一戦となる。

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井上尚弥ら「激闘王」八重樫東を語る/まとめ

元世界3階級王者・八重樫東(37)が現役引退を発表した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。

特別スパーリングを終えポーズをとる井上尚弥(左)と八重樫東(2014年5月19日撮影)

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

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八重樫東、力作「子育て論」初講演に見た豊かな話術

八重樫東(左)と大橋秀行会長(19年12月撮影)

<ボクシング、「激闘王」八重樫東を語る~3>

元世界3階級王者・八重樫東(37)が引退した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。

◇  ◇  ◇

WBC世界フライ級王座を獲得し、2階級を制覇した13年8月だった。八重樫が練習後、所属ジムで汗を流しながらじっとスマホを凝視しているシーンで出くわした。画面をのぞかせてもらうとメモに大量の文字が…。翌月に控えているという講演内容を入力していた。「4日間かけてスマホでつくりましたよ…」という力作は、印刷すればA4サイズの用紙8枚分にも及んだ。

世界王者になって以降、何度かボクシングをテーマに講演していたが、この時の依頼は子育て論だった。「ボクシングの話以外でオファーが来るとは思っていなかった」と苦笑しつつも、75分間分をきっちりと構成していた印象が強く残っている。不慣れな内容に緊張はマックスだったそうだが、講演当日の9月7日早朝に次女一永(ひとえ)ちゃんが生まれ、開口一番に愛娘の誕生を報告。「最初のつかみが大事だと聞いていたのですが、一永のおかげで助かりました」。70人以上が集まった講演会で、ボクシング以外の話題に耳を傾けてもらったことが自信になったそうだ。

当時、八重樫は30歳。三十路(みそじ)となり「発言力」に磨きがかかっていた。05年のプロデビュー当時、八重樫の記事には大橋秀行会長の「秘蔵っ子」と書かせてもらったが、スポーツ界でトップクラスと言える師匠の巧みな話術を近くでみながら吸収。ボクシングとともに、発言1つ1つにも力強さが加わっていた。人に自らの考えや思いを伝えることで、頭で思考が整理されると言う。世界王者になったことで生まれたリング外の経験は、八重樫をさらにグレードアップさせていたと感じていた。

ボクシングファンだけでなく、取材に訪れる数多くの報道陣にも好かれていたのは、自らの生きざまを表現できる魅力があったから。あの子育て論の初講演から7年後の9月、ついに引退の時がきた。今度は八重樫の「秘蔵っ子」たちにボクシングテクニックとともに、人間力豊かな話術も継承していってほしいと願っている。【元ボクシング担当=藤中栄二】

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家族と一緒に…引退八重樫東の防具に3人の子供の絵

引退会見した八重樫東(中央)。左は松本好二トレーナー、右は大橋秀行会長(大橋ジム提供)

ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。

オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

ボクサーが唯一身につけることを許された防具がある。ノーファウルカップ。急所を保護するためにつける。八重樫は拓大時代からのものを使ってきた。この愛用品にも家族愛が表れていた。

モットーの「懸命に悔いなく」。その文字とともに、長男圭太郎くん、長女志のぶちゃん、次女一永ちゃんと3人の子供の絵が描かれている。いつからか、世界戦前は単身でマンション生活を送るようになった。練習、試合に集中するため。子供の絵は3階級制覇後の防衛戦を控え、マンション生活の合間に自らが描いた。

1カ月以上家族と離れ、最初の頃は週末には家に帰っていた。終盤はそれも我慢して、テレビ電話での会話も封印した。「パパ頑張って」という、涙声の留守電が入っていたこともしばしばだった。

試合中は長男の声援が会場にいつも響いていた。勝ったリング上では、彩夫人と一家5人の記念撮影も恒例だった。「子供に引退は言っていない。これからも。試合がなければ分かるでしょう」と素っ気なく言った。何よりもノーファウルカップが、家族を思い、家族と一緒に戦ってきたことを示していた。【河合香】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

3人の子供が描かれた八重樫のノーファウルカップ

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八重樫はグッドルーザー、あご割れようが悲壮感なし

12年6月20日、9回、腫れた顔面で井岡(右)にパンチを浴びせる八重樫

ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。

オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

3階級世界制覇の偉大な王者の八重樫だが、自分の中ではグッドルーザー(素晴らしい敗者)という言葉が思い浮かぶ。激闘の敗戦後、想像を超えたダメージを負いながらも、さわやかさが漂う。そこに勝負師としての潔さを感じた。

07年6月4日。24歳だった八重樫の世界初挑戦。全盛期のWBC世界ミニマム級王者イーグル京和の強打で、2回にあごを骨折。その後は口も閉じられず、9回以降はマウスピースの交換もできなかったが、セコンドに「最後までやらせてください」と、目で訴え、最終12回まで戦い抜く。試合後は、もちろん話せず、タオルであごをつった。それでも報道陣に笑顔すら浮かべ、あごを割られた王者には頭を下げ、敬意を示した。

12年6月20日、WBA王者として迎えたWBC王者井岡一翔との王座統一戦。序盤に被弾した両目は中盤からみるみる腫れたが、あきらめない。試合を止めようとした医師には「僕はもともと目が細い顔立ちなんです。やらせてください」。判定負けの試合後、両目はほとんど開かず、異様なほど腫れ上がったが、6歳下の井岡に「ありがとう」。ファンにも深々と頭を下げた。翌日の一夜明け会見では、痛々しい見た目と違って悲壮感はない。「子どもたちにはい上がる姿を見せたい」と前を見た。

リングでは「激闘王」の異名通り、絶対に下がらず、捨て身で愚直に前に出て攻め続ける。前述のような大けがと背中合わせだが、そのスタイルを最後まで貫いた。普段は子煩悩で、優しい性格。ボクサーとは思えない、癒やし系の雰囲気を醸し出す。そのギャップも魅力的だった。【田口潤】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

07年6月5日、WBC世界ミニマム級タイトルマッチ・イーグル京和戦で上あごの両側骨折の重傷を負った八重樫東のエックス線写真
9回、ゴンサレスに右アッパーを見舞う八重樫東(撮影・たえ見朱実)

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八重樫飾らぬ生き様 優しい笑顔の裏「反骨心」支え

2016年5月8日 IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ 12回、マルティン・テクアペトラ(右)に強烈なボディをー見舞う八重樫東

ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

頑固な人情派。そんな人だと思っている。16年5月のIBFライトフライ級王座のV1戦の2週間前の夜に突然、電話がかかってきた。「明日、時間ありますか? ついてきてほしいところがあって…」。翌日、指定された横浜の中華街に行くと、「引退です」と告げられた。もちろんジョークだったが、左肩甲下筋損傷と左肩関節唇損傷。医師から手術を勧められるほどの大けがを明かされた。

左腕は痛みで横にも動かせず、打てるパンチはジャブのみ。それでも、八重樫は「試合は出ます。それは決めました」ときっぱりと言った。理由は、陰で「ボス」と呼ぶ、大橋会長への思いだった。14年に世界戦で連敗。引退報道も出る中「お前はジムの功労者だ」と再挑戦への交渉に奔走してくれた姿を見ていた。だからこそ「このタイトルだけは特別。興行に穴はあけられない」と腹を決めた。

そんなやりとりを中華街の真ん中でしていると、携帯の画面にうつる、治療院の広告らしき文言を見せられた。「『神の手』でどんな痛みも治してみせます」-。怪しみながらも、八重樫のわらにもすがる思いを感じ、店舗探しを手伝った。だが、“ゴッドハンド”はすでに帰国していた。それでも、3日後には「ハリウッドスターの腰痛を、さするだけで治す人を見つけました」と連絡がきた。

「しがみつく人間にしかチャンスはこない」。左肩をなでながら、自分に言い聞かせるように何度もつぶやいていた。結局、痛みを隠してリングに立った。格下相手に2-1の僅差判定勝ち。試合後の会見でもけがのことは言わなかった。人がいなくなり、記者を見つけると、にやりと笑った。「ひどい内容でも、ベルトが残れば僕の勝ちです」。忘れられない思い出だ。

キャリア終盤、“エゴサーチ”をして、「八重樫はパンチドランカー」「壊れている」というコメントを見つけ、「ぼくのこと、ドランカーだと思ったことありますか?」と興奮気味に聞かれたことがあった。優しい笑顔の裏の反骨心が、「激闘王」の支えだった。好きな言葉は、努力、辛抱、覚悟。飾らない生きざまが、八重樫の魅力だと思う。【奥山将志】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

引退会見に臨んだ八重樫(左から3人目)。左から松本好二トレーナー、中垣龍汰朗、1人おいて大橋秀行会長(大橋ジム提供)

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八重樫、激闘王の愛称は「これからも宝物」一問一答

会見で笑顔を見せる八重樫(大橋ジム提供)

ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで会見し、現役引退を表明した。

2月に大橋秀行会長から引退を勧められて決意した。05年3月にプロデビューし、11年にWBAミニマム級、13年にWBCフライ級、15年にIBFライトフライ級の王座を獲得し、日本選手3人目の3階級制覇を達成。どんな相手にも逃げずに激しく打ち合うスタイルから「激闘王」の異名を取った。昨年12月にTKO負けしたIBFフライ級王者ムザラネ戦が、最後の試合となった。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。一問一答は以下の通り。

-山あり谷ありのボクサー人生

八重樫 常に前を向いて、今日よりも明日がいい日になればいいと進んできた。長いマラソンを完走できたのはいろんな人の協力があったから。ファンの方の応援があったから、劣勢になってもパンチが出せた。

-「激闘王」の愛称

八重樫 大好きです。打ちつ、打たれつのボクシングで、すごく親しみのあるニックネームでこれからも宝物になると思う。

-3階級制覇

八重樫 誇れるのは世界王者になれたことではなく、負けても立ち上がったこと。(3階級は)結果そうなったが、強い相手に勝ちたいという思いが1番。強くなりたいと思って、結果的についてきた。

-今後はトレーナーとして、先月プロデビューした「アマ8冠」の中垣を指導していく

八重樫 引退しても大橋ジムの八重樫として生きていきたい。会長の力になれるように、自分の経験と知識を後輩たちに伝えていければ。

引退会見に臨んだ八重樫(左から3人目)。左から松本好二トレーナー、中垣龍汰朗、1人おいて大橋秀行会長(大橋ジム提供)
トレーナーとして担当する中垣(左)から花束を贈られ笑顔の八重樫(大橋ジム提供)

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さらば「激闘王」八重樫東!殴られ殴った/写真特集

ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。「本日、9月1日をもちまして、引退することを決意しました。たくさんの応援をしていただき、一生懸命、プロボクシングができたことを誇りに思います。ありがとうございました」。思い出の試合に、WBC世界フライ級王者時代のローマン・ゴンサレス戦をあげ、「常に前を向いて、今日よりも明日がいい日になればいいと進んできたので、後悔はない。15年間、一生懸命走ってきたつもり。人間なので転ぶ時もあれば、休む時もあったが、それでいいと思っている。100メートル走ではなく、マラソン。今日、こうやって完走できてうれしく思う」と山あり谷ありの現役生活を振り返った。

大橋秀行会長 中身の濃い15年だった。最初の世界戦でケガして引退してもおかしくない。引退勧告も何度もしたが、ここまで大きく人間としても成長するとは、こちらも教えられた。負けて大歓声は八重樫以外見たことない。いろんなトレーニングを採り入れ、食事や減量など日本で一番知識がある。精神力はもちろん、科学的研究も熱心だった。後輩に教えてもらい、第2の八重樫を育てていきたい。

デビュー戦からコンビを組んできた松本好二トレーナー (日本王者時代に)けがでもう辞めた方がいいと思う時期もあったが、諦めずによく世界王者になってくれた。一緒に歩めたのはトレーナー冥利(みょうり)に尽きる。

11年10月25日、チャンピオンベルトを掲げ「ベルトとったぞー」と絶叫する八重樫

14年9月5日、王者陥落した八重樫は、WBCから贈られたメダルをかけて引き揚げる

14年9月5日、9回、八重樫(右)はゴンサレスの左アッパーをまともに受ける

WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(07年6月4日・初王座奪取に失敗)

八重樫東判定
0-3
イーグル京和

07年6月4日、WBC世界ミニマム級選手権 イーグル京和対八重樫東 12回終了と同時に判定負け覚悟したようにうなだれる八重樫東

07年6月4日、WBC世界ミニマム級選手権 イーグル京和対八重樫東 4回、八重樫東(左)にフックを打ち込むイーグル京和

07年6月5日、WBC世界ミニマム級タイトルマッチ・イーグル京和戦で上あごの両側骨折の重傷を負った八重樫東のエックス線写真

WBA世界ミニマム級タイトルマッチ (11年10月24日・WBA初王座奪取)

八重樫東10R
TKO
ポープラムック

11年10月24日、WBA世界ミニマム級で新チャンピオンに輝いた八重樫(中央)は大橋会長(左)と彩夫人からキスの祝福を受ける。前列は長男の圭太郎くんと長女の志のぶちゃん

11年10月24日、10回TKO勝ちで新王者となり、キャンバスに寝転がって喜ぶ八重樫

11年10月24日、8回、ポンサワン(右)に強烈なパンチを見舞う八重樫

WBA・WBC世界ミニマム級王座統一戦(12年6月20日・WBA王座陥落)

八重樫東判定
0-3
井岡一翔

12年6月20日、健闘をたたえて抱き合う統一王者となった井岡(左)と八重樫

12年6月20日、8回、顔面が腫れた八重樫(左)は井岡に強烈なパンチを浴びせる

12年6月20日、9回、腫れた顔面で井岡(右)にパンチを浴びせる八重樫

12年6月20日、八重樫のシューズには長男圭太郎君の名前が入っていた

WBC世界フライ級タイトルマッチ(13年4月8日・WBC・リングマガジン王座獲得 )

八重樫東判定
3-0
五十嵐俊幸

13年4月8日、11回、五十嵐(右)を圧倒的に攻め、ガッツポーズする八重樫

13年4月8日、9回、八重樫東(左)の左が五十嵐俊幸の顔面をとらえる

WBC世界フライ級タイトルマッチ(13年8月12日・WBC王座初防衛)

八重樫東判定
3-0
ブランケット

13年8月12日、防衛に成功した八重樫は大橋会長(中央右)ら陣営に祝福される

13年8月12日、WBC世界フライ級タイトルマッチ 7回、オスカル・ブランケット(左)の顔面にパンチを見舞う八重樫

WBC世界フライ級タイトルマッチ(13年12月6日・WBC王座2度目の防衛)

八重樫東3-0
12R判定
ソーサ

13年12月6日、WBC世界フライ級タイトルマッチ 八重樫東対エドガル・ソーサ 判定でエドガル・ソーサに勝利し、2度目の防衛を飾った八重樫東(中央)は次女一永ちゃんにキス。左から松本好二トレーナー、長女志のぶちゃん、2人おいて長男圭太郎君、大橋秀行会長

13年12月6日、11回、ソーサ(右)の顔面に左フックをヒットさせる八重樫

WBC世界フライ級タイトルマッチ (14年4月6日・WBC王座3度目の防衛)

八重樫東9R
KO
サレタ

WBC世界フライ級タイトルマッチ(14年9月5日・WBC王座陥落 )

八重樫東9R
TKO
ローマン・ゴンサレス

14年9月5日、9回、ゴンサレス(手前)にダウンを奪われTKO負けとなった八重樫

14年9月5日、9回、レフェリーストップとなった八重樫に声をかける大橋会長

14年9月5日、死闘を繰り広げたゴンサレス(左)と八重樫。6回にはクロスカウンター気味にお互いのパンチが入る

WBC世界ライトフライ級王座決定戦 (14年12月30日・WBC王座奪取失敗)

八重樫東7R
KO
ゲバラ

7回、八重樫(左)はゲバラの強烈な左フックをボディーに食らい、崩れ落ちる(撮影・山崎安昭)

IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ (15年12月29日・IBF王座獲得)

八重樫東3-0
判定
メンドーサ

IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ (16年5月8日・IBF王座防衛)

八重樫東2-1
判定
テクアペトラ

16年5月8日、防衛に成功しながらもリングを降りる際、手を合わせる八重樫

16年5月8日、11回、テクアペトラ(右)の顔面に強烈なパンチを見舞う八重樫

IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ (16年12月30日・IBF王座2度目の防衛)

八重樫東12R
TKO
ゴーキャットジム

16年12月30日、12回、ラッシュする八重樫

IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ (17年5月21日・IBF王座陥落 )

八重樫東1R
TKO
メリンド

17年5月21日、1回、メリンド(手前)から1度目のダウンを奪われる八重樫

17年5月21日、1回、メリンド(手前)から1度目のダウンを奪われるパンチを浴びる八重樫

IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ (19年12月23日・IBF王座奪取失敗)

八重樫東9R
TKO
ムザラネ

19年12月23日、観客に深々と頭を下げる八重樫

19年12月23日、9回、ムザラネ(右)から右ストレートを食らう八重樫

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

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両目腫れても「もともと細い」続行/八重樫3番勝負

12年6月20日、9回、腫れた顔面で井岡(右)にパンチを浴びせる八重樫

ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。

<八重樫の激闘3番勝負>

◆統一戦 12年6月20日(大阪府立体育会館)11年にWBAミニマム級王者となり、初防衛戦でWBC同級王者井岡一翔との日本男子初の2団体王座統一戦に臨んだ。序盤から互角も初回で左、3回に右目を腫らしながら打ち合い。左はほぼ見えなくなっていたが、ドクターチェックには「もともと目が細い顔」と訴えて続行。最後までリングに立ち続け、判定負けも1、2ポイントの小差だった。

◆無敵相手 14年9月5日(代々木第2体育館)WBCフライ級王者のV4戦で、自ら名乗りを上げて3階級制覇を狙う39戦全勝(33KO)のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)と対戦した。3回には左フックでダウンしたが、立ち上がると両拳を当てて、覚悟を決めて真っ向勝負に出た。リング中央でも打ち合って応戦したが、9回にコーナーに崩れ落ちてレフェリーストップされた。

◆偉業達成 15年12月29日(有明コロシアム)3階級制覇に2度目の挑戦で、IBFライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)と対戦した。初回から足を使ってリードも、7回に急に足が止まってロープを背負った。インターバルで亡き祖母の遺影を見せられて奮起。王者の反撃にも逃げずに打ち合って、結果的には大差の3-0判定勝ち。日本人4人目の3階級制覇を果たした。

9回、ゴンサレスに右アッパーを見舞う八重樫東(撮影・たえ見朱実)

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八重樫東が引退 元世界3階級制覇王者「激闘王」

八重樫東(2019年12月10日撮影)

ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。

八重樫は「本日、9月1日をもちまして、引退することを決意しました。たくさんの応援をしていただき、一生懸命、プロボクシングができたことを誇りに思います。ありがとうございました」とあいさつ。思い出の試合に、WBC世界フライ級王者時代のローマン・ゴンサレス戦をあげ、「常に前を向いて、今日よりも明日がいい日になればいいと進んできたので、後悔はない。15年間、一生懸命走ってきたつもり。人間なので転ぶ時もあれば、休む時もあったが、それでいいと思っている。100メートル走ではなく、マラソン。今日、こうやって完走できてうれしく思う」と山あり谷ありの現役生活を振り返った。

ファンに対しては「7回も負けて、勝ったり負けたりの僕のような選手をいつも支えてくれた。その応援がなければここまで続けてくることはできなかった。幸せな環境でボクシングができた」と感謝の思いを口にした。

同席した大橋秀行会長は「2004年9月1日に大橋ジムに入ってきて、ついにこの日が来てしまいました。中身の濃い15年間だったと思う。3階級制覇という結果以上に八重樫のボクシングの姿勢。井上尚弥らがその背中を見て、大切なものを教わったと思っている。第2の八重樫をどんどん出していきたいと思う」と労をねぎらった。今後は大橋ジムのトレーナーやパーソナルトレーナーなどで、ボクシングに携わっていくという。

大橋会長は「トレーニングも、食事も減量もいろんなものを試し、研究してきたから3階級王者になれた。日本一の知識があるボクサーだと思う。精神面はもちろん、科学的な部分も後輩たちに教えていってもらいたい」と期待を込めた。

八重樫は、岩手・黒沢尻工でボクシングを始め、3年時にインターハイで優勝。進学した拓大2年で国体優勝を果たすと、05年3月に大橋ジムからプロデビューした。

フットワークとハンドスピードを武器に、06年4月には東洋太平洋ミニマム級王座に挑戦。当時日本最速タイ記録となるプロ5戦目での王座獲得に成功した。07年6月、7戦目でWBC世界同級王者イーグル京和に挑戦も、0-3の判定負けを喫し、プロ初黒星。次の世界挑戦まで4年の歳月を要したが、その間に日本王座を獲得し、3度防衛を果たすなど、地道な努力を重ね、チャンスを待った。

11年10月に、WBA同級王者ポンサワンを相手に2度目の世界挑戦。10回TKO勝利を収め、王座獲得を果たした。初防衛戦ではWBC同級王者・井岡一翔と、「日本初の2団体世界王座統一戦」で激突。壮絶な打ち合いの末に敗れたものの、世界から高い評価を受け、人気選手の仲間入りを果たした。

13年にはWBC世界フライ級王者・五十嵐俊幸を下し、2階級制覇を達成。V4戦で、「軽量級最強」ローマン・ゴンサレスに敗れるまで、3度の防衛に成功した。15年には1階級下のIBF世界ライトフライ級王座を獲得し、日本人男子3人目の3階級制覇を達成。「激闘王」の異名通り、逃げない姿勢と、被弾覚悟の激しい試合でファンの心をつかみ、長く世界のトップで戦い続けてきた。

19年12月、2年半ぶりの世界挑戦のチャンスをつかんだが、IBF世界フライ級王者ムザラネに9回TKO負け。その試合が、現役最後の試合となった。

戦績は35戦28勝(16KO)7敗。

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。

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ボクシング女子代表、五輪までの1年は「伸びしろ」

女子フライ級の並木月海(2020年2月10日撮影)

富山県内で強化合宿中のボクシング東京オリンピック(五輪)女子日本代表らが28日、オンラインによる取材に応じた。約5カ月ぶりの合宿で、24日から開始していた。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、自宅でのトレーニングを余儀なくされていたが、この合宿では久しぶりの対人練習も行えた。フライ級代表の並木月海(21=自衛隊)は「課題は対人練習で感覚を取り戻すことでした。目標は五輪での金メダル。それまでに、どれだけ練習をできるか」と1年後の夢舞台を見据えた。

フェザー級代表の入江聖奈(20=日体大)は、仲間との合同練習に「このメンバーは意識が高い人たちばかり。一緒に過ごして、刺激を受けています。先輩たちみたいに頑張っていきたい」とはきはき答えた。

2人とも軽量級が強いアジアで結果を残し、メダル候補に挙げられる。残り1年を「伸びしろ」と捉え、練習に励んでいく。合宿は29日まで行われる。

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江藤光喜が引退表明、白井・具志堅ジム閉鎖機に決断

江藤光喜(2019年2月2日撮影)

ボクシング元WBA世界フライ級暫定王者江藤光喜(32=白井・具志堅)が、28日をもって現役引退を表明した。27日深夜にジムのホームページなどで発表した。ジムが今月いっぱいで閉鎖されることを機に決断した。今後はインストラクターとして活動し、将来のジム開設を目指す。

江藤は高3でボクシングを始め、4カ月で沖縄県大会を制した。上京して08年にプロデビュー。13年にタイ・バンコクでWBA世界同級暫定王者コンパヤック・ポープラムック(タイ)に挑戦。アウェーの洗礼や暑さのハンディも、最終回にダウンを奪って判定勝ち。タイでの世界戦19戦目にして、日本人として初めて勝利した。暫定王座のために、国内では世界王者としては認められなかった。

4カ月後の初防衛戦は12回TKO負けで王座を陥落し、眼窩(がんか)底も骨折した。14年には東洋太平洋同級王座を奪取して2度防衛。15年には仙台で、WBC世界スーパーフライ級王者カルロス・クアドラス(メキシコ)に念願の挑戦。足を使われて最後まで捕まえきれず、沖縄出身7人目の世界王座奪取はならなかった。

再挑戦へ昨年5月にはWBO世界同級王座挑戦者決定戦に出場した。1回に右フックでTKO勝ちも、試合後にバッティングのためと無効試合とされた。8月に再戦も2回にダウンなど判定負け。これが最後の試合となった。

切れのいいパンチに定評あったが、防御に甘さもあった。東洋太平洋王座決定戦では2度ダウンも3度奪い返す、倒し倒されの試合も演じた。ウチナンチューのハートの強さがあった。172センチの右ボクサーファイター。通算24勝(19KO)5敗1分1無効。弟2人も同じジムでプロボクサーだった。

ジムではトレーナーも兼ね、営業自粛中には会員向けのオンラインでのトレーニングを担当していた。この経験を生かして、オンラインのボックスフィットKを立ち上げた。体幹、サーキット、ボクシングなどトレーニングをレッスンしている。「自分のジムを作りたい夢がある。ちばります(頑張ります)」と話している。

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日本フライ級王者中川、1位ユータ松尾が計量パス

プロボクシングの日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦(22日、後楽園ホール)の前日計量が21日に都内で行われ、王者中川健太(34=三迫)はリミットの52・1キロ、挑戦者の同級1位ユータ松尾(30=ワールドスポーツ)は51・9キロでともに1回目でクリアした。

初防衛を目指す中川は「上に行けるのか行けないのか、この試合で示せるように内容の伴った勝利を目指したい」と意気込みを語った。3度目のタイトル挑戦となる松尾は「必ずチャンピオンになる。(中川は)左も強いので警戒したい」と話した。

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交差点にリング ストリート・ファイトで米興行再開

ボクシングでまさにストリート・ファイトが実現する。

8月15日にオクラホマ州タルサ市内での興行で、リングを目抜き通りの交差点に設置する。15日に海外メディアが伝えた。WBC世界フライ級王者フリオ・セサール・マルティネス(25=メキシコ)のV2戦がメインで、同級1位マックウィリアムス・アローヨ(34=プエルトリコ)と対戦する。

英大手マッチルーム社による、米国での興行再開第1弾となる。エディ・ハーン・プロモーターは「米国に帰ってくるために、特別なプランを見せたかった。ゾクゾクする戦いの夜を都市にもたらしてみせる」と話している。

マッチルームはこれに先駆けて、8月1日から英国での興行を再開する。4週連続で「ファイト・キャンプ」と題したもの。こちらはロンドン郊外の本社敷地内の大庭園にリングを設置する。ハーン氏の生家で15エーカー(約6万平方メートル)と東京ドームよりも広いという。

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扇久保博正「地元で大会を」岩手から世界最強証明

パンチの打ち合いに応じる扇久保(左)(C)RIZIN FF

岩手・久慈市出身で総合格闘家とユーチューバーの「二刀流」に取り組む扇久保博正(33=パラエストラ松戸)が、群雄割拠のRIZINバンタム級(61・0キロ)戦線で主役に躍り出る。次戦にもタイトルマッチに挑む予定だが、ライバルはファイターだけではない。同県はエンゼルス大谷やマリナーズ菊池ら野球界の超一流を輩出。「負けられない。格闘技界の中でもそういう位置にいきたい」。世界最強へメジャー級の活躍を誓う。

   ◇   ◇   ◇

プロ15年目、扇久保は数々の死闘を制してきた。極真空手ベースの打撃で試合を作り、接近戦から寝技へ展開するのが必勝パターン。戦績は20勝4敗2分けを誇るが、天敵がいる。RIZIN、米ベラトールの「日米2冠」に輝いた堀口恭司(29)に13、18年と2度敗戦。ここ9年、それ以外の相手には公式戦黒星がなく「もう1度戦いたい。一番の近道はRIZINバンタム級のベルトを巻くことだと思う」。三度目の正直へ闘志を燃やす。

修斗王者でもある扇久保は「堀口選手に勝つまでは負けられない」。昨年はライバル団体のDEEP、パンクラス王者を連破した。負傷離脱中の堀口がRIZIN王座を返上し、同年12月には新王者が誕生。扇久保は4月にタイトル挑戦予定だったが、その選手が最高峰の米UFCに移籍し、新型コロナウイルス感染拡大も重なり試合は流れた。

かつては自身もUFCを目指した。16年には米国に1カ月半滞在し、共同生活しながら同団体との契約をトーナメント形式で争う通称「TUF」というリアリティー番組に出演。週1で試合を行い「めちゃめちゃ過酷だった」。3連勝も決勝で敗れ、夢舞台にあと1歩届かなかった。

国内から世界最強を証明する。「年齢的にUFCを目指すことはほぼないと思う。RIZINに拾ってもらい、骨をうずめる覚悟が大きい」。コロナ禍で実現しなかったものの、5月に仙台で戦う可能性もあった。「東北で試合することも目標の1つ。(今後)仙台で絶対にやりたいし、将来は地元の久慈や仙台で大会を開きたい」と思い描く。

3月にYouTubeで「おぎちゃんねる。」を開設。トレーニング、対談、レンガ割り、食レポなど硬軟織り交ぜた動画をアップし「バカなことばかりやっている感じだが、いい息抜き」。登録者は3990人(8日現在)で、今年中の1万人達成を見据える。故郷は13年のNHK連続ドラマ小説「あまちゃん」のロケ地。岩手と久慈の看板を背負い、強くて面白い「おぎちゃん」が全国区のヒーローになる。【山田愛斗】

◆扇久保博正(おうぎくぼ・ひろまさ)1987年4月1日生まれ、岩手県久慈市出身。5歳から極真空手を始めた。高校卒業後に上京し、総合格闘家を目指す。06年10月に修斗でプロデビューし、フライ級、バンタム級で世界王座獲得。18年からRIZIN参戦。得意技はチョークスリーパー。趣味はギター。好きな歌手は吉田拓郎。163センチ。

タックルする扇久保(右)(C)RIZIN FF
YouTubeに開設した「おぎちゃんねる。」(本人提供)

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比嘉「野木トレーナーともう1度練習」移籍理由語る

18年2月、合宿などのために米ロサンゼルスに出発する比嘉大吾(左)と野木丈司トレーナー

ボクシングの元WBC世界フライ級王者比嘉大吾(24)が30日、オンラインで会見し、WBO世界スーパーフライ級王者井岡一翔と同じAmbitionジムに所属すると発表した。

18年4月のV3戦で前日計量に失敗し、王座を剥奪された比嘉は、2月に再起戦に勝利も、3月に所属先の白井・具志堅スポーツジムとの契約を解除していた。会見では、計量失敗した試合後に同ジムを離れた野木丈司トレーナーも同席。比嘉は、タッグ再結成を報告すると「(新たな所属先を決めた)一番の理由は、野木さんともう1度練習ができること。やるからには絶対に世界王者になる」と力強く意気込みを語った。

今後のプランについて、野木トレーナーは「年内に2試合出来れば」とし、再出発となる1戦目を9月か10月、年末に2戦目を行いたいと説明した。フライ級時代の減量苦を考慮し、今後は2階級上のバンタム級を主戦場にする。WBA、IBFバンタム級統一王者井上尚弥との対戦について聞かれた、同トレーナーは「今すぐは考えにくいが、どう戦うかは考えている。対戦資格として、世界王座を持っていなければならないと思っている」と将来的な統一戦に意欲をみせた。

2020年2月13日、復帰戦を白星で飾りラウンドガールに囲まれ記念撮影を行う比嘉大吾と具志堅用高会長(右から2人目)

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比嘉大吾が井岡一翔ら所属のマネジメント会社と契約

比嘉大吾(2019年6月19日撮影)

マネジメント会社のトラロックエンターテインメントは28日、ボクシングの元WBC世界フライ級王者比嘉大吾(24)と契約を結んだと発表した。同社には世界4階級制覇王者・井岡一翔(31=Ambition)らが所属している。

比嘉は18年4月のV3戦で前日計量に失敗。王座を剥奪され、ボクサーライセンス無期限停止処分を受けたが、昨秋に処分が解除され、今年2月のノンタイトル戦で再起した。3月には、所属先の白井・具志堅スポーツジムを契約満了で離脱していた。比嘉の戦績は16勝(16KO)1敗。

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田中恒成「全部見せる」畑中建人がユーチューブ挑戦

田中恒成(19年12月撮影)

世界3階級制覇王者でWBO世界スーパーフライ級1位の田中恒成(25=畑中)と同ジムのWBC世界ユースフライ級王者の畑中建人(22)が「ユーチューバー」に挑戦する。田中は25歳の誕生日、今月15日からスタート。畑中は5月9日からすでに開始している。

田中は「ユーチューブ始めました。本当の俺の知らないあなたに私の全部をお見せします」。一方、元WBC世界スーパーバンタム級王者畑中清詞会長(53)の長男、建人は「登録者が1000人超えたら会長の親子スパーリングをします! 早く退治したいので皆さん応援お願いします(笑い)」とコメント。

両者とも新型コロナウイルス感染症の影響で、次戦は決まっていない。田中は4階級制覇を目指し、WBO同級王者井岡一翔(31)への挑戦を第1に陣営と交渉中。実現すれば、夢マッチは間違いない。

畑中建人(16年12月31日撮影)

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内藤大助の大番狂わせの裏/記者が振り返るあの瞬間

07年7月18日 WBC世界フライ級選手権 ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助 新王者に輝き男泣きする内藤

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ(48)>

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

中学生の時、胃カメラを3回ものんだという。母子家庭で裕福ではなかった。同級生から「ボンビー(貧乏)」とからかわれ、服を脱がされ、殴られる。給食のおかずは取られ、貴重品は盗まれた。「おなかが痛くて病院に行ったら胃潰瘍。中学生でね。3回も」。2007年6月。3度目の世界挑戦を控えた内藤大助は都内のジムで、壮絶ないじめを振り返った。まだ世間的にはほぼ無名。はき古したジーンズが印象的だった。

いじめ克服でボクシングを始めた。独特の変則スタイルで世界挑戦のチャンスをつかんだが、世界の壁は厚い。当時のWBC世界フライ級王者は無敵といわれたタイのポンサクレック。02年4月、最初の挑戦は開始直後、わずか34秒で倒された。05年10月の2度目の挑戦は偶然のバッティングで右目上をカットし、7回負傷判定で敗れた。2度完敗した相手への3度目の挑戦。年齢的には下り坂を迎える32歳に、勝利を予想する声は皆無で、自分も想像すらできなかった。

現に、そのころ、話題を呼んでいた亀田兄弟の所属した協栄ジムは、内藤の負け前提で、亀田とポンサクレックの対戦交渉に入っている。年下の亀田兄弟からは「レベルが低い」「弱い」と見下された。王者ポンサクレック陣営も、対戦前から地元タイでの次なる防衛戦を計画。まるで、いじめられっ子だった中学時代のように、軽んじられ、ないがしろにされた。

そんな内藤の心情を思いやると、切なく、やり切れない思いが募った。だが、本人は「言わせておけばいい」とひるむことなく、一発逆転を信じた。冒頭のいじめの過去を明かした取材で、内藤は最後に「もう失うものはない。捨て身でKOを狙う」と言い切った。王座奪取に半信半疑でいた自分が恥ずかしくなるほどの迫力。「このままでは終わらない」との強い決意が伝わってきた。

当時、内藤は時給900円で週5回、レンタカー店でアルバイトしていた。喫茶店に勤める真弓夫人と合わせた月収は12万円。生活は苦しく、貯金も底をつく。真弓夫人とは「この試合が最後」と約束した。人生を懸けた大一番を前に、女子マラソンの高橋尚子を育てた故小出義雄氏の教え子の野木丈司トレーナーと契約。執念で30歳を超えた肉体を追い込んだ。

07年7月18日、東京・後楽園ホール。「負けたら引退」を覚悟した崖っぷちボクサーは鋭い眼光で入場。対照的に17連続防衛中で、内藤にも連勝中の王者ポンサクレックは笑顔を振りまきリングに上がった。ゴングが鳴る。観客のどよめきと歓声とともに、王者の余裕は消滅する。2回、内藤の右ストレートが顔面に入ると、動揺を隠せない。3回には左まぶたから出血。逆に内藤はスタミナ強化をいかし、激しい出入りで、得意の右強打を何度も顔面にたたき込んだ。判定3-0の完勝で世界王座を奪取した。

痛快な番狂わせの裏には、内藤の不屈の闘志と、王者の慢心があった。判定を聞いた内藤は右のほおをつねりながら「夢じゃないか」と号泣した。その後は5度の防衛に成功。独特のキャラクターと、亀田兄弟との対決も話題を集め、知名度を高めた。拳1つで人生が変わる。ボクシング、そしてスポーツの醍醐味(だいごみ)を味わった一戦だった。【田口潤】

07年7月18日 WBC世界フライ級選手権 ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助 9回、ポンサクレック(右)に左ストレートを放つ内藤
07年7月18日 WBC世界フライ級選手権 ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助 表彰式で内藤大助は自らのほほにパンチを入れる夢でないことを確認する

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