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倒れても立つ、向こう50年伝説残る大会に/連載3

1・4東京ドーム大会、内藤哲也(左)にカミゴェをぶち込む飯伏幸太(撮影・菅敏)

<新日1・4、5東京ドーム大会 社長語るコロナ禍運営>

新日本プロレスの大張高己社長(46)が日刊スポーツの取材に応じ、コロナ禍の20年と5日まで行われる東京ドーム大会から始まる21年に向けた思いを語った。

昨年10月の社長就任以前から経営に関わっていた大張氏は、難局をどう乗り越えていったのか、現在も感染拡大が収まらない中、どう向き合いながら運営していくのかを明かしてくれた。【取材・構成=松熊洋介】

    ◇   ◇   ◇

東京ドーム大会は1年間の集大成でもあり、新しい1年の始まりでもある。大張氏は今年をコロナに打ち勝つ年だと位置付け、選手と一緒に戦う。

大張氏 プロレスで例えると、倒されるけど、また立ち上がって、相手に攻撃を仕掛けていく。守りから攻めに転じる時。その熱狂が、1月4、5日。外部環境によってこれだけへこまされた昨年。そして立ち上がる今年。向こう50年伝説に残る「1・4、1・5」だと思う。

新日本プロレスは来年、50周年を迎える。

大張氏 黄金期ですね。今後その先にプラチナ期があるかもしれないけど。過去最高の新日本を作っていくためには21年を攻めに転じる年にしていく。チケット以外の収益の比率を高めていく必要がある。

大張氏はプロレスの構図を縦軸(会場、ネット、グッズ)と横軸(エリアや年齢、性別を軸としたファンの広がり)で考える。チケットを買って来場するコアなファンを大事にしつつ、接触機会を拡大することで、それ以外のファン獲得やコンテンツ収入増を狙い、さらに海外での事業展開にもつなげる。

大張氏 テレビ番組やアプリなどプロレスを見られる機会は拡充してきた。縦軸ではデジタル、横軸ではグローバルの露出が重要事項。もちろん、新しいものだけが良いわけじゃなくて、今あるものもブラッシュアップしていく。

団体を引っ張る立場にいるが、位置付けは違う。

大張氏 お客さまが一番上、そこに向かい合うレスラーがいて、自分は底辺じゃないかと。見方を変えると扇の要だが、社内では全然偉いと思ってない。

選手とファンに支えられ、49年間続いてきた新日本プロレス。21年も大張氏がスタッフと手を取り合い、一番下から支え続ける。

◆大張高己(おおばり・たかみ) 1974年(昭49)8月15日、広島県生まれ。少年時代からバレーボール選手として活躍。カリフォルニア大学アーバイン校Paul Merage School of Business卒。97年NTTに入社。18年12月に執行役員としてブシロード入社。19年1月より新日本プロレス経営企画部長、11月より同社米国法人CEOを経て、20年10月、新日本プロレス社長に就任。

1・4東京ドーム大会、内藤哲也(左)から奪った2本のIWGPチャンピオンベルトを手に指を突き上げる飯伏幸太(撮影・菅敏)
新日本プロレス1・5東京ドーム大会をめぐる相関図

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過去最大ドーム大会、三位一体で最高演出を/連載2

IWGPヘビー級とIWGPインターコンチネンタル、2本のベルトを前にポーズを決める内藤(2020年1月5日撮影)

<新日1・4、5東京ドーム大会 社長語るコロナ禍運営>

新日本プロレスの大張高己社長(46)が日刊スポーツの取材に応じ、コロナ禍の20年と4、5日の東京ドーム大会から始まる21年に向けた思いを語った。

昨年10月の社長就任以前から経営に関わっていた大張氏は、難局をどう乗り越えていったのか、現在も感染拡大が収まらない中、どう向き合いながら運営していくのかを明かしてくれた。【取材・構成=松熊洋介】

    ◇   ◇   ◇

コロナの感染者が増え続ける中、予定通り1月4、5日東京ドーム大会は制限はあるものの、観客を入れて行う。安全面も含め、決断に至った根底には7月から実施してきた有観客の開催で得た手応えがあった。

大張氏 他のスポーツとの交流や情報収集しながら。東京が一番密集度が高いし、不安はあったけど、医者やスポーツ庁や馳浩議員にも相談しながら準備を進めて、7月からやろうと。

プロレスファン歴が40年近い大張氏。十分な収益が得られない中でも、会場に来てもらって生で見てもらうのが一番だという思いは、選手と同じだ。

暗かったのでバレなかったが、実はめちゃくちゃ感動して泣いていた。オープニング曲(ザ・スコアー)が流れて、手拍子が起きる。そこにこもったお客様の気持ちとか、準備してきたときのこととか、中止の決断したときのこととか、全部入って、特別な瞬間だった。1試合目はほとんど見られてないと思う。

7月の再開以来、約70大会を行っても、いまだ会場での感染者は出ていない。さまざまな検査と会食、外出などのルールを設けた。

大張氏 関わる人数が多ければ多いほどリスクが高まる。選手、社員、関係者には申し訳ないくらい厳しいガイドラインを作らせてもらった。

検討を重ね、対策を徹底したのには理由がある。

大張氏 命に関わる病気だし、呼吸がしづらいとか後遺症もある。選手がかかってしまうというのは、そういう意味で絶対に避けたい。選手を守るのが我々の使命。背広着てる人間たちが必死で選手を守るのが我々のルールなので。選手を大事にし、選手が戦ってくれるからこそ事業が続いていく。

さらにルールを守って観戦する観客にも感謝する。

大張氏 プロレスのお客さまがルールを守って、手拍子で応援してくれる。あらゆるスポーツの中で、最もルールに対する意識が高いお客さまなのでは。かつて新日本がなくなってしまうのでは、という時代があった。マイナースポーツだから大事にしないといけないっていう気持ちで見てくれている。仲間を、選手を守ろうという気持ちで、一緒になって戦ってくださっていると思う。

そんな中、満を持して東京ドーム大会を迎える。昨年計7万人を動員した2日間開催を今年も継続する。

(昨年は)直前まで不安だった。チケットの数字を毎日確認しながら、デジタル含め、あらゆるメディアに広告を打ちまくった。相当のお金を使いましたね。でも全力をあげて取り組んで、環境も曜日も良くて手応えを感じた。

スタッフと一緒になって動く前提には、命を懸けて戦う選手のパフォーマンスがある。

大張氏 試合自体が良くて売り方も伴うのが、ビジネス成功の基本。動かない車は誰も買わない。東京ドームでお客さまが見たくなる状態になったというのが一番。

今年は収容人数が限られる中、さまざまな形で全国のファンに興行を届ける。

大張氏 広々使える会場だし、換気も極めていいのでそこは安心。ネットでもTV(深夜)でも見られるし、歴史の証人になりたいという人がそれぞれの環境で見てくれる。新日本に触れてくださる人たちをカウントすると、過去最大の大会になるでしょう。

低迷期を知る選手、スタッフ、そしてファンが、逆境から立ち上がり、ストロングスタイルで支えてきた新日本。三位一体となって、最高の東京ドーム2日間を演出する。

◆大張高己(おおばり・たかみ) 1974年(昭49)8月15日、広島県生まれ。少年時代からバレーボール選手として活躍。カリフォルニア大学アーバイン校Paul Merage School of Business卒。97年NTTに入社。18年12月に執行役員としてブシロード入社。19年1月より新日本プロレス経営企画部長、11月より同社米国法人CEOを経て、20年10月、新日本プロレス社長に就任。

新日1・4、1・5大会の相関図

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「しびれた」収入大打撃、非興行領域に活路/連載1

大張高己氏(2019年10月21日撮影)

<新日1・4、5東京ドーム大会 社長語るコロナ禍運営>

新日本プロレスの大張高己社長(46)が日刊スポーツの取材に応じ、コロナ禍の20年と4、5日の東京ドーム大会から始まる21年に向けた思いを語った。

昨年10月の社長就任以前からデジタル、グローバル、そしてコロナ対策を中心に経営に関わっていた大張氏は、難局をどう乗り越えていったのか、現在も感染拡大が収まらない中、どう向き合いながら運営していくのかを明かしてくれた。【取材・構成=松熊洋介】

   ◇   ◇   ◇

20年2月26日沖縄大会の開幕前、大張氏は以降の興行中止を決断した。1月中旬くらいから会場にもマスク姿の客が増え、幹部と毎日会議を開いた上で開催が困難という結論を出した。

大張氏 一気に(感染者が)増えてきて、ここ(沖縄)がラストかなと。本当に辛かった。車でいったら、ライトもエアコンもタイヤも動いてるのにエンジンを切るようなもんじゃないですか。

当初は1カ月程度で再開できると考えていたが、コロナは拡大する一方で、中止は3カ月に延びた。当時大張氏は8月の米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの開催に向けて動いていたが、それも延期となった。

対策を模索する中、3月に動きだした。「新日本プロレスワールド」の配信サービスを活用し、試合だけじゃなく、選手の素顔なども提供。ファンが楽しめるコンテンツを考え続けた。

大張氏 今できることは何かと。テレ朝の担当者と一緒になって、本当に大変だった。「Together Project」と名付けて番組を立ち上げた。やってました。あの会議も忘れられない。

選手の安全面に関しても真っ先に取り組んだ。陽性が判明する検査を逆手に取り「陰性が分かれば開催できるかも」と考え、オーナーに相談。同じ考えであることを確認すると、企画を持って各方面に提案した。

大張氏 PCR検査は市中に出回ってなかったので、手に入るまでの措置として、抗体検査で全員チェックして、陰性確認して。緊急事態宣言が明けたときのことを見越して動いた。

早い仕掛けが奏功し、6月15日の無観客開催につながった。選手のモチベーションや無観客に映える会場選択にも気を配り、3カ月後の開催にこぎ着けた。

大張氏 最初は賛否両論でした。すぐ終わるから、無理してやらなくてもいいよって。でも、お客さまをこのまま放っておけないっていう気持ちも高まり、安全が担保できるならやろう、ということになった。

収益の半分近くを占めるチケット収入がない中、無観客でスタート。7月11日から有観客後も満員の開催はできていないが、配信、アプリ、グッズ販売などで補ってきた。

入場者数制限というのは、利益になる部分がまるまる削れていく。これを体感すると結構しびれるんですよ。すぐさまリカバリーできるような策があったとしたら、そんなの最初からやっている。50年になる会社は相当練られていて、ポッと出て成功するようなアイデアっていうのはそう簡単に出てこない。そんな中で数年かかるようなものは早くから検討を始めていたし、数カ月かかるものも前倒しでやっていた。

社長就任前は経営企画本部長を務めていた。実は今でも兼務しており、普段から会場に足を運び、実務もこなす大張氏が指揮を執るからこそ、企画決定から実現までに時間がかからない。

大張氏 実務から離れないのは、判断を遅らせたり鈍らせたくないから。ゼロから説明がいらないようにしている。選手とも直接話せる場を大事にしている。

アプリや通販など、チケットや物販以外のコンテンツ収入も増えてきている。実情を踏まえた迅速な意思決定で、興行以外での事業が軌道に乗りつつある。

大張氏 ここ10年で、いろんな人がやれたらいいのにと思ってきたようなことが、コロナによる環境変化を理由に実現できた。金曜8時の生放送、海外配信、キャッシュレスなど。非興行領域では、年商数億円単位で伸ばせるはずなので、振り返ったら、非常に有意義な1年だったって思うのではないかな。

現場に近い大張氏ならではの決断、実行の早さと正確さが実を結び、選手、社員全員で逆境を耐え抜いた。(つづく)

◆大張高己(おおばり・たかみ) 1974年(昭49)8月15日、広島県生まれ。少年時代からバレーボール選手として活躍。カリフォルニア大学アーバイン校Paul Merage School of Business卒。97年NTTに入社。18年12月に執行役員としてブシロード入社。19年1月より新日本プロレス経営企画部長、11月より同社米国法人CEOを経て、20年10月、新日本プロレス社長に就任。

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1児母の愛川ゆず季がスターダム復活「断れません」

3月3日の日本武道館大会での復活が決まった愛川ゆず季は、ゆずポンキックを披露する(撮影:松熊洋介)

女子プロレス団体「スターダム」は12日、都内で会見を開き「スターダム10周年記念 ひな祭り ALLSTAR DREAM CINDERELLA」(3月3日、日本武道館)で「ゆずポン」こと愛川ゆず季(37)が復活することを発表した。

1日限りではあるが、スターダムを支えてきたスターがリングに帰ってくる。エグゼクティブプロデューサーのロッシー小川氏から打診を受け「断れませんでした」と“快諾”。13年に引退し、17年に結婚。現在は1児の母である愛川は「出産後運動はしていないが、それまではジムやテコンドーをやっていた。出ると決まった限り、全力でやりたい」と3カ月間トレーニングを積んで挑む覚悟だ。

会見では11年1月の旗揚げ当時から苦楽をともにしてきたロッシー小川氏とのエピソードも明かした。「10年前は女子プロは暗い印象しかなくて、目指す目標がなかった。選手はみな必死で、体を削るような試合をやっていた。手作り感満載で、契約書もなかったし、給料も小川さんと口約束で決めていた」。その後知名度も上がり、昨年からは新日本プロレスと同じ、ブシロードの運営体制に。「以前は自分の子どもがいたら、預けられるか心配だったが、今は環境もしっかり整っているので、安心して預けられる」と言いながらも「今は息子に見せるか悩み中。プロレスから離れた生活をしているので」と苦笑いで答えた。

対戦相手は未定だがOGやレジェンドらが集まって戦うオールスター戦に登場する。「昔から一緒に練習してきた選手と対戦してみたい。岩谷麻優選手は10年間ずっと戦っていて、今でも尊敬している」と話す。この日は当時のコスチュームで登場。「昔の衣装は全部取ってくれていた。どれで出るかはファン投票でもしようかな。『爆乳戦隊パイレンジャー』の登場曲を聞いてもらって、高まってもらえたら。明るく楽しく激しく試合をしたい」と意気込んだ。「ゆずポン」の参戦で、ひな祭りの祭典がさらに華やかになる。【松熊洋介】

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新日本プロレス新任代表取締役に大張高己氏が内定

大張高己氏(2019年10月21日撮影)

新日本プロレスは29日、現・代表取締役社長兼CEOのハロルド・ジョージ・メイ氏が退任し、新任代表取締役として大張高己(おおばり・たかみ)氏が内定したと発表した。

親会社の株式会社ブシロードの取締役会で決まった。10月23日に開催を予定する新日本プロレスの第50期定時株主総会及び同総会後に開催される取締役会での決議をへて、正式に決定される。大張氏は18年12月に親会社のブシロードに入社。19年1月に新日本に出向となり、現在は経営企画部長を務めている。

ハロルド・ジョージ・メイ氏(2020年1月6日撮影)

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スターダム、木村花さん遺族と弁護士交えやりとり中

亡くなった木村花さん(2020年1月4日撮影)

女子プロレス団体スターダムは20日、5月23日に急逝した木村花さんに関する報道について公式サイトで見解を発表した。

「一部報道等につきまして」と題し、「一部報道、SNS等におきまして、弊社の運営する『女子プロレススターダム』における木村花様のご逝去に関してさまざまな報道がなされておりますが、現在弊社では、木村花様のご遺族と、ご遺族のご意向に従い、代理人弁護士を交えてやりとりをしておりますので、弊社および弊社役員等から詳細について直接言及することは控えさせていただいております。なお、弊社から公表するべき事項がありましたら追ってご報告いたします」とした。

木村花さんの死後、フジテレビのリアリティー番組「テラスハウス」に出演した木村さんが視聴者らから誹謗(ひぼう)中傷を受けていたことが問題となった。母響子さん(43)は木村さんの名誉回復のため、同番組の演出、編集に問題があったとして放送倫理・番組向上機構(BPO)に審議を申し立てる書類を提出。さらに、ツイッター上ではスターダムおよび親会社ブシロードに対して真摯(しんし)な対応を受けていないことを訴えていた。

ブシロードの木谷高明会長(60)はこの日、自身のツイッターで「言いたいことは山ほどあるが今は全て飲み込みます。ご理解よろしくお願いします」と投稿した。

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プロレスの雰囲気変わっても守るものがある/連載5

12年6月、IWGPヘビー級王者棚橋弘至とのタイトル戦を前にケーキで前祝いする真壁刀義

プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめ直す。第5回はプロレス人気の復活について。

【取材・構成=高場泉穂】

   ◇   ◇   ◇

東日本大震災からの復興と、プロレス人気の復活は時期的に重なる。2011年に集客の手応えをつかんだ新日本プロレスは翌12年になるとPRに力を入れ始めた。

いくらリングの上の戦いが充実していても、その良さ、選手の魅力を広く伝えなければ、さらなる人気を得ることはできない。

12年1月、カードゲーム事業で成長を続けていたブシロードが新たに親会社となった。木谷高明オーナーはさまざまな形で広告を打つと同時に、選手らにツイッターなどSNSでの発信を求めた。

「おれたち選手は試合や自分のことを懸命に発信した。実はこんな人なんだ、こんなこと考えているんだってより分かってもらえたのかな」真壁の代名詞となった「スイーツ真壁」が誕生したのもこの頃だった。日本テレビの朝の情報番組で、お菓子のリポートをするコーナー「スイーツ真壁のうまいっス!!」が始まると、鎖をつけた怖そうな見た目とスイーツ好きというギャップでブレーク。たちまち知名度が上がり、全国どこでも街を歩くと声をかけられるようになった。

「そもそも日本テレビのディレクターが俺のブログを見ていてくれたらしいんだ。俺が子どもの頃は、お菓子はめったに食べられなかった。だから、給料をもらうようになってから好きなスイーツを食うようになって、それをブログで書いてたんだ。その時はほんとに忙しかった。巡業先から東京に戻って長い時は12時間撮影して、また次の日(巡業先に)戻る。この繰り返しだった。でも、ここで“スイーツ真壁”をもっと広めないと会場にお客さんを呼べねえと思ったから頑張ったよね」

新日本は次々と新しいものを生み出し、プロレス界の中で頭ひとつ抜けた存在となっていく。

躍進のきっかけの1つに中邑真輔(現WWE)の覚醒がある。00年代から若き実力派エースとして期待されながら独自色が足りないとされた中邑は、東日本震災後のメキシコ遠征で自分がやりたかったことを大胆に表現した。

マイケル・ジャクソンにヒントを得てクネクネした動きを始め「イヤァオ」と意味不明のフレーズを言い始めた。そのどこか不気味で、それでいて色気のあるふるまいで、一気に人気を得た。

長くライバル関係にあり「中邑を引きずりおろそう」と躍起になっていた真壁も、この大変身を認めざるを得なかった。

「このまま終わるんだったらクソレスラーだ、と思ってたの。そしたら、ある日、いきなりあいつ震え始めたんだ。マイケル・ジャクソンだぜ? 最初ファンは気持ち悪いって言ってたの。そりゃ気持ち悪いよね、ぶるぶるしてたら。それでも、あいつはくじけなかった。中邑がそこですごかったのは、ぶるぶるぶるって震えながらいろんなことをやり始めた。そうやって実験していたものが、数年後花開くんだよね」

さらに13年に放送されたテレビ番組「劇的ビフォーアフター」の反響も大きかった。ぼろぼろだった東京、世田谷・野毛道場の選手寮が美しく改築され、話題を呼んだ。プロレスファン以外にも届くさまざまなアプローチが、新規ファン獲得につながっていった。

「どれも世間に与えるインパクトが違う。新日本プロレスはリニューアルしたんだ、新しくなったんだと思うじゃん。作戦としては最高だよね」

高齢化社会、不況、災害…。不安が多い世の中で、人々はプロレスに非日常と幸福感を求めるのかもしれない。PR作戦が奏功し、新日本は、女性や子ども連れのファンが増えていった。

そこから現在に至るまで経営は右肩上がり。新日本プロレスは、90年代のブームを超える黄金期を迎えている。真壁は今の会場の雰囲気を「アミューズメントパーク」と表現する。

「昔のプロレスファンは、おやじさんが多かったんだよね。でも、今は若い女の子や、親子が多くなった。なんていうかなアミューズメントパーク来てるって感じじゃない? リング上で普段見ないようなでかいやつがぶつかり合う。それに対して、みんな興奮して声を出して楽しんでくれている」

会場の客層が変わるだけでなく、14年には動画配信サービス「新日本プロレスワールド」が始まったことで、ファンは世界中に広がった。

プロレスを取り巻く環境は変わった。しかし、その中でも真壁は変わらず守るべきものがあると強調する。

「アミューズメントパークみたいな雰囲気、俺はいいと思うよ。その上でお客さんが興奮する、欲しているもの。それはいつの時代も変わらないと思うんだ。俺はプロレスは闘いであって、同時に人間模様をみせるものだと思ってる。悔しさとか怒りとか、そういう感情を見てほしい。俺は10歳ぐらいのガキだった時、テレビで大男たちがリング上でぶつかり合っているのを見ながら、いつも『すごいなぁ、すごいなぁ』って素直に思ってた。何にも知らないガキの俺の心を奮わせるものがあったんだ。それは今の時代も変わっちゃいけない。見ている観客の心に何か響かせないとプロじゃねえ。それができるから、お金を出して見てもらう価値があると思ってる」

インターネットの普及によって、あらゆる分野でグローバル化が進み、世界中の興味の対象に、誰でも簡単にアクセスできる時代になった。

その中で新日本プロレスは、近年特に海外戦略に力を入れてきた。少子化が進み、日本の人口が減り、市場の縮小が見込まれる中、海外にビジネスを広げることが生き残る道だからだ。

18年から社長を務めるオランダ人のハロルド・メイ氏は「言葉、文化の壁、男女、年齢の壁、すべて乗り越えられるのがプロレス。ルールも単純明快。見てすぐ分かるスポーツ」とプロレスには普遍性があると語る。

英語での動画や記事配信などでファンは世界に広がり、米国、欧州での興行も、多くのファンを集めるようになった。

コンテンツビジネスという点において、新日本は国内エンタメ界の先端を走り、国内の他のプロレス団体はその背中を追って、努力を続ける。

今年1月4、5日に、新日本プロレスは東京ドームで初の2連戦を開催した。2日間で国内外のファンを含む計7万人超を動員し、大成功をおさめた。

ここからさらに勢いを増すはずだった春、新型コロナウイルス感染拡大という未曽有の事態が世界を襲った。

エンターテインメント界、スポーツ界、すべての興行が止まった。経済活動も、人々の生活も、“止まった”といっていいかもしれない。

今は日本中、世界中のあらゆる人々が苦しんでいる。

真壁は言う。「こういう時こそ本領発揮しなくちゃいけないのがプロレスなんだ」。今この状況で、プロレスには何ができるのか。これまで何度も苦境を乗り越えてきたプロレスの底力が試される時がきている。

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震災からの復興とも重なったプロレス復活/連載4

2011年4月3日、新日本プロレス後楽園大会ではファンが被災地へ向けた垂れ幕を掲げた

プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめなおす。第4回は11年の東日本大震災の時期をたどる。【取材・構成=高場泉穂】

2000年後半から人気低迷に苦しんできた新日本プロレスが、浮上の手応えをつかんだころのことだった。超満員で盛り上がりをみせた仙台大会から18日後の11年3月11日。日本の観測史上最大規模となるマグニチュード9の東日本大震災が起こった。

地震による津波で東北地方太平洋沿岸部は甚大な被害を受け、東京電力福島第一原子力発電所の事故も発生。日本全体が自粛するムードに覆われる中、新日本は2日後の13日静岡大会から興行を再開した。

会場は2500人の超満員となった。セミファイナルの6人タッグ戦に出場した真壁の両親は東北出身。親戚はみな、命は助かったが、いとこは津波で家が流された。真壁は試合後にこんな言葉を残している。

「今よ、いろんなことが言われてる。『こんな日に』とかよ。だけどよ、俺たちプロレスラーの仕事は何だよ? 人に勇気とか、明日の力を与えることだよな」

迷いながらも、今プロレスをやる意味を発信した。ファンの声援が、その思いを確信に変えてくれた。

「プロレスラーには、俺には、何ができるかって迷うじゃん。でも、俺たちだからこそ見せられるもの、立ち上がる勇気を感じ取ってもらいたい、とその時思ったの。俺たちは立ち上がって、またやられて、ぶっとばされる。でも、また立ち上がる。それが彼らの心に響いたんじゃないかな。お客さんの声援が、俺たちの心にも響いたよね。もっと頑張んねえとって、拍車がかかった。いくつか中止になった大会もあったけど、その時期はどこに行ってもお客さんの反応がものすごかった。みんなが不安やストレスをいっぱい抱えてたんじゃないかな」

震災後、初の東北での試合は10月15日岩手県宮古大会。まだ津波の被害が残る街の市場の駐車場に特設リングを作り、青空チャリティープロレスを実施した。リングの周りで声を出して応援してくれる人たちの姿を見ながら、真壁は変化を感じていた。

「それまで新日本は東北地方が特に響かなかったの。静かに集中して見る、というタイプが多いのかと思ってた。だけど、その時は今までの静かな感じはどこに行ったんだってくらい大フィーバーしたの。何でかって、みんな不安を抱えて怖かったと思うんだ。ストレス発散だよね。その後も東北の大会で『踏み出す勇気もらえた』と声をかけてもらったりもした。すごい喜んでくれたんだよね」

震災からの復興の歩みは、プロレス人気の復活とも重なった。プロレスラーたちは試合を通じ人々に勇気を与えようと努め、同時にファンの声援に励まされていた。プロレスは求められているのだ、と。

「応援する方も、されている方も、お互い頑張んなきゃいけない時だった。お互い立ち上がろう、そういう気持ちでやってたと思う。例えば俺たち新日本プロレスが、そん時、今みたいに経営がうまくいっていて業界ナンバーワンだったら、上から言いやがってって思われたかもしれない。でも、あの時はまだまだだった。まだまだの状態で、上がる兆しが見えた時だった。そんな状態で東北の人たちを元気づけながら、元気づけてる自分たちも元気をもらった。よし、がんばろう、って」

その年の8月には武道館で新日本、全日本、ノアのメジャー3団体が32年ぶりに集結したチャリティー興行「ALL TOGETHER」が行われた。会場は1万7000人の超満員札止め。エンディングでは「プロレス最高!」のコールが起こった。

光が見え始めた新日本に、追い風が吹く。12年1月末、カードゲーム事業で成長を続けていた株式会社ブシロードが新たに親会社になった。

布石があった。ブシロードは11年夏に行われた最大級の大会、G1クライマックスでスポンサーとなり、12年年明けには中邑真輔と真壁をCMに起用していた。そのCM撮影時、真壁は控室でブシロード木谷高明オーナーと雑談していた。

「木谷さんさー、新日本プロレスどうやったらもっと売れると思う? って聞いたの。そしたら『これはですねー、僕から言えることは、こうやったらいいと思います』って説明されたのが、ほぼほぼ、俺がそれまで考えていることと同じだったの。『そうだよね、ありがとねー』ってその日は帰ったけど、ああいう人が社長になってくれねえと困るんだよな、なってほしいな、って俺は社員に言ってたんだよね。そしたら、その1週間後にまさかの発表だよ。しゃべっちゃいけなかったんだろうけど、なんだよ、最初から言えよ、って。木谷に関しては信用してる。あの時に話を聞いてたから、間違えねえと思った」

新たなスターも誕生しようとしていた。12年の、年間最大の目玉興行、好例の1月4日に行われる「1・4東京ドーム大会」。2年間の海外武者修行を終えた24歳のオカダ・カズチカがIWGPヘビー級王者棚橋に挑戦表明した。

191センチの長身と整った顔立ち。自らを新日本にカネを降らせる「レインメーカー」と称し、2月のタイトル戦で棚橋を破り、王者となった。心強いバックと、才能あふれる若きスター。快進撃の準備が整っていた。

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急逝木村花さん、感情激しい一面も…テラハでは中傷

木村花さん

女子プロレス団体スターダムの看板選手、木村花さんが23日、死去した。同日、団体の公式ツイッターなどで発表された。22歳だった。死因は明かされていない。トップ選手として活躍しながら、フジテレビで放送中の番組「テラスハウス」にも出演し、人気を博していた。

   ◇   ◇   ◇

女子プロレス界の星が22歳の若さでこの世を去った。木村さんは23日未明、自身のSNSに赤裸々な思いを投稿。ツイッターでは「毎日100件近く率直な意見。傷ついたのは否定できなかったから(中略)お母さん産んでくれてありがとう。愛されたかった人生でした。側で支えてくれたみんなありがとう。大好きです。弱い私でごめんなさい」とつづり、インスタグラムでは「愛している、楽しく長生きしてね。ごめんね。」と猫と一緒の写真を投稿していた。

同日午後、スターダムが木村さんの死去を発表。死因は明らかにしておらず「いまだ把握できていない部分もあり、引き続き関係者の調査に協力してまいります」とした。関係者によると、事件性はないといい、同日未明に病院で死亡が確認された。

木村さんは、女子プロレスラー木村響子とインドネシア人男性の間に生まれ、15年にプロデビュー。19年にスターダムに所属し、その華やかなルックスと激しいファイトで男女問わず人気を集めていた。19年9月からネットフリックスで配信され、フジテレビでも放送中の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演。女子プロレスと自身の認知度を高めたが、番組内の言動に関して、SNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。

プロレス関係者によれば、木村さんは感情の起伏が激しい一面があったという。一方、プロレスへの取り組みは真面目でストイック。スター性もあり、さらなる活躍を期待されていた。昨年10月のスターダム新体制会見の席では「今まで見たことのない人にも女子プロレスを見てほしい」と夢を語り、1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会に初参戦した際は「本当に夢のような時間だった」と喜んでいた。3月24日後楽園大会での岩谷麻優戦が最後の試合となった。

同団体のロッシー小川エグゼクティブプロデューサー(63)は自身のツイッターで「花は勝ち気そうで実はナイーブな女の子でした」と記した。また、日刊スポーツの取材には「いまプロレスができない状況だったのも無念。花はもっともっと試合がしたかったと思う。まだまだ、これから活躍する選手だった」と話し、早すぎる死を悼んだ。

◆「テラスハウス」 縁のない男女6人が共同生活するシェアハウスの様子を四六時中、カメラで追うリアリティー・ショーとして、12年9月12日から14年9月29日までフジテレビ系で放送。放送終了後の翌15年2月には劇場版「TERRACE HOUSE CLOSING DOOR」が公開。同年9月に「-BOYS&GIRLS IN THE CITY」をNetflixで世界各国に配信して以降、ネットフリックスとフジテレビの配信サービスFOD(フジテレビオンデマンド)で配信後、地上波で放送してきた。

◆木村花(きむら・はな)1997年(平9)9月3日、横浜市生まれ。母は元プロレスラー木村響子で父はインドネシア人。15年に武藤敬司主宰団体「WRESTLE-1」のプロレス学校に1期生として入学。16年3月に才木玲佳戦でデビュー。フリー、ACE、W-1を経て、19年3月にスターダム入団。ユニット「TOKYO CYBER SQUAD」を率い、活躍していた。164センチ、58キロ。得意技タイガーリリー、ハイドレンジア。

◆スターダム 11年1月に旗揚げの女子プロレス団体。19年から新日本プロレスと同じブシロード傘下となる。原田克彦社長。現WWEの紫雷イオ、カイリ・セイン(宝城カイリ)ら多くのトップ女子プロレスラーを輩出している

23日未明に木村さんがアップしたインスタグラム

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永田、中西、天山…木村花さん死去にプロレス界衝撃

木村花さん

女子プロレス団体スターダムの木村花さん(享年22)の死去を受け、プロレス界にも大きな衝撃が走った。スターダムと親会社(ブシロード)が同じ新日本プロレスの永田裕志は自身のツイッターで「明るくて礼儀正しい選手でした。本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします」と投稿。中西学も「言葉にならない、信じられない。まだ22歳やぞ、ご冥福を心よりお祈り致します」と書き込み、天山広吉も「本当に残念です。まだこれからという時に……心よりご冥福をお祈り致します」と、それぞれツイッターにつづるなど、ショックを受けていた。

スターダムで活躍し、現在は米プロレス団体WWEに所属する紫雷イオは「やりきれない気持ちです。美しく才能あふれていたあの子の、輝かしい未来が消えてしまった。22歳、これからもっと輝くべき人でした。その選択だけはして欲しくなかったと思うけど、そうせざるを得ないほどに辛かったのだと思うと心が痛みます」「今となっては、彼女が苦しむ理由も相談も、誰もきいてあげられない。自分を愛してくれてる人のために生きてほしかった。せめて今度こそ、彼女を愛してくれる人の想いが届いてほしい。どうか、どうか安らかに」と連続でツイッターに投稿していた。

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スターダム星輝ありさ引退「脳の調子良くない状態」

スターダム9周年記念日大会 林下を破り9度目の防衛に成功した星輝ありさ(2020年1月19日撮影)

女子プロレス団体スターダムは20日、星輝ありさ(24)が首、頭部負傷のため引退すると発表した。

星輝が保持していたワンダー・オブ・スターダム王座は返上される。

星輝はスターダム1期生として11年にデビュー。打撃を武器に活躍するが、12年に引退。だが、18年11月に復帰し、団体のトップに君臨。今年1月4日には、団体を代表して新日本プロレス東京ドーム大会のダークマッチにも出場した。星輝は首の負傷のため、3月8日の後楽園大会を欠場していた。

星輝は団体を通じ、以下のコメントを発表した。

「スターダムファンの皆様、プロレスファンの皆様、お久しぶりです。そしていつもありがとうございます。星輝ありさです。一度『待っていてね』と言ってからやっと公表できることになりました。3月8日の後楽園大会から首と脳の不調で欠場しておりましたが、医師や原田さん(ブシロードファイト原田克彦社長)、小川さん(ロッシー小川エグゼクティブ・プロデューサー)との話し合いの結果、引退することとなりました。

不調が出たのは1年前からでしたが、プロレスをやることが楽しかったのと好きな気持ちが勝っていたのでなんとか続けることができていました。ですが、今年に入ってから体調が悪化してこれまでの試合でいろいろ蓄積していたこともあり、精神的にも肉体的にもバランスがとれなくなってしまいプロレスはもちろん、運動すら続けられる状態ではなくなってしまいました。

現在、首は良くなりましたが、脳の調子は変わらず良くない状態です。そして、私がこのような状態になってから早くベルトを返上したかったのですが、新型コロナウイルスなどの影響でタイミングが合わなくて返上できないままで、モヤモヤした方も多かったと思います。私もでした。

夏(すみれ)選手主催興行から始まった(刀羅)ナツコ選手との決着、東京ドームから始まったジュリア選手との決着、そして大切で大好きなツンデレな相方・(中野)たむちゃんとの約束。白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)をかけてこの3人とは特に闘いたかったのですが、私の身体のせいで果たせず、この3人、楽しみに待ってくれていたファンの皆様、ごめんなさい。最後はリング上でファンの皆様にお伝えしたかったのですが、引退と同時に返上する形になってしまいました。

スターダムの大会ができない中での発表となってしまい本当にごめんなさい。今後は、身体やメンタルの様子を見つつ、この状態の私でも続けることができるお仕事をやっていきます。皆様、短い時間でしたが応援してくださり本当に本当にありがとうございました」

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プロレスに休業補償を 異例集結で統一組織創設!?

プロレス7団体の選手、関係者(撮影・中島郁夫)

新型コロナウイルス感染拡大の影響で興行を自粛している新日本プロレスなど国内プロレス7団体の選手、関係者が15日、都内で元文部科学相の馳浩衆院議員(58)に要望書を提出した。プロレスは選手間の接触が多く、観客席との距離も近いため、興行再開の見通しが立たない。苦しい自粛期間を耐えるため簡易検査キットの早期普及、選手の休業補償の2点を訴えた。

永田町の衆院議員会館に、スーツのプロレスラーの姿があった。新型コロナウイルス感染拡大の中、密集、密閉、密接の「3密」が当てはまるプロレス興行は、ほとんどが中止や延期。どの団体も興行が収入の大部分を占めるため、長期化すれば団体存続の危機にもつながる。そんな中、新日本プロレス、スターダムの親会社である株式会社ブシロード木谷高明取締役(59)を発起人とし、簡易検査キット早期普及、選手の休業補償について、プロレスラーでもある馳議員に要望書を提出した。

他のスポーツ、エンターテインメント界も止まっている状況。苦しいのはプロレス界だけではないと理解しながら動いたのは、補償という安心を得て長期の自粛後に無事興行を再開するためだ。木谷氏は現在、国内で開発が進む簡易検査キットの普及を求めたことについて「無観客試合をする上でも、選手の安心につながる」と説明。同時に、興行再開時に観客への安全、安心にもつながるとした。

休業補償を求めたのは、プロレスラーの多くが年俸制など団体と特殊な契約を結んでおり、社員でもフリーランスでもないため。国からの補償の対象となるかをスポーツ庁、経済産業省の担当者に確認。前年同月比で収入が半減した個人事業主に最大100万円を給付する「持続化給付金」で補償可能と説明を受けた。他にも団体、選手が利用できる補償があり、馳議員からも「つなぎ役になる」と協力を約束された。

各団体を代表して新日本プロレス棚橋弘至(43)、全日本プロレス諏訪魔(43)、ノア丸藤正道(40)、DDTのHARASHIMA、スターダム岩谷麻優(27)、東京女子坂崎ユカ、ディアナ井上京子(50)が出席。全員が現状を報告した。棚橋は「メジャースポーツのプロ野球、サッカー、大相撲が試合を再開し、プロレスはしんがり、一番最後でもいい。プロレスができるようになる時に、エンタメ、スポーツ業界が復活という形になる」と覚悟を示した。

団体の垣根を越えた異例の集結だが、集まったのは木谷氏が声をかけた一部にすぎない。馳議員は「苦言を呈するようですが…」と木谷氏に統一組織創設を要望。木谷氏も「今後、チャリティーやオールスター戦の実現のためにも、あったほうがいい。音頭をとりますよ」と前向き。苦難の時だからこそ、それを乗り越えるための“プロレス協会”設立が実現するかもしれない。【高場泉穂】

東京女子プロレスの坂崎ユカ

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新日本など7団体が馳浩議員に休業補償など要望書

馳浩衆議院議員(右)に要望書を提出するブシロード木谷高明取締役(撮影・中島郁夫)

新型コロナウイルス感染拡大の影響で興行を自粛している新日本プロレスなど国内プロレス7団体の選手、関係者が15日、都内で馳浩衆議院議員(58)に要望書を提出した。

発起人は新日本プロレス、スターダムの親会社である株式会社ブシロードの木谷高明取締役(59)。無観客試合実施や興行再開時に必要となる簡易検査キットの早期普及、選手の休業補償の2点について要望した。

各団体を代表して、新日本プロレス棚橋弘至(43)、全日本プロレス諏訪魔(43)、ノア丸藤正道(40)、DDTのHARASHIMA、スターダム岩谷麻優(27)、東京女子坂崎ユカ、ディアナ井上京子(50)が、それぞれ現状に言及した。

新日本プロレスは3月1日から約1カ月半、興行を中止している。棚橋は「選手は試合再開の時を待ちながら、道場で時間を分けて選手が集中しないようにして練習に励んでいます」と現状を説明した。

棚橋はその上で、「メジャースポーツのプロ野球、サッカー、大相撲が試合を再開し、プロレスはしんがり、一番最後でもいいんじゃないかと思っている。プロレスができるようになる時にエンタメ、スポーツ業界が復活という形になるかと思います」と覚悟を示した。

約30分の会合を終え、馳議員は簡易検査キットの導入に関しては「医療機関を受診した後に活用されるもの」と慎重な姿勢を示しつつ、補償支援については「企業、選手、興行に対してそれぞれのメニューがある。つなぎ役をさせていただく」と協力を約束した。

また「苦言を呈するようですが…」と、プロレス界の統一組織の創設を要望。「まとめ役の木谷さんに宿題としてお伝えしたい」と団結を求めた。

木谷氏は「今後、チャリティーやオールスター戦の実現のためにもあったほうがいい。音頭をとりますよ」と“プロレス協会”実現へ前向きだった。

要望書を受け取り話をする馳浩衆議院議員(撮影・中島郁夫)
新日本プロレス棚橋弘至(撮影・中島郁夫)
東京女子プロレス坂崎ユカ(撮影・中島郁夫)

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スターダム無観客試合 配信再生回数は6万7000

スターダム初の無観客試合でメイン後、テレビカメラに向かってあいさつする岩谷麻優。南側観客席のオレンジ色が目立った

<スターダム:後楽園大会>◇8日◇東京・後楽園ホール

女子プロレス団体スターダムが新型コロナウイルスの影響により後楽園ホールで初の無観客試合を行った。試合の模様はYou tubeで無料生配信され、最大同時視聴数約1万2000、再生回数はのべ6万7000にのぼった。

異様な光景だった。会場にいるのは、選手、スタッフ、取材者のみ。リングサイド、東西南北の四方に客の姿はない。選手らは声援がない中、ビデオカメラの向こうの視聴者を意識しながら、試合を行った。

メインではスターダムのアイコン”ことワールド王者岩谷麻優(27)が鹿島沙希(26)と対戦。途中、2人は場外乱闘へ突入。岩谷は南側観客席の最上段から鹿島に突き落とされ、35段を階段落ち。映画「蒲田行進曲」の名シーンを思わせる豪快な落ちを披露し、ネット上をにぎわせた。試合後岩谷は「観客がいないのは不安もあったけど、やってみたらすごい楽しかった」と語り、「コロナ問題が収束し、1人でも多くの方々に楽しんでいただきたい」と通常興行の再開を願った。

初の無観客試合に対し、選手、関係者の感想はさまざまだった。タッグマッチに出場した木村花(22)は「お客さまがいないと、ただ痛めつけられているような感じ。声援が1番の薬なのだと分かった」。木村とタッグを組んだジャングル叫女(28)も「できれば(今後は)なしがいい」と、やりづらさを語った。

会場で見届けたオーナーであるブシロード木谷高明取締役(59)は選手側の不安をくみとりつつも、「いろんな可能性が見えた。やって良かった」と評価。視聴者数が予想以上に多かったことから、「初めて見てくれた人もいたと思う」と前向きにとらえた。

この日は感染予防のため選手、解説者ら動画に写りこむ人以外はマスク着用必須。入場前には検温も行われ、37度未満に限り入場可能とした。今後、3月14日から22日までの5興行は中止。24日に後楽園ホール大会を予定しており、状況をみながら開催可否を決める。

スターダム初の無観客試合のメインで、南側観客席横の35段階段を転げ落ちた岩谷麻優

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スターダム、コロナ対策で3・14まで興行など中止

スターダム9周年記念日大会 2度目の防衛に成功した岩谷麻優(2020年1月19日撮影)

女子プロレス団体スターダムは18日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2月19日から3月14日までの興行、イベントを中止すると発表した。

チケット払い戻しの対応をするほか、3月8日の後楽園ホール大会は無観客で実施し、YouTubeで無料配信する。同じブシロード傘下の新日本プロレスは19日から4日連続で後楽園ホール大会を予定しているが、18日に予定通り実施すると発表。今後の大会開催可否は検討するとした。

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彩羽匠「引きずり下ろす」スターダムと団体抗争へ

岩谷麻優に勝利した彩羽匠(右)をねぎらう師匠長与千種(撮影・高場泉穂)

<スターダム:後楽園大会>◇8日◇東京・後楽園ホール

急きょ決まったカードが超満員の後楽園を熱狂させた。

この日のメインでワールド・オブ・スターダム王者岩谷麻優(26)にSareee(23=ディアナ)が挑戦する予定だったが、前日7日にSareeeの急性腸炎および感冒による発熱で欠場が決定。代わりに岩谷と、元スターダム所属で、マーベラスのエース彩羽(いろは)匠(27)の2年ぶりとなるシングルマッチが行われた。

岩谷は、170センチの恵まれた体を持つ彩羽の力強いキックや投げ技に苦戦。ぼろぼろになりながら、直前に長与千種から伝授された必殺技ランニングスリーを仕掛けるも彩羽の体を持ち上げられず。最後は彩羽にランニングスリーを見事に決められ、20分49秒で3カウントを奪われた。

試合後、岩谷はマイクを手にすると「こんな形でやると思わなかったけど、試合してくれてありがとう」と手をさしのべ、握手。「完敗。このまま負けっぱなしでいることは嫌なので、赤いベルト挑戦してきてください」と挑戦者に指名した。彩羽は、自分が長与から伝授されるまで何年もかかったランニングスリーを岩谷がすぐに教えてもらったことに「ずるいよね」と嫉妬。「(ランニングスリー)意地でもあげさせません。赤いベルト挑戦させてください」とその場で快諾した。

バックステージで彩羽は「挑戦するからには本気でベルト取りにいきますよ。スターダム面白くなりますよ」と基本的に鎖国体制を取るスターダムからのベルト奪取を宣言。「ブシロードさんがついて、1団体だけトップにのしあがろうとしている。そこを引きずり下ろす団体がいても面白くないですか?」と団体抗争であることを強調した。師匠長与は「面白かった。いい試合だったね」と彩羽をねぎらうとともに、「岩谷のやられっぷりは天下一品」と絶賛。タイトル戦も前向きに考える姿勢を示した。

岩谷は、2月23日名古屋大会でこの日挑戦表明したジャングル叫女と3度目の防衛戦をすることが濃厚。岩谷と彩羽との団体の威信をかけたタイトル戦について、スターダムのロッシー小川エグゼクティブプロデューサーは「落ち着いてから」と少し先になる模様だ。

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長与千種「仕掛けの最初」伝説GAEAジャパン復活

4月15日GAEAジャパン復活興行に向けた会見に出席した左から長与千種、彩羽匠、橋本千紘、里村明衣子

伝説の女子プロレス団体GAEAジャパンが15年ぶりに復活する。同団体の創始者長与千種(55)と愛弟子で現在センダイガールズプロレスリングを主宰する里村明衣子(40)、さらに長与の弟子彩羽匠(27)、里村の弟子橋本千紘(27)が5日、都内で会見し、旗揚げ記念日の4月15日に後楽園ホールで一夜限りの復活興行「GAEAISM」を行うと発表した。

長与は昨年12月8日、自身が4年前に立ち上げた女子プロレス団体マーベラスのリングに初めて選手として登場。試合後に同団体の代表を退き、ニュートラルな立場で女子プロレス界に「仕掛けをする」と予告してきた。長与は「この1つの爆弾が、仕掛けの最初」。この復活興行で業界を揺るがす狙いだ。

大会にはGAEAの過去と未来を詰め込む。セミファイナルは長与、里村、広田さくら組対KAORU、永島千佳世、植松寿絵組というGAEAOBメンバー夢の6人タッグ戦。05年4月10日、後楽園ホールでのGAEA最後の興行でシングル戦を行った長与と里村が15年ぶりに同じリング、そしてコーナーに立つ。里村は15年前の試合時に「直感的にこれが最後じゃないと感じた」と、いつか再び長与と交わる日が来ると感じていたことを明かした。12年に引退している植松以外の「5人が(女子プロレス界に)存在していることが奇跡」とし、「これぞGAEAジャパンという試合をお見せしたい」と意気込んだ。

メインは、GAEAジャパンや長与に憧れてこの世界に入った彩羽匠と橋本千紘の現在トップ2人のシングル戦。橋本は「GAEAジャパンを見て、プロレスラーになった私にとって、GAEAのリングで戦えるのは夢のよう」。彩羽は「GAEAは女子プロレスの全盛期の最後。そこからずっと止まっている。ここで動かしていかなければ」と覚悟を口にした。長与はGAEAの血を引き継ぐ2人の試合を「女子プロレス界の未来です」と語り、2人に「楽しみなさい。楽しめばもっと何か面白いことが誕生する」と言葉を贈った。

くしくも前日4月14日には、昨年11月に新日本プロレスと同じブシロード傘下となった女子プロレス団体スターダムの興行が控える。カリスマ長与にとっては「ラッキー」な状況でしかない。「ブシロードさん、ありがとう。もうラッキーすぎて。こんなにしびれることってないかな、と思うんですよね。大好き。言っときますけどケンカ売るつもりはない。たまたま。(2日連続興行は)あっちゃいけないでしょ、本来だったら。でも、だから面白いんですよ、プロレスって。何かを生み出すかもしれないし、ひょっとしたら、里村選手と一緒に何か感じるものがあるかもしれませんし。何が起こるかは生ものなので分かりません。でも、たくさんの伏線をはっています。もう自分の頭の中にはあります」と、うれしそうに謎かけをたたみかけた。

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新日が計7万人超動員 メディア戦略で人気V字回復

新日本プロレス菅林直樹会長(19年撮影)

史上初となる新日本プロレス東京ドーム2連戦は両日で計7万人超を動員し、大成功に終わった。

世界中にファンを持ち、今も成長を続ける団体の秘密について、約30年にわたり裏方で支えてきた菅林直樹取締役会長(55)に話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

   ◇   ◇   ◇

菅林会長は「06、07年ごろはドーム大会をやめるか、ぐらいまでいったんです」と不振の時代を回想した。当時はアリーナとスタンド1階席だけ。空席だらけでも何とか続けていたが、12年に親会社ブシロードの傘下となって以来、木谷オーナーによるPR戦略が成功。エース棚橋弘至に続き、新たなスター・オカダも誕生し、リング内も充実。観客動員はV字回復した。18年半ば、20年の1月4、5日が土日であることに気付いた菅林会長が「このタイミングを逃すと何年もいい曜日がめぐってこない」とドーム2日間をおさえた。

リスクもあった。「両方客席が埋まらなかったら、赤字プラス、イメージダウンにもなる」。2日間充実したカードを用意できるか検討し、さらに営業、幹部会で話し合うなど根回しに1年がかかり、昨年の大会で発表に至った。2年前の段階で武道館3連戦や大阪、福岡など地方のビッグマッチも満員。だから、「ちょっとは自信があったんです」。今年はドーム2連戦の満員に続き、きょう6日の東京・大田区総合体育館大会の前売りも完売。不安は杞憂(きゆう)に終わった。

世界中で人気を得る理由は1つにとどまらない。菅林会長はきっかけの1つとして、13年にテレビ放送された野毛道場寮のリフォームを追った番組「大改造!劇的ビフォーアフター」を挙げた。地上波で流れたことで、チケットの売り上げ復活の「タイミングと重なる」と明かす。16年からは芸能事務所アミューズと提携し、真壁、棚橋らがバラエティー番組などに出演し、知名度アップにつなげた。14年に開始した動画サービス「新日本ワールド」の存在も大きい。会員数約10万人中、約4割が米国、英国などの外国人。海外から来るファンも「ドームの観客動員にかなりプラスになっている」という。

選手だけでなく、営業、映像、グッズ班などの裏方を含めた約100人の社員が団結して興行を作りあげる。菅林会長は「お客さんが入っている、というのが社員の元気がよくなる理由」。ただ、「落ちるのはあっという間。2回ほど経験しているのでね(笑い)」と今の状況に慢心はしない。現在構想するのは、ブランドの追加。国内外のファン増加とともに興行数も200を数えるが、「これ以上増やすのは選手に無理を強いることになる」。2チームに分かれて国内外それぞれを回り、より多くのファンに生の試合を届ける夢プランを明かした。

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東京ドーム大会の入場者数、初の4万人超え達成

タイトル防衛に成功したオカダ・カズチカ(撮影・中島郁夫)

<新日本:東京ドーム大会>◇4日◇東京ドーム

4日の東京ドーム大会の入場者数が、実数発表になって初めて4万人を超え、4万8人となった。過去に12年大会で4万3000人と発表されたことはあるが、ブシロードが親会社となり経営改革を行い、入場者数も実数発表を実施。4日が土曜日となる今年での実数4万人超えを目指していた。

木谷オーナーは「2日間開催がかえって良かった。明日は、当日券がもっと売れますよ」と期待。今後の展開について「東京ドームをいっぱいにしていくだけ。大阪城ホール2連戦もやりたいですね」と話していた。

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スターダムで“開幕”!岩谷、星輝組が美女対決制す

木村(下)にムーンサルトプレスを決める岩谷(撮影・滝沢徹郎)

<新日本:東京ドーム大会>◇4日◇東京ドーム

女子プロレスのスターダムが、東京ドーム大会の“開幕”を飾った。本大会前のダークマッチ第0試合の第1戦は、岩谷麻優、星輝ありさ組対木村花、ジュリア組が激突。

東京ドーム大会では、02年5月大会で組まれた全日本女子の堀田祐美子、豊田真奈美組対中西百恵、伊藤薫組戦以来、18年ぶりの女子レスラーの登場に、大勢のファンが声援を送った。

岩谷はスターダムを象徴するワールド・オブ・スターダム王者で、昨年の女子プロレス大賞を受賞した女子プロレス界の第一人者。その岩谷を中心とした激しい攻防に、会場もスタートから盛り上がった。終盤、岩谷を捕まえた木村へ、トップコーナーからジュリアがドロップキックを誤爆。流れをつかんだ岩谷が、飛龍原爆固めから、ムーンサルトプレスの大技連発で木村を沈め勝利した。

岩谷は「東京ドームという舞台で、ムーンサルトとドラゴンを両方やることができて最高。プロレス人生で貴重な思い出です」と感激した。昨年4月には米ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)で試合をしたこともある岩谷は「MSGより4倍緊張した」と女子プロレス界を背負っての戦いを終え、ほっとした様子だった。

10月に新日本の親会社ブシロードがスターダムを買収して実現した一戦。前代表の小川宏氏は「感無量です。思ったより歓迎ムードだった。これが1日で終わらないようにしないと。これからです」と笑顔で話していた。

星輝、岩谷優組対ジュリア、木村組 勝ち名乗りを受ける星輝と岩谷(左)(撮影・滝沢徹郎)
星輝(左)に蹴りを放つジュリア(撮影・河田真司)
星輝、岩谷優組対ジュリア、木村組 星輝(中央)を攻める木村(左)とジュリア(撮影・滝沢徹郎)

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