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K1初代王者ブランコ・シカティック氏死去 65歳

佐竹雅昭(左)に左ハイキックを浴びせるブランコ・シカティック氏(1993年4月30日撮影)

クロアチア国営放送(HRT)電子版は23日、クロアチアの格闘家ブランコ・シカティック氏が死去したと報じた。65歳だった。

HRTによると、長年、闘病生活を送っていたという。93年に行われたK-1グランプリに38歳で参戦。佐竹雅昭、アーネスト・ホーストなどを撃破。K-1初代チャンピオンに輝いた。強烈な右ストレートなどが武器で「伝説のこぶし」との異名を誇った。

格闘ジムのチャクリキジャパンによると、シカティック氏は22日、クロアチア、ソリンの自宅で死去した。18年に肺血栓症で入院。パーキンソン病などもあり、ここ2年は家族の支えのもと自宅での闘病生活を送っていたという。

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K-1が「紅白超え」テレビ史変えたサップvs曙

03年12月、ボブ・サップにKO負けした曙

<平成とは・バトル編(4)>

2003年(平15)12月31日午後11時。日本のテレビ史に新たな1ページが刻まれた。TBSの「K-1 Dynamite!!」で中継したボブ・サップ-曙の試合が「NHK紅白歌合戦」の視聴率を超えたのだ。頂点は曙がサップにKOされた11時2分。瞬間最高視聴率(ビデオリサーチ調べ)は43%に達し、NHKの35・5%を7・5%も上回った。

わずか4分間とはいえ裏番組が紅白を上回るのは初めて。平均視聴率19・5%も裏番組として史上最高だった。大会を運営したFEGのイベントプロデューサーだった谷川貞治は「絶頂を迎えたテレビ格闘技時代の象徴でした。格闘技というコンテンツは紅白を超えるほど強い。それを日本中にアピールできたことは大きな功績」と回想する。

K-1は93年(平5)に誕生した。フジテレビのスポーツイベントの一環として空手の正道会館の石井和義館長が、空手やキックボクシングなどの立ち技の格闘技世界一を決める大会を代々木第1体育館で開催した。「“賞金10万ドル世界最強決定戦”と銘打ち、まだK-1の文字は小さかった。空手やキックなど頭文字にKのつく格闘技の1番を決めるという意味で、ブームだったF1をまねた」と、マッチメークに携わった谷川は明かす。

決勝まで7試合のうち6試合がKOでの決着だった。ヘビー級のど迫力のパンチとキックに超満員の会場が熱狂した。実力者モーリス・スミスや日本のエース佐竹雅昭が、無名のアーネスト・ホーストやブランコ・シカティックに衝撃的なKO負けを喫したことで、逆にK-1のレベルの高さが際立ち、人気が急上昇した。

時代も味方した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の衰えとともにプロレス人気が下降し、新たな格闘技としてブームを起こしたUWFも90年を最後に分裂していた。そんな時代にK-1が注目を浴びた。昭和の時代に光の当たる舞台がなかった空手家やキックボクサーたちが、続々とK-1のリングを目指した。

極真空手で実績を残したアンディ・フグら世界的な空手家も参戦し、96年にはフジテレビがゴールデンタイムで放送開始。K-1の名前は全国区となって、平均視聴率も20%を超えた。97年12月の「K-1 GP決勝戦」は5万4500人の大観衆が東京ドームを埋めた。そして、02年に参戦した野獣ボブ・サップが国民的な人気者になった。

03年にK-1はTBSの「Dynamite!!」で、単独では初の大みそか興行に乗り出す。目標は打倒紅白。目をつけたのが曙だった。谷川が振り返る。「大みそかはみんなでお茶の間でテレビを見る。そのお茶の間で一番人気があるスポーツ選手はお相撲さん。だから元横綱の曙を口説いた」。サップと曙の対決は、谷川の予想通りお茶の間のテレビを紅白から奪った、

00年以降、フジテレビで「K-1 GP」、TBSで70キロ級の「K-1 MAX」、日本テレビで日本選手中心の「K-1 JAPAN」と3局で大会が放送されるようになった。93年の第1回大会で1人100万円だったファイトマネーは年々急騰し、億単位で稼ぐ選手も現れた。その一方でFEGの経営は次第に悪化。深刻な財政難に陥り、10年の「K-1 GP」が最後になった。

「経済的な破綻は自分たちの責任。いろんな問題があった」と谷川。ただ「経営状態が悪くなくても落ちていったと思う」とも話し、こう続けた「平成はテレビの時代だった。フグやサップが人気が出たのは強いからではなくて、テレビに乗ったから。でもこの10年でメディアを取り巻く状況はガラリと変わった。今は昔のようにテレビで視聴率を取る自信がない」。

現在、谷川は武道を軸に据えた新格闘技「巌流島」のイベントプロデューサーを務めているが、まだ目指す道が見つからないという。「20年前は地上波のゴールデンタイムという分かりやすい目標があった。コンテンツをつくる自信は今もある。でも、目指すメディアが見つからない。令和の時代はそれを見つけた人が勝つんだと思う」。谷川の悩みは、ネットの登場で斜陽となった既存メディアが抱えている悩みでもある。【首藤正徳】(敬称略)

03年12月、曙(左)にパンチを放つボブ・サップ

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K1ヘビー級プラチバット初防衛戦はマナートに

 K-1ヘビー級王者アントニオ・プラチバット(24=クロアチア)の初防衛戦の相手が、ロエル・マナート(23=オランダ)に決まった。K-1実行委員会が21日、さいたまスーパーアリーナ・メインアリーナで行う「ケーズフェスタ・1」(日刊スポーツ新聞社後援)での実施を発表した。

 昨年11月23日の初代ヘビー級王座決定トーナメントで優勝したプラチバット。1回戦はK-Jee(けいじ)、準決勝は上原誠にいずれも1回KO勝ち。決勝では優勝候補イブラヒム・エル・ボウニ(24=モロッコ)との激闘を、3-0の判定で制した。一方のマナートは、同準決勝でエル・ボウニに1回KOで敗れた。

 プラチバットの指導に当たる第1回K-1GP覇者ブランコ・シカティック氏が、優勝翌日会見で「私も対戦したアンドレ・マナートの息子と戦わせてみたい」と話していたが、その意向を実行委がくんだ形。プラチバットは「ブランコが通ってきた道を私も歩みたい。学んだことが間違いじゃないことを証明する」とのコメントを寄せ、防衛に自信を見せた。

 挑戦するロエル・マナートもコメントを届け、「王者のアントニオは戦士のハートを持った強い選手だと思う。しかし、K-1のベルトは私がいただく」とタイトル奪取を誓った。

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