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琴奨菊 連日の稽古、自宅の土俵が原点/プロに聞く

16年初場所で日本出身力士として10年ぶりの優勝を決めた琴奨菊

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回は大相撲の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が力士人生を振り返った。中学から親元を離れて相撲留学。7月場所で幕内通算勝利数も716に伸ばし、歴代単独6位となった関取最年長の大関経験者が、ジュニア世代にメッセージを送った。

  ◇   ◇   ◇  

自宅の庭にある土俵が、琴奨菊の原点だ。小3で相撲を始めると1年後、相撲好きで熱心に応援してくれた祖父一男さんがつくってくれた。天候が良ければ1日2時間、四股やすり足で汗を流した。雨が降ったら土俵にブルーシートを敷いて土のうを置き、近所のグラウンドに移動。5キロ超のタイヤを引いて下半身を鍛えた。

「今と変わらず、相撲は生活の一部。放課後に友達と遊べないことが、ちょっとつらかったけど」。自宅での稽古に休みはなかった。休む場合は父一典さん(65)に「お伺い」を立てる必要があった。「『休ませてください』と言葉にするのも難しくて、ほとんど言ったことはないんですけどね」。角界入り後、当時通っていた小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と教えてくれた。それが印象に残っているという。

週に3回は、福岡・柳川市の自宅から車で1時間以上かかる久留米市の井上道場に通った。当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がその道場にいたためだ。送り迎えは祖父がしてくれた。08年に76歳で亡くなったが「おじいちゃんが帰りにステーキをごちそうしてくれた。それがうれしかった」。支えてくれる家族を思うと「自分がここで逃げ出したらだめ」という気持ちが自然と湧いてきたという。

知人の勧めで中学校から高知の明徳義塾中に相撲留学した。全寮制で起床時間は6時ごろ。朝昼晩の先輩への給仕はもちろん、洗濯などの身支度は初めての経験だった。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」。高知の山奥で遊ぶ場所はない。息抜きといえば、仲の良かった他の部活の同級生と、卓球で真剣勝負をすることだった。

アマチュアでは中学横綱、高校でも7タイトルを獲得した。相撲漬けの毎日だったが「苦しいとかつらいとか、あまり感じたことはなかった。『もっと強くなれるんじゃないか』というマインドの方が強かった」。在学中、福岡の両親に自ら連絡することはほとんどなかったという。「今思うとかなり気を使っていた。家族に心配をかけたくなくて」。36歳となった今でも、勝ち越した際や場所を終えた報告など、相撲に関する連絡が家族に対してはついつい遅れてしまう。「(連絡をするのは)身内が最後だと思っている。力士が終わったら、素直になれるのかな」。

高校を卒業して18年が経過した。7月場所前に同学年のライバル、元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退。気付けば関取最年長になった。同部屋では兄弟子の元大関琴光喜を追いかけ、同年代の力士には元横綱稀勢の里(現荒磯親方)や豊ノ島らがいたが、今はいない。「引っ張り上げてくれる人がいなくなって悩む時期もあった。今は自分が変わっていく過程が楽しくて、考えながら相撲の変化を楽しんでいる」。7月場所では、膝を伸ばした状態で手をつく新しい立ち合いで臨み、1年4カ月ぶりの勝ち越しを決めた。試行錯誤は続いている。

ジュニア世代の子に伝えたいことがある。「いつか負けちゃいけない場面が来る。相撲だけじゃなく、勉強や試験でここ一番が来る。今は負け続けてもいいので、そのときに備えてほしい」。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。関取最年長の36歳は、現役へのこだわりを強く持っている。【佐藤礼征】

◆琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次(きくつぎ)一弘。1984年(昭59)1月30日、福岡県柳川市出身。小3から相撲を始め、高知・明徳義塾中で3年時に中学横綱。同高では国体など7タイトルを獲得した。02年初場所で初土俵を踏み、04年名古屋場所で新十両、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝を果たす。17年春場所で関脇に陥落。三賞は殊勲賞が3回、技能賞が4回。181センチ、178キロ。得意は左四つ、寄り。血液型O。家族は夫人と1男。

明徳義塾高2年の時、全国高校相撲新人戦で日本一になった琴奨菊(左)
7月場所9日目に歴代単独6位の715勝目を挙げた琴奨菊(右)

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京口紘人の転機は辰吉丈一郎の直接指導/プロに聞く

17年7月、デビューからわずか1年3カ月で世界王座を獲得して喜びを爆発させる

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。ボクシングのWBA世界ライトフライ級王者京口紘人(26=ワタナベ)は、幼少期、自身の小さな体に悩んでいた。転機となったのは、ボクシングとの出会いと、伝説の世界王者辰吉丈一郎の教えだった。日本人最速の、デビューから1年3カ月で世界王者に駆け上がった男が、道を切り開いてきた原動力と、これまでの歩みを語った。【取材・構成=奥山将志】

京口の目の前には、生まれた時から「格闘技」があった。父寛さんが空手の師範。兄、姉の背中を追い、当たり前のように3歳から教えを受け始めた。だが、活躍する兄姉のようにうまくはいかなかった。「背の順」は常に先頭。小柄な体が勝利を遠のかせていた。

「兄や姉は大会で何回も優勝していたのに、自分だけ勝てなかったんです。悔しさもありましたが、子どもながらにプレッシャーがすごかった。父が先生で、兄も姉も結果を出している。『勝って当たり前』という目で見られるのがコンプレックスでしたね」

負ける相手が、自身より20センチ以上も身長の高い相手、体重が倍以上の相手だったこともあった。「フェアじゃない」-。そんな思いは、次第に大きくなっていった。運命を変えたのは、小5の時。友人の家で見た、辰吉丈一郎-薬師寺保栄のボクシングの試合だった。「階級」に分かれ、同条件の2人が激しく殴り合う姿に、胸が躍った。

「小さい頃から『同じ体重だったら負けない』っていう思いがずっとあったんです。あの試合を見た時、自分はこれで生きていくんだって思いましたね」

寛さんは、ボクシングをやりたいと頭を下げる息子の思いを理解し、条件を与えた。「中学校に入るまでに、小さい大会でもいいから優勝しろ」「ボクシングをやるなら、死ぬ気でやれ」-。京口は父の言葉に結果で応え、小6の冬、大阪帝拳ジムの門をたたいた。指導してくれたのは、きっかけをくれた辰吉本人だった。自宅から片道1時間20分の道を、週6回。約1年半続いた直接指導から、ボクサーとして生き抜く「強さ」を学び取った。

「楽しくて仕方なかったですね。教わったのは、考え方や精神的な部分。まず先に、『世界チャンピオンになりたいでは、なれない。なるって言え』って。技術的には、意外かもしれないですが、基本の繰り返しです。『歩けないやつに走れっていっても無理やろ。基本ができていないやつにフックとかアッパーを教えても意味がない』って。ジャブ、ワンツー、ディフェンス。しんどかったですが、毎日が濃厚でしたね」

進学した大商大で、積み重ねた努力が結果として表れた。4年時には主将を務め、14年の国体で優勝。16年4月にワタナベジムからプロデビューを果たすと、驚異的なスピードで階段を駆け上がった。デビューからわずか1年3カ月。8戦目で、憧れ続けてきた「世界王座」をつかみとった。

「小さい頃に『世界チャンピオンになる』って決めたから、どれだけきつくても、やめたいと思ったことは1度もないんです。サンドバッグや階段ダッシュのような、しんどい時こそ『この1日の積み重ねが、1ミリでも夢に近づいている』って自分に言い聞かせるんです。1日で何かが変わるなんてありえない。だから、目の前の結果とか小さな満足感を欲しがっても意味がないんです。頑張る理由は『世界チャンピオンになる』という目的以外にないんですから。だからこそ、世界を取った瞬間は『報われた』という思いがわき上がってきました。あれを超える感情は、この先、もうないんじゃないですかね」

世界王者になり、かつて辰吉に憧れた自身と同じように、子どもたちから憧れられる立場に変わった。26歳。2階級制覇王者として描く未来は「人の人生に影響を与えられる人間になること」。ボクシングを通して、次の世代に伝えたい思いもあるという。

「やりたいと思ったことはとことんやってほしいですね。1つのことをやり続けるのは大切ですが、それはギャンブルでもある。野球をやっていて、サッカーに興味をもったらサッカーをやった方が良いんです。やってみて、違うと思ったら戻ればいい。サッカーをやりたいという思いがある時点で、野球は中途半端なんですから。サッカーで得た感性が、野球に戻った時に生きるかもしれない。子どもの頃はいろんなことを吸収できるし、チャレンジするのが大事だと思うんです。重要なのは、チャレンジと中途半端にやるのは違うと理解すること。挫折や、スランプはチャンスでもあるんです。目の前に道がないから、横を見るじゃないですか。偶然見た道が、目的地につながっているかもしれない。子ども時代は視野を広げて、時間を有意義につかってほしいですね」

◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年(平5)11月27日、大阪府和泉市生まれ。3歳から空手を始め、12歳からボクシングへ。中1、2年時には大阪帝拳ジムで辰吉丈一郎から指導を受けた。大商大卒業後の16年4月にワタナベジムからプロデビュー。17年7月に、日本最速デビュー1年3カ月でIBF世界ミニマム級王座を獲得。2度防衛後に王座を返上。18年12月にWBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得し、2階級制覇を達成。161センチの右ボクサーファイター。

17年7月、IBF世界ミニマム級新王者となり、父寛さん、母かおりさんと笑顔で記念撮影
18年12月、辰吉丈一郎直伝の左ボディーを集めて王者を弱らせ、WBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得
19年10月、WBAスーパー世界ライトフライ級王座2度目の防衛を果たした

隆の勝 10年で開花、中卒たたき上げ/プロに聞く

地元の千葉・柏での巡業で犬と記念写真に納まる

大相撲で勢いに乗る幕内力士の1人、隆の勝(25=千賀ノ浦)に話を聞いた。今年で入門10年。史上初の無観客開催となった春場所では12勝3敗の好成績で優勝次点、初の敢闘賞も獲得した。近年は高校、大学を経由して角界入りする力士が多くなる中、貴重な中卒たたき上げ。大家族で育った幼少時代の経験などを明かした。

丸顔に癒やし系の笑顔で“おにぎり君”の愛称で親しまれる隆の勝にとって、相撲との出会いは必然だった。父俊哉さんは大相撲観戦が好きで、地元の千葉・柏市は相撲が盛ん。幼稚園や小学校に相撲大会出場を勧誘するチラシが多数張られており、相撲クラブに所属していない少年も積極的に参加していたという。隆の勝は小1のときに初めて地元の相撲大会に参加。小3から柏市スポーツ少年団で本格的に相撲を始めた。同学年には大翔鵬(現十両)、後輩には元横綱琴桜を祖父に持つ琴ノ若(現前頭)や琴勝峰(現十両)が在籍。強豪のクラブチームだった。

「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく相撲が楽しかった記憶があります。クラブには全国で2位、3位になるような強い子もいて、僕も小4から小6までわんぱく相撲の全国大会に出場していましたが、飛び抜けて強いわけではありませんでした」

クラブの練習は1日4時間で、土日の週2回。他のスポーツは習っていないため、平日の放課後は友達と遊ぶ時間が多かったが、学年が上がるにつれて、クラブ以外での稽古時間が増えたという。

「家では週に2、3回はみっちり四股を踏んでいました。回数はあまり覚えていないけど、30分くらいだったかな。めちゃくちゃ厳しく指導されたわけじゃありませんが、父親の監視の下で踏んでいたことを覚えています」

6人きょうだいの4番目として生まれた。母雅代さんは整体師。相撲を始めた頃から、痛いところがあればすぐに治療をしてくれた。今でも実家に戻ると体を診てくれるという。両親は子どもたちを特別厳しく育てたわけではないが、隆の勝にとって印象深い「ルール」がある。

「テレビゲームはいいけど、携帯ゲームは禁止されていましたね。他の家だと『目が悪くなるから』『勉強をしなくなるから』って理由が多いと思うんですけど、うちの場合は『姿勢が悪くなるから』とよく言われました。ゲームに限らず姿勢のことはよく注意されていましたね。いま思うと、整体師らしい視線だなと思います。ちなみに、今も携帯ゲームはやっていませんよ(笑い)」

大家族の存在は今でも力になっている。場所中は家族のライングループに母親が自身の取組動画を投稿。負けが込むと、姉からは「顔が死んでいるよ」と一喝される。

「昔から家族はみんな応援してくれた。今もだけど、家族の存在はずっと力になっています」

春場所では初めての敢闘賞を受賞するなどブレークした。力のある突き押し、右を差して素早く寄る相撲も目立ったが、現在の形が確立され始めたのは最近のこと。

「自分の相撲をつかみ始めたのは出稽古を積極的にするようになった3、4年前くらいからです。自分の型というのは、本来なら早めに決めた方がいいのかもしれないけど、今となっては焦らずに決めなくて良かったのかもしれない。だからこそ、若いときから四股やすり足の基礎(運動)で体をつくることが重要だと思う」

師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)や同部屋の力士が口をそろえて「稽古熱心」と評価する真面目な性格。地道な鍛錬で自身と向き合い続け、その才能を開花させた。【佐藤礼征】

◆隆の勝伸明(たかのしょう・のぶあき)本名・石井伸明。1994年(平6)11月14日、千葉県柏市生まれ。小3から柏市スポーツ少年団で相撲を始め、小4から小6までわんぱく相撲全国大会出場。先代千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)からの誘いを受け、千葉・西原中を卒業後、千賀ノ浦部屋に入門。10年春場所で初土俵。17年九州場所で新十両、18年秋場所で新入幕。20年春場所では12勝3敗の好成績で初の敢闘賞を受賞。家族は両親、兄、姉2人、妹、弟の8人家族。183センチ、163キロ。血液型O。得意は押し。

幕内土俵入りする隆の勝
春場所で敢闘賞を受賞した隆の勝(右)
大相撲春場所 9日目 玉鷲(右)との立ち合いで顔をうち出血するも押し出しで破る隆の勝

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