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大仁田厚“最後の弟子”佐瀬昌宏に電流爆破を許可

“最後の弟子”佐瀬昌宏(右)に引退試合での電流爆破マッチを認め、有刺鉄線バットを渡す大仁田厚


 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が、頸椎(けいつい)の故障で引退を決意した“最後の弟子”佐瀬昌宏(38=フリー)に、引退試合で自らの専売特許とも言える電流爆破マッチを行うことを許可した。

 佐瀬は12月19日に東京・新木場1stRINGで引退興行を開催。引退試合のカードとして、田中将斗(ZERO1)と組み葛西純(FREEDOMS)、NOSAWA論外(フリー)組と戦う、有刺鉄線ボード・ストリートファイト+αデスマッチと発表していたが、+αとして師匠・大仁田が1990年(平2)に開発した、電流爆破を加えたいとひそかに熱望していた。

 大仁田は21日、都内某所で佐瀬と対面。「最後は大仁田さんと対戦したかったんですが、先に引退されて、その夢もかないませんでした。だったら、最後はどうしても、大仁田さんの代名詞でもある電流爆破をやりたいんです。許可してください」と直訴された。

 佐瀬の熱い思いに胸打たれた大仁田は「本当は電流爆破は安易にやってほしくないんだよ。だけど、お前は俺の最後の弟子だし、プロレスと仕事の二足のわらじで一生懸命、頑張っていたのを知ってるよ。『最後は電流爆破で終わりたい』と言うなら、そんなお前に敬意を表して、俺の有刺鉄線バットを進呈する。それに爆弾を付けようが、お前の自由。ただし、ケガするんじゃないぞ。2本の足でリングを降りろよ」と承諾し、佐瀬に自身の有刺鉄線バットを託した。

 大仁田が許可したことにより、佐瀬の引退試合は、有刺鉄線ボード・ストリートファイト電流爆破バット・タッグデスマッチに決定。会場の都合で、ノーロープ有刺鉄線電流爆破(4面爆破)はできないため、会場外の駐車場に3本の電流爆破バットが用意される予定だ。佐瀬は「最後に電流爆破がやれて本望です。託された有刺鉄線を使って、勝って引退試合を終えたい」と意気込んだ。

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東方英雄伝の王飛ら力道山墓参り 中国での成功祈念

中国初のプロレス団体東方英雄伝のレスラーたちが、力道山の墓前に中国での成功を祈願。右端がエースの王飛。中央は田中敬子故力道山夫人


 中国初のプロレス団体で16日に日本旗揚げ大会(後楽園ホール)を行った東方英雄伝の中国人レスラーたちが17日、東京・池上本門寺にある力道山の墓に、中国での成功を祈念した。

 9月20日に中国・上海でIGFによって設立された同団体は、前日の後楽園大会で1257人の観客を集め船出した。今後は、12月17日からの中国・深セン大会を皮切りに、月1回のペースを目標に、中国での興行を本格的に開催していく。エースの王飛(23)らレスラーたちは、故力道山夫人の田中敬子さんの案内で、日本プロレスの父の墓に手を合わせた。王飛は「日本のプロレスをつくった力道山の墓に来ることができてよかった。中国のプロレスは今、始まったばかり。中国でもプロレスが盛んになるようにお願いしました」と話した。団体を運営するIGFのサイモン猪木CEOは「力道山がいなかったら、日本のプロレスはなかったし、我々が中国でプロレスをやることもなかった。感謝の気持ち。そして、中国の人たちにプロレスが好きになってもらえるよう、我々も中国人レスラーのレベルを上げてやっていきたい。来春には日本に帰って日本のファンにもお見せできたら」と決意を語った。

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東方英雄伝エース王飛デビュー戦敗れる「次は勝つ」

中国初のプロレス団体「東方英雄伝」の旗揚げ大会で試合前にあいさつする中国人レスラーたち

<東方英雄伝:後楽園大会>◇16日◇後楽園ホール◇1257人(満員)


 中国初のプロレス団体が、日本旗揚げ大会で、元気にスタートを切った。

 後楽園ホールには、1257人が詰めかけ、試合前には獅子舞の実演のアトラクションも。

 日本人レスラーと対決あり、タッグ戦ありの6試合で、ファンを沸かせた。メインでは、団体のエース候補・王飛(23)が、船木誠勝と組んで、藤田和之、ケンドー・カシン組と対戦。193センチ、100キロの巨体と端正なマスクで、会場からの声援を集め、キックや絞め技、ドロップキックなどで、潜在能力の高さを披露した。最後は、藤田の逆エビ固めにつかまり無念のギブアップ負け。

 それでも王飛は「今日は負けたが、プロレス人生はこれからが長い。もっともっと練習して次は勝つ」と前向きに話していた。タッグを組んだ船木は「デビュー戦とは思えないくらい良かった。

 ムダの無い動きと、1つ1つの技は荒いが、これからできるだけ強い人と戦って経験を積めば、団体を引っ張るエースになれる。この団体は彼の肩にかかっている」と期待を口にした。今後は12月7日から中国・深センで6日間の興行を皮切りに、月1回のペースで中国で興行を開催していく。

中国初のプロレス団体「東方英雄伝」の旗揚げ大会で、試合前に行われた獅子舞のアトラクション

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内藤&ヒロム、ロスインゴ創設者と再合体の意味とは

メキシコの聖地アレナメヒコに帰還した高橋ヒロム(左)と内藤哲也


 新日本プロレスのユニット「ロスインゴベルナブレス・デ・ハポン」の内藤哲也(35)高橋ヒロム(27)がこのほど、海外遠征先となるメキシコ市の中心部で日刊スポーツの取材に応じた。同地の団体CMLLで誕生したロスインゴベルナブレス(制御不能なヤツら)。同マットで本家のルーシュ(29)と再合流し、本家が展開する新メンバー勧誘にも手を貸すなどさらなるメンバー増強の動きもみせた。

    ◇    ◇    ◇    ◇ 

 リーダーの内藤にとってユニット加入イヤーの15年以来、約2年ぶりのメキシコとなる。

 内藤「ボクの人生を変えたリングであり、ボクの人生を変えてくれた仲間達のいるリングなので久々ではありますが、戻ってきたな、戻ってこれてうれしいなという感想ですね」。

 武者修行から凱旋(がいせん)帰国した16年秋以来のメキシコとなった高橋も気持ちは同じだった。

 高橋「気持ちいいですね。完全に俺の中でターニングポイントなので、メキシコにきたっていうのは。まあ相手に(メキシコ時代のライバル)ドラゴン・リーがいなかったというのは残念でしたが、本当に気持ちいいリングです」。

 もともと内藤は高橋裕二郎と結成したユニット「NO LIMIT」として09年に約8カ月間、CMLLで暴れていた。メキシコでの認知度は高く、ファンからも大コールが起きた。

 内藤「ボクが長期間でメキシコにいたのは09年なんですけど、その時もメキシコで一生懸命プロレスしてましたから、こうやって久々に帰っても『ナイトウ』といってもらえるのはボクの財産だと思います。そしてメキシコで生まれたロスインゴベルナブレスというチームに2年前、加入したんですけど、それがすごく大きかったなと。このロスインゴベルナブレスがあるから、ロスインゴベルナブレスに入ったから、こうやって簡単にメキシコに帰ってこれる。このCMLLのリングはホームみたいなもの。久々に実家に帰ってきたみたいな気分」。

 CMLLマットで高橋はカマイタチのリングネームで活躍していた。

 高橋「覚えていてくれるのはうれしいですよね。多分、カマイタチのイメージが強いんですよね。『ヒロム高橋』というのは、まだ知られていないと思うので、やっぱりプログラムにもカマイタチって書いてあるわけじゃないですか。やっぱりカマイタチっていうのはデカかったのかなって、それを見て感じました」。

 メキシコで同ユニット創設者のルーシュと再合体した意味は大きい。

 内藤「ボクの中での1番の目的は今日の試合に勝つこと負ける事ではなく、日本のロスインゴベルナブレス・デ・ハポンとメキシコのロスインゴベルナブレス、この2つが一緒にリングに立つことが重要だったわけで、ロスインゴベルナルベスとロスインゴベルナルベス・デ・ハポンが一緒に戦ったと、そこが1番重要だった。我々の戦っている姿をお見せできたので、勝敗に関しては意識していませんでしたね。とりあえず我々の試合をメキシコのお客様に見ていただけたことが大きかった」。

 日-墨をまたいだユニットには、さらなる強固な「橋」がかかったようだ。

 内藤「2年前にも交流は実施しましたし、メキシコのロスインゴベルナブレスが日本に来て合体したこともありましたけど、しばらく1年近くなかった。今後の方向性とか試合以外でもいい話し合いができたら。そういう意味でたった1試合ではありますけど非常に意味のあるCMLL遠征だったなと」。

 高橋「オレは単純に楽しむためにきたんで。ただルーシュからTシャツを受け取ったのは素直にうれしかった」。

 大地震に見舞われたメキシコのファンにもエールを忘れない。

 高橋「楽しもうと思ってくれていることが変わらない、地震があったことを感じさせない強さっていうのは、こっちの人はありますよね。本当に地震があったのかな、と勘違いさせられるくらい1人1人みんな元気で応援も力強いじゃないですか。自分がメキシコにいた頃と何一つ変わらない声援だったので、だから好きですね。1人1人が強いな、っていうのが自分の中でのメキシコです」。

 ユニットの発祥の地メキシコでファンからの声援を浴び、後押しの空気も感じながらエネルギー充電もできた様子。来年の1・4東京ドーム大会では、内藤がIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(30)に挑戦。高橋もIWGPジュニアヘビー級選手権試合4ウェイ戦に挑む。大舞台でのタイトル戦を備え、原点回帰した心身で再び新日本マットに戻ってくる。

メキシコの聖地アレナメヒコに帰還した高橋ヒロム(左)と内藤哲也

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IGF中国プロレス、エース王飛が旗揚げ大会へ抱負

中国初のプロレス団体東方英雄伝の旗揚げ大会に出場する選手たち


 中国初のプロレス団体「東方英雄伝」を立ち上げたIGFが15日、16日の旗揚げ大会(後楽園ホール)を前に都内の日中友好会館で会見を行った。

 東方英雄伝は、9月20日に中国・上海で発足。旗揚げ大会には、中国人レスラー8人が出場。メインがデビュー戦となるエース候補の王飛(23)は、船木誠勝と組んで、藤田和之・ケンドー・カシン組と対戦する。

 散打とブラジリアン柔術の経験を持ち、団体のツイッターによる公募に応募し、2カ月間トレーニングを積んできた王飛は「先輩たちとの戦いで勉強したい。経験はないが若さでぶつかっていく」と抱負を話した。東方英雄伝は、12月17日から中国・深センで6日間の興行が決まっているほか、月1回のペースで試合を予定。

 サイモン猪木CEO(43)は「中国は東京並みの大都市がいくつもあって、市場は広いし、プロレスの団体が1つもないのが魅力。新たなスポーツエンターテインメントとして注目されている。ポテンシャルのある市場で、我々も楽しみにしている」と話した。

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大仁田厚が世界へ!海外ドキュメンタリーに白羽の矢

バイス・グローバル・メディアの密着取材を受ける大仁田厚


 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が、プロレスの本場米国のデスマッチを日本に根付かせ、より進化させたハードコアという形で米国に逆輸入し、礎を築いたレジェンドとして世界に紹介される。北米を中心に80カ国で放送を展開するバイス・グローバル・メディア(VICE)が、世界のプロレスを題材に制作するドキュメンタリーシリーズ「The wrestlers」のデスマッチ特集に、大仁田が出演。同番組が18年に北米でオンライン公開される方向で調整が進められていることが、15日までに分かった。

 大仁田は、全日本プロレス時代の1981年(昭56)に海外修業に出てプエルトリコ、米テネシーなどを転戦した。その中で目の当たりにした、有刺鉄線マッチをヒントに、1989年(平元)10月に自ら旗揚げしたFMWで「有刺鉄線電流爆破マッチ」を考案し、1990年8月4日に東京・汐留で、ターザン後藤を相手に初の試合を行った。

 そのFMWで戦った米国人レスラーのサブゥーが、FMWの戦いを収めたビデオを米国に持ち帰ったことをきっかけに、流血戦など過激なハードコア路線を前面に押し出す団体ECWが、1992年(平4)に米国で誕生。大仁田はFMWを通して、ハードコアの礎を築いたレジェンドとして、海外で高い評価を受けている。

 このほど、大仁田を取材するためにカナダから「The wrestlers」取材班が来日し、密着取材を敢行。14日に東京・後楽園ホールで行われた、世羅りさプロデュース興行第4弾「ラストデスマッチ in 後楽園ホール大会」に来場し、大仁田がデスマッチを観戦しながらデスマッチについて語るインタビューの収録が行われた。

 大仁田は、19歳の頃にFMWの試合を見て衝撃を受け大仁田とデスマッチに心酔したという、タレントで司会のダミアン・アブラハムから幾つか質問を受けた。その中で、デスマッチのルーツについて聞かれると、テネシーとプエルトリコで刺激を受けたハードコアの原点と、そこからFMWで繰り広げたハードコアの、数々のアイデアが沸いていったプロセスについて熱く語った。

 大仁田は「有刺鉄線電流爆破マッチ」とハードコアのルーツについて、ニッカンスポーツコムの取材に、次のように語った。

 大仁田 FMWを旗揚げした当初は、格闘技路線をやっていた。でも、俺は格闘家ではないし、道場も持っていないので限界を感じた。設立して8、9カ月くらいで、もう1つの考え方が浮かんだ…それがデスマッチ。俺は米テネシーで有刺鉄線マッチを見ていたから、こういうものを使えばいいんだと。アントニオ猪木さんと上田馬之助さんは、1978年(昭53)2月28日に日本武道館で、リング下にくぎ板を置いて日本初のネイル(くぎ)デスマッチをやった。でも有刺鉄線を利用して、もっと新しい、進化したものが出来ないかって考えた時、電流を流して爆弾をつけられないかと思った。最初に実験をしたのは東京・渋谷のNHKの駐車場。NHKの中に入っている、特殊効果の会社の人に「出来ますか?」って聞いたら「出来ます」って言う。それで実験した、その場で「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」と名前を付けたんです。

 VICEは、ウェブサイトやYoutubeを含む多メディア展開を行っており、世界中に約2億8800万人の視聴者を持っているという。大仁田のインタビューが収録された「The wrestlers」の公開が、全世界で展開される可能性もある。

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大仁田厚「盟友。感謝」ミスター・ポーゴさん追悼

WWSプロレス・ミスターポーゴ追悼興行で、ミスターポーゴさんの遺影を手に涙する大仁田厚


 10月31日にプロレスラーを引退し、レフェリーとしてデビューすると発表した大仁田厚(60)が12日、群馬県伊勢崎市で開催された、宿敵の故ミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫、享年66)を追悼するWWSの興行を訪れ、涙で感謝の言葉を口にした。

 大仁田はメインイベント前に、還暦の誕生日にも着た赤い革ジャンを着て来場すると、ポーゴさんの遺影を手に10カウントゴングを聞き、終わると涙ぐんだ。そしてリングを降りると、ステージ上に設けられた祭壇の前で目をつぶり、しばらくの間、手を合わせた。

 あいさつを終えた大仁田は「俺のプロレス人生の中で、この人がいなかったら今の俺はなかった。まさに盟友だった。本当に感謝しています」とポーゴさんに感謝した。そして「昨夜から、FMWの時のポーゴさんとの戦いや、最近のWWSに参戦した時のポーゴさんとの会話なんかが、何度も浮かんできてさ…。俺も還暦を迎えて引退したことの報告と、これまでのお礼と、そしてさよならを伝えました」と、祭壇に引退と別れを告げに来たと明かした。

 すかさず記者から「復帰はいつですか?」と問いかけられると、大仁田は「それはありません」と苦笑いを浮かべて会場を後にした。大仁田は12月3日に東京・新木場1st RINGで「大仁田反省会」を開催すると発表。その中で、大仁田厚プロデュース試合を開催し、レフェリーデビューを果たすことが決まっている。

 ポーゴさんは、6月22日に群馬県内の病院で腰の手術を受けた際、脳梗塞を発症し、別の病院に搬送されたが翌23日に亡くなった。伊勢崎市はポーゴさんの地元で、WWSは00年5月に自ら立ち上げた団体だった。この日の興行には、ゆかりのある選手が多数、出場し超満員の観衆が集まった。

WWSプロレス・ミスターポーゴ追悼興行で、祭壇に手を合わせる大仁田厚

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王者芦野祥太郎と児玉、立花組が初防衛成功 W-1

稲葉(手前)にアンクルロックを決め、ギブアップさせる芦野(撮影・狩俣裕三)

<W-1:埼玉・えすぽわーる伊佐沼大会>◇12日◇えすぽわーる伊佐沼◇観衆 172人


 UWA世界6人タッグ選手権は、W-1チャンピオンシップ王者芦野祥太郎(27)と児玉裕輔、立花誠吾組が、W-1チャンピオンシップ王座挑戦が決まった伊藤貴則(24)と黒潮“イケメン”二郎、稲葉大樹組の挑戦を退け、初防衛に成功した。

 団体NO・1の人気を誇る黒潮の入場と、観客の大声援に後押しされた伊藤組が、序盤は王者組に攻勢を仕掛けた。W-1が運営するプロレス総合学院2期生の伊藤は、若さとパワーで芦野と激しいエルボー合戦を展開。強烈な右ハイキックをお見舞いするが、続けざまのケリをすかされ、アンクルロックにつかまる。その後も、めまぐるしい攻防が続き、最後は芦野が稲葉をアンクルロックに捉え、ギブアップを奪い貫禄勝ち。芦野は「稲葉、熊ゴローと挑戦したいやつらに挑戦させてやったが、伊藤でそれも終わり」と防衛に自信のコメント。一方、伊藤は「確かにあのチャンピオンは強いけど、今、自分はめちゃめちゃ強いんで、次に当たるときは絶対勝ちたい」と、12月10日、後楽園大会での王座奪取に意欲を見せていた。

稲葉(上)にバックドロップを食らわす芦野(撮影・狩俣裕三)

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前哨戦は土方組が勝利し王座挑戦に弾み W-1

カズ・ハヤシ(右)にかかと落としを食らわす吉岡(撮影・狩俣裕三)

<W-1:埼玉・えすぽわーる伊佐沼大会>◇12日◇えすぽわーる伊佐沼◇観衆172人


 W-1クルーザーディビジョン・チャンピオンシップの前哨戦となった王者吉岡世起(29)組と、挑戦者土方隆司(39)組のタッグ戦は、土方組が勝利した。5日の後楽園大会で王座防衛を果たした吉岡に、挑戦状をたたきつけた土方は、カズ・ハヤシと組んで、吉岡組に挑戦。ともに先発で出てくると、激しいキック合戦を展開した。土方がハイキックを吉岡の側頭部に決めると、吉岡はスイング式DDTで応戦。両者譲らぬ大激戦となったが、最後は土方が吉岡の相棒、頓所隼に、ランニング・ジャンピングハイキックから変形フィッシャーマンズバスターを決め、12分7秒に勝利。12月10日、後楽園大会での王座挑戦に弾みをつけた。

 現在は、狭山市議会議員とレスラーの二足のわらじで活躍中の土方は「昭和の最後の方で生きたオレらが一生懸命プロレスをやってきた。吉岡はいいチャンピオン、いい選手だと思いますが、それだけで勝てないのがプロレスなんで」と、ベルト奪取に自信を見せた。一方、岡山大薬学部出身で薬剤師の資格を持つ吉岡は「土方さんは議員をやって、そんなにプロレスやってないでしょ? そんな人にこのベルトは渡せない。後楽園でやってやりますよ」と王者の意地を見せた。

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橋本大地父譲りハイキック魅せた、全日本タッグ弾み

9日の全日本後楽園大会で最強タッグリーグ大日本代表決定戦に出場する橋本(左)神谷組は、大日本新木場大会の前哨戦で勝利

<大日本:新木場大会>◇8日◇新木場1st Ring


 橋本大地(25)神谷英慶(25)組がタッグ戦に勝利し、9日に行われる全日本プロレスでの最強タッグリーグ大日本代表決定戦に弾みをつけた。

 橋本組は第4試合で宇藤純久、菊田一美組と対戦。序盤から相手につかまり集中攻撃を受けた橋本だったが、神谷の援護もあって徐々に盛り返す。最後も厳しい攻撃を受けたが、父の故橋本真也さん譲りのハイキックからファルコンアローを決め勝利を収めた。

 橋本は9日の全日本後楽園大会で対戦する関本大介、野村卓矢組に対し「ここまで来たら、エントリーをかけた戦いを勝ち取って、全日本の最強タッグに出場して優勝したい」と話した。

 橋本はゼロワンから11年3月にプロレスデビューしたが、結果を残せずIGFに移籍。さらに16年1月に大日本に移籍した。橋本は神谷と組んで10月の最侠タッグリーグに優勝。「ここまで最侠タッグぐらいしか結果を残せていないので、全日本の最強タッグリーグで結果を残したい。大日本の代表として優勝を狙いにいく」と重ねて強い決意を示した。

 一方、関本は第5試合のタッグ戦で敗れたが「今日は負けても明日は勝つ。雨の日もあれば、晴れの日もある」と気持ちを切り替えていた。

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アスカ5対5戦ロウ軍代表に 試合は「秒殺」勝利

コーツ(左)にアスカロックを仕掛けるアスカ(C)2017 WWE,Inc.AllRightsReserved.

<米プロレスWWE:ロウ大会>◇6日(日本時間7日)◇英イングランド・マンチェスターアリーナ


 「一軍」昇格した前NXT女子王者・アスカ(36=華名)は、ロウ軍女子代表として大舞台に出場することが決まった。11月19日(日本時間20日)のPPV大会「サバイバー・シリーズ」ブランド対抗戦でスマックダウン女子軍との5対5のエリミネーション戦を控えているロウ軍の女子キャプテン、アリシア・フォックス(31)からメンバー入りの指名を受けた。

 ロウ昇格後、初めての英国遠征に臨むアスカは第2試合で、地元選手のステイシー・コーツとシングルで激突。容赦のない蹴りや踏みつけを連発し、腹部にパンチを浴びると「もっとこいやー!」と日本語で絶叫して挑発した。胸板や顔面に強烈なミドルキックをぶちこみ、フルネルソンの状態でコーツを尻からマットに落とすと、そのままアスカロック(羽折式胴絞め裸絞め)でギブアップに追い込んだ。

 開始ゴングから終了までわずか80秒ほどの「秒殺」勝利ながらも、マンチェスターのファンから大きな歓声を浴びていた。

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元プロレスラーの大剛鉄之助氏死去 大相撲から転向


 元プロレスラーの大剛鉄之助さんが4日に死去していたことが6日、分かった。75歳だった。

 宮城・仙台市出身で、大相撲を経て、66年10月に蔵前国技館でプロレスデビュー。プロレスラーに転向。交通事故による負傷で現役引退後はカナダ・カルガリーを拠点とし、新日本プロレスの北米支部長や海外修行中のヤングライオンのトレーナーや世話役など務めた。若手時代から交流の深かった新日本プロレスの天山広吉(46)、天山の盟友・小島聡(47)は自身のツイッターを更新し、大剛さんの他界を報告した。

 天山は03年のカナダ・カルガリー遠征時、大剛さんが伝授されたのが必殺技の1つとなるアナコンダバイス。この必殺技で同年にG1クライマックスを初制覇していた。ツイッターを通じ、天山は「今から24年前の93年の6月に、海外武者修行で欧州に行きました。そして、大剛さんに出会い、言葉で言い尽くせないほどたくさんのことを学びました。まだ信じることができませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌」とつづった。

 また小島もツイッターで「私にとってもテンザン同様、海外遠征時で大変お世話になった方です。厳しくも優しい、もう1人の父親のような存在でした。思い出が尽きませんが…ご冥福をお祈りいたします」と故人を悼んだ。

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豊田真奈美、伝説51戦引退試合/全対戦相手と結果

豊田真奈美(右)と対戦した藤本つかさ

<豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~>◇3日◇横浜大さん橋ホール


 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)が、引退試合で前代未聞の51試合を敢行した。

 デビュー30周年記念興行で第1試合からリングに立ち続け、約4時間で49組54人を相手。最後は愛弟子藤本つかさと3試合を行い、現役生活に別れを告げた。華麗な空中戦から「飛翔天女」と呼ばれ、90年代の全日本女子を中心にプロレス界を引っ張った。

<全対戦相手と結果>

(1)正危軍(尾崎魔弓ら)×

(2)テキーラ沙弥○

(3)らぶりーぶっちゃーず×

(4)里村明衣子△

(5)さくらえみ○

(6)山下りな△

(7)倉垣翼△

(8)AKINO△

(9)世羅りさ△

(10)ドレイク森松△

(11)チェリー△

(12)希月あおい△

(13)宮崎有紀△

(14)ボリショイキッド×

(15)豊田真奈美&豊田真奈美△

(16)米山香織○

(17)加藤園子△

(18)Leon△

(19)山県優△

(20)朱崇花△

(21)小林香萌○

(22)志田光△

(23)松本浩代△

(24)浜田文子△

(25)永島千佳世×

(26)日高郁人△

(27)パピヨン朱美△

(28)がばいじいちゃん×

(29)松山勘十郎△

(30)キッド○

(31)アントニオ小猪木△

(32)男盛○

(33)木高イサミ○

(34)伊東竜二×

(35)カルロス天野△

(36)下田美馬△

(37)山崎五紀△

(38)ブル中野○

(39)長与千種○

(40)ジャガー横田△

(41)吉田万里子△

(42)高橋奈七永×

(43)KAORU△

(44)伊藤薫×

(45)渡辺智子△

(46)井上貴子△

(47)堀田祐美子×

(48)井上京子△

(49)藤本つかさ○

(50)藤本つかさ○

(51)藤本つかさ×

※○=勝ち、△=引き分け、×=負け

正危軍と対戦する豊田真奈美(中央)
長与千種(右)と対戦した豊田真奈美
ジャガー横田(左)と対戦する豊田真奈美
井上京子(右)と対戦する豊田真奈美

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豊田真奈美の引退試合に54人レスラー集まったワケ

引退試合後、ピンクの紙テープで覆われたリング上で左手を突き上げる豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)

<豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~>◇3日◇横浜大さん橋ホール


 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)が、引退試合で前代未聞の51試合を敢行した。デビュー30周年記念興行で第1試合からリングに立ち続け、約4時間で49組54人を相手。最後は愛弟子藤本つかさと3試合を行い、現役生活に別れを告げた。華麗な空中戦から「飛翔天女」と呼ばれ、90年代の全日本女子を中心にプロレス界を引っ張った。

 30年間のプロレス人生を燃やし尽くすように、豊田は力を振り絞った。自分を母親のように慕う藤本に、49試合目に勝利すると「まだまだ」と続行を要求。50試合目に勝ってもやめない。最後の51試合目。藤本のコーナートップからのドロップキックを4度も浴び、自分の得意技ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスで、リングに大の字にのびた。

 観衆の「豊田」コールに立ち上がると、涙声であいさつした。「本当にどこも痛くない自分の体に戻りたい。本当に申し訳なく悔しい気持ちでいっぱい。30年間プロレスやってきて本当に本当に幸せでした」。首と肩の故障が治らず、3月17日に引退発表。そのときから引退興行での50試合は決めていた。

 午後3時5分の第1試合からわずかな休憩を除き約4時間リングに立ち続けた。全日本女子プロレスで戦った仲間や後輩、男子レスラーも駆け付けた。48試合目までは制限時間1分。大日本の伊東竜二から有刺鉄線ボードにたたきつけられ、堀田祐美子の強烈なキックにKOされたが、最後までプロレスを楽しんでいるようだった。

 87年に全日本女子でデビューし、一気にトップレスラーに上り詰めた。02年7月の退団後はフリーで活躍。高難度の跳び技を駆使し「飛翔天女」と呼ばれ、その美しいプロレスでファンを喜ばせてきた。アジャ・コングや北斗晶らと激闘を繰り広げた全日本女子90年代の隆盛と、その後の女子プロの衰退。栄枯盛衰を駆け抜け、トップで輝き続けたからこそ、この日は54人ものレスラーが豊田のもとに集まった。最後に後輩の藤本に思いを託し、豊田は「きちんと痛みのない生活をしてから、第2の青春を楽しみたいです」とリングを後にした。【桝田朗】

 ◆豊田真奈美(とよた・まなみ)1971年(昭46)3月2日生まれ。島根県益田市出身。87年に全日本女子からデビュー。90年ジャパンGPに優勝し、95年にはアジャ・コングからWWWA世界シングル王座を奪取するなど、同王座を4度戴冠。02年7月に全日本女子を退団しGAEA JAPANやOZアカデミーなどで活躍した。06年20周年、12年25周年は全5試合に出場。得意技はジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス(日本海式竜巻原爆固め)。167センチ、80キロ。

神取忍(右)から花束を受け取る豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)
藤本つかさ(中央)、アジャ・コング(中央右)に蹴りを入れる豊田真奈美(左手前)

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飛翔天女・豊田真奈美 ブル、長与らと51戦し去る

引退試合後、リング上で両手を広げる豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)


 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)の引退試合が3日、横浜大さん橋ホールで30周年記念興行と銘打って行われた。3月に首と肩の故障のため引退を表明した豊田は、前代未聞の51試合を行い、30年の現役生活に別れを告げた。

 午後3時5分開始の第1試合から、午後7時過ぎまで約4時間。短い休憩をはさんで豊田はリングに立ち続けた。48試合目までは、試合時間は1分。時間切れ引き分けが多いなかで、序盤の後輩たちとの戦いでは、時に熱く、時に涙で、魂の戦いを続けた。38試合目のブル中野との対戦では、中野のヌンチャク攻撃を耐え、丸め込んで勝利。続く長与千種との試合では、長与が豊田の攻撃にあっさり大の字となり、勝利したが2人の気持ちが通じ合う雰囲気に会場は大歓声に包まれた。

 最後の藤本つかさとの戦いは、豊田のプロレス伝承マッチ。自分を親と慕う藤本を49試合目であっさり片付けると試合続行を要求。50試合目も勝つと、51試合目には、ついに自分の得意技ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスを決められ、リングに大の字にのびた。豊田は「痛くない自分の体に本当に戻りたいです。申し訳なく、悔しい気持ちでいっぱいです。30年間、プロレスやってきて本当に、本当に幸せでした。痛みのない生活をして、これから第2の青春を楽しもうと思います」とファンに別れを告げた。

長与千種(右)と対戦した豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)
藤本つかさ戦でトップロープからダイブする豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)

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大仁田厚「裁く立場じゃないが」レフェリーデビュー

12月3日の「大仁田反省会」で、衝撃のレフェリーデビューを発表した大仁田厚(撮影・村上幸将)


 大仁田厚(60)が、7回目の、そして最後の引退試合から一夜明けた1日、都内の闘道館で会見を開き、レフェリーとしてデビューすると仰天発表した。

 大仁田は12月3日に東京・新木場1st RINGで「大仁田反省会」を開催すると発表。その中で、大仁田厚プロデュース試合を開催し、レフェリーデビューを果たすと断言した。「人間、日々、反省だなと。裁く立場じゃなく、裁かれる立場だったけれど…レフェリーをやってみようかと。やったこと、ないんですよ」と笑みを浮かべた。

 大仁田は目指すレフェリー像について「悪役レフェリーとしてデビューする」と断言。リング上でレスラーの反則行為などがあった場合は、鉄拳制裁ならぬ“有刺鉄線バット制裁”をする考えを明かし「反則は許さない。有刺鉄線バットを持ったレフェリーが1人くらい、いたっていいじゃないですか」と笑い飛ばした。

 大仁田は、全日本プロレスで付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告され、1985年(昭60)1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。その後、1988年(昭63)に女子プロレスのジャパン女子にコーチとして入団。そのリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、12月3日に現役復帰し、対戦したが敗れた“前科”がある。そのことについて聞かれると「前科はあるが…もうファイトはない。ファイトは、早すぎるだろ。ないよ」と言い、現役復帰はない考えを重ねて強調。そして「昨日の後楽園ホールを出て、深夜0時に人間が変わったんですよ。反省し、今日から吹っ切って、また新しい人生を歩んでいこうと思います」と語った。

 また「アンドレ・ザ・ジャイアント」みたいのを連れてきて「新日本、戦えと言うかも知れないじゃないですか? 人生は分からないから面白い」と、フィクサーとしてプロレスに関わっていく可能性も示唆した。その上で「昨日の後楽園ホールを出て、深夜0時に人間が変わったんですよ。反省し、今日から吹っ切って、また新しい人生を歩んでいこうと思います。大仁田は正直です」と言い切った。

 大仁田は「反省会」のタイトルを、日本テレビ系「有吉反省会」(土曜午後11時半)から「パクりました!!」と素直に認めた上で、10月31日の「大仁田厚ファイナル後楽園ホール大会」に太田プロの関係者が来ていたと明かし「社長も昨日、来ていましたから。太田プロ、黙認です!!」とアピールした。

 「大仁田反省会」当日は、10月31日に東京・後楽園ホールで開催した「大仁田厚ファイナル後楽園ホール大会」を、自らの解説とともに映像で振り返るという。さらにファン参加型トークライブなどを予定しているという。【村上幸将】

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WWE中邑真輔 毒蛇・オートンのアシスト受け快勝

オーエンズ(右)を回し蹴りで追い込む中邑 (C)2017 WWE, Inc. All Rights Reserved.

<米プロレスWWE:スマックダウン大会>◇10月31日(日本時間11月1日)◇米バージニア州ノーフォーク・ノーフォークスコープアリーナ


 「ロックスター」中邑真輔(37)が、ロウ軍とのブランド対抗戦に臨むスマックダウン軍のメンバー入りを決めた。11月19日(日本時間20日)のPPV大会「サバイバー・シリーズ」で予定されるロウ軍-スマックダウン軍による対抗戦への出場権を懸け、元US王者ケビン・オーエンズ(33)と対戦。「毒蛇」ランディ・オートン(37)の好アシストを受け、勝利を飾った。

 互角の攻防を展開した途中、オーエンズ側に盟友のサミ・ゼイン(33)がセコンド入り。オーエンズの必殺ポップアップパワーボムを反転しながら回避した中邑は逆にキンシャサ(ボマイェ)を狙ったが、ゼインの介入でオーエンズにリング外へと逃げられた。好機を逃すとピンチを迎え、破壊力あるフロッグスプラッシュを浴びたが、何とか返した。

 ゼインの邪魔に苦しめられていたが、突然、オートンが登場。中邑をサポートするようにゼインを背後から捕獲してテーブル葬に追い込んだ。「毒蛇」のアシストを受けた中邑はオーエンズにキンシャサをキッチリと決め、3カウントを奪った。

 「サバイバー・シリーズ」のブランド対抗戦は5対5のエリミネーション戦。スマックダウン軍はシェイン・マクマホン、オートン、ボビー・ルード、中邑の4人が決定。残り1枠は来週のAJスタイルズ-ルセフの勝者がメンバー入りする。またロウ軍はカート・アングルGM、ブラウン・ストローマンのメンバー入りが決定。残りの選手は後日のロウ大会で決まる見通しだ。

大仁田厚ファイナル/これまでの引退と復帰

大仁田厚の引退と復帰

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が、7回目の引退で43年のプロレス人生に幕を下ろした。

 1974年(昭49)4月14日に全日本プロレスでデビューし、最初の引退式もした地で恩師・ジャイアント馬場さんのライバル・アントニオ猪木最後の弟子の藤田和之らと6人タッグで対戦し勝利。「最後の一言を言うとしたら…俺は死ぬまでプロレスラー」と言いつつも「もう、戻り道はない」と完全引退を明言した。

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大仁田厚が涙「もう、戻り道はない」完全引退を明言

10カウントゴングを終えた大仁田はマイクを投げつける(撮影・山崎安昭)

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が、7回目の引退で43年のプロレス人生に幕を下ろした。1974年(昭49)4月14日に全日本プロレスでデビューし、最初の引退式もした地で恩師・ジャイアント馬場さんのライバル・アントニオ猪木最後の弟子の藤田和之らと6人タッグで対戦し勝利。「最後の一言を言うとしたら…俺は死ぬまでプロレスラー」と言いつつも「もう、戻り道はない」と完全引退を明言した。

 7度目の引退…詐欺師とまで言われた大仁田が、最後と決めた引退試合で“涙のカリスマ”に戻った。藤田のパワーを真っ向から受け、つぶされ、自らの土俵・デスマッチで逆に有刺鉄線バット攻撃を浴びて血まみれになった。それでも、何度も戦ったNOSAWA論外を16分48秒、サンダー・ファイヤー・パワーボム6連発からのエビ固めで仕留めた。「こんなウソつきで弱い男に応援ありがとう。大仁田に1つだけ、いいところがある…夢を諦めないこと。夢を諦めるな!!」。口から吐く“聖水”を求めるファンに浴びせ続けた。

 リングを下りると、母を思い涙する1人の息子になった。母松原巾江さん(82)が、異父弟の松原孝明・大東文化大法学部教授に促されてこの日、初めて試合に駆け付けた。大仁田は引退セレモニーで「弟よりバカ息子だからさぁ…母さん、心配かけてすみません」と涙で謝罪した。そして試合後には「母さんが、俺がプロレスを辞めるまで大好きな日本茶を飲まないでさゆで過ごしてくれた」と明かした。そして「今日は家に帰ったら、お茶入れてやろうかな」と引退へ心の針を向けた。

 プロレスへの未練はある。泣きながら「最後の一言を言うとしたら…俺は、死ぬまでプロレスラー。こんなこと言うと、また誤解されるかな」と本音を漏らし、思わず吹き出した。プロレスへの情熱と裏腹に満身創痍(そうい)だ。ここ2年で、16年8月に右尺骨、11月に左かかと、12月に腰椎、今年2月には右尺骨骨幹部と7カ月で4カ所も骨折。変形し靱帯(じんたい)もボロボロのひざは、歩くだけで抜けそうになる。それでも「プロレスで胸いっぱいになれて43年間、プロレスが出来たことが本当に幸せ」と言える。

 その思いに踏ん切りを付けるように言った。「多分…もう、戻り道はないと思います。1枚のチケットが、こんなにうれしく、重く、すてきに感じたことは43年間の歴史の中で初めて」。辞める決意をしたからこそ感じることが出来た思いをかみしめ、大仁田はプロレス人生に終止符を打った。【村上幸将】


毒霧を吹き付ける大仁田(中央)(撮影・山崎安昭)
大仁田(右)はNOSAWA論外にギター攻撃を受ける(撮影・山崎安昭)

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大仁田厚、引退試合勝利 泣きながら論外ありがとよ

引退試合に勝利した大仁田はリングに上げたファンの男の子と「ファイアー」(撮影・山崎安昭)

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が、7回目の引退を表明して臨んだ引退試合「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!! ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」で16分48秒、サンダー・ファイヤー・パワーボムからのエビ固めでNOSAWA論外を下し、引退試合を勝利で飾った。

 大仁田は鷹木信悟(ドラゴンゲート)、KAI(フリー)とタッグを組み、藤田和之(46)、藤田の代理人ケンドー・カシン(49)、NOSAWA論外のはぐれIGF軍と対戦。大仁田はリングインするカシンに水をぶっかけた。

 さらに、有刺鉄線バットを突き上げた藤田を“邪道革ジャン”で殴りつけると、そのまま場外戦へ…。大仁田は藤田にエルボーの打ち合いを仕掛けたが、逆にパワーで勝る藤田のエルボーを浴び、場外を“市中引き回し”同然に引きずられた。その後、大仁田はリングに戻り、論外、藤田にパイプ椅子で殴りかかった。藤田に反撃され、リング外に落ちた。

 再びリングに戻ると、リング上に置かれた長机に、論外をパイルドライバーでたたきつけたが、その後は藤田のパワー攻撃に押され、コーナーポストに押しつけられ、顔面を踏まれ、顔面は血だらけ。

 その後は、藤田に有刺鉄線を巻いた机にたたきつけられ、論外に有刺鉄線バットで殴られた。さらに、カシンを含めた3人に、リング上で蹴りまくられる“公開リンチ”の屈辱を受けた。さらに、論外にギターで脳天を殴られた。

 9分を過ぎたところで鷹木とKAIがリングに戻り、3人を蹴散らすと、大仁田も復活。有刺鉄線バットを振るおうとした藤田に、真っ赤な毒霧を浴びせた。そして、鷹木とKAIが場外でカシンと藤田を押さえたところで、論外と一騎打ちとなった。

 大仁田は、論外がサンダー・ファイヤー・パワーボム4連発を返すと、パイプ椅子でめった打ち。15分が経過したところで、大仁田は机の破片で論外の脳天を殴り、5たび、論外にがサンダー・ファイヤー・パワーボムを仕掛けたが、それでも論外は返した。ただ、6回目は返せず、大仁田がフォール勝ちした。

 大仁田は、泣きながら「論外! 論外! 論外! ありがとよ」と叫んだ。そして、リング側に殺到したファンに向け、口から“聖水”を吐き、水をまき、感謝の思いを伝えた。

 そして「こんなウソつきで弱い男に、応援ありがとうございます。そんな大仁田に1つだけ、いいところがある…それは夢を諦めないこと。夢を諦めるな!!」と絶叫。

 さらに、リング上に上がった男の子に「空気を読めよ!! 将来、何になりたい?」と詰め寄り「プロレス」と答えると「プロレスラーになれよ! 1・2・3…ファイヤー」と絶叫した。【村上幸将】

大仁田(上)はNOSAWA論外から3カウントを奪って勝利する(撮影・山崎安昭)
大仁田(左)は藤田を蹴りつける(撮影・山崎安昭)
大仁田(左)は藤田の頭にパイプイスをたたきつける(撮影・山崎安昭)

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大仁田厚「最後一言言うなら死ぬまでプロレスラー」

引退試合後、囲み取材中に笑みを浮かべた大仁田厚(撮影・村上幸将)

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が引退試合後、取材陣の囲み取材に応じた。主な内容は、以下の通り。

 あいつらと分かれるのが寂しい…また、どこかで生きていたら、また、どこかで生きていたら、会えるかなって…。

 七転び八起きとか、いろいろ言われるけど…。最後の一言を言うなら、最後の一言を言うなら…俺はプロレスが、俺はプロレスが、大好きなんです。すみません。

 母さんが、俺がプロレスを辞めるまで、大好きな日本茶を飲まないで…ずっと、ずっとリングを降りるまで飲まないで、ずっと白湯で過ごしてくれた。今日は、俺が家に帰ったら、お茶を入れてやろうかなって。俺みたいなバカ息子を…。

 ここにきて、皆さまに多くのものをいただきました。そして、いろいろなことを感じさせてくれた。月並みな言葉かもしれない…プロレスに胸いっぱいになれたことを、俺は幸せだと思います。多分…もう、戻り道はないと思います。

 ただ1つだけ…ただ1つだけ、40何年間の中に、まだ(師匠のジャイアント)馬場さんがそこにいて、俺が付き人で上がっていく姿(が今日も見えた)。俺は、プロレスで胸いっぱいになれて40何年間、プロレスが出来たことが本当に幸せ。

 最後の一言を言うとしたら…俺は、死ぬまでプロレスラーです。また誤解されるかな、こういうことを言うと。3日後(の復帰)は絶対、ありませんので。全額、返さなきゃいけなくなるので。

 完全にチケットがなくなったのは、皆さんの(おかげ)。1枚、1枚のチケットが、こんなにうれしく、重く、素敵に感じたことは43年間の歴史の中で初めてですね。みなさん、本当にありがとうございます。

 -初めて母(松原巾江さん)を会場に呼んだ

 俺が呼んだんじゃなくて、弟が「かあちゃん、1回くらい見ておけ。明日からお茶、飲めるぞって」。

 大仁田は、超花火プロレスの工藤めぐみエクスプロージョンプリンセス(48)から、11月3日に神奈川・川崎球場跡地に近い「カルッツかわさき」に電流爆破マッチの舞台を用意したと直訴された件に対し、同大会に出場した場合は、引退興行のチケットを購入したファンに、全額返金する考えを重ねて強調した。そして、静かに控室へと消えていった。【村上幸将】

引退試合後、涙を浮かべながら囲み取材に応じた大仁田厚(撮影・村上幸将)

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大仁田、母親に涙で謝罪「心配かけて、すみません」

引退セレモニーで母・松原巾江さんが登壇し、涙する大仁田厚(撮影・村上幸将)

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が、引退セレモニーで母の松原巾江さんが登壇すると男泣きした。

 還暦になった25日にも着た赤いちゃんちゃんこならぬ真っ赤な革ジャンでリングに上った。衆院選で応援し、当選した原口一博代議士、プロレスメディア各社の関係者らとリング上で抱擁した。

 そして異父弟の松原孝明・大東文化大教授の後、母が泣きながらリングに上がると、包み込むように抱き締めた。そして「この人が来ると、俺、泣いちゃうんだよ」と言い、涙しながら母に謝罪した。

 大仁田 俺、弟よりバカ息子だからさぁ…心配ばっかりかけて。母さん、母さん、母さん…心配かけて、すみません。

 母に繰り返し謝罪し、「試合の時、暗くなるのでテンカウントゴング、今やって下さい」と要求。肩を振るわせながらテンカウントゴングを聞いた後、ファンに「おい、おい、おい、おい! 最後まで、最後まで、最後まで…ありがとよ!!」とメッセージを送った。【村上幸将】

引退セレモニーで大仁田(左)は母親と弟と一緒に記念撮影(撮影・山崎安昭)
引退セレモニーで10カウントゴングを終えた大仁田はマイクパフォーマンスでファンを盛り上げる(撮影・山崎安昭)

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大仁田厚ついに引退試合…7回の引退と復帰の歴史

「大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式」のポスター

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 大仁田厚(60)が7年ぶり7度目の引退を表明し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の地・東京・後楽園ホールでの引退大会と引退式に臨む。

 大仁田はニッカンスポーツコムの取材に対し「プロのレスラーとしてリングに上がることは絶対にない。神に誓って、やらない」と、今回が最後の引退だと宣言している。大仁田が、これまで引退、復帰を繰り返してきた歴史は以下の通り。

 ◆1度目の引退 1983年(昭58)4月のヘクター・ゲレロ戦で左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷。復帰も、1984年12月2日にマイティ井上に敗れ、付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告されて、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。

 ◆1度目の復帰 1988年(昭63)に、コーチとして入団したジャパン女子のリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、12月3日に現役復帰し、対戦したが敗れる。89年に空手道場「誠心会館」を率いる青柳館長と東京・後楽園ホールで開催された「格闘技の祭典」異種格闘技戦で対戦し、同10月6日にFMWを旗揚げ。

 ◆2度目の引退 1995年(平7)5月5日に、川崎球場で愛弟子の故ハヤブサさん(享年47)と引退試合を行い、18分11秒、サンダーファイヤー・パワーボム3連発で仕留めて引退。

 ◆2度目の復帰 1996年(平8)12月11日に、宿敵だった故ミスター・ポーゴさん(享年66)から引退試合でのタッグ結成を請われ、一夜限りに復帰し、テリー・ファンク組との8人タッグに出場。田中将斗がヘッドハンターAをフォールし勝利すると、その後も戦いを継続。97年にはFMWの会長を辞し新団体ZEN、チームUSOを結成し同11月に新日本プロレスに殴り込んだ。さらに01年7月の参院選に、自民党の公認を受けて比例区で出馬し当選。

 ◆3度目の引退 2003年(平15)1月7日に会見を開き3度目の引退を表明。5月~7月上旬の間でアフガニスタンでの10万人興行の開催を調整しているとしたが、実現しないままに終わった。そして2005年(平17)3月26日に明大政経学部2部の卒業式に詰め襟の学生服で出席後、夜に後楽園ホールで“卒業試合”と題した引退興行を行い、雷神矢口と組んで越中詩郎、天竜源一郎組と対戦。最後は天龍の片エビ固めで敗れ引退。

 ◆3度目の復帰と4度目の引退 2006年(平18)4月1日に東京・靖国神社で行われた、ゼロワンMAX奉納大会に「国を守った人に礼を尽くすのは当然のこと」と参戦を直訴し、1日限りの復帰。田中将斗、ランジェリー武藤と組みケルベロス、ヤセ矢口、イチローキング矢口組と対戦し、ケルベロスを9分5秒エビ固めで下した。

 ◆4度目の復帰 2007年(平19)年1月12日に参院議員宿舎で会見し、現役復帰を表明。同2月11日に東京・新宿で行われた二瓶組復活興行に参戦。同6月に参院選出馬辞退と政界引退を表明後、同7月には北海道夕張市でチャリティープロレスを開催。翌08年2月5日にも都内で会見を開き、00年に有刺鉄線電流爆破マッチに引きずり込み、敗れた長州力とタッグを組んで復帰する考えを明かし、同5月18日に新日本・長州力(56)プロデュース「LOCK UP」新木場大会で越中詩郎と組み折原昌夫と金村キンタロー組と対戦。現役最高時127キロの体重を77キロに絞り、凶器を使った流血戦を展開も、最後は毒霧により反則負け。

 ◆5度目の引退 2009年(平21)12月1日に長崎県知事選への出馬を表明し、同28日に都内で5度目の引退会見を開き、選挙戦に集中するためリングを離れると明言。

 ◆5度目の復帰は6度目の引退試合

 2010年(平22)2月21日投開票の知事選では3位の9万8200票で落選。その後、同5月5日に引退会見を行った新木場1st RINGの新FMWの大会で引退試合を行い、ターザン後藤と組んで元祖ザ・グレートパンク、初代ザ・シューター組に勝利。

 ◆6度目の復帰 聴覚障害者プロレス団体・闘聾門JAPANの10年11月13日東京・江戸川区小松川さくらホール大会で復帰。マグナムTAKASAGOと、戸井克成とと組んで矢口壹琅、ファントム船越、JOM太郎と対戦し勝利。

 ◆7度目の引退 2017年(平29)10月31日に東京・後楽園ホールでの大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会で引退。

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大仁田弟子モンゴル、夫東京03豊本の前で開会宣言

<大仁田厚ファイナル・後楽園ホール大会・引退式>◇31日◇東京・後楽園ホール


 プロレスラー大仁田厚(60)の現役最後の試合と引退式のオープニングに、愛弟子のミス・モンゴル(上林愛貴、41)が登場し、開会宣言を行った。

 ミス・モンゴルは9月25日に、お笑いトリオ・東京03の豊本明長(42)と初夏に結婚し、妊娠したと発表していた。この日は夫の豊本が、スカパー!のプロレス、格闘技専門チャンネル「サムライTV」の生中継にゲスト解説として出演。ミス・モンゴルは夫の前で次のように開会を宣言した。

 ミス・モンゴル 本来なら私も、試合で大仁田さんをお見送りしたかったところですが、ただ今、妊娠中につきまして、開会宣言のごあいさつという形で関わらせていただき、光栄です。大仁田さんの元に来て20数年たちまして…ここ数年、組ませていただいたり、戦わせていただいたり、シングルもさせていただき、たくさんのチャンスもいただいた。いなくなるのは、寂しいこと。常に見守ってくれるであろうと思い、残された選手は邪道魂を引き継いでいきたい。産休が明けたら、邪道魂を背負って戦いたい。

 一方、豊本はゲスト解説として「7回目の引退…甲子園みたいな感じ。FMW旗揚げから、ずっと見てきたので引退という看板を掲げられると寂しい」と語った。

 大仁田は試合前、後楽園ホール入り口の公式グッズ売店に、還暦を迎えた25日にも着た赤い革ジャンを着て登場し、ファンと2ショット撮影会を行った。撮影会には多くのファンが殺到し、ホール南側から東側まで長蛇の列が出来た。

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WWEアスカ、カレンに快勝「ナメんじゃねぇぞ!」

ステイシー・カレン(左下)を蹴りつけるアスカ (C) 2017 WWE, Inc. All Rights Reserved

<米プロレスWWE:ロウ大会>◇30日(日本時間31日)◇米メリーランド州ボルティモア・ロイヤルファームアリーナ


 「一軍」昇格した前NXT女子王者・アスカ(36=華名)の勢いが止まらない。第4試合に登場し、ステイシー・カレンと激突。アスカロック(羽折式胴絞め裸絞め)でギブアップを奪い、貫禄勝ちした。

 先制のバックブローを決め、一方的な展開を演出。顔面への蹴り、ヒザ蹴りの連打で圧倒し、さらに縦蹴りまで披露すると、時折、不敵な笑みを浮かべながらも、容赦なく攻め続けた。 カレンのヒジ打ちが偶発的に顔面に直撃するとアスカは闘志に火が付いたように、ドスの効いた大阪弁で「ナメんじゃねぇぞ! コノヤロー」と絶叫。背後からカレンを捕獲し、そのまま得意技で絞めあげて快勝した。

 9月にNXTからロウ昇格が発表され、10月22日のPPV大会TLCでオーストラリアの美女レスラー、エマに勝利してロウ白星デビューに成功。翌23日のウィスコンシン州大会でもエマに連勝していた。ロウ女子王者アレクサ・ブリスと対峙する時まで快進撃を続けそうだ。

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大仁田厚「神に誓って、プロのレスラーはやらない」

目に涙を浮かべながら、プロレス引退について語る大仁田厚(2017年10月2日撮影)

<7回目、そして最後の引退…大仁田厚、告白 最終回>


 プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意し、31日に東京・後楽園ホールで開催する「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」のマットに立つ。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の場所で、藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退する前に、改めて引退と自身の今後について余すところなく語った。

 -◇-◇-◇-◇-◇-

 大仁田に、本当に引退するのかとたずねると、目を潤ませながら語り出した。

 大仁田 プロレス、辞めるんだけど…プロレス、やりたいね。やりたいよ。今を生きたいんだよ…でも、やらない。プロレスは、プロだからプロレスリング。お金を取って、プロのリングに立つことは、絶対にあり得ない。プロと名が付く以上、ある程度の水準でやらないといけない…それは不可能。例えば、老人ホームなどで「ノーギャラでいいからやって下さい」と言われたら、やるかもしれない。お年寄りや孤児のために、お金を取らない無料イベント、チャリティーの場で、レスリングをやるのはあるかも知れない。プロレスに、フィクサーみたいに関わる可能性は否定しないよ。

 引退後、やりたいことはあるのだろうか?

 大仁田 昔はね、漁師になりたかった。アフリカを見たいなとか、いろいろあったけれど…俺は日本の国が好きだし、日本民族が好きだし。田舎を、もっと活性化させたい。子どもたちや、じいちゃん、ばあちゃんがニコニコ出来る、国造りはしたいね。自然学校の設立、自然を体感できる設備を作っていかなきゃダメ。木登りが危ないって言っていないで、体感させないとダメ。

 大仁田は2001年(平13)7月の参院選に、自民党の公認を受けて比例区で出馬。「小泉チルドレン」の1人として約46万票を獲得して当選した。その後、05年に郵政民営化関連法案の採択を棄権し、07年の参院選には出馬せず政界引退を表明した。参院議員になった動機は、自然学校を作り、次の世代を担う子どもたちを育成することだった。

 大仁田 日本を変えられる…変えなきゃいけないと思ったんです。自然学校を設立したかった。次の世代を支える子どもを育てることが、重要だと思っていたから。子どもたちに、自然体験とか、いろいろなことを感じさせ、自分というものをきちんと確立させる教育が必要だから。

 政界への復帰はあるのだろうか?

 大仁田 国政は、もういいかなって思っているけれど…政治の部分では、地方自治には興味がある。地方の行政に携わることが出来たら、携わってみたい。過疎化、高齢者、少子化の問題…どうしても東京に一極集中する。市長や県知事が陳情に来て、国会を回って「予算をつけてください」と頭を下げる…こういう制度自体、俺はおかしいと思っているんです。道州制だとか言っていたけれど、官僚が絶対にそのトップの地位に就く。俺らの上の年代の頃の教科書から、ずっと「地方分権」だなんて書いているけれど…いつ、地方分権になったんですか? 何だかんだ言って全部、国が握っている中央集権じゃないですか。置き去りにされている地方もたくさんある。でも(地方自治に挑むなら)勉強しなければいけない。

 今回の衆院選では、小池百合子都知事率いる希望の党の登場で、民進党が分裂した揚げ句、自民党が大勝した。大仁田は今回の衆院選について、こう考える。

 大仁田 時が(進むのが)早いよ。この間、森友と加計学園の問題で政権の支持率が下がったわけじゃないですか? そして民進党が分裂…昔って、もうちょっとゆるやかにきてた気がするんだけど、リズムがアップテンポになって、世の中がハードロックだよね。小池百合子さんが非常にしくじったのは、民進党との合流の際に“踏み絵”をさせたこと。日本人はハブられたり、仲間外れにすることを、ものすごく嫌う民族。俺は自民党に、おきゅうを据えた方がいいと思ったけれど…消去法で行くと(有権者は)希望の党に希望をかけられなかった。今後、野党がどういうふうに変化していくか…。僕は反対する人がいないとダメだと思う。あまり政権が長いと、内部から腐るじゃないですか? 俺は石破茂さんが好き。地方のことをちゃんと考え、活性化させようと一生懸命、頑張っているから。今まで1番、地元の話を聞いたり全国の人の話を聞いたのは、石破さんじゃないですか。だから石破さんが12年の自民党総裁選で安倍晋三首相と戦った時、地方票で勝ったわけじゃないですか。地方が元気を出さないと、日本は元気にならない。でも、安倍さんは都会寄り。それに自民党は、2回生の悪いところのツケを全く払っていない…そのツケが回ってくるんじゃないかと思いますけど。

 東京五輪にも関心があるという。東京都と2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が4日、トライアスロンなどの競技会場となるお台場海浜公園で7月から9月にかけて行った水質調査で、国際競技団体が定める基準値の最大約21倍の大腸菌が検出されたと発表した。大雨の影響で処理能力を超えた下水処理施設から、海に放出された汚水が原因とみられ、下水処理施設の整備や水中スクリーンを設置する実験を行うとした。大仁田は8月10日に分身のグレート・ニタがお台場海浜公園の海から出現し、海水を何度も飲んだ数日後、自身の体調が悪化したと告白した。

 大仁田 具合、悪くなったよ。まさか具合が悪くなると思わないから、ニタは口に含んだ。そうしたら、こっちも、おなかの調子だけじゃなく…気持ちが悪く、はきそうになった。会場、そこしかないの? ちょっと、違うところにした方がいいね。競技中の選手が、どれだけ、水を飲むか分からないけれど…大概、具合悪くならない俺が、具合悪くなったんだから。塩水だしさ、殺菌効果があるって思っているから…まさか、具合悪くなるって思わなかったよ。

 そして、最後に言った。

 大仁田 あと10年は絶対…ヘタしたら15年は働こうと思っているよ。俺は大仁田厚として生きたいんだ。でも…プロのレスラーとしてリングに上がることは絶対にない。神に誓って、やらない。

 “邪道”大仁田は新たな人生への第1歩を踏み出す。【村上幸将】

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大仁田の代名詞・有刺鉄線電流爆破誕生の地はNHK

藤田和之に自らの土俵の有刺鉄線電流爆破マッチで敗れ、マットにはいつくばる大仁田厚(2017年10月9日撮影)

 <7回目、そして最後の引退…大仁田厚、告白 第2回>


 プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意した。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の東京・後楽園ホールで、31日に「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催。藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退を決めた思いを告白する。第2回のテーマは“邪道”と言われても突き詰めた、代名詞の「有刺鉄線電流爆破マッチ」。

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 大仁田は、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負い、当時所属した全日本プロレスのジャイアント馬場さんから引退を勧告され、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。その後、就職を試みたが、学歴が中卒だったことから、幾つかの職を転々とすることを余儀なくされ、生活は厳しかった。

 生きる糧として、プロレス復帰を選び、自ら1989年(平元)にFMWを立ち上げた。同10月6日の旗揚げ戦で空手道場「誠心会館」館長の青柳政司(青柳館長=60)と対戦するなど、当初は格闘技路線だったが、壁を感じていた。その中で、思い浮かんだのがデスマッチだった。

 大仁田 どうにかこうにか足の痛みがなくなって、FMWを旗揚げした。最初は格闘技路線をやった。青柳館長らと戦って…でも、俺は空手家でもないし、道場も持っていないので限界を感じたわけです。そうしたら、FMWを設立して8、9カ月くらいで、もう1つの考え方が浮かんだ…それがデスマッチ。俺は米テネシーで有刺鉄線マッチを見ていたから、こういうものを使えばいいんだと。猪木さんと上田馬之助さんは、1978年(昭53)2月28日に日本武道館で、リング下にくぎ板を置いて日本初のネイル(くぎ)デスマッチをやった。でも有刺鉄線を利用して、もっと新しい、進化したものが出来ないかって考えた時、電流を流して、爆弾をつけられないかと思った。

 それが、大仁田のもう1つの代名詞とも言うべき「有刺鉄線電流爆破マッチ」誕生の瞬間だった。最初の実験を行ったのは…何と日本の公共放送・NHKの東京・渋谷の駐車場だった。

 大仁田 最初に爆破実験をしたのは東京・渋谷のNHKの駐車場。NHKの中に入っている、特殊効果の会社の人に「出来ますか?」って聞いたら「出来ます」って言う。それで実験した、その場で「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」と名前を付けたんです。イチかバチかの賭けですよ、いつも。

 初めてノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行ったのは、1990年8月4日。場所は汐留で、相手はターザン後藤だった。「やけどとか、すごかったです」と当時を振り返る。「明るく、楽しく、激しいプロレス」を掲げる全日本と、アントニオ猪木(74)が「ストロングスタイル」を打ち出す新日本プロレスの2強が並び立つ日本のマット界に、大仁田は「有刺鉄線電流爆破マッチ」を持ち込んだ。それまで、日本にはなかった異形のプロレスを、人々は「邪道」と呼んだ。

 大仁田 じゃあ、逆に言うけどね、全日本と新日本というものがあって、それに立ち向かうためには新しいものを築くしかなかった!! (格闘技路線の)UWFは、プロレスの否定から入ったけれど…俺は何もプロレスを否定していない。肯定から入った。プロレスはプロレス…でも、プロレスの中にもジャンルがあっていいだろうと。パンクやハードロックが、あっちゃいけないのか? と。

 後藤との戦いから27年…一部では「茶番」、「プロレスではない」などと批判も受けながらも、大仁田は「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を始めた9月以降、有刺鉄線電流爆破マッチの連戦を繰り広げている。体に有刺鉄線が刺さり、爆破で身を焦がす戦いを、引退間近までなぜ続けるのか?

 大仁田 「猪木さんと上田さんはネイルに落ちなかったけれど、大仁田は有刺鉄線の中に落ちた」って言われるよね。電流爆破は怖いよ…いつも怖い。でも、やっちゃう自分がいる。でもね、世の中…政治もそうだけど、賛否両論はあるわけじゃない? あって、いいと思うよ、俺は。嫌いなものは、見に来なきゃいいんだし、興味があれば1回、見に来いよと。

 -一部では引退ロードの中で開催するノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチにタッグ戦が多いことに「なぜシングルマッチをやらないんだ? 体力が続かないからか?」などと批判が飛んでいる。それに対して、大仁田は真っ向から批判する。

 大仁田 シングルは、田中将斗やNOZAWA論外ともやっているよ。でもハードコアは、シングルでは面白くないんだよ。試合の構成を考えるとね…いろいろな人間がリング上にいて、その組み合わせから、さまざまな面白さが出るのがハードコア。だから、タッグでやるんだよ。

 最終回は大仁田が、改めて引退の理由と未来を語る。【村上幸将】

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大仁田厚6回引退と復帰を繰り返したのは生きるため

猫ひろしと肩を組み、声援を送るファンに手を挙げて応える大仁田厚(2017年10月7日撮影)

<7回目、そして最後の引退…大仁田厚、告白 第1回>


 プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意した。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の東京・後楽園ホールで、31日に「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催。藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退を決めた思いを告白する。第1回のテーマは、引退と復帰を6回、繰り返した理由。

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 引退が目前に迫った夜、都内某所に現れた大仁田は両足を引きずっていた。車から降りると1度、腰を引いて体の後ろに重心を移しつつ、確かめるように両膝に手を当てた。しばし、その場に立ち尽くすと、目をつぶり、眉間にしわを寄せて頭を振った。

 大仁田 地方の大会でエルボーを食らってから、首と頭が痛いんだ。体はボロボロ…両膝も、抜けそう。3年近く前…そして1年以上前に、膝を内視鏡で洗ったんだ。体は限界に近い。

 14年5月に、両変形性膝関節症(軟骨損傷)と診断され、緊急手術を行った両ひざは、靱帯(じんたい)も損傷している。16年8月に右尺骨、同11月に左かかとを剥離骨折、同12月に腰椎を骨折し、右手には手術でチタンの板を入れた。そこを2月に爆破王選手権奪回に成功した船木誠勝戦で再び痛め、右尺骨骨幹部を骨折。7カ月で4度、骨折した。

 歩く際、時に抜けそうになるという膝は、最初の引退の引き金となった。1983年(昭58)4月のヘクター・ゲレロ戦後、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負った。付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告されて、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。にもかかわらず、1989年(平元)年にFMWを旗揚げした。馬場さんの引退勧告を受け入れて、1度は決めた引退を翻さざるを得ないほど、人生の崖っぷちに追い込まれていた。

 大仁田 (引退の原因になった)ケガは、あの頃は、今みたいにきれいなサポーターとかいろいろなものがないから、自転車のチューブを足に巻いて試合をした。痛くて…あぁ、これじゃあやっていられないなと、自分の中で限界を感じた。(全日本で引退した後)宅配便の配達から土木作業員から、全部やったもん。中卒だったから、履歴書を持ってバーッと回っても、どこも雇ってくれない。それで新宿の1番、端のベンチで缶コーヒーを飲みながら、どうしようかな…もう1回、プロレスをやろうか、と。だって、生きるため、生き残るためには、どうすればいいんだろう…と。(復帰の考えは)そこから生まれたんです。でも、全日に戻ることも出来ない、どこも拾ってくれるところはない…自分でやるしかない。

 そのFMWでは、1995年(平7)5月5日に「大仁田厚 引退試合」を開催し、故ハヤブサさん(享年47)と対戦した。川崎球場の観客動員記録となった、5万8250人を集めたが、その裏で肉体はボロボロだった。

 大仁田 2回目で頂点の状態で辞めた。でも、当時は年間200数試合やって、毎日、毎日、流血…。頭痛や吐き気がするわ…メチャクチャ。このまま、死ぬしかないのかと…それが引退を決断した理由。敗血症で死にそうになって、初めてICUのベッドから降りた時に、うんこしちゃって。あぁ…デスマッチがいき過ぎて、このままだと、俺は死ぬことを選択しないといけないなと。今まで応援してくれた人が、死を見せて喜ぶかなと。その世界まで、本当に行っちゃっていたし、やるしかなかった。死を選ぶのか、生きている姿を見せるのかの二者択一…生きていなければ何も表現できない(から辞めた)。

 にもかかわらず、翌96年12月11日に駒沢オリンピック公園体育館で行われた、故ミスター・ポーゴさん(享年66)の引退試合8人タッグマッチで2度目の復帰をした。宿敵ポーゴさんの引退試合ということで依頼されての復帰だったが“涙のカリスマ”と呼ばれた大仁田が、プロレスファンから「ウソつき」などとたたかれるようになった。1998年(平10)11月には、当時筆頭株主の立場にあったFMWの全選手から「新生FMWとしてやりたい」と言われ、創設者ながら追放された。そこで、翌99年1月に、たった1人で新日本に参戦した。

 大仁田 俺はFMWを追い出された人間だからね。こいつらとは、やれないなぁ…と思い、そのまま1人で新日本に殴り込んだわけだから。それが真実だよ。

 その後も引退、復帰を繰り返すこと計6回。インターネットの普及とともに、大仁田は何かニュースが出るたびに“引退するする詐欺師”などとたたかれ続けた。にもかかわらず、なぜリングに立ち続けたのか?

 大仁田 自分の中で生きていくためには、プロレスをやるしか、しょうがなかった。プロレスが好きだよ…だから、プロレスが生きること、そのものだった。それなのに6回、引退を繰り返して今回、7回目の引退だからって、ウソつきだ何だと言われる。俺は、素直に生きているだけ。生きるのを辞めろって言うの? 俺には、あれだけ熱狂させたファンがいる。(過去6回も引退して)ブレるとか、みんな言うけど…ブレ方、知らないよ。どうブレていいか分からない…批判もたくさんあるかも知れないけれど全部、自分で決めているし。ここに来て、各会場で何人か、みんなカミングアウトしているよ。「何十年、見てますけど…僕は大仁田さんに救われました」って。

 次回は大仁田が代名詞の「有刺鉄線電流爆破マッチ」誕生秘話を語る。【村上幸将】

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佐山サトル12・7から「引退カウントダウン」

初代タイガーマスクの佐山サトル(2017年8月4日撮影)


 初代タイガーマスクの佐山サトル(59)が主宰するリアルジャパンプロレスは26日、都内で会見し、12月7日の後楽園大会から「佐山サトル引退カウントダウン」を行うと発表した。

 15年に狭心症で手術を受けた後、本格的なプロレス復帰を果たしていない佐山は「プロレス界への恩返しとして、ストロングスタイルを示していきたい」と話した。当日はスポーツウエア姿で登場する。引退の時期は発表されていない。

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大仁田厚と10・29対戦の青柳館長「右足を贈る」

都内で会見を開いた大仁田厚(左)と青柳館長(撮影・村上幸将)


 31日に現役を引退するプロレスラー大仁田厚(60)が26日、東京・水道橋の闘道館で、電流爆破を封印する29日の「大仁田厚 最後の電流爆破 ONITA FINAL」(名古屋国際会議場)で対戦する、青柳館長(60)と会見を開いた。

 大仁田は、1988年(昭63)に空手道場「誠心会館」を率いる青柳館長と東京・後楽園ホールで開催された「格闘技の祭典」異種格闘技戦を戦った。翌89年10月6日には、自身が創設したFMWの旗揚げ戦で再戦。青柳館長は、その試合が正式なプロレスデビュー戦で、試合が行われたのが名古屋だった。

 青柳館長は、15年5月9日にバイクのツーリング中にスポーツカーと正面衝突する事故に遭った。「車の上を跳んでいった」(青柳館長)ほどの大事故で、右膝から下を36カ所も粉砕骨折する重傷を負った。アキレス腱(けん)だけ残っていて、足を切断する寸前だった右足は辛うじて骨はつながったものの、ドクターストップがかかり、同6月1日をもってプロレスを引退。その後は16年から「魔世軍」を結成し、総裁として各団体のリングに現れているが、レスラーとしては戦っておらず、蹴りも出していない。大仁田の現役引退を受けて「大仁田厚にもう1度蹴りを入れたい!」という強い思いから、29日に名古屋のリングに立つことを決意した。

 大仁田が「足、大丈夫ですか?」とたずねると、青柳館長は「右足をプレゼントします」と言い、次のように語った。

 青柳館長 僕は事故以降、子どもとのスパーリングでも1回も蹴っていない。でも、僕は大仁田という選手が人生の半分を占めている。大仁田選手がいたから、僕はここまでやってきた。死ぬ気で蹴るつもり。ドクターストップがかかっていて、当日も医者が3人くらい来るかも知れないけれど…徹底的に蹴ることを考えています。29日が最後のリング。30年前の対戦の衣装を着て誠心会館・青柳政司としてリングに立ちます。本当に最後…足が切れてもいい。

 大仁田は「宿命と言おうか運命と言おうか…FMWの旗揚げから3連戦やって、それから30年。館長とは、ある種、戦いではなく運命。ラストの後楽園の前に名古屋が入るなんて」と感慨深げに語った。そして「これが事実上、最後の電流爆破。リングに上がったら、申し訳ないですけど敵同士。館長にこんなこと言ったら失礼ですけど…また足がバラバラになろうが、なんだろうが、しょうがない」と真正面から戦うと宣言した。

 青柳館長は「分かっています。僕は右足をプレゼントしますから。でも…寂しい。寂しいね。40代ならともかく、現役を続けるのは、お互いに60になると体も…ね」と、引退を決意した大仁田をおもんぱかった。【村上幸将】

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