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友風が3連勝「あせらずいこうと」勝ち越し王手

琴全翔(左)をはたき込みで破る友風(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇5日日◇18日◇東京・両国国技館

元幕内で、右膝の大けがから1年4カ月ぶりに復帰の西序二段55枚目・友風(26=尾車)が、3連勝で勝ち越しに王手をかけた。「動いてくると思ったんで、あせらずいこうと」。琴全翔の動きに冷静に対処してはたき込んだ。

順調に白星を重ねているが、「順調かはあれですけど、しっかり勝負してとれているのはいいんじゃないですかね」と手探り状態は続く。「恐怖心をぬぐえることはないと思う。土俵に上がれば関係ないが、ぬぐうのは難しい。弱気になるじゃないけど、だれもがこういうけがをしたら持つと思う」と心情を明かした。

恐怖心と不安との戦いの中で、励みになったのが平昌(ピョンチャン)パラリンピック男子スノーボードバンクスラローム金メダルの成田緑夢(ぐりむ)だという。入院中、同様のけがを克服した中村親方(元関脇嘉風)から「自分たちと同じようなけがをした人がいる」と教えられた。

「動画をずっと見てました。すごいけがをしたのに明るく振る舞って、自分が暗いときに同じ動画を何度も見てました。自分と同じ病院で手術、リハビリもしたそう。1度お話したいと思っています」と対面を望む。その日に向けて、自身も1歩ずつ。「3勝したんで、しっかり次勝って勝ち越せればと思う」と力強く話した。

琴全翔を破り、土俵から引き揚げる友風(撮影・河田真司)

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元中学横綱の吉井が今場所初日 親方から助言に気合

鳰の海(左)の攻めを耐える吉井(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇6日目◇15日◇東京・両国国技館

元中学横綱の17歳、東幕下26枚目吉井(時津風)が、今場所の初日を出した。

3番相撲で西幕下28枚目鳰の湖を突き落としで下して1勝2敗。立ち遅れて押し込まれ、何度もいなして回り込む防戦一方の展開となったが、最後は組み止めて強引に投げ飛ばした。

取組前にあこがれの元関脇嘉風の中村親方から「自分の好きなことをやれ。守りに入るな」などと助言をもらったという。気迫あふれる相撲で、中盤戦に向けて巻き返しのきっかけをつくった。

吉井(左)は鳰の湖を突き落としで破る(撮影・柴田隆二)

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4連敗貴景勝の胸中思う元嘉風、アナ実況にも私見

元嘉風の中村親方(20年1月8日)

<大相撲初場所>◇4日目◇13日◇東京・両国国技館

4連敗した大関貴景勝について、NHK大相撲中継で解説を務めた中村親方(元関脇嘉風)が苦しい胸の内をおもんぱかった。

向正面で解説を担当した中村親方は貴景勝が敗れた後、次のようにコメントした。

「本来の貴景勝らしさ、両手で頭からぶちかましながら突き放して、何回もぶちかますようなところが出ていない。心の奥に負けたくないとか、連敗の影響があるんじゃないか。好きでこういう突っ張りをやっているとは思えない」

さらに、幕内実況を務めたNHKの大坂敏久アナウンサーに向けて、こう続けた。

「あと、この放送中に大坂さんが何度も『綱とり失敗』『綱とり失敗』とまだ3日目でどうしても…、失敗というか絶望的、3日目なのに絶望と言われるじゃないですか。やっぱり置かれている立場が本当に厳しいところにいてやっているから、まだ3日目なのに絶望と言われると、そういうところも乗り越えていかなきゃ横綱にはなれない、横綱というのは厳しいものなんだなと思いながらずっと聞いていました」

放送中、大坂アナウンサーは「綱とり失敗」とは言っていない。中村親方のコメント中にも、その旨を指摘しようとしたが、割り込むことはしなかった。取組前には、横綱昇進がかかる貴景勝の現状について「絶望的」と指摘し、実情を端的に伝えていた。貴景勝のふがいなさを強調しているわけではなかったが、一方の中村親方は力士に近い立場として、苦境の貴景勝を思いやっていた。

貴景勝(右)の腕をとる宝富士(撮影・野上伸悟)

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野上が7戦全勝で序ノ口優勝「純粋にうれしい」

有川(手前)を押し出しで破る野上(撮影・河田真司)

<大相撲11月場所>◇13日目◇20日◇東京・両国国技館

東序ノ口29枚目の野上(30=尾車)が、西序ノ口6枚目有川(32=松ケ根)を破り、7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。

立ち合いで左を差し、右のおっつけを効かせながら一気に土俵外へ運んだ。09年初場所で初土俵を踏んで以来、優勝は初めての経験。「本当に緊張したけど、落ち着いて取れてよかった。純粋にうれしいです」と声を弾ませた。

自己最高位は昨年秋場所の東幕下8枚目。3場所連続で勝ち越して臨んだ同場所で、右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂と半月板損傷の大けがを負った。リハビリに時間を要し、昨年九州場所から5場所連続で休場。序ノ口まで番付を落とし、復帰明けとなった今場所は「最初の一番で『ここから始まったのかな』とすごく感慨深かった」と初心を思い出したという。右膝の具合については「まだ100%治ってはいないけど、かなり調子はいい」と実力を発揮して優勝を果たした。

30歳を迎えた今年に、まさかの振り出しとなったが「昔はもうダメかなと思ったけど、中村親方や押尾川親方が年齢じゃないと見せてくれた。少しでもマネできたらいいと思う」と、30代後半まで現役を続けた部屋付きの中村親方(元関脇嘉風)と押尾川親方(元関脇豪風)の姿に刺激を受けたという。ゆえに、今後の目標は「関取になりたいという思いでやっている」と年齢を言い訳にせず土俵に上がる。

序ノ口優勝の野上(撮影・河田真司)

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元嘉風の中村親方が佐伯市など提訴 右脚に大けが

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(38=元関脇嘉風)が、大分県佐伯市などに損害賠償を求めて東京地裁に提訴したことが19日、分かった。佐伯市が明らかにした。同親方は現役だった昨年6月、故郷の佐伯市での合宿中、市のPRのためのキャニオニング(渓流下り)で右脚に大けがを負った。右足首にはまひが残り、そのまま土俵に復帰できず同年9月に引退を発表していた。

引退会見の場では地元への愛情を口にし「誰かを責めているわけではありませんし、誰も憎んでいません。市長からはできる限りのことはすると言ってもらった」と明かしていた。補償問題について双方の弁護士が話し合い、同親方は当初から和解を望んでいたが、裁判に発展した。

中村親方は日体大3年でアマチュア横綱に輝き、2004年初場所で初土俵。06年初場所に新入幕を果たし、16年初場所で新関脇に昇進した。三賞受賞は10回、金星は8個。今年10月3日に引退相撲(両国国技館)を予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期(日時未定)を発表していた。

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中村親方「復帰の思い伝わる」大けがの友風から動画

中村親方(元嘉風)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が1日、昨年九州場所で右ひざに大けがを負った弟子の友風の現状を語った。

都内で行われたアスリートのセカンドキャリアなどをサポートする団体「一般社団法人 APOLLO PROJECT」設立の記者会見にリモート参加。会見後の囲み取材で、報道陣から友風の現状について聞かれると「本人は辞める気はさらさらない。復帰に向けて鍛錬を重ねています」と明かした。

友風は西前頭3枚目だった昨年九州場所で、右膝関節脱臼により途中休場。今年の初場所、春場所、7月場所と3場所連続で全休中だ。そんな友風からリハビリやトレーニングの動画が送られてくるといい「頑張っていると言うと申し訳ないぐらいコツコツとやっている。回復もゆっくりで歯がゆい思いはあると思う。ただ『絶対に復帰する』という思いが動画を見て伝わってくる」と話した。

中村親方は友風の現在について、「本当は尾車部屋でやるのが望ましいけど」と前置きした上で、リハビリやトレーニング設備が整っている地元・神奈川に戻っていることを明かした。また、母校・向の岡工高でまわしを締めて稽古していることも明かした。「四股、すり足、本当に軽めだけどぶつかりもやっている」といい、弟子の復活に期待した。

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元関脇嘉風の中村親方、現役時のトレーニング悔やむ

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が1日、都内で行われた、「一般社団法人 APOLLO PROJECT」設立の記者会見にリモート参加した。同団体はサッカーのC大阪で活躍した山内貴雄氏が代表理事を、元ラグビー日本代表の広瀬俊朗氏らの元アスリートらが理事を務め、アスリートのセカンドキャリアなどをサポートする団体。中村親方は、同氏らが熱弁した自身の現役時代の体験や引退後の活動、おのおのが考えるアスリートの価値などについて耳を傾けた。

中村親方は昨年秋場所に現役を引退し、現在は尾車部屋で後進の指導に当たっている。会見中に「決断力」について問われた同親方は「部屋の若い衆は親方の指示に従って稽古をする。ただ関取になると、私の部屋(尾車部屋)では(師匠の尾車親方から)『番付が上がるも下がるも自己責任』と言われてほとんどを任せられた」と現役時には高い自己決定力が必要だったことを明かした。

そんな中で「30歳を過ぎてから、33、34、35歳の時は若い時のように毎日相撲を取る稽古は行わずにトレーニングばっかりやっていた。トレーニングをやっていれば体は動くと勝手に仮説を立てていた」と悔やんだ。一方で「たくさん稽古をして成績を残すということに疑問を抱いていた。晩年は若い衆と同じ稽古量はできないなと思っていた。実際に自分が若い時の100分の1ぐらいの量だったけど質は高めました」と現役時代の経験や考え方を明かした。

中村親方は、同団体が来年1月から展開する「アスリート向け教育事業(A-MAP)」に1期生として参加し、人材育成講義を受講するという。同親方は「楽しみがたくさんある。1期生としてしっかり学んで、自分のいい所を発見して次につなげていきたい」と語った。また「角界は辞めた後の次が厳しい。残れる人は少しだけ。指導者として何とかしたい。若い衆もだけど、関取衆もこの世界に残れる保証はない。そんな人に自分でよければアドバイスできればなと思う」と講義で学んだことを、後輩に伝えていく。

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173センチ小柄な竹岡が序二段V「イメージ通り」

序二段優勝の竹岡(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

尾車部屋の成長株、東序二段84枚目竹岡(18)が7戦全勝で序二段優勝を飾った。西序二段75枚目生田目(18=二子山)に立ち合いから低い当たりで攻め込み、最後は相手が前傾になったところでタイミング良く引き落とした。「しっかり自分の押し相撲を稽古していた。イメージ通りの相撲だった」と納得の表情を見せた。

東京・両国出身で国技館がお膝元。「ちょんまげをつけたかった」と力士にあこがれ、小学校4年生から相撲を始めた。新潟海洋高では十和田大会で団体準優勝メンバー。身長は173センチと小柄だが、鋭い出足と押し相撲が持ち味だ。あこがれは部屋付きの中村親方(元関脇嘉風)。この日の取組前には中村親方から「しっかり自分の相撲を取り切れ。人に見せられない格好の悪い相撲を取るな」と言葉をもらったという。

「7勝できてとてもホッとしている。しっかり稽古でやってきたことを場所で出せるように、支度部屋では準備してきた。自分の全身全霊を出せるように意識した」。序二段優勝の自信を力に、さらなる番付上昇を目指す。

序二段優勝の竹岡(撮影・河田真司)

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16歳吉井、三番相撲2敗目「足出なくて全然だめ」

玄武丸(右)は吉井を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇5日目◇23日◇東京・両国国技館

16歳で幕下昇進を果たした西幕下54枚目の吉井(時津風)が、三番相撲で2敗目を喫した。

東幕下56枚目玄武丸に寄り切られた。立ち合い前みつを狙ったが「あまり足が出なくて全然だめ。とにかく当たって差されないようにと思ったが、前に出ることができなかった」と肩を落とした。

場所前に師匠の不適切指導で所属していた中川部屋が閉鎖となり、時津風部屋に転籍した。神奈川・川崎市の部屋から、国技館まで徒歩圏内の部屋に移り「時間帯も全然違う。時間に余裕が持てる」と話す。

幕下昇進にあたり、あこがれの中村親方(元関脇嘉風)から博多帯をもらった。「中学の大会で日本一になったときにインタビューで『嘉風関のような力士になりたい』と話したら、気にかけてもらうようになった。『脇が甘い』と言われる。もっと期待に応えられるような相撲を取りたい」と意気込む。

8月1日の誕生日で17歳になるホープは「強くなるのに年齢は関係ない。同じ番付だと思って、『強くなるんだ』という強い気持ちで頑張りたい」と力強く話した。

玄武丸(左)は吉井を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)

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元関脇嘉風の引退相撲延期「世の中の状況を鑑み」

元関脇嘉風(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が、10月3日に両国国技館で予定していた引退相撲を延期することを発表した。

22日、引退相撲の公式ウェブサイトを更新し「嘉風引退中村襲名披露大相撲は世の中の状況を鑑み検討を重ねた結果、やむなく延期させて頂くことと相成りました。皆さまには大変ご迷惑をお掛けしますことを心からおわび申し上げます」と発表した。

開催時期については未定で「改めてお知らせいたしますので、その際はぜひともご臨席賜りますようよろしくお願い申し上げます」とした。

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元関脇嘉風の中村親方、コロナで断髪式の延期検討

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(38=元関脇嘉風)が、10月3日に両国国技館で予定している引退相撲について、延期を検討していることを明らかにした。

27日にツイッターで「嘉風断髪式は新型コロナウィルス感染拡大に伴いまして皆様に安心して来ていただける時期への延期も検討させていただいている状況でございます。延期実施の有無を含めまして決まり次第当サイトにてお知らせさせていただきます。罹患された皆さまおよび関係者の皆様には心よりお見舞い申し上げます」と発表し、28日までに引退相撲の公式ウェブサイトにも同様の文言をアップした。

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吉井5勝目、夏場所昇進なら史上3位のスピード出世

吉井(左)は寄り切りで満津田を下す(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇13日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

18年の中学横綱、東三段目19枚目吉井(16=中川)が7番相撲で5勝目を挙げ、来場所の新幕下昇進を確実にした。

夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付発表が4月27日。16歳8カ月26日での新幕下昇進を果たせば、72年以降に初土俵を踏んだ力士では、16歳11カ月20日で昇進した元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らを抜いて史上3位のスピード出世となる。

この日は強烈な左おっつけで東三段目22枚目満津田(25=峰崎)の体勢を崩し、最後はもろ差しで寄り切った。「(もろ差しは)狙ってはいないけど、パッと入ったので。動いてくる相手なので兄弟子からは『落ちついていけ』と言われていた」。ちょうど1年前の春場所で初土俵を踏み、序ノ口デビューから6場所連続で勝ち越している16歳は「引くことが少なくなってきた」と手応えを口にした。

静岡・焼津港小4年から相撲を始め、焼津港中3年時に全中で個人、団体の2冠を達成した。通算8個の金星を獲得した人気力士、元関脇嘉風(現中村親方)を目標にしている。

部屋では今場所幕下で6勝1敗の好成績を収めた兄弟子、幕下旭蒼天(27=中川)との稽古で力をつけている。「旭蒼天さんは出足がめちゃくちゃ速い。いい稽古ができた」と感謝。「まだまだ右の脇が甘くて差されやすい。次の場所で、幕下で勝てる相撲が取りたい」。まだあどけない表情が残るホープは、自身の課題を冷静に分析した。【佐藤礼征】

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豊ノ島が幕下黒星スタート「空気感の緊張感薄れる」

琴太豪に寄り切りで敗れ土俵を引き揚げる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇初日◇8日◇エディオンアリーナ大阪

再十両を目指す東幕下2枚目の豊ノ島(36=時津風)が、1年半ぶりに陥落した幕下の土俵で黒星スタートとなった。

西2枚目の琴太豪(27=佐渡ケ嶽)と約3年ぶりに対戦。右から張って踏み込み両差しを狙ったが、逆に脇が空いて差されズルズルと後退。土俵際で一度、残して腰を落としたが、劣勢をはね返せず圧力をかけられたまま土俵を割った(決まり手は寄り切り)。

アキレス腱(けん)断裂から、苦渋だった2年の幕下生活を乗り越え関取に復帰したのが18年九州場所。幕内にも復帰するなど8場所は関取の座を維持し、嘉風(現中村親方)引退後は「現役最年長関取」として奮闘してきた。

だが1月の初場所、東十両11枚目で4勝11敗と負け越し。再び「無給生活」となる幕下陥落となり「やりきったという思いはある。(初場所千秋楽時点で引退と現役続行は)9対1」とまで話していた。

現役続行へ踏みとどまらせたのは、一粒種の長女希歩ちゃん(7)の言葉。無給生活になることを7歳ながら知っていたようで「私が貸してあげる」と泣きながら相撲を続けることを訴えられたという。沙帆夫人の「(ライバルで旧知の仲の幕内力士)琴奨菊との再戦を果たせないでいいの」の言葉など、悔いなく終わらせたい思いを伝えられた。さらには豊ノ島本人も「(陥落が決まった)初場所で家族も両親も見に越させられなかった。それでいいのか、と思った」と悔いを残していた。

それならば、と一度はなえた気持ちを奮い立たせて臨んだ土俵。仮に“その時”になれば会場に呼び寄せようと思っていた家族や両親は、無観客開催となったため呼べない。複雑な胸中で迎えた出直しの一番を、白星で飾ることはできなかったが、前向きな気持ちは忘れない。呼び出しにしこ名を呼ばれると館内に響き渡った、人気力士ならではの歓声や拍手はない。初体験の異様なムードに、最初こそ「勝負への緊張感ばかりが増して(歓声などによる)空気感の緊張感が薄れる」と独特の言葉で、苦笑いを浮かべながら表現。それでも「みんな同じ条件。先場所(現役を)やめていたら、こんな経験もできなかった。変な緊張感にのまれずに、もっと楽しんで思い切ってやりたい」と歴史的な場所を満喫すべく、2番相撲となる2日目の十両明瀬山戦に気持ちを切り替えていた。

琴太豪(右)に寄り切りで敗れる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

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嘉風「憎んでません」地元大分・佐伯市と和解を望む

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

12日に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京都内で記者会見を開き、引退のきっかけとなった右膝などのケガについて明かした

。6月に地元の大分・佐伯市での合宿中、市のPRのためのキャニオニング(渓流下り)で受傷。「足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しい。土俵に立つことを、あきらめざるを得ない状況になった」と話した。この日も右足は雪駄(せった)でなく、装具をつけて慎重に歩いた。今後も手術を受ける可能性がある。

中村親方は地元への愛情が強く、ケガの状況を明かすかどうか悩んだという。事実を伝えた一方、PRを引き受けたことに後悔はなく、「誰かを責めているわけではありませんし、誰も憎んでいません。市長からはできる限りのことはすると言ってもらった」と話した。補償問題などについて、双方の弁護士が話し合っており、和解を望んでいる。

思い出の一番には「勝った相撲だと、負けた相手を出すことになるので、それはしたくない」として、新小結だった14年夏場所の大関稀勢の里に敗れながら観客を沸かせた相撲を挙げた。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)
引退会見に臨んだ嘉風。引退の原因となったケガで右足に雪駄を履いていないのが確認できた(撮影・小沢裕)

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嘉風「息子に強い自分を見せられず残念」/引退会見2

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見後半。

-弟子の引退について

尾車 もちろん、引退をするのはとてもさみしいし、残念ではありますけど、でも長く楽しませてもらいました。

-師匠として印象に残っていることは

いつも全力でとるからですね、上位と当たった時に一泡吹かせてくれるんじゃないかではなくて、今日もいい相撲をとってくれるのではないかと思って相撲を見ていた。もちろん勝ったり負けたりするんですけど、負けている時でも、すごく頼もしく感じまして、館内のすごい拍手を聞いていると、勝ち負け関係なくこの子はうちの、僕の弟子だとすごく誇りに思っていました。口には出しませんでしたが、私も一緒になって館内のどこかでみさせてもらいました。

-手がかかる弟子か、手がかからない弟子か

弟子はみんな手がかかりますが、すごく純粋な子で、子って37の人つかまえておかしいですが、前相撲からとったのですが、一番最初の前相撲から館内で見た。実力があるから前相撲では勝つんですけど、勝って帰ってきた時、ものすごいホッとした顔をしていた。15歳で入ってきた子供のような感じで花道を戻ってくるので、すごい純な子だなと感じたことがあります。

-今度は指導者として期待することは

自分がやってきた記録より記憶という、本人の相撲に対する考え方。私もその言葉は大好きで、弟子たちにもちろん勝つことはもちろん大事だけど、そうじゃなくて、全力の相撲で勝ったり負けたりすることがもっと大事だと言っている。それを本人が続けてきたからこそ、多くの相撲ファンの皆さんに高い評価をいただいたと思うんですね。土俵入りの拍手が一番のバロメーターですから、土俵に上がった時に、今日もいい相撲を見られるのかなと、そういうわくわくするような、相撲を見に来た方に与えるような、そういう考え方を後輩に教えてもらえればなと思う。安易に立ち合い変化で勝とうとするのではなく、めいっぱいとって、勝ったり負けたりすることが相撲は大事なんだと、体現したことを後輩に教えてくれたらいいなと思います。

-どういう指導者を目指したいか

元嘉風 実は、ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋をもちたいと思っていましたが、今はリハビリ中ですし、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻れるように、今はリハビリを続けたいと思います。

-友風が金星で大号泣しましたが、どう思いました

もちろん、見ていました。泣きすぎだと思いました。いなくなった人を思って泣いているのかというくらい泣いていたので、泣きすぎだなと思ったんですけど。自分が幕下の時に、九州場所前かな。師匠に「土俵に立ったら力を出せない」という相談をしたことがあって、師匠からその時、アドバイスというか指導をいただいた。友風もどちらかというとネガティブな方で土俵の上で力を出せなかったので、自分も幕下の時に師匠に相談したなというのを思い出しながら、すごく美談にしていただいて毎日恋人のように…と書いていただいたんですが、私としてはリハビリ中で非常にたいくつで友風に電話したり、でもネガティブな気持ちにすぐなるので、自分も師匠に教わったことを土俵の上で力を出せるように、友風にアドバイスした。ただ大変うれしくは思うんですけど、現役が自分の弟弟子にアドバイスをして、今、例えば高校の監督に指導していただいたというお相撲さんがいるんですけど、それはちょっと違って、やっぱり自分の師匠がいるので、師匠を飛び越えてそういう人の名前を出すというのはあまりよくはないのかなと思うので、友風にも尾車部屋の環境がそうさせてくれるんだと友風には言っています。

-いい親方になりそう

尾車 嘉風のような、土俵に上がると、館内のお客さんやテレビの相撲ファンの皆さんが、今日も何かをやってくれるんじゃないかとか、大相撲になるんじゃないかという感じの力士を育ててくれればいいな。それが晩年に見るのが、私の最後の楽しみです。

-家族への思いは

元嘉風 感謝の気持ちしかないんですけど、自分がケガをして相撲をとれなくなって残念だったのは、息子が4月か5月から新しく幼稚園に行きだして、少人数しかいない中で、先生が気を使って場所中は、5月場所しかなかったんですが、夕方になると相撲をつけてくれて、勝って帰りに迎えにいくと大喜びして、きっと自慢の父親なんだろうなと思った中で、自分の中で昨年の名古屋場所くらいから土俵に上がっても力を出せなくて、もやもやしている中で、原因を見つけてもう1回上を目指していこうという中でのケガだったので、相撲が取れなくなって、息子にもう1回、強い自分を見せられないのはすごい残念です。

-会見場に家族を呼んだ思いは

力士として引退したので厳密にいうと終わってるのですが、はおりはかまでちょんまげをつけて人前に出るのは今日が実質最後になるので、そういう姿を見てもらいたいのと、師匠にこの日と、こういう場をつくっていただいて、それで最後の姿を見せたらどうだといっていただいたので、お言葉に甘えさせていただきました。

-大分で唯一関取がいなくなった。大分のファンへ

特別な言葉はなくて、地元を愛していましたので、地元からの声援はもちろんありがたかったし、30を過ぎて「大関を目指す」と大分でも公言してきましたけど、その夢がかなわず残念ですが、約16年間支えていただいて、ありがとうございましたという思いです。

-こういうケガで土俵生活を終える。そこに悔いはないですか

悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうなと。力及ばずして番付が下がってやめるにしても、どういう形にしても土俵を下りるのは悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲というのは人生そのものだったので、大変残念に思います。

-16年間、嘉風関が貫いてきた信念、大事にしてきたものは何ですか

非常に難しい質問です。16年ということでまとめるのは難しいですけど、やっぱり30歳をすぎてから上位で相撲をとらせてもらった時は、どういうことがあっても、しっかり当たっていくということは念頭に置いてやってきましたし。信念。相撲が好きだという気持ちは強く持ち続けて、それは貫いてきました。

-学生出身の力士が多い。そういう学生出身の後輩たちに伝えたいこと

さっきも言いましたけど、高校相撲、大学相撲を経験すると恩師が増えて相撲界に入るので、そういう指導者の指導をあおぐのはいいんですけど、あんまり簡単に口に出さない方がいいかなと。口うるさく言う兄弟子がいなくなったので、細かいことに目がいくのは、土俵上の所作で、番付上の人、特に横綱大関より後に塩をまいたり、後に仕切ったりというは(良くないと)誰からも教えられることなく、暗黙のルールというか。今、ルーティンという言葉がどのスポーツでもでてきましたけど、そのルーティーンは大事かもしれないですけど、相撲は勝負の前に所作も重んじられてここまで伝統文化として引き継がれてきたので。自分は横綱大関と相撲を取る時は、相手より所作を先にやるのはずっと頭に置いていた。学生相撲と言われるのがすごくいやだったので、そこはたたきあげの15歳で入った力士よりも気を付けるようにしていた。学生相撲出身力士にもそういうところをおろそかにしないでやってもらいたいと思います。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

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嘉風、一番の思い出は負けた稀勢の里戦/引退会見1

引退会見に臨む嘉風。右は尾車親方(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見前半。

尾車親方(元大関琴風) 本日は皆さま足元の悪い中、また早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。このたび嘉風が約16年の土俵生活を終え、引退することになりました。皆さまにはこの間、大変かわいがっていただき、お世話になり、本当にありがとうございました。今後は年寄中村として後進の指導にあたってまいりますので、今後とも一つご指導のほどよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございます。

元嘉風 おつかれさんでございます。本日は足元の悪い中、また場所中のお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。私、嘉風は現役を引退し、年寄中村を襲名させていただきました。入門した時はまさか37歳まで現役を続けるとは想像できませんでしたが、親方のご指導のもと、そして、親方とおかみさんがつくる尾車部屋という最高の環境で現役をつづけさせていただくことでこの年までやれたと思います。お集まりの皆さま、応援してくれたファンの皆さま、そして現役中にケガを支えてくれた先生方、私にかかわってくださったすべての方にこの場をお借りして感謝申し上げたい。今後は親方になりますが、尾車親方のもとで、親方というものをまた指導いただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

-本当にお疲れさまでした。引退発表後数日たちました。今の気持ちは

何とも言葉にできないというか、自分が現役をやめたということと、親方になったことの実感がまだわいていません。

-引退決断の経緯を説明してください

少し報道でも、師匠からもお話していただいたと思うんですけど、6月に地元佐伯市で地元をPRするという目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中で、これはあんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下りというか、調べていただければ分かりますが、キャニオニングを市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれまして。その時の診断ではものすごく大きな診断をされて、これは土俵にもう1回立つのは難しいのではないかという先生の見方があったのですが、なかなかその時点で土俵を下りるのが想像できずに、先生の見解をくつがえしてやろうと思ってリハビリに励んでいたのですが、やっぱり、このケガを負って、アスリートが復帰した例が少ないというか、ほぼないということもあって、腓骨(ひこつ)神経まひと診断書には書かせてもらったんですけど、足首が動かないので、足首にまひがのこってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、来場所、幕下に落ちるタイミングということを記事の方に書かれていたのですが、タイミング的にそういうことになったということで、自分としては土俵に戻りたいということでリハビリを続けていましたが、非常に残念ですが、土俵に立つことが厳しいということを実感したというか、あきらめざるを得ない状況になったので、そこで親方に引退しますという思いを伝えました。

-現在のリハビリ状況、ケガの回復は

順調だと思うんですけど、9月場所前に出した診断書の通り、全治は未定ということで。今後の見通しが今のところ立っていないんですけど、本当にいろんな方の支えで、皆さんが、相撲は取れないにしてもなんとか私生活はもとの状態に戻るようにということで、いろいろと考えてくれて、今後何度か手術が必要かもしれないんですけど、土俵に戻れなくても、もう1つの夢である指導者という親方になって若い衆を指導するという、その目標に向かってリハビリを続けている最中です。

-16年間を振り返って

どうかって言われますと困るんですが、相撲が好きという気持ちで始めて、相撲の厳しさに直面した高校時代があって、大相撲ではできないという思いで、体育の指導者を目指して日体大にはいりましたが、相撲がずっと好きなので、相撲を生活の中心、人生の中心にしたいと思って、大相撲の世界に入らせていただいた。学生時代より、仲良くというとちょっとおかしいですが、声をかけていただいた元豪風関の押尾川親方に「尾車部屋は最高の環境だから、ぜひうちの部屋にこい」と言われ、相撲界のことが分からない時期でしたので、豪風関の後押しもあって尾車部屋に入門させていただいて、自分が想像していたものすごい厳しい相撲部屋というのは尾車部屋にはなく、本当は師匠もいいたいことはたくさんあったのかもしれないですけど、わがままを言わせてもらったと。同期生にうちの部屋はこうだという話をしたんですけど、他の部屋の厳しさみたいなのは尾車部屋にはなかった。だからこそ、16年、入った時は関取になれるかどうかも分からないまま手探りというか必死にやってきたんですけど、振り返って37まで相撲が取れたのは最高の環境で相撲がとれたのではないかと。本当にありがたい相撲人生を送らせてもらいました。

-アマ横綱のタイトルを取ったが資格の期限がすぎて序ノ口から。その決断は

3年生の時にアマチュア横綱になって、そのまま順調に大学の4年生をすごしていれば大相撲の世界に入っていないと思う。3年生の最後に大きなタイトルを自分の中ではとってしまったので、4年生でキャプテンを任されて、なかなか気持ち良く相撲が取れなくて、それがプレッシャーになって不本意な、成績も内容もまったく自分の満足いく1年間を送れなかったので、自分の好きだった相撲を取り戻すのは大相撲の世界しかないと思って、そういう決断をさせてもらったのも3年生の時のアマ横綱のタイトルだと思います。

-決断は間違っていなかった

そうですね。間違っていなかったと思います。

-嘉風関は30歳超えてから初金星、新三役。30を超えて強くなった

自分の中では3つのターニングポイントがあって、1つは師匠が巡業部長を務めておられる時、大阪で大負けした。番付下がるのが分かった伊勢神宮での春巡業の初日にあいさつにいったら「嘉風はこのまま終わるのか。幕内上位で名前を覚えてもらったのに、下に落ちるのは、早いよ」と。自分にとっては激励だったんですけど、「稽古してもう1回上でとれるように頑張れ」と声をかけていただいて、自分なりに巡業で土俵に立つようにして、そのころ、タイミングが良かったというか、横綱稀勢の里関に声をかけていただき、三番稽古やるぞと、いうことで少し稽古をやるようになった。これが1つ。あとは、いつかの九州場所で地元から応援団がきている目の前で、相手は今は幕下の旭日松だったと思うんですけど。旭日松相手に勝つ姿見せたくて、安易にはたきにいったところ、全然通用せず、なんとも恥ずかしい相撲で負けてしまった。その前の秋場所でケガをして途中休場していたので、その復帰場所だった九州場所で、帰り道のバスの中での応援団の方の声を母親が代弁してくれたんですけど、勝つ姿を見るためでなく、土俵に立つ姿を見られた、それができたのでみんな喜んでいたという言葉をいただいたので、安易に変化にはしったことを本当に恥ずかしく思った。そこから勝つ相撲でなく、自分が相撲をとっている姿をみてもらいたいと強く思えた。もう1つは、なかなか上位に上がれない時に、妻にふと「あなたが対戦する相手が三役になっているのに、あなたは何で三役になれないのかな」と、感情のない感じで言われたのが心に響いた。言い返す言葉もなく、確かになと。家族も悔しい思いをしているんだなと思ったのと、そこでちょっと奮起して、上を目指して頑張ろうと思った。この3つで、30を超えていい相撲をとれるようになった。

-若い頃はスピード、30超えて左四つ、うまい相撲に変わってきた。何か精神面で変わったのか

精神面しか変わっていないと思うんですよね。同級生の立田川親方のような猛稽古はしたことがなくて。ただ知人に、「好きで始めた相撲がやっていて楽しくないのはおかしい」と言われたんです。「好きでやっているのに、土俵の上で楽しくないとか、成績ばかり気にして後ろ向きになっているのはおかしくないか」と言われて。確かになと思って。相撲界は30を超えると晩年というか、30半ばで終わる人が多いので、自分もそういう言葉をいただいて、いつやめてもおかしくない年齢なので、完全燃焼で終わりたいとそこで強く思った。スピード相撲からうまい相撲に変わったのは、解説をしていただく親方によく「無駄な動きが多い」と言われていたんですけど、そういう言葉も相手より少し早く動こうと思ったり、特別変えたことはないんですけど、周りの方に言っていただく言葉を自分に合うように変換できたのがよかったのかなと思います。

-引退を関取衆に伝えると、いろんなアドバイスもらったという声が多かった

それぞれ力士には師匠がいるので、自分がアドバイスは大変おこがましいので、そういうつもりはないのですが、その力士と相撲の話をするのが好きで。アドバイスといってもらえると大変うれしいですが、自分としては、自分の思いを話して楽しませてもらったという感覚です。

-琴奨菊には「相撲愛が足りないのでは」と言ったとか

元大関なんですけど、ずっと昔から顔を知っていて、ここ数年は巡業などでいろんな話をさせてもらった。相撲愛が足りない? 菊関はどういう解釈をしてくれたのかもしれない。元大関なんですけどいろいろ探求心があって、菊関自身が自分のことを信じられていないと思ったので、もっと自分を信じてやっていくというのがそうとらえられたのかもしれない。

-思い出の一番は

やめていく力士の引退会見を見て、この質問は定番だったので、考えたんですけど、思い出の一番を出すと、例えばそれが勝った相撲だと、いわゆる負けた相手を出すことになるので、それはあんまりしたくないと思ったのと、そんな中で強いて挙げるなら、確か自分が新小結で7日目か8日目か、確か刈屋さんが実況していた。まだ横綱になる前の稀勢の里関とめいっぱいの力を出し切って負けた。負けた時の声援が、負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある。声援は9割9分、稀勢関へのものだったと思うんですが、ものすごくあの一番が印象に残っています

-新三役の稀勢の里戦というと26年夏場所の9日目。自分が負けた相撲が思い出の相撲というのは、嘉風関らしい

負けましたけど、すべて出しました。師匠が解説をしていたと思います。持っているものを全部だして通用しなかったんですけど、あの時の達成感、充実感は今までの勝ち星にも替えられないと思います。(後半に続く)

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嘉風、引退原因のケガは土俵上でなく渓流下りだった

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。

引退のきっかけとなったケガは大分県での合宿中とされてきたが、本人が初めて説明した。

「6月に地元(大分県)佐伯市で、地元をPRする目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中、あんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下り、市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれました。(中略)。腓骨(ひこつ)神経まひと、足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、非常に残念ですが、土俵に立つことが難しいと実感した。あきらめざるを得ない状況になりました」

日本相撲協会に提出した診断書は「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後十字靱帯損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨(ひこつ)神経まひ」。この日の会見も、右足だけは雪駄(せった)でなく装具を履いて臨んだ。

現在のリハビリ中で、今後も手術を受ける可能性がある。今後の指導者生活について聞かれても「ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋を持ちたいと思っていましたが、今はリハビリ中なので、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻って、今はリハビリを続けたいと思います」と慎重に話した。

会見では「悔いはないか?」と聞かれると、こう話した。

「悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうな、力及ばずして番付が下がってやめるにしても、悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲は人生そのものだったので、大変残念に思います」

会見を終えると、家族から花束を渡され、会場を後にした。

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

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友風が涙の金星「嘉関にやっといい相撲見せられた」

鶴竜を破り懸賞金の束を手にする友風は、目に涙を浮かべる(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

友風が2場所連続で鶴竜から金星を奪い、号泣した。

立ち合い直後に引いた先場所とは違い、流れの中ではたき込んで鶴竜に2戦2勝。花道を引き揚げる際には、5日目に引退が発表された兄弟子で付け人を務めた、元関脇嘉風の中村親方を思って涙が止まらず。

「いつもそばにいてくれたので寂しい気持ちだった。嘉関にやっといい相撲を見せられた」とかみしめた。

ファンに囲まれ笑顔を見せる友風(撮影・鈴木正人)

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豊ノ島黒星も“戦友”嘉風からのバトン胸に奮起誓う

豊ノ島(右)を寄り切りで破る貴源治(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇6日目◇13日◇両国国技館

バトンは確かに受け取りました-。西前頭14枚目の豊ノ島(36=時津風)が、東前頭17枚目の貴源治(22=千賀ノ浦)との一番に寄り切りで敗れ5敗目(1勝)。

16年初場所以来の幕内勝ち越しに苦しい状況に置かれたが“戦友”から託された思いを胸に、奮起を誓った。

前日、十両嘉風(37=尾車)の引退が発表され「最年長関取」の座が回ったきた豊ノ島。くしくも「幕内最年少」の貴源治との一番となったこの日は、左四つから2度、右を巻き替えて出たが残され、寄り切られた。

前夜、引退を決めた嘉風改め中村親方にライン(無料通信アプリ)で惜別の言葉を送った。「また対戦したかったね。お疲れさまでした」。そんな内容の言葉を送ると「せっかくカジ(豊ノ島の本名の名字『梶原』から愛称で)が(ケガから上がって関取に)戻ってきたのに対戦できなくて残念。『最年長』のバトンは渡したからな」の返事が戻ってきたという。

アキレス腱(けん)のケガで幕下に落ちたときも、免疫力の高いサプリを勧めてくれるなど、何かと気にかけてくれた1歳年上のライバルであり、親友でもあった。そんな中村親方に「しばらくは(最年長関取の)バトンを(自分が引退して次代に)渡さないように頑張るから」と返したという。力士・嘉風の姿を思い起こすように、1勝5敗の苦境にも「勝っても負けても一日一番。土俵上では胸を張っていたい。こんな時こそクヨクヨしないで、ケガをしたことを考えれば(幕内で相撲を取れること)今は奇跡的で夢にも思わなかったことだから」と前向きに話して場所を引き揚げた。

貴源治に寄り切りで敗れた豊ノ島(左)(撮影・丹羽敏通)

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彩豪さん葬儀「100個土俵プロジェクト」受け継ぐ

関係者によって出棺される墨谷さんの棺

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの葬儀が15日午後、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

前日の通夜には、角界から藤島親方(元大関武双山)、錣山親方(元関脇寺尾)、西岩親方(元関脇若の里)、振分親方(元関脇高見盛)、高崎親方(元前頭金開山)ら多数の親方衆や、平幕の妙義龍、佐田の海(いずれも境川)ら現役力士はじめ関係者約300人が参列。この日の葬儀も、故人とゆかりのある多数の関係者が参列し故人の冥福を祈った。

現役時代の師匠だった元中村親方(元関脇富士桜)の中沢栄男氏は、部屋を興して最初の関取誕生となった日を思い浮かべ「やっと生まれた関取第1号に、全ての関係者と舞い上がったことが昨日のことのように思い出されます。まさに力士のかがみ。こちらが見送ってほしかった。あまりに早い」などと弔辞を読んだ。荼毘(だび)に付される都内の葬祭場に向かうバスに乗り込む間際には「現役をやめても巡業の勧進元を6回もやってくれたり、相撲のことで頑張ってくれた。もっと頑張ってほしかった。でも自慢の弟子でした」と涙ぐんだ。

相撲の普及に汗を流していた墨谷さんは、全国の小学校や相撲クラブにある土俵の改修を含め、100個の土俵を作るプロジェクトを今年に入って着手。2月に、さいたま市内で第1号が作られ、続く2番目の土俵も埼玉県内に作る予定だった。その矢先の急死だったが、墨谷さんとともに会社の運営に携わってきた関係者は「その道しるべを墨谷さんが作ってくれたので、あとは私たちで頑張ります」と、その遺志を受け継ぐ決意を語った。参列者には、墨谷さんの相撲人生を読み込んだ相撲甚句「彩豪快一代」が配られた。

弔辞を読み上げる元中村親方の中沢栄男氏(左)と位牌を持つ喪主で妻の墨谷倫子さん(中央)
元十両彩豪さん

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