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式守与之吉「光栄で…」皇后陛下のお気遣いに感謝

式守与之吉(2018年9月17日撮影)

<大相撲初場所>◇8日目◇20日◇東京・両国国技館

幕内格行司の式守与之吉(50=宮城野)が、皇后陛下のお気遣いに感謝した。

初場所中日は平成最後の天覧相撲で、説明役を務めた八角理事長(元横綱北勝海)によると、皇后陛下が「与之吉さんは大丈夫ですか?」と、ギラン・バレー症候群から復帰した与之吉の体調を気にされていたという。

このやりとりを打ち出し後に伝え聞いた与之吉は「びっくりですね。行司なんかに…。ありがたいですし、びっくりです。光栄で…、今日は眠れないですよ」と興奮気味だった。

2017年12月、四肢に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を発症し、昨年は5場所連続休場。九州場所から土俵に戻った。初場所は復帰2場所目。土俵上の動きに問題はないが、実はまだ万全ではない。

「手の握力がまだ戻らないんです。軍配を握るのは問題ありません。でも、はしでラーメンをすくうのは難しい。相撲字を書くのも問題ありませんが、細かい字を書く時は震えます。月に1度、病院に通い、いただいたリハビリのプログラムを地道にやっています」

現在は幕内格で、この日はこの日は、勢-琴恵光戦と阿炎-千代翔馬戦の2番を裁いた。陛下がいらしたのは幕内後半だったため、土俵での裁きをみていただくことはできなかった。これまでの天覧相撲では陛下が入場する際や、御前掛かり(天覧相撲での土俵入り)でのアナウンスを担当したことがある。「緊張しましたよ」という記憶が残っている。

「びっくりですね」を連発した与之吉にとって、平成最後の天覧相撲は今後への活力にもなったようだ。

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宇良2敗目、踏ん張り効かずあおむけに「圧力負け」

海龍(右)に突き倒しで敗れる宇良(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇8日目◇20日◇東京・両国国技館

元幕内で西幕下23枚目の宇良(26=木瀬)が2敗目を喫し、星が並んだ。東幕下22枚目海龍に対し、低い立ち合いで左まわしを狙ったが取れず、前に出られ、最後は左脚の踏ん張りが効かずにあおむけに倒れた。宇良は「圧力負けですね」。10年九州場所から幕下で戦い続ける28歳とは初対戦だったが、思うような相撲が取れなかった。

17年秋場所中の右膝負傷から、手術などで6場所連続休場して、まだ復帰3場所目。「力をつけないと圧力に負けます。鍛え直さないといけない」。負傷前との体力差を「それは難しいところ。強くなってる部分もあるし、弱くなってる部分もある。バランスよく鍛えていきます」と説明した。

海龍(右)に突き倒しで敗れる宇良(撮影・河田真司)

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新入幕の矢後が1敗守る「自分の形になれば勝てる」

琴恵光(右)を寄り切る矢後(撮影・狩俣裕三)

<大相撲初場所>◇6日目◇18日◇東京・両国国技館

東前頭13枚目矢後(24=尾車)が、西前頭15枚目琴恵光(27=佐渡ケ嶽)を寄り切り、1敗を守った。

新入幕ながら風格さえ漂っていた。立ち合いで左差しを狙ったが、差せないと見るや、すかさず突っ張りに切り替えた。左を差して、右上手に手を伸ばすと矢後の形。身長187センチ、体重178キロの恵まれた体格を生かし、後は前に出るだけだった。幕内で5勝目。「自分の形になれば勝てると分かっているので」と、生命線の左四つ、右上手を信頼していた。

中大出身の力士では6人目の幕内力士。近年の新入幕の学生出身力士では、16年初場所で正代、同年九州場所で石浦、17年秋場所で朝乃山が10勝を挙げて敢闘賞を獲得している。会場入りの際には「北海道から応援に来た人から声をかけてもらうことも増えてきた」と、地元の期待も背負っている。「幕内で勝てるというのは自信になる。明日も集中するだけです」と、力強く語った。

矢後は琴恵光(左)を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

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横綱鶴竜が休場 右足首「痛い」「違和感がある」

17日、鶴竜(左)は寄り切りで逸ノ城に敗れる

大相撲の横綱鶴竜(33=井筒)が初場所6日目の18日から休場することが決まり、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が都内の部屋で報道陣に対応した。

この日、「右距踵関節損傷、右踵骨骨挫傷により約2週間の加療を要する見込み」との診断書を提出。場所前から抱えていた痛みで、17日の夜に弟子と話し合い「本人もやはり痛みがあるようで『痛い』『違和感がある』とのことです。場所前から稽古不足だった」と明かした。

5日目は逸ノ城に敗れて2勝3敗となるなど、精彩を欠いていた。6日目は不戦敗で、対戦相手の北勝富士は不戦勝になる。

前日の取組まで9連勝中だった逸ノ城に力なく寄り切られ、師匠も鶴竜の状態の悪さを察した。「逸ノ城にはいつも完璧な相撲で勝っていたが、後ろに下がると全く残せない。私も懸念していた。前に出るときは自分の相撲だが…」。さらに右足をかばい、重心がかかった左膝も「張っている状態」だという。師匠は「上位陣が不振のときに休んでしまい、お客さん、協会の皆さんに申し訳ない」とわびた。

鶴竜の休場は、全休した昨年11月の九州場所に続き通算12度目となった。今場所は6日目から白鵬(33=宮城野)の1人横綱になる。

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心臓から汗を!稀勢の里荒磯襲名4代連続横綱育成へ

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

稀勢の里は今後、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し、史上2例目となる4代連続の横綱誕生を目指し、後進の指導にあたることになる。入門時から指導を受けた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)、その師匠にあたる元二子山親方(元横綱初代若乃花)と、二所ノ関一門における横綱の伝統を受け継ぎ、稀勢の里で3代目だ。

横綱だった師匠がまた横綱を育てる系譜。たとえば出羽海一門では常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸と横綱が5代続く。元武蔵丸の武蔵川親方が、現在も弟子の育成に尽力しているが、稀勢の里にはこれに負けじと、横綱の系譜の継承を期待されている。

昨年11月の九州場所を休場後、自身の稽古と並行して弟弟子の指導も行っていた。自らが保有する上半身を鍛える器具を稽古場に持ち込み、若い衆に筋力強化に努めさせるなど、以前よりも精力的に後進育成に力を注ぎ「みんな力が付いてきた」と目を細めている。

先代鳴戸親方には「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、多い日は1日100番にも及ぶ猛稽古で強くなってきた。「心臓から-」は、先代鳴戸親方が、元二子山親方に言われてきた言葉。土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。脈々と受け継がれる教えを踏襲しつつ、現在は部屋の若い衆に四股を踏む際の姿勢から助言。基礎運動重視の伝統的な指導者像もかいま見える。

今場所前は「自分と向き合う稽古もある」との持論を展開し、相撲を取る稽古はこれまでよりも控えめだった。伝統と自身の経験から生まれた指導法で、当面は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として指導。その後、荒磯部屋を設立する可能性もある。【高田文太】

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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復活阻んだ稀勢の里の誤算、もがいた日々を父明かす

引退会見で涙を流す稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里は横綱昇進後、在位12場所中、皆勤2場所に終わった。新横綱として初めて臨んだ一昨年3月の春場所で負った大けが致命傷になった。けがとの闘い、その裏にあった決断などを、最後に皆勤し、2桁勝利を挙げた秋場所前の昨年9月に父萩原貞彦さん(73)が明かしていた。引退に際し、もがき続けた父子の戦いの跡に迫る。

【取材・構成=高田文太】

     ◇   ◇

稀勢の里を相撲界へと導いたのは、元アマチュアボクサーの父貞彦さんだった。後の横綱、寛少年に土日の大相撲中継を見せ、小学校2年でまわしをつけさせた。英才教育だった。

最初の進退場所となった昨年9月の秋場所前に、貞彦さんは稀勢の里のけがとの葛藤、復活プラン、素顔などを明かしている。

横綱の力士生命を縮めたのは新横綱で迎えた一昨年春場所13日目、横綱日馬富士戦で負った大けがだった。寄り倒されて左の大胸筋や肩を痛めて、うめき声を上げた。だが、千秋楽で大関照ノ富士を優勝決定戦の末に退け、逆転優勝で大きな感動を呼んだ。

ただ代償は大きく、その後、横綱として歴代ワーストの8場所連続休場。当時を振り返り、貞彦さんは「復活に向けて2つの選択肢があった」と明かしていた。(1)突き、押しを多用して相撲を変える。(2)もう1度、基礎から鍛え直す。稀勢の里は(2)を選んだ。貞彦さんは「相撲を変えるのは簡単。でも、また強い四つ相撲を取るために、基礎から鍛え直す道を選んだ。時間がかかるのは承知の上」と説明していた。長期休場をも覚悟。その上で、目先の白星より再び何度も優勝できる可能性に懸けたのだった。

しかし誤算があった。負傷した左大胸筋、左上腕二頭筋の状態だ。貞彦さんは負傷前と比べて、たった30%程度の力で一昨年夏、名古屋の両場所に臨んだとみていた。一昨年九州、昨年初の両場所でようやく50%程度。そして10勝した昨年秋場所で「70%ぐらいまで戻った」とみていた。それでもまだ7割の力だった。

そんな中、出場しては途中休場を繰り返し「回復具合を見誤った」とも父は分析する。けがをする前と同じスタイルで、稀勢の里の王道を貫き、復活を目指した。その決断は尊重しつつ、出ては休む、その判断を後悔もしていた。

大けがを押しての感動の逆転優勝。代償は大きく、8場所連続休場で風当たりが強まった。その裏で貞彦さんも息子とはまた別の厳しい現実と向き合っていた。胃がんの手術を受けたのは、昨年11月の九州場所中だった。胃の3分の2を切除。手術から10日ほどで退院した。完全復活を目指す息子より先に元気な姿になった。転移や後遺症もなく元気に過ごしている。

けがとの壮絶な闘いを続けていた稀勢の里は「良い医者を知っているから」と千葉・松戸市の病院を、人知れず手配した。心配をかけまいと父には直接連絡しなかったが、母や姉には逐一、父の経過を確認していた。父の手術は周囲に一切伏せ、成績不振で九州場所は途中休場したが、その言い訳には一切しなかった。絆で結ばれた父子は、人知れず、互いに闘っていたのだ。

横綱昇進後の約2年、貞彦さんは苦悩する稀勢の里を見続けてきた。強さで存在感を示すことができなかったが、若い衆のころは1日100番にも及ぶ猛稽古で番付を上げた。関取衆となっても、他の部屋が四股やすり足などの基礎運動に終始したり、休みに充てたりといった初日2日前に、50番も取っていた。

努力で成長してきた稀勢の里を象徴するように、貞彦さんは、中学の卒業文集の存在を明かしている。将来の横綱、寛少年はしっかりとこう書いている。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」

努力に次ぐ努力で苦難を乗り越えてきた、人間くさい横綱が、ついに土俵を去った。

元横綱になった息子について、この日、父は「(引退の話は)聞いている。なんとも言えない」とだけ口にした。言葉少なだったのにはわけがある。今場所は、あらゆる取材を断っていた。場所前には横綱審議委員会(横審)から史上初の「激励」を決議された。いよいよ後がない場所に集中させたい親心からの配慮だった。厳しい結末になったが、たくましい父子は、しっかりともがき、耐えてこの日を迎えたのだった。

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白鵬「つらい」稀勢に友情星「引退…死ぬってこと」

物言いが入るも、北勝富士を寄り切りで下し懸賞金を受け取る白鵬(撮影・河田真司)

横綱白鵬(33=宮城野)が驚異の粘り腰で全勝を守った。西前頭2枚目北勝富士に押し込まれたが、土俵際で左脚、さらに右脚だけで残って突き落とし。物言いがついたが、軍配通りに白星を手にした。連勝記録を63で止められた宿敵であり、盟友でもあった稀勢の里引退の日。自らを「託された者」と呼び「引退、負けは死ぬってこと」と表現する横綱の責任を、執念で体現してみせた。

    ◇    ◇    ◇

必死の攻防だった。若い北勝富士の圧力に、白鵬が耐える。左右の張り手を8発見舞っても、押し込まれた。そこからだった。絶体絶命の土俵際。左脚1本で残りながら、左脚1本で立ち、勢いあまった北勝富士を泳がせた。すかさず残り脚を右に替え、相手が落ち行く姿を確認してから、外に出た。

「まあ、稽古のたまものだよね」。軍配は自分に上がったが、もの言いがついた。「見ていて(相手が宙に)飛んでる感じがあったんで、悪くてももう一丁かなと」。諦めない。絶対に勝つ。勝たなきゃ意味がない-。稀勢の里が土俵を去った日、白鵬はいつも以上に横綱だった。

「朝から寂しいことがあったんで、場所に来て“切り替えなきゃ”と思った」。都内の自宅で朝起きて、妻紗代子さんに「稀勢の里引退」を知らされた。朝稽古後に心境を語った。「さびしいって感じです」-。1番の思い出を問われて「それは63連勝で止められた時ですよ」と即答した。7日目には双葉山の69連勝に届いた10年九州場所2日目だった。「遠慮なく向かって来た。だから、止められた。横綱になってくれた時はうれしかった。連勝を止めた力士ですから」。13年名古屋場所14日目にも連勝を43で止められた。「言葉少な、暗いとか思われているかもしれないけど、全く逆の好青年」と人柄を愛し、力士として「上に上がって行こうっていう気持ちがあった。一生懸命さは他の力士に比べると強かった」と認める。昨年には「できる限りのことをしようと思った」と三番稽古の相手を務め、助言も送った。

横綱の座を去る戦友の思いはイヤほどわかる。「つらい、大変なことなんです。見た目は良くても、勝たないとダメ。引退、負けるっていうのは、死ぬってこと。託された感じになりますね」-。だからこそ、この日は、いやこの日も絶対に負けられなかった。

もう戦いたくても、戦えない。「これからよろしくお願いしますというか。今度は酒でも飲みに行けるかな」。横綱の厳しさ、強さを見せつけた白鵬が、ニコッと笑った。【加藤裕一】

土俵から同時に落ちたように見える北勝富士(手前)、白鵬(奥)(撮影・河田真司)
支度部屋で笑顔を見せる白鵬(撮影・鈴木正人)

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引退の稀勢の里「いつも稽古場で自問自答」一問一答

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

-引退を決断しての今の心境は

「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」

-今頭に思い浮かぶのは何か

「たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出します」

-昨日相撲を取り終えて引退を決意するまで心の動きは

「やり切ったという気持ちが最初にありました」

-17年間の土俵人生はどんな土俵人生だったか

「いろいろな方に支えられて、僕1人ではここまで来られなかったと思います」

-一番心に残っているのは

「ありすぎてなかなか思い出せませんが、やはり稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出は今でも覚えています」

-今場所はどんな気持ちで土俵に上がったか

「覚悟を持って場所前から稽古しました。自分の中で「これでダメなら」という気持ちになるぐらい稽古しました。その結果、初日から3連敗して自分の中では悔いはありません」

-2年前の新横綱の場所で負傷した時の状況は

「一生懸命やってきましたから」

-相当大けがだったのか

「そうですね」

-2年たって回復具合はどうか

「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前の自分に戻すことはできなかったです」

-ケガとの闘いの中でどういう思いで横綱を務めたのか

「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました」

-厳しい先代からの教えで心に残っているのは

「稽古場というのは非常に大事とおっしゃっていました。今後、次世代の力士にも大事さを教えていきたいです」

-天国で見守る先代にはどう報告するのか

「素直に感謝の気持ちを伝えたいです」

-思い出の一番は

「17年、横綱昇進を決めた後の千秋楽横綱白鵬関との一番です。11年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちがありました」

-高安に声をかけるとしたら

「もう1つ上がありますから。まだまだこれから」

-横綱になって変わった部分は

「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境も変わりました。意識の部分もそうですし、環境の部分もそうですし」

-モンゴル出身力士に対する思いは

「自分を成長させてもらった。横綱朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱にかわいがってもらった。背中を追っかけて少しでも強くなりたいという思いで稽古しました。上に上がれない時も、日馬富士関から非常にいいアドバイスを頂いたのを覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです」

-今後どういう力士を育てたいか

「一生懸命相撲を取る力士、そしてケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

-これまでで忘れられない瞬間は

「天皇賜杯を抱いた時です」

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。02年春場所初土俵、04年夏場所に17歳9カ月で新十両。同年九州場所に18歳3カ月で新入幕はともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ史上2位の年少昇進記録。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所で大関に昇進。16年九州場所で12勝を挙げて自身12度目の優勝次点となり、在位31場所目の翌17年初場所で初優勝。第72代横綱となった同年春場所で2場所連続優勝を飾るも、翌場所から8場所連続休場。18年秋場所で10勝を挙げ皆勤も、その後、不戦勝を除き3場所にわたる8連敗で引退を決意。得意は突き、押し、左四つ。殊勲賞5回、敢闘賞3回。金星3個。通算800勝496敗。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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稀勢の里が「引退させてください」昨晩親方に話す

打ち出し後に部屋に戻った稀勢の里は詰め掛けた大勢の報道陣を前に車で引き揚げた(2019年1月15日撮影)

大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が初場所4日目の16日、東京・江戸川区の田子ノ浦部屋で発表した。今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

田子ノ浦親方は「昨日の夜に話して、本人から『引退させてください』という言葉があった。我慢強い男ですから、引退という言葉を口にしたということはそれなりの覚悟があると思いました。自分としてはまだ、現実として考えられません」と話した。

進退を懸けて初場所に臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。

稀勢の里は15歳で鳴戸部屋に入門。本名の「萩原」で初土俵を踏み、17歳で新十両、18歳で新入幕を果たすなど、いずれも貴乃花に次ぐ史上2番目の年少記録を打ち立て、将来を有望視された。新入幕と同時に「稀勢の里」に改名。2006年名古屋場所で小結、09年春場所で関脇に昇進した。11年11月には師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急逝するも、直後の九州場所で大関昇進を決めた。

16年初場所には初優勝を果たし、72代横綱に昇進。同年3月の春場所で横綱として優勝を果たしたが、13日目に左の上腕筋と大胸筋を損傷。この大けがが力士生命を大幅に縮める要因となってしまった。

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。15歳で鳴戸部屋に入門。得意は突き、押し、左四つ。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。金星3個。通算800勝496敗97休。家族は両親と姉。187センチ、175キロ。

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稀勢の里 けがを押して奇跡の逆転優勝も代償大きく

17年大相撲春場所・千秋楽 稀勢の里(右)は優勝決定戦で小手投げを決め照ノ富士を下した(17年3月26日)

絶大な人気の日本出身横綱が土俵を去る。「自分は力士だから、土俵の上でしか表現できない。辛抱して、我慢して進んでいくことが一番」。愚直な稀勢の里は多くの人々を魅了した。

中卒たたき上げで10代の頃から将来を嘱望された。馬力あふれる真っ向勝負で番付を駆け上がる。モンゴル出身の朝青龍、白鵬の両横綱ら外国勢が隆盛を誇る中で奮闘。2011年九州場所では、直前に先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急死する悲劇を乗り越えて大関に昇進した。

優勝にあと一歩届かない時を経て、30歳の17年初場所でついに賜杯を抱き、最高位へ上り詰めた。世間は“稀勢の里フィーバー”に沸いた。翌春場所で左上腕などのけがを押して奇跡の逆転優勝。表彰式の君が代斉唱での涙は感動を呼んだ。

ただ代償は大きく、翌場所から8場所連続休場。昨年秋場所の引退危機はひとまず乗り切ったが、先場所は初日から4連敗(不戦敗を除く)の不名誉で、今場所も本来の姿を取り戻せなかった。15歳から汗と砂にまみれてきたが、鍛錬を支えた気力も限界に達した。

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稀勢の里このまま引退なら歴代最低の勝率5割

稀勢の里(右)は寄り切りで栃煌山に敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

進退が懸かる横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が崖っぷちに追い込まれた。東前頭筆頭で同学年の栃煌山に、いいところなく寄り切られ、2日連続の金星配給となる3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたる連敗は、横綱では貴乃花を抜いてワーストの8連敗となった。横綱が2場所連続で初日から3連敗するのも宮城山以来88年ぶり。日本相撲協会の幹部から“横綱失格”の声も漏れた。

3連敗した稀勢の里は、がっくりとうなだれた後、何かを確認したように、うなずいた。直後の結びの一番の間、控えに座ると、口を真一文字に結び、悔しさを押し殺した。負けたのは成長著しい若手ではなく、かつてともに大関昇進を目指した同学年の栃煌山。しかも昨年11月の九州場所で最後に取った相手に2場所連続で負けた。同世代にも後れを取る、顕著な衰えを示す残酷な結果だった。

立ち合いは左足で踏み込み、低い姿勢で当たって左から攻める相撲人生の集大成をという気概が見えた。だが休場続きと稽古量不足による相撲勘の衰えから、あっさりと栃煌山にもろ差しを許した。左からの下手投げに体をよろめかせ寄り切られた。横綱としては単独ワーストとなる8連敗で、88年ぶりとなる2場所連続の3連敗発進。2日連続で配給した金星は、在位12場所目で計18個目だ。全休の4場所を除けば、出場1場所ごとに2~3個の金星を配給していることになる。支度部屋では、腕組みしながら終始無言を貫いた。

芝田山親方(元横綱大乃国)は、同じ二所ノ関一門をまとめる理事として、先輩横綱として、苦言を呈した。取組後、開口一番「もうダメでしょう」と、引退もやむなしの見解。続けて「横綱としては厳しい。どうしようもない。誰にも勝てない状況だもの」と、横綱失格のレッテルを貼った。

3日連続で負けても座布団が舞わなかった。場内には悲鳴は響いたが、番狂わせとは思われておらず、同情さえ買っている。師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は取組前に「信じるしかない」と、進退については稀勢の里の意向を尊重する考え。兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)も「勝っても負けても横綱として、堂々と胸を張ってほしい」と、自分の思うように行動すれば良いとの考えだ。休場を除く横綱在位中の成績は36勝35敗となった。このまま引退なら不戦敗が加わり、年6場所制となった1958年以降の横綱では歴代最低の勝率5割(2番目は栃ノ海の5割9分6厘)。衰えを露呈し、すでに進退は窮まっているのかもしれない。【高田文太】

3連敗の稀勢の里は報道陣の前で腕を組み沈黙を貫く(撮影・垰建太)
稀勢の里の横綱昇進後成績
勝率の低い横綱5傑

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栃煌山「(特別な)意識はある」稀勢の里との1番に

支度部屋で笑顔を見せる栃煌山(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

栃煌山が稀勢の里を今場所1番の相撲で寄り切った。鋭い立ち合いからもろ差しとなり、左下手投げで崩し、勝負を決めた。

「中に入れたんで、良かったと思います」。稀勢の里とは同学年で、43度(17勝26敗)も戦った。昨年九州場所は4日目に対戦して勝ち、稀勢の里は翌日から休場している。

「年も一緒ですし、やっぱり(特別な)意識はある。でも、勝負は勝負。しっかり勝つことに集中しました」と話した。

稀勢の里(右)は寄り切りで栃煌山に敗れる(撮影・小沢裕)

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稀勢の里3連敗に場内シーン…横綱8連敗は単独最多

稀勢の里(右)は寄り切りで栃煌山に敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

進退をかける注目の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が前頭筆頭の栃煌山(31=春日野)に寄り切られ、初日から3連敗となった。

立ち合い踏み込んだがもろ差しを許し、投げを打たれて体を入れ替えられ土俵を割ると場内は水を打ったような静けさとなった。

結び前の一番だったため、そのまま土俵下に残った稀勢の里は、ぼう然とした様子だった。

昨年9月の秋場所から3場所にわたって続く連敗は、ついに歴代横綱の中で、単独最長となる「8」まで伸びてしまった。同場所千秋楽で大関豪栄道に敗れて以降、昨年11月の九州場所では初日から4連敗して途中休場。今場所は初日に小結御嶽海、2日目に西前頭筆頭の逸ノ城、そしてこの日の東前頭筆頭栃煌山と3連敗し、不戦敗を除き、この間合計8連敗となった。横綱の8連敗は、99年名古屋場所から九州場所まで、同じく足かけ3場所で7連敗した貴乃花を抜くワースト記録となってしまった。

稀勢の里にとって、同学年の栃煌山はかつて大関昇進を争うライバルだった。中学卒業後、02年春場所で初土俵を踏んだ稀勢の里の方が、常に一歩先を歩んできた。3年遅れで栃煌山が初土俵を踏んだ時、稀勢の里はすでに幕内。09年夏場所で初めて番付を越されたが、すぐに抜き返すなど、ともに「大関候補」や「日本人ホープ」と期待されていた。当時の稀勢の里は「やっぱり多少は意識する」と、ライバル心をのぞかせていた。

昨年九州場所4日目の取組は、1度は稀勢の里に軍配が上がったが、物言いがつき、行司軍配差し違えで敗れていた。直後の5日目から途中休場に追い込まれるきっかけとなった相手。取組前までは通算26勝16敗。相撲人生の節目で、何度も胸を合わせてきた相手に敗れて不名誉な連敗記録を樹立-。4日目は東前頭2枚目の錦木と、初めて顔を合わせる。

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稀勢の里連敗で引退崖っぷち…後援会4日目に応援へ

逸ノ城にはたき込みで敗れ悔しそうな表情を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、いよいよ引退の崖っぷちに立たされた。西前頭筆頭の逸ノ城にはたき込まれ、金星配給とともに初日から2連敗。昨年9月の秋場所千秋楽から、途中休場した同11月の九州場所と合わせて足かけ3場所で7連敗。貴乃花と並ぶ横綱としてはワーストタイの不名誉な記録となった。師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は取組後、今日3日目の東前頭筆頭栃煌山戦も出場させる意向を示した。

   ◇   ◇   ◇

背中から落ちた稀勢の里は、土俵を1回転した後に動けなくなった。がっくりとうつむいたまま数秒間、動けなかった。右脚は土俵下、両手で上半身を支えるのがやっとという体勢で、逸ノ城に見下ろされた。進退を懸けた場所で連敗スタート。2日目にして金星まで配給した。支度部屋に戻ると、報道陣の問いかけに無言だったが、験直しを意味する髪を洗い、3日目の出場意欲をのぞかせた。

立ち合いが3度も合わなかった。1度目は稀勢の里が手つき不十分。2、3度目は逸ノ城がつっかけた。得意の左四つにこだわりすぎて対策された、初日の御嶽海戦とは異なり、突き放して前に出た。だが幕内最重量226キロの逸ノ城にいなされ、素早く体勢を入れ替えられると、後手に回り、あっさりとはたき込まれた。逸ノ城にはこれで4連敗。2日連続で横綱の意地すら見せられなかった。

田子ノ浦親方は、打ち出し後に部屋に戻ると「(稀勢の里は)いつもやっているケアをしている。もちろん出るつもり」と、3日目も出場の意向を代弁した。引退となれば師弟での話し合いは不可欠だが、その予定は「今のところない」と断言した。

これで3場所にわたって計7連敗(不戦敗を除く)となった。99年名古屋場所から九州場所まで、同じく足かけ3場所で記録した貴乃花と並ぶワーストタイ。不戦敗を含む連敗としても、不戦敗1度の貴乃花と、同2度の照国、北の富士と並ぶ歴代最長タイとなった。

初日から4連敗(不戦敗を除く)した九州場所後、史上初めて横綱審議委員会(横審)から「激励」を決議され、今場所が進退場所の位置づけとなった。その横審の北村委員長は初日に「場所を全うできるのか不安になる」と話したが、それが現実味を帯び始めた。

前日初日の打ち出し後は都内のホテルで行われた、好角家による会合に出席した。「いつも応援ありがとうございます」などとあいさつ。和やかな雰囲気だったが、期待はひしひしと感じている。4日目には出身の茨城・牛久市の郷土後援会が90人余りで応援ツアーを予定。このまま引退に追い込まれれば、主役不在のツアーとなる。そうした積み重ねも少しずつ焦りを誘う。崖っぷちに立たされた稀勢の里に、決断の時が迫っている。【高田文太】

稀勢の里(左)は逸ノ城にはたき込みで敗れる(撮影・小沢裕)

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八角理事長「1つ1つ勝って」白鵬以外上位に奮起を

土俵際に追い込まれた白鵬(左)は素早い身のこなしでかわし栃煌山を突き落としで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

まだ2日目だというのに横綱、大関陣で無傷なのは横綱白鵬(33=宮城野)ただ一人になってしまった。

昨年11月の九州場所も、大関高安(田子ノ浦)が2日目を終わって唯一の全勝で、3月の春場所も横綱鶴竜(井筒)、17年秋場所も横綱日馬富士(伊勢ケ浜)だけと、屋台骨がグラグラと揺らいでいる。ただ、最近のこの3例は、横綱、大関陣に休場者がいる状況だった。

今場所のように、番付にしこ名が載る横綱、大関陣が初日から出場しての「2日目終了時に全勝1人」の不調ぶりは、11年秋場所までさかのぼる。この時は一人横綱の白鵬が連勝。3大関の日馬富士(○●)、把瑠都(●○)、琴欧洲(●●)には2日前までに土が付いた。なお08年九州場所では、初日から出場した1横綱、4大関の全員が2日目までに黒星を喫し、2日目で「全勝不在」となったが、最後は横綱白鵬が13勝2敗で9回目の優勝を飾っている。

白鵬の独走か、若手の貴景勝らが追随するのか、それともスタートダッシュに失敗した他の横綱、大関陣の奮起なるか-。やはり、ここは上位陣の立て直しに期待がかかる。八角理事長(元横綱北勝海)は「みんな分かっていると思うけど、上位陣に言えることは、粘り強く1つ1つ勝って行くこと。勝てば気持ちも変わってくる」と稀勢の里を含めた上位陣に期待した。

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稀勢の里連敗…貴乃花と並ぶワーストタイ横綱7連敗

逸ノ城(上)にはたき込みで破れる稀勢の里(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

稀勢の里が逸ノ城にはたき込まれて2連敗となり、不名誉な記録がまたひとつ加わってしまった。

昨年9月の秋場所千秋楽で大関豪栄道に敗れて以降、11月の九州場所では初日から4連敗して途中休場。前日13日の初場所初日も小結御嶽海に敗れ、この日の逸ノ城戦と合わせて3場所にわたって計7連敗(不戦敗を除く)となった。横綱の7連敗は、99年名古屋場所から秋場所まで、同じく足かけ3場所で記録した貴乃花と並ぶワーストタイ。進退の懸かる場所で、痛すぎる連敗発進となった。

幕内最重量226キロの逸ノ城には、大関時代に初めて顔を合わせ、横綱昇進前までは8勝3敗と得意としていた。だが横綱昇進後はこの日を含め4戦全敗となった。

九州場所前の二所ノ関一門連合稽古では三番稽古に指名し、9勝2敗と大きく勝ち越すなど、苦手意識を払拭(ふっしょく)に努めていた。

初日に敗れた支度部屋では、報道陣から「ここからという気持ちか」と問われ「そうですね」と話した。巻き返しへ、静かに闘志を燃やしていた。だが、結果は伴わなかった。

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若隆元1番相撲白星で200勝、兄弟子蒼国来に刺激

記者の質問に笑顔で答える若隆元(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

福島市出身の東幕下40枚目若隆元(27=荒汐)が1番相撲で白星を挙げた。東幕下41枚目龍勢旺(32=芝田山)との差し手争いから、右を深く差して素早く寄り切り。「自分から攻めていけた」と納得の表情を見せた。

この日の白星で、09年九州場所の初土俵から通算200勝。「全然実感ないけど、節目を飾ることができてうれしい」と笑みを浮かべた。兄弟子の蒼国来が十両に復帰し刺激を受けている。「いつも肩の力を抜け、と指摘される。お世話になっているので、いつかは追いつきたい」と、感謝の気持ちを持って関取昇進に挑戦する。

龍勢旺(手前)の攻めに耐える若隆元(撮影・河田真司)

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貴公俊改め貴ノ富士が白星発進、心機一転で再十両へ

貴ノ富士(左)は寄り倒しで竜虎を下す(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

東幕下3枚目貴ノ富士(21=千賀ノ浦)が西幕下2枚目竜虎を破り、白星スタートを切った。

今場所、しこ名を「貴公俊剛」から「貴ノ富士三造」に改名。前師匠の元貴乃花親方(元横綱)が「名誉ある名前で伝統をつないでほしい」との思いを込め、解説者の北の富士氏(元横綱)らから命名した。三造は後援者の名前に由来するという。

貴ノ富士は新たなしこ名で呼ばれたことについて「支度部屋が暑くてポーッとのぼせていて…覚えてないんです」と苦笑い。「勝ちにこだわっても仕方ないので、とにかく前に出ることだけ考えていました」と土俵を振り返った。

新十両で迎えた昨年春場所中、付け人に暴行をはたらき謹慎処分を受けた。同九州場所を前に部屋も移り、まさに心機一転で再十両を目指す。「これからは切り替えて、新しい“貴ノ富士”という力士として頑張ります」と笑顔で話していた。

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稀勢の里が横綱6連敗…横審も神妙「不安」の声

御嶽海(左)に押し出しで敗れる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇初日◇13日◇東京・両国国技館

進退の懸かる横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、完敗した。得意の左四つに持ち込めず、小結御嶽海に押し出された。

昨年秋場所千秋楽、同九州場所初日からの4連敗と合わせ、不戦敗を除いて6連敗。見守った横綱審議委員会(横審)の面々からは不安の声が上がった。今日2日目は西前頭筆頭の逸ノ城と対戦する。

1度も主導権を握れないまま、稀勢の里はあっけなく土俵を割った。立ち合いから押し込んでも、実際には御嶽海の術中にはまっていた。左をねじ込んで得意の左四つに持ち込みたかったが、固められ、おっつけられた。苦し紛れの突き落としを残されると、体勢を入れ替えられ、腰を落とした万全の相手に押し出された。進退の懸かる場所で、過去6勝1敗と合口の良い相手に痛すぎる黒星発進。3場所にわたる6連敗は、横綱として歴代2位の不名誉な記録となった。

引き揚げる際には首をひねり、天井を見上げる場面もあった。支度部屋では、左差しを狙っていたのか問われ「はい」と、声にならないような声で回答。あとは「ここからという気持ちか」など、2日目の逸ノ城戦以降の修正に前向きな気持ちか確認する質問に2度「そうですね」と答え、時折ぼうぜんとしていた。

昨年11月の九州場所で、初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、途中休場した。横審から史上初の「激励」を決議され、今場所の奮起を促されていた。この日は横審の本場所総見。観客席から見守った北村委員長は「残念ですね。まだ初日。これからがあるといっても、あそこで頑張りきれない。場所を全うできるのか不安になる。バタバタ感がある」と神妙に話した。

一昨年3月の春場所で横綱に昇進以降、これで初日は2勝6敗となった。過去5敗の場所は、すべて途中休場に追い込まれている。データ通りなら途中休場。進退の懸かる今場所は、途中休場に相当する成績なら引退になりかねない。前日12日には「順調にやれた」と、ここまでの調整は万全だと強調。だが多くの親方衆や解説者らからは、稽古量不足を指摘されていた。

入門当時から指導を受けていた、故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)からは「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、猛稽古で強くなってきた。この言葉は先代鳴戸親方が、さらに師匠である元二子山親方(元横綱初代若乃花)から言われたもの。稀勢の里も節目で言われてきた言葉で、関係者によると、稽古量だけではなく、土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。いよいよ後がなくなった今こそ、命懸けの取組を、ファンは待っている。【高田文太】

国技館を引き揚げる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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貴景勝泰然「怖さも楽しみも」大関昇進へ白星発進

正代(右)を激しく攻める貴景勝(撮影・鈴木正人)

昨年の九州場所で初優勝した新関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)が、新年幸先よく勝利した。三役経験もある平幕正代(27=時津風)を突き出しで破った。大関とりも期待される19年、重圧がかかる中で2場所連続優勝へ弾みをつけた。横綱白鵬、鶴竜も白星発進。高安、栃ノ心、豪栄道の3大関はそろって黒星スタートとなった。

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縦3・17メートル、横2・28メートル。巨大な自身の優勝額が国技館に掲げられる中、貴景勝が関脇に昇進して初めて勝ち名乗りを受けた。「もう終わったことなので」と初優勝の充足感は引きずらないが、約2カ月ぶりとなる本場所の大歓声は心地よかった。「やっぱり土俵の雰囲気は稽古場とは違う。あの緊張感や空気が合わさったときに自分も力を発揮できる」。表情に笑顔はなく、淡々と言葉を並べた。

5連勝中と得意にする正代に、立ち合いは押され気味だった。かち上げにひるみ、わずかに後退したが「自分は器用じゃないのでこれしかない」という突き押し相撲は健在。間合いを空けず、下から突き上げて正代の上体を起こした。反撃の猶予を与えず一気に突き出した。「後半は良かったけど、前半はちょっと」と立ち合いで勝負を決められなかったことを反省。それでも「向こう(正代)もそんなに甘くない。白星につながったのは良かった」と結果にはうなずいた。

新関脇の初日は直近20人で勝率3割。先場所を制して重圧も掛かる中「どれだけ精神力を持っているか試されているので、自分の中で怖さも楽しみもある」と強気に構える。今場所から銀色の締め込みに変更し、心機一転を図った。大関とりの可能性もある今場所。1場所15日制になってから、小結優勝を果たした力士は6人中5人が大関以上に昇進している。

「力士をやっている以上、上の番付を目指すのが当たり前」。三役で3場所33勝以上が大関昇進の目安だが、先場所は横綱白鵬、鶴竜が休場している。今場所の横綱戦での結果と内容がカギになる。「いつも通り変わらずやっていくだけ」。マイペースを貫いた先に、大関昇進が見えてくる。【佐藤礼征】

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