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元十両彩豪の墨谷一義さん通夜、同期高崎親方ら参列

東京・浅草で営まれた元十両彩豪の墨谷一義さんの通夜には約300人の関係者が参列した

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの通夜が14日夜、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

墨谷さんは元関脇富士桜の中村親方が興した中村部屋に入門し、1991年春場所が初土俵。95年九州場所で、同部屋第1号の関取になった。突き、押しを得意とし最高位は西十両5枚目で、十両在位は11場所。2005年1月の初場所を最後に引退した。引退後も、さいたま相撲クラブの顧問として少年相撲の相撲に携わり、さいたま巡業の勧進元も務めるなど、協会を離れても相撲の普及に尽力してきた。

そんな人柄をしのぶように、通夜には振分親方(元関脇高見盛)ら高砂一門の親方衆、行司、呼び出し、若者頭らはもちろん、一門の枠を超える藤島親方(元大関武双山)、西岩親方(元関脇若の里)、錣山親方(元関脇寺尾)、同期生の高崎親方(元前頭金開山)らが参列。さいたま巡業では埼玉栄高も運営に協力していた縁もあり、同校出身の平幕力士・妙義龍(32)と佐田の海(31)の境川部屋の現役関取や、幕下以下の若い衆らも参列した。

91年春場所で初土俵を踏んだ同期の高崎親方は「私たち201期生は88人。千代天山、春日錦、私と…(関取になったのは寿山と彩豪を合わせて5人)。急に逝ってしまいました。(3月31日に春巡業が行われた)伊勢神宮で会ったばかりなのに…」と、早すぎる故人の死を悼んだ。

墨谷さんは6日午前、台東区内にある会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。15日には同所で、午後1時から葬儀(喪主は妻の墨谷倫子さん)が営まれる。

東京・浅草で営まれた元十両彩豪の墨谷一義さんの通夜には約300人の関係者が参列した

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元十両の彩豪・墨谷一義さん死去 不整脈で発作か

元十両彩豪さん

大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんが6日に死去した。43歳。遺族が7日、明らかにした。

墨谷さんは6日午前、東京・台東区の会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。詳しい原因は検査中だが、不整脈からくる心臓発作があったとみられている。

墨谷さんは1991年に元関脇富士桜の中村部屋に入門。95年九州場所で、中村部屋第1号の関取となり、しこ名を本名から「彩豪」に改めた。十両在位は11場所で、最高位は西5枚目。2005年1月に引退した後は、会社を興し、近年はさいたま市巡業の勧進元も務めていた。

元富士桜の中沢栄男さんは「連絡をもらってびっくりした。部屋の関取第1号で思い出が一番でいっぱいある。まじめでよく稽古したし、辞めてからも会社を興し、巡業の勧進元までやってくれた。まだ若いのに、残念で寂しい」と話している。

通夜・葬儀の日程は以下の通り。場所は、長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)。喪主は妻の墨谷倫子さん。

▽通夜 14日午後6~7時

▽葬儀 15日午後1~2時

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北尾光司さん波乱の人生に幕 豊かな才能開花できず

土俵入りを行う双羽黒さん(1987年9月13日)

大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。

   ◇   ◇   ◇

北尾さんは2月10日午前7時30分に慢性腎不全のため千葉県内の病院で亡くなっていた。13年より腎臓を患い闘病生活送っていたという。生前の本人の希望で家族葬が執り行われ、2月13日に通夜、同14日い告別式、3月28日に納骨された。

北尾さんは立浪部屋から79年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にちゃんこの味付けをめぐってトラブルになり、部屋を飛び出した。その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。

相撲界を離れた後、スポーツ冒険家と名乗り、第2の人生をスタートさせた。米国冒険旅行などタレントとして活動を2年ほど続けた後、90年2月10日に新日本プロレスの東京ドーム大会でプロレスデビュー。バンバンビガロとのデビュー戦に、ギロチン・ドロップで勝利し、華々しい船出を飾ったかに見えた。

しかし、新日本プロレスでは、単調な試合運びに目の肥えたファンからブーイングを浴びせられるなど、人気は上がらなかった。そのうちに、現場監督を務めていた長州力に暴言を吐き、契約解除を言い渡された。その後、天龍源一郎のSWS、WARでもトラブルを起こし解雇された。

プロレスで居場所がなくなった北尾さんは、総合格闘家へ転身。UWFインターナショナルや、初期のPRIDEなどで試合を行ったが、さしたる実績を挙げられず、98年に現役引退を表明。同年10月のPRIDE4で引退セレモニーを行った。相撲時代同様、プロレス、総合の世界でも周囲とうまくいかず、その才能を開花させることはなかった。

03年9月には、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋を訪れ、部屋のアドバイザーに就任した。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。

◆双羽黒光司(ふたはぐろ・こうじ) 本名北尾光司。1963年(昭38)8月12日、三重県津市生まれ。中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、79年春場所で初土俵。84年初場所で新十両を果たし、同年秋場所で新入幕。85年九州場所後に大関、86年名古屋場所後に第60代横綱昇進。同じ昭和38年生まれの北勝海、小錦、寺尾らと「花のサンパチ組」と呼ばれた。ちゃんこの味付けをめぐり87年12月27日、師匠の立浪親方(元関脇安念山)と大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし部屋を飛び出した。4日後の大みそかに臨時理事会を開き、双羽黒の廃業を決議した。通算348勝184敗24休、優勝次点7回、三賞7回。引退後はプロレスラーなどとして活動し、03年に立浪部屋のアドバイザーを務めた。

高田延彦(右)に腕ひしぎ逆十字固めを決められる北尾光司さん(1992年10月23日撮影)
アントニオ猪木(左)と握手をする北尾光司さん

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元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍

87年大相撲秋場所初日 土俵入りを行う双羽黒(1987年9月13日撮影)

大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。

  ◇    ◇    ◇

北尾さんは立浪部屋から1979年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にトラブルで部屋を飛び出し、その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。

相撲界を離れた後、90年2月10日の新日本東京ドーム大会で、本名の「北尾光司」でプロレスデビューした。クラッシャー・バンバン・ビガロとのデビュー戦を勝利。その後、SWS、UWFインターなどにも参戦し、総合格闘家としても活動したが、98年7月にプロレス、格闘技界からも引退した。

03年9月には、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋を訪れ、部屋のアドバイザーに就任した。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。

当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。

◆双羽黒光司(ふたはぐろ・こうじ) 本名北尾光司。1963年(昭38)8月12日、三重県津市生まれ。中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、79年春場所で初土俵。84年春場所で新十両を果たし、同年秋場所で新入幕。85年九州場所後に大関、同年名古屋場所後に第60代横綱昇進。ちゃんこの味付けをめぐり87年12月27日、師匠の立浪親方(元関脇安念山)と大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし部屋を飛び出した。同親方は協会へ廃業届を提出。4日後の大みそかに臨時理事会を開き、双羽黒の廃業を決議した。通算348勝184敗24休、優勝次点7回、三賞7回。幕内優勝経験がない横綱は史上初。引退後はスポーツ冒険家として遊学後、プロレスラー、格闘家として活動。03年には立浪部屋のアドバイザーを務めた。

新日本東京ドーム大会 プロレスデビュー戦を勝利で飾った北尾光司は花道でガッツポーズ (1990年2月10日撮影)
ルー・テーズ(右)自身が所有するジムで指導を受ける北尾光司(1989年6月7日)
WAR両国大会で天龍源一郎と戦う北尾光司(1995年7月)

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白鵬謝罪、異例2度目の呼び出し「盛り上げようと」

24日、春場所千秋楽で優勝インタビュー後、自ら音頭を取り三本締めする白鵬

大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が、春場所千秋楽の優勝インタビュー後に三本締めを行ったことへの聴取を受けるため、滞在先の大阪から東京に呼び出された。日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で開いた理事会に、白鵬と師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)を呼んで相撲道などを諭した。17年11月の九州場所でも万歳三唱などで厳重注意を受けており、1年半足らずの短期間に、現役横綱が2度も理事会に呼ばれる極めて異例の事態。調査はコンプライアンス委員会に委嘱された。

理事会の途中で、白鵬は宮城野親方とともに理事会が行われている会議室に入室した。春場所千秋楽で観衆に促し、自ら「ヨーッ」と音頭を取って行った三本締め。これに「一力士が締めてよいのか」と、千秋楽翌日の25日に横綱審議委員会(横審)から、26日には評議員会からも苦言が呈された。千秋楽の表彰式後に行う神送りの儀式の前に手締めをしたことで、この日も「おかしい」という声が出た。さらに「(数々の記録は)単なる数字だけで終わってしまうよ」と諭されて白鵬は謝罪したという。

呼び出された白鵬と宮城野親方は、理事会に説明のため出席し相撲博物館の学芸員から「相撲は単なるスポーツではない」と、相撲道の理解を求められた。その後の聴き取りなどを含めて、理事会には10分前後滞在した。白鵬は一昨年九州場所の千秋楽でも観衆に促して万歳三唱を行い、厳重注意を受けている。その時以来の呼び出し。そもそも現役横綱が理事会に呼び出されることが極めて異例だが、1年半足らずの間に2度も呼び出される前代未聞ともいえる事態となった。

師匠は注意をしてきたと述べたが、白鵬は「平成最後の場所ということで、盛り上げようと思って締めた」という趣旨の説明をしたという。今回の三本締めは、相撲協会のコンプライアンス規定の第5条「違反行為」の第7項にある「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」にあたるかどうか、コンプライアンス委員会に調査を委嘱。コンプライアンス委から八角理事長(元横綱北勝海)に答申があり、その後、臨時理事会で検討。答申を受けて、必要な場合は処分を科す。

白鵬はこの日、報道陣と対面せず引き揚げた。理事会に出席した芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「第一人者である以上こういうことも大事だと認識してもらう」と、再発防止を求めた。平成最後の場所についた物言いは、平成のうちに決着するか微妙になってきた。

◆白鵬前回の注意処分 暴行問題で渦中にあった17年11月の九州場所千秋楽の優勝インタビューで「日馬富士関と貴ノ岩関を再びこの土俵に上げてあげたいなと思います」と発した上、観客に万歳三唱を促した。また同場所11日目の嘉風戦に敗れた後、立ち合い不成立を執拗(しつよう)にアピールした行為も併せ、11月30日の理事会に福岡から東京に師匠とともに呼び出され厳重注意された。

両国国技館を引き揚げる白鵬を乗せたと思われる車(一部加工)(撮影・鈴木正人)

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白鵬と師匠を事情聴取 三本締め処分委員会に委ねる

両国国技館を引き揚げる白鵬を乗せたと思われる車(一部加工)(撮影・鈴木正人)

日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で開いた理事会に、横綱白鵬(34=宮城野)と師匠の宮城野親方(61=元前頭竹葉山)を呼び、事情聴取を行った。

白鵬は、史上最多を更新する42度目の優勝を果たした春場所千秋楽(24日)の優勝インタビューの最後に、場内のファンに促し、三本締めを行っていた。

この行為に対し、千秋楽翌日の25日に行われた横綱審議委員会(横審)の定例会合でも多くの時間が割かれて論議された。会合後の会見で、横審の矢野弘典委員長(78=産業雇用安定センター会長)は「違和感を覚える人が多かった。優勝した横綱といえども、一力士として、そうゆうことをやれる立場なのかという疑問がある。本場所は神送りの儀式が終わって全てが終わる。(インタビュー後に各種表彰式なども控え)まだ途中なのに、会場が手拍子でいっぱいになりビックリした」と疑問を呈していた。その上で、日本相撲協会に対し「理事会として、どう考えるのか」と対応を求めていた。

理事会では、この白鵬の行為がコンプライアンス規程の「違反行為」の第5条第7項の「土俵上の礼儀、作法を欠くなど、相撲道の伝統と秩序を損なう行為」に抵触するのではないか、との説明があった。白鵬のインタビューは、この第7項にある「土俵上」で行われたものではないが、広義にとらえて問題視されたようだ。処分についてはこの日は決めず、コンプライアンス委員会にゆだね、八角理事長(元横綱北勝海)への答申を待って再度、理事会で決まる運びとなる。

処分は決まらなかったが、師弟ともども「単なるスポーツではない」と説かれ、また「活躍しても単なる数字だけで終わってしまうよ」という声もあったという。理事会に出席した日本相撲協会理事の芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、白鵬は「平成最後の場所ということで、盛り上げようと思って締めた」という趣旨の説明をしたといい、今回の件で謝罪もしたという。

白鵬は17年九州場所でも、優勝インタビュー後にファンを促し万歳三唱をして問題になった。この問題についても横審で話題になり、その後、理事会で宮城野親方と本人が呼ばれ厳重注意されていた。

24日、優勝インタビューで詰め掛けた観客といっしょに自ら音頭を取り三本締めする白鵬(撮影・小沢裕)

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あんこ型で押し相撲の圧力を最大限発揮/貴景勝連載

大関昇進の伝達式を終え会見を行う貴景勝(撮影・清水貴仁)

<貴景勝の心技体 平成最後の新大関(下)>

大相撲で貴景勝関(22=千賀ノ浦)の大関昇進が27日、正式に決まった。「平成最後の新大関」では、22歳の若武者の原点や素顔などに迫る。

◇  ◇  ◇

身長175センチがより小さく見えた。春場所千秋楽での三賞受賞者3人の記念撮影。2場所連続で技能賞を獲得した貴景勝が、190センチオーバーで巨漢の碧山と逸ノ城に挟まれる。身長は幕内で4番目に低い小兵力士。小3で相撲を始めた時から「体が小さいし無理、と言われるたびに逆にやってやろうと気合が入った」と、反骨心を原動力に変えてきた。

上背がないだけに体重増加に注力した。「臓器を押しやってまで胃袋が大きくなったと思う」。1カ月の食費を家族で約30万円かけてもらい、小学校卒業には身長160センチ、体重は相撲を始めた頃の30キロから80キロに増量した。小学生の時、角界は元横綱朝青龍が全盛。180センチ台前半と力士として大柄ではなかっただけに、父一哉さん(57)も「運動神経と闘争心とスピード、朝青龍を見て、体が大きくなくても超一流になれるんや」と勇気がわいた。

見た目よりも実用性だ。埼玉栄高時代はベンチプレスで同高相撲部で最高記録となる200キロを上げたが、今は数字にこだわらない。「胸の筋肉は、普通はこんなところは跳び出ない。(上半身を鍛えて)満足しがちだけど、逆三角形の体形は強くないから」。格闘技観戦が趣味で、参考は尻まわりや太ももが発達した「洋なし体形」のUFCの選手。自身もいわゆる肉付きが良く丸い体形の「あんこ型」で押し相撲の圧力を最大限発揮できるという。

食生活もストイックに取り組んできた。「小さいから、こういうところで差をつけないと」。サプリメントは20種類以上を摂取。初優勝した昨年の九州場所では、多いときで1日10個以上の卵を食べて話題を集めた。プロテインは「甘いのは余計だから」と、味をつけないプレーン。しかし、最近は考え方もまた少し変わった。食事を楽しむ快感が、細胞を活性化させるという。「栄養バランスも大事だけど、自分がおいしいと思うものを食べるのも大事。その辺のバランスは難しい」。最適な体づくりを常に模索している。【佐藤礼征】(おわり)

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貴ノ花は「不撓不屈」/大関昇進伝達式の主な口上

大関昇進の伝達式で口上を述べる貴景勝(撮影・清水貴仁)

大関昇進伝達式では、決意を披露した口上が大きな見せ場となる。主なものを紹介する。(しこ名は当時)

▽貴ノ花「不撓(ふとう)不屈の精神で」(1993年初場所後)

▽若ノ花「一意専心の気持ちを忘れず」(93年名古屋場所後)

▽貴ノ浪「相撲道に勇往邁(まい)進する所存」(94年初場所後)

▽武蔵丸「日本の心を持って」(94年初場所後)

▽白鵬「全身全霊をかけて努力」(2006年春場所後)

▽琴奨菊「万理一空の境地を求めて」(11年秋場所後)

▽稀勢の里「大関の名を汚さぬよう、精進」(11年九州場所後)

▽鶴竜「お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力」(12年春場所後)

▽豪栄道「大和魂を貫いて」(14年名古屋場所後)

▽高安「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進」(17年夏場所後)

▽栃ノ心「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進」(18年夏場所後)

▽貴景勝「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進」(19年春場所後)

大関昇進の伝達式で口上を述べる貴景勝(左)、右は千賀ノ浦親方(撮影・清水貴仁)

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貴景勝が満場一致で大関昇進、34勝&上位戦を評価

栃ノ心を押し出しで破り10勝目を挙げ、ホッと一息つく貴景勝(19年3月24日撮影)

日本相撲協会は27日午前、大阪市内で夏場所(5月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)の大関昇進を、満場一致で承認した。

貴景勝は昨年11月の九州場所で、13勝2敗の好成績を収めて初優勝を飾った。今年に入り1月の初場所は11勝、今月の春場所は10勝。大関昇進の目安とされる、直近3場所の合計33勝を上回る34勝(11敗)をマークした。この間、稀勢の里(現荒磯親方)、白鵬、鶴竜の3横綱から、それぞれ1勝ずつ挙げて計3勝(1敗)など、上位戦の好内容も評価され、異論はなかった。

春場所千秋楽の24日に、審判部の阿武松審判部長(元関脇益荒雄)が八角理事長(元横綱北勝海)に、貴景勝の大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請。これを受諾され、この日の臨時理事会開催となった。

貴景勝は兵庫県芦屋市出身で、埼玉栄高から当時の貴乃花部屋に入門。14年秋場所で初土俵を踏み、16年夏場所で新十両、17年初場所新入幕と、順調に出世してきた。幕内在位は14場所で、過半数の8場所で2ケタ白星を挙げている。

日本相撲協会は千賀ノ浦部屋関係者が待つ大阪市内のホテルに、審判部から使者を派遣し、昇進を伝達する。伝達式では、貴景勝が口上を述べる予定となっている。

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相撲協会黒字は3・4億減 暴力問題の調査費2億円

海老沢勝二氏(18年3月26日撮影)

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で評議員会を開いて18年度の決算を承認し、経常収益から経常費用を差し引いた額は約5億700万円のプラスだった。4年連続の黒字となったが、昨年より約3億4400万円減った。

暴力問題再発防止検討委員会が協会員らに行った調査費用に約2億円かかったことなどが響いた。事業収益は約5900万円の減少。昨年の西日本豪雨などの影響で、九州場所で入場券完売を意味する札止めの日数が8日間に減った。国技館の土地、建物を含めた正味財産は前年より約5億200万円増え、約377億5700万円。

また、将来的な国技館改修工事の際のアスベスト除去費用として、17年度の決算から約7億5500万円を積み立てたため、17年度の正味財産を約372億5500万円に訂正した。

評議員会の海老沢勝二議長(元NHK会長)は「いろいろ問題はあったが、全協会員が一致して大相撲界を再生させようという意気込みが感じられた。これを持続できるよう、一層努力していただきたい」と述べた。

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三本締めの白鵬に横審再び苦言「やれる立場なのか」

横綱審議委員会後の会見で記者の質問に答える矢野委員長(左)と芝田山理事(第62代横綱・大乃国)(撮影・垰建太)

史上最多を更新する42度目の優勝を果たした横綱白鵬(34=宮城野)に、再び苦言が呈せられた。

日本相撲協会の諮問機関である、横綱審議委員会(横審)は、大相撲春場所千秋楽から一夜明けた25日、東京・両国国技館で定例会合を開いた。約30分の会合で多くの時間が割かれたのが、千秋楽の優勝インタビュー後、白鵬が場内のファンに促し、三本締めを行ったことだった。

このことについて、矢野弘典委員長(78=産業雇用安定センター会長)は、会合内で「話題になり、いろいろな意見が出ましたが、違和感を覚える人が多かった」と説明。そもそも三本締めは全てが終わってから行うもので、各種表彰式、出世力士手打式、そして最後に「神送りの儀式」が終了して、場所が終わるというのが認識だ。「優勝した横綱といえども、そういうことをやれる立場なのかという疑問がある。会場中が手拍子でいっぱいになってビックリしました」と個人的な感想も述べた。

白鵬は17年九州場所でも、優勝インタビュー後に万歳三唱を促してファンと行ったばかりか、インタビュー中には、当時、暴行問題のまっただ中にあり、休場した加害者の横綱日馬富士(九州場所後に引退)と被害者の貴ノ岩(昨年引退)の名前を挙げ「土俵に上げたい」と声を大にした。この問題についても横審で話題になり、その後、理事会で師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)と本人が呼ばれ厳重注意された経緯がある。

その前例も会合内では話題となり「万歳三唱がダメで三本締めならいいのか」など、厳しい意見が出たという。同委員長は「具体的に(横審としての)提言ではないが(会合の)全体として『おかしいのでは』という違和感があった」と説明。「理事会として再度、どう考えるのか」と協会の姿勢を問いかけた。

定例会合に出席した日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「協会を引っ張っていく第一人者としては、あるまじき行為ではないかというご意見があった。協会にも(ファンから)苦情など賛否両論の声が届いた。古き、古式ゆかしきものは残さないといけない。言動、行動で分かってもらわないといけない」と話した。今後、理事会などに呼び再度、注意するなどについては、現状では「段取りは分からない」と未定であるとし「後日、対処します」と協会としてのスタンスを示すことを示唆した。

優勝インタビューで詰め掛けた観客といっしょに自ら音頭を取り三本締めする白鵬(撮影・小沢裕)
横綱審議委員会に出席した理事と委員たち。左から4人目が矢野委員長(撮影・垰建太)

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貴景勝 伝達式「自分が志す言葉入れたい」一問一答

大相撲春場所の一夜明け会見で本紙を手に撮影に臨む貴景勝。右は千賀ノ浦親方(撮影・小沢裕)

大関昇進を確実にした関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)が栃ノ心との“大関入れ替え戦”を制した春場所千秋楽から一夜明けた25日、東大阪市内のちゃんこ店「新(あらた)」で師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)と一緒に会見を開いた。

以下は一問一答。

  ◇   ◇

-今はどんな気持ちか?

貴景勝 もう少し疲労を抜きたいのと、本当にホッとした気持ちです。場所の後半からいろんなことを考えました。いい経験をさせてもらったと思います。

-疲れたか?

貴景勝 まあ今場所に限らず、疲れるのは毎場所で当たり前ですが、少し精神的に。

-千秋楽の一番はどんな気持ちで?

貴景勝 自分が勝っているものは何か、よく考えて。(栃ノ心とは)体の大きさも違うし。自分の持っている武器を出して、負けたなら負けたで。自分の相撲を貫こうとだけ考えていた。

-勝った瞬間は?

貴景勝 まず15日間(相撲を)取り終えたという感情が最初に浮かんだ。体全体の力が抜けて動かないような。(昨年九州場所で)優勝した時は頭が真っ白になりましたけど、今回はだるくなるような感じでした。

-その後、土俵下に腰を落としてからは?

貴景勝 (逸ノ城に負けた)14日目の夜から朝までの時間が大切でしたし、部屋に戻っていろんなこと考えた。まあ、自分の相撲を取りきるしかないと。後は15日間、ケガなく千秋楽までできたこと。昨年(の春場所)はケガして休場している場所でもあるので、体のメンテナンス、ケアしてきて、多くの人に支えられてきた。そういう人たちのために最後は勝ちたいなと思っていた。

-14日目、敗れた相撲はもろ手突きでいった。何か考えたことがあったのか

貴景勝 突き放してと。特に考えはなかったけど、体がとっさに動いた。直感に任せて動いた。負けたのはもろ手突きでいったから、頭からいかなかったからというのではない。頭からいってても負けたかもしれない。相手(逸ノ城)が強かったから負けたと思っている。

-15日間を振り返って

貴景勝 序盤戦に3勝2敗になったんで。横綱大関と取る前に。情けなさもあったけど“どうせ負けるなら、自分の相撲をとって負けよう”と思った。序盤戦で2敗したことが逆に良かったかもしれない。

-ただその後、連敗(11日目の白鵬戦、12日目の豪栄道戦)もあって考えることもあったのでは

貴景勝 横綱、大関に負けてたら大関になれない。残り3日、相手はだいたいわかっていたし(13日目=高安、14日目=逸ノ城、千秋楽=栃ノ心)何としても取り返そうと思った。

-今場所1番きつかったことは

貴景勝 負けた時の花道で、子どもとか、タオルを振ってくれている人とかシュンとしていたこと。

-その中で支えになったのは

貴景勝 もちろん、師匠や周りの人。千賀ノ浦部屋でやってきて、快適な相撲に打ち込める環境を作っていただいた。関取衆も。1人では稽古できないし、体のメンテナンスとかも。

-大関昇進を決めた、昨年九州からの3場所はどんな場所だったか

貴景勝 初優勝は何も知識がなく、勢いの部分もあった。1月(の初場所)は新関脇で、横綱、大関と疲労が出てくる後半で当たるようになった。それは初めての経験。千秋楽(の豪栄道戦)でああいう情けない相撲をとって“3月場所の千秋楽は絶対にこういう終わり方をしたくない”と思った。短い期間で急に強くはなれないけど、自分の力が出やすい筋肉の持っていき方とか、精神の持っていき方とかをあらためて考えた。まあ精神的な部分が大きかったかなと思う。

-先場所から今場所までは重圧や、いろんなものがあったのでは

貴景勝 やっぱりチャンスは何度も巡ってこない。いろんな人が「またチャンスは来るよ」と言ってくれますが、やってる方からしたら、何回も来るとは思っていないので、何としても(大関昇進を)ものにしたいと思っていた。

-地元関西の場所で大関をかけて戦ったことは

貴景勝 昨年(の春場所)はケガをして“このままでは幕内上位で戦っていけない。体が壊れる”と教えてもらった。それが本当に自分の中で大きかった。初優勝につながった。今年はご当所でもあるし、たくさんの人が応援してくれて、力になった。

-師匠に。今の心境は

千賀ノ浦親方 九州場所の優勝と違って「10番勝てば…」ということがあったので、ドキドキした。千秋楽は“世紀の一番”。そこで自分の相撲をとれる。精神的にも肉体的にもすごいと感じた。貴景勝は突き押し相撲だけど、連敗しない。普通、押し相撲はするんですけどね。2連敗したときは稽古場で2、3言話し掛けましたけど。自分で考えてやっているので、気持ちよく稽古できるようにやってきた。

-水曜日は伝達式

千賀ノ浦親方 なかなか誰でもできることじゃない。私も緊張している。

-どんな大関になってほしいか

千賀ノ浦親方 どんな大関というより、今の貴景勝の相撲でいいんですよ。もっともっとパワー、スピードをつけてね。“押し相撲と言えば貴景勝”と言われるような力士になってくれたらいい。

-再び貴景勝関に。水曜日に(日本相撲協会からの)使者を迎えることになるが、どんな気持ちか

貴景勝 しっかりした気持ちで臨んで、いい経験をさせてもらいたい。

-どんな口上を

貴景勝 自分が志す言葉、救われてきた言葉を入れたいと思っている。

-どんな大関になりたいか

貴景勝 力士だったら次の番付(横綱)を目指すのが当たり前と思う。そういう気持ちでいかないと、大関は張れないと思う。どういう大関というより、さらに上を目指してやっていきたいと思う。もっとこの相撲を、まわしのとれない突き放して、突き放してというのをもっとやっていきたいと思う。

-新しい元号になるが

貴景勝 平成最後の場所だけに優勝を目指したけど、実力不足でできなかったけど、場所前から(大関昇進は)決めたい、と思っていた。平成最後の場所で、悪い成績を残したくないとすごく思っていた。

(以上、代表質問)

-場所前から大関に、と公言して、重圧を乗り越えてそれを果たした気持ちは

貴景勝 今までは、あえて場所前に「次」ということを意識しなかった。平幕の時は「三役」と言わず「次の番付」という言い方をしてきた。今回初めて、具体的に「大関」という言葉を出したのは、大関の資質というのは重圧を正面からはね返せるものがないと、思ったので。自分でさらに(重圧を)かける、そしてそれをはね返さないとなれないな、と思ったので。自分で「圧」をかけた分、場所で精神的に来るものは大きかったけど「今後にこれは必ずいい経験になる」と感じた。

-初優勝時と比べて、周囲の反響は

貴景勝 初優勝の時は誰も「する」と思ってないし、あれよあれよで自分でもビックリしたし、実感わかなかった。今回はやっぱり数字(10勝以上)だったので。優勝の時は「優勝した、その日」という感じだったのが、今回は「あと何番、あと何番」で、後半に向けて高まってきた。(期待してくれる)周囲にも、自分の夢にも答えたかった。優勝の時より精神的に来るものがあったし、成長もできたと思う。賜杯も夢だったし、優勝を目指していたけど、得るものはわからなかった。今回の経験の方が必ず今後に生きると思う。

-先場所の千秋楽を「情けない相撲」というが、それが今場所につながったか

貴景勝 あれが本当に活力になった。取組終わって支度部屋で座っていて、大事なところで力を発揮できなかった、情けない気持ちで。「早く次の場所で挽回したい。初日を迎えたい」と思った。3月場所まで短かったけど、それを長く感じた。

-あの取組で右足の裏を負傷したが

貴景勝 負けた悔しさもあったし、ああいう情けない相撲をとったからケガにつながった。相撲とるだけが稽古じゃない。瞬発力を取り戻すために基礎からもう1度と思ってやってきた。

-大関は看板力士。周囲の見る目も変わる。人としてどういう風に

貴景勝 自分のポリシーですが、力士は他のスポーツ選手と違う。昔からの伝統をしっかり重んじなければ、と思う。昭和の力士、先輩方のマネする部分はしっかりマネしていきたい。それをあまり言葉でなく、土俵で見せる力士になるべきだと思う。まず強くならないと。そういう考えを持ちながら、強い大関、もっともっと強くなりたいと思う。

-優勝した昨年九州から3場所の躍進をどうとらえているか

貴景勝 その要因は昨年の大阪場所と思う。今までの食事の取り方、ケアに対する甘さではダメだと思って、変えた。それが半年後に少し出たかもしれない。まあ小学校からやってきたことが生きたかもしれない。そこは自分でもわからないけど、昨年のケガが大きかったことは間違いない。

-全勝優勝した白鵬との距離をどう感じているか

貴景勝 それはもう経験も違うし、実力も違う。でも“対誰か”じゃなくて、自分が実力を上げること、強くなって少しでも近づきたい。

-「土俵で見せる」と言ったが、どんなことを伝えたいか

貴景勝 それを言っちゃうと、土俵で見せる前に、となるので言わない方が。

-先代の師匠(元横綱貴乃花親方)には

貴景勝 正式に(昇進が)決まったら(連絡をとろう)と思っています。

-常々「体が大きくないから」と言っている。それで貫いてきたことはあるか

貴景勝 ものすごくコンプレックスに感じる部分と、感じない部分の2つ持つことが大事だと思っている。「体が小さいから、どういう相撲をとれば」と感じなければ、相撲はとれない。小さいから小さいなりの相撲をとっていくしかない、というマイナスの部分と、小さいから何ができるか、逆に小さいからこそ相手より勝れるとことがあるんじゃないか、とプラスにとらえる部分。その2つを持ち合わせることで、小学校から相撲をとってきた。昔が大きくて、今が小さいのでなく、小学校の頃から小さかったので「大きな相撲」はとれず、ずっと「小さい相撲」をとっている。瞬発力とか、小さい人が(大きい人に)勝れる部分でやってきた。

-父親(一哉さん)が小さな頃からサポートしてきたと思うが、その父親に

貴景勝 小さな頃からの目標、目指す人が父親だったんで、感謝している。父親がいなかったら、こんなに相撲に夢中になることもなかった。母親(純子さん)も体を大きくするために、一生懸命食事を作ってくれた。どの家庭でもそうでしょうが、両親に感謝したいです。

大相撲春場所の一夜明け会見に臨む貴景勝(左)と千賀ノ浦親方(撮影・小沢裕)
大相撲春場所の一夜明け会見で笑顔を見せる貴景勝(撮影・小沢裕)

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白鵬、右上腕負傷 新元号場所での連続優勝へ暗雲

優勝インタビューを終えた白鵬は取組で痛めた右腕を押さえて苦悶(くもん)の表情を見せる(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、歴代最多を更新する42度目の優勝で、平成最後の本場所を締めた。

鶴竜との横綱対決を下手投げで制して15連勝。最後まで1敗の平幕逸ノ城に追いつかれることなく、いずれも歴代1位の15度目の全勝優勝、初優勝の06年夏場所から続く14年連続優勝を達成した。だが1分2秒5にも及ぶ大相撲で、右上腕を負傷。目標としていた、新元号最初の夏場所での連続優勝には早くも暗雲が垂れこめた。

平成最後の本場所を明るく終えようと、白鵬は優勝インタビューで観衆に三本締めを促した。大団円のはずが、三本締めから拍手に変わると顔をしかめた。右上腕の痛みは限界だった。インタビューに向かう前、取組直後の支度部屋では、アイシングしながら「アーッ」と、何度も叫んだ。

鶴竜との取組は大相撲となった。得意の右四つに巻き替え、寄っては戻され1分超。最後は寄りからの下手投げで仕留めたが、すでに右上腕は悲鳴を上げていた。痛めたのは「最初」だという。それでも踏ん張れたのは常々話す「平成に育てられた」という感謝の思い。野球賭博問題の影響から、10年名古屋場所は全勝優勝したが、賜杯を辞退していたため、受け取れずに涙を流した。その後、天皇陛下から手紙をいただいたことが「1番の思い出」と、18年間の力士人生を振り返る。だからこそ平成最後の場所は譲れなかった。

今場所は場所前から、元横綱千代の富士を意識した言動が目立った。貴景勝の大関とりには「ちょっと邪魔してやろうかな」と、千代の富士が貴花田(元横綱貴乃花)からの初挑戦前に発したコメントを引用。昭和最後の本場所となった88年九州場所を制した「昭和の大横綱」を意識した。千代の富士の最後の優勝は35歳5カ月。「これを超える時は東京五輪の後」と、1年半後を見据えている。

長く現役を続けるため、昨年11月には3年連続3度目の断食を行った。期間は3日間。京都市にある杏林予防医学研究所の山田豊文所長によると「食物の摂取を続けていくと、細胞に消化できないタンパク質がたまりダメージを与えてしまう。それが老化」という。細胞を休ませ、若返りを図って“老い”と戦う。千代の富士は30代としては最多の5度全勝優勝したが、白鵬も今回で4度目と迫る。

右上腕の負傷は今後、精密検査などを受ける見込みだ。平成最後と同時に、新元号最初の本場所優勝も目標に掲げたが、現状では出場も微妙。支度部屋を出る際に白鵬は「無理したね」と、視線を落とした。「平成最後の優勝」の代償は大きかった。【高田文太】

大相撲春場所千秋楽 全勝で優勝を決めた白鵬は応援に駆けつけたサッカーJ1神戸のポドルスキと笑顔で写真撮影(撮影・奥田泰也)
優勝祝勝会で笑顔を見せる白鵬(撮影・上田博志)

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貴景勝の大関とりに師匠もしびれた「血圧500に」

千賀ノ浦部屋の披露会で千賀ノ浦親方(右)と乾杯する貴景勝(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

貴景勝の師匠、千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)は栃ノ心戦を場所で見た。「血圧が500ぐらいまで上がったんじゃないかな。今日は久しぶりにしびれた」と興奮を隠さなかった。

元横綱貴乃花親方の退職に伴い、貴景勝を預かったばかりの昨年九州場所では初優勝。そして今回の大関とり。「あのプレッシャーの中で大関を圧倒する相撲を取った。(貴景勝の)度胸をあらためて感じた」と笑顔で弟子に恐れ入っていた。

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狼雅が序二段V、優勝決定戦で元大関照ノ富士下す

大相撲春場所千秋楽 狼雅、序二段優勝(撮影・奥田泰也)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

序二段優勝は狼雅(ろうが、20=二子山)、7戦全勝。優勝決定戦で、鳥取城北高の大先輩で元大関照ノ富士をもろ差しから投げで勝負を決めた。

「頭真っ白です」。大関だった頃も稽古をつけてもらった。「めちゃくちゃ仲のいい、大事な先輩」。元高校横綱が序ノ口から2場所連続V。同学年の豊昇龍、納谷らに「少し近づいた」と笑った。

◆西15枚目 本名・アマルトゥブシン・アマルサナー。モンゴル・ウランバートル市生まれ。18年九州場所初土俵。184センチ、137キロ。右四つ、寄り。

優勝決定戦序二段 照ノ富士(左)を下手投げで破る狼雅(撮影・渦原淳)

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16年目、癒し系力士の唐津海が3度目の三段目優勝

三段目優勝し、笑顔でガッツポーズをする唐津海(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇13日目◇22日◇エディオンアリーナ大阪

三段目は、西39枚目の唐津海(30=玉ノ井)が7戦全勝で昨年夏場所以来、3度目の優勝を果たした。

ここまで6戦全勝で3人が並んでいたが、琴宮倉(21=佐渡ケ嶽)が序二段で全勝だった狼雅(20=二子山)に敗北。直接対決の太一山(21=千賀ノ浦)との勝者が優勝決定の一番となり、突き放しから距離を取り、勝機を見逃さず右から強烈に突き落とし、優勝を決めた。

今場所好調の要因は「土俵際で残れたこと」。1番相撲では土俵際にいっぺんに持って行かれたが「残れたのが(場所を通じて)良かった」と振り返った。土俵生活も16年目に入った。10年初場所の序二段を含めれば、各段優勝は4度目。この1年で2度の三段目優勝に、関係者からは「また優勝しちゃったな」と手荒い言葉で? 祝福された。

来場所は再び幕下に上がることから唐津海本人も「また(幕下に)戻っちゃう。ボコボコにされそうで怖い」と言って周囲の爆笑を誘うなど、周囲を和やかにする“癒やし系”力士といえそうだ。

新弟子が半年間、通う両国国技館内にある相撲教習所では、稽古場の教官を約4年前から務める。「教える立場として(本場所で対戦する時は)若い力士に負けられないなという気持ちが半分。その半面、勝ったらかわいそうだなと思う」と気は優しくて力持ちを地で行く。

最高位は8年前の11年九州場所での西幕下12枚目。今後の目標は「教官として教える立場上、幕下や三段目ぐらいじゃないと『何だコイツ』と思われるから」と現状の地位を維持すること。「その中でチャンスがあれば」と殊勝に目標を口にしていた。

太一山を突き落としで破る唐津海(撮影・小沢裕)

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豊ノ島「こんなこと初」迷い9敗、幕内残留が瀬戸際

大相撲春場所12日目 炎鵬が押し出して豊ノ島に勝利する(撮影・奥田泰也)

<大相撲春場所>◇12日目◇21日◇エディオンアリーナ大阪

16場所ぶりに復帰した幕内で、前日11日目に負け越しが決まっていた西前頭14枚目の豊ノ島(35=時津風)が、この日も敗れ9敗目(3勝)を喫した。3日を残し幕内残留の瀬戸際に立たされた。

西十両2枚目で小兵力士として人気のある炎鵬(24=宮城野)と対戦。過去に、幕下時代の17年九州場所と十両だった先場所の2度対戦。寄り切り、引き落としで連敗している相手だ。かつて「見てて面白いし個人的には応援したくなる」と話していたが、対戦するとなると、これほどやっかいな相手も少ない。案の定、迷いながら立ち合いで繰り出した右の張り手は、炎鵬の左肩あたりを突く“空振り”状態。中にもぐられると起こしにかかるが、粘着剤のように食い下がられる。それでも猛進したが、右上手を取られ、その右から振られ、体を入れ替えられた。なおも下から押し上げられ、たまらず引いたところを押し出された。

幕内の初口(最初の取組)で、相手はくせ者。「立ち合いの寸前まで、どうやって行こうか(整理できず)考えすぎた。ちゃんと決めていけば良かったのに、向こうもいろいろなパターンがあるから、こっちも(対処法で)いろいろなパターンを考えすぎてね。こんなこと初めて」と迷いが敗戦を招いた。

最後に引いた場面も「相手は軽いんだから引くのではなく、我慢しなければいけないのに」と反省しきり。前日、負け越しが決まり「気楽に行こうと思った」というが「それを体がはき違えて、フワッと立ってしまった。そうゆうことじゃないのに、体がかみ合っていない。フワフワして力が入らない感じだった」。約3年ぶりに戻った幕内の土俵は、さまざまな課題を突きつけてくれる。「いろいろと勉強になる場所です。残り3日、納得のいく相撲を取って場所を終えたいですね」。残り3番に全力を尽くす。

豊ノ島(左)を押し出して炎鵬の勝ち(撮影・黒河謙一)

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白鵬、封印中のかち上げ解禁で貴景勝ぶん投げカベに

立ち会いで貴景勝(右)をかち上げる白鵬

<大相撲春場所>◇11日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、気迫を前面に出して大関とりの関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)を寄せ付けなかった。横綱審議委員会(横審)からの苦言で、一昨年11月の九州場所を最後に、封印していたかち上げを解禁し、厳しく攻めた。負ければ世代交代を印象づける一番を豪快な上手投げで仕留め、全勝キープ。1敗は平幕の逸ノ城1人となり、42度目の優勝へ近づいた。

約1年4カ月ぶりに、白鵬が“伝家の宝刀”を抜いた。貴景勝の立ち合いの圧力を軽減させつつ、攻めの姿勢を貫くため、かち上げを解禁した。狙い通りに出はなをくじくと、相手得意の突き、押しにも冷静に対応。最後は得意の右四つから左上手投げで仕留めた。かち上げは横審に「美しくない」と苦言を呈された、左を張ってからの連続技ではない。胸から首もとを的確に狙った攻守一体、正統派の技で、その後の横綱相撲と合わせて一蹴。大きく息を吐く気迫全開で、次世代の扉を開かせなかった。

激しい内容にも「じっくりと見ていった。若いころは、あんな稽古をしていたけど激しいとは思わない」と、当然とばかりに胸を張った。1月の初場所では御嶽海、玉鷲、貴景勝に3連敗して14日目に途中休場。今場所は9日目から同じ順番で3人と対戦し、全員への雪辱が完了。「昨日は昨日、今日は今日。そして明日は明日」と、一番ごとの積み重ねと強調していた。

とはいえ今月5日には、二所ノ関一門の連合稽古に一門外から参加し、貴景勝を真っ先に指名した。17勝1敗と圧倒すると、玉鷲にも無傷の11連勝。雪辱への準備に余念はなかった。

今場所の新番付発表直後の2月末には、大関とりの貴景勝に対し「ちょっと邪魔してやろうかな」と、カベになることを宣言していた。実はこの言葉、元横綱千代の富士が、貴花田(後の元横綱貴乃花)との初対戦前に使ったもの。世代交代を許さない決意表明だったが、現実には千代の富士は敗れて引退。白鵬はその結末までは知らなかったが「有言実行だね」と不敵に笑う。平成最後の本場所でなお「白鵬時代」の盤石ぶりを示した。【高田文太】

貴景勝を破り、懸賞金を手にする白鵬(撮影・河田真司)
白鵬(手前)に上手投げで敗れる貴景勝(撮影・河田真司)

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白鵬「激しいと思わない」かち上げ解禁で貴景勝下す

貴景勝を上手投げで下し懸賞金を手にする白鵬(撮影・清水貴仁)

<大相撲春場所>◇11日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、気迫を前面に出して大関とりの関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)を寄せ付けなかった。横綱審議委員会(横審)からの苦言で、一昨年11月の九州場所を最後に、封印していたかち上げを解禁し、厳しく攻めた。負ければ世代交代を印象づける一番を豪快な上手投げで仕留め、全勝キープ。1敗は平幕の逸ノ城1人となり、42度目の優勝へ近づいた。

  ◇  ◇  ◇

約1年4カ月ぶりに、白鵬が“伝家の宝刀”を抜いた。貴景勝の立ち合いの圧力を軽減させつつ、攻めの姿勢を貫くため、かち上げを解禁した。狙い通りに出はなをくじくと、相手得意の突き、押しにも冷静に対応。最後は得意の右四つから左上手投げで仕留めた。かち上げは横審に「美しくない」と苦言を呈された、左を張ってからの連続技ではない。胸から首もとを的確に狙った攻守一体、正統派の技で、その後の横綱相撲と合わせて一蹴。大きく息を吐く気迫全開で、次世代の扉を開かせなかった。

激しい内容にも「じっくりと見ていった。若いころは、あんな稽古をしていたけど激しいとは思わない」と、当然とばかりに胸を張った。1月の初場所では御嶽海、玉鷲、貴景勝に3連敗して14日目に途中休場。今場所は9日目から同じ順番で3人と対戦し、全員への雪辱が完了。「昨日は昨日、今日は今日。そして明日は明日」と、一番ごとの積み重ねと強調していた。

とはいえ今月5日には、二所ノ関一門の連合稽古に一門外から参加し、貴景勝を真っ先に指名した。17勝1敗と圧倒すると、玉鷲にも無傷の11連勝。雪辱への準備に余念はなかった。

今場所の新番付発表直後の2月末には、大関とりの貴景勝に対し「ちょっと邪魔してやろうかな」と、カベになることを宣言していた。実はこの言葉、元横綱千代の富士が、貴花田(後の元横綱貴乃花)との初対戦前に使ったもの。世代交代を許さない決意表明だったが、現実には千代の富士は敗れて引退。白鵬はその結末までは知らなかったが「有言実行だね」と不敵に笑う。平成最後の本場所でなお「白鵬時代」の盤石ぶりを示した。【高田文太】

白鵬(手前)に上手投げで敗れる貴景勝(撮影・河田真司)

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照ノ富士6連勝、土俵でにらまれ「いい度胸してる」

下村(右)を攻める照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇11日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

ケガや内臓疾患のため、4場所連続全休し大関から西序二段48枚目まで番付を落とした照ノ富士(27=伊勢ケ浜)が、全勝対決で勝ち無傷の6連勝。復帰場所での全勝優勝に大きく近づいた。

この日の相手は、東序二段82枚目の下村(18=境川)。父は元幕内力士・常の山で、下村は今や角界の一大勢力となった埼玉栄高出身で、昨年11月の九州場所で初土俵を踏んだ有望株。先場所の序ノ口デビューは4勝3敗だったが、今場所はここまで5連勝で素材の良さを示してきた。

もっとも、稽古ができていないとはいえ、体力差や経験値の差は歴然。右で張って左を差すと、完全に右脇が開いた相手を圧倒。回り込もうとする下村を、最後は腹を突きだすように押し出した。

前回の5番相撲は35秒を要した。「前のように胸を出して行ったら膝が持たない」と、この日は4秒足らずで勝負を決めた。1番ごと「今日はコレをやろうと決めて出ている」と、テーマを決めており、この日は「危なくないような勝ち方をしようと思っていました」と膝に負担のかからない相撲と決めていた。前日の稽古後、ビデオで自分の姿を確認したが「完璧にはできない。腰も下ろしたつもりだけど下りてない。痛みがあるから」と実践度に不満は残る。それでも「みんな勝ちに来ている。先輩(として)の意地はあるけど、相手がザンバラだろうが土俵に上がったら、みんなお相撲さん」と、大関経験者という変なプライドは頭から離し、一番一番に集中できている。

この日の相手には「これで(相手にされるのは)2度目かな。オレも昔、よくやった」と土俵上で、にらまれたという。いい度胸してるな…と、その態度は好意的に受け入れたようで「彼のことを取り上げてよ。オレのことばかりでなくてさ」と報道陣に“取材の勧め”。「若い頃に(相手をにらむのは)よくやりましたか?」の問いかけに「若い頃? まだオレも若いよ。27歳だよ。ケガしているだけ」と気力も、なえていない。

復帰場所の土俵は、本割があと1番。序二段の6戦全勝が3人に絞られたため、7番相撲で勝っても、優勝決定戦の可能性がある。不安に思っていた本場所の土俵で、番数を重ねるごとに自信を取り戻りつつあるようだ。

記者の質問に答える照ノ富士(撮影・河田真司)

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