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正代なぜ稽古で人気者なのか…大関予言した元豊ノ島

初優勝を決め、賜杯を手に笑顔を見せる正代(代表撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)がついに賜杯を手にした。新入幕の翔猿に攻められ、追い詰められた土俵際で逆転の突き落としを決めた。13勝2敗の好成績で審判部の伊勢ヶ浜部長(元横綱旭富士)は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請。恵まれた体を「ネガティブ」と言われた弱気な性格で生かせなかった大器が目覚め、初優勝と大関の夢を一気にかなえて涙した。

   ◇    ◇    ◇

正代の快挙を、時津風部屋付きの井筒親方(元関脇豊ノ島)は全く不思議がらなかった。「今年になって近い人には『(大関に)上がりますよ』と言っていた。地力がついている。(14日目に)朝乃山の体を浮かせたのはびっくりしたけど」と笑う。4月に引退したばかりで現役力士の目線には近い。「部屋の一員として、春場所の関脇での勝ち越し、7月の11勝で自信がついたんだと思う」と精神面の成長を語った。

場所前に師匠が不在となる異例の場所だったが「影響はなかった」という。師匠代行の枝川親方らが審判部の職務で不在でも、部屋付き親方として稽古場で目を光らせていた。

躍進を支えたのが、腰高ながら破壊力のある立ち合いの当たり。井筒親方も正代の入門当時から指摘してきたが「正代の場合は体を丸めることが逆にストレスになる」と気付き、ここ1年は矯正しなかったという。「人がまねできない新しいかたちだね」と認めた。

絶好の“稽古台”だからこそ成長できた。場所前には横綱鶴竜が出稽古に訪れ、巡業の三番稽古では横綱、大関陣に指名されることが多かった正代。井筒親方は「高いレベルでやってきて着実に力がついたんでしょう」と分析する。なぜ稽古相手として人気だったのか。「正代はあごを上げてるから、やってる方もいい稽古台になる。思い切り当たれるから」。のけ反るように胸から当たる立ち合い。かつては弱点と呼ばれたが、成長のきっかけとなった。【佐藤礼征】

2016年初場所殊勲賞の豊ノ島(左)と敢闘賞の正代(2016年1月24日)

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正代親戚の石川さゆり「母もおばも喜び」祝勝会約束

石川さゆり(2019年撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

秋場所で初優勝した関脇正代へ、親戚の歌手石川さゆり(62)から所属事務所を通じて祝福メッセージが送られた。「親戚」ではあるが、4年前の11月に正代が明かしたところによると「母方の祖母の兄の奥さんの妹の娘が、石川さゆりさんなんです」。正代の兄弟子、井筒親方(元関脇豊ノ島)が「ほぼ他人やん」と突っ込んだ「遠い親戚」ではあるが、優勝を機に演歌界の大御所と新大関はグッと距離が縮まるかもしれない。

 ◇    ◇

正代関 優勝おめでとうございます。

毎日の取り組みに、私の母も親戚のおば達も連日、「今日も勝った!明日も…」と大変な盛り上がり喜びようでした。

熊本の大変な日を過ごす皆さんにも大きな元気とエネルギーが届いたと思います。

拝見していましたよ!おめでとう(祝)!本当に良かった、おめでとうございます!!

今年のコロナ禍の日本に正代関の優勝が、積み上げる相撲が心沸き立つ元気を

日本中の皆さんにお届け出来たとしたら嬉しいですね。

どうぞ、優勝の喜びをかみしめ一層の精進で大関、横綱となられることを応援しています。

一緒に食事をした事ありませんが、お祝い会をしましょう。

おめでとうございます(祝)石川さゆり

(※原文のまま)

優勝賜杯を手にする正代(撮影・鈴木正人)

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正代ぐしゃぐしゃに顔崩壊 初Vと大関に涙止まらず

八角理事長(右)から内閣総理大臣杯を受け取る正代

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)がついに賜杯を手にした。

新入幕の翔猿に攻められ、追い詰められた土俵際で逆転の突き落としを決めた。熊本県出身、東農大出身の優勝はともに初めて。13勝2敗の好成績で審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請し、30日にも「大関正代」が誕生する。恵まれた体を「ネガティブ」と言われた弱気な性格で生かせなかった大器が目覚め、初優勝と大関の夢を一気にかなえて涙した。

   ◇   ◇   ◇

正代が泣いた。東の花道。出迎えた付け人とグータッチをかわすと、顔はぐしゃぐしゃに崩壊した。青いタオルで涙があふれる両目をぬぐう。「付け人が目を潤ませて、その後ろに井筒親方がいて。涙が止まらなくなった」。支えてくれた顔を見て感情があふれた。

最後まで試練だった。大一番の相手は新入幕翔猿。「初顔でとても意識したし、やりづらさを感じた。今までの相撲人生で一番、緊張したかもしれない」。前夜は深夜0時前に寝床に入ったが、明け方5時すぎまで寝付けなかったという。「目をつむると相撲のことがよぎって…」。極度の緊張は最後の仕切りまで続いた。「ドキドキして心臓の音が聞こえるぐらい。生きた心地がしなかった」。

立ち合い、14日目に大関朝乃山を吹っ飛ばしたような出足はなかった。攻められ、攻め返したところをいなされて体が泳ぐ。もろ差しを許して追い詰められた土俵際、必死の突き落としが決まった。「最後まであきらめなかったのがよかった」。土俵下の控えで息を整え何度も目を閉じた。

入門時から期待された大器が壁を突き破った。恵まれた体を誇りながら、大事な勝負どころで顔を出す「弱気」。今年初場所、そして先場所も千秋楽まで優勝争いに絡みながら届かず「プレッシャーに負けてしまっていた」。悔しい思いを重ねネガティブを捨てた。

母理恵さん(56)が「あがり症でした」という少年は何となく流される人生だった。小学1年で相撲を始めたきっかけも「体が大きい子どもがいる」と聞いた知人が、公園で遊んでいた正代をなかば強引に道場へ“連れ去って”から。熊本農高を卒業して就職を考えたが、当時は就職口がなくて進学。東農大在学中も高校の教員を目指したが、教育実習1週間で10キロやせるほど「教える厳しさ」を痛感し相撲界に導かれた。

「ネガティブ」は心優しさの裏返しでもある。今年3月、祖母の正代正代(まさよ)さん(91)が体調を崩して入院した。春場所前に帰郷していた正代は滞在の3日間、毎日お見舞いに通ったという。元気になった祖母は毎日、仏壇に手を合わせた。その祈りも、歓喜の瞬間につながった。

大関昇進も確実にした。「あこがれの地位。いろいろ責任のかかる地位…パッと思いつかないなぁ」と実感はわかない。誇りを持つ「正代」の名を熊本初の優勝力士に、そして大関の歴史に刻んだ。【実藤健一】

◆正代直也(しょうだい・なおや)1991年(平3)11月5日、熊本県宇土市生まれ。小学1年から相撲を始め、熊本農3年時に国体優勝。東農大に進み、2年時に学生横綱も卒業を優先してプロ入りせず、14年春場所に前相撲で初土俵。序ノ口、幕下、十両で優勝し16年初場所新入幕。184センチ、170キロ。得意は右四つ、寄り。

▽八角理事長(元横綱北勝海) 正代は初日から内容が良く素晴らしかった。最近3場所というより、この1年の相撲がいい。頑張っていればいつか、こんなこともある。翔猿も最後までうまく攻めたし自信になっただろう。(医療関係者らの)周りの人たちの支えで今場所も開催できた。

初優勝を決めた正代はタオルで顔の汗をぬぐう(撮影・小沢裕)
幕内初優勝を飾った正代は伊勢ケ浜審判部長(左)から優勝旗を受け取る(撮影・小沢裕)
初優勝を決め、賜杯を手に笑顔を見せる正代(代表撮影)

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正代が貴景勝撃破、天分の足運びに努力で馬力加え

懸賞金を受け取る正代(撮影・柴田隆二)

<大相撲秋場所>13日日◇25日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)が悲願の初優勝に前進した。大関貴景勝との2敗対決を力強い立ち合いの踏み込みから、最後は突き落としで制した。関脇で2場所連続11勝と大関の座も見据えて残り2日。14日目の大関朝乃山戦にも勝てば、熊本出身力士初の優勝が大きく近づく。

   ◇   ◇   ◇

大関の圧力を自信を持って胸で受け止めた。「いい立ち合いができたと思います。思い切り当たることを意識していた。イメージしていた相撲がとれたと思います」と正代。下から突き上げるような貴景勝の出足を食らっても下がらず、左からおっつけ、最後は突き落としを決めた。

磨いてきた立ち合いの成果だった。新型コロナウイルスの影響で夏場所が中止になった。相撲の稽古もできない中、自身の相撲を見直す時間になった。「立ち合いの踏み込み、馬力を強化する意識があった。それが形になってきた。稽古が生きてきている」。

正代の立ち合いは低く頭からではなく、頭を上げて胸で受ける。その形の矯正は「癖もあるんで短い時間には改善できない」とし、「筋力アップしたら(踏み込みが)強くなるのかなと思って」独自の研究で下半身強化に取り組んだ。部屋付きの井筒親方(元関脇豊ノ島)が場所中の解説で正代について「相手に体を寄せる足の運びは天才的」と評していた。その天分に努力で得た馬力が加わった。

13勝の今年初場所、11勝の先場所と今年すでに2度も千秋楽まで優勝争いに絡んだ。その経験をへて「不思議なくらい(優勝争いを)意識できない」という。「経験させてもらったんで1月場所ほどの緊張やあせりはない。今のところ普通にやれている」。先場所も照ノ富士に勝った相撲でガッツポーズのような感情を爆発させる場面があったが、この日は大関に勝っても淡々と表情も変えない。

故郷の熊本は初の優勝力士誕生を心待ちにする。「自分の相撲で喜んでくれる人がいるなら頑張りたい」。その夢は今日14日目、大関朝乃山に勝てば現実に近づく。「けがなくあと2番。笑顔で部屋に帰れたらいいんじゃないですか」。かつて“ネガティブ力士”と言われた弱気はない。大関の座も見据え、勝負の2日間に臨む。【実藤健一】

▼八角理事長(元横綱北勝海) 今日の正代は下がらず強かった。左の使い方がうまく押っつけが効いた。変に気負わず冷静に集中しているようだ。立ち合いで押されないという自信がついたのでは。(優勝は)明日は朝乃山戦。まだまだ分かりません。

貴景勝(左)を突き落としで破る正代(撮影・小沢裕)

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琴奨菊 連日の稽古、自宅の土俵が原点/プロに聞く

16年初場所で日本出身力士として10年ぶりの優勝を決めた琴奨菊

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回は大相撲の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が力士人生を振り返った。中学から親元を離れて相撲留学。7月場所で幕内通算勝利数も716に伸ばし、歴代単独6位となった関取最年長の大関経験者が、ジュニア世代にメッセージを送った。

  ◇   ◇   ◇  

自宅の庭にある土俵が、琴奨菊の原点だ。小3で相撲を始めると1年後、相撲好きで熱心に応援してくれた祖父一男さんがつくってくれた。天候が良ければ1日2時間、四股やすり足で汗を流した。雨が降ったら土俵にブルーシートを敷いて土のうを置き、近所のグラウンドに移動。5キロ超のタイヤを引いて下半身を鍛えた。

「今と変わらず、相撲は生活の一部。放課後に友達と遊べないことが、ちょっとつらかったけど」。自宅での稽古に休みはなかった。休む場合は父一典さん(65)に「お伺い」を立てる必要があった。「『休ませてください』と言葉にするのも難しくて、ほとんど言ったことはないんですけどね」。角界入り後、当時通っていた小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と教えてくれた。それが印象に残っているという。

週に3回は、福岡・柳川市の自宅から車で1時間以上かかる久留米市の井上道場に通った。当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がその道場にいたためだ。送り迎えは祖父がしてくれた。08年に76歳で亡くなったが「おじいちゃんが帰りにステーキをごちそうしてくれた。それがうれしかった」。支えてくれる家族を思うと「自分がここで逃げ出したらだめ」という気持ちが自然と湧いてきたという。

知人の勧めで中学校から高知の明徳義塾中に相撲留学した。全寮制で起床時間は6時ごろ。朝昼晩の先輩への給仕はもちろん、洗濯などの身支度は初めての経験だった。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」。高知の山奥で遊ぶ場所はない。息抜きといえば、仲の良かった他の部活の同級生と、卓球で真剣勝負をすることだった。

アマチュアでは中学横綱、高校でも7タイトルを獲得した。相撲漬けの毎日だったが「苦しいとかつらいとか、あまり感じたことはなかった。『もっと強くなれるんじゃないか』というマインドの方が強かった」。在学中、福岡の両親に自ら連絡することはほとんどなかったという。「今思うとかなり気を使っていた。家族に心配をかけたくなくて」。36歳となった今でも、勝ち越した際や場所を終えた報告など、相撲に関する連絡が家族に対してはついつい遅れてしまう。「(連絡をするのは)身内が最後だと思っている。力士が終わったら、素直になれるのかな」。

高校を卒業して18年が経過した。7月場所前に同学年のライバル、元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退。気付けば関取最年長になった。同部屋では兄弟子の元大関琴光喜を追いかけ、同年代の力士には元横綱稀勢の里(現荒磯親方)や豊ノ島らがいたが、今はいない。「引っ張り上げてくれる人がいなくなって悩む時期もあった。今は自分が変わっていく過程が楽しくて、考えながら相撲の変化を楽しんでいる」。7月場所では、膝を伸ばした状態で手をつく新しい立ち合いで臨み、1年4カ月ぶりの勝ち越しを決めた。試行錯誤は続いている。

ジュニア世代の子に伝えたいことがある。「いつか負けちゃいけない場面が来る。相撲だけじゃなく、勉強や試験でここ一番が来る。今は負け続けてもいいので、そのときに備えてほしい」。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。関取最年長の36歳は、現役へのこだわりを強く持っている。【佐藤礼征】

◆琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次(きくつぎ)一弘。1984年(昭59)1月30日、福岡県柳川市出身。小3から相撲を始め、高知・明徳義塾中で3年時に中学横綱。同高では国体など7タイトルを獲得した。02年初場所で初土俵を踏み、04年名古屋場所で新十両、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝を果たす。17年春場所で関脇に陥落。三賞は殊勲賞が3回、技能賞が4回。181センチ、178キロ。得意は左四つ、寄り。血液型O。家族は夫人と1男。

明徳義塾高2年の時、全国高校相撲新人戦で日本一になった琴奨菊(左)
7月場所9日目に歴代単独6位の715勝目を挙げた琴奨菊(右)

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元蔵玉錦の安達敏正さん葬儀、井筒親方らが別れ

都内で行われた元前頭蔵玉錦の安達敏正さんの葬儀

大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の安達敏正(あだち・としまさ)さんの葬儀・告別式が13日、東京・葛飾区の千代田鎌倉ホールで営まれた。

時津風親方(元前頭時津海)、井筒親方(元関脇豊ノ島)や時津風部屋の若い衆、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)ら、前日12日の通夜を含めてのべ180人が参列。喪主の妻とき子さんが弔辞を読み上げ、別れを告げた。

安達さんは元横綱柏戸の鏡山親方の内弟子として伊勢ノ海部屋に入門し、70年秋場所初土俵。翌年、鏡山部屋の創設にともなって移籍した。最高位は前頭筆頭。83年初場所限りで現役を退き、引退後は親方として後進の指導にあたり、最後は武隈親方として時津風部屋に在籍した。

この日は館内の葬儀場とは別室に、現役時代の写真や化粧まわし、最高位の前頭筆頭だった81年初場所の番付表などが展示された。現役時代の映像も流され、同時期に活躍した大島親方も「懐かしいな。(対戦時は)のらりくらりとはいかなかったな」と懐かしんだ。

新型コロナウイルス感染予防の観点から関取衆は参列しなかったが、井筒親方は2日連続で参列した。井筒親方は02年初場所が初土俵で、安達さんは先代武隈親方として同年に鏡山部屋から転籍してきたため、20年近い付き合いだった。井筒親方は7月場所中にお見舞いに訪れていたことを明かし「そのときもしゃべりづらそうにしていた。『(時津風部屋の力士は)みんな頑張っています。正代もいいですよ。いい成績を残すので、みんなのことを見てやってください』と伝えました。そのときにぐっと手を握ってくれて。(千秋楽まで)持たないかもしれないと聞いていたが、今場所を見届けてくれた。そこは力士だなと感じましたね」と振り返った。

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井筒親方「本当に相撲が好きで」先代武隈親方を悼む

元豊ノ島の井筒親方(2020年7月23日撮影)

元幕内蔵玉錦の先代武隈親方が9日に67歳で死去し、元関脇豊ノ島の井筒親方が10日、故人との思い出を語った。井筒親方は2002年1月に初土俵を踏み、同年に鏡山部屋から転籍してきた先代武隈親方から、2019年に退職するまで指導を受けてきた。井筒親方は「自分が新弟子の時に部屋にいらしたので、かれこれ20年近い月日を過ごしました。本当に相撲が好きで、稽古場での指導のポイントは聞いていて勉強になりました」と振り返った。

先代武隈親方は、元横綱柏戸の鏡山部屋で育ち、最高位は西前頭筆頭だった。井筒親方は「お酒を飲むと、口癖は『うちの柏戸は…』でした。今ごろ、柏戸関とお酒を飲みながら怒られているんじゃないでしょうか」と思いをはせた。

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霧馬山が大関初撃破、同郷鶴竜“監視”で開花

貴景勝を破り、大きく深呼吸し勝ち名乗りを受ける霧馬山(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇6日目◇24日◇東京・両国国技館

西前頭3枚目霧馬山(24=陸奥)が、2度目の大関挑戦で初勝利を果たした。貴景勝の押しを俊敏な動きでかわし、得意の四つ相撲で寄り切った。前日は新大関の朝乃山に対して接戦を演出。同じモンゴル出身で兄弟子の横綱鶴竜から食事面などで指導され、開花寸前のホープが初の上位総当たりで存在感を発揮する。横綱白鵬、朝乃山、関脇御嶽海の3人が初日からの全勝を守った。

   ◇   ◇   ◇

華麗に飛んだ。霧馬山は貴景勝に土俵際まで押し込まれたが、跳ねるように左へ回り込んでまわしを取った。左四つで一気に寄り、大関を土俵下に吹っ飛ばした。「負けたと思ったけど、最後にまわしが取れた」。貴景勝には昨年12月の冬巡業で初めて稽古をつけてもらった。同学年の大関からの殊勲星に「すごいうれしいです」。モンゴルから来日して約5年。少したどたどしさが残る日本語で、笑顔を見せた。

師匠の陸奥親方(元大関霧島)を思わせる細身の体も、新十両昇進から1年半足らずで約10キロ増えた。昨年9月、先代井筒親方(元関脇逆鉾)の死去にともない、鶴竜ら井筒部屋の力士が移籍。モンゴルにいたときから「テレビで見ていてあこがれだった」という横綱が兄弟子となり、土俵内外で積極的に指導された。「横綱が来て悪いことはひとつもない。若い衆もめちゃくちゃ稽古をするようになった」。稽古では毎日胸を出してもらうようになり「すり足一つでも厳しく見てもらえる」。食事では茶わん3杯のご飯を食べるまで、鶴竜が付きっきりで監視。「めちゃくちゃきつかった」という“食トレ”で体重は140キロまで増え、前に出る圧力がついた。

モンゴルの遊牧民として生まれ、性格は穏やか。しこ名に馬が入り、着物も馬が描かれた反物は「ペガサスみたい」とお気に入り。日本でも馬が恋しくなり、幕下時代は千葉・佐倉市内の乗馬クラブに足を運び、馬と触れ合うことでリフレッシュすることもあった。

今場所が初めての上位総当たりだが、幕内後半の取組にも「慣れてきた。すごい、いいですね」と充実感が上回っている。7日目は初の横綱戦。「自分の相撲を取れるようにしたい」と、初挑戦初金星を狙う。【佐藤礼征】

◆霧馬山鐵雄(きりばやま・てつお)本名・ビャンブチュルン・ハグワスレン。1996年4月24日、モンゴル・ドルノドゥ生まれ。体験入門を経て15年春場所で初土俵を踏み、19年春場所で新十両昇進。新入幕場所の20年初場所では11勝を挙げ、敢闘賞を獲得した。得意は左四つ、寄り、投げ。185センチ、130キロ。血液型O。家族は両親、兄、妹。愛称は「ハグワ」。

寄り切りで敗れた貴景勝(左)を、土俵から降り手を持ち起こす霧馬山(撮影・河田真司) 

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正代「残ってくれた」土俵際クルリ1回転で1敗死守

互いの背中が向かい合う遠藤(左)と正代(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇6日目◇24日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)が、土俵際で華麗な身のこなしを見せた。遠藤に左腕をたぐられ左四つで寄られると、俵を割りそうになったところで時計回りにクルッと1回転。体勢を立て直して押し出した。きれいな“スピン”で1敗を守った正代は「尻もちをついたような感覚だった。何とか足が残ってくれた」と大粒の汗をぬぐった。

先場所限りで兄弟子の元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退し、場所前は「腰が高いので日頃から言われている」と指導してもらった。

2場所連続で関脇に在位する今場所。終盤戦まで自身より番付の低い相手と戦うことが予想されるが「久しぶりの場所なので感覚を確かめながら集中して、あんまり星勘定を気にしてもしょうがないと思っている」と話した。

土俵際で体を入れ替えて残した正代(左)(撮影・丹羽敏通)

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元関脇豊ノ島、スーツでNHK相撲中継解説デビュー

放送席で解説する元豊ノ島の井筒親方(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇5日目◇23日◇東京・両国国技館

元関脇豊ノ島の井筒親方(37)が、NHK大相撲中継で初めて解説を務めた。黒のスーツ姿で、幕内取組から向正面のブースに入った。相撲の技術にも話術にも長けた親方らしく、的確に取組を分析していった。

同じ時津風部屋の弟弟子2人については、現状を詳しく伝えた。連敗中の西前頭筆頭の豊山については「相手に直線的に圧力をかけるのが魅力ですが、圧力が上に抜ける。本人にはすぐにできるようなもんじゃないから、来年、再来年にできるようになればいいと伝えています」と説明。関脇正代には「前に出るのが正代の相撲かといえばそうでないが、前に出る力がついて体も大きくなった。今場所はいけるだろうと最初から私は思っていました」と指摘した。

解説を終えた井筒親方は「相撲に正解はないですから、自分が思っていることを言いました。『やせた』と言われましたが、ブースの壁が黒いから、そう見えただけですよ」と振り返った。それでも昨年の九州場所で自己最高の167キロまで増えたが、現在は142キロほどだという。

井筒親方の解説について、ツイッターなどSNSには「解説がお上手」「わかりやすく、的確な解説が素晴らしい」という投稿が相次ぐなど、解説としても好スタートを切った。

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琴奨菊、7月場所へ「精いっぱいやることはやった」

稽古中の琴奨菊

大相撲の大関経験者で東前頭14枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が11日、代表取材に応じ「結果はどうなるか分からないが、精いっぱいやることはやってきた」と、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けてここまでの調整を振り返った。7月場所では7場所ぶりの勝ち越しを目指す。プロ野球が観客を入れての公式戦を再開。「映像でもニュースでちょこっとしか見ていないのであまり分からないが、ひとつひとつの歓声とか本当にありがたいと思う。逆に無観客を知っているがゆえに」。春場所で史上初の無観客開催を経験しただけに、ファンの存在のありがたみを感じた。

4月に小学生時代からのライバルだった元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退した。この自粛期間で、互いに中学時代の全国中学の映像を見返す機会があったという。「自分的に今が一生懸命という感じなので、あまり振り返ることはしなかった。その頃(中学時代)から頑張ってきたな、という感じで。ちょうど団体の決勝戦が、(母校の)明徳義塾対(豊ノ島の)宿毛の片島中学。自分も豊ノ島も先鋒戦だった。私は負けたが、そのときの懐かしさを感じた。結局豊ノ島の中学のほうが全国優勝したんですけれども」。気付けば関取最年長。「私もいつかそうなるか分からないけれども、やり残しだけはしないようにと思っている」と誓った。

稽古中の琴勝峰

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元豊ノ島の井筒親方が37歳誕生日 毎日指導中

37歳の誕生日を迎えた元関脇豊ノ島の井筒親方

大相撲の井筒親方(元関脇豊ノ島)が26日、37歳の誕生日を迎えた。代表取材に応じ「めでたいとも思わないし、あんまり変わらんよ。(自宅で)朝はハッピーバースデーの飾り付けしてくれていたから、『ありがとう』と言って、という朝でした」と明かした。

4月に引退したばかりの新米親方は現在、部屋付きの親方として後進の指導にあたっている。「親方」と呼ばれることにはまだ慣れない様子で「部屋でも若い子は『豊ノ島関』って呼ぶし、自分も反応してしまう。稽古場にも井筒の木札がまだできていないし、部屋のメンバーで自分だけいないみたい。中ぶらりんな感じだね」と話した。

稽古場では毎日、まわしを締めて指導しているという。現役時代は体を休めるため稽古場に降りない日もあったが「休むと部屋の子たちに対して責任を達成できていない気持ちになる」と、立場が変わり行動も変わった。力士には積極的に言葉をかけていく指導法。「もともと言いたい方。相撲でも今の相撲はこうだからって。口出ししたいタイプ。指導は好き」。小兵の技巧派で鳴らした実力を伝えていく。

稽古場以外では、減量に励む日々を送っている。昨年11月の九州場所で167キロだったが、今は20キロ落として147キロ。夜は炭水化物の摂取を控え、サラダや高知の実家から送られる豆腐を食べているという。膝の痛みがあるため、稽古では胸を出せない。代わりに自宅から稽古場まで1時間歩いて汗を流す。最短で来年10月に断髪式を行う意向もあり「そこまで、あんまり体重も落としすぎないようにと思っている。はかまとかぶかぶかじゃ格好悪いし。140キロ切るまで、130キロ台くらいにはキープしたい」と計画中だ。

引退時は悲しんでいた長女の希歩ちゃん(7)も、徐々に受け入れてくれた。「最初は豊ノ島と言えなくなるのが嫌だったみたいだけど今は『父が親方なんだよ』って友達に言ってるみたい。切り替えてくれたなと。(引退を伝える時は)僕も妻(沙帆夫人)も話を何回もした。ああいう形での引退は納得いかないみたいだったけど『体壊れたらどうするの?』って話したら泣きながら『分かった』って許してくれた。肩の荷が下りた感じだった」。そんな愛する妻、愛する娘と、最近は人気アニメ「鬼滅の刃」にはまっている。「アニメで見て、漫画で見て。娘は毎晩、鬼滅の刃を歌っている。家にいるのはストレスにならない。自粛生活で体をゆっくりさせてもらっています」。家族との充実した時間を過ごしている。

37歳を迎えた元関脇豊ノ島の井筒親方(右)を祝う、左から沙帆夫人、長女・希歩ちゃん
37歳を迎えた元関脇豊ノ島の井筒親方(右)を祝う誕生日ケーキ
若い衆を指導する元関脇豊ノ島の井筒親方

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正代が大関昇進意欲「悔いない相撲」部屋けん引覚悟

7月場所に向けて稽古を行う正代(右)

大相撲の関脇正代(28=時津風)が、大関昇進への意欲を語った。25日、代表取材に応じた。春場所後に年下の朝乃山が大関に昇進し「自分も上がりたいという気持ちは今まで以上に強くなった」と刺激を受けているという。「(大関は)全力士が目指す場所。力士としては特別な地位。がむしゃらに狙ってもなれるものでもないと思うし、自分のペースとか自分のやり方を乱さないように、そして悔いのない相撲を取って、それで(結果が)ついてきたらいいと思う」と意気込んだ。

昨年九州場所から2場所連続で2桁白星を挙げ、春場所では関脇として初めて勝ち越した。覚醒しつつある大器は、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて「2週間くらい前から」相撲を取る稽古を再開させ、この日は前頭豊山と約10番取ったことを明かした。「相撲を取り始めて最初の方は、体がどうしてもついてきてないというか、息が上がるのも早いなという感じがしたんですけど、ちょっとずつ対応してきているのかなという感じです」と、徐々に状態を上げている。

4月に引退した井筒親方(元関脇豊ノ島)に代わって、部屋を引っ張る覚悟だ。「自分とか豊山が部屋を引っ張っていかないといけない。(若い衆への)指導もそうですし、胸を出したりしなくちゃなと思う。気持ちはだいぶ強くなりましたね」。一線を退いた兄弟子は現在、部屋付き親方として指導に当たっている。現役時代と変わらず「すごい面倒見がいい方。すごい教え方も的確」と感謝。稽古場でまわしを締めているそうで「今ダイエットにいそしんでいらっしゃいます」と、軽快にいじった。

一方で自身は、この外出自粛期間で若い衆にテレビを奪われた? ことを告白した。「若い衆が自粛期間を見越してアマゾンのファイアスティックTVってあるじゃないですか。あれを予約して、でもテレビがないと。僕がずっと(部屋の個室の)テレビを見てなかったので『見ないならください』と取られまして」。正代からテレビを譲り受けた若い衆は「すごく喜んでます」とのことだ。「小さいテレビだったので前から買い替えようと思ってたんですけど、テレビ見ないからいいやと後回しにしてたんですけどね。まあいい機会でしょうか」と前向き。自室にはテレビがなくなり、通販で新しいテレビと周辺機器を注文。自身も映画やアニメを視聴して気分転換をしている。

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4位鶴竜へエール「霧馬山にも厳しくも心優しそう」

第9回大相撲総選挙にご投票いただき、ありがとうございました。投票だけでなく、多くの皆さまから熱いメッセージをいただきましたので、ごく一部ですが紹介いたします。

4位 鶴竜 2993票

★入門して相当の努力を重ねてきた大横綱。だからこそ人の気持ちを考え、優しく誰からも慕われるのだと思う。付け人が出世するというのも納得。鶴竜関の笑顔を見ると幸せな気持ちになります。(30代女性)

★去年の名古屋場所で出待ちをしていたら、鶴竜関が車の窓を開けて手を振ってくださいました。その後しばらくして、「鶴竜関こっち向いて!」と叫んだらまた笑顔で手を振ってくださって、本当にファン思いな横綱だと思いました。その場所で優勝して本当にうれしかったです。(10代以下女性)

★かわいい横綱。力士会の長としても素養十分。(50代女性)

★優しく芯の通った行動や発言、温厚な人柄に好感。(30代女性)

★先代の井筒親方の秘蔵っ子だから(東京場所の優勝バレードから部屋に戻った鶴竜関を迎える親方の笑顔が今でも忘れられません)。(40代男性)

★鶴竜関は横綱なのにとても謙虚で人間として尊敬します。優しくて強いは僕たちの憧れです。(10代以下男性)

★もろ差しのうまい相撲とそのお人柄にほれる。全てを包み込んでくれるような力士会長。(40代女性)

★頭脳明晰(めいせき)な人格者。将来は理事長になって相撲協会を引っ張って行って欲しい。(50代女性)

★鶴竜関が好きで相撲を見に行くようになりました。稽古や指導に熱心で確かな技術面や安定した精神面はもちろん優しい性格や知的なところ、かわいらしい笑顔も魅力的です。まだまだ現役で賜杯を抱く姿を見たいです!(30代女性)

★鶴竜の真面目で基本に忠実な相撲が大好きです。(30代男性)

★大相撲の良心。協会に残って沢山の関取を育ててほしい。(50代男性)

★「神」になられても人間性は変わらず常に温厚。「ファンあっての大相撲だ」を地で行くその器。(40代男性)

★優勝インタビューで自分のことよりもファンへの感謝を示すなど、謙虚でおっとりした姿が好き! 付け人や部屋の霧馬山にも厳しくも心はとても優しそう!(20代男性)

★そろそろ理想の上司ランキングに入ってきてもおかしくない!(40代女性)

★鶴竜関は、優しさがあり、頭を使った相撲や、一気に出る相撲も強いから。(10代以下男性)

★かつてこれほど気持ちの穏やかな横綱がいただろうか? 力士の手本! 人格者!(40代男性)

★鶴竜の背中を見て関取になる力士が多いですね。私もできることなら鶴竜の付け人になりたいです。(30代女性)

★鶴竜関は外国出身力士にもかかわらず、相撲をしている時に日本人横綱のように表情も変わらず荒れた相撲をしない。相撲以外で見せるにこぉっとした笑顔のギャップにいつも魅了されています。そして日本人よりも日本語がうまい。(30代女性)

★「人格者」として横綱の地位に昇りつめ、その姿勢は今も変わることなく低い心に引かれる。「強さ」とは力だけではないことを彼が証明してくれている。(20代男性)

★横綱のおおらかな人柄が好き。優しそうなお顔に癒やされています! 3人目のお子さん誕生おめでとう!(30代女性)

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鶴竜、7月場所へ意欲「今は体つくるいいチャンス」

鶴竜(2020年3月2日撮影)

大相撲の横綱鶴竜(34=陸奥)が30日、AbemaTV放送の「大相撲ABEMA場所~記憶に残る名勝負100連発~ 二日目」にリモートで生出演した。

都内の部屋から出演したという鶴竜は、外出自粛が続く生活について「いつもは(家族と)一緒にいる時間が少ないので、全部がマイナスなわけじゃない」と前向きに話した。前日29日は長女アニルランちゃんの5歳の誕生日で、自宅で祝福。「ケーキを買って、家でできるかぎりのことをやった」と笑顔で話した。

出演中に01年九州場所で自身が前相撲を取る映像も取り上げられた。もろ手突きから頭をつけて素早く寄る相撲内容に、番組の解説を務める3代目元横綱若乃花、花田虎上氏も「この頃から低い当たりですね」と感嘆。花田氏に「頭から当たる怖さはありませんでしたか?」と問われると、鶴竜は「新弟子の頃は(昨年9月に死去した先代井筒)親方に『頭でいきなさい』と言われていた。同期と三番(稽古)をやってずっと頭で当たっていた」と、懐かしみながら振り返った。

3場所連続休場明けとなった春場所では、12勝3敗の優勝次点で綱の責任を果たした。7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて、基礎運動を中心に調整を進めている。「今はぶつかりもなし、申し合いもできないが、しっかり体をつくるいいチャンス。7月場所に向けて体をつくっていきたい」と意気込んだ。

約15分間の出演で終始笑顔。最後は花田氏に7月場所の目標を問われ「もちろん優勝を目指すので、応援よろしくお願いします」と、7度目の優勝を誓って締めくくった。

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琴奨菊が労い「最後まで豊ノ島を演じてほしかった」

花道で豊ノ島(右)と握手する琴奨菊(2016年1月24日撮影)

大相撲の「現役最年長関取」の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が20日、その“看板”を引き継いだ高校時代からの僚友だった元関脇豊ノ島の井筒親方(36=時津風)への思いや、部屋での稽古の様子といった近況を、報道陣との電話取材で明かした。

17日に現役引退と年寄襲名が決まった井筒親方とは前日19日、テレビ電話で言葉を交わしたという。「どれだけ脇を締めても入ってこられた天才的な、あのもろ差し」と評する僚友の、ホッとしたような表情を見て「力を出し切って終わってないと思い(琴奨菊の心の中で)モヤモヤ感があったけど、本人のスッキリした表情を見て納得した」という。テレビ電話での会話は、互いに家族を交えてのものだったという。

分かり合える中だからこそ、心中も察した。井筒親方の、現役最後のころのコメントを耳にし「解説者みたいになっていて、もどかしさがあった」という。自分を客観的に見る僚友の姿には「そっち(外向き)になってはいけない。ひと言で言えば“お疲れさま”なんだけど、最後まで豊ノ島を演じてほしかった」と、独特の言い回しで旧知の仲の僚友をねぎらった。福岡県出身の琴奨菊は、中学から高知県の強豪・明徳義塾に進学。全国都道府県大会ではチームメートとして優勝を分かち合った思い出など「小さい頃からよく知っていて性格も分かっている」という井筒親方との、懐かしい昔話も披露した。

千葉・松戸市内にある部屋での稽古については、力士総数約40人の大所帯のため起床時間から2班に分け、汗を流しているという。関取5人も2班に分かれ、A班が午前7時から同8時半、B班が同8時半から同10時までと極力、密を避けた班分けで行っている。各班とも最初の1時間は基礎運動中心に残り30分は関取衆が考えたメニューをこなす。「世界的にコロナの大変な影響が出始めている。あらためて自分を見直す時間になる」という。週に数日は2部練習を取り入れ、変化をつけているため「ストレスは感じない」。夏場所開催の可否も決まらず、悶々とする日々が続くが「粛々と淡々と今できることをやる。やっていることは裏切らないと思う。自分の目線を内に向けて。外に向けたらいろいろな情報が入って不安になるから。相撲の動きの中では弱いところがごまかせても、筋トレをするとモロに(弱い部分が)分かる。そこはノビしろがあるということ」など、独特な言い回しで現状を乗り切る姿勢を示した。

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引退豊ノ島「もう1回、菊とやりたかった」一問一答

豊ノ島(左)と琴奨菊

三役を13場所務め三賞も10回受賞し相撲巧者として活躍した元関脇豊ノ島(36=時津風)の引退が17日、決まった。日本相撲協会は同日、理事会を開き、豊ノ島の引退及び年寄井筒の襲名を承認した。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、記者会見を開けなかった井筒親方だが、報道陣の取材には電話で応じた。

-18年間を振り返って

豊ノ島 自分自身も長かったと思うけど、終わってしまえば長いような短かったような。もう終わったという感じ。

-思い出の一番は

豊ノ島 聞かれるなと思ってずっと考えていたけど、多すぎてなかなか難しい。白鵬関との決定戦(10年九州場所)、菊(琴奨菊)とやった一番(琴奨菊が優勝した16年初場所)。他にもあるけど絞ってその2つです。それが記憶に残っている。

-引退を決めたタイミングは

豊ノ島 正直、大阪場所で通常開催だろうが無観客開催だろうが、負け越したら辞めるつもりだった。そう僕自身の中では決めていた。1月(の初場所)もそうだったけど、その時は家族と話してもう1場所、頑張ろうとなった。そうなったので大阪で負け越して終わりだと思った。東京に帰ってから、いろいろ話をまとめた。コロナというのもあったけどね。

-「第2検査」(体の小さな入門希望者を対象とした新弟子検査)で初の関取だった

豊ノ島 はじめは自分なんかがと思っていたけど、舞の海関が頑張っている姿を見て、小さいのにすごいなと思った。自分が頑張ることで小さい子が頑張れると思ってやっていた。

-アキレス腱断裂などケガも多かった

豊ノ島 しんどかったし本当に家族がいなかったら辞めていた。本当に家族のおかげ。よく「家族のおかげ」と言うじゃないですか。14勝1敗の時(白鵬との優勝決定戦で敗れた10年九州場所)は全く思っていなかった。土俵に向かう時に、めっちゃ孤独を感じていた。周りの応援がすごすぎて。でも1人だったら絶対にダメだった。18年の相撲人生の中でその両極端を経験できたのは良かった。

-関取に復帰した時の気持ちは

豊ノ島 戻った時は前とは違った。正直、もう少し幕内で取れると思ったけど、そう簡単にはいかなかった。(19年)名古屋場所で千代大龍と7勝7敗で当たった。(結果負け越し)。勝ってもギリギリ8勝なんだなと思った。

-後悔は

豊ノ島 悔いはありませんけど、あるとすればもう1回、菊(琴奨菊)とやりたかった。(19年)名古屋は本当にやりたかった。これから菊とは真剣勝負がないわけですからね。

-どんな指導者になりたいか

豊ノ島 今まで指導している親方を見てきて、どうしたら(弟子に)伝わるのかなと考えていた。自分はその子が出来るまで付き合っていける指導がしたい。ほったらかしにするのではなく、どこまでも付き合っていくのが大事だと思う。どこまでその子たちに付き合えるか。まわしの切り方とか体の寄せ方を教えるのは簡単。どれだけ付き合えるかを大事にしたい。自分が、めちゃくちゃ(稽古を)やるタイプではないというのは理解している。(弟子に)「一生懸命指導するから頑張れよ」と言いたい。ケガしてから考え方も変わった。一番一番大事にしてきたから。

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鶴竜が転籍後初勝利「1日1日感覚戻ればいいかな」

報道陣の質問に答える鶴竜(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇2日目◇13日◇東京・両国国技館

横綱鶴竜は阿炎をはたき込み、昨年秋場所4日目以来の白星を飾った。「そんないい相撲じゃないけど、こういう感じで1日1日、感覚が戻ればいいかな。昨日より今日という感じできている」。

先場所は「腰椎すべり症再発」で初日から休場。土俵の中で感覚を取り戻している。井筒親方(元関脇逆鉾)の死去に伴う陸奥部屋への転籍から初勝利。「まずひとつね。よかったかな」と言った。

阿炎(右)をはたき込む鶴竜(撮影・河田真司)

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新入幕の霧馬山「毎日テレビで」モンゴルの家族思う

師匠の陸奥親方(右)同席で新入幕会見に臨んだ霧馬山

日本相撲協会は24日、来年1月の大相撲初場所(12日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表。先場所、西十両5枚目で11勝4敗(優勝同点)の好成績を収めた霧馬山(23=陸奥)が、待望の新入幕を果たした。同日午後、師匠の陸奥親方(元大関霧島)同席の元、東京・両国の陸奥部屋で記者会見に臨んだ。

先場所の成績から、今場所の新入幕は確信していたようで、モンゴルの家族にもそれらしい報告はしていたようだが、あらためて「本当にうれしい。十両に上がった時から(新入幕は)次の目標で、1つの目標を達成できた」と、うれしそうに話した。モンゴルでも本場所はテレビ中継されるが、十両は千秋楽だけのようで「これからは15日、毎日テレビで見られる」と家族を思いやるように目を細めた。

井筒親方(元関脇逆鉾)が9月の秋場所中に死去。同場所後の理事会で井筒部屋所属の横綱鶴竜(34)らの、陸奥部屋への転属が決まった。10月は秋巡業があったため、部屋での生活をともにするようになったのは、九州場所前から。それが一つの転機だった。130キロほどの細身の体で、もともと大食漢ではない霧馬山。丼飯も「頑張っても2杯ぐらい。あまり食べられない」というのが、せいぜいだった。それを見かねたように鶴竜から、それまで2杯だったら3杯食べるように言われたという。その3杯目を食べ終えるまで、横綱はそばで見守っていたという。「きつかったけど頑張って食べた」と霧馬山。これで場所に入るまでに、体重は10キロ増え140キロほどに。本人は「それほど感じなかった」と言うが、立ち合いの圧力が増したことは容易に察することができる。「体重が増えて先場所は11番、勝てたのかなと思う」と“横綱効果”に本人も満足そうだ。

昨年1月の初場所時点では、部屋に関取は不在だった。それが1年で、転属という予測不可能なこともあったが、横綱1人と幕内力士1人を輩出して新年を迎えることになった陸奥親方は「場所のことを考えると喜びは一瞬ですよ」と喜びは控えつつ「稽古場が締まってきた。横綱になったらすごいな、といろいろな面で」と鶴竜合流が発奮材料になっていることを強調。「目の前にいる目標を見習いながら『自分もそこ(横綱)まで行きたいな』と本人も思っているのでは」と期待を寄せた。

初場所では、鶴竜の横綱土俵入りで露払いを務める見込み。「土俵入りが楽しみです」と笑みを浮かべる霧馬山は、新入幕の目標を「とりあえず勝ち越し」と、こちらはやや控えめ。それでも将来的には「一番上を目指したい」と、間近に手本となる横綱を思い描いていた。

新入幕会見後、この日にちなみクリスマス・ブーツを手にする霧馬山
新入幕会見後、クリスマスイブにちなみクラッカーを鳴らす霧馬山

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霧馬山は初場所で新入幕濃厚 鶴竜の露払い可能性も

千代翔馬(右)をすくい投げで破る霧馬山(撮影・栗木一考)

<大相撲九州場所>◇千秋楽◇24日◇福岡国際センター

モンゴル出身で西十両5枚目の霧馬山(23=陸奥)が、来年1月の初場所での新入幕が濃厚となった。本割は西十両3枚目の千代翔馬をすくい投げ。相手の立ち合い変化に「ついていけなくて、上手を取られて『終わった』と思った」という。それでも体勢を立て直して逆転した。

11勝4敗で並んだ東龍、勢、魁聖との4人によるトーナメント方式の十両優勝決定戦は、魁聖との取組が組まれた。だが、こちらは一方的に魁聖に敗れた。「三段目、幕下で優勝していたので、十両でも優勝できればかっこよかったけど」と話したが、新入幕に近づいたことを実感し、笑顔をこらえ切れなかった。

横綱鶴竜が、師匠の井筒親方の急逝により、同部屋となった。新入幕となれば、鶴竜の横綱土俵入りで露払い、もしくは太刀持ちを務める可能性もある。霧馬山は「できたらいいですね」と、目を輝かせていた。

千代翔馬をすくい投げで破る霧馬山(撮影・今浪浩三)

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