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新十両昇進の錦富士「次は勝ち越して上にいくこと」

錦富士(20年3月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、錦富士(24=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。錦富士は両国国技館で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も同席した。

16年秋場所で初土俵を踏み、約4年で新十両に昇進した。東幕下3枚目だった昨年秋場所で左肘を負傷して手術。翌九州場所は全休したが、今年の初場所で復帰し、3月の春場所で幕下優勝。7月場所は14日目の七番相撲で5勝目を挙げ、十両昇進を決定的にした。「ケガして苦しい時に師匠や安治川親方(元関脇安美錦)、楯山親方(元前頭誉富士)、照ノ富士関や翠富士関、照強関とか、たくさんの人に声をかけてもらって頑張ってきた。そのことがよぎって目が熱くなった」と振り返った。

心強い同期が部屋にいる。十両翠富士は近大の同級生であり、入門も同じ16年秋場所。対抗心を燃やしながら同じように番付を上げてきたが、翠富士は春場所で新十両昇進と先を越された。「幕下にいた時は僕が常にちょっと上にいた。でも休場している間に先を越されて、うれしい気持ちと悔しい気持ちと焦りの気持ちと、いろんな気持ちがあった」という。しかし、気持ちを落とすことなく奮起。翠富士からは早速「来場所から一緒に土俵入りできるな」と声をかけられたといい「負けてられないなと思いながら、うれしい思いもあった」と笑みを浮かべた。

返り入幕だった照ノ富士が復活優勝を果たすなど、伊勢ケ浜部屋にとって明るい話題が続くこととなった。錦富士は「場所前から自粛生活が続いている中で、伊勢ケ浜部屋旋風を起こそう、と照ノ富士関を中心に言ってた。今場所はそういう面でも各自が頑張っていたと思う」と団結秘話を明かした。伊勢ケ浜親方は「もっと前に出る相撲を。まだまだ取り切れていない。自分から攻める相撲が取れれば幕内もいけると思う」と期待。錦富士は「とりあえずは次の場所で勝ち越して上にいくことです」と意気込んだ。

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伊勢ケ浜親方「よく頑張ったな」弟子の復活Vに感慨

優勝旗を照ノ富士に渡す師匠の伊勢ケ浜親方(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は、弟子の復活優勝に感慨深げだった。「よく頑張ったなと言ってあげたい。最初の状況だったら優勝とかは考えてない。場所前は勝ち越して、ケガなく終わればいいと思っていた」。賜杯を抱く姿までは想像できなかったという。照ノ富士が序二段まで番付を落とした際、引退を相談されたが翻意させた。「序二段に落ちた時に『序二段で勝っても負けても恥ずかしい話じゃない』と言った」と励ました。力も番付も順調に戻ってきたように見えるが「今はまだ一生懸命、ケガと闘っている最中。ただ、ケガを克服して本人も納得してると思う」と弟子の気持ちを代弁した。

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復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。

混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。

1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯(じんたい)が、左膝は半月板がなくなった。

17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。

表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

▽八角理事長(元横綱北勝海)「照ノ富士はよく戻ってきた。戻ってすぐの優勝だから素晴らしい。こんなに早く優勝できるとは、本人も思っていなかっただろう。やっぱり、いろいろ経験してきた元大関だ。緊張感の中、気持ちで相撲を取っていた。ただ、まだ膝をかばっている感じで不安もあるだろう。来場所は難しいものがあるのでは」

▽照強(照ノ富士に前日)「明日頑張って下さい」と言ったら「ありがとう」と。優勝してもらって気持ちよく祝いたい。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が奇跡の大復活V、序二段経て30場所ぶり

かみしめるように下がりを外す照ノ富士(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、技能賞の三賞2つも獲得した。

両膝の負傷や内臓疾患に苦しんだ男が、4カ月ぶりに再開した本場所で主役となった。大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

初優勝から5年2カ月がたっていた。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声が高かった。

しかし昇進後は両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に「とりあえずは治してから話をしよう」と引退を慰留された。1年以上かけて土俵に戻る決心を固め、昨年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。負け越し知らずで番付を上げ、初場所で再十両。返り入幕となった今場所、ついに“奇跡のカムバック”を実現させた。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。

御嶽海(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が朝乃山を撃破、出稽古独占で磨いた右四つ

朝乃山を破り、懸賞金の束を手にする照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、新旧大関対決を制して単独トップに立った。

新大関朝乃山との1敗同士の一番を、右四つから力で寄り切った。14日目に関脇正代を破り、朝乃山が前頭照強に敗れれば、30場所ぶり2度目の優勝が決まる。序二段から史上初の幕内復帰を果たし、幕尻で迎えた今場所。大関経験者が関脇以下で優勝すれば、昭和以降2人目の快挙となる。朝乃山は2敗目で1歩後退。3敗の正代、御嶽海の両関脇も優勝の可能性を残した。

   ◇   ◇   ◇

大関経験者の照ノ富士が、相四つの新大関を力でねじ伏せた。左上手に手がかかったのは、朝乃山とほぼ同時。「(今場所の朝乃山は)大関なので強い相撲を見せているから、自分のかたちに持っていってやろうと」。相手の絶対的な左上手を切ると、右でかいなを返し、怪力で左上手を引きつけた。朝乃山を寄り切ると、土俵上でふーっと一つ息を吐く。「まだ2日あるので」。単独トップに立っても、浮足立つことはなかった。

関取に返り咲いた1月以降、朝乃山を絶好の稽古相手としていた。時津風部屋に出稽古した際は、申し合いで朝乃山を積極的に指名。初場所前の稽古では朝乃山を独占するあまり、稽古を見守っていた安治川親方(元関脇安美錦)から注意を受けることもあった。「(稽古では)右四つで組んで力を出してくれる相手がいなかった。いい稽古相手になると思ってやっていた」と照ノ富士。当時関脇だった朝乃山を“踏み台”に、右四つの感覚を磨いた。

初優勝は5年前。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声は高かった。しかし、昇進後は地獄が待っていた。

両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を慰留された。「『とりあえずは治してから話をしよう』と。相撲から1度離れて、自分の体と向き合った。今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思った」。1年以上かけて、土俵に戻る決心を固めた。

記録ずくめの優勝は、14日目にも決まる。大関経験者が関脇以下で優勝すれば1976年秋場所の魁傑以来で、昭和以降2人目。前回優勝した15年夏場所との間隔は30場所と約5年で、史上2位のブランク優勝となる。残り2日へ「やってきたことを信じてやるだけ」。コロナ禍の世の中に希望を与えるような復活劇が、実現しようとしている。【佐藤礼征】

▽幕内後半戦の伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士) 上手は朝乃山の方が早かった。上背の差が出た。がっぷり組むときついよね。朝乃山は少し突き落とし気味の投げにいったのが良くなかった。照ノ富士は辛抱したから前に出られた。(師匠として)「ここまできたら無理しないように」と常に言っている。

<照ノ富士の激動の相撲人生アラカルト>

▽11年5月 間垣部屋に入門して初土俵を踏む。

▽13年3月 間垣部屋が閉鎖され、伊勢ケ浜部屋に移籍。

▽13年9月 新十両場所の秋場所で優勝。3場所で十両を通過して新入幕昇進。

▽15年5月 関脇の夏場所で12勝3敗で初優勝。場所後に大関昇進を果たす。

▽15年9月 秋場所中に右膝を負傷。場所後に「前十字靱帯損傷、外側半月板損傷」で全治1カ月と診断される。

▽17年3月 春場所で千秋楽までトップも、稀勢の里に本割、優勝決定戦で敗れ優勝を逃す。

▽17年9月 2場所連続負け越しで大関陥落。

▽18年5月 十両まで番付を落とし、この夏場所から6場所連続休場。

▽19年3月 本場所復帰。7戦全勝で序二段優勝。

▽19年11月 幕下上位で7戦全勝。場所後、再十両昇進。

▽20年1月 13勝2敗で十両優勝。

▽20年3月 東十両3枚目で10勝5敗。場所後に再入幕を決める。

朝乃山(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

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不屈の照ノ富士11勝、序二段から史上最大復活劇へ

照ノ富士(右)は玉鷲を寄り切りで破る(撮影・足立雅史)

<大相撲7月場所>◇12日日◇30日◇東京・両国国技館

“旧大関”の東前頭17枚目照ノ富士は、幕内で優勝経験を持つ実力者・玉鷲の突っ張りに慌てなかった。距離を取って張り返し、いなしで崩して最後は左をねじ込んで寄り切り。「興奮してたから冷静にいこうと思った。落ち着いて見て、前に出ようと思った」。過去5勝5敗の難敵を破った。

両膝に痛々しいテーピングを施すが、まともに引くような相撲内容は今場所ほとんど見受けられない。13日目はいよいよ、朝乃山との対戦が組まれた。取組後のリモート取材で割を見たかと問われ「はい」と一言。「冷静に自分のやるべきことをやるだけ。明日の一番に集中するだけ」と、集中力を高めた。

序二段で土俵に戻ってきたのが昨年春場所。復帰8場所目で大関と対戦することは「想像通りです」。引退を慰留してくれた師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)を信じ、また幕内で相撲を取る自身の姿を疑わなかった。大関経験者が関脇以下で優勝すれば1976年秋場所の魁傑以来で、昭和以降2人目になる。史上初めて序二段から幕内復帰を果たした不屈の28歳が“史上最大のカムバック”を果たす時がきた。【佐藤礼征】

▽八角理事長(元横綱北勝海) (優勝争いは)白鵬の足がどうなるか分からないが、朝乃山-照ノ富士の一番が大事になってくる。精神的にどちらも負けていないから面白くなる。上手を浅く取った方が有利ではないか。がっぷりになると照ノ富士の膝も心配だ。

中入り後の明日の取組紹介で「照ノ富士 対 朝乃山」の一番がアナウンスされると、館内が沸いた(撮影・小沢裕)

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照ノ富士1敗守る、優勝争いは「後からついてくる」

照ノ富士(後方)は松鳳山を引き落としで破る(撮影・足立雅史)

<大相撲7月場所>◇10日目◇28日◇東京・両国国技館

序二段から幕内復帰を果たした大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が1敗を守った。動き回る松鳳山を警戒し、立ち合いで待ったを求めた。「ちょっと迷っちゃって。右側に構えていたから何をするか迷って、それで1回待ったをした」。立ち合いが成立すると、まわしには手が届かなかったが、足を止めず圧力をかけて引き落とした。

前日9日目に幕内では3年ぶりとなる勝ち越しを決めた。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には「今までやってきたことをやれ。ここからけがしても仕方ない。怖い相撲を取らないように」と声をかけられたという。

新大関の朝乃山と1敗で並び、全勝の横綱白鵬を追いかける。「そういうの(優勝争い)は後からついてくる。1日一番、明日の相撲に集中するだけ」。無心を貫いた先に、5年ぶり2度目の賜杯が見えてくる。

松鳳山(右)を引き落としで破る照ノ富士(撮影・中島郁夫)
松鳳山(左)を引き落としで破った照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が勝ち越し「良かった」幕内で3年ぶり

照ノ富士(右)は佐田の海を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇9日目◇27日◇東京・両国国技館

序二段から史上初の再入幕を果たした東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、東前頭12枚目佐田の海を寄り切りで破って勝ち越しを決めた。幕内で勝ち越すのは大関だった17年夏場所以来、約3年ぶりとなった。

立ち合いでまずは左上手をがっちりつかむと、右を差して一気に前へ。佐田の海に何もさせずに、土俵外へと運んだ。「今場所一番よかった」と手応えを実感。目標としていた勝ち越しを決めて「一生懸命やってきてよかった。まだ場所はあるけどね」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

両膝の負傷や内臓疾患などにより、番付を序二段まで落とした。4場所連続全休も経験するなど、引退を決意したこともあった。それでも師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に励まされて再起。そして、場所前に師匠と約束した勝ち越しを決めた。「親方のことを信じてやってきて良かった。やってきたことを信じてやるだけだった」としみじみと話した。

佐田の海(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
佐田の海を寄り切りで破った照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士「狙った」千代丸の弱点知り尽くす豪快投げ

千代丸(右)を上手投げで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇3日目◇21日◇東京・両国国技館

元大関で東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が復活の3連勝を飾った。千代丸に豪快な左上手投げで完勝し、初日から白星を並べた。18年初場所以来の幕内復帰。序二段まで落ちた元大関の史上初の快進撃が、異例の場所で繰り広げられている。新大関朝乃山、横綱白鵬も危なげなく3連勝。かど番の大関貴景勝に早くも土がついた。

   ◇   ◇   ◇

堂々の“大関相撲”だった。立ち合い、千代丸に攻め込まれた照ノ富士が右を差す。一気に起こして胸を合わせると左上手をつかみ、豪快に転がした。「(相手は)押し切れなかったら休んでくる。そこは狙っていった」。久々の幕内の土俵でも、相手の特徴、弱点は知り尽くしていた。

5年前の7月(名古屋)場所は新大関場所だった。横綱を期待された大器が両膝のけが、内臓疾患に苦しみ、昨年春場所では西序二段48枚目まで番付を下げた。引退も考えながら、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)ら周囲の励ましで再起の階段を駆け上がった。「やれることはやってきた。自信を持ってやるだけです」。相手よりも低い重心をとれる膝の状態が、復活のバロメーターになる。

再入幕の今場所、化粧まわしを新調した。しこ名にちなみ、富士山を太陽が明るく照らす図柄。照ノ富士は「知り合いの会長が作ってくれた。(番付が下に)落ちた時も応援してくれた方なんで、頑張っている姿を見せたい」。励まされた声、思いが力になる。

まだ3日目。八角理事長(元横綱北勝海)も「まだまだ不安じゃないかな? 全盛の時には戻っていない感じ。幕内で数場所とってからじゃないか」と評した。照ノ富士も大きなことは口にしない。「終わってみないと分からないけど、今のところちょっと体動いている。精いっぱい、やれることを全部やっていきたい」。新型コロナウイルス禍で開催された異例の場所。帰ってきた元大関が盛り上げていく。【実藤健一】

幕内後半戦の高田川審判長(元関脇安芸乃島) 照ノ富士はしっかり実力がある。下からはい上がったぶん、一番一番を大事に、幕内で相撲を取れる喜びを感じながら相撲を取っている。

千代丸を破り土俵から引き揚げる照ノ富士(撮影・河田真司)
千代丸(左)を上手投げで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

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宝富士「いつもと変わらず」朝乃山ら近大OBに闘志

照ノ富士(右)と稽古を行う宝富士

大相撲の東前頭3枚目宝富士(33=伊勢ケ浜)が15日、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて同じ新大関の朝乃山ら近大OBに闘志を燃やした。

同期の前頭徳勝龍は初場所で幕尻優勝、後輩の朝乃山は春場所後に大関昇進を果たした。代表取材に応じ「徳勝龍の優勝を見て悔しい部分もある。自分も優勝とまでは言わないが活躍できるように頑張りたい」と意気込んだ。

今場所は上位戦も予想され、朝乃山との対戦も濃厚。「いつもと変わらず、向こう(朝乃山)は新大関と硬くなる部分もあると思うし、自分は普通にいけたらいい」と話した。

7月場所は観客を入れての開催が決まった。

「決まるまでは、もしかしたら開催されないのかなと思った。実感はなかったが、決まってお客さんは少ないが、入るのは前の場所と違うので、お客さんがいるのは気合が入る。先場所(お客さんがいるかいないかの違いを)すごく思ったので」

史上初の無観客開催となった3月の春場所を経験して、声援のありがたみを感じた。

支度部屋では準備運動の際もマスク着用が義務づけられるなど、協会員にも感染予防が徹底される。ベテランの宝富士でも「アップ中のマスク着用はちょっと。普段はマスクつけないで稽古するので息苦しさは慣れていないと思う」と、多少の戸惑いを隠さなかったが「マスクは配られるんですか? 通気性がいいやつとか持っていってもいいなら、一応準備はしようかなと思っています」と前を向いた。

伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が6日に60歳の誕生日を迎え、部屋のみんなでお金を出し合って還暦祝いに靴をプレゼントしたという。「ちょっと高級な靴。ヴィトンですね」。

この日は照ノ富士らと相撲を取り、本場所に向けて状態を仕上げている。「準備はしてきたので悪くはないと思う。いろいろ厳しい条件だと思うので、環境に慣れるようにしたい」と、気を引き締めた。

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再入幕の元大関照ノ富士「我慢を相撲で伝えたい」

照ノ富士(2019年3月13日撮影)

大相撲で序二段から史上初の再入幕を果たした大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が9日、報道陣の電話取材に応じた。

開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて「(夏)場所がない分、暴れてやろうという気持ち」と待ち切れない様子だった。この日は、都内の部屋で平幕の宝富士と十両翠富士を相手に20番ほど相撲を取ったという。序二段陥落の引き金となった両膝の負傷や内臓疾患の影響により、ここ最近までは20番も相撲を取れなかった。しかし「ちょっとずつそういう稽古が出来るような体にしていかないといけない」と、稽古に熱が入るようになった。

初優勝した15年夏場所後に大関に昇進。綱取りを期待されながらも簡単には届かず、負傷や病気により番付を落とした。引退も考えたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)からの懸命な説得に奮起。4場所連続全休明けとなった19年春場所から土俵に上がり、東十両3枚目だった今年の春場所で10勝を挙げて再入幕を決めた。苦労人は「こういう時期だからこそ、乗り越えてきた自分だから言えることもある。みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたい」と言葉に力を込めた。【佐々木隆史】

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再入幕の照ノ富士、7月場所へ「暴れてやろうと」

照ノ富士(2020年1月21日撮影)

大相撲で序二段から史上初の再入幕を果たした大関経験者で東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が9日、報道陣の電話取材に応じた。初日まで10日後に迫った開催を目指す7月場所(東京・両国国技館)に向けて「(5月)場所がない分、暴れてやろうという気持ち」と待ち切れない様子だった。

この日は都内の部屋で、平幕の宝富士と十両翠富士を相手に20番ほど相撲を取ったという。「最近の中では多い方かな。基本的には復活してからは10番以上はあんまり取っていない」と負傷した両膝などの影響から稽古量を抑えてきたというが、「ちょっとずつそういう稽古が出来るような体にしていかないといけない」と、この日は稽古に熱が入った。

自粛期間中は、自身の過去の取組映像などを見て過ごしてきたという。「何回も見た。見飽きたというか。たまに優勝してイケイケだった時期のビデオを見たりしてモチベーションを高めたりする時もある」という。外出はできないがストレスはたまっていない。

「(外に)出たりして(新型コロナが)うつったら、それこそ周りにも迷惑なるし、自分としてもやっとここまで来られたのに、何でこんなばかことしたんだろうって後悔すると思う。だからこそ、しっかり前向きにとらえてやっていこうと思う」と話した。

15年夏場所後に新大関に昇進した。5年間で幕内優勝を経験しながらも、両膝の負傷や内臓疾患などで序二段まで番付を落とすなど、波瀾(はらん)万丈の相撲人生を送ってきた。酸いも甘いも知る照ノ富士は「いい経験もできて、きつい記事もあって。いろいろ勉強した時かなと思う」と振り返った。

19年春場所で序二段まで陥落した時には「その時はやめようと思ってましたから。その時っていうか、大関から落ちた瞬間にやめようと思ってましたから。(伊勢ケ浜)親方にも何回も『やめさせて下さい』って言いに行ったし、そういう時期があって、相撲もまったく見ないで2年間住んでましたから。完全にここから離れて、生活しようと思っていましたからね」と角界を去るつもりだったと明かした。

それでも伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)からの懸命な説得などもあり「とりあえずは体を治してから話しようと親方に言われた。相撲から1回離れて、自分の体と向き合って、治せるものであれば治したいと思ってやっていた。自分と今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思ってました」と奮起。4場所連続全休明けとなった19年春場所から土俵に上がると、東十両3枚目だった今年3月の春場所で10勝を挙げて再入幕した。

今年開催予定だった東京五輪開催までに、幕内に復帰することを目標にしていた。次の目標に向けては「(東京)五輪が7月だし、7月場所で幕内にいっておきたいと目標を立てて頑張りました。次の目標は、とりあえずは上位と対戦したいというのをね」と横綱、大関陣との対戦を掲げた。7月場所は開催したとしても無観客が濃厚だ。

「こういう時期だからこそ、やっぱり色々あったから、乗り越えてきて自分だから言えることもあると思う。そういった、みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたいなと思っている」

テレビの前で応援してくれるであろうファンに向けて、今の自分の全てを見せる。【佐々木隆史】

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伊勢ケ浜親方が誕生日 還暦土俵入り見通し立たず

伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)(2019年4月24日撮影)

大相撲の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が6日、60歳の誕生日を迎えた。5月30日に東京・両国国技館で予定していた還暦土俵入りは延期となっており、代表取材で日程について「予想では来年になるんじゃないかと思ってる。12月にできればいいかなと。この状態でまた増えてますからね。ちょっと考えないといけない」と、見通しが立っていないことを明かした。

現役を退いて30年近く経つが、日々の運動を欠かさない。夕食後には毎日1時間以上の散歩で汗を流し、「週に5、6回」は約1時間の筋トレに励み、健康を維持する。「(トレーニングでは)あまり重いのをやらないようにしている。けがしちゃいけないから。でもやっちゃうんだよね。(ベンチプレスも)何キロでも挙げようと思えば。100以上も上がる」。還暦土俵入りに向けて、体を仕上げる狙いもあるという。

師匠定年まであと5年となった。「今までやってきたことをそのまま継続して最後まで頑張ってやりたい」。部屋には幕内の宝富士、照強、序二段から再入幕を果たした照ノ富士らが所属。部屋付きの安治川親方(元関脇安美錦)や楯山親方(元前頭誉富士)らが熱のこもった指導で力士を引っ張り上げているという。「とにかく一丸となってやっていく。60歳になったからといってあと5年と思うんじゃなくて、最後まできっちっとみんなの面倒を見て、力士も育てて、今まで通りにやっていく」と話した。【佐藤礼征】

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歴史的返り入幕の照ノ富士「やめたい」陥落後の苦悩

照ノ富士(2020年3月17日撮影)

中止になった大相撲夏場所の番付で、歴史的な返り入幕を果たした東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が31日、NHKに出演し近況などを語った。

NHKは同日午後4時10分から「大相撲特別場所~テレビ桟敷へようこそ~」を放送。中止になった夏場所にかわり、前週から毎週日曜日に、3週にわたり放送するもので、2回目のこの日は「しのぎを削ったライバルたち」と題して、88年放送の「名勝負 栃錦・若乃花」、92年放送の「柔と剛~柏鵬の時代(大鵬・柏戸)~」「綱とり三つ巴の戦い~北の富士・玉の海・琴桜」の3番組を再構成して放送された。

その番組冒頭で照ノ富士が都内の自宅からリモート出演。現在の心境などを語った。

Q2年半ぶりの幕内復帰を果たした心境は

照ノ富士 そうですね、ちょっと長かったと思います。

Q陥落したのは膝のケガだけが原因ではなかった

照ノ富士 糖尿病、C型肝炎と腎臓と3つが重なってしまい、どう頑張っても力が出なかったし、筋肉も落ちました。それを徐々に、徐々に治して頑張りました。

Q陥落して現役をやめようと思ったことは

照ノ富士 正直、大関から落ちた時に、親方(伊勢ケ浜親方=元横綱旭富士)に「やめたい」と。それから5回ぐらい「やめさせてください」と親方に言いました。

Q師匠は何と

照ノ富士 最初に病気を治してからでないと話にならない、と。病気を治してから(その)話はしようと言われました。

Q復帰には師匠の存在が大きかった

照ノ富士 そうですね、いちばん大きかった。

Q優勝も大関にもなって序二段に落ちた

照ノ富士 やっぱり大関になって、横綱も近いと言われてましたからプライドもある。そのプライドを捨てられるか。関取ではない、序二段の土俵でプライドを捨てて相撲を取れるか。一番きつかったのはプライドを捨てられなかったこと。付け人もいない、ゼロから自分でやらなければいけない。

Qそこからどう切り替えたか

照ノ富士 知り合いの人に言われました。自分で思っている以上に、他の人は気にしてないから、と。(照ノ富士は)頑張っているんだ、という目でしか見てないから、もう1回、頑張ればいいじゃないかと。

Q今はどんな稽古を

照ノ富士 (土俵に)復活してから、上半身をメインに筋トレなど。膝は(まだ)3割ぐらいしか戻っていない状態で幕内に上がった。幕内は、そうはいかない(甘くない)から脚をメインに(筋トレなどを)やり続けています。

Q今、力士たちは外出できない中、自宅ではどんな生活を

照ノ富士 ノンビリ家で過ごしています。昔のビデオを繰り返し見たり、道具を買って脚を鍛えたりもしています。(室内筋トレ用の)バイクも買って1時間ぐらい乗ってます。

Q幕内優勝も経験して大関にもなった。次の目標はどこに置いているか

照ノ富士 幕内に上がった以上、落ちるわけにはいかない。年を取っているわけではないので、若手の一人と(いう思いは)自分の中にはある。上位で暴れてみたいです。

Q最後に本場所を楽しみにしているファンへ

照ノ富士 今、コロナで厳しい時期ですけど、力士のみなさんは、それぞれ頑張っている。7月は名古屋でなく東京で開催されますが、そのときは応援、よろしくお願いします。

大関を14場所務めた照ノ富士は、18年初場所を最後に幕内から陥落。その3場所後には十両からも陥落した。4場所連続全休し、手術もした両膝の治療とリハビリ、内臓疾患を治療。19年春場所、西序二段48枚目で本場所の土俵に復帰した。幕下優勝含む32勝3敗の成績で、今年初場所には再十両を果たし関取復帰。先場所、東十両3枚目で10勝5敗の好成績で、18年初場所以来14場所ぶりの再入幕を果たした。元幕内力士が序二段まで降下した後、幕内復帰を果たしたのは史上初という、歴史的な返り咲きだった。

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徳勝龍が涙浮かべ献花「感謝」近大伊東監督お別れ会

近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に参列した徳勝龍は思い出を語る(撮影・宮崎幸一)

近大相撲部監督で1月18日に急死した伊東勝人氏(享年55)のお別れの会が22日、大阪市内のホテルで約400人が出席して行われた。角界からは初場所で平幕優勝を飾った同大OBの徳勝龍(33=木瀬)や、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)鳴戸親方(元大関琴欧洲)相撲解説者の舞の海秀平氏らが出席、故人に別れを告げた。

優しく笑う伊東さんの遺影を前に、徳勝龍は涙を浮かべて献花した。「いろんな思いがこみ上げてきて…。お通夜もお葬式も場所中で行けず、本当は監督の顔を見て、しっかり話をしたかったですけど…ここに来られて良かったです」。

明徳義塾高3年の時、真っ先に声を掛けてくれたのが伊東さん。「自分でも必要としてくれる人がいる。この人のために4年間頑張ろう」と決意し、近大で力をつけ、プロの世界に飛び込んだ。強く覚えているのは、卒業前の進路相談などで伊東さんが「俺もプロに行きたかったなあ」とぼそっとつぶやく姿だ。

しこ名の徳勝龍の「勝」は、木瀬親方(元前頭)が命名時に伊東さんの名前をもらって入れてくれた。「僕が勝手に思っていたことですが(伊東さんが)自分のおやじならいいなと。何でも話せて、監督と生徒なのに、僕を一社会人として見てくれていた。本当に感謝しかないし、監督がいなかったら今の僕はないです」。初場所は天国から背中を押してもらい、初優勝した。迫り来る春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)へ。「天国でゆっくり寝ながら見ていてください」。あらためて「勝」の字に恥じない奮闘を誓った。

近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に参列し、献花する徳勝龍ら(撮影・宮崎幸一)
近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に飾られた遺影(撮影・宮崎幸一)

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八角理事長の続投濃厚、協会理事選6期ぶり無投票

八角理事長(2019年8月31日撮影)

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で、1期2年の任期満了に伴う役員候補選挙の立候補を受け付け、定員10人の理事候補に10人、定員3人の副理事候補に3人がそれぞれ立候補した。定員を超えなかったため、6期ぶりに無投票で理事と副理事が決定。理事候補には現職の八角理事長(元横綱北勝海)や、尾車事業部長(元大関琴風)ら現職8人の顔が並んだ。

現職の山響親方(元前頭巌雄)は最後まで支持者集めを模索したものの出馬を断念した。元横綱日馬富士の暴行事件により、17年に理事を辞任した伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)や、現副理事の花籠親方(元関脇太寿山)が出馬した。理事候補は春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)後の同23日に開かれる評議員会の承認を経て就任する。

新たな理事メンバーで同日に理事長を互選するが、現職の顔ぶれも多く八角理事長の続投が濃厚となっている。

日本相撲協会新役員候補

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12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選

日本相撲協会の理事候補、副理事候補が出そろい、掲示された

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で、1期2年の任期満了に伴う役員候補選挙の立候補を受け付けた。定員10人の理事候補に10人、定員3人の副理事候補に3人がそれぞれ立候補。前回当選者のうち阿武松親方(元関脇益荒雄)はすでに退職しており、現職では山響親方(元幕内巌雄)が立候補せず、新たに伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)と花籠親方(元関脇太寿山)が出馬した。

定員を超えなかったため、無投票での就任が確実になった。無投票での理事、副理事の決定は、2008年以来6期12年ぶりになる。候補者は、評議員会の承認を経て、3月の春場所後に就任。新たな理事メンバーで、理事長を互選する。

候補者は以下の通り。

▽理事候補 八角(元横綱北勝海)、春日野(元関脇栃乃和歌)、出羽海(元幕内小城ノ花)、境川(元小結両国)、高島(元関脇高望山)、伊勢ケ浜(元横綱旭富士)、尾車(元大関琴風)、芝田山(元横綱大乃国)、花籠(元関脇太寿山)、鏡山(元関脇多賀竜)

▽副理事候補 若松(元幕内朝乃若)、藤島(元大関武双山)、高田川(元関脇安芸乃島)

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相撲協会の役員候補選挙 定員10人に11人立候補

日本相撲協会の前回改選時理事と今回立候補者見込み

日本相撲協会の理事、副理事を決める2年に1度の役員候補選挙は30日、立候補を受け付ける。

伊勢ケ浜一門からは、弟子の元横綱日馬富士の暴行事件を受け、17年に理事を引責辞任した伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が出馬する見通し。加えて現職理事の高島親方(元関脇高望山)も出馬見込み。

候補の定員10に対して、5つの一門から11人の立候補となりそうで、選挙になれば10年から6期連続。前回の当落ラインは8票。伊勢ケ浜一門の持ち票はわずか11で、他の一門は票を固めており、両者のどちらかが落選する可能性が高い。投開票は31日。

伊勢ケ浜親方

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小兵の翠富士が新十両、炎鵬&照強のいいとこ取りを

新十両昇進を果たした翠富士(撮影・佐藤礼征)

日本相撲協会は春場所(3月8日初日、大阪・エディオンアリーナ)の番付編成会議を開き、翠富士(23=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。

170センチの小兵は、東京・江東区の部屋で行われた会見に出席し、集まった報道陣を前に「こんなにたくさんの方が集まってくれて『あっ!』となった。実感が湧いてきた」。静岡県出身の力士としては13年春場所の栃飛龍以来となる新十両。「友達や(飛龍高時代の)監督から連絡がきた。(出身の焼津市は)昔から育ってきたところ、地元が大好きなので盛り上げていきたい」と意気込みを語った。

近大を2年で中退して16年秋場所で初土俵を踏んだ。序ノ口デビューから所要3場所で幕下昇進を果たし、着実に番付を上げてきた。170センチ、107キロと小柄ながら「うちの部屋はがっちり(稽古を)やる。やってきたことが自信につながった」と、猛稽古で力をつけてきた。

東幕下2枚目だった初場所で5勝2敗の成績を収めて、新十両昇進を手中に収めた。会見に同席した師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「立ち合いが良くなってきた。相撲はいなしや技もあるが、それを生かすには最初の立ち合いでしっかり当たらないといけない。それができるようになってきた」と目を細めた。入門から20キロ近く増量したという翠富士は「(幕下上位では)圧力負けすることが多かったので、ご飯を食べる努力をした」と胸を張った。

幕内では身長160センチ台で自身より小さい炎鵬や兄弟子の照強が活躍している。「炎鵬関みたいに相手の力を逃がす相撲じゃない」「照強関みたいにめちゃくちゃな出足があるわけじゃない」と謙虚な姿勢を崩さなかったが「2人の中間のような相撲を取れれば。2人を見習っていきたい」と、“いいとこ取り”を宣言。甘いマスクも兼ね備える23歳は「いつか同世代のトップを走っていた(大関)貴景勝関や(前頭)阿武咲関と戦ってみたい」と、目を輝かせた。

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朝乃山が急死の恩師に手向け白星「恩返しをしたい」

子供の頭をなでながら引き揚げる朝乃山(撮影・柴田隆二)

<大相撲初場所>◇7日目◇18日◇東京・両国国技館

新関脇の朝乃山(25=高砂)が、天国に旅立った恩師に勇姿を見せた。平幕の北勝富士を寄り切り、2敗を死守。18日に55歳で死去した、近大相撲部監督の伊東勝人さんに白星を届けた。

3年前の初場所では、高校時代の恩師が亡くなったばかり。天国で見守る2人の恩師に、自身2度目の優勝で恩返しする。

  ◇    ◇    ◇

何が何でもつかみたかった白星。その思いが朝乃山の右手に宿った。北勝富士にのど輪で体を起こされても止まらない出足。前に出ながら懸命に伸ばした右手でさがりをつかむと、力強く握りしめながら右を差して寄り切った。「絶対に離さないという気持ちだった。自分の持ち味が出た」。天国で見守る恩師に届ける会心の相撲だった。

その知らせは、突然やってきた。18日未明、携帯電話に1通のメッセージが届いた。「本当に頭の中が真っ白になりました」。都内の高砂部屋にいた朝乃山は、近大相撲部で同級生の十両朝玉勢と急いで支度した。午前1時過ぎ。都内の病院に駆けつけ、目を閉じて動かない恩師と対面した。「天国から応援をお願いします」。短い言葉に思いを込めて、この日の一番に臨んだ。

連敗を止めた6日目は、恩師の言葉を胸に土俵に上がっていた。5日目夜に伊東監督から「切り替えるのがうまい方だから切り替えてチャレンジ精神でいきなさい」とメッセージをもらっていた。2日前に連絡を取り合っていたばかりだったが故に、訃報にショックは大きかった。それでも「考えすぎると硬くなる。1度頭から離して、前に前に攻めてぶち当たる気持ちでいきました」と土俵上で情けない姿は見せなかった。

数奇な巡り合わせとなった初場所。幕下だった3年前は、全勝優勝して翌春場所での新十両昇進を確実とした翌21日に、富山商相撲部監督の浦山英樹さんががんのため40歳で死去。今回は新関脇昇進を果たした節目に、大学時代の恩師を亡くした。しかし「恩師が2人旅立った。白星、さらに上の番付を目指して恩返しをしたい。また頑張らないといけないという気持ち」と奮い立たせた。

8日目には1差で追いかける正代と対戦する。横綱不在場所で荒れる初場所の優勝争いを占う一番に向けて「場所中だから落ち込んでいる暇はない」と気合を入れる。最後に伊東監督に会ったのは、昨年夏場所で初優勝した時。再び賜杯を抱く姿こそ、天国で見守る恩師に届ける最高の恩返しになる。【佐々木隆史】

○…伊東監督の急死に協会トップの八角理事長(元横綱北勝海)も「本当にビックリした」の言葉を何度も口にした。「うちも何人か入門して大岩戸(元幕内力士)が入った時にいろいろお世話になった。同年代だからショック」と1歳年下の急死を悼んだ。協会トップとしても「力士を送り出し(角界に)貢献してくれた」と謝意。急死の状況を報道陣から説明され「分からないもんだ」と語った。

▽伊東監督の高校、大学の先輩にあたる伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士) 何回も一緒に相撲を取った。いい選手を指導して強くした。(教え子が)力士になってからも応援してくれた。まだ実感が湧きません。

▽近大・伊東監督とは同じ青森出身の阿武咲 びっくりしました。かなり頻繁に会っていましたんで。「ここがダメだ」とか、いろいろ言ってくださった。

▽近大出身の徳勝龍 大学に入らなかったらプロになっていない。(伊東さんが)1番に誘ってくれた。

北勝富士(右)を激しく攻める朝乃山(撮影・鈴木正人)
朝乃山(右)は北勝富士を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)

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