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飛龍高・武井、永田が大相撲入り 部屋から高い評価

大相撲入りが決まった武井(左)と永田は、昨夏に大桑元揮(現大相撲颯富士)が獲得した高校横綱をはさんでガッツポーズ(飛龍高相撲部提供)

飛龍高(静岡)相撲部の武井朔太郎(3年)が大相撲の伊勢ケ浜部屋に、永田涼真(3年)が出羽海部屋に入門することが27日、発表された。武井は来月2日に新弟子検査を受け、同8日初日の11月場所の前相撲でデビューする予定。永田は来年1月の新弟子検査を経て、同10日初日の初場所前相撲に臨む。十両翠富士ら現役力士を多数輩出する名門校から、新たな後継者が生まれた。

高校3年生の2人が、角界に飛び込む。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、本年度の全国大会は中止。武井と永田は実力を披露する舞台を失ったが、継続的に勧誘してきた相撲部屋の高い評価は変わらなかった。

武井 伊勢ケ浜部屋には高校の先輩が2人(翠富士、三段目颯富士)いますし、活躍している力士が多い。トレーニング施設など、サポートも充実しているので、決めました。

永田 小学生の時から声を掛けてもらっていましたし、出羽海部屋入門が夢でした。先輩の関脇御嶽海関のように、堂々とした相撲を取りたいです。

昨年度までの全国高校総体や国体少年などで、武井は下級生ながら、飛龍の団体メンバー入り。3~5位入賞に貢献し、本年度の個人戦で全国優勝の候補に挙がっていた。永田も昨年度の県高校新人大会で団体優勝。相撲部内で群を抜く稽古量で、小柄な体格をカバーし、本年度はレギュラーの座をつかんでいた。

2人は今後の目標について「地元の皆さんに応援してもらえる力士になりたい」と声をそろえた。静岡県民の声援を受けながら、番付を上げていくことになりそうだ。

◆武井朔太郎(たけい・さくたろう)2002年(平14)9月3日、千葉県生まれ。小学2年で熱海市に移り、熱海二小に転校。小学6年で三島市の三島相撲クラブ入り。熱海中に進み、3年生の17年に全国中学校選手権個人5位。飛龍高では1年時からレギュラー。185センチ、170キロ。

◆永田涼真(ながた・りょうま)2002年5月12日、袋井市生まれ。4歳の時に袋井相撲クラブ入り。袋井北小4年時の12年全日本小学生優勝大会4年生以下の部で準優勝。袋井中進学後も全国大会出場。中卒後に相撲をやめようかと悩んだ末、飛龍高に進んだ。170センチ、115キロ。

昨年7月、飛龍高相撲場で稽古する武井朔太郎(右)

照ノ富士は前頭筆頭、阿炎は前頭14枚目/新番付

7月場所で幕尻優勝を果たし賜杯を手にする照ノ富士(2020年8月2日撮影)

日本相撲協会は8月31日、開催を目指す大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、開催の可否や開催形態は理事会で決定する見込み。

先場所、両膝のケガによる手術、糖尿病など内臓疾患を克服し、14場所ぶりに返り入幕を果たし、幕尻で2度目の幕内優勝を果たした照ノ富士(28=伊勢ケ浜)は、東前頭17枚目から番付を一気に16枚上げて、東前頭筆頭にまでアップした。上位総当たりとなる今場所も活躍が期待される。

また、新型コロナウイルスの感染拡大の中、不要不急の外出で出場停止処分を受けた阿炎(26=錣山)は、東前頭5枚目から西前頭14枚目に番付を下げた。

うれしい新入幕は2人。翔猿(とびざる、28=追手風)は、追手風部屋からは現師匠(元前頭大翔山)が部屋創設後としては、剣翔以来、1年ぶり10人目の幕内力士となった。東京都出身でも剣翔以来、戦後31人目で、日大からも剣翔以来38人目。十両英乃海(31=木瀬、最高位は西前頭12枚目)が兄で、14年春場所の千代丸、千代鳳(ともに九重)以来、史上11組目の兄弟幕内誕生となった。

第68代横綱・朝青龍を叔父に持つ豊昇龍(21=立浪)は先場所、東十両6枚目で10勝5敗の成績で新入幕を果たした。立浪部屋からは、現師匠(元小結旭豊)の部屋継承後では、18年名古屋場所の明生以来、4人目の幕内力士輩出。モンゴル出身では今年初場所の霧馬山(24=陸奥)以来27人目、外国出身では50人目の幕内力士誕生となった。

再入幕は明生(25=立浪)が2場所ぶり、旭大星(30=友綱)が11場所ぶり、逸ノ城(27=湊)が4場所ぶりの復帰を果たした。

既に番付編成会議で発表になっていた十両昇進力士は4人で、うれしい初の関取の座を射止めた新十両は2人。王輝(24=錣山)は、錣山部屋からは現師匠(元関脇寺尾)が部屋創設後、昨年夏場所の彩以来、5人目の関取。新潟県出身では16年九州場所の小柳(現豊山)以来、戦後17人目の新十両だ。錦富士(24=伊勢ケ浜)は、伊勢ケ浜部屋からは、今年春場所の翠富士以来の新十両で、青森県出身では17年秋場所の大成道以来、戦後65人目。近大からは翠富士以来、14人目の関取輩出となった。

再十両は先場所、西幕下12枚目で7戦全勝優勝を果たした幕内経験者の千代の国(30=九重)が7場所ぶりの復帰を決めた。北■磨(34=山響)は17年秋場所以来、3年ぶりの十両復帰を果たした。

秋場所は通常通りの日程でいけば、9月11日の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。13日の初日を迎える。

※■は石へんに番

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照ノ富士が秋場所に向け始動「やれることやるだけ」

1つ10キロのダンベルを扱い汗を流す照ノ富士

大相撲7月場所で5年ぶり2度目の優勝を果たした大関経験者の前頭照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が10日、秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)に向けて本格的に始動した。

7月場所の千秋楽後、初めて都内の部屋でまわしを締めて稽古を行った。四股やすり足などの基礎運動に加えて、1つ10キロのダンベルを使って体を動かした。大相撲史に残る復活劇を成し遂げて1週間。「いろいろな方々に祝福していただき、改めて(優勝を)実感しています。番付が落ちているときも変わらず応援してくれた方たちからのお祝いの連絡がうれしかったです」と感謝した。

6日には母校の鳥取城北高を表敬訪問し、石浦外喜義校長らに優勝を報告した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で高校相撲でも大会が軒並み中止となったが、その中で後輩たちを勇気づける活躍を見せた。「後輩たちに、インターハイなど大会の機会がなくなってしまったけど、腐らずに毎日の努力がすごく大事だと思うので『頑張ってほしい』と伝えました。いま伊勢ケ浜部屋に鳥取城北から(入門した力士)は自分だけなので、励みにもなるし、教えてもいけるので『今の状況が落ち着いたらぜひ部屋に来てください』と伝えました」とエールを送った。

すでに約1カ月後に迫っている秋場所は、上位総当たりとなる見通しだ。序二段からはい上がった28歳は「特別誰というのはありません。当たる相手は誰でも関係なくやれることをやるだけなので」と淡々としていた。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(2020年8月1日)

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新十両昇進の錦富士「次は勝ち越して上にいくこと」

錦富士(20年3月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、錦富士(24=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。錦富士は両国国技館で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も同席した。

16年秋場所で初土俵を踏み、約4年で新十両に昇進した。東幕下3枚目だった昨年秋場所で左肘を負傷して手術。翌九州場所は全休したが、今年の初場所で復帰し、3月の春場所で幕下優勝。7月場所は14日目の七番相撲で5勝目を挙げ、十両昇進を決定的にした。「ケガして苦しい時に師匠や安治川親方(元関脇安美錦)、楯山親方(元前頭誉富士)、照ノ富士関や翠富士関、照強関とか、たくさんの人に声をかけてもらって頑張ってきた。そのことがよぎって目が熱くなった」と振り返った。

心強い同期が部屋にいる。十両翠富士は近大の同級生であり、入門も同じ16年秋場所。対抗心を燃やしながら同じように番付を上げてきたが、翠富士は春場所で新十両昇進と先を越された。「幕下にいた時は僕が常にちょっと上にいた。でも休場している間に先を越されて、うれしい気持ちと悔しい気持ちと焦りの気持ちと、いろんな気持ちがあった」という。しかし、気持ちを落とすことなく奮起。翠富士からは早速「来場所から一緒に土俵入りできるな」と声をかけられたといい「負けてられないなと思いながら、うれしい思いもあった」と笑みを浮かべた。

返り入幕だった照ノ富士が復活優勝を果たすなど、伊勢ケ浜部屋にとって明るい話題が続くこととなった。錦富士は「場所前から自粛生活が続いている中で、伊勢ケ浜部屋旋風を起こそう、と照ノ富士関を中心に言ってた。今場所はそういう面でも各自が頑張っていたと思う」と団結秘話を明かした。伊勢ケ浜親方は「もっと前に出る相撲を。まだまだ取り切れていない。自分から攻める相撲が取れれば幕内もいけると思う」と期待。錦富士は「とりあえずは次の場所で勝ち越して上にいくことです」と意気込んだ。

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照ノ富士が消沈…変化し批判浴びた一番元付け人述懐

15年6月、照ノ富士(左)と付け人の駿馬

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士の付け人を約5年間務めた元幕下駿馬(しゅんば)の中板秀二さん(38)は、劇的な復活劇を信じて疑わなかった。「目標があれば、必ず戻れると思っていた」。入門は照ノ富士より7年早い。13年3月の間垣部屋から伊勢ケ浜部屋への移籍や15年夏の大関昇進。兄弟子として苦楽をともに過ごしてきた。

両膝のけがなどでどん底の中、照ノ富士は弱音をたくさん吐いたという。「『何をやってもうまくいかないんです』と。(番付が)上がってるときは弱みを全く出さなかったので驚いた」。印象的だったのは優勝を争っていた17年春場所14日目。立ち合い変化で琴奨菊の大関復帰を絶つと、周囲から厳しい批判を浴びた。「あれから元気がなくなったように見えた。(その後の低迷は)体のことはもちろんだが、気持ちの問題も大きかったんじゃないか」と述懐する。

序二段で復帰した昨年春場所前、照ノ富士はすでに引退を決断していた駿馬さんの自宅を訪れ「もう1回、幕内で頑張ります」と決意の報告をした。駿馬さんは昨年夏場所限りで引退。直後に部屋で行われた断髪式では、照ノ富士に「お疲れさまでした」とはさみを入れられ、ほおにキスされた。「モンゴル流なんですかね。涙が出ました」。現在は都内で介護事業を展開する企業の職員として働いている。優勝の瞬間は仕事のためラジオで聞き「感慨深いものがあった」。元付け人にとっても格別な優勝となった。【佐藤礼征】

御嶽海(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

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復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。

混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。

1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯(じんたい)が、左膝は半月板がなくなった。

17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。

表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

▽八角理事長(元横綱北勝海)「照ノ富士はよく戻ってきた。戻ってすぐの優勝だから素晴らしい。こんなに早く優勝できるとは、本人も思っていなかっただろう。やっぱり、いろいろ経験してきた元大関だ。緊張感の中、気持ちで相撲を取っていた。ただ、まだ膝をかばっている感じで不安もあるだろう。来場所は難しいものがあるのでは」

▽照強(照ノ富士に前日)「明日頑張って下さい」と言ったら「ありがとう」と。優勝してもらって気持ちよく祝いたい。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が奇跡の大復活V、序二段経て30場所ぶり

かみしめるように下がりを外す照ノ富士(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、技能賞の三賞2つも獲得した。

両膝の負傷や内臓疾患に苦しんだ男が、4カ月ぶりに再開した本場所で主役となった。大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

初優勝から5年2カ月がたっていた。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声が高かった。

しかし昇進後は両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に「とりあえずは治してから話をしよう」と引退を慰留された。1年以上かけて土俵に戻る決心を固め、昨年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。負け越し知らずで番付を上げ、初場所で再十両。返り入幕となった今場所、ついに“奇跡のカムバック”を実現させた。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。

御嶽海(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が朝乃山を撃破、出稽古独占で磨いた右四つ

朝乃山を破り、懸賞金の束を手にする照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、新旧大関対決を制して単独トップに立った。

新大関朝乃山との1敗同士の一番を、右四つから力で寄り切った。14日目に関脇正代を破り、朝乃山が前頭照強に敗れれば、30場所ぶり2度目の優勝が決まる。序二段から史上初の幕内復帰を果たし、幕尻で迎えた今場所。大関経験者が関脇以下で優勝すれば、昭和以降2人目の快挙となる。朝乃山は2敗目で1歩後退。3敗の正代、御嶽海の両関脇も優勝の可能性を残した。

   ◇   ◇   ◇

大関経験者の照ノ富士が、相四つの新大関を力でねじ伏せた。左上手に手がかかったのは、朝乃山とほぼ同時。「(今場所の朝乃山は)大関なので強い相撲を見せているから、自分のかたちに持っていってやろうと」。相手の絶対的な左上手を切ると、右でかいなを返し、怪力で左上手を引きつけた。朝乃山を寄り切ると、土俵上でふーっと一つ息を吐く。「まだ2日あるので」。単独トップに立っても、浮足立つことはなかった。

関取に返り咲いた1月以降、朝乃山を絶好の稽古相手としていた。時津風部屋に出稽古した際は、申し合いで朝乃山を積極的に指名。初場所前の稽古では朝乃山を独占するあまり、稽古を見守っていた安治川親方(元関脇安美錦)から注意を受けることもあった。「(稽古では)右四つで組んで力を出してくれる相手がいなかった。いい稽古相手になると思ってやっていた」と照ノ富士。当時関脇だった朝乃山を“踏み台”に、右四つの感覚を磨いた。

初優勝は5年前。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声は高かった。しかし、昇進後は地獄が待っていた。

両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を慰留された。「『とりあえずは治してから話をしよう』と。相撲から1度離れて、自分の体と向き合った。今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思った」。1年以上かけて、土俵に戻る決心を固めた。

記録ずくめの優勝は、14日目にも決まる。大関経験者が関脇以下で優勝すれば1976年秋場所の魁傑以来で、昭和以降2人目。前回優勝した15年夏場所との間隔は30場所と約5年で、史上2位のブランク優勝となる。残り2日へ「やってきたことを信じてやるだけ」。コロナ禍の世の中に希望を与えるような復活劇が、実現しようとしている。【佐藤礼征】

▽幕内後半戦の伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士) 上手は朝乃山の方が早かった。上背の差が出た。がっぷり組むときついよね。朝乃山は少し突き落とし気味の投げにいったのが良くなかった。照ノ富士は辛抱したから前に出られた。(師匠として)「ここまできたら無理しないように」と常に言っている。

<照ノ富士の激動の相撲人生アラカルト>

▽11年5月 間垣部屋に入門して初土俵を踏む。

▽13年3月 間垣部屋が閉鎖され、伊勢ケ浜部屋に移籍。

▽13年9月 新十両場所の秋場所で優勝。3場所で十両を通過して新入幕昇進。

▽15年5月 関脇の夏場所で12勝3敗で初優勝。場所後に大関昇進を果たす。

▽15年9月 秋場所中に右膝を負傷。場所後に「前十字靱帯損傷、外側半月板損傷」で全治1カ月と診断される。

▽17年3月 春場所で千秋楽までトップも、稀勢の里に本割、優勝決定戦で敗れ優勝を逃す。

▽17年9月 2場所連続負け越しで大関陥落。

▽18年5月 十両まで番付を落とし、この夏場所から6場所連続休場。

▽19年3月 本場所復帰。7戦全勝で序二段優勝。

▽19年11月 幕下上位で7戦全勝。場所後、再十両昇進。

▽20年1月 13勝2敗で十両優勝。

▽20年3月 東十両3枚目で10勝5敗。場所後に再入幕を決める。

朝乃山(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

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錦富士勝ち越し「当たって四つを意識」新十両射程圏

錦富士(左)は上手出し投げで常幸龍を下す(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇9日目◇27日◇東京・両国国技館

東幕下3枚目錦富士(24=伊勢ケ浜)が5番相撲で勝ち越しを決め、来場所の新十両昇進に前進した。三役経験を持つ西幕下4枚目常幸龍を上手出し投げで下して4勝1敗。少し押し込まれたが、右上手を取って相手を転がした。

兄弟子で現役時代は付け人を務めた、部屋付きの安治川親方(元関脇安美錦)の存在が励みだ。

「自分も膝のけがなど数々抱えてきて、安治川親方もけがと付き合いながら現役を全うした。勇気をもらっている」

この日も取組前に、4番相撲で初黒星を喫した相撲が後手に回っていたと指摘され「しっかり当たってから四つになることを意識した」と話す。

同期の十両翠富士と切磋琢磨(せっさたくま)して幕下上位まで番付を上げたが、昨年秋場所で左肘を負傷し、同年九州場所は全休するなど幕下下位まで番付を落としていた。

「靱帯(じんたい)が切れただけでなく、筋肉からはがれて手術しないと腕に力が入らなかったので休場した。(稽古では今でも)痛くて途中で抜けて、ということもある。いろんな方に声をかけていただいて、それが自分の支えになった」

近大を中退して入門から約4年。伊勢ケ浜部屋のホープが、関取の座を射程圏にとらえた。【佐藤礼征】

常幸龍(左)を上手出し投げで破る錦富士(撮影・河田真司)
常幸龍(右)を上手出し投げで破る錦富士(撮影・鈴木正人)

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元力士芸人がお手柄!万引き犯捕まえ警察に引き渡す

万引き犯を捕まえた元力士の芸人めっちゃ(左)(撮影・相撲芸人のキンボシ西田)

元力士の芸人がお手柄! 相撲芸人のめっちゃ(31)が21日午後9時ごろ、東京・武蔵小山の商店街で万引き犯を捕まえた。銭湯帰りに歩いていたところ、前方から青年が走ってきた。その後方から「待て! 捕まえろ!」との声が聞こえた。めっちゃは正面から体当たりし、左を差して寄り倒したという。男はレンタルビデオ店で万引をした疑いがあり、その後警察に引き渡した。

めっちゃは「ここで止めないと面倒なことになると思って止めました。トップスピードで来ましたが、怖いのはまったくなかった。対人はもう(力士時代に)嫌っていうほどやってきましたから。ちょっと腰が引けて、下半身が使えてへんなと、立ち合いを反省しました。腕だけで差しにいったので、踏み込んで当たらないといけません」と、まるで取組後のように振り返った。レンタルビデオ店の店員や警察からは感謝されたという。

めっちゃと一緒に歩いていた相撲芸人のキンボシ西田淳裕は「めっちゃさんは1ミリもびびることなく向かっていきました。本物だと思いました。ドラマでよく見るシーンが自分に降りかかるとは思ってもいませんでした。僕は怖すぎて、何もできませんでした」と振り返った。

めっちゃは安治川部屋(現在の伊勢ケ浜部屋)に入門し、2004年(平成16年)春場所初土俵。安大ノ浪(あおのなみ)のしこ名で、最高位は東序二段94枚目。現在は相撲芸人として、安美錦の寝起きなど相撲あるある物まねを得意とし、ツイッター@MECCHAHOSODAでもネタを披露している。

めっちゃの兄弟子にあたる安治川親方(元関脇安美錦)は「迷わず当たっていけたのは、稽古をした経験があったからだと思います。そのような状況で向かっていくのは危険も伴うのでやめた方がいいと思いますが、一緒に稽古をした仲間として誇りに思います。現在開催中の7月場所においても、とても勇気をいただきました。ありがとう」とコメントした。

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9位照ノ富士へエール「おちゃめなギャップ大好き」

第9回大相撲総選挙にご投票いただき、ありがとうございました。投票だけでなく、多くの皆さまから熱いメッセージをいただきましたので、ごく一部ですが紹介いたします。

9位 照ノ富士 1873票

★大関経験者で序二段まで陥落したにも関わらずコツコツ努力して幕内に復帰したその姿に勇気をもらった。(20代男性)

★横綱昇進を見据えて自信満々だった大関時代。幕下以下に陥落して病気やけがに苦しみながら徐々に番付を戻していった時。そして幕内に復帰した今。どの時も照ノ富士という人間の生き様を見せてもらっています。関取に戻って久しぶりのインタビュー、日本語がとてもうまくなっていたのが印象的でした。まだ若い! もう1度綱取りを!(40代女性)

★照ノ富士関の、これまで歩んできた相撲人生を思うと、1票入れずにはいられません。間垣部屋から伊勢ケ浜部屋への移籍、駿馬(しゅんば)さんとの絆、大関への飛躍、足のけがでの序二段への転落、そしてじわじわと復活しての再入幕…! 心震えます!(40代女性)

★私も今病気でリハビリをしているのですが照ノ富士関が頑張ってるのを見るとうれしくなります。応援してます。(40代女性)

★けがと内臓疾患などで、幕下に陥落した時、元大関経験者だから、このまま引退するんじゃないか、と心配していました。それでも、現役続行を新聞の記事で見た時、体調さえ良くなれば、再び関取に帰って来る日を信じていました。昨年の九州場所で、幕下優勝とともに、関取復帰が決まった時、本当にうれしかったです。次は、再び幕内上位での活躍を期待しています。そして、大関復帰へ! これからも、応援していきます。(30代男性)

★再度大関という奇跡を見せてほしい。(30代男性)

★困り顔がかわいい。戻ってきてくれてうれしい。血のにじむような努力をたたえたい。(20代女性)

★土俵上での大きな相撲と普段のおちゃめのギャップが大好きで、大関に上がる前からずっと応援しています。返り入幕の場所での活躍を期待しています!(20代女性)

★捲土(けんど)重来の一言で十分でしょう。目指せ大関返り咲き!(40代男性)

★照ノ富士関が関脇時代から相撲に興味を持ちました。仕切りの時間いっぱいになると見る見るうちに般若のような闘争心あふれる表情、そして力強い相撲に夢中になりました。そんな照ノ富士関が再入幕を果たしたことは本当にうれしいです。また上位戦ってるところをみたいです。(30代女性)

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安治川親方、親子揃って出身青森・深浦町から栄誉

安治川親方(元関脇安美錦)が出身地の青森・深浦町から受賞した特別功労褒賞の褒賞状

大相撲の元関脇安美錦の安治川親方(41)が、出身地の青森・深浦町から特別功労褒賞を贈られた。安治川親方は31日、「本当にうれしく思っております。入門した時から皆さんが町で応援してくれた。十両にあがってからもずっと。そのおかげで今があります」と喜びを口にした。

30日に深浦町の町民文化ホールで授賞式が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響を考慮して中止。褒賞状と記念品が送られてきたという。今回は、青森県相撲連盟会長を務めていた父の杉野森清克さんが「功労褒賞」を受賞するなど、親子そろっての栄誉となった。

青森県西部、日本海に面した深浦町の魅力について安治川親方は「夕日がものすごくきれい。海のおいしいものがあり、世界遺産の白神山地も近い。実家から歩いて5分くらいのところに『日本一の大イチョウ』がある」とPRした。

現在は、伊勢ケ浜部屋の部屋付き親方として、稽古場で後輩たちを指導している。日本相撲協会は5月の夏場所を中止としたが、7月の名古屋場所は東京・両国国技館での無観客開催を目指している。安治川親方は「幕下の錦富士は(関取まで)あと一息まできている。翠富士も十両に上がってまだこれから。鍛えてきたことが、次の場所で出せればいい。新しい芽がどんどん出てきてほしい」と期待した。【佐々木一郎】

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コロナ拡大「タニマチ」接触も最小限に抑える通達

芝田山広報部長(2020年3月1日撮影)

無観客での春場所(8日初日、エディオンアリーナ大阪)開催を決めた日本相撲協会は3日、各部屋の後援者、通称「タニマチ」との接触も最小限に抑える通達を出すことを決めた。この日、取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)が明かした。

日々、新型コロナウイルスの感染拡大が伝わる中「広報部としては各師匠に、後援者とよく話した上で(接触を)検討してほしいという通達を今日(3日)出そうと思う。注意喚起です」と明言した。

これまで後援者については稽古見学、会食など各部屋の判断に任せていた。安治川親方(元関脇安美錦)は、10月に控える断髪式の営業活動ができないことには「痛いよ」と苦笑しつつ「想像できること以上の警戒をすべき」と、すでに自己判断で後援者との会食などを自粛。所属する伊勢ケ浜部屋の稽古場は公園内にあるが、接触を試みない見学者の節度ある行動に「ありがたい」と感謝した。

一方で1度は禁止と決めた力士らの公共交通機関の利用について、芝田山部長は「なきにしもあらず」と白紙に戻ったと明かした。

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大関とりに挑む朝乃山 無観客も「集中するだけ」

時津風部屋へ出稽古した朝乃山

無観客で開催される大相撲春場所(8日初日、エディオンアリーナ大阪)で大関とりに挑む関脇朝乃山(26=高砂)が3日、大阪市東成区の時津風部屋で出稽古した。

出稽古組の力士でにぎわう中、関取衆で申し合い。時折、自分から得意四つとは逆の、左を差して出る相撲も試したが、ほとんどが左の前まわしを取り、右を差して寄る、自分の型を貫いた。やはり伊勢ケ浜部屋から出稽古に来た宝富士、照ノ富士らを相手に、まずは5連勝。湊部屋から来た逸ノ城に圧力負けし寄り切られた後、5番を置いて再び土俵へ。千代大龍、豊山を寄り切りで破った後、照ノ富士に寄り切られた。再び9番後に入り逸ノ城、照強に勝ち、最後は千代大龍に押し出され合計12番で9勝3敗だった。

「自分の一番いい形。本場所で出来ないと意味がない」と言う、立ち合いで当たって踏み込み瞬時に左前みつを取る理想の形を追求している。この日の内容を「ボチボチ」と話し、やや物足りないと思われる12番の番数にも「体は動いているので大丈夫」と問題なしを強調。4日以降の出稽古の予定については「未定です。体と相談して」と話した。

2月24日の番付発表から連日、取材対応している。時々刻々と変化する、新型コロナウイルス問題で無観客となることにも腹を据えて構える。「自分の中では中止か無観客だと思い、無観客に決まった。ということは(場所は)開催されるということ。その日から体を作っていこうと、気持ちの切り替えはしてます」と言う。もちろん、無観客での相撲は想像も出来ないが「イメージがわかないけど、自分の相撲に集中するだけ」と5日後の初日を見据えた。

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琴ノ若が新入幕、史上9組目の親子幕内誕生 新番付

初代琴ノ若で父の佐渡ケ嶽親方(右)と琴ノ若

日本相撲協会は24日、大相撲春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表した。

親子幕内が誕生した。先場所、東十両2枚目で8勝7敗の琴ノ若(22=佐渡ケ嶽)が新入幕を果たした。元関脇琴ノ若で現師匠の佐渡ケ嶽親方が父。親子幕内は14年夏場所の佐田の海親子(父は最高位小結、子は今場所東前頭10枚目)以来、史上9組目となる。同部屋からの新入幕は18年名古屋場所の琴恵光以来、千葉県からは18年秋場所の隆の勝(千賀ノ浦)以来、戦後23人目となる。琴ノ若は東前頭18枚目に番付されたが、幕内に前頭18枚目があるのは、59年秋場所(この場所は東前頭19枚目まで)以来となった。

再入幕は2場所ぶりの錦木(29=伊勢ノ海)、7場所ぶりの大奄美(27=追手風)の2人となる。

晴れて関取の座を手にした新十両は翠富士(23)。伊勢ケ浜部屋からは17年初場所の照強以来、静岡県からは13年春場所の栃飛龍以来、戦後11人目。近大からは昨年秋場所の朝玉勢(高砂)以来、13人目の関取誕生となった。

再十両は4人。若元春(26=荒汐)と明瀬山(34=木瀬)は2場所ぶり、千代の海(27=九重)は3場所ぶり、白鷹山(24=高田川)は5場所ぶりの十両復帰を果たした。

春場所は、3月6日の取組編成会議で初日、2日目の対戦相手が決定。8日の初日を迎える。

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震災1・17生まれの照強が5連勝「特別な日です」

照強は初日から5連勝を飾り笑顔で引き揚げる(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇5日目◇16日◇東京・両国国技館

阪神・淡路大震災が起きた95年1月17日に生まれた東前頭14枚目・照強(25=伊勢ヶ浜)が、無傷の5連勝を飾った。

千代丸(九重)をもろ差しから鮮やかな下手投げ。白鵬に続き、鶴竜も休場と昨年秋場所に続く横綱不在となった混戦場所で、幕内で2番目に低い身長169センチの小兵が主役候補に浮上。初場所は過去4年連続初優勝力士が誕生しており、照強もひょっとしたらひょっとするか。

   ◇   ◇   ◇

身長169センチが武器だった。「小さくてイヤだなんて思ったことはない。小さいと、相手がイヤでしょう。190センチあったら逆に相撲取れないッスよ」と照強。千代丸のもろ手突きをかわすように懐に飛び込み、揺さぶって前に出ながらの下手投げが決まった。

「ああなったら(千代丸は)腹出してくるんだろうな、と。その腹に乗っからないように。結構、前に圧力かけたんで思い切りやるしかない。小さいんで思い切ってやらないと」

25年前、阪神・淡路大震災が発生して、約15時間に生を受けた。誕生日=震災の日。もちろん、本人に被災した記憶はないが「うれしいことだけじゃないのが誕生日」と話す。「母親は大変だったと思う」。当時のことは家族、周囲から聞いてきた。力士になり、必然的に初場所中にこの日を迎える。「やはり意識する。特別な日です」。

ひとつの目標が幕内で迎えることだった。「幕内で初めてはひとつの目標。まずはそこを目指していたんで」。25年たっても、震災の痛みを風化させてはいけない思いを強く持つ。「幕内だとテレビ(地上波)で必ず映るでしょ。淡路の人だけじゃなく、全国の人に見てもらいたい」。体は小さくても、気力と根性で大きな相手をなぎ倒す姿が、勇気になると信じている。

12勝した昨年名古屋場所に並ぶ、自己最多の初日から5連勝。当時と比べ「今回の方が調子いい。前は気づいたら勝てた感じだが、今は意識して勝っている。前より気持ちに余裕を持って相撲がとれている」。精神面から体も変わった。以前は「飯の時間なんてこなけりゃいいのに」と思うほど食べられず、場所中は自然に体重が落ちた。今はしっかり食べて維持できる。「淡路島のたまねぎ、最高です」と郷土の名産にも支えられる。

初場所は過去4年連続で初優勝力士が誕生している。まだ序盤5日間を終えただけに、照強も「まだ10日もあるし、勝ち越しもしていない。気持ちを入れ直して頑張りたい」。今日17日、25歳の誕生日も静かに黙とうして迎える。【実藤健一】

○…照強の師匠、伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士) 必死にやっている。(震災の日に生まれ)しこ名もそういう願いがこめられている。みんなの励みになれば。

照強翔輝(てるつよし・しょうき)

◆本名 福岡翔輝。しこ名は「周囲を強く、明るく照らすように」との願いがこめられている。

◆出身 1995年(平7)1月17日、兵庫県南あわじ市。

◆経歴 小学1年から柔道。4年時に飛び入り参加したわんぱく相撲をきっかけに相撲を始める。中学卒業後、伊勢ケ浜部屋に入門。身長167センチで当時の第2新弟子検査に合格し、10年春場所初土俵。16年九州場所、西幕下9枚目で優勝し、17年初場所で新十両昇進。19年春場所新入幕。同年名古屋場所、12勝3敗で敢闘賞を受賞し、翌秋場所の東前頭9枚目が最高位。

◆サッカー好き 中学に相撲部がなくサッカー部に所属しGK。実家で飼い始めた愛犬のゴールデンレトリバーに(クリスティアノ)ロナウドと命名。

◆サイズ 169センチ、120キロ。

照強(左)は千代丸を下手投げで破る(撮影・柴田隆二)
豪快に塩をまく照強(撮影・小沢裕)

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十両復帰の照ノ富士3連勝、同郷豊昇龍に盤石の寄り

豊昇龍(右)を寄り倒しで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇3日目◇14日◇東京・両国国技館

大関陥落後、序二段から10場所ぶりに十両に復帰した西十両13枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、元横綱朝青龍のおいで東十両14枚目の豊昇龍(20=立浪)を下して初日から3連勝した。

立ち合いは張って出たが、自らの手つき不十分により仕切り直しに。「張り差しがバレたから向こうも考えてくると思って普通にいった」と2度目の立ち合いは、シンプルに真っすぐ当たってまわしを取りにいった。右を差してまわしを取り、左上手も取って盤石の体勢に。じりじりと土俵際に寄り、相手の投げに耐えて寄り倒しで勝利した。

右四つになってからは、余裕があるようにも見えたが「投げ、内掛け、外掛けがあるからそれに気をつけてゆっくりといった」と逆転の投げを警戒。ただ「その3つしかないことは分かっていたから焦ることはなかった。足をかけてきたら上半身でその逆側に回せばいいと理解していた」と頭の中で対策を練っていた。

同じモンゴル出身の豊昇龍とは、角界入り前だった豊昇龍が千葉・日体大柏高時に伊勢ケ浜部屋の合宿に参加するなどして交流があったという。「かわいい後輩です」と笑みを浮かべたが、土俵上では大関経験者として角界で生き残る厳しさを見せつけた。場所を追うごとに力強さも徐々に戻り、結果も出しているが「残り12日もあるよ」とまだまだ満足はしない。

豊昇龍(右)を激しく攻める照ノ富士(撮影・鈴木正人)
豊昇龍を寄り倒しで破った照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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十両復帰の照ノ富士2連勝「まだ始まったばかり」

魁(左)の攻めに耐える照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇2日目◇13日◇東京・両国国技館

大関陥落後、序二段から10場所ぶりに十両に復帰した西十両13枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、西十両14枚目の魁を下して2連勝した。

立ち合いで狙っていた左の前みつは取れずに左を差されたが、抱え込むようにしてしのいだ。流れの中で取った左上手は切れたが、距離を取るように突き放して押し出した。「先に(左前みつを)取るつもりだったけど、うまくやられた。ふわっと立ち上がってしまった」と反省の言葉を口にした。

支度部屋で髪を結い直してもらう際、新調した締め込みと同じ紫色の真新しい座布団に座った。

「照矢さんからプレゼントされました」

13年の春場所後に所属していた間垣部屋が閉鎖される際、一緒に伊勢ケ浜部屋に転籍した呼び出しの照矢から贈られたものだという。

関取に復帰し、苦労を知る仲間の期待に応える2連勝だが「まだまだ。始まったばっかりだよ」と気を引き締めた。

魁(左)を押し出しで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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高校横綱・大桑元揮「まずは関取」伊勢ケ浜部屋入門

握手を交わす、左から伊勢ケ浜親方、大桑、飛龍・小畑校長(撮影・古地真隆)

第97代高校横綱・大桑元揮(げんき、飛龍3年)の伊勢ケ浜部屋入門報告会が14日、沼津市内で行われた。制服姿の大桑は「高校横綱をプレッシャーにせず、自信にする。まずは関取になりたい」と意気込んだ。

伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)から「引かずに前に出る部分が魅力。横綱を目指してほしい」と激励された。

昨年3月の全国選抜団体戦初優勝に貢献。今年7月の全国総体個人戦も制した。さらに今月1日の天皇杯全日本選手権では、高校生ながら予選を通過し、決勝トーナメントに進出した。「高校を卒業したらプロに入ると決めていた」。複数の部屋からスカウトされたが、最も熱心に勧誘された伊勢ケ浜部屋への入門を決めた。既に何度も稽古に足を運び、プロの胸を借りている。

170センチ、130キロの小兵力士。憧れは大関貴景勝で、突き押し相撲が持ち味だ。昨年藤島部屋に入門した鈴木優斗(三段目)に続き、2年連続で飛龍高から大相撲に進む。「突き押しをさらに磨く。鈴木さんと戦いたい」と対戦を熱望した。今後は新弟子検査を経て、来年1月の初場所(東京・両国)で初土俵を踏む予定だ。大きな希望を胸に、大相撲の世界へ飛び込む。【古地真隆】

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照ノ富士が関取復帰「あらためて気が引き締まる」

照ノ富士

日本相撲協会は27日、福岡国際センターで来年の大相撲初場所(1月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、九州場所(24日千秋楽)の幕下で7戦全勝優勝した、大関経験者の西幕下10枚目照ノ富士(27=伊勢ケ浜)ら5人の再十両昇進を発表した。新十両はいなかった。

照ノ富士は、昇進した15年名古屋場所から17年秋場所まで、14場所で大関に在位したが、手術した両膝の負傷や内臓疾患などで18年夏場所の東十両8枚目(9敗6休)を最後に、関取の座を失った。翌場所から4場所連続全休。「これでやめたい、という気持ちもあった」と自分の中で1度は引退に心が傾いた時もあったが、再起を促す周囲の声もあり治療とリハビリに専念した。

過去に大関から陥落後、本場所で相撲を取った力士はいるが、それも十両まで。幕下以下で相撲を取った力士はいなかった。プライドもあり、年齢的な衰えからくるものだが、照ノ富士は今年3月の春場所、西序二段48枚目で再起の土俵に上がった。

その場所を7戦全勝(優勝決定戦に敗れ優勝同点)、5月の夏場所は東三段目49枚目で6勝1敗、7月の名古屋場所も東幕下59枚目で6勝1敗、9月の秋場所は7番相撲で敗れ全勝でならなかったが6勝1敗と順調に復帰の道を歩み、7戦全勝が条件だった九州場所で13年秋場所の十両、15年夏場所の幕内に続く3度目の各段優勝を条件クリアの7戦全勝で果たした。

18年夏場所以来、10場所ぶりの再十両で関取復帰を果たした照ノ富士は、取材対応で以下のように胸中を語った。

-昇進が決まった

照ノ富士 あらためて気が引き締まる。今よりも、前よりも、もう少し頑張らないといけないという思いです。

-序二段まで落ちて、どのような思いで相撲を取っていたか

照ノ富士 親方やおかみさん、落ちても変わらず応援してくれた方々の支えがあった。ファンからの声援も大きかったので、もう1回、皆さんに恩返ししたいという気持ちで頑張った。

-関取として、どんな相撲を取っていきたいか

照ノ富士 15日間、取ることになるので15日間、出る以上は精いっぱい力を出し切って頑張りたい。

-応援してくれるファンに向けて

照ノ富士 さっきも言ったように、応援してくれる方の期待に応えられるように頑張りたい。

-来場所の目標は

照ノ富士 一番一番を集中して、具体的に何番とかはないが、1つでも多く白星を挙げられるように頑張りたい。

◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお) 1991年(平3)11月29日、モンゴル・ウランバートル出身。本名=ガントルガ・ガンエルデネ。11年5月の技量審査場所で間垣部屋から初土俵(その後、伊勢ケ浜部屋へ転属)。しこ名は若三勝から13年秋場所の新十両昇進を機に照ノ富士に改名。14年春場所で新入幕。15年春場所で新三役の関脇に昇進。13勝2敗の優勝次点、翌夏場所は12勝3敗で初の幕内優勝を果たし、場所後に大関昇進。14場所あった大関在位中は3度の優勝次点があったものの、一方で膝のケガによる3度の休場を含む7度の負け越しと苦しんだ。三賞受賞4回。192センチ、178キロ。右四つ、寄り。

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