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元琴奨菊の秀ノ山親方が指導「現役と照らし合わせ」

関取衆を指導する秀ノ山親方(左)

大相撲11月場所限りで現役を引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が12日、千葉・松戸市の部屋で関取衆を指導した。

現役時代と同じく、まわし姿で稽古場に降りた。部屋付き親方として後進の指導にあたる立場となり「その子が考えている相撲にたどりつけるようにサポートしたい。自分の現役時代と照らし合わせて」と、親方としての意気込みを語った。

部屋では特に琴勝峰、琴ノ若の若手2人が伸び盛り。「その子たちの本質をどこまで出せるかになってくる。そこを気付かせてあげたい。親方になっても力士のときと同じ目線でしっかり指導していきたい」と意欲。秋場所で負傷した左ふくらはぎの状態については「治りが早い、びっくりするほど」と笑みを浮かべて説明した。

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元琴奨菊の秀ノ山親方が涙「思い出の一番は全て」

引退会見に臨んだ元大関琴奨菊(日本相撲協会提供)

元大関琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が大相撲11月場所8日目の15日、現役を引退し、年寄「秀ノ山」を襲名した。オンライン会見に臨んだ秀ノ山親方は「体が言うことを聞かず、ここが自分の終わりかなと思った」と引退理由を明かした。

幕内下位だった9月の秋場所で、左ふくらはぎを肉離れするなどし15年ぶりに十両に陥落した。幕内復帰を目指した今場所は、5日目終了時点で1勝4敗。実はこの時点で、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)に引退の意向を伝えたという。しかし、再起を促されて6日目の土俵へ。ただ「(6日目に)朝起きてみたら体が言うことを聞かなかった。両国国技館に行く車の中で『勝っても負けても最後にします』と師匠に伝えました」と明かした。

晴れやかな表情は、思い出の一番を問われて変わった。「幕下の時とか下の時に…」と話すと、右目に光るものが。続けて「厳しく胸を出してくれた兄弟子とか師匠の思いとか、苦労した時の方が思い出。思い出の一番は全てです」と話すと右目から涙を流した。

波瀾(はらん)万丈だった18年間の土俵人生。「まだできるなら相撲を取りたいのが本音。稽古場に行くとみんなが普段通りにしているのがうらやましい」と土俵との別れを惜しんだ。今後は、佐渡ケ嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。「壁にぶつかる子がたくさんいる。その先の光景を見せられるような指導をしたい」と、自身の経験を次の世代に伝えていく。【佐々木隆史】

▽十両の松鳳山(琴奨菊と同じ36歳)「同級生の兄弟子で、年代のトップを走り続けてきた人。お疲れさまでしたと言いたい。自分はまだまだ区切りをつけるにはほど遠い」

引退会見に臨んだ元大関琴奨菊(左)と師匠の佐渡ケ嶽親方

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琴奨菊引退「ホッとしてる いい時ばかりでない」父

豊ノ島(左)にとったりで敗れた琴奨菊(2016年1月22日撮影)

大相撲の元大関琴奨菊が11月場所8日目の15日に引退し、年寄「秀ノ山」を襲名した。元琴奨菊の父、菊次一典さん(65)が電話取材に応じ、心境を明かした。【取材・構成=佐々木一郎】

--琴奨菊引退が発表された。本人からどのように連絡がありましたか

「おととい(13日)の夜12時前に電話がありました。師匠と話して、引退を報告したと。実はその日の午前中に、祐未さん(琴奨菊の妻)から『一弘さんの最後の相撲になるかもしれません。見てください』と連絡がありましたので、腹をすえたんだなと思いました」

--琴奨菊関にはどう声をかけましたか

「自分で決めたなら、それでいい。よく頑張ったと伝えました」

--お父さまにとって一番の思い出は何ですか

「いっぱいありますが、優勝した場所で、豊ノ島に負けたことです。あの豊ノ島戦が心に残っています」

--負けた相撲を挙げるのはなぜですか

「小中高とずっとライバルで親友だったけど、負けてしまった。でも、本人がそこから気持ちを持ち直して、最後の2日間連勝して優勝したんです。大樹くん(豊ノ島)とは縁があるなと。相撲を通して、一弘(琴奨菊)を育ててもらったなと思えました。実はその豊ノ島戦の前の晩、いつも本場所中は電話してこないんですが、一弘から『明日は全力を出し切る』というメールがきたんです。本人も意識しているなと思っていました」

--いつも観戦していたお父さんも、勝負の重圧から解放されるのでは

「正直言って、ホッとしています。いいときばかりではありませんから。これからは相撲を楽しく見ることができます」

--今後、親方として期待することは何ですか

「(後進を)育てたい気持ちは持っているようです。自分の相撲への気持ちを伝えていってもらいたい。そのためには、本人も勉強していかないといけません。しっかりと指導にあたってもらいたいですね。皆さま、今までご声援いただき、ありがとうございました」

琴奨菊の優勝に涙する父の菊次一典さん(奥)と母の美恵子さん(2016年1月24日撮影)
花道で豊ノ島(右)から祝福を受ける琴奨菊(2016年1月24日撮影)

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元琴奨菊の秀ノ山親方「あの時の相撲を」一問一答2

16年初場所を制し八角理事長から賜杯受ける琴奨菊

大相撲で引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が15日、オンライン会見に臨み、引退を決意した理由や今の心境を明かした。

秀ノ山親方は、現在開催中の大相撲11月場所で15年ぶりに十両に陥落。幕内返り咲きを狙ったが6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、7日目の14日に休場届を提出し、引退の意向を固めた。

主な、一問一答は以下の通り。

-地元への思いは

秀ノ山親方 地元があって本当に温かいと思う。苦しい時期に笑顔で支えてくれて。そこに恩返しできるのは土俵の上しかないと思った。1つでも白星をあげて喜んでいただけるような結果を残したかったです。

-親方としてこれからどんな力士を育てたいか

秀ノ山親方 力士は番付社会ですけど、どんな時も壁にぶつかり、壁の先を知らずに苦しむ子がたくさんいる。その先の光景を見せられるような指導をしていきたいと思います。

-がぶり寄りへの思いは

秀ノ山親方 昔は若さゆえに何も考えずに、気持ち1つでその体勢になれた。年齢を重ねて体調を整えるようになって、そこも自分への追究になった。あの時の相撲を、もう1度したかったというのが本音です。

-優勝した時の思いは

秀ノ山親方 本当にすごいことをしたなと思います。部屋に賜杯を持ち帰れたことは、胸を出してくれた兄弟子とか親方衆、師匠に本当に気持ちを伝えられたかなと思います。

-あらためて数々の記録を振り返って

秀ノ山親方 大相撲の歴史の中でつくれたのは誇りに思います。

-横綱昇進への思いは

秀ノ山親方 横綱になりたくて相撲界に入門した。そこを目指したけど力及ばずで悔しいけど、その分違う方向性で相撲を追究できたのは今後に生きることだと思います。

-1つの理想を求めて追い込んだと思う

秀ノ山親方 やれることは全てやったなという気持ちです。自分がしっかりしとけば、どんなことでも1つの道につながっていくなと感じた。そこで方向性も、可能性も見たのでそこにチャレンジできたことはうれしいです。

-ご両親にはいつ引退の報告をしたのか

秀ノ山親方 引退の報告も一番最後。自分が納得するまでやれと昔から言っていたので、お疲れさんの言葉で「楽しませてもらったよと」言われた時には頑張ってよかったなと思いました。

-今、もう1度土俵に上がるとするなら誰と対戦したいか

秀ノ山親方 それは横綱稀勢の里関ですね。

-親交のあるプロ野球の内川選手にはどう報告して、どういう言葉をもらったか

秀ノ山親方 引退すると言った時に、「その日が来たか」と言ってもらった。場所前にも大事な言葉を言ってもらって、土俵は違うけどお互いが結果を出して喜んでもらおうとした。「ケガしても土俵に立っている姿は選手として感じるものがありました」と言ってもらえたことがよかったです。

-親方にとってのは相撲とは

秀ノ山親方 日常の考え方とかが全て土俵の上に現れたのかなと。奥が深く、まだまだその中で勉強したいです。

-これまでに引退がよぎったことはなかったか

秀ノ山親方 幕内から十両に落ちた時に、周りが思うほど、自分はいろんな可能性を感じていた。落ち込むことはなかったけど、自分の相撲が取れないと気づいた時は引退しようと思っていたので決意しました。

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元琴奨菊の秀ノ山親方「勝っても最後に」一問一答1

大きく反り返る琴奨菊のルーティンワーク

大相撲で引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が15日、オンライン会見に臨み、引退を決意した理由や今の心境を明かした。

秀ノ山親方は、現在開催中の大相撲11月場所で15年ぶりに十両に陥落。幕内返り咲きを狙ったが6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、7日目の14日に休場届を提出し、引退の意向を固めた。

主な、一問一答は以下の通り。

-引退を決意した経緯は

秀ノ山親方 何とか頑張って応援してくれる方に結果を出そうと思ったけど、体が言うことをきかず、ここが自分の終わりかなと思って決断しました。

-6日目に「琴バウアー」をした

秀ノ山親方 自分ができることは全てやって、勝っても負けてもこの1番で終わろうと思っていましたので、応援してくれた方に感謝の気持ちが伝わればと思ったので。

-勝ってもやめるつもりだったのか

秀ノ山親方 そうです。前日に師匠に引退のことを考えている旨趣を伝えたけど、師匠からは一回ぶつかってみろと言われた。頑張ってみたけど、朝起きてみたら体が言うことを聞かず、両国国技館に行く車の中で「勝っても負けても最後にする」と師匠に伝えました。

-どんなことが胸にあったか

秀ノ山親方 なんとも言えないけど、まだできるなら相撲が取りたいというのが本音です。

-悔いはあるか

秀ノ山親方 やるべきことは全てしたけど、どうしても体が言うことを聞かないので。自分の相撲が取れないと感じたのでここで終わろうと決めました。

-今の心境は

秀ノ山親方 まだ慣れてなく、朝稽古場に行くとみんなが普段通りにしてるの見るとうらやましいです。

-家族へはどう伝えたか

秀ノ山親方 帰りの車の中で伝えた。妻の方は理解してくれて、子どもも理解してくれた。最後の相撲は家族を呼んで国技館で相撲を見せられたのはよかったです。中日のチケットを取ってたけど、そこまで続くか分からなかったので。

-大事にしてきたことは

秀ノ山親方 自分はご縁という言葉で、先代とのご縁と師匠とのご縁と、たくさんの方々とのご縁で佐渡ケ嶽に入って。ライバルにも出会えてここまでこられたので感謝です。

-思い出の一番は

秀ノ山親方 すごく聞かれると思って考えたけど、今思い出すのは幕下の時とか下の時に厳しく胸を出してくれた兄弟子とか師匠の思いとかライバルの存在が1番なので、どれがと言われたら苦労した時の方が思い出。思い出の一番は全てです。

-1番苦しかった時期はいつか

秀ノ山親方 いつも前向きだった。どこかにヒントがあるんじゃないかと思ってやっていた。

-原動力は何か

秀ノ山親方 ライバルの存在と同期生がどんどん上がっていって、自分も負けていられないと思って頑張ったことだと思います。

-稀勢の里関はどんな存在だったか

秀ノ山親方 土俵上は力を試される1番の相手と思ってぶつかって。1番の思い出は横綱との三番稽古で誰よりもぶつかったのが思い出です。

-それはどんな時間だったか

秀ノ山親方 無我夢中でくらいついた。気を抜いたら壊されるんじゃないかと思って、前日から備えたのが懐かしいです。

-井筒親方(元関脇豊ノ島)については

秀ノ山親方 小さい時から知っていて、いつも比べられるのが豊ノ島の存在で。先に新十両いかれて悔しい思いがあって、三役は私の方が早かったと思うけど、どんな時も意識して半枚でも上にあがろうという思いだった。

-3人の中で1番長く相撲を取った

秀ノ山親方 自分は納得いくまで取り切ろうと思ったので。

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