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高橋竜平TKO負け壁厚かった日本人初の聖地世界戦

<ボクシングIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ12回戦>◇18日◇米ニューヨーク・マディソンスクエアガーデンシアター

同級10位高橋竜平(28=横浜光)が聖地で世界初挑戦も11回TKOで失敗した。

3回に同級王者T・Jドヘニー(32=アイルランド)の連打でダウン。中盤から前に出て手数を出したが、的確なパンチを浴びて劣勢は変わらず。レフェリーにストップされ、11回2分18秒TKO負けした。昨年に岩佐(セレス)から王座奪取のドヘニーは初防衛となった。

初回からジャブにボディーで流れをつかまれた。2回にバッティングで、両者とも眉間をカットして流血。3回には左ボディーに続く右ストレートを浴びる。クリンチで逃げようとしたが、さらに左フックの3連発を食らってダウン。スロースターターの上にリードを奪われた。

中盤からようやく本来の運動量を生かして前に出て、スイッチもして手数も多くなった。アマ経験も豊富な試合巧者の王者。高橋のパンチをかわし、上下に打ち分けもよく、的確な力強いパンチで差を広げていった。この展開は変わらず、8回にはドクターチェックも入り、11回には王者に連打で攻め込まれてレフェリーに試合を止められた。

昨年12月に米ロサンゼルスで初めてスパー合宿した。ヘビー級世界戦も観戦した際に王者陣営からオファーを受けた。その後連絡がなく、1月から2月9日の2番目の候補日になると判断し、3日間休養に充てた。直後の7日に契約書が届き、1週間前の11日にビザが下りて、やっと正式決定した経緯があった。

漫画「はじめの一歩」を読んで、中3で地元新潟加茂市のボクシング教室に通い始めた。東洋大に進学もレギュラーになれずにアマでは10勝(3KO)7敗止まり。12年12月にプロデビューも1回KO負けし、次戦も引き分けだった。

16年にオーストラリアで初の10回戦も判定負け、17年にはフィリピンへ単身修行。17年にタイで日本未公認のIBFパンパシフィック王座を獲得し、昨年タイで初防衛して世界10位に浮上でチャンスをつかんだ。

日本や東洋太平洋王座にも挑戦経験のない無名から、聖地マディソン-のリングに上がった。日本人では戦前にノックアウトQの異名で1回KOで初勝利の木村久、日本初の世界ランカー徐廷権がいる。戦後では元アマ全日本王者の岡田隆志が、10年に元アマ世界王者アローヨ(プエルトリコ)に4回判定勝ちした。

世界戦ではベネズエラ出身のWBAライト級王者ホルヘ・リナレス(帝拳)が、昨年にワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)からプロ初ダウンを奪うも10回TKO負けの激闘を演じていた。高橋は日本人としては初の世界戦出場だったが、実力差はあり、世界の壁は厚かった。

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石川修司、昨年末亡くなった母にささぐ最優秀タッグ

記念撮影に臨むMVPの棚橋(中央)らプロレス大賞受賞者たち(撮影・足立雅史)

プロレス大賞の最優秀タッグ賞は、全日本の諏訪魔、石川修司組が2年連続で受賞した。

“暴走大巨人”の異名を持つコンビは、巨体とパワーで全日本を席巻。諏訪魔は「18年を振り返ると、石川に始まって石川に終わった年。19年は暴走大巨人の総決算の年と位置付け、来年もこの舞台にもう1度来られるように頑張りたい」とコメント。石川は「昨年末に母を亡くしたが、その時にこの賞の報告をしたら、母がうなずいてくれた。この賞をささげたい」としみじみと話していた。

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2階級制覇狙う田口良一、王者田中恒成は「天才肌」

3月16日にWBO世界フライ級タイトルマッチで激突する王者田中恒成(左)と挑戦者田口良一(撮影・加藤裕一)

世界最速タイのプロ12戦目で世界3階級制覇を達成したWBO世界フライ級王者田中恒成(23=畑中)が、元IBF&WBA世界ライトフライ級統一王者でWBOフライ級4位の田口良一(32=ワタナベ)と3月16日、岐阜メモリアルセンターで愛ドームで初防衛戦を行うことが10日、発表された。試合はTBS系列で全国生中継される。

田口は会見に同席し「まず挑戦を受けてくれて感謝しています」と語った。昨年5月にWBAライトフライ級8度目、IBF同級初防衛戦でブドラーに僅差判定負けして王座を陥落、1度は引退を覚悟した。だが、ブドラーへのリベンジの思いがくすぶる中、田中陣営のオファーを受け、ライトフライからフライへの転級を決断。相手が田中だからこその現役続行だったとも言える。

17年大みそかの対戦予定が流れ、田中に直接謝罪を受けた時の印象を「律義だな。知的で、好青年だなと思った」と語り、ボクサーとしては「頭がいいボクシングをするのが、1番。気持ちも強い。天才肌」と表現した。階級変更初戦が世界戦という点は「賛否両論あるけど、ライトフライでの減量苦を思えば、確実によりよいパフォーマンスができる」とプラスに解釈。「田中選手は本当に強いけど、勝ちたい」と、世界2階級制覇に意欲を見せた。

◆田口良一(たぐち・りょういち)1986年(昭61)12月1日、東京・大田区生まれ。都立芝商卒。04年にワタナベジム入門。06年1回KO勝ちでプロデビュー。07年にライトフライ級で全日本新人王。13年4月に日本同級王座獲得。同年8月、井上尚弥に判定負けし初防衛失敗。14年12月にWBA世界同級王座獲得。17年12月にIBF同級王者メリンドを破り、WBA同級王座7度目の防衛を果たし、IBFとの同級統一王者。昨年5月に王座陥落。168センチの右ボクサーファイター。

3月16日にWBO世界フライ級タイトルマッチで激突する王者田中恒成(左)と挑戦者田口良一(撮影・加藤裕一)

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野村、青柳組V3 対戦相手との完全決着を宣言

アジアタッグ王座の3度目防衛に成功した青柳優(左)、野村組

<全日本:後楽園大会>◇3日◇東京・後楽園ホール

アジアタッグ王者の野村直矢、青柳優馬組が3度目の防衛に成功した。

挑戦者の大森隆男、ブラックめんそーれ組に対し、17分15秒、野村がマキシマムからの片エビ固めで大森からフォール勝ちを収めた。ノムヤギと呼ばれる若きコンビ。野村は「さらなる強敵とやって、オレらが防衛すればノムヤギというのがプロレス界に浸透すると思う」と言えば、青柳も「プロレス大賞のベストタッグ賞を狙っていきましょう」と声をはずませた。

昨年10月の後楽園大会以来となる再戦だった。大森のパワフルな動きに手を焼き、野村はエプロンで豪快な脳天くい打ち、青柳もキック技を浴び、さらには順番に大森得意のアックスボンバーまで食らってしまった。劣勢になったものの、青柳がジャンピングニーと原爆固めで大森にダメージを与えると、続いて野村もフロッグスプラッシュ、そして必殺のマキシマムで追撃し、フォール勝ちにつなげた。

青柳は「野村フィーバーを見ましたよ」と絶賛すれば、野村は「もう大森、ブラックめんそーれ組の挑戦は受けませんよ」と完全決着を宣言していた。

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王者TAJIRI5度目防衛!次期挑戦者「募集中」

5度目のGAORA TV王座防衛に成功したTAJIRI

<全日本:後楽園大会>◇3日◇東京・後楽園ホール

GAORA TV王者TAJIRI(48)が5度目の防衛に成功した。

藤田ミノル(41)の挑戦を受け、13分43秒、グリーンミストからの首固めでマットに沈めた。V5王者は次期挑戦者について「募集中」としながらも「次、もしオレからこのベルトを奪って、全日本プロレスを盛り上げることができるとしたら、この男じゃないか-という選手は頭の中にあります。かなり以前から。それが誰かは今、言いません」とけむに巻いた。

昨年12月11日の後楽園大会で標的にしてきた大日本プロレス時代の後輩に対し、TAJIRIはグラウンド技の攻防から裸絞めを浴びるなど互角の攻防を展開。挑戦者が入場時に顔に装着してきた袋を顔にかぶせられたTAJIRIは一時、すべての視界を遮られた。相手の豪快なダイビングボディープレスを浴び、スピアーまで食らった。まさに絶体絶命のピンチに陥ったものの、レフェリーから袋を外されると、コーナーから飛んできた藤田に対して得意の緑の毒霧を噴射。そのまま首固めで3カウントを奪ってみせた。

「藤田ミノルは藤田ミノル。シャイで素直なヤツ。(袋は)あいつの照れ隠しだな」と振り返ったTAJIRIは「このベルトはやっぱりオレが持っているのがイチバン面白いんですよ」とも口にしていた。

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王者宮原健斗が初防衛「全日本の歴史的1年になる」

KAIを下し、初防衛に成功した3冠ヘビー級王者宮原

<全日本:後楽園大会>◇3日◇東京・後楽園ホール

3冠ヘビー級王者の宮原健斗(29)が、初防衛に成功した。KAI(35)の挑戦を受け、28分34秒、シャットダウンスープレックスホールドで3カウントを奪った。接戦を制した宮原は「19年、最多防衛記録を狙っています。全日本プロレスの歴史的1年になる。宮原健斗イヤーだ」と宣言。川田利明が持つ10回防衛まで突っ走る意気込みを示した。

挑戦者の右ひざ集中攻撃に苦しんだ。師匠の武藤敬司をほうふつさせるようにKAIにキックを止められると、そのままドラゴンスクリューからの4の字固めを受けてもん絶。相手のスプラッシュプランチャも両ひざをたてて捨て身の迎撃をみせた。右ひざを使うブラックアウト2連発で局面を打開。原爆固めで弱らせてから、両腕を巻き込みながら強引に体ごと投げてシャットダウン式の原爆固めで、そのままフォールに成功した。

「ことごとくKAI選手にたたみかけられながらも何とかV1達成しました。KAI選手もこの3冠王者になってもおかしくない存在。それは神のみぞ知るっていう…、それぐらいの僅差」と挑戦者をたたえていた。

王座戦の入場時から3冠ヘビー級王者の風格を漂わせた宮原

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ジェリー・ローラーとトミー・リッチの新春対決実現

WWE殿堂入りのジェリー・ローラー(69)と元NWA世界ヘビー級王者トミー・リッチ(62)の80年代後半の壮絶な抗争が米テネシーの新春によみがえる。計131歳の両雄は19年1月5日(日本時間6日)に米テネシー州ジャクソンで開催されるUSAチャンピオンシップ・レスリングのメインで激突する。

ローラーは「南部の帝王」と呼ばれ、テネシー地区ではプロモーター兼トップスターで同地区を牛耳っていた。ハルク・ホーガンら多くのスターを育成し、全日本、新日本プロレスにも参戦。WWEにも進出し、活躍した。毒舌解説者としても有名だった。

一方のリッチは金髪をなびかせ、子供や女性のアイドルとして南部地区で人気を博した。全日本には4度参戦。両者は同地区で宿命のライバル対決を展開。常に会場を満員にし、ファンを熱くした名勝負を繰り広げた。

同団体は往年のファンへの新春プレゼントとしてこの対決を実現させたという。(デーブ・レイブル通信員)

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伊藤雅雪「本物証明」20戦全勝の指名挑戦者に完勝

初防衛に成功し両手を広げて喜ぶ伊藤(撮影・たえ見朱実)

<プロボクシング:WBO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ12回戦>◇30日◇東京・大田区総合体育館

WBO世界スーパーフェザー級王者伊藤雅雪(27=伴流)が、7回TKOで初防衛に成功した。日本人5人目の米国で奪取から5カ月ぶりの凱旋(がいせん)試合で、同級1位エフゲニー・チュプラコフ(28=ロシア)と対戦。5回から距離をとって攻勢となり、7回に2度コーナーに追い込むと相手陣営がギブアップ。7回2分11秒TKO勝ちで、初の日本での世界戦でメインを飾った。

伊藤は右ボディーでコーナーに追い込むと、顔面へ連打でラッシュした。相手はマウスピースを吐き出し時間稼ぎも、再びコーナーにくぎ付けにしてラッシュ。相手陣営が試合役員にギブアップを伝え、レフェリーストップ勝ち。ダウンはなかったが7回TKOで、メインとしてトリプル世界戦をきっちり締めた。

前の2試合は判定に終わっていた。「KOで締めたかった。結果は納得。KOは求めていたし、求められていた」と笑顔。7月に日本人として37年ぶりに米国で王座奪取。ダウンを奪う快勝も「相性がよかった」「フロック」という声も聞こえてきた。20戦全勝の指名挑戦者を退けて、本物と証明してみせた。

6回まで1ポイントも奪われていないが、序盤はKO狙いで空回りした。低い姿勢で頭から突っ込まれて抱きつかれた。「接近戦にこだわって付き合ってしまった」。3回にはセコンドから「距離をとってワンツースリー」と指示され、5回からその動きができた。「セコンドに救われた。チームワークの勝利」と感謝した。

王座獲得後に吉岡里帆らが所属の芸能事務所「エー・チーム」と契約した。目立ちたがり屋のイケメン王者だが、たたき上げの頑張り屋でもある。15年に日本王座初挑戦も判定負け。当時は不織布製造販売会社の営業マンで計量後は仕事に戻った。米ロサンゼルスでのスパー合宿の合間に、現地で展示会をこなしたこともあった。

高1で同級生だった夫人との間には2女もできていた。睡眠時間5時間のサラリーマンボクサーに「潮時」も考えたが、歯を食いしばって世界を目指した。ボクサーに専念したのは16年。幾多の苦労が報われ、約1000人の応援にも応える初防衛だった。

駒大高3年でジムに入門した時はライセンス取得が目標だった。デビューすると「ウィキペディアに載る」、東洋太平洋王者になると「世界」と目標を上げて実現してきた。次の目標にはWBC王者ベルチェルトとの対戦を挙げた。「かなわないと思われる相手と質のある試合をしたい」。伊藤の夢は続く。【河合香】

◆伊藤雅雪(いとう・まさゆき)本名伊藤雅之。1991年(平3)1月19日、東京都江東区生まれ。駒大高ではバスケットボール部でダンクができた。高3で伴流ジムに入門し、09年にプロデビュー。交通事故で左手首骨折を乗り越え、12年全日本フェザー級新人王。15年に東洋太平洋スーパーフェザー級、16年にWBOアジア太平洋同級王座を獲得。18年7月にWBO世界同級王座決定戦で、日本人として37年ぶり5人目の米国、10人目となる海外で王座奪取した。174センチの右ボクサーファイター。家族は衣理香夫人と2女。

7回、チュプラコフ(左)に右ストレートを放つ伊藤(撮影・鈴木みどり)

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故ブルーザー・ブロディ記念大会にハンセンら参加

タッグを組むブルーザー・ブロディとスタン・ハンセン(右)(1984年12月12日撮影)

全日本、新日本プロレスで大暴れした故ブルーザー・ブロディ・メモリアル大会が来年1月に開催されることが28日までに分かった。

盟友スタン・ハンセン(69)も特別ゲストで来場するという。大会は1月25日(日本時間26日)、米フィラデルフィアで開催され、メインではブロディ杯争奪戦が行われる。

ブロディと日・米でタッグを結成したハンセンに、ブロディの宿命のライバルだったアブドーラ・ザ・ブッチャー(77)。また、ブロディのマネジャーを務めた悪徳のジム・デュラン(76)とWWE殿堂入りを果たし、ブロディにゆかりの豪華大物がこの大会に花を添える。

他にも往年のレスラー、キングコング・バンディ、サンドマン、マーティン・ジャネッティらもゲストで来場。新日本に参戦のサミ・キャラハン、来日経験のあるトミー・ドリーマーらがブロディ杯に参加する。

ブロディは88年7月にプエルトリコの試合会場で口論になり、刺殺された。42歳だった。(デーブ・レイブル通信員)

シャムロックが米版「巌流島」ノールール試合に出場

ケン・シャムロック(2005年10月19日撮影)

UFC殿堂入りの格闘家ケン・シャムロック(54)が元UFCのトム・ローラー(35)と異例となる過激なルールでの戦いを行うと、26日(日本時間27日)に主催米団体TUBBから発表があった。

シャムロックは来年1月31日に「ノーリング」「ノールール」で米アトランタにてローラーと対戦するのだという。

シャムロックは全日本、新日本、WWEなどプロレスラーとしても活躍。PRIDE、パンクラス、UFCなど総合格闘技でも死闘を繰り広げてきた経験豊かなファイター。一方のローラーもデビューはプロレスからで、UFCに参戦した。

ノールール戦といえば、87年10月にアントニオ猪木とマサ斎藤が巌流島で、時間無制限、ノーレフェリー、ノールール「巌流島の戦い」2時間5分14秒の死闘を繰り広げた。シャムロック戦もこの様相を呈する戦いとなるのか早くも注目されている。(デーブ・レイブル通信員)

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なべやかん「相手が強かった」プロレス3戦目も敗北

タッグマッチで敗れ、無念の表情のなべやかん(左)。右は谷口智一(撮影・浦部歩)

お笑いタレントなべやかん(48)が26日、東京・新宿FACEで行われた「ベストボディ・ジャパンプロレス」第3戦に出場した。

「ベストボディ・ジャパンプロレス」は、スリムな筋肉美コンテストを行う「ベストボディ・ジャパン」が、「DDTプロレス」全面協力のもと、4月に発足した新団体。

なべは、8年ぶりにリングに復帰したベストボディ・ジャパン代表の谷口智一とタッグを組み、メインイベントで高尾蒼馬・遠藤智哉組と対戦した。

元パワーリフティング日本代表で、全日本大会で3回の優勝経験があるなべは、8月の旗揚げ戦でプロレスラーデビューし、この日が3戦目。前回10月の第2戦で政宗とタッグを組み、大石真翔、旭志織組みに敗れていただけに気合が入っていた。

試合は、体格や経験で勝る高尾・遠藤組が終始優勢。なべは、エルボードロップ、逆水平チョップ、マットを外し、金属がむきだしになったコーナーに打ちつけられるなど劣勢な展開を強いられるが、一瞬のすきを突いたドロップキックで反撃、試合終盤には体格差をはねのけ、高尾にアルゼンチンバックブリーカーをしかけ、見せ場も作った。

しかし、反撃もむなしく谷口がフォールを奪われ無念の敗北。第2戦の雪辱とはならなかった。なべは試合後、「今日は0点。全然いいところがなかった。相手が強かった。でも、前を向いて頑張ります」と言葉少なだった。

第4戦は、来年2月8日、東京・新木場1stRINGで行われる。

ファイトするなべやかん(撮影・浦部歩)

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竹本雄利3ダウン奪いMVP「日本王者目指したい」

MVPに輝きイメージガールたちと記念撮影する全日本フェザー級新人王の竹本(撮影・中島郁夫)

<ボクシング:全日本新人王決定戦>◇23日◇東京・後楽園ホール

フェザー級で実現した注目の東西MVP対決は、西軍の竹本雄利(22=クラトキ)が制し、最優秀賞に輝いた。東軍の峯田光(22=帝拳)から1回に3度のダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収め、所属ジム初の全日本新人王となった。

左目を腫らした竹本は、安堵(あんど)の笑みで勝利をかみしめた。1回に右フック、左ストレート、連打で計3度のダウンを奪いながらも2回以降、峯田に追い上げられ、何とか判定勝ち。「ダウンを取った後、立ち上がってきたので相手の気迫を感じた。強かったです」と敬意を表した。高校までサッカー部に在籍し、スタミナには自信がある。アマチュアボクサーだった父雄一さんの影響で、18歳からジムに通い始めた。雄利の名は父の好きな元WBC世界フライ級王者勇利アルバチャコフが由来。「日本王者を目指したい」と目標を掲げた。

各階級の全日本新人王
峯田(右)に左フックを浴びせる竹本(撮影・中島郁夫)

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竹本雄利が新人王MVP、3度倒して頂上対決制する

全日本フェザー級新人王の竹本雄利(撮影・中島郁夫)

<ボクシング:全日本新人王決定戦>◇23日◇東京・後楽園ホール

注目の東西MVP対決となったフェザー級で、西軍の竹本雄利(22=クラトキ)が3-0の判定で東軍の峯田光(22=帝拳)を下し、最優秀賞もゲットした。1回に計3度のダウンを奪い、2回以降に追い上げてきた峯田を何とか振り切った。50年以上続く所属ジムで初めて全日本新人王に輝いた。

「強かったですよ。負けるかと思って攻めた」。1回にダウンを奪い続け、自らもKO勝利を狙っていたものの、峯田の強烈な追い上げに苦しめられた。右ストレートを何度も浴び、左目周辺は青く腫れていた。「2回目のダウンを奪った時、終わりだと思いましたが、(峯田が)立ち上がってきて気迫を感じました。後半に盛り返されるのではないかと」。周囲から東西MVP対決のムードが高まり「意識していなかったが、プレッシャーはありましたね」と緊張感ある新人王の頂上対決を制し、ほっとした表情を浮かべた。

高校卒業までサッカー部に在籍。アマチュアボクサーだった父雄一さんの影響で、中学進学時にボクシングジムへ通おうとしたものの、父から「サッカーが中途半端だったらボクシングは続かない」との指摘を受け、サッカーを優先。18歳でボクシングを始めた。名前の雄利(ゆうり)は、父が好きな元WBC世界フライ級王者勇利アルバチャコフ(協栄)が由来。竹本は「父から強いから見てみろと言われていた」とボクシングを始めてから雄利の動画もチェックしたという。

ジム初の全日本新人王誕生に、原田哲也会長(73)は「竹本には大阪や神戸に出げいこに行かせて鍛えてきた。とにかくスタミナがあるから」と満足顔。既に3月に神戸、6月には地元和歌山で試合が計画されているという。これで日本ランキング入りする竹本は「上を目指していきたい。来年は日本王者を目指します」と目を輝かせていた。

峯田(右)に左フックを浴びせる竹本(撮影・中島郁夫)

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メキシコ帰り遅咲き34歳、遠藤健太が新人王敢闘賞

全日本スーパーライト級新人王の遠藤健太(撮影・中島郁夫)

<ボクシング全日本新人王決定戦:スーパーライト級4回戦>◇23日◇東京・後楽園ホール

メキシコ帰りの遅咲きが敢闘賞を獲得した。遠藤健太(34=帝拳)は10歳下の岡田翔真(24=木下姫路)に、初回から的確なパンチを打ち込んでペースをつかんだ。2回にカウンターの左ストレートでダウンを奪うと、カウント途中でレフェリーがストップ。2回40秒TKO勝ちで、全日本新人王を獲得した。

きれいに一発で決めた。「練習がそのまま出た。相手が来るのをさばいて、カウンターは狙い通り。体が勝手に動いた」と笑み。本田会長から左足に重心を乗せるように指導を受けていた。その成果でもあった。大和トレーナーは「初めてボクシングした。きょうは102点」とほめた。

高校を卒業すると荷揚げの仕事に就いていた。27歳で「人生は1回。このまま普通に終わっては。何か頑張ってみたい」と思うようになった。空手の経験があり、パンチ力に自信があったことで、ボクシングがひらめいた。自宅近くにあった奈良の大和ジムに通い始めた。

その後、周囲の勧めもあって、メキシコでプロボクサーを目指すことにした。メキシコ市で元日本ランカーが経営する日本料理店で働きながら、アマで6勝(6KO)1敗の戦績を残した。そこへ世界挑戦経験もある佐々木基樹が遊びに来て、帝拳ジムを紹介された。方向転換して、昨年9月に帰国して入門した。

2月のプロデビューから3勝(2KO)1分け。東日本新人王では同級に出場は2人で、決勝も引き分け勝者扱いでの新人王だった。2戦で敢闘賞に「いいんですかね、もらっちゃって」。半信半疑だったが日本ランキング入りも確定。「富士山の5合目。行けるとこまで行きたい」と、34歳は意気盛んだった。

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東西MVP対決「気にしない」峯田、竹本が計量パス

全日本新人王フェザー級決勝で東西MVP対決の顔合わせとなった東軍の峯田(左)と西軍の竹本

ボクシングの全日本新人王決勝戦は23日、東京・後楽園ホールで開かれ、フェザー級決勝は東西MVP対決が実現する。東日本MVPの峯田光(22=帝拳)、西軍MVPの竹本雄利(22=クラトキ)の顔合わせで、両者ともに22日には都内で開催された前日計量に臨み、ともに57・1キロのリミットでクリアした。

注目カードとなった峯田は「MVP対決は、あまり気にしていないです。ただ、ここで負けてはダメだと思っているので」と平常心を貫いた。出身地となる鹿児島・瀬戸内町からは50人ぐらいの応援団がかけつけることもあり「勝つべくして勝たないといけない。何回やってもアイツが勝つと思われるような試合がしたいです」と強い決意を口にした。

一方、竹本は50年以上続く所属ジムで初の全日本新人王を目指す。30年ぶりの新人王決勝進出で師匠の原田哲也会長も熱い視線を送る中で「何も気にしていないです。自分のために勝ちたいです」とキッパリ。またMVP対決には「盛り上がるのでいいと思います。KOで勝ちたいです」と意気込みを示した。

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今、死と向き合う猪木/力道山没後55年インタビュー

インタビューでポーズを決めるアントニオ猪木参院議員(撮影・足立雅史)

昭和、平成とプロレス、格闘技界を引っ張ってきたアントニオ猪木氏(75=参院議員)が、今日15日に没後55年を迎えた故力道山(享年39)を語った。力道山は63年12月15日に、暴力団員に腹部を刺されたことがもとで死去。わずか3年半の付け人生活から、師匠の思いを継ぎ、その後の成功につなげた。

「元気ですかー!」が代名詞の猪木氏が、車いす生活を余儀なくされている。9月、北朝鮮の建国70周年祝賀行事に参加する前に腰を手術。日本に帰国した際の車いす姿は、世間に衝撃を与えた。

猪木氏 昔は13時間の腰、首の手術もやったけど、今回は一番きつかった。今はリハビリ。車いすに乗ったことで、みんなが『長生きしてください、元気で』って言うんだけど、最近兄弟が次々に旅立ったこともあって、今本気で死とどう向き合うかということを考えているんです。

数多く見てきた身近な人の死の中で、特に「衝撃的だった」のが63年12月15日の師匠力道山の死だった。

猪木氏 亡くなったあとに夢にオヤジが出てきたんだよ。『お前、それでいいのか』ってね。64年に米国へ修業に行っても、ときどき出てきた。金縛りにもなった。怖くて、明かりをつけて寝ていたときもあった。それから何十年、もう出なくなったけど、ただ、やっぱりあの世で会ったら、またぶん殴られるのかな。

猪木氏は60年4月、ブラジルでスカウトされ17歳で当時の日本プロレス入り。力道山が亡くなるまで3年半付け人を務めた。

猪木氏 付け人やったから、やたらめったらぶん殴られたわけじゃないが、訓練でたたかれるのは全然問題なかったけど、そうじゃないときのね。もう怨念なんか持ってませんけど。言葉でああしろ、こうしろじゃなくていい生きざまでオレに教えてくれたのが大きいと思いますね。あの人は商売がうまかったけど、オレは反対の生き方。オヤジとは違う生き方をしたいと思っていました。

力道山が亡くなり、兄弟弟子だったジャイアント馬場と猪木氏は、たもとを分かつことになる。

猪木氏 (馬場とは)5歳違いますから。あっちは巨人軍で扱いとか違いますから。そういう意味で(力道山は)後継者づくり、本当に真剣に考えていたんじゃないですか。本家と分家ですよ。本当は、魂は別にして、我々は分家という対立構造ははっきりしていた。

猪木氏が興した新日本と馬場が興した全日本は、外国人の引き抜き合戦など激しい興行戦争を展開。その過程で、猪木はムハマド・アリ戦などの異種格闘技路線や、東京ドーム大会などビッグマッチを仕掛け、力道山の遺伝子ともいえるプロデュース感覚を培った。

猪木氏 最近、(元全日本の)小橋建太と初めて話をしたけど、力道山時代の我々が先輩から聞かされたような話をしていた。それは大事な遺伝子と言えると思う。私は力道山の遺伝子をみんな分かって理解してもらいたいと思うけどね。

今、話題となっている31日、RIZIN14大会でのフロイド・メイウェザー対那須川天心戦をどう見るのか。その試合は、かつて世界中に注目された猪木-アリ戦と比較されるが。

猪木氏 アリ戦のときは、オレこそ世界一だとか、ボクシングとプロレス、どっちが強いのかとか、テーマがあった。そういうテーマがなく、ただただ客寄せのためのパフォーマンスかって感じがするね。

「人を驚かせることが好き」という猪木氏は、来年の抱負を魅力の「魅」と書いた。車いすの上でもまだまだ闘魂に衰えはない。【取材・構成=桝田朗】

60年4月、ブラジルから17歳の新弟子猪木を伴って帰国した35歳の力道山

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ドーリング&ジェイムス、全日13年ぶり外国人組V

ジョー・ドーリング(17年11月9日撮影)

<全日本:後楽園大会>◇11日◇後楽園ホール

世界最強タッグリーグは、ジョー・ドーリング、ディラン・ジェイムス組が優勝した。

最終日に勝ち点12で5チームが並ぶ大混戦も、KAI組、オディンソン組、秋山組が次々に敗退。最後に残ったドーリング組と、連覇をねらう諏訪魔組の勝者が優勝という展開に。最後は、ジェイムスが粘る石川を、チョークスラムで沈め優勝を勝ち取った。同リーグ3度目の優勝となるドーリングは、指を3本立てて優勝をファンに報告。外国人ペアの優勝は05年のババ・レイ、ディーボン組以来13年ぶり。

ディラン・ジェイムス(18年6月13日撮影)

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ドーリング&ジェイムス組が全日本世界最強タッグV

<全日本:後楽園大会>◇11日◇後楽園ホール

世界最強タッグリーグは、ジョー・ドーリング、ディラン・ジェイムス組が優勝した。

最終日に勝ち点12で5チームが並ぶ大混戦も、KAI組、宮原組、秋山組と次々に敗退。最後に残ったドーリング組と、連覇をねらう諏訪魔、石川修司組の勝者が優勝という展開に。最後は、ジェイムスが粘る石川を、チョークスラムで沈め優勝を勝ち取った。

同リーグ3度目の優勝となるドーリングは、指を3本立てて「アリガトウ、ハッピーニューイヤー!」と優勝をファンに報告。さらに、脳腫瘍の手術から復帰した際に、ファンからもらった寄せ書きを、両手で観客席にかざし、深々と頭を下げた。

優勝の要因を聞かれたドーリングは「ビッグハート」と、左胸をたたいてアピール。ジェイムスは「諏訪魔と石川は強かった。最強タッグに出るチャンスをくれたジョーに感謝したい」と笑顔で話していた。なお外国人ペアの優勝は05年のババ・レイ、ディーボン組以来13年ぶり。

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全日本プロレスがキッド氏追悼 渕「若かったね」

5日に60歳で亡くなったダイナマイト・キッドさんの追悼セレモニーでキッドさんの遺影を抱く渕正信(左)

全日本プロレスは11日の後楽園大会で、5日に60歳で亡くなったダイナマイト・キッドさん(英国)の追悼セレモニーを行った。

試合前に全選手がリングサイドに立ち、渕正信(64)が、遺影を抱いてリングに上がり、追悼の10カウントをささげた。

キッドさんは、初代タイガーマスクのデビュー戦の相手など、新日本プロレスで活躍した後、全日本に移籍。いとこの、デイビーボーイ・スミスとのタッグで人気を博した。渕は「若かったね。60歳で亡くなったキッドの遺影を、来年65歳になるオレが持つなんて。試合をやっていて、気持ちのいいレスラーだった。全日本は体の大きな選手が多かったから、結構体を大きくするために無理していたな。もう2度と会えないと思うと、もうちょっといろんな話を聞きたかった」と目に涙を浮かべながら話していた。

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ダイナマイト・キッドさん死去 60歳誕生日に

84年7月、ザ・コブラ(下)のマスクをはぐダイナマイト・キッド

初代タイガーマスクの宿敵で、米国WWF(現WWE)でも活躍した英国人の元プロレスラー、ダイナマイト・キッドさんが、60歳の誕生日の5日に亡くなった。同日、英国メディアが伝えた。死因は不明。

キッドさんは、75年に17歳でプロデビューした英国で頭角を現し、カナダ、米国に進出。WWFで活躍した後、81年4月23日に蔵前国技館で行われた初代タイガーマスクのデビュー戦の相手を務めた。タイガーの空中殺法と、キッドさんの筋骨隆々の体から繰り出される厳しい攻めで、場内は静まり返った。その後、キッドさんとタイガーの抗争は当時の新日本プロレスの看板カードとなった。

キッドさんはその後米国や全日本で活躍。96年のみちのくプロレス両国大会が、日本での最後の勇姿となった。引退後は、86年にカナダでの試合で痛めた椎間板の故障や、現役時代にステロイド剤などを使用していた影響もあり、車いす生活を送っていた。

訃報を受けて初代タイガーマスクの佐山サトルは「私にとって偉大なライバルだったトミー(キッドさんの愛称)が亡くなり、悲しみに暮れています。最近の様子は知っていたので、覚悟はしていましたが、今は、安らかに眠っていただきたい」と話した。佐山が主宰するリアルジャパンは、今日6日の後楽園大会で追悼のセレモニーを実施する。

84年1月、新日本プロレス一関大会で攻めるダイナマイト・キッド

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