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アマ横綱矢後が幕下優勝「ホッとした」関取射止め涙

矢後(左)は竜勢を寄り切りに破り幕下優勝を飾る(撮影・渦原淳)

<大相撲名古屋場所>◇13日目◇21日◇愛知県体育館

 所要2場所で関取の座を射止め、涙が止まらなかった。

 幕下の優勝が決まる、6戦全勝同士による矢後(23=尾車)-竜勢(31=鏡山)の一番は、立ち合いの攻防から左を深く差した矢後が寄り切りで勝ち、全勝優勝を決めた。

 幕下15枚目以内の7戦全勝で、来場所の新十両昇進を確実にした。

 横綱大乃国(現芝田山親方)と同郷の北海道芽室町出身。埼玉栄高に相撲留学し、大学は中大に進学。4年時の昨年12月の全日本を制し、アマ横綱に就いた。規定により幕下15枚目格付け出しでデビュー。本来なら3月の春場所がデビューとなるが、持病の腰痛が癒えるのと、プロの世界に慣れるため、デビューは1場所遅らせ、5月の夏場所で初土俵を踏んだ。その夏場所は5勝2敗で勝ち越し、番付を上げて今場所に臨んでいた。

 これほどの緊張感を味わったのは「去年のアマチュア選手権(アマ横綱に就いた全日本選手権)と似たような緊張」と言い「悪いことも想像したりして」前夜は眠りにつけなかったという。「ここまで来たら、やるしかない」と覚悟を決めて場所入りしたが、緊張感は解けない。涙を流したのは、やはり昨年の全日本以来で「緊張がとれてホッとした涙です」と話した。

 「先場所は緊張で自分の相撲を取れなかった。今場所は周りもよく見えて、集中できたのが勝ちにつながった」と勝因を分析。関脇御嶽海以来の所要2場所での新十両昇進は「想像していなかった」という。師匠の尾車親方(元大関琴風)も「順調に成長してくれてホッとしています。先場所はぎこちなかったけど、今場所はプロの雰囲気に慣れた」と勝因を挙げた。同じ左四つの横綱稀勢の里を目標に、また一人、スケールの大きな関取が誕生する。

幕下優勝を決め感極まる矢後(撮影・小沢裕)

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石川修司が諏訪魔破って3冠V2「一段強くなれた」

諏訪魔を下し、2度目の防衛に成功した3冠王者の石川

<全日本:後楽園大会>◇17日◇東京・後楽園ホール

 全日本プロレスの3冠ヘビー級選手権試合は17日、東京・後楽園ホールで行われ、王者石川修司(41)が2度目の防衛に成功した。

 諏訪魔のラリアットや岩石落としで窮地に陥ったが、ニーリフト、スプラッシュマウンテンで応戦。最後は19分37秒、ジャイアントスラムで仕留めた。「諏訪魔選手がこのベルトを懸けて戦ってくれて、もう1段階強くなれた」。V3戦は、試合後に挑戦をアピールした前王者宮原と、団体45周年記念の8月27日の両国国技館大会で激突することが確実。同大会には新日本の小島が参戦、諏訪魔と対戦することも発表された。

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石川修司が諏訪魔にリベンジ3冠ヘビー級2度目防衛

諏訪魔を下し、2度目の防衛に成功した3冠王者の石川修司は安堵(あんど)の表情(撮影・藤中栄二)

<全日本:後楽園大会>◇17日◇東京・後楽園ホール◇観衆1595人

 3冠ヘビー級選手権試合で、王者の石川修司(41)が2度目の防衛に成功した。序盤は、挑戦者の諏訪魔(40)から場外でのラリアット、ロープ越しの裸絞めと首を集中的に攻められた。再び短距離ラリアットを浴びた後、ニーリフトで応戦。原爆固めを受ければ、原爆固めで返すなど意地のぶつかり合いを展開した。

 会場が「諏訪魔コール」に包まれる中、2度の岩石落としを食らって窮地に陥った。何とかフォールを返すと変形デスバレーボム、エルボー合戦の後、ニーリフトとスプラッシュマウンテンで主導権を握り返した。最後は19分37秒、必殺のジャイアントスラムで3カウントを奪取。春のチャンピオンカーニバルで敗れていた諏訪魔にリベンジを達成した。「諏訪魔選手がこのベルトに挑戦してくれて、前哨戦から戦い続けて、あらためて諏訪魔選手の強さを知りました」と敬意を表した。

 試合後、リング上に現れた前王者の宮原健斗(28)の挑戦アピールを受けた。全日本45周年記念興行となる8月27日の両国大会で激突することが確実となった。正式に決まれば、王座奪取した5月の後楽園大会以来の再戦となる。石川は「両国国技館という舞台、45周年という舞台でフリーの自分が王者として最後に呼ばれるのはレスラー冥利(みょうり)に尽きる」と3度目の防衛戦を見据えた。

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小島聡「いっちゃうぞバカヤロー」5年ぶり全日参戦

小島聡(写真は2017年7月15日)

<プロレス:全日本後楽園大会>◇17日◇東京・後楽園ホール◇観衆1595人

 02~10年に全日本所属として活躍した元3冠ヘビー級王者で新日本の小島聡(46)が、団体45周年記念興行となる8月27日の両国大会に参戦することが発表された。

 約5年ぶりの全日本参戦となる小島は会場内に設置されたビジョンに動画で登場し「45周年、全日本プロレス8月27日両国大会に、いっちゃうぞ、バカヤロー!!」と力強くアピールした。

 対戦相手は小島との対戦を希望していた諏訪魔(40)となる。諏訪魔が3冠に初挑戦した06年、当時の王者が小島だった。

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京口竜人容疑者が酒気帯び運転逮捕、タクシーに追突

京口竜人容疑者(11年12月18日撮影)

 大阪府警南署は12日、プロボクサー京口竜人容疑者(26)を道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで逮捕した。

 容疑は同日午前2時ごろ、大阪市内で酒気を帯びた状態でワゴン車を運転した疑い。現場でタクシーに追突し、運転手は首を捻挫する軽傷を負った。呼気からは基準値を超えるアルコールを検出。南署によると「焼き鳥屋など2軒で生ビールやワインを飲み、帰宅する途中だった」と容疑を認めている。京口容疑者は11年にフェザー級で全日本新人王を獲得。15年にも傷害事件で逮捕されている。23日にIBF世界ミニマム級王座に挑戦する京口紘人は弟。所属するグリーンツダジムの本石昌也会長は「(被害者に)誠実に謝罪させていただきたい。事実であれば2回目。一番厳しい処分(解雇)になる」と話した。

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近大ボクシング部また…「えげつない」監督セクハラ

 全日本大学ボクシング王座決定戦10度の優勝を誇る近大ボクシング部の男性監督(29)が、教え子の女子部員にセクハラ行為をし、大学から自宅待機を命じられていたことが11日、分かった。監督は12年ロンドン五輪代表で、16年4月に就任。性的行為を求める言葉を発していたほか、後ろから抱きつくなどの行為をしていたという。

 近大のハラスメント全学対策委員会の調査に対し、同監督はハラスメント行為があったことは認めているといい、大学は「調査が済み次第、処分を決定する」。アマチュアを統括する日本ボクシング連盟は先月28日、被害部員の母親から内容を記した文書を受理。同連盟の山根明会長が監督に確認すると「冗談でやった」としつつ、事実を認めたという。監督は同29日から自宅待機している。

 山根会長は11日、大阪市内の同連盟大阪事務局で「ここでは言えないぐらい、えげつないセクハラ」と説明。被害部員はセクハラの内容を録音した音声を持っているといい、同連盟は男性監督を除名する方針だ。

 近大ボクシング部は09年に部員2人が強盗事件を起こして廃部。同部OBでタレントの赤井英和氏(現名誉監督)を総監督とし、12年10月に復活していた。現在の部員は男子26人、女子4人。全日本女子ボクシング選手権で優勝経験を持つ部員ら、20年東京五輪の代表候補も複数在籍している。大学は「処分が(監督ら)個人になるか、部になるかも現時点では分からない」としており、有望選手への影響も懸念される。

 同部では先月14日、16年4月に赤井氏から総監督を引き継いだ男性コーチ(54)が、スタッフへの暴力行為で辞任。15日に開幕する全日本選手権大阪府選考会を控える中、またしても不祥事が発生した。

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近大ボクシング部監督が女子選手にセクハラ行為

 ボクシングの2012年ロンドン五輪代表だった近大ボクシング部の男性監督(29)が、教え子の女子選手にセクハラ行為をしたとして、大学から自宅待機を命じられていることが11日、分かった。アマチュアを統括する日本ボクシング連盟はセクハラ行為を認定。山根明会長は「(本人から反省の言葉は)一切ない。悲しく悔しい」と話し、近く男性監督を除名する方針を示した。

 男性監督は昨年4月に就任。山根会長によると、6月28日に選手の母親から連盟に訴えがあった。母親から受け取った文書を基に選手にも確認したところ、監督は昨年から日常的に性的行為を求める言葉を発していたほか、後ろから抱きつくなどの行為や「言うことを聞かなければ練習を見ない」という趣旨の発言もしたという。同会長が監督に電話でただすと「冗談で言った」と話したという。

 男性監督は6月29日から自宅待機している。大学側は監督や部関係者から聞き取り調査をしているといい「(監督は)ハラスメント行為があったことは認めている。まとまり次第、処分を決定する」と説明した。

 近大ボクシング部は全日本大学王座決定戦を10度制した名門。09年に部員2人による強盗事件を受けて廃部となったが、12年10月に復活した。現在の部員は男子26人、女子4人。

 また、近大や山根会長によると、近大ボクシング部ではことし3月の練習中、男性総監督が男性コーチをしかる際に暴力を振るったとして、6月に辞任しているという。

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前文科大臣馳浩が復帰、レジェンド集結6人タッグ戦

06年8月、引退記念特別試合でYASSHIに現役最後のジャイアントスイングを決める馳浩

 06年8月に引退した、元プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩(56)が、今月26日の「プロレスリング・マスターズ」(東京・後楽園ホール)で、11年ぶりにリング復帰することが10日、分かった。「大臣になって戻ってくる」というファンとの約束を果たすため、イベントをプロデュースする武藤敬司(54)のオファーに応えた。大物が集う豪華舞台で、持ち前の熱いファイトを披露する。

 「戦う国会議員」が、リングに戻ってくる。馳の復帰戦の舞台は、師匠長州力(65)藤波辰爾(63)のレジェンド2人と組む6人タッグ。武藤の化身グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ(68)、新日本時代に激闘を繰り広げたTNT(52=プエルトリコ)組が相手と、11年ぶりのリングを祝うかのように豪華メンバーが集まった。

 ファンとの約束が、復帰を後押しした。石川・星稜高の国語教師として84年ロサンゼルス五輪に出場すると、85年にプロレスラーに転身。佐々木健介との「ハセケン」タッグで人気を集め、新日本のIWGPタッグ王座を獲得するなど、技巧派のトップ選手として活躍した。95年に森喜朗元首相の誘いを受けて出馬した参院選で初当選を果たし、政界に進出。05年には文部科学副大臣に就任するなど、二足のわらじで戦い続けた。

 だが、議員としての多忙な日々から、06年に引退を決意。「大臣になって戻ってくる」とファンに誓い、20年におよぶ現役生活に別れを告げた。その後は20年東京五輪・パラリンピック招致などでも存在感を発揮し、15年にプロレス界初の文部科学大臣に就任。「大臣になる」という1つの約束を果たしたことで、リング復帰に気持ちが傾いていったとみられる。

 フェイスブックで鍛え抜かれた肉体を披露するなど、多忙な合間を縫ってトレーニングを続けてきた。引退試合で年齢と同じ45回転を披露したジャイアントスイング、代名詞の裏投げ、北斗原爆固めなど大技への期待も高まる。

 「引退に 臨んで秋の 風が吹く」と得意の俳句でリングに別れを告げてから、11年。真夏のマット界に、熱い男が帰ってくる。

 ◆馳浩(はせ・ひろし)1961年(昭36)5月5日、富山・小矢部市生まれ。星稜高でレスリングを始め、3年で国体優勝。専大4年で全日本学生優勝。卒業後は星稜高で国語の教員を務め、84年に全日本選手権優勝。グレコローマン90キロ級で同年のロサンゼルス五輪出場。85年にジャパンプロレスに入団し、86年にプエルトリコでデビュー。87年の小林邦昭とのデビュー戦でIWGPジュニア王座奪取。デビュー戦での戴冠は史上唯一の快挙。IWGPタッグ王座3度戴冠。96年に全日本移籍。95年に参院議員に初当選し、00年には衆院議員に。現役時代は183センチ、103キロ。夫人はタレントの高見恭子。

 ◆プロレスリング・マスターズ 武藤敬司が「プロレスの達人」を集めてプロデュースする不定期開催の大会。第1回は今年2月に東京・後楽園ホールで行われ、超満員札止め。メインは藤波、長州、武藤、ライガー組が「平成維震軍」の越中、カブキ、AKIRA、斎藤彰と対戦した。ウルティモ・ドラゴン、グレート小鹿、藤原喜明、高山善広らも参戦。

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前文科大臣の馳浩11年ぶりリング復帰!約束果たす

馳浩引退記念特別試合でYASSHIに最後のジャイアントスイングを決める馳浩(2006年8月27日撮影)

 06年8月に引退した、元 プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩(56)が、今月26日の「プロレスリング・マスターズ」(東京・後楽園ホール)で、11年ぶりにリング復帰することが10日、分かった。

 「大臣になって戻ってくる」というファンとの約束を果たすため、イベントをプロデュースする武藤敬司(54)のオファーに応えた。大物が集う豪華舞台で、持ち前の熱いファイトを披露する。

 ◆馳浩(はせ・ひろし)1961年(昭36)5月5日、富山・小矢部市生まれ。星稜高でレスリングを始め、3年で国体優勝。専大4年で全日本学生優勝。卒業後は星稜高で国語の教員を務め、84年に全日本選手権優勝。グレコローマン90キロ級で同年のロサンゼルス五輪出場。85年にジャパンプロレスに入団し、86年にプエルトリコでデビュー。87年の小林邦昭とのデビュー戦でIWGPジュニア王座奪取。デビュー戦での戴冠は史上唯一の快挙。IWGPタッグ王座3度戴冠。96年に全日本移籍。95年に参院議員に初当選し、00年には衆院議員に。現役時代は183センチ、103キロ。夫人はタレントの高見恭子。

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75歳ドリー、まさかの弟子妨害に怒り相手セコンド

 4月の全日本大会に参戦したドリー・ファンクJr(75=米国)が2日(日本時間3日)、地元米国フロリダ州オカラで開催のWWE傘下NXT大会に来訪した。

 ドリーは弟子のウェスリー・ブレイクの応援に駆けつけたが、リング上であいさつの際にブレイクのまさかの妨害に遭った。怒ったドリーはブレイクのタッグ戦の試合になると対戦相手ストロング組のセコンドにつき、アドバイス。ストロング組を勝利に導き、会場の大声援を浴びた。(デーブ・レイブル通信員)

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幕下水戸龍3勝3敗に「最後は思い切り」

武玄大を寄り倒しで破った水戸龍(手前)(撮影・丹羽敏通)

<大相撲夏場所>◇12日目◇25日◇東京・両国国技館

 幕下15枚目格付け出しでモンゴル出身のトゥルボルド改め水戸龍(23=錦戸)が、6番相撲で白星を挙げて3勝3敗。最後の7番相撲に、デビュー場所の勝ち越しをかけることになった。

 西幕下18枚目の武玄大(28=藤島)と対戦。土俵中央の攻防から、相手の強烈なおっつけに圧力をかけられた。それでも自然と右が浅く入ると、上体を浴びせるように前進。武玄大を土俵外へ出した。

 相手の攻めをしのぎ、休まず前に出た相撲にも、水戸龍本人は納得いかない様子だった。「まだ緊張してて自分の相撲が全然、取れない」と報道陣の問いかけを待つまでもなく切り出し「たまたま前に出ただけ。形を作って前に出ようとしたけど(右差しが)浅いうちに出て危なかった」と、勝ったものの勝負を急いだことを反省材料として挙げた。

 イメージと体の動きが、かみ合わないまま緊張の土俵が続く。それもあと1番。15枚目以上の幕下付け出しでは過去19人中、5人(休場含む)しか負け越しはいない。日大時代に全日本と学生のビッグタイトルを獲得しただけに、それだけは避けたいところ。「緊張しても仕方ない。最後は思い切りやるしかない」と開き直りで臨む。

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元AWA世界タッグ王者ダグ・サマーズ氏死去65歳

ダグ・サマーズ(1989年2月23日撮影)

 全日本プロレスに参戦した元AWA世界タッグ王者のダグ・サマーズさんが16日(日本時間17日)に亡くなったと、米メディアが報じた。65歳だった。死因は不明。

 サマーズさんは、AWAのバーンガニアのレスリングキャンプから72年にデビュー。金髪のイケメンで人気を博し、75年11月にバディ・ローズとともに全日本に参戦。86年5月に世界タッグ王座を獲得した。その後、WCWなど米国各地で活躍後、12年2月に引退していた。(デーブ・レイブル通信員)

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村田諒太の優位性 ミドルに挑んだ男たちの目/連載

10年、東洋太平洋ミドル級タイトルを防衛した佐藤

<世界の頂から頂へ2>

 ボクシングのWBA世界ミドル級王座決定戦に臨むロンドン五輪金メダリスト村田諒太(31=帝拳)の連載「世界の頂から頂へ」の第2回は、日本人でミドル級のベルトに迫った男たちの証言。全階級で最も層が厚い人気階級の現実とは-。ともにWBAタイトルに挑んだ佐藤幸治(36)石田順裕(41)両氏に聞いた。

 もう50歳を目前にしたジャマイカ人指導者の動きがまねできない。佐藤は強烈な先制パンチを浴びていた。04年、米国ラスベガス。ミドル級含む元3階級制覇王者マッカラムが、パンチングボールをリズム良く打つ動きが、どうしてもできない。「速く、軽やか。日本でいう軽量級の動きを重量級がやっていた。衝撃で」。

 日本ではアマチュアで敵無しだった。日大進学後は全日本選手権5連覇(03年大会決勝では村田に勝利)を含む13冠。プロ転向し、帝拳ジムに求めたのが半年間の米国武者修行だった。世界各国から猛者が集う中、マッカラムとの最初の練習から過酷さは予想できた。「スパーが終わると、腹が痛い。寝られない時も。『起きたら日本なら』と何度も思った」。その現実が世界の壁だった。

 それでも心は折れなかった。たどり着いた世界初挑戦は15戦目。09年に敵地ドイツでWBA王者シュトルムに向かった。そこでさらに高い壁を知る。構えようとすると左ジャブをもらう、の連続。佐藤もジャブの名手だったが「僕のジャブは偽者だった。世界王者は住む世界が違った」。ほぼ左ジャブだけで圧倒され、7回TKOで完敗。2度目のチャンスはこなかった。

 佐藤から約4年後、モナコで同じWBAのベルトに挑んだのが石田だ。現在3団体統一王者としてミドル級に君臨するゴロフキン(カザフスタン)と拳を交えた。「モナコ大公も見にきていた」と、その注目度を振り返る。

 06年から合宿で米国に渡り、スパーリング相手を探し求めた。本場で脚光を浴びたのは11年。WBO世界ミドル級4位で27戦全勝(24KO)カークランド(米国)に1回TKOで勝った。番狂わせに会場は沸騰。「その後にメインの試合を見に行ったら、会場中からすごい喝采を浴びた。試合から2年後でも、まだカークランド戦のことを言われたり」。米国で1番人気の階級のすごみを肌で感じた。その後、海外を転戦し、日本人の開拓者として中量級戦線で活躍。ファイトマネーは「日本の金額に0が1つ(1桁)ついたくらい違かった」と言う。

 2人は村田の世界戦をどう見るか。佐藤は「海外では試合直前の細かな部分で気を取られる。日本でやれるのは大きい」とみる。石田は「アマ時代から世界中の選手と試合をしている。だから黒人だからパンチあって強い、とかじゃないって分かっている。人種じゃないと。だから自信をもっている。それが一番大きいんじゃないか」と精神面に優位性を見いだした。

(敬称略)【阿部健吾、益田一弘】

 ◆佐藤幸治(さとう・こうじ)1980年(昭55)12月11日、千葉・野田市生まれ。中3から競技を始め、5連覇した全日本選手権ではライトミドル、ウエルター、ミドルと3階級制覇。04年にプロ転向し、07、09年に東洋太平洋ミドル級王座。12年に引退。戦績は20勝(18KO)2敗。現在は日本シークレット・サービスに勤務している。

 ◆石田順裕(いしだ・のぶひろ)1975年(昭50)8月18日、熊本県長洲町生まれ。98年全日本社会人ライトミドル級優勝。00年5月プロデビュー。スーパーウエルター級の日本、東洋太平洋王座を獲得し、09年にWBA世界同級暫定王者。ミドル級の世界王座には12年にWBOで挑戦(判定負け)、13年にWBAで挑戦(3回TKO負け)。15年に引退。戦績は27勝(11KO)11敗2分け。大阪寝屋川石田ボクシングクラブ会長。

13年にWBA王者ゴロフキンに挑戦した石田順裕会長(撮影・益田一弘)

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ピアノ力士の南友太が尾車部屋入門 音大より相撲

女手ひとつで育ててくれた母奈美さん(右)に感謝の言葉を述べる南

 アーティスト力士が誕生する。日体大相撲部を3月に卒業した南友太(22)が26日、都内の同大で尾車部屋への入門会見を開いた。

 生後3カ月で、母乳だけで体重10キロを超え、現在は180センチ、165キロ。神奈川・向の岡工高から始めた相撲では、昨年の全日本大学選抜宇和島大会を制した。そんな南は小学生からピアノを習い、母校の小学校で運動会の音楽を作曲。今も使われているという。ピアニストのリチャード・クレイダーマンを好み、音大への勧めもある中で「お相撲さんは格好良いなと思った」とプロ入りを選んだ。

 この日は師匠の尾車親方(元大関琴風)が還暦を迎え、「親方に立派な姿を見せられるように頑張りたい」と誓った。夏場所(5月14日初日、東京・国技館)の新弟子検査を受検する。

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日体大卒の南が尾車部屋入門、憧れは大学先輩嘉風

尾車部屋への入門が決まり、会見でこの日、還暦を迎えた尾車親方(左=元大関琴風)と大学の先輩の幕内嘉風にはさまれて笑顔を見せる日体大出身の南(撮影・今村健人)

 日体大相撲部で昨年の全日本大学選抜宇和島大会で優勝し、3月に卒業した南友太(22)が26日、都内の同大で会見し、尾車部屋への入門を発表した。

 生後3カ月で、母乳だけで体重10キロを超えた体は、現在は180センチ。体重は「昨日量ったら165キロでした」。幼稚園から小学校まで空手、中学校では柔道をし、神奈川・向の岡工高から相撲を始めたばかり。それでも、大学では2年生からレギュラーを張り、4年生で全日本大学選抜宇和島大会を制した。

 「高校時代は四つ相撲。大学に入って、大相撲につながるように大胆な相撲を取っていこうと、力や立ち合いでの当たりなど、押し1つでやってきた」という。師匠の尾車親方(元大関琴風)も「押しを徹底した相撲の技量を、多くの人に見てもらえるように育てたい」と話した。

 会見は、女手一つで育てた母奈美さん(46)が涙ながらに見守っていた。「(会見は)もう少し、緊張するかなと思っていましたが、試合の方が緊張する」と堂々と言ってのけた南。「嘉風関の押す姿、まわしにこだわらずに前に出る相撲に今もあこがれています」と会見に同席した大学の先輩を持ち上げ? その先輩からは「お金が取れる力士に。土俵に上がったら何かすると注目される力士になってほしい」とエールを送られた。さらに、この日で還暦60歳を迎えた尾車親方にも「僕自身、運が強いとか、験がいいと言われる。親方の節目の日に会見を設けていただいて、大変ありがたい。親方に立派な姿を見せられるよう、頑張っていきたい」と力強く意気込んでいた。

 夏場所(5月14日初日、東京・両国国技館)で新弟子検査を受検する。

尾車部屋への入門が決まり、女手ひとつで育ててくれた母奈美さん(右)と並ぶ日体大出身の南(撮影・今村健人)

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井上岳志TKO勝ちで新王者「左ボディーよかった」

新王者となった井上(右)と斎田会長(撮影・河合香)

<ボクシング:日本スーパーウエルター級王座決定10回戦>◇25日◇東京・後楽園ホール

 同級2位井上岳志(27=ワールド)が7回TKO勝ちで新王者となった。同級1位斉藤幸伸丸(38=輪島功一)との決定戦で、2回からガードを固めて左ボディーからの右ストレートでペースをつかむ。6回から強打を浴びせると、7回1分10秒にレフェリーストップでのTKO勝利となった。

 初回は、7回目のタイトル挑戦となった斉藤に守勢となった。「2回からはしっかりガードを固めて、左ボディーがよかった。嫌がっている感触があった」と手応えを得ていた。前王者野中の返上で1カ月半前に初のタイトル挑戦が決まった。「試合まで短いな」と不安もあったが、今回は後援者の会社でのアルバイトを1カ月前から休んでボクシングに集中した。「休んで気持ちをうまく作れた」と感謝した。

 駿台学園で国体優勝、法大で全日本と国体準優勝した。警察官に内定していたがケガで取り消しとなると、同じ高校、大学の先輩でともに主将だった斎田会長が救い手を差し出した。「最低東洋王者にまでしてみせる」。プロ11戦目でまずは日本王者となり「ベルトを巻いて実感がわいた」と静かに話した。

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比嘉大吾「問題ない」世界戦“スイッチ対策”で自信

5月20日の世界挑戦に備え。精力的なジムワークを消化する比嘉(右)(撮影・藤中栄二)

 WBC世界フライ級1位の比嘉大吾(21=白井・具志堅スポーツ)が5月20日の世界戦(東京・有明コロシアム)を意識した「スイッチ対策」に入った。

 同級王者ファン・エルナンデス(30=メキシコ)への挑戦を控え、25日には東京・杉並区の所属ジムで10回のスパーリングに臨んだ。

 右構えの日本フライ級暫定王者・黒田雅之(30=川崎新田)と6回、さらに左構えの昨年の全日本フライ級新人王・中谷潤人(19=MT)と4回というハードな内容。

 エルナンデスが試合途中で構えを左右にスイッチするための対応策で、左右両タイプの選手とのラウンドを消化した。

 比嘉は「左に苦手意識はないので。右になっても左になっても問題ないですね」と自信をみなぎらせた。

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全日本に参戦して諏訪魔と組んだロージーさん死去

心不全で亡くなったロージーさん(2007年2月12日撮影)

 WWEのトップスター、ロマン・レインズの兄で、全日本プロレスに参戦経験のあるロージーさん(本名マット・アノアイ)が、17日(日本時間18日)に心不全で亡くなった。47歳。

 WWEが18日(日本時間19日)に発表した。WWE殿堂入りの父シカ・アノアイの指導を受けて95年にデビューし、02年にWWE初登場。193センチ、180キロの巨体を生かしたボディープレスを武器に活躍し、05年5月に世界タッグ王座を獲得した。06年6月に全日本に初参戦し、諏訪魔と組んで出場した同年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では準優勝した。(デーブ・レイブル通信員)

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馬場、猪木ら対戦ラリー・シャープさん死去 66歳

 現役時代は馬場、猪木らと対戦し、引退後はビガロ、ビッグ・ショーら多くのレスラーを育成したラリー・シャープさんが10日(日本時間11日)に米ニュージャージー州で亡くなった。66歳。長く肝臓を患っていたという。

 シャープさんは76年に全日本に初来日し、77年に国際に参戦。80年には猪木のNWF王座に挑戦後、新日本に参戦した。91年8月に引退していた。

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馬場・鶴田組と名勝負、ロン・バスさん68歳で死去

84年3月、ジャンボ鶴田さん(手前)を攻めるロン・バスさん

 馬場・鶴田組からタッグ王座を戴冠したロン・バスさんが7日(日本時間8日)、米タンパで68歳で亡くなったと米メディアが報じた。盲腸の破裂で入院し、手術後に合併症を患っていた。

 77年にデビュー、77年2月に全日本に初来日。帰国後、米国で頭角を現し、各地で多くの王座を獲得した。アウトローと呼ばれ、カウボーイスタイルの大型悪役として活躍。80年9月に国際プロレス、82~86年は全日本に参戦し、83年4月にスタン・ハンセンと組み、馬場・鶴田組からインターナショナルタッグ王座を獲得した。87年から89年までWWEで活躍し、91年に引退していた。(デーブ・レイブル通信員)

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“こけし”本間朋晃が頸椎負傷、緊急搬送され入院

16年7月、「こけし」を決める本間

 新日本プロレスは4日、「みんなのこけし」の異名を持つ人気レスラー、本間朋晃(40)が頸椎(けいつい)の負傷でドクターストップがかかり、6日の東京・大田区大会以降の試合を欠場すると発表した。復帰時期は未定としている。

 本間は3日の沖縄大会で6人タッグに出場。試合中に邪道のグリーンキラー(ハングマンDDT=両足をセカンドロープにかけ、首をロックして後ろに倒れながら頭をマットにたたきつける技)を受けるとそのまま動かなくなった。邪道にフォール負けしたが、試合後も動くことができず、トレーナーが応急処置に当たった。その後、救急車で県内の救急病院に緊急搬送され、現在も入院している。

 本間は14年に新日本の真夏の祭典「G1クライマックス」に出場したことで大ブレークした。飯伏の代役で初の全敗というワースト記録を作りながら、何度失敗してもダイビングヘッドバット「こけし」を繰り出す姿勢がファンに高く評価され、一躍人気者になった。その後は、ほとんど聞き取れないだみ声が受け、テレビのバラエティー番組などでも活躍していた。

 本間の欠場で、6日の大田区大会で挑戦予定だったIWGPタッグ選手権は、天山・小島組が代わりに出場することになった。

 ◆本間朋晃(ほんま・ともあき)1976年(昭51)11月18日、山形県東根市生まれ。大日本プロレスから98年5月にデビュー。02年3月に全日本、09年には新日本に入団した。12年3月に新日本から契約を解除されたが、13年3月から再び新日本マットで活動している。現在はフリー。181センチ、98キロ。

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小川直也に猪木魂注入、ロスで弟子入り/復刻

1997年3月4日付日刊スポーツ1面(東京版)

<日刊スポーツ:1997年3月4日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月4日付紙面を振り返ります。1997年の1面(東京版)で元柔道世界王者の小川直也がアントニオ猪木に弟子入りしたことを報じています。

◇   ◇   ◇

 元柔道世界王者の小川直也(28)が、新日本プロレス会長のアントニオ猪木(54)に弟子入りした。小川は1日、2月27日に渡米した猪木を頼ってロサンゼルス入り。今日3日(日本時間4日)から現地のグレイシー柔術、キックボクシング・ジムなどを渡り歩き、総合格闘家としてのトレーニングをすることになった。猪木の「闘魂」を胸に秘めた小川は4月12日、東京ドーム大会で格闘家、小川直也としてデビューする。

 新日本プロレスとの契約が秒読みとなっている小川は、米ロサンゼルスにいた。小川が頼ったのは、世界格闘技のネットワークづくりのために渡米していた猪木。現在、猪木と行動を共にしている佐山聡(元タイガーマスク)と一緒に、既に米国に飛んでいたのだ。

現役時代から「柔道がすべてではない」と話していた小川にとって、すべての格闘技を通じ「最も強いものは何か」は永遠のテーマ。それを追求するために、1976年(昭51)の柔道王ウイリアム・ルスカ戦を皮切りに、ムハマド・アリ(ボクシング)ウイリー・ウイリアムス(空手)らとの対戦で、異種格闘技路線を確立させた猪木は最高の師だった。

 小川は今日3日から、猪木のもとで本格的な格闘技修行に入る。プロレスを含め現在の格闘技界は、異種格闘技戦と呼ばれる種類、流派を問わない戦いが人気。その頂点が、急所打ち、目つぶし、かみつき以外はOKというケンカ大会(アルティメットファイト)だ。もともと「格闘技はすべて好き」という小川は、プロレスでなく格闘家から始めることになる。

 柔道家としては完成されている小川だが、ルールに縛られた戦いしか経験がないのが弱点。ノールールに対応することを目的に、日本古来の柔術からブラジルで発展を遂げたグレイシー柔術からトレーニングを始める。佐山と親交の深い第一人者ヒクソン・グレイシーの道場に出向く今日3日が、小川の新しい格闘人生の始まりとなる。

また、マーシャルアーツと呼ばれるキックボクシング系のジムにも入門し、蹴り、打ち、組み、投げを自在に扱える総合格闘家への変身も目指す。このほかにもロサンゼルスにはあらゆる種類の格闘技のジムが点在していることから、ジャンルに捕らわれない修行ができる。

 現在、プロレスから離れて独自の格闘技路線を行く猪木への弟子入りで、小川のレスラーとしての新日本プロ入門は当面見送られる。「今度、大きいヤツが来る」とうれしそうに話していた猪木にとっても、まずは素質を持つ小川を世界最高の格闘家に育てることが最大の目標となる。

いくら世界王者といっても、プロレスでは素人。一人前になるには時間もかかる。しかし、柔道を生かした「総合格闘技」なら即戦力間違いなし。39日後に迫った4月12日の東京ドーム大会では、柔道世界一の誇りを胸に柔道着を着用しての登場となる。猪木の「闘魂」をその巨体に宿し、小川がリングに上がる。

 ◆小川の今後 小川が第二の人生をいきなりプロレスではなく、総合格闘家に求めた選択は正しい。現在最も注目されているのはどんな試合にも対抗できる格闘家で、スタイルが幅広い日本のプロレスでいえばパンクラスが筆頭株だ。

現に総合格闘家としてWWFに入ったケン・ウェイン・シャムロックもパンクラスで活躍した選手だ。相手が距離を保った場合は蹴りやパンチで応戦。組んでくる選手には投げからひじ、腕などの関節技に入る。また、後ろに回っては首絞めなどの攻撃にも移行できる。

 小川には柔道というきちんとした下地があり、投げから抑え込みに入るタイミングなどは、柔道の試合でも実証済み。足払いを発展させた本格的な蹴りをマスターできれば、怖いものなしの格闘家となる。


☆輪島と北尾の修行

 ◆輪島大士(元横綱) 1986年(昭61)4月13日に全日本プロレス入りを発表し、ハワイで修行生活に入った。砂浜でのランニング、腕立て伏せ200回、スクワット1000回などがノルマだった。7月にはミズーリ州セントルイスに移り、元NWA王者パット・オコーナーに師事。8月7日、ジャイアント馬場とのタッグで海外プロレスデビュー。その後もプエルトリコなど各国を回って技を磨き、11月1日に日本デビューを果たした。

 ◆北尾光司(元横綱) 89年(平元)6月2日にプロレス入り。バージニア州ノーフォークで、鉄人ルー・テーズからプロレスの基礎をみっちりとたたき込まれる。朝は砂浜でのランニング、午前中はウエートトレを行い、夕方からテーズ道場での特訓。スクワット、ブリッジ、受け身、グラウンド練習をこなし、フリースパーリングで終了。10月にはミネソタ州ミネアポリスに移り、アマレス出身のブラッド・レイガンズの下で実戦練習。12月に帰国し、翌90年2月10日に新日本プロレスからデビューした。

 

 ◆小川直也(おがわ・なおや) 1968年(昭43)3月31日、東京・杉並区生まれ。私立八王子高入学と同時に柔道を始め、明大1年の86年全日本学生選手権で優勝した。翌87年に、史上初めて10代(19歳7カ月)で世界選手権優勝を果たすなど、同大会通算優勝4回(無差別級3回、95キロ超級1回)。全日本選手権優勝7回は、山下泰裕氏の9回に次いで史上2位を誇る。五輪での金メダルに縁がなく、92年バルセロナ大会(95キロ超級)は銀、昨年のアトランタ大会(同)は5位に終わった。家族は葉子夫人と1男。193センチ、130キロ。五段。

※記録と表記は当時のもの

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中村友哉「角界のひねり王子」だ!白鵬3人目内弟子

白鵬は自身3人目の内弟子で宮城野部屋入門が決まった金沢学院大・中村と握手を交わす(撮影・佐々木隆史)

 大相撲の横綱白鵬(31=宮城野)が21日、都内で十両山口(27)、前頭石浦(27)に続く3人目となる内弟子、金沢学院大・中村友哉(ゆうや=22)の入門会見に同席した。身長167センチ、体重95キロの中村を「石浦、山口と年齢が近いし、石浦とは同じ小兵。この若手力士と汗を流して、笑って泣いていきたい」と紹介した。

 中村は、大学2、3年と出場した世界相撲選手権の軽量級(85キロ未満)で2連覇を果たすなど、実力は折り紙付き。昨年の夏に、宮城野部屋の関係者から勧誘を受けた。当時はプロ入りよりも、教員の夢を追いかけていたという。だが、昨年12月の全日本相撲選手権で1回戦敗退し「悔しい終わり方だった。また挑戦したいと思いました」。今年の初場所前に宮城野部屋の稽古を見学した時に、初対面の白鵬と話して、入門を決意した。

 春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の新弟子検査を受ける予定の中村には、悩みが1つある。それはしこ名だ。「中村」は、現在使用されていないが、日本相撲協会の年寄名跡のひとつのため、使うことができない。報道陣から、中村の得意技でもある、ひねり技にかけて「角界のひねり王子ですね」と聞かれた白鵬は「よし、それでいこう」と、会場を笑わせた。

 白鵬が「石浦、宇良と3人で盛り上げてもらいたい」と期待すると、中村は「この体格だから取れる相撲、盛り上がる相撲を取りたい」と応えた。同席した宮城野親方(元前頭・竹葉山)も「動きながら前に攻める相撲を取ってもらいたい」と期待した。

宮城野部屋入門が決まった金沢学院大・中村(中央)は家族らと記念撮影を行う。左から、兄文哉さん、母由美子さん、横綱白鵬、1人おいて父進さん、師匠の宮城野親方(撮影・佐々木隆史)

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馬場、猪木と対戦のジョージ・スティールさん死去

 WWEは17日(日本時間18日)、馬場、猪木と対戦した怪奇派レスラーのジョージ・スティールさんが16日(日本時間17日)に亡くなったと発表した。死因は不明。79歳だった。

 米ミシガン州立大を卒業後、同州の高校教師をしながら、62年にデビュー。素性を隠すために覆面レスラー、ザ・スチューデントとして試合した。67年からWWWF(現WWE)入りし、頭をそり上げ全身毛むくじゃらの怪奇派として一時代を築いた。当時のWWWF王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦し、舌を緑色に染め、コーナーをかみ切って、中の綿で相手の目を攻撃する狂乱ファイトでブレークした。80年代中盤からはWWFで人気者に大変身し、子供たちに愛された。

 71年に日本プロレスに初来日。74年に全日本、79年に新日本に来日。88年「クローン病」で引退。95年にWWE殿堂入りを果たしている。(デーブ・レイブル通信員)

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チャボ・ゲレロ氏が死去 藤波「元気な姿しか…」

07年4月、無我・後楽園大会で藤波辰爾(左)と握手するチャボ・ゲレロ

 新日本プロレスや全日本プロレスで活躍した技巧派レスラーのチャボ・ゲレロさん(米国)が11日(日本時間12日)に肝臓がんで亡くなったと長男のチャボ・ゲレロJrが明らかにした。68歳だった。メキシコで名レスラーといわれた故ゴーリー・ゲレロさんを父に持ち、米テキサス州エルパソで誕生。レスラー4人兄弟の長男として父の指導の下、70年にデビューした。

 75年7月に全日本に初来日した。同じ年に米ロサンゼルスに進出し大ブレークし、トップレスラーとなった。ジュニアながらヘビー級選手をなぎ倒し人気を博した。78年6月には新日本に参戦。同年10月20日に大阪・寝屋川市民体育館で行われたWWWFジュニア王者藤波辰爾との試合は、ジュニア史上屈指の名勝負として語り継がれている。

 新日本で初めてジュニアのタイトル戦がメインになった試合だった。大流血の末、コブラツイストで勝利を収めた藤波は「ジュニアでありながら、ヘビー級でも遜色なく戦い、オールラウンダーの試合巧者だった。いつも陽気なムードメーカーで、元気な姿しか思い浮かばない。言葉もありません」と話した。

 藤波との抗争の後、80年11月にNWAインタージュニア王座を獲得。翌年8月にはベルトを持って全日本に参戦し、大仁田厚と抗争を繰り広げた。04年5月からWWEに登場。昨年11月の来日が最後となった。(デーブ・レイブル通信員)

 ◆チャボ・ゲレロ 1949年1月7日、米テキサス州エルパソ生まれのメキシコ系アメリカ人。父のゴーリー・ゲレロを始め、4人兄弟、長男もプロレスラーというレスラー一家。70年にデビューし、75年7月に全日本、78年6月に新日本に参戦した。日本では藤波、大仁田らと抗争を繰り広げ、米国ではスタン・ハンセン、ダスティー・ローデス、アンドレ・ザ・ジャイアントらヘビー級レスラーと対戦し人気を博した。全盛期のサイズは180センチ、103キロ。ジャーマン・スープレックス、ヒップ・アタックが得意技だった。

16年11月、全日本プロレス両国大会に出場したチャボ・ゲレロ

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堀池雄大が3年ぶり地元静岡リング「変わった姿を」

駿河男児Desafio6に出場する選手たち。前列左から堀池、青木、市川、後列左から浅原、清、瀧、舟山

 4月2日、静岡・富士市ふじさんめっせで予定されるプロボクシング興行「駿河男児Desafio6」の開催記者会見が10日、富士市内のジムで行われた。

 12年全日本バンタム級新人王となる堀池雄大(32=帝拳)が3年ぶりに地元静岡の興行に出場。バンタム級8回戦で石橋俊(仲里)と対戦する。浜松市出身の堀池にとって、14年4月のロリ・ガスカ戦(アクトシティ浜松)以来の地元マッチ。「上京して以来の地元での試合なので変わった姿をみせたい」と意欲を示した。

 堀池と同門の舟山大樹(25=帝拳)は、地元静岡での初試合が決定した。各務原タカシ(コパン星野)とのスーパーバンタム級4回戦に臨む。静岡・島田市出身の舟山は「ずっと静岡で試合がしたかった」と気合十分だ。

 なお、同興行のセミファイナルは東洋太平洋ライト級4位市川大樹(21=駿河男児)、メーンには日本スーパーライト級青木クリスチャーノ(28=駿河)がノンタイトル戦に臨む。

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元ノア泉田純さん51歳死去、詐欺事件で巨額被害も

亡くなった泉田純さん

 全日本プロレスやプロレスリング・ノアで活躍したレスラーの泉田純(いずみだ・じゅん)さんが亡くなっていたことが7日、分かった。51歳だった。関係者によると、泉田さんは神奈川県内の自宅で亡くなっているところを、連絡が取れずに訪ねた親戚によって発見されたという。死因は不明で、すでに家族によって密葬が執り行われたという。

 泉田さんは高見山が興した大相撲東関部屋の出身。青雲龍などのしこ名で幕下までいったが、91年に全日本に入団しプロレス転向。98年に本田多聞と組んでアジアタッグ王座を獲得した。頭突きが得意で、本田とのタッグはヘッドバッターズとも呼ばれた。00年にノア旗揚げとともに移籍。09年12月で退団し、以後フリーとして活躍していた。

 12年には雑誌で詐欺被害に遭っていたことを告白。16年5月に、泉田さんから約8500万円をだまし取った女性が実刑判決を受けていた。しかし、被害に遭った金は戻らず苦労していたという。昨年夏に相談を受けたというグレート小鹿は「長いこと苦労してかわいそうだったが、こちらも手が届く話じゃなかった」と話した。大相撲時代は、人なつっこい笑顔で、相撲教習所の教官も務め、部屋の後輩で元横綱の曙を指導したこともあった。

 ◆泉田純(いずみだ・じゅん)1965年(昭40)10月28日、宮城県生まれ。東農大を中退し、元関脇高見山の東関部屋に入門。86年春場所初土俵。高見将、青雲龍、武蔵海のしこ名で最高位は西幕下37枚目。91年秋場所限りで引退し、プロレスに転向した。全日本、ノアとわたり、選手会会長も務めた。09年末からフリー。185センチ、130キロ。独身。

93年4月 泉田竜舞(純=右手前)は、ジャイアント馬場の16文キックを食らう。右奥はラッシャー木村

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稀勢の里が横綱初両国へ、思い入れ土俵で手抜きなし

稽古後、師匠の田子ノ浦親方(右)と会話する稀勢の里

 新横綱は何事においても全力投球なんです! 初場所後、横綱に昇進した稀勢の里(30=田子ノ浦)が今日5日、東京・両国国技館での横綱デビューを果たす。同所で開催される「大相撲トーナメント」の土俵で横綱として初めての取組、横綱土俵入りを披露する。

 横綱昇進後、先月27日に明治神宮で奉納土俵入りを披露し、同28日には荒磯親方の断髪式に出席するため“聖地”を訪れた。ただし本場所が開催される土俵に足を踏み入れるのは今日が初めて。4日、軽めの調整で汗を流した稀勢の里は、番付の昇降に左右されない花相撲であっても「大事にしたい。あれがきっかけになったし」と話した。

 “あれ”とは、やはりトーナメントで争われた昨年10月3日の全日本力士選士権のこと。花相撲ながら稀勢の里は初優勝した。「国技館の土俵での優勝だったし、勝ち癖をつける意味でもきっかけになった」。初場所の初優勝と横綱昇進の分岐点になったようだ。だから一切の手抜きは無用。土俵入りについても「明治神宮では所作を間違えたけどイメトレはしている。やればやるほどね」と数を重ねることで「稀勢の里流雲竜型」を完成させる腹積もりだ。愚直なまでの一本気な姿勢で、横綱道を突き進む。【渡辺佳彦】

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高田延彦と向井亜紀ら/プロレスラーと有名人の結婚

アントニオ猪木と倍賞美津子

 新日本プロレスのトップ選手で、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(29)が、テレビ朝日の森葉子アナウンサー(30)と交際していることが16日、分かった。主なプロレスラーと有名人の結婚は以下の通り。

◆1971年 アントニオ猪木(新日本) 倍賞美津子(女優)

◆1994年 高田延彦(UWF) 向井亜紀(タレント)

◆1994年 馳浩(全日本) 高見恭子(タレント)

◆1995年 佐々木健介(新日本) 北斗晶(女子プロ)

◆2003年 スペル・デルフィン(大阪プロ) 早坂好恵(タレント)

◆2007年 坂田亘(ハッスル) 小池栄子(女優)

◆2010年 小橋建太(ノア) みずき舞(演歌歌手)

※所属は主なもの。左は結婚した年

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ジミー・スヌーカ氏が死去 ブロディ氏と最強タッグ

87年、タッグを組むジミー・スヌーカさん(左)とブルーザー・ブロディさん

 全日本、新日本に参戦したWWE殿堂入りの元プロレスラー、ジミー・スヌーカ氏が15日(日本時間16日)に米フロリダ州の親族宅で73歳で亡くなった。WWEに参戦する娘のタミーナが公表した。胃がんを患っていたという。

 フィジー出身で69年にハワイでデビュー。「スーパーフライ」の異名を持つ空中殺法で一世を風靡(ふうび)した。71年に初来日して日本プロレスに参戦。81年より全日本の主力外国人となり、故ブロディ氏とのタッグで最強タッグ戦優勝も果たした。82年からWWF(現WWE)に定着し、王者バックランドとの抗争で爆発的な人気を得てスーパースターに君臨。85年には新日本にも参戦した。

 83年に当時交際していた女性が死亡した件を巡って殺人罪などで15年に訴追されたが、裁判に耐えられない状態として今月3日に裁判が打ち切られていた。(デーブ・レイブル通信員)

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