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帝拳ジム4選手がプロ転向、東京五輪目指した藤田ら

藤田健児(2011年8月15日)

帝拳ジムが6日、4選手のプロ転向を発表した。

東京五輪を目指していた自衛隊出身で、全日本を3度制した藤田健児(26)がフェザー級、2冠の村田昴(23)がバンタム級。

駒大出身の嶋田淳也(22)、日大出身の金子虎旦(22)と夏にプロテスト受験、秋にデビューを目指す。

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ボクシング客入れ興行却下も…安全優先で厳格条件

ボクシングの客入れ興行には、より厳しい条件をつけることになった。日本プロボクシング協会と日本ボクシングコミッションは29日、オンラインで新型コロナウイルス対策連絡協議会を開催。7月から興行再開を決定したが原則無観客で、客入れにはきめ細かく厳しい条件設定の方針でまとまった。

各自治体の自粛解除が早まり、プロ野球などは7月中旬から客入れの予定だが、協会側からはより慎重論が高まったという。再流行が懸念され、興行やジムから感染者が出れば信用に関わり、社会的責任も大きいとの考えから。協会の新田事務局長は「早く試合したい気持ちは強いが安全優先」と話した。

これまでのガイドラインでは客席は前後左右を空けるとしていた。その程度の間隔でいいのか。動線、エレベーターやトイレの使用法、もぎりの方法、検温などを含めた要員確保…、会議ではさまざまな課題が上がった。屋内の中小規模会場中心の状況もあり、JBC安河内事務局長は「業界上げて、感染者を出さない努力を示していく」とした。

近日中にガイドラインを作成するが、プロモーターが提出する開催案の内容次第では、客入れ却下もありうると厳しい姿勢を打ち出した。新人王開催も正式に決定し、再開第1弾で7月12日に中日本予選開幕となる。会場の使用許可が下りずに名古屋市内の中日ジムで開催に変更となった。これも開催案を見てから判断と、あくまで予定とした。

6月1日から東京などのジム営業も解除となる。こちらもガイドラインを月内に作成して配布する。メディカルチェックシートを設け、一般会員も含めた入館者全員の検温、酸素飽和度計測、味覚障害などの症状をチェックし、安全管理を徹底する。ミット打ち、スパーリングなど実戦の対人練習は、再開前に抗体検査受検を推奨する。

現時点で確定している興行は東京・後楽園ホールでの無観客で、16日と22日の日本王座戦などに7月30日と8月2日の東日本新人王予選。他の予定は19日に沖縄、25日に神戸での西日本新人王予選で客入れを目指している。全日本新人王は来年2月に開催する。プロテストについては9月以降に再開予定とした。

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全日本50周年へ カーベルとスポンサー契約延長

全日本プロレス福田剛紀社長(左)と株式会社カーベルの伊藤一正社長

全日本プロレスは28日、都内で会見を開き、株式会社カーベルと2年間のスポンサー契約を結んだと発表した。

新車リースや格安レンタカーをフランチャイズ展開する同社は、17年9月からスポンサーとなっており、伊藤一正社長(49)は、「カーベル伊藤」として度々、全日マットに上がっていた。全日本が創立50周年を迎える22年までその契約を延長した形だ。会見に出席した全日本福田剛紀社長(54)は「若く元気のある会社にサポートしていただき、私たちもまだまだ伸びていけると希望を持っている」と感謝を述べるとともに、2年後の50周年イヤーに向け「躍進を遂げなければいけない」と成長を誓った。

会見ではカーベルの伊藤社長が、新型コロナウイルスの影響で年商75億円のうち、約20%にあたる15億円売り上げが下がると明かした。そんな苦しい状況でもスポンサーを続ける理由は「僕が選手として活動しているから」。試合に出る中で触れあってきた選手、ファン、スタッフの顔が浮かび、こんな時こそ「仲間の役に立ちたい」と思ったことが決め手だったと説明した。幸い、社員も歓迎ムードだという。伊藤社長は「社内でハレーションも起きず、やるなぁ、みたいな、早く全日本プロレスを見たいという声の方が多い」とうれしそうに語った。

伊藤社長は、スポーツのスポンサーをする他の企業にもメッセージを送った。「あらゆるスポーツのスポンサーさんが、どうしようかな、ときっと今悩んでいると思う。でも、プロスポーツというのは団体、ファン、スポンサー、三位一体とならない限り存続しない。だから、プロ、アマ問わず、なんとか費用を捻出していただいて、スポーツが持つ素晴らしさを失うことなく、力添えに頑張っていただきたい」。プロレスに限らず、スポーツ界全体の発展のため協力をあおいだ。

また、全日本はこの日、4月に行う予定だった春の祭典「チャンピオンカーニバル」を9月から10月にかけて開催すると発表した。

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重傷克服の薬師寺愛弟子…森武蔵が来春世界初挑戦へ

森武蔵

WBO世界フェザー級5位で同アジアパシフィック同級王者森武蔵(20=薬師寺)が来春にも世界初挑戦を計画していることが19日、分かった。実現すれば元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄会長(51)の愛弟子で初の世界戦となる。

森は13歳の時、交通事故で両足と腰の骨を折る重傷を負うも、そこから奇跡の再起を遂げた。“モンスター”井上尚弥らを輩出した全国U-15ジュニア大会で優勝した実力者。素質を買う薬師寺会長が「チャンスを与えたい」と、WBO同級王者シャクール・スティーブンソン(22=米国)陣営と交渉している。

王者はリオデジャネイロ五輪銀メダリストで13勝(7KO)無敗の超難敵。計画では7月にノンタイトル戦を行い、年内にアジアパシフィック王座の防衛戦を行った後に返上し、世界戦に向かう。

森は薬師寺会長に素質を見いだされ、「プロ以外に興味ない」と複数の高校の誘いを断り、プロ入りした。王者スティーブンソンとは同じサウスポーで、「最近はファイタースタイルに近づいている」という攻撃型。勢いに乗って成長をとげている時に新型コロナウイルスの影響を受けた。4月に地元の熊本でアジアパシフィック王座の防衛戦も中止となり、現在は熊本の実家でトレーニングを積んでいる。

「とにかく早く試合がしたい」と願うが、7月の試合も世間の情勢で流動的ではある。とはいえ、未知の、そして大きな可能性を秘めた若武者。その未来を開く夢舞台が実現するか。コロナ終息後の楽しみは間違いない。【実藤健一】

◆森武蔵(もり・むさし)1999年(平11)11月27日、熊本県菊池市生まれ。幼稚園から小学5年まで空手、その後にボクシング。16年12月にプロデビュー。17年度フェザー級の全日本新人王。18年11月にWBOアジアパシフィック同級王座を獲得し、2度防衛中。戦績は11勝(6KO)無敗。身長170センチの左ファイター。

森武蔵と薬師寺会長(右)(2017年12月23日)

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勝武士さん死去で角界混乱 高田川親方の談話も出ず

「しょっきり」で塩かごを手にする勝武士さん(2017年2月5日撮影)

大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし、本名末武清孝=すえたけ・きよたか)さんが13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。

新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。

   ◇   ◇   ◇

角界に衝撃が走った。日本相撲協会はこの日、新型コロナ感染で入院治療していた勝武士さんの死去を発表。八角理事長(元横綱北勝海)は「協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。1カ月以上の闘病生活、ただただ苦しかったと思いますが、力士らしく、粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました」と悼んだ。

協会によると、勝武士さんは4月4日ごろに38度台の高熱を発症。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)が受け入れ先を探し続けたが、都内の医療機関が逼迫(ひっぱく)している状況と重なり、なかなか見つからず。血痰(けったん)が見られた同8日夜に、ようやく都内の大学病院に入院した。簡易検査の結果は陰性だったが、容体が悪化して翌9日に転院。10日にPCR検査で陽性と判定されると、さらに容体が悪化した19日から集中治療室で治療を受けていた。

勝武士さんは、14年に糖尿病による低血糖障がいを患った。現在もインスリン注射の投与が必要で、三段目だった16年初場所では取組直前に体調不良を訴え、不戦敗となったこともあった。現役力士の死去は08年に急性骨髄性白血病で亡くなった元幕下若三梅以来。二十数人の力士を育てる師匠は「他の病気でも糖尿病を持っていると治りが遅い。感染しないように、さらに敏感にならないといけない」と警戒感を強めた。

協会は3月の春場所を史上初の無観客で実施し、新型コロナ感染者を出すことなくやり遂げた。以降、出稽古の禁止や接触を伴うぶつかり稽古の自粛要請を各部屋に通達。感染防止に努めてきたが4月10日に勝武士さんの感染が判明。その後に高田川親方や同部屋の十両白鷹山、幕下以下の力士4人(部屋、力士名は非公表)の感染も確認されたが、勝武士さん以外の6人はすでに退院していた。

葬儀・告別式は未定。高田川部屋の稽古についても、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「今行う状況ではない」と説明するにとどめ、再開時期のめどは立っていない。高田川親方の談話はなく、報道陣には「しばらくはそっとしてあげておいて欲しい」と断るなど角界全体が混乱している。

◆勝武士幹士(しょうぶし・かんじ)本名・末武(すえたけ)清孝。1991年(平3)11月4日、山梨・甲府市生まれ。竜王中では柔道部に所属し、中学卒業後に高田川部屋に入門。07年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は17年九州場所の東三段目11枚目で、通算79場所で260勝279敗。165センチ、107キロ。得意は突き、押し。

<スポーツ界の主な感染>

◆プロ野球 3月26日に阪神藤浪晋太郎投手がPCR検査を受け、NPB球団所属選手として初の陽性判定。27日には同じく阪神の伊藤隼太外野手、長坂拳弥捕手の感染も判明。4月1日には楽天などで監督を務めた梨田昌孝氏が陽性判定。14日には元阪神ヘッドコーチの片岡篤史氏が感染を公表した。

◆サッカー 日本協会の田嶋幸三会長が3月17日に陽性であることが判明。東京都内の病院に入院したが、順調に回復し、4月2日に退院した。Jリーグでは、ヴィッセル神戸の元日本代表DF酒井高徳が3月30日に感染していることが判明。4月1日には、神戸のトップチーム関係者1人と、セレッソ大阪GK永石拓海、J2ザスパクサツ群馬DF舩津徹也の罹患(りかん)も明らかになった。

◆バスケットボール Bリーグの大阪エヴェッサでは、4月2日に選手1人の感染が確認されると、3日にはチーム関係者1人の感染を発表。13日までに計13人の感染が確認され、27日に計13人全員が退院もしくは自宅療養解除となったことを発表した。

◆柔道 総本山こと講道館の理事で、全日本柔道連盟(全柔連)副会長などを歴任した松下三郎さんが4月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。東京都文京区の講道館内に事務局を置く全柔連では、4月16日までに役職員19人の集団感染が確認された。

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)
17年2月、「しょっきり」で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

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憧れのトリニダードの左フック/村田諒太の一撃

フェリックス・トリニダード

<ボクシング、忘れられない一撃~20>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。WBA世界ミドル級王者村田諒太(34=帝拳)が影響を受けた一撃は「トリニダードの左フック」。00年のWBA世界スーパーウエルター級王者フェリックス・トリニダード(プエルトリコ)-IBF同級王者フェルナンド・バルガス(米国)は全勝同士の注目の王者対決となった。「倒し、倒され」の死闘の幕開けとなった一撃を、村田が語った。(取材・構成=奥山将志)

    ◇    ◇

▼試合VTR 00年12月2日。デビューから38戦全勝、2階級制覇を果たしていたトリニダードが、同じく20戦全勝のバルガスとの統一戦に臨んだ。村田が選んだ左フックは試合開始からわずか20秒。バルガスのジャブをよけた瞬間、強烈な左が顎を捉えた。後ろによろけるバルガスに、一気に連打を浴びせ、最初のダウンを奪った。同回にもう1度ダウンを加えたが、そこからバルガスも反撃。4回に左フックでダウンを返すなど、互いの意地がぶつかる激闘となった。試合は最終12回、トリニダードが3度のダウンを奪い、王座統一を果たした。

    ◇    ◇

いろんな候補が頭に浮かびましたが、やっぱり、自分の人生で一番見た試合、バルガス戦の最初の左フックですね。「一撃」って、その一発で試合が決まる「一撃」もありますが、この試合では「これで決まっただろう」という一撃が、実はシーソーゲームの幕開けだった。そして、12回の劇的なKOです。倒しきるところがトリニダードがスーパースターであるゆえんだと思いますし、ボクシングの醍醐味(だいごみ)が詰まった一戦だと思います。

技術的には、バルガスはガードを少し顔から離し、前気味に構える選手です。右のガードが顎についていないところからジャブを打つ。本来、ジャブの距離は左フックを合わせる距離ではないんですが、バルガスはジャブをストレート気味に打つので若干ですが深くなる。とはいえ、決して、不用意なパンチではないです。その一瞬を開始直後にドカーンと合わせる。そこが、トリニダードのすごさだと思います。

当時、僕は中学3年生で、テレビをかじりつくように見ていました。全勝対決でしたし、どっちが勝つんだろうと、興奮して見ていましたね。ボクシングをするのにじゃまだと思って髪の毛を丸め、ようやく自分が生きる道を見つけた時期です。中途半端に何も続かなかった自分に変わるきっかけを与えてくれたのがボクシングでした。その最初のスターがトリニダード。初恋のボクサーですね。

トリニダードの魅力は、ころっと倒れたかと思えば、立ち上がって、倒す。試合が本当に面白かった。そこがすべてですね。自分が世界王者になった今でも、トリニダードのことを考えることがあります。自分と比べて、まだ足りていないなと思ったり。米国人ではない人間が人気を得るには、トリニダードぐらいやらないといけない。ずっと頭の中にある存在ですし、そういう意味では、今でも影響を受けていますね。

僕は成長するために、人に憧れたり、人をまねることはとても大切だと思っています。自分ではああいう膝が立ったボクシングはできませんでしたが、中学時代からさんざんまねもしました。ああなりたいという気持ちは頑張る助けになります。僕も、トリニダードに憧れ、いつか自分も人から憧れられる存在になりたいと思ってやってきました。あらためて考えても、あの試合は僕にとって特別な試合ですね。

◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭62)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年で競技開始。南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大で04年全日本選手権ミドル級で優勝など。11年世界選手権銀メダル、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルを獲得。13年8月にプロデビューし、17年10月、WBA世界ミドル級王座を獲得し、日本人で初めて五輪金メダリストがプロ世界王者になった。家族は佳子夫人と1男1女。

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秋山準「馬場さんから受け継がれたものをDDTに」

握手ではなく、肘タッチするDDTの高木三四郎社長(左)と全日本の秋山準(DDTプロレスリング提供)

DDTプロレスリングのゲストコーチに就任した全日本プロレス秋山準(50)が9日、DDTテレビマッチに登場し、「(ジャイアント)馬場さんからぼくに受け継がれたものをDDTにすべて教えたい」とあいさつした。

きっかけは秋山のツイートから。秋山は4月12日に「1~10までプロレスの技術を全て俺が教えたらどんなプロレスラーになるのかな…」「プロレスは正直、試合でみなさんにみせているのは6~10だと思います。それで成立するんだと思います。ですが、1~5を持っていると持ってないのはまったく違うと思います」などとツイート。それを目にしたDDTの高木三四郎社長(50)が4月中旬ごろ正式にコーチを打診した。

高木社長は「今、DDTも、プロレス界もそうなんですけど、どうしても出ていくというより、守るべき時期。であれば、うちのDDTの選手を秋山選手が培ってきた歴史と伝統、そしてプロレスの1~10を教わりたいと思った」と依頼の理由を説明。秋山は米国を拠点とする世界最大のプロレス団体WWEにゲストコーチとして招かれていたが、新型コロナウイルス観戦拡大により、渡米は延期。また、興行ができず互いの団体に時間の余裕ができたことで実現に至った。

高木社長は「こういう時期なので、渡米されていないかなと思ってダメもとでお願いしたら、引き受けていただいた。また、全日本さんの巡業のスケジュールがあり、うちも月に半分ぐらいは試合なので難しかったと思う。いまは時間に余裕がある。守りじゃないですけど、いま一度ひいて考えるのもいいかと思った。今は貪欲にプロレスを学んでいかないといけない時期。うちの選手も貪欲になってもらいたい」と所属選手の成長に期待した。

また、秋山はDDTの試合にもしばらくゲスト参戦する予定だ。気になる選手として、「以前にも当たったことあるんですけど」と、16年にタッグマッチで対戦した若きエース竹下幸之介(24)の名前を挙げた。ジャイアント馬場、四天王プロレスを体感してきた秋山はその経験を「宝」と表現。「それをこれから活躍するであろう若い選手に、DDTさんだけでなく教えたい」。機会があれば、団体問わず伝えていくとした。

高木社長は「忖度(そんたく)なく、厳しくお願いします」と秋山に手加減なしの指導を要求。2人は、感染防止のため握手ではなく、肘タッチで協力を誓った。【高場泉穂】

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リナレス、プロ初ダウン奪った一撃/木村悠氏の一撃

ホルヘ・リナレス

<ボクシング、忘れられない一撃~15>

<ボクシング、忘れられない一撃~15>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界ライトフライ級王者木村悠氏(37)の一撃は、3階級制覇したホルヘ・リナレスの「ロマチェンコ戦の右ストレート」です。現役最強と言われる相手に敗れはしたが、プロ初ダウンを奪った一撃。生で見た感動を話してくれました。(取材・構成=河合香)

▼試合VTR リナレスはWBA世界ライト級王者として、18年5月にWBO世界スーパーフェザー級王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)を迎え撃った。会場は聖地と言われる米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン。ロマチェンコのスピードあるパンチにリナレスは徐々に押され気味になったが、6回残り30秒で放った右カウンターをアゴに命中させる。プロ12戦目で初めてとなるダウンを奪った。ほぼ互角の展開となり、9回までの採点は三者三様のドロー。10回に回復したロマチェンコの細かいパンチを浴び、最後は左ボディーでついにダウン。10回2分8秒TKO負けで4度目の防衛に失敗したが、本田会長は「商品価値は高めた」と評した。ロマチェンコは世界最速での3階級制覇となった。

    ◇    ◇    ◇

あの試合は現地へ見に行った。米国での試合を見るのは初めて。一緒にずっと練習してきた仲間が、世界最強とも言われる相手に、どこまで通じるか、楽しみだった。

ともにスピードがあり、手数も多く、ロマチェンコが攻めてきても、リナレスも劣っていなかった。互角に近い劣勢ぐらいの感じ。そんな中で6回に、リナレスが右ストレートでダウンを奪った。彼らしい、すばらしいパンチだった。

その瞬間、会場が静まり返った。完全にアウェーだったのに、あの一発で雰囲気が一変した。完全に流れが変わり、9回で採点もドローとなって、ここから逆転できると思った。あの大きな舞台であと一歩、寸前まで追い込んだ。最後は負けたが、しびれた。

10回にダウンを喫したパンチは、ボクが座った席からは見えなかった。あとで見たら、左ボディーがいい角度で入っていた。リナレスは前の試合で脇腹を折っていた。治っていたが、ロマチェンコは試合後に「狙っていた」と言っていたそう。リナレスはまた折ったようで、ロマチェンコもすごかった。

リナレスの応援も兼ねての観戦だったが、行ったかいは十二分にあった。あらためてボクシングの面白さや深さを知ることができた。すでに会社を辞めて、新たな道に進み始めていた。あの試合を見たことで、ボクシングをもっともっと広めていきたいと思うようになった。

◆木村悠(きむら・ゆう)1983年(昭58)11月23日、千葉市生まれ。中2でボクシングを始め、習志野高をへて法大に進み、1年で全日本優勝。卒業後は帝拳ジムに入門し、06年10月にプロデビュー。6戦目で初黒星を機に、専門商社に入社してサラリーマンボクサーとなる。14年に日本ライトフライ級王座決定戦に判定勝ちで王座を獲得。3度防衛。15年11月に仙台市でWBC世界同級王者ペドロ・ゲバラ(メキシコ)に挑戦し、判定勝ちで王座獲得に成功した。翌年初防衛に失敗して引退。通算18勝(3KO)3敗1分。引退後は退職し、解説、執筆、講演やオンラインジム(オンラインサロン)を運営している。

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王者8人!世界の扉開けた内山の右/渡辺会長の一撃

ボクシングWBA世界スーパーフェザー級選手権 12R、王者サルガドにパンチを放つ内山高志(右)(2010年1月11日撮影)

<ボクシング、忘れられない一撃~11>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。世界王者を男女で8人育てたワタナベジム渡辺均会長(70)の一撃は、内山高志氏の「サルガド戦の右ストレート」です。ジムに初めて世界王座をもたらした愛弟子の一撃は、今もジム経営の原動力になっています。(取材・構成=河合香)

▼試合VTR 内山は10年1月11日に14戦目で、WBA世界スーパーフェザー級王者フアン・カルロス・サルガド(メキシコ)に世界初挑戦した。初回からジャブで先手をとり、積極的に攻めてリードした。3回には反撃に鼻血も出すが、前に出続けてポイントも大きくリードした。最終12回も守りに入らずに攻めた。残り1分を切って、ロープに追い詰めて右ストレート。1発目は左側頭部をかすり、2発目をアゴに打ち込むとダウン。カウント8で立ち上がったが、さらに右を2発でロープへ飛ばすと、レフェリーがストップした。12回2分48秒TKOで、ジムにとって6度目の世界挑戦で悲願達成となった。内山はその後に11度防衛し、KOダイナマイトのニックネーム通りに世界戦では12試合中10試合でKOを決めた。

    ◇    ◇

忘れられないパンチはいくつもあるが、やっぱり内山の右ストレートが一番。何しろジムから初めて世界をとり、ここまで45年もジムを続けられ、今あるのも内山のおかげ。あのパンチがなければ、すべてはなかったとも言えるから。

入門前は全日本王者とはいえライト級だけに、世界はどうかなと思っていた。入門して初めてミットを受けると、ガツンと来た。重みがそれまでとは格が違った。ゲームセンターのパンチングマシンで、700キロを出して壊したのもうなずけた。世界もいけるというより、これは世界王者にしないといけないと思った。

世界が見えてきたころは、WBAはホルヘ・リナレス(帝拳)が王者。日本人とはやらないというので、チャンスは難しいと思っていた。それがサルガドに負けたことでチャンスが来た。

最終12回のインターバルで、内山に「倒してこい」と言った。もしかしたら採点は競っているかもしれない。相手は11回に弱っていた。でも、最終回だけに息を吹き返すかもしれない。3つの考えがあって、KOを狙わせた。

指示通りに内山は連打で攻めまくり、ほとんど右を決めて倒した。内山まで5度の世界挑戦は失敗し、ミスマッチと不評を買ったことも多かった。感激で初めて涙が出てきたのは忘れられない。

今は気はめいるし、これからが心配で仕方ない。世界王者も8人できたし、日本プロボクシング協会長もやらせてもらったし、年もあるし。もうやめてもいいかと思うことさえある。

ジムを開く時の目標はヨネクラジムだった。世界王者の数はあと1人で並べる。内山が世界をとった時には大学を卒業した気分と言ったが、選手のためにまだまだジムは卒業できない。もうひと踏ん張りして、あの内山のような選手を育てたい。

◆渡辺均(わたなべ・ひとし)1950年(昭25)1月5日、栃木県今市市(現日光市)生まれ。現宇都宮ジムでボクシングを始め、その時からジム経営を目標にしていた。宇都宮工卒業後は国鉄に勤務しながら、5度目の挑戦でプロテストに合格し、69年にプロデビュー。通算7勝6敗で最高ランクは日本ミドル級3位。75年に地元で念願の今市ジムを開設し、東京転勤を機に、80年には五反田に移転してワタナベジムに改称した。82年には退職してジム経営に専念し、朝8時から夜10時までの営業などで、98年には会員が800人にまで増えた。内山を皮切りに男子は内山、河野、田口、京口の4人、女子も国内公認第1号の富樫ら4人の世界王者を育てた。

12回TKOで勝利し、チャンピオンベルトを巻いて渡辺均会長(右)と喜ぶ王者を奪取した内山高志(2010年1月11日撮影)

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ファイティング原田の左ジャブ/ガッツ石松氏の一撃

65年5月18日、WBA世界バンタム級タイトルマッチ、「黄金のバンタム」の異名を持つ王者エデル・ジョフレ(右)に左アッパーを放つ挑戦者のファイティング原田

<ボクシング、忘れられない一撃~8>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトして語ります。1974年(昭49)4月にアジア人として初めてライト級を制した元WBC世界ライト級王者のガッツ石松さん(70=ヨネクラ)の忘れられない一撃は「ファイティング原田のエデル・ジョフレ戦の左ジャブ」です。

▼試合VTR 1965年(昭40)5月18日、世界バンタム級王者ジョフレ(ブラジル)の9度目の防衛戦に、元世界フライ級王者の原田が挑んだ。王者は50戦無敗、17連続KO中で『黄金のバンタム』の異名を取った怪物。下馬評は圧倒的に不利だったが、原田は初回からラッシュしてペースをつかむと、4回には右アッパーで王者をダウン寸前に追い込んだ。5回に右強打を浴びて窮地に陥ったものの、6回から再びラッシュ。最終15回まで間断なく打ち続け、2-1の判定で2階級制覇を達成した。翌66年5月31日の再戦でも開始からの猛ラッシュで判定勝ち、2度目の防衛に成功した。

◇    ◇    ◇

原田さんのラッシュ、ラッシュ、ラッシュの連続だった。でも、やみくもに打っていたわけじゃない。実はとても理にかなったボクシングをしていたの。攻撃は必ず左ジャブから。それを2、3回と続けて打って、相手との距離を詰めてから右、また左。そのリズムでラッシュをくり返していた。よく『左は世界を制す』と言われるけど、その通りだと思ったよ。

しかも単に前に出てラッシュするだけじゃない。ジョフレが打ち気に出たところで、うまく間を取って体を振るウィービングで反撃をかわす。そして、また左ジャブから攻める。あの一連の動き、リズムはすごく参考になったね。だから自分も原田さんの動きを頭に思い描きながらジムで必死に練習したよ。あの戦法をまねすることで、ライト級のガッツ石松のスタイルをつくりあげたんだ。

ただオレはウィービングが苦手だった。だから足を使って相手の距離に入らないようにしたの。フットワークで自分の距離を保って、左右に動いて、攻撃は左から打っていく。この足の動きは当時の世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)をまねしたもの。そのアリも攻撃は左ジャブから。原田さんと同じだった。オレの最大の武器『幻の右』も、アリのパンチを研究して自分のものにしたの。

オレが世界ライト級王者になった頃の試合は、原田さんとアリのボクシングをミックスしたスタイルで戦っていた。フットワークだけだと凡戦になってつまらないけど、自分は足を使いながら、左ジャブを突いて、ラッシュもする。そして最後は幻の右。だから見ている人も面白かったんじゃないかなあ。

原田さんがジョフレと戦った当時、まだ世界タイトルマッチは珍しかった。だから日本人がどうやって外国人と戦うのか、もう興味津々で真剣に見ていたよ。ボクシングも野球も競技に関係なく、プロもアマも、選手には必ず師となる人がいて、その人を自分に見立てながら練習を重ねて成長していく。自分にとってはそれが原田さんであり、アリだった。偉大な2人のチャンピオンの長所を取り入れた。だからアジアで初めてライト級の世界チャンピオンになって、5度防衛できたんだろうね。

◆ガッツ石松(がっつ・いしまつ)本名・鈴木有二。1949年(昭24)6月5日、栃木県粟野町(現鹿沼市)生まれ。66年、ヨネクラジムに入門しプロデビュー。68年に全日本ライト級新人王。72年に東洋ライト級王座を獲得して2回防衛後返上。74年4月に、WBC世界ライト級王座を獲得して5回防衛。通算51戦31勝(17KO)14敗6分け。172センチの右ボクサーファイターだった。78年の引退後は俳優に転身。個性的な演技派として「北の国から」「おんな太閤記」「おしん」など人気テレビドラマや映画に多数出演している。映画監督、タレントとしても活躍。血液型O。

ガッツ石松氏(2012年2月17日撮影)

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新人ボクサーの今「みんな同じと思うと踏ん張れる」

自宅近くで練習するプロボクサーの前田(本人提供)

新型コロナウイルス感染の収束が見えないまま、5月を迎えた。ボクシングは6月いっぱいまで興行の中止が決まり、ジムは休業中。出口が見えない闘いの中でボクサーはどうしているのか。4月に電話で取材した昨年度の全日本フェザー級新人王・前田稔輝(じんき、23=グリーンツダ)に改めて“今”を聞いた。(取材・構成=実藤健一)

-現状は

前田 自分の練習状況に関しては変わりなしです。人があまりいない時間に走って、公園で基礎トレーニングして。夕方にトレーナーの父(忠孝さん=44)を相手にミット打ちしてます。(グリーンツダ)ジムも完全休館となり、通っていた選手も通えない。周りもすべて自粛しているのが変化といえば変化です。

-メンタル的に厳しいか

前田 本音で言うと試合をしたい気持ちは強い。でも(状況は)みんな同じ。それを思うと踏ん張れるかな。試合の動画を見たりしていると、もどかしい気持ちになるけど、その日に向けてエナジーをためるという考えに切り替えてます。

-その思いを共有?

前田 (本石)会長とは連絡を取り合ってます。「どんな感じで練習している?」とか。励ましてくれるんで、気持ちは折れずにいられます。

-プライベートも自粛

前田 感染防止が第一。必要以外には出ないようにしてます。彼女はいますが、(在住が)ちょっと距離あるんで会えません。彼女は会社員で、今は在宅勤務。近況を報告したりして、励まし合っています。

-やはり感染が怖い

前田 万が一、(彼女との)どちらかがかかっても周りに迷惑をかける。自分だけは大丈夫だろうではなく、今はひとごとでなく怖い。最近、愛知県の(ボクシング)ジムで感染者があったので、これが自分のジムだと想像したらより怖くなった。自分だけは大丈夫とは絶対に言えない。

-今後は

前田 (緊急事態宣言期限の)ゴールデンウイーク明けにはジムワーク再開も思っていましたが、情勢を見ながら。何より感染は避けないといけない。苦しいけど頑張ります。

◆前田稔輝(まえだ・じんき)1996年(平8)9月25日、大阪府守口市生まれ。大商大堺から大商大へ。大商大2年時に日本拳法で日本一となる。プロの格闘家を目指して18年11月にグリーンツダジムに入り、19年4月のデビュー戦で1回TKO勝ち。同年の全日本フェザー級新人王を獲得。戦績は4勝(2KO)無敗。身長174センチの左ボクサーファイター。

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元W-1芦野、児玉が全日本に初参戦しタッグ戦勝利

全日マットに初参戦し、タッグ戦で勝利した元W-1の児玉裕輔(左)と芦野祥太郎(全日本プロレス提供)

<全日本プロレス:テレビマッチ>◇30日◇会場非公開

今年4月に活動休止したW-1の芦野祥太郎(30)と児玉裕輔(33)が全日本に初参戦し、勝利をおさめた。

2人はタッグ戦で、全日本の大森北斗(24)、大森隆男(50)組と対戦。2人は果敢に向かってくる若手の大森北を軽くあしらい、最後は芦野がジャーマンを決めた後にアンクルロックでしめ上げ、そのまま大森北にタップさせた。

試合後、マイクを持った芦野は「全日本に参戦する理由は1つ。でかくて、強くて、バケモノみたいなプロレスラーと試合したいんだよ。大森北斗くん、あんなまだ毛も生えそろってないようなちびっこじゃもの足んないな。でかくて、いきのいいやつはいねえのかよ」と挑発。

すると、解説席に座っていたジェイク・リー(31)がたまらず立ち上がり、リングへ。ジェイクが「やってやるよ」と挑戦を受けて立つと、芦野は「次の試合、ジェイクと組め」と全日本に要求した。

試合後、全日本は5月5日のテレビマッチのカードを発表し、芦野は「X」と組み、ジェイク・リー、岩本煌史組との対戦することが決まった。また、児玉は全日本の岡田佑介とシングルで戦う。

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全日本5月6大会中止 4・30TV戦カードも決定

全日本プロレス・諏訪魔(2020年3月23日撮影)

全日本プロレスは27日、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、5月16日から同30日までの6大会を中止すると発表した。

また、30日に全日本TV、サムライTVで放送するテレビマッチのカードも決定。メインはアジアタッグ選手権で、王者の“ヤンキー二丁拳銃”こと宮本裕向(37)、木高イサミ(38)組にフランシスコ・アキラ(21)、宮原健斗(31)組が挑戦する。コロナ感染で苦しむ故郷イタリアに吉報を届けたいと望むアキラと、前三冠ヘビー級王者で再起のきっかけを探す宮原が異色タッグでベルトを狙う。

また、元W-1の芦野祥太郎(30)がタッグ戦で初参戦。未発表のパートナー「X」と組み、大森隆男(50)、大森北斗(24)組と対戦する。

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練習環境も職も失い…ある新人ボクサーの苦悩と支え

前田稔輝(2019年12月22日)

新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言発令から1週間以上が過ぎた。スポーツイベントは再開の見通しすらたたない。回避すべき「3密」の最も影響を受けるひとつがボクシング。何とか普通に生活できる世界王者レベルのひと握りの選手ではなく、普通の選手はどうなのか。昨年度の全日本フェザー級新人王・前田稔輝(じんき、23=グリーンツダ)に聞いた。

-ジムのある大阪の現状は

前田 厳しいです。(ジムは最大5人制限で練習開放も)自分は(緊急事態宣言発令の7日から)ジムワークは自粛してます。実家暮らしなんで、万が一かかったら、家族に迷惑をかける。ただ、ジムワークできないのが一番、歯がゆい。走ったり、公園でシャドーか、簡単な筋トレしかできないんで。

-生活は

前田 飲食業でアルバイトしてましたが、先月(3月)末で休業。今は無職ですが、応援してもらっている後援者のみなさんに支えてもらっています。自分は実家暮らしなんで。1人暮らしで、アルバイトに生活費を頼る選手に比べたら、助かっていると思います。

-精神的にも苦しい

前田 自分だけじゃなくて、みんなが同じ状況。自分1人がケガで練習できないとなれば別ですが、みんなが同じ条件。そう思って練習しています。

◇  ◇  ◇

大商大2年時に日本拳法で日本一となった。武道で培った精神も、今の状況に生きているという。

前田 (日本拳法時代も)決して満足のいく環境ではなかったので、今の1人でのトレーニングも苦にはならない。いつでも試合ができるように準備をしています。

4月12日に予定していた試合が延期となった。振り替え日程も白紙。所属するジムの本石会長は、年内いっぱい再開はできない最悪のシナリオを想定しているという。

前田 SNSで自分たちよりも厳しい東京の選手のメッセージも見ます。みんなが苦しい。この苦しさを乗り越えた者が、いい結果をつかめると思ってます。

現状を冷静に見つめ、耐えながらボクサーも日常の回復を待っている。

【取材・構成=実藤健一】

○…ボクシングの選手だけでなく、ジムも新型コロナウイルスと戦う。前田が所属するグリーンツダジムでは、同時に5人を超えないよう調整した上で選手にジムを開放。除菌に効果がある超音波式加湿器を入れるなど感染防止に努力。同ジムの本石会長は「まず選手、スタッフを守らないといけない」。長期戦を覚悟する中で、スタッフへの給料支払いが滞らないよう対策を講じているという。長引くほど厳しくなるだけに各ジムが苦境打破に取り組む。

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国内のプロレス各団体、試合の中止延期など発表

国内のプロレス各団体は新型コロナウイルス感染拡大による国の緊急事態宣言を受け、8日までに試合の中止、延期などをそれぞれ発表した。

新日本プロレスは8日、新たに4月19日から5月3、4日のビッグマッチ「レスリングどんたく」(福岡国際センター)を含む12大会の中止を発表。また「今後の状況と安全面を慎重に考慮しつつ、無観客試合の実施について検討を行ってまいります」とし、無観客試合の可能性を示した。

全日本プロレスは8日、新たに4月30日、5月4、5日3大会中止を発表。既に5月8日から10日までの沖縄大会の中止も決まっている。全日本はこの状況を受け、6日に無観客試合を実施。動画サービス「全日本TV」で配信した。

ノアは7日、4月25、29日5月9日の3大会中止を発表。予定していたタッグリーグ戦「グローバルタッグリーグ」はTVマッチとして、同じ親会社サイバーエージェント下で協力関係にあるDDTの動画サービスDDTユニバースで配信している。

DDTグループ(DDT、東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスなど)は7日、4月25日から7月5日までの27大会の中止を発表。同団体は自社の動画サービスDDTユニバースで無観客試合などを積極的に配信している。

大日本プロレスは7日、4月16日から5月5日までの10大会について、中止と延期を発表した。同団体は感染防止に努めながら5日の北海道・旭川大会まで興行を続けていた。

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森武蔵 ファイトマネーで故郷熊本にマスク寄贈

森武蔵

ボクシングのWBOアジアパシフィックフェザー級王者森武蔵(20=薬師寺)が6日、故郷(熊本県菊池市出身)の熊本県庁を訪れ、マスク3000枚を寄贈した。

4月18日に熊本で防衛戦が予定されていた森は、3月に地元で合宿中に新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、「何か力になれないか」。元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長や後援会の会長に相談し、自身のファイトマネーで寄贈を決めた。4月の試合は延期。「今はボクシング一本でやらせてもらっている。ファイトマネーが入らないのは正直厳しいが、何かの役に立ちたかった」と話す。

自身も苦しい思いをしてきたからこそ、人のためになりたいと思う。13歳の時、ロードワーク中に後ろから車に追突された。腰と両足骨折の重傷。半年間、入退院を繰り返した。医者からは通常の生活はできても、ボクシングは無理と通告された。再起不能の宣告だったが、森は「自分の心は折れなかった」。必死の努力で全国U-15ジュニアボクシング大会で優勝した。

そんな姿勢が元世界王者の薬師寺会長の目に留まった。母は高校進学を願ったが、森は「プロ以外に興味ない」と薬師寺会長の名古屋行きを即断した。中学の卒業式に薬師寺会長が迎えにきたという。その後に大阪で世界ランカーとのスパーリングでボコボコにされた。「やり返したる」。逆に闘争心がわいた。

サウスポーのファイターで、プロでは全日本スーパーフェザー級新人王を獲得するなど11戦全勝(6KO)。現在、WBO世界フェザー級5位で、世界挑戦も期待される。「自分は若く、まだまだ成長期。力を備えて挑みたい」。与えられた困難を乗り越え、世界のベルトを目指す。

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プロボクシング興行の中止、延期を5・15まで延長

再度の中止延長を発表するプロボクシングの新型コロナウイルス対策連絡協議会メンバー

プロボクシング興行の中止、延期が、無観客を含めて5月15日まで延長された。日本プロボクシング協会と日本ボクシングコミッションによる、新型コロナウイルス対策連絡協議会を30日に都内で開いて決定した。これまで2月26日に3月末まで、5日には4月15日までに続き、3度目の期間延長となった。

23日の協議会では5月2日の興行から再開する方針だった。政府の指針や専門家の意見を参考に、ゴールデンウイーク明けまでは様子を見ることになった。

4月には5日に東京、26日に大阪で各新人王予選を無観客開催予定だった。選手間や試合役員の感染を危惧する声もあるため延期とした。新人王については歴史ある大会の火を消さないため、全日本決勝を来年3月までに伸ばしても開催を目指していく。

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5冠諏訪魔の野望「どーんとハマスタでやりたい」

3冠ヘビー級7度目の戴冠を果たした諏訪魔(2020年3月23日撮影)

全日本プロレスの23日の後楽園大会で3冠ヘビー級王者に2年5カ月ぶり7度目の返り咲きを果たした諏訪魔(43)が24日、横浜市内の全日本プロレス道場で一夜明け会見を行った。

前日に前王者宮原健斗(31)と30分超戦った諏訪魔は「夜も全然眠れなかったし、少し寝て起きても体が痛かった。大仕事をしたという感じ」と勝利の価値を実感。「これから全日本の象徴としてやっていかなきゃいけない。責任感が出てきた」と気を引き締めた。

3冠王者として「どんどんスキャンダラスにいく」。まず掲げたのが横浜スタジアムでの興行だ。「このご時世だから、これからどんどん屋外でプロレスやるのもいい。横浜スタジアムでやりてぇなんて思うよね」。諏訪魔は過去に自ら企画して寺や自動車教習所など、さまざまな場所で野外プロレスを行ってきたが、スタジアム級規模での経験は無し。今年から副社長となった五十嵐聡氏は元プロ野球DeNAの企画、演出の担当者。太いパイプがあるため、実現も夢ではない。

「(3月29日に)小田原城でやる予定だったが、それもコロナの影響で中止になってしまった。だからこそ、どーんとハマスタでやりたいよね」。188センチ、120キロの巨体、世界タッグと合わせた5冠保持者にふさわしいビッグな興行を目指す。

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諏訪魔が宮原健斗下し5冠「マスク越しの声援貴重」

3冠ヘビー級7度目の戴冠を果たした諏訪魔(撮影・高場泉穂)

<全日本:後楽園大会>◇23日◇東京・後楽園ホール

全日本プロレスの後楽園大会で3冠ヘビー級選手権が行われ、挑戦者諏訪魔(43)が王者宮原健斗(30)の史上最多11度目の防衛を阻止し、新王者となった。

体力を削り合う30分超の戦いの末、ドロップキックから岩石落とし固めに持ち込み勝利。自身が持つ最多戴冠記録を7に伸ばし、会場に集まった1213人を熱狂させた。これで既に保持している世界タッグのベルトと合わせ5冠を達成。マスク姿の観客とともに「全盛期だ、オイ!」の大合唱で締めた。

新型コロナウイルスの影響により、約1カ月ぶりの興行再開。観客にマスク着用や手指消毒を求めるほか、非常口を開けた換気をし、紙テープを投げる応援を禁じるなど通常とは違う雰囲気の中で行われた。諏訪魔は「(客は)マスクで声は出にくくなる。それでもプロレスを見たいと思うファンの期待に応えるしかない」。さらに「マスク越しの声援で貴重なこと。でも気持ちは今日が1番最高だったんじゃないかな」と特殊な状況で強敵宮原に勝った喜びをかみしめた。

3冠ヘビー級7度目の戴冠を果たし、「全盛期だ、オイ!」のかけ声で締めた諏訪魔(撮影・高場泉穂)

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五輪入江聖奈「とっとこハム太郎」に周囲は…/略歴

<ボクシング:東京五輪アジア・オセアニア予選>◇9日◇ヨルダン・アンマン◇男女8階級

女子フェザー級準々決勝で入江聖奈(19=日体大)が昨年の世界選手権優勝のネスティー・ペテシオ(フィリピン)を4-1の判定で破り、東京オリンピック(五輪)出場を決めた。今大会で出場枠を獲得した選手が内定とする日本連盟の内規を満たした。

お笑いコンビ南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代の挑戦で注目された12年ロンドン大会から採用され、3大会目。五輪のボクシング女子で日本勢初出場を決めた。

   ◇   ◇   ◇

☆入江聖奈(いりえ・せな)☆

◆生まれ 2000年(平12)10月9日、鳥取県。

◆戦績 中学生以下による全日本アンダージュニア大会を第1回(14、15年)から連覇。鳥取・米子西高では3年で全日本選手権優勝。通算では「50戦42勝8敗くらい」。

◆憧れ 「がんばれ元気」も世代ではないが、いま動画を見るボクサーも古い。タイソン、レナード、メイウェザーがお気に入り。日本人ではロンドン五輪銅の清水聡がイチ押し。

◆大学生 日体大では柔道で東京五輪代表の阿部詩と同級生。兄の一二三とは授業が同じこともあるそうで、「オーラ発している。一発で強いと分かる」とか。

◆ムードメーカー 明るい性格で日本代表の中でも笑顔が絶えない。練習曲に「とっとこハム太郎」のテーマ曲を選んで、「みんな気に入ってます」と主張も、周りは「いやいやです」と苦笑い。

◆身長 164センチ。

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