上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

橋本大地ヘビー級王座挑戦権を獲得 盟友の神谷破る

ストロングヘビー級王者次期挑戦者決定戦に勝った橋本は、王者鈴木から挑発される

<大日本:後楽園大会>◇21日◇後楽園ホール◇観衆891人


 ストロングヘビー級王座次期挑戦者決定戦は、橋本大地(25)が神谷英慶(25)を破り、挑戦権を獲得した。12月17日の横浜文化体育館大会で王者鈴木秀樹に挑戦する。

 橋本と神谷はタッグチーム「大神」で大日本の最侠タッグリーグ優勝。さらに全日本の最強タッグ出場も決めた盟友だ。その2人が20分を超す激闘を展開。橋本のキックと、神谷のチョップ、頭突き攻撃は、互いの意地がぶつかり壮絶な打撃戦となった。20分を過ぎて、神谷のラリアットからの攻撃に、橋本が浴びせ蹴りで応酬。右ヒザ蹴り、さらにスイングDDTとたたみかけ、最後は、橋本は初めて使った高角度の垂直落下式DDTを決め勝利した。

 試合後、王者鈴木に「今の試合でお客さんの支持は得られたのか?」と挑発されたが「今日は神谷とオレらにしかできないやり方で決着をつけた。それでいいでしょう」と応酬。「今は、神谷との勝負で頭がいっぱい。鈴木のことは、これから考えます」と話していた。

関連するニュースを読む

75歳グレート小鹿が勝利、赤ちゃん粉ミルク効いた

今年23試合目の6人タッグで見事勝利を収めた75歳のグレート小鹿(左から2人目)。左は宮本、右は関根。

<大日本:後楽園大会>◇21日◇東京・後楽園ホール


 75歳のグレート小鹿が今季23試合目の6人タッグ戦で、自ら勝利を収めた。

 小鹿は、宮本裕向、関根龍一と組んで伊東竜二、バラモンシュウ、バラモンケイ組と対戦。バラモン兄弟の反則攻撃に何度もやられながら、宮本、関根の援護を受けて反撃。最後は一瞬の隙をつき、バラモンケイを横回転エビ固め、ラ・マヒストラルで丸め込んだ。

 今年の目標は25試合出場という小鹿は「目標は、何とか達成できそう。若いモンに引っ張り回されているが、負けて悔しい気持ちがあるうちはまだまだ大丈夫。来年はどこかのベルトでも狙うか」と全日本のアジアタッグ王座挑戦を口にした。

 75歳という年齢ながら、リング上ではファンの歓声を浴びるほど元気だ。その元気の源を小鹿は「赤ちゃん用の粉ミルクを毎朝カップに1杯飲んでいること。それにオリーブオイル」と話す。

 「人間は20歳を過ぎたら、体の中の細胞が少しずつ死んでいく。赤ちゃんの粉ミルクは、体の細胞をつくる手助けをする成分が入っているというので、少しでも細胞を助けるために飲んでいる。飲み始めてから、肌がすべすべでケガも少なくなった」と話す。

 小鹿が赤ちゃんの粉ミルクを健康法として飲んでいることが広まり、最近大人の粉ミルクが販売されているという話もあるほどだ。「ボクは大人の粉ミルクより、赤ちゃん用の9カ月から3歳用の方が自分には合っていると思うけど」と小鹿は苦笑した。

関連するニュースを読む

小浦翼、最強挑戦者とV1戦も「通過点」と自信

前日計量を終え並び立つ小浦(左)と谷口


 東洋太平洋ミニマム級タイトルマッチ(11月11日、後楽園ホール)の前日計量が10日に水道橋・MLBカフェで公開で行われ、初防衛戦の王者小浦翼(23=E&Jカシアス)、挑戦者の同級1位谷口将隆(23=ワタナベ)ともにパスした。

 14年全日本新人王の小浦は、極真空手歴10年のキャリアを生かして、順調に階段を上がってきた。7月の王座決定戦に勝利してプロ11戦目で初タイトルを手にし、最強挑戦者を迎えるV1戦になる。「うまいボクシングをする」と谷口の実力を認めながら、「やりやすいし、かみ合うと思う。ここは通過点。しっかりクリアして、自分の成長につなげたい」と自信をのぞかせた。

 大卒2年目の谷口は4月の日本ミニマム級王座決定戦で僅差判定負けし、プロ7戦目で初黒星を喫した。その後にフィリピンでの試合も含めて2連勝し、再びタイトルに挑む。再び巡ってきたチャンスに「明日の主役は僕です。きっちり勝つ」と宣言。「小浦はうまくて強いが、僕のほうが強い。冷静に戦いたい」と述べた。

関連するニュースを読む

丸山敦、竹田誠志組が全日本ジュニアタッグ初優勝

全日本のジュニアタッグバトル・オブ・グローリーで初優勝した竹田誠志(左)と丸山敦

<全日本:後楽園大会>◇9日◇後楽園ホール◇観衆1241人


 ジュニアタッグリーグ戦「Jr・TAG BATTLE OF GLORY」の最終日で、丸山敦、竹田誠志組が、4連覇をねらう青木篤志、佐藤光留組を破って、3勝1敗の勝ち点6で初優勝を飾った。

 試合前までに勝ち点4で4チームが並ぶ大混戦。丸山組は、佐藤の関節技に丸山がつかまるなど再三のピンチをしのぎきった。最後は、丸山が右のハイキックからタイガープレックスホールドで佐藤を仕留め勝利した。

 大日本プロレスでBJW認定デスマッチヘビー級王者でもある竹田は「今までのリーグ戦を通して今日が一番価値があるでしょう。オレらにとって大きな1勝。丸山と2人で世界ジュニアタッグ王座を目指します」と語った。丸山は「これで優勝したけど、満足せずにアジアタッグ王座戦でも青柳、野村組に勝ちます」と力強く宣言した。

全日本のジュニアタッグバトル・オブ・グローリーで初優勝した竹田誠志(左)と丸山敦

関連するニュースを読む

王者ジョー・ドーリング、全日本3冠初防衛に成功

3冠ヘビー級王座初防衛に成功した王者ジョー・ドーリングは、勝利者インタビューで興奮気味にまくしたてる(撮影・桝田朗)

<全日本:後楽園大会>◇9日◇後楽園ホール◇観衆1241人


 3冠ヘビー級王者ジョー・ドーリング(35)が、新日本プロレスのヨシタツの挑戦を退け、初防衛に成功した。

 体格、パワーに勝るドーリングは、序盤からヨシタツを圧倒した。場外戦からリングに戻ると、ランニングエルボー、ボディースラム、逆エビ固めとヨシタツを攻め立てた。ヨシタツのドラゴンスクリュー、足四の字固めで苦悶の表情を見せるも、ボディープレス、パンチ、ひじうちとペースを引き戻す。最後は、相手の隙を突いてのダイビングボディーアタックで動きを止め、レボリューションボムでとどめを刺した。

 WWEでも活躍したヨシタツに、わずか11分49秒で勝利したドーリングは「初めての3冠戦のときより、感触は良くなっている。オレは日本で戦う外国人の中でNO・1だ。誰でもかかってこい」とご機嫌だった。

関連するニュースを読む

橋本大地、神谷英慶組が全日最強タッグリーグ出場へ

大日本プロレス代表として全日本の最強タッグリーグ戦出場を決めた橋本大地(左)と神谷英慶

<全日本:後楽園大会>◇9日◇後楽園ホール◇観衆1241人


 世界最強タッグ決定リーグ戦出場をかけた大日本代表決定戦は、橋本大地(25)神谷英慶(25)組が、関本大介、野村卓矢組を破り、リーグ出場を決めた。

 大日本では実力NO・1の先輩、関本のパワーに序盤は圧倒された。しかし、大日本での最侠タッグリーグで優勝した勢いで、橋本組は徐々にリズムを取り戻す。互いの意地をかけた激戦となったが、最後は、橋本が強烈なヒザ蹴り、回し蹴りからファルコンアローを野村に決め、13分21秒、勝利をつかんだ。

 橋本は「全日本のリングで大日本の試合ができてうれしかった。大日本を背負って1つ1つ勝って優勝をねらいたい」と決意を話した。神谷は「関本、野村の思いは伝わった。全日本のマットで大日本魂を見せたい」と意気込んだ。

関連するニュースを読む

橋本大地父譲りハイキック魅せた、全日本タッグ弾み

9日の全日本後楽園大会で最強タッグリーグ大日本代表決定戦に出場する橋本(左)神谷組は、大日本新木場大会の前哨戦で勝利

<大日本:新木場大会>◇8日◇新木場1st Ring


 橋本大地(25)神谷英慶(25)組がタッグ戦に勝利し、9日に行われる全日本プロレスでの最強タッグリーグ大日本代表決定戦に弾みをつけた。

 橋本組は第4試合で宇藤純久、菊田一美組と対戦。序盤から相手につかまり集中攻撃を受けた橋本だったが、神谷の援護もあって徐々に盛り返す。最後も厳しい攻撃を受けたが、父の故橋本真也さん譲りのハイキックからファルコンアローを決め勝利を収めた。

 橋本は9日の全日本後楽園大会で対戦する関本大介、野村卓矢組に対し「ここまで来たら、エントリーをかけた戦いを勝ち取って、全日本の最強タッグに出場して優勝したい」と話した。

 橋本はゼロワンから11年3月にプロレスデビューしたが、結果を残せずIGFに移籍。さらに16年1月に大日本に移籍した。橋本は神谷と組んで10月の最侠タッグリーグに優勝。「ここまで最侠タッグぐらいしか結果を残せていないので、全日本の最強タッグリーグで結果を残したい。大日本の代表として優勝を狙いにいく」と重ねて強い決意を示した。

 一方、関本は第5試合のタッグ戦で敗れたが「今日は負けても明日は勝つ。雨の日もあれば、晴れの日もある」と気持ちを切り替えていた。

関連するニュースを読む

ジロリアンが敢闘賞 減量中はラーメン二郎ガマン

ダウンを奪うスーパーフェザー級のジロリアン陸(撮影・横山健太)

<ボクシング東日本新人王決定戦:スーパーフェザー級決勝>◇3日◇東京・後楽園ホール


 スーパーフェザー級のジロリアン(フラッシュ赤羽)が敢闘賞を獲得した。12人の勝者は12月23日に西軍代表と全日本新人王を争う。

 ◆敢闘賞のジロリアンのコメント KOにこだわったが、最後はなんか当たったが覚えてない。減量中はラーメン二郎に行きたくて頭が変になった。本店に認められるよう頑張りたい。

関連するニュースを読む

飯見嵐「全日本も取る」東日本新人王決定戦MVP

MVPの賞状を手に笑顔を見せる飯見嵐(中央)。左は技能賞薮崎賢人、右は敢闘賞のジロリアン陸(撮影・横山健太)

<ボクシング東日本新人王決定戦:スーパーバンタム級決勝>◇3日◇東京・後楽園ホール


 スーパーバンタム級飯見嵐(21=ワタナベ)が、1回TKO勝ちでMVPを獲得した。1月に愛知・岡崎市から上京し、ジムの先輩の世界王者京口を手本に4戦全勝オールKOを飾った。12人の勝者は12月23日に西軍代表と全日本新人王を争う。

 飯見が名前の嵐のようにゴングと同時に攻め立て、右のオーバーハンドで仕留めた。「パンチも作戦も練習通り。2回までは譲らずにいこうと。根性と気合」と、7勝(6KO)の相手に宣言通り初黒星をつけた。16歳まで地元ジムに通った。1度辞めて復帰したが「やるなら東京に出よう」と1月にワタナベジムを見学。内山と京口の練習に衝撃を受けて、寮もあるため入門した。京口も弟子を「鳥肌が立った」と絶賛。「名前負けしないよう全日本もとる」と誓った。

関連するニュースを読む

豊田真奈美、伝説51戦引退試合/全対戦相手と結果

豊田真奈美(右)と対戦した藤本つかさ

<豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~>◇3日◇横浜大さん橋ホール


 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)が、引退試合で前代未聞の51試合を敢行した。

 デビュー30周年記念興行で第1試合からリングに立ち続け、約4時間で49組54人を相手。最後は愛弟子藤本つかさと3試合を行い、現役生活に別れを告げた。華麗な空中戦から「飛翔天女」と呼ばれ、90年代の全日本女子を中心にプロレス界を引っ張った。

<全対戦相手と結果>

(1)正危軍(尾崎魔弓ら)×

(2)テキーラ沙弥○

(3)らぶりーぶっちゃーず×

(4)里村明衣子△

(5)さくらえみ○

(6)山下りな△

(7)倉垣翼△

(8)AKINO△

(9)世羅りさ△

(10)ドレイク森松△

(11)チェリー△

(12)希月あおい△

(13)宮崎有紀△

(14)ボリショイキッド×

(15)豊田真奈美&豊田真奈美△

(16)米山香織○

(17)加藤園子△

(18)Leon△

(19)山県優△

(20)朱崇花△

(21)小林香萌○

(22)志田光△

(23)松本浩代△

(24)浜田文子△

(25)永島千佳世×

(26)日高郁人△

(27)パピヨン朱美△

(28)がばいじいちゃん×

(29)松山勘十郎△

(30)キッド○

(31)アントニオ小猪木△

(32)男盛○

(33)木高イサミ○

(34)伊東竜二×

(35)カルロス天野△

(36)下田美馬△

(37)山崎五紀△

(38)ブル中野○

(39)長与千種○

(40)ジャガー横田△

(41)吉田万里子△

(42)高橋奈七永×

(43)KAORU△

(44)伊藤薫×

(45)渡辺智子△

(46)井上貴子△

(47)堀田祐美子×

(48)井上京子△

(49)藤本つかさ○

(50)藤本つかさ○

(51)藤本つかさ×

※○=勝ち、△=引き分け、×=負け

正危軍と対戦する豊田真奈美(中央)
長与千種(右)と対戦した豊田真奈美
ジャガー横田(左)と対戦する豊田真奈美
井上京子(右)と対戦する豊田真奈美

関連するニュースを読む

豊田真奈美の引退試合に54人レスラー集まったワケ

引退試合後、ピンクの紙テープで覆われたリング上で左手を突き上げる豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)

<豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~>◇3日◇横浜大さん橋ホール


 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)が、引退試合で前代未聞の51試合を敢行した。デビュー30周年記念興行で第1試合からリングに立ち続け、約4時間で49組54人を相手。最後は愛弟子藤本つかさと3試合を行い、現役生活に別れを告げた。華麗な空中戦から「飛翔天女」と呼ばれ、90年代の全日本女子を中心にプロレス界を引っ張った。

 30年間のプロレス人生を燃やし尽くすように、豊田は力を振り絞った。自分を母親のように慕う藤本に、49試合目に勝利すると「まだまだ」と続行を要求。50試合目に勝ってもやめない。最後の51試合目。藤本のコーナートップからのドロップキックを4度も浴び、自分の得意技ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスで、リングに大の字にのびた。

 観衆の「豊田」コールに立ち上がると、涙声であいさつした。「本当にどこも痛くない自分の体に戻りたい。本当に申し訳なく悔しい気持ちでいっぱい。30年間プロレスやってきて本当に本当に幸せでした」。首と肩の故障が治らず、3月17日に引退発表。そのときから引退興行での50試合は決めていた。

 午後3時5分の第1試合からわずかな休憩を除き約4時間リングに立ち続けた。全日本女子プロレスで戦った仲間や後輩、男子レスラーも駆け付けた。48試合目までは制限時間1分。大日本の伊東竜二から有刺鉄線ボードにたたきつけられ、堀田祐美子の強烈なキックにKOされたが、最後までプロレスを楽しんでいるようだった。

 87年に全日本女子でデビューし、一気にトップレスラーに上り詰めた。02年7月の退団後はフリーで活躍。高難度の跳び技を駆使し「飛翔天女」と呼ばれ、その美しいプロレスでファンを喜ばせてきた。アジャ・コングや北斗晶らと激闘を繰り広げた全日本女子90年代の隆盛と、その後の女子プロの衰退。栄枯盛衰を駆け抜け、トップで輝き続けたからこそ、この日は54人ものレスラーが豊田のもとに集まった。最後に後輩の藤本に思いを託し、豊田は「きちんと痛みのない生活をしてから、第2の青春を楽しみたいです」とリングを後にした。【桝田朗】

 ◆豊田真奈美(とよた・まなみ)1971年(昭46)3月2日生まれ。島根県益田市出身。87年に全日本女子からデビュー。90年ジャパンGPに優勝し、95年にはアジャ・コングからWWWA世界シングル王座を奪取するなど、同王座を4度戴冠。02年7月に全日本女子を退団しGAEA JAPANやOZアカデミーなどで活躍した。06年20周年、12年25周年は全5試合に出場。得意技はジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス(日本海式竜巻原爆固め)。167センチ、80キロ。

神取忍(右)から花束を受け取る豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)
藤本つかさ(中央)、アジャ・コング(中央右)に蹴りを入れる豊田真奈美(左手前)

関連するニュースを読む

飯見嵐1回TKO勝利「根性と気合」でMVP獲得

MVPの賞状を手に笑顔を見せるS・バンタム級で優勝した飯見嵐(中央)。左は技能賞のフライ級で優勝した藪崎賢人、右は敢闘賞のS・フェザー級で優勝したジロリアン陸(撮影・横山健太)

<ボクシング東日本:スーパーバンタム級決勝4回戦>◇3日◇東京・後楽園ホール


 スーパーバンタム級を制した飯見嵐(21=ワタナベ)がMVPを獲得した。

 5月のデビューから3勝(3KO)で、7勝(6KO)の浜田力(21=本多)との全勝対決。

 飯見は名前の嵐のようにゴングと同時に攻め立てていった。この突進に相手はいやがってクリンチにもかまわず攻めた。2分すぎに右のオーバーハンドの打ち下ろしでダウンを奪うとレフェリーがストップ。1回2分15秒TKOで仕留めた。

 飯見は「パンチも作戦も練習通り。2回までは譲らずにいこうと思った。あとは根性と気合」と、宣言通り相手に初黒星をつけた。小6の時に叔父が通っていた地元のジムに連れて行かれ、「練習を見て、格好いいし、ケンカも強くなりたい」と通い始めた。練習生が1人のこともあり、16歳でジムを離れた。高校中退でとび職などに就いたが、18歳で再び通い始めた。

 「いまのままでいいのか」と自問自答するようになり、「常に頭にあった」というプロボクサーになることを決意した。地元では本気になれないと東京に行き、ワタナベジムを見学した。そこで新旧世界王者の内山と京口の練習に衝撃を受けて、寮もあるため1月に入門した。京口も「弟子」とかわいがり、「練習通りでよかった。鳥肌が立った」と絶賛した。飯見は「名前負けしないよう全日本もとる」と誓った。

関連するニュースを読む

ジロリアン陸が8連続KO勝利、こだわりの敢闘賞

MVPの賞状を手に笑顔を見せるS・バンタム級で優勝した飯見嵐(中央)。左は技能賞のフライ級で優勝した藪崎賢人、右は敢闘賞のS・フェザー級で優勝したジロリアン陸(撮影・横山健太)

<ボクシング東日本:新人王決勝>◇3日◇東京・後楽園ホール


 スーパーフェザー級ジロリアン陸(29=フラッシュ赤羽)が敢闘賞を受賞した。

 今井健裕(24=ワールド)に力強く的確なパンチでリード。3回に右フックでダウンを奪った。

 反撃されて左目上もカットしたが、再び左フックでダウンを奪うとレフェリーストップ。3回2分59秒TKOで、デビューで初黒星後は8連続KO勝ちとした。

 渋谷の路上で営業するマジシャン。リングイン前にはカードを吐き出して、花道に噴水のようにまき散らして喝采を浴びた。試合直前に1万5000円で買ったパフォーマンスだった。リングネームはラーメン二郎好きからで、チャリティーで買ったTシャツに、千住大橋の店長に借りたジャンパーを羽織って入場した。

 「最後はなんか当たったが覚えてない。1回で疲れてしまった。最初のダウンで休もうと思って甘かった」と苦笑いした。減量中はラーメン断ちし、「行きたくて夢に出てきた。動画や画像を見ていて、頭が変になった。夢にも計量後に食べに行ったがさすが面少なめにした」そうだ。12月の全日本も「KOにこだわっていきたい。本店に認められるよう頑張りたい」。

関連するニュースを読む

元ヨネクラジム有岡康輔が父と兄王者の内藤未来破る

東日本新人王決勝戦の優勝選手たち。前列左からミニマム級の赤羽根、Lフライ級の佐藤、フライ級の藪崎、S.フライ級の今川、バンタム級の富施、S.バンタム級の飯見。後列左からフェザー級の佐々木、S.フェザー級のジロリアン、ライト級の有岡、S.ライト級の木原、ウェルター級の重田、ミドル級の加藤(撮影・横山健太)

<ボクシング東日本新人王決勝:ライト級5回戦>◇3日◇東京・後楽園ホール


 ライト級は元ヨネクラジムの有岡康輔(23=三迫)が、父と兄が元王者の内藤未来(25=E&Jカシアス)を破った。初回は内藤にペースをつかまれていたが、2回に有岡が右と左で2度ダウンを奪った。激しい打ち合いになったが、5回に有岡が連打を浴びせるとレフェリーストップ。5戦全勝(2KO)だった相手に5回1分3秒TKO勝ちした。

 トーナメント途中の8月で、名門ヨネクラジムが閉鎖となった。父の薦めで16歳で入門したが「びっくりだった」という。横井トレーナーととも同じ名門三迫ジムに移籍して新人王獲得となった。ヨネクラジムの後輩富施はワタナベジムに移籍し、先にバンタム級を制していた。「オレも負けられない」と一層気合が入った。準決勝で右目上をカットし、決勝に向けてのスパーリングは5回しかできなかった。「内容は納得できず、めちゃ悔しい。相手も強く何度も切れかけた。全日本では勝って笑いたい」と話した。

関連するニュースを読む

内藤、有岡ら前日計量クリア 東日本新人王決勝

ライト級で対戦する内藤未来(左)と有岡康輔


 ボクシングの東日本新人王決勝が3日に東京・後楽園ホールで行われる。11階級が4、5回戦で争われ、2日の都内での前日計量では出場する22人全員がクリアした。ライト級では内藤未来(25=E&Jカシアス)と有岡康輔(23=三迫)が対戦する。

 内藤は親子で3人目の王者を目指し、デビューから5連勝(2KO)している。5年前には125キロから大減量して元日本王者の兄律樹に続いてプロ入りした。「減量の大きさなら世界ランカー」と軽口をたたいたが「新人王は通過点ではない。1歩1歩勝っていくことで兄に追いつきたい」と話した。

 有岡は名門ヨネクラジムが8月で閉鎖し、横井トレーとともに移籍2戦目となる。小学生時代に知り合いの試合を見てプロボクサーにあこがれ、16歳で父の勧めで入門した。私語禁止から和気あいあいのジムへと代わり、雰囲気はまったく違うという。「僕らが活躍することで名門の名を受け継いでいきたい。自信しかない」と勝利を確信していた。相手棄権ですでに確定したミニマム級赤羽根(宇都宮金田)ら12人の東日本新人王は、12月23日に西軍代表との全日本新人王決勝に臨む。

関連するニュースを読む

大仁田の代名詞・有刺鉄線電流爆破誕生の地はNHK

藤田和之に自らの土俵の有刺鉄線電流爆破マッチで敗れ、マットにはいつくばる大仁田厚(2017年10月9日撮影)

 <7回目、そして最後の引退…大仁田厚、告白 第2回>


 プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意した。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の東京・後楽園ホールで、31日に「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催。藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退を決めた思いを告白する。第2回のテーマは“邪道”と言われても突き詰めた、代名詞の「有刺鉄線電流爆破マッチ」。

 -◇-◇-◇-◇-◇-

 大仁田は、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負い、当時所属した全日本プロレスのジャイアント馬場さんから引退を勧告され、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。その後、就職を試みたが、学歴が中卒だったことから、幾つかの職を転々とすることを余儀なくされ、生活は厳しかった。

 生きる糧として、プロレス復帰を選び、自ら1989年(平元)にFMWを立ち上げた。同10月6日の旗揚げ戦で空手道場「誠心会館」館長の青柳政司(青柳館長=60)と対戦するなど、当初は格闘技路線だったが、壁を感じていた。その中で、思い浮かんだのがデスマッチだった。

 大仁田 どうにかこうにか足の痛みがなくなって、FMWを旗揚げした。最初は格闘技路線をやった。青柳館長らと戦って…でも、俺は空手家でもないし、道場も持っていないので限界を感じたわけです。そうしたら、FMWを設立して8、9カ月くらいで、もう1つの考え方が浮かんだ…それがデスマッチ。俺は米テネシーで有刺鉄線マッチを見ていたから、こういうものを使えばいいんだと。猪木さんと上田馬之助さんは、1978年(昭53)2月28日に日本武道館で、リング下にくぎ板を置いて日本初のネイル(くぎ)デスマッチをやった。でも有刺鉄線を利用して、もっと新しい、進化したものが出来ないかって考えた時、電流を流して、爆弾をつけられないかと思った。

 それが、大仁田のもう1つの代名詞とも言うべき「有刺鉄線電流爆破マッチ」誕生の瞬間だった。最初の実験を行ったのは…何と日本の公共放送・NHKの東京・渋谷の駐車場だった。

 大仁田 最初に爆破実験をしたのは東京・渋谷のNHKの駐車場。NHKの中に入っている、特殊効果の会社の人に「出来ますか?」って聞いたら「出来ます」って言う。それで実験した、その場で「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」と名前を付けたんです。イチかバチかの賭けですよ、いつも。

 初めてノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行ったのは、1990年8月4日。場所は汐留で、相手はターザン後藤だった。「やけどとか、すごかったです」と当時を振り返る。「明るく、楽しく、激しいプロレス」を掲げる全日本と、アントニオ猪木(74)が「ストロングスタイル」を打ち出す新日本プロレスの2強が並び立つ日本のマット界に、大仁田は「有刺鉄線電流爆破マッチ」を持ち込んだ。それまで、日本にはなかった異形のプロレスを、人々は「邪道」と呼んだ。

 大仁田 じゃあ、逆に言うけどね、全日本と新日本というものがあって、それに立ち向かうためには新しいものを築くしかなかった!! (格闘技路線の)UWFは、プロレスの否定から入ったけれど…俺は何もプロレスを否定していない。肯定から入った。プロレスはプロレス…でも、プロレスの中にもジャンルがあっていいだろうと。パンクやハードロックが、あっちゃいけないのか? と。

 後藤との戦いから27年…一部では「茶番」、「プロレスではない」などと批判も受けながらも、大仁田は「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を始めた9月以降、有刺鉄線電流爆破マッチの連戦を繰り広げている。体に有刺鉄線が刺さり、爆破で身を焦がす戦いを、引退間近までなぜ続けるのか?

 大仁田 「猪木さんと上田さんはネイルに落ちなかったけれど、大仁田は有刺鉄線の中に落ちた」って言われるよね。電流爆破は怖いよ…いつも怖い。でも、やっちゃう自分がいる。でもね、世の中…政治もそうだけど、賛否両論はあるわけじゃない? あって、いいと思うよ、俺は。嫌いなものは、見に来なきゃいいんだし、興味があれば1回、見に来いよと。

 -一部では引退ロードの中で開催するノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチにタッグ戦が多いことに「なぜシングルマッチをやらないんだ? 体力が続かないからか?」などと批判が飛んでいる。それに対して、大仁田は真っ向から批判する。

 大仁田 シングルは、田中将斗やNOZAWA論外ともやっているよ。でもハードコアは、シングルでは面白くないんだよ。試合の構成を考えるとね…いろいろな人間がリング上にいて、その組み合わせから、さまざまな面白さが出るのがハードコア。だから、タッグでやるんだよ。

 最終回は大仁田が、改めて引退の理由と未来を語る。【村上幸将】

関連するニュースを読む

大仁田厚6回引退と復帰を繰り返したのは生きるため

猫ひろしと肩を組み、声援を送るファンに手を挙げて応える大仁田厚(2017年10月7日撮影)

<7回目、そして最後の引退…大仁田厚、告白 第1回>


 プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意した。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の東京・後楽園ホールで、31日に「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催。藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退を決めた思いを告白する。第1回のテーマは、引退と復帰を6回、繰り返した理由。

 -◇-◇-◇-◇-◇-

 引退が目前に迫った夜、都内某所に現れた大仁田は両足を引きずっていた。車から降りると1度、腰を引いて体の後ろに重心を移しつつ、確かめるように両膝に手を当てた。しばし、その場に立ち尽くすと、目をつぶり、眉間にしわを寄せて頭を振った。

 大仁田 地方の大会でエルボーを食らってから、首と頭が痛いんだ。体はボロボロ…両膝も、抜けそう。3年近く前…そして1年以上前に、膝を内視鏡で洗ったんだ。体は限界に近い。

 14年5月に、両変形性膝関節症(軟骨損傷)と診断され、緊急手術を行った両ひざは、靱帯(じんたい)も損傷している。16年8月に右尺骨、同11月に左かかとを剥離骨折、同12月に腰椎を骨折し、右手には手術でチタンの板を入れた。そこを2月に爆破王選手権奪回に成功した船木誠勝戦で再び痛め、右尺骨骨幹部を骨折。7カ月で4度、骨折した。

 歩く際、時に抜けそうになるという膝は、最初の引退の引き金となった。1983年(昭58)4月のヘクター・ゲレロ戦後、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負った。付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告されて、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。にもかかわらず、1989年(平元)年にFMWを旗揚げした。馬場さんの引退勧告を受け入れて、1度は決めた引退を翻さざるを得ないほど、人生の崖っぷちに追い込まれていた。

 大仁田 (引退の原因になった)ケガは、あの頃は、今みたいにきれいなサポーターとかいろいろなものがないから、自転車のチューブを足に巻いて試合をした。痛くて…あぁ、これじゃあやっていられないなと、自分の中で限界を感じた。(全日本で引退した後)宅配便の配達から土木作業員から、全部やったもん。中卒だったから、履歴書を持ってバーッと回っても、どこも雇ってくれない。それで新宿の1番、端のベンチで缶コーヒーを飲みながら、どうしようかな…もう1回、プロレスをやろうか、と。だって、生きるため、生き残るためには、どうすればいいんだろう…と。(復帰の考えは)そこから生まれたんです。でも、全日に戻ることも出来ない、どこも拾ってくれるところはない…自分でやるしかない。

 そのFMWでは、1995年(平7)5月5日に「大仁田厚 引退試合」を開催し、故ハヤブサさん(享年47)と対戦した。川崎球場の観客動員記録となった、5万8250人を集めたが、その裏で肉体はボロボロだった。

 大仁田 2回目で頂点の状態で辞めた。でも、当時は年間200数試合やって、毎日、毎日、流血…。頭痛や吐き気がするわ…メチャクチャ。このまま、死ぬしかないのかと…それが引退を決断した理由。敗血症で死にそうになって、初めてICUのベッドから降りた時に、うんこしちゃって。あぁ…デスマッチがいき過ぎて、このままだと、俺は死ぬことを選択しないといけないなと。今まで応援してくれた人が、死を見せて喜ぶかなと。その世界まで、本当に行っちゃっていたし、やるしかなかった。死を選ぶのか、生きている姿を見せるのかの二者択一…生きていなければ何も表現できない(から辞めた)。

 にもかかわらず、翌96年12月11日に駒沢オリンピック公園体育館で行われた、故ミスター・ポーゴさん(享年66)の引退試合8人タッグマッチで2度目の復帰をした。宿敵ポーゴさんの引退試合ということで依頼されての復帰だったが“涙のカリスマ”と呼ばれた大仁田が、プロレスファンから「ウソつき」などとたたかれるようになった。1998年(平10)11月には、当時筆頭株主の立場にあったFMWの全選手から「新生FMWとしてやりたい」と言われ、創設者ながら追放された。そこで、翌99年1月に、たった1人で新日本に参戦した。

 大仁田 俺はFMWを追い出された人間だからね。こいつらとは、やれないなぁ…と思い、そのまま1人で新日本に殴り込んだわけだから。それが真実だよ。

 その後も引退、復帰を繰り返すこと計6回。インターネットの普及とともに、大仁田は何かニュースが出るたびに“引退するする詐欺師”などとたたかれ続けた。にもかかわらず、なぜリングに立ち続けたのか?

 大仁田 自分の中で生きていくためには、プロレスをやるしか、しょうがなかった。プロレスが好きだよ…だから、プロレスが生きること、そのものだった。それなのに6回、引退を繰り返して今回、7回目の引退だからって、ウソつきだ何だと言われる。俺は、素直に生きているだけ。生きるのを辞めろって言うの? 俺には、あれだけ熱狂させたファンがいる。(過去6回も引退して)ブレるとか、みんな言うけど…ブレ方、知らないよ。どうブレていいか分からない…批判もたくさんあるかも知れないけれど全部、自分で決めているし。ここに来て、各会場で何人か、みんなカミングアウトしているよ。「何十年、見てますけど…僕は大仁田さんに救われました」って。

 次回は大仁田が代名詞の「有刺鉄線電流爆破マッチ」誕生秘話を語る。【村上幸将】

関連するニュースを読む

村田がリングで涙を流した理由、不可解判定から雪辱

7回終了TKOでエンダムを下し、泣き崩れる村田(撮影・滝沢徹郎)

<プロボクシング:WBA世界ミドル級王座決定戦12回戦>◇22日◇東京・両国国技館


 2つ目の頂を極めた。12年ロンドン五輪金メダリストでWBA世界ミドル級1位村田諒太(31=帝拳)が王者アッサン・エンダム(33=フランス)を7回終了時の棄権によるTKOで下した。主要4団体のミドル級では、最速14戦目での王座奪取。5月の王座決定戦では不可解な判定で敗れた相手に雪辱した。日本人では竹原慎二以来2人目の同級王者、さらに五輪メダリストとして初の世界王者にも輝いた。

 あふれるものは、止められなかった。「泣いてません」。勝利者インタビューでおどけても、その涙は恐怖に打ち勝った者しか流せない勲章だった。村田は目を真っ赤にしてリング上から叫んだ。「ありがとう!!」。拳を振り回し、五輪でも見せなかった姿。「みんなで作った勝利です!」。夢じゃないと何度も確かめた。最後は笑顔が咲いた。

 序盤から攻めた。顔から左ガードを離すことを恐れずに、左ボディーを見舞った。鉄壁のガード、前に出続ける勇気、そして強打。距離をつぶすことで右ストレートを封じようとするエンダムを突き放す。「4回からぜーぜーしていた。チャージし続けた」。自信をまとった拳を顔に腹に。鈍い音を響かせた。そして、7回で心を折った。

 「あの涙は男として良かったんだろうか」。5月には違う涙に悔恨があった。敗戦後の控室、20分以上泣いた。周囲への申し訳なさだったが「女々しかった。許しを乞うているみたいで」。自分を許せなかった。

 「ボクサーは辞め時を探している」とも言った心境から、先を考えられたのは、その周囲の声だった。「試合の夜にも数百件の連絡をもらい、90%以上は味方だった。助けられた」。再戦への道が開けた6月、現役続行会見で臨席した田中トレーナーが言った。「村田に申し訳ない。タイトルを取れなかったのは、セコンドが勝ちを確信してしまったから」。終盤、倒しにいく指示はなかった。ただ、痛感した。「僕の負けはチームの負けになる」。敗戦の責は自分にある。雪辱の覚悟を背負い込んだ。

 その頃、再戦に向け注目度は急上昇した。自ら半信半疑だった実力も初戦で自信を得た。「認められたという楽さがあった。『オレを見て』としなくてすむようになった」。3人兄弟の末っ子。関心を引こうと父誠二さんにパンチした幼少期から変わらぬ本性。不登校がちだった中学時代は突然金髪にしたり、マラソン大会に飛び入りして優勝、周囲をあぜんとさせた。もがき、居場所を求めてきた。

 「チャンピオン」と呼ばれることにもいらついたこともあった。「『違う、まだですよ』と言い直すのが嫌だった。情けない」。軽量級とミドル級では動くお金も1桁違う。最も層が厚い階級で戦う苦境は理解されない。だが、そう嘆く姿は、この5カ月間にはなかった。「世間でここに存在して良い、と認められた」。味方の存在が満たしてくれた。虚勢も消えた。

 五輪は夢見心地。手にしたベルトは「現実味がある。責任がある」。それは勝ち続けることでしか晴らせない使命だ。「ミドル級には4団体あり、僕より強い王者がいる。そこを目指す」。ここは終わりではない。始まりだ。【阿部健吾】

 ◆ミドル級戦線 君臨するのは3団体(WBAスーパー、WBC、IBF)統一王者ゴロフキン。10年にWBAベルトを獲得すると、KO街道で米国でもスターとなった。WBO王者サンダースは12月に元IBF王者レミューと3度目の防衛戦を行う。他有力選手では、9月にゴロフキンと「ミドル級頂上決戦」で引き分けた元2階級王者アルバレス、WBAを4度防衛したジェイコブス、7月のWBC挑戦者決定戦勝者で元IBFスーパーウエルター級王者チャーロらがひしめく。

<村田諒太アラカルト>

 ◆生まれ 1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。

 ◆中学でジムへ 中学3年時に大阪・進光ジムに通い、日本スーパーライト級王座を10度防衛した桑田弘に素質を見込まれ、南京都高(現京都広学館高)を勧められて進学。高校で5冠を達成した。

 ◆アマ 東洋大に進学し、04年全日本選手権ミドル級で優勝。大学卒業後、東洋大職員となり、08年に一時引退も09年春に復帰し国内13冠に。11年世界選手権で銀、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶり金メダル。

 ◆プロ 13年8月にプロデビューし、当時の東洋太平洋ミドル級王者・柴田明雄に2回TKO勝ち。

 ◆趣味 読書と子育て。選択する本のジャンルは哲学的なものを中心に多岐にわたる。

 ◆家族 佳子夫人と1男1女。

 ◆タイプ 身長182センチの右ボクサーファイター。

関連するニュースを読む

ジョー・ドーリング悪性脳腫瘍乗り越え3冠王者に

<全日本:横浜大会>◇21日◇横浜文化体育館


 3冠ヘビー級選手権で、挑戦者のジョー・ドーリング(35=米国)が、王者諏訪魔を破り、新王者となった。

 ドーリングは、16年4月に悪性脳腫瘍が見つかったことで長期欠場。放射線治療をなど化学治療で復帰を目指した。その後、17年1月に全日本マットに復帰し、この日を迎えた。試合は、巨漢同士の肉弾戦。諏訪魔の厳しい攻めで、何度も頭部からマットにたたきつけられたが、不屈の闘志で立ち上がった。最後はラリアットからフライングボディーアタックを決め、必殺のレボリューションボムで試合を決めた。ドーリングは試合後「ガンに苦しんでいるすべての人にささげたい。カムバックのクライマックスだ。ガンに苦しんだけど、今は最高だ。こんな風にカムバックできるとは思っていなかった。サポートしてくれた家族や友人に感謝したい」と、興奮気味に話していた。

関連するニュースを読む

デビュー25周年秋山、大森組が世界タッグ王座獲得

<全日本:横浜大会>◇21日◇横浜文化体育館


 秋山準(48)大森隆男(48)組が、25周年記念大会で世界タッグ王座を獲得した。

 92年にプロデビューし、10月が誕生日の2人は、セミファイナルで関本大介、伊東竜二の大日本プロレスコンビと同王座決定戦で対戦。関本の逆水平チョップや、ラリアットを胸を張って受け止めた秋山が、最後は必殺のエクスプロイダーで関本を沈めた。

 試合前には、25周年記念セレモニーで、先輩の小橋建太や、川田利明らから花束を受け取った。また、同じく25周年を迎え、千葉・東金で記念大会を戦った新日本プロレスの永田裕志、中西学からビデオによるコメントも届いた。区切りとなる大会でベルトを手にした秋山は「やったというよりベルトを巻く責任感が強い。この年でベルトを巻いて、まだまだ動かないといけない」と自分を鼓舞していた。また大森は「試合前にお花をいただいて、力が入った。横浜で小橋さんや川田さんと試合をやったことを思い出した」と感慨深げに話していた。

関連するニュースを読む

山中竜也、母校で人生初の講演会「変な汗かいた」

母校の堺市立美原西中で生涯初講演を行ったWBO世界ミニマム級王者山中竜也(撮影・加藤裕一)


 WBO世界ミニマム級王者の山中竜也(22=真正)が10日、母校の堺市立美原西中で人生初の講演会に挑戦した。

 タイトルは、自身が卒業文集で記したフレーズから「夢はでっかく世界チャンピオン」。生徒約500人を前に、王座を奪取した8月27日の世界戦の映像をバックに、当時の心境などを語った。

 ベルトを手にスーツ姿で登場した山中は、強さの秘訣(ひけつ)を問われると「自分が強いとは思えなくて、その自信のなさがあるから練習で自分を追い込んでいけると思う」と語るなど謙虚さは普段通り。「夢にはいろいろ障害があるけれど、選んだ道を後悔しない生き方をしていってほしい」と訴えかけた。

 慣れないトークを終えると「試合とは全然違う緊張感で、変な汗をかきました」と苦笑い。今夏の全日本アンダージュニア王座大会の中学生女子44キロ級で優勝した在校生の西中結菜(2年)から花束をもらうサプライズなどもあり「すごいですね」と刺激を受けたようだ。

 また、世界戦で左眼窩(がんか)底を骨折し、9月上旬に手術したことを明かしたが「もう大丈夫です」と表情は明るい。陣営は、年内にも初防衛戦を行う方向で調整しており、今後はトレーニングを本格化させていく。

関連するニュースを読む

日章学園・中垣龍汰朗が高校5冠、夢は東京五輪で金

海外3タイトルに加え、国内の高校5冠を達成した宮崎・日章学園の中垣龍汰朗(撮影・加藤裕一)

<国体ボクシング少年の部>◇9日◇決勝◇愛媛・松前公園体育館


 宮崎・日章学園高3年の中垣龍汰朗がフライ級決勝で奈良代表の穴口一輝(兵庫・芦屋学園高)に判定勝ちし、高校5冠を達成した。

 国際大会も1年でアジアジュニア、2年でユース国際トーナメント、3年でアジアユースを制しており、王寺工のライト級今永とウエルター級荒本、習志野のバンタム級堤とともに、11月22日開幕の全日本選手権(福井)に推薦出場する逸材だ。

 「特に高校最後の大会という意識はなかったです」と言い、約1カ月前に全日本への推薦が決まってから「そこにちゃんとつなげる意識でやってきました」と話した。

 今永、荒本、堤らと同様に、夢は東京五輪の金メダルだ。今後は進学予定の東農大で腕を磨いていく。キレのいいパンチが持ち味のサウスポーで、憧れのボクサーは元世界3階級王者の長谷川穂積氏。「プレッシャーのかけ方や、パンチの当て方、見せ方など細かい部分のレベルを上げて、全日本選手権も優勝するつもりで頑張ります」と話していた。

関連するニュースを読む

大鵬孫の納谷幸之介、国体Vで九州場所デビュー白紙

納谷幸之介(17年8月23日撮影)


 愛媛国体の相撲の少年で、大相撲の元横綱大鵬(故人)の孫で元関脇貴闘力の三男、納谷幸之介(17=埼玉栄高3年)が7日、団体と個人の2種目で優勝した。この結果、12月の全日本選手権(両国国技館)への出場権を獲得したため、大嶽部屋から11月の九州場所で予定していたデビューは白紙に。そんな想定外? のうれしい2冠となった。

 優勝候補だった8月の全国高校総体は団体3位、個人は決勝トーナメント1回戦で敗れた。国体が高校最後の相撲と言い聞かせ、地道に鍛錬。「すり足や四股などの基礎運動を徹底した」と山田道紀監督は言う。190センチ、160キロの巨体ながら、動き回る相手にもしっかりとついていく足運びが光った。「悔いの残らないようにやろうと思っていた。その通りにできた」と満面の笑みを浮かべた。

 「うれしいし、もっと頑張ろうと思える。高校の相撲はやり切った」と話すも“おまけ”がついてきた。全日本で8強に入れば、高校生では史上初の付け出し資格(三段目最下位格)も得る。楽しみが、増えた。

関連するニュースを読む

白鵬秋巡業参加に慎重「体と相談しながら考えたい」

明治神宮で横綱土俵入りを披露する白鵬。太刀持ちは石浦、露払いは大栄翔

<大相撲:第76回全日本力士選手権>◇2日◇両国国技館


 日本最古の大相撲トーナメント「第76回全日本力士選士権」が2日、両国国技館で行われた。

 秋場所を全休した横綱白鵬と鶴竜が、国技館の土俵に上がった。土俵入りだけを行った白鵬は声援を浴びて「気分は良かった」と笑顔。左膝痛は順調に回復しているようだが、秋巡業への参加については「体と相談しながら考えたい」と慎重だった。

 3場所連続休場の鶴竜は1回戦で勢に負けたが、痛めていた右足首には「何の違和感もなかった」と、途中休場した名古屋場所以来の相撲で好感触。出場すれば進退がかかる九州場所に向け、秋巡業で調整していく。

関連するニュースを読む

稀勢の里に復活の兆し、聖徳太子色で5人倒して優勝

稀勢の里(右)は豪風を寄り切り、連覇を決める(撮影・滝沢徹郎)

<大相撲:第76回全日本力士選手権>◇2日◇両国国技館


 復活劇はここから-。日本最古の大相撲トーナメント「第76回全日本力士選士権」が2日、両国国技館で行われ、3場所連続休場中の横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)が、双葉山や北の湖らに並ぶ史上8人目の2連覇を飾った。報道陣の多さに「花相撲とは思えない」と苦笑いしつつ「昨年以上に、横綱としてトーナメントで勝てたことは非常に光栄。これをきっかけにしていきたい」とうなずいた。

 たかが花相撲、されど花相撲-。出場した2横綱が初戦で退く中、千代の国、大栄翔、正代、朝乃山、豪風の5人を次々に寄り切った。昨年はこの大会での初優勝をきっかけに壁を破り、横綱に上り詰めた。今再び、左上腕付近のけがという悩みの種があるが、復活への転機はどこにあるか分からない。だからこそ「胸を借りるつもりでいきました」と力は抜かなかった。

 名古屋場所5日目以来、約3カ月ぶりに着けた締め込みは新しい、青みがかった「紫」だった。「ああいう色は好きですから」。しばらくは慣らすだけだが、聖徳太子が「冠位十二階」で定めた最高位の高貴な色は、綱の威厳を思い出させた。「非常に楽しかったというか、良かった。いいきっかけになるようにやっていきたい。こういうチャンスを生かしたい」。稀勢の里が再スタートを切った。【今村健人】

優勝した稀勢の里は選士権章を腕に記念撮影する(撮影・滝沢徹郎)

関連するニュースを読む

幕内最年長確実の安美錦が若い力士に負けないもの

十両の優勝決定戦に進出し笑顔を見せる安美錦(2017年9月24日撮影)


 大相撲秋場所で10勝を挙げ、九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)で昭和以降最年長の再入幕が確実な十両安美錦(伊勢ケ浜)は3日で39歳を迎える。

 38歳最後の日の2日、東京・両国国技館で全日本力士選士権に出場し、ずっと十両で過ごした38歳の1年間を「大変だったよね」と、しみじみと振り返った。

 37歳だった夏場所で左アキレス腱(けん)を断裂し、十両に落ちた。だが、相撲をあきらめず、幕内で取ることをあきらめず、たった4カ月で復帰。決して万全ではない中で、今年の初場所こそ負け越したが、それ以外は全て勝ち越してきた。

 39歳は、幕内から始まる。ただ、幕内に戻ることが今の目標ではない。「通過点としか思っていない。まだ上(三役)もあるしね」。

 39歳の1年間の目標は? 「変わらずにまた、相撲をやっていればいい。やることをやれる年に。しっかり稽古して、巡業に出て、場所に出て…。それの積み重ねしかないかな」。

 再び幕内最年長力士となる。だが、やっていることは、相撲に対する考えは、若い力士にまるで負けていない。

関連するニュースを読む

日馬富士、左肘痛も秋巡業参加へ「恩返し出来れば」

明治神宮で横綱土俵入りを披露する日馬富士。太刀持ちは宝富士、露払いは大翔丸


 大相撲秋場所で逆転優勝した横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)が、秋巡業の参加へ強い意志を見せた。

 2日、第76回全日本力士選士権(東京・両国国技館)に参加し、1回戦で輝に敗れた。秋場所千秋楽から約1週間が経過したが「疲れが抜けない」と元気はなかった。16年名古屋場所以来の優勝ということもあり、この1週間はお世話になった人へのあいさつ回りなどで多忙を極めたからだ。

 だが、その合間を縫いながら、左肘の治療は毎日欠かさずに行ったという。「治るものではないですよ。職業病みたいなもの。まずは炎症を防いで、また新しく鍛え直していく」と、九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)に向けて体を一から作る。

 秋巡業への参加についても「巡業先にも病院の先生に来ていただいて治療しながらやる。支えてもらった人に恩返しが出来ればいい」と、皆勤を目指す。土俵の上に立ち続けることにこだわりを持つ、日馬富士らしさを見せた。

関連するニュースを読む

稀勢の里が力士選士権2連覇「横綱として勝て光栄」

優勝した稀勢の里は選士権章を腕に記念撮影する(撮影・滝沢徹郎)


 日本最古の大相撲トーナメント「第76回全日本力士選士権」が2日、東京・両国国技館で行われ、左上腕付近のけがで秋場所を全休していた横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)が大会2連覇を果たした。

 初戦から千代の国、大栄翔、正代、朝乃山を左四つから寄り切ると、決勝戦ではベテラン豪風に右で張り、左を固めて、右を抱える形で前進。あえなく寄り切り、4年前の日馬富士以来、史上8人目の連覇を達成した。「体をつくってきたことが出た感じです。鍛えた下半身もそうだし、全身を使いました。(大関だった昨年と違って)横綱としてトーナメントで勝てたことは非常に光栄。これをきっかけにして行きたい」と振り返った。

 久しぶりの関取との相撲には、これまでの「なす紺」から新たに、青みがかった「紫」の締め込みに替えて臨んだ。まだならしの段階だが、心機一転の意味合いも込められていただろうか。「非常に楽しかったというか、良かったです」と、土俵に上がって相撲を取れる喜びが、体からあふれていた。

 3月の春場所で負傷し、5月の夏場所と7月の名古屋場所は途中休場、9月の秋場所は全休と3場所連続で休場した。苦しい土俵が続いているが「いいきっかけになるようにやっていきたい。こういうチャンスを生かしたい」と、5日から始まる秋巡業での稽古を見据えていた。

稀勢の里(右)は豪風を寄り切り連覇を決める(撮影・滝沢徹郎)

関連するニュースを読む

豪風、トーナメントはお手の物 稀勢に敗れるも準V


 トーナメントで争われる大相撲の第76回全日本力士選士権が2日、東京・両国国技館で行われ、平幕の豪風(38=尾車)が準優勝した。

 学生出身の豪風にとって、トーナメントはお手の物だった。高校、大学の大会は普通、団体戦も個人戦もトーナメントで行われ、金足農高、中大時に経験していた。それだけに「自分は完全にトーナメント向きですね。トーナメントで生まれ育っている。段々、気持ちが乗ってくる。大学の時も準決までいけば優勝。ベスト8とかはない。その前に負けるか、最後まで行くか」と、勝ち上がるごとにモチベーションも上がるトーナメントは肌に合っていた。

 この日も1回戦から4度勝って、優勝戦(決勝)まで上がってきた。優勝戦では惜しくも稀勢の里に寄り切られたが「歴代最年長準優勝かな?」と、表彰状を持ちながら笑顔を見せた。

関連するニュースを読む

白鵬が奉納土俵入りなどに参加、石浦の披露宴出席へ

白鵬(17年1月撮影)


 大相撲の横綱白鵬(32=宮城野)が、東京・明治神宮での奉納土俵入り(10月2日)とビヨンド2020場所(同4日、東京・両国国技館)に参加することを決めた。10月2日の全日本力士選士権は、すでに取組が決まっているため休場する。日本相撲協会が30日、発表した。これに伴い、10月1日に予定される幕内石浦(27=宮城野)の結婚披露宴にも出席する見通しとなった。

 28日の日本相撲協会の師匠会で、本場所や巡業を休場する力士の行動に関し注意喚起があり、春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「公式行事を欠席し、私的な用事に出るのは師匠の指導がなっていないのでは」と説明。左膝痛のため秋場所を全休した白鵬はもともと、10月5日から始まる秋巡業を途中から参加する予定だった。師匠会での指摘を受け、白鵬の師匠・宮城野親方(元前頭竹葉山)は当初、白鵬が石浦の披露宴を欠席すると明かしていた。

関連するニュースを読む