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伊藤雅雪、米国で王座「信じられないことが起きた」

伊藤雅雪(2018年6月18日撮影)

<プロボクシング:WBO世界スーパーフェザー級王座決定戦12回戦>◇28日(日本時間29日)◇米フロリダ州キシミー・シビックセンター


 37年ぶりの快挙!! 世界初挑戦の同級2位伊藤雅雪(27=伴流)が3-0の判定で、無敗の若きホープとなる同級1位クリストファー・ディアス(23=プエルトリコ)を撃破した。

 4回にダウンを奪い、終盤までリズム良い連打で攻め続け、王座奪取に成功。日本人の米国での王座奪取は81年三原正以来、37年ぶり5人目で、海外での王座奪取も10人目となった。プロ2戦目直前に交通事故で左手首など3カ所を骨折する重傷を乗り越え、プロ10年目で悲願のベルトを巻いた。

 感極まった表情でベルトを手にした。両目に涙があふれた伊藤は「ポイントは気にしていなくて倒す、倒す、倒すとずっと考えていた。やり切った気持ちが強かった」。現地応援した衣理香(えりか)夫人と抱き合い「信じられないことが起きた。人生が変わった」と快挙を分かち合った。

 米プロモート大手トップランク社いち押しのホープの動きをすぐに見極めた。会場内の観客は23勝(15KO)のディアスの応援。アウェーの雰囲気の中で「1回で自分の力が通用する」と自信を持った。前に出ながら連打を続け、4回には連打の後に「感触があった。一生忘れられないストレートになる」という強烈な右でダウンを奪った。7年間、バスケットボールで養った軽快かつ俊敏な動きから5連打、7連打で相手の体力を削り、至近距離での攻防で勝利をつかんだ。

 「不安もたくさんあって試合前に1人で泣いていた。自分を信じて戦うだけだと」。09年9月、プロ2戦目の1週間前。原付バイクに乗った伊藤は、居眠り運転で信号無視してきた車に追突された。意識を失って緊急搬送。右足首、腰、そしてボクサーの生命線となる左手首を骨折し「骨が飛び出ていた」と振り返る重傷だった。1カ月で退院後も数年は手首に痛み止めの注射を打った。所属ジムの先代の団元気会長から「名前の之を雪に変えたら」と勧められて「雅雪」にリングネームを変更すると自然と痛みが消えた。「右手だけのお前でも王者になれる」と激励をくれた先代会長にも恩返しした。

 15年から知人を通じて米ロサンゼルスで拠点をつくった。元2階級制覇王者畑山隆則らを指導したルディ・エルナンデス氏や岡辺大介氏という現地トレーナーと出会い、年2~3回は家族を東京に残して単身合宿を積んできた。初の海外試合が米国での世界初挑戦だったが、本場での試合観戦でイメージトレーニング。戦前の下馬評は劣勢でも「絶対に世界王者になると信じて戦いました」という気持ちですべてを覆した。

 強豪の多いスーパーフェザー級で頂点に立ち、米国で存在をアピールできた。「まだまだボクは強くなれる。一生、ボクの名前が残るような相手と(試合を)したい。まだ夢の途中。デカイ試合をしたい」。伊藤のアメリカンドリームは始まったばかりだ。

<伊藤雅雪(いとう・まさゆき)>

 ◆生まれ 1991年(平3)1月19日、東京都生まれ。本名は伊藤雅之。

 ◆バスケ一筋 明治小6年時にミニバスケットを開始し都2位。深川中バスケット部で東京都16強。駒大高3年まで続ける。ダンクシュートができる。

 ◆転向 部活動引退後にボクシング開始。駒大進学後の09年に伴流ジムからプロデビュー。

 ◆獲得 12年全日本フェザー級新人王、13年WBCユース・ライト級王座、15年に東洋太平洋スーパーフェザー級王座、16年にWBOアジアパシフィック同級王座を獲得。15年に日本同級王者内藤律樹に判定負けしたのが唯一の黒星。

 ◆CM出演 甘いマスクでオーディションに合格、14年にJRAのテレビCMで竹野内豊と共演。

 ◆家族 学生結婚した衣理香夫人と長女愛音(あのん)ちゃん、次女愛海(あいみ)ちゃんの4人家族。

 ◆タイプ 身長174センチの右ボクサーファイター。

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坂口征二「かわいがってもらった」馬場夫人しのぶ

馬場元子さんのお別れ会で、馬場さんと元子さんのパネル写真の前に集合した新旧プロレスラー


 4月14日に亡くなった故ジャイアント馬場さんの夫人で元全日本プロレス社長の馬場元子さん(享年78)のお別れの会が18日、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急で行われた。

 新日本の坂口征二相談役や、衆議院議員の馳浩氏、天龍源一郎氏、小橋建太氏、グレート小鹿、全日本の現役レスラーら約160人が集まり、故人をしのんだ。坂口相談役は「馬場さん、元子さんには弟のようにかわいがってもらった。馬場さんが亡くなったときは、最後にお顔を見せてもらった。本当にありがとうございました」と話した。

馬場元子さんのお別れ会で、献花台に花を供え、元子さんの遺影に手を合わせる新日本の坂口征二相談役

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馬場元子さんお別れ会、馳浩氏「お世話になった」

馬場元子さんのお別れ会で、馬場さんと元子さんのパネル写真の前に集合した新旧プロレスラー


 4月14日に亡くなった故ジャイアント馬場さんの夫人で元全日本プロレス社長の馬場元子さん(享年78)のお別れの会が18日、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急で行われた。

 会には新日本の坂口征二相談役や、衆議院議員の馳浩氏、天龍源一郎氏、小橋建太氏、グレート小鹿、全日本の現役レスラーら約160人が集まり、故人をしのんだ。会場には、馬場さんの子ども時代のアルバムや、チャンピオンベルト、元子さんの旅行かばんや、ブレスレット、馬場さんのイラストをあしらったスマートフォンのケースなどが展示されていた。坂口相談役は「馬場さん、元子さんには弟のようにかわいがってもらった。馬場さんが亡くなったときは、最後にお顔を見せてもらった。本当にありがとうございました」と話していた。また、馳氏は「1985年にジャパンプロレスに入ったときも、1996年に全日本プロレスに入ったときも、元子さんには変わらずお世話になった」と話していた。

馬場元子さんのお別れ会で、献花台に花を供え、元子さんの遺影に手を合わせる新日本の坂口征二相談役
馬場元子さんお別れの会の会場に展示された馬場さんと元子さんの若かりしころの写真

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猪木と巌流島、ホーガンと抗争/マサ斎藤さん略歴

巌流島決戦 アントニオ猪木対マサ斎藤 マサ斎藤(右)はアントニオ猪木の右腕を決める(87年10月4日)


 日米プロレス界のレジェンドで、1964年東京五輪レスリングヘビー級代表としても活躍したマサ斎藤さんが14日に死去した。健介オフィスが16日、発表した。75歳だった。

 マサ斎藤さんは引退した99年ごろに難病のパーキンソン病を発症。懸命のリハビリと闘病生活を長く続けていた。

 マサ斎藤さんの略歴は次のとおり。

 ◆明大出身 本名は斎藤昌典。1942年(昭17)8月7日、東京都北区生まれ。

 ◆レジェンド 65年6月、日本プロレスでデビュー。67年に渡米し、長期にわたり米国で成功を収めた。獲得タイトルはWWFタッグ王座、AWA世界ヘビー級王座など多数。得意技は自身で考案したひねりを入れたジャーマンスープレックス、監獄固め。

 ◆巌流島の戦い 87年10月、山口の「巌流島」で行われたアントニオ猪木との時間無制限ノーレフェリー、ノールール、無観客マッチ。2時間5分14秒の死闘の末、立会人裁定で敗れた。

 ◆発掘&指導 ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、ドン・フライらを見いだす。05年に佐々木健介、北斗晶が立ち上げた団体では、全日本3冠ヘビー級王者宮原健斗、ノアのマサ北宮らを育成した。

 ◆逸話 熊と戦ったことがある。ホーガンとの抗争で人気が爆発し、米国で「ミスター サイトー」というカクテルができた。84年に同僚レスラーの警察官とのけんかに巻き込まれ、1年半、米国で収監された。2ダース以上ビールを飲み、特大サイズのピザを2枚食べるのが日課だった。

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丸藤正道「永遠のライバル」イタミと9・1対戦発表

9月1日両国国技館での20周年記念大会で、WWEのイタミヒデオとの対戦を発表した丸藤(左)(撮影・桝田朗)


 プロレスリング・ノアの丸藤正道(38)は26日、9月1日に両国国技館で開催する20周年記念大会のメインで、WWEのイタミ・ヒデオ(37=元ノアのKENTA)とシングルで対戦すると発表した。

 イタミと丸藤は、イタミのノア在籍時にライバルとして団体を引っ張った仲間。丸藤は「名前は変わってしまったけど、オレの永遠のライバル。日本中、世界中から見に来て欲しい」と話した。ノアは、丸藤の意向を受けて数カ月前からWWEと交渉。1カ月ほど前に、今回だけの特例としてイタミの参戦が決定した。丸藤は「オレのプロレス人生の中で、1番のビッグイベントにしたい」と大会への抱負を語った。同大会には、全日本の秋山準らも出場する。

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盟友ハンセン「本当に悲しい」ベイダーさん悼む

90年2月、ハンセン(左)にドロップキックを見舞うベイダーさん


 日米マット界で活躍し、18日に肺炎のため63歳で亡くなった米国人プロレスラー、ビッグバン・ベイダーさん(本名=レオン・ホワイト)の死を、盟友のスタン・ハンセン(68)が悼んだ。ハンセンは、90年2月の新日本東京ドーム大会で、ベイダーさんと一騎打ち。その後、全日本ではタッグを組み活躍した。「びっくりしたよ。本当に悲しい。本当にタフなやつで、底知れない力を持っていた。すばらしい選手だったよ」と話した。

 ベイダーさんは、新日本のIWGPヘビー級王座、全日本の3冠ヘビー級王座両方を外国人として唯一獲得し、日米で人気を誇った。1カ月前から重傷の肺炎にかかり、懸命な闘病生活の末亡くなった。公式ツイッターで発表したのは息子のジェシーさんで、ハンセンは「オレの息子セイバーと子ども同士が同じ年代で親近感もあった。本当に切ないよ」と話した。(デーブ・レイブル通信員)

たけしプロレス軍団刺客で新日へ/ベイダーさん略歴

ビッグバン・ベイダーさん


 新日本プロレスと全日本プロレスで活躍したビッグバン・ベイダーさんが18日午後7時28分(現地時間)、米国で亡くなった。ベイダーさんの公式ツイッターが発表した。63歳だった。

 公式ツイッターによると、ベイダーさんは1カ月前に重症の肺炎にかかり、懸命に闘病を続け、一時は回復に向かったが、亡くなったという。

 ベイダーさんの略歴は次のとおり。

 ◆ビッグバン・ベイダー(Big Van Vader) 1955年(昭30)5月14日、米国コロラド州デンバー生まれ。本名レオン・ホワイト。コロラド大時代はフットボールの選手として活躍し、ドラフトでロサンゼルス・ラムズ入団が決まっていたが、事故で断念。レスラーとなり、87年に「たけしプロレス軍団」の刺客として新日本マットへ。以後UWFインター、WWF、全日本、ノアなどで活躍。3冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座など数々のベルトを獲得した。190センチ、150キロ。息子のジェシー・ホワイト(32)もプロレスラー。

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SSS、最後の最後に明かした引退理由は妻の逝去

引退記念試合に勝利しスーパー・ストロング・マシン(左から2人目)、マネジャーのワカマツ(同3人目)と記念撮影に臨むマシン軍団(撮影・小沢裕)

<新日本:後楽園大会>◇19日◇後楽園ホール◇観衆1596人


 マスクマンの先駆者の引退理由には、愛妻の逝去があった。スーパー・ストロング・マシン(年齢不詳)の引退記念興行が行われ、自身はセコンドを務めたメインの引退記念試合後に、引退セレモニーが開かれた。84年に新日マットに出現して以降、数々のユニットに参加しながら、ファンに愛され続けたヘビー級マスクマンに、惜しみない拍手が送られる中、ヒロ斉藤や垣原賢人、魔界倶楽部などの盟友たちも駆けつけた。

 暖かい声援を受けて最後のマイクを握ったマシンは「当時としてはかなり奇抜なデザインのマスクとコスチューム。いまじゃあ、なんのことはないんですけど、あるマスコミからも批判されました。でもリング上ではストロングスタイルを貫きました」と自信をもって回顧した。

 引退理由について「ケジメ」と言った。重なるケガで受け身も取れない状態が決断の理由の1つとしたが、10カウントゴングは終わり、セレモニーの最後の最後に明かしたのは、家族のことだった。

 「これはマスコミの方々にも、ファンの皆様にも、伝えてないことがありました。もう1人、大事な人に、深い感謝の言葉を、この場を借りてささげたいと思います。本年、1月25日、午前7時12分、28年間連れ添ったわが妻マサミが、がんのために天国へ旅立ちました。この場を借りて、天国の妻へ感謝の言葉を、声を大にしてささげ、私のあいさつを締めさせていただきたいと思います」。

 そう言うと、マイクをマットに置いた。そして、レスラー最後の言葉として叫んだ。

 「マサミーーー! ありがとーーー!」

 会場は大きな拍手に包まれた。 

 84年に将軍KYワカマツ率いるマシン軍団の一員として新日マットに初見参。183センチ、115キロの大型マスクマンは前代未聞だった。翌85年にはマシン軍団と仲間割れし、藤波の試合後に乱入した末にワカマツを急襲。藤波を救うことになるが、その藤波から「お前、平田だろ!?」とまさかの暴露をされる記憶に残る事件もあった。

 その後は全日本をへて新日本に復帰し、IWGPタッグ王座を2度獲得。代名詞の魔神風車固めを武器に活躍を続けた。94年には蝶野正洋と仲たがいしてマスクを脱いたことも。00年に復帰し、14年の後楽園大会の6人タッグ戦が最後の試合となった。

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諏訪魔&石川が世界タッグ戦へ闘志「ベルトが必要」

30日の札幌大会で世界タッグ選手権を戦う右から王者組の崔、ジェイムスと挑戦者組の諏訪魔、石川


 全日本プロレスは13日、横浜市内の事務所で会見を行い、30日の札幌大会で世界タッグ選手権に出場するディラン・ジェイムス、崔領二の王者組と、諏訪魔、石川修司の挑戦者組が決戦へ向け抱負を語った。

 石川は「今年の2月にベルトを失って以降、結果らしい結果を全日本で残せていないのでチャンスだと思う。おれたち暴走大巨人が全日本を引っ張っていくためにベルトが必要」と王座奪還へ向け決意を語った。諏訪魔も「全日本のチャンピオンじゃないのに、タッグのことを世間に語れない。ベルトがあれば、オレたちの価値を世間にアピールできる」と話した。

 迎え撃つ王者組の崔は「ベルトを取ってからその重みを毎日感じている。暴走大巨人はいつか来るなと思っていた。この2人とぶつかり合えることは、正直うれしい。歴史に残る戦いを残したい」と冷静に語った。ジェイムスは「2人は全日本の中でも大きな選手で力強い。今は、ベルトを守るということだけ、考えている」と話していた。

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3冠ヘビー級王者宮原健斗7・29にゼウスと防衛戦

宮原健斗(2018年3月25日撮影)


 全日本プロレスは13日、横浜市内の事務所で会見を行い、3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)の防衛戦を7月29日の大阪大会(エディオンアリーナ大阪)で行うと発表した。

 挑戦者はゼウスで、前日12日の後楽園大会で行われた宮原のV2戦後に、挑戦を表明していた。大阪出身のゼウスは「地元大阪で宮原と3冠戦ということでかなり興奮しています。5回目の挑戦ということで、今年は1つ、大きな結果を出したいと思っています」と話した。3度目の防衛戦となる宮原は「プロレス界の夏をオレとゼウスで制しようかなと。オレが勝って、全日本を高みにもっていく」と宣言した。

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3冠王者の宮原健斗、ジェイムスに大苦戦もV2達成

宮原(右)はジェイムスに強烈なひざ蹴りを見舞う(撮影・足立雅史)

<全日本:後楽園大会>◇12日◇後楽園ホール◇観衆1053人


 3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)がディラン・ジェイムスの挑戦を退け、2度目の防衛を果たした。

 宮原は、ジェイムスのパワーに場外戦やリング上で終始押され気味の展開で大苦戦。エルボー3連発を放っても、逆水平チョップ1発でなぎ倒されるシーンが続いた。終盤には、左右のラリアットからパワーボムで絶体絶命のピンチも、何とかカウント2で返した。直後に、ヒザ蹴り3連発で逆襲。最後はシャットダウン・スープレックスホールドで23分8秒、試合を決めた。

 試合後ゼウスから挑戦を受けた宮原は「ゼウス、望むところだ。いつだっていいよ。あいつのホームでもいい。オレは日本がホームだから、どこだっていいよ。オレが王者の時代に、歴史上最も全日本を盛り上げる」と高らかに宣言した。

宮原(右)はジェイムスにハイキックを見舞う(撮影・足立雅史)
宮原(上)はジェイムスの攻撃に苦戦する(撮影・足立雅史)

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秋山&永田組が2度目防衛も若手の手応えのなさ嘆く

永田(左)、秋山組は野村、青柳組を破りアジアタッグ王座2度目の防衛に成功した(撮影・足立雅史)

<全日本:後楽園大会>◇12日◇後楽園ホール


 アジアタッグ選手権は、秋山準、永田裕志(新日本)の王者組が、青柳優馬、野村直矢組の挑戦を退け2度目の防衛に成功した。

 50歳になった永田と、48歳の秋山が、全日本の次世代を担うホープの壁になった。場外戦では、秋山が青柳を鉄柵に連続してたたきつけるなど、厳しい攻めで奮起を促すシーンも。永田も、野村と激しい打撃戦から、容赦のないキックやエルボーをたたき込む。若手コンビも何度かチャンスをつかんだが、ベテランコンビの気合が上回った。最後は、永田が21分34秒、バックドロップホールドで野村から3カウントを奪い試合を決めた。

 秋山は「あいつら大丈夫か? あれが元気かよ。48、50のおっさんにあれだけやられて」と若手のふがいなさにあきれた表情で言った。永田も「このままいけば、我々のベルトは安泰でしょう。若い力より、我々のエネルギーにお客さんが引かれていた。それを彼らがどう感じるか」と、若手コンビの手応えのなさを嘆いていた。

永田(上)は白目をむきながら青柳の腕を絞め上げる(撮影・足立雅史)

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「3冠似合うのは三沢さんとオレ」宮原健斗が初防衛

丸藤を下し3冠ヘビー級王座初防衛に成功した宮原健斗(撮影・桝田朗)

<全日本:後楽園大会>◇24日◇後楽園ホール◇観衆 1680人(超満員)


 3冠ヘビー級選手権は、王者宮原健斗(29)が、チャンピオンカーニバル(CC)優勝者の挑戦者・丸藤正道を破り初防衛を果たした。CC決勝で丸藤に敗れた宮原は、終盤まで大苦戦。巧妙な試合運びをする丸藤の術中にはまり、終盤は虎王、不知火の必殺技を続けて受けるなど、大ピンチ。しかし、ヒザ蹴りで流れをつかむと、雄たけびをあげて最後は25分52秒、シャットダウン・スープレックスホールドで試合を決めた。宮原は「この1カ月は長かった。毎日、丸藤が夢に出てきた。さすがのひとこと」と試合後は、対戦相手の丸藤を称賛。そして「こんな3冠チャンピオンが似合う人は、オレの中で三沢光晴さんとオレの2人。オレの中では、三沢さんと同じくらいだと思っているから。全日本の中でオレのようにしゃべって、しゃべっているチャンピオンは過去にいない。オレが全日本を引っ張っていく。新しいスタートをしたが道は見えている」と話した。試合後リングで挑戦表明したデュラン・ジェームズと6月12日の後楽園大会で防衛戦を行うことも、王者の権利で決めた。

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田口良一1点に泣く「詰め切れなかった自分がダメ」

12回、挑戦者ブドラー(左)に左フックでダウンを見舞う田口(撮影・野上伸悟)

<プロボクシング:WBA、IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ12回戦>◇20日◇東京・大田区総合体育館


 WBA&IBF世界ライトフライ級王者田口良一(31=ワタナベ)が、日本人初の偉業に失敗した。挑戦者ブドラー(南アフリカ)にペースを握られ、最終12回にダウンを奪うも、1ポイント差の0-3で判定負け。日本人3人目の統一王者で初の防衛戦だったが、WBAは日本歴代6位に並ぶV8も逃した。今後は時間をおいて方向を見極める。

 最終12回に田口の左フックがアゴに命中した。ブドラーはダウンもレフェリーはスリップと判断。採点集計中にダウンと訂正されたが、ジャッジ3者とも1ポイント差だった。試合中ダウンなら逆転得たか。田口は「もう1回ダウンまで詰め切れなかった。自分がダメ。受け入れます」と負けを認めた。

 4回にはボディー攻撃にコーナーへ追い込まれた。サイドの動き、ワンツーに続くジャブや右クロス、スタミナ。予想通りで対策していたが「ペースを取られた。うまく強い実力者だった」。WABミニマム級5度防衛から2階級制覇のキャリアを崩せなかった。

 日本人では井岡、高山に次ぐ2団体統一王者も、過去2人はすぐに王座の1つを返上した。田口は初の偉業への挑戦で、応援団も倍増の1300人が駆けつけた。石原トレーナーは「過去最悪の入りで足が動かなかった。重圧からか、気持ちがつくれていなかった」と、逆に負担になったかもしれない。

 前日にジャッジ構成で紛糾した。1人がブドラーと同じ南アフリカ人で、夜に残る2人のうち1人が日本人に変更された。構成はプロモーターのジムに最初に伝えられていた。直前に気づくなど、長期防衛から陣営に気の緩みがあったともいえそうだ。

 ブドラーは日本で再戦も歓迎した。田口は「応援に応える結果を出せず悔しい。あとは何も考えていない」。陣営は階級アップなどのプランもあるが、何より田口が再び気持ちをつくれるか。進退を含めじっくり考えることになる。【河合香】

 ◆田口良一(たぐち・りょういち)1986年(昭61)12月1日、東京都大田区生まれ。04年にワタナベジムに入門してアマ2戦2勝(2KO)。06年プロデビューで1回KO勝ち。ライトフライ級で07年全日本新人王。13年4月に再挑戦で日本同級王座獲得。同年8月に井上に判定負けで初防衛失敗。14年12月にWBA世界同級王座獲得。17年12月にIBFと2団体同級王座統一。167・5センチの右ボクサーファイター。

ファンに謝罪するように手を合わせ、リングを降りる田口(撮影・横山健太)

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長州力「高揚している」大学後輩の秋山準と初対決

7月10日のパワーホール後楽園大会で、初対決が実現する長州力(左から2人目)と秋山準(撮影・桝田朗)


 プロレス界のレジェンド、長州力(66)がプロデュースするパワーホール大会(7月10日、後楽園ホール)の一部カードが18日、後楽園ホール展示場で発表された。メインは、長州力、ヨシタツ(全日本)関本大介(大日本)組対秋山準(48=全日本)橋本大地(大日本)黒潮“イケメン”二郎(W-1)の6人タッグ戦となる。

 新日本プロレス-全日本-新日本で活躍してきた長州と、全日本社長の秋山は、専大レスリング部の先輩後輩の間柄で、今回が初対決。長州は「久しぶりに高揚しています。秋山が今、どういうものを背負っているのか見てみたい。今までの自分の形が、秋山と向かい合った中でなくなるんじゃないか。久しぶりに崩れるから、高揚してくるのかな」と期待を口にした。

 これに対し秋山は「本当だったら、もっともっと前にやりたかった。こういう機会はもうないと思っていたから。形を崩すといったものができるのは、オレだけかもしれないから、徹底的にやろうと思う」と決意を口にした。

 ヨシタツは「新日本、WWE、そして全日本といろんなスタイルができると思っている。それは6人のメンバーで自分1人。そういう中で存在感みせたい」と意気込んだ。黒潮“イケメン”二郎も「長州さんはおそらくオレはノーマークだろうと思うが、その長州さんに何を残せるかがオレの戦い」と話した。なお、セミファイナルでは、藤波辰爾、丸藤正道、芦野祥太郎組対鷹木信悟、土肥孝司、清宮海斗組の試合が組まれた。

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ノア丸藤正道が壮絶打撃戦制しCC初出場で初優勝

チャンピオンカーニバル初出場で初優勝を果たしたノアの丸藤

<全日本:後楽園大会>◇4月30日◇東京・後楽園ホール


 全日本プロレスの後楽園大会が4月30日に行われ、チャンピオンカーニバル優勝決定戦でノアの丸藤正道(38)が、3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)を破り初出場で初優勝を飾った。

 Aブロック1位の丸藤は、Bブロック1位の宮原と、それぞれ団体トップの意地をかけて対戦。ともに強烈なヒザ蹴りを得意技にする者同士で壮絶な打撃戦を展開した。最後は丸藤が膝蹴り「虎王」から、ポールシフト式エメラルドフロウジョンを決め、24分50秒で試合終了。丸藤は「宮原健斗がお前の大事なものをかける勇気があれば、もう1回やろう」と3冠ヘビー級王座挑戦を表明。ノアではこの日、杉浦の持つGHCヘビー級次期挑戦者に決定しており、メジャー2団体のベルト両取りのチャンスがやってきた。

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丸藤正道初V「もう1回やろう」3冠宮原に挑戦表明

チャンピオンカーニバルに初出場で初優勝を果たしたノアの丸藤正道(撮影・桝田朗)

<全日本:後楽園大会>◇30日◇後楽園ホール


 チャンピオンカーニバル優勝決定戦でノアの丸藤正道(38)が、3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)を破り初出場で初優勝を飾った。

 Aブロック1位の丸藤は、Bブロック1位の宮原と、それぞれ団体トップの意地をかけて対戦。ともに強烈なヒザ蹴りを得意技にする者同士で、壮絶な打撃戦を展開した。

 2人の対戦は3度目で、過去2度は丸藤が勝利。多彩なキックから流れをつかむ丸藤を、宮原は頭突きや、ブラックアウトと呼ばれるヒザ蹴りで逆襲する。

 15分過ぎ、丸藤の後ろ回し蹴りなど、蹴りの連打で宮原を倒すと、場内から「丸藤コール」が沸き起こった。終始手数で上回った丸藤が、最後は膝蹴り「虎王」から、ポールシフト式エメラルドフロウジョンを決め、24分50秒で試合終了。

 試合後、丸藤は「最初、このマットに上がることを本当にたくさんのことがあって迷いました。オレの今回の目標は2つ。1つは秋山準を倒すこと。もう1つはチャンピオンカーニバルに優勝すること。だから、3冠には興味ないと言ってきたが、今日オレが勝利した宮原健斗は、3冠のチャンピオンらしいな。宮原健斗が、お前の大事なものをかける勇気があれば、もう1回やろう」と3冠ヘビー級王座挑戦を表明した。

 また、ノアではこの日、4月29日の新潟大会で小峠篤志を退け、初防衛に成功したGHCヘビー級王者杉浦貴の次期挑戦者に決定したばかり。「3冠、GHC、いろいろ言われるがやるのはこのオレ。結果出すのもオレ」と、メジャー2団体のベルト両取りのチャンスに、決意を示した。【桝田朗】

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宮原健斗「最高男が歴史塗り替える」CC優勝戦進出

30日のチャンピオンカーニバル優勝決定戦進出を決めた3冠ヘビー級王者宮原健斗

<全日本:後楽園大会>◇29日◇東京・後楽園ホール


 全日本プロレスは29日、後楽園大会でチャンピオンカーニバル(CC)Aブロック最終戦を行い、3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)が優勝決定戦進出を決めた。今日30日の後楽園大会でBブロック首位の丸藤正道(38=ノア)と対戦する。

 宮原はメインで勝ち点8で並ぶ120キロの巨漢、火野と対戦。エルボーの連打を打ち込んでも逆水平チョップ1発でなぎ倒されるパワーの前に苦戦を強いられた。それでもブラックアウトと呼ばれる強烈なヒザ蹴りで逆襲。最後はシャットダウン・スープレックスホールドで19分32秒、試合を決めた。3冠王者でCC優勝は01年天龍以来だが、宮原は「17年ぶりに最高男が歴史を塗り替える」と、勝利を予言した。

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宮原健斗が優勝決定戦進出「歴史を塗り替える」

30日のチャンピオンカーニバル優勝決定戦進出を決めた3冠ヘビー級王者宮原健斗

<全日本:後楽園大会>◇29日◇後楽園ホール


 チャンピオンカーニバル(CC)Aブロック最終戦は、3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)が、火野裕士を破り優勝決定戦進出を決めた。

 30日の後楽園大会で、Bブロック首位の丸藤正道(38=ノア)と対戦する。宮原は、メインで勝ち点8で並ぶ120キロの巨漢、火野と対戦。エルボーの連打を打ち込んでも逆水平チョップ1発でなぎ倒されるパワーの前に、苦戦を強いられた。

 終盤も火野ペースで進み、右ラリアット、振りかぶっての右ラリアットと2連発を浴び、さらにフライングボディープレスで万事休すかと思われた。しかし、火野の攻撃に、ブラックアウトと呼ばれる強烈なヒザ蹴りで逆襲。最後はシャットダウン・スープレックスホールドで19分32秒、試合を決めた。

 過去に3冠ヘビー級王者でCC優勝は、01年天龍以前に6人。宮原が優勝すれば7人目の快挙となるが「17年ぶりに最高男が歴史を塗り替える。丸藤、お前には絶対譲らない。あいつは一流だが、オレは超一流。全日本の顔として、明日それを見せる。オレがやらなきゃ、誰が歴史をつくるんだ?」と、絶対の自信をのぞかせた。【桝田朗】

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昨年Vの石川修司、意地で鷹木撃破「カチンと来た」

<全日本:後楽園大会>◇29日◇後楽園ホール


 セミでは、石川修司(42=フリー)が、鷹木信悟と壮絶な戦いを演じた。

 勝ち点6の石川と、勝てば優勝決定戦進出の可能性を残した勝ち点8の鷹木。互いの意地のぶつかり合いで、最後は石川がジャイアントスラムで制した。昨年のチャンピオンで2連覇をねらった石川の意地が、鷹木の野望を打ち砕いた。

 石川は「鷹木が丸藤と優勝決定戦をやりたいと言ったのを聞いてカチンと来た。なめられたくないという意味でやった。前回優勝して、負け越しだけはしないと思っていた」と語った。

 また、第5試合では、野村直矢が、前3冠ヘビー級王者のジョー・ドーリングを倒す大金星を挙げた。野村はここまでわずか1勝の勝ち点2だったが、勝ち点8で優勝決定戦進出をねらうドーリングを止めた。試合は、圧倒的なパワーで攻めるドーリング防戦一方も、最後は一瞬のスキをつき、丸め込んで3カウントを奪った。

 野村は「いまだに何が起こっているのか、信じられない。2勝しかしていないけど、今日、あの怪物に勝って、オレはこれからのぼり詰めるだけ。チャンピオンカーニバルは明日で終わるけど、これからのボクを見ておいてください」と、興奮気味に話した。

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「3本の矢」だ 史上初3兄弟同時関取へ三男が先陣

「大波3兄弟」そろい踏み。長男若隆元(左)、次男若元春(右)に囲まれて笑顔の若隆景(撮影・鎌田直秀)


 大相撲夏場所(来月13日初日、東京・両国国技館)の新十両昇進が決まった福島市出身の若隆景(わかたかかげ、23=荒汐)が、史上初となる「3兄弟同時関取」の夢実現へ飛躍を誓った。東洋大4年時の全日本学生選手権で個人準優勝となり、昨年春場所に三段目最下位格付け出しデビュー。幕下上位で活躍する長男若隆元(26)、次男若元春(24=ともに荒汐)を追い越し、所要7場所で先陣を切る。東日本大震災から復興途上の故郷にも、活気あふれる相撲を届けるつもりだ。

 バチーン! 若隆景が激しくぶつかる肌音が、稽古場に鳴り響く。荒汐部屋名物の外国人見学客が窓の外から、「ワオ」と思わず声を発してしまうほど。兄2人とは、さらに激しさが増す。「兄はもちろんですが、幕下上位の先輩たちと切磋琢磨(せっさたくま)して少しずつ力が付いてきていると思う。正直、こんな早く上がれるとは思っていなかった」。入門時に目標に掲げた兄弟3人での関取。30日の番付発表をもって卒業する黒まわし姿で、「最初に上がるつもりではいました」と笑った。

 しこ名は「すでに3人セットですね。3本の矢です」。戦国大名の毛利元就の三男小早川隆景から命名された。「毛利3兄弟」の毛利隆元、吉川元春にちなみ兄たちも改名した。「井筒3兄弟」と呼ばれた元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾(現井筒親方)、元関脇寺尾(現錣山親方)は唯一の関取3兄弟として有名だが、3人同時関取はまだいない。

 高卒で角界入りした兄たちとは違い、東洋大で頭角を現した。4年間で体重は約30キロ増。昨年春場所の新弟子検査で115キロ。さらに122キロまで到達した。今年に入り、初場所で幕下優勝し、春は西幕下筆頭で4勝3敗。「とにかく立ち合いの鋭さを意識してきた。まわしを取れれば一発ではもっていかれなくなった」。大学時代の宿敵、十両の矢後(尾車)や水戸龍(錦戸)との対戦が濃厚だが「同学年には負けたくない。15日間は初めてで勉強になる場所だが、勝ち越しを最初の目標にしたい」と闘志を燃やした。

 高1での被災時は、長男が入門していた荒汐部屋に次男と約1カ月間避難し、稽古をさせてもらった思いもある。福島県力士の新十両は09年秋の双大竜以来、約9年ぶり。「自分たちが、福島を盛り上げる中心的存在になれればいい」。締め込みは青に決定。本名の「大波3兄弟」1本目の矢が放たれる。【鎌田直秀】

 ◆若隆景渥(わかたかかげ・あつし)本名・大波渥。1994年(平6)12月6日生まれ、福島市出身。吉井田小1年から福島県北相撲協会で相撲を始め、柔道や陸上も並行。信夫中時代は全国上位進出はなかったが、学法福島3年時に全日本ジュニア体重別選手権で100キロ未満級優勝。世界ジュニア選手権団体V、個人軽量級準V。東洋大では4年時に全日本学生選手権団体を制覇し、個人も準優勝。得意は右四つ、寄り。181センチ、122キロ。家族は両親と兄2人。父は元幕下若信夫。祖父は元小結若葉山。

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丸藤正道「まだ引退してない」川田利明に参戦要請

丸藤(右)と握手をかわす川田(撮影・中島郁夫)


 全日本プロレスのレジェンド、川田利明(54)がプロデュースするHOLY WAR旗揚げ大会が26日、新木場1st Ringで開催された。

 全6試合が行われ、第3試合には川田が、元全日本でノアの丸藤正道(38)とのトークバトルに登場。新弟子時代、故三沢光晴さんの付け人を務めたという丸藤は、川田との接点はほとんど無かったという。川田は「三沢さんと戦うようになってから、三沢さんやその周囲の人とは話をしなくなった。丸藤の印象もほとんどない」と話した。その丸藤が、25日の全日本プロレス後楽園大会で、川田の得意技のステップキックと起き上がり小法師(こぼし)式逆水平チョップを秋山準に対して披露。その技の継承を「あの技を受け継げるのはオレしかいない」と宣言した。川田はうれしそうに「もっと練習して」と返答した。

 川田と丸藤のシングル対決は、10年4月のノア大阪大会。グローバルリーグで川田が丸藤を破っている。川田は、その時の印象を「丸藤は三沢さん的なセンスを持っている。他のレスラーにはないような、何をやってもできてしまう」と語った。丸藤が決勝に進出した全日本のチャンピオンカーニバルについて「チャンピオンカーニバルにはオレが1番出場している。そのきつさも普通じゃない。最後まで残ったのなら、そこからが大変」とエールを送っていた。丸藤は、9月1日の20周年記念両国国技館大会への川田の出場を要請。トークバトル終了後には「まだ引退してないんでしょう? 試合してもらいますよ」と話していた。川田は、第2弾を7月8日に開催することを発表。また、14日に亡くなった故ジャイアント馬場夫人の馬場元子さん(享年78)をしのんで、出場全選手、関係者による黙とうも行われた。大会後、川田は「ボクの名前であれだけの選手が集まってくれて、あれだけのパフォーマンスでお客さんも喜んでくれて、100点以上。次回は、120点、150点が取れるように、レスラーたちの頑張りと、カードも組んでいかないといけない」と大会を総括した。

丸藤とトークバトルを行った川田(撮影・中島郁夫)
馬場元子さんの追悼の10カウントを行う、左から丸藤、川田、本田、和田レフェリー(撮影・中島郁夫)

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ノア丸藤V決定戦進出 チャンピオンカーニバル

亡くなった馬場元子さん、サンマルチノさんをしのび、リング上で追悼の10カウントを聞く左から大森、秋山、渕、和田レフェリー

<全日本プロレス:後楽園大会>◇25日◇東京・後楽園ホール


 全日本プロレスの後楽園大会が25日行われ、チャンピオンカーニバルBブロックは、ノアから初参戦の丸藤正道(38)が優勝決定戦進出を決めた。

 丸藤は、メインで全日本社長の秋山と対戦。両団体のトップ同士の対戦で、満員の観衆が集まり、互いの意地をかけた激しい戦いが展開された。最後は、20分53秒にヒザ蹴りの「虎王」から体固めで勝利。勝ち点8で4人が並ぶ大混戦から抜け出した。丸藤は「秋山は強くて怖かった。しっかり優勝しないとこの勝ちの意味がなくなる。あと1つ。風はオレに吹いている」と話した。

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全日本、サンマルチノさんと馬場元子さん偲び追悼

亡くなった馬場元子さん、サンマルチノさんをしのび、リング上で追悼の10カウントを聞く左から大森、秋山、渕、和田レフェリー


 全日本プロレスは25日、後楽園ホールで18日に亡くなった米国の名レスラー、ブルーノ・サンマルチノさん(享年82)と、14日に亡くなった故ジャイアント馬場さんの夫人、馬場元子さん(享年78)をしのび、追悼の10カウントを行った。

 試合前に、会場のスクリーンにサンマルチノさんや元子さんの映像が流され、故人の経歴が紹介された。リング上には元子さんの遺影を持った秋山準社長と、サンマルチノの遺影を持った渕正信に、大森隆男、和田京平レフェリーが上がり、10カウントの際には、目をつぶり黙とうした。

 和田レフェリーは「元子さんが、生きていたら、リングに上がるなんてありえないけど、今日は勘弁してくださいって、秋山社長と一緒に上がってもらった。きっと、『リングに上がるのは、サンマルチノさんだけでいい。私はリングサイドでいいのよ』って怒っているよ。私には声が聞こえるんだよ。本当に全日本のために頑張ってくれて。馬場さん亡くして20年も。10カウントでこんなに沈んだのは初めて」と肩を落としていた。

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なべやかんが新団体でプロレスデビュー「本格的に」

新設されたベストボディ・ジャパンプロレスから8月5日の品川大会でデビューするなばやかんは、白川未奈にコブラツイストをかけられもん絶


 ベストボディ・ジャパンは24日、都内で会見し、新たなプロレス団体「ベストボディ・ジャパンプロレス」を設立すると発表した。

 ベストボディ・ジャパンの谷口智一代表が、以前DDTプロレスに所属した縁で、DDTの高木三四郎社長に協力を依頼。DDTが選手の練習など協力し、お笑いタレントのなべやかん(47)がプロレスラーとして、同団体の8月5日の品川プリンスホテル大会でデビューする予定。なべやかんは「以前、全日本女子プロレスの前座でミゼットプロレスをやらないかと、誘いを受けたことがあるが断った。オフィス北野時代に、テレビ番組でプロレスをやったことはあるが、今回は本格的にプロレスを始めます。全日本の永源さんのような、チョップを受けてツバを飛ばすような、お客さんを巻き込む激情的なプロレスをやってみたい」と抱負を話した。なべのほかに、グラビアアイドルの白川未奈(30)らがともにデビューする予定。

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武藤敬司「人生に多大な影響」馬場元子さん悼む

02年9月、武藤は全日本プロレス30周年記念パーティーで元子社長の肩をもみ労をねぎらう


 全日本プロレスの創始者、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で同団体の社長も務めた馬場元子(ばば・もとこ)さんが14日、肝硬変のため亡くなった。全日本プロレスが23日に発表した。78歳だった。

 ◆元全日本社長でW-1会長の武藤敬司(55) 元子さんはボクの人生に良くも悪くも多大な影響を与えた人です。天国で馬場さんとまた楽しくお話でもしてください。ご冥福をお祈りします。

 ◆元全日本で大日本会長のグレート小鹿(75) 元子さんは、日本のプロレス界に大きな影響を与えた女性だと思っています。馬場さんが晩年、アイデアがなくなってきた時に、元子さんがアイデアの倉庫になっていた。馬場さんが元子さんと結婚していなかったら、今の全日本はなかったかもしれない。悲報を聞いて胸が詰まる思い。寂しいのひと言だね。

 ◆全日本・和田京平名誉レフェリー(63) 4~5カ月前に病院で見舞った時は元気いっぱいで、嫌みを言われた。60歳過ぎて怒られるのはオレぐらいだよ。行儀作法はうるさかったけど、このろくでもない男にそんなこと言ってくれるのは、あの人だけ。親みたいな存在でした。寂しくなります。

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馬場元子さん死去、19年ぶり…馬場さんのもとへ

95年9月、35周年パーティーでジャイアント馬場さんと笑顔で話す元子さん


 全日本プロレスの創始者、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で同団体の社長も務めた馬場元子(ばば・もとこ)さんが14日、肝硬変のため亡くなった。全日本プロレスが23日に発表した。78歳だった。通夜・告別式は19、20日に親族のみで執り行われた。日本のプロレス界のスターとして一時代を築いた馬場さんを裏方で支えた。

 元子さんは、昨年1月に東京・恵比寿の自宅で「喜寿を祝う会」に出席したが、腹水のため体が膨れ上がり、動くのも大変そうだった。死期を悟っていたのか、同5月にメキシコのホスピスへ行く計画も明かしていた。同6月に体調が悪化し都内の病院に入院。医師から「余命2週間」と宣告された。一時は回復したものの、今月13日に容体が急変し、14日に帰らぬ人となった。

 馬場さんとは、15歳の時、まだプロ野球巨人の投手時代に出会った。1966年に婚約し、72年の全日本立ち上げなど陰から支えた。82年に馬場さんが結婚を公表するまで、表舞台には出なかった。99年に馬場さんが亡くなると、社長を引き継いだ故三沢光晴さんを取締役としてサポートした。00年に経営方針の違いから三沢さんらが離脱すると社長に就任。残った川田利明らと全日本存続に奮闘した。離脱していた天龍源一郎を10年ぶりに復帰させ、新日本から武藤敬司を招き、団体を立て直した。

 馬場さんを守るための人生だった。巨人と呼ばれた馬場さんを「怪物」扱いし好奇の目を向ける人に厳しく、「ちゃんと1人の人間として見て下さい」と話していた。全日本生え抜きの渕正信(64)は「元子さんは馬場さんの私設マネジャー。苦しい時も『全日本をつぶすわけにはいかない』と必死だった」と語り、「ボウリングがうまくてね、馬場さんの指に合うボウリングのボールを作ったんだよ。『うちのかあちゃんにはかなわない』って笑っていた」と2人をしのんだ。

 元子さんは馬場さんの死後、遺骨をずっと手元に置いていた。馬場さんと、馬場さんが作った全日本プロレスを心から愛していた。【桝田朗】

17年1月、恵比寿の自宅で行われた喜寿お祝い会で
83年1月、「馬場をますますテレさす会」「結婚・処女出版・誕生日」を祝って開催された会で、ケーキカットする馬場さんと元子さん夫妻
15年1月、ジャイアント馬場さんの十七回忌追善興行で、馬場さんの等身大フィギュアに寄り添う元子さん
15年6月、元子さんから譲り受けた馬場さんの愛車キャデラックに乗り笑顔を見せる曙

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スタン・ハンセン氏悼む…天国でゆっくり語り合って

01年1月、引退を表明したハンセンは元子社長から花束を贈呈された


 全日本プロレスの創始者、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で同団体の社長も務めた馬場元子(ばば・もとこ)さんが14日、肝硬変のため亡くなった。全日本プロレスが23日に発表した。78歳だった。通夜・告別式は19、20日に親族のみで執り行われた。日本のプロレス界のスターとして一時代を築いた馬場さんを裏方で支えた。

 全日本プロレスの外国人トップレスラーとして活躍した「不沈艦」スタン・ハンセン氏(68)が22日(日本時間23日)、米コロラド州の自宅で馬場元子さんの死に心を痛め、深く悲しんだ。「馬場さん、元子さんとともに歩んだ一時代が終わった気持ちです。2人には大変、お世話になりましたから。とても悲しいです」と哀悼の意を表した。

 ハンセン氏が一番の思い出として挙げたのは01年1月、東京ドームで開催された「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」での自身の引退セレモニー。異例の10カウントゴング、満員のドームに響いた「大ハンセンコール」、新日本プロレスの選手も出席するという特別な式典は、当時社長だった元子さんが用意してくれた。同氏は「家族まで招待してくれた立派な引退式典でした。感謝の念に堪えません」と言葉を詰まらせた。

 馬場さんの他界後、自ら社長として全日本を存続させた元子さんに向け「馬場さんの跡を継ぎ、全日本を守り抜いたことに敬意を表したい。天国で愛する馬場さんと再会し、ゆっくり語り合ってほしい」と願っていた。(デーブ・レイブル通信員)

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馬場元子さん死去、元全日本プロレス社長 78歳

馬場元子さん(2015年6月25日撮影)


 故ジャイアント馬場さん(享年61)夫人で、元全日本プロレス社長の馬場元子さんが、肝硬変のため14日に亡くなっていたことが23日、分かった。78歳だった。

 全日本プロレスの名誉レフェリーを務める和田京平さん(63)が同日、日刊スポーツの取材に応じ明かした。和田さんによると、元子さんは、昨年の夏前に肝臓の病気が悪化し6月に都内の病院に入院。その後「余命2週間」と医師から宣告されたという。一時は病状も回復したが、13日に容体が急変し、14日午前中に亡くなったという。19日に通夜、20日に告別式が親族のみで執り行われた。

 元子さんは、15歳のときに当時プロ野球巨人の投手だった馬場さんと知り合った。その後、1966年に婚約したが、結婚が明かされたのは、82年になってからだった。その間、「馬場さんの私設マネジャー」と言われたように、全日本プロレスを立ち上げ、運営する際に主に経営面から馬場さんをサポートした。99年1月31日に馬場さんが死去すると、新社長となった故三沢光晴さんの元、取締役に就任。経営方針の違いで、三沢さんらが離脱してノアを設立すると、00年に元子さんは社長に就任。川田利明ら、残った選手は少なかったが、天龍源一郎を全日本に復活させ、武藤敬司を新日本から迎えるなど、馬場さんが残した全日本の存続に力を尽くした。

 その後、武藤に社長の座を譲り、経営からは身を引いていた。和田レフェリーは「酒もタバコもやらないのに、肝硬変で亡くなるなんて。4、5カ月前に病院でお見舞いしたときは、元気いっぱいで、嫌みを言われた。病院に入っても強かったね。60歳すぎても怒られるのはオレぐらい。怒ってくれる人がいなくなって本当に寂しいよ」と話していた。三沢さんらが大量離脱した際に、全日本に残り元子さんを支えた渕正信(64)は「体調が悪いと聞いていたが、まさかそこまでとは。最後まで弱っている姿を見せたくなかったのかな。01年に馬場さんの三回忌を東京ドームでやったときに、『三回忌だけはしっかりやりたい』と頑張っていた」と振り返った。渕が元子さんの元気な姿を最後に見たのは、2年前の全日本プロレスの新潟・三条市大会。馬場さんの名誉市民記念試合で、元子さんがあいさつした姿だったという。「具合が悪いので、リングに上がれずにリングサイドであいさつしていた。あのころから体調が悪かったのかな」と話した。

15年6月、馬場元子さん(右)から譲り受けたジャイアント馬場さんの愛車キャデラックに乗り込み笑顔
35周年パーティーでジャイアント馬場さん(右)の横で笑顔の馬場元子夫人(撮影・1995年9月29日)

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木村吉光、王座奪取ならず 決定打奪えず判定負け

<ボクシング:WBOアジア太平洋フェザー級タイトルマッチ12回戦>◇12日◇東京・後楽園ホール


 10戦目で初のタイトル挑戦となった同級5位木村吉光(21=白井・具志堅)の王座奪取はならなかった。同級王者リチャード・プミクピック(27=フィリピン)の初防衛戦で、0-3の判定負けを喫した。

 初回は強引に前へ出てこられ、再三バッティングされた。これでリズムがつかめずに、前半は大きなパンチで先手をとられた。

 木村も必死でボディーやワンツーで逆襲するが、なかなか決定打を奪えない。5回にはコーナーに追い込まれての連打に鼻血を出した。後半は木村が積極的に攻めたが、ロープやコーナーに追い込んでも、回り込まれたり、クリンチで逃げられた。採点の結果は2人のジャッジが4ポイント、1人が2ポイント差だった。

 木村は15年5月にプロデビューし、16年全日本新人王になった。ここまで順調にきたが、まだ3年目。王者は昨年9月にこの王座に就いたが、世界挑戦経験ある天笠を破って引退に追い込んだ。この試合が31戦目とキャリアの差があった。

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