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元稀勢の里は父はさみで涙、系譜継ぎ横綱育成誓う

父・萩原貞彦氏にはさみを入れられる元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

1月の初場所中に引退した大相撲の元横綱稀勢の里の荒磯親方(33)が「力士の象徴」という、まげと別れを告げた。

29日、東京・両国国技館で引退、襲名披露大相撲を、1万人を超える観衆が集まる大盛況の中で開催。約300人がはさみを入れた断髪式の終盤には、涙も流した。今後は師匠の隆の里、さらにその師匠の初代若乃花と3代続く横綱の系譜を受け継ぎ、横綱を育てることを誓った。

   ◇   ◇   ◇

断髪式も残り15人となったところで、大粒の涙が、荒磯親方の右目から流れ落ちた。父萩原貞彦さんがはさみを入れ、労をねぎらわれた時だった。幼少から元アマチュアボクサーの父、中学卒業後からは、先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)に厳しく育てられた。この日はちょうど先代の誕生日。土俵を「崖っぷちだと思え」と、命がけの戦場にたとえた先代は、8年前に他界した。怖かった父にも優しくされ、約17年間の土俵人生が終わったことを再認識。感極まった。

その後は次々とライバルがはさみを入れた。04年九州場所で同時に新入幕を果たした元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏や、白鵬、鶴竜の現役両横綱、史上最多66度も対戦した前頭琴奨菊-。「一緒に戦ってきた仲間。特別な思いがある。いろんな方に来ていただいて幸せです」。国技館の土俵で、そんな面々から「お疲れさま」と声を掛けられた。再び涙腺が緩みかけたが、踏ん張った。

1万人超の観衆からは何度も稀勢の里コールが起きた。「ありがたい。あの歓声が最後と思うとさびしい。あの歓声に何度も助けられたから」。左大胸筋を断裂しながら「損傷」と軽い診断名を発表して土俵に立ち、逆転優勝した一昨年春場所を思い返した。

「力士の象徴」という大銀杏(おおいちょう)を落とし、整髪の間に「力士卒業」と切り替えた。次の目標を問われると「健康でいること」と笑った。真意は「健康でないと力士は育てられない」からだという。元横綱初代若乃花から見て孫弟子にあたり、横綱の系譜を継ぐ珍しい3代目だ。

荒磯親方 横綱(元隆の里)のもとで育ち、横綱とはこういうものと近くで聞いていた。その経験が多少は生かされた部分はある。そういう経験は何人もできるものではない。横綱の気持ち、精神力を教えていくのも務めだと思う。逃げない。一生懸命。正々堂々。それはピンチの時に出る。教えをつなげていきたい。

日本人横綱に託された使命は、後継者の育成に他ならない。【高田文太】

父・萩原貞彦氏にはさみを入れられ涙を拭く元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

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初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む

84年1月、初場所7日目に全勝の隆の里から初金星を挙げた逆鉾は土俵上で思わずガッツポーズ

大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名・福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。秋場所前から体調を崩し、本場所を休場して入院。16日夜に容体が悪くなった。関係者によると、膵臓(すいぞう)がんとみられる。

   ◇   ◇   ◇

土俵ではやんちゃで血気盛んだった。84年初場所7日目に、全勝の横綱隆の里を得意の外掛けで破った。初金星に、思わず土俵上でご法度のガッツポーズをした。それまで高見山が1度やったが、それ以来となる日本人力士で初めてのことだった。

両手をつく立ち合い正常化が求められた秋場所では、取り直し第1号にもなった。大関北天佑をもろ差しで電車道も、九重審判長(元横綱北の富士)に「ちょん立ちだからもう1回」と不可とされた。これに逆鉾はぶぜんとし、審判長をにらみつけながら土俵を横切って戻ったこともあった。

弟寺尾ら昭和38年生まれのサンパチ組が活躍する時代に、2歳年上も存在感があった。父譲りのもろ差しからガブリ寄りが十八番で、相撲っぷりに血統もあって人気者。金星7個に三賞9度。胸を張り、肩をいからせ闊歩(かっぽ)していた。土俵でもアゴが上がる癖が直らなかったが…。

普段はシャイでまじめ。初めて飲んだ時も「記者さん、俺なんか意味ないよ。アビ(弟寺尾の愛称)を誘った方がいいよ」とはにかんだ。小さいころから初代若乃花のファン。雑誌や本を買いあさり、現役時も読みふけった。昭和の土俵を沸かせた個性派だった。【河合香】

井筒親方(10年01月11日撮影)

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貴景勝ら初代横綱若乃花の墓参り「恥じない相撲を」

初代若乃花の命日に墓参りに訪れた貴景勝(前列左から2番目)ら千賀ノ浦部屋一行(撮影・佐藤礼征)

大相撲秋場所(9月8日初日、東京・両国国技館)で大関復帰を目指す関脇貴景勝(23=千賀ノ浦)ら千賀ノ浦部屋一行が1日、都内で初代横綱若乃花の墓参りを行った。この日は初代若乃花の命日。「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花は、千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)の師匠で、元貴乃花親方の伯父にあたる。ルーツある大横綱の墓前で手を合わせた貴景勝は「孫弟子として恥じない相撲を取らないといけない」と、気を引き締めるように話した。

前日8月31日の横綱審議委員会(横審)による稽古総見で104日ぶりに関取衆と相撲を取った貴景勝は、この日は四股やテッポウなどの基礎運動で体を動かした。名古屋場所を休場する要因となった右膝に高い負荷をかけた稽古総見から一夜明け、多少の疲労感を覚えるが「ありがたい疲れ。(膝は)。全然大丈夫。あとは上半身と下半身の連動が大事になる」と充実した表情を見せた。10勝以上で大関返り咲きとなる秋場所は1週間後に迫ったが、調整は想定以上に進んでいるという。2日から始まる二所ノ関一門の連合稽古に向けても「できるだけ参加したい」と意欲を見せた。

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振分親方「今の力士を」まわしオファー生真面目固辞

青森・板柳町で行われた夏巡業に参加した地元出身の振分親方(撮影・佐藤礼征)

大相撲夏巡業が14日、青森・板柳町で行われ、勧進元を務めた元関脇追風海の斉藤直飛人(44)は「多くのお客さんが集まって良かった」と胸をなで下ろした。

同町出身で引退後は青森で県議会議員を務め、この巡業では同県の相撲普及を狙った。初代若乃花や隆の里、旭富士を輩出した同県だが、近年は相撲人口が減少傾向。「僕らの頃は青森出身の力士とモンゴル出身の力士が同じくらいいた。昔は相撲か野球しかスポーツがなかったけど今は多様化している。これからまた少しでも増えてくれれば」と斉藤氏。この日は2000人近くの観客が集まり、同県出身の幕内力士である宝富士や阿武咲らが人気を博した。

斉藤氏と同じく同町出身の振分親方(元小結高見盛)は、終始写真撮影やサインを求められる人気ぶり。斉藤氏からは「まわしを締めて相撲を取らないか」と打診もあったが断った。「もう自分は力士ではないので。今の力士たちを見てほしいから、自分が目立つというのはあんまりと思い…」と生真面目に話した。

青森・板柳町で行われた夏巡業で勧進元を務めた元関脇追手海の斉藤直飛人氏(撮影・佐藤礼征)

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白鵬が「土俵の鬼」の故郷で大技「呼び戻し」披露

三番稽古で琴恵光をつり上げる白鵬(左)(撮影・佐藤礼征)

大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が、「土俵の鬼」の故郷で大技を試した。14日、青森・板柳町で行われた夏巡業に参加。

この日から相撲を取る稽古を再開させ、三番稽古では前頭琴恵光を相手に6番取って全勝だった。3番目には初代横綱若乃花の得意技「呼び戻し」を披露。豪快に琴恵光を転がすと、集まった約2000人のファンから拍手と歓声が巻き起こった。「呼び戻しと言えば青森。初代若乃花といえば呼び戻しですから」。初代若乃花は青森・弘前市出身。会場は弘前駅から車で約30分とほど近いだけに「『地元にきた』と縁があることを感じられるからね」と意識していた。

巡業初日からすり足などの基礎運動で体を動かし、相手を前に立たせて立ち合いの確認も行ってきた。久しぶりの実戦に「いい感じでできた。番数は少なかったけどいい汗をかけました」と感触の良さを口にした。

琴恵光を指名した理由については「今まであまり稽古をつけていなかったから」と説明。幕内で2場所連続で勝ち越し中と、勢いに乗る相手を「小さいけど右四つ身にそれなりの完成(度)があったかな」と評価した。

その琴恵光は「初めてだったけど、自分の体勢になってもなかなか前に出られなかった」と、力の差を感じた。もろ差しで土俵際まで寄る場面もあったが、簡単につり上げられて形勢逆転。6番目で土俵の外に投げられた際に首を痛め、稽古が中断するなど力を発揮できなかった。三役を目標に掲げる27歳は「(もろ差しから)押せる気がしなかった。重い。力が伝わらなかったけど、(こういう機会は)ありがたい」と感謝した。

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社会現象に…大相撲を世にしらしめた「若貴ブーム」

92年1月27日付日刊スポーツ東京最終版

<平成とは・大相撲編(1)>

平成は「若貴時代」とともに始まった。大横綱千代の富士が君臨していた大相撲界に、新時代を担う宿命を背負った兄弟力士が登場した。若花田(のちの若乃花)と貴花田(のちの貴乃花)。父は元大関貴ノ花で、期待にたがわず番付を駆け上がり、日本中を熱狂させた。「平成とは」大相撲編(3回)の第1回は、社会現象となった「若貴ブーム」を振り返る。

   ◇   ◇   ◇  

平成4年(1992年)1月26日午後5時。固唾(かたず)をのんで土俵に注目していた日本中が、その瞬間に沸き上がった。

大相撲初場所千秋楽。東前頭2枚目の貴花田は三杉里を寄り切り、14勝1敗で初優勝を飾った。19歳5カ月、史上最年少の幕内優勝。この場所、日刊スポーツ(東京版)は15日間、1面をすべて相撲で貫いた。歴史的快挙は号外で報じた。日刊スポーツの号外発行は77年11月22日、江川卓の「クラウンライターが1位指名」以来だった。

若貴兄弟は88年春場所、初土俵を踏んだ。「プリンス」と呼ばれ、人気だった元大関貴ノ花の2人息子。入門した時点で人気と角界の未来を担う宿命だった。ともに順調に番付を駆け上がる。特に貴花田は89年九州場所で17歳2カ月の新十両、90年夏場所で17歳8カ月の新入幕と次々最年少記録を更新。甘く精悍(せいかん)な見た目で強い。人気は必然だった。

時代が求めていた。大横綱千代の富士が長らく頂点に君臨する角界は、人気が停滞していた。そこに登場したのが父貴ノ花、おじに元横綱初代若乃花を持つ期待の兄弟。加えて「弟を守るために入門した」という若花田との兄弟愛。名門一家の物語は性別、世代を超えて人の心を引きつけた。91年春場所の貴花田対小錦の瞬間最高視聴率は驚異の52・2%(ビデオリサーチ調べ)。主婦層がターゲットのワイドショーも連日、兄弟を追いかけた。

社会現象ともいえるフィーバーは貴花田の初優勝後、さらに過熱した。92年春場所前。大阪入りする際は羽田空港でタクシーを機体に横付けし、到着した大阪空港ではVIP出口から脱出した。東大阪市の宿舎はひと目見ようと連日、ファンが取り巻く。狭い道路脇に最高500人。巻き込まれた高齢女性が転倒し、骨折する事故も起きた。そんな周囲を冷静に見つめた若花田は「昨年(の春場所で)、光司が11連勝してからパニックが始まったんだよな。俺も表に出られないかな」とつぶやいたという。

不器用で表現が下手な弟と器用で明るい兄の構図も、分かりやすかった。フィーバーの最中、しゃべりが苦手な弟を守るべく若花田は「俺が全部対応する」とマスコミの前に立った。ただ、貴花田は自身の人気に無頓着だった。当時を取材していた記者が述懐する。

「買い物に付き合ったこともあったが、ワーワーされてもまるで気にしない。こっちがひやひやするぐらいだった。プライベートでは付け人をつけなかった。『自分の召し使いじゃない』と。(関取になった)当時は17、18歳だったけど、芯はしっかりしていた」

順調な出世はただ、天分に恵まれただけではなかった。貴花田の新十両昇進時、「今までで一番後悔していること」の質問に「(明大中野)中学時代、クラスのいじめられっ子を助けられなかったこと」と返した。そんな卓越した精神面に、見る人が「殺し合いかと思うぐらい」の猛稽古。裏側には血へどを吐くほどの壮絶な努力があった。

新弟子検査に史上最多160人が殺到したのも92年春場所。貴花田は同年11月に女優宮沢りえとの婚約、そして年明けに破局。常に話題の、時代の中心にいた。そんな立場に置かれた状況を横綱になった貴乃花に聞いたことがある。

「孤独なもんです」

89年九州場所11日目から始まった史上最長の大入り満員は97年夏場所2日目、666日でストップした。「兄弟絶縁」や「洗脳騒動」。土俵外に注目は移り、貴乃花は孤立感を深めていった。親方としても。

平成最後の年、兄弟2人とも日本相撲協会を去っている。賭博、暴力問題に大揺れした国技も今、人気は隆盛を誇る。ただ「若貴」のような強烈な個は現れていない。平成の世に一時代を築いた。「大相撲」を幅広く知らしめたのは、何よりの功績。その土台があって、大相撲は令和の新時代を迎える。(敬称略)【実藤健一】

91年6月、消防訓練後に兄・若花田(右)とポーズをとる貴花田

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心臓から汗を!稀勢の里荒磯襲名4代連続横綱育成へ

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

稀勢の里は今後、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し、史上2例目となる4代連続の横綱誕生を目指し、後進の指導にあたることになる。入門時から指導を受けた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)、その師匠にあたる元二子山親方(元横綱初代若乃花)と、二所ノ関一門における横綱の伝統を受け継ぎ、稀勢の里で3代目だ。

横綱だった師匠がまた横綱を育てる系譜。たとえば出羽海一門では常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸と横綱が5代続く。元武蔵丸の武蔵川親方が、現在も弟子の育成に尽力しているが、稀勢の里にはこれに負けじと、横綱の系譜の継承を期待されている。

昨年11月の九州場所を休場後、自身の稽古と並行して弟弟子の指導も行っていた。自らが保有する上半身を鍛える器具を稽古場に持ち込み、若い衆に筋力強化に努めさせるなど、以前よりも精力的に後進育成に力を注ぎ「みんな力が付いてきた」と目を細めている。

先代鳴戸親方には「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、多い日は1日100番にも及ぶ猛稽古で強くなってきた。「心臓から-」は、先代鳴戸親方が、元二子山親方に言われてきた言葉。土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。脈々と受け継がれる教えを踏襲しつつ、現在は部屋の若い衆に四股を踏む際の姿勢から助言。基礎運動重視の伝統的な指導者像もかいま見える。

今場所前は「自分と向き合う稽古もある」との持論を展開し、相撲を取る稽古はこれまでよりも控えめだった。伝統と自身の経験から生まれた指導法で、当面は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として指導。その後、荒磯部屋を設立する可能性もある。【高田文太】

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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稀勢の里が横綱6連敗…横審も神妙「不安」の声

御嶽海(左)に押し出しで敗れる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇初日◇13日◇東京・両国国技館

進退の懸かる横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、完敗した。得意の左四つに持ち込めず、小結御嶽海に押し出された。

昨年秋場所千秋楽、同九州場所初日からの4連敗と合わせ、不戦敗を除いて6連敗。見守った横綱審議委員会(横審)の面々からは不安の声が上がった。今日2日目は西前頭筆頭の逸ノ城と対戦する。

1度も主導権を握れないまま、稀勢の里はあっけなく土俵を割った。立ち合いから押し込んでも、実際には御嶽海の術中にはまっていた。左をねじ込んで得意の左四つに持ち込みたかったが、固められ、おっつけられた。苦し紛れの突き落としを残されると、体勢を入れ替えられ、腰を落とした万全の相手に押し出された。進退の懸かる場所で、過去6勝1敗と合口の良い相手に痛すぎる黒星発進。3場所にわたる6連敗は、横綱として歴代2位の不名誉な記録となった。

引き揚げる際には首をひねり、天井を見上げる場面もあった。支度部屋では、左差しを狙っていたのか問われ「はい」と、声にならないような声で回答。あとは「ここからという気持ちか」など、2日目の逸ノ城戦以降の修正に前向きな気持ちか確認する質問に2度「そうですね」と答え、時折ぼうぜんとしていた。

昨年11月の九州場所で、初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、途中休場した。横審から史上初の「激励」を決議され、今場所の奮起を促されていた。この日は横審の本場所総見。観客席から見守った北村委員長は「残念ですね。まだ初日。これからがあるといっても、あそこで頑張りきれない。場所を全うできるのか不安になる。バタバタ感がある」と神妙に話した。

一昨年3月の春場所で横綱に昇進以降、これで初日は2勝6敗となった。過去5敗の場所は、すべて途中休場に追い込まれている。データ通りなら途中休場。進退の懸かる今場所は、途中休場に相当する成績なら引退になりかねない。前日12日には「順調にやれた」と、ここまでの調整は万全だと強調。だが多くの親方衆や解説者らからは、稽古量不足を指摘されていた。

入門当時から指導を受けていた、故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)からは「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、猛稽古で強くなってきた。この言葉は先代鳴戸親方が、さらに師匠である元二子山親方(元横綱初代若乃花)から言われたもの。稀勢の里も節目で言われてきた言葉で、関係者によると、稽古量だけではなく、土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。いよいよ後がなくなった今こそ、命懸けの取組を、ファンは待っている。【高田文太】

国技館を引き揚げる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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92年10月 宮沢りえと婚約発表/貴乃花光司年表

91年5月、初日に千代の富士を破る

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。

<貴乃花光司年表>

◆1972年(昭47) 杉並区阿佐谷生まれ。

◆83年 小学5年でわんぱく相撲の全国大会優勝。

◆85年 明大中野中に進学。

◆88年2月 兄勝とともに父の藤島部屋に入門。

◆88年3月 貴花田のしこ名で春場所で初土俵。

◆89年3月 春場所で序の口東11枚目で5勝2敗

◆89年5月 幕下東48枚目で7戦全勝で優勝。16歳9カ月での幕下優勝は史上最年少。

◆90年3月 春場所は西十両3枚目で臨み9勝6敗。場所後に17歳8カ月での新入幕昇進を果たした。

◆91年3月 春場所東前頭13枚目で初日から27年ぶりの11連勝。敢闘賞、技能賞のダブル受賞を果たす。

◆91年5月 夏場所では西前頭筆頭まで番付を上げ、初日に横綱千代の富士と対戦し、18歳9カ月での史上最年少金星を獲得。

◆92年1月 初場所は東前頭2枚目。14勝1敗の好成績で初優勝。

◆92年10月 秋場所後に女優宮沢りえとの婚約発表。世紀のカップル誕生は社会現象となった。

◆93年1月 東関脇で迎えた初場所は11勝4敗。20歳5カ月で大関昇進を果たし、その直後にしこ名を貴花田から父親と同じ貴ノ花に改名。また、宮沢りえとの破局が明らかになった。

◆94年9月 西大関として初の全勝優勝。場所後に貴ノ花から貴乃花に改名した。

◆94年11月 九州場所で2度目の全勝優勝。秋場所初日から30連勝で、第65代横綱に昇進。11月23日の昇進伝達式では「不撓(ふとう)不屈」(大関昇進時も使用)「不惜身命」の4文字熟語で横綱昇進への決意を示した。

◆95年5月 元フジテレビアナウンサーの河野景子と結婚。同年9月に長男優一氏が誕生。

◆01年5月 初日から13連勝も14日目の大関武双山戦で右膝半月板損傷の大けが。千秋楽に完敗し、決定戦で武蔵丸を上手投げで破り優勝、表彰式で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」の名文句が飛び出した。

◆03年1月 最後の場所となった初場所、4勝4敗1休で、30歳5カ月で相撲人生にピリオドを打った。

◆04年6月 正式に二子山部屋を継承。名前は貴乃花部屋に変更した。

◆05年5月 父の二子山親方(元大関貴ノ花)が口腔底がんのため死去。

◆10年1月 初場所後の理事選に立候補することを表明。二所ノ関一門を離脱してまで単独で立候補する貴乃花親方の行動は一門の枠を超えて親方衆に影響を与え、落選必至と言われた中で当選を果たし「貴の乱」と言われた。

◆10年5月 貴乃花グループと呼ばれていた派閥は「貴乃花一門」に。

◆16年1月 初場所後の理事選で4選を果たし、理事長選に出馬も6対2で現在の八角理事長に完敗。

◆18年6月 貴乃花一門は、貴乃花親方が離脱したため消滅。

◆18年9月 25日に相撲界からの引退を発表。

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん
花田家の家系図

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貴乃花の母紀子さん「見事」一本気な息子の決断称賛

貴乃花親方について語った藤田紀子(2018年8月24日撮影)

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。その歴史を見てきた母でタレントの藤田紀子(71)が取材に応じ、息子の決断を「見事」と称賛した。

貴乃花親方の母、藤田は都内の自宅で会見のテレビ中継を見ていた。母子関係が断絶して13年。1度も連絡を取り合ったことはないが、その一本気な性格を知り尽くすゆえに、気持ちを理解していた。

「『見事』と言ってあげたいです。告発状を取り下げたのに、役員が『内容を事実無根と認めるように』と迫ったのが本当なら、何かの裏を感じますが、光司はそういうことでは折れないタイプ。相撲界を離れることは本当に無念だとは思いますが、信念を曲げなかった。母としては、うれしい気持ちもあります」

貴乃花親方は、幕内優勝2回の父を尊敬し、当時の藤島部屋に15歳で入った。努力を重ねて横綱になり、22回優勝。同時入門の兄虎上(まさる)は5回優勝。部屋は兄が継ぐものだと思っていたが、引退から9カ月の00年12月18日に退職した。母も部屋を出て01年に離婚。「相撲あっての花田家」の思いから、父が亡くなった05年5月30日以降は、2人との関係を絶った。その本人が、協会に退職の届け出を提出。花田家と大相撲の歴史は72年で幕を閉じるが、母はそれを支持した。

「貴乃花は一代年寄であり、親から受け継いだ名跡ではありませんから、退職するのも光司だけの決断でいいと思います。この72年を立派に締めくくってくれたと理解しています」

実は、貴乃花親方が平年寄になった時点から、藤田は「早く相撲協会を退職すべき。もう、これ以上いても苦しいだけ。離れても十分に生きていける」と考えていた。

「15歳でゼロから相撲を始め、すさまじい努力をしてきた子ですから、少々のことではへこたれません。これから、またいろんな可能性が広がるわけで、楽しみでもあります」

貴乃花親方は1度決めたことを貫徹してきた。藤田も、これで関係が修復するとは思ってはいないが、「体のことが心配ですし、何かあれば、守ってあげたい気持ちはあります」と話している。【柳田通斉】

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阿武咲の強心臓、初金星も「その空気が楽しかった」

日馬富士(左)を、はたき込みで破る阿武咲(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇5日目◇14日◇東京・両国国技館

 21歳で幕内最年少の東前頭3枚目阿武咲(阿武松)が、横綱初挑戦で日馬富士を破り、初金星を獲得した。横綱初挑戦で初金星は、今年の名古屋場所の北勝富士以来。全勝だった平幕の琴奨菊、千代大龍、貴ノ岩、大栄翔が敗れ、阿武咲が、16年名古屋場所の逸ノ城以来となる5日目での平幕単独トップに立った。

 支度部屋に戻った阿武咲は、興奮を抑えきれなかった。大量の汗を流しながら「あんまり覚えていない。でも座布団が見えた時に『勝ったんだ』と思った。うれしかった」と初金星の味をかみしめた。

 スピード自慢の横綱に、引けを取らない立ち合いだった。それでも押し込まれたが土俵際で左に動き、体勢を崩した相手の頭をはたき込んだ。「緊張はなかった。その空気が楽しかった。行司の『これにて打ち止め』を聞いて、そこで相撲を取っているんだと思った」。初の横綱戦で初の結びの一番。不思議なくらい緊張はなかった。

 自然体で相撲を取ることを覚えた。15年初場所で新十両に昇進したが、16年夏場所で幕下に陥落した。その時に、初めて相撲と真剣に向き合った。「負けたら同じ道を通らないとか、食べ物を全部変えたりとか。勝った日と同じことをしたりもした。しばられていました」。験を担ぐタイプだったが、屈辱を機に一切やめた。「自然体でいようと」。だから無心で土俵に上がれた。

 3横綱1大関の休場に加えて、上位陣が総崩れの今場所。頼もしい存在の出現に八角理事長(元横綱北勝海)は「この力士には気負いがない。立派なものですよ。怖いもの知らずの勢いが感じられる。優勝の権利はある」と期待をかけた。優勝争いのトップに立った阿武咲は「結果であって意識することはない」と冷静。強心臓の21歳が、今場所を引っ張っていく。【佐々木隆史】

 ◆阿武咲奎也(おうのしょう・ふみや)本名・打越(うてつ)奎也。1996年(平8)7月4日生まれ、青森県中泊町出身。中里中2、3年時に全国都道府県中学生選手権の個人戦で史上初の連覇。三本木農高1年時に国体少年個人で優勝。1年時に同校を中退して角界入りし、13年初場所で初土俵を踏んだ。15年初場所で新十両。今年の夏場所で新入幕に昇進して、1場所15日制が定着した49年夏場所以降、初代若乃花や白鵬らと並び、7人目の2場所連続2桁勝利中。得意は突き、押し。176センチ、155キロ。通算186勝127敗1休。

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阿武咲が大関高安圧倒7番全勝で存在感「良かった」

大関高安(右)を押し込む阿武咲

 青森県中泊町出身の幕内阿武咲(21=阿武松)が16日、凱旋(がいせん)した同県板柳町の夏巡業で存在感を見せつけた。稽古で大関高安に指名されると、力強い立ち合いで圧倒。7番取って全勝した。新入幕から2場所連続の2桁勝利を挙げて、秋場所(9月10日初日、東京・両国国技館)では初めての上位戦を迎えるが「楽しみしかない」とうそぶいた。

 大関との稽古で際立ったのは、阿武咲の力強さだけだった。「中泊町出身」の場内アナウンスに、惜しみない拍手と大声援が送られた津軽りんご市場の会場。ホームと化した土俵で高安に全力で挑んだ立ち合いが、ことごとく通じた。突っ張り合いでも負けない。懐に入れば、低く鋭い圧力で前に出られる。7番取って全勝に「うれしかったです。足も良く動いていた。良かったですね」と喜んだ。

 実家にほど近い板柳町での巡業は、まさに凱旋(がいせん)だった。新入幕だった夏場所に続いて名古屋場所でも10勝した。新入幕からの連続2桁は、1場所15日制が定着した49年夏場所以降、7人目の快挙。過去の6人には横綱の初代若乃花や白鵬の名前もある。そんな快挙をひっさげてのご当所場所だけに「うれしいっすよ」と喜んだ。

 稽古後は、前日の青森市に続いて子どもとの稽古に登場して盛り上げた。自身もかつて、青森市巡業で元小結の高見盛らに胸を出してもらったことがあった。プロに胸を借りたのはそれが初めて。今も記憶に残る。今度は自分が子どもたちに思い出をつくってあげたい。「その思いがあります」と恩返しも兼ねていた。

 再会した恩師らからは「もっと上を目指せ」と言葉をかけられた。「そういう気持ちでやりたい」。秋場所は初めての横綱、大関戦を迎えるが「昔から、強い人とやるのが好きでした。楽しみしかないです」。将来有望な若武者は早くも武者震いが止まらなかった。【今村健人】

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白鵬少年がモンゴルで食べた「うまい棒」/一問一答

白鵬は日馬富士(右)を寄り倒しで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇千秋楽◇23日◇愛知県体育館

 横綱白鵬(32=宮城野)が、2場所連続39度目の優勝を決めた。1差に迫っていた平幕碧山が勝ったため、結びの一番で横綱日馬富士に敗れれば優勝決定戦にもつれ込むところだったが、1分9秒5の長い相撲を制して賜杯を手にした。

 -どんな思いで土俵に上がったのか

 11日目で負けたけど良い流れでこれた。もう一番あるという気持ちで上がりました。

 -15日間を振り返って

 名古屋場所が今回、60回記念大会ということもありまして、実は、昭和33年にここで初代若乃花が優勝しました。若乃花さんと私、実は縁がありまして。26年前に、相撲のルーツということでモンゴルを訪ねられたんですね。私の父と対談しまして。その頃私は6歳で、若乃花関からお菓子をいただいたんです。それがなんと「うまい棒」だったという。その記念すべき名古屋で大記録を達成できて、縁を感じております。

 -魁皇の1047勝を超えた

 魁皇関の1047勝というのがありましたけど、同じ横綱として千代の富士関の1045勝というのは、名古屋場所前から目標にしていた。その両方を達成できて、本当に、みなさんにお見せすることができて幸せだと思ってます。

 -今場所は若手の活躍があった

 ようやく出てきたかな。ようやく、ですよ。もっと早く出てきてもおかしくなかった。

 -今後の目標は

 ふるさとに帰って休みたいと思うけど、今頭にあるのは幕内1000勝で頑張りたいと思います。

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白鵬39度目V「名古屋のみなさん、サン・キュー」

白鵬は名古屋場所で優勝を飾り賜杯を手にする(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇千秋楽◇23日◇愛知県体育館

 横綱白鵬(32=宮城野)が、横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)を破り14勝1敗で、2場所連続39度目の優勝を飾った。13日目には通算勝利数で魁皇を抜き歴代単独1位に立った場所で花を添えた。

 白鵬は優勝インタビューを「名古屋のみなさん、サン・キュー!」と切り出した。「11日目で負けてしまいまして、その流れが後から良かったので。もう一番あるよと言い聞かせながら、気楽に土俵に上がりました。名古屋場所が今回60回記念大会と言うこともありまして、実は、昭和33年ここの初場所で初代若乃花が優勝しました。この若乃花さんと私、実は縁がありまして。ちょうど今から26年前に、世界の相撲のルーツということでモンゴルを訪ねられたんですね。私の父と対談しまして。その頃私は6歳で、若乃花関からお菓子をいただいたんです。それがなんと、うまい棒だったという。その記念すべき名古屋で大記録を達成できて、縁を感じております。」と振り返った。

 次の目標も口にした。「魁皇関の1047勝というのがありましたけど、同じ横綱として千代の富士関の1045勝というのは、名古屋場所で目標と掲げた。その両方を達成できて、本当に、みなさんにお見せすることができて幸せだなと思ってます。ゆっくり明日からふるさとに帰って休みたいと思うんですけど、今頭にあるのは幕内1000勝目指して頑張りたいと思います。名古屋のみなさん、熱い15日間をありがとうございました」と力強く話した。

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阿武咲、新入幕から2場所連続2桁勝利 史上7人目

勝ち名乗りを受けて誇らしげな表情を見せる阿武咲(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇14日目◇22日◇愛知県体育館

 西前頭6枚目の阿武咲(21=阿武松)が2場所連続の2桁勝利を飾った。

 小結嘉風(35=尾車)と本来の突き、押しではなく組む形になったが「中には入れさせなかったので、そこが良かった。体がしっかり対応してくれた」。構わず前に寄って、寄り切った。

 先場所の新入幕から、連続2桁。これは1場所15日制が定着した49年夏場所以降、04年九州の露鵬以来7人目の快挙だった。過去の6人には横綱の初代若乃花や白鵬の名前も。ただ、2桁については「全然、意識もしていなかった」と気にせず、それよりも「楽しいっすね。テレビで見ている人とやれて。先場所よりも明らかに強い人たち。めちゃくちゃ楽しい」。21歳の若武者は強者と相撲が取れることを、何物にも代えがたい喜びと感じていた。

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兄弟弟子の明暗…高安「充実」も稀勢の里「歯車が」

二所ノ関一門の連合稽古で、北勝富士(右)に上手投げを見舞う大関高安(左)。後方は見守る横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

 名古屋市天白区の大相撲の二所ノ関部屋で1日に行われた二所ノ関一門の連合稽古で、田子ノ浦部屋の兄弟弟子の明暗が分かれた。大関高安(27)は一門外の平幕北勝富士や元大関琴奨菊に10戦全勝。しかし、横綱稀勢の里(30)は小結嘉風に2勝7敗と苦戦し、最後はうめき声とともに力なく土俵を割って相撲を終えた。見守った相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)も不安を隠せなかった。

 「あっ!」といううめき声を、思わず上げてしまった。稀勢の里はすぐに力を抜き、あえなく土俵を割る。そのまま稽古を終わりとし、いら立ち気味に足元の草を蹴り上げた。前日と同じ嘉風との稽古をわずか9番、それも2勝(7敗)のみで自ら切り上げた。

 9勝12敗だった前日から、どう修正できたかが分かる同じ相手。だが、左を封じられ、右でも捕まえられない。土俵際まで行くも何度も回り込まれて逆転された。まるで前日の繰り返し。そして、最後の不吉な声…。負傷を抱える左腕付近を再び痛めたのか、という問いかけには「う~ん、まぁ…」と言葉を濁し「少しのことですけど、歯車が狂ってくると良くない。少しでも変えようと思うけど…」。表情はさえなかった。

 直前の稽古では、弟弟子の高安が存在感を示していた。前日は疲労で欠席したが、大関として初めて臨んだ連合稽古では、馬力ある北勝富士、琴奨菊を力強い相撲で10戦全勝と圧倒した。「立ち合いが良かった。押し込んでいる分、土俵際でも余裕がありました。充実した稽古ができた」と満足そう。それだけに、最後に登場した稀勢の里への不安が一層、際立った。

 見守った北の富士氏は「高安はやるんじゃないか。十分、活躍できる。それより稀勢の里だ。『痛ッ』と言っていた。左から押して胸を合わせるまでいかないから回り込まれちゃう。楽観はできないだろう。いやいや、困ったもんだな。期待よりも心配の方が大きいよ」と不安を隠せなかった。二所ノ関親方(元大関若嶋津)も「最後がちょっと心配」と渋い表情だった。

 二所ノ関部屋がある仏地院は以前「土俵の鬼」の初代若乃花が、旧二子山部屋の宿舎を構えていた地。いわば一門の象徴でもある。そこで目立った明と暗。名古屋場所の1週間前に分からせてくれたことを、良しとすべきか。【今村健人】

小結嘉風(右)との相撲でバッタリと落ちて顔をしかめる横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

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稀勢の里「美談にしないでほしい」月末から漫画連載

北斗の拳ラオウの化粧まわしの後ろに立つ稀勢の里(撮影・神戸崇利)

 大相撲の横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が「北斗の拳」テイストで漫画になることが6日、分かった。「稀勢の里物語(仮)」として、北斗の拳の三つぞろいの化粧まわしを贈ったコアミックス(本社・東京)が夏場所後にもリリースする漫画アプリ「マンガほっと」と雑誌「月刊コミックゼノン」に掲載される。左上腕部付近に負傷を抱える横綱はこの日、九重部屋に出稽古して関取衆と稽古を再開。午後は都内で横綱昇進披露宴を行い、約1500人から祝福された。

 早熟でいて晩成-。艱難(かんなん)辛苦を乗り越えて横綱に上り詰めた稀勢の里の生きざまが「稀勢の里物語(仮)」として漫画になることが分かった。関係者によると、実在の力士が漫画誌で連載されるのは03年の朝青龍以来だという。

 物語は北斗の拳の三つぞろい化粧まわしを贈呈したコアミックスが編集。春場所逆転優勝の場面をプロローグとしてネット上で“チラ見せ”。続いて同社が夏場所後にも立ち上げる漫画アプリ「マンガほっと」で幼少期から初優勝の前編と、横綱昇進から逆転優勝まで描いた後編を配信する。「月刊コミックゼノン」でも5月25日発売号から掲載。前後編で計100ページほどになるという。

 著者の山田俊明氏を北斗の拳を描く原哲夫氏のスタッフがサポートし、原氏も監修。まさに北斗の拳のテイストが入った作画になる。担当者は「春場所で負ったけがの場面を横綱の知られざる心情を中心に描きます。横綱は『美談にはしないでほしい』と話されていました」と明かした。

 その人生が少年らの手本となる稀勢の里は、夏場所(14日初日、東京・両国国技館)に向けてせわしなく動いた。午後から横綱昇進披露宴を控え、部屋は稽古休みにもかかわらず、九重部屋へ出稽古。幕内千代大龍、十両千代皇と8番ずつ、春場所以降初めて関取衆と相撲を取った。結果は14勝2敗で「基本運動をやっていたせいか、違和感なく取れた。内容が非常に良かった」と笑顔。出場についても「今日の稽古の状況、内容なら問題ない。これから(幕内)上位とやっていく」と前向きに話した。

 披露宴には八角理事長(元横綱北勝海)やほかの3横綱ら約1500人が集まった。急逝した先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)に思いをはせ「あまりにも出世が遅くてこのような姿を見せられなかった。感謝の気持ちを忘れずに精進していきたい」と誓った。強い生きざま。手本となるのは少年らだけではない。

 ◆漫画で描かれた主な力士 以前は横綱の漫画物語が多く、栃錦や初代若乃花、朝潮や大鵬は何度も漫画で描かれている。双葉山は地元大分・宇佐市で漫画化され、千代の富士も「千代の富士物語 北の大将」として漫画になった。また、最近では03年に週刊漫画サンデー(実業之日本社)で「蒼き狼-実録! 朝青龍物語」が描かれた。

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高安57年ぶり同部屋2人だけ9戦全勝に「すごい」

豪風(右)を、はたき込みで破る高安(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇9日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

 高安が10年春の把瑠都以来7年ぶりの関脇9連勝を果たした。

 立ち合いで豪風にいなされて体が泳いだが「そんなに突っ込まなかったので余裕で残せた」。反転し、落ち着いてはたき込み。全勝を守った。兄弟子稀勢の里と同部屋力士2人だけの無傷9連勝は、60年夏の初代若乃花と若秩父以来57年ぶり。「すごいな」と驚いた。

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稀勢の里、窮地で強さ 高安と同部屋単独トップ並走

松鳳山(手前)を小手ひねりで破り、8連勝の稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇8日目◇19日◇エディオンアリーナ大阪

 田子ノ浦部屋の2人がそろって無傷で勝ち越した。06年夏場所13日目の千代大海-魁皇戦以来11年ぶりの日本人対決となった結びの一番で、兄弟子の新横綱稀勢の里(30)は東前頭3枚目の松鳳山を自身初の小手ひねりで退けた。弟弟子の関脇高安(27)も西前頭筆頭の勢を下手投げ。1場所15日制となった49年夏以降、同部屋の2人だけで中日を全勝で折り返すのは、74年夏の北の湖、増位山以来43年ぶりとなった。

 場内から一瞬、悲鳴が上がった。稀勢の里の相撲で、今場所一番のざわめき。だが、12秒4の取組で、最後まで土俵に立ったのは新横綱だった。「いろんなことがありますから。我慢してやりました」。受け取った45本の懸賞の束は、春場所の千秋楽以外では過去最多。取組後の体は、いつも以上に熱を帯びていた。

 11年ぶりに日本人対決となった結びの一番。立ち合いで押し込むも、もろ差しを許して上体が起きる。今場所初めて不利な体勢に。窮地だった。

 だが、ここからが稽古を重ねてきた新横綱の強さだった。下がりながらあらがうと、体を開いて左の小手で振る。その反動を使い、まるで右フックで松鳳山の左ほおを殴るように突きながら、小手もひねった。15年春9日目の旭天鵬以来の自身初「小手ひねり」。「そんな決まり手あるの? 初めて聞いた」と驚くほど無我夢中の逆転劇だった。

 この日のNHK大相撲中継のゲストはボクシング元世界3階級王者の長谷川穂積氏。失敗した11度目の防衛戦を生で応援し、王者に返り咲いて引退した姿に「魂を感じた」人だった。その前で見せた“右フック”で自身7度目の全勝ターン。長谷川氏は「チャンピオンとして重圧もあるでしょうし、相手も一泡も二泡も吹かせようとする。その中で戦い続けるプライドを感じました」と絶賛した。

 弟弟子の高安と同部屋2人だけの全勝ターンは43年ぶり。だが「(高安を)意識しても。また明日しっかり」。最後は涼しい顔で、後半戦に向かった。【今村健人】

 ◆同部屋力士の中日全勝並走 1場所15日制が定着した49年夏場所以降10例目で、稀勢の里、高安コンビは12年秋以来2度目。ただし、同部屋力士2人だけで並走するのは60年夏の初代若乃花と若秩父、74年夏の北の湖と増位山の2例しかなく、今回は43年ぶり3例目。最初の若乃花は9連勝、若秩父は10連勝でストップして結局、若三杉(大豪)が14勝1敗で優勝した。前回の北の湖と増位山は9日目でそろって黒星を喫し、14日目に北の湖(13勝2敗)が優勝を決めた。15日制が定着する前では41年春の立浪部屋時代の双葉山と羽黒山(11連勝)がいる。

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高安「対応力つく」連日稀勢の里と稽古、動画も確認

勢(奥)に下手投げで勝った高安(撮影・岡本肇)

<大相撲春場所>◇8日目◇19日◇エディオンアリーナ大阪

 田子ノ浦部屋の2人がそろって無傷で勝ち越した。06年夏場所13日目の千代大海-魁皇戦以来11年ぶりの日本人対決となった結びの一番で、兄弟子の新横綱稀勢の里(30)は東前頭3枚目の松鳳山を自身初の小手ひねりで退けた。弟弟子の関脇高安(27)も西前頭筆頭の勢を下手投げ。1場所15日制となった49年夏以降、同部屋の2人だけで中日を全勝で折り返すのは、74年夏の北の湖、増位山以来43年ぶりとなった。

 高安も危なかった。左四つの自分の形になるも、勢に小手で振られて俵を回った。だが、今の関脇はここで土俵を割らない。最後は「ちょっと強引」と言うも、力強い下手投げで転がした。「なかなか上手を取らせてもらえなかったけど、我慢したかいがあった」。兄弟子の前に取る相撲で、弟弟子も負けなかった。

 2月から積み重ねてきた稀勢の里との稽古。それを連日、動画に収めてきた。「(相撲を)取っているのと客観的に見るのとでは、感じ方が違う。内容よく攻めても注意しないといけないこと、ダメなことがある。悪いところをどう直すか。横綱とやるので、対応力がつきます」。横綱と相撲を取って終わりではない。復習も重ねた。だから「どんな状況でも勝ちに結びつけられているし、どんな状況でも対応できている」。

 14年名古屋以来3年ぶり3度目のストレート勝ち越し。過去2度は前頭9、11枚目と平幕下位だった。関脇の初日から8連勝は、12年九州の豪栄道以来4年半ぶり。11年秋の稀勢の里の8連勝に並び、81年春の先代師匠隆の里の7連勝を超えた。だが「1つの区切りなんでしょうが、区切りと思ってはいけない。連日同様、明日も同じ気持ちでやらないといけない」と言い聞かせた。【今村健人】

 ◆同部屋力士の中日全勝並走 1場所15日制が定着した49年夏場所以降10例目で、稀勢の里、高安コンビは12年秋以来2度目。ただし、同部屋力士2人だけで並走するのは60年夏の初代若乃花と若秩父、74年夏の北の湖と増位山の2例しかなく、今回は43年ぶり3例目。最初の若乃花は9連勝、若秩父は10連勝でストップして結局、若三杉(大豪)が14勝1敗で優勝した。前回の北の湖と増位山は9日目でそろって黒星を喫し、14日目に北の湖(13勝2敗)が優勝を決めた。15日制が定着する前では41年春の立浪部屋時代の双葉山と羽黒山(11連勝)がいる。

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