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朝乃山「大関は常に優勝争い」7月場所への自覚十分

リモート会見で取材に応じる朝乃山

4カ月ぶりの本土俵でも焦りはない。新大関朝乃山(26=高砂)が6日、リモート会見に臨んだ。本来ならこの日は、無観客開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)の番付発表日。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で5月の夏場所が中止となり、番付は据え置きとなったため、番付発表は見送られた。そんな中、2週間後に迫った7月場所に向け、新大関が抱負や心境を語った。

   ◇   ◇   ◇

画面を通して報道陣の前に姿を現した朝乃山は、慣れない取材対応でも丁寧に自分の思いを口にした。3月の春場所以降、新型コロナの影響で自粛生活が続き、夏場所は中止に。6月に入り、ようやくぶつかり稽古や申し合い稽古を再開した。新大関として迎える場所が待ち遠しいはずだが「焦らずに本場所の土俵に立てればいい。とにかく焦らずにいこうという気持ちを持っています」とどっしりと構えた。

長く続く自粛生活の中で、ストレスをためないことは重要だ。アクション映画好きの朝乃山は、最近見た映画を問われ「『ジョン・ウィック』です」と即答。キアヌ・リーブス主演の殺し屋の復讐(ふくしゅう)劇が描かれた作品などを観賞し「気持ちを切らさずに高めている」という。

また大鵬や千代の富士、師匠(高砂親方)の朝潮ら歴代横綱、大関の現役時代の動画もチェックしている。「どうやったら右四つになれるか、右四つになれなかったらどうやって対処するのか」と、満足に稽古ができない状況下でも工夫を凝らしている。

大関に昇進して3カ月がたったが、土俵に立つ姿をまだお披露目できていない。満員の観客からの大関コールが待ち遠しいはずが「それはお客さんが一番望んでいる。僕は土俵の上から白星を届けるのが恩返しだと思う」と自覚は十分だ。さらに「大関という地位は常に優勝争いをしないといけない地位」。自分に言い聞かせるように決意を語った。【佐々木隆史】

角界初のリモート会見を行う新大関朝乃山

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新大関朝乃山7月場所へ「体を作るだけ、気合を」

角界初のリモート会見を行う新大関朝乃山

新大関の朝乃山(26=高砂)が6日、オンライン会議システム「Zoom」による、報道陣とのリモート取材に応じた。

本来なら、この日は開催を目指す大相撲7月場所(19日初日、両国国技館)の番付発表日。だが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け5月の夏場所が中止されたため、番付は据え置きのまま。7月場所の新番付は作られず、番付発表は見送られた。

無観客開催だった3月の春場所で大関昇進を決め、お披露目するはずだった5月の夏場所は中止。仕切り直しとなる7月場所に向けての抱負や近況などを語った。

約2週間後に控えた初日に向けては「あとは初日に向け体を作るだけ。あと2週間、気合を入れます」と語った。6月に入り申し合いや、ぶつかり稽古を再開。当初は「立ち合いの動作とか鈍かったけど、修正してだいぶ戻りました」と回復。部屋の関取は朝乃山以外に再十両の朝弁慶しかいないが、幕下に力のある力士がおり、稽古には不自由していないようだ。出稽古で他の部屋の関取衆と申し合いなどで力を付けるのが、最近の調整法だった。それも出来ないが「不安はありません。大丈夫」と頼もしく語った。

自粛生活が続くが「ストレスをためるのは体によくない」と、映画観賞などでストレスを発散。キアヌ・リーヴス主演のアクション映画「ジョン・ウィック」などを鑑賞し「気持ちを切らさず高めている」という。また大鵬、北の湖、北天佑、師匠の朝潮ら歴代横綱、大関のビデオも見て「どうやったら右四つになれるか、右四つになれなかったらどうやって対処するか」と研究にも余念がなかったという。そんな中でも最も「すごいな」と印象に残っているのは「千代の富士さん」という。

Zoomによる会見形式の取材対応は「ひじょうにやりにくいです」と苦笑いしながらも、約30分にわたり1つ1つの質問に丁寧に対応。本場所で「大関朝乃山」とコールされることを熱望しているのでは…という問い掛けに「それを一番、望んでいるのはお客さん。土俵の上から白星を届けるのが恩返しだと思っています」とファンへのメッセージも忘れなかった。

朝乃山(2020年3月16日撮影)

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千代の富士5発で沈めた小錦/記者振り返るあの瞬間

84年9月、秋場所14日目、千代の富士(右)に押し出しで勝った小錦

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ(50)>

真っ暗な会場に蛍の光が流れ、観客もペンライトを振りながら歌う。ドームのお別れコンサートではない。中心には羽織はかまや締め込み姿の大男がいた。蔵前国技館最後の場所となった84年秋場所千秋楽。しんみりとしたフィナーレも、初日前から何かざわつき、列島を騒がせた場所だった。

場所前に立ち合い研修会があり、必ず両手をつく正常化が打ち出された。マラソンのスタートのような立ち腰、自分勝手な立ちしぶりなどが目立っていた。春日野理事長と二子山理事長代行という栃若の厳命に、力士は神妙ながら戸惑った。実際に場所ではチョン立ちで不成立とされ、5度仕切り直した一番もあった。

夏場所全勝優勝で復活した北の湖が、首を痛めて3日目から休場した。千代の富士、隆の里の両横綱に、2度目の横綱挑戦の若嶋津も早々に土がついた。全勝ターンは平幕多賀竜だけ。土俵は腰が据わらず、落ち着きがなかった。

混沌(こんとん)とする中、終盤戦に大旋風が起きた。入幕2場所目の小錦が10日目に勝ち越し、優勝戦線に生き残っていた。11日目には隆の里を押し出し、横綱初挑戦で初金星を挙げる。入門してまだ2年2カ月も破壊力抜群だった。

さらに若嶋津の綱とりを阻み、次期大関候補大乃国も撃破する。14日目には千代の富士をもろ手突き5発で吹っ飛ばした。多賀竜に1差で、千秋楽に大逆転Vがかかった。黒船襲来。300年の国技を揺るがすと言われた激震となった。

当時の記者クラブは別棟2階にあった。片隅に昼寝できる畳敷きスペース、雀卓も置かれていた。支度部屋ではたばこが吸え、力士は素足で床に踏みつけて消していた。おおらかだが、閉鎖的でもあった。

当時の外国人力士は9人で、多くの親方衆は否定的だった。ハワイ生まれの若造に次々と看板力士が倒されて「日本人の恥」とまで言った親方もいた。小錦も「協会はこれね」と頭の両脇に指を立ててみせた。「怒ってるでしょ。外国人がダメなら入れなければいい。力士になったボクは勝つだけ」と言ったものだ。

72年名古屋場所で外国人初優勝の高見山は夏場所で引退していた。バトンを受けた後輩の快進撃。大関、横綱も現実味を帯びたが、結果的に琴風に敗れて優勝はならず。翌九州場所はケガで途中休場。協会幹部は胸をなで下ろし「相撲は甘くない」と言い放った。

その後は大けがもあり、大関になったのは3年後の87年夏場所後だった。89年九州場所で初の賜杯も手にしたが、横綱の座は遠かった。ハワイの後輩の曙にも追い抜かれた。大関陥落決定の黒星は、横綱曙に喫したもの。陥落後はしのびない土俵もあった。

それでも200キロを超す巨体から爆発させた、驚異のパワーは衝撃の記憶だ。今も世界中で人種差別が問題となっている。角界でその壁を乗り越え、外国人初の大関となった。あの蔵前の悔しさが始まりで、両国国技館でのモンゴル全盛への道筋も作ったと言えるだろう。【河合香】

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20位琴勝峰へ激励「ほしいもの全て持っている」

 

第9回大相撲総選挙にご投票いただき、ありがとうございました。投票だけでなく、多くの皆さまから熱いメッセージをいただきましたので、ごく一部ですが紹介いたします。

20位 琴勝峰 920票

★琴勝峰関が中学生の頃初めて知り、お相撲さんになると分かりずっと応援しています。みんなに応援してほしいような、まだみんなには知られたくないような複雑な気持ちですが、今後も応援したいと思っています。(40代女性)

★柔らかさとしなやかさと力強さと素早さ、おすもうさんがほしいもの全て持っているような逸材だと思って応援しています。(50代女性)

★まさに将来有望! フレッシュで、気持ちの良い取組を見せてくれる。一気に駆け上がって行くのではないでしょうか!? 期待しています。(30代女性)

★琴勝峰は大ケガがなければ、横綱まで行けると思います。(40代男性)

★「次期横綱」次の次くらいかもしれませんが、それくらい期待してます。伸び代もまだある感じがします。(50代女性)

★琴ノ若と切磋琢磨(せっさたくま)して上を目指して欲しい。(30代男性)

★朝乃山のようにデカくしなやか。絶対大成します。これから自分の型をものにしたら横綱になると期待しています。(40代男性)

★思いっきりの良い相撲が目立ち将来大関以上は間違いないのと若手ということもあり期待しています。(20代男性)

★初場所で絶好調だった照ノ富士関に食らいついていったあの相撲見て、平成3年夏場所初日、貴花田が千代の富士に食らいついて離れなかったあの一番を思い出しました。負けはしたけど良い内容でした。幕内でもどんどん食らいついていってほしいです。楽しみです。(40代女性)

★琴勝峰がスマホで一括変換されるようになってほしいから。(40代男性)

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大嶽親方、怒りの平手打ち/記者が振り返るあの瞬間

06年7月15日、大相撲名古屋場所7日目で土俵下でにらみ合う千代大海(右)と露鵬

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(36)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

はじめはよく見えなかった。大関千代大海の盛り上がった肩の筋肉から腹へ、細くて赤い筋が何本も流れていた。

06年名古屋場所。打ち出し後の役員室に怒髪天をつく形相の千代大海がバスタオル姿で入ってくる。目が慣れてきて分かった。上半身に小さいガラスの破片が数え切れないほど刺さっていた。粉々になったガラスを浴びたのだ。

すぐにロシア出身の平幕の露鵬も来る。師匠の大嶽親方(元関脇貴闘力)がこわばった顔で付き添う。本割で感情的になった2人が風呂場でもめ、露鵬がドアを破壊した。

帰り支度で騒がしかった役員室が無音になった。お互いにいつでも襲いかかりそうな殺気だ。北の湖理事長(元横綱)は事情を聴き「いつまでも遺恨を残すな。握手して仲直りしなさい」と言った。

露鵬が千代大海に「これからも頑張って」と言う。番付上位の先輩力士に対して、何より加害者としては間違った言葉遣いだった。

直後、大嶽親方が「お前は~」と怒鳴りながら顔面を平手で打った。すさまじかった。記者だったら失神、いや、脳振とうは免れない。張り手で千代の富士、小錦、曙に挑んだあの貴闘力の平手打ちだ。その一撃を受けても露鵬は顔をそむけず正面を向いたまま。映画のようだった。

この時、露鵬はフラッシュを嫌がり、カメラマンに暴力をふるい、出場停止処分になった。

後日、巡業先の体育館で寂しそうに座っていた。目があった。「カメラマンの人には悪いことをしました。大関にも悪い態度、反省しています」と言った。気まずい空気が流れ、話をつなごうと焦り「(平手打ち)ものすごかったね。痛かったでしょ」と聞いた。すると「あんなの痛くない。それよりも悔しかった。俺は強いんだって、みんなに分かってほしかった」。顔の前を太い右腕で振り払うようにした。よみがえった記憶を払いのけようとしているようだった。屈辱に顔はゆがんでいた。

番付が力を示す相撲社会を取材して、こんなきわどい瞬間にはほとんど出会えなかった。ただ、ケンカ沙汰はいたるところにあるとはうすうす感じていた。相撲界は時津風部屋での力士暴行死事件、元横綱日馬富士の暴行問題という不祥事から暴力追放を目指してきた。現在は暴力への問題意識も格段に広まっているだろう。記者が遭遇したあの瞬間は、もう過去のものであると信じている。【井上真】

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北の富士氏、夏場所は「中止でよかったと思った」

北の富士勝昭氏(19年撮影)

大相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)が24日、NHKの「大相撲特別場所~テレビ桟敷へやようこそ~」に電話出演した。

本来ならこの日が初日予定だった夏場所が、新型コロナウイルスの影響で中止になったことについて持論を展開。「寂しいですけどね。大阪から帰ってきてもコロナがありましたから。でも力士も稽古不十分だったでしょう。(ファンらに)いい相撲を見せられないなと危惧していました。申し訳ないけど、本場所は中止でよかったと思った」と話した。

電話出演の前には1987年(昭62)放送の「燃える九重 名コンビ」の映像が紹介された。自身が九重親方だった頃に、弟子の横綱千代の富士と横綱北勝海(現八角理事長)との対談映像が流れた。千代の富士と北勝海によるぶつかり稽古の映像なども流れ「しかし稽古しましたね2人は。ぶつかり稽古見ましたか? 今の力士もやってもらいたいよね。やっぱりぶつかり稽古は大事ですよ」と現役力士に向けてぶつかり稽古の大切さを説いた。

しかし現在は新型コロナの感染防止のため、出稽古は禁止で、接触を伴う稽古は各師匠の判断となっている。これにはさすがに「よその部屋への出稽古は無理でしょうね。同じ部屋だったら同じ生活でしょうから、感染の危険性は少なくなるかもしれませんけど、外部に出ると分かりませんからね」と同情した。

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朝乃山、ぶつかり稽古「部屋ではボチボチやってる」

記者の質問に笑顔を見せる朝乃山(2020年3月30日代表撮影)

新大関の朝乃山(26=高砂)が24日、NHKに出演し近況などを語った。

NHKは同日午後3時15分から「大相撲特別場所~テレビ桟敷へようこそ~」を放送。中止になった夏場所にかわり、この日から毎週日曜日に、3週にわたり放送するもので、1回目のこの日は「歴史彩る横綱全盛期」と題して、元横綱千代の富士や北勝海(現八角理事長)らを特集した87年放送の「燃える九重 名コンビ」の映像を前半に紹介。後半は朝青龍や白鵬らを特集した04年放送の「激闘 新たな夢へ」の映像などを元に、相撲解説者・北の富士勝昭氏が電話出演するなどして番組が編成された。

その番組冒頭で芝田山広報部長(元横綱大乃国)が、角界の現状や今後の見通しなどについて太田雅英アナウンサーの質問に答える形で説明。その後、朝乃山がリモート出演。同アナウンサーの問い掛けに答えた。

Q新大関として臨むはずだった夏場所が中止になって現在は

朝乃山 次の7月場所に向かって体を作っています。(夏場所中止は)協会が決断したこと。僕らはそれに従い(気持ちは)7月場所に切り替えています。

Q毎日の稽古は

朝乃山 基礎練習に自主練習、それに筋トレをして(あとは)自粛して生活しています。

Q接触する稽古は

朝乃山 部屋ではボチボチやっていて、人とぶつかるようにはしています。自分もぶつかり(稽古)で胸を出したりはしています。

Q感染への不安は

朝乃山 不安ですが、7月場所があると思って稽古していかなくてはいけませんから。

Q夏場所といえば1年前に優勝した

朝乃山 去年の5月場所の優勝で自信に変わったので、ここまで来れたと思う。自分の右四つの相撲ができるようになってから(大関に)結び付いた。

Q大関はどんな地位か

朝乃山 プロに入って大関、横綱を目指してやってきた。(ただ)ここまで来れたことは自分でも驚いている。

Qどんな大関になりたいか

朝乃山 下の子から尊敬、目標とされる大関になりたい。

Q次に横綱がある

朝乃山 そこはまだ気が早いけど(笑い)、ここまで来たら自分を信じて1つ上の番付を目指したい。

Q世代交代の声もある。次の時代は自分が…という気持ちは

朝乃山 それ(気持ち)はあるし、大関から落ちたくないという気持ちもある。上に立って角界を盛り上げたい。

Qあらためて7月場所に向けて

朝乃山 コロナは落ち着いてきたけど、見えない病気で油断はできない。(そんな中でも)自分はどこが弱いのか見直して稽古したい。

Qファンへ

朝乃山 7月場所もテレビの前で自分だけでなく、力士全員への応援をよろしくお願いします。

稽古で若い衆に胸を出す朝乃山(2020年4月1日撮影)

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千代の富士が貴花田に五重丸/夏場所プレイバック

初日に千代の富士を破る貴花田(貴乃花)。18歳9カ月の史上最年少金星(1991年5月12日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

◇   ◇   ◇

<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。

貴花田(貴乃花)は千代の富士から金星をあげる(1991年5月12日撮影)

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夏場所代替のNHK特番、要望受け「歴史楽しんで」

元横綱千代の富士(1990年3月12日説明)

NHKは中止となった夏場所に替わり、24日から3週にわたって「大相撲特別場所~テレビ桟敷へようこそ~」を放送する。第1回の24日は午後3時5分から。夏場所の初日、8日目、千秋楽の日程に合わせ、過去にNHKが制作した名勝負や名力士のドキュメンタリー番組を放送するほか、本場所再開を待つ現役力士が、3週連続でリモート出演をする予定だ。大相撲ファンが本場所の再開を心待ちにする中で、NHK広報部の担当者は23日までに「さまざまなスポーツが中止や延期となる中、NHKではプロ野球やJリーグなど過去の名勝負をお伝えしております。同様に、日本相撲協会から夏場所の中止が発表された後に、毎場所、大相撲中継を楽しみにしている視聴者の皆様に楽しんで頂ける番組を放送できないか考えてきました」と、放送の経緯を説明した。

夏場所の中止が発表された今月4日以降、NHKにも多数の声が届いているという。「夏場所の中止が発表された後から、電話、ハガキ、ツイッターなどで『柏鵬時代の映像を流してほしい』などといった声が、多数ございました」。無観客で開催された春場所から2カ月以上が過ぎ、視聴者も大相撲中継を渇望しているようだ。

24日放送の第1回(24日放送)は「歴史彩る横綱全盛期」と題して、元横綱千代の富士や北勝海(現八角理事長)、朝青龍らのドキュメンタリー番組が放送される。「現在の小中学生のような若い大相撲ファンに少しでもなじみのある親方や力士の懐かしい映像を見て頂くことで、大相撲の長い歴史のつながりを楽しんで頂ければ」。

立ち止まって歴史を振り返る。この自粛期間が、大相撲の魅力を再確認するきっかけになるかもしれない。

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夏場所中止でNHKが「特別場所」名勝負など放送

鶴竜

NHKが20日、中止になった大相撲夏場所に替わって24日から3週にわたって放送する「大相撲特別場所~テレビ桟敷へようこそ~」の番組内容を発表した。夏場所の初日、8日目、千秋楽の日程に合わせ、過去にNHKが制作した名勝負や名力士のドキュメンタリー番組を放送するほか、本場所再開を待つ現役力士が、3週連続でリモート出演をする予定。3週ともに総合テレビで放送される。

第1回(24日放送)は「歴史彩る横綱全盛期」と題して、元横綱千代の富士や朝青龍らに焦点を当てる。1987年(昭62)の「燃える九重名コンビ ~大相撲この1年~」と、2004年(平16)の「激闘 新たな夢へ ~大相撲この1年~」を放送し、横綱鶴竜と、春場所で大関昇進を決めた朝乃山がリモート出演で今の生活の日々を語る。

第2回(31日放送)のテーマは「しのぎを削ったライバルたち」。88年(昭63)放送の「名勝負 栃錦・若乃花」、92年(平4)放送の「柔と剛 ~柏鵬の時代(大鵬・柏戸)~」、同年放送の「綱とり三つどもえの戦い ~北の富士・玉の海・琴桜~」が再放送され、現役力士では大関貴景勝と、序二段から史上初の再入幕を遂げた照ノ富士がリモート出演する予定。

第3回(6月7日放送)では横綱白鵬と前頭炎鵬の特集が再放送される。昨年放送の「目撃! にっぽん おそれず“前”へ ~炎鵬 ともに戦う日々~」と、08年放送の「スポーツ大陸 激突 朝青龍と白鵬」。その白鵬と炎鵬もリモート出演する予定で、本場所再開への思いを語る。

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今も実感沸かぬ大横綱の死/記者が振り返るあの瞬間

元横綱千代の富士の九重親方死去を報じる16年8月1日付の本紙1面

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(28)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇   ◇   ◇ 

暑く、長い夏の1日だった。16年7月31日。元横綱千代の富士の九重親方が亡くなった。その日は、夏巡業取材で大阪から岐阜市内へ日帰りで出張していた。仕事を終えて夕方の新幹線でのんびり帰阪していると、デスクから携帯電話に一報が入った。

「九重親方が亡くなったようだ。福井に行ってくれるか」

えっ…。しばし、絶句した。親方は都内の病院で亡くなったが、力士や親方衆一行は岐阜からバスで次の巡業先の福井市へ向かっていたため、そこで関係者を取材してほしいということだった。新大阪駅に着いたのは午後6時ごろ。自宅まで着替えを取りに行く時間などない。慌てて特急サンダーバードに乗り換え福井へ向かった。午後8時過ぎに着くと、駅前のホテル周辺で関係者を捜し回った。

取材していて、動悸(どうき)が収まらなかった。昭和49年生まれの記者にとって“大横綱”といえば、千代の富士だった。筋骨隆々の体で豪快につり出し、上手投げで勝ち続ける姿は、ヒーローそのもの。子供のころ、狭い家の中で父親と相撲を取る時は、ベルトを前みつ代わりに引きつけて頭をつけ、千代の富士になりきっていた。記者になってから関係者の紹介で食事をした際は「俺は日刊が嫌いなんだ!」と言われてビビリまくったが、マッコリをたくさん飲むと笑ってくれた。そして、ひとたび相撲の話になると現役時代のような鋭い眼光に戻り、言った。「三役が大関を、大関が横綱を目指すなら、もっともっと稽古をやらないと。『もっと』じゃないよ。もっともっと、だ」。少し前まで熱く語っていた“大横綱”が死ぬなんて、信じられなかった。

その夜は結局、午後11時過ぎまで取材を続け、元大関栃東の玉ノ井親方や、豪栄道らから思い出話を聞いた。翌8月1日は1~3面と芸能面で死を悼む記事が掲載されたが、紙面を見ても亡くなった実感は湧かなかった。4年の歳月が流れた今も同じだ。テレビで見た現役時の勇姿も、一緒に飲んだ時の笑顔も、「もっともっと、だ」と力を込めた険しい顔も、すぐによみがえってくる。心の中で生き続けるとは、こういうことなのか。横綱千代の富士が、教えてくれた気がする。【木村有三】

現役時代の横綱千代の富士

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NHK退局の刈屋富士雄アナが振り返る思い出/前編

NHK刈屋富士雄アナウンサー

「栄光への架け橋だ」などのオリンピック(五輪)実況や大相撲中継で知られるNHKの刈屋富士雄アナウンサー(60)が30日で定年退職し、5月1日付で立飛ホールディングス執行役員スポーツプロデューサーに転身する。最後の荷物整理をしていた29日、現在の心境や今後の仕事などについて聞いた。「前編」ではNHKでの実況などを振り返ります。【聞き手=佐々木一郎】

-30日で退局されます。現在の心境は

「38年勤めましたから、感慨深いですね。NHKのアナウンサーになるにあたって、オリンピックの日本金メダルのシーンを伝えるという夢を持っていました。その夢がかないましたから」

-刈屋さんが実況した金メダルは

「2004年アテネオリンピックの男子体操団体と、2006年トリノオリンピックのフィギュアスケート荒川静香さんです。どちらも絶対的な金メダル候補ではなく、難しいと思われた中でとれた金メダルです。体操団体は中国が金メダル候補でした。荒川さんの時はスルツカヤやサーシャ・コーエンがいましたから」

-アナウンサー時代の一番の思い出はこの2つの金メダルですか

「そうですね。この2つですね。夢がかないました」

-体操団体で金メダルが決まる瞬間、冨田選手の鉄棒の着地に合わせて「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ!」と実況されました。この名実況は、刈屋さんにとってどういうものですか

「冨田選手が着地を決めてくれたことで、体操をずっと応援してくえていた人たちの思い、日本の体操の歴史など、縦軸、横軸、斜めの軸などがピタッと集まったんです。その場面に巡り合えたのは幸運でした」

-その後、冨田選手と話す機会はありましたか

「何度かありますが、去年は雑誌の企画で対談しました。彼は日本の得点、(他国との)得点差まで状況を把握して演技していたそうです。自分が9点を取れば金メダル。正確には8・962点なのですが、ほぼ9点。コールマンを取った時点で決まると分かっていました。名場面を振り返る特番では(団体メンバーの)米田さんと話しましたが、彼は得点差を知らなかった。状況を知ると邪念が入るから演技に集中していたそうです」

-刈屋さんは当時44歳でした

「40代は反射神経があり、いろんな言葉が浮かんできたりする。経験と反射神経がちょうど合っていたのが、40代だと思います。選手と同じで、スポーツアナウンサーもピークがあります。そう考えると、自分のピークに合ったともいえますね」

-大相撲中継にも長くかかわりました

「35年くらい現場にかかわっています。こんなにかかわるとは思っていませんでした。千代の富士の時代から始まって、若貴、ハワイ勢、モンゴル勢、欧州からの力士も含め、上位を外国出身力士が占める時代がくるとは想像もつきませんでした。その後は遠藤、稀勢の里らが盛り上げました。ブームとどん底を2回ずつ経験しました。暴力が当たり前の時代もありましたが、35年で随分変わりました。大相撲へのかかわりは深く、愛情もあるので、思うことがあります。今は人気がありますが、底辺が広がらない。競技人口が増えない。なので、日本で毎年、東京でアマチュアの国際大会を開きたいと思っています」

-思い出の一番は

「昭和63年九州場所千秋楽の千代の富士-大乃国戦です。千代の富士の連勝が53で止まった一番です。当時の私はまだ下っ端でした。千代の富士の特番を作っていたので、先輩たちは千代の富士の担当。私は大乃国の談話取りでした。西の花道には人がいなくて、通路の真ん中近くまで行って見ていました。そうしたら、大乃国が勝った。座布団が飛びました。薄暗くなった通路を大乃国が引き揚げてきました。全身、血の気が引いて真っ白でした。くちびるは真っ青で、顔面蒼白(そうはく)でした。緊張して力を出し切った人間はこんなふうになるんだと…。あの光景を見て、これが大相撲なのかと思いました。何年も努力し続けた人間が、全精力を出し切るとこうなる。それを目の当たりにして、相撲の魅力はこれだなと。1500年も興味を持たれ続けるのはこれなんだと思いました。歩いてきた大乃国に『どうでした?』と聞くと、まだ興奮してコメントできません。少し待ってから『弱い横綱と言われてきたので、勝ててよかったです』と言ったのです」

-東京五輪で実況したかったという未練はありませんか

「もう実況は、若い人に譲っていかないといけません」

-現在のNHKでの肩書は

「解説主幹です」

-最後の出演番組は何になりますか

「生放送は先週のシブ5時で終えました。放送で出るのは、ヒーローたちの名勝負という番組で、アテネ五輪の体操をやります。その前振りをやっています」

(後編に続く)

◆刈屋富士雄(かりや・ふじお)1960年(昭35)4月3日、静岡県御殿場市生まれ。早大時代は漕艇部所属。83年にNHKに入局し福井、千葉放送局をへて92年から東京アナウンス室。五輪は92年バルセロナから10年バンクーバーまで8大会で現地から実況した。

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白鵬44度目Vも笑顔なし 漏らした心からの本音

優勝賜杯を受けた白鵬(撮影・外山鉄司)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ

史上初の無観客開催の場所は横綱白鵬(35=宮城野)が、44回目の優勝で締めた。横綱鶴竜との相星決戦を寄り切りで制し、昨年九州場所以来の優勝で最多記録を更新した。

簡略化された表彰式は全幕内力士が参加し、優勝パレードもない。年6場所の1958年(昭33)以降、3番目の年長となる35歳0カ月の優勝にも白鵬に笑顔はなく「喜ぶより無事に終わってホッとした」と本音をもらした。

   ◇   ◇   ◇

途中で打ち切られる可能性もあった場所を横綱白鵬が鎮めた。鶴竜との千秋楽相星決戦。激しい攻防を寄り切りで制した。取組後はNHKのインタビュー室に直行。荒い呼吸で「もうこれで終わったなという感じですね」と吐き出した。

史上初の無観客開催。異例の場所だからこそ、横綱の責務は重く、孤独にもがいた。「初日に想像以上のもの、不思議な感覚がありましたし、気持ちの持ち方は厳しいものがあった。浮き沈みが激しかった」。初日から9連勝と独走状態から一転、2敗してトップの座も失った。2敗目を喫した12日目から3日連続、取材エリアを無言で通り過ぎた。観客がいない。声が聞こえない15日間。「喜ぶというより、無事に終わった、ホッとしたのが先ですね」は心からの本音だった。

表彰式は協会あいさつの後、全幕内力士が残った中で簡略化されて行われた。その中で特別な思いをかみしめた。「(15日間戦い抜いたのが)大きなことと思う。(八角)理事長のあいさつにもあったが、一つになればできるということ。大相撲が元気にして引っ張ったというか、一つの例として残ると思う」。スポーツを含むイベントの自粛ムードの中、やり終えたことを誇り「世界的に安心、安全が戻った時に喜びはわいてくる」と言った。

35歳0カ月の優勝は年6場所制以降3番目の年長で、横綱では過去に千代の富士しかいない。「あこがれの大横綱ですからね。自分が飲みたい、食べたいものを減らしながら、体と心が一致しないと成し遂げられない」。優勝回数は44回となった。不滅の金字塔に思えるが、白鵬は場所前のイベントで記録に触れている。「記録というのは破られるもの。いつか抜かれたら、その人とお酒飲みたいね」。その日を楽しみにしながら、記録の壁をさらに高く積み上げていく。【実藤健一】

◆白鵬の異例場所V 野球賭博問題でNHKの大相撲中継がなかった10年名古屋場所、八百長問題で通常開催できなかった11年技量審査場所、元横綱日馬富士の暴行問題で揺れた17年九州場所など。全勝優勝した10年名古屋場所は賜杯を辞退していたため、受け取れずに涙を流した。

鶴竜(左)を寄りきりで破り、優勝を決めた白鵬(撮影・外山鉄司)

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V白鵬「大きな財産」力士残り表彰式、最後まで異例

優勝賜杯を受けた白鵬(撮影・外山鉄司)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(35=宮城野)が、鶴竜との相星決戦を制し、昨年九州場所以来となる44度目の優勝を飾った。

巻きかえの応酬から最後は差した右のかいなをかえし、力強く寄り切った。「いろいろあって終わったな、と。喜ぶというより、無事に終わってホッとしたのが先ですね」。笑顔はなく、厳しい表情のままだった。

新型コロナウイルスの感染拡大の状況を受け、無観客で開催された。「初日にふたをあけて、想像以上のものがあった」と白鵬。無人の観客席でも15日間、横綱土俵入りで力強い四股を踏んだ。「テレビの前では何千万人の人が見ている。そう意識して1日1日やってきた」と振り返った。

短縮、簡易にされた表彰式。協会あいさつの後、全幕内力士が残ったままで行われた。優勝パレードもない。積み重ねてきた44回の優勝で初めての経験を「大きな財産、経験になってくる」と表現した。

35歳0カ月の優勝は、年6場所の1958年(昭33)以降、3番目の年長記録。横綱で35歳を超えての優勝は、千代の富士しかいない。「あこがれの大横綱ですから。自分が飲みたい、食べたいものを減らしながら、心と体が一致しないと成し遂げられないものですから」。過去に例のない場所を最後は横綱白鵬が締めくくった。

八角理事長(右)から賜杯を受け取る白鵬(撮影・前岡正明)

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鶴竜「やるだけ」白鵬と75カ月ぶり千秋楽相星決戦

朝乃山(右)は先に上手投げを打つも下手投げで鶴竜に敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇14日目◇21日◇エディオンアリーナ大阪

大関とりの関脇朝乃山が、横綱鶴竜に下手投げで負けて今場所4敗目を喫した。

1分20秒に及ぶ協議を、鶴竜は自信を持って、冷静に見つめていた。「自分でしっかり見えていたので大丈夫だろうとは思っていた」。投げの打ち合い、左肘が先についた朝乃山に対して、鶴竜は頭から落ちる執念で勝利をつかんだ。「自然とそうなっただけ」。2敗を守り、13年九州場所の日馬富士-白鵬以来、6年3カ月ぶりとなる千秋楽相星決戦で白鵬と対戦する。

前回の反省があった。昨年秋場所では相手得意の右四つから「無理矢理投げにいって負けた」。今回は攻め急がず、右四つから巻き替えてもろ差し。重心を十分に落とし、土俵際の粘り腰を生んだ。連日、横綱が若手の壁になっているが「そういうのは意識していない」と淡々。昨年9月の部屋移籍後、優勝はおろか15日間を皆勤したことがなかったが、横綱の責任を果たす活躍を見せている。7度目の優勝へ「ここまできたらやるだけ」と、短い言葉に決意を込めた。

◆千秋楽相星決戦 1場所15日制となった49年夏場所以降では38例ある。横綱同士は過去に24回で、全勝同士は5回。最多は千代の富士の9回で4勝5敗、次いで北の湖、貴乃花の2人が7回登場している。白鵬は過去1勝3敗、鶴竜にとっては初めての千秋楽相星決戦となる。

記者の質問に答える鶴竜(撮影・前岡正明)

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千代の富士は旭国を/100キロ未満大関撃破3力士

インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇9日目◇20日◇東京・両国国技館

小よく大を制した。体重99キロの西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)が、160キロの大関豪栄道を押し出しで破った。

   ◇   ◇   ◇

【体重100キロ未満の大関戦勝利】

75年以降のデータで100キロ未満の関取は炎鵬で14人目。大関戦勝利は炎鵬が3人目になる。

▽千代の富士 78年夏場所13日目に大関貴乃花を寄り切る。新三役で小結昇進の翌名古屋場所も5勝10敗で負け越したが2日目に貴ノ花をつり出しで、5日目には旭国を寄り切る。体重はともに96キロ。

▽舞の海 94年名古屋場所(97キロ)2日目に貴ノ花を、95年同場所(98キロ)14日目に貴ノ浪を、それぞれ切り返しで破る。

豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)

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100キロ未満炎鵬の大関撃破は千代、舞の海以来

支度部屋で笑顔を見せる炎鵬(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇9日目◇20日◇東京・両国国技館

小よく大を制した。体重99キロの西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)が、160キロの大関豪栄道を押し出しで破った。

1975年(昭50)以降で100キロ未満の力士が大関を撃破したのは、千代の富士、舞の海以来3人目。初大関戦で頭をフル回転して白星をもぎ取った。大関貴景勝を破った平幕の正代と徳勝龍が1敗を守った。

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自身初の結びから2番前の取り組み。168センチの小柄な体に、独特な雰囲気がのしかかってきた。余裕のある相手に対して、どこかぎこちない仕切りの炎鵬。「死ぬほど緊張してました」。一瞬で勝負が決まると、大歓声を一身に浴びた。

手の内がばれたが修正した。緊張から思わずつっかけ、つい左に飛び出てしまった1度目の立ち合い。「頭の中が真っ白になりました」。2度目の立ち合い。突進してきた相手を右にかわす。左腕を手繰って回り込むと、目の前には土俵際でつんのめる大関。その好機を逃すまいと、振り向かれる前に力いっぱい押し込んだ。「体が反応した。信じられないです。今もフワフワしています」。支度部屋では喜びよりも、不思議そうな表情を浮かべた。

17年春場所で角界入りした時、体重は95キロだった。苦手な食べ物は白米。温かい白米から出る湯気のにおいが受け付けなかった。しかし同部屋の横綱白鵬から、上位で勝つために100キロを目指すように言われて決意。焼き肉のタレやふりかけをかけてにおいをごまかし、白米をかきこんだ。加えてウエートトレーニングやプロテインなども駆使し、今も現役関取最軽量だが99キロにまで増量した。

一方で、体重を重要視し過ぎない考え方も持っている。「体重を気にし過ぎて、取り組み以外に神経を使いたくない」と、新入幕を果たした昨年夏場所以降は場所中の体重計測をやめた。「それよりも取り組みに集中したい。体が小さい分、考えることも多い」と持論を展開。初大関戦となったこの日も、183センチの豪栄道の体に圧倒されながらも「次どうするかを必死に考えた」と頭をフル回転。2度目の仕切りまでに作戦を練り、65年以降で60人目となる大関初挑戦初白星を獲得した。

8日目の遠藤戦では聞こえなかった大歓声も「体の芯から震え上がるものがあった」と味方につけた。10日目の相手は、2日連続の大関戦となる貴景勝。「頭を使いながら必死にやるだけ」。小兵の背中が、一段と大きく見えた。【佐々木隆史】

◆体重100キロ未満の大関戦勝利

75年以降のデータで100キロ未満の関取は炎鵬で14人目。大関戦勝利は炎鵬が3人目になる。

▽千代の富士 78年夏場所13日目に大関貴乃花を寄り切る。新三役で小結昇進の翌名古屋場所も5勝10敗で負け越したが2日目に貴ノ花をつり出しで、5日目には旭国を寄り切る。体重はともに96キロ。

▽舞の海 94年名古屋場所(97キロ)2日目に貴ノ花を、95年同場所(98キロ)14日目に貴ノ浪を、それぞれ切り返しで破る。

◆炎鵬晃(えんほう・あきら)本名・中村友哉。1994年(平6)10月18日、金沢市生まれ。兄文哉さんの影響で5歳から相撲を始める。金沢学院東高で3年時に高校総体8強。金沢学院大では2、3年時に世界選手権軽量級で優勝。初土俵は17年春場所。横綱白鵬に憧れ、白鵬の内弟子として入門。白鵬から「ひねり王子」の愛称をつけられる。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続で各段優勝を果たし、18年春場所新十両、19年夏場所新入幕。家族は両親、兄。168センチ、99キロ。血液型AB。得意は左四つ、下手投げ。通算117勝76敗。

インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)
豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)

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十両復帰の照ノ富士、千代の富士級肉体へ筋トレ継続

豊山(手前)を圧倒した照ノ富士

最高位大関から番付を序二段まで下げた後、初場所(12日初日、東京・両国国技館)で十両に戻った照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が4日、都内の時津風部屋に出稽古し、今年初の相撲を取る稽古を行った。

前頭豊山ら関取衆を相手に7番取って全勝。「ぜんそくが出ているので、2番ぐらいで息がハー、ハーとなってしまったけど、もう少し番数を増やして、場所前には20番ぐらい取れれば」と、今後も出稽古を中心に調整し、さらに状態を上げていく自信をのぞかせた。

前日3日に四股など、基礎運動で稽古を再開し、筋力トレーニングは継続的に行っているという。「前は重い器具を上げようとしていたけど、同じ重さを楽に持ち上げられるようにしたいと思っている。一時的なパンプアップではなく、長持ちするような筋肉をつけたい。(元横綱)千代の富士さんみたいな体を目指したいね」。肩の脱臼癖を筋肉をつけることで解消したといわれる、優勝31度の偉大な先人の名を挙げ、故障に泣いた過去の教訓から、肉体改造への意欲を見せていた。

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朝乃山が定年控えた師匠と目指す横綱級スピード出世

大相撲初場所の番付発表で関脇に昇進し会見に臨む朝乃山。右は師匠の高砂親方(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は24日、来年1月の初場所(12日初日、東京・両国国技館)の番付を発表し、朝乃山(25=高砂)が新関脇に昇進した。

来年12月で定年を迎える師匠の高砂親方(元大関朝潮)が日本出身の横綱誕生を期待する中、東京・墨田区の部屋で会見を行った朝乃山は「親方の期待に近づけるように頑張りたい」と意欲。千代の富士以来となる、新関脇から1年以内(所要6場所)の横綱昇進を目指す。

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クリスマスイブの朝、師匠に「関脇昇進」のプレゼントを届けた朝乃山は、謙虚な姿勢を貫いた。平幕だった秋場所、新三役だった九州場所と2場所連続の2桁白星。初場所の成績次第では大関昇進の可能性もあるが「来場所(初場所)2桁勝たないと意味がない。先のことは考えずにいきたい」と、安易な言葉は口にしなかった。この日の会見に同席した高砂親方も「(大関昇進の可能性は)あると思うけど、一足飛びに2桁は勝てない。1日1日をしっかり取り切ってほしい」と、地に足をつけるよう促した。

師弟の夢が実現すれば、年6場所制が定着した58年以降では史上3人目の快挙となる。「東京朝乃山後援会」が発足した20日、都内で行われた「発足を祝う会」に師弟で出席した。過去にモンゴル出身の元横綱朝青龍を育てた高砂親方は、壇上でのあいさつで「和製の横綱で、一緒に花を咲かせたい」と発言。朝乃山にとって、初めて横綱を期待する声をかけられた。師匠の定年まで残り1年。新関脇から1年以内で綱とりに成功したのは北の湖、千代の富士(ともに所要5場所)の2人だけ。大横綱級のスピード出世に挑戦する。高砂親方は「自信を確信に変えたとき、もう1つ上の番付に上がれる」と強調した。

「上にいくには気持ちも技術も重要。全て磨きたい」と朝乃山。20年の主役候補は、20日を切った勝負の初場所に向けてスイッチを入れた。【佐藤礼征】

大相撲初場所の番付発表で関脇に昇進した朝乃山の会見に同席する師匠の高砂親方(撮影・小沢裕)
大相撲初場所から関脇に昇進し部屋の看板の前で番付を手に笑顔を見せる朝乃山(撮影・小沢裕)
大相撲初場所の番付発表で関脇に昇進し会見する朝乃山(撮影・小沢裕)

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白鵬が今年の全79日巡業を皆勤「気分がいい」

沖縄・うるま市で行われた冬巡業で、元横綱千代の富士の優勝額が飾られる中、土俵入りを行う白鵬(撮影・佐藤礼征)

大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が、今年行われた巡業を皆勤した。

15日、沖縄・うるま市で行われた冬巡業に参加。春、夏、秋、冬の巡業全79日を1日も休まなかったのは大関以上では白鵬だけで「最後(の沖縄)は暖くて、長い巡業の締めくくりとして気分がいい」と笑顔を見せた。この日の会場内には、元横綱千代の富士の平成元年(89年)春場所の優勝額が飾られていた。令和元年最後の場所で優勝を果たした白鵬は「大先輩の優勝額があり、平成元年の歴史というのがかっこいい」と、感慨深く話した。

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