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元関脇嘉風の中村親方、コロナで断髪式の延期検討

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(38=元関脇嘉風)が、10月3日に両国国技館で予定している引退相撲について、延期を検討していることを明らかにした。

27日にツイッターで「嘉風断髪式は新型コロナウィルス感染拡大に伴いまして皆様に安心して来ていただける時期への延期も検討させていただいている状況でございます。延期実施の有無を含めまして決まり次第当サイトにてお知らせさせていただきます。罹患された皆さまおよび関係者の皆様には心よりお見舞い申し上げます」と発表し、28日までに引退相撲の公式ウェブサイトにも同様の文言をアップした。

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吉井5勝目、夏場所昇進なら史上3位のスピード出世

吉井(左)は寄り切りで満津田を下す(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇13日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

18年の中学横綱、東三段目19枚目吉井(16=中川)が7番相撲で5勝目を挙げ、来場所の新幕下昇進を確実にした。

夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付発表が4月27日。16歳8カ月26日での新幕下昇進を果たせば、72年以降に初土俵を踏んだ力士では、16歳11カ月20日で昇進した元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らを抜いて史上3位のスピード出世となる。

この日は強烈な左おっつけで東三段目22枚目満津田(25=峰崎)の体勢を崩し、最後はもろ差しで寄り切った。「(もろ差しは)狙ってはいないけど、パッと入ったので。動いてくる相手なので兄弟子からは『落ちついていけ』と言われていた」。ちょうど1年前の春場所で初土俵を踏み、序ノ口デビューから6場所連続で勝ち越している16歳は「引くことが少なくなってきた」と手応えを口にした。

静岡・焼津港小4年から相撲を始め、焼津港中3年時に全中で個人、団体の2冠を達成した。通算8個の金星を獲得した人気力士、元関脇嘉風(現中村親方)を目標にしている。

部屋では今場所幕下で6勝1敗の好成績を収めた兄弟子、幕下旭蒼天(27=中川)との稽古で力をつけている。「旭蒼天さんは出足がめちゃくちゃ速い。いい稽古ができた」と感謝。「まだまだ右の脇が甘くて差されやすい。次の場所で、幕下で勝てる相撲が取りたい」。まだあどけない表情が残るホープは、自身の課題を冷静に分析した。【佐藤礼征】

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豊ノ島が幕下黒星スタート「空気感の緊張感薄れる」

琴太豪に寄り切りで敗れ土俵を引き揚げる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇初日◇8日◇エディオンアリーナ大阪

再十両を目指す東幕下2枚目の豊ノ島(36=時津風)が、1年半ぶりに陥落した幕下の土俵で黒星スタートとなった。

西2枚目の琴太豪(27=佐渡ケ嶽)と約3年ぶりに対戦。右から張って踏み込み両差しを狙ったが、逆に脇が空いて差されズルズルと後退。土俵際で一度、残して腰を落としたが、劣勢をはね返せず圧力をかけられたまま土俵を割った(決まり手は寄り切り)。

アキレス腱(けん)断裂から、苦渋だった2年の幕下生活を乗り越え関取に復帰したのが18年九州場所。幕内にも復帰するなど8場所は関取の座を維持し、嘉風(現中村親方)引退後は「現役最年長関取」として奮闘してきた。

だが1月の初場所、東十両11枚目で4勝11敗と負け越し。再び「無給生活」となる幕下陥落となり「やりきったという思いはある。(初場所千秋楽時点で引退と現役続行は)9対1」とまで話していた。

現役続行へ踏みとどまらせたのは、一粒種の長女希歩ちゃん(7)の言葉。無給生活になることを7歳ながら知っていたようで「私が貸してあげる」と泣きながら相撲を続けることを訴えられたという。沙帆夫人の「(ライバルで旧知の仲の幕内力士)琴奨菊との再戦を果たせないでいいの」の言葉など、悔いなく終わらせたい思いを伝えられた。さらには豊ノ島本人も「(陥落が決まった)初場所で家族も両親も見に越させられなかった。それでいいのか、と思った」と悔いを残していた。

それならば、と一度はなえた気持ちを奮い立たせて臨んだ土俵。仮に“その時”になれば会場に呼び寄せようと思っていた家族や両親は、無観客開催となったため呼べない。複雑な胸中で迎えた出直しの一番を、白星で飾ることはできなかったが、前向きな気持ちは忘れない。呼び出しにしこ名を呼ばれると館内に響き渡った、人気力士ならではの歓声や拍手はない。初体験の異様なムードに、最初こそ「勝負への緊張感ばかりが増して(歓声などによる)空気感の緊張感が薄れる」と独特の言葉で、苦笑いを浮かべながら表現。それでも「みんな同じ条件。先場所(現役を)やめていたら、こんな経験もできなかった。変な緊張感にのまれずに、もっと楽しんで思い切ってやりたい」と歴史的な場所を満喫すべく、2番相撲となる2日目の十両明瀬山戦に気持ちを切り替えていた。

琴太豪(右)に寄り切りで敗れる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

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「あっ、行司が消えた」/印象残った言葉・下半期

引退会見に臨む嘉風(2019年9月16日撮影)

2019年が間もなく終わる。この1年、相撲界では、さまざまなことが起きた。角界での「印象に残った10の言葉」を1月から順に紹介したい。今回は7月以降の下半期。【取材・構成=佐々木一郎】

(6)「そうだね、練習しないとね」(安美錦、7月17日)

名古屋場所10日目、40歳だった安美錦が引退を発表した。ケガと闘い続けた力士人生。特に37歳で左アキレス腱を断裂してからは、家族ぐるみでケガと向き合ってきた。引退を表明した日、ひとしきりの報道対応が終わった後、安美錦の宿舎個室で個別に話を聞かせてもらった。話の途中で安美錦のスマホが鳴り、家族とFaceTime(テレビ電話)でつながった。画面越しの家族に向かって「パパ、引退することになったけど、いいかな?」と問い掛けた。すると、5歳の長女が「いいよ。これでママが疲れたら、運転交代できるね」と無邪気に言った。「そうだね、練習しないとね」と安美錦。長女は子供ながらに、力士は運転できないこと、ママが長時間運転してパパを全国の治療院に連れて行ったことを知っていた。これを思うと泣けてきた。安美錦引退相撲は、2020年10月4日、国技館にて。

(7)「あっ、行司が消えた」(NHK佐藤洋之アナウンサー、9月13日)

秋場所6日目の朝乃山-豪栄道戦。取組の最中、NHKの佐藤洋之アナウンサーは「あっ、行司が消えた」と実況した。文字通り、画面から行司の木村玉治郎が突然消えた。取組中に足をもつれさせて転倒し、土俵下に落ちていった。「消えた」と表現したセンス、間合いも含め、突然の出来事にも驚きすぎないさじ加減など、総合的に名実況だった。後日、佐藤アナに聞くと、反響は大きかったとのこと。

(8)「負けた相手は出したくない」(嘉風、9月16日)

引退会見では「思い出の一番は?」は定番の質問だ。この質問に、嘉風はこう答えた。「勝った相撲だと、負けた相手を出すことになるので、それはあまりしたくない。強いて挙げるなら、新小結の時、横綱になる前の稀勢の里関と目いっぱいの力を出し切って負けた(取組)。負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある」。負けても充実していた一番を挙げたあたりは、嘉風らしい。この会見では、引退のきっかけになった大けが(地元PRのための渓流下りでの事故)も明かすなど、あらゆる意味で衝撃的だった。嘉風引退相撲は2020年10月3日、国技館にて。

(9)「新十両の時よりうれしいです」(照ノ富士、11月22日)

元大関の照ノ富士が、関取復帰を決めた。西幕下10枚目で迎えた九州場所は7戦全勝で優勝。最後の一番を取り終えた後、まず最初に「新十両の時よりうれしいです」と言った。関取経験者の多くは引退後、もっともうれしかった瞬間として、新十両昇進を決めた時を挙げる。一人前として認められ、給与も待遇もすべてが一変する幸せの瞬間。その時をも超えると言うのは、大関から陥落した後の2年間、いかに苦しかったかの表れだろう。

(10)「令和元年に間に合ってよかった」(白鵬、11月23日)

九州場所14日目、横綱白鵬が43度目の優勝を果たして、こう言った。白鵬は、目標を立てるのがうまい。優勝回数を含め、主要な記録のほとんどを達成し、1位記録を更新し続けている。「○○関を抜く」という目標がなくなっても、手が届きそうな数字を口にし、自らのやる気をかき立てる。東京五輪まで現役を続けたいことは数年前から公言し、九州場所後は優勝50回さえ口にした。

果たして2020年は、どんな年になるか。

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栃ノ心は西関脇、豊ノ島、貴源治、栃煌山ら十両降格

大関栃ノ心(2019年1月16日)

日本相撲協会は28日、大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の新番付を発表した。降下、改名、引退などの力士、年寄は以下の通り。

【降下】

<大関から三役>

栃ノ心(32=春日野)東大関から西関脇

<幕内から十両>

東龍(32=玉ノ井)西前頭15枚目→東十両筆頭

栃煌山(32=春日野)西前頭16枚目→東十両2枚目

貴源治(22=千賀ノ浦)東前頭17枚目→東十両6枚目

豊ノ島(36=時津風)西前頭14枚目→西十両8枚目

<十両から幕下>

朝玉勢(26=高砂)東十両14枚目→東幕下2枚目

貴ノ富士(22=千賀ノ浦)西十両5枚目→西幕下5枚目

千代の海(26=九重)西十両11枚目→東幕下6枚目

青狼(31=錣山)東十両12枚目→西幕下6枚目

【改名<1>】(しこ名の上の部分)

<十両>

琴手計→琴勝峰(ことしょうほう=佐渡ケ嶽)

<三段目>

越錦→越乃花(えつのはな=立浪)

<序二段>

小浜海→佐田の龍(さだのりゅう=境川)

森田→雅(みやび=二子山)

塩谷→木瀬ノ海(きせのうみ=木瀬)

上田→藤乃波(ふじのなみ=藤島)

海波→瑞光(ずいこう=立浪)

<序ノ口>

光内→土佐緑(とさみどり=阿武松)

大国旭→大國旭(おおくにあさひ=中川)

【改名<2>】(しこ名の下の部分も含める)

琴手計富士紀→琴勝峰吉成(ことしょうほう・よしなり)

越錦政虎→越乃花友弥(えつのはな・ともや)

光内洸太→土佐緑清太(とさみどり・きよた)

【年寄襲名】

嘉風→中村

誉富士→楯山

【退職(年寄)】

理事・音羽山広生(前阿武松、元関脇益荒雄)

参与・武隈敏正(元前頭蔵玉錦)

【死亡】

副理事・井筒好昭(元関脇逆鉾)

【引退】

入江、佐田ノ里、武蔵國、春日国、藤大成、明石隆、大喜鵬、天司、鬨龍、若佐竹、駿河富士、琴隅田、福轟力

豊ノ島(2018年9月14日)
栃煌山(2016年9月11日撮影)

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嘉風「憎んでません」地元大分・佐伯市と和解を望む

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

12日に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京都内で記者会見を開き、引退のきっかけとなった右膝などのケガについて明かした

。6月に地元の大分・佐伯市での合宿中、市のPRのためのキャニオニング(渓流下り)で受傷。「足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しい。土俵に立つことを、あきらめざるを得ない状況になった」と話した。この日も右足は雪駄(せった)でなく、装具をつけて慎重に歩いた。今後も手術を受ける可能性がある。

中村親方は地元への愛情が強く、ケガの状況を明かすかどうか悩んだという。事実を伝えた一方、PRを引き受けたことに後悔はなく、「誰かを責めているわけではありませんし、誰も憎んでいません。市長からはできる限りのことはすると言ってもらった」と話した。補償問題などについて、双方の弁護士が話し合っており、和解を望んでいる。

思い出の一番には「勝った相撲だと、負けた相手を出すことになるので、それはしたくない」として、新小結だった14年夏場所の大関稀勢の里に敗れながら観客を沸かせた相撲を挙げた。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)
引退会見に臨んだ嘉風。引退の原因となったケガで右足に雪駄を履いていないのが確認できた(撮影・小沢裕)

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嘉風「息子に強い自分を見せられず残念」/引退会見2

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見後半。

-弟子の引退について

尾車 もちろん、引退をするのはとてもさみしいし、残念ではありますけど、でも長く楽しませてもらいました。

-師匠として印象に残っていることは

いつも全力でとるからですね、上位と当たった時に一泡吹かせてくれるんじゃないかではなくて、今日もいい相撲をとってくれるのではないかと思って相撲を見ていた。もちろん勝ったり負けたりするんですけど、負けている時でも、すごく頼もしく感じまして、館内のすごい拍手を聞いていると、勝ち負け関係なくこの子はうちの、僕の弟子だとすごく誇りに思っていました。口には出しませんでしたが、私も一緒になって館内のどこかでみさせてもらいました。

-手がかかる弟子か、手がかからない弟子か

弟子はみんな手がかかりますが、すごく純粋な子で、子って37の人つかまえておかしいですが、前相撲からとったのですが、一番最初の前相撲から館内で見た。実力があるから前相撲では勝つんですけど、勝って帰ってきた時、ものすごいホッとした顔をしていた。15歳で入ってきた子供のような感じで花道を戻ってくるので、すごい純な子だなと感じたことがあります。

-今度は指導者として期待することは

自分がやってきた記録より記憶という、本人の相撲に対する考え方。私もその言葉は大好きで、弟子たちにもちろん勝つことはもちろん大事だけど、そうじゃなくて、全力の相撲で勝ったり負けたりすることがもっと大事だと言っている。それを本人が続けてきたからこそ、多くの相撲ファンの皆さんに高い評価をいただいたと思うんですね。土俵入りの拍手が一番のバロメーターですから、土俵に上がった時に、今日もいい相撲を見られるのかなと、そういうわくわくするような、相撲を見に来た方に与えるような、そういう考え方を後輩に教えてもらえればなと思う。安易に立ち合い変化で勝とうとするのではなく、めいっぱいとって、勝ったり負けたりすることが相撲は大事なんだと、体現したことを後輩に教えてくれたらいいなと思います。

-どういう指導者を目指したいか

元嘉風 実は、ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋をもちたいと思っていましたが、今はリハビリ中ですし、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻れるように、今はリハビリを続けたいと思います。

-友風が金星で大号泣しましたが、どう思いました

もちろん、見ていました。泣きすぎだと思いました。いなくなった人を思って泣いているのかというくらい泣いていたので、泣きすぎだなと思ったんですけど。自分が幕下の時に、九州場所前かな。師匠に「土俵に立ったら力を出せない」という相談をしたことがあって、師匠からその時、アドバイスというか指導をいただいた。友風もどちらかというとネガティブな方で土俵の上で力を出せなかったので、自分も幕下の時に師匠に相談したなというのを思い出しながら、すごく美談にしていただいて毎日恋人のように…と書いていただいたんですが、私としてはリハビリ中で非常にたいくつで友風に電話したり、でもネガティブな気持ちにすぐなるので、自分も師匠に教わったことを土俵の上で力を出せるように、友風にアドバイスした。ただ大変うれしくは思うんですけど、現役が自分の弟弟子にアドバイスをして、今、例えば高校の監督に指導していただいたというお相撲さんがいるんですけど、それはちょっと違って、やっぱり自分の師匠がいるので、師匠を飛び越えてそういう人の名前を出すというのはあまりよくはないのかなと思うので、友風にも尾車部屋の環境がそうさせてくれるんだと友風には言っています。

-いい親方になりそう

尾車 嘉風のような、土俵に上がると、館内のお客さんやテレビの相撲ファンの皆さんが、今日も何かをやってくれるんじゃないかとか、大相撲になるんじゃないかという感じの力士を育ててくれればいいな。それが晩年に見るのが、私の最後の楽しみです。

-家族への思いは

元嘉風 感謝の気持ちしかないんですけど、自分がケガをして相撲をとれなくなって残念だったのは、息子が4月か5月から新しく幼稚園に行きだして、少人数しかいない中で、先生が気を使って場所中は、5月場所しかなかったんですが、夕方になると相撲をつけてくれて、勝って帰りに迎えにいくと大喜びして、きっと自慢の父親なんだろうなと思った中で、自分の中で昨年の名古屋場所くらいから土俵に上がっても力を出せなくて、もやもやしている中で、原因を見つけてもう1回上を目指していこうという中でのケガだったので、相撲が取れなくなって、息子にもう1回、強い自分を見せられないのはすごい残念です。

-会見場に家族を呼んだ思いは

力士として引退したので厳密にいうと終わってるのですが、はおりはかまでちょんまげをつけて人前に出るのは今日が実質最後になるので、そういう姿を見てもらいたいのと、師匠にこの日と、こういう場をつくっていただいて、それで最後の姿を見せたらどうだといっていただいたので、お言葉に甘えさせていただきました。

-大分で唯一関取がいなくなった。大分のファンへ

特別な言葉はなくて、地元を愛していましたので、地元からの声援はもちろんありがたかったし、30を過ぎて「大関を目指す」と大分でも公言してきましたけど、その夢がかなわず残念ですが、約16年間支えていただいて、ありがとうございましたという思いです。

-こういうケガで土俵生活を終える。そこに悔いはないですか

悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうなと。力及ばずして番付が下がってやめるにしても、どういう形にしても土俵を下りるのは悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲というのは人生そのものだったので、大変残念に思います。

-16年間、嘉風関が貫いてきた信念、大事にしてきたものは何ですか

非常に難しい質問です。16年ということでまとめるのは難しいですけど、やっぱり30歳をすぎてから上位で相撲をとらせてもらった時は、どういうことがあっても、しっかり当たっていくということは念頭に置いてやってきましたし。信念。相撲が好きだという気持ちは強く持ち続けて、それは貫いてきました。

-学生出身の力士が多い。そういう学生出身の後輩たちに伝えたいこと

さっきも言いましたけど、高校相撲、大学相撲を経験すると恩師が増えて相撲界に入るので、そういう指導者の指導をあおぐのはいいんですけど、あんまり簡単に口に出さない方がいいかなと。口うるさく言う兄弟子がいなくなったので、細かいことに目がいくのは、土俵上の所作で、番付上の人、特に横綱大関より後に塩をまいたり、後に仕切ったりというは(良くないと)誰からも教えられることなく、暗黙のルールというか。今、ルーティンという言葉がどのスポーツでもでてきましたけど、そのルーティーンは大事かもしれないですけど、相撲は勝負の前に所作も重んじられてここまで伝統文化として引き継がれてきたので。自分は横綱大関と相撲を取る時は、相手より所作を先にやるのはずっと頭に置いていた。学生相撲と言われるのがすごくいやだったので、そこはたたきあげの15歳で入った力士よりも気を付けるようにしていた。学生相撲出身力士にもそういうところをおろそかにしないでやってもらいたいと思います。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

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嘉風、一番の思い出は負けた稀勢の里戦/引退会見1

引退会見に臨む嘉風。右は尾車親方(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見前半。

尾車親方(元大関琴風) 本日は皆さま足元の悪い中、また早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。このたび嘉風が約16年の土俵生活を終え、引退することになりました。皆さまにはこの間、大変かわいがっていただき、お世話になり、本当にありがとうございました。今後は年寄中村として後進の指導にあたってまいりますので、今後とも一つご指導のほどよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございます。

元嘉風 おつかれさんでございます。本日は足元の悪い中、また場所中のお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。私、嘉風は現役を引退し、年寄中村を襲名させていただきました。入門した時はまさか37歳まで現役を続けるとは想像できませんでしたが、親方のご指導のもと、そして、親方とおかみさんがつくる尾車部屋という最高の環境で現役をつづけさせていただくことでこの年までやれたと思います。お集まりの皆さま、応援してくれたファンの皆さま、そして現役中にケガを支えてくれた先生方、私にかかわってくださったすべての方にこの場をお借りして感謝申し上げたい。今後は親方になりますが、尾車親方のもとで、親方というものをまた指導いただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

-本当にお疲れさまでした。引退発表後数日たちました。今の気持ちは

何とも言葉にできないというか、自分が現役をやめたということと、親方になったことの実感がまだわいていません。

-引退決断の経緯を説明してください

少し報道でも、師匠からもお話していただいたと思うんですけど、6月に地元佐伯市で地元をPRするという目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中で、これはあんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下りというか、調べていただければ分かりますが、キャニオニングを市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれまして。その時の診断ではものすごく大きな診断をされて、これは土俵にもう1回立つのは難しいのではないかという先生の見方があったのですが、なかなかその時点で土俵を下りるのが想像できずに、先生の見解をくつがえしてやろうと思ってリハビリに励んでいたのですが、やっぱり、このケガを負って、アスリートが復帰した例が少ないというか、ほぼないということもあって、腓骨(ひこつ)神経まひと診断書には書かせてもらったんですけど、足首が動かないので、足首にまひがのこってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、来場所、幕下に落ちるタイミングということを記事の方に書かれていたのですが、タイミング的にそういうことになったということで、自分としては土俵に戻りたいということでリハビリを続けていましたが、非常に残念ですが、土俵に立つことが厳しいということを実感したというか、あきらめざるを得ない状況になったので、そこで親方に引退しますという思いを伝えました。

-現在のリハビリ状況、ケガの回復は

順調だと思うんですけど、9月場所前に出した診断書の通り、全治は未定ということで。今後の見通しが今のところ立っていないんですけど、本当にいろんな方の支えで、皆さんが、相撲は取れないにしてもなんとか私生活はもとの状態に戻るようにということで、いろいろと考えてくれて、今後何度か手術が必要かもしれないんですけど、土俵に戻れなくても、もう1つの夢である指導者という親方になって若い衆を指導するという、その目標に向かってリハビリを続けている最中です。

-16年間を振り返って

どうかって言われますと困るんですが、相撲が好きという気持ちで始めて、相撲の厳しさに直面した高校時代があって、大相撲ではできないという思いで、体育の指導者を目指して日体大にはいりましたが、相撲がずっと好きなので、相撲を生活の中心、人生の中心にしたいと思って、大相撲の世界に入らせていただいた。学生時代より、仲良くというとちょっとおかしいですが、声をかけていただいた元豪風関の押尾川親方に「尾車部屋は最高の環境だから、ぜひうちの部屋にこい」と言われ、相撲界のことが分からない時期でしたので、豪風関の後押しもあって尾車部屋に入門させていただいて、自分が想像していたものすごい厳しい相撲部屋というのは尾車部屋にはなく、本当は師匠もいいたいことはたくさんあったのかもしれないですけど、わがままを言わせてもらったと。同期生にうちの部屋はこうだという話をしたんですけど、他の部屋の厳しさみたいなのは尾車部屋にはなかった。だからこそ、16年、入った時は関取になれるかどうかも分からないまま手探りというか必死にやってきたんですけど、振り返って37まで相撲が取れたのは最高の環境で相撲がとれたのではないかと。本当にありがたい相撲人生を送らせてもらいました。

-アマ横綱のタイトルを取ったが資格の期限がすぎて序ノ口から。その決断は

3年生の時にアマチュア横綱になって、そのまま順調に大学の4年生をすごしていれば大相撲の世界に入っていないと思う。3年生の最後に大きなタイトルを自分の中ではとってしまったので、4年生でキャプテンを任されて、なかなか気持ち良く相撲が取れなくて、それがプレッシャーになって不本意な、成績も内容もまったく自分の満足いく1年間を送れなかったので、自分の好きだった相撲を取り戻すのは大相撲の世界しかないと思って、そういう決断をさせてもらったのも3年生の時のアマ横綱のタイトルだと思います。

-決断は間違っていなかった

そうですね。間違っていなかったと思います。

-嘉風関は30歳超えてから初金星、新三役。30を超えて強くなった

自分の中では3つのターニングポイントがあって、1つは師匠が巡業部長を務めておられる時、大阪で大負けした。番付下がるのが分かった伊勢神宮での春巡業の初日にあいさつにいったら「嘉風はこのまま終わるのか。幕内上位で名前を覚えてもらったのに、下に落ちるのは、早いよ」と。自分にとっては激励だったんですけど、「稽古してもう1回上でとれるように頑張れ」と声をかけていただいて、自分なりに巡業で土俵に立つようにして、そのころ、タイミングが良かったというか、横綱稀勢の里関に声をかけていただき、三番稽古やるぞと、いうことで少し稽古をやるようになった。これが1つ。あとは、いつかの九州場所で地元から応援団がきている目の前で、相手は今は幕下の旭日松だったと思うんですけど。旭日松相手に勝つ姿見せたくて、安易にはたきにいったところ、全然通用せず、なんとも恥ずかしい相撲で負けてしまった。その前の秋場所でケガをして途中休場していたので、その復帰場所だった九州場所で、帰り道のバスの中での応援団の方の声を母親が代弁してくれたんですけど、勝つ姿を見るためでなく、土俵に立つ姿を見られた、それができたのでみんな喜んでいたという言葉をいただいたので、安易に変化にはしったことを本当に恥ずかしく思った。そこから勝つ相撲でなく、自分が相撲をとっている姿をみてもらいたいと強く思えた。もう1つは、なかなか上位に上がれない時に、妻にふと「あなたが対戦する相手が三役になっているのに、あなたは何で三役になれないのかな」と、感情のない感じで言われたのが心に響いた。言い返す言葉もなく、確かになと。家族も悔しい思いをしているんだなと思ったのと、そこでちょっと奮起して、上を目指して頑張ろうと思った。この3つで、30を超えていい相撲をとれるようになった。

-若い頃はスピード、30超えて左四つ、うまい相撲に変わってきた。何か精神面で変わったのか

精神面しか変わっていないと思うんですよね。同級生の立田川親方のような猛稽古はしたことがなくて。ただ知人に、「好きで始めた相撲がやっていて楽しくないのはおかしい」と言われたんです。「好きでやっているのに、土俵の上で楽しくないとか、成績ばかり気にして後ろ向きになっているのはおかしくないか」と言われて。確かになと思って。相撲界は30を超えると晩年というか、30半ばで終わる人が多いので、自分もそういう言葉をいただいて、いつやめてもおかしくない年齢なので、完全燃焼で終わりたいとそこで強く思った。スピード相撲からうまい相撲に変わったのは、解説をしていただく親方によく「無駄な動きが多い」と言われていたんですけど、そういう言葉も相手より少し早く動こうと思ったり、特別変えたことはないんですけど、周りの方に言っていただく言葉を自分に合うように変換できたのがよかったのかなと思います。

-引退を関取衆に伝えると、いろんなアドバイスもらったという声が多かった

それぞれ力士には師匠がいるので、自分がアドバイスは大変おこがましいので、そういうつもりはないのですが、その力士と相撲の話をするのが好きで。アドバイスといってもらえると大変うれしいですが、自分としては、自分の思いを話して楽しませてもらったという感覚です。

-琴奨菊には「相撲愛が足りないのでは」と言ったとか

元大関なんですけど、ずっと昔から顔を知っていて、ここ数年は巡業などでいろんな話をさせてもらった。相撲愛が足りない? 菊関はどういう解釈をしてくれたのかもしれない。元大関なんですけどいろいろ探求心があって、菊関自身が自分のことを信じられていないと思ったので、もっと自分を信じてやっていくというのがそうとらえられたのかもしれない。

-思い出の一番は

やめていく力士の引退会見を見て、この質問は定番だったので、考えたんですけど、思い出の一番を出すと、例えばそれが勝った相撲だと、いわゆる負けた相手を出すことになるので、それはあんまりしたくないと思ったのと、そんな中で強いて挙げるなら、確か自分が新小結で7日目か8日目か、確か刈屋さんが実況していた。まだ横綱になる前の稀勢の里関とめいっぱいの力を出し切って負けた。負けた時の声援が、負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある。声援は9割9分、稀勢関へのものだったと思うんですが、ものすごくあの一番が印象に残っています

-新三役の稀勢の里戦というと26年夏場所の9日目。自分が負けた相撲が思い出の相撲というのは、嘉風関らしい

負けましたけど、すべて出しました。師匠が解説をしていたと思います。持っているものを全部だして通用しなかったんですけど、あの時の達成感、充実感は今までの勝ち星にも替えられないと思います。(後半に続く)

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嘉風、引退原因のケガは土俵上でなく渓流下りだった

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。

引退のきっかけとなったケガは大分県での合宿中とされてきたが、本人が初めて説明した。

「6月に地元(大分県)佐伯市で、地元をPRする目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中、あんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下り、市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれました。(中略)。腓骨(ひこつ)神経まひと、足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、非常に残念ですが、土俵に立つことが難しいと実感した。あきらめざるを得ない状況になりました」

日本相撲協会に提出した診断書は「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後十字靱帯損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨(ひこつ)神経まひ」。この日の会見も、右足だけは雪駄(せった)でなく装具を履いて臨んだ。

現在のリハビリ中で、今後も手術を受ける可能性がある。今後の指導者生活について聞かれても「ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋を持ちたいと思っていましたが、今はリハビリ中なので、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻って、今はリハビリを続けたいと思います」と慎重に話した。

会見では「悔いはないか?」と聞かれると、こう話した。

「悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうな、力及ばずして番付が下がってやめるにしても、悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲は人生そのものだったので、大変残念に思います」

会見を終えると、家族から花束を渡され、会場を後にした。

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

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友風が涙の金星「嘉関にやっといい相撲見せられた」

鶴竜を破り懸賞金の束を手にする友風は、目に涙を浮かべる(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

友風が2場所連続で鶴竜から金星を奪い、号泣した。

立ち合い直後に引いた先場所とは違い、流れの中ではたき込んで鶴竜に2戦2勝。花道を引き揚げる際には、5日目に引退が発表された兄弟子で付け人を務めた、元関脇嘉風の中村親方を思って涙が止まらず。

「いつもそばにいてくれたので寂しい気持ちだった。嘉関にやっといい相撲を見せられた」とかみしめた。

ファンに囲まれ笑顔を見せる友風(撮影・鈴木正人)

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豊ノ島黒星も“戦友”嘉風からのバトン胸に奮起誓う

豊ノ島(右)を寄り切りで破る貴源治(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇6日目◇13日◇両国国技館

バトンは確かに受け取りました-。西前頭14枚目の豊ノ島(36=時津風)が、東前頭17枚目の貴源治(22=千賀ノ浦)との一番に寄り切りで敗れ5敗目(1勝)。

16年初場所以来の幕内勝ち越しに苦しい状況に置かれたが“戦友”から託された思いを胸に、奮起を誓った。

前日、十両嘉風(37=尾車)の引退が発表され「最年長関取」の座が回ったきた豊ノ島。くしくも「幕内最年少」の貴源治との一番となったこの日は、左四つから2度、右を巻き替えて出たが残され、寄り切られた。

前夜、引退を決めた嘉風改め中村親方にライン(無料通信アプリ)で惜別の言葉を送った。「また対戦したかったね。お疲れさまでした」。そんな内容の言葉を送ると「せっかくカジ(豊ノ島の本名の名字『梶原』から愛称で)が(ケガから上がって関取に)戻ってきたのに対戦できなくて残念。『最年長』のバトンは渡したからな」の返事が戻ってきたという。

アキレス腱(けん)のケガで幕下に落ちたときも、免疫力の高いサプリを勧めてくれるなど、何かと気にかけてくれた1歳年上のライバルであり、親友でもあった。そんな中村親方に「しばらくは(最年長関取の)バトンを(自分が引退して次代に)渡さないように頑張るから」と返したという。力士・嘉風の姿を思い起こすように、1勝5敗の苦境にも「勝っても負けても一日一番。土俵上では胸を張っていたい。こんな時こそクヨクヨしないで、ケガをしたことを考えれば(幕内で相撲を取れること)今は奇跡的で夢にも思わなかったことだから」と前向きに話して場所を引き揚げた。

貴源治に寄り切りで敗れた豊ノ島(左)(撮影・丹羽敏通)

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かど番豪栄道1敗で序盤戦終了「体は動いている」

記者の質問に答える豪栄道(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

かど番の大関豪栄道(33=境川)が、序盤5日間を1敗で終えた。

3連敗中の東前頭3枚目大栄翔(25=追手風)を引き落とし。突っ張りを下からあてがい、相手が前傾になったところを見逃さなかった。苦手意識をつくりたくない中で、冷静な対応を見せ「体は動いている」と話した。

大栄翔は埼玉栄高の後輩で、ここ数場所は安定して上位に位置するなど伸び盛りの若手。豪栄道もその実力を認め、この日も右差し狙いだったが「簡単には差せないので距離を考えた」と、相手の突きを警戒して間合いを取った。

この日、元関脇の十両嘉風が引退を決断。「大きくない体で真っ向勝負。相撲を取っていてやりにくかった」と神妙な面持ちで話した。会話をすれば相撲の話が弾んだという。「嘉風関はアマチュア相撲が好きで、その話とかよくしていました。(言葉を贈るなら)お疲れさまでした」。

4勝1敗でかど番脱出へ残り4勝。「その辺はあまり意識せずにできている」と、地に足をつけて中盤戦に臨む。

大栄翔(右)を引き落としで破る豪栄道(撮影・河田真司)
豪栄道(右)は引き落としで大栄翔を下す(撮影・小沢裕)

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鶴竜「やなお相撲さんでした」引退嘉風の印象語る

嘉風(2018年1月17日撮影)

日本相撲協会は秋場所5日目の12日、元関脇で西十両7枚目の嘉風(37=尾車)が引退し、年寄「中村」を襲名すると発表した。

▽横綱鶴竜のコメント けががひどかったのかな? どうしちゃったんだろ? やなお相撲さんでした。下から下から、引かせようとしてね。

支度部屋で力ない表情の鶴竜(撮影・中島郁夫)

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鶴竜が痛恨の金星献上「早く勝負をつけようと…」

支度部屋で力ない表情の鶴竜(撮影・中島郁夫)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

横綱鶴竜(34=井筒)に土がついた。右下手投げを打ったが崩せず、逆に左上手でまわしを引かれて、寄り切られ、金星を献上した。

「あそこで投げにいったのが1番良くない。1番ダメです。急いだのかな、早く勝負をつけようと思ってしまったのがまずい。自分が右を差したんだから、左(上手)をとってから寄ればよかった」と、痛恨の取り口を振り返った。

また嘉風引退の感想を求められて「え? いつですか? けががひどかったのかな。どうしちゃったんだろ?」と驚きを隠せなかった。「やなお相撲さんでしたよ。下から下から、引かせようとしてね。向こうが年上だけど、こっちが先に(角界に)入って、先輩なんで。後輩が先に辞めるのは不思議です」と残念がっていた。

朝乃山(右)に敗れ土俵に一礼する鶴竜(撮影・中島郁夫)

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関取最年長継ぐ豊ノ島が嘉風引退に「素直に寂しい」

栃煌山(左)に押し出される豊ノ島(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

「関取最年長」の座が回ってきても、若々しさは忘れない-。16年初場所以来の幕内勝ち越しを目指す、西前頭14枚目の豊ノ島(36=時津風)が、通算27度目の対戦となった栃煌山(32=春日野)との一番を落とし、1勝4敗となった。

立ち合いで左が入り、右も巻き替えて得意のもろ差し。だが、その右を強烈な腕力で絞られ苦しい体勢に。さらに小手で振られ体をクルッと回され一瞬、後ろ向きに。体を寄せられ、そのまま押し出された。

「左は十分だったけど、右がもう一入りできたらね。(勝負を分けたのは)あそこ。入れば勝てたけど、入りきらなかった。今日も紙一重だったな」。立ち合いから二本を入れた流れに問題はない。ただ、あと一差しできたか、できなかったで明暗は分かれた。

取組前に、現役関取最年長だった十両嘉風(37)の引退が発表された。今年初場所の番付発表時点で、自分より年上だった(年齢の順に)安美錦、豪風、そして嘉風が引退し、最年長関取に押し上げられた。嘉風の引退については「ずっと同じ年代に土俵で戦った人。素直に寂しい」と惜別の言葉をかけ、自身が最年長関取になったことについても言及。「最年長というのは受け継がれるもの。自分が若いときは(その時の最年長関取を)見ていて『若いな』と思っていた。自分も『オジサン』でなく、そう思われるように取りたい」と自分を奮い立たせるように話した。現状は1勝4敗と苦境に立つが、総じてベテラン力士というのは「共通しているのは勝ち負けより、自分の納得する相撲を一番一番、取る中で白星をもぎ取っているイメージがある。勝ち負けを意識すると気持ちが下がるから、自分も明日から切り替えてやりますよ」と吹っ切れた表情で話した。

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嘉風引退「土俵で散れなかった」尾車親方が無念代弁

嘉風(2018年1月17日撮影)

日本相撲協会は秋場所5日目の12日、元関脇で西十両7枚目の嘉風(37=尾車)が引退し、年寄「中村」を襲名すると発表した。

この日、引退届が提出され、理事会で「中村」襲名が認められた。嘉風は6月に大分県内で行われた合宿中に右膝を負傷。7月の名古屋場所を全休し、今場所も「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨(ひこつ)神経まひ」との診断書を提出し、初日から休場していた。6月28日に手術をしたが、今後の追加治療や治療期間に関して、診断書には「現時点では未定」とも記されており、今後の見通しが立っていなかった。

前日11日に電話で話したという師匠の尾車親方(元大関琴風)は「本人から『引退したい』という連絡があった。非常に悔しがっていた。土俵で散りたかったと思う」と、最後に本場所土俵で取組を行わないまま引退する無念さを代弁した。それでも同親方は「人前では言ったことはなかったけど、自慢の力士だった。どこに行っても『嘉風は真っ向勝負でいいね』と褒められた。今後は彼のまっすぐな、真っ向勝負の相撲を伝授してもらいたい。よく嘉風にも言っていたけど『銭の取れる相撲』を。勝ち負けは別にして、彼が実行してきた、そういうのを伝えてほしい」と、指導者としての今後に期待していた。

現在、嘉風は三重県内の病院に入院中で、16日に都内で会見を予定している。

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逸ノ城が休場 前日取組後、右肩「コキッと外れた」

11日、鶴竜(左)に肩すかしで敗れた逸ノ城は右肩を痛め苦悶(くもん)の表情を見せる(撮影・小沢裕)

大相撲の東前頭2枚目逸ノ城(26=湊)が秋場所5日目の12日、休場した。

4日目の横綱鶴竜戦で敗れた際に右肩を負傷。取組後、土俵についた右肩について「コキッと外れた」と話し、両国国技館内の診療所で診察を受けていた。逸ノ城の休場は、今年の夏場所以来3度目。

5日目の対戦相手だった玉鷲は不戦勝になる。今場所、十両以上の休場は、横綱白鵬、大関高安、十両貴ノ富士、嘉風に続いて5人目。

11日、支度部屋で肩を落とす逸ノ城(撮影・河田真司)

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友風「若さ出して」で白星、4日目貴景勝戦心待ち

玉鷲(手前)をはたき込みで破る友風(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇3日目◇10日◇東京・両国国技館

名古屋場所で殊勲賞を獲得した西前頭3枚目友風(24=尾車)が、今場所も白星を先行させている

。初日から連勝していた東前頭4枚目玉鷲(34=片男波)をはたき込み2勝1敗。おっつけとのど輪に後退する展開だったが、得意の土俵際で逆転した。

前日2日目は小結遠藤に押し出され、尊敬する兄弟子の十両嘉風から「もっと若さを出したかったな」と言葉をもらった。「だから今日は若さを出したかった。出ていましたか?」と、ちゃめっ気たっぷりに笑った。

この日は玉鷲、4日目は大関復帰を目指す関脇貴景勝と対戦。優勝力士との顔合わせが続き「めちゃくちゃ楽しみ」と心を躍らせた。

玉鷲(右)は友風にはたき込みで敗れる(撮影・小沢裕)

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相撲協会が嘉風の診断書公表 来場所は幕下陥落確実

嘉風(2018年1月17日撮影)

日本相撲協会は秋場所初日の8日、休場した西十両7枚目嘉風(37=尾車)の「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後十字靱帯損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨(ひこつ)神経まひ」との診断書を発表した。診断書によると、6月20日に受傷し、同28日に後外側支持機構損傷に対する修復術を施行し、現在リハビリ中であるが、今後の追加治療や治療期間に関しては現時点では未定という。

7月の名古屋場所を全休した嘉風は、今場所も全休の可能性が極めて高く、その場合、来場所は幕下に陥落することが確実だ。そのため、師匠の尾車親方(元大関琴風)からは「自分でじっくり考えなさい」と、引退か現役続行か、今後についての決断を委ねられている。

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引退か続行か、嘉風は「葛藤してると思う」尾車親方

嘉風(2018年1月17日撮影)

関取最年長の37歳で、大相撲の西十両7枚目の嘉風(尾車)が、現役を引退する可能性が出てきた。秋場所(8日初日)の取組編成会議が6日、会場の東京・両国国技館で行われ、嘉風の休場が発表された。

嘉風は出身の大分・佐伯市で行われた6月の合宿で右膝を痛めて手術し、7月の名古屋場所に続き2場所連続休場。師匠の尾車親方(元大関琴風)によると現在も入院中で、途中出場は極めて難しい。全休なら幕下陥落が確実。最高位関脇で現役最多タイの金星8個の実力者は今、引退か現役続行かの決断を迫られている。

尾車親方は「あそこまでやった男。三段目とかに落ちても取ると言うのか、引退を申し出るのか。『自分でじっくり考えなさい』と本人に任せている。今は葛藤していると思う」と、現状を説明した。一方で11月の九州場所に出場できる保証もなく「37歳。下からまた上がるのも大変。それを見たい気もするけど…」。引退もやむなしと覚悟した師匠は寂しそうに語った。

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