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中村親方「復帰の思い伝わる」大けがの友風から動画

中村親方(元嘉風)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が1日、昨年九州場所で右ひざに大けがを負った弟子の友風の現状を語った。

都内で行われたアスリートのセカンドキャリアなどをサポートする団体「一般社団法人 APOLLO PROJECT」設立の記者会見にリモート参加。会見後の囲み取材で、報道陣から友風の現状について聞かれると「本人は辞める気はさらさらない。復帰に向けて鍛錬を重ねています」と明かした。

友風は西前頭3枚目だった昨年九州場所で、右膝関節脱臼により途中休場。今年の初場所、春場所、7月場所と3場所連続で全休中だ。そんな友風からリハビリやトレーニングの動画が送られてくるといい「頑張っていると言うと申し訳ないぐらいコツコツとやっている。回復もゆっくりで歯がゆい思いはあると思う。ただ『絶対に復帰する』という思いが動画を見て伝わってくる」と話した。

中村親方は友風の現在について、「本当は尾車部屋でやるのが望ましいけど」と前置きした上で、リハビリやトレーニング設備が整っている地元・神奈川に戻っていることを明かした。また、母校・向の岡工高でまわしを締めて稽古していることも明かした。「四股、すり足、本当に軽めだけどぶつかりもやっている」といい、弟子の復活に期待した。

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元関脇嘉風の中村親方、現役時のトレーニング悔やむ

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が1日、都内で行われた、「一般社団法人 APOLLO PROJECT」設立の記者会見にリモート参加した。同団体はサッカーのC大阪で活躍した山内貴雄氏が代表理事を、元ラグビー日本代表の広瀬俊朗氏らの元アスリートらが理事を務め、アスリートのセカンドキャリアなどをサポートする団体。中村親方は、同氏らが熱弁した自身の現役時代の体験や引退後の活動、おのおのが考えるアスリートの価値などについて耳を傾けた。

中村親方は昨年秋場所に現役を引退し、現在は尾車部屋で後進の指導に当たっている。会見中に「決断力」について問われた同親方は「部屋の若い衆は親方の指示に従って稽古をする。ただ関取になると、私の部屋(尾車部屋)では(師匠の尾車親方から)『番付が上がるも下がるも自己責任』と言われてほとんどを任せられた」と現役時には高い自己決定力が必要だったことを明かした。

そんな中で「30歳を過ぎてから、33、34、35歳の時は若い時のように毎日相撲を取る稽古は行わずにトレーニングばっかりやっていた。トレーニングをやっていれば体は動くと勝手に仮説を立てていた」と悔やんだ。一方で「たくさん稽古をして成績を残すということに疑問を抱いていた。晩年は若い衆と同じ稽古量はできないなと思っていた。実際に自分が若い時の100分の1ぐらいの量だったけど質は高めました」と現役時代の経験や考え方を明かした。

中村親方は、同団体が来年1月から展開する「アスリート向け教育事業(A-MAP)」に1期生として参加し、人材育成講義を受講するという。同親方は「楽しみがたくさんある。1期生としてしっかり学んで、自分のいい所を発見して次につなげていきたい」と語った。また「角界は辞めた後の次が厳しい。残れる人は少しだけ。指導者として何とかしたい。若い衆もだけど、関取衆もこの世界に残れる保証はない。そんな人に自分でよければアドバイスできればなと思う」と講義で学んだことを、後輩に伝えていく。

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新関脇に大栄翔、遠藤が小結復帰/新番付アラカルト

大栄翔(2020年7月28日撮影)

日本相撲協会は8月31日、東京・両国国技館で理事会を開き、この日、新番付が発表された大相撲秋場所(両国国技館)を当初の日程通り、9月13日初日で開催することを決定した。

<秋場所番付アラカルト>

▽変わらず 横綱、大関の顔触れは変わらず。大関で朝乃山と貴景勝の東西が入れ替わった。

▽新関脇 東西の正代、御嶽海はそのまま。大栄翔が新たに就いた。埼玉県出身は若秩父以来57年ぶり。3関脇は17年九州場所(御嶽海、嘉風、照ノ富士)以来で大関経験者なしの3関脇は11年秋場所(琴奨菊、稀勢の里、鶴竜)以来。

▽返り咲き 小結は先場所西の隠岐の海が東、西は遠藤が2場所ぶり復帰。

▽明暗 先場所幕尻優勝の照ノ富士が一気に16枚番付を上げて東前頭筆頭に。出場停止処分の阿炎は9枚下げ西前頭14枚目。

▽新入幕 翔猿は追手風部屋から10人目の幕内。兄英乃海との史上11組目の兄弟幕内。元横綱朝青龍を叔父に持つ豊昇龍はモンゴル出身では27人目、外国出身では50人目の幕内力士。

▽新十両 王輝は新潟県出身では戦後17人目、錦富士は青森県出身では戦後65人目。

遠藤(2020年1月12日撮影)

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新関脇の大栄翔「欲を出して頑張る」大関昇進も意欲

埼玉県草加市の追手風部屋で秋場所の番付表に記載されている自身のしこ名を指さす新関脇の大栄翔(右)と新入幕の翔猿

大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)で新関脇に昇進した大栄翔(26=追手風)が、大関昇進への意欲を示した。31日、埼玉・草加市の部屋からリモートでの会見に出席。東小結だった7月場所で11勝を挙げた成長株は「関脇を目標にしていたのでうれしい。常にこういう好成績を残せば上がれると思っていた」と笑みを浮かべた。

同年代で同じ関脇の正代、御嶽海との出世争いになる。3人とも7月場所で11勝を挙げ、大関とりの起点をつくった。「現役でいる以上はさらに上を目指して、欲を出して頑張っていきたい」と大栄翔。大関という地位について「違う世界、未知の世界になる。今の自分にとって最大の目標」と意識を隠さなかった。3関脇は17年九州場所(御嶽海、嘉風、照ノ富士)以来で、大関経験者不在の3関脇は11年秋場所(琴奨菊、稀勢の里、鶴竜)以来となった。ライバルの存在に「いい刺激になる。負けないように頑張りたい」と前向きにとらえた。

前日30日には同じ埼玉栄高出身で、仲のいい大関貴景勝(24=千賀ノ浦)が婚約を発表した。「自分も最近知った」と明かし「すごいおめでたいこと。(貴景勝にも)『おめでとうございます』と伝えた」と祝福した。自身の“嫁取り”については「相撲と一緒で徐々に頑張っていきたい」と控えめに話した。

追手風部屋からは2000年九州場所の追手海以来20年ぶりで、埼玉県出身では63年名古屋場所の若秩父以来、57年ぶり戦後2人目として迎える新関脇場所は、初日まで2週間を切っている。17日から新入幕の翔猿らの関取衆を相手に相撲を取る稽古を再開。「立ち合いをもっと厳しく、突き押しで取り切ることを課題にやっている」。秋場所の目標は「2桁勝ちたいが、まずは勝ち越し。ひとつずつ目標を増やしていけたら」と意気込んだ。【佐藤礼征】

埼玉県草加市の追手風部屋でリモートでの会見に臨む秋場所で新関脇昇進を果たした大栄翔

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大栄翔加わり「3関脇」17年九州場所以来/新番付

大栄翔(2020年7月28日撮影)

日本相撲協会は8月31日、開催を目指す大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、開催の可否や開催形態は理事会で決定する見込み。

横綱は4場所連続で、東に白鵬(35=宮城野)、西に鶴竜(35=陸奥)が就いた。7月場所では、白鵬が13日目から、鶴竜は2日目から休場。ともに復帰をかける土俵で、白鵬は2場所ぶり45回目、鶴竜は昨年の名古屋場所以来6場所ぶりの優勝を目指す。

大関は東西が入れ替わり、東が朝乃山(26=高砂)、西が貴景勝(24=千賀ノ浦)。新大関として臨んだ7月場所で優勝次点の12勝3敗だった朝乃山は、7場所ぶり2度目となる大関初Vを目指す。7月場所で、かど番を脱出し12日目から休場した貴景勝も、婚約発表を機に10場所ぶり2度目となる大関初優勝を狙いたいところだ。

関脇は先場所、ともに11勝4敗の好成績を残した正代(28=時津風)と御嶽海(27=出羽海)が、東西で変わらない。正代は3場所連続の関脇在位(三役も)で、御嶽海は2場所連続の関脇在位(三役も)。

今場所はさらに、東の序列2番目の関脇に、大栄翔(26=追手風)が就いた。先場所は東小結で11勝4敗の好成績を収めた大栄翔は、今年初場所の朝乃山以来の新関脇。追手風部屋からの新関脇は、2000年九州場所の追手海以来20年ぶり。埼玉県出身でも久々の新関脇誕生で、63年名古屋場所の若秩父以来、57年ぶり戦後2人目となった。

なお3関脇は、17年九州場所(御嶽海、嘉風、照ノ富士)以来のこと。大関経験者不在の3関脇となると、11年秋場所(琴奨菊、稀勢の里、鶴竜)以来となる。

小結は先場所、西小結で9勝6敗の隠岐の海(35=八角)が東に、西は先場所、東前頭筆頭で8勝7敗の遠藤(29=追手風)が2場所ぶりの小結復帰を果たした。

秋場所は通常通りの日程でいけば、9月11日の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。13日の初日を迎える。

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173センチ小柄な竹岡が序二段V「イメージ通り」

序二段優勝の竹岡(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

尾車部屋の成長株、東序二段84枚目竹岡(18)が7戦全勝で序二段優勝を飾った。西序二段75枚目生田目(18=二子山)に立ち合いから低い当たりで攻め込み、最後は相手が前傾になったところでタイミング良く引き落とした。「しっかり自分の押し相撲を稽古していた。イメージ通りの相撲だった」と納得の表情を見せた。

東京・両国出身で国技館がお膝元。「ちょんまげをつけたかった」と力士にあこがれ、小学校4年生から相撲を始めた。新潟海洋高では十和田大会で団体準優勝メンバー。身長は173センチと小柄だが、鋭い出足と押し相撲が持ち味だ。あこがれは部屋付きの中村親方(元関脇嘉風)。この日の取組前には中村親方から「しっかり自分の相撲を取り切れ。人に見せられない格好の悪い相撲を取るな」と言葉をもらったという。

「7勝できてとてもホッとしている。しっかり稽古でやってきたことを場所で出せるように、支度部屋では準備してきた。自分の全身全霊を出せるように意識した」。序二段優勝の自信を力に、さらなる番付上昇を目指す。

序二段優勝の竹岡(撮影・河田真司)

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16歳吉井、三番相撲2敗目「足出なくて全然だめ」

玄武丸(右)は吉井を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇5日目◇23日◇東京・両国国技館

16歳で幕下昇進を果たした西幕下54枚目の吉井(時津風)が、三番相撲で2敗目を喫した。

東幕下56枚目玄武丸に寄り切られた。立ち合い前みつを狙ったが「あまり足が出なくて全然だめ。とにかく当たって差されないようにと思ったが、前に出ることができなかった」と肩を落とした。

場所前に師匠の不適切指導で所属していた中川部屋が閉鎖となり、時津風部屋に転籍した。神奈川・川崎市の部屋から、国技館まで徒歩圏内の部屋に移り「時間帯も全然違う。時間に余裕が持てる」と話す。

幕下昇進にあたり、あこがれの中村親方(元関脇嘉風)から博多帯をもらった。「中学の大会で日本一になったときにインタビューで『嘉風関のような力士になりたい』と話したら、気にかけてもらうようになった。『脇が甘い』と言われる。もっと期待に応えられるような相撲を取りたい」と意気込む。

8月1日の誕生日で17歳になるホープは「強くなるのに年齢は関係ない。同じ番付だと思って、『強くなるんだ』という強い気持ちで頑張りたい」と力強く話した。

玄武丸(左)は吉井を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)

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鶴竜反省「独り相撲を…」横綱の“腰砕け”黒星は初

腰砕けで遠藤(左)に敗れ苦笑いの鶴竜(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇初日◇19日◇東京・両国国技館

鶴竜(34=陸奥)が、横綱では初めて「腰砕け」で敗れた。東前頭筆頭の遠藤(29=追手風)に対し、右足で裾払いを仕掛けたが、これが空振り。バランスを崩して、自ら転倒した。「決まり手」ではなく勝負結果として「腰砕け」と判定された。

日本相撲協会広報部の資料によれば、1955年(昭和30年)に決まり手を制定してい以来、横綱が腰砕けで敗れるのは初めて。幕内では、昨年初場所2日目に隠岐の海が嘉風に勝って以来となる勝負結果となった。

金星を配給した鶴竜は「独り相撲を取ってしまった」と反省。4カ月ぶりの本場所は、横綱であっても相撲勘が鈍りかねない難しさがあるのかもしれない。

鶴竜(右)の腰砕けで遠藤が白星を挙げる(撮影・鈴木正人)

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新大関朝乃山、白鵬ら白星発進 鶴竜横綱初の腰砕け

鶴竜(右)の腰砕けで遠藤が白星を挙げる(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇初日◇19日◇東京・両国国技館

新大関の朝乃山が白星発進した。前頭隆の勝の突き、押しを受け止めつつ、下からあてがって反撃。相手が体勢を崩したところを、すかさず送り出す完勝だった。かど番の大関貴景勝は、同じ押し相撲の豊山を立ち合いから圧倒して押し出した。

両横綱は明暗が分かれた。白鵬は小結隠岐の海に攻め込まれたが、肩すかしで破った。

鶴竜は、横綱では初めて「腰砕け」で敗れた。東前頭筆頭の遠藤に対し、右足で裾払いを仕掛けたが、これが空振り。バランスを崩して、自ら転倒した。「決まり手」ではなく勝負結果として「腰砕け」と判定された。

日本相撲協会広報部の資料によれば、1955年(昭和30年)に決まり手を制定して以来、横綱が腰砕けで敗れるのは初めて。幕内では、昨年初場所2日目に隠岐の海が嘉風に勝って以来となる勝負結果となった。

金星を配給した鶴竜は「独り相撲を取ってしまった」と反省。4カ月ぶりの本場所は、横綱であっても相撲勘が鈍りかねない難しさがあるのかもしれない。遠藤は7個目の金星となった。

新入幕の琴勝峰は、寄り切りで千代丸を破って幕内初白星を挙げた。5月に部屋の三段目勝武士さんが、新型コロナウイルスに感染して亡くなった、高田川部屋勢は、前頭の輝と竜電、十両白鷹山の関取衆がそろって白星を挙げた。

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元関脇嘉風の引退相撲延期「世の中の状況を鑑み」

元関脇嘉風(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(元関脇嘉風)が、10月3日に両国国技館で予定していた引退相撲を延期することを発表した。

22日、引退相撲の公式ウェブサイトを更新し「嘉風引退中村襲名披露大相撲は世の中の状況を鑑み検討を重ねた結果、やむなく延期させて頂くことと相成りました。皆さまには大変ご迷惑をお掛けしますことを心からおわび申し上げます」と発表した。

開催時期については未定で「改めてお知らせいたしますので、その際はぜひともご臨席賜りますようよろしくお願い申し上げます」とした。

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元関脇嘉風の中村親方、コロナで断髪式の延期検討

元関脇嘉風の中村親方(2019年9月16日撮影)

大相撲の中村親方(38=元関脇嘉風)が、10月3日に両国国技館で予定している引退相撲について、延期を検討していることを明らかにした。

27日にツイッターで「嘉風断髪式は新型コロナウィルス感染拡大に伴いまして皆様に安心して来ていただける時期への延期も検討させていただいている状況でございます。延期実施の有無を含めまして決まり次第当サイトにてお知らせさせていただきます。罹患された皆さまおよび関係者の皆様には心よりお見舞い申し上げます」と発表し、28日までに引退相撲の公式ウェブサイトにも同様の文言をアップした。

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吉井5勝目、夏場所昇進なら史上3位のスピード出世

吉井(左)は寄り切りで満津田を下す(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇13日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

18年の中学横綱、東三段目19枚目吉井(16=中川)が7番相撲で5勝目を挙げ、来場所の新幕下昇進を確実にした。

夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付発表が4月27日。16歳8カ月26日での新幕下昇進を果たせば、72年以降に初土俵を踏んだ力士では、16歳11カ月20日で昇進した元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らを抜いて史上3位のスピード出世となる。

この日は強烈な左おっつけで東三段目22枚目満津田(25=峰崎)の体勢を崩し、最後はもろ差しで寄り切った。「(もろ差しは)狙ってはいないけど、パッと入ったので。動いてくる相手なので兄弟子からは『落ちついていけ』と言われていた」。ちょうど1年前の春場所で初土俵を踏み、序ノ口デビューから6場所連続で勝ち越している16歳は「引くことが少なくなってきた」と手応えを口にした。

静岡・焼津港小4年から相撲を始め、焼津港中3年時に全中で個人、団体の2冠を達成した。通算8個の金星を獲得した人気力士、元関脇嘉風(現中村親方)を目標にしている。

部屋では今場所幕下で6勝1敗の好成績を収めた兄弟子、幕下旭蒼天(27=中川)との稽古で力をつけている。「旭蒼天さんは出足がめちゃくちゃ速い。いい稽古ができた」と感謝。「まだまだ右の脇が甘くて差されやすい。次の場所で、幕下で勝てる相撲が取りたい」。まだあどけない表情が残るホープは、自身の課題を冷静に分析した。【佐藤礼征】

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豊ノ島が幕下黒星スタート「空気感の緊張感薄れる」

琴太豪に寄り切りで敗れ土俵を引き揚げる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇初日◇8日◇エディオンアリーナ大阪

再十両を目指す東幕下2枚目の豊ノ島(36=時津風)が、1年半ぶりに陥落した幕下の土俵で黒星スタートとなった。

西2枚目の琴太豪(27=佐渡ケ嶽)と約3年ぶりに対戦。右から張って踏み込み両差しを狙ったが、逆に脇が空いて差されズルズルと後退。土俵際で一度、残して腰を落としたが、劣勢をはね返せず圧力をかけられたまま土俵を割った(決まり手は寄り切り)。

アキレス腱(けん)断裂から、苦渋だった2年の幕下生活を乗り越え関取に復帰したのが18年九州場所。幕内にも復帰するなど8場所は関取の座を維持し、嘉風(現中村親方)引退後は「現役最年長関取」として奮闘してきた。

だが1月の初場所、東十両11枚目で4勝11敗と負け越し。再び「無給生活」となる幕下陥落となり「やりきったという思いはある。(初場所千秋楽時点で引退と現役続行は)9対1」とまで話していた。

現役続行へ踏みとどまらせたのは、一粒種の長女希歩ちゃん(7)の言葉。無給生活になることを7歳ながら知っていたようで「私が貸してあげる」と泣きながら相撲を続けることを訴えられたという。沙帆夫人の「(ライバルで旧知の仲の幕内力士)琴奨菊との再戦を果たせないでいいの」の言葉など、悔いなく終わらせたい思いを伝えられた。さらには豊ノ島本人も「(陥落が決まった)初場所で家族も両親も見に越させられなかった。それでいいのか、と思った」と悔いを残していた。

それならば、と一度はなえた気持ちを奮い立たせて臨んだ土俵。仮に“その時”になれば会場に呼び寄せようと思っていた家族や両親は、無観客開催となったため呼べない。複雑な胸中で迎えた出直しの一番を、白星で飾ることはできなかったが、前向きな気持ちは忘れない。呼び出しにしこ名を呼ばれると館内に響き渡った、人気力士ならではの歓声や拍手はない。初体験の異様なムードに、最初こそ「勝負への緊張感ばかりが増して(歓声などによる)空気感の緊張感が薄れる」と独特の言葉で、苦笑いを浮かべながら表現。それでも「みんな同じ条件。先場所(現役を)やめていたら、こんな経験もできなかった。変な緊張感にのまれずに、もっと楽しんで思い切ってやりたい」と歴史的な場所を満喫すべく、2番相撲となる2日目の十両明瀬山戦に気持ちを切り替えていた。

琴太豪(右)に寄り切りで敗れる豊ノ島(撮影・鈴木正人)

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「あっ、行司が消えた」/印象残った言葉・下半期

引退会見に臨む嘉風(2019年9月16日撮影)

2019年が間もなく終わる。この1年、相撲界では、さまざまなことが起きた。角界での「印象に残った10の言葉」を1月から順に紹介したい。今回は7月以降の下半期。【取材・構成=佐々木一郎】

(6)「そうだね、練習しないとね」(安美錦、7月17日)

名古屋場所10日目、40歳だった安美錦が引退を発表した。ケガと闘い続けた力士人生。特に37歳で左アキレス腱を断裂してからは、家族ぐるみでケガと向き合ってきた。引退を表明した日、ひとしきりの報道対応が終わった後、安美錦の宿舎個室で個別に話を聞かせてもらった。話の途中で安美錦のスマホが鳴り、家族とFaceTime(テレビ電話)でつながった。画面越しの家族に向かって「パパ、引退することになったけど、いいかな?」と問い掛けた。すると、5歳の長女が「いいよ。これでママが疲れたら、運転交代できるね」と無邪気に言った。「そうだね、練習しないとね」と安美錦。長女は子供ながらに、力士は運転できないこと、ママが長時間運転してパパを全国の治療院に連れて行ったことを知っていた。これを思うと泣けてきた。安美錦引退相撲は、2020年10月4日、国技館にて。

(7)「あっ、行司が消えた」(NHK佐藤洋之アナウンサー、9月13日)

秋場所6日目の朝乃山-豪栄道戦。取組の最中、NHKの佐藤洋之アナウンサーは「あっ、行司が消えた」と実況した。文字通り、画面から行司の木村玉治郎が突然消えた。取組中に足をもつれさせて転倒し、土俵下に落ちていった。「消えた」と表現したセンス、間合いも含め、突然の出来事にも驚きすぎないさじ加減など、総合的に名実況だった。後日、佐藤アナに聞くと、反響は大きかったとのこと。

(8)「負けた相手は出したくない」(嘉風、9月16日)

引退会見では「思い出の一番は?」は定番の質問だ。この質問に、嘉風はこう答えた。「勝った相撲だと、負けた相手を出すことになるので、それはあまりしたくない。強いて挙げるなら、新小結の時、横綱になる前の稀勢の里関と目いっぱいの力を出し切って負けた(取組)。負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある」。負けても充実していた一番を挙げたあたりは、嘉風らしい。この会見では、引退のきっかけになった大けが(地元PRのための渓流下りでの事故)も明かすなど、あらゆる意味で衝撃的だった。嘉風引退相撲は2020年10月3日、国技館にて。

(9)「新十両の時よりうれしいです」(照ノ富士、11月22日)

元大関の照ノ富士が、関取復帰を決めた。西幕下10枚目で迎えた九州場所は7戦全勝で優勝。最後の一番を取り終えた後、まず最初に「新十両の時よりうれしいです」と言った。関取経験者の多くは引退後、もっともうれしかった瞬間として、新十両昇進を決めた時を挙げる。一人前として認められ、給与も待遇もすべてが一変する幸せの瞬間。その時をも超えると言うのは、大関から陥落した後の2年間、いかに苦しかったかの表れだろう。

(10)「令和元年に間に合ってよかった」(白鵬、11月23日)

九州場所14日目、横綱白鵬が43度目の優勝を果たして、こう言った。白鵬は、目標を立てるのがうまい。優勝回数を含め、主要な記録のほとんどを達成し、1位記録を更新し続けている。「○○関を抜く」という目標がなくなっても、手が届きそうな数字を口にし、自らのやる気をかき立てる。東京五輪まで現役を続けたいことは数年前から公言し、九州場所後は優勝50回さえ口にした。

果たして2020年は、どんな年になるか。

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栃ノ心は西関脇、豊ノ島、貴源治、栃煌山ら十両降格

大関栃ノ心(2019年1月16日)

日本相撲協会は28日、大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の新番付を発表した。降下、改名、引退などの力士、年寄は以下の通り。

【降下】

<大関から三役>

栃ノ心(32=春日野)東大関から西関脇

<幕内から十両>

東龍(32=玉ノ井)西前頭15枚目→東十両筆頭

栃煌山(32=春日野)西前頭16枚目→東十両2枚目

貴源治(22=千賀ノ浦)東前頭17枚目→東十両6枚目

豊ノ島(36=時津風)西前頭14枚目→西十両8枚目

<十両から幕下>

朝玉勢(26=高砂)東十両14枚目→東幕下2枚目

貴ノ富士(22=千賀ノ浦)西十両5枚目→西幕下5枚目

千代の海(26=九重)西十両11枚目→東幕下6枚目

青狼(31=錣山)東十両12枚目→西幕下6枚目

【改名<1>】(しこ名の上の部分)

<十両>

琴手計→琴勝峰(ことしょうほう=佐渡ケ嶽)

<三段目>

越錦→越乃花(えつのはな=立浪)

<序二段>

小浜海→佐田の龍(さだのりゅう=境川)

森田→雅(みやび=二子山)

塩谷→木瀬ノ海(きせのうみ=木瀬)

上田→藤乃波(ふじのなみ=藤島)

海波→瑞光(ずいこう=立浪)

<序ノ口>

光内→土佐緑(とさみどり=阿武松)

大国旭→大國旭(おおくにあさひ=中川)

【改名<2>】(しこ名の下の部分も含める)

琴手計富士紀→琴勝峰吉成(ことしょうほう・よしなり)

越錦政虎→越乃花友弥(えつのはな・ともや)

光内洸太→土佐緑清太(とさみどり・きよた)

【年寄襲名】

嘉風→中村

誉富士→楯山

【退職(年寄)】

理事・音羽山広生(前阿武松、元関脇益荒雄)

参与・武隈敏正(元前頭蔵玉錦)

【死亡】

副理事・井筒好昭(元関脇逆鉾)

【引退】

入江、佐田ノ里、武蔵國、春日国、藤大成、明石隆、大喜鵬、天司、鬨龍、若佐竹、駿河富士、琴隅田、福轟力

豊ノ島(2018年9月14日)
栃煌山(2016年9月11日撮影)

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嘉風「憎んでません」地元大分・佐伯市と和解を望む

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

12日に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京都内で記者会見を開き、引退のきっかけとなった右膝などのケガについて明かした

。6月に地元の大分・佐伯市での合宿中、市のPRのためのキャニオニング(渓流下り)で受傷。「足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しい。土俵に立つことを、あきらめざるを得ない状況になった」と話した。この日も右足は雪駄(せった)でなく、装具をつけて慎重に歩いた。今後も手術を受ける可能性がある。

中村親方は地元への愛情が強く、ケガの状況を明かすかどうか悩んだという。事実を伝えた一方、PRを引き受けたことに後悔はなく、「誰かを責めているわけではありませんし、誰も憎んでいません。市長からはできる限りのことはすると言ってもらった」と話した。補償問題などについて、双方の弁護士が話し合っており、和解を望んでいる。

思い出の一番には「勝った相撲だと、負けた相手を出すことになるので、それはしたくない」として、新小結だった14年夏場所の大関稀勢の里に敗れながら観客を沸かせた相撲を挙げた。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)
引退会見に臨んだ嘉風。引退の原因となったケガで右足に雪駄を履いていないのが確認できた(撮影・小沢裕)

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嘉風「息子に強い自分を見せられず残念」/引退会見2

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見後半。

-弟子の引退について

尾車 もちろん、引退をするのはとてもさみしいし、残念ではありますけど、でも長く楽しませてもらいました。

-師匠として印象に残っていることは

いつも全力でとるからですね、上位と当たった時に一泡吹かせてくれるんじゃないかではなくて、今日もいい相撲をとってくれるのではないかと思って相撲を見ていた。もちろん勝ったり負けたりするんですけど、負けている時でも、すごく頼もしく感じまして、館内のすごい拍手を聞いていると、勝ち負け関係なくこの子はうちの、僕の弟子だとすごく誇りに思っていました。口には出しませんでしたが、私も一緒になって館内のどこかでみさせてもらいました。

-手がかかる弟子か、手がかからない弟子か

弟子はみんな手がかかりますが、すごく純粋な子で、子って37の人つかまえておかしいですが、前相撲からとったのですが、一番最初の前相撲から館内で見た。実力があるから前相撲では勝つんですけど、勝って帰ってきた時、ものすごいホッとした顔をしていた。15歳で入ってきた子供のような感じで花道を戻ってくるので、すごい純な子だなと感じたことがあります。

-今度は指導者として期待することは

自分がやってきた記録より記憶という、本人の相撲に対する考え方。私もその言葉は大好きで、弟子たちにもちろん勝つことはもちろん大事だけど、そうじゃなくて、全力の相撲で勝ったり負けたりすることがもっと大事だと言っている。それを本人が続けてきたからこそ、多くの相撲ファンの皆さんに高い評価をいただいたと思うんですね。土俵入りの拍手が一番のバロメーターですから、土俵に上がった時に、今日もいい相撲を見られるのかなと、そういうわくわくするような、相撲を見に来た方に与えるような、そういう考え方を後輩に教えてもらえればなと思う。安易に立ち合い変化で勝とうとするのではなく、めいっぱいとって、勝ったり負けたりすることが相撲は大事なんだと、体現したことを後輩に教えてくれたらいいなと思います。

-どういう指導者を目指したいか

元嘉風 実は、ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋をもちたいと思っていましたが、今はリハビリ中ですし、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻れるように、今はリハビリを続けたいと思います。

-友風が金星で大号泣しましたが、どう思いました

もちろん、見ていました。泣きすぎだと思いました。いなくなった人を思って泣いているのかというくらい泣いていたので、泣きすぎだなと思ったんですけど。自分が幕下の時に、九州場所前かな。師匠に「土俵に立ったら力を出せない」という相談をしたことがあって、師匠からその時、アドバイスというか指導をいただいた。友風もどちらかというとネガティブな方で土俵の上で力を出せなかったので、自分も幕下の時に師匠に相談したなというのを思い出しながら、すごく美談にしていただいて毎日恋人のように…と書いていただいたんですが、私としてはリハビリ中で非常にたいくつで友風に電話したり、でもネガティブな気持ちにすぐなるので、自分も師匠に教わったことを土俵の上で力を出せるように、友風にアドバイスした。ただ大変うれしくは思うんですけど、現役が自分の弟弟子にアドバイスをして、今、例えば高校の監督に指導していただいたというお相撲さんがいるんですけど、それはちょっと違って、やっぱり自分の師匠がいるので、師匠を飛び越えてそういう人の名前を出すというのはあまりよくはないのかなと思うので、友風にも尾車部屋の環境がそうさせてくれるんだと友風には言っています。

-いい親方になりそう

尾車 嘉風のような、土俵に上がると、館内のお客さんやテレビの相撲ファンの皆さんが、今日も何かをやってくれるんじゃないかとか、大相撲になるんじゃないかという感じの力士を育ててくれればいいな。それが晩年に見るのが、私の最後の楽しみです。

-家族への思いは

元嘉風 感謝の気持ちしかないんですけど、自分がケガをして相撲をとれなくなって残念だったのは、息子が4月か5月から新しく幼稚園に行きだして、少人数しかいない中で、先生が気を使って場所中は、5月場所しかなかったんですが、夕方になると相撲をつけてくれて、勝って帰りに迎えにいくと大喜びして、きっと自慢の父親なんだろうなと思った中で、自分の中で昨年の名古屋場所くらいから土俵に上がっても力を出せなくて、もやもやしている中で、原因を見つけてもう1回上を目指していこうという中でのケガだったので、相撲が取れなくなって、息子にもう1回、強い自分を見せられないのはすごい残念です。

-会見場に家族を呼んだ思いは

力士として引退したので厳密にいうと終わってるのですが、はおりはかまでちょんまげをつけて人前に出るのは今日が実質最後になるので、そういう姿を見てもらいたいのと、師匠にこの日と、こういう場をつくっていただいて、それで最後の姿を見せたらどうだといっていただいたので、お言葉に甘えさせていただきました。

-大分で唯一関取がいなくなった。大分のファンへ

特別な言葉はなくて、地元を愛していましたので、地元からの声援はもちろんありがたかったし、30を過ぎて「大関を目指す」と大分でも公言してきましたけど、その夢がかなわず残念ですが、約16年間支えていただいて、ありがとうございましたという思いです。

-こういうケガで土俵生活を終える。そこに悔いはないですか

悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうなと。力及ばずして番付が下がってやめるにしても、どういう形にしても土俵を下りるのは悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲というのは人生そのものだったので、大変残念に思います。

-16年間、嘉風関が貫いてきた信念、大事にしてきたものは何ですか

非常に難しい質問です。16年ということでまとめるのは難しいですけど、やっぱり30歳をすぎてから上位で相撲をとらせてもらった時は、どういうことがあっても、しっかり当たっていくということは念頭に置いてやってきましたし。信念。相撲が好きだという気持ちは強く持ち続けて、それは貫いてきました。

-学生出身の力士が多い。そういう学生出身の後輩たちに伝えたいこと

さっきも言いましたけど、高校相撲、大学相撲を経験すると恩師が増えて相撲界に入るので、そういう指導者の指導をあおぐのはいいんですけど、あんまり簡単に口に出さない方がいいかなと。口うるさく言う兄弟子がいなくなったので、細かいことに目がいくのは、土俵上の所作で、番付上の人、特に横綱大関より後に塩をまいたり、後に仕切ったりというは(良くないと)誰からも教えられることなく、暗黙のルールというか。今、ルーティンという言葉がどのスポーツでもでてきましたけど、そのルーティーンは大事かもしれないですけど、相撲は勝負の前に所作も重んじられてここまで伝統文化として引き継がれてきたので。自分は横綱大関と相撲を取る時は、相手より所作を先にやるのはずっと頭に置いていた。学生相撲と言われるのがすごくいやだったので、そこはたたきあげの15歳で入った力士よりも気を付けるようにしていた。学生相撲出身力士にもそういうところをおろそかにしないでやってもらいたいと思います。

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

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引退会見に臨む嘉風。右は尾車親方(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見前半。

尾車親方(元大関琴風) 本日は皆さま足元の悪い中、また早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。このたび嘉風が約16年の土俵生活を終え、引退することになりました。皆さまにはこの間、大変かわいがっていただき、お世話になり、本当にありがとうございました。今後は年寄中村として後進の指導にあたってまいりますので、今後とも一つご指導のほどよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございます。

元嘉風 おつかれさんでございます。本日は足元の悪い中、また場所中のお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。私、嘉風は現役を引退し、年寄中村を襲名させていただきました。入門した時はまさか37歳まで現役を続けるとは想像できませんでしたが、親方のご指導のもと、そして、親方とおかみさんがつくる尾車部屋という最高の環境で現役をつづけさせていただくことでこの年までやれたと思います。お集まりの皆さま、応援してくれたファンの皆さま、そして現役中にケガを支えてくれた先生方、私にかかわってくださったすべての方にこの場をお借りして感謝申し上げたい。今後は親方になりますが、尾車親方のもとで、親方というものをまた指導いただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

-本当にお疲れさまでした。引退発表後数日たちました。今の気持ちは

何とも言葉にできないというか、自分が現役をやめたということと、親方になったことの実感がまだわいていません。

-引退決断の経緯を説明してください

少し報道でも、師匠からもお話していただいたと思うんですけど、6月に地元佐伯市で地元をPRするという目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中で、これはあんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下りというか、調べていただければ分かりますが、キャニオニングを市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれまして。その時の診断ではものすごく大きな診断をされて、これは土俵にもう1回立つのは難しいのではないかという先生の見方があったのですが、なかなかその時点で土俵を下りるのが想像できずに、先生の見解をくつがえしてやろうと思ってリハビリに励んでいたのですが、やっぱり、このケガを負って、アスリートが復帰した例が少ないというか、ほぼないということもあって、腓骨(ひこつ)神経まひと診断書には書かせてもらったんですけど、足首が動かないので、足首にまひがのこってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、来場所、幕下に落ちるタイミングということを記事の方に書かれていたのですが、タイミング的にそういうことになったということで、自分としては土俵に戻りたいということでリハビリを続けていましたが、非常に残念ですが、土俵に立つことが厳しいということを実感したというか、あきらめざるを得ない状況になったので、そこで親方に引退しますという思いを伝えました。

-現在のリハビリ状況、ケガの回復は

順調だと思うんですけど、9月場所前に出した診断書の通り、全治は未定ということで。今後の見通しが今のところ立っていないんですけど、本当にいろんな方の支えで、皆さんが、相撲は取れないにしてもなんとか私生活はもとの状態に戻るようにということで、いろいろと考えてくれて、今後何度か手術が必要かもしれないんですけど、土俵に戻れなくても、もう1つの夢である指導者という親方になって若い衆を指導するという、その目標に向かってリハビリを続けている最中です。

-16年間を振り返って

どうかって言われますと困るんですが、相撲が好きという気持ちで始めて、相撲の厳しさに直面した高校時代があって、大相撲ではできないという思いで、体育の指導者を目指して日体大にはいりましたが、相撲がずっと好きなので、相撲を生活の中心、人生の中心にしたいと思って、大相撲の世界に入らせていただいた。学生時代より、仲良くというとちょっとおかしいですが、声をかけていただいた元豪風関の押尾川親方に「尾車部屋は最高の環境だから、ぜひうちの部屋にこい」と言われ、相撲界のことが分からない時期でしたので、豪風関の後押しもあって尾車部屋に入門させていただいて、自分が想像していたものすごい厳しい相撲部屋というのは尾車部屋にはなく、本当は師匠もいいたいことはたくさんあったのかもしれないですけど、わがままを言わせてもらったと。同期生にうちの部屋はこうだという話をしたんですけど、他の部屋の厳しさみたいなのは尾車部屋にはなかった。だからこそ、16年、入った時は関取になれるかどうかも分からないまま手探りというか必死にやってきたんですけど、振り返って37まで相撲が取れたのは最高の環境で相撲がとれたのではないかと。本当にありがたい相撲人生を送らせてもらいました。

-アマ横綱のタイトルを取ったが資格の期限がすぎて序ノ口から。その決断は

3年生の時にアマチュア横綱になって、そのまま順調に大学の4年生をすごしていれば大相撲の世界に入っていないと思う。3年生の最後に大きなタイトルを自分の中ではとってしまったので、4年生でキャプテンを任されて、なかなか気持ち良く相撲が取れなくて、それがプレッシャーになって不本意な、成績も内容もまったく自分の満足いく1年間を送れなかったので、自分の好きだった相撲を取り戻すのは大相撲の世界しかないと思って、そういう決断をさせてもらったのも3年生の時のアマ横綱のタイトルだと思います。

-決断は間違っていなかった

そうですね。間違っていなかったと思います。

-嘉風関は30歳超えてから初金星、新三役。30を超えて強くなった

自分の中では3つのターニングポイントがあって、1つは師匠が巡業部長を務めておられる時、大阪で大負けした。番付下がるのが分かった伊勢神宮での春巡業の初日にあいさつにいったら「嘉風はこのまま終わるのか。幕内上位で名前を覚えてもらったのに、下に落ちるのは、早いよ」と。自分にとっては激励だったんですけど、「稽古してもう1回上でとれるように頑張れ」と声をかけていただいて、自分なりに巡業で土俵に立つようにして、そのころ、タイミングが良かったというか、横綱稀勢の里関に声をかけていただき、三番稽古やるぞと、いうことで少し稽古をやるようになった。これが1つ。あとは、いつかの九州場所で地元から応援団がきている目の前で、相手は今は幕下の旭日松だったと思うんですけど。旭日松相手に勝つ姿見せたくて、安易にはたきにいったところ、全然通用せず、なんとも恥ずかしい相撲で負けてしまった。その前の秋場所でケガをして途中休場していたので、その復帰場所だった九州場所で、帰り道のバスの中での応援団の方の声を母親が代弁してくれたんですけど、勝つ姿を見るためでなく、土俵に立つ姿を見られた、それができたのでみんな喜んでいたという言葉をいただいたので、安易に変化にはしったことを本当に恥ずかしく思った。そこから勝つ相撲でなく、自分が相撲をとっている姿をみてもらいたいと強く思えた。もう1つは、なかなか上位に上がれない時に、妻にふと「あなたが対戦する相手が三役になっているのに、あなたは何で三役になれないのかな」と、感情のない感じで言われたのが心に響いた。言い返す言葉もなく、確かになと。家族も悔しい思いをしているんだなと思ったのと、そこでちょっと奮起して、上を目指して頑張ろうと思った。この3つで、30を超えていい相撲をとれるようになった。

-若い頃はスピード、30超えて左四つ、うまい相撲に変わってきた。何か精神面で変わったのか

精神面しか変わっていないと思うんですよね。同級生の立田川親方のような猛稽古はしたことがなくて。ただ知人に、「好きで始めた相撲がやっていて楽しくないのはおかしい」と言われたんです。「好きでやっているのに、土俵の上で楽しくないとか、成績ばかり気にして後ろ向きになっているのはおかしくないか」と言われて。確かになと思って。相撲界は30を超えると晩年というか、30半ばで終わる人が多いので、自分もそういう言葉をいただいて、いつやめてもおかしくない年齢なので、完全燃焼で終わりたいとそこで強く思った。スピード相撲からうまい相撲に変わったのは、解説をしていただく親方によく「無駄な動きが多い」と言われていたんですけど、そういう言葉も相手より少し早く動こうと思ったり、特別変えたことはないんですけど、周りの方に言っていただく言葉を自分に合うように変換できたのがよかったのかなと思います。

-引退を関取衆に伝えると、いろんなアドバイスもらったという声が多かった

それぞれ力士には師匠がいるので、自分がアドバイスは大変おこがましいので、そういうつもりはないのですが、その力士と相撲の話をするのが好きで。アドバイスといってもらえると大変うれしいですが、自分としては、自分の思いを話して楽しませてもらったという感覚です。

-琴奨菊には「相撲愛が足りないのでは」と言ったとか

元大関なんですけど、ずっと昔から顔を知っていて、ここ数年は巡業などでいろんな話をさせてもらった。相撲愛が足りない? 菊関はどういう解釈をしてくれたのかもしれない。元大関なんですけどいろいろ探求心があって、菊関自身が自分のことを信じられていないと思ったので、もっと自分を信じてやっていくというのがそうとらえられたのかもしれない。

-思い出の一番は

やめていく力士の引退会見を見て、この質問は定番だったので、考えたんですけど、思い出の一番を出すと、例えばそれが勝った相撲だと、いわゆる負けた相手を出すことになるので、それはあんまりしたくないと思ったのと、そんな中で強いて挙げるなら、確か自分が新小結で7日目か8日目か、確か刈屋さんが実況していた。まだ横綱になる前の稀勢の里関とめいっぱいの力を出し切って負けた。負けた時の声援が、負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある。声援は9割9分、稀勢関へのものだったと思うんですが、ものすごくあの一番が印象に残っています

-新三役の稀勢の里戦というと26年夏場所の9日目。自分が負けた相撲が思い出の相撲というのは、嘉風関らしい

負けましたけど、すべて出しました。師匠が解説をしていたと思います。持っているものを全部だして通用しなかったんですけど、あの時の達成感、充実感は今までの勝ち星にも替えられないと思います。(後半に続く)

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嘉風、引退原因のケガは土俵上でなく渓流下りだった

引退会見で家族と記念撮影に臨む嘉風、左から愛夫人、長女梨愛ちゃん、長男凌聖くん(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。

引退のきっかけとなったケガは大分県での合宿中とされてきたが、本人が初めて説明した。

「6月に地元(大分県)佐伯市で、地元をPRする目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中、あんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下り、市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれました。(中略)。腓骨(ひこつ)神経まひと、足首にまひが残ってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、非常に残念ですが、土俵に立つことが難しいと実感した。あきらめざるを得ない状況になりました」

日本相撲協会に提出した診断書は「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷、右膝後十字靱帯損傷、右膝後外側支持機構損傷、右腓骨(ひこつ)神経まひ」。この日の会見も、右足だけは雪駄(せった)でなく装具を履いて臨んだ。

現在のリハビリ中で、今後も手術を受ける可能性がある。今後の指導者生活について聞かれても「ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋を持ちたいと思っていましたが、今はリハビリ中なので、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻って、今はリハビリを続けたいと思います」と慎重に話した。

会見では「悔いはないか?」と聞かれると、こう話した。

「悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうな、力及ばずして番付が下がってやめるにしても、悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲は人生そのものだったので、大変残念に思います」

会見を終えると、家族から花束を渡され、会場を後にした。

引退会見に臨む嘉風(撮影・小沢裕)

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友風が涙の金星「嘉関にやっといい相撲見せられた」

鶴竜を破り懸賞金の束を手にする友風は、目に涙を浮かべる(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

友風が2場所連続で鶴竜から金星を奪い、号泣した。

立ち合い直後に引いた先場所とは違い、流れの中ではたき込んで鶴竜に2戦2勝。花道を引き揚げる際には、5日目に引退が発表された兄弟子で付け人を務めた、元関脇嘉風の中村親方を思って涙が止まらず。

「いつもそばにいてくれたので寂しい気持ちだった。嘉関にやっといい相撲を見せられた」とかみしめた。

ファンに囲まれ笑顔を見せる友風(撮影・鈴木正人)

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