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白鵬が「土俵の鬼」の故郷で大技「呼び戻し」披露

三番稽古で琴恵光をつり上げる白鵬(左)(撮影・佐藤礼征)

大相撲の横綱白鵬(34=宮城野)が、「土俵の鬼」の故郷で大技を試した。14日、青森・板柳町で行われた夏巡業に参加。

この日から相撲を取る稽古を再開させ、三番稽古では前頭琴恵光を相手に6番取って全勝だった。3番目には初代横綱若乃花の得意技「呼び戻し」を披露。豪快に琴恵光を転がすと、集まった約2000人のファンから拍手と歓声が巻き起こった。「呼び戻しと言えば青森。初代若乃花といえば呼び戻しですから」。初代若乃花は青森・弘前市出身。会場は弘前駅から車で約30分とほど近いだけに「『地元にきた』と縁があることを感じられるからね」と意識していた。

巡業初日からすり足などの基礎運動で体を動かし、相手を前に立たせて立ち合いの確認も行ってきた。久しぶりの実戦に「いい感じでできた。番数は少なかったけどいい汗をかけました」と感触の良さを口にした。

琴恵光を指名した理由については「今まであまり稽古をつけていなかったから」と説明。幕内で2場所連続で勝ち越し中と、勢いに乗る相手を「小さいけど右四つ身にそれなりの完成(度)があったかな」と評価した。

その琴恵光は「初めてだったけど、自分の体勢になってもなかなか前に出られなかった」と、力の差を感じた。もろ差しで土俵際まで寄る場面もあったが、簡単につり上げられて形勢逆転。6番目で土俵の外に投げられた際に首を痛め、稽古が中断するなど力を発揮できなかった。三役を目標に掲げる27歳は「(もろ差しから)押せる気がしなかった。重い。力が伝わらなかったけど、(こういう機会は)ありがたい」と感謝した。

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元若嶋津が開頭手術4時間半昏睡状態、自転車で転倒

1月、三賞選考委員会後の会見で稀勢の里の横綱昇進へ理事会招集要請を行うことを明かした二所ノ関審判部長

 19日午後4時20分すぎ、元大関若嶋津の二所ノ関親方(60=本名・日高六男)が千葉県船橋市行田2丁目の路上で倒れているのを通行人に発見された。自転車で転倒して頭部を強打。船橋市内の病院で4時間半に及ぶ手術を受けて、集中治療室(ICU)に入った。意識不明の重体だったが、手術後に一時意識を回復。関係者によると、医師は命に別条はないと説明しているという。親方は日本相撲協会理事で16年3月から審判部長を務めている。夫人は元歌手の高田みづえさん。

 二所ノ関親方が倒れて発見された現場は、二所ノ関部屋から約750メートル離れた住宅や公園がある地域だった。千葉県警船橋署によると、目立った外傷はなく、近くには自転車も倒れていたが、大きな破損はなかった。車道と歩道の間に段差があり、車道側に体の右側を下にして、横向けに倒れていたという。当時は雨が降っていたとみられ、同署が状況を調べている。

 通行人の女性に発見された当初は話もできる状態だった。だが、意識不明の重体に陥り、船橋市内の病院に搬送されて午後5時20分ごろから開頭手術を受けた。手術は午後10時すぎに終わり、直後に対応した高田みづえ夫人は「意識はまだ回復していません。予断を許さない状況というのは確かです」と説明した。その後、午後11時に対応した部屋付きの湊川親方(元小結大徹)は「無事手術は終わり、ICUに入っている。意識は1度戻った。今は昏睡(こんすい)というか眠っている状況」と話した。命に別条はないという。

 湊川親方によると、二所ノ関親方はこの日も部屋の朝稽古に姿を見せていた。その後はいつも通っている銭湯に向かったそうで、転倒したのは「そのサウナからの部屋に戻る途中だと思う」と説明。持病を耳にしたことはなく「自転車で走り回るぐらい運動し、一生懸命歩いたり、体に気を使っていた」とも話した。

 二所ノ関親方は鹿児島県中種子町に生まれ、鹿児島商工高(現樟南高)を経て「土俵の鬼」で知られる初代横綱若乃花の二子山部屋に入門。75年春場所で初土俵を踏んだ。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹」の異名を取り、82年九州場所後に大関に昇進。84年は春、名古屋場所で優勝。綱とりこそかなわなかったが、71勝19敗とその年の年間最多勝も獲得。翌85年2月には、当時アイドル歌手として絶頂期だった夫人との婚約を発表した。87年名古屋場所途中で引退し、年寄「松ケ根」を襲名。90年2月には独立して松ケ根部屋を興し、14年12月に「二所ノ関」を襲名。現在、部屋には幕内松鳳山ら12人の力士が在籍。また、14年に日本相撲協会理事となり、16年3月からは審判部長を務めている。

 ◆二所ノ関六男(にしょのせき・むつお)元大関若嶋津。本名・日高六男。1957年(昭32)1月12日、鹿児島県中種子町生まれ。鹿児島商工高(現樟南高)相撲部から二子山部屋に入門。75年春場所初土俵。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹(ヒョウ)」の異名を取り、82年九州場所後に大関昇進。84年春、名古屋場所優勝。87年名古屋場所途中で引退し「松ケ根」、14年12月から「二所ノ関」襲名。夫人は元歌手高田みづえさん。通算515勝330敗21休、優勝2回。

86年9月、二子山部屋の若嶋津

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兄弟弟子の明暗…高安「充実」も稀勢の里「歯車が」

二所ノ関一門の連合稽古で、北勝富士(右)に上手投げを見舞う大関高安(左)。後方は見守る横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

 名古屋市天白区の大相撲の二所ノ関部屋で1日に行われた二所ノ関一門の連合稽古で、田子ノ浦部屋の兄弟弟子の明暗が分かれた。大関高安(27)は一門外の平幕北勝富士や元大関琴奨菊に10戦全勝。しかし、横綱稀勢の里(30)は小結嘉風に2勝7敗と苦戦し、最後はうめき声とともに力なく土俵を割って相撲を終えた。見守った相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)も不安を隠せなかった。

 「あっ!」といううめき声を、思わず上げてしまった。稀勢の里はすぐに力を抜き、あえなく土俵を割る。そのまま稽古を終わりとし、いら立ち気味に足元の草を蹴り上げた。前日と同じ嘉風との稽古をわずか9番、それも2勝(7敗)のみで自ら切り上げた。

 9勝12敗だった前日から、どう修正できたかが分かる同じ相手。だが、左を封じられ、右でも捕まえられない。土俵際まで行くも何度も回り込まれて逆転された。まるで前日の繰り返し。そして、最後の不吉な声…。負傷を抱える左腕付近を再び痛めたのか、という問いかけには「う~ん、まぁ…」と言葉を濁し「少しのことですけど、歯車が狂ってくると良くない。少しでも変えようと思うけど…」。表情はさえなかった。

 直前の稽古では、弟弟子の高安が存在感を示していた。前日は疲労で欠席したが、大関として初めて臨んだ連合稽古では、馬力ある北勝富士、琴奨菊を力強い相撲で10戦全勝と圧倒した。「立ち合いが良かった。押し込んでいる分、土俵際でも余裕がありました。充実した稽古ができた」と満足そう。それだけに、最後に登場した稀勢の里への不安が一層、際立った。

 見守った北の富士氏は「高安はやるんじゃないか。十分、活躍できる。それより稀勢の里だ。『痛ッ』と言っていた。左から押して胸を合わせるまでいかないから回り込まれちゃう。楽観はできないだろう。いやいや、困ったもんだな。期待よりも心配の方が大きいよ」と不安を隠せなかった。二所ノ関親方(元大関若嶋津)も「最後がちょっと心配」と渋い表情だった。

 二所ノ関部屋がある仏地院は以前「土俵の鬼」の初代若乃花が、旧二子山部屋の宿舎を構えていた地。いわば一門の象徴でもある。そこで目立った明と暗。名古屋場所の1週間前に分からせてくれたことを、良しとすべきか。【今村健人】

小結嘉風(右)との相撲でバッタリと落ちて顔をしかめる横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

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若花田、弟貴ノ花従えVパレードに4000人/復刻

1993年3月29日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:1993年3月29日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月29日付紙面を振り返ります。1993年の1面(東京版)は、初優勝を決めた若花田のVパレードでした。

◇ ◇ ◇

<大相撲春場所>◇千秋楽◇1993年3月28日◇大阪府立体育会館

 お兄ちゃんが鮮やかにフィナーレを飾った。14日目に初優勝を決めた東小結若花田(22=二子山)は、千秋楽も霧島に快勝。14勝1敗で春の幕を閉じた。大関どりがかかり、シコ名が若ノ花に変わる来場所へ、最高のステップとなった。

 天皇賜杯が、やけに大きく映った。幕内では4番目に軽い115キロの若花田が、ズッシリ重い賜杯を出羽海理事長(元横綱佐田の山)から手渡される。伯父の花田相談役、父である二子山親方、そして弟の貴ノ花が味わった感触を若花田もじっくりと味わった。「重たかった。(表彰式が長くて)腰が痛くなっちゃった」。優勝を決めた前日に、たっぷり流した涙はない。笑顔、笑顔。明るいお兄ちゃんの素顔に戻った。

 表彰式を終え、支度部屋に戻ると、弟が待っていた。言葉は交わさない。かすかに緩んだ口元だけで通じ合う。「おめでとう」。貴ノ花からのテレパシーを感じた若花田の顔が緩んだ。過去2度、弟のVパレードの旗手を務めたが、今度は若花田が、華やかなスポットライトを浴びる番だ。

 春雨が降りしきる中、優勝旗を手にした貴ノ花を従え、オープンカーが滑り出した。「お兄ちゃん、おめでとう」。沿道に詰め掛けたファンの大歓声に包まれる。冷たい雨など、関係なかった。優勝の実感が、喜びが心の底から込み上げてきた。

 数カ所で将棋倒しのアクシデントも起こったほどの熱狂ぶりだった。午後5時から東大阪市小阪駅前で祝いの日本酒も振る舞われ、同駅から二子山部屋まで200メートルのコースに4000人のファンが押し寄せた。小阪メルシィ商店会の小原博久会長は「お兄ちゃんの人気は根強いからね。これで商店街もまた活気づく」と大喜びだった。宿舎で部屋関係者に囲まれての万歳三唱の間、若花田は初めての体験とあって恐縮した面持ちだったが、なみなみと美酒がつがれた大きな銀杯を親方と貴ノ花に支えられながら口にすると、ようやく表情が和んだ。

 鮮やかに、「若サマの春」のフィナーレを飾った。霧島を電車道で白房下へ押し出す快勝で締めくくる。積み重ねた白星は14個。「非常に良かったと思います」。来場所は大関どりがかかる。シコ名も「若ノ花」に変わる。慣れ親しんできた「若花田」に、笑顔で別れを告げた。

 春場所前に発足した「若花田・貴ノ花関西後援会」会長のサントリー・佐治敬三会長(73)も多忙の合間を縫って、激励に駆けつけた。「こんな幸せなことはない。本当によくやってくれました」。発足直後の二人の快進撃に、感無量の思い。「(優勝のご褒美は)慣習に従って考えたい。大関も近いことでしょう」と笑いが止まらない。

 「15日間、長かった」。初優勝、そして殊勲、技能賞を手にして、長い15日間が終わった。そして、新たな挑戦の幕が開く。

 「相談役に似てきたと言われるが、われわれには相談役が大関、横綱のときのイメージがある。今はまだ三役の力、これから近づいていくだろう」という出羽海理事長の言葉を若花田も心得ている。「まだまだこれからです。がむしゃらに相撲を取っていくだけです」。

 “土俵の鬼”とうたわれた名横綱の域に達するには、まだ長い階段が待ち受けている。だが、若花田が大きな第一歩をしるしたのは間違いない。真価を問われる来場所、大関どりにも「何も考えず、無心になることです」。頭上に輝いた栄冠にも、おごりはない。

 「今夜はパーッと騒ぐ? それは内証。個人的なことだからね」。いたずらっぽく笑った若花田。激闘、プレッシャーに痛めつけられた小さな体を休め、まずは英気を養う。そして、「若ノ花」の挑戦が始まる。

※記録と表記は当時のもの

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幕下筆頭の貴源治、7番相撲敗戦も新十両昇進確実

<大相撲春場所>◇14日目◇25日◇エディオンアリーナ大阪

 4勝2敗で既に勝ち越しを決め、10代関取を確実にしている西幕下筆頭の貴源治(19=貴乃花)が、今場所最後の7番相撲に登場。同7枚目の大翔鵬(追手風)に右四つの体勢から寄り切られ4勝3敗。有終の美は飾れなかった。

 前日の13日目終了時点で、富士東と北はり磨の2人が十両から幕下に陥落することが確定的になった。この時点で、幕下から十両への昇進は、優先順で貴源治と西3枚目で5勝2敗の明生(立浪)の2人が有力候補だった。この日、東筆頭で3勝3敗の阿夢露(阿武松)が敗れ負け越したため、貴源治は1番手候補としての昇進が確実になった。

 本人も「昨日、みんなに(昇進確実を)言われました。今日は気を抜いたわけではありません」と、あっけなく敗れた一番も集中力は維持して臨んだことを明かした。

 師匠の貴乃花親方(元横綱)が育てた3人目の関取として、夏場所(5月14日初日、東京・両国国技館)は晴れて関取で臨む。初日前日の5月13日に20歳の誕生日を迎えるが、番付発表の5月1日は10代で迎える。「ファンの方に夢や勇気を与えられるような力士になりたいです」と貴源治。

 横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が強行出場を決めたことには「きのう、テレビで横綱がケガをしたのを観ていて『師匠(貴乃花親方)だったら出るんだろうな』と思ったら(稀勢の里も)出ることになりました。(2人は)似ているものがあります。自分も受け継ぎたいです」。土俵の鬼の継承者として、将来の横綱候補が新たなスタートを切る。

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稀勢の里効果で1・8万人増 白鵬との会話「秘密」

成田山新勝寺の節分会で豆をまく新横綱稀勢の里(左)と白鵬(撮影・中島郁夫)

 大相撲の新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が3日、横綱白鵬、幕内御嶽海らと成田山新勝寺の節分会に参加した。13年連続参加の今回は昇進を祝う手ぬぐいや横断幕を持つ人も出る中、昨年より1万8000人多い6万8000人の参拝客へ豪快に豆をまいた。「アゲンスト(逆風)でなかなか届かなかったけど、1人でも多くの人に取ってもらいたかった」と楽しんだ。

 昇進後、初共演となった白鵬には2回目の豆まき前に握手を求められて写真を撮った。同じ横綱として肩を並べたが「実績的にはレベルが違う。同じだと思っていません」。2人で話した内容を「秘密です」とはぐらかしたが、白鵬は「『おめでとう』と固い握手を交わした」と打ち明けた。

 この日は茨城県民栄誉賞も決まった。初代若乃花の呼称「土俵の鬼」の魂も内に秘めるだけに「鬼は外」の掛け声がない成田山新勝寺の節分会はぴったり。「しっかり稽古します」と気合を入れた。

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稀勢の里「すごい」第2の故郷小岩で4500人祝福

小学生に歓迎され笑顔を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

 大相撲の新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が28日、部屋がある東京都江戸川区の小岩小学校で、初優勝&横綱昇進の報告会を行った。集まった約4500人の地域住民に「すごい」と驚き「一生懸命稽古して、横綱の名を汚さぬよう精進してまいります」と誓った。

 14年末の部屋の移転から2年。地域総出の祝福だった。午前11時の開会には朝6時半から人が並び、警察官約50人、区や学校関係者約100人が対応にあたった。部屋から学校までの約1キロはパトカーが先導。栃若時代の第44代横綱栃錦に続く小岩から2人目の横綱に、下町を興奮させた。

 児童からの質問で「一番大切なもの」を聞かれると「感謝の気持ち」と回答。「どのくらい米を食べるか」には「10代、20代前半は1升くらい食事したこともあったが、今は茶わん1杯くらい」と答えて「え~っ!?」と驚きの声が上がった。握手した児童は「手を洗えない」と興奮していた。

 そんな姿に横綱は「うれしい。自宅から通うときにたくさん声をかけてもらい、優勝が決まったときはたくさんの人が部屋の前で迎えてくれた。あたたかい。第2のふるさとみたいなもの。もっと頑張らないといけない。地域貢献していきたい」。土俵の鬼の初代若乃花だけではない。小岩では「第2の栃錦」になる。【今村健人】

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稀勢の里「一生忘れない」貴級熱狂の奉納土俵入り

明治神宮で雲竜型の奉納土俵入りする稀勢の里(左から2人目)。左は太刀持ち高安、露払い松鳳山(撮影・鈴木正人)

 新横綱が明治神宮を“パニック”に陥れた。第72代横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱推挙式と奉納土俵入りが27日、東京・渋谷区の明治神宮で行われた。19年ぶりの日本出身横綱を一目見ようと、約1万8000人の観衆が訪れた。歴代新横綱の最高は貴乃花の約2万人だが、その日は土曜日。平日最多だった初代若乃花の約8000人を1万人も上回る中、堂々たる雲竜型の土俵入りを披露した。

 青空の下で純白の綱が輝いた。新横綱が第3鳥居をくぐって拝殿内に入った瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が起こった。掛け声も飛ぶ。「稀勢の里! 日本一!!」。拝殿内に密集した約5500人、入りきれない人も含めれば約1万8000人の観衆が熱狂する中で午後3時50分、待望の奉納土俵入りが始まった。

 19年ぶりの日本出身横綱の初披露を一目見ようと、徹夜組がいた。午前6時40分の開門と同時に約20人が中へ。次第に行列が連なり、午後0時10分には第3鳥居から神橋まで約600メートルも伸びた。拝殿内に入れる人数の限界だと判断され、そこで規制がかかった。入場制限は、その19年前の3代目若乃花以来だった。

 その後は「入れないからと帰られる方が多かった」と父萩原貞彦さん。それでも、貴乃花の2万人に匹敵する勢いだった。当時は土曜日。平日開催では化粧まわしを借りた「土俵の鬼」の初代若乃花の8000人をはるかに上回った。報道陣も約300人が訪れた。

 裏を返せば、それだけの人が待っていた。期待を背負った稀勢の里は、力強い雲竜型の土俵入りを披露した。「ゆったりと、大きく力強く。つま先から頭の先まで集中してやりました」。「立つな!」「見えない!」という怒号も飛び交う中で「よいしょ!」の掛け声は盛大だった。1つ1つの所作に気を配り、堂々とせり上がる。新横綱にありがちなミスもない。「たくさんの方に見ていただいて本当にうれしかった。ありがたい。もうそれだけです」と感無量だった。

 初優勝が決まった14日目の21日から1週間。新横綱誕生の一連の公式行事は終わった。一気に駆け抜けた。「場所終わりの1週間を何十回も味わいましたけど、こんなに濃い1週間は15年、相撲を取っていて初めて。一生忘れられない1週間になりました」。多くのファンの期待を目の当たりにし、力強く背中を押されて、新横綱は第1歩を踏み出した。【今村健人】

 ◆明治神宮奉納土俵入り 新横綱が東京・明治神宮で日本相撲協会理事長から推挙状を授与され、最初の土俵入りを奉納する儀式。1951年に昇進した第41代横綱千代の山のときから推挙式と土俵入りがともに明治神宮で行われるようになった。

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稀勢の里で蘇る「鬼の魂」初代若乃花の教えも継承

 第72代横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が26日、東京・江戸川区の部屋で雲竜型の土俵入りを稽古した。真新しい綱を締めて芝田山親方(元横綱大乃国)の指導を受けた。同親方は横綱昇進時、「土俵の鬼」と呼ばれた初代横綱若乃花から教わっており、その教えが引き継がれた。締めた三つぞろいの化粧まわしも、初代から借りた「鬼」の絵柄。二所ノ関一門の伝統をつくり上げた鬼の魂が伝授された。

 1つ1つの動作に鬼の魂が込められていた。二所ノ関一門の関取衆、親方衆らが見守る中で、稀勢の里は雲竜型の土俵入り稽古に臨んだ。指導を受ける芝田山親方の言葉が体に染みていく。「(初代若乃花の)二子山親方が言っていた」。一門の隆盛を築いた「土俵の鬼」の教えが、親方を通して伝わってきた。

 「親指を閉じる。指先までしっかり」「広げた手のひらは上に向ける。そうすると脇が締まる」「手の上に物が乗っているイメージでせり上がる」「二子山親方は、お客さんの拍手が上がってからせり上がれと。ゆっくり、堂々と」。

 芝田山親方は昇進時、最初は先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)に教わっていた。だが、当時理事長代行だった初代が土俵に入り、せり上がりの実演もしてみせた。その教えが詰まった約20分間の指導。新横綱は「まだ未熟。少し形を間違えてしまった。指先まで神経が通うと美しさも変わる。全てに神経を集中してやりたい」と懸命に吸収した。

 締めたのは、55年以上も前に初代が締めていた化粧まわし。絵柄は「鬼」だった。現役時代は自らに、引退後は弟子に猛稽古を課した「土俵の鬼」がよみがえる。「そういう気持ちにならないといけないということ。そういうメッセージ」と受け継ぐ意志を示した。

 稽古前の綱打ちには約30人が集結した。琴奨菊ら一門の関取は全員いた。完成した真新しい綱は、長さ4メートル10、重さ6・4キロと歴代では軽い。それでも「ぐっと引き締まる気がした」と重みがあった。今日27日、明治神宮の奉納土俵入りで初披露する。綱を締めた姿に「見慣れない」と笑ったが、1つの夢をかなえて「その気持ちはここで終わり。また新しい歴史を刻んでいきたい」。今、新しい鬼が生まれる。【今村健人】

 指導した芝田山親方のコメント 立派な横綱ができた。格好いい。体も大きいし立派な横綱です。神事から来る大事な儀式。パフォーマンスではない。ただ形だけやればいいのではない。土俵の美にこだわりを持ってしてもらいたい。

 ◆雲竜型 四股を踏んでから腰を上げていく「せり上がり」の時、左手の先を脇腹にあて、右手はやや斜め前方に差し伸べる。攻めと守りの両方を兼ね備えた「攻防兼備の型」で、綱の結び目の輪は1つ。第10代横綱雲龍が始まりとされるが実際は第20代横綱梅ケ谷の華麗な型が基になっている。

 ◆綱打ち 横綱が土俵入りで締める綱をつくる作業。新横綱誕生時や、年3回の東京場所前に行う。横綱所属部屋だけでなく一門の力士が総出で実施。紅白のねじり鉢巻きや白手袋を着けて「ひい、ふの、み」「それ、いち、にの、さん」の掛け声で麻製の綱をよる。

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稀勢の里、奉納土俵入りは「土俵の鬼」の化粧まわし

横綱昇進の伝達式の後、高安(手前)足立(右)らに持ち上げられ笑顔の稀勢の里(撮影・柴田隆二)

 大相撲の第72代横綱に昇進した稀勢の里が、27日に初披露する明治神宮での奉納土俵入りで、「土俵の鬼」の異名を取った元横綱初代若乃花が締めた三つぞろいの化粧まわしを使用することが25日、関係者の話で分かった。26日に東京都江戸川区の田子ノ浦部屋で行われる土俵入りの練習から締める。

 稀勢の里の先代師匠、故鳴戸親方(元横綱隆の里)は初代若乃花の二子山親方の弟子で、新横綱は孫弟子に当たる。関係者によると昭和30年代に先輩横綱が使用した化粧まわしは東京・両国国技館内の相撲博物館に寄贈された品で、稀勢の里は鬼の図柄が描かれたものを譲り受けるという。

 初代若乃花の土俵入りは稀勢の里と同じ雲竜型。軽量ながら猛稽古で鍛え上げた豪快な取り口で知られる。横綱栃錦と「栃若時代」を築き、優勝10回を記録した。

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「土俵の鬼」初代若乃花の花田勝治氏が死去/復刻

2010年9月2日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2010年9月2日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月2日付紙面を振り返ります。2010年の1面(東京版)は初代若乃花の花田勝治氏死去でした。

 ◇ ◇ ◇

 第45代横綱初代若乃花で元二子山親方の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため、東京・慶大病院で死去した。82歳だった。1946年(昭21)11月に初土俵を踏み、58年初場所の優勝で横綱に昇進した。幕内優勝10回。ライバルの栃錦とともに「栃若時代」を築いた。引退後は年寄・二子山として2横綱、2大関ら19人の関取を育て、日本相撲協会の理事長も務めた。現役時代は自らに、引退後は弟子に猛げいこを課し「土俵の鬼」と呼ばれた。横綱経験者としては初代梅ケ谷(83歳5カ月)に次ぐ、第2位の長寿だった。

 秋場所を前に「土俵の鬼」が逝った。花田さんの遺体は、この日午後8時15分ごろ、かつての弟子たちの手で東京・杉並区の自宅に戻った。棺(ひつぎ)は白い布に覆われ、鳴戸親方(元横綱隆の里)、松ケ根親方(元大関若嶋津)ら10人以上の男性の手により、屋外の駐車場から運び込まれた。弟子で、2代目若乃花の間垣親方はつえをつきながら訪れた。誰ひとり涙こそ見せなかったが、険しい表情で故人をしのんだ。

 次男浩氏(50)によると、94年に胃がんを切除。その後も再発、再切除が続き、腎臓、食道にも転移した。昨年には肝臓にも悪性腫瘍(しゅよう)が判明した。朝の散歩が日課で頑丈だった足腰も衰えた。昨春、孫が出場するボートレース「早慶レガッタ」の観戦で、隅田川を訪れたのが、最後の遠出になった。夏からは、つえや車いすを要するようになっていた。

 病状は担当医師からすべて伝えられており、医師の「年齢的にも体力的にもこれ以上の手術は好ましくない」との判断から投薬治療を行っていた。だが、最近になって急激に病状が悪化。がんは膵臓(すいぞう)などにも転移し、体重がほぼ半分に落ちていた。

 初土俵は、46年11月場所。入門時は76キロで、最高時でも105キロ。ソップ(やせた)力士の典型だったが、北海道室蘭で経験した幼少期からの重労働で鍛えた足腰を武器に、豪快な上手投げや呼び戻しの大技でファンを熱狂させた。56年の夏場所で初優勝。長男がちゃんこ鍋の熱湯をかぶり死亡する悲運も乗り越え、58年初場所後に第45代横綱へ昇進した。戦後、最軽量の横綱だった。

 「人間辛抱、けいこがすべて。けいこでけがしたら、けいこで治せ」と言い、連日70番〜80番、待ったなしの猛げいこを積んだ。横綱時代は横綱栃錦としのぎを削り、戦後の「栃若ブーム」を築いた。60年春場所千秋楽は、史上初(当時)の14戦全勝同士による一番を寄り切って完勝。全国の相撲ファンを大熱狂させた。

 62年夏場所前に引退した後、花籠部屋から独立。育てた関取は2横綱(2代目若乃花、隆の里)、2大関(初代貴ノ花、若嶋津)を含めて19人。22歳下の末弟、貴ノ花(元二子山親方)にも容赦せず、場所中も血だらけになるほど厳しく鍛えた。現役時代から通じて「土俵の鬼」だった。

 88年2月1日には、日本相撲協会理事長に就任。立ち合いの正常化に努め、「待った」の制裁金を導入(後に廃止)し、行司に「手をついて」と掛け声を徹底させた。92年初場所で初優勝したおいの貴花田(後の貴乃花)に天皇賜杯を授与したことが、理事長として、最後の仕事になった。

 浩氏は「相撲以外に趣味のない人でした。体を壊してからも調子のいい日には家で相撲を観戦し、新聞にも目を通していましたね」と振り返る。NHKの衛星放送で、幕下以下から相撲を見るのが、何よりの楽しみだった。だが、角界に不祥事が相次ぎ、7月の名古屋場所は生中継が見られなかった。

 8月12日に放駒親方(元大関魁傑)が理事長に就任すると、お祝いにネクタイを贈った。同15日、見舞いに訪れた理事長には、こう言った。「今は、本当に大変だな。一生懸命やって、協会をしっかり仕切れよ」。昭和の名横綱は、最後まで土俵に思いをはせながら、静かに天国へと召された。

 ※記録と表記は当時のもの

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元若の里・西岩親方「風呂に入ってビックリ」断髪式

断髪式を終え、蝶ネクタイ姿に変身した西岩親方と笑顔の彩夫人(撮影・岡本肇)

 昨年9月に引退した大相撲の元関脇若の里の西岩親方(39=田子ノ浦)が28日、東京・両国国技館で行われた襲名披露大相撲で断髪式を行った。

 現役横綱の白鵬(31=宮城野)、日馬富士(32=伊勢ケ浜)、弟弟子の大関稀勢の里(29=田子ノ浦)はじめ、親方衆では一門の二所ノ関親方(59=元大関若嶋津)らが出席。角界以外でも、横綱土俵入りでは太刀持ち、露払いを務めた元横綱3代目若乃花の花田虎上氏(45)、前首相の野田佳彦氏、元プロ野球投手の桑田真澄氏、日本サッカー協会前会長の大仁邦弥氏、元プロボクサーの内藤大助氏、漫画家のやくみつる氏ら約370人がはさみを入れ、最後に師匠の田子ノ浦親方(39=元前頭隆の鶴)が、大銀杏(おおいちょう)に止めばさみを入れた。

 断髪式は、今年1月の元豊真将の立田川親方が行った“回転式”で行われた。通常の断髪式は、マゲを切られる本人が正面を向いて座ったまま実施される。だが回転式では全席の観客に見やすくするため、正面→東→向正面→西→正面と向きを変えながら断髪式が進行した。

 断髪式を終え整髪した西岩親方は「風呂に入ってビックリした。頭に髪がないんだもん」と、おどけながらも「寂しい気持ちと今から新しい人生だという新鮮な気持ちと(入り交じって)複雑な心境」と語った。今後の力士育成については「引退して今日までは、断髪式の準備で忙しかったから、これから考えたい」としながらも「自分は土俵の鬼の系統で育っている。指導する上で、初代若乃花、隆の里(先代師匠の鳴戸親方=元横綱)、そして私の若の里をミックスしたような指導方法になると思う」と抱負を語った。

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稀勢の里が鬼になった 鶴竜、琴奨菊を圧倒

3人で申し合いを行う左から稀勢の里、琴奨菊、横綱鶴竜(撮影・今村健人)

 大関稀勢の里(29=田子ノ浦)が「土俵の鬼」ゆかりの地で力強さを見せた。4日、初代横綱若乃花の旧二子山部屋が宿舎を構え、今年は二所ノ関部屋となった名古屋市天白区の仏地院で、名古屋場所(12日初日、愛知県体育館)に向けた二所ノ関一門の連合稽古に参加。横綱鶴竜、大関琴奨菊を相手に9連勝を含む10勝4敗と、圧倒した。

 仏地院での稽古は5年連続。だが、これまでは二子山部屋ゆかりの部屋だけの合同稽古だった。今年は一門が勢ぞろい。さらに鶴竜、逸ノ城も訪れた。例年以上に充実した1日。「横綱、大関相手の14番は40~50番くらいの価値がある。いい感じで体が張ってきた。(初日の)1週間前の割にはいつもよりいい」と語る顔には笑みが満ちていた。

 夜の街へ出歩かなくなったという昨今。29歳の誕生日だった前夜も「ゆっくりしてました」と笑う。ぶつかり稽古では、胸を出していた玉鷲を押しのけて代わり、休みがちな逸ノ城を鍛えた。その間、約11分。「せっかく連合稽古に来てもらっているから、一門を代表してね」。06年初場所以来、9年半も遠ざかる日本出身力士の優勝。一番近くにいる大関はゆかりの地で、自覚と手応えを十二分に見せていた。【今村健人】

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逸ノ城、稀勢の里に鍛えられ息も絶え絶え

 初代横綱若乃花の旧二子山部屋が宿舎を構え、今年は二所ノ関部屋となった名古屋市天白区の仏地院で4日、名古屋場所(12日初日、愛知県体育館)に向けた二所ノ関一門の連合稽古が行われた。

 関脇逸ノ城(22=湊)が再び、稀勢の里に鍛えられた。最初は玉鷲にぶつかっていたが「土俵の鬼」ゆかりの地で「鬼」と化した大関が途中で胸出し役を交代。何度も転がされた。2日前に続いて2度目の10分超え。息も絶え絶えだったが「普通のことだと思う」と感謝した。前日に体重を量ると207キロと1キロ減っていた。稽古で落とすのは狙い通り。「1キロでも減っていたら、ちょっと違うっすね」。

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稀勢の里に「土俵の鬼」魂

「土俵の鬼」初代若乃花ゆかりの地での稽古で、松鳳山(右)に攻めさせる大関稀勢の里

 大関稀勢の里(28=田子ノ浦)が「土俵の鬼」ゆかりの地で課題克服に取り組んだ。5日、初代若乃花の旧二子山部屋が宿舎を構えていた名古屋市天白区の仏地院で、ゆかりのある部屋による合同稽古に参加。松鳳山らとの計18番では、最初に攻められる相撲を試した。「相手十分にならせた。場所ではどうなるか分からないですから。試しながらやって悪くなかった」と16勝2敗に満足げだった。

 夏場所の白鵬戦では不十分なままに立って、一気に寄り切られた。そうした相手優位な形でも、勝つ相撲を手に入れるためだった。

 先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)の生前から行われている合同稽古には4年連続の参加。「毎年来るたびに思い出します。タンクトップ姿で本堂から見る師匠の様子をうかがいながら、稽古してましたね」。思い出の地で、より強くなるための稽古をこなした。

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稀勢、先代ゆかりの地で18番の合同稽古

初代若乃花ゆかりの地、仏地院での稽古で、松鳳山(右)に攻めさせる大関稀勢の里

 「土俵の鬼」と呼ばれた故二子山親方の初代横綱若乃花が部屋を構えていた名古屋市天白区の「仏地院」で5日、旧二子山部屋にゆかりのある部屋によって合同稽古が行われた。

 二子山部屋で現役時代を過ごした先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)の生前から参加している大関稀勢の里(28=田子ノ浦)は、同じく師匠の松ケ根親方(元大関若嶋津)が育っている幕内松鳳山(30)らと計18番をこなした。

 「毎年、来るたびに思い出します。タンクトップ姿で本堂から見る師匠の様子をうかがいながら、稽古していましたね」。思い出の地での稽古を精力的にこなした後で、懐かしそうに振り返っていた。

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白鵬豪快な呼び戻し「仏壇返し」披露

朝稽古で、勢に豪快な呼び戻しを決める横綱白鵬

 大相撲の秋巡業は14日、茨城・土浦市内で行われ、横綱白鵬(28=宮城野)が豪快な呼び戻しを披露した。

 稽古で幕内勢(27=伊勢ノ海)と9番相撲を取って全勝。その4番目に、秋場所で16年半ぶりに認定させた「呼び戻し」を披露した。「土俵の鬼」の初代若乃花が得意とした「仏壇返し」とも呼ばれる豪快な技で、勢を鮮やかにひっくり返し。その切れ味は本場所以上だった。

 最後のぶつかり稽古では、ご当地の小結高安(23=鳴戸)を2日続けて鍛えて土俵を盛り上げた。これで秋巡業は一時中断。16日には客員教授に就任した拓大で、初めての特別講義を行う予定で「(講義では)すべて話すよ」と楽しみにしていた。

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白鵬「出ました」呼び戻し/秋場所

呼び戻しで宝富士を下す白鵬(撮影・河野匠)

<大相撲秋場所>◇8日目◇22日◇東京・両国国技館

 土俵の鬼にささぐ! 横綱白鵬(28=宮城野)が、大技「呼び戻し」で平幕宝富士(26)を下し、自身29度目となる初日から8連勝の「ストレート給金」を果たした。幕内では97年春場所の貴乃花以来、16年半ぶりの珍手は、土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花が得意とした荒技。自身32個目の決まり手で、単独トップを守った。

 まるで子供のようだった。上気した顔で髪を結い始めた白鵬の顔は、ほころんでいた。質問が出そうになると、自ら「言うから待ちなさい」と制した。そして感慨深げに言葉をはき出した。「出ましたね~、とうとう」。待ちに待った決まり手「呼び戻し」。「最初は『すくい投げ』と聞こえた気がして、ぱっと決まり手を見たら呼び戻しとなっていた。やりがいがあったね」。一時期、熱心に研究した技の完遂。うれしさで言葉が止まらなかった。

 最初から狙ってはいなかった。だが、得意の右四つで左上手が引けたかという瞬間に、パッとひらめいた。「やる!」。右足を引いて上手投げに行くと見せかけた。相手の腰が引けた。その一瞬で右腕を強引に返し、豪快にたたきつけた。背中の左半分にベッタリと砂をつけた宝富士も「上手投げをされて、その後にまた投げられた。びっくりした」と何が何だか分からない。まさに荒技だった。

 貴乃花以来16年半ぶりに決まった珍手。だが、白鵬は言う。「初代若乃花さんです」。「仏壇返し」とも言われる呼び戻しは、10年9月に82歳で亡くなった元横綱初代若乃花の花田勝治さんが、幕内だけで15度も繰り出した大技。白鵬はDVDでその豪快な映像を見て、心が躍った。「どうしてこんな技を出せるんだろう」。

 7歳のとき、モンゴルで対面したことがあった。記憶は「お菓子をくれたおじさん」。それが07年9月の横綱昇進パーティーで再会し、綱の心得を授けられた。そして、この技を知った。花田さんの葬儀後、再現を決めた。どうすれば決まるか。研究し、何度か挑む。それでもできず、1度は興味も薄れかけた。そんな曲折を経て、やっとかなえた。それは同時に、土俵の鬼をよみがえらせもした。

 「ファンですから。豪快な映像ほどはいかなかったけど、同じように決まってね」。中日勝ち越しの話題は1度も口にしない。この日だけは、純粋な相撲少年がいるだけだった。【今村健人】

 ◆呼び戻し 四つに組み、相手を上手の方から下手側の懐へ呼び込むようにして、相手の体を浮かせる。その時に差し手を返しながら前に突き出すようにしてひねり倒す大技。反動を利用して反対方向に倒すので、この名がついた。突き出した差し手を抜き、相手の胸に当てて裏返すと「仏壇返し」と呼ばれる大技になるが、決まり手は「呼び戻し」で統一。初代若乃花は15度も決めた。平成以降、幕内では93年秋場所2日目に貴ノ浪が寺尾に、97年春場所9日目に貴乃花が剣晃に決めて以来3度目。

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白鵬、大技「呼び戻し」で8連勝/秋場所

呼び戻しで宝富士(後方)を下す白鵬(撮影・河野匠)

<大相撲秋場所>◇8日目◇22日◇東京・両国国技館

 顔が、自然とほころんだ。うれしさをこらえきれなかった。横綱白鵬(28=宮城野)は、待ちかまえる報道陣に自ら言い始めた。「出ましたね、とうとう」。

 97年春場所9日目の貴乃花-剣晃戦以来、16年半ぶりとなる大技「呼び戻し」。それを宝富士(26=伊勢ケ浜)に決めた。「やりがいがあったね」と上機嫌に笑みを振りまいた。

 右を差して、左上手をつかもうとした瞬間、とっさにひらめいた。「やるだけやって、ダメなら寄り切ろう」。上手投げを放つ動きで宝富士の腰を引かせておいて、反対の右腕で強引なすくい投げ。通称「仏壇返し」とも呼ばれる荒技で、豪快にたたきつけた。

 呼び戻しは、土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花の故花田勝治さんが得意としていた。力とタイミングが合わなければなかなか決まらない。映像で見て興奮し、研究してきた白鵬も何度か挑んだ。だが、そのたびに「すくい投げ」と判定されて、あきらめかけていた。それだけに念願かない「初代若乃花さんのファンですから。豪快な映像ほどはいかなかったけど、同じように決まったね」と喜んだ。

 これで自らの記録を更新する29度目の、初日から8連勝の「ストレート給金」。4連覇での27度目の優勝へ、死角はなさそうだ。

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稀勢、合同稽古に参加「身が引き締まる」

旧二子山部屋の置かれていた仏地院での稽古で、すり足を行う大関稀勢の里

 大相撲名古屋場所(7月7日初日、愛知県体育館)で綱とりに挑む大関稀勢の里(26=鳴戸)が29日、「土俵の鬼」ゆかりの地で稽古を行った。

 初代若乃花の故二子山親方が部屋を構えていた名古屋・仏地院で、旧二子山部屋にゆかりのある部屋を中心に合同稽古を実施。稀勢の里は小結松鳳山(29=松ケ根)と5番、幕内千代大龍(24=九重)と12番取った。前日まで精力的に稽古してきたこともあって、この日の番数は抑えめ。その中で右前まわしを積極的に狙い「押されてもいいと思って試した」と考えながらの稽古だった。

 仏地院は、先代鳴戸親方の元横綱隆の里らが育った場所。「身が引き締まる」とあらためて感じ入っていた。

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