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豪風「温かい声援送ってくれた」感謝の引退会見

引退会見で笑顔を見せる豪風(撮影・河田真司)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が23日、都内のホテルで引退会見に臨んだ。9日目に8敗目を喫し、負け越しが決まって決断。「ここ1、2年は豪風らしい相撲が取れなくなった」。今後は年寄「押尾川」として尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。約16年の大相撲人生の中で熱く語ったのは、故郷の秋田への思い。県勢唯一の関取として奮闘した。「勝っても負けても秋田の人は温かい声援を送ってくれた」と感謝した。断髪式は来年2月1日、国技館で行う予定。

身長172センチと小兵ながら、学生出身として史上最多の幕内出場1257回。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進するなど、数々の記録を打ち立ててきた。師匠の尾車親方(元大関琴風)は「豪風が頑張ったから嘉風や、今の若手が続いている。いい弟子に巡り会えた」と話した。

14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定していた。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

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手芸得意な鉄人玉鷲が大関昇進欲で自己最速タイ給金

錦木(手前)を激しく攻める玉鷲(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇東京・両国国技館

関脇玉鷲(34=片男波)が、優勝戦線に踏みとどまった。平幕の錦木を押し出し、2敗を守った。横綱稀勢の里に続き元関脇豪風が引退し、この日は元幕内の幕下宇良、平幕の千代の国と琴勇輝と故障者が続出…。波乱が続く本場所で、04年春場所序ノ口デビュー以来無休、現役最長通算1146連続出場中の“34歳の鉄人”が存在感を発揮した。横綱白鵬は全勝を守り、後続に2差つけて独走態勢に入った。

腰の重さは平幕屈指の錦木も、玉鷲のパワーは止められない。立ち合いでガツンと頭で当たり、距離を置いてもう1発。右、左と交互にのど輪でのけぞらせ、最後はもろ手突きではじき飛ばした。「ちょっと緊張した。勝ち越しで? やっぱ、そうですね」。そんな繊細さをかけらも感じさせない圧勝だった。

34歳の鉄人だ。スポーツ未体験ながら、モンゴルの先輩鶴竜に巨体を見込まれて角界入りすると、04年春場所の序ノ口デビューから休場がない。この日は幕下宇良に始まり、幕内で千代の国、琴勇輝と故障者が続出したが、現役トップの通算連続出場を1146回に更新した。

横綱稀勢の里が引退、3大関は栃ノ心が休場、豪栄道と高安がもたつき、横綱白鵬の独走気配が漂う場所で「盛り上げないといけないでしょう。そのために頑張るしかない」という。今場所は4度目の三役返り咲きで、関脇に座る。「うれしいね。今までは(元の位置に)上がったな、だったけど、今は(もっと)上りたいという気持ち」。幕内での10日目勝ち越しは、12年夏場所以来2度目の自己最速タイ。根っからスロースターターが34歳で大関を夢見始めた。

188センチ、173キロの巨体に似合わず? 手先が器用だ。手芸が得意で、絵もうまい。日曜大工でイスも作る。この日の取組後は、床山にニマ~っと笑って「バリカタでよろしくね」と、まげの結い加減をラーメン風にリクエストし、周囲の爆笑を誘った。相撲は豪快で、性格はゆるキャラ。不思議な34歳が、白鵬を追いかける。【加藤裕一】

◆通算連続出場 玉鷲の通算連続出場1146回は、序ノ口から幕内までの現役力士の中で1位(初場所10日目終了時点)。昨年の秋場所初日に、それまで1位だった三段目芳東を追い抜く(幕下以下は1場所7番のため)。歴代1位は64年夏場所から86年名古屋場所にかけて、先代不知火親方(元関脇青葉城)の1630回。

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39歳豪風の去り際の美学 前夜尾車親方に引退意思

豪風(2018年5月18日撮影)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役を引退した。日本相撲協会理事会で年寄「押尾川」襲名を承認され、今後は尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。23日に記者会見する予定。

後悔は残さなかった。前夜の午後11時頃、師匠の尾車親方(元大関琴風)に「自分はもうすっきりしています」と報告した。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定。「力士として自分なりの潔さを」と決意を固めた。15年以上、土俵で活躍を続けた弟子に、師匠は「俺からは不満不平はない。あんな小さな体で戦えたのは節制と努力のたまもの」とねぎらった。

幕内出場1257回は史上8位で、学生出身力士として史上最多。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。16日に引退した元横綱稀勢の里に続き、角界を支えた名力士が土俵を去る。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

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豊ノ島4連勝で勝ち越しに王手、豪風引退に「残念」

大翔鵬(右)を攻める豊ノ島(撮影・林敏行)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇両国国技館

また1人、かつての“戦友”が土俵を去った。再十両2場所目の西十両5枚目の豊ノ島(35=時津風)が、連日の筆頭との対戦で東十両筆頭の大翔鵬(24=追手風)と対戦。押し出しで快勝し、4連勝で勝ち越しに王手をかけた。

この日午前、東十両12枚目の豪風(39=尾車)が引退を表明した。初土俵は自分の方が2場所早いが、学生横綱の資格で幕下15枚目格付け出しデビューの豪風は、常に背中を追う存在だった。新十両は10場所、新入幕は9場所の後れを取ったが、新三役は自分の方が一足早く07年夏場所に昇進(豪風は08年春場所)。三役在位や三賞、金星など幕内での実績は開きをつけたが、4歳年上で突進相撲の豪風との対戦は「苦手意識ばかりで勝つのはたまたま。どうやって行っても向こうの相撲にはまってしまっていた」と通算9勝18敗(うち十両で1勝0敗)の対戦を振り返った。

「残念ですね。安美関(安美錦=40歳)もそうだけど、タケさん(豪風)も(今年6月で)40歳でしょう? その年までできるというのが本当にすごい」と、あらためて息の長さに敬意を示した。これで現役では十両安美錦(40=伊勢ケ浜)、幕内の嘉風(36=尾車)に次いで3番目の年長関取。「そうか、ベスト3に入っちゃったか」と話すが、相撲そのものは「今日もオジさんの割には足がよく出て(相手の引きに)ついていった。右ハズもいいところに入ったし、押し相撲の基本みたいな相撲」とこの日の一番を自画自賛。アキレス腱(けん)の大けがで2年間、幕下生活を過ごしたことが、逆に相撲に関しては若さを呼び戻したようだ。「ケガする前は、基本は受け身だった。それが(幕下に落ちて)踏み込むようになった。そこがプラスアルファ。自分の強みになった」と言う。勝ち越しまで1つ。その先の再入幕も見えてきた。

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豪風引退、元稀勢の里「いい稽古をさせてもらった」

21日、若元春(右)は豪風を押し出しでやぶる

大相撲の元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が、十両豪風の引退に「残念です」などと語った。初場所10日目の22日、都内の田子ノ浦部屋にまげを整えるなど約1時間半滞在後、報道陣に対応。「一緒に切磋琢磨(せっさたくま)してきた。何歳でもやれるような体だと思っていたから残念です。オレが言うのも何だけど、本当にお疲れさまでした」とねぎらっていた。

初土俵は同じ02年。荒磯親方が3月の春場所から前相撲で、豪風が5月の夏場所から幕下15枚目格付け出しでデビューした。当時、中学から角界入りした荒磯親方に対し、7歳上の豪風は、中大から学生横綱のタイトルを手土産に注目の存在だった。相撲経験も雲泥の差とあって、新弟子が約半年間通う相撲教習所を同時期に過ごしたが「教習所では背中を追ってやっていた。いい刺激になりました」と、手本とする部分も多かったという。

荒磯親方は時折、神妙な表情を見せながら数分間、豪風との思い出を語った。「いい稽古をさせてもらいましたからね。(最近も)体を見たら全然落ちていなかった。やれると思っていましたけど」と話していた。

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豪風引退 尾車親方も「節制と努力」をねぎらう

21日、若元春(右)は豪風を押し出しでやぶる

大相撲の元関脇で東十両12枚目の豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役引退を表明した。9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決まっていた。今後は年寄「押尾川」を襲名し、後進の指導に当たる見込み。

昨夜午後11時ごろ、師匠の尾車親方(元大関琴風)に「自分はもうすっきりしています」と電話で報告した。今場所が通算100場所目と長年にわたって角界で戦ってきた弟子の決断に対し、師匠も「俺から不満不平はない。あんな小さな体で戦えたのは、節制と努力のたまもの」とねぎらった。

中大4年時に学生横綱に輝き、2002年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。02年秋場所で新十両、03年春場所で新入幕を果たし、08年春場所で新小結、14年秋場所には35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。

小柄ながら突き、押しを武器に、史上10位の幕内在位86場所、史上8位の幕内出場1257回と長く活躍した。

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元関脇豪風が現役引退を表明 「押尾川」で後進指導

21日、若元春(右)は豪風を押し出しでやぶる

大相撲の元関脇で東十両12枚目の豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役引退を表明した。9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決まっていた。今後は年寄「押尾川」を襲名し、後進の指導に当たる見込み。

中大4年時に学生横綱に輝き、2002年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。02年秋場所で新十両、03年春場所で新入幕を果たし、08年春場所で新小結、14年秋場所には35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。

小柄ながら突き、押しを武器に、史上10位の幕内在位86場所、史上8位の幕内出場1257回と長く活躍した。

豪風の話 悔いは一つもない。簡単な話ではないし悩んだが、力士として自分なりの潔さを出したつもり。長くやった分、多くの方に見ていただけた。自分の相撲道はこれからです。

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千代の国1敗守る「たまに笑ってくれる」愛娘効果だ

明生(右)をはたき込みで下し1敗を死守した千代の国(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇9日目◇21日◇東京・両国国技館

東前頭15枚目の千代の国(28=九重)が、全勝の横綱白鵬を追走する1敗を守った。明生をはたき込みで破り、大関以下で今年最初の勝ち越しを決めた。昨年10月15日に、第1子となる長女の実采(みこと)ちゃんが誕生。さらにスピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏から、飛躍に太鼓判を押されるなど発奮材料が重なり、優勝争い単独2番手と好調を維持している。

    ◇    ◇    ◇

目の覚めるような低くて鋭い立ち合いから、千代の国が主導権を握り続けた。頭でぶつかり、左のど輪でのけぞらせるとすぐ前に出た。明生のいなしに左脚1本で残ったが、攻め続けていた分、余裕はあった。すぐに反撃し、たまらず前のめりに出てきた相手をはたき込み。今度は右脚1本で闘牛士のようにヒラリとかわした。剛と柔が交錯する鮮やかな白星に「しっかりと前に出られた。(今場所は)充実している」。12勝で敢闘賞を受賞した昨年夏場所以来、8カ月ぶりの勝ち越しに笑顔だった。

昨秋に実采ちゃんが誕生し「いろんな人に『子どもが生まれると変わる』と言われたけど、いいもんですね」と、甘いマスクをほころばせた。洋服を着替えさせるなど、面倒を見る中で「3カ月ですが、たまに笑ってくれるので、それがうれしくて」とデレデレだ。

これまでは、昨年名古屋場所13日目から通算15度目の休場となるなど、番付を上げては故障で下げるという繰り返しだった。師匠の九重親方(元大関千代大海)は「子どもが生まれて頑張ろうとし過ぎるのが心配だった。いいものは持っている。精神面が大事だと分かってきた」と、家族が増えたことによる効果を話す。千代の国も「子どもの記憶に残るころまで元気に取りたい。あと5年といわず、もっと」と、目標ができて視野も広がった。

今場所初日の数日前、師匠の知人を介して部屋に初めて来た江原啓之氏から、全力士の中で「一番輝いている」と飛躍を予告された。「三役に少しずつ近づきたい」。長期的な目標の前にまず新三役。そのためにも優勝争いから後退するつもりはない。【高田文太】

1敗を死守し勝ち越しを決めた千代の国は報道陣に囲まれて笑顔を見せる(撮影・小沢裕)
明生(右)を激しく攻める千代の国(撮影・鈴木正人)

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千代の国が1敗死守、立ち合い想定外も冷静に対応

1敗を死守し支度部屋で髪を整える千代の国(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇8日目◇20日◇東京・両国国技館

東前頭15枚目千代の国(28=九重)が土俵際のはたき込みで東前頭12枚目輝を破り、1敗を守った。

立ち合いは、相手のもろ手突きに「ビックリした」と想定外だった。だが相手の動きは「見えていた」と冷静に対応。押し込まれたが最後はいなして逆転した。

左肘の故障などで昨年夏場所以来、8カ月も勝ち越していないが「けがも治ってきて稽古もできている。怖いところがないと思い切りいける」と、復調に自信を深めていた。

輝(右)をはたき込みで破る千代の国(撮影・鈴木正人)

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勢「目ん玉取れても頑張る」左目強打も出場へ意欲

千代翔馬(左)を寄り切りで破るが、額傷の痛みに耐える勢(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇7日目◇19日◇両国国技館

西前頭11枚目勢(32=伊勢ノ海)が左目を痛めた。西前頭14枚目千代翔馬を寄り切ったものの、立ち合いで左目に強烈な張り手を浴びた。勝負が決まった後は、土俵上で顔を押さえ、しばらくうつむいたまま。支度部屋に戻っても、風呂を後回しにし、座り込んで氷嚢(ひょうのう)を当て、うめき声をもらし、付け人に「目の奥が折れてるかもしれん」ともらした。

「見えてるんですけど、当たった瞬間、息止まりました。掌底(しょうてい)みたいな感じ。目の奥全体が痛い。頭も痛いし、首も痛い。脳振とうもあるみたい」。初日の輝戦で右目上の額に8針縫う裂傷を負ったが、その時より明らかに重傷のようだ。

05年夏場所の序ノ口デビューから休場なく、918連続出場中だ。「何があっても出続けること」を信条とする男は「(痛めた箇所が)初めてなんで、病院で診てもらいます」と言いながら、休場だけは絶対に避けたい様子。「もう、目ん玉取れても頑張ります」と、自分に言い聞かせるようにして場所を後にした。

立ち合いで千代翔馬(右)に額を攻められる勢(撮影・河田真司)

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阿武咲5連勝「番付上げる」憧れ稀勢の里に恩返しだ

嘉風(左)を突き出しで破る阿武咲(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇5日目◇17日◇東京・両国国技館

西前頭6枚目阿武咲(22=阿武松)が、幕内では自身2度目となる初日から5連勝を飾った。

4連敗中だった嘉風を終始攻め立て、最後は突き出した。16日に現役を引退し、年寄荒磯を襲名した元横綱稀勢の里に幕下の時に稽古をつけてもらった恩を、勝ち星で返す。全勝は白鵬、御嶽海、阿武咲、魁聖の4人となった。

   ◇   ◇   ◇

阿武咲が、立ち合いから低く、鋭い踏み込みで頭からぶち当たった。回転の早い突っ張りに、ベテラン嘉風もなすすべがなかった。土俵の外までほぼ一直線。「しっかり足を出せて良かった。思い通りの流れだった」。右膝のけがで番付を落としていたが、1年前は小結。先場所11勝で3回目の敢闘賞を受賞した勢いを、今場所も持続させている。

憧れであり、恩人が土俵を去った。16年夏場所で幕下に陥落した時、当時大関の稀勢の里がわざわざ出稽古に訪れてくれた。「自分を引き上げようとしてくれた。幕下に稽古をつけてくれるなんて、ありえないじゃないですか? かっこつけたりしない。どこまでもまっすぐ。人としてすごく尊敬できる」と感謝は尽きない。下半身の使い方など、当時のアドバイスを生かして翌場所に幕下優勝した。小さい頃からのスターは、自身が角界に身を投じても変わらない存在だった。

22歳6カ月と幕内では関脇貴景勝に次ぐ若さだが、名横綱の姿勢を継承したい思いは強い。「横綱でもボロボロになるまで稽古をする。それが大事なんだと。自分がこれから先につなげたい」と言い切った。全勝は4人。序盤戦ではあるが、先場所に続き優勝戦線に残った。最大の恩返しは「自分の番付を上げること」。上位陣が安定感を欠く中、若手のモチベーションがより高まってきた。【佐藤礼征】

阿武咲は嘉風(右)を突き出しで下す(撮影・小沢裕)

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タイガーマスク「1人の人間」稀勢の里引退惜しむ

タイガーマスク

新日本プロレスのタイガーマスクが16日の千葉・幕張メッセ大会で横綱稀勢の里の引退を惜しんだ。

13年夏場所で当時大関の稀勢の里を激励し、握手をかわしたことがある。「一横綱として勝利が必要なのは分かるが、その前に1人の人間。負けるときも、だめな時もある」とかばい、「まだ場所が始まったばかり。相撲界のしきたりもあると思うが、日本男児としてどんな形でもいいから千秋楽まで戦ってほしかった」と熱く語った。

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引退の稀勢の里「いつも稽古場で自問自答」一問一答

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

-引退を決断しての今の心境は

「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」

-今頭に思い浮かぶのは何か

「たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出します」

-昨日相撲を取り終えて引退を決意するまで心の動きは

「やり切ったという気持ちが最初にありました」

-17年間の土俵人生はどんな土俵人生だったか

「いろいろな方に支えられて、僕1人ではここまで来られなかったと思います」

-一番心に残っているのは

「ありすぎてなかなか思い出せませんが、やはり稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出は今でも覚えています」

-今場所はどんな気持ちで土俵に上がったか

「覚悟を持って場所前から稽古しました。自分の中で「これでダメなら」という気持ちになるぐらい稽古しました。その結果、初日から3連敗して自分の中では悔いはありません」

-2年前の新横綱の場所で負傷した時の状況は

「一生懸命やってきましたから」

-相当大けがだったのか

「そうですね」

-2年たって回復具合はどうか

「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前の自分に戻すことはできなかったです」

-ケガとの闘いの中でどういう思いで横綱を務めたのか

「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました」

-厳しい先代からの教えで心に残っているのは

「稽古場というのは非常に大事とおっしゃっていました。今後、次世代の力士にも大事さを教えていきたいです」

-天国で見守る先代にはどう報告するのか

「素直に感謝の気持ちを伝えたいです」

-思い出の一番は

「17年、横綱昇進を決めた後の千秋楽横綱白鵬関との一番です。11年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちがありました」

-高安に声をかけるとしたら

「もう1つ上がありますから。まだまだこれから」

-横綱になって変わった部分は

「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境も変わりました。意識の部分もそうですし、環境の部分もそうですし」

-モンゴル出身力士に対する思いは

「自分を成長させてもらった。横綱朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱にかわいがってもらった。背中を追っかけて少しでも強くなりたいという思いで稽古しました。上に上がれない時も、日馬富士関から非常にいいアドバイスを頂いたのを覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです」

-今後どういう力士を育てたいか

「一生懸命相撲を取る力士、そしてケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

-これまでで忘れられない瞬間は

「天皇賜杯を抱いた時です」

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。02年春場所初土俵、04年夏場所に17歳9カ月で新十両。同年九州場所に18歳3カ月で新入幕はともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ史上2位の年少昇進記録。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所で大関に昇進。16年九州場所で12勝を挙げて自身12度目の優勝次点となり、在位31場所目の翌17年初場所で初優勝。第72代横綱となった同年春場所で2場所連続優勝を飾るも、翌場所から8場所連続休場。18年秋場所で10勝を挙げ皆勤も、その後、不戦勝を除き3場所にわたる8連敗で引退を決意。得意は突き、押し、左四つ。殊勲賞5回、敢闘賞3回。金星3個。通算800勝496敗。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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「一片の悔いなし」稀勢の里は「孤高」のラオウ

稀勢の里の取組に出た「ラオウ」の懸賞旗(2017年5月14日撮影)

横綱稀勢の里はやはり「孤高」のラオウだった。17年夏場所前、漫画の編集などを手がけるコアミックス社から人気漫画「北斗の拳」のラオウの化粧まわしを贈られた。

主人公のケンシロウでなく、孤高の姿を貫いた長兄ラオウを好んで選択した。そのラオウの名言は「わが生涯に一片の悔いなし」。その言葉をこの日の会見でも口にした。

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豊ノ島「何だ、この化け物」稀勢の里との若き頃回顧

立ち合いから豊ノ島(右)に攻め込まれる稀勢の里(2014年1月12日)

<大相撲初場所>◇4日目◇16日◇両国国技館

横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)の引退を“同期の桜”も惜しんだ。再十両2場所目の西十両5枚目の豊ノ島(35=時津風)は、東十両5枚目の若隆景(24=荒汐)を寄り切って2勝2敗とした後、取材に応じ稀勢の里への思いを口にした。

前夜、豊ノ島のスマホにラインで稀勢の里から、引退する旨のメールが入ったという。すぐに自分から電話をかけ「お疲れさまでした」と思いを伝えた。「すっきりした感じで、決心がついたなと思った」。

今場所前には、幕内の琴奨菊(34=佐渡ケ嶽)に声をかけ、2人で田子ノ浦部屋に足を運び出稽古した。初土俵は、高校3年間で相撲を取った後に入門した琴奨菊と豊ノ島が02年初場所で、翌春場所に稀勢の里は中卒で初土俵を踏んだ。初土俵は年上の2人が1場所早いが、相撲教習所は同期の仲。「一緒に食事をする時なんか、いつもこの話が出るんだけど、横綱からは自分たちに早く追いつきたいという気持ちで『2人の背中を見て頑張っていた』と言ってくれてた。でも、すぐに自分が横綱の背中をおうようになってね(笑い)。一番最初に見たときの印象はないのに、毎日、みるみるうちに、1日たつごとに強くなって『何だ、この化け物は』って。琴奨菊と2人で『これは10代関取が誕生するぞ。19歳ぐらいで関取になるぞ』って言い合っていたら、17歳でなっちゃった」。負けじと04年夏場所で同時に新十両昇進。9日目に突き落としで敗れた一番を「つい、この間のことのように思い出す」と感慨にふけった。

年下の“同期”でありながら、雲の上の存在だった横綱は誇りだ。「僕らの時代は、白鵬が化け物みたいな横綱だったり、外国人が強くて日本人が活躍できない時代だった。そんな中、日本人の筆頭として一番、外国人を苦しめた。同じ時代を戦った者として、立派だと思うし、誇りに思う。背負った期待も大きかったと思います」。今後については「親方として立派な力士を育ててほしい」と、ねぎらいの言葉を贈った。

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年少出世にスロー初V/稀勢の里の記録アラカルト

横綱稀勢の里

大相撲の横綱稀勢の里が16日、引退することが決まった。師匠の田子ノ浦親方が明らかにした。進退を懸けた初場所で初日から3連敗を喫していた。

▽年少出世 17歳9カ月での新十両、18歳3カ月での新入幕は、ともに貴乃花に次ぐ史上2位の若さ。

▽スロー初優勝 新入幕から所要73場所の初優勝は史上2番目、初土俵から所要89場所は史上4番目の遅さ。

▽年長初優勝 30歳6カ月で初めて賜杯を抱くのは、年6場所制となった1958年以降では5番目の年長。

▽スロー横綱昇進 新入幕から所要73場所での横綱昇進は史上最も遅い。初土俵から89場所は史上3番目のスロー記録。1位は三重ノ海の97場所。大関通過に31場所を要したのは昭和以降3番目の遅さ。

▽年長昇進 30歳6カ月での横綱昇進は昭和以降7番目の年長。最年長は吉葉山の33歳9カ月。

▽休場 横綱の8場所連続休場は年6場所制でワースト記録。55日連続休場は4番目の長さ。最長は貴乃花の105日。

▽短命 横綱在位が12場所で終わったのは昭和以降10番目の短さ。

▽横綱勝利数 横綱として36勝は三重ノ海の55勝を下回り、年6場所制で最少。

▽連敗 昨年9月の秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗を喫した。1場所15日制が定着した1949年夏場所以降では貴乃花を抜いて横綱の単独ワースト記録となった。

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錦木が鶴竜から初金星、1横綱2大関撃破の勢い本物

錦木(左)は寄り切りで鶴竜を破る(撮影・小沢裕)

横綱初挑戦の東前頭2枚目錦木(28=伊勢ノ海)が、鶴竜を寄り切り、初金星を挙げた。初日に豪栄道、2日目に栃ノ心と2大関を破った勢いをそのままに、横綱も撃破した。

初挑戦で初金星は17年秋場所の阿武咲以来。稽古や横綱土俵入りを共にしてきた鶴竜相手に、恩返しの白星となった。

初土俵から77場所目にして迎えた結びの一番。緊張はなかった。立ち合いで左下手を取ると、一気に前へ。土俵際で逆転の上投げをもらうも、かまわず出た。鶴竜の体が飛んだのが先か、錦木の右足が出たのが先かで物言いがついたが軍配通り錦木の白星。21本の懸賞を表情一つ変えずに受け取った。

支度部屋に戻ると頬が緩んだ。「稽古もずっとやってきたし、土俵入りもしている。やっと恩返しができた」。15年夏場所で新十両昇進して以来、場所前に行う時津風部屋への出稽古で何度も胸を借りた。鶴竜の横綱土俵入りでは、露払いや太刀持ちを2年以上務めている。ようやく同じ土俵に立ち一発で恩返しした。

これまでの苦労が実を結んだ。新十両に昇進してから参加した巡業で、稽古土俵に上がらない日は1日もなかった。体調が悪くなっても「せめて一番だけでも」と土俵にこだわった。「インフルエンザがはやった時も巡業が終わった後にかかったり、巡業中に体調が悪くならないんです」とポツリ。誰よりもコツコツと積み上げてきた。

悩みが一つあったが、解消された。「北勝富士も初日と2日目で大関に勝って自分がかすんでたけど、今日はさすがに俺ですね。俺も負けてられない」と急成長する若手にライバル意識を燃やしていた。4日目は進退問題を抱える稀勢の里。「調子がいいから、ちょっとだけチャンス」と2日連続の金星を狙う。【佐々木隆史】

支度部屋で笑顔を見せる錦木(撮影・鈴木正人)
稀勢の里(右)に向かい落ちる鶴竜(左)、錦木(中央)(撮影・河田真司)

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3大関が1勝8敗の大惨敗 平成ワーストを更新

豪栄道(左)をすくい投げで破る御嶽海(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

大関さ~ん、大丈夫ですか…? 横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)の動向が耳目を集める初場所だが、その陰で目を覆うような体たらくぶりが3日目までに起こった。

初日に続き、高安(28=田子ノ浦)、豪栄道(32=境川)、栃ノ心(31=春日野)の3大関が総崩れ。この3日間で勝ったのは、前日2日目の高安(妙義龍に押し出し)だけ。何と3人合わせて1勝8敗という、白星の大盤振る舞いだ。

平成になり1人大関、2人大関、今回の3人や4人大関の番付もあった。日刊スポーツ調べによると、平成以降、大関が3日目までに挙げた総勝利数の最少は00年初場所(出島1勝2敗、千代大海1勝2敗)など4例で「2勝」があるが、「1勝」となると平成ワースト記録になる。しかも前述の4例はいずれも2大関(97年夏場所は3大関だが1人は初日から全休)の時で、今回の「3人で1勝」はより無残を浮き彫りにしている。

この状況について、八角理事長(元横綱北勝海)は極力、プラス思考にとらえている。「若手がどんどん上がって力をつけている証拠じゃないかな。自信をつけてきている」と分析し「(本来なら)上位は自信をつけさせてはいけないところだが」とくぎを刺しつつ、どの時代にも必ず訪れる世代交代の波を感じ取っている様子だった。

北勝富士(左)は高安を送り倒しで破る(撮影・小沢裕)
栃ノ心(右奥)を寄り切りで破る妙義龍。左は稀勢の里(撮影・河田真司)

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稀勢の里3連敗に場内シーン…横綱8連敗は単独最多

稀勢の里(右)は寄り切りで栃煌山に敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

進退をかける注目の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が前頭筆頭の栃煌山(31=春日野)に寄り切られ、初日から3連敗となった。

立ち合い踏み込んだがもろ差しを許し、投げを打たれて体を入れ替えられ土俵を割ると場内は水を打ったような静けさとなった。

結び前の一番だったため、そのまま土俵下に残った稀勢の里は、ぼう然とした様子だった。

昨年9月の秋場所から3場所にわたって続く連敗は、ついに歴代横綱の中で、単独最長となる「8」まで伸びてしまった。同場所千秋楽で大関豪栄道に敗れて以降、昨年11月の九州場所では初日から4連敗して途中休場。今場所は初日に小結御嶽海、2日目に西前頭筆頭の逸ノ城、そしてこの日の東前頭筆頭栃煌山と3連敗し、不戦敗を除き、この間合計8連敗となった。横綱の8連敗は、99年名古屋場所から九州場所まで、同じく足かけ3場所で7連敗した貴乃花を抜くワースト記録となってしまった。

稀勢の里にとって、同学年の栃煌山はかつて大関昇進を争うライバルだった。中学卒業後、02年春場所で初土俵を踏んだ稀勢の里の方が、常に一歩先を歩んできた。3年遅れで栃煌山が初土俵を踏んだ時、稀勢の里はすでに幕内。09年夏場所で初めて番付を越されたが、すぐに抜き返すなど、ともに「大関候補」や「日本人ホープ」と期待されていた。当時の稀勢の里は「やっぱり多少は意識する」と、ライバル心をのぞかせていた。

昨年九州場所4日目の取組は、1度は稀勢の里に軍配が上がったが、物言いがつき、行司軍配差し違えで敗れていた。直後の5日目から途中休場に追い込まれるきっかけとなった相手。取組前までは通算26勝16敗。相撲人生の節目で、何度も胸を合わせてきた相手に敗れて不名誉な連敗記録を樹立-。4日目は東前頭2枚目の錦木と、初めて顔を合わせる。

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巨東が連勝発進、4場所ぶり勝ち越しへ意気込む

佐田ノ里(下)を上手投げで破る巨東

<大相撲初場所>◇3日目◇15日◇東京・両国国技館

福島県富岡町出身の西三段目10枚目巨東(28=玉ノ井)が連勝発進した。西三段目9枚目佐田の里(26=境川)を上手投げで退けた。

もろ差しを許して土俵際に追い込まれたが、外四つから左に振って最後は押し倒すような形になった。「もろ差しは想定内。右(上手)が深かったのが良かった。うまく体を入れ替えることができた」。16年夏場所以来の幕下から三段目へ降格。197センチの巨漢力士は、3場所連続で負け越し中と苦しんでいる。「また幕下に上がって最高位を更新したい」と意気込んだ。

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