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栃ノ心31歳、綱取りは?に「その質問はシカト」

愛知・豊田市巡業で31歳の誕生日を迎えた大関栃ノ心(撮影・加藤裕一)

大関栃ノ心(春日野)が13日、愛知・豊田市巡業(スカイホール豊田)で31歳の誕生日を迎えた。

初場所で初優勝、夏場所で大関昇進を決め、名古屋場所を途中休場し、秋場所をいきなりかど番で迎えて9勝6敗と切り抜けた。波瀾(はらん)万丈だった30歳を振り返り「幸せなことも、厳しいこともあった。全部勉強になった」と話した。一方で、新たな1年の目標を「また優勝したいね」と語りつつも、綱取りへの意識を問われると「その質問はシカトします」と苦笑い。むだな重圧を避け、あくまで自然体を保つ姿勢は崩さなかった。

この日は魁聖、朝乃山、輝と相撲を14番とって全勝。右四つに持ち込み、得意の型に磨きをかけようとする姿勢が目立った。2度目の賜杯へ、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の優勝争いへ。心身ともに充実してきた。

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黄金の左、のど輪落とし/輪島さん波瀾万丈人生

77年3月、春場所での輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

<輪島さん波瀾万丈人生>

◆虫嫌い 1948年(昭23)1月11日に石川県七尾市に理髪業の輪島家の長男として生まれる。4500グラム。ケガをすると家族は反対も石崎小3から相撲の町内大会などで優勝。香取中では野球部も相撲も稽古し、1年の奥能登、3年の県大会で優勝。蛇、カエル、ミミズと虫嫌い。東京五輪石川県聖火ランナー。

◆サイン稽古 金沢高では岡大和監督宅に下宿して1年で山口国体を制し、高2の夏に大鵬親方らから勧誘される。「有名になる」とサインを練習し、このため本名で通したともいわれる。監督の薦めで日大進学で新人戦優勝。3年で初めて学生横綱になる。

◆貴ノ花圧倒 日大時代に当時新十両で親友となる貴ノ花(初代元大関)に稽古で2勝1敗と勝ち越し。当時の二子山親方(元横綱若乃花)が貴ノ花に「関取の白まわしを締める資格がない」と激怒。2年連続学生横綱など大学通算14冠を引っ提げ、合宿所隣で気心知れた元前頭大ノ海の花籠部屋に入門。

◆快進撃 花籠親方は雑用を免除し、食事は親方宅、大部屋は3日で日大合宿所の2人部屋に戻った。70年初場所幕下尻付出で誕生日にデビューし、日大応援団も駆けつける中で7戦全勝優勝。「蔵前の星」と呼ばれ連続全勝優勝で夏場所最速新十両昇進。ザンバラが目に入ると美容室でパーマをかけ怒られた。

◆特例懸賞 70年夏3日目にプロ初黒星で連勝は16でストップし、名古屋で初負け越し。秋はライバルだった東農大出身の長浜(のちの小結豊山)と5戦全勝で対決。観客投票で幕内にかける懸賞の森永賞が特例でつき、この一番を制して13勝で十両優勝を飾る。

◆最短V 71年初に新入幕を果たし、夏は11勝で初の敢闘賞。72年初場所は新小結で北の富士から横綱初勝利し、初の殊勲賞となる。夏に関脇で12勝を挙げて最短15場所で初優勝を飾る。学生相撲出身では山錦以来42年ぶり。

◆貴輪時代 72年秋の千秋楽は貴ノ花と水入りの一番を制して、13勝の準優勝で貴ノ花と大関同時昇進し、貴輪時代到来といわれた。昇進を機にしこ名を博から大士に改名。63勝で初の年間最多勝。豪華マンションに住み、リンカーン・コンチネンタルを乗り回し、外国製腕時計をして、プロ野球や芸能人と交流した。引退後の81年、2人はそろって資生堂のテレビCMに出演した。

◆稽古嫌い 稽古が嫌いで、まだ若手の千代の富士が1度出稽古に来ると、部屋に入る前に「帰れ」と追い返した。腰が軽くなるといわれたランニングを導入。二子山親方が「マラソンで強くなるなら(メキシコ五輪銅の)君原は大横綱だ」と吐き捨てたという。貴ノ花は「本当に稽古しないのに強く天才」と言った。

◆本名横綱 73年春の13勝まで3場所連続準優勝で、夏に初の全勝優勝で54代横綱に昇進。学生相撲出身、本名の横綱は史上初で、石川出身は阿武松以来145年ぶり。秋に全勝で横綱初優勝。九州は貴ノ花を下して12連勝も、右手指の間を3センチ裂いて6針縫う。13日目に負けたがV4が決定し、14日目から2日間休場と史上初めて休場して優勝となった。

◆黄金の左 75年春から3場所連続休場した。秋から気分一新して黄金の締め込みに替え、「黄金の左」と呼ばれるようになった。78年から休場が多くなり、この年は優勝なし。80年九州では外出を控えて体力温存し、最後となる14度目の優勝となった。

◆親方廃業 師匠が定年を迎える81年春は3日目で引退し、12代目として花籠部屋を継承した。審判委員などを務め、82年夏には輪鵬、花ノ国が新十両など4人の関取を育てた。85年11月に実妹が年寄名跡を借金の担保にし、2階級降格と無期限謹慎処分。借金4億円などで12月に廃業し、力士らは放駒部屋に移籍した。

◆転身 86年4月に全日本プロレスに入門し、米国やプエルトリコで修行。8月に米国でジャイアント馬場とタッグを組んで白星デビュー。11月に地元石川で国内デビューし、凶暴さで鳴らすタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦。両者反則で引き分けも場外乱闘にもひるまなかった。

◆存在感 レスラー時代の必殺技はゴールデン・アームボンバー(のど輪落とし)。初のテレビ中継の視聴率は20%を超えた。87年にはリック・フレアー、スタン・ハンセンとタイトル戦でも対戦し、元前頭の天龍から妥協なき攻撃を受けて語り草に。88年12月に体力の限界で引退した。

◆家族 留美夫人と1女1男。長男大地さんは17年夏の甲子園に天理高の一員として出場。準々決勝明豊戦に2番手投手として登板した。

70年5月、夏場所の輪島さん。パーマがかかっているように見えるが…
74年7月、名古屋場所の優勝決定戦で横綱輪島さんは「黄金の左」下手投げで北の湖(右)を大逆転する
スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん(1987年4月24日撮影)

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輪島さん死去 波瀾万丈の70年、最期はひっそり

81年1月、初場所で雲竜型で土俵入りをする輪島さん

「黄金の左」と呼ばれた型破りな元横綱が逝った。第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。日大からプロ入りして学生出身では初の横綱に昇進し、左下手投げを得意に歴代7位の14度優勝。年寄名跡を借金の担保にして廃業後、全日本のプロレスラーでも活躍した。土俵の内外で自由奔放な個性的な横綱だった。葬儀・告別式は未定で、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

輪島さんは4年前に引っ越した世田谷区の自宅で亡くなった。近所の住民によると、前日深夜に自宅へ救急車、パトカー、消防車が相次いで到着したという。以前は1人でよく散歩し、顔を合わすとしゃべる代わりに肩をたたいたり、手をたたいて、気さくにあいさつされたそうだ。1年前から散歩に出なくなったが、3日前にはつえをついてデイサービスの車に乗る姿を見たという。

13年に咽頭がんの手術を受けた後は声が出ないこともあり、公の場に出ることは減った。遠縁の輝が所属する高田川部屋の稽古を定期的に訪れていたが、今年はなし。そのほかは、日大の後輩である境川親方(元小結両国)の弟子の挙式に出席する程度。角界だけでなくプロレス、日大などの関係者とも疎遠となり、一時代を築いた横綱はひっそりとこの世を去った。

幕下での初土俵には日大応援団まで駆けつけた。「蔵前の星」と期待されるも、たたき上げから「学生さん」と見下された。大成しないと言われた学生相撲から、初めてで唯一の横綱昇進でジンクスを打破した。

得意は左四つからの下手投げ。右の絞りが強かった。これも大成しないと言われたが、角界では異端のランニングも重視し、安定した下半身を作った。大型化が始まった時代で昇進時は120キロ。下半身の瞬発力に天性のタイミングで、このジンクスも打破した。

北の湖とは44度対戦した。74年名古屋場所で逆転優勝したが、北の湖も横綱に昇進した。ここから「輪湖時代」と呼ばれて毎場所賜杯を争った。75年に腰痛などで3場所連続休場し、気分一新に締め込みを金色に替えた。カラー化時代の先駆けで「黄金の左」が代名詞に。レスラー時代も同系色の黄色いパンツがトレードマークだった。

81年春場所で連敗すると現役を引退した。花籠部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保にしていたことで大騒動に発展。親方は4年半で廃業し、86年にはプロレスラーに転身した。馬場社長にかわいがられたが、約3年で2度目の引退となった。

日大相撲部で1学年上に頭の上がらない現日大田中理事長がいた。大学3年時に決勝で破って学生横綱になると、当時の理事長にプロを勧められた。日大からは66人が入門して51人が関取に。その道筋をつけ、燦然(さんぜん)と輝く第1号。型破りで奔放な性格と言動で一世を風靡(ふうび)した昭和の横綱は、波瀾(はらん)万丈の人生を送った。今年は騒動続きの日大にあって大スターだった横綱が旅立った。

◆輪島大士(わじま・ひろし)本名輪島博。1948年(昭23)1月11日、石川県七尾市生まれ。金沢高で相撲を始め、日大で2年連続学生横綱など14タイトル。花籠部屋に入門し70年初場所幕下尻付け出し初土俵。連続全勝優勝で夏場所新十両、71年初場所に新入幕。72年初優勝、秋場所後に大関昇進。73年夏場所後に54代横綱昇進。優勝14回、三賞5回。現役時185センチ、125キロで、得意は左四つ、下手投げ、寄り。81年春に引退して花籠部屋継承も85年に年寄名跡担保問題で退職。86年プロレスラー転向し、88年引退後アメリカンフットボールの学生援護会総監督やタレント活動も、13年に咽頭がん手術を受けた。

87年4月、全日本PWFヘビー級選手権でスタン・ハンセン(右)にゴールデン・アームボンバーを決める輪島さん
16年2月、豊響の挙式・披露宴に出席した輪島さん

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錦木“巡業の鉄人”宣言15年夏以降休んだことない

同期の竜電(左)、松鳳山(右)と申し合い稽古をする錦木

大相撲秋巡業が6日、さいたま市で行われ、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)で平幕上位が濃厚の錦木(28=伊勢ノ海)が“鉄人”宣言をした。

5日から始まったグループごとの申し合い稽古で、同期で平幕の松鳳山、竜電と9番取って7敗と振るわなかったが、巡業初日から4日連続で稽古土俵に上がった。錦木いわく「休んだことがない」と、新十両に昇進した15年夏場所以降で参加した巡業で稽古土俵に上がらなかった日は1日もないという。「あと2年やって巡業の鉄人を目指します」と宣言した。九州場所では自身初の横綱、大関戦が組まれる可能性もあり「負けても『おっ』と思わせる相撲を取りたい」。積み重ねてきたものを結果で示す。

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インフル二モマケズ…錦木「2年やり巡業の鉄人に」

グループ稽古で同期の竜電(左)、松鳳山(右)と申し合い稽古をする錦木

大相撲秋巡業が6日、さいたま市で行われ、平幕の錦木(28=伊勢ノ海)が“鉄人”宣言をした。

5日から始まったグループごとの申し合い稽古で、同期で平幕の松鳳山、竜電と9番取って7敗と振るわなかったが、巡業初日の3日から4日連続で稽古土俵に上がった。

錦木は今年の春巡業、夏巡業に全日程参加していて、1日も休むことなく毎日稽古土俵に上がっている。それどころか「3年ぐらい休んだことがない」と、新十両に昇進した15年夏場所以降から参加した巡業で、稽古土俵に上がらなかった日は1日もないという。

巡業前の本場所で負傷したり、体調が悪かった時もなくはなかったというが「せめて1番だけでも、と稽古土俵に上がっていました」と話した。「インフルエンザがはやった時も、巡業が終わってからかかったりで…。風邪もあまり引かないし、体調が悪くならないんです」とまさしく巡業に愛されている。「あと2年やって巡業の鉄人を目指します」と意気込んだ。

コツコツと積み重ねてきたからこそ、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)では過去最高位の東前頭6枚目を抜いて平幕上位が濃厚で、自身初の横綱、大関戦が組まれる可能性が出てきた。「負けても『おっ』と思わせる相撲を取りたい。結びでも取るかもしれない。懸賞か…。あんまり考えないようにしたいですね」と、早くもそわそわし出した。

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阿武咲「緊張した。特別な思い」稀勢の里破り初優勝

全日本力士選士権で初優勝を飾り選士権章を腕に巻く阿武咲(撮影・小沢裕)

<第77回全日本力士選士権>◇1日◇両国国技館

トーナメントで争われる第77回全日本力士選士権が1日、東京・両国国技館で開かれ決勝で平幕の阿武咲(22=阿武松)が、3連覇を狙った横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)を押し出しで破り初優勝した。直前の場所で平幕だった力士の優勝は65回大会の安馬(のち横綱日馬富士)以来4人目。

師匠の阿武松審判部長(元関脇益荒雄)から優勝の表彰状を授与された阿武咲は「(今年夏場所の)十両優勝に続いて2回目。緊張しました」と笑った。4勝11敗に終わった秋場所の鬱憤(うっぷん)を晴らしたが「決勝が稀勢関で特別な思いだった。でも(好成績は)本場所でないと意味がない」とも。助言を受けてきた貴乃花親方の退職には「いい相撲を取るのが一番の恩返し」と話した。

全日本力士選士権の決勝で阿武咲(左)に寄り切りで敗れ3連覇を逃した稀勢の里(撮影・小沢裕)

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選士権優勝の阿武咲、貴乃花へ「いい相撲が恩返し」

全日本力士選士権相撲選抜戦の決勝で阿武咲(左)に寄り切りで敗れ3連覇を逃した稀勢の里(撮影・小沢裕)

<第77回全日本力士選士権>◇1日◇両国国技館

トーナメントで争われる大会の幕内決勝は、秋場所で西前頭6枚目の阿武咲(22=阿武松)が、3連覇を狙った横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)を押し出しで破り、初優勝した。

直前の場所で平幕だった力士の優勝は、65回大会の安馬(のち横綱日馬富士)以来、12年ぶり4人目。鶴竜(33=井筒)、白鵬(33=宮城野)の両横綱は、ともに1回戦で敗退した。

優勝した阿武咲は、決勝の相手が稀勢の里だったことに「稀勢関でしたからね。本場所ではないけど、特別な思いがありました。まあ、本場所で(対戦)しないと意味がないけど」と感慨深げに話した。本場所前には、よく横綱自ら阿武松部屋に出稽古し、荒々しい相撲で稽古をつけてもらった。そのあこがれの横綱に、番付の昇降に影響しない花相撲ではあるが、恩返ししたわけだ。

それも立ち合い、右で張って左もかち上げ気味と、本場所さながらの取り口。それまでの稀勢の里の相撲を見て「ずっと受けている感じだったから、いきなりでビックリした。あの張り差しはけっこうクリーンヒットで一瞬、見えなかった」と面食らった。それでも「あとは左を差されないようにと。稽古をしているみたいで楽しくて、ずっと土俵にいたかった」と異空間を楽しんだ。

表彰式では、師匠で審判部長の阿武松親方(元関脇益荒雄)から、優勝の表彰状を授与された。「(今年夏場所の)十両優勝に続いて2回目。緊張しました」と笑み。4勝11敗に終わった秋場所の鬱憤(うっぷん)を晴らしたが「でも(好成績は)本場所でないと意味がない」。5月までは同門の総帥として、事あるごとに言を受けてきた貴乃花親方(元横綱)の退職には「ずっと稽古を見ていただいて、教えていただいた。相撲にどれだけ真っすぐ取り組むか。そこをしっかり考えてやりたい。いい相撲を取るのが一番の恩返し」と話した。

全日本力士選士権相撲選抜戦で初優勝を飾り選士権章を腕に巻く阿武咲(撮影・小沢裕)

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友風が新十両「嘉風関みたいな元気な相撲を」

新十両に昇進した友風は、師匠の尾車親方(右)と握手を交わす

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で大相撲九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の番付編成会議を開き、3人の十両昇進を決めた。新十両は極芯道(22=錦戸)と友風(23=尾車)。13場所ぶりの再十両で関脇経験者の豊ノ島(時津風)は、35歳4カ月で戦後6番目の年長となる関取復帰となった。

秋場所は西幕下4枚目で5勝2敗だっただけに、友風は「上がるとは思わなかった。いまだに気持ちの整理ができていません」と驚いた。昨年夏場所で初土俵を踏み序ノ口スタートとなった翌名古屋場所から8場所連続で勝ち越し。その間に、兄弟子で平幕の嘉風の付け人も務めており「関取になるための準備を9場所でしてきた。嘉風関みたいな若々しい元気な相撲を取りたい」と鼻息荒くした。

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92年10月 宮沢りえと婚約発表/貴乃花光司年表

91年5月、初日に千代の富士を破る

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。

<貴乃花光司年表>

◆1972年(昭47) 杉並区阿佐谷生まれ。

◆83年 小学5年でわんぱく相撲の全国大会優勝。

◆85年 明大中野中に進学。

◆88年2月 兄勝とともに父の藤島部屋に入門。

◆88年3月 貴花田のしこ名で春場所で初土俵。

◆89年3月 春場所で序の口東11枚目で5勝2敗

◆89年5月 幕下東48枚目で7戦全勝で優勝。16歳9カ月での幕下優勝は史上最年少。

◆90年3月 春場所は西十両3枚目で臨み9勝6敗。場所後に17歳8カ月での新入幕昇進を果たした。

◆91年3月 春場所東前頭13枚目で初日から27年ぶりの11連勝。敢闘賞、技能賞のダブル受賞を果たす。

◆91年5月 夏場所では西前頭筆頭まで番付を上げ、初日に横綱千代の富士と対戦し、18歳9カ月での史上最年少金星を獲得。

◆92年1月 初場所は東前頭2枚目。14勝1敗の好成績で初優勝。

◆92年10月 秋場所後に女優宮沢りえとの婚約発表。世紀のカップル誕生は社会現象となった。

◆93年1月 東関脇で迎えた初場所は11勝4敗。20歳5カ月で大関昇進を果たし、その直後にしこ名を貴花田から父親と同じ貴ノ花に改名。また、宮沢りえとの破局が明らかになった。

◆94年9月 西大関として初の全勝優勝。場所後に貴ノ花から貴乃花に改名した。

◆94年11月 九州場所で2度目の全勝優勝。秋場所初日から30連勝で、第65代横綱に昇進。11月23日の昇進伝達式では「不撓(ふとう)不屈」(大関昇進時も使用)「不惜身命」の4文字熟語で横綱昇進への決意を示した。

◆95年5月 元フジテレビアナウンサーの河野景子と結婚。同年9月に長男優一氏が誕生。

◆01年5月 初日から13連勝も14日目の大関武双山戦で右膝半月板損傷の大けが。千秋楽に完敗し、決定戦で武蔵丸を上手投げで破り優勝、表彰式で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」の名文句が飛び出した。

◆03年1月 最後の場所となった初場所、4勝4敗1休で、30歳5カ月で相撲人生にピリオドを打った。

◆04年6月 正式に二子山部屋を継承。名前は貴乃花部屋に変更した。

◆05年5月 父の二子山親方(元大関貴ノ花)が口腔底がんのため死去。

◆10年1月 初場所後の理事選に立候補することを表明。二所ノ関一門を離脱してまで単独で立候補する貴乃花親方の行動は一門の枠を超えて親方衆に影響を与え、落選必至と言われた中で当選を果たし「貴の乱」と言われた。

◆10年5月 貴乃花グループと呼ばれていた派閥は「貴乃花一門」に。

◆16年1月 初場所後の理事選で4選を果たし、理事長選に出馬も6対2で現在の八角理事長に完敗。

◆18年6月 貴乃花一門は、貴乃花親方が離脱したため消滅。

◆18年9月 25日に相撲界からの引退を発表。

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん
花田家の家系図

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さらば貴親方…優勝22度/名場面を写真で振り返る

さらば貴乃花親方-

大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日、日本相撲協会に退職届を提出後、都内で引退記者会見。「私貴乃花光司は、年寄を引退する旨の届けを提出いたしました」。幕内最高優勝22度。千代の富士や曙らと数々の名勝負を演じ「若貴ブーム」で一世を風靡(ふうび)するなど、角界の発展に大きく貢献してきた貴乃花親方の足跡を写真で振り返る。

82年2月 藤島部屋鏡開き

82年2月、藤島部屋土俵開きで。藤島親方、母憲子さん、長男勝君(右端)と

82年2月 制服姿で角界入りあいさつ

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん

88年3月、一番出世で兄若花田と

88年3月、一番出世で若花田(左)と

88年3月、3戦全勝で一番出世を決めた若花田(左)貴花田(右)兄弟と父藤島親方

88年3月、3戦全勝で一番出世を決めた若花田(左)、貴花田(右)兄弟と父藤島親方

88年5月、夏場所で曙と

88年5月、夏場所で曙(左)と

91年5月、初日に横綱千代の富士を撃破

91年5月、初日に千代の富士を破る

貴花田に敗れる千代の富士(91年5月)

92年1月、初優勝で二子山理事長から賜杯受ける

92年1月、初優勝で二子山理事長から賜杯をうける

92年1月、19歳5カ月の史上最年少で初Vでパレード

92年1月、19歳5カ月の史上最年少で初優勝を飾りパレードに出発する貴花田(右)。左は若花田

93年1月、大関昇進

93年1月、大関昇進で

94年11月、横綱昇進、口上は「不撓不屈」

94年11月23日、横綱昇進で口上を述べる貴乃花(中央)

01年5月、優勝決定戦で武蔵丸を破り鬼の形相

01年5月、優勝決定戦で武蔵丸(左)を上手投げで破り鬼の形相

01年5月、小泉純一郎首相も貴乃花の相撲に「感動した!」

01年5月、「感動した!」。貴乃花(左)に内閣総理大臣杯を手渡す小泉純一郎首相

03年1月、最後の取組相手は安美錦

安美錦(左)に右腕を取られた貴乃花は、背後に回られ送り出され3敗目を喫する

03年1月、現役引退を発表

引退会見であいさつする貴乃花。左は二子山親方

03年6月、師匠であり実父である二子山親方の止めばさみを受ける

貴乃花親方(中央)は師匠であり実父である二子山親方(元大関・貴ノ花)の止めばさみを受ける(03年6月1日)

16年3月、横綱審議委員会で厳しい表情

16年3月、横綱審議委員会で隣の席に着く貴乃花理事(右)と八角理事長

18年1月31日、貴公俊の新十両昇進会見で満面の笑み

18年1月31日、貴公俊(左)の新十両昇進会見で

18年9月25日、引退記者に臨む貴乃花親方

日本相撲協会に退職届を提出し引退記者に臨む貴乃花親方(撮影・小沢裕)

18年9月25日、さらば貴乃花親方…

会見を終え、大勢のカメラマンが待ち受ける中、引き揚げる貴乃花親方(撮影・垰建太)

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懸賞最多更新の2160本 17年の夏場所上回る

懸賞金獲得5傑(千秋楽)

日本相撲協会は秋場所千秋楽の23日、今場所の懸賞総数が2160本となり、17年夏場所の2153本を上回り1場所最多を更新したと発表した。千秋楽の本数は1日分で最多に並ぶ175本だった。場所前には2273本の申し込みがあったが、休場者数が少なく取りやめがほとんどなかったという。

客足は15日間全てで入場券完売を意味する「満員札止め」を記録した。東京開催場所では16年秋場所から7場所連続。今年は1月の初場所から5場所連続の全日程札止めとなった。

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矢後、新入幕遠のく悔しい黒星「まだだめっす」

矢後(左)を引っかけで破る照強(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇23日◇東京・両国国技館

西十両2枚目矢後(24=尾車)が、西十両8枚目照強(23=伊勢ケ浜)に決まり手「引っかけ」で敗れ、8勝7敗で今場所を終えた。

勝てば新入幕が大きく近づいただけに、悔しい千秋楽の一番となった。「詰めが甘いっすね。まだ(新入幕は)だめっす」。1度突っかけられ、2度目も合わず3度目の立ち合い。突っ張りにのど輪を織り交ぜ、小兵の照強を後退させた。生命線の左四つに頼らず、そのまま突き押しで攻めきろうとしたが、土俵際で両手で腕を抱えながら、左にヒラリとかわされ倒された。

自己最高位の今場所。最低限の勝ち越しを決めたが「それくらいは勝てると思っているけど、まだまだ未熟」と納得はいかなかった。中大時代はアマチュア横綱に輝き、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。昨年夏場所の初土俵から、所要9場所で幕内を目前としていた。来場所での新入幕の可能性をわずかに残すが「そこ(新入幕は)あまり意識しないようにして、また次、頑張ります」と切り替えに努めた。

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白鵬、天国の父にささげた優勝 大鵬超え13年連続

白鵬(右)は豪栄道を上手投げで下し41度目の優勝を決めた(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>◇14日目◇22日◇東京・両国国技館

横綱白鵬(33=宮城野)が、今年初めてとなる41度目の優勝を達成した。大関豪栄道を下して、同時に史上初の幕内通算1000勝も達成。4月に死去して天国で見守る、父ジジド・ムンフバトさんにささげる記録的な優勝となった。さらに、初優勝した06年夏場所から13年連続での優勝となり、12年連続で優勝した大鵬を抜いて史上最長となった。

今年初めての優勝をかけて臨んだ結びの一番。数々の記録を打ち立ててきた白鵬にとっても重圧はかかった。

1度目の立ち合いはつっかけて、2度目の立ち合いでは先に手を着いた豪栄道を前に、自ら嫌って立った。3度目の立ち合い。左前みつに手がかかるも外れて左上手を取ったが、その一瞬の隙を豪栄道に突かれた。前に出られて土俵際へ追い込まれたが慌てず、上手投げで勝負あり。優勝をかみしめるかのように、左腕を軽く一振りした。

支度部屋では無数のカメラのフラッシュを浴びた。「あー、目が痛い」。言葉とは裏腹に笑みを浮かべた。昨年の九州場所以来5場所ぶりの優勝。白鵬にとっては久しぶりの優勝に「んー、話せば終わらない」とあえて多くは語らずに喜びを表現した。

4月に最愛の父ムンフバトさんが、肝臓の病気などで亡くなった。1968年(昭43)のメキシコ・オリンピック・レスリング銀メダリストで、モンゴル相撲の元横綱。そんな偉大な父の背中を追って、幼少期にモンゴル相撲を始めようとした。しかし「まだ早い。骨ができていない」と止められた。適齢期の16歳をまだ迎えておらず、バスケット少年になった。それでも夢を捨てきれず、16歳になる01年に海を渡って大相撲の扉をたたいた。

父のDNAを引き継いだ白鵬は、すぐに頭角を現した。新十両昇進を決めた18歳の03年九州場所では、1場所だけで体重が15キロも増加。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)も「あんなに小さい体の子がここまでこれるとは思ってなかった」と目を丸くした。父の一言が、白鵬をここまで大きくした。

今場所は8日目に横綱800勝を達成。そしてこの日、41度目の優勝と幕内通算1000勝を達成。次はどんな大記録を狙うのか-。「目指せ1001勝」。まずは今日の一番に集中する。【佐々木隆史】

▼幕内後半戦の阿武松審判長(元関脇益荒雄)のコメント 白鵬の、あの待ったはいただけない。これだけ優勝している横綱。きちっと合わせることはできるはず。相撲自体はさすがです。ここという時の集中力と、今場所は気迫があった。やはり第一人者。全ての記録が通過点なのでは。

幕内通算1000勝と通算41回目の優勝を飾った白鵬は「HAKUHO-METER」を掲げる(撮影・小沢裕)

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横綱白鵬「価値ある優勝」1000勝&41度目V

白鵬(左)に敗れ悔しい表情を浮かべる豪栄道(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇14日目◇22日◇東京・両国国技館

強い白鵬が復活-。横綱白鵬(33=宮城野)が、史上初の幕内1000勝&41度目優勝を同時達成した。

2敗の大関豪栄道(32=境川)を上手投げで下して、昨年九州以来、5場所ぶりに賜杯を勝ち取った。

横綱になって12年目。苦闘の年だった。初場所では左足親指を痛め、春場所も連続休場。2場所連続休場は初土俵から18年目で初だった。夏場所は皆勤も名古屋場所は4日目から途中休場。今度は右膝を痛めた。1年で3度休場するのも自身初だった。

テレビインタビューでは「無事に終えて優勝できてホッとしています。(今年初の優勝は)うれしいです。年とともにね、ケガも増えましたから。時間かかりましたけど、価値ある優勝だったのかな」と笑顔をみせた。

復活優勝にかけた今場所は8日目に、前人未踏となる横綱800勝、そしてこの日は幕内1000勝と、さまざまな記録で歴代1位を更新した。「場所前から(横綱)800勝、(幕内)1000勝を目標にのぞんだ。上出来。唯一1人の人間になったのだから」と満足げに続けた。

豪栄道(中央)を上手投げで下す白鵬(撮影・河田真司)

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横綱白鵬復活 幕内1000勝&41度目V同時達成

白鵬(左)に敗れ悔しい表情を浮かべる豪栄道(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇14日目◇22日◇東京・両国国技館

強い白鵬が復活-。横綱白鵬(33=宮城野)が、史上初の幕内1000勝&41度目優勝を同時達成した。

2敗の大関豪栄道(32=境川)を上手投げで下して、昨年九州以来、5場所ぶりに賜杯を勝ち取った。

横綱になって12年目。苦闘の年だった。初場所では左足親指を痛め、春場所も連続休場。2場所連続休場は初土俵から18年目で初だった。夏場所は皆勤も名古屋場所は4日目から途中休場。今度は右膝を痛めた。1年で3度休場するのも自身初だった。

ケガの苦しみだけではない。

4月には最愛の父ジジド・ムンフバトさん(享年76)が死去した。レスリング選手として64年東京大会からオリンピック(五輪)に5大会連続出場。68年メキシコ大会では87キロ級で銀メダルを獲得し、同国初の五輪メダリストになった。年に1度開催されるスポーツの祭典「ナーダム」では、モンゴル相撲で6度の優勝するなど、国民的英雄。尊敬する父だっただけにショックは大きかった。

苦しみを乗り越えて復活優勝にかけた今場所は8日目に、前人未踏となる横綱800勝、そしてこの日は幕内1000勝と、さまざまな記録で歴代1位を更新し、健在ぶりを示した。目標は20年東京五輪まで現役を続けること。5場所ぶりの復活優勝。まだまだ白鵬時代は続きそうだ。

豪栄道(中央)を上手投げで下す白鵬(撮影・河田真司)

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白鵬、稀勢の里破る 昨年初場所負けた「形」再び

稀勢の里(右)を寄り切りで破る白鵬(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇13日目◇21日◇東京・両国国技館

横綱対決は白鵬(33=宮城野)に軍配が上がった。稀勢の里を寄り切って13戦全勝とした。昨年初場所で敗れて以来の対戦で、力の差を見せつけた。14日目に白鵬が大関豪栄道に勝てば、5場所ぶり41度目の優勝と史上初の幕内通算1000勝が決まる。

もろ差しになって寄り切った白鵬は、右手で稀勢の里の腰辺りをぽん、とたたいた。横綱同士での待ちに待った取組は、7秒5での決着だったが濃密な時間だった。「これまでよく戦ったと思いますよ」。同じ横綱としての苦労を知っているからこそ、右手がとっさに出た。

負けた昨年初場所の悔しさが、ずっと心に残っていた。だから立ち合いで、その時と同じように左差しを狙った。右で張って左を差すと、前に出ながら右も差した。頭を抱えられたが腰を落として一気に前へ。今回は逆転を許さず、全勝を守った。「あの形で1年前に負けてますからね。それにもう1回チャレンジしたいという感じですね」と雪辱した。

数々の名勝負を繰り広げた2人だからこそ、館内の興奮は最高潮だった。同時に、異様な雰囲気も流れた。圧倒的に稀勢の里への声援が大きく「白鵬負けてやれ」とヤジが飛ぶほどだった。それでもぶれないのが、横綱12年目の強さ。「何だろうね。お互い休場明けだしね。来てるお客さんも分かっているという感じだった」と寛大な心を持って臨んだ一番。幕内初対戦の06年夏場所から始まった60回目の対戦を44勝(16敗)で終えて「気持ち良かったです」としみじみとした。

単独首位を守り、今日の豪栄道との結びの一番に勝てば、41度目の優勝と幕内1000勝を同時に達成する。ようやく目の前にまできた賜杯をつかむために、ここまで3日連続で朝稽古を非公開にするなどして、集中力を高めている。「頑張ります」と多くは語らなかったが、表情に緩みはない。もう1つ、稀勢の里に横綱の威厳を見せる時がきた。【佐々木隆史】

敗れた稀勢の里(左)の腰に手を当てる白鵬(撮影・河田真司)

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栃ノ心が敗北「クソッ」ジョージア語わめき怒り爆発

正代にすくい投げで敗れ悔しそうな表情を見せる栃ノ心(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇13日目◇21日◇両国国技館

大関栃ノ心(30=春日野)が追い込まれた。かど番脱出にあと1勝で迎えた正代戦。

昨年初場所は5日目に負け、右膝を痛めて途中休場し、今年も春場所で負け、右肩を負傷、夏場所も負け、右手首を痛めた因縁の相手にすくい投げを食った。怪力を生かした右四つが得意だが、右下手を2度切られ、右を深く差されて、左上手をとらせてもらえず、最後は体が伸びて、土俵に落ちた。

自分への怒りからか、支度部屋に戻るや「クソーッ!」と絶叫。風呂場でも、ジョージア語らしき言葉でわめき、物がぶつかる音が聞こえた。かど番脱出へのプレッシャーに「ダメですね。もうダメですね」と弱音をはく。残り2番。14日目の阿炎戦、千秋楽で有力な高安戦。どちらかに勝てば、かど番脱出だが「やれるかどうかわからんよ」と、最後まで景気のいい言葉はなかった。

栃ノ心(左)はすくい投げで正代に敗れる(撮影・小沢裕)

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高安V戦線残った「体を開いて振った」1敗鶴竜撃破

鶴竜(右)は上手投げで高安に敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>◇12日目◇20日◇東京・両国国技館

大関高安(28=田子ノ浦)が、1敗の横綱鶴竜(33=井筒)に土をつけて10勝2敗で優勝戦線に残った。

立ち合いで狙い通り左四つになったが、巻き替えられて左上手になった。

「あそこで黙っていたら中に入られるから、体を開いて振った」

巻き替えた鶴竜が体勢を整える前に、右に振り回して鶴竜を土俵に転がした。

「中途半端にならないように、それだけだった。しっかり体を起こして胸を合わせられた。そこが勝因」

兄弟子の稀勢の里が進退をかけた場所として注目されるが、12日目時点で10勝に到達するのは昨年の夏場所以来と好調。わずかに可能性が残る初優勝へ「しっかり自分のスタイルを貫く。悔いが残らないようにやるだけ」と、自分に言い聞かせるように語った。

支度部屋から引き揚げる高安(撮影・河田真司)

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かど番栃ノ心5敗…因縁の正代戦へ「大事な3日間」

白鵬に敗れた栃ノ心(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>◇12日目◇20日◇東京・両国国技館

大関栃ノ心(30=春日野)が横綱白鵬にすくい投げで敗れ、7勝5敗。かど番脱出を決められなかった。立ち合いから左でまわしを引いたが、前に出た瞬間を狙われ、土俵に落ちた。

「左でいいとこ、とれたんだけどな」と残念そうだ。

それでも、残り3日で1勝すれば勝ち越しが決まる。13日目は正代戦。因縁の相手だ。合口は5勝4敗1不戦敗とほぼ五分で、昨年初場所は5日目に負け、右膝を痛めて途中休場した。今年も春場所で負け、右肩を負傷。夏場所も負け、右手首を痛めた。「大事な3日間です」。死力を尽くし、白星を取りに行く。

白鵬(左)にすくい投げで敗れる栃ノ心(撮影・河田真司)
栃ノ心(手前)をすくい投げで下す白鵬(撮影・河野匠)

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珍技再び!安美錦とっくり投げで6勝、トークは不発

豪風(左)をとっくり投げで下す安美錦(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇11日目◇19日◇東京・両国国技館

西十両筆頭安美錦(伊勢ケ浜)が、西十両6枚目豪風(尾車)との39歳ベテラン対決を、自身今場所2度目のとっくり投げで制して6勝目を挙げた。

立ち合いで土俵際まで押し込まれたが、両手で頭を挟み込み、右に回り込みながら豪風を転がした。04年夏場所での初顔合わせから38度目の対戦で、初めての決まり手となり「何でやったことない技を使わないといけないのかな」と笑みを浮かべながらも頭をかしげた。

今場所8日目の平幕の琴勇輝戦では、史上初めて幕内の土俵でとっくり投げを決めて白星を挙げた。その際は「とっくりは投げるものじゃない。飲むもの。投げたらお母さんに怒られる」などど冗談を言って報道陣を笑わせた。今回も面白コメントを期待する報道陣から「2度目ですが」と問われると「たまたまです。…。何も思い浮かばないよ」と言いながらも、再び少し考えて「…何も出てこないよ」と苦笑いしてさじを投げた。

連敗を2で止めて白星を先行させた。「稽古場では楽しく取ってるから、稽古場のイメージで相撲を取りました」と考え方を変えて白星を手にした。

豪風(右)をとっくり投げで下す安美錦(撮影・河野匠)
豪風をとっくり投げで下す安美錦(撮影・河田真司)

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