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貴乃花Vに小泉首相が絶叫名言/夏場所プレイバック

2001年5月28日付の日刊スポーツ

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。千秋楽は大相撲史に残る、貴乃花の22回目の優勝です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇千秋楽◇2001年5月27日◇東京・両国国技館

横綱貴乃花が奇跡を起こした。前日14日目の大関武双山戦で初黒星を喫した際、右膝を亜脱臼。千秋楽に強行出場したが、結びで横綱武蔵丸にあっさり敗れ、13勝2敗で並んだ。優勝決定戦、貴乃花の気迫が武蔵丸を圧倒。執念の上手投げで22度目の優勝を飾った。

顔はゆがみ、口から血の塊が飛んだ。まゆをギュッと引き絞った鬼の形相で勝ち名乗りを受けた。まるで別人のように、貴乃花は土俵の上で感情をあらわにした。「何か今でもちょっとボーッとしてます。(優勝の)実感が分からないです」。22回も優勝を飾った大横綱が、支度部屋に戻っても冷静さを失っていた。

本割は、3度の仕切り直しの立ち合いで集中力を奪われ、わずか0秒9、武蔵丸の突き落としにバッタリ倒れた。「やはりダメか……」。絶望的ムードの東支度部屋に一門の花籠親方(元関脇太寿山)、若者頭が飛んでくる。優勝決定戦が可能か、確認のため。貴乃花は即答した。「大丈夫です」。

異様な静けさだった。柝(き)が入り、武蔵丸が西の花道に出た後も、貴乃花は支度部屋に5分近くとどまった。乱れた集中力を修正し、気の高まりを待った。本割で全く合わなかった立ち合いで、武蔵丸は見入られたように貴乃花の呼吸で立った。貴乃花がすかさず左上手を奪い、右を差す得意な形。武蔵丸が、右のかいなを返し上手を切りにきた瞬間を逃がさない。相手の力も利用した上手投げが、219キロの巨体を土俵にたたきつけた。

表彰式での優勝インタビュー。ケガの痛みを聞かれ「特にないですよ」と答えると、大きな拍手と歓声が沸いた。内閣総理大臣杯を手渡した小泉純一郎首相は、表彰状を読んだ後、突然「痛みに耐えて、よく頑張った! 感動した!」と絶叫で貴乃花をたたえた。大相撲史に残る感動の優勝だった。

01年5月27日、夏場所千秋楽・優勝決定戦 優勝決定戦で武蔵丸(左)を上手投げで破った貴乃花

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涙は隠れて…「横綱白鵬」誕生/夏場所プレイバック

優勝を決め部屋に戻った白鵬はタイを両手に満面の笑み(2007年5月26日)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。14日目は、4人目の外国出身力士横綱の誕生です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇14日目◇2007年5月26日◇東京・両国国技館

勝ち名乗りを受けた後の土俵下。こみ上げるものを必死にこらえるように、2階席に視線をさまよわせた。「ふーっ」と肩で息すること7回。今度は、乾いた唇をなめながら目を閉じた。

「弱いとこ見せちゃダメ。涙は隠れて出すものなんだ」

貫いてきた哲学そのままに、大関白鵬は心の中で涙を流した。

大関千代大海を寄り切りで破り、無傷の14連勝。2場所連続3度目の優勝を果たし、横綱昇進を確実にした。圧倒的な強さの要因を「もちろん、家族です」と即答。2月に紗代子夫人と結婚し、初日3日前には長女愛美羽(あみう)ちゃんが誕生した。綱取り場所のナーバスな時期。部屋での寝泊まりを勧める周囲に首を横に振った。

「奥さんがいたから、ここまでこれた。頑張って赤ちゃんを産んでくれたから僕が頑張る番なんです」

実は出産後、夫人は体調を崩した。それでも顔色ひとつ変えず土俵を務め続けた。

千秋楽に横綱朝青龍を破り、自身初の全勝優勝を果たした。そして場所後に、日本相撲協会が名古屋場所の番付編成会議と理事会を開き、白鵬の第69代横綱昇進を決定。外国出身力士の横綱は曙、武蔵丸、朝青龍以来4人目で、22歳2カ月での昇進は北の湖、大鵬に次ぐ史上3番目(昭和以降)の若さとなった。

以降、無類の強さを見せ続け、今年3月の春場所で44度目の優勝を果たすなど、横綱昇進から13年たった今も角界を引っ張り続けている。

千代大海を寄り切りで破り優勝を決めた白鵬(2007年5月26日)

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貴乃花が幕下最年少Vで旋風/夏場所プレイバック

89年5月21日、幕下で初優勝し賞状を手にする貴乃花(左から2番目)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。13日目は、記録達成でスター誕生の瞬間です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇13日目◇1989年5月19日◇東京・両国国技館

数々の史上最年少記録を塗り替えてきた、のちの「平成の大横綱」貴乃花が、最初の若年記録を打ち立てた記念日となった。

初めて番付にしこ名が載った88年夏場所の序ノ口から、わずか1年。所要6場所で初めて東48枚目の番付で幕下に上がった貴花田が、快進撃で白星を重ねる。全勝同士で優勝をかけた最後の7番相撲も、宮田(のち前頭龍興山=出羽海)を寄り倒し7戦全勝。柏戸(元横綱)が持つ17歳6カ月の記録を更新する、16歳9カ月での史上最年少幕下優勝を遂げた。右78キロ、左80キロで当時の横綱大乃国をも上回る握力で、前みつを引き猪突(ちょとつ)猛進の攻めで制した。

1面を飾った本紙の写真と見出しが、スピードスターぶりを絶妙に表現している。貴花田が両国から中野の部屋に戻る電車移動。途中、御茶ノ水駅で各駅止まりの総武線から中央線快速に乗り換え。その写真にかぶせて「御茶ノ水で乗り換え『関取快速』だね」の見出し。写真の絵解きも「自分の出世に合わせるように『特別快速』に乗り換えた」とある。

その予見が現実のものとなる。2場所後の同年秋場所。西幕下9枚目で再び7戦全勝優勝し新十両昇進が決定。今度は史上最年少関取の座をものにした。その後も新入幕、初金星、幕内優勝、年間最多勝、大関昇進、全勝優勝…と次々に最年少記録を更新。親の七光など通じない世界で兄若花田(のち横綱3代目若乃花)とともに、父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花、のち二子山親方)の背中を追った貴花田。空前の相撲フィーバーを呼んだ、快進撃の始まりがこの日だった。

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高安10勝 大関昇進ほぼ確実/夏場所プレイバック

17年5月25日、宝富士を破って勝ち名乗りを受ける高安

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。12日目は大関とりの懸かっていた高安を振り返ります。

〈大相撲夏場所プレイバック〉◇12日目◇17年5月25日◇東京・両国国技館

大関とりの関脇高安が、場所後の大関昇進をほぼ確実にした。宝富士を上手投げで退けて10勝目。昇進目安となる直近3場所での33勝目に届いた。

今場所初めてもろ手で立つと、突っ張る意識とは裏腹に「反射的にまわしを取りに行ってしまった」。肩越しの右上手。宝富士を呼び込む「危ない相撲」だった。だが、思い切りが良いのも今場所の高安。「1度行ったら、上手から振り切るしかない」。強引に振り回し、最後は力ずくで転がした。割れんばかりの拍手が身を包んだ。

明確な昇進の声はまだないが、内容への評価は高い。八角理事長(元横綱北勝海)は「安定した力はつけた印象。特に今場所は落ち着いている」とし、審判部の藤島副部長(元大関武双山)も「12日目で一応の目安ですからね。内容は力強い。何となく勝っているわけではなく、力がある勝ち方だ」と示唆した。

高安は13日目に横綱日馬富士を破って昇進を決定づけた。

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武双山、214日ぶり勝ち越し/夏場所プレイバック

95年5月21日、大相撲夏場所の殊勲賞と敢闘賞を受賞した武双山

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。11日目は、ケガから完全復活した大関候補(当時)です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇11日目◇95年5月17日◇東京・両国国技館

13勝を挙げた94年秋場所以来、214日ぶりに怪物武双山が勝ち越しを決めた。大関候補から一転、度重なるケガにより平幕に陥落して2場所目。大関若乃花の右からのおっつけを、右からおっつけ返して押し出しで破る会心の相撲で完全復活を証明した。「久しぶりですからね、勝ち越すのは。場所前はとにかく勝ち越せればと、それだけ考えていましたから」と笑顔を見せた。

関脇だった昨年秋場所は優勝次点で、大関とりが期待された同年九州場所前に左肩を亜脱臼した。以降、脱臼の再発を繰り返し、思うような力が出せず。年明けの初場所は途中休場、春場所は全休と歯がゆい思いが続いた。そして満を持して出場した今場所でようやく勝ち越し。取組後の支度部屋で、場所前の連合稽古で胸を借りた横綱曙から「おめでとう。よかったな。完全復活したな」と声をかけられ、頭を下げた。

13日目には横綱貴乃花から金星を獲得するなどして11勝を挙げた。さらに殊勲賞と敢闘賞を獲得。千秋楽を白星で飾れなかったが「勝ち越しが目標だったけど、やっぱりうれしいですね」と勝ち越しと三賞獲得、そして自身の復活の喜びをかみしめた。

この時の武双山は、まだ入門3年目。大関昇進は、この5年後のことだった。

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初黒星喫し“暴れた”朝青龍/夏場所プレイバック

5月23日付の日刊スポーツ

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。10日目は、何かと物議を醸した、あの強い横綱の“ご乱行”です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇10日目◇2007年5月22日◇東京・両国国技館

10日目を報じる翌5月23日付の日刊スポーツに「朝青 座布団蹴散らす」「礼せず土俵去る」「カメラマン怒鳴る」…の見出しが躍った。平幕の安美錦に敗れ初黒星を喫し、連勝も22で止まった朝青龍の“暴れっぷり”を詳報している。礼をせずに土俵を下り、花道では座布団を蹴り上げた横綱。寄り倒され、もつれながら土俵下に落ちた一番に支度部屋では「せめて物言いつけてくれ」とボヤき、至近距離から撮影しようとしたカメラマンに「近づき過ぎだ」と怒るなど、横綱としての品格が問われる振る舞いだった。

くしくも03年の夏場所10日目を報じる紙面にも「ガン飛ばし横綱」の見出しが躍った。前日9日目の旭鷲山との取組後、さがりを乱暴に扱い相手をにらみつけるなど、横綱らしからぬ行為。それでも北の湖理事長(当時)は処分せず、師匠の指導にゆだねた。話題に事欠かず、何かと手を焼かす優勝25回の横綱だった。

故郷モンゴルでのあのサッカー事件、そして暴行問題の責任をとっての引退表明。土俵上での強さと、子どもっぽい精神的な“危うさ”が表裏一体の横綱だった。前述の07年の際は支度部屋で「(安美錦は)軽い相手だし甘く見過ぎた。調子に乗った」「勝負は勝負だ。これが相撲ですよね」と、くだんの乱行はどこへやら、冷静に語っていた。断髪後の会見では「生まれ変わったら、大和魂を持った日本人として横綱になりたい」とも。精神的に未熟だった…と言ってしまえばそれまで。それも含めて朝青龍なのだろう。

07年5月22日、飛び交う座布団をにらむ朝青龍(左)と安美錦
07年5月22日、右すねを負傷し、治療する朝青龍

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貪欲なエストニアの怪人把瑠都/夏場所プレイバック

大相撲夏場所9日目 魁皇(左)を押し出した把瑠都(10年05月17日)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。9日目は「エストニアの怪人」の新大関場所です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇9日目◇10年5月17日◇東京・両国国技館

エストニア出身の新大関、把瑠都が勝ち越しを決めた。今場所初の大関戦で魁皇(現浅香山親方)を押し出しで破って8勝1敗とした。立ち合いで得意の右四つになれず、押し込まれる場面もあったが、すぐに右を入れて体勢を入れ替え、そのまま押し出した。過去4勝5敗と決して得意ではない相手を退け、取組直後にはホッとした表情。「プレッシャーはなかった。何でもいいから、かっこわるい相撲でもいいから勝ちたかった」と、笑顔で話した。

当時25歳の把瑠都は04年に19歳でエストニアから来日し、外国出身8人目、欧州出身では2人目の大関となった。198センチ、188キロの大柄な体で、100キロ近い握力に、背筋力は300キロ以上と規格外のパワーを誇った。

12年初場所で初優勝を飾ったが、ひざの負傷が響いて13年9月に引退した。その後はタレント活動などを経て、昨年母国で国会議員に。農家出身で、農産品の日本への輸出や農家の後継者問題など農業分野を中心に取り組んでいきたいと抱負を語り「日本とエストニアの懸け橋となって両国の交流に尽力したい」と強調した。

大相撲夏場所9日目 魁皇を押し出しで破り、勝ち越しを決めた把瑠都(2010年5月17日)

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横綱大乃国に見る験担ぎ効果/夏場所プレイバック

大乃国(89年撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。8日目は、験担ぎをした横綱の中日勝ち越しです。

<大相撲夏場所プレイバック>◇8日目◇89年5月14日◇東京・両国国技館

小さな「勝利の女神」に見守られた横綱大乃国が、ただ1人の全勝を守った。前頭筆頭の大寿山を下し、自身3度目の中日勝ち越し。西の支度部屋で「押し出しで勝つのはいい傾向だね。落ち着いて相撲が取れている証拠だ」と取り口を解説した。

1匹のハエが、初日から西の支度部屋の奥に紛れ込み、大乃国の周りを飛び回っていた。追い払わずに放っておいたら、板井、逆鉾、琴ケ梅といった苦手力士に連戦連勝。4日目には追い払おうとする報道陣に「守り神なんだから追い払っちゃいけないんだ」と言ってニヤリ。史上最重量210キロの横綱が、わずか1グラムにも満たないハエで験を担ぐのも妙な話だが、これも精神的に余裕があればこそ。この日もハエは、大乃国の明け荷の周りを元気いっぱい飛んでいた。

大関だった87年夏場所では、再十両の際に後援者からプレゼントされたトンボ模様の雪駄(せった)を15日間はき続けて全勝優勝するなど、験担ぎで結果を出した経験がある。今場所も、と臨んだが連勝は10でストップ。優勝こそ逃したが、12勝を挙げて横綱としての存在感は見せた。

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五城楼、史上2度目の珍事とは/夏場所プレイバック

取り直しの1番が取れないため琴春日の不戦勝が決まる(2005年5月14日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。7日目は“チン事”ではない、57年ぶりに起きた珍事です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇7日目◇2005年5月14日◇東京・両国国技館

それは十両の五城楼(現浜風親方)-琴春日戦で起きた。土俵際で相手を突き落とし軍配をもらった五城楼だが、物言いがつく。ただ、この一番で右膝を負傷した五城楼は人の肩を借りなければ土俵から下りられなかった。協議が行われている間、土俵上の審判団と五城楼が何やら意思確認。直後、五城楼は車いすで退場した。そして押尾川審判長(元大関大麒麟)の場内説明。「土俵に着くのが同時とみて同体取り直しと決定致しましたが五城楼が負傷しており、相撲が取れず琴春日の不戦勝と致します」。

取り直しの一番が一方の力士の負傷で不戦決着となるのは、48年秋場所6日目の力道山-前田山戦(力道山の不戦勝)以来、史上2度目の珍事。呼び出しが慌てて持ってきた「不戦勝」の旗が掲げられ琴春日が勝ち名乗りを受けた。もちろん五城楼の不戦意思と、琴春日の取り直し意思は確認された末の結末だ。ちなみに琴春日にも不戦意思があれば「痛み分け」になる。

五城楼の診断は右ひざ半月板損傷および同外側側副靱帯(じんたい)損傷の疑い。場所中も酸素カプセル(通称「ベッカムカプセル」)に入り体調管理には万全を期し、場所後の俳優松方弘樹とのマグロ釣りを楽しみにしていた。ここまで休場14回、うち途中休場5回と満身創痍(そうい)が続き「どこかに、靱帯とか筋肉は売ってないかな」と嘆いたことも。1場所2度の反則負け(03年九州場所)という史上初の不名誉記録も持ち「記憶に残る力士」ともいえそうだ。

車椅子で待機中の五城楼は、不戦敗の裁定と負傷の痛みでガックリ(2005年5月14日撮影)

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朝青龍、35連勝でストップ/夏場所プレイバック

04年5月14日 大相撲夏場所6日目 北勝力(右)は朝青龍を押し倒しで破り連勝を35で止める

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。6日目は連勝記録に挑んだ横綱です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇6日目◇04年5月14日◇東京・両国国技館

当時23歳の朝青龍が、173日ぶりに負けた。歴代4位タイ(当時)の36連勝を目指し、前頭筆頭北勝力(現谷川親方)と対戦。引いたところを一方的に押し倒され、04年初黒星を喫した。

「やられたよ。かっこよくできればよかったな」。立ち合いで北勝力に2度つっかけられた場面もあった。3度目の仕切りに入る前、右手で下がりを分けるまで約5秒、北勝力をにらみつけた。「手つきがねえ。合わせないといけないよな。まあ、こっちが悪いんだよ。自分のミスだよ。(北勝力は)いい押しだったな」。ぐっと堪えながら、自らの相撲を反省する言葉を並べた。

予兆もあった。「朝からかゆかった。何かあるかと思ったよ」と笑って「おとといから背中が痛い。体ぱんぱんだ」と背中をさすった。「もったいない星だね」。

朝青龍にとって、この35連勝が自身の最長連勝記録となった。朝青龍の引退後、白鵬が63連勝(史上2位)、43連勝(史上5位)、36連勝(史上6位タイ)と次々に連勝記録を打ち立てた。モンゴル勢の躍進は、現在も際立っている。

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栃ノ心、平幕初4連続大関撃破/夏場所プレイバック

大相撲夏場所5日目 魁皇(右)を寄り切る栃ノ心(2010年5月13日撮影)

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<大相撲夏場所プレイバック>◇5日目◇10年5月13日◇東京・両国国技館

ジョージア出身の怪力が、快挙を成し遂げた。西前頭2枚目の栃ノ心が、4連勝していた大関魁皇を止めた。2日目から日馬富士、琴欧洲、琴光喜を下し、08年九州場所の豊ノ島以来9人目となる平幕の4大関撃破。さらに平幕の4日連続大関撃破は、史上初の快挙となった。

得意の右四つに持ち込み、寄り切りで魁皇を破った。「あの体勢になったら、もう負けないですよ」。この日の朝稽古。最後に春日野親方(元関脇栃乃和歌)から呼ばれ、4日連続はたき込みで勝った魁皇への対策を伝授された。頭を下げ過ぎずに強く当たり、得意とする形に持ち込んだ。

初土俵は06年の3月。入門時に190センチ、129キロだった体格は、192センチ、157キロ、ももの太さは90センチ以上に成長した。09年6月にはジョージアからの要請で母国に戻り、約1カ月の軍事訓練を受けた。銃も撃った。だが「こっち(相撲の稽古)の方が大変」というほど、当時5人の関取衆がいる春日野部屋の厳しい環境で強くなった。

「これまで上位にいた時は1回も3役に上がっていない。負けてもいいから、いい相撲を取りたい」と意気込み、戦った残りの10日間。千秋楽に勝ち越しを決め、自身2度目の敢闘賞を受賞。そして翌名古屋場所で悲願の新小結に昇進した。

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「見えてる」83年ぶりチン事/夏場所プレイバック

2000年5月14日付日刊スポーツ

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<大相撲夏場所プレイバック>◇4日目◇2000年5月13日◇東京・両国国技館

三段目の取組でその“チン事”は起きた。千代白鵬とガップリ左四つに組んだ朝ノ霧が右の上手を離し自分のまわしを抑えた。まわしはズルズルほどけ、ついには「ご開帳」。土俵下の審判員たちが「まわしだ! まわし! 見えてる! 見えてる!」と必死に叫んだ。“あそこ”が本場所では83年ぶりの珍事。勝負規定第16条により千代白鵬の反則勝ちとなった。

「まわしと腹の間がゆるゆるになってヤバイ、ヤバイと思って……」。まわしが短かったことで珍事発生となった朝ノ霧は「出費は痛い」と言いながら、悪夢再現は御免とばかりに帰り際、7メートルのまわしを5600円で購入した。

衛星第2放送で生中継していたNHKも肝を冷やしたが幸い、局部は映らなかった。それでもこの珍事はロイター通信によって「スモウ・レスラーのアサノキリの『MANHOOD(男性自身)』が(中略)試合とともに品位も失った」と世界に打電された。

協会上層部も右往左往。「東方力士の前袋が落ちたので、西方力士の勝ちとします」と場内説明した鳴戸審判長(元横綱隆の里)は「完全に見えちゃったからな。現実をそのまま説明していいものかどうか考えたよ」と困惑すれば、時津風理事長(元大関豊山)も「いくら公開ばやりでも、あんなもんは公開するもんじゃない」と苦笑しきりだった。

まわしが外れて反則負けとなった朝ノ霧は珍妙なポーズで状況を説明する(2000年5月13日撮影)
所が見えるハプニングで反則負けとなった朝ノ霧(土俵右)。左は勝ち名乗りを受ける千代白鵬(2000年5月13日撮影)

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貴ノ浪「悲しくない」涙の引退/夏場所プレイバック

引退会見で涙を拭う貴ノ浪(2004年5月11日撮影)

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<大相撲夏場所プレイバック>◇3日目◇04年5月11日◇東京・両国国技館

貴ノ浪は目に涙を浮かべながら、何度か言葉を詰まらせた。「全然悲しくない。悲しくないんだけど、涙が出る」。場所前に不整脈が出て入院し、医者の制止を振り切って現役に執念を燃やしたが2連敗。前夜、師匠の貴乃花親方(元横綱)と話し合い引退を決断した。「体調面がすぐれなかった。自分らしい相撲が取れないのであれば、終止符を打つのが正しいと思った」。

元大関貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門し、87年春場所で初土俵を踏んだ。取り口は豪快。196センチの長身で懐が深く、もろ差しを許しても抱え込んで振り回した。94年初場所後、武蔵丸と大関に同時昇進した。96年初場所では、横綱貴乃花と同部屋同士の優勝決定戦を制して初優勝を果たした。綱取りには届かなかったが、大関在位37場所は史上7位。明るい人柄でもファンを引きつけ、記録にも記憶にも残る名大関だった。

名門二子山部屋から38年ぶりに関取が途絶え「それが一番残念。下が来るまで持ちこたえたかった」。引退後は音羽山親方として貴乃花部屋で指導し、将来の角界を支える人材として期待された。しかし15年6月に急性心不全のため43歳で急逝。早すぎる別れだった。

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小兵宇良、初々しい関取初白星/夏場所プレイバック

大相撲夏場所2日目、鏡桜(手前)を押し出し初白星を挙げた宇良(2016年5月9日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。2日目は、個性派力士の関取初勝利です。

   ◇   ◇   ◇

<大相撲夏場所プレイバック>◇2日目◇16年5月9日◇東京・両国国技館

満員のファンからアクロバティックな取組を期待された173センチ、127キロのの小兵。立ち合いで幕内経験者の西十両12枚目の鏡桜を突き上げると、技を警戒して足が止まった相手を、一気に押し出した。真新しいピンク色の締め込みを着けた新十両の宇良は「良かった。勝てて良かった」。土俵下では力水をつける位置が分からずに戸惑うなど、初々しく、関取のスタートを切った。

強豪校ではない関学大で、奇手・居反りの使い手として注目された。小柄な体で大きな相手の懐に潜り込むスタイルは、幼少時に習ったレスリングをほうふつさせ、アマチュア時代から観客の興味をひきつけてきた。低い体制の足取りなどで惑わせ、当時では史上4位となる所要7場所で新十両昇進。まだ大銀杏(おおいちょう)も結えないちょんまげ姿がスピード出世の証しだった。

64キロまで絞って体重別大会に出場していた関学大2年時から、4年で体重は倍増した。ボディービルダーを参考に胸、足、背中の筋肉を鍛え、卒業前にはベンチプレス160キロを記録。白飯にスクランブルエッグをかけ、食事代を抑えてタンパク質を補給するなど、たゆまぬ努力が関取初白星につながった。

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千代の富士が貴花田に五重丸/夏場所プレイバック

初日に千代の富士を破る貴花田(貴乃花)。18歳9カ月の史上最年少金星(1991年5月12日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

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<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。

貴花田(貴乃花)は千代の富士から金星をあげる(1991年5月12日撮影)

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