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ゼロワン新オーナーが大仁田の大金踏み倒し過去暴露

ゼロワン大谷晋二郎

プロレスリング・ゼロワンが11日に都内で会見を行い、7月1日付でダイコーホールディングスグループ(本社・東京)が親会社になったことを発表した。

会見に出席した同社の神長大会長は過去に大仁田厚に5000万円を貸して以来返してもらっていないことを暴露。「プロレスが嫌いになったが、ゼロワンの人たちが覆してくれた」と社会貢献活動に力を入れる大谷晋二郎ら選手の姿勢が、支援の決め手になったと説明した。

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渋谷のDDT路上プロレスで大仁田、世志琥が大暴れ

試合後、MC役のジャングルポケット斉藤慎二(右)に「お前は便所でやったことあるだろ?」と迫る大仁田厚(DDTプロレスリング提供)

<DDT:路上プロレスMoney in the bag~闘争中~>◇19日◇東京・シャトーアメーバスタジオ

“邪道”大仁田厚(62=フリー)や、動画共有サービス「Tiktok」で大ブレーク中の世志琥(よしこ、26=SEAdLINNNG)らが渋谷で行われたDDTの路上プロレスで大暴れした。

舞台は渋谷区内のテレビ&ビデオエンターテインメントABEMAの制作拠点であるシャトーアメーバスタジオ。DDTのチーム男色、チームDISASTERBOX、チームALL OUTの3軍がトリオを編成し、同スタジオのどこかに隠された賞金入りのバッグを探すルール。それを阻むハンター役として大仁田と世志琥も参戦した。

世志琥は、赤井沙希によく似た“スケバンサキ”、立花誠吾とタッグを組み、チーム男色を迎撃。窓越しに男色ディーノの尻を無理やり顔に押しつけられると怒りを爆発させ、必殺技のセントーンをスーパー・ササダンゴ・マシンにさく裂。ディーノ軍を失格に追いやった。

大仁田は、クリス・ブルックス、伊藤麻希最後のハンターとして登場。残ったチーム、チームALL OUT(竹下幸之介、勝俣瞬馬、飯野雄貴)を最終決戦場となった同区円山町のクラブ「HARLEM」で待ちかまえ、史上初となるクラブでの電流爆破デスマッチが開戦した。

大仁田は飯野を女子トイレに連れこみ、手洗い場で頭に水を浴びせ、ゴミ箱でたたくなど、やりたい放題。仲間の伊藤、クリスが竹下の電流爆破バット攻撃を受け孤軍奮闘状態になるが、勝俣を店外の路上に連れ出し、爆破バットでフルスイング。夜間の渋谷に、けたたましい爆音が鳴り響き、爆煙が立ち込めた。すかさず、大仁田は勝俣をカバーし、3カウントを奪取。最終決戦をハンター大仁田が制したため、賞金はどのチームにも与えられなかった。

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大日本「鉄檻」20年の歴史に幕 黄金の雨を再現

大日本プロレスの鉄檻ラストデスマッチ。アブドーラ・小林(右)は味方の宇藤ごと3人まとめて檻にぶちこんだ

<大日本:後楽園大会>◇30日◇東京・後楽園ホール

約20年の歴史を誇るデスマッチアイテム「鉄檻」が最後の役目を終えた。

ラスト鉄檻マッチは、木高イサミ、宮本裕向の「二丁拳銃」コンビ対「小林軍団」宇藤純久、アブドーラ・小林組のデスマッチタッグ戦。アブ小は、整然と蛍光灯が並べられた鉄檻の中に、味方の宇藤も含めた3人をまとめて檻にぶちこみ、蛍光灯をすべてクラッシュ。巨体をよろめかせながら、ぼろぼろの檻のてっぺんに上り、宮本に対しダイビングバカチンガーを狙ったが空振りに終わった。今度はイサミが檻の上にのぼり、蛍光灯の中に仕込んだ画びょうをばらまく。“黒天使”沼澤邪鬼が06年6月に考案した伝説の「黄金の雨」を再現。さらに宇藤を抱えながら檻から豪快にフランケンシュタイナーを決めた。最後はイサミが、解体した檻の上にブレーンバスターでたたきつけ、勇脚・斬with蛍光灯で3カウントを奪った。

8月に行われるデスマッチ王者イサミと、挑戦者宇藤の前哨戦でもあったが、この夜の主役は鉄檻だった。試合後は観客席から鉄檻コールが起きた。二丁拳銃の2人は檻をリングの中央に移動。10カウントで見送った。イサミは「(檻が)ぐらぐらで、上から飛べねえかと思った。でも最後まで鉄檻先輩は耐えてくれました」と檻をねぎらった。

鉄檻は大仁田厚が設立したインディー団体FMWが使用していたもので、同団体が解散する際に大日本に受け継がれた。以来20年超使い続け、いまではボロボロ。これまで何度も修理しながら使い続けてきたが、来年の団体設立25周年にあわせ、クラウドファンディングで資金を集め、新しく作り変えることとなった。

登坂社長はクラウドファンディングを実施する理由について、「鉄檻は私が作った、とみなさんに後々まで酒を飲むときに思い出話をしてほしいから」と語る。30日の段階で約80万円集まっており、残り58日で目標の100万円達成を目指す。試合での使用はこの日が最後だが、11月4日の両国国技館大会では鉄檻とのお別れ会を行う。また、12月18日の横浜文体大会で新鉄檻をお披露目する予定だ。

大日本プロレスの鉄檻ラストデスマッチ。木高イサミは鉄檻の上から、蛍光灯の中に仕込んだ画びょうをふりまき、黄金の雨を降らせた
大日本プロレス鉄檻ラストデスマッチ。木高イサミ(左)は鉄檻の上で宇藤純久にブレーンバスター

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長州力引退「家族のもとに」リング上で愛妻にキス

試合後、妻の英子さん(右)と抱擁を交わす長州(撮影・滝沢徹郎)

<プロレス:POWER HALL2019>◇26日◇東京・後楽園ホール

「革命戦士」こと長州力(67)が、45年のプロレスラー人生の幕を閉じた。

おなじみの「パワーホール」での入場に、白のリングシューズに黒のトランクス。長州はいつもと変わらぬ姿で淡々とプロレス人生を締めくくった。

後楽園ホールで行われた最終試合のチケットは、即日完売。試合は全国27カ所の映画館などでライブ中継された。67歳になっても衰えないぎらぎらしたオーラで、最後まで多くのファンを熱狂させた。

最後の試合となる6人タッグマッチで越中詩郎(60)、石井智宏(43)と組み、藤波辰爾(65)、武藤敬司(56)、真壁刀義(46)組と対戦。藤波相手にサソリ固めを決め、越中との連係で武藤を攻め立てた。さらに真壁にラリアットを見舞いダウンさせると、すかさずサソリ固めで攻めた。

しかし形勢は逆転。攻められる時間が長くなり、トップロープから真壁に繰り返しニードロップを浴びると、最後は抑え込まれてカウントスリー。会場が静まり返る中、あえなくフォール負けした。

晴れやかな表情でリングに立った。あらためて「チョーシュー、リーキー」と紹介とされると、会場からは「長州コール」が巻き起こった。マイクを手にした長州は「45年間、本当に長い間応援され、ここまでくることができました。私にとってプロレスとは、勝っても負けても、私はイーブンでした」とあいさつ。

そして妻の英子をリングに呼び寄せ、リングの上で抱擁。熱いキスを交わした。「もう引退して家族のもとに帰ります」と話した。

さらに会場に向けて「ハセ!」と呼びかけ、かつてともに戦った元プロレスラーで後輩の国会議員、馳浩氏をリングに呼び込んだ。がっちり握手し、馳氏から「長い間本当にありがとうございました」とねぎらいの言葉を受けた。

マイクを再び握った長州は「この会場の雰囲気をつくっているのはファンのみなさんです。引き続き、選手に向けて熱い声援をよろしくお願いします」と話し、マイクを置いた。笑みを浮かべ、満足げな表情で会場を見渡した。

1998年1月4日の東京ドーム大会で、1度は引退した。しかし2000年7月に大仁田厚との有刺鉄線電流爆破デスマッチで復帰。この日、最後の対角線には、21年前の引退試合にはいなかった生涯のライバル藤波がいた。

約37年前。藤波との戦いがプロレスラー長州力の名を高めた。1982年10月8日、新日本プロレスの後楽園大会。若きエース藤波に長州が突然かみついた。タッグマッチで味方だったにもかかわらず、長州はタッチを拒否。試合後、マイクを取って、怒りをぶちまけた。その暴言をきっかけに大乱闘を繰り広げた。後に「かませ犬」発言として世に広まったものだ。

当時、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得し帰国した藤波は28歳の若さながら、猪木に次ぐエースとして期待されていた。一方、2歳上の長州はアマレスで五輪に出場し、鳴り物入りで入団したにもかかわらず人気はいまひとつだった。そんな状況に反乱を起こした長州がファンを熱くさせた。2人の対決は「名勝負数え歌」として、熱狂を巻き起こした。長州-藤波はそれまでの定番だった「日本人対外国人」ではなく、日本人同士の対戦に価値をプロレス界に革命を起こした。

この日は、平成維新軍やWJプロレス時代をともにした越中、最後の弟子石井とタッグ。藤波側にはかつての付き人である真壁と、後輩武藤。18年に膝の人工関節手術を受けた武藤は、この日を復帰戦に選んだ。長州を中心に団体を超越した夢のカードが実現した。昭和、平成と話題をふりまき続けた長州は、最後までプロレス界を盛り上げた。【高場泉穂】

長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組 真壁(左)にリキラリアットを見舞う長州(撮影・滝沢徹郎)
長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組 攻める長州(撮影・滝沢徹郎)
長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組 試合後、妻の英子さん(右)とキスする長州(撮影・滝沢徹郎)

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「革命戦士」長州力45年のプロレスラー人生に幕

長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組 真壁(左)にリキラリアットを見舞う長州(撮影・滝沢徹郎)

<プロレス:POWER HALL2019>◇26日◇東京・後楽園ホール

「革命戦士」こと長州力(67)が、45年のプロレスラー人生の幕を閉じた。最後の試合となる6人タッグマッチで越中詩郎(60)、石井智宏(43)と組み、藤波辰爾(65)、武藤敬司(56)、真壁刀義(46)組と対戦。縁深い5人と戦い、リングに別れを告げた。

おなじみの「パワーホール」での入場に、白のリングシューズに黒のトランクス。長州はいつもと変わらぬ姿で淡々とプロレス人生を締めくくった。後楽園ホールで行われた最終試合のチケットは、即日完売。試合は全国27カ所の映画館などでライブ中継された。67歳になっても衰えないぎらぎらしたオーラで、最後まで多くのファンを熱狂させた。

1998年1月4日の東京ドーム大会で、1度は引退した。しかし2000年7月に大仁田厚との有刺鉄線電流爆破デスマッチで復帰。この日、最後の対角線には、21年前の引退試合にはいなかった生涯のライバル藤波がいた。

約37年前。藤波との戦いがプロレスラー長州力の名を高めた。1982年10月8日、新日本プロレスの後楽園大会。若きエース藤波に長州が突然かみついた。タッグマッチで味方だったにもかかわらず、長州はタッチを拒否。試合後、マイクを取って、怒りをぶちまけた。その暴言をきっかけに大乱闘を繰り広げた。後に「かませ犬」発言として世に広まったものだ。

当時、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得し帰国した藤波は28歳の若さながら、猪木に次ぐエースとして期待されていた。一方、2歳上の長州はアマレスで五輪に出場し、鳴り物入りで入団したにもかかわらず人気はいまひとつだった。そんな状況に反乱を起こした長州がファンを熱くさせた。2人の対決は「名勝負数え歌」として、熱狂を巻き起こした。長州-藤波はそれまでの定番だった「日本人対外国人」ではなく、日本人同士の対戦に価値をプロレス界に革命を起こした。

この日は、平成維新軍やWJプロレス時代をともにした越中、最後の弟子石井とタッグ。藤波側にはかつての付き人である真壁と、後輩武藤。18年に膝の人工関節手術を受けた武藤は、この日を復帰戦に選んだ。長州を中心に団体を超越した夢のカードが実現した。昭和、平成と話題をふりまき続けた長州は、最後までプロレス界を盛り上げた。【高場泉穂】

長州、越中、石井組対藤波、武藤、真壁組 攻める長州(撮影・滝沢徹郎)

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渕正信「家に来てくれて」デストロイヤーさん悼む

百田(右)にエルボードロップをぶち込む渕(2019年2月24日撮影)

全日本プロレスでデストロイヤーさんの教えを受けた渕正信(65)は「一番あこがれたレスラーでした。力道山時代から、ジャイアント馬場、豊登、アントニオ猪木と試合をやって、日本で最も有名な外国人レスラーでしたけど、若手に慕われていた」としみじみと話した。

デストロイヤーさんからは、練習方法や足腰の鍛え方、坂道ダッシュなど、プロレスの基本以外にもいろいろと教えを受けたという。

地方巡業では、7月11日のデストロイヤーさんの誕生日には、渕や大仁田厚が中心となりみんなでお金を出し合いケーキを買って、ホテルの一室でお祝いしたという。「一緒にハッピーバースデーを歌って、デストロイヤーさんもすごく喜んでくれた」という。

当時、渕の実家があった北九州にも遊びに来てくれたという。「2回ほど、ボクの家に来てくれて。近所の人がたくさん集まって大変だったんだよ」。

これまで、3回シングルで戦ったことがある。「全部ボクの負けだったけど、練習でやっている4の字と、試合でやる4の字は痛さが違っていた」と振り返った。

最後に会ったのは11年に東日本大震災後に行われた日本武道館大会。バトルロイヤル戦の立会人として参加し、息子のカート・ベイヤーとデストロイヤーさんと3人で、リング上で記念写真を撮ったという。「『渕、久しぶり』と声をかけてもらった。足腰が弱っていたが、元気そうだったのに。すごくいい人でした。ご冥福をお祈りします」と話していた。

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力道山と名勝負 ザ・デストロイヤーさん略歴

ザ・デストロイヤー(右) 左は力道山=1963年5月24日

力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説のプロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが亡くなったと7日(日本時間8日)、複数の米有力メディアが報じた。享年88歳。

◆ザ・デストロイヤー 1930年7月11日、米ニューヨーク州生まれ。大学時代はアメフト選手として活躍。24歳だった54年、当時は素顔でプロレスラーとしてデビュー。62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。白覆面の魔王の異名を持った。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日元WWA王者で63年に初来日。力道山と名勝負を繰り広げた。63年5月24日、東京体育館で行われた力道山戦の視聴率は64%を記録した。ジャイアント馬場に敗れたことで73年3月から全日本入り。キャリアは約40年、日米で8000試合以上におよんだ。この間US王座を通算20度防衛した。必殺技の足4の字固めは流行語にもなった。全日本時代はジャンボ鶴田、大仁田厚、渕正信らを指導。 また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、和田アキ子、徳光和夫との掛け合いも人気を集めた。93年に現役を引退。たびたび来日し、17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた。

ザ・デストロイヤーさん(1993年7月28日撮影)

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馬場さんの付け人務めた大仁田厚「愛してましたー」

第3試合 勝利の雄たけびを上げる大仁田(撮影・河田真司)

<ジャイアント馬場没20年追善興行>◇19日◇両国国技館

かつて馬場さんの付け人を務めた大仁田厚(61)がデスマッチで馬場さんへの愛を表現した。

黒い革ジャンを着て登場し、76歳のグレート小鹿をパイプイスで殴打し、佐藤を机にたたきつけるなど大暴れ。有刺鉄線ボードに投げられ流血し、巨人石川に持ち上げられピンチになったが、すかさず仕込んでいた赤い毒霧を噴射し応戦。最後は仲間の鈴木が勝利をおさめ、リング上で「社長を愛してましたー!」と叫んだ。

73年に全日本に入門。歴代5代目の馬場さんの付け人を3年半務めた。「ろくでもない付け人だったが、かわいがってもらった」とプロレスだけでなく生き方すべてを学んだ師匠に感謝の言葉を連ねた。けがを繰り返してきた両膝は限界で、今日20日人工関節を入れる手術を受ける。「これで悔いなく手術台にのれる」と、この1戦に力を出し尽くした。

第3試合 グレート小鹿(右)にパイプイスで攻める大仁田(撮影・河田真司)

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大仁田厚レフェリーデビュー まるで復帰戦の大暴れ

レフェリーデビュー戦に有刺鉄線バットを持ち込んだ大仁田厚(撮影・村上幸将)

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が3日、都内で開催した「大仁田反省会」のバトルロイヤルでレフェリーデビューした。

 有刺鉄線バットを持ち込み「反則したレスラーに制裁を加える」と言って雷神矢口を殴ると、HASEGAWAをパイルドライバーで長机にたたきつけ、毒霧噴射と現役さながらの大暴れ。6分50秒に3カウントを数えた。試合後「挑発されると、どうしても防衛本能が働く。申し訳なくて涙が出てくる。でも復帰はしない。レフェリーも今回で終わり…引退じゃないけど」と謝罪。そして「4月ごろに大きなことを爆発させます」と予告した。

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大仁田「毒霧は吐いちゃいかん」レフェリー今回限り

レフェリーデビュー戦後、レフェリーは1試合限りだと口にした大仁田厚(撮影・村上幸将)

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が3日、東京・新木場1st RINGで開催する「大仁田反省会」を開き、メインイベントのバトルロイヤルでレフェリーデビューしたが試合後、レフェリーは今回限りで辞める考えを明らかにした。

 大仁田はレフェリーながら、試合中にリング上で選手にパイルドライバーをかけ、毒霧を噴射し、現役さながらの大暴れをしてしまった。試合後、ニッカンスポーツコムなどの取材に応じ「新しい形の、こういうレフェリーがいてもいいじゃないかというお手本だ」と胸を張った。

 ただ、今後については「レフェリーは今回で終わりですね。レフェリーシャツも買ったけど、今回が最初で最後です…今のところは。引退ではないけど」と、微妙な言いまわしで、レフェリーは続けない考えを示唆。ただ、ニッカンスポーツコムの単独取材には「俺は(レフェリーの)センスがない」と言い、苦笑した。

 この日、現役さながらの大暴れをしてしまったことについては「申し訳なかったと思う。挑発されると、どうしても防衛本能が働く。毒霧を口に含まざるを得なかった。申し訳なくて涙が出てくるよ」と謝罪。「現役復帰はない」と重ねて強調した上で「毒霧は吐いちゃ、いかんよなぁ」と苦笑いした。【村上幸将】

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大仁田厚レフェリー初戦でまさかのパイルドライバー

レフェリーデビュー戦に有刺鉄線バットを持ち込んだ大仁田厚(撮影・村上幸将)

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が3日、東京・新木場1st RINGで「大仁田反省会」を開き、メインイベントのバトルロイヤルでレフェリーデビューした。

 ところが、リング上でパイルドライバーを放つなどレスラーさながらのファイトを見せ“主役”になってしまった。試合は6分50秒、超電戦士バトレンジャーが勝った。

 プロレスラー引退から1カ月…レフェリーとしてリングに帰ってきた大仁田が、やってしまった。有刺鉄線バットを手にリングインすると、バトルロイヤルに出場するパンディータ、ショッカー、寺尾利明、太仁田ブ厚、佐瀬昌宏、雷電、保坂秀樹、HASEGAWA、佐野直、超電戦士バトレンジャー、友龍、櫻井匠、ワイルドコモン、そして乱入した雷神矢口をにらみ付け、有刺鉄線バットを突きつけて「今までは反則は全部、認められたんだよ。今日からは認めないんだよ。(有刺鉄線は)俺のアイテムだ、バカ野郎」と言い、すごんだ。そして、反則行為に及んだ雷神矢口を有刺鉄線バットで殴った。

 大仁田は興奮がマックスに達したのか、選手たちがリング中央に長机を置き「お願いします」と懇願すると、HASEGAWAを机の上で担ぎ上げてパイルドライバーでたたきつけた。その後、レスラー3人を相次いでハリセンで引っぱたき、毒霧まで吐く大暴れ。3カウントを宣告すると、最後は「でっかいことをやります」と叫んだ。「気持ちはレスラー。出来ないことは腹が立ちます」と現役への未練をのぞかせつつも「60歳になって…もう1回、リングには上がらないよ」と現役復帰は重ねて否定した。

 大仁田はレフェリーデビュー前のリングで、引退試合の映像を見て、自ら解説するトークを雷神矢口と橋本友彦とともに行った。その中で一方で「反則は許さない。反則をしたレスラーがいたら、有刺鉄線バットで殴りますから」と、リング上で反則行為などがあった場合は、レスラーに鉄拳制裁ならぬ“有刺鉄線バット制裁”をすると断言していた。

 大仁田は、引退から一夜明けた11月1日に都内で開いた会見で、レフェリーデビューすると電撃発表。「人間、日々、反省だなと。裁く立場じゃなく、裁かれる立場だったけれど…レフェリーをやってみようかと。やったこと、ないんですよ。悪役レフェリーとしてデビューする」と即答。 ただ、全日本プロレス所属の1985年(昭60)1月3日に後楽園ホールで引退式を行った後、1988年(昭63)にコーチとして入団したジャパン女子のリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、同12月3日に対戦し、敗れた現役復帰の“前科”があった。そのことについて突っ込まれると「もうファイトはない。早すぎるだろ。ないよ」と現役復帰はない考えを強調していた。

 矢口と橋本とのトークでも、矢口から「皆さん、大仁田ロスでしょう? 復帰しないんですか? 俺が1番ロス」、橋本から「早く、復帰しないかなぁ…待ってます」と言われると、「しないって。バカ野郎!」と、改めて復帰を否定した。

 その上で「やらなきゃいけないことがあって…バカなんですけど。ためて、ためて爆発させることが大事。4月頃に爆発させると思います。大仁田、こんなことをやるんだと…」と18年の年明け以降に、何らかの大きな動きを起こすことを予告。「こんど、やることはブーイングをたくさん食らう。言えないけれど、やらないといけない」と言い、不敵に笑った。【村上幸将】

「大仁田反省会」のリングに入場する大仁田厚(撮影・村上幸将)
「大仁田反省会」で自らの引退試合の映像を見詰める大仁田厚(撮影・村上幸将)
「大仁田反省会」で自らの引退試合の映像を感慨深げに見詰める大仁田厚(撮影・村上幸将)
レフェリーデビュー戦でパイルドライバーを仕掛けた大仁田厚(撮影・村上幸将)

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ワイルド・セブン、がん手術成功も保険入らず火の車

「大仁田反省会」のリング上で、がんの手術に成功したと報告し、復帰を宣言したワイルド・セブン(撮影・村上幸将)

 10月22日に内臓にがんが発見されたと公表し、闘病していたプロレスラーのワイルド・セブンが3日、東京・新木場1st RINGで行われた「大仁田反省会」で、試合前のリングに立ち、手術が成功したと報告した。

 ワイルド・セブンは、「大仁田反省会」主催の大仁田厚(60)が引退した、10月31日の「大仁田厚ファイナル 後楽園ホール大会」第2試合で行われた「インディペンデントワールドバトルロイヤル100万円争奪マッチ」に、がんを押して強行出場していた。「10月にがんが判明しまして。医者に止められたんですが、10月31日はどうしても…と言い、出場しました」と当時を振り返った。

 その後、11月14日に入院し、同16日に手術を受けたという。「おかげさまで手術は無事に成功し、今は復帰に向けて…実はまだ入院中で、首には点滴が入っていまして、腹からはまだチューブが出ているという状態ですが、今日は大仁田さんをはじめ邪道軍の方が出るというので、また医者に無理を言って外出許可を取って来ました」と明かした。

 ワイルド・セブンは、大仁田がレフェリーデビューするバトルロイヤルを前に「大仁田さんがレフェリーをやる…本当は、私も一緒にやりたかったですが、手術は成功しました。必ずガンを克服して、大仁田さんより先にリングに復帰したい」と復帰を誓った。

 その上で、観客に「ぜひ皆さん、健康診断と、がん保険に入った方がいい。私、いわゆるがん家系ではないので、すっかり油断していて、まさか自分が、がんになると思っていなかった。がん保険に入っていなかったので、今や家計は火の車」と、健康診断とがん保険への加入を訴えた。【村上幸将】

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「邪道」大仁田厚が警察学校の1日校長…ファイア!

京都府警察学校の1日警察学校長に就任した大仁田厚(左)

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が1日、京都府警察学校の1日警察学校長に就任した。

 大仁田は、京都府警察学校長の石丸洋警視正から委嘱状を授与されると、まず学生と通常点検を行った。その後の開校記念行事では「夢をあきらめるな」と題した講演を行い、未来の警察官たちに熱いエールを送った。

 壇上にトレードマークの「邪道」革ジャンを飾ると、大仁田は「俺は7度目の引退をしました。引退と復帰を繰り返したことで、詐欺だ、ウソつきだと言われます。だけど、引退はその都度、本気でした。そして俺は、プロレスが大好きなんですね。好きなことをやりたい、その気持ちだけで60歳までやり抜きました」と熱っぽく語った。時に会場は笑いに包まれたが「何を言われようとやりたいことをやり抜く人生を生きて欲しい」と訴え、最後に「ファイア!」で締めくくり、会場の空気を1つにした。

 大仁田は1日警察学校長の務めを終え「警察学校は、もっと厳しく重たい雰囲気かと思ったが、若者たちが明るく楽しく、時に厳しく訓練にファイア励んでいる姿が新鮮だった。校長および先生方と学生みんなでファイアできたことが、これからも警察官になる夢を持つ若者たちの励みになってくれればいいな」と感想を語った。

 大仁田は3日に東京・新木場1st RINGで開催する「大仁田反省会」のメインイベントのバトルロイヤルでレフェリーとしてデビューする。バトルロイヤルにはパンディータ、ショッカー、寺尾利明、太仁田ブ厚、佐瀬昌宏、雷電、保坂秀樹、HASEGAWA、佐野直、超電戦士バトレンジャー、友龍、櫻井匠、ワイルドコモンの全13選手で争われる。

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大仁田、日馬富士はプロレスよりも「実業家がいい」

日馬富士引退について持論を展開する大仁田厚(撮影・村上幸将)

 プロレス人生7回目の引退をした大仁田厚(60)が29日、都内でニッカンスポーツコムの取材に応じ、平幕貴ノ岩(27=貴乃花)へ暴行を加え、負傷させた大相撲の横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)が引退したことについて持論を展開した。

 まず日馬富士の引退について「暴力は良くないことだと思う。愛のむちの度が、ちょっと過ぎたかな」と語った。一方で「俺らプロレスにも、かわいがりはあったわけじゃないですか。俺もボコボコにされたけれど、それはけいこ場の話。今回は(けいこ場でない場所での暴力で)世論がこれだけ暴力悪しと容認しない方向になり、協会側も責任問題にせざるを得なかったのでは? でも、引退は少し重いでしょう」とも語った。

 日馬富士の引退を受けて早速、総合格闘技RIZINが興味を示しているが「プロレスラーにとって最高の素材ではあるけれど…。モンゴルで支持を得ていると言うし、人当たりの良さもあるから、実業家を目指した方がいいのでは」と提言した。

 大仁田は、知人が日馬富士の後援者という縁で接点があり、2カ月前に都内で会食したという。その際、日馬富士は「九州場所で優勝したい」と意気込んでいたといい「意欲満々だった」(大仁田)という。日馬富士は会食の際、酒を飲んだが、1杯程度で「あいさつもきちんとするし、礼には礼を尽くすタイプ。飲んだけれど、乱れることも全くなかった」と振り返った。その上で、大仁田は「引退は、寂しいね…」と、しみじみと語った。【村上幸将】

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大仁田厚“最後の弟子”佐瀬昌宏に電流爆破を許可

“最後の弟子”佐瀬昌宏(右)に引退試合での電流爆破マッチを認め、有刺鉄線バットを渡す大仁田厚

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が、頸椎(けいつい)の故障で引退を決意した“最後の弟子”佐瀬昌宏(38=フリー)に、引退試合で自らの専売特許とも言える電流爆破マッチを行うことを許可した。

 佐瀬は12月19日に東京・新木場1stRINGで引退興行を開催。引退試合のカードとして、田中将斗(ZERO1)と組み葛西純(FREEDOMS)、NOSAWA論外(フリー)組と戦う、有刺鉄線ボード・ストリートファイト+αデスマッチと発表していたが、+αとして師匠・大仁田が1990年(平2)に開発した、電流爆破を加えたいとひそかに熱望していた。

 大仁田は21日、都内某所で佐瀬と対面。「最後は大仁田さんと対戦したかったんですが、先に引退されて、その夢もかないませんでした。だったら、最後はどうしても、大仁田さんの代名詞でもある電流爆破をやりたいんです。許可してください」と直訴された。

 佐瀬の熱い思いに胸打たれた大仁田は「本当は電流爆破は安易にやってほしくないんだよ。だけど、お前は俺の最後の弟子だし、プロレスと仕事の二足のわらじで一生懸命、頑張っていたのを知ってるよ。『最後は電流爆破で終わりたい』と言うなら、そんなお前に敬意を表して、俺の有刺鉄線バットを進呈する。それに爆弾を付けようが、お前の自由。ただし、ケガするんじゃないぞ。2本の足でリングを降りろよ」と承諾し、佐瀬に自身の有刺鉄線バットを託した。

 大仁田が許可したことにより、佐瀬の引退試合は、有刺鉄線ボード・ストリートファイト電流爆破バット・タッグデスマッチに決定。会場の都合で、ノーロープ有刺鉄線電流爆破(4面爆破)はできないため、会場外の駐車場に3本の電流爆破バットが用意される予定だ。佐瀬は「最後に電流爆破がやれて本望です。託された有刺鉄線を使って、勝って引退試合を終えたい」と意気込んだ。

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レフェリー大仁田デビュー戦12・3バトルロイヤル

現役引退から一夜明け、レフェリーデビューを発表し、すがすがしい笑みを浮かべる大仁田厚

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)がレフェリーとしてデビューする、12月3日に東京・新木場1st RINGで開催の「大仁田反省会」の対戦カードが16日、決まった。

 当日は3試合行われるが、大仁田はメインイベントのバトルロイヤルを裁く。バトルロイヤルには

 第1試合 史上初無刺鉄線電流爆破風6人タッグマッチ パンディータ、ショッカー、寺尾利明組対太仁田ブ厚、佐瀬昌宏、雷電組

 第2試合 保坂秀樹、HASEGAWA、佐野直組対超電戦士バトレンジャー、友龍、櫻井匠組に出場した全選手に、ワイルドコモンを加えた全13選手で争われる。

 大仁田は、引退から一夜明けた11月1日に都内で開いた会見で、レフェリーデビューを電撃発表した。席上で「人間、日々、反省だなと。裁く立場じゃなく、裁かれる立場だったけれど…レフェリーをやってみようかと。やったこと、ないんですよ」とレフェリー転身の意図を説明した。

 一方で、目指すレフェリー像について聞かれると「悪役レフェリーとしてデビューする」と即答。リング上でレスラーの反則行為などがあった場合は、鉄拳制裁ならぬ“有刺鉄線バット制裁”をする考えを明かし「反則は許さない。有刺鉄線バットを持ったレフェリーが1人くらい、いたっていいじゃないですか」と、レフェリーになっても有刺鉄線バットは手放さない意向を示した。

 ただ、大仁田には全日本プロレス所属だった1985年(昭60)1月3日に後楽園ホールで引退式を行った後、1988年(昭63)に女子プロレスのジャパン女子にコーチとして入団したリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、12月3日に現役復帰し、対戦したが敗れた“前科”がある。ただ「前科はあるが…もうファイトはない。早すぎるだろ。ないよ」と、現役復帰はない考えを強調していた。

 果たして「大仁田反省会」のリング上で、レフェリー大仁田は有刺鉄線バットを手にするのか、手にした場合、反則したレスラーへの直接攻撃はあるのか? しないと断言したファイトをやってしまい、そのことが「大仁田反省会」における反省のメインテーマになってしまいはしないか…開催まで、目が離せない。

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大仁田厚が世界へ!海外ドキュメンタリーに白羽の矢

バイス・グローバル・メディアの密着取材を受ける大仁田厚

 10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が、プロレスの本場米国のデスマッチを日本に根付かせ、より進化させたハードコアという形で米国に逆輸入し、礎を築いたレジェンドとして世界に紹介される。北米を中心に80カ国で放送を展開するバイス・グローバル・メディア(VICE)が、世界のプロレスを題材に制作するドキュメンタリーシリーズ「The wrestlers」のデスマッチ特集に、大仁田が出演。同番組が18年に北米でオンライン公開される方向で調整が進められていることが、15日までに分かった。

 大仁田は、全日本プロレス時代の1981年(昭56)に海外修業に出てプエルトリコ、米テネシーなどを転戦した。その中で目の当たりにした、有刺鉄線マッチをヒントに、1989年(平元)10月に自ら旗揚げしたFMWで「有刺鉄線電流爆破マッチ」を考案し、1990年8月4日に東京・汐留で、ターザン後藤を相手に初の試合を行った。

 そのFMWで戦った米国人レスラーのサブゥーが、FMWの戦いを収めたビデオを米国に持ち帰ったことをきっかけに、流血戦など過激なハードコア路線を前面に押し出す団体ECWが、1992年(平4)に米国で誕生。大仁田はFMWを通して、ハードコアの礎を築いたレジェンドとして、海外で高い評価を受けている。

 このほど、大仁田を取材するためにカナダから「The wrestlers」取材班が来日し、密着取材を敢行。14日に東京・後楽園ホールで行われた、世羅りさプロデュース興行第4弾「ラストデスマッチ in 後楽園ホール大会」に来場し、大仁田がデスマッチを観戦しながらデスマッチについて語るインタビューの収録が行われた。

 大仁田は、19歳の頃にFMWの試合を見て衝撃を受け大仁田とデスマッチに心酔したという、タレントで司会のダミアン・アブラハムから幾つか質問を受けた。その中で、デスマッチのルーツについて聞かれると、テネシーとプエルトリコで刺激を受けたハードコアの原点と、そこからFMWで繰り広げたハードコアの、数々のアイデアが沸いていったプロセスについて熱く語った。

 大仁田は「有刺鉄線電流爆破マッチ」とハードコアのルーツについて、ニッカンスポーツコムの取材に、次のように語った。

 大仁田 FMWを旗揚げした当初は、格闘技路線をやっていた。でも、俺は格闘家ではないし、道場も持っていないので限界を感じた。設立して8、9カ月くらいで、もう1つの考え方が浮かんだ…それがデスマッチ。俺は米テネシーで有刺鉄線マッチを見ていたから、こういうものを使えばいいんだと。アントニオ猪木さんと上田馬之助さんは、1978年(昭53)2月28日に日本武道館で、リング下にくぎ板を置いて日本初のネイル(くぎ)デスマッチをやった。でも有刺鉄線を利用して、もっと新しい、進化したものが出来ないかって考えた時、電流を流して爆弾をつけられないかと思った。最初に実験をしたのは東京・渋谷のNHKの駐車場。NHKの中に入っている、特殊効果の会社の人に「出来ますか?」って聞いたら「出来ます」って言う。それで実験した、その場で「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」と名前を付けたんです。

 VICEは、ウェブサイトやYoutubeを含む多メディア展開を行っており、世界中に約2億8800万人の視聴者を持っているという。大仁田のインタビューが収録された「The wrestlers」の公開が、全世界で展開される可能性もある。

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大仁田厚「盟友。感謝」ミスター・ポーゴさん追悼

WWSプロレス・ミスターポーゴ追悼興行で、ミスターポーゴさんの遺影を手に涙する大仁田厚

 10月31日にプロレスラーを引退し、レフェリーとしてデビューすると発表した大仁田厚(60)が12日、群馬県伊勢崎市で開催された、宿敵の故ミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫、享年66)を追悼するWWSの興行を訪れ、涙で感謝の言葉を口にした。

 大仁田はメインイベント前に、還暦の誕生日にも着た赤い革ジャンを着て来場すると、ポーゴさんの遺影を手に10カウントゴングを聞き、終わると涙ぐんだ。そしてリングを降りると、ステージ上に設けられた祭壇の前で目をつぶり、しばらくの間、手を合わせた。

 あいさつを終えた大仁田は「俺のプロレス人生の中で、この人がいなかったら今の俺はなかった。まさに盟友だった。本当に感謝しています」とポーゴさんに感謝した。そして「昨夜から、FMWの時のポーゴさんとの戦いや、最近のWWSに参戦した時のポーゴさんとの会話なんかが、何度も浮かんできてさ…。俺も還暦を迎えて引退したことの報告と、これまでのお礼と、そしてさよならを伝えました」と、祭壇に引退と別れを告げに来たと明かした。

 すかさず記者から「復帰はいつですか?」と問いかけられると、大仁田は「それはありません」と苦笑いを浮かべて会場を後にした。大仁田は12月3日に東京・新木場1st RINGで「大仁田反省会」を開催すると発表。その中で、大仁田厚プロデュース試合を開催し、レフェリーデビューを果たすことが決まっている。

 ポーゴさんは、6月22日に群馬県内の病院で腰の手術を受けた際、脳梗塞を発症し、別の病院に搬送されたが翌23日に亡くなった。伊勢崎市はポーゴさんの地元で、WWSは00年5月に自ら立ち上げた団体だった。この日の興行には、ゆかりのある選手が多数、出場し超満員の観衆が集まった。

WWSプロレス・ミスターポーゴ追悼興行で、祭壇に手を合わせる大仁田厚

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引退大仁田厚、第2の人生「目標は悪役レフェリー」

12月3日の「大仁田反省会」で、レフェリーデビューを発表した大仁田厚(撮影・村上幸将)

 大仁田厚(60)が引退から一夜明けた1日、都内で会見を開き、12月3日に都内で43年のプロレスラー人生を振り返る「大仁田反省会」を開催し、プロデュース試合でレフェリーデビューすると発表した。

 大仁田は「人を裁く立場ではなく裁かれる立場だったが(引退で)人間が変わった。目標は悪役レフェリー。反則したヤツは有刺鉄線バットで殴ろうかな」などと説明。88年にはコーチで入団したジャパン女子で、グラン浜田との因縁から最初の復帰をした“前科”があるが「それは、やっちゃいけない」と現役復帰は否定。また階段を下りるのも困難なほど状態が悪い両ひざを手術する可能性があること、引退試合で藤田和之のエルボーを受け、上下12本の歯が折れたことも明かした。

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大仁田厚「裁く立場じゃないが」レフェリーデビュー

12月3日の「大仁田反省会」で、衝撃のレフェリーデビューを発表した大仁田厚(撮影・村上幸将)

 大仁田厚(60)が、7回目の、そして最後の引退試合から一夜明けた1日、都内の闘道館で会見を開き、レフェリーとしてデビューすると仰天発表した。

 大仁田は12月3日に東京・新木場1st RINGで「大仁田反省会」を開催すると発表。その中で、大仁田厚プロデュース試合を開催し、レフェリーデビューを果たすと断言した。「人間、日々、反省だなと。裁く立場じゃなく、裁かれる立場だったけれど…レフェリーをやってみようかと。やったこと、ないんですよ」と笑みを浮かべた。

 大仁田は目指すレフェリー像について「悪役レフェリーとしてデビューする」と断言。リング上でレスラーの反則行為などがあった場合は、鉄拳制裁ならぬ“有刺鉄線バット制裁”をする考えを明かし「反則は許さない。有刺鉄線バットを持ったレフェリーが1人くらい、いたっていいじゃないですか」と笑い飛ばした。

 大仁田は、全日本プロレスで付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告され、1985年(昭60)1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。その後、1988年(昭63)に女子プロレスのジャパン女子にコーチとして入団。そのリングで、同じくコーチのグラン浜田との因縁が生まれ、12月3日に現役復帰し、対戦したが敗れた“前科”がある。そのことについて聞かれると「前科はあるが…もうファイトはない。ファイトは、早すぎるだろ。ないよ」と言い、現役復帰はない考えを重ねて強調。そして「昨日の後楽園ホールを出て、深夜0時に人間が変わったんですよ。反省し、今日から吹っ切って、また新しい人生を歩んでいこうと思います」と語った。

 また「アンドレ・ザ・ジャイアント」みたいのを連れてきて「新日本、戦えと言うかも知れないじゃないですか? 人生は分からないから面白い」と、フィクサーとしてプロレスに関わっていく可能性も示唆した。その上で「昨日の後楽園ホールを出て、深夜0時に人間が変わったんですよ。反省し、今日から吹っ切って、また新しい人生を歩んでいこうと思います。大仁田は正直です」と言い切った。

 大仁田は「反省会」のタイトルを、日本テレビ系「有吉反省会」(土曜午後11時半)から「パクりました!!」と素直に認めた上で、10月31日の「大仁田厚ファイナル後楽園ホール大会」に太田プロの関係者が来ていたと明かし「社長も昨日、来ていましたから。太田プロ、黙認です!!」とアピールした。

 「大仁田反省会」当日は、10月31日に東京・後楽園ホールで開催した「大仁田厚ファイナル後楽園ホール大会」を、自らの解説とともに映像で振り返るという。さらにファン参加型トークライブなどを予定しているという。【村上幸将】

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