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元蔵玉錦の安達敏正さん葬儀、井筒親方らが別れ

都内で行われた元前頭蔵玉錦の安達敏正さんの葬儀

大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の安達敏正(あだち・としまさ)さんの葬儀・告別式が13日、東京・葛飾区の千代田鎌倉ホールで営まれた。

時津風親方(元前頭時津海)、井筒親方(元関脇豊ノ島)や時津風部屋の若い衆、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)ら、前日12日の通夜を含めてのべ180人が参列。喪主の妻とき子さんが弔辞を読み上げ、別れを告げた。

安達さんは元横綱柏戸の鏡山親方の内弟子として伊勢ノ海部屋に入門し、70年秋場所初土俵。翌年、鏡山部屋の創設にともなって移籍した。最高位は前頭筆頭。83年初場所限りで現役を退き、引退後は親方として後進の指導にあたり、最後は武隈親方として時津風部屋に在籍した。

この日は館内の葬儀場とは別室に、現役時代の写真や化粧まわし、最高位の前頭筆頭だった81年初場所の番付表などが展示された。現役時代の映像も流され、同時期に活躍した大島親方も「懐かしいな。(対戦時は)のらりくらりとはいかなかったな」と懐かしんだ。

新型コロナウイルス感染予防の観点から関取衆は参列しなかったが、井筒親方は2日連続で参列した。井筒親方は02年初場所が初土俵で、安達さんは先代武隈親方として同年に鏡山部屋から転籍してきたため、20年近い付き合いだった。井筒親方は7月場所中にお見舞いに訪れていたことを明かし「そのときもしゃべりづらそうにしていた。『(時津風部屋の力士は)みんな頑張っています。正代もいいですよ。いい成績を残すので、みんなのことを見てやってください』と伝えました。そのときにぐっと手を握ってくれて。(千秋楽まで)持たないかもしれないと聞いていたが、今場所を見届けてくれた。そこは力士だなと感じましたね」と振り返った。

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大島親方が先代武隈親方悼む「よく飲みにも行った」

大島親方(17年6月11日撮影)

9日に67歳で死去した大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の先代武隈親方について、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)が11日、故人との思い出を振り返った。

65年秋場所に初土俵を踏んだ大島親方が5年早く入門したが、2人は同学年だった。弟弟子の元前頭王湖が先代武隈親方と同期生だった縁もあり、仲が深まったという。「ザオウ(蔵玉錦)が関取になったくらいからよく話すようになった。巡業に行けば山稽古もしょっちゅうやった。昔は山稽古が普通だったから。夜はよく飲みにも行ったね。黒姫山さん(先々代武隈親方)や俺が教習所で一緒だった佐渡ケ嶽部屋の琴ケ嶽とかも交えてよく行ったね」。

先代武隈親方は元横綱柏戸の鏡山部屋で育った。「良くも悪くも周りのことを気にせず自分の道をいく。先代の鏡山さん(柏戸)の教育だったと思う。豪快に飲むやつだったけど、周りに迷惑をかけなかったし、切りのいいところで切り上げていた」と人柄を懐かしんだ。

最後に会ったのは「去年の暮れか今年の年明け」で、先代武隈親方はつえをついて歩いていたという。「腰のヘルニアだかで悪かったのは聞いていたし、心配してた」と話した。

先代武隈親方の弟弟子だった鏡山親方(元関脇多賀竜)は「早く亡くなったことに驚いた。ご冥福をお祈りするしかない」と悼んだ。

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双羽黒、生活態度注意され…廃業/主な脱走力士

失踪事件を起こし廃業となった双羽黒(1987年12月31日撮影)

大相撲の式秀部屋の力士9人が4日、茨城県龍ケ崎市の部屋から集団脱走した。

おかみさんによる過度な指導に力士たちが不満を募らせ、東京都内に助けを求めて移動した。力士たちは日本相撲協会の通報窓口に連絡。協会側は5日にも双方の事情を聴き、問題の解決を探っていく。

<主な力士の脱走>

★琴天山 カナダ出身で85年に佐渡ケ嶽部屋に入門。同年の初土俵から三段目まで7戦全勝優勝で21連勝を達成。86年名古屋場所で幕下に昇進したが、相撲界になじめずに女性と失踪して、そのまま廃業した。その後、プロレスに転向してジョン・テンタ、アースクエイクのリングネームで日米のリングで活躍した。

★双羽黒 87年12月27日に立浪親方に生活態度を注意され、部屋を脱走。双羽黒は都内のマンションの一室に潜伏し、周囲が部屋に戻るように説得するも失敗。その間に立浪親方が協会へ双羽黒の廃業届を提出。この事態を受け、同31日に緊急理事会が開かれ、双羽黒の廃業届を受理することを決めた。

★旭天鵬 92年春場所で初土俵も厳しい稽古や日本の文化になじめず、同8月にモンゴル人力士4人と部屋から脱走。渋谷のモンゴル大使館に駆け込み、旭天鵬ら3人はそのまま帰国。その後、モンゴルを訪れた大島親方らの説得で同11月の九州場所で復帰した。

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希代の横綱白鵬と歩む今後、大銀杏結う新床山も興奮

相撲情報 43回目の優勝を飾った白鵬は支度部屋で笑顔を見せる(撮影・栗木一考)

<大相撲九州場所>◇14日目◇23日◇福岡国際センター

平成の大横綱が、令和の大相撲にも新たな1ページを刻んだ。横綱白鵬(34=宮城野)が史上最多を更新する43度目の優勝を飾った。

2差で追っていた平幕の正代が敗れ、小結朝乃山は3敗を守ったが、自身は関脇御嶽海を外掛けで下して13勝目として、勝利で決めた。新元号「令和」で、そして9月に日本国籍を取得後初めての優勝。34歳8カ月での優勝は、年6場所制となった58年以降では4位の年長記録となった。

   ◇   ◇   ◇

関取昇進時から白鵬の大銀杏(おおいちょう)を担当していた床蜂が8月に定年を迎え、秋場所から担当は床幸(とこゆき、51=友綱)に代わった。同じ伊勢ケ浜一門で、白鵬が大関だった08年の夏巡業に担当したことがあるが、横綱は初めて。8月の夏巡業で床蜂から任命された。「光栄です。床山みんなが目標にしていると思うので」。支度部屋での準備運動では張り詰めた雰囲気を醸し出す横綱は、普段の会話では「気さくな方」。会場を出る時間は2時間以上遅くなったが、それ以上の充実感があるという。

おじにあたる先々代大島親方の元大関旭国に誘われて、83年に入門した。床山生活で一番の思い出は、当時大銀杏を結っていた元関脇旭天鵬(現友綱親方)が、12年夏場所で史上最年長での優勝を果たしたとき。「あのときは感動した。これからも楽しみです」。史上最多の優勝回数を誇る希代の横綱と歩む今後に、胸を躍らせていた。

外掛けで御嶽海(下)を下す白鵬(撮影・小沢裕)

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元黒姫山の田中秀男さん出棺 師匠や孫らに見守られ

出棺で田中さんの棺を運ぶ大島親方(背中)、孫で三段目力士の田中山(右から2人目)

4月25日に肺炎のため70歳で死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの告別式が、令和最初の日となった5月1日、東京・両国の回向院で営まれた。

式には、田中さんの孫にあたる三段目力士の田中山(17)が所属する境川部屋の師匠・境川親方(元小結両国)や部屋付き親方、大関豪栄道ら関取衆が前日の通夜に続き参列。また、日本相撲協会理事の高島親方(元関脇高望山)、花籠親方(元関脇大寿山)井筒親方(元関脇逆鉾)の両副理事、常盤山親方(元関脇舛田山)、相撲解説者の北の富士勝昭さんら、故人にゆかりのある多数の関係者が参列した。

出棺前に、遺族を代表して田中さんの長男で元幕下力士の田中大介さん(44)が「父は曲がったことが大嫌いな人間でした。相撲同様、まっすぐな人で煙たがられることも多かったと思いますが(中略)本日はありがとうございました」とあいさつ。自分が興した武隈部屋消滅後、友綱部屋付きの親方として後進の指導にあたっていた際の、部屋の師匠だった大島親方(元関脇魁輝)や田中山らの手によって、田中さんが眠る棺は出棺された。戒名は「真行院武山秀道居士」。最後の年寄名跡(武隈)、しこ名(黒姫山)、本名の名前(秀男)から1字ずつが入れられた。

出棺で田中さんの棺を運ぶ大島親方(右から2人目)、孫で三段目力士の田中山(左から2人目)

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親方ら9人で組織 暴力根絶へコンプラ委員会設置 

報道陣の質問に答える八角理事長(撮影・鈴木正人)

日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、相撲界の暴力根絶へ、コンプライアンス委員会の19日付での施行を決めた。

協会の暴力禁止規定によると、暴力の定義は「身体に対し不当な有形力(物理的な攻撃)を加えることをいう」と記されている。一方で「稽古・取組における正当業務行為と認められるものは、暴力に当たらない」とも記述。稽古中、稽古以外を問わず、道具を用いての暴力、多数が共同しての暴力などを禁止行為として挙げている。

また、5つの一門でそれぞれ、コンプライアンス担当年寄を1人ずつ設けた。内部の通報窓口を増やすことで、相談しやすい環境をつくるという。

委員会の以下の9人で組織される。

委員長 青沼隆之(前名古屋高等検察庁検事長、弁護士)

委員 安倍嘉人(元東京高等裁判所長官、弁護士)

〃  神津カンナ(作家・エッセイスト)

部長 鏡山親方(元関脇多賀竜、危機管理部長)

〈一門の委員〉

出羽海一門 出来山親方(元関脇出羽の花)

二所ノ関一門 西岩親方(元関脇若の里)

時津風一門 勝ノ浦親方(元前頭起利錦)

高砂一門 東関親方(元前頭潮丸)

伊勢ケ浜一門 大島親方(元関脇魁輝)

協会から発表された力士の暴力に対する処分基準(撮影・鈴木正人)

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友綱親方、新調看板お披露目「めっちゃかっこいい」

新しい看板を披露する友綱親方(中央)、恵子夫人(左)、後援者で医療法人徳真会グループの松村博史理事長

 6月11日付で先代師匠(元関脇魁輝、現大島親方)と年寄名跡を交換し、12代目を継いだ友綱親方(43=元関脇旭天鵬)が25日、東京・墨田区業平の友綱部屋で、新調した看板をお披露目した。

 以前の看板は正面玄関の上部に横書きで掲げられていたが、お披露目された新しい看板は玄関左に縦書きのものになった。縦140センチ、横50センチで材質はケヤキ。自民党総務会長などを歴任した政治家の深谷隆司氏(82=TOKYO自民党政経塾塾長)が揮毫(きごう)した。

 縦書きにした理由について友綱親方は「相撲部屋の看板は縦書きのイメージが強かったからね。シンプルで、めっちゃかっこいい。すごく引き立つ。(新年を迎えるにあたり)新たなスタートにふさわしい」と喜んだ。

 感慨深げな同親方は、自ら優勝した経験から思い出したように「ここで(優勝力士を)迎えるようになりたいね」とキッパリ。また、部屋を継いで半年がたったこともあり「この半年で、流れができて落ち着いてきた。これからスカウト活動にも」と新弟子獲得など師匠として、本腰を入れるきっかけともなる看板書き換えとなった。

新しい看板を除幕する友綱親方(後列左から3人目)、前頭魁聖(同左端)ら関係者

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五輪までは現役で!白鵬部屋創設へ日本国籍取得考え

白鵬(中央)は玉鷲を寄り切りで下し、歴代通算1位タイとなる1047勝目を挙げた。右は浅香山親方(元大関魁皇)(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇12日目◇20日◇愛知県体育館

 大相撲の横綱白鵬(32=宮城野)が関脇玉鷲を寄り切り、通算勝利歴代1位となる魁皇の1047勝に並んだ。01年春場所の初土俵から、魁皇より42場所早く達成。唯一の1敗を守り、早ければ明日14日目に2場所連続39度目の優勝が決まる。モンゴル出身の大横綱は近い将来、日本国籍を取得する考えを持っていることが、関係者の話で分かった。日本国籍を取得できれば、引退後は親方として日本相撲協会に残る見通しが立つ。

 ついにこの瞬間が訪れた。土俵下には元大関魁皇の浅香山審判員が座っていた。白鵬は「見えたけど下向いてた」と振り返るほど落ち着いていた。ただ「落とせない気持ちだった」。激しい右のかち上げに、力いっぱい左右の張り手。前日の負けを拭い去るように寄り切った。「言葉に言い表せられない。去年1年間苦しいものがあった。それが大記録につながった。一味も二味も味がおいしい。すんなりきたら、ここまではなかった」。表情は穏やかだった。

 角界のトップを走り続け、すでに将来を見越しているようだ。白鵬は公の場で明言していないが、関係者によると近い将来、日本国籍を取得する意向だという。父ムンフバト氏は、モンゴル初の五輪メダリストで国民的英雄ということもあり、息子の国籍変更は同国では想像以上の大問題。モンゴル国籍のままでは親方になれず、大相撲への思い入れが強い白鵬は悩み続けてきた。

 取得すれば、年寄名跡を取得するために必要な条件で唯一、満たしていなかった「日本国籍を有する者」をクリアする。すでに史上1位となる38回の幕内優勝を果たしており、日本人になれば日本相撲協会から「一代年寄」を贈られる可能性は高い。著しい功績があった横綱だけに与えられるもので、引退後も現役時代のしこ名のまま「白鵬親方」として弟子を指導できる。

 すでに平幕石浦、十両山口、序二段炎鵬を内弟子として抱えている。「白鵬部屋」創設となれば、3人とともに現在の宮城野部屋から独立する。「銀座に部屋を持ちたい」と、語ったこともあった。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)も、白鵬の思いを察している。「横綱が今後目指すべき目標は?」と聞かれると「若手を育てたいという気持ちがあると思う」と話した。

 今日13日目の高安戦では、通算勝利数の新記録に挑む。今場所を制すれば、優勝40回に王手がかかる。「東京五輪までは現役でいたい」と常々口にする。まずは大横綱として、さらに相撲道を究めていく。【佐々木隆史】

 ◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡(俗称親方株)のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人1代限りにおいて年寄として待遇される。68年8月に大鵬、85年1月に北の湖、03年1月に貴乃花に贈られた。89年9月に千代の富士も理事会で提案されたが、本人が辞退した。年寄名跡の襲名資格には、「日本国籍を有する者など」の条件がある。

<主な外国出身力士の日本国籍取得>

 ◆一般的に、年寄名跡の取得を見越して、現役中に手続きを行う。

 ◆第1号関取 初の外国人関取になった、ハワイ出身の元関脇高見山は80年に取得。84年夏場所で引退後、年寄「東関」を襲名して86年に部屋を創設。横綱曙、小結高見盛らを育てて、09年6月に定年退職した。

 ◆養子 元関脇旭天鵬は05年6月にモンゴル人力士として初めて取得し、当時師匠だった大島親方(元大関旭国)の養子になった。15年名古屋場所で引退して「大島」を襲名。今年の夏場所後に「友綱」を継承して、モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になった。

 ◆欧州初 14年に元大関琴欧洲が、欧州出身力士として初めて取得。15年に年寄「鳴戸」を襲名した。部屋付きの親方として、佐渡ケ嶽部屋に所属していたが、独立して4月1日付で鳴戸部屋を新設した。

白鵬の通算勝利記録

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元関脇高見山が1号/日本国籍取得した外国出身力士

歴代最多勝に並び、懸賞金を掲げる白鵬(撮影・岡本肇)

<大相撲名古屋場所>◇12日目◇20日◇愛知県体育館

 大相撲の横綱白鵬(32=宮城野)が関脇玉鷲を寄り切り、通算勝利歴代1位となる魁皇の1047勝に並んだ。

 01年春場所の初土俵から、魁皇より42場所早く達成。唯一の1敗を守り、早ければ14日目に2場所連続39度目の優勝が決まる。モンゴル出身の大横綱は近い将来、日本国籍を取得する考えを持っていることが、関係者の話で分かった。日本国籍を取得できれば、引退後は親方として日本相撲協会に残る見通しが立つ。

 ◆主な外国出身力士の日本国籍取得 一般的に、年寄名跡の取得を見越して、現役中に手続きを行う。

 ▽第1号関取 初の外国人関取になった、ハワイ出身の元関脇高見山は80年に取得。84年夏場所で引退後、年寄「東関」を襲名して86年に部屋を創設。横綱曙、小結高見盛らを育てて、09年6月に定年退職した。

 ▽養子 元関脇旭天鵬は05年6月にモンゴル人力士として初めて取得し、当時師匠だった大島親方(元大関旭国)の養子になった。15年名古屋場所で引退して「大島」を襲名。今年の夏場所後に「友綱」を継承して、モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になった。

 ▽欧州初 14年に元大関琴欧洲が、欧州出身力士として初めて取得。15年に年寄「鳴戸」を襲名した。部屋付きの親方として、佐渡ケ嶽部屋に所属していたが、独立して4月1日付で鳴戸部屋を新設した。

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新友綱親方「違和感がある」代替わり初の稽古

稽古終了後、部屋の前で集合写真に納まる友綱親方(後列中央)と力士たち

 友綱部屋が13日、師匠が代替わりして初の稽古を東京・墨田区の部屋で行った。

 午前7時半から約2時間半、先代師匠の大島親方(元関脇魁輝)も見守る中、前頭魁聖らが稽古。新たな船出に勝手が違うのか、友綱親方(元関脇旭天鵬)は「いつも(上がり座敷の)端っこに座ってたから違和感があるね」と、何度も稽古場を歩きながら力士に声をかけた。一家で同居するのは8月からで「(師匠を)実感するのはそれから」。新弟子のしこ名に「鵬」の字を付けて、旭天鵬を名乗りたい力士には「こだわらない」と、寛容な姿勢も示した。

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新友綱親方が本格指導「力士の個性見極め教えたい」

 大相撲の友綱部屋を11日付で継承し、モンゴル出身初の師匠となった元関脇旭天鵬の友綱親方が13日、東京都墨田区の同部屋で本格的な指導を始めた。

 42歳の新米師匠は「力士の個性をうまく見極めて教えていきたい」と表情を引き締めた。

 師匠の定位置とも言える上がり座敷の中央に初めて座った。「景色が違った。全部を見渡せる」と責任者の立場をかみしめた。一方、稽古場に下りて力士に助言するのはこれまでと同じだった。

 1992年にモンゴル勢の先駆者として来日し、2012年夏場所では37歳8カ月の史上最年長初優勝の快挙を達成した。

 自身が入門した大島部屋は「旭」、移籍した友綱部屋は「魁」の字がしこ名に付くのが定番だった。これから入ってくる弟子には「鵬」を付ける可能性を挙げ、希望者がいれば「旭天鵬」の名を与える意向を持つ。

 明治から大正時代に活躍し、56連勝を記録した横綱太刀山を輩出した伝統の部屋。先代師匠(元関脇魁輝=現大島親方)の定年に伴って受け継ぎ、今後は部屋に引っ越してスカウト活動も本格化させる。

 「相撲がなければ今の人生はない。日本に来て感じたことや礼儀、人付き合いも教えていきたい」と力強かった。

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新生友綱部屋が稽古始め 2代目旭天鵬誕生にも寛容

稽古終了後、部屋の前で集合写真に収まる友綱親方(後列中央)と力士たち(撮影・渡辺佳彦)

 新しい師匠の元、新生友綱部屋が船出の稽古始めをした。11日付で先代師匠(65=元関脇魁輝、現大島親方)と年寄名跡を交換し、12代目を継いだ友綱親方(42=元関脇旭天鵬)率いる友綱部屋が13日、東京・墨田区内の部屋で稽古を行った。前日12日は稽古休みだったため、この日がスタートの一日となった。

 いつも通り朝7時半から稽古開始。上がり座敷の真ん中から稽古を見守るのは初めてとあって「いつも端っこに座ってたから違和感があるね。前の師匠(元大関旭国)も先代も真ん中にいたから、自分がそこにいるイメージがない。まあ徐々に慣れていけばね」と話すように、落ち着かない様子で何度も土俵周りを歩きながら、関取衆とコミュニケーションも取った。

 親方一家が引っ越すのは8月の予定で、それまでは通いながらの指導になる。「名古屋場所中にリフォームして(8月に)引っ越すから、本当の意味での師匠と思えるのは、それからだろうね。一緒に力士たちと住み始めて、初めて実感するだろう」と話した。師匠になったが、急に考え方が変わるわけもなく「かしこまっても仕方ない。今まで通りでいいかなと思う」と話す一方で「(来日して)26年で学んだことがある。相撲だけが人生じゃないんだから、部屋の若い子には人付き合いとかを教えたい」と自身のカラーを徐々に打ち出すつもりだ。

 また今後、新弟子のしこ名には「そこは、こだわってもいいと思う。どこの部屋か分かりやすいし」と話すように、自身の現役時代の一文字をとって「鵬」を付けたい意向も明かした。また「旭天鵬」についても「名乗りたい、という子が出たらこだわりはない」と、「2代目旭天鵬」の誕生にも寛容な姿勢を示した。

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大島、友綱親方が名跡交換「明るい部屋に」襲名披露

集まった関係者の前で並ぶ、友綱改め大島親方(右)と大島改め友綱親方

 大相撲の友綱改め大島親方(元関脇魁輝)の定年祝い及び、大島改め友綱親方(元関脇旭天鵬)の襲名披露式が11日、東京・墨田区のホテルで行われた。

 12日に65歳の定年を迎える先代友綱親方は「入門当初は今の自分を想像できなかった。現役時代は大きなケガもすることなく過ごせた。師匠としては、魁皇のおかげでいろいろな経験をすることができました。これは人生の宝です。そして大島親方が継ぐことになり本当に幸せです」とあいさつした。

 11日付で名跡を交換し、モンゴル出身力士として初の師匠となる新友綱親方は「15年に親方になっていろいろな経験をした。これからは友綱部屋の師匠として相撲で盛り上げて、明るい部屋にしたい」と抱負を語った。12日から新友綱親方の稽古指導が始まる。部屋の看板も、先代と自分の木札も変えないという。なじみの部屋で、新しい風を吹き込んでいく。

 八角理事長(元横綱北勝海)も出席し「部屋持ちの親方として大事なのは新弟子を入れること。肝に銘じて部屋の経営を頑張って下さい」とエールを送った。横綱白鵬、日馬富士、鶴竜、伊勢ケ浜一門の関取や後援会関係者ら約800人が出席して盛大に行われた。

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友綱親方が定年前最後の指導「意思しっかり伝える」

友綱親方として最後の稽古指導をする元関脇魁輝(右)

 大相撲の友綱親方(64=元関脇魁輝)が10日、東京・墨田区の部屋で、定年前最後の稽古指導を行った。

 約2時間の稽古で、最後まで手を緩めることなく、部屋の若い衆を指導した。89年5月に友綱部屋を継承して約30年。一番印象に残った弟子に、元大関魁皇(現浅香山親方)を挙げた。「継承した時に、まさか自分の部屋から優勝力士が出るとは思いもしなかった」と感慨深げだった。12日に65歳の定年を迎え、今日11日付で大島親方(元関脇旭天鵬)と年寄名跡を交換する。「今いる力士に自分の意思をしっかりと伝えること」と心得を説いた。

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大島親方が友綱部屋を継承、モンゴル出身初の師匠に

大島親方(2016年12月13日撮影)

 日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き、今月11日付で定年を迎える友綱親方(64=元関脇魁輝)と大島親方(42=元関脇旭天鵬)が年寄名跡を交換し、大島親方が友綱部屋を継承することを承認した。

 モンゴル出身初の力士、親方、そして師匠になる大島親方は「伝統ある部屋を継承するという実感はなかったが正式発表され緊張感がある」と語った。入門時は大島部屋で「2人の師匠を見てきた。いいと思えるとこを取り入れたい」と抱負。新弟子獲得にも「日本全国動き回る」と意欲を示した。

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大島親方が友綱部屋継承、モンゴル出身初の師匠

 日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き今月11日付で、同日に定年を迎える友綱親方(64=元関脇魁輝)が年寄大島を襲名し、大島親方(42=元関脇旭天鵬)が年寄友綱を襲名し、友綱部屋を継承することを承認した。

 モンゴル出身で初めて部屋持ち親方として師匠になる大島親方は「今日の理事会まで、伝統ある部屋を継承するという実感はなかったけど、正式発表されて緊張感がある」と語った。モンゴル出身初の力士として大島部屋(当時=元大関旭国)に入門し、途中で友綱部屋に移籍。引退後の年寄襲名もモンゴル出身で初めてで、約2年の部屋付きを経て部屋持ちとなる。「2つの部屋を経験し、2人の師匠を見てきた。いいと思えるところを採り入れて、稽古場にも気さくに来てもらえて、応援してもらえる力士を育てたい」と抱負を語った。新弟子獲得のスカウト活動も「先輩たちからアドバイスをもらいながら、日本全国を動き回ろうと思う」と話した。

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友綱親方が定年会見「荷が下りた気持ちです」

定年による引退会見に臨む友綱親方(撮影・小沢裕)

 夏場所後の6月12日に65歳の誕生日を迎えて定年となる元関脇魁輝の友綱親方(本名・西野政章、青森県天間林村=現七戸町出身)が25日、東京・両国国技館で会見した。「場所が始まってから複雑な感じでした。寂しいというのもありますが、今までの責任が解かれることには、荷が下りた気持ちです」と心情を吐露した。

 体重が新弟子検査の基準に達するまで待ち、13歳だった65年秋場所で初土俵を踏んだ。「周りの人は年上ばかりで、この先は無理だろうという感じだった。関取になりたいという気持ちはなく、高望みは捨てました」という。それでも、地道に上り詰め、幕内在位は66場所。敢闘賞1個と、北の湖、2代目若乃花、隆の里の3横綱から3個の金星を獲得した。

 87年春場所限りで引退すると、89年5月に友綱部屋を継承。自らの手でスカウトした大関魁皇らを育てた。その魁皇が5度の幕内優勝、そして大島部屋との合併で移籍してきた旭天鵬も移籍直後に優勝。「場面、場面で出会いがあった」と良い出会いに感謝した。

 初土俵から52年。半世紀を超える角界人生だった。今後は大島親方(元関脇旭天鵬)に部屋を譲り、自らも再雇用の制度を利用して相撲協会に残る予定。力士らに伝えたいこととしては「1番は我慢。我慢してコツコツと、目の前のことを1歩ずつ歩んでいく姿勢が大事」と話した。

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白鵬、日馬富士、鶴竜ら出席!都内でモンゴル春祭り

表彰選手と記念写真に収まる左から鶴竜、白鵬と1人おいて日馬富士

 毎年ゴールデンウイーク中に開催されるモンゴルの春祭り「ハワリンバヤル2017」が4日、前日に続き東京・練馬区の都立光が丘公園で開催された。

 この催しに、今年も角界からモンゴル出身の白鵬(宮城野)日馬富士(伊勢ケ浜)鶴竜(井筒)の横綱陣をはじめ、大関照ノ富士(伊勢ケ浜)、前頭の貴ノ岩(貴乃花)や逸ノ城(湊)、大島親方(元関脇旭天鵬)らが出席し花を添えた。

 モンゴル相撲が開催された広場では、白鵬がマイクを手に解説し、日馬富士が飛び入りで行司役を務めるなど、選手や来場したファンらと笑顔で交流した。

 ステージでは、力士を代表して白鵬があいさつ。母国の有名歌手も出演し楽曲を披露した。モンゴル民族の音楽や踊り、文化の紹介やモンゴル料理も楽しめるイベントに、モンゴル出身力士たちも、つかの間、母国の郷愁に浸っていた。

モンゴル相撲を場内のファンに笑顔で解説する白鵬

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元関脇朝赤龍が日本国籍取得 年寄名跡取得が可能に

元関脇の朝赤龍(2013年1月17日撮影)

 大相撲の元関脇で幕下の朝赤龍(35=本名バダルチ・ダシニャム、モンゴル出身、高砂部屋)が日本国籍を取得したことが21日付の官報で告示された。

 引退後は親方として後進を指導する意向があり、日本相撲協会に残ることができる年寄名跡取得が可能となった。モンゴル出身では大島親方(元関脇旭天鵬)が日本国籍を取得し指導に当たっている。

 朝赤龍は高知・明徳義塾高に相撲留学し、2000年初場所で初土俵を踏んだ。02年名古屋場所の新十両から関取の座を保っていたが、ことし初場所で幕下に転落した。

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元旭天鵬の大島親方、名門友綱の師匠に「やりがい」

15年11月、宮城野部屋での稽古で白鵬(左)と談笑する大島親方(元旭天鵬)

 元関脇旭天鵬の大島親方(42)が5月の夏場所後に友綱部屋を継承することが3日、分かった。現在は友綱部屋の部屋付きだが、友綱親方(元関脇魁輝)の65歳の定年(6月12日)に伴い名跡を交換して、江戸時代から続く年寄「友綱」を継承する。初のモンゴル出身力士として92年春場所で初土俵を踏み、40歳まで関取を続けたレジェンドが、モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になる。

 江戸時代に始まった名門部屋の後継者が元関脇旭天鵬の大島親方に決まった。友綱親方が6月12日に定年を迎えることから、大島親方が夏場所後に年寄「大島」から「友綱」に変更し、友綱部屋を継承することになった。外国出身力士では、今月中に承認される予定の元大関琴欧洲の鳴戸親方に次いで4人目、モンゴル出身力士では初めての師匠になる。

 大島親方は「部屋を持つという夢があった。『友綱』は名門で名のある部屋。責任感があるが、やりがいの方が大きい。若貴時代のように、稽古場に人がいっぱい見に来てくれるような部屋にしたい。そして本場所でも応援してもらえる力士を育てたい」と話した。

 友綱部屋の歴史をひもとけば、江戸時代の1781年(天明元)に名関脇と呼ばれた初代が興した名門。明治から大正にかけては第22代横綱太刀山を擁し、魁皇ら3大関も輩出した。現親方が11代目にあたる。

 その歴史を、40歳まで関取を続け、史上1位の幕内出場1470回を誇る大島親方が受け継ぐ。92年春場所で元小結旭鷲山らとともにモンゴル出身初の力士として初土俵を踏んでから25年。05年6月に日本国籍を取得してから12年。「日本に25年もいて、気持ちも体も日本人。自分は日本人だと思っている。モンゴルから最初の力士になり、親方になったのも最初。これからの人たちに道をつくれるように頑張りたい」。

 角界に「初づくし」の歴史を築いてきたレジェンドが、新たな歴史をつくる。

 ◆大島勝(おおしま・まさる)本名・太田勝(旧名=ニャムジャブ・ツェベクニャム)。1974年9月13日、モンゴル・ナライハ市生まれ。92年春場所で大島部屋で初土俵。96年春に新十両、98年初に新入幕。05年6月に日本国籍取得。12年4月に大島親方の定年で友綱部屋に転属。直後の12年夏に昭和以降最年長の37歳8カ月で優勝。最高位は関脇(3場所)。15年名古屋限りで引退し年寄「大島」襲名。通算927勝944敗22休。家族は夫人と1男2女。

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