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大島親方が先代武隈親方悼む「よく飲みにも行った」

大島親方(17年6月11日撮影)

9日に67歳で死去した大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の先代武隈親方について、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)が11日、故人との思い出を振り返った。

65年秋場所に初土俵を踏んだ大島親方が5年早く入門したが、2人は同学年だった。弟弟子の元前頭王湖が先代武隈親方と同期生だった縁もあり、仲が深まったという。「ザオウ(蔵玉錦)が関取になったくらいからよく話すようになった。巡業に行けば山稽古もしょっちゅうやった。昔は山稽古が普通だったから。夜はよく飲みにも行ったね。黒姫山さん(先々代武隈親方)や俺が教習所で一緒だった佐渡ケ嶽部屋の琴ケ嶽とかも交えてよく行ったね」。

先代武隈親方は元横綱柏戸の鏡山部屋で育った。「良くも悪くも周りのことを気にせず自分の道をいく。先代の鏡山さん(柏戸)の教育だったと思う。豪快に飲むやつだったけど、周りに迷惑をかけなかったし、切りのいいところで切り上げていた」と人柄を懐かしんだ。

最後に会ったのは「去年の暮れか今年の年明け」で、先代武隈親方はつえをついて歩いていたという。「腰のヘルニアだかで悪かったのは聞いていたし、心配してた」と話した。

先代武隈親方の弟弟子だった鏡山親方(元関脇多賀竜)は「早く亡くなったことに驚いた。ご冥福をお祈りするしかない」と悼んだ。

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照ノ富士が秋場所に向け始動「やれることやるだけ」

1つ10キロのダンベルを扱い汗を流す照ノ富士

大相撲7月場所で5年ぶり2度目の優勝を果たした大関経験者の前頭照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が10日、秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)に向けて本格的に始動した。

7月場所の千秋楽後、初めて都内の部屋でまわしを締めて稽古を行った。四股やすり足などの基礎運動に加えて、1つ10キロのダンベルを使って体を動かした。大相撲史に残る復活劇を成し遂げて1週間。「いろいろな方々に祝福していただき、改めて(優勝を)実感しています。番付が落ちているときも変わらず応援してくれた方たちからのお祝いの連絡がうれしかったです」と感謝した。

6日には母校の鳥取城北高を表敬訪問し、石浦外喜義校長らに優勝を報告した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で高校相撲でも大会が軒並み中止となったが、その中で後輩たちを勇気づける活躍を見せた。「後輩たちに、インターハイなど大会の機会がなくなってしまったけど、腐らずに毎日の努力がすごく大事だと思うので『頑張ってほしい』と伝えました。いま伊勢ケ浜部屋に鳥取城北から(入門した力士)は自分だけなので、励みにもなるし、教えてもいけるので『今の状況が落ち着いたらぜひ部屋に来てください』と伝えました」とエールを送った。

すでに約1カ月後に迫っている秋場所は、上位総当たりとなる見通しだ。序二段からはい上がった28歳は「特別誰というのはありません。当たる相手は誰でも関係なくやれることをやるだけなので」と淡々としていた。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(2020年8月1日)

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元幕内の蔵玉錦さん死去、67歳 昨年9月に退職

元前頭・蔵玉錦の錦島親方(2010年9月18日撮影)

大相撲の元幕内蔵玉錦(ざおうにしき)の安達敏正(あだち・としまさ)さんが9日午前5時56分、多発性骨髄腫のため千葉県市川市の病院で死去した。67歳だった。

安達さんは元横綱柏戸の鏡山親方の内弟子として伊勢ノ海部屋に入門し、70年秋場所初土俵。翌年、鏡山部屋の創設にともなって移籍した。76年九州場所で新入幕、最高位は西前頭筆頭。83年初場所限りで引退した。幕内在位24場所、金星は北の湖から1個。

引退後は親方として後進の指導にあたり、最後は武隈親方として時津風部屋に在籍。17年9月の日本相撲協会定年後は再雇用制度で協会に残り、昨年9月に退職した。

時津風親方(元幕内時津海)は「1カ月くらい前に入院したと聞いていた。腰の神経をやられて、歩くのもきつかったそうです。自分が不在の時に部屋付き親方としていろいろ助けてもらった」と話した。

葬儀・告別式は13日午前11時から東京都葛飾区鎌倉3の39の20、千代田鎌倉ホールで。喪主は妻とき子(ときこ)さん。

76年秋場所の各段優勝者。左端が十両安達(のち蔵玉錦)(1976年9月26日撮影)

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まずくて食えぬ古米…おかみさん強要が力士脱走一因

式秀部屋の看板

大相撲の式秀部屋の力士たちが、古米を食べさせられていたことが8日、分かった。今年に入ってから式秀親方(元幕内北桜)が体調不良となり、“師匠代行”となったおかみさんが、新米を私的に流用し、部屋のちゃんこには古米を中心に使用。おかみさんの厳しすぎる生活指導に耐えられなくなった力士9人が4日に集団脱走するなど、部屋の異変が徐々に明らかになってきた。心配になった親方3人が、1月に式秀部屋を訪問していたことも分かった。

  ◇    ◇    ◇

式秀親方が体調を悪化させたのは、今年に入ってから。稽古を見られない日が増え、力士たちの前でおかみさんを「師匠代行」と任命してから、部屋の空気が変わり始めた。

9人の力士が部屋を逃げだした理由は、おかみさんの厳しすぎる指導にある。新型コロナウイルス感染予防に敏感になり、グループラインには連日、長文の指示が書き込まれた。感染予防のため4月以降、部屋の中でも靴下をはく決まりができた。素足で靴をはくことで有名な、俳優の石田純一が感染した直後だったという。力士は一般的に靴下をはかないため、実家から送ってもらった者もいた。

感染リスクを避けるため、稽古場やシャワーの使用は予約制になった。7月場所中でも、1人ずつしか稽古場に下りてはいけないことがあったという。

おかみさんに悪気はなかったとみられ、あくまで指導のいきすぎが、力士らへの心的負担になってしまった。しかし、部屋の中での権力が強くなり、米の扱い方にも力士から不満が生じるまでになった。

後援者らから差し入れられた新米は、おかみさんの実家や知り合いなどに送られ、力士は数年前の古い米が中心。3、4年前の古米だったこともあり、「まずくて食べられない」と漏らす力士もいた。親方は体調不良のほか、ちゃんこの買い出しや調理はおかみさんに任せていたため、状況を把握しきれていなかったとみられる。

1月ごろには親方衆の間で、心配の声が上がった。式秀親方の携帯電話がつながらなくなり、おかみさんから折り返しがきた。異変を感じた3人の親しい親方がそろって、1月末に茨城県龍ケ崎市の部屋を訪問。そのうちの1人の親方は「元気がないといううわさが流れた。行ってみたら、本人は血圧の関係だと言い『頑張ります』と言っていた」と証言した。

部屋の力士らは前日に引き続き、8日も日本相撲協会コンプライアンス委員会の聞き取り調査に応じた。現在、式秀親方は体調が回復して再起を期し、脱走した力士は5日に戻っているが、調査は継続の見通し。力士らは、相撲に専念できる環境を望んでいる。

◆相撲部屋と米 力士は、「食べることも仕事」と言われるほどで、大量の米を消費する。人数の多い部屋は、1日で10升(100合)も炊く。後援者からの差し入れも多く、相撲部屋には常に米袋が山積みになっている。米専用の冷蔵庫を設置している部屋もある。米は野菜と同じ生鮮食品のため、賞味期限は記載されていない。保存方法により食べられる期間は変わってくるが、一般的においしく食べられる保存期間は、精米から1~2カ月程度とされている。

◆式秀部屋のおかみさんによる厳しい指導 部屋のグループライン(現在は廃止)で連日の長文指示、返信が遅い力士に厳重注意。大部屋のコンセント使用は許可制にした。通販や仕送りで部屋に荷物が届いた際は、中身を撮影してグループラインへの投稿を義務づけ。大部屋の個人ロッカーは抜き打ちでチェック。反抗的な態度を取った時は「クビにするぞ」などと言ったり、反省文を書かせることもあった。

17年1月、式秀部屋の稽古場

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照ノ富士が母校の鳥取城北高に凱旋「懐かしく思う」

大相撲7月場所で2015年夏場所以来、30場所ぶり2度目の優勝を飾った元大関で平幕の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が6日、母校の鳥取城北高(鳥取市)を表敬訪問し、石浦外喜義校長(59)らに優勝を報告した。喜びを共有し「鳥取は日本の故郷。懐かしく思う」とかみしめた。

モンゴルから鳥取城北高に10年に相撲留学し、インターハイでの団体優勝に導くなど活躍。角界入り後は大関に上り詰めたが、両膝の負傷や内臓疾患で序二段まで転落。それでも諦めず土俵に上がり続け、再入幕した7月場所での優勝劇に母校は喜びに沸いた。

復活に「支えてくれた人たちのおかげ。いいときも悪いときもついてきてくれた人たちがいたから、恩返しをしたいと思った」と感謝の言葉を述べた。報道陣から大関復帰について聞かれると「あまり期待しないでほしい」と笑いを誘った。(共同)

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式秀親方とおかみさんに注意 脱走力士は部屋に戻る

国技館に向かう式秀部屋の力士

茨城県龍ケ崎市の部屋から集団脱走した大相撲の式秀部屋の力士9人と師匠の式秀親方(元前頭北桜)、おかみさんが5日、東京・両国国技館で、日本相撲協会のコンプライアンス委員会から聞き取り調査を受けた。

力士らはおかみさんの生活指導に不満を募らせ、4日に集団脱走して協会の通報窓口に連絡。鏡山コンプライアンス部長(元関脇多賀竜)は、式秀親方とおかみさんの指導を注意し、力士らは部屋に戻った。関係者によると、部屋には不満を募らせる力士が他にもおり、同委員会は引き続き聞き取り調査を実施するという。

   ◇   ◇   ◇

集団脱走した9人の力士は、この日正午ごろに両国国技館を訪れた。外出する際の服装は浴衣が決まりだが、Tシャツに短パン姿で館内へ。力士らは4日夕方、部屋を飛び出して千葉県内のカラオケボックスに逃げ込み、協会の通報窓口に連絡。浴衣に着替える余裕がないほど、緊急を要するものだったとみられる。

関係者によると、力士らはコンプライアンス委員からの聞き取り調査を受けた。その後、師匠の式秀親方とおかみさんが聞き取り調査に応じた。力士らの思いは伝わり、鏡山コンプライアンス部長は式秀親方とおかみさんに対して過度な指導を注意。脱走した力士は5日中に茨城県龍ケ崎市の部屋に戻ることになった。部屋に戻った式秀親方は弟子らに対して「今後は俺がしっかり指導していく」などと決意を話したという。

脱走の理由は、おかみさんによるモラルハラスメントだったという。式秀親方が今年に入って体調を崩し、おかみさんが師匠代わりに力士への生活指導を行った。部屋のグループラインにおかみさんの長文指示が相次ぎ、返信が遅いと「厳重注意」。実家から仕送りなどの荷物が届いた時は、開けて写真を撮り、グループラインに投稿することが義務付けられた。

おかみさんにしてみれば、熱心に指導していたつもりだが、力士には受け入れられず、集団脱走騒動に発展。今回の事態を受けてグループラインは廃止になったという。日刊スポーツは式秀親方の携帯電話に連絡して取材を試みたが、電話に出たのはおかみさんで「ご迷惑をかけられないので、協会にお聞き下さい」と詳細は明かさなかった。

脱走した力士以外にも不満を募らせている力士がいるという。同委員会は脱走せずに部屋に残った力士にも聞き取り調査を実施して、再度全員から聞き取り調査を実施する予定。親方の処分などは未定で、問題の解決にはまだ時間がかかりそうだ。

   ◇   ◇   ◇

◆式秀部屋とは  時津風部屋の元小結大潮の錣山親方が89年9月に年寄「式秀」を襲名し、同部屋から92年4月に独立。定年に伴い13年1月4日付で、北の湖部屋の部屋付き親方だった元前頭北桜の小野川親方が年寄「式秀」を襲名し、式秀部屋を継承した。アイドルの愛称を取り入れた桃智桜(ももちざくら)や体格基準ぎりぎりで新弟子検査に合格した育盛(そだちざかり)、しっかり相手に当たれるようにと付けた大当利(おおあたり)など、力士の個性的なしこ名がしばしば話題に。式秀親方が趣味にしているビーズ編みは、NHKの女性向け講座番組で特集が組まれるほどの腕前。部屋のモットーは「明るく、楽しく、元気よく」。住所は茨城県龍ケ崎市佐貫。茨城県では初めての相撲部屋。

式秀部屋の看板(2017年1月撮影)
おかみさんからのモラハラ

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キャバクラ通い阿炎が引退届 6日理事会で処分決定

阿炎(2020年7月24日撮影)

大相撲の幕内力士、阿炎(26=錣山)が日本相撲協会に引退届を提出していたことが4日、分かった。

阿炎は不要不急の外出自粛を求められている中、7月場所中にキャバクラに出入りしていたことが発覚。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の判断で、7日目から休場していた。日本相撲協会は6日の理事会で処分などについて検討するため、阿炎の引退届は現時点で受理されていない。

  ◇  ◇  ◇

阿炎が師匠の錣山親方を通じて、4日までに引退届を提出していた。日本相撲協会は受理していないため、引退が決まったわけではない。6日に理事会が開かれ、処分が決まる見通し。受理されるか否かについても、議論の対象になる可能性がある。

幕内力士として責任を痛感したからこその判断に至ったとみられる。阿炎は7月場所7日目(7月25日)から突然休場した。同日、NHK大相撲中継の解説を務めた師匠の錣山親方が「数人のお客様と会食に行ったため、大事を取り休場することになった」と説明。「自業自得というか、本人がコロナにかかるのは自分の責任。協会員が一丸となり、お客さんを入れて開催するのに最低のこと」と厳しく指摘していた。

その翌日、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は会食場所について「小池都知事が言う夜の店」とし、回数についても「場所前と場所中と2回」と明かした。阿炎とは別の部屋に所属する幕下以下の力士も同席していた。関係者によると、「夜の店」は、キャバクラであることも判明していた。

日本相撲協会は観客を入れて7月場所を開催するにあたり、独自のガイドラインを作成。「基本的に外出自粛とし、不要不急の外出をしない」などルールを定めて、全協会員に周知していた。新型コロナウイルスの感染防止に向け、一丸となっていただけに、芝田山広報部長は「情状酌量の余地もない」と断言するなど、協会内には怒りの声が上がっていた。

阿炎とキャバクラに同行していた幕下以下の力士はすでに協会に進退伺を提出している。協会の力士ら協会員への処分は軽い順にけん責、報酬減額、出場停止、業務停止、降格、引退勧告、解雇の7項目。阿炎は師匠と話し合った末の引退届提出とみられ、処分内容にかかわらず角界を去る可能性が高いという。

◆阿炎政虎(あび・まさとら)本名は堀切洸助。1994年(平6)5月4日、埼玉・越谷市生まれ。小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会出場。大相模中3年時に全国中学3位。千葉・流山南高3年時に高校総体16強。卒業後の13年夏場所に錣山部屋から初土俵。15年春場所に新十両、18年初場所で新入幕。19年名古屋場所で新小結に昇進。金星2個、敢闘賞2回。188センチ、150キロ。得意は突き・押し。

◆阿炎の不適切行動と発言 昨年11月に十両若元春の手足をテープで縛った動画を自身のインスタグラムに投稿。“悪ふざけ”動画はSNSで拡散され、ネット上で「暴力を連想させる」など批判を浴びた。協会から口頭で厳重注意を受け、反省文を提出。さらに今年2月の全協会員を対象とした研修会終了後、会場を引き揚げる際に報道陣の取材に対して「爆睡していた」「寝ていたので何も聞いていない」と発言。翌日に師匠と協会を訪れて謝罪し、鏡山コンプライアンス部長から厳重注意を受けた。

◆新型コロナウイルスに対する角界のこれまでの主な動き

▼4月3日 日本相撲協会が臨時理事会を開き、夏場所と名古屋場所の2週間延期を決議。

▼同7日 政府が緊急事態宣言発令。

▼同10日 角界では初となる、三段目力士の勝武士さんの新型コロナウイルス感染が判明。

▼同25日 高田川親方(元関脇安芸乃島)、十両白鷹山ら6人の新型コロナ感染を発表。

▼同30日 高田川親方、白鷹山ら6人の退院を公表。

▼5月4日 政府が緊急事態宣言を延長。夏場所の中止が決定。

▼同13日 勝武士さんが新型コロナ感染による多臓器不全で28歳の若さで死去。

▼同25日 政府が緊急事態宣言を全面解除。

▼7月6日 希望者に行った抗体検査の結果、5人から抗体が見つかったと発表。芝田山広報部長はウイルス陽性者なしの見解。

▼同13日 相撲協会は臨時理事会を開き、7月場所の開催を正式決定。1日あたりの観客数の上限を約2500人に設定。

▼同25日 阿炎が7月場所7日目から突然休場。錣山親方は「数人のお客様と会食に行ったため。大事を取り休場することになった」と説明。

▼同27日 田子ノ浦親方が夜に外出して泥酔し、鏡山危機管理部長から厳重注意を受ける。

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新十両昇進の錦富士「次は勝ち越して上にいくこと」

錦富士(20年3月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、錦富士(24=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。錦富士は両国国技館で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も同席した。

16年秋場所で初土俵を踏み、約4年で新十両に昇進した。東幕下3枚目だった昨年秋場所で左肘を負傷して手術。翌九州場所は全休したが、今年の初場所で復帰し、3月の春場所で幕下優勝。7月場所は14日目の七番相撲で5勝目を挙げ、十両昇進を決定的にした。「ケガして苦しい時に師匠や安治川親方(元関脇安美錦)、楯山親方(元前頭誉富士)、照ノ富士関や翠富士関、照強関とか、たくさんの人に声をかけてもらって頑張ってきた。そのことがよぎって目が熱くなった」と振り返った。

心強い同期が部屋にいる。十両翠富士は近大の同級生であり、入門も同じ16年秋場所。対抗心を燃やしながら同じように番付を上げてきたが、翠富士は春場所で新十両昇進と先を越された。「幕下にいた時は僕が常にちょっと上にいた。でも休場している間に先を越されて、うれしい気持ちと悔しい気持ちと焦りの気持ちと、いろんな気持ちがあった」という。しかし、気持ちを落とすことなく奮起。翠富士からは早速「来場所から一緒に土俵入りできるな」と声をかけられたといい「負けてられないなと思いながら、うれしい思いもあった」と笑みを浮かべた。

返り入幕だった照ノ富士が復活優勝を果たすなど、伊勢ケ浜部屋にとって明るい話題が続くこととなった。錦富士は「場所前から自粛生活が続いている中で、伊勢ケ浜部屋旋風を起こそう、と照ノ富士関を中心に言ってた。今場所はそういう面でも各自が頑張っていたと思う」と団結秘話を明かした。伊勢ケ浜親方は「もっと前に出る相撲を。まだまだ取り切れていない。自分から攻める相撲が取れれば幕内もいけると思う」と期待。錦富士は「とりあえずは次の場所で勝ち越して上にいくことです」と意気込んだ。

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王輝、目標は師匠超え 錣山親方と新十両会見

王輝(20年1月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、王輝(24=錣山)の新十両昇進を決めた。王輝は都内の部屋で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)も同席した。

13年名古屋場所で初土俵を踏んだ王輝は、7年かけて新十両に昇進。西幕下2枚目だった7月場所で、十両朝弁慶を破るなど5勝を挙げて、念願の関取の座をつかみとった。5勝目を挙げた朝弁慶戦を振り返って「素直にうれしいです。今までやってきたことや感謝の気持ちがありました」と笑みを浮かべた。

7月場所は2連敗スタートから5連勝した。2連敗目を喫した時、部屋に帰る際の車内で錣山親方(元関脇寺尾)から「ここから5連勝したら(十両に)上がるぞ」と声を掛けられたという。また「場所前に父親が倒れて、それでリハビリを頑張っている。自分が勝って少しでも元気になってもらいたい気持ちが強かったです」と奮起し、見事に親孝行を果たした。

同学年には大関貴景勝や平幕の阿武咲らがいて「その中で1番になりたいのはもちろんです」と意気込んだ。錣山親方から「ちょっと痛がりの所があるからそこは直して欲しい。あっちこっち痛くなるのは当たり前」と注文されて苦笑いしたが、王輝は「最終的な目標は師匠を超えること。左四つの型を極めていきたいです」と師匠の前で堂々と宣言した。

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悪ふざけ動画、「爆睡していた」/阿炎の不適切行動

阿炎(2020年7月24日撮影)

大相撲の幕内力士、阿炎(26=錣山)が日本相撲協会に引退届を提出していたことが4日、分かった。

阿炎は不要不急の外出自粛を求められている中、7月場所中にキャバクラに出入りしていたことが発覚。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の判断で、7日目から休場していた。日本相撲協会は6日の理事会で処分などについて検討するため、阿炎の引退届は現時点で受理されていない。

◆阿炎の不適切行動と発言 昨年11月に十両若元春の手足をテープで縛った動画を自身のインスタグラムに投稿。“悪ふざけ”動画はSNSで拡散され、ネット上で「暴力を連想させる」など批判を浴びた。協会から口頭で厳重注意を受け、反省文を提出。さらに今年2月の全協会員を対象とした研修会終了後、会場を引き揚げる際に報道陣の取材に対して「爆睡していた」「寝ていたので何も聞いていない」と発言。翌日に師匠と協会を訪れて謝罪し、鏡山コンプライアンス部長から厳重注意を受けた。

◆阿炎政虎(あび・まさとら)本名は堀切洸助。1994年(平6)5月4日、埼玉・越谷市生まれ。小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会出場。大相模中3年時に全国中学3位。千葉・流山南高3年時に高校総体16強。卒業後の13年夏場所に錣山部屋から初土俵。15年春場所に新十両、18年初場所で新入幕。19年名古屋場所で新小結に昇進。金星2個、敢闘賞2回。188センチ、150キロ。得意は突き・押し。

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双羽黒、生活態度注意され…廃業/主な脱走力士

失踪事件を起こし廃業となった双羽黒(1987年12月31日撮影)

大相撲の式秀部屋の力士9人が4日、茨城県龍ケ崎市の部屋から集団脱走した。

おかみさんによる過度な指導に力士たちが不満を募らせ、東京都内に助けを求めて移動した。力士たちは日本相撲協会の通報窓口に連絡。協会側は5日にも双方の事情を聴き、問題の解決を探っていく。

<主な力士の脱走>

★琴天山 カナダ出身で85年に佐渡ケ嶽部屋に入門。同年の初土俵から三段目まで7戦全勝優勝で21連勝を達成。86年名古屋場所で幕下に昇進したが、相撲界になじめずに女性と失踪して、そのまま廃業した。その後、プロレスに転向してジョン・テンタ、アースクエイクのリングネームで日米のリングで活躍した。

★双羽黒 87年12月27日に立浪親方に生活態度を注意され、部屋を脱走。双羽黒は都内のマンションの一室に潜伏し、周囲が部屋に戻るように説得するも失敗。その間に立浪親方が協会へ双羽黒の廃業届を提出。この事態を受け、同31日に緊急理事会が開かれ、双羽黒の廃業届を受理することを決めた。

★旭天鵬 92年春場所で初土俵も厳しい稽古や日本の文化になじめず、同8月にモンゴル人力士4人と部屋から脱走。渋谷のモンゴル大使館に駆け込み、旭天鵬ら3人はそのまま帰国。その後、モンゴルを訪れた大島親方らの説得で同11月の九州場所で復帰した。

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おかみさんがモラハラ?式秀部屋の力士9人集団脱走

式秀部屋の看板(2017年1月撮影)

大相撲の式秀部屋の力士9人が4日、茨城県龍ケ崎市の部屋から集団脱走した。おかみさんの指導に力士たちが不満を募らせ、東京都内に助けを求めて移動した。力士たちは日本相撲協会の通報窓口に連絡。協会側は今日5日にも事情を聴き、問題の解決を探っていく。

   ◇   ◇   ◇

7月場所が終わった直後、角界にまたも問題が発生した。4日夕方、式秀部屋に所属する力士19人中9人が、集団で部屋を飛び出した。力士たちは千葉県内のカラオケボックスに逃げ込み、日本相撲協会の通報窓口に連絡。その後、東京都内に移動した。

脱走の理由は、部屋のおかみさんによるモラルハラスメントにあるとみられる。師匠の式秀親方(元幕内北桜)が、今年に入って体調を崩し、本場所を休場中。稽古を満足に見られず、生活指導を十分にできなくなったことがきっかけだった。おかみさんが師匠代わりに力士への指導を続けたが、力士が我慢の限界を超え、脱走にいたってしまった。

関係者によると、部屋のグループラインにおかみさんの長文指示が相次ぎ、返信が遅いと「厳重注意」。大部屋のコンセント使用は、許可制となった。力士が実家から仕送りを受けたり、通信販売で買い物をして荷物が届いた時は、荷物を開けて写真を撮り、グループラインに投稿することが義務付けられた。力士からは「プライバシーの侵害だ」との声が上がった。大部屋の個人ロッカーが抜き打ちでチェックされることもあった。おかみさんに反抗的な態度を見せると「クビにするぞ」「協会に言うぞ」などと脅かされた者もいたという。7月場所が2日に終わると、おかみさんは力士に反省文の提出を要求していた。

おかみさんにしてみれば、熱心に指導していたつもりだが、力士には受け入れられず、集団脱走騒動に発展。力士らは師匠を慕って稽古に励んでいたが、その頼りの親方は体調不良もあって目が届かず、おかみさんをコントロールしきれなくなっていたという指摘もある。

日本相撲協会のコンプライアンス委員会は5日にも力士らから事情を聴き、仲裁に乗り出す意向だ。

◆式秀(しきひで)部屋 元小結大潮が時津風部屋から1992年(平4)4月に独立し、同年5月に部屋開きを行った。茨城県では初めての相撲部屋。2012年3月、モンゴル出身の千昇が初の関取となった。13年1月4日付で、北の湖部屋の部屋付き親方だった元幕内北桜が継承し、所属一門は時津風から出羽海に移った。アイドルの愛称を取り入れた桃智桜(ももちざくら)や体格基準ぎりぎりで新弟子検査に合格した育盛(そだちざかり)など力士の個性的なしこ名がしばしば話題に。住所は茨城県龍ケ崎市佐貫。

式秀部屋の稽古場(2017年1月撮影)

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阿炎とキャバクラ行った力士が進退伺 協会6日審議

大相撲7月場所8日目 阿炎の休場を知らせる電光板(2020年7月26日)   

大相撲7月場所中に平幕の阿炎とともにキャバクラに行っていたことが発覚した幕下以下の力士が、師匠を通じて日本相撲協会に進退伺を申し出ていたことが3日、関係者への取材で分かった。

同関係者によると、師匠と当該力士間で進退について話し合い、協会にゆだねることにしたという。キャバクラ通いについてはすでにコンプライアンス委員会に報告済みで、6日の理事会で審議される予定になっている。

7月場所中は不要不急の外出自粛の通達がありながら、当該力士は阿炎とキャバクラに行った。発覚当初、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「場所後の理事会で議題に挙がる事案。幕内の関取が場所中にああいう形で休場することにおいて1つの事案として報告されるのは間違いない」と明言。同じ違反でも関取の阿炎の方が罪が重いとの見解を示した一方、当該力士は休場中だったにもかかわらず外出の違反をしたため、協会内では厳罰を求める声が上がっていた。師匠も責任を強く感じているが、当該力士は将来有望な関取経験者ということから、引退届ではなく進退伺を申し立てたという。

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照ノ富士「やりましたね、と思った」V一夜明け会見

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

大相撲7月場所で復活優勝を果たした東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が3日、オンラインで行われた一夜明け会見に出席した。序二段から史上初の再入幕を果たした照ノ富士は、新大関の朝乃山や関脇御嶽海を破るなどして自身2度目の優勝を達成。一時は横綱候補とも呼ばれながらも、両膝の負傷や内臓疾患などにより番付を序二段まで落とした大関経験者が、劇的優勝を果たした。

主な一問一答は以下の通り。

-昨日はどんな夜を過ごしたか

照ノ富士 もう普通にいつも通りに。ちょっと疲れたので寝ました。

-幕内の15日間はどうだったか

照ノ富士 15日間というのはいつも疲れるので。

-あらためて優勝の瞬間は。復活という気持ちはあったか

照ノ富士 自分の中ではそんなに。ちょっとずつ元の体に戻りつつあるので、それがいい結果につながってよかったなと思います。

-御嶽海を寄り切った瞬間は

照ノ富士 素直にうれしかったです。

-ここまで来ると思っていたか

照ノ富士 正直そこまで勝つとは思わなかった。10番勝てば三賞狙えるとかは考えた。1日一番勝っていけばと思った。

-優勝を意識した瞬間は

照ノ富士 特にないですね。その日の一番に勝てば結果は後からついてくると思って信じてやってきました。

-優勝した実感がわいたのはどのあたりか

照ノ富士 (御嶽海に)勝って決まって、そこからじゃないですか。

-師匠から優勝旗を受け取った時の気持ちは

照ノ富士 やりましたね、と思いました。

-頑張ったということか

照ノ富士 そうじゃなくて。自分の頑張りもあるけど、親方から始まって周りの人の支えがあったから。それがこういう結果になってますから。

-師匠から声は

照ノ富士 おめでとう、と(部屋に)帰ってきて言われて、抱き合った。

-以前の優勝の時も抱き合った。その時と比べて

照ノ富士 そうですね、もう全然違う。

-前回の優勝の時との違いは

照ノ富士 以前はイケイケの時の優勝だった。俺ができなければ誰ができるんだっていうぐらい。今はそういう考えが全くないというか。1日ずつ自分のことを精いっぱいやってれば、いい結果につながると思いながら毎日過ごしてた。

-部屋の祝福は

照ノ富士 みんな喜んでた。若い衆とかとシャンパンとか買ってきて。

-観客の拍手はどう感じたか

照ノ富士 自分は逆にどっちでもいいっていうか、土俵に上がったらお客さんいてもいなくても全力を出す。(国技館に)来られなくても、テレビの前で見てくれると思ってましたから。

-膝の状態は

照ノ富士 伸びなくなってました。表彰式の時に土俵上がったり下りたりするのはきつかった。

-その状態で上位と対戦してたのか

照ノ富士 そこまでいっちゃったらやるしかないので。

-かなり辛い状況だったか

照ノ富士 辛いのなれてるというか。

-場所前に「上位の力士と対戦は厳しい」と言っていたが上位を破った

照ノ富士 やっぱり前半から勝ってたから、その勢いがあったと思う。今の自分じゃ絶対に勝てないというのが分かってたから。勢いに乗ったから勝っただけで、もうちょっと鍛えないと来場所厳しいかなというのはあります。

-あらためて優勝できた1番の要因は

照ノ富士 自分を信じてやってきたことをやるだけという。それだけですね。

-次の秋場所がすぐ目の前にきている

照ノ富士 そうなんですよね。とりあえずは明後日からもう1回体を鍛えなおそうと思って。やれることを全力出していこうと思っています。

-休みはなく稽古に入るのか

照ノ富士 そうですね。水曜日から汗を流そうと思っている。それは場所前から決めてたことなので。

-筋肉を落としたくないのか

照ノ富士 1週間の休みとかは自分の中では長いと思っているので。1週間やって1日休んで、1週間やって1日休んでっていうのは自分の体のためというか。

-今の楽しみは?

照ノ富士 今観ている映画を終わらせることじゃないですか。

-何を観ているのか

照ノ富士 ちょっと面白い映画見つけた。「The 100」って書いてあるやつ。終わらせないと眠れないので。

-場所中も観ていたか

照ノ富士 場所前から見てました

-寝不足になったことは

照ノ富士 それは特にないですね。

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照ノ富士が消沈…変化し批判浴びた一番元付け人述懐

15年6月、照ノ富士(左)と付け人の駿馬

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士の付け人を約5年間務めた元幕下駿馬(しゅんば)の中板秀二さん(38)は、劇的な復活劇を信じて疑わなかった。「目標があれば、必ず戻れると思っていた」。入門は照ノ富士より7年早い。13年3月の間垣部屋から伊勢ケ浜部屋への移籍や15年夏の大関昇進。兄弟子として苦楽をともに過ごしてきた。

両膝のけがなどでどん底の中、照ノ富士は弱音をたくさん吐いたという。「『何をやってもうまくいかないんです』と。(番付が)上がってるときは弱みを全く出さなかったので驚いた」。印象的だったのは優勝を争っていた17年春場所14日目。立ち合い変化で琴奨菊の大関復帰を絶つと、周囲から厳しい批判を浴びた。「あれから元気がなくなったように見えた。(その後の低迷は)体のことはもちろんだが、気持ちの問題も大きかったんじゃないか」と述懐する。

序二段で復帰した昨年春場所前、照ノ富士はすでに引退を決断していた駿馬さんの自宅を訪れ「もう1回、幕内で頑張ります」と決意の報告をした。駿馬さんは昨年夏場所限りで引退。直後に部屋で行われた断髪式では、照ノ富士に「お疲れさまでした」とはさみを入れられ、ほおにキスされた。「モンゴル流なんですかね。涙が出ました」。現在は都内で介護事業を展開する企業の職員として働いている。優勝の瞬間は仕事のためラジオで聞き「感慨深いものがあった」。元付け人にとっても格別な優勝となった。【佐藤礼征】

御嶽海(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

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伊勢ケ浜親方「よく頑張ったな」弟子の復活Vに感慨

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<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は、弟子の復活優勝に感慨深げだった。「よく頑張ったなと言ってあげたい。最初の状況だったら優勝とかは考えてない。場所前は勝ち越して、ケガなく終わればいいと思っていた」。賜杯を抱く姿までは想像できなかったという。照ノ富士が序二段まで番付を落とした際、引退を相談されたが翻意させた。「序二段に落ちた時に『序二段で勝っても負けても恥ずかしい話じゃない』と言った」と励ました。力も番付も順調に戻ってきたように見えるが「今はまだ一生懸命、ケガと闘っている最中。ただ、ケガを克服して本人も納得してると思う」と弟子の気持ちを代弁した。

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八角理事長振り返り、力士らが約束「守ってくれた」

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

コロナ禍で開催された異例の場所が幕を閉じた。無観客開催の春場所以来、4カ月ぶりに開催した7月場所。日本相撲協会はガイドラインに沿って、観客数の上限を1日約2500人に設定し、来場者にマスク着用や声援自粛を求めた。力士には支度部屋で準備運動をする際にマスクの着用を義務づけ、座る場所もアクリル板で仕切るなどした。千秋楽終了時点で協会員の新型コロナ感染者は0。八角理事長(元横綱北勝海)は「力士も頑張って、協会員も(約束を)守ってくれた。内容は、横綱、大関が休場して申し訳ないが、頑張ってくれた力士がいた。お客さんには本当に拍手(の応援)で後押ししてもらった」などと振り返った。

芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、今場所後には新弟子勧誘や帰省などの外出は師匠の許可次第とする一方、新たなガイドラインを設けて制約を設けるという。また、2週間後には力士全員に、新型コロナの抗体検査を受けさせることも明かした。政府の緊急事態宣言が再び出れば「場所の開催は難しい状況になる」と話し、開催の方向性については「模索」と表現。当面は1場所ごとに開催か否かが最重要事項となる。

御嶽海を破り土俵下で天を仰ぐ照ノ富士(右)と、優勝を逃し静かに目を閉じる正代(撮影・河田真司)  

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復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗

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<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。

混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。

1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯(じんたい)が、左膝は半月板がなくなった。

17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。

表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

▽八角理事長(元横綱北勝海)「照ノ富士はよく戻ってきた。戻ってすぐの優勝だから素晴らしい。こんなに早く優勝できるとは、本人も思っていなかっただろう。やっぱり、いろいろ経験してきた元大関だ。緊張感の中、気持ちで相撲を取っていた。ただ、まだ膝をかばっている感じで不安もあるだろう。来場所は難しいものがあるのでは」

▽照強(照ノ富士に前日)「明日頑張って下さい」と言ったら「ありがとう」と。優勝してもらって気持ちよく祝いたい。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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場所後の行動は「師匠の許可取って」各部屋へ通達へ

芝田山広報部長(2020年4月3日撮影)

日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は大相撲7月場所千秋楽の2日、報道陣の電話取材に応じて、場所後の行動制限についての新たなガイドラインを各部屋に通達することを明かした。

「本日中には部屋の方に通達。協会員の手に渡ることになる。制限はいろいろあるが、師匠の許可を取って行動することになっている。『誰と、いつ、どこに行く』のかを師匠に報告する」などと説明した。

日本相撲協会は、場所前や場所中は原則的に外出禁止とし、不要不急の外出を自粛するように通達してきた。その状況下で平幕の阿炎と幕下以下の力士1人によるキャバクラ通いが発覚、田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)が飲食店で泥酔している様子の写真がネット上で拡散するなどの問題が起こった。芝田山広報部長は「師匠の許可を取って行動する。協会員には行動確認表も渡す。出かけた後に行動を確認できるように。どういう行動をしたかを記録する」と、条件付きでの外出を許可する方針を示した。

また会食について「外で食事はダメではない。だけど接待を伴う店は自粛して下さい。阿炎がそういう行動を取ったけど、そういう所は感染者が多いということ」と説明した。場所後の帰省についても「相手方も安心するために検査をしてから行って下さいとのこと。ルールを守れば外出してもいい」と師匠の許可があり、体調、検査結果などに異常がなければ可能だという。

一方で出稽古については、引き続き禁止のままだという。解禁の時期については「番付発表後に考える」と秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付発表が行われる8月31日以降に決めるという。また行動制限に関する新たなガイドラインも「場所後2週間の取り決め。2週間たったら、また2週間の指針がある」と改正する方針。7月場所終了の2週間後に、全力士に新型コロナウイルスの抗体検査を受けさせることも明かした。

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Vかけ照ノ富士は御嶽海、朝乃山は正代と 千秋楽

正代に敗れたが、朝乃山も敗れたため2敗で単独トップを守った照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇14日目◇1日◇東京・両国国技館

日本相撲協会の審判部は大相撲7月場所14日目の1日、打ち出し後に翌日の千秋楽の取組編成会議を行った。2敗目を喫するも単独トップのままとなった平幕の照ノ富士は3敗の関脇御嶽海と、3敗に後退した新大関の朝乃山は同じ3敗の関脇正代との対戦が組まれた。

照ノ富士(2敗)-御嶽海(3敗)

正代(3敗)-朝乃山(3敗)

照ノ富士は勝てば優勝。御嶽海が勝つと、照ノ富士、御嶽海、正代-朝乃山戦の勝者、による優勝決定ともえ戦になる。

◆優勝争いの行方 千秋楽で照ノ富士が御嶽海に勝てば、その時点で照ノ富士の優勝が決まる。御嶽海が勝った場合は、照ノ富士、御嶽海、朝乃山-正代の勝者によるともえ戦(3人での優勝決定戦)となる。実現すれば幕内では94年春場所の曙、貴ノ浪、貴闘力以来7度目で、当時は曙が制した。

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