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正代かど番初場所へ負傷左足首は「間に合うと思う」

初場所に向けて稽古を再開した正代

大相撲11月場所を左足首の負傷で途中休場した大関正代(29=時津風)が30日、かど番で迎える初場所(来年1月10日初日、東京・両国国技館)に向けて「(完治は)そこまでにはさすがに間に合うと思う。勝ち越せればいい」と再起を誓った。

都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に対応。この日はテーピングで左足首を固定し、負荷を抑えた四股、すり足を行った。

初土俵から6年で初めての休場が、新大関場所だった。3日目の高安戦で土俵際の突き落としを決め、土俵下に落ちる際に負傷。「変に勝ちにこだわり過ぎて、このけがにつながったところもある」と唇をかむ。

不安を抱えながら出場した4日目は、左足に力が入らず大栄翔に一方的な相撲で敗れた。「休場に踏み切れなかった。取れそうなところがあるんだったら、できれば休みたくなかった」。

5日目の朝、日本相撲協会に「左遠位脛腓靱帯(じんたい)損傷により約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出。苦渋の決断を下した。

休場中はテレビで幕内の取組を観戦した。「違和感ありましたけど、自分の中ではいい経験になった」と前向きに振り返る。普段はあまり見返すことのない他の力士の取組をじっくり観察できたという。

3大関の1人、貴景勝が大関として初めての優勝を飾ったことも刺激。「悔しいって気持ちは出てこなかった。いい刺激をもらった。頑張らなきゃいけない」と力を込めた。

アマチュア時代からけがで大会を棄権したことはなく、長期のけがには慣れていない。患部の状態については「歩く分には痛みはないですね。普通に四股を踏む分だったら痛みは感じない。足の位置を変えずに体をひねったりして、足首がねじれる感じするとちょっと痛みが出ますね」と説明。初場所の番付発表が行われる24日までに、相撲を取る稽古に「挑戦はしたい」と話した。

来月18日からは両国国技館内の相撲教習所で合同稽古が行われ、自身も参加した前回とは違って途中参加も可能だが「行くだけ行って参加できなかったらあれなので。おとなしくしときます」と、今回は見送る方針を示した。

新年最初の場所が、いきなりかど番。「そのときはそのとき。自分の中では大関に上がれたっていうことがすごい、信じられないぐらいの出来事。胸を張って土俵に上がれたらいい」。気負わずに臨む。【佐藤礼征】

初場所に向けて稽古を再開した正代

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十両V翠富士が母校で決意「勝ち越しと三賞目指す」

飛龍高の杉山理事長(右)から花束を贈られる翠富士

大相撲11月場所で自身初、県勢9年ぶりの十両優勝を飾った翠富士(24=伊勢ケ浜、焼津市出身)が27日、母校の飛龍高を訪れ、杉山盛雄理事長(62)らに優勝報告を行った。

10勝5敗で迎えた優勝決定戦。千秋楽の本割で敗れた旭秀鵬を下した。過去の決定戦は2戦2敗だったが、大一番で底力を発揮した。「親方から『胸から行け』と言われた。たくさんの思い出がつまった高校へ、良い報告ができました」と白い歯を見せた。171センチ、114キロと小兵ながらも奮闘する姿に、杉山理事長は「小さくても正面からぶつかる姿も魅力。1つでも上の番付を目指し、ケガに注意して頑張ってください」とエールを送った。

来年1月の初場所新入幕は、確実な状況。翠富士は「今まで通り、しっかり当たってから技を出す。勝ち越しと三賞を目指します」と決意を新たにした。【古地真隆】

○…飛龍高3年の熱海富士(伊勢ケ浜、本名・武井朔太郎)も、同部屋の先輩の躍進に続いてみせる。11月場所の新弟子らによる前相撲では3戦全勝。好スタートを切った。「久々の取り組みで緊張もあったが、結果を出せて良かったです」。翠富士について「心強い存在。自分も強くなって、早く出世したい」と意気込んだ。年末には部屋の稽古に合流。来年の初場所では序ノ口で相撲を取る。

飛龍高相撲部の後輩たちと記念写真に納まる翠富士(前列中央)。2列目左端が熱海富士

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横審、白鵬と鶴竜に「覚悟決めて」引退勧告にも言及

白鵬(2020年7月30日撮影)

日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(横審=矢野弘典委員長)が、大相撲11月場所千秋楽から一夜明けた23日、東京・両国国技館で定例会合を開き、9月の秋場所に続き2場所連続で休場した横綱白鵬(35=宮城野)と横綱鶴竜(35=陸奥)に対し、出席6委員の総意で「注意」の決議を下した。

横審の内規では、不本意な成績や休場が続く横綱に対し、委員の3分の2以上の決議があれば、重い順に「引退勧告」「注意」「激励」が出来ると定められている。最近では稀勢の里(現荒磯親方)に「激励」が言い渡されたことがあるが、それより一歩踏み込んだものとなった。師匠を通じてなり、両横綱への通達を横審は八角理事長(元横綱北勝海)に要請。同理事長は「必ず伝えます」と答えたという。

秋場所後の定例会合でも、数人の委員から決議を出すべきでは、という声が出ていた。だが「両横綱に自覚を促すにとどめたが、期待に反し2場所連続の休場。近年の状況から横綱の責任を果たしたとは言えない。少し重い注意が妥当と判断した」と同委員長は話した。

会合では、最近12場所の両横綱の休場場所数、休場日数などのデータを出して比較。全休場所がともに4場所(鶴竜は初日不戦敗も含め)、途中休場も各4場所。「全体の3分の2が休場で、全休は3分の1。休場日数も50%前後。出場した場所では白鵬は3回、鶴竜は1回、優勝しているが結果は別に、あまりにも休みが多い。深い、強い責任を持って今後に対処してほしい」と断じた。

8場所連続休場でも「激励」にとどめた稀勢の里との比較については「在位は12場所で10場所休場、全休は4場所だったが、それでも毎場所、土俵に上がっていい結果は出なかったが、やっている姿は見ることが出来た。そういう意味では同じように比較はできない」と説明。さらに「稀勢の里は休日数でいえば5割を超えて6割。(それで決議に)差をつけた結論に至った」と続けたが、休場場所や全休、休場日数の割合で今回の両横綱は、稀勢の里と同じかそれ以下の数字で、やや苦しい説明となった。

来場所以降の成績によっては、さらに重い「引退勧告」の決議がされるかどうかの議論は「来場所も見てまた相談するということになった」と説明。また来場所の出場を促すかについては「最終的には本人の判断で強制はできない」としながら「ファンの立場からすれば横綱がいない場所は寂しい。横綱が出場しない場所が長く続いてはいけない」とした。「結果としての休場回数とか休日日数が一番、事実を語っている。その重みを感じてほしい。横審としては切実な思い」「両横綱には第一人者に相応しい自覚を持ち、行動によってそれを示して欲しい。とりわけ世代交代が迫っている中、上を目指す力士の壁となり、よき模範となってもらいたい。注意の処置にした理由は休場が多いので、注意を与えて奮起をうながすものでありまして、来場所には是非、覚悟を決めて備えていただきたいと考えております」。柔らかな口調ではあったが、その言葉の数々に、厳しさがにじみ出ていた。

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貴景勝「場所前に入籍」の思い 大関初V二重の喜び

11月場所で優勝し、一夜明け会見に臨む貴景勝

大相撲11月場所で18年九州場所以来2度目、大関として初めて優勝した貴景勝(24=千賀ノ浦)が23日、“新婚V”だったことを明かした。

都内の部屋でリモートでの会見に応じ、11月場所前に元モデルで元大関北天佑の次女、有希奈さん(28)と結婚していたことを報告。初の綱とり挑戦となる初場所(来年1月10日初日、東京・両国国技館)に向けて、突き押し1本で最高位に上り詰める決意も語った。

   ◇   ◇   ◇

激闘から一夜明けて、貴景勝は秘めていた思いを明かした。「私事ですが場所前に入籍しまして、頑張っていきたいなと思っていたので良かったです。本場所に集中しないといけないので、場所後に言えたらなと思っていた」。8月の婚約発表から3カ月。大関として初めて抱いた賜杯には、二重の喜びがあった。

婚姻届を出した具体的な日にちについては明かさなかったが、結婚した理由について「純粋に一緒に頑張っていきたいなと思ったから」と説明した。プロポーズの言葉は「それは力士だしね」と内緒。普段は相撲の話はしないが、有希奈さんからは食事面などでサポートを受けている。「(優勝は)喜んでくれた。これからもいい時ばかりじゃない。悪い時もある。そういう時に踏ん張っていければ」。二人三脚で今後の相撲人生を歩んでいく。

嫁とりから綱とりへ-。私生活に変化はあっても、相撲は今のスタイルを貫く。突き押し相撲だけで横綱昇進は厳しいという意見について「だから目指す価値はすごくある。無理って言われてるのをやり遂げたときの充実感というのは替えられないものもある」。身長175センチは力士として小柄。四つ相撲に不向きな体と自覚しているだけに「押し相撲の魅力も伝えたい」と意気込んだ。

今場所は横綱、大関戦が1度もなかった。「その状況、その状況でベストを尽くすしかない」。新年最初の場所で真価が問われる。【佐藤礼征】

貴景勝と入籍した有希奈さん

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照ノ富士が技能賞 殊勲賞は貴景勝に敗れ該当者なし

幕内優勝決定戦で照ノ富士(右)を攻める貴景勝(撮影・鈴木正人)

<大相撲11月場所>◇千秋楽◇22日◇東京・両国国技館

日本相撲協会は22日、両国国技館内で大相撲11月場所の三賞選考委員会を開き、受賞力士を決めた。

殊勲賞は該当者なし。本割と優勝決定戦で大関貴景勝に連勝し、2場所ぶり3度目の優勝を果たせば小結照ノ富士(28=伊勢ケ浜)の受賞だったが、優勝決定戦で敗れ惜しくも受賞を逃した。

敢闘賞は、幕尻の東前頭17枚目ながら14日目まで優勝の可能性を残した志摩ノ海(31=木瀬)が、新入幕の昨年夏場所以来、2度目の敢闘賞(三賞も2度目)を受賞。また、千秋楽で琴恵光に勝ち2ケタ10勝目を挙げれば、という条件付きだった再入幕で東前頭14枚目の千代の国(30=九重)も、琴恵光に勝ち18年夏場所以来の敢闘賞を受賞した。

技能賞は照ノ富士が、2場所ぶり2度目の受賞(三賞は7度目)を決めた。

志摩ノ海(右)を押し出しで破る明生(撮影・鈴木正人)
千代の国(左)を押し出しで破る玉鷲(撮影・河田真司)

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元朝赤龍の錦島親方8代目高砂へ 師匠12月に定年

高砂親方(2019年12月24日撮影)

12月9日に師匠の高砂親方(元大関朝潮)が65歳の誕生日を迎え、日本相撲協会の停年となる高砂部屋を、現在は部屋付き親方で、元関脇朝赤龍の錦島親方(39)が師匠として継承することが20日、分かった。

既に大相撲11月場所10日目の17日に、年寄名跡交換に必要な書類を同協会に提出しており、場所後の理事会で承認され次第、錦島親方が8代目高砂を受け継ぐ運びとなる。

部屋にはもう1人、若松親方(50=元前頭朝乃若)が部屋付き親方として在籍している。高砂親方と同じ近大出身で、同大や東洋大とのパイプを作り、大関朝乃山ら有望力士のスカウトなどに尽力してきた。錦島親方の兄弟子でもあり、同協会の副理事も務めている。

一方で、現役時代は押し相撲でならした若松親方の最高位は、三役目前の西前頭筆頭止まり。初代高砂浦五郎こそ平幕力士だったが、2代目以降は横綱2人、大関2人を含め6代連続で三役以上経験者だった。2人のどちらを後任に据えるかで熟慮を重ねた結果、現役時代の実績や、周囲の声などもろもろ、勘案し錦島親方に決まった。また関係者によれば、大関朝乃山(26)が引退した際は、9代目高砂として部屋を継承させることにも理解を示しているという。

モンゴル出身の錦島親方は、00年初場所初土俵。03年春場所で新入幕を果たし、最高位は関脇。三役を5場所務め17年春場所で引退し、同年4月に日本国籍を取得した。通算成績は687勝679敗で、三賞は4回(殊勲賞1、敢闘賞1、技能賞2)受賞した。

元朝赤龍の錦島親方(左)と師匠の高砂親方は観客に一礼する(2018年2月4日撮影)

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元小結臥牙丸が引退会見「相撲から人生まで学んだ」

引退会見に臨んだ元小結臥牙丸

大相撲11月場所限りで現役を引退した元小結臥牙丸(33=木瀬)が17日、東京・両国国技館でオンラインでの引退会見に臨んだ。15年の力士生活に区切りをつけ「日本に来たときに一言も日本語がしゃべれなくて、何も分からない人生が始まって、相撲から人生まで学んだので楽しい人生でした」と振り返った。

ジョージア出身で05年九州場所で初土俵を踏み、12年初場所で新三役に昇進。近年は両膝の負傷などに苦しみ、今年春場所から3場所連続全休で序二段まで番付を落としていた。両膝の回復が思わしくなかったことが引退の理由で「手術も考えたけど、手術したら相撲が取れないと先生からのいろいろな判断で引退を決めました」という。

思い出の一番は11年秋場所11日目、大関初挑戦となった把瑠都戦。「勝てる自信が1%もなかったのでうれしかった」。稽古場で圧倒されていた相手から白星を挙げた。

同じジョージア出身の栃ノ心には前日16日夜に引退を報告した。「大きな存在で家族のような存在。栃ノ心は部屋から近くて心強かった。まだ彼は土俵に上がって頑張っているので、応援したいと思います」。18年夏場所後の大関昇進時は自分のことのように喜んだ。

部屋では“師匠代行”の存在感を発揮していたという。会見に同席した師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)は「面倒見も良くて、下の力士にも教え方がうまい。私も稽古場にいないときは、臥牙丸がずっと面倒を見てくれた。頼っていた。今の木瀬部屋があるのは臥牙丸のおかげ」と絶賛。臥牙丸も「うちの師匠がお父さんと思って、こんな人間になりたい、いい弟子になりたいと思って頑張ってきた。神様にありがたい気持ちでいっぱいです」と感謝した。

第2の人生は未定だが、ジョージアに戻らず日本に残って生活する。「自分の第2の故郷。日本の国民のみなさんに、応援してくれた方の側にいられるようにしたい。相撲しか分からない人生なので、できれば相撲を教えたりとか、相撲の大事さを世界にも教えたいと思う。アマチュア(相撲)でも勉強したことは世界に教えたいと思います」。角界での経験を世の中に還元する。

引退会見に臨んだ元小結臥牙丸(左)と師匠の木瀬親方

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元小結臥牙丸が引退、ジョージア出身05年初土俵

臥牙丸(17年5月撮影)

日本相撲協会は大相撲11月場所10日目の17日、元小結臥牙丸(33=木瀬)の引退を発表した。

ジョージア出身の臥牙丸は、05年九州場所で初土俵を踏み、12年初場所で新三役に昇進。15年夏場所では日馬富士から金星を挙げるなどしたが、昨今は両膝の負傷などにより番付を落としていた。

今年の春場所から3場所連続全休で、序二段に番付を落とした今場所も初日から休場していた。

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11月場所は優勝インタビュー実施「土俵下で」協会

芝田山広報部長(2020年4月3日撮影)

日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)が大相撲11月場所9日目の16日、電話取材に応じ、中止していた優勝力士のインタビューを今場所は実施することを明かした。

同インタビューは毎場所千秋楽に行うのが恒例だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により今年の3月の春場所から中止していた。

同広報部長は「土俵下でやります。NHKさんから要望もあり、定例会で了承をもらった。ファンサービスもしていかないといけない。足を運んでくれるのはありがたい。コロナで難しいけど、いろいろ今までの状況に戻していかないといけない」と説明した。

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「自分はアンパンマン」琴奨菊は素直に相撲人生全う

引退会見に臨んだ元大関琴奨菊(日本相撲協会提供)

<こんな人>

日本相撲協会は大相撲11月場所8日目の15日、元大関の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の引退を発表した。また理事会で、琴奨菊の年寄「秀ノ山」の襲名が承認されたことも発表した。

   ◇   ◇   ◇

15年10月、浜松市で行われた秋巡業の終盤だった。幕内土俵入りを終えた大関琴奨菊が、自分を見つけると「スマホ貸して」と言ってきた。渡すと1本の動画を開き「これ、見て」と言って去って行った。「鷹の選択」という映像だった。

40歳になったタカは、そのまま老いさらばえて死を待つか、痛みを伴う苦しい旅の末に生まれ変わるか、どちらかを選択する-という物語。琴奨菊は自分に重ね合わせていた。「力が落ちたと認められなくて、オレも前者のタカだった。でも、いろんなことをやっていくと伸びしろがある。できないんじゃなくて、受け入れていないだけだと気づいた。変わりたいんだ」。

2桁勝利は少なく、かど番も5度経験し「ダメ大関」との陰口もあった当時。なぜ自分に打ち明けてくれたのかは分からない。直前に30分ほど話を聞いたからかもしれない。語り出した際の熱量のすごさを今も覚えている。日本出身力士10年ぶりの優勝を飾るのは、それから3カ月後だった。

「鷹の選択」という物語は実はフィクションだった。優勝後、その話をすると驚きつつ笑って言った。「自分は、教えてもらったことはまず全てうのみにする。全て聞く。そこから良いと思ったところを残していく。性格が素直だから」。

旺盛な相撲への探求心。イチロー氏や羽生善治九段、浅田真央さんの言葉、武井壮のトレーニング動画など、よかれと思うモノを取り入れた。情報過多になったこともある。考え方もその都度、変化した。それでも、その時々で自分が信じる道に迷いはなかった。

「変な話、自分はアンパンマンだと思っている。ケガや苦しさで顔が削られても、たくさんの人が助言や行動や愛で補ってくれて、新しい顔を入れ替えてくれる…みたいな。その気持ちに触れることで自信を持てるようになった。自分で言うのもなんだけど、素直だったから良かった」。

素直で相撲いちずだった1人の力士が役目を全うし、相撲人生に幕を引いた。【元相撲担当 今村健人】

優勝した16年初場所の千秋楽、取組前にルーティンをみせる琴奨菊

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元琴奨菊の秀ノ山親方が涙「思い出の一番は全て」

引退会見に臨んだ元大関琴奨菊(日本相撲協会提供)

元大関琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が大相撲11月場所8日目の15日、現役を引退し、年寄「秀ノ山」を襲名した。オンライン会見に臨んだ秀ノ山親方は「体が言うことを聞かず、ここが自分の終わりかなと思った」と引退理由を明かした。

幕内下位だった9月の秋場所で、左ふくらはぎを肉離れするなどし15年ぶりに十両に陥落した。幕内復帰を目指した今場所は、5日目終了時点で1勝4敗。実はこの時点で、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)に引退の意向を伝えたという。しかし、再起を促されて6日目の土俵へ。ただ「(6日目に)朝起きてみたら体が言うことを聞かなかった。両国国技館に行く車の中で『勝っても負けても最後にします』と師匠に伝えました」と明かした。

晴れやかな表情は、思い出の一番を問われて変わった。「幕下の時とか下の時に…」と話すと、右目に光るものが。続けて「厳しく胸を出してくれた兄弟子とか師匠の思いとか、苦労した時の方が思い出。思い出の一番は全てです」と話すと右目から涙を流した。

波瀾(はらん)万丈だった18年間の土俵人生。「まだできるなら相撲を取りたいのが本音。稽古場に行くとみんなが普段通りにしているのがうらやましい」と土俵との別れを惜しんだ。今後は、佐渡ケ嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。「壁にぶつかる子がたくさんいる。その先の光景を見せられるような指導をしたい」と、自身の経験を次の世代に伝えていく。【佐々木隆史】

▽十両の松鳳山(琴奨菊と同じ36歳)「同級生の兄弟子で、年代のトップを走り続けてきた人。お疲れさまでしたと言いたい。自分はまだまだ区切りをつけるにはほど遠い」

引退会見に臨んだ元大関琴奨菊(左)と師匠の佐渡ケ嶽親方

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元琴奨菊の秀ノ山親方「あの時の相撲を」一問一答2

16年初場所を制し八角理事長から賜杯受ける琴奨菊

大相撲で引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が15日、オンライン会見に臨み、引退を決意した理由や今の心境を明かした。

秀ノ山親方は、現在開催中の大相撲11月場所で15年ぶりに十両に陥落。幕内返り咲きを狙ったが6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、7日目の14日に休場届を提出し、引退の意向を固めた。

主な、一問一答は以下の通り。

-地元への思いは

秀ノ山親方 地元があって本当に温かいと思う。苦しい時期に笑顔で支えてくれて。そこに恩返しできるのは土俵の上しかないと思った。1つでも白星をあげて喜んでいただけるような結果を残したかったです。

-親方としてこれからどんな力士を育てたいか

秀ノ山親方 力士は番付社会ですけど、どんな時も壁にぶつかり、壁の先を知らずに苦しむ子がたくさんいる。その先の光景を見せられるような指導をしていきたいと思います。

-がぶり寄りへの思いは

秀ノ山親方 昔は若さゆえに何も考えずに、気持ち1つでその体勢になれた。年齢を重ねて体調を整えるようになって、そこも自分への追究になった。あの時の相撲を、もう1度したかったというのが本音です。

-優勝した時の思いは

秀ノ山親方 本当にすごいことをしたなと思います。部屋に賜杯を持ち帰れたことは、胸を出してくれた兄弟子とか親方衆、師匠に本当に気持ちを伝えられたかなと思います。

-あらためて数々の記録を振り返って

秀ノ山親方 大相撲の歴史の中でつくれたのは誇りに思います。

-横綱昇進への思いは

秀ノ山親方 横綱になりたくて相撲界に入門した。そこを目指したけど力及ばずで悔しいけど、その分違う方向性で相撲を追究できたのは今後に生きることだと思います。

-1つの理想を求めて追い込んだと思う

秀ノ山親方 やれることは全てやったなという気持ちです。自分がしっかりしとけば、どんなことでも1つの道につながっていくなと感じた。そこで方向性も、可能性も見たのでそこにチャレンジできたことはうれしいです。

-ご両親にはいつ引退の報告をしたのか

秀ノ山親方 引退の報告も一番最後。自分が納得するまでやれと昔から言っていたので、お疲れさんの言葉で「楽しませてもらったよと」言われた時には頑張ってよかったなと思いました。

-今、もう1度土俵に上がるとするなら誰と対戦したいか

秀ノ山親方 それは横綱稀勢の里関ですね。

-親交のあるプロ野球の内川選手にはどう報告して、どういう言葉をもらったか

秀ノ山親方 引退すると言った時に、「その日が来たか」と言ってもらった。場所前にも大事な言葉を言ってもらって、土俵は違うけどお互いが結果を出して喜んでもらおうとした。「ケガしても土俵に立っている姿は選手として感じるものがありました」と言ってもらえたことがよかったです。

-親方にとってのは相撲とは

秀ノ山親方 日常の考え方とかが全て土俵の上に現れたのかなと。奥が深く、まだまだその中で勉強したいです。

-これまでに引退がよぎったことはなかったか

秀ノ山親方 幕内から十両に落ちた時に、周りが思うほど、自分はいろんな可能性を感じていた。落ち込むことはなかったけど、自分の相撲が取れないと気づいた時は引退しようと思っていたので決意しました。

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大相撲で引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が15日、オンライン会見に臨み、引退を決意した理由や今の心境を明かした。

秀ノ山親方は、現在開催中の大相撲11月場所で15年ぶりに十両に陥落。幕内返り咲きを狙ったが6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、7日目の14日に休場届を提出し、引退の意向を固めた。

主な、一問一答は以下の通り。

-引退を決意した経緯は

秀ノ山親方 何とか頑張って応援してくれる方に結果を出そうと思ったけど、体が言うことをきかず、ここが自分の終わりかなと思って決断しました。

-6日目に「琴バウアー」をした

秀ノ山親方 自分ができることは全てやって、勝っても負けてもこの1番で終わろうと思っていましたので、応援してくれた方に感謝の気持ちが伝わればと思ったので。

-勝ってもやめるつもりだったのか

秀ノ山親方 そうです。前日に師匠に引退のことを考えている旨趣を伝えたけど、師匠からは一回ぶつかってみろと言われた。頑張ってみたけど、朝起きてみたら体が言うことを聞かず、両国国技館に行く車の中で「勝っても負けても最後にする」と師匠に伝えました。

-どんなことが胸にあったか

秀ノ山親方 なんとも言えないけど、まだできるなら相撲が取りたいというのが本音です。

-悔いはあるか

秀ノ山親方 やるべきことは全てしたけど、どうしても体が言うことを聞かないので。自分の相撲が取れないと感じたのでここで終わろうと決めました。

-今の心境は

秀ノ山親方 まだ慣れてなく、朝稽古場に行くとみんなが普段通りにしてるの見るとうらやましいです。

-家族へはどう伝えたか

秀ノ山親方 帰りの車の中で伝えた。妻の方は理解してくれて、子どもも理解してくれた。最後の相撲は家族を呼んで国技館で相撲を見せられたのはよかったです。中日のチケットを取ってたけど、そこまで続くか分からなかったので。

-大事にしてきたことは

秀ノ山親方 自分はご縁という言葉で、先代とのご縁と師匠とのご縁と、たくさんの方々とのご縁で佐渡ケ嶽に入って。ライバルにも出会えてここまでこられたので感謝です。

-思い出の一番は

秀ノ山親方 すごく聞かれると思って考えたけど、今思い出すのは幕下の時とか下の時に厳しく胸を出してくれた兄弟子とか師匠の思いとかライバルの存在が1番なので、どれがと言われたら苦労した時の方が思い出。思い出の一番は全てです。

-1番苦しかった時期はいつか

秀ノ山親方 いつも前向きだった。どこかにヒントがあるんじゃないかと思ってやっていた。

-原動力は何か

秀ノ山親方 ライバルの存在と同期生がどんどん上がっていって、自分も負けていられないと思って頑張ったことだと思います。

-稀勢の里関はどんな存在だったか

秀ノ山親方 土俵上は力を試される1番の相手と思ってぶつかって。1番の思い出は横綱との三番稽古で誰よりもぶつかったのが思い出です。

-それはどんな時間だったか

秀ノ山親方 無我夢中でくらいついた。気を抜いたら壊されるんじゃないかと思って、前日から備えたのが懐かしいです。

-井筒親方(元関脇豊ノ島)については

秀ノ山親方 小さい時から知っていて、いつも比べられるのが豊ノ島の存在で。先に新十両いかれて悔しい思いがあって、三役は私の方が早かったと思うけど、どんな時も意識して半枚でも上にあがろうという思いだった。

-3人の中で1番長く相撲を取った

秀ノ山親方 自分は納得いくまで取り切ろうと思ったので。

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琴奨菊が引退、年寄「秀ノ山」襲名 相撲協会が発表

大きく反り返る琴奨菊のルーティンワーク“琴バウアー”でファンを喜ばせた(16年初場所)

日本相撲協会は大相撲11月場所8日目の15日、元大関の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の引退を発表した。また理事会で、琴奨菊の年寄「秀ノ山」の襲名が承認されたことも発表した。今場所で15年ぶりに十両に転落した琴奨菊は、同場所6日目時点で1勝5敗と振るわず。同場所7日目の14日に休場届けを提出し、引退の意向を固めていた。

西前頭11枚目だった9月の秋場所は、左ふくらはぎ肉離れで途中休場。幕内残留のために途中出場するも、2勝10敗3休で05年春場所以来、15年ぶりに十両に転落した。場所前に取材に応じた際は「勝てば上がるという世界。前を向いていく。ネガティブにとらえがちだけど、ポジティブなところがたくさんある」と、現役続行へ意欲を見せていた。

再起を懸けた今場所だったが、白星は2日目の松鳳山戦のみ。思うような相撲が取れずに、厳しい現実と向き合うことになった。6日目の千代ノ皇戦では、仕切り時間いっぱいになった時、大きく背中を反らせる「琴バウアー」を久しぶりに披露。胸に秘める思いで上がった最後の土俵となった。

明徳義塾中で中学横綱に輝き、同高で団体など7タイトルを獲得。02年初場所で初土俵を踏み、代名詞「がぶり寄り」を武器に11年秋場所後に大関昇進を果たした。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりに賜杯を抱いた。先場所までの幕内在位は史上7位の92場所。幕内連続在位は史上4位の91場所、幕内勝利数は史上6位の718勝などと、名実ともに角界を代表する力士だった。今後は秀ノ山親方として後進の指導にあたり、大相撲を支えていく。

琴奨菊(2020年9月21日撮影)

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琴奨菊引退 通算出場回数現役1位/記録アラカルト

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<大相撲11月場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

元大関で現役最年長関取の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが大相撲11月場所7日目の14日、分かった。

15年ぶりに十両に転落した今場所は、6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、この日に休場届を提出した。日本相撲協会理事会の承認を経て、年寄「秀ノ山」を襲名する見通し。

<琴奨菊記録アラカルト>

▽通算出場回数 現役1位の1496回。

▽幕内出場回数 現役1位、史上6位の1332回。

▽幕内在位場所数 現役2位、史上7位の92場所。幕内連続在位は史上4位の91場所。関取在位は97場所。

▽通算勝利数 現役2位の828勝。

▽幕内勝利数 現役2位、史上6位の718勝。

▽関取最年長 36歳9カ月。

▽金星 大関陥落後に日馬富士、稀勢の里、白鵬を破り金星3個獲得。

11月場所6日目の13日、千代ノ皇(右)に寄り切りで敗れる琴奨菊

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琴恵光、琴奨菊から学んだ「迷ったら強く当たれ」

琴恵光(2020年11月11日撮影)

元大関で現役最年長関取の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが大相撲11月場所7日目の14日、分かった。15年ぶりに十両に転落した今場所は、6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、この日に休場届を提出した。

   ◇   ◇   ◇

琴奨菊の付け人を務めた琴恵光は「数え切れないほどのことを近くで教えてもらった」。その教えが現在の地位に結びついているという。「一番覚えているのが『迷ったら強く当たれ』。勝ち負けにこだわらず、自分を信じて思い切りいくことを教えていただいた」。

22歳の琴ノ若は「入門した当初から稽古つけてもらって上げてもらった。取り口とか見習って吸収して自分のものにしていきたい」と感謝。21歳で部屋頭の琴勝峰も「返しきれないぐらい深い恩がある。自分ができることはしっかり結果を出すこと」と話した。

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「琴バウアー」久しぶり披露 思い秘め最後の土俵に

取り組み前に琴バウアーを見せる琴奨菊(2017年1月19日撮影)

元大関で現役最年長関取の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが大相撲11月場所7日目の14日、分かった。15年ぶりに十両に転落した今場所は、6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、この日に休場届を提出した。日本相撲協会理事会の承認を経て、年寄「秀ノ山」を襲名する見通し。波乱続きの1年納めの場所は、大関貴景勝と小結照ノ富士が全勝をキープ。再入幕で奮闘する千代の国が初黒星を喫した。

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また1人、名大関が土俵を去る。琴奨菊が引退の意向を固めたことがこの日、関係者の話で分かった。西前頭11枚目だった9月の秋場所は、左ふくらはぎ肉離れで途中休場。幕内残留のために途中出場するも、2勝10敗3休で05年春場所以来、15年ぶりに十両に転落した。場所前に取材に応じた際は「勝てば上がるという世界。前を向いていく。ネガティブにとらえがちだけど、ポジティブなところがたくさんある」と、現役続行へ意欲を見せていた。

再起を懸けた今場所だったが、ここまでの白星は2日目の松鳳山戦のみ。「ここから1個1個かみ合ってくると思う。同じことを毎日やっていきたい」と手応えを口にしていたが、思うような相撲が取れずに厳しい現実と向き合うことになった。6日目の千代ノ皇戦では、仕切り時間いっぱいになった時、大きく背中を反らせる「琴バウアー」を久しぶりに披露。胸に秘める思いで上がった最後の土俵となった。

明徳義塾中で中学横綱に輝き、同高で団体など7タイトルを獲得。02年初場所で初土俵を踏み、代名詞「がぶり寄り」を武器に11年秋場所後に大関昇進を果たした。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりに賜杯を抱いた。先場所までの幕内在位は史上7位の92場所。幕内連続在位は史上4位の91場所、幕内勝利数は史上6位の718勝などと、名実ともに角界を代表する力士だった。

左膝などの故障が重なり、17年初場所で大関陥落が決まると、若手の台頭などにより徐々に番付を落とした。それでも、大関経験者の意地で土俵に上がり続けたが、ついに限界がきた。今後は年寄「秀ノ山」を襲名し、後進の指導にあたる見通し。約18年間の土俵人生に別れを告げ、次は親方として大相撲を支える。

◆琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次(きくつぎ)一弘。1984年(昭59)1月30日生まれ、福岡県柳川市出身。小3から相撲を始め、中高は高知・明徳義塾に進学。02年初場所で初土俵、04年名古屋場所で新十両、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝し、17年春場所で関脇に陥落。三賞は殊勲賞3回、技能賞4回。金星は3個。181センチ、186キロ。得意は左四つ、寄り。血液型O。家族は夫人と1男。

千代ノ皇(右)に寄り切りで敗れる琴奨菊(2020年11月13日撮影)

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「個性ある力士」「強い背中」/琴奨菊惜別コメント

16年初場所を制し八角理事長から賜杯受ける琴奨菊

<大相撲11月場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

元大関で現役最年長関取の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが大相撲11月場所7日目の14日、分かった。

15年ぶりに十両に転落した今場所は、6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、この日に休場届を提出した。日本相撲協会理事会の承認を経て、年寄「秀ノ山」を襲名する見通し。波乱続きの1年納めの場所は、大関貴景勝と小結照ノ富士が全勝をキープ。再入幕で奮闘する千代の国が初黒星を喫した。

▽八角理事長(元横綱北勝海) 琴奨菊はケガが多かったが、最後の最後まであきらめずよく頑張った。身長はないが腰が重く馬力があって個性のある力士だった。この頃の子どもは(指導が)難しいからよく(師匠ら)親方にならって勉強を積み重ねてほしい。

▽貴景勝(同じ二所ノ関一門) 膝のケアの仕方とかいろんなことを教えていただいた。強い背中を相撲界に入る以前から見てきました。

▽高安(入れ替わるように大関へ) 長年、稽古でも取組でも胸にぶつかっていった。感慨深いものがあるし、寂しい気持ち。相撲を突き詰めて努力していた方。とても影響受けました。

▽照ノ富士(同時期に大関を務めた) 長い間お疲れさまでした。いろんな意味で刺激をもらった先輩です。

▽徳勝龍(明徳義塾高の後輩) あこがれの先輩でした。菊関が大関の時にやりたかったですね。

大きく反り返る琴奨菊のルーティンワーク

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正代が休場「靱帯が伸びている」と枝川親方が説明

4日目の11日、大栄翔(左)に突き出しで敗れる正代(撮影・鈴木正人)

大相撲11月場所5日目の12日、左足首負傷で休場した新大関の正代(29=時津風)について、病気静養中の師匠、時津風親方(元前頭時津海)に代わって、部屋付き親方の枝川親方(元前頭蒼樹山)が説明した。初黒星を喫した昨夜、正代と話したといい「痛みもあるし怖いと言っていた」と説明し「靱帯(じんたい)が伸びている」と続けた。この日朝に休場を決めたといい、「初日は危なかったけど、その後の2日はいい相撲だった。これからと思ったけど」と残念がった。

正代は3日目の小結高安戦で、土俵際で逆転の突き落としを決めて土俵に落ちた際、左足首を負傷した。4日目はテーピングを施して土俵に上がるも、立ち合いから力が入らずに大栄翔に初黒星を喫した。再出場については「(正代は)意欲はあると思うけど、今は治療に専念します」と厳しい見通しだ。

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新大関の正代休場 2横綱2大関の不在は03年以来

新大関・正代

<大相撲11月場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

新大関の正代(29=時津風)が大相撲11月場所5日目の12日、日本相撲協会に「左遠位脛腓靱帯(けいひじんたい)損傷により約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出して休場した。新大関の休場は、現行のかど番制度となった1969年名古屋以降、2019年夏場所の貴景勝以来9人目。今場所は白鵬、鶴竜の両横綱が初日から不在で、大関朝乃山も3日目から休場。2横綱2大関の休場は03年初場所(横綱武蔵丸、貴乃花、大関千代大海、魁皇)以来となった。

正代は3日目の勝った小結高安戦で、土俵際で逆転の突き落としを決めて土俵下に落ちた際に、左足首を負傷したとみられる。4日目は左足首にテーピングを施して土俵に上がるも、三役返り咲きを狙う大栄翔の突き押しに粘ることなくあっさりと土俵を割っていた。

4日目まで3勝1敗だった正代は、このまま再出場しなければ、来年1月の初場所は大関2場所目にしてかど番で臨むことになる。

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