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大鵬孫、納谷が白星で2勝1敗「体が動いていた」

希帆ノ海(右)を押し出しで破る納谷(撮影・鈴木正人)

<大相撲九州場所>◇5日目◇15日◇福岡国際センター

元横綱大鵬の孫、西三段目11枚目納谷(18=大嶽)が三番相撲で白星を挙げ、星を2勝1敗とした。

東三段目12枚目希帆ノ海(34=出羽海)を圧倒した。立ち合いから優勢で、1度土俵際で右に回り込まれたが「やった感じで何となく横に動くのは分かっていた」とさえていた。やや体勢を崩してもすぐに持ち直し、一気に押し出した。「脇が甘くて腰が高いのは相変わらずだけど、体が動いていた」。

二番相撲で埼玉栄高の同級生、東三段目琴手計(19=佐渡ケ嶽)に完敗。「悔しかったけど、悔しがられるほどじゃない」と現時点での力の差を認め、切り替えた。「まだまだ立ち合いはもっと当たれる。脇を締めて、次はもっと下からいく意識で」と身ぶり手ぶりで表現。意識はすでに3連勝を狙う四番相撲へ向いていた。

希帆ノ海(右)を押し出しで破る納谷(撮影・鈴木正人)

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大鵬孫の納谷、高校同級生に寄り切られ今場所初黒星

大相撲九州場所3日目 三段目、琴手計に寄り切りで敗れた納谷(右)(撮影・今浪浩三)

<大相撲九州場所>◇3日目◇13日◇福岡国際センター

元横綱大鵬の孫、西三段目11枚目納谷(18=大嶽)が、高校時代の同級生に敗れ、今場所初黒星を喫し、1勝1敗となった。

完敗だった。埼玉栄高の同級生、東三段目10枚目琴手計(19=佐渡ケ嶽)と、今年名古屋場所以来2度目の顔合わせ。立ち合い負けでもろ差しを許し、苦しい体勢となった。苦し紛れに小手投げを打つも、なすすべなく寄り切りで敗れた。「突き放してまっすぐ前に出たかったけど…。良いところが全くなかった」と肩を落とした。

前回は押し倒しで敗れ、リベンジを期す一番だっただけに悔しい表情を見せた。高校時代は琴手計の方が格上。稽古でも全く勝てなかった。「(琴手計は)体が柔らかいので力が伝わりにくい。組まれると厳しい」。星は五分となったが、三番相撲へ「しっかり足を運んで前に出る相撲を取りたい」と意気込んだ。

琴手計(左)の攻めを耐える納谷(撮影・鈴木正人)
報道陣の質問に答える納谷(撮影・鈴木正人)

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琴手計 大鵬孫の納谷との“同級生対決”を制す

納谷(右)を破った琴手計(撮影・今浪浩三)

<大相撲九州場所>◇3日目◇13日◇福岡国際センター

東三段目10枚目琴手計(ことてばかり、19=佐渡ケ嶽)が西三段目11枚目納谷との“同級生対決”を制し、2勝目を挙げた。

両差しに持ち込み、後は焦らず追い込んだ。

「焦るのが自分の悪い癖。焦ると投げを食らうので、自分の型を守って攻めようと思った」

名横綱大鵬の孫として注目を集める納谷とは、高校相撲界の強豪・埼玉栄高の同級生。名古屋場所の初顔合わせも押し倒しで勝った。これで直接対決は2戦2勝だ。

ただし、それほど特別な意識はないという。「(同級生として)ちょっとだけ意識はありますけど…。相手が誰であろうと自分の形で相撲をとることだけを考えています」。好敵手との戦いを制し、満足そうだった。

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納谷が白星発進 初の九州場所に「水炊きおいしい」

魁禅(右)を押し出しで破った納谷(撮影・鈴木正人)

<大相撲九州場所>◇初日◇11日◇福岡国際センター

元横綱大鵬の孫、西三段目11枚目納谷(18=大嶽)が、幕下再昇進へ白星発進した。

東三段目11枚目魁禅(25=浅香山)を押し出した。「無駄なことを考えないで前に出ることだけを考えた」。幕下として初めて臨んだ先場所では、勝ち越しをかけた七番相撲で黒星を喫した。今場所は再び三段目からスタート。「先場所は細かい痛みを気にしていたが、今場所からは気にしないようにしている。自分の好きな前に出る相撲を取っている」。

今年の初場所で前相撲を取った納谷にとって、九州場所は初めて。「痩せてはいないけど体が動いているので、あまり食べ過ぎないようにしている」と食事に気を使っている。それでも「食べ過ぎは気をつけているけど水炊きはめちゃくちゃおいしかったです」と、九州のグルメに18歳らしいあどけない笑顔を見せた。

報道陣の質問に答える納谷(撮影・鈴木正人)

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ブラック・タイガーJr.がマスク取り正体明かす

マスクを脱いで正体を明かしたブラック・タイガーJr.の船木誠勝。右は初代タイガーマスク

リアルジャパンは24日、都内のホテルで会見し、12月6日開催の原点回帰プロレス後楽園大会の主要カードを発表した。

世界マスクマントーナメントは、準決勝1試合と決勝戦が行われる。すでに決勝進出を決めたブラック・タイガーJr.が会場に姿を見せ、マスクを取って船木誠勝であると正体を明かした。

船木は「自分なりにいろいろ考えたが、船木が中にいると分かっていただいた上で、日本式の今、自分が持っているワザを出して、ルチャ・リブレに挑戦したい」と話した。準決勝では、ドス・カラスJr.とイホ・デ・ブラック・タイガーが対戦する。船木は「ブラック・タイガー同士でやるより、ドス・カラスJr.とやりたい」と希望を口にした。

船木は3月の後楽園大会に船鬼と名乗りマスクをかぶって登場。大鵬3世、納谷幸男とタッグを組んだが、納谷の誤爆に怒り、納谷をパイプイスでめった打ち。レフェリーにも暴行を働き無効試合になった。

退場の際には、初代タイガーマスクを突き飛ばして会場をあとにしていた。正体を明かしてのリアルジャパン大会復帰戦を前に船木は「納谷には団体のエースになってもらわないと困るので、自分なりのエールを送ったつもり。(突き飛ばして)初代タイガーには復帰してもらえるかなと思った」と本心を明かした。

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黄金の左、のど輪落とし/輪島さん波瀾万丈人生

77年3月、春場所での輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

<輪島さん波瀾万丈人生>

◆虫嫌い 1948年(昭23)1月11日に石川県七尾市に理髪業の輪島家の長男として生まれる。4500グラム。ケガをすると家族は反対も石崎小3から相撲の町内大会などで優勝。香取中では野球部も相撲も稽古し、1年の奥能登、3年の県大会で優勝。蛇、カエル、ミミズと虫嫌い。東京五輪石川県聖火ランナー。

◆サイン稽古 金沢高では岡大和監督宅に下宿して1年で山口国体を制し、高2の夏に大鵬親方らから勧誘される。「有名になる」とサインを練習し、このため本名で通したともいわれる。監督の薦めで日大進学で新人戦優勝。3年で初めて学生横綱になる。

◆貴ノ花圧倒 日大時代に当時新十両で親友となる貴ノ花(初代元大関)に稽古で2勝1敗と勝ち越し。当時の二子山親方(元横綱若乃花)が貴ノ花に「関取の白まわしを締める資格がない」と激怒。2年連続学生横綱など大学通算14冠を引っ提げ、合宿所隣で気心知れた元前頭大ノ海の花籠部屋に入門。

◆快進撃 花籠親方は雑用を免除し、食事は親方宅、大部屋は3日で日大合宿所の2人部屋に戻った。70年初場所幕下尻付出で誕生日にデビューし、日大応援団も駆けつける中で7戦全勝優勝。「蔵前の星」と呼ばれ連続全勝優勝で夏場所最速新十両昇進。ザンバラが目に入ると美容室でパーマをかけ怒られた。

◆特例懸賞 70年夏3日目にプロ初黒星で連勝は16でストップし、名古屋で初負け越し。秋はライバルだった東農大出身の長浜(のちの小結豊山)と5戦全勝で対決。観客投票で幕内にかける懸賞の森永賞が特例でつき、この一番を制して13勝で十両優勝を飾る。

◆最短V 71年初に新入幕を果たし、夏は11勝で初の敢闘賞。72年初場所は新小結で北の富士から横綱初勝利し、初の殊勲賞となる。夏に関脇で12勝を挙げて最短15場所で初優勝を飾る。学生相撲出身では山錦以来42年ぶり。

◆貴輪時代 72年秋の千秋楽は貴ノ花と水入りの一番を制して、13勝の準優勝で貴ノ花と大関同時昇進し、貴輪時代到来といわれた。昇進を機にしこ名を博から大士に改名。63勝で初の年間最多勝。豪華マンションに住み、リンカーン・コンチネンタルを乗り回し、外国製腕時計をして、プロ野球や芸能人と交流した。引退後の81年、2人はそろって資生堂のテレビCMに出演した。

◆稽古嫌い 稽古が嫌いで、まだ若手の千代の富士が1度出稽古に来ると、部屋に入る前に「帰れ」と追い返した。腰が軽くなるといわれたランニングを導入。二子山親方が「マラソンで強くなるなら(メキシコ五輪銅の)君原は大横綱だ」と吐き捨てたという。貴ノ花は「本当に稽古しないのに強く天才」と言った。

◆本名横綱 73年春の13勝まで3場所連続準優勝で、夏に初の全勝優勝で54代横綱に昇進。学生相撲出身、本名の横綱は史上初で、石川出身は阿武松以来145年ぶり。秋に全勝で横綱初優勝。九州は貴ノ花を下して12連勝も、右手指の間を3センチ裂いて6針縫う。13日目に負けたがV4が決定し、14日目から2日間休場と史上初めて休場して優勝となった。

◆黄金の左 75年春から3場所連続休場した。秋から気分一新して黄金の締め込みに替え、「黄金の左」と呼ばれるようになった。78年から休場が多くなり、この年は優勝なし。80年九州では外出を控えて体力温存し、最後となる14度目の優勝となった。

◆親方廃業 師匠が定年を迎える81年春は3日目で引退し、12代目として花籠部屋を継承した。審判委員などを務め、82年夏には輪鵬、花ノ国が新十両など4人の関取を育てた。85年11月に実妹が年寄名跡を借金の担保にし、2階級降格と無期限謹慎処分。借金4億円などで12月に廃業し、力士らは放駒部屋に移籍した。

◆転身 86年4月に全日本プロレスに入門し、米国やプエルトリコで修行。8月に米国でジャイアント馬場とタッグを組んで白星デビュー。11月に地元石川で国内デビューし、凶暴さで鳴らすタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦。両者反則で引き分けも場外乱闘にもひるまなかった。

◆存在感 レスラー時代の必殺技はゴールデン・アームボンバー(のど輪落とし)。初のテレビ中継の視聴率は20%を超えた。87年にはリック・フレアー、スタン・ハンセンとタイトル戦でも対戦し、元前頭の天龍から妥協なき攻撃を受けて語り草に。88年12月に体力の限界で引退した。

◆家族 留美夫人と1女1男。長男大地さんは17年夏の甲子園に天理高の一員として出場。準々決勝明豊戦に2番手投手として登板した。

70年5月、夏場所の輪島さん。パーマがかかっているように見えるが…
74年7月、名古屋場所の優勝決定戦で横綱輪島さんは「黄金の左」下手投げで北の湖(右)を大逆転する
スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん(1987年4月24日撮影)

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大横綱、理事長経験者が相次ぎ死去 喪失感漂う角界

北の湖さん(右)を寄り切りで破った輪島さん(1975年1月26日撮影)

近年は大相撲史に残る歴代横綱たちが、相次いで天国へと旅立っている。9日には輪島大士さんの死去も判明。「平成の大横綱」だった元貴乃花親方の退職に揺れる角界は、寂しさに襲われた。

5年前には史上1位(当時、現在は2位)の優勝32度を記録した大鵬が72歳で逝去。全盛期は「巨人、大鵬、卵焼き」と称されるほどの国民的人気を誇り、現役引退後は一代年寄として圧倒的な威厳を保ち続けた。

2015年には史上5位の優勝24度を誇る北の湖が急逝。現職の日本相撲協会理事長だった九州場所中の訃報は衝撃を与えた。輪島さんは当時、好敵手の死を受け「先に逝かれて寂しい。俺はもう少し頑張る」などと文書でコメントした。

16年には小兵ながら史上3位の優勝31度で「小さな大横綱」、精悍(せいかん)な顔つきと気迫で「ウルフ」と呼ばれた千代の富士が力尽きた。北の湖は62歳、千代の富士は61歳。ともに還暦土俵入りを務めた後だった。

「土俵の鬼」と恐れられた元横綱初代若乃花は10年に82歳で逝き、境川理事長として角界改革を目指した元横綱佐田の山は昨年に79歳で死去。11年には稀勢の里関の師匠、鳴戸親方(元横綱隆の里)が59歳で急死。後に横綱となる弟子が大関昇進へ挑む九州場所直前の出来事だった。10年以降で理事長経験者3人、一代年寄2人(千代の富士は辞退)が亡くなり、喪失感の大きさはぬぐえない。

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平成の大横綱去る…貴親方の退職届、満場一致で受理

大相撲の臨時理事会を終えて会見する八角理事長(撮影・小沢裕)

平成の終わりに「平成の大横綱」が角界を去った。貴乃花親方(46=元横綱)が1日、日本相撲協会を退職することが決まった。東京・両国国技館で行われた臨時理事会で、退職届と貴乃花部屋の力士8人、床山、世話人の計10人の千賀ノ浦部屋への所属先変更願について審議され、満場一致で受理され、貴乃花部屋は消滅。八角理事長(元横綱北勝海)は「残念」などと話し、これまでの功績、貢献をたたえた。貴乃花親方は何らかの形で相撲に携わりたい意向を示している。

20人余りの役員で行われた臨時理事会は、わずか30分程度で終了した。9月27日の理事会では書類に不備があるなどの理由で議題に挙がらなかった、貴乃花親方の退職届と、その弟子らの千賀ノ浦部屋への所属先変更願について審議。八角理事長は「残念だという思いはみんなあったと思う」と話したが、異論は出ず、満場一致で承認された。

現役時代の若貴ブーム、10年に二所ノ関一門を飛び出して役員候補選挙に出馬した貴の乱、そして昨年の元横綱日馬富士関による暴行事件を巡る協会への徹底抗戦。88年の初土俵から30年、良くも悪くも相撲界に注目を集めた「平成の大横綱」が相撲協会を去った。

貴乃花親方はこの日、臨時理事会前に自身の応援会公式サイトでメッセージをつづった。ファンに向けて弟子への変わらぬ声援を求め、師匠ではなくなったことを印象づけた。9月25日に退職の意向を示して以降も心変わりはない。この1年、特に対立してきた八角理事長も従来と違い、最後は称賛を惜しまなかった。

八角理事長 貴乃花親方は22回の優勝をなし遂げた立派な横綱です。大相撲への貢献は非常に大きいものがありました。今回、このような形で相撲協会を去ることは誠に残念。いろいろありましたけど、いつか一緒に協会を引っ張っていくと思っていただけに残念。

協会執行部との対立は深刻だった。元日馬富士関の貴ノ岩への暴行事件では、内閣府に告発状を提出。徹底抗戦の構えだった。その後、取り下げたが、内容については事実無根と認めろと迫られたと明かした。また今回の背景に、全ての親方は5つある一門のいずれかに所属しなければならないという、7月26日の理事会で話し合われた議案がある。これが唯一、無所属の貴乃花親方を追い詰めた。

だが実は、八角理事長は「高砂一門で受け入れを協議する用意がある」と、自身の所属一門に迎える計画を明かした。他の4つの一門も受け入れを拒絶してはいないと強調。告発状の件も協会側は全面否定した。食い違いが互いに不信感を招き、貴乃花親方から弁護士を通じてのみ接触を求められた八角理事長は「直接会ってお話しできなかった」と説明後、何度も繰り返した「残念」と付け足した。

優勝22回は横綱白鵬の41回を除けば親方衆の中で断トツだ。優れた成績を残した横綱に与えられる大鵬、北の湖(ともに故人)に続く一代年寄名跡が消滅。1つの時代が終わった。

16年3月、横綱審議委員会で隣の席に着く貴乃花理事(右)と八角理事長

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大鵬、北の湖 大横綱の“格”貴親方に必要だった愛

大鵬さん(2005年2月5日撮影)

大相撲の中で脈々と息づいてきたものが、「格」だった。数字や明確な定義では測れるものではない。現役時代の相撲で見せつけてきた強さと風格、そして実績で、力士の間では絶対的な序列を示す指標だった。

その「格」という価値観は、代々の大横綱の中で受け継がれてきた。私が担当記者として知る限りでは、その出発点は大鵬さんだった。32回の優勝を誇り、日本相撲協会が初めて一代年寄を決めた、大功労者だった。その大鵬さんを「相撲の神様」として慕い、酔えば「おやじ」と呼び、心から敬愛していたのが北の湖さんだった。北の湖さんは優勝24回で、「憎らしいほど強い」と言われ、負けてニュースになる圧倒的な強さを誇っていた。

貴乃花親方は、その2人にとてもかわいがられていた。毎年5月、大鵬さんの誕生日には、北の湖さんが必ず訪れた。北の湖部屋は、大鵬部屋(いずれも当時)から徒歩2分の距離。大鵬さんは二所ノ関一門、北の湖さんは本家本元の出羽海一門の、それぞれ一門をまとめる親方衆の中でも圧倒的な存在だった。

その特別な席に、貴乃花親方も短時間でも駆けつけ、大鵬さんの誕生日を祝っていた。そこで、大鵬さんは出席者が何人もいる中で、貴乃花親方に対していつも優しい口調でこう諭していた。「自分だけで強くなったんじゃないんだよ。みんなで相撲協会を繁栄させていかなきゃいけない。理事長(北の湖さん)を支えて、他の親方衆ともちゃんと腹を割って話をしないとだめじゃないか」。

貴乃花親方にとっては耳が痛い内容ばかりだった。しかし、貴乃花親方は笑顔で「はい」とうなずき、そして大鵬さんの低音で、ゆっくりとした言葉に耳を傾け、また「はい」。素直に返事をしていた。そんな様子を、北の湖さんはいつも黙って見ながら、淡々と杯を重ねていた。

貴乃花親方は自分に苦言を呈してくれる大鵬さんを敬っていた。両国の国技館の地下駐車場で、大鵬さんがゆっくりとした動作で、付け人の手を借りながら車に乗り込もうとしていると、必ずそばにきて「お疲れさまでございます」と、丁寧にあいさつをしていた。素通りするなどという失礼はしたことがなかった。むしろ、ちょっとした瞬間に、とっさに大鵬さんの右手に手を添えて介助する優しさも見せていた。そんな時、大鵬さんはひときわうれしそうな顔を浮かべた。そんな2人の様子は厚い信頼関係でつながっていると感じさせた。

それが、たとえ貴乃花親方よりも先輩親方であろうと、反目していれば決然とした態度で視線も合わせない。はっきりしているというよりも異様だった。体から緊張感をみなぎらせ、絶対に寄せ付けない迫力を放っていた。

北の湖さんは、理事長時代に「貴乃花はいずれ理事長にならないといけない。それが大鵬さんの願いであり、俺はそれまで頑張らないといけない」と言い、貴乃花理事長時代まで相撲協会を支える決意を何度も口にしていた。

大鵬さんはよく語りかけ、何度でも注意を促し、北の湖さんは黙って見守る、そういう中で貴乃花親方は協会の中枢への道を上っていくはず、だった。大鵬さんが亡くなり、北の湖さんも病に倒れ、他界した。

土俵で強かったこと、後輩力士をかわいがり人望があったこと。それが優勝回数だけで表せないお相撲さんの「格」として、相撲界では大切にされてきた。貴乃花親方が大鵬さん、北の湖さんから伝承された「格」は、とうとう貴乃花親方でついえてしまう。本来、貴乃花親方が後進にそれを伝えていかなければならなかった。それができなかった不器用さであり、まだまだ貴乃花親方には2人の大横綱の愛情が必要だったということか。言い換えれば、それだけ孤独で、現在の相撲協会では突出した存在だったということなのかもしれない。【井上真】

北の湖さん(2012年1月30日撮影)
貴乃花親方(2004年3月4日撮影)

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白鵬、天国の父にささげた優勝 大鵬超え13年連続

白鵬(右)は豪栄道を上手投げで下し41度目の優勝を決めた(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>◇14日目◇22日◇東京・両国国技館

横綱白鵬(33=宮城野)が、今年初めてとなる41度目の優勝を達成した。大関豪栄道を下して、同時に史上初の幕内通算1000勝も達成。4月に死去して天国で見守る、父ジジド・ムンフバトさんにささげる記録的な優勝となった。さらに、初優勝した06年夏場所から13年連続での優勝となり、12年連続で優勝した大鵬を抜いて史上最長となった。

今年初めての優勝をかけて臨んだ結びの一番。数々の記録を打ち立ててきた白鵬にとっても重圧はかかった。

1度目の立ち合いはつっかけて、2度目の立ち合いでは先に手を着いた豪栄道を前に、自ら嫌って立った。3度目の立ち合い。左前みつに手がかかるも外れて左上手を取ったが、その一瞬の隙を豪栄道に突かれた。前に出られて土俵際へ追い込まれたが慌てず、上手投げで勝負あり。優勝をかみしめるかのように、左腕を軽く一振りした。

支度部屋では無数のカメラのフラッシュを浴びた。「あー、目が痛い」。言葉とは裏腹に笑みを浮かべた。昨年の九州場所以来5場所ぶりの優勝。白鵬にとっては久しぶりの優勝に「んー、話せば終わらない」とあえて多くは語らずに喜びを表現した。

4月に最愛の父ムンフバトさんが、肝臓の病気などで亡くなった。1968年(昭43)のメキシコ・オリンピック・レスリング銀メダリストで、モンゴル相撲の元横綱。そんな偉大な父の背中を追って、幼少期にモンゴル相撲を始めようとした。しかし「まだ早い。骨ができていない」と止められた。適齢期の16歳をまだ迎えておらず、バスケット少年になった。それでも夢を捨てきれず、16歳になる01年に海を渡って大相撲の扉をたたいた。

父のDNAを引き継いだ白鵬は、すぐに頭角を現した。新十両昇進を決めた18歳の03年九州場所では、1場所だけで体重が15キロも増加。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)も「あんなに小さい体の子がここまでこれるとは思ってなかった」と目を丸くした。父の一言が、白鵬をここまで大きくした。

今場所は8日目に横綱800勝を達成。そしてこの日、41度目の優勝と幕内通算1000勝を達成。次はどんな大記録を狙うのか-。「目指せ1001勝」。まずは今日の一番に集中する。【佐々木隆史】

▼幕内後半戦の阿武松審判長(元関脇益荒雄)のコメント 白鵬の、あの待ったはいただけない。これだけ優勝している横綱。きちっと合わせることはできるはず。相撲自体はさすがです。ここという時の集中力と、今場所は気迫があった。やはり第一人者。全ての記録が通過点なのでは。

幕内通算1000勝と通算41回目の優勝を飾った白鵬は「HAKUHO-METER」を掲げる(撮影・小沢裕)

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納谷「横綱DNA対決」に敗れ三段目陥落決定的

報道陣の質問に答える納谷(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇13日目◇21日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫で、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が、東幕下56枚目豊昇龍(19=立浪)との「横綱DNA対決」に敗れた。3勝4敗で負け越しが決まり、来場所での三段目陥落が決定的となった。

初場所の前相撲を含めて2連勝中だったが、初めて土をつけられた。突き放して前に出る相撲が持ち味の納谷が、立ち合いでぶつかるとすぐに左を差した。しかし豊昇龍に左へ体を開かれ、首投げを食らい1回転。土俵に背中を打ちつけた。

「前に出ようと思ったけど上体だけで攻めようとしてしまった」と肩を落とした納谷。豊昇龍への意識を問われると「それはない」ときっぱり答えた。

「(今場所は)勝たなきゃいけないところで勝てなかった。しっかり自分の体をいかして前に出る相撲を磨いていきたい」

現在の番付は幕下最下位の60枚目で、来場所は三段目からの再スタートが濃厚。「ちゃんと自分で(結果を)受け止めて、負け越すことがないようにしたい」と、今場所の結果を糧とすることを誓った。

納谷(左)をくび投げで下す豊昇龍(撮影・河田真司)
納谷(右)を首投げで破る豊昇龍(撮影・鈴木正人)

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元横綱朝青龍のおい豊昇龍 大鵬孫納谷破り勝ち越し

納谷(左)をくび投げで下す豊昇龍(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇13日目◇21日◇両国国技館

元横綱朝青龍のおい、東幕下56枚目豊昇龍(19=立浪)が元横綱大鵬の孫、東下60枚目納谷から初白星を挙げ、7番相撲で勝ち越しを決めた。

「やっと勝ち越せました。うれしかった」と同学年のライバルには、初場所の前相撲、春場所の序ノ口と2戦2敗。3度目の“横綱DNA対決”も立ち合いから押し込まれたが、逆転の首投げで、納谷を豪快にひっくり返した。「下まわしをとろうと思ってとれなくて…。(首投げは)迷わずいきました。(危なかったけど)勝つという気持ちが強かったので」。

11日目に3連敗を喫し、3勝3敗で納谷と星が並んで時点で、この日の対決を予想していた。「場所でまだ勝ったことがないので、絶対に勝とうと思った。前相撲の時は『次は勝ちます』と言って、前負けた時は『次は絶対に勝ちます』と言いましたよね?」。予告通りの三度目の正直に声が弾む。来場所は幕下でさらに番付が上がる。「とりあえず、もうちょっと体をでかくして、がんばります」。115キロから増量し、持ち前のスピードに加え、パワーアップを目指す。

納谷にはじめて勝った豊昇龍は報道陣に囲まれて笑顔を見せる(撮影・小沢裕)

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大鵬3世納谷、初メイン勝利 佐山体調不良で誓い

雄たけびを上げながらKAZMAに突進する納谷

<リアルジャパン:後楽園大会>◇20日◇後楽園ホール

大鵬3世納谷幸男がデビュー6戦目のリングで初のメインに登場し、6人タッグ戦で雷神矢口をニーアタックから逆片エビ固めで仕留めた。

デビューから1年。先生と仰ぐ佐山の体調不良を間近にし「迷惑ばかりかけている。自立して、頑張りたい」と誓った。

納谷は矢口にニーアタックを決める

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大鵬孫の納谷が五分に戻す 恩師のげきで「気合」

隠岐の浜(右)に激しく攻める納谷(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇11日目◇19日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が六番相撲に臨み、押し出しで星を五分に戻した。

東三段目3枚目隠岐の浜(21=八角)を押し出しで下した。立ち合いで「弾くように突き放せなかった」と反省するが、一歩も引かず常に前へ出た。

五番相撲で敗れた夜、埼玉栄高の恩師、山田道紀監督から電話で「攻めきらなきゃ」とげきを飛ばされた。「気合が入った」と納谷。3勝3敗。七番相撲で勝ち越しを目指す。負け越せば三段目陥落が決まるが「しっかり気負うことなく自分の相撲を取れるようにしたい」と、番付は意識しなかった。

隠岐の浜を下し、記者に囲まれた納谷は笑顔を見せる(撮影・河野匠)

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大鵬孫の納谷、2勝3敗で三段目陥落へ後なくなる

佐々木山(手前)に寄り倒しで敗れる納谷(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇10日目◇18日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が、三段目陥落へ後がなくなった。

東幕下59枚目佐々木山(27=木瀬)に寄り倒しで敗れ、2勝3敗と黒星先行。「立ち合いは良かった」と頭からぶつかって突き放したが、すぐに前へ出ることができなかった。体を密着させられ「肩まで入るくらい」深く左を差された。納谷は右のおっつけで対抗するが、そのまま一気に土俵際まで後退。最後は土俵の外で背中に土をつけた。

「前に出て突き放す相撲が取れていない」と幕下のレベルに苦戦している。あと一番落とせば負け越しが決定。番付が幕下最下位の納谷は、再び三段目へ陥落することが確実だ。

幕下在位へもう1敗もできないが、場所中の心境の変化は「ないです」ときっぱり。「あとしっかり2番取るだけです」と淡々と語った。

報道陣の質問に答える納谷(撮影・鈴木正人)

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納谷が連敗止め2勝2敗、父や師匠にしかられ発奮

勝誠(左)に押し出しを仕掛ける納谷(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇7日目◇15日◇両国国技館

元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が西幕下57枚目勝誠(32=境川)を押し出しで破り、連敗を2で止め、2勝2敗と星を五分に戻した。立ち合いから左を差されたものの、焦らず体勢を整えてから前に出た。「突き放していこうと思ったんですが…。しっかり我慢してできました」。

前日6日目に三番相撲で星を落として黒星が先行すると、取組後には初めて、父忠茂さん(元関脇貴闘力)から叱責(しっせき)の電話がかかってきたという。「見ていてイライラするじゃないですが“気の抜けた顔しやがって”と言われました」と苦笑い。また母校埼玉栄高相撲部の山田道紀監督からも電話があり「オマエの相撲じゃないよな」と言われ、師匠の大嶽親方(元十両大竜)にも「すぐ相手を振らず、前に出ろ」としかられた。

「おかげで“やったやる”という気持ちになりました。負けるなら、前に出て負けるぐらいで」。元関取、幕下上位力士がいる幕下で勝ち抜くことが簡単じゃないことはわかっている。「負けが先行することとかには、元からこだわっていません。しっかり4番勝つこと。ここからまたしっかり頑張ります」。残り3番でまず2勝を見据え、気を引き締め直していた。

支度部屋に引き揚げる納谷(撮影・鈴木正人)

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大鵬の孫納谷が初土俵以来初の連敗「実力の問題」

魁(右)に破れ首をかしげる納谷(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇6日目◇14日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が、初土俵以来初めて連敗を喫した。

十両経験のある東幕下58枚目魁(32=芝田山)との初顔合わせ。押し相撲で攻め立て、押し切れず投げ技で勝負に出たが失敗。体勢を崩したところを送り出された。

「立ち合い当たって前に出ようと思ったけど、腰が高かったし2歩目が出なかった」と反省しきり。幕下力士の壁にぶつかるが「相手が強いとかじゃない。自分の実力の問題」と、うつむきがちに話した。

納谷(左)は送り出しで魁に敗れる(撮影・小沢裕)
魁(左)に送り出しで敗れる納谷(撮影・狩俣裕三)

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「過激な仕掛け人」新間寿会長プロレス界から引退

20日の原点回帰後楽園大会を最後にプロレス界からの引退を発表した新間寿・リアルジャパン会長(右)と同平井社長

昭和プロレスの「過激な仕掛け人」として、新日本プロレスなどで活躍した新間寿・リアルジャパン会長(83)が13日、都内で会見し、20日の原点回帰・後楽園大会を最後にプロレス界から引退すると発表した。

新間氏は「9月20日をもってプロレス界から身を引きます。あとは若い人たちに任せ、佐山さん(初代タイガーマスク)と、いじめ撲滅など社会活動を一緒にやっていこうと思います」と話した。

中大時代の54年に力道山の日本プロレスに練習生として通いプロレス界に足を踏み入れた。新日本では専務取締役営業本部長としてアントニオ猪木とムハマド・アリの異種格闘技戦を実現させ、タイガーマスクを誕生させ、黄金時代を築くなど、らつ腕を振るった。3年前に、佐山サトルに請われ、リアルジャパンの会長に就任。昨年からは、プロデューサーとして「原点回帰」大会を引っ張ってきた。

今年に入り体調を崩し、息子である寿恒氏が同団体に加入したことなどで、一線から身を引くことを考えたという。「大鵬3世が入ってきたときに、もう1回、育てたいと思ったけどね。そういう気力がなくなってきた」と心残りを話した。

突然の発表に、同団体の平井社長は「まだまだ、団体で活躍してほしい。(引退は)絶対阻止したい」と困惑気味に話していた。

20日の後楽園大会では、新間氏が所有する猪木VSアリ戦のポスター30枚や、いじめ撲滅キャンペーンポスター20枚を、ボール投げでボールをキャッチした観客にプレゼントするという。

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元朝青龍おい豊昇龍が連勝、大鵬孫納谷は敗れる

佐田ノ里(右)に激しく攻める豊昇龍(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇4日目◇12日◇東京・両国国技館

元横綱朝青龍のおいで、東幕下56枚目豊昇龍(19=立浪)が初日から2連勝を飾った。

まわしにこだわらず、突き押し相撲で東幕下57枚目佐田ノ里(25=境川)を押し出し。右をあてがわれ勢いを止められる場面もあったが、約5秒で決着をつけた。「思った通りに攻められた」と声を弾ませ「今場所は前へ出る相撲を意識している」と話した。

一方で、元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)は、東三段目筆頭常陸號(33=藤島)に押し倒しで敗れ1勝1敗となった。2番後に取組を控え、土俵下で納谷の黒星を見届けた豊昇龍は「でもそれで俺が(気を)抜いちゃ駄目だから。集中していきました」と気を緩めることはなかった。

常陸號(左)に押し倒しで敗れる納谷(撮影・鈴木正人)

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大鵬孫納谷「大舞台、大きな経験」W1初参戦で激勝

他団体初出場の納谷幸男(右)は伊藤貴則にランニングニーを決める(撮影・酒井清司)

<W-1:横浜大会>◇2日◇横浜文化体育館

大鵬3世納谷幸男(24=リアルジャパン)が、初の対外試合で激勝した。

デビュー5戦目でW-1横浜文化体育館大会に参戦。7月のデビュー4戦目のリアルジャパン後楽園大会で初タッグを組んだW-1の河野真幸と組んで、伊藤貴則、佐藤嗣崇組と対戦。伊藤からエルボー連打の洗礼を受け、伊藤、佐藤合体のボディーアタックで、尻もちをついた。それでも伊藤を首投げで豪快に投げ飛ばし、最後は得意のランニングニーから片エビ固めで佐藤をフォールした。

納谷は「楽しかった。普段、自分たちのリングでは味わえない緊張感もあり、大舞台でやることができて自分にとって大きな経験になった。またやりたい」と継続参戦に前向きだった。観戦したW-1会長の武藤敬司は「大きさがいい。場数を踏んで経験を積めば楽しみ」と期待を寄せていた。

W-1初勝利の納谷幸男(左)と河野真幸(撮影・酒井清司)

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