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小川直也がプロレスラーへ怒りの呼びかけ「早くしないと」猪木さん追悼大会いまだ参戦発表なし

のぼりを掲げる小川(撮影・勝部晃多)

10月1日に心不全のため79歳で死去した元プロレスラー、政治家のアントニオ猪木さんの弟子にあたる元プロレスラーで、格闘家としても活躍したバルセロナオリンピック(五輪)柔道男子95キロ超級銀メダリストの小川直也氏(54)が、プロレスラーへ怒りの呼びかけを行った。

9日、今月28日に東京・両国国技館で開催する「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」の第2弾対戦カード会見に「令和猪木軍」の総監督として登場。猪木さんの追悼イベントとして行われる同大会に、いまだにプロレスラーの参戦発表がないことに対して感情をむき出しにした。

先月の記者会見でも、RIZINファイターやプロレスラー参戦の発表がなかったことに立腹だった小川はこの日、RIZINファイターの矢地祐介、貴賢神の参戦に「感謝しかないです」と喜びを示した。

だが、会見後の囲み取材では、プロレスラーに対し「本当におかしい。早くしないと(枠が)なくなっちゃうよ。心配じゃないのかな。どんどん言ってきてほしい。なんかおかしいぞ、プロレスラーは」と、首をかしげた。そして「これは『協力』じゃなくて『お勤め』。そこだけははき違えないで欲しい」と強調。語気を荒らげて、早期の参戦表明を呼びかけていた。

同大会は元K-1プロデューサーの谷川貞治氏がプロデュース。スーパーバイザーをRIZINの榊原信行CEOが務めている。

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RIZIN矢地祐介ら参戦決定「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」第2弾3カードを発表

矢地祐介(2021年12月9日撮影)

格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE巌流島事務局」は9日、都内で記者会見を開き、今月28日に東京・両国国技館で開催する「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」の第2弾対戦カード3試合を正式に発表した。

RIZINから矢地祐介(32)の参戦が決定。ルール未決定ながら元K-1王者木村“フィリップ”ミノル(29)と対戦する。初代KNOCK OUTフェザー級王者でキック13戦全勝の龍聖(21)はダウサコン・モータッサナイ(32)と、岩崎大河(25)は元ベラトール世界王者のラファエル・ロバト・ジュニア(39)との対戦が決まった。

また、大相撲の元幕内で、昨年7月の名古屋場所中に大麻たばこを使用して日本相撲協会から解雇処分を受けた元貴源治こと貴賢神(25)の緊急参戦が決定。その他、オープニングファイトで猪木さんの愛弟子・中谷優我の参戦、リングアナウンサー田中ケロ氏の登場も決まった。

この日発表されたカードは以下の通り。

◆木村“フィリップ”ミノル-矢地祐介(ルール調整中)

◆ラファエル・ロバト・ジュニア-岩崎大河(MMAルール5分3回 88・5キロ)

◆龍聖-ダウサコン・モータッサナイ(巌流島ルール3分3回 58キロ)

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小川直也氏、猪木さん追悼行事に著名レスラー参戦なく「おかしいだろこれ!」 机たたき激怒

記者会見で語気を荒らげる小川。左は谷川プロデューサー(撮影・勝部晃多)

先月1日に心不全のため79歳で死去した元プロレスラー、政治家のアントニオ猪木さんの弟子にあたる元プロレスラーで、格闘家としても活躍したバルセロナオリンピック(五輪)柔道男子95キロ超級銀メダリストの小川直也氏(54)が、記者会見で激怒した。

25日、12月28日に東京・両国国技館で開催する「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」の第1弾対戦カード会見に、「令和猪木軍」の総監督として登場。猪木さんの追悼イベントとして行われる同大会には、元K-1スーパー・ウエルター級王者木村“フィリップ”ミノルや元ベラトール世界ミドル級王者ラファエル・ロバト・ジュニアらの参戦が発表された。

だが、小川はこの日、著名なプロレスラーやRIZINファイターの発表がなかったことに対して不快感をあらわに。「正直、まだまだこれでいいのかという思いが強い。みんなで成功しようと言っているんですが、肝心なプロレスラーが名乗りを上げていない。協力関係にある新日本、RIZIN。1人も選手がいない。どういうことなのこれは。おかしいだろこれ!」とヒートアップ。机をたたいて感情をむき出しにした。

そして「本当にこれはみんなで応援するイベント。今日いないことが本当に不満に思います。僕からのお願いです」と、頭を下げて出場を呼びかけていた。

これには、大会プロデューサーを務める元K-1プロデューサーの谷川貞治氏もタジタジ。「バラさん(RIZIN榊原信行CEO)とこれから相談します」と話した。

記者会見で語気を荒らげる小川。左は谷川プロデューサー(撮影・勝部晃多)
記者会見後に写真に納まる登壇者。左から宇佐美、タナベ、小川、シビサイ、木村、関根(撮影・勝部晃多)

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猪木さん追悼12・28「巌流島」両国大会カード決定 元UFC王者バーネットら参戦

アントニオ猪木さん(2020年2月撮影)

格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE巌流島事務局」は25日、都内で記者会見を開き、12月28日に東京・両国国技館で開催する「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」の第1弾対戦カードを発表した。

RIZINでも活躍するシビサイ頌真(31=パラエストラ東京/巌流島)は元UFCヘビー級王者ジョシュ・バーネット(45=米国)と、関根“シュレック”秀樹(49=ボンサイブルテリア)はチェコのヤン・ソウクップ(43)と対戦する。その他、元ベラトール世界ミドル級王者ラファエル・ロバト・ジュニア(39=米国)、元K-1スーパー・ウエルター級王者木村“フィリップ”ミノル(29)の参戦も決まった。

同大会は、先月1日に心不全のため79歳で死去した元プロレスラー、政治家のアントニオ猪木さんを追悼するため、マネジメント会社IGF(猪木元気工場)の協力の下で開催。大会プロデューサーを務める元K-1プロデューサーの谷川貞治氏は「令和猪木軍が世界の強豪に立ち向かう。猪木さんというレジェンドの名前をお借りし、将来を見据えるような若い可能性を中心にする。短期間で良いマッチメークができた」と胸を張った。

この日発表されたカードは以下の通り。

◆イゴール・タナベ-メルビン・マヌーフ(RIZIN MMAルール5分3回 92キロ)

◆ジョシュ・バーネット-シビサイ頌真(巌流島特別ルール5分3回 無差別級)

◆関根“シュレック”秀樹-ヤン・ソウクップ(巌流島特別ルール5分3回 無差別級)

◆宇佐美秀メイソン-アルバート・クラウス(キックボクシング3分3回 72・5キロ)

◆マーカス・レロ・アウレリオ-ガロア・ボファンド(巌流島特別ルール5分3回 77キロ)

全対戦カードは9試合前後になる予定。

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猪木祭は猪木さんの遺言「年末になにかやりたいと言っていた」谷川貞治氏とタッグで7年ぶり実現

INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル

10月1日に心不全のため、79歳で死去した元プロレスラーで政治家のアントニオ猪木さんの追悼大会が、12月28日に東京・両国国技館で開催される。

タイトルは「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」。かつて猪木さんがプロデュースした「INOKI BOM-BA-YE(猪木祭り)」と、元K-1プロデューサー谷川貞治氏の格闘技イベント「巌流島」が協力し、復活する。猪木さんのユーチューブチャンネル「最後の闘魂」が1日に動画を更新し、正式に発表した。

猪木さんをマネジメントするIGF(猪木元気工場)の高橋仁志代表は、動画の冒頭で、生前から年末の開催を目指して話し合いを進めていたことを明かした。「ずっと病気で元気をなくしていた猪木さんが『年末になにかやりたい』と言っていた。それが遺言ですかね」と説明。猪木さんの最後の言葉が、谷川氏とのタッグで7年ぶりに実現した。

谷川氏は「令和猪木軍をつくりたい」と熱弁。参戦選手については「(猪木さんと)相談しながら選手をチョイスしてもらいたかった。生前に話していたことも含めながらつくっていきたい」とした。

テーマは「VS世界の格闘技」という。「若い選手に新しい可能性をいろいろ考えていきたい。猪木さんの魂をちょっとでも見せられるような試合を実現したい」と力を込めた。1度で終わらず、毎年恒例の大会にする意気込みを示していた。

INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル
INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル

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アントニオ猪木さん追悼「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」12・28両国国技館で開催

INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル

格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE巌流島事務局」は1日、12月28日に東京・両国国技館で「INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国」を開催すると発表した。

先月1日に心不全のため79歳で死去した元プロレスラー、政治家のアントニオ猪木さんを追悼するため、マネジメント会社IGF(猪木元気工場)の協力の下で開催する。

大会プロデューサーには元K-1プロデューサーの谷川貞治氏を起用。大会の詳細は1日の午後6時に、アントニオ猪木公式YouTubeチャンネル「最後の闘魂」にて発表される。

INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル
INOKI BOM-BA-YE×巌流島in両国のポスタービジュアル

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グレート小鹿、ザ・グレート・カブキさん、マサ斎藤さんの3人が新たに日本プロレス殿堂入り

87年10月、巌流島決戦でアントニオ猪木さんをに技をかけるマサ斎藤さん

グレート小鹿(80)、ザ・グレート・カブキさん(74)、マサ斎藤さん(故人)の3人が、新たに日本プロレス殿堂入りを果たした。日本プロレス殿堂会が10日、東京・後楽園ホールで「レガシー」第2回大会を開催し、授賞式を行った。

セレモニーでは、表彰者の発表を行うインダクターを越中詩郎、和田京平レフェリー、長州力が務め、小鹿、カブキさん、マサ斎藤夫人の倫子(みちこ)さんに記念品が贈呈された。

国内最高齢の現役プロレスラー小鹿は「夢にも思わなかった」、全日本のリングで一世を風靡(ふうび)したカブキさんは「ありがとうございます」、猪木さんとの巌流島決戦で知られる斎藤の夫人、倫子さんは「マサさんが生きていたら大喜びで『ゴーフォーブローク!』と叫ぶ姿が目に浮かぶ」と、それぞれに喜びを語った。

同殿堂会は20年にプロレスの歴史を後世に伝承するための中立組織として設立。21年9月に第1回大会を開催した。これまで、アントニオ猪木さん、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、藤波辰爾、天龍源一郎、長州力が殿堂入りしていた。

授賞式後には、今月1日に心不全のため、79歳で死去した元プロレスラーのアントニオ猪木さんに、選手、観客から追悼の10カウントがささげられた。

ジャンボ鶴田23回忌追善興行でファンの声援に応えるグレート小鹿(2022年5月31日撮影)
全日本プロレス50周年で赤い毒霧を披露するザ・グレート・カブキさん(2022年9月18日撮影)

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プロレス超えた猪木vsマサ斎藤「巌流島の決闘」猪木の覚悟が一発逆転の節目に

87年10月4日、巌流島決戦でマサ斎藤さんを下して引き揚げるアントニオ猪木さん

10月4日は、今月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんが、マサ斎藤と関門海峡に浮かぶ巌流島(現船島)で決闘した日である。(以後、敬称略)

あの宮本武蔵と佐々木小次郎が江戸時代に対決した歴史的な地で行われた、プロレスを超えた死闘として日本のプロレス史に刻まれている。

今から35年前の1987年(昭62)10月4日、夕闇が迫った夕刻にゴングが鳴った。頭突きやパンチの応酬で、両者とも顔面を血で染めた。斎藤は胸を痛め、猪木は脱臼した肩を入れ直して試合を続行した。リングと野原で、いつ果てるともなく、男の意地がぶつかり合った。

2時間を過ぎると、2人とも意識もうろうとなり、フラフラになった。それでも殴り合う。最後は猪木が裸絞めで斎藤を絞め落とし、立会人の山本小鉄と坂口征二が試合を止めた。プロレスの常識を超える2時間5分14秒の激闘。猪木は昭和の武蔵になった。

猪木は当時は44歳。人生最大の危機を迎えていた。体力は下降線をたどり、新日本プロレスでは藤波、長州力らと世代交代の時期を迎えていた。ブラジルで興した事業会社「アントンハイセル」が経営破綻して、数億円単位の借金も抱えていた。そして私生活でも女優の倍賞美津子と離婚危機を迎えていた。

08年の日刊スポーツの取材に猪木は「プロレス人気が下がってきた時期にオレの離婚が重なって、あの時は自殺を考えていた。不安だらけで、うまくいかなかった。本気で死を決意した。すると逆に開き直ることができた。このまま終わるわけにはいなかい。死ぬ前に大きな花火を打ち上げようと思った。どうせ死ぬなら、戦って死のうと」。

そう思った時、歴史に残る決闘「武蔵と小次郎の戦い」が頭に浮かんだという。「ファンにこびるつもりはない」という気持ちと、武蔵と小次郎になり切るために、無観客、無報酬の戦いにこだわった。この荒唐無稽とも思える決闘の対戦相手に手を上げたのが、東京プロレス時代からの盟友マサ斎藤だった。猪木は死も覚悟した決闘に臨むため、2日前に離婚届を提出。身辺を整理して、巌流島に渡った。

昭和の時代によみがえった『巌流島の決闘』は、メディアの注目を集め、無観客の無人島の上空には、報道陣のヘリコプター4機が旋回した。そして度肝を抜く壮絶な試合内容は、「猪木いまだ健在」を全国にアピールする結果となった。

猪木は後に日刊スポーツの取材に「マサもあの試合の後に、プロレスラーになって良かったと言ってくれてね。結果的にオレの離婚騒動に負けない大きな話題になった。一発逆転になったんだ」。

死も覚悟したリングで、猪木は息を吹き返した。命をかけた人間の限界を超えた戦いを乗り越えて、闘魂の炎が再び赤々と燃え盛った。世間をあっと驚かせた大バクチは、窮地に陥っていた猪木の人生を好転させる大きな節目になった。【バトル取材班】

87年10月、巌流島決戦でマサ斎藤に締められる
87年10月4日、マサ斎藤さんとの決戦に巌流島に降り立ったアントニオ猪木さん
87年10月、巌流島の決戦でマサ斎藤(右)とにらみ合うアントニオ猪木さん
87年10月4日、マサ斎藤さんとの巌流島決戦を前に披露されたアントニオ猪木さんの遺言書
87年10月3日、巌流島決戦前日、「必勝・アントニオ猪木」「必勝・マサ斉藤」と書かれたノボリがリングの周りに立てられた

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本当は藤波vs長州だった「巌流島の決闘」トラブル抱えた猪木さん起死回生狙い自ら名乗り

87年10月、巌流島の決戦でマサ斎藤(右)とにらみ合うアントニオ猪木さん

<1987年10月4日 伝説の名勝負舞台裏>

アントニオ猪木さんは昭和の時代に「巌流島の決闘」をよみがえらせた。ちょうど35年前の1987年(昭62)10月4日、山口・下関市の関門海峡に浮かぶ巌流島(現船島)。観客のいない無人島に設置されたリングで、マサ斎藤と2時間5分14秒に及ぶ死闘を演じた。

なぜ、伝説の名勝負は実現したのか。あの戦いを仕掛けた元新日本プロレス取締役の上井(うわい)文彦さん(68)がその舞台裏を明かし、故人との思い出を語った。

   ◇   ◇   ◇

「巌流島の戦い」は、猪木さんの弟子である藤波辰爾の放った一言が発端だった。当時、新日本の営業部長だった上井さんは87年4月、試合のオフの日に地元・下関にたたずむ標高約270メートルの低山「火の山」に藤波を連れて登った。すると展望台で藤波が指をさした。

「おい、あそこが巌流島だろ。あそこで俺と長州がやるのはどう?」

宮本武蔵と佐々木小次郎。2人の武芸者が慶長17年(1612)4月13日、無人島で命を懸けて雌雄を決した歴史に残る決戦の地。プロレス人気に陰りが見えた時期に、純粋な一騎打ちに立ち返った。上井さんも、一旗揚げるために大賛成だった。

同年夏。テレビ朝日の特番の企画案として提出すると、当時の新日本プロレス副社長、倍賞鉄夫さんもこれに賛同。とんとん拍子で試合の実施が決定した。だが、ふたを開けてみると、当時44歳の猪木さんが、維新軍のマサ斎藤さんを迎え撃つというものにすり替わっていた。猪木さん自らの決定だった。「藤波さんには申し訳なかった…。でも、レスラーだったら当たり前。目立つことは自分がやりたかったんじゃないかな」。上井さんは、そう、猪木さんを推し量る。

猪木さんは後に日刊スポーツの取材に対し、この一戦について「本気で死を決意した。死ぬ前に大きな花火を打ち上げようと思った」と振り返っている。団体の人気低迷、ブラジルで興した「アントンハイセル」の経営破綻、妻の倍賞美津子との離婚危機…。なんとか巻き返しをはかりたい。猪木さんの、この大勝負にかける思い入れは相当なものだったのだ。

上井さんはすぐに下関に飛び、地元の観光協会のプロモーターと話をつけた。「島の3分の1は三菱重工の持ち物。だから3分の2を使ってやりましょうとなった」。人脈を駆使し、熱意を伝え、10月4日の開催にこぎつけた。

観客もレフェリーもいない。演出も、駆け引きもない。プロレスを超えた本物の決闘は、このようにして生まれた。あの日のことは、35年たった今も忘れることはない。空を飛ぶ報道陣のヘリコプターや島の空気さえ。「とってもいい天気でした」と懐かしんだ。

その後、上井さんは02年からマッチメーカーを任されるなど、猪木さんからの信頼を勝ち得た。だが、「マッチメーカーになったことよりも、僕のプロレス人生で自慢できるのはあの巌流島決戦ですね」と、あの1日が生涯の誇りとなっている。

猪木さんとは3年前の通話が最後になった。「いつものとおり『元気ですかー!』で入るんだけど、その声が元気じゃなかった。『上井、いつも元気ですかと言ってるけどよ。俺が元気がないんだよ。腰が痛くてしょうがないんだよ』と言っていた」。ともにした約40年間で初めて聞いた泣き言だった。「テレビでつらそうな様子が映るたびに切なかった。(訃報は)覚悟はしていましたけど…」と、言葉を詰まらせた。

だが上井さんには、天国でも悠然と構えている猪木さんの姿が目に浮かぶ。「俺は一緒だったとずっと自慢していきたい」。そう胸を張った。【勝部晃多】

◆上井文彦(うわい・ふみひこ)1954年(昭29)4月4日、山口県生まれ。大学卒業後、77年夏に新日本プロレス入社。営業部に配属。83年の第1次UWF設立に参加。86年1月のUWF勢の新日本へのUターン復帰に際し、再入社。マッチメーカーなども務め、取締役に。04年に新日本プロレスを退社。ビッグマウス・ラウドを経てUWAIステーションを設立。19年2月に「マサ斎藤追悼興行」開催。現在は、プロレスの第一線から退いている。大阪市在住。

◆巌流島対決VTR それまで幾度となく対戦してきたアントニオ猪木とマサ斎藤が、納得のいく結果ではなかったため観客、レフェリー不在で完全決着をかけて戦った。試合開始時間は事前に明言されず、「夜明けと同時にゴング」とされていた。猪木が午後2時31分、斎藤は3時50分に船で島へ上陸。4時半に試合はスタートした。リング上での技の応酬から、いつしか戦いの場はリング外の芝生へ移行。すっかり日も落ち、かがり火の中で戦いは続いた。最後は猪木が裸絞めで斎藤を締め落とし決着。開始のゴングから2時間5分14秒が経過していた。

87年10月4日、マサ斎藤さんとの巌流島決戦を前に披露されたアントニオ猪木さんの遺言書
87年10月、巌流島決戦でマサ斎藤に締められる
87年10月3日、巌流島決戦前日、「必勝・アントニオ猪木」「必勝・マサ斉藤」と書かれたノボリがリングの周りに立てられた
87年10月4日、マサ斎藤さんとの決戦に巌流島に降り立ったアントニオ猪木さん
87年10月4日、巌流島決戦でマサ斎藤さんを下して引き揚げるアントニオ猪木さん

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【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編

1976年、アントニオ猪木(右)を絞める坂口征ニ

元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。思い出の名勝負を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

【アントニオ猪木・思い出の名勝負・ベスト30】

<1>タイガー・ジェット・シン戦(74年6月26日、大阪府立体育会館)猪木は6日前にシンの火炎攻撃で左目をやけどしていた。同じ3本勝負のこの試合もシンの鉄柱攻撃などで1本目は両者リングアウト。大流血した猪木は2本目に怒りが爆発。執拗(しつよう)なショルダー・アームブリーカーでシンの右腕を折った。最後は外国勢総出で試合を止め、猪木のTKO勝ちとなった。

<2>ストロング小林戦(74年3月19日、蔵前国技館)国際プロレスのエースで、IWA王者だった小林との一騎打ちは「昭和の巌流島の決闘」と注目され会場は満員札止め。試合は団体のプライドをかけたエース同士の息詰まる攻防の末、猪木が原爆固めで勝利。第1回プロレス大賞の年間最高試合に選出された。

<3>ドリー・ファンク・ジュニア戦(69年12月2日、大阪府立体育会館)猪木が当時世界最  高峰と呼ばれたNWA王者ドリー・ファンク・ジュニアに初挑戦。試合巧者の王者に真っ向勝負を挑み、3本勝負だったが1本も許さず、60分フルタイムドロー。王座奪取はならなかったが、猪木の高い潜在能力を世界に示した一戦だった。

<4>ウィリアム・ルスカ戦(76年2月6日、日本武道館)72年ミュンヘン五輪の柔道で重量級と無差別級を制したルスカと、初の異種格闘技戦に臨んだ。ルスカの投げや絞めなどの柔道技に、猪木はエルボーなどの打撃技やコブラツイストで応戦。最後はバックドロップ3連発で金メダリストをマットに沈めた。

<5>アンドレ・ザ・ジャイアント戦(76年10月7日、蔵前国技館)「格闘技世界一決定戦」と銘打って行われた一戦。開始から2メートル23、230キロの大巨人のパワーに圧倒されたが、リバース・スープレックスでアンドレを投げるなど応戦。最後はパンチ攻撃と、鉄柱への頭付きの誤爆を誘うなど、アンドレが額から大流血したため猪木のTKO勝ちとなった。

<6>ザ・モンスターマン戦(77年8月2日、日本武道館)全米プロ空手の世界ヘビー級王者と3分10回ルールで対戦。多彩なパンチとキックに苦められたが、ナックルパンチで逆襲すると体ごと持ち上げて頭からリングにたたきつけ、とどめのギロチンドロップを浴びせて失神KO勝ち。猪木の異種格闘技戦の中でも屈指の名勝負と言われている。

<7>スタン・ハンセン戦(80年9月25日、広島県立体育館)猪木はハンセンと何度も名勝負を繰り広げてきた。猪木のNWFヘビー級王座をかけたこの試合は10分すぎ、ハンセンが必殺技のウエスタンラリアットに合わせて、ジャンプして左腕でラリアットをたたきつけた。猪木が「逆ラリアット」として語り継がれる一戦になった。

<8>ビル・ロビンソン戦(75年12月11日、蔵前国技館)“人間風車”の異名を取ったロビンソンとのテクニシャン同士の一戦は“夢の対決”として話題になった。猪木は3本勝負の1本目は逆さ抑え込みで奪われたが、2本目に卍(まんじ)固めを決めたところで時間切れ引き分けとなった。この試合を猪木のベストファイトに挙げる声が多い。

<9>ウィリー・ウィリアムス戦(80年2月27日、日本武道館)極真空手の強豪で“熊殺し”の異名を取ったウィリアムスとの一戦は試合前から殺気立っていた。4回に猪木がウィリアムスに腕ひしぎ逆十字固めを決めた状態で両者場外に転落すると、両陣営が乱入して大混乱となり、猪木は肋骨(ろっこつ)、ウィリアムスは左ひじを負傷して、両者ドクターストップの裁定が下された。

<10>ハルク・ホーガン戦(83年6月2日、蔵前国技館)第1回IWGP決勝戦で猪木はパワーで上回るホーガンに圧倒された。バックドロップで後頭部を痛打し、場外で背後からホーガンの必殺アックスボンバーを浴びて鉄柱に激突。最後はリングに入ろうとしたところを再びアックスボンバーを直撃され場外に転落。失神したまま起き上がれず、病院送りとなった。

<11>ムハマド・アリ戦(76年6月26日、日本武道館)「世紀の一戦」と呼ばれたプロボクシング世界ヘビー級王者との異種格闘技戦。猪木は多くのプロレス技が禁じられた不利なルールの中、リングに転がって蹴りを繰り出し続けたが、最後までかみ合わず、ヤマ場もなく15回引き分けに終わった。「世紀の茶番劇」と酷評された。

<12>カール・ゴッチ戦(72年10月4日、蔵前国技館)3月の新日本旗揚げ戦でゴッチに敗れた猪木は、この試合でもパワーと老かいな技に苦戦するが、場外で原爆固めを浴びた直後にゴッチより一瞬早くリングに戻り、リングアウト勝ちで恩師でもあるゴッチから初勝利を収めた。この試合は「実力世界一決定戦」と銘打って行われた。

<13>ボブ・バックランド戦(79年11月30日、徳島市体育館)WWFヘビー級王者バックランドへの3度目の挑戦。猪木は18分すぎにバックドロップからの体固めで勝利を収め、日本人初のWWF王座奪取に成功した。しかし、猪木は6日後の再戦がタイガー・ジェット・シンの乱入でノーコンテストになったことに納得いかず、王座を返上した。

<14>ブルーザー・ブロディ戦(85年4月18日、両国国技館)全日本から移籍したブロディとの一騎打ちに猪木は気合十分だった。延髄斬りや卍固め、バックドロップと得意技を連発。ブロディのパワフルな攻撃を真っ向から受け止めた。最後は両者リングアウトに終わったが、猪木の底力をあらためて示した一戦だった。

<15>藤波辰巳戦(88年8月8日、横浜文化体育館)IWGPヘビー級王者の藤波に猪木が挑戦した。45歳の猪木は「負けたら引退」とも言われていた。試合は目まぐるしいグラウンドの攻防が続き、ストロングスタイルの原点のような試合に。結果は60分時間切れの引き分け。師匠超えはならなかったがこの一戦は藤波にとってもベストファイトの一つである。

<16>ジョニー・パワーズ戦(73年12月10日、東京体育館)米ニューヨークの新興団体NWF王者パワーズを招へいして挑戦。3本勝負の1本目はコブラツイストで先取。2本目は王者の必殺技8の字固めに屈したが、3本目に卍固めで勝利。新日本旗揚げ後、初めて手にした世界タイトルは猪木の代名詞となる。

<17>クリス・マルコフ戦(69年5月16日、東京都体育館)第11回ワールドリーグ戦の決勝トーナメントで対戦。マルコフのラフファイトに流血の苦戦を強いられたが、最後は卍固めで逆転勝ち。もう1試合は馬場とボボ・ブラジルが引き分けていたため、猪木の初優勝が決定。ライバル馬場に肩を並べた。

<18>アクラム・ペールワン戦(76年12月12日、パキスタン・カラチナショナルスタジアム)アリ戦で有名になった猪木は、パキスタン英雄ペールワンからの挑戦状に応じた。3回にチキンウイングアームロックを決めたが相手がギブアップしなかったため、そのまま腕を折り、最後はレフェリーストップ勝ちとなった。

<19>長州力戦(84年8月2日、蔵前国技館)維新軍のリーダーに君臨する長州との一騎打ちは、新旧エースの意地がぶつかった名勝負になった。猪木の原爆固め、長州のサソリ固めと大技も応酬。最後は猪木がリキラリアットをかわしてグラウンドコブラで30分近く続いた激闘に決着をつけた。

<20>マサ斎藤戦(87年10月4日、山口県・巌流島特設リング)観客、レフェリー不在で完全決着をかけた一戦。リング上での技の応酬から、いつしか戦いの場はリング外の芝生に移った。すっかり日も落ち、かがり火の中で戦いは続き、最後は猪木が裸絞めで斎藤を絞め落とし決着。開始のゴングから2時間5分14秒が経過していた。

<21>坂口征二戦(74年4月26日、広島県立体育館)新日本の“黄金コンビ”の初のシングル対決。新日本移籍前は日本プロレスのエースだった坂口との一戦は互いのプライドをかけた好試合に。坂口がアトミックドロップなど大技を繰り出せば、猪木は華麗なレスリングテクニックで応戦。30分で勝負がつかなかった。

<22>グレート・ムタ戦(94年5月1日、福岡ドーム)猪木は開始からムタの毒霧や場外戦に巻き込まれて大苦戦した。鉄柱攻撃で額からも流血したが、側転エルボーを間一髪かわして、チョークスリーパーからフォールを奪って逆転勝ち。全盛期は過ぎていたとはいえ、キャリアと勝負勘で勝利をもぎ取った。

<23>ルー・テーズ戦(75年10月9日、蔵前国技館)力道山とも激闘を演じた元NWA王者を迎えてのNWF王座防衛戦。若手時代には5分足らずで完敗していた。開始早々、テーズのバックドロップを浴びるなど59歳の元王者の意外なスピードと技術に苦戦したが、最後はサイドからの岩石落とし固めで勝利を収めた。

<24>ローラン・ボック戦(78年11月26日、西ドイツ・シュツットガルト)欧州遠征でメキシコ五輪レスリング代表の肩書を持つ未知の強豪ボックに、猪木はスープレックスで投げられ続けた。突破口も見いだせずに0-3の判定負け。試合は「シュツットガルトの惨劇」と言われ、今もボックは猪木の対戦相手の中で最強という声が根強い。

<25>ショータ・チョチョシビリ戦(89年4月24日、東京ドーム)初の東京ドーム興行のメインで柔道五輪金メダリストと、ロープのない円形のリングで対戦。バックドロップをはじめ、猪木の技は次々と受け流され、5回に裏投げの連発を食ってKO負け。猪木が異種格闘技戦で喫した初めての黒星だった。

<26>天龍源一郎戦(94年1月4日、東京ドーム)猪木がチョークスリーパーで天龍を失神させるなどすごみを見せつけた。最後は天龍のパワーボムでフォールを奪われたが、勝敗を抜きにした名勝負になった。この勝利で天龍は馬場と猪木の2人からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとして名を挙げた。

<27>大木金太郎戦(74年10月10日、蔵前国技館)猪木のデビュー戦の対戦相手で1度も勝てなかった大木をNWF王座の挑戦者に迎えた。大木の1本足頭突きを何度も浴びて流血した猪木は、ナックルパートをカウンターで額に打ち込んで反撃。最後はバックドロップで仕留めた。

<28>ドン・フライ戦(98年4月4日、東京ドーム)猪木の引退試合。総合格闘家のフライをグラウンド技、スリーパーなどプロレス技で圧倒。さらに延髄斬り、ナックルパートで追い込み、得意のコブラツイストで捕まえると、そのままグランドコブラに移行して、最後の舞台を勝利で締めくくった。

<29>ヒロ・マツダ戦(78年12月16日、蔵前国技館)新日本所属選手とフリー選手が出場したプレ日本選手権の決勝戦で対戦。海外を主戦場とするフリー選手のリーダーのマツダは、猪木と同じストロングスタイルが身上。コブラツイストの掛け合いなど玄人受けする試合になったが、猪木が卍(固めで決着をつけた。

<30>前田明(名前は当時)戦(83年5月27日、高松市民文化センター)後にUWFでカリスマとなる前田との唯一の一騎打ちは、IWGP決勝リーグで実現。欧州から凱旋(がいせん)帰国した若き前田がキックや三角絞め、原爆固めと華麗な技を繰り出すと、猪木も得意の弓矢固めなどで応戦。最後は卍固めでペースを握った猪木が、延髄斬りで仕留めた。

番外編

◆馬場、猪木-ビル・ワット、ターザン・タイラー戦(67年10月31日、大阪府立体育会館)ジャイアント馬場とのタッグでインターナショナル・タッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収めて王座奪取に成功した。日本プロレスで一時代を築いた馬場と猪木のタッグ“BI砲”の初戴冠試合。71年12月までコンビは絶大な人気を博した。

◆チャック・ウェップナー戦(77年10月25日、日本武道館)アリにも挑戦した経験のある実力派白人ボクサーとの異種格闘技戦。グローブを着用した猪木はウェップナーの強烈なパンチを浴びてダウンしたが、アリ戦とは違って立って勝負を挑み、6回に延髄斬りからチャンスをつかみ、逆エビ固めで勝利を収めた。

◆グレート・アントニオ戦(77年12月8日、蔵前国技館)かつてバスを引っ張って動かす怪力パフォーマンスで注目され、力道山とも対戦したアントニオは、来日して再びバスを引っ張るパフォーマンスで怪力健在をアピールしたが、試合は顔面にキックを連発して流血させた猪木がわずか3分49秒でKO勝ちした。

◆上田馬之助戦(78年2月8日、日本武道館)リングの周囲に4万本の五寸くぎが突き出た板を敷き詰めて対戦した史上初の『くぎ板デスマッチ』。上田が猪木の延髄斬りで、猪木が上田のストンピングでリング下へ落下寸前のピンチはあったが大事には至らず。最後は猪木がアームブリーカーを連発。上田のセコンドのシンがタオルを投入。

◆馬場、猪木-タイガー・ジェット・シン、アブドラ・ザ・ブッチャー(79年8月26日、日本武道館)オールスター戦で新日本の猪木と全日本の馬場が8年ぶりにタッグを結成。両団体のトップ外国人とタッグで対戦し、猪木がシンからフォールを奪った。試合後「次でリングで会うときは戦う時だ」と対戦アピールした猪木に、馬場も「よし、やろう」と応じた。

◆ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇戦(82年11月4日、蔵前国技館)猪木が1人で崩壊した国際プロレスの3選手を相手にした。寺西からギブアップ、浜口からフォールを奪ったが、最後に残った木村のパワーに圧倒され、片足をロープにかけたまま場外に出た上体を起こせず、リングアウト負けを喫した。

◆ビッグバン・ベイダー戦(87年12月27日、両国国技館)猪木は当初予定された長州力との一騎打ちに反則勝ちを収めた後、来場して対戦を迫ったベイダーの要求を受けたが、パワーで勝るベイダーに圧倒されて3分足らずでフォール負けした。試合後、想定外の事態とお粗末な内容に激怒したファンが、国技館の升席やイスを破壊するなど暴動が起きた。

77年、タイガー・ジェット・シン(下)の足を決める猪木
1980年2月、ウィリー・ウィリアムスを攻めるアントニオ猪木
1974年3月、ストロング小林(手前)をバックドロップで破るアントニオ猪木
72年3月、新日本旗揚げ戦、アントニオ猪木(奥)のヘッドシザースを倒立でかわそうとするカール・ゴッチ
98年4月、新日本東京ドーム大会での引退試合でドン・フライ(左)に延髄斬りを浴びせる
76年6月26日、アリにキックを放つ猪木

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【RIZIN】シビサイ頌真大興奮“ラトビアの怪人”ビギス瞬殺 誕生日の父に最高のプレゼント

リハーズ・ビギス(下)にパンチを落とすシビサイ頌真(撮影・滝沢徹郎)

<RIZIN35>◇17日◇東京・武蔵野の森総合スポーツプラザ

シビサイ頌真(31=パラエストラ東京/巌流島)が、総合9勝無敗の“ラトビアの怪人”を瞬殺した。第4試合でリハーズ・ビギス(ラトビア、29=チームBigis)と対戦し、1回TKO勝利を収めた。

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ゴングから勢いの良いタックルでテークダウンを奪うと、すぐにマウントポジションに移行。パウンドの雨を浴びせ、最後は1分36秒、強烈な肘うちを落としたところで、レフェリーがストップをかけた。

普段冷静なシビサイも、これには大興奮。試合後はリングから転げ落ちる場面もあった。

マイクでは「年末、関根選手に負けてしまって『気持ち的に浮ついていた自分がいた』ということに気付いた。心を入れ替えて練習した」と笑顔。「今日はお父さんが誕生日。見に来てくれている」。最高の誕生日プレゼントを送った。

リハーズ・ビギスに勝利したシビサイ頌真はトップロープを飛び越える(撮影・滝沢徹郎)
リハーズ・ビギスに勝利したシビサイ頌真はリングサイドで関係者と抱き合って喜ぶ(撮影・滝沢徹郎)

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RIZIN トリガー3と35大会の追加カード発表 元貴源治の貴賢神デビュー、高阪剛参戦など

RIZINトリガー3大会への出場が決まった貴賢神(右)と関根“シュレック”秀樹(撮影・勝部晃多)

総合格闘技のRIZINは23日、都内で会見を開き、4月16日開催のトリガー3大会(東京・武蔵野の森総合スポーツプラザ)、17日開催の35大会(同会場)の追加カードを発表した。

トリガー3大会では、大相撲の元幕内で、昨年7月に日本相撲協会から解雇処分を受けた元貴源治、貴賢神(24=フリー)の総合格闘技デビュー戦など、計4カードの追加試合が決定。

35大会には、総合格闘技道場ALLIANCEを主宰する“世界のTK”こと高阪剛(52=ALLIANCE)の参戦など、計6カードの追加試合が決まった。

この日発表された全カードは以下の通り。

<トリガー3大会>

◆雑賀“ヤン坊”達也(31=DOBUITA FIGHT SPORTS GYM)-江藤公洋(33=和術慧舟会HEARTS) MMAルール、71・0キロ、5分×3回

◆征矢貴(たかき、27=パラエストラ松戸)-中務修良(のぶよし、35=NO MAD) MMAルール、57・0キロ、5分×3回

◆渡部修斗(33=ストライプル新百合ヶ丘)-須藤拓真(21=X-TREME EBINA) MMAルール、61・0キロ、5分×3回

◆関根“シュレック”秀樹(48=ボンサイブルテリア)-貴賢神(24=フリー) MMAルール、無差別、5分×3回

<35大会>

◆芦田崇宏(32=BRAVE)-カイル・アグォン(32=SPIKE22) MMAルール、66・0キロ、5分×3回

◆ヴガール・ケラモフ(30=ORION FIGHT CLUB)-中島太一(33=ロータス世田谷) MMAルール、66・0キロ、5分×3回

◆シビサイ頌真(31=パラエストラ東京/巌流島)-リハーズ・ビギス(29=Team Bigis) MMAルール、120・0キロ、5分×3回

◆高阪剛(52=ALLIANCE)-上田幹雄(26=BRAVE) MMAルール、120・0キロ、5分×3回

◆武田光司(26=BRAVE)-スパイク・カーライル(28=Kings MMA Anaheim/Treigning Lab) MMAルール、71・0キロ、5分×3回

◆浅倉カンナ(24=パラエストラ松戸)-SARAMI(31=パンクラスイズム横浜) MMAルール、49・0キロ、5分×3回

RIZINトリガー3大会への出場が決まった貴賢神(撮影・勝部晃多)

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【新日本】旗揚げ戦は猪木とカール・ゴッチ、長州力の噛ませ犬発言、飛龍革命/50年の歴史

72年3月新日本旗揚げ戦、アントニオ猪木(奥)のヘッドシザースを倒立でかわそうとするカール・ゴッチ

<新日本:旗揚げ記念日大会>◇1日◇東京・日本武道館

新日本プロレスは1日、3月6日に迎える同団体50周年を記念し、東京・日本武道館で旗揚げ記念日大会を開催した。

メインイベントではIWGP世界ヘビー級王者のオカダ・カズチカ(34)がドラゴン藤波辰爾(68)棚橋弘至(45)と組み、藤原喜明(72)らと6人タッグマッチに臨み勝利を収めた。50周年の顔は、創設者アントニオ猪木氏(79)が掲げたストロングスタイルの精神で戦うことを誓った。

   ◇   ◇   ◇

<新日本プロレスの歴史>

◆72年3月6日 大田区体育館での旗揚げ戦のメインイベントで猪木がカール・ゴッチとシングル対決。

◆73年4月1日 日本プロレスから坂口征二が移籍。

◆同4月6日 「ワールドプロレスリング」放送開始。

◆同11月5日 タイガー・ジェット・シンが新宿の路上で猪木夫妻を襲撃。

◆76年2月6日 猪木が柔道五輪金メダリストのウィレム・ルスカに勝利。

◆同6月26日 猪木がプロボクシング世界王者のムハマド・アリと引き分け。

◆77年8月2日 猪木が全米プロ空手王者のザ・モンスターマンに勝利。

◆78年1月23日 ニューヨークマジソン・スクエア・ガーデンで藤波辰巳(現・辰爾)がWWWFジュニアヘビー級王座を獲得。

◆79年8月26日 日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによるオールスター戦を開催。

◆同11月30日 猪木がボブ・バックランドに勝利し、WWFヘビー級王座獲得。

◆80年2月27日 猪木が元極真空手のウィリー・ウィリアムスと引き分け。

◆81年4月23日 初代タイガーマスクがデビューし、ダイナマイト・キッドと名勝負を展開し勝利。

◆82年10月8日 長州力が凱旋(がいせん)試合で藤波と仲間割れ(噛ませ犬発言)。

◆83年6月2日 ハルク・ホーガンが第1回IWGP決戦リーグ優勝。猪木が失神KOで病院送りに。

◆同8月11日 タイガーマスクが引退表明。

◆85年12月6日 前田日明、藤原喜明ら、UWFの5選手が登場。新日本プロレスとの業務提携を発表。

◆同12月12日 藤波&木村健悟が初代IWGPタッグ王者に輝く。藤波が猪木に初フォール勝ち。

◆87年10月4日 巌流島で猪木とマサ斎藤がノーピープルマッチを敢行。猪木はマサの背後から裸絞めを決め、2時間5分14秒のTKO勝ち。

◆88年4月22日 藤波が自らの髪を切り、猪木に世代交代を直訴(飛龍革命)。

◆同7月2日 プエルトリコで武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋が闘魂三銃士を結成。

◆89年4月24日 東京ドーム初進出。猪木がソビエト連邦の柔道金メダリスト、ショータ・チョチョシビリに敗北。異種格闘技戦で初黒星。

◆同7月24日 猪木が参議院議員選挙で当選。初のプロレスラー国会議員に。

◆92年8月7日 越中詩郎、木村健悟、青柳政司、斎藤彰俊が、反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。

◆95年4月28日 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で初のプロレス興行開催。

◆同10月9日 新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面対抗戦を開催。武藤敬司が高田延彦に勝利。

◆96年8月6日 長州力がG1史上初の全勝優勝。

◆98年4月4日 東京ドームで猪木が引退試合。7万人のドーム史上最高観客動員を記録。

◆99年6月24日 藤波が社長に就任。

◆03年4月23日 永田裕志がIWGP王座最多防衛記録10を樹立。

◆05年2月20日 IWGPヘビー級王者・天山広吉が、全日本プロレスの3冠ヘビー級王者・小島聡とダブルタイトルマッチを敢行。小島が史上初の4冠王者となる。

◆07年1月4日 東京ドームで新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会を開催。

◆11年8月27日 新日本、全日本、ノアが3団体合同興行となる東日本大震災復興支援チャリティー大会を開催。

◆12年8月12日 オカダ・カズチカがG1に初出場し、初優勝。24歳9カ月の史上最年少王者に。

◆15年7月5日 21年ぶりに大阪城ホールで開催。超満員札止めとなる1万1400人の観客を動員。

◆16年8月14日 ケニー・オメガが後藤を下し、G1史上初の外国人覇者に。

◆18年1月4日 東京ドームのメインでオカダが内藤を下し、IWGPヘビー級王座9度目の防衛。34分を超える死闘を展開。

◆20年1月4、5日 初の東京ドーム2連戦を開催。内藤哲也がIWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタルのダブル選手権でオカダを下し、初の2冠王者に輝く。

72年3月、新日本の旗揚げ興行でリングに上がったアントニオ猪木(中央)と山本小鉄(右)
76年6月26日、アリにキックを放つ猪木
84年、大阪大会で長州力(右)と死闘を繰り広げる藤波辰爾
88年、IWGPヘビー級選手権の試合後、王者藤波辰爾(左)と祝杯をあげるアントニオ猪木
89年4月、新日本「闘強導夢」大会 5回、ショータ・チョチョシビリ(後方)に投げつけられ抑え込まれるアントニオ猪木
95年10月、UWFインターとの全面抗争 武藤敬司(左)は高田延彦に足4の字固めをかける
98年4月4日、ドン・フライとの引退試合でリングに向かう
98年4月、新日本東京ドーム大会での引退試合でドン・フライ(左)に延髄斬りを浴びせる
98年4月、引退試合の新日本東京ドーム大会で「ダァー」と叫ぶ
2005年2月、3冠ベルトを巻く小島聡。左がIWGPのベルト
2012年、G1初出場初優勝を果たしたオカダ・カズチカ
2016年8月、G1クライマックスに優勝したケニー・オメガ(中央)はBULLET CLUBの仲間に肩車をされポーズを決める
2020年1月、初の2冠王者となり、2本のベルトを手中に収めた内藤哲也

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【新日本】オカダ・カズチカ、50年の重み背負ったレインメーカー 猪木イズム継承の覚悟新たに

「1・2・3・ダーッ!」でアントニオ猪木氏にエールを贈る、左からオカダ、藤波、棚橋(撮影・丹羽敏通)

<新日本:旗揚げ記念日大会>◇1日◇東京・日本武道館

新日本プロレスは1日、3月6日に迎える同団体50周年を記念し、東京・日本武道館で旗揚げ記念日大会を開催した。

メインイベントではIWGP世界ヘビー級王者のオカダ・カズチカ(34)がドラゴン、藤波辰爾(68)棚橋弘至(45)と組み、藤原喜明(72)らとの6人タッグマッチに臨み勝利を収めた。50周年の顔は、創設者アントニオ猪木氏(79)が掲げたストロングスタイルの精神で戦うことを誓った。

   ◇   ◇   ◇

新日本プロレス50周年の歩みを象徴するかのようなオールドスタイルのガウンの3人組が、セルリアンブルーのマットの上に集結した。青のガウンは藤波。深紅のガウンは棚橋。そして、金のガウンは、現在の団体の顔、オカダだ。

「NJPW旗揚げ50周年記念試合」と題して行われたメインイベントで、藤原、鈴木、セイバーJrを相手に6人タッグマッチで対戦。藤波のドラゴンスクリュー、藤原の一本足頭突き-。オカダは先人たちが築き上げた歴史の重みを肌で感じながら戦っていた。18分12秒。鈴木を仕留めたレインメーカー(短距離式ラリアット)を打ち込んだその右腕には、覚悟がにじんでいた。

いつもは冷静な男が、この日はがちがちに緊張していた。試合前のセレモニーでは、現役選手を代表して19人のレジェンドレスラーの前であいさつする大役を任された。マイクを手にしたオカダは「実はめちゃくちゃ緊張しています」と、珍しく顔をこわばらせていた。そうそうたる先輩たちを目の前に戦ったメインイベント。「『(新日本プロレス50周年を)背負う、背負う』と言ってきたけど、それなりの覚悟がないと背負えないことが分かった」と気が引き締まった。

この日、団体を創設した猪木氏は心臓の病気療養中とあって、会場に姿はなかった。だが、確かに「猪木さんが踏み出したその一歩が新日本プロレスにつながっている」と感じた。燃える闘魂が、いつの日かリングに戻ってくると信じている。「それまで、僕たちがこの新日本プロレスを盛り上げます」。創設者の猪木イズムを継承していくことを誓った。

最後は藤波の提案で、猪木氏の掛け声「1、2、3、ダーッ」を3人で披露。放送席の長州、蝶野も立ち上がった。旗揚げ記念日大会を力強い掛け声で締めくくったオカダが、歴史に新たな1ページを刻んでいく。【勝部晃多】

<新日本プロレスの歴史>

◆72年3月6日 大田区体育館での旗揚げ戦のメインイベントで猪木がカール・ゴッチとシングル対決。

◆73年4月1日 日本プロレスから坂口征二が移籍。

◆同4月6日 「ワールドプロレスリング」放送開始。

◆同11月5日 タイガー・ジェット・シンが新宿の路上で猪木夫妻を襲撃。

◆76年2月6日 猪木が柔道五輪金メダリストのウィレム・ルスカに勝利。

◆同6月26日 猪木がプロボクシング世界王者のムハマド・アリと引き分け。

◆77年8月2日 猪木が全米プロ空手王者のザ・モンスターマンに勝利。

◆78年1月23日 ニューヨークマジソン・スクエア・ガーデンで藤波辰巳(現・辰爾)がWWWFジュニアヘビー級王座を獲得。

◆79年8月26日 日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによるオールスター戦を開催。

◆同11月30日 猪木がボブ・バックランドに勝利し、WWFヘビー級王座獲得。

◆80年2月27日 猪木が元極真空手のウィリー・ウィリアムスと引き分け。

◆81年4月23日 初代タイガーマスクがデビューし、ダイナマイト・キッドと名勝負を展開し勝利。

◆82年10月8日 長州力が凱旋(がいせん)試合で藤波と仲間割れ(噛ませ犬発言)。

◆83年6月2日 ハルク・ホーガンが第1回IWGP決戦リーグ優勝。猪木が失神KOで病院送りに。

◆同8月11日 タイガーマスクが引退表明。

◆85年12月6日 前田日明、藤原喜明ら、UWFの5選手が登場。新日本プロレスとの業務提携を発表。

◆同12月12日 藤波&木村健悟が初代IWGPタッグ王者に輝く。藤波が猪木に初フォール勝ち。

◆87年10月4日 巌流島で猪木とマサ斎藤がノーピープルマッチを敢行。猪木はマサの背後から裸絞めを決め、2時間5分14秒のTKO勝ち。

◆88年4月22日 藤波が自らの髪を切り、猪木に世代交代を直訴(飛龍革命)。

◆同7月2日 プエルトリコで武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋が闘魂三銃士を結成。

◆89年4月24日 東京ドーム初進出。猪木がソビエト連邦の柔道金メダリスト、ショータ・チョチョシビリに敗北。異種格闘技戦で初黒星。

◆同7月24日 猪木が参議院議員選挙で当選。初のプロレスラー国会議員に。

◆92年8月7日 越中詩郎、木村健悟、青柳政司、斎藤彰俊が、反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。

◆95年4月28日 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で初のプロレス興行開催。

◆同10月9日 新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面対抗戦を開催。武藤敬司が高田延彦に勝利。

◆96年8月6日 長州力がG1史上初の全勝優勝。

◆98年4月4日 東京ドームで猪木が引退試合。7万人のドーム史上最高観客動員を記録。

◆99年6月24日 藤波が社長に就任。

◆03年4月23日 永田裕志がIWGP王座最多防衛記録10を樹立。

◆05年2月20日 IWGPヘビー級王者・天山広吉が、全日本プロレスの3冠ヘビー級王者・小島聡とダブルタイトルマッチを敢行。小島が史上初の4冠王者となる。

◆07年1月4日 東京ドームで新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会を開催。

◆11年8月27日 新日本、全日本、ノアが3団体合同興行となる東日本大震災復興支援チャリティー大会を開催。

◆12年8月12日 オカダ・カズチカがG1に初出場し、初優勝。24歳9カ月の史上最年少王者に。

◆15年7月5日 21年ぶりに大阪城ホールで開催。超満員札止めとなる1万1400人の観客を動員。

◆16年8月14日 ケニー・オメガが後藤を下し、G1史上初の外国人覇者に。

◆18年1月4日 東京ドームのメインでオカダが内藤を下し、IWGPヘビー級王座9度目の防衛。34分を超える死闘を展開。

◆20年1月4、5日 初の東京ドーム2連戦を開催。内藤哲也がIWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタルのダブル選手権でオカダを下し、初の2冠王者に輝く。

鈴木みのるをレインメーカーで仕留めたオカダ・カズチカ(撮影・丹羽敏通)
田中ケロ氏のコールを受けレインメーカーポーズをとるオカダ(撮影・丹羽敏通)
NJPW旗揚げ50周年記念試合でリングインした、左からオカダ、藤波、棚橋(撮影・丹羽敏通)

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【RIZIN】48歳元刑事の関根“シュレック”秀樹がシビサイ頌真に勝利

シビサイ(右)にパンチを見舞う関根(撮影・滝沢徹郎)

<RIZIN33>◇31日◇さいたまスーパーアリーナ

元静岡県警の刑事という異色の経歴を持つ身長175センチ、体重118キロの関根“シュレック”秀樹(48=ボンサイブルテリア)が、RIZINデビュー戦でスーパーヘビー級対決に逆転勝ちした。

1回はRIZIN3連勝中の191センチ、111キロのシビサイ頌真(30=パラエストラ東京/巌流島)のひざ蹴りとパンチの連打を浴びて劣勢になったが、終盤に原爆固めで相手を投げるなど見せ場をつくった。2回に入るとグラウンドに持ち込み、上になって左の鉄拳をシビサイの顔面に何度も打ち下ろして2回レフェリーストップ勝ちした。試合後は「UWF、プロレス、最強。大みそかも正月も働いている警察官、最強。平成生まれには負けない、昭和生まれ最強。アラフィーのオヤジでもあきらめなきゃ勝てるんだ」と訴えた。

シビサイ(左)を投げる関根(撮影・滝沢徹郎)
シビサイに勝利し勝ち名乗りを受ける関根(撮影・滝沢徹郎)

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RIZIN、12・31開催33大会追加カード6試合発表 豪華カード続々

「RIZIN.33」対戦カード発表会見で写真に納まる出場者たち。前列左から萩原、斎藤、榊原CEO、朝倉未、矢地、浜崎、後列左からシビサイ頌真、鈴木、武田、伊沢、ベイノア、関根(撮影・垰建太)

総合格闘技RIZINは9日、都内で記者会見を開き、31日にさいたまスーパーアリーナで開催される33大会の第2弾カード6試合を発表した。

ホベルト・サトシ・ソウザが持つRIZINライト級王座に矢地祐介が挑戦するほか、朝倉未来と前フェザー級王者斎藤裕の対戦など、豪華カードがめじろ押し。

この日発表されたカードは以下の通り。

◆シビサイ頌真(30=パラエストラ東京/巌流島)-関根"シュレック"秀樹(48=ボンサイブルテリア) MMAルール、120・0キロ、5分×3回

◆武田光司(26=BRAVE)-“ブラックパンサー”ベイノア(26=極真会館) MMAルール、71・0キロ、5分×3回

◆萩原京平(25=SMOKER GYM)-鈴木博昭(37=BELLWOOD Fight Team) MMAルール、66・0キロ、5分×3回

◆浜崎朱加(39=AACC)-伊沢星花(24=フリー) MMAルール、49・0キロ、5分×3回

◆斎藤裕(34=パラエストラ小岩)-朝倉未来(29=トライフォース赤坂) MMAルール、66・0キロ、5分×3回

◆<RIZINライト級タイトルマッチ> ホベルト・サトシ・ソウザ(32=ボンザイ柔術)-矢地祐介(31=フリー) MMAルール、71・0キロ、5分×3回

なお、RIZIN JAPAN GP2021 バンタム級トーナメント準決勝決勝の開催が事前に発表されている。準決勝のカードは朝倉海(28=トライフォース赤坂)-瀧沢謙太(27=フリー)、扇久保博正(34=パラエストラ松戸)-井上直樹(24=セラ・ロンゴ・ファイトチーム)。リザーブマッチとして元谷友貴(32=フリー)-金太郎(28=パンクラス大阪稲垣組)が行われる。

「RIZIN.33」対戦カード発表会見で顔を合わせる朝倉未(右)と斎藤(撮影・垰建太)
「RIZIN.33」対戦カード発表会見で顔を合わせ写真に納まる萩原(左)と鈴木(撮影・垰建太)
「RIZIN.33」対戦カード発表会見でホベルト・サトシ・ソウザの写真を手にする矢地(撮影・垰建太)
「RIZIN.33」対戦カード発表会見で写真に納まるシビサイ頌真(左)と関根(撮影・垰建太)
「RIZIN.33」対戦カード発表会見で写真に納まる浜崎(左)と伊沢(撮影・垰建太)

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シビサイ国内ヘビー級“頂上決戦”制す スダリオの首しめあげタップ奪う

スダリオに勝利し、スタンドのファンを指さすシビサイ(撮影・菅敏)

<RIZIN28>◇13日◇東京ドーム

シビサイ頌真(30=パラエストラ東京/巌流島)が国内ヘビー級の“頂上決戦”を制した。

ここまで3戦無敗だった元十両貴ノ富士のスダリオ剛(24=フリー)と対戦。3回1分過ぎ、シビサイは足取りでテークダウンを奪う。1分38秒、リアネイキッドチョークで首をしめあげたスダリオからタップを奪って勝利した。

シビサイは、元力士のスダリオとの対戦を前に自身の強みである柔術の要素を強化してきたと明かしていた。その言葉通り、相撲にはない“寝技”に持ち込んでの快勝。「苦しい試合だったけど、気持ちを切らさず戦えた。(スダリオは)強かった。ヘビー級で1発1発が重いし、気が抜けなかった。殴っても前に出てくるし、倒れない選手だった」と振り返る。

今後について「ヘビー級は国内はみんな仲間だと思っている。世界と戦っていきたい」と語った。

スダリオ(左)にハイキックを放つシビサイ(撮影・菅敏)
シビサイ(右)の強烈なパンチを食らうスダリオ(撮影・菅敏)

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RIZINスダリオ「判定いかない」シビサイ「国内トップ証明」と火花

オンライン会見に臨むスダリオ(C)RIZIN

13日のRIZIN28大会(東京ドーム)を前にオンラインでの公式会見が11日、行われた。

第2試合はヘビー級で元十両貴ノ富士のスダリオ剛(24=フリー)とシビサイ頌真(30=パラエストラ東京/巌流島)が対戦する。

スダリオはシビサイの印象を「身長がでかいぐらいです」と話し、「判定まではいかないと思っています」と自信を示した。国内では選手層が限られるヘビー級。スダリオも世界への“通過点”ととらえる。「海外の強い選手とやりたい」と先を見据えた。

一方のシビサイも負けじと「判定はないと思っている」。自身の強みである柔術の要素を強化してきたと明かし、「(ヘビー級の)国内トップを証明して、世界の強い選手とやりたい」と世界レベルを掲げた。

オンライン会見に臨むシビサイ(C)RIZIN

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スダリオようやく“本物”と対決 柔術家のシビサイ戦/RIZIN見どころ

6月1日のRIZIN28大会カード発表会見に出席したスダリオ剛(右)とシビサイ頌真

格闘技イベントRIZIN28大会が13日、東京ドームで行われる。同会場での総合格闘技の大会は18年ぶり。夢の祭典がいよいよ開幕する。

日刊スポーツでは同大会の見どころを紹介する。第2回はスダリオ剛(24=フリー)-シビサイ頌真(30=パラエストラ東京/巌流島)のヘビー級対決。

   ◇   ◇   ◇

貴ノ富士として角界で将来を嘱望されながら、不祥事により22歳で格闘家に転向したスダリオ。幼いころからサッカー、空手などさまざまなスポーツを経験してきた。特に中学まで行っていたバスケットボールでは、現在米NBAウィザーズの八村塁と対戦経験もあるほどの実力派だった。

角界引退からわずか1年後の昨年9月に格闘家デビューした。これまでの相手はディラン・ジェイムス、ミノワマン、宮本和志。プロレスラー3人を相手に圧倒。いずれも1回TKOという圧勝劇に「ちゃんとしたファイターとやりたいです」とリング上で榊原氏に直訴した。

特に開始8秒で勝利した宮本戦では、レフェリーが試合を止めた後にも攻撃を加え、罰金処分に。「前回、悪い意味で話題を集めたので、ルールをしっかり守って戦う」と気持ち新たに4連勝を狙う。

心と体を鍛えるため、4月に米国に修行に出た。「自分に足りないものを強化した。ヘビー級の大きくてスピードのある選手や、UFCのトップ選手たちとスパーリングをやってきた」とさらに自信をつけた。

4戦目の相手は柔術家のシビサイだ。ようやく実現する“本物”格闘家との対戦に「経験もある選手。ヘビー級の戦いで元気を届けたい」と意気込む。

 ◇   ◇   ◇

シビサイは11年にKrushでキックボクシングデビュー。HEATやGRACHANなど、多くのリングで戦ってきた。その後は巌流島に戦場を移して活躍。18年7月に満を持してRIZINに初参戦した。

初戦こそ大相撲の元横綱朝青龍が推薦するボルドプレフに完敗したが、19年10月に再び参戦。キム・チャンヒに一本勝ちを収めた。

同12月のベラトール・ジャパンでもシベリアのシュメトフから、アキレス腱(けん)固めでタップを奪い2連勝を飾った。「格闘技は10年やっている。セーブしながら力をつけてきた」と経験を生かし、若いファイターの挑戦を受け止める。

スダリオについては「ポテンシャルが高く、一番強い選手」と力を認める。ヘビー級の試合が少ないことを懸念しており「ヘビー級は何が起こるか分からない。大きい男たちが殴り合う、迫力のある戦いを見てほしい。完全決着もあると思う」と魅力を口にした。

勢いが増し続ける伸び盛りのスダリオと、さまざまな戦場で戦ってきた経験豊富なシビサイ。大男たちの激しいぶつかり合いに注目が集まる。(つづく)【松熊洋介】

スダリオ剛は宮本和志が倒れKOした後も攻撃し両軍入り乱れ騒然(2021年3月21日撮影)

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RIZIN追加カード発表、ムサエフ対ソウザ 初代ライト級タイトルマッチ

6月13日のRIZIN28大会のカード発表会見に出席したホベルト・サトシ・ソウザ(左)は、トフィック・ムサエフの写真を手に記念撮影に応じる。右はRIZIN榊原信行CEO(撮影・松熊洋介)

総合格闘技RIZINの榊原信行CEO(57)は1日、都内で会見を開き、6月13日に東京ドームで行われるRIZIN28大会の追加カード発表を行い、トフィック・ムサエフ(31=アゼルバイジャン)の参戦を発表した。ホベルト・サトシ・ソウザ(31=ボンサイ柔術)と初代ライト級のベルトをかけたタイトルマッチを行う。

19年大みそかのライト級トーナメントで優勝して以来の試合となるムサエフは「日本に戻ってきました。RIZINで必ずチャンピオンになるので、期待していてください。東京ドームで会いましょう」とコメントを発表した。

ムサエフは、同じく参戦するケラモフとともに5月25日に来日。現在は2週間の隔離生活を送りながら、室内でトレーニング続けている。昨年大みそか以来となる海外選手の参加に榊原氏は「長い間、思いを伝え続けてようやく実現した」と喜んだ。両選手とトレーナーの3人にはそれぞれ部屋を用意し、トレーニング器具も部屋の中に用意。食事も希望する物を調理して提供するなど、しっかりとした感染対策のもと、最高のパフォーマンスが発揮できるようにサポートしている。榊原氏は「スポーツ庁にお願いして許可してもらった。国の目も厳しいので、スタッフが常駐して管理している」と明かした。

現時点では、海外選手の参加は大阪大会も含めてこの2選手。「これをきっかけに秋以降には徐々に参加できるようになれば」と語っており、コロナ禍の中、ようやく海外選手の出場が決まった。

この日発表されたカードは以下の通り。すべてMMA、肘ありルール(5分×3回)で行われる。

トフィック・ムサエフ(31=アゼルバイジャン)-ホベルト・サトシ・ソウザ(31=ボンサイ柔術)(71キロ)

弥益ドミネーター聡志(31=team SOS)-“ブラックパンサー“ベイノア(25=極真会館)(73キロ)

シビサイ頌真(30=巌流島)-スダリオ剛(24=フリー)(120キロ)

斎藤裕(33=パラエストラ小岩)-ヴガール・ケラモフ(29=アゼルバイジャン)(66キロ)

トフィック・ムサエフ(左)(2019年12月31日撮影)
ホベルト・サトシ・ソウザ(2021年3月21日撮影)

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