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伝説の床山、日向端さん葬儀「本日限り」甚句で葬送

総武相撲甚句会が甚句をうたい上げる中、出棺される日向端さんの棺

4月30日に肺炎のため75歳で死去した元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんの葬儀が6日、東京・江戸川区内の葬儀所で営まれた。

入門から約半世紀にわたり、角界を裏方として支えてきた日向端さんは、大銀杏(おおいちょう)を結うその速さ、出来栄えの美しさなどから「伝説の床山」とさえ言われた。

元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏ら多数の角界関係者が参列した前日5日の通夜に続き、この日も高砂一門で日本相撲協会参与の大山親方(68=元前頭大飛)、現役床山ら故人にゆかりのある多くの相撲関係者が参列し、故人の冥福を祈った。

出棺の際には、総武相撲甚句会が甚句を披露。「床寿先生も本日限り(中略)せっかくなじんだ先生と 今日はお別れせにゃならぬ(後略)」と、うたい上げる中、日向端さんを乗せた霊きゅう車が葬儀所から出棺された。

日向端さんの出棺の際、総武相撲甚句会が甚句をうたい上げた

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元朝青龍関「先生、さようなら」床寿さん通夜に参列

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)

4月30日に肺炎のため75歳で死去した元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんの通夜が5日、東京・江戸川区内の葬儀所で営まれた。

入門から約半世紀にわたり、角界を裏方として支えてきた。大銀杏(おおいちょう)を結う速さ、出来栄えの美しさなどから「伝説の床山」とさえ言われた。所属した高砂部屋の富士桜、高見山、朝潮、小錦らを手がけたほか、高い技術で部屋の枠を超え、同じ高砂一門の横綱千代の富士、横綱曙らの大銀杏(おおいちょう)も結った。

通夜には、その高砂一門で日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、高砂親方(元大関朝潮)、九重親方(元大関千代大海)、錦戸親方(元関脇水戸泉)、振分親方(元関脇高見盛)ら親方衆はじめ、一門の枠を超えた現役の床山ら関係者が多数、参列した。

その中の1人が、日向端さんを「日本のお父さん」と慕っていた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏だ。遺族の意向で「指名焼香」し、親族が終わった後、一般参列者の中でいの一番に焼香した。

最後まで遺族に付き添ったダグワドルジ氏は「まさかこんなに早いとは思ってなく突然のニュースでした。最後のひと言は『床寿先生、さようなら』。もう少し生きてほしかった」と惜しんだ。「お相撲さんと違って床山さんは、侍たちのヘアスタイル(を手がける)」とし、一番印象に残っている言葉に「力士の顔と体つきに合わせて大銀杏を結うんだ、ということを言っていた」と述懐した。

「癖のある自分を直すために、いろいろ言ってくれた。平成の元で出会った2人が令和で別れた」。物静かな穏やかな口調で、恩人の死を悼んだ。6日午後1時から同所(セレモ江戸川ホール=東京都江戸川区谷河内1の1の16)で葬儀が営まれる。喪主は日向端育子さん。

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)
4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの祭壇(撮影・狩俣裕三)

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高見山、千代の富士、小錦ら大銀杏結った床寿さん死去

09年1月、初場所の優勝祝勝パレードでオープンカーに乗る朝青龍(右)と日向端隆寿さん

大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんが4月30日夜、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。2日、関係者が明かした。75歳だった。床寿は青森県南部町出身で、59年に高砂部屋に入門。高見山、千代の富士、小錦、曙、朝青龍らそうそうたる面々の大銀杏(おおいちょう)を結い、高い技術に力士からの信頼も厚かった。08年11月に定年退職し、約50年、裏方として大相撲を支えたことが評価され、同年12月には日本プロスポーツ大賞功労賞も受賞した。

特に朝青龍からは「日本のお父さん」と慕われた。朝青龍から「大銀杏を結ってください」と願い出て、横綱昇進4場所目の03年秋場所から担当。以来、幾度となく酒を酌み交わし、床寿の定年に際して朝青龍は「自分がここまでできたのは床寿さんのおかげ」と話している。最後の場所となった08年九州場所では「名人床寿さん江 第六十八代横綱朝青龍」と入った幟(のぼり)も贈られ、会場に飾られた。直後の09年初場所では優勝パレードに招待され、オープンカーに一緒に乗った。

定年後も元気な姿を目撃していた関係者は多く、高砂部屋の力士には昨年末も「何かあったら連絡するから」と、陽気に話していたという。趣味の歌はプロ級で、レコードを出したこともある。多彩な人だった。通夜は5日午後6時から、告別式は6日午後1時から、ともにセレモ江戸川ホール(東京都江戸川区谷河内1の1の16)で営まれる。喪主は日向端育子さん。

床寿の日向端隆寿さん

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元特等床山の床寿さん死去 朝青龍から「日本の父」

優勝祝勝パレードでオープンカーに乗る朝青龍(右)と元床寿の日向端隆寿さん(2009年1月25日撮影)

大相撲の元特等床山の床寿こと、日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんが4月30日夜に都内の病院で死去していたことが2日、分かった。

青森県出身。75歳だった。通夜は5日午後6時、葬儀・告別式は6日午後1時から、それぞれセレモ江戸川ホール(東京都江戸川区谷河内1の1の16)にて。喪主は日向端育子さん。

日向端さんは少年時代から相撲が好きで、中学卒業前に呼び出しを目指して高砂部屋入門を志願したが、空きがなかった。その後、床山に空きができ、高校を中退して1959年に入門。高見山、千代の富士、小錦、曙、朝青龍らの大銀杏を担当した。趣味の歌はプロ級で、レコードを出したこともある。朝青龍からは「日本のお父さん」と呼ばれ、2008年に定年退職していた。

朝汐の大いちょうを結う床寿。右は高見山(1979年6月16日撮影)

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朝青龍「全勝しか考えない」白鵬と一騎打ち/復刻

2009年1月25日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2009年1月25日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月25日付紙面を振り返ります。2009年の1面は、大相撲初場所で14日目まで全勝を守った横綱朝青龍でした。

◇ ◇ ◇

<大相撲初場所>◇14日目◇24日◇東京・両国国技館

 横綱朝青龍(28=高砂)が復活優勝へ王手をかけた。大関魁皇(36)を寄り切って14戦全勝を飾った。今日25日の千秋楽で、1差で追う横綱白鵬(23)と激突する。負けても優勝決定戦があるが、一発勝負で、単独4位となる23回目の賜杯をつかむ意気込みを見せた。引退危機に追い込まれていた場所前には、恩師の前で涙した元最強横綱が「最強」の座を取り戻すために本割の一番にかける。

 迎えの車に向かう地下の通路。朝青龍は、ポツリと決意を口にした。「千秋楽は、本割しか考えていないですか?」と問われると、即座に返した。

 朝青龍 うん。それしかないよ。

 支度部屋でも「一番」にこだわっていた。初日から1度も「優勝」という言葉を口にしない理由を問われると、「何も考えていない。明日は明日の一番がある。後は流れだ」とぶっきらぼうに答えた。

 取組前に白鵬が千代大海を退け、賜杯の行方は千秋楽に持ち込まれた。だが、顔色は変わらない。素早く立ち合い、左を差して右上手をつかんだ。「左四つ」は魁皇が得意の形だが、先手で右上手投げを仕掛け、魁皇の頭を押さえた。投げは決まらずも、左かいなを返して魁皇には右上手をつかませない。最後は右を引き付け、相手の体をのけ反らせての万全の寄り切り。尻上がりによくなる相撲内容を淡々と振り返った。

 朝青龍 まあ、いつも合口が悪い相手だから、先に右上手を取ろうと思った。そう、攻めないとね。

 いつも以上に口数は少ない。「今場所の白鵬関の相撲をどう思うか」と聞かれると無言になった。

 心に期するものがある。3場所連続休場が明けて冬巡業に向かった昨年12月1日、朝青龍は1人涙した。九州場所を最後に定年になった元床寿の日向端隆寿氏から「このまま終わったら、単に『22回優勝した横綱』になってしまうぞ。もう1度優勝しなきゃ」と声をかけられ、抑えていた感情があふれだした。泣きながら「分かりました」と返し、初場所出場を決意すると日向端氏に「(優勝パレードで使う)オープンカーで待っていてください」と力強く約束していた。

 引退危機を乗り越え、奇跡の全勝復活Vへひた走る朝青龍を見つめ、この日も支度部屋を訪れた日向端氏は言った。「いい顔をしている。昔、10本あった角が3本に減って、そのうち1本もグラついていたけど、また勝ち気な朝青龍に戻ってきたよ。うん、何とかなる。オープンカーに乗りたいね」。

 現在最強の白鵬に勝てば、横綱貴乃花を超え、歴代単独4位の23回目の優勝となる。過去の白鵬との本割は12勝6敗、優勝決定戦は1勝1敗。だが、場所前の横綱審議委員会けいこ総見では、1勝6敗と圧倒された。5場所ぶりの復活Vは簡単ではない。それでも朝青龍は一発勝負で、5歳下の横綱を仕留めに行く。

★館内の声援に応えられず完敗した魁皇 気合入ったんですけど…。腰高で、立ち合いからまわしを取られてしまった。

 朝青龍が「ヒール」に逆戻りし始めた。この日の取組では、相手の魁皇コールが国技館内にこだま。場所途中までは同情の声援が多かったが、引退危機を乗り越えたばかりか、憎らしいほどの強さを取り戻し、7連覇を果たしたころの雰囲気が戻ってきた。

 日刊スポーツではこの日、両国国技館を訪れた100人(男性44、女性56)にアンケートを実施。ファン心理が垣間見える結果となった。

 <1>優勝するのはどっち?

 朝青龍と答えた人が64人、白鵬が本割と優勝決定戦に連勝すると予想する人が36人。都内在住の馬場涼子さん(38)は「朝青龍は嫌いを通り越して面白くて。場所前のけいこ総見(での惨敗)は芝居じゃないの? 注目させて悪口書かせて『見たか』って感じで」と話した。

 <2>優勝してほしいのは?

 白鵬が64人、朝青龍が36人と白鵬に軍配。宮城県に住む会社員の尾形順子さん(26)は「場所前にはいろいろあったけど、勢いのあるのは朝青龍。でも勝たせてあげたいのは白鵬」。逆に千葉市在住の会社員初芝浩利さん(39)は「朝青龍は最近の横綱の中で一番好き。土俵の外は関係ない」と意見も分かれるところ。

<3>優勝はどう決まる?

 優勝決定戦で白鵬と予想した人が一番多く36人。次いで本割で朝青龍が32人、本割で朝青龍が敗れて決定戦でリベンジと考える人は16人だった。

※記録と表記は当時のもの

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宣言!「30から40歳の朝青龍は大変」

断髪式を終え土俵に別れのキスをする元朝青龍関(撮影・野上伸悟)

 第2の人生も暴れます! 知人男性に暴行したとして2月に引退した元横綱朝青龍関(30)の引退断髪披露大相撲が3日、東京・両国国技館で行われた。各界の著名人ら約380人がはさみを入れ、最後は土俵に惜別のキス。土俵入り後は涙した元暴れん坊横綱は、約1万人のファンを前に「30から40歳の朝青龍はもっと大変なことになります」と威勢よく宣言した。政界や実業界などからラブコールを送られる「希代の横綱」は、喜怒哀楽いっぱいに土俵へ別れを告げた。

 朝青龍は、最後まで朝青龍だった。午後3時7分、善悪まじりの伝説を残した元横綱が、ついにまげを切った。暗転した国技館を、すすり泣く声が包む。花束を抱えた朝青龍は一礼し、土俵を降りた。「ケガしたり喜んだり、すべてこの土俵だった。土俵に感謝ですよ」。前かがみになると、汗と涙が詰まった聖地の土俵に熱烈なキス。花道では、何度もしかられたガッツポーズを披露するなど、最後まで魅せた。

 国技館に1万人。品格を問われ続けた「お騒がせ横綱」は、一方で多くのファンに愛されていた。計7カ国の政財界要人や有名芸能人、はさみを持つ顔ぶれも多彩。「お母さんに言われたから」と、土俵の上では泣かず、涙の代わりに見せたのは威勢の良さだった。

 朝青龍 私の中では2つの心臓が動いています。1つは生んでくれたモンゴル、もう1つは育ててくれた日本という国。2つの国を一番愛しております。これから素晴らしい人生を歩んでいきます。30から40歳の朝青龍は、もっと大変なことになります。

 引退後は、母国モンゴルで政財界の人脈を築く。芸能活動も行っている。今後については「政治もひとつ」と言いながら「暴れます。目標あるからね。達成したら言うよ。もっと立派な人になって」と、もったいぶって明かさない。ただ、異国の「国技」で頂点に立った20代よりも輝きたい意気込みは、みなぎっていた。

 7カ月ぶりの大銀杏(おおいちょう)を結ったのは、08年末で定年退職した元床寿の日向端隆寿さん(66)だった。「日本の父」に「もう1度人生やれるならどうする」と聞かれ、考えた。「大和魂を持った日本人に生まれ変わりたい。日本人の横綱として生まれ変わりたい。そして外国から来た横綱とやりたい」。弟分の日馬富士と、97年9月に一緒に来日した朝赤龍を従えた最後の土俵入り後は、目に涙をためていた。

 計画した「丸刈り」や「ベッカムヘア」でなく、まずは律義に? 師匠と同じオールバックにした。両親やタミル元夫人らに囲まれ「男前か?」と胸を張り、薄紫のネクタイをキリリ。本名のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏は「横綱朝青龍」について「このままが朝青龍じゃないかな。私は腹黒じゃない。相撲も速攻だし、言葉も速攻だからね。それだけですよ」という。優勝25回、史上初の7連覇、ファン太郎にサッカー騒動も…。「希代の横綱」第2の人生も、何かをやる予感がする。【近間康隆】

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朝青全勝ターン大鵬超え23度目/九州場所

後方に回り込んだ体勢から栃煌山を送り投げで破った朝青龍

<大相撲九州場所>◇8日目◇22日◇福岡国際センター

 横綱朝青龍(29=高砂)が、史上単独2位となる23回目のストレート給金を決めた。明徳義塾高後輩の東前頭3枚目栃煌山(22)を豪快に送り投げて8連勝。「日本の父」と尊敬する元床山床寿の日向端隆寿氏(66)が応援に駆けつけた前で、全勝を守った。横綱白鵬(24)も全勝でターン。平幕で唯一、無敗だった東前頭9枚目嘉風(27)に土が付き、負けなしは両横綱のみとなった。

 研究成果が生きた一番だった。朝青龍は栃煌山の右ほおを張りながら出て行くと、そのまま左上手をガッチリ。「場所前から(相手は)けいこでなかなかいい動きだったからね。左から攻めるイメージだった」。相手の右横に付いたために送り出してもよかったが、逆に切り返しての送り投げ。「いいと思うよ。ああいう動きは」。かぜをおして出向いた場所前の春日野部屋出げいこの成果だった。

 2場所連続となる初日からの8連勝。その裏には、精神的な余裕が見え隠れする。後援会関係者によると、引退危機にあった1年前は、食事に行っても「張り詰めたものがあった」という。だが今場所前は、食事の席でサッカーW杯や男子ゴルフの石川遼の話題を楽しげに語るなど「完全に持ち直した感じ。引退という空気が流れなくなった」(同関係者)という。

 この日は東京から頼もしい応援も駆けつけた。「日本の父」と慕う元床山床寿の日向端氏が来場。同氏は昨年同場所で定年を迎えたが、朝青龍はその最後の場所を左ひじ痛で全休した。申し訳なさから、会場正面に「名人床寿さん江 第六十八代横綱朝青龍」という幟(のぼり)を贈ったほどだった。支度部屋で「大先生、どうも!」と笑いながら日向端氏と固く握手。日向端氏も「昔みたいに放り投げるような強さはないけど、それだけ慎重に取っている。14戦全勝で千秋楽(対白鵬戦)だ」と横綱同士の全勝対決に期待した。

 ストレート給金は23回目を数え、元横綱大鵬を抜いて単独2位。そのうち18場所で優勝を果たしており、秋場所からの連覇も現実味を帯びてきた。だが「全然そんなの思っていないよ。ああでもない、こうでもない。普通。冷静」。気持ちの余裕を得た今、25回目の賜杯も近づきつつある。【山田大介】

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