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大相撲総選挙 選挙風ポスター第2弾公開

<第9回 大相撲総選挙>

大相撲の人気NO・1力士は誰か? 日刊スポーツ新聞社は第9回大相撲総選挙を実施しています。対象は夏場所番付の幕内力士42人。今回はインターネットのみで投票を受け付けます。投票は6月6日まで。結果は6月上旬の紙面でも発表します。ぜひ好きな力士に投票してください。力士の選挙風画像を順次掲載します。

 

徳勝龍

今年の初場所は、西前頭17枚目の「幕尻」ながら14勝1敗で優勝。場内インタビューで、人当たりのいいキャラクターが有名になった

 

石浦

飾り気がなく、心も体もたくましい。筋骨隆々な肉体もあいまって、「質実剛健」がしっくりくる。相撲以外の格闘技にも精通する

 

千代大龍

七夕の短冊に書いた「金がいる」は、千代大龍らしさを表す願い事として有名になった。実は繊細な一面もあるともいわれている

玉鷲

正義感が強く、ユーモアもあり、人としての器が大きい。慌てふためくことはなく泰然自若。初優勝した際、多くのファンが喜んだ

歌が好きで、美声は有名。演歌を中心にレパートリーは幅広い。縁のある力士の引退相撲などでは、相撲甚句を披露することもある

魁聖

取材などの場で質問に対する受け答えの機転が利く。その裏には謙虚さがにじみ、相手への配慮もさりげない。自虐的な談話も多い

妙義龍

第8回大相撲総選挙優勝者。熱狂的なファンの投票に支えられ、いぶし銀の実力者が栄冠をつかんだ。果たして今年は連覇なるか?

栃ノ心

左上手をがっちりつかむと、相手は動けなくなる。太い腕が秘めるパワーは、角界随一。大関から陥落したが、得意の型は健在だ 

松鳳山

細かいことにこだわらない。相撲は組んでも離れても取ることができ、負けても落ち込まない。のびのび生きる闊達(かったつ)自在

志摩ノ海

笑うと目が細くなる。人当たりがよく、笑顔が印象的な人格者だ。画像の水色は、出身地の三重・志摩市をイメージして制作した

佐田の海

父は元小結。本人は「まだまだ」と謙遜するが見た目も相撲っぷりも似ている。今も時にアドバイスをもらうなど、まさに父子相伝

高安

大関から陥落したが、まだ30歳。ケガを治して本来の力を出せれば、上位で戦える。多くのファンが、完全復活を待ち望んでいる

琴ノ若

父は師匠の元関脇琴乃若。祖父は元横綱琴桜。新入幕だった春場所は9勝。まだまだ伸び盛りの22歳はどこまで番付を上げるだろうか

琴奨菊

大関昇進時の伝達式で「万理一空」を口上に盛り込んだ。すべては同じ空の下、転じて、常に努力を続けるという気構えを示した

若隆景

3兄弟の三男。長男の若隆元は幕下、次男の若元春は十両。兄2人に刺激を与え続けている。代替わりした荒汐部屋を引っ張っていく

琴勝峰

春場所で十両優勝し、新入幕を果たした。まだ20歳ながら191センチ、165キロのサイズは魅力たっぷり。将来の横綱候補との声も多い

千代丸

愛らしい笑顔と、パンパンに張った太鼓腹が魅力。さっぱりした性格も相まって、周囲を明るくさせる。弟の十両千代鳳は復活途上

錦木

岩手出身、メガネがトレードマークのたたき上げ。派手さはないが、巡業でも休まず稽古するなど、真面目で実直な人柄が好印象

琴恵光

珍しい決まり手「網打ち」をこれまで7度も決めている。春場所でも披露したばかり。土俵際での逆転を狙って打つことが多い

照ノ富士

元大関も、両膝のケガなどでこれまで約1年半、関取の座を失っていた。元幕内力士が序二段まで降下した後、幕内復帰したのは史上初

琴勇輝

恐れることなく、勇んで前へ突き進む。立ち合いで一気に前へ出る相撲は、まさに勇往邁進(まいしん)。本名にも「勇」の字が使われている

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裏も濃密だった辰吉対薬師寺/記者振り返るあの瞬間

94年12月、WBC世界バンタム級統一王座決定戦で激しく打ち合う辰吉丈一郎(左)と薬師寺保栄

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(45)

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

辰吉丈一郎が「勘違い君」と言えば、薬師寺保栄は「思い上がり君」と返した。ボクシングで世紀の一戦と言えば、やっぱりこれ。WBC世界バンタム級王座統一戦で、94年12月4日に名古屋で激突した。対戦前は舌戦が前代未聞の過熱ぶりで、一言で記事になった。

辰吉が前年に暫定で王座を奪回したが、当時の国内ルールでは引退の網膜剥離と判明した。薬師寺が代役で正規王座を奪取して2度防衛。その間に辰吉が海外で復帰すると、WBCから対戦指令が出され、国内復帰も特例で認められた。

因縁に中継テレビ局の違いで、両陣営とも興行権を譲らず。共催案も分裂でついに入札になると、米プロモーターのドン・キング氏も参戦する事態に。薬師寺陣営が342万ドル(約3億4200万円)とヘビー級以外の最高額で落札した。辰吉陣営は237万9999ドル、キング氏は320万1500ドルだった。

薬師寺陣営は赤字削減へ強硬手段に出た。ポスターやプログラムは薬師寺中心で辰吉は片隅。入場券1万1000人のうち辰吉陣営には3000枚だけで、グッズ販売、恒例の太鼓応援も禁止した。薬師寺陣営がファンクラブ結成に約3000人が入会したが、半分は隠れ辰吉ファンの入場券目当てだった。

薬師寺のクリハラ・トレーナーが「欠点が6つある」に、辰吉は「486個」と返した。「ヤックン(薬師寺)のダンスとキラキラの服が楽しみ。判定なら勝ちにしてあげる」と上から目線。薬師寺は「ベルトに偽物と書いて」と言い、公開練習ではあちこちサポーターやドーピング疑惑を口にし、陽動作戦も繰り広げた。

試合は辰吉が前に出るが、薬師寺が左ジャブと手数でリードした。両者とも流血。辰吉は両目を腫らせながら、終盤に反撃した。クリンチも少ない激戦も、2-0の小差判定で薬師寺の手が上がった。

1ポイント差のジャッジ1人は日本人だった。12回は唯一10-10のイーブンと採点した。残るジャッジ2人のこの回は辰吉10-9で、3人が同じだったら判定は1-0で引き分け。異議を訴える辰吉陣営もいた。

実は辰吉が左拳を痛めていたが、素直に完敗を認めた。終了ゴングが鳴ると抱き合って発言を謝り、判定が下ると薬師寺を抱き上げた。薬師寺も勝って言い返すはずが、最強だったと応えた。挑発合戦からクリーンなファイトとエンディングが脳裏に刻まれた。

両陣営の争いで笑ったのが、振込手数料をどちらが払うかでもめたこと。ファイトマネーは五分の1億7100万円で、マネジメント料33%を引いても1億1457万円。辰吉は日本人最高額となった。

薬師寺は違った。当時は試合後の報告書が公表され、2500万円と判明した。後援者のボーナスはあったが、地元での開催優先へ抑制を受け入れ、初の日本人統一戦勝者という栄冠を手にした。舞台裏も実に濃密で面白く、まさに世紀の一戦と言えた。【河合香】

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元UFC王者リデル抗議デモ過激化「誰の利益にも」

チャック・リデル

元UFC世界ライトヘビー級王者で引退後はUFC殿堂入りも果たしているチャック・リデル(50)が、米ロサンゼルス南部ハンティントンビーチで行われた黒人男性が白人警察官に押さえつけられた後に死亡した事件に抗議するデモで過激化する人々に暴力をやめるよう説得する様子が地元テレビで報じられた。

先月25日に死亡したジョージ・フロイドさんの事件をきっかけに全米各地で抗議デモが起きており、暴徒化した一部の人々による略奪や放火が起きている。現在ハンティントンビーチに滞在しているリデルは、道を歩く抗議デモ参加者が小競り合いを始めたのを目撃、仲裁に入って、ヒートアップして暴れようとしている人たちを落ち着かせてトラブル回避に一役買ったという。

「暴力は暴力を生む。暴力は誰のためにもならない。みんなこれは間違いだと分かっている。見るのがつらい」と抗議活動に賛同する一方で、「でも街を破壊すること、人々を破壊すること、人々を傷つけることは、誰の利益にもならない。平和的に訴えるべきだ」とインタビューで語っている。

ロサンゼルスでは市内近郊複数箇所で30日から3日間連続で略奪や建物の破壊など暴動が起きており、外出禁止令が発令される事態に発展している。(ロサンゼルス=千歳香奈子)

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初黒星喫し“暴れた”朝青龍/夏場所プレイバック

5月23日付の日刊スポーツ

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。10日目は、何かと物議を醸した、あの強い横綱の“ご乱行”です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇10日目◇2007年5月22日◇東京・両国国技館

10日目を報じる翌5月23日付の日刊スポーツに「朝青 座布団蹴散らす」「礼せず土俵去る」「カメラマン怒鳴る」…の見出しが躍った。平幕の安美錦に敗れ初黒星を喫し、連勝も22で止まった朝青龍の“暴れっぷり”を詳報している。礼をせずに土俵を下り、花道では座布団を蹴り上げた横綱。寄り倒され、もつれながら土俵下に落ちた一番に支度部屋では「せめて物言いつけてくれ」とボヤき、至近距離から撮影しようとしたカメラマンに「近づき過ぎだ」と怒るなど、横綱としての品格が問われる振る舞いだった。

くしくも03年の夏場所10日目を報じる紙面にも「ガン飛ばし横綱」の見出しが躍った。前日9日目の旭鷲山との取組後、さがりを乱暴に扱い相手をにらみつけるなど、横綱らしからぬ行為。それでも北の湖理事長(当時)は処分せず、師匠の指導にゆだねた。話題に事欠かず、何かと手を焼かす優勝25回の横綱だった。

故郷モンゴルでのあのサッカー事件、そして暴行問題の責任をとっての引退表明。土俵上での強さと、子どもっぽい精神的な“危うさ”が表裏一体の横綱だった。前述の07年の際は支度部屋で「(安美錦は)軽い相手だし甘く見過ぎた。調子に乗った」「勝負は勝負だ。これが相撲ですよね」と、くだんの乱行はどこへやら、冷静に語っていた。断髪後の会見では「生まれ変わったら、大和魂を持った日本人として横綱になりたい」とも。精神的に未熟だった…と言ってしまえばそれまで。それも含めて朝青龍なのだろう。

07年5月22日、飛び交う座布団をにらむ朝青龍(左)と安美錦
07年5月22日、右すねを負傷し、治療する朝青龍

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200キロ超の元十両徳真鵬が引退 今後は大学職員

徳真鵬

日本相撲協会は1日、元十両の三段目徳真鵬(本名・白塚元久、36=木瀬)が引退届を提出し、受理されたことを発表した。

徳真鵬は現役最後の場所と位置づけた夏場所で相撲を取りきり、場所後に断髪式を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止に。不完全燃焼の形となったが、電話取材に応じた徳真鵬は「最後に(相撲を)取れたら良かったが、コロナの影響で稽古もできていなかった。7月から母校で働くことにもなっていたので」と説明。土俵で稽古を行ったのは春場所前の3月上旬が最後だった。今後は母校、朝日大の職員として第2の人生をスタートさせる。断髪式の予定は未定。

三重県松阪市出身の徳真鵬は朝日大を経て、07年春場所に初土俵を踏んだ。「白塚」から「徳真鵬」にしこ名を改名した09年春場所で、初の幕下優勝を飾ったことが1番の思い出。体重200キロ超える体格を生かして、09年秋場所に新十両昇進を果たした。朝日大からは初の関取。13年の現役生活で十両在位は27場所を数えた。「15日間、化粧まわしを締めて土俵に上がるのは夢のよう。今となってはありがたいことだった」。15年九州場所を最後に関取の座から遠ざかり、西幕下6枚目の昨年春場所で1勝6敗と大負け。年齢も35歳となり「そろそろかな」と引退の決意を固め始めた。

母校の朝日大には7月の名古屋場所の前後に、毎年1度は顔を出していた。昨年引退の意向を伝え、その後、話が進んで職員として母校に戻ることになった。師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)には「十両に上がって、幕下に落ちてからも一生懸命頑張っていたな」とねぎらいの言葉をかけられたという。

大学職員として「学生を支援していく」一方、相撲部のサポートにも携わる予定で、ゆくゆくは指導者として角界に教え子を送り出したいという。「自分は関取になったが、幕内に上がることができなかった。関取、幕内に上がるような力士を育てたい」。新たな夢が膨らんでいる。

力士生活13年間で1度も休場をすることなく走り続けた36歳は、自らのツイッターでも引退を報告した。「休場することなく相撲を取れたことは、両親をはじめ応援してくださった方々のおかげです。ありがとうございました。今後は、食べ過ぎに注意しておいしかった物を中心にツイートしたいと思います。今後もよろしくお願いいたします」。愛嬌(あいきょう)たっぷりの投稿で、大相撲ファンに感謝と別れを伝えた。【佐藤礼征】

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マイク・タイソン氏を引退に追い込んだ男が秘話語る

エキシビション戦でのリング復帰を目指すボクシングの元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)を最後に倒した男がクローズアップされている。

05年6月、6回終了TKO勝利でタイソン氏を現役引退に追い込んだアイルランド人ボクサー、ケビン・マクブライド氏(47)の現在が5月31日、英紙デーリーメールに報じられた。タイソン氏の言動が伝えられるごとに名前が挙がる同氏は米マサチューセッツ週ボストンで妻と2人の子どもと生活している。

同紙のインタビューでは「私は現在、樹木医と一緒に仕事をしています」と職業を明かした。環境汚染や病害虫によって病気にかかった樹木を診察、検査する「木の外科医」をサポートする業務で、材木を拾い、冬には樹木に積もった雪も下ろすという。「この仕事は私を忙しくさせている」と充実した生活ぶりを語った。現役引退は11年。タイソン氏に勝ったヒーローはその後、8戦2勝6敗と負け越した。目立った活躍ができないまま、アルコール依存症となってリングを去ったという。この10年間は仕事に集中し、お酒は口にしていないそうだ。

15年前のタイソン戦当時は32歳。マサチューセッツ州に拠点を置き、パッキー・コリンズ・トレーナーのもとで10週間にわたるキャンプに取り組んだ。マクブライド氏は「タイソンが私を殴った時、いつでも笑うように、とトレーナーから言われたことを覚えている。試合動画をみればたくさん笑っているのが分かるはず」と強調。さらにタイソン氏が試合中にクリンチで左腕を折ろうとしたり、乳首をかもうとしていたと指摘し「神様、マウスピースを差し込んでくれてありがとう。そうでなければ私は1つの乳首しかないアイルランド人になるところだった」と、冗談交じりに本人しか分からないエピソードも披露した。

当時を懐かしみながら「勝利した後に踊って喜んだが、最高のタイソンではなかったことも分かっている。しかし、あの夜は間違いなく勝ちました」と遠い目。当時のファイトマネーは15万ドル(約1650万円)だった。タイソン戦後、名物プロモーターだったドン・キング氏とも契約を結んだものの、戦績が伴わずに世界王座には届かなかった。

数年前には、あるイベントでタイソン氏とも再会したこともあるという。マクブライド氏は「あいさつして、私を覚えているかと訪ねたら、彼は手を振って『ケビン、覚えているよ』と」。53歳となったタイソン氏がリングに戻ろうとしていることを歓迎し「彼がカムバックすると言うたびに、私が彼を倒した最後の男だったと話題になる。それが頻繁になることは嫌ではない。好きだよ」と締めくくっていた。

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貪欲なエストニアの怪人把瑠都/夏場所プレイバック

大相撲夏場所9日目 魁皇(左)を押し出した把瑠都(10年05月17日)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。9日目は「エストニアの怪人」の新大関場所です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇9日目◇10年5月17日◇東京・両国国技館

エストニア出身の新大関、把瑠都が勝ち越しを決めた。今場所初の大関戦で魁皇(現浅香山親方)を押し出しで破って8勝1敗とした。立ち合いで得意の右四つになれず、押し込まれる場面もあったが、すぐに右を入れて体勢を入れ替え、そのまま押し出した。過去4勝5敗と決して得意ではない相手を退け、取組直後にはホッとした表情。「プレッシャーはなかった。何でもいいから、かっこわるい相撲でもいいから勝ちたかった」と、笑顔で話した。

当時25歳の把瑠都は04年に19歳でエストニアから来日し、外国出身8人目、欧州出身では2人目の大関となった。198センチ、188キロの大柄な体で、100キロ近い握力に、背筋力は300キロ以上と規格外のパワーを誇った。

12年初場所で初優勝を飾ったが、ひざの負傷が響いて13年9月に引退した。その後はタレント活動などを経て、昨年母国で国会議員に。農家出身で、農産品の日本への輸出や農家の後継者問題など農業分野を中心に取り組んでいきたいと抱負を語り「日本とエストニアの懸け橋となって両国の交流に尽力したい」と強調した。

大相撲夏場所9日目 魁皇を押し出しで破り、勝ち越しを決めた把瑠都(2010年5月17日)

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戦い続けた42歳牧師の姿/記者が振り返るあの瞬間

ジョージ・フォアマン(1973年)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(40)

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

試合終了を告げるゴングが鳴る前から1万8000人の大観衆は立ち上がった。地鳴りのようなスタンディングオベーションに私も一緒に加わった。それがやがて「ジョージ!」のコールに変わった。12ラウンドを勇猛に戦い続けた42歳の牧師ボクサー、ジョージ・フォアマン(米国)への賛歌だった。

1991年4月19日、米ニュージャージー州アトランティックシティーで行われたプロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチ。全盛期を迎えていた28歳の王者イベンダー・ホリフィールド(米国)に、17年前に失った王座を取り戻すために、10年のブランクを経て復帰したフォアマンが挑んだ。

120キロ近い太鼓腹の元王者の勝利を予想する声は皆無だった。米国人記者たちは「ただのデブ」「出番を勘違いした老いぼれ」「ジョークだ」と冷笑していたし、地元紙は太っちょ(FAT)の挑戦者に引っかけて「FAT CHANCE(絶望)」の見出しを付けた。私も早いラウンドでの決着を予想していた。

開始から打撃戦になった。予想と違ったのはフォアマンが1歩も引かなかったことだ。若い王者の速射砲のような連打を耐えに耐えて前進を続け、豪快な右強打で対抗した。7回開始直後、その右で顔面を打ち抜かれた王者が宙をさまようように後退した。時代の逆転…起こるはずのないことが起きている。背中に戦慄(せんりつ)が走った。

試合はホリフィールドの判定勝ちだった。しかし、もう結果はどうでもよかった。時代にあらがい、果敢に挑んだフォアマンの勇気、生きざまに酔いしれ、計り知れない人間の可能性に気づかされたのである。「年寄りであることを恥じることはない。みんな誇りを持っていい」。試合後の彼の言葉は、年齢を重ねるにつれて、私の中で輝きを増すようになった。

実は彼が現役復帰した理由は名誉のためではない。77年の引退後、牧師として活動しながら、不遇な若者を救済するユースセンターを運営していた。そのセンターが経営難に陥ったため、手っ取り早く資金を稼ぐために再びグローブをはめたのだ。他人の人生まで背負うと、人はこんなにも強くなれるのだ。連打の嵐の中を前進するフォアマンを見ながら、そんなことも感じた。

激闘から一夜明けた土曜日、フォアマンは予定された記者会見をキャンセルした。理由は「会見に出ると牧師をしている日曜学校に間に合わなくなるから」。3年後の94年、彼は45歳にして世界ヘビー級王座復帰の偉業を成し遂げる。そして、71歳になった今も地元ヒューストンでユースセンターの経営と、牧師としての活動を続けている。【首藤正徳】

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清見潟親方が年寄名跡を変更「春日山」を襲名

日本相撲協会は29日、清見潟親方(元前頭武州山)が5月29日付で年寄名跡を変更して「春日山」を襲名したと発表した。

元前頭武州山は13年初場所限りで現役を引退し、年寄「小野川」を襲名。藤島部屋の部屋付き親方として、後進の指導にあたっていた。16年1月に年寄「清見潟」を襲名し、今回が2度目の変更となる。

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復帰意欲のタイソン氏、プロレスでも因縁相手と乱闘

ボクシング元ヘビー級王者マイク・タイソン氏(左)とクリス・ジェリコの挑発合戦を伝えた米プロレス団体AEWの公式ツイッター

ボクシング本格練習再開で話題の元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)が、元新日本プロレスのケニー・オメガ、Codyらが所属する新団体オール・エリート・レスリング(AEW)マットに「進出」している。27日(日本時間28日)に中継されたAEW大会では、リング上で新日本プロレスにも参戦するクリス・ジェリコと挑発合戦を展開した。

10年1月、WWEマットでタイソン氏はジェリコとタッグを組んで試合出場。しかしジェリコを右拳で殴る裏切り行為で失神させていた。10年後、AEWマットで再会した形だ。ジェリコから「今、ここで謝罪しろ。オレのキバがオマエのノドをかききる前に謝罪した方が身のためだ」と要求されると、タイソン氏は怒りの表情で着用していたTシャツを破り捨て鍛え上げた上半身を誇示。両者の小突き合いから大勢のレスラーによる大乱闘となった。

WWEで2度リングに上がった経験のあるタイソン氏は23日にフロリダ州ジャクソンビルで開催されたAEWのPPV大会に登場。TNT王座決定トーナメント決勝戦の立会人を務め、新王者となったCodyにベルトを授与していた。

タイソン氏はチャリティー事業としてエキシビション戦でリング復帰する意欲を示し、SNSなどを通じて練習動画を何度も投稿。05年6月、ケビン・マクブライド戦で棄権による6回終了TKO負けを喫して引退して以来のリング復帰に意欲をみせていたが、英メディアによると、対戦相手の交渉が進んでいないようだ。

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朝青龍、35連勝でストップ/夏場所プレイバック

04年5月14日 大相撲夏場所6日目 北勝力(右)は朝青龍を押し倒しで破り連勝を35で止める

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。6日目は連勝記録に挑んだ横綱です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇6日目◇04年5月14日◇東京・両国国技館

当時23歳の朝青龍が、173日ぶりに負けた。歴代4位タイ(当時)の36連勝を目指し、前頭筆頭北勝力(現谷川親方)と対戦。引いたところを一方的に押し倒され、04年初黒星を喫した。

「やられたよ。かっこよくできればよかったな」。立ち合いで北勝力に2度つっかけられた場面もあった。3度目の仕切りに入る前、右手で下がりを分けるまで約5秒、北勝力をにらみつけた。「手つきがねえ。合わせないといけないよな。まあ、こっちが悪いんだよ。自分のミスだよ。(北勝力は)いい押しだったな」。ぐっと堪えながら、自らの相撲を反省する言葉を並べた。

予兆もあった。「朝からかゆかった。何かあるかと思ったよ」と笑って「おとといから背中が痛い。体ぱんぱんだ」と背中をさすった。「もったいない星だね」。

朝青龍にとって、この35連勝が自身の最長連勝記録となった。朝青龍の引退後、白鵬が63連勝(史上2位)、43連勝(史上5位)、36連勝(史上6位タイ)と次々に連勝記録を打ち立てた。モンゴル勢の躍進は、現在も際立っている。

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貴ノ浪「悲しくない」涙の引退/夏場所プレイバック

引退会見で涙を拭う貴ノ浪(2004年5月11日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。3日目は、90年代を中心に活躍した元大関の土俵との別れです。

<大相撲夏場所プレイバック>◇3日目◇04年5月11日◇東京・両国国技館

貴ノ浪は目に涙を浮かべながら、何度か言葉を詰まらせた。「全然悲しくない。悲しくないんだけど、涙が出る」。場所前に不整脈が出て入院し、医者の制止を振り切って現役に執念を燃やしたが2連敗。前夜、師匠の貴乃花親方(元横綱)と話し合い引退を決断した。「体調面がすぐれなかった。自分らしい相撲が取れないのであれば、終止符を打つのが正しいと思った」。

元大関貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門し、87年春場所で初土俵を踏んだ。取り口は豪快。196センチの長身で懐が深く、もろ差しを許しても抱え込んで振り回した。94年初場所後、武蔵丸と大関に同時昇進した。96年初場所では、横綱貴乃花と同部屋同士の優勝決定戦を制して初優勝を果たした。綱取りには届かなかったが、大関在位37場所は史上7位。明るい人柄でもファンを引きつけ、記録にも記憶にも残る名大関だった。

名門二子山部屋から38年ぶりに関取が途絶え「それが一番残念。下が来るまで持ちこたえたかった」。引退後は音羽山親方として貴乃花部屋で指導し、将来の角界を支える人材として期待された。しかし15年6月に急性心不全のため43歳で急逝。早すぎる別れだった。

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千代の富士が貴花田に五重丸/夏場所プレイバック

初日に千代の富士を破る貴花田(貴乃花)。18歳9カ月の史上最年少金星(1991年5月12日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

◇   ◇   ◇

<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。

貴花田(貴乃花)は千代の富士から金星をあげる(1991年5月12日撮影)

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木村花さん誹謗中傷に「狂ってる」レスラーたち憤り

木村花さん(2020年1月13日)

女子プロレス団体スターダム所属の木村花さん(享年22)が23日に死去した。木村さんは、19年9月からネットフリックスで配信され、フジテレビでも放送中の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演。番組内の言動に関して、SNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。そのことに対し、多くのプロレスラーがツイッターで思いをつづった。

▼スターダム中野たむ

「この世は地獄かよ。画面の向こうにいるのは、偶像じゃなくて心を持った人間なんです。心無い言葉で傷ついた事が、あなたにもあるはずです。こんな理不尽な人の憎悪を受けて、自分の中にもまた憎悪が芽生えていく事に腹が立ちます。殺し合うんじゃなくて、生かしあおうよ。おかしいよ。」

▼スターダムの林下詩美(22)

「ちょっとしたコメント、軽い気持ちで言った言葉じゃないんだよ。沢山の心無い言葉を目にする本人の辛さは計り知れないし、真っ直ぐな人だから誰よりも言葉を重く受け止めちゃうんだよ。度が過ぎた言葉を投げつけてた人はこれで満足なの?言葉は自由だけどさ もう少し考えようよ」

▼20日に引退した元スターダムの星輝ありさ(24)

「今までごめんね。ありがとう。生きてね。がほとんど会話しない私に来た最後の言葉だった。謝るならちゃんと直接言ってほしかった。ありがとうも直接言ってもらいたかった。私はあなたこそ生きたほうがいいよと返したけどもう既読付くことはない。でも本当に気持ちは分かるんだ。死ぬという覚悟が決まると怖くなくなるものだよ。やった側の人間は『ちょっと』かもしれないけど、やられた側の感覚は『もの凄く』だからね。生きてる意味も分からなくなる。自分がやったことは大きく自分に返ってくる。この件も含めて本当に相手への言動や行動をまじで改めて欲しい。全部狂ってる」

▼マーベラスの長与千種(55)

「SNS書き込みは言葉で人を殺める事が出来るツールではないはず。顔隠し言論の自由として狂気のナイフを振り飾した奴って絶対的に人事にするはず。言っておく!! これからの選手、これからのプロレスラーだった。悪役を演じただけ。本当の彼女は礼儀も優しさも兼ね備えた後輩でプロレスラーだったから」

「いまいちどだけ。殺め言霊の主人公の方々様へ 消すくらいなら 書くな 知らぬ存ぜぬは するな。これは歴とした事件です。ツイッターが悪いのではない。道徳心無き言霊の綴りで追い込んだ主人公の問題 逃げても 真実に時効無くついて回るはず。皆悲しんで心の憤りしかないんだよ!」

▼WWEの中邑真輔(40)

「狂ってる」

▼WWEのアスカ(38)

「渡米するまで数年間、毎日沢山の、死ね、女子プロレスを壊すな、この業界から去れとメールが私の元へきました。そして今日は、他の選手がコメントを出してるのに、まだお前はコメントをださないのか、ときました。自分の正義感に前のめり過ぎて、同類だと気がついてないんですきっと。これが怖い。」

▼KENTA(39)

「言葉は時として人を傷付ける武器にもなる。この事は肝に銘じないといけない。そして嫌な事や物から逃げるのは決して恥ずかしい事ではない。自分の人生だ。自分を大事にして欲しい。」

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ワタナベボクシングジム支援金が目標600万円到達

ワタナベボクシングジム所属の京口紘人(2019年9月30日)

ワタナベボクシングジムが支援金を募ったクラウドファンディングが、22日に目標額600万円をクリアした。

試合が中止、延期になり、ジムも休業中で存続危機。損害と運営費を補うために、4月27日から募集を開始していた。29日が募集終了日だったが、7日前にして400人を超える支援で目標を達成した。

返礼として主催試合コーナーポスト広告の50万円に2人、世界王者京口らに指導を受けられる3万円に20人、サイン入りグローブの1万2000円に150人以上などの支援が集まった。

渡辺会長は「みんなが苦しい時にありがたい限り」と感謝した。試合予定だった京口らの選手には「生活もあるから」とファイトマネーの一部を支給した。政府による補助金なども申請済み。8月には興行を予定しているが「まだまだ先が見えない。不安ばかり」とも話した。

同ジム初の世界王者の内山氏も、クラウドファンディングを開始している。東京・四谷と埼玉・春日部市で、アマジムのKOD LABを経営も休館している。インストラクターの現役や引退したボクサーの報酬、家賃などの支援を募っている。

こちらは6月22日までに目標500万円も、すでに700万円以上が集まった。100万円は永久会員権、10万円は内山氏と食事会、5万円は内山氏とマスボクシングなどが返礼となっている。【河合香】

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辰吉も会場も泣いた激闘/記者が振り返るあの瞬間

辰吉丈一郎(2018年4月30日撮影)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(34)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

殺されるんちゃうか。リングに立った両者を並び見て、身震いした。

97年11月22日、大阪城ホール。辰吉丈一郎(当時27=大阪帝拳)は、挑戦者として戦場に向かった。相手は20歳の王者シリモンコン・ナコントンパークビュー。当時16戦無敗、「翡翠(ひすい)の顔」と呼ばれた男前でもあり、タイの若い女性の間で人気急上昇でモデルの仕事の依頼もあった、若き英雄だった。

一方の辰吉は左目網膜裂孔、同剥離と2度の眼疾による引退危機を乗り越えるも、薬師寺との世紀の統一戦に敗れ、その後もスーパーバンタム級に上げてサラゴサに連敗と世界戦3連敗を喫していた。試合前、世界初奪取時から子どものようにかわいがってきたWBCのホセ・スライマン会長が「これ以上誇りを傷つけるな」と最後通告。大阪帝拳の吉井清会長も「負ければ次はない、最後の花道」と腹をくくっていた。

事実、辰吉の勝つイメージはわかなかった。シリモンコンはムエタイでも60戦のキャリアを誇り、辰吉を「年をとって前よりスピードがない」と年寄り扱いするなど、発言も自信に満ちていた。可能性は海外での試合キャリアと減量苦。その兆候が前日に見えた。

前日計量前の健診でシリモンコンの体温は38・2度。吉井会長は「熱が出るほどだから、胃を荒らしてるんでしょうな」と冷静に言った。陣営によると、一日中サウナにこもり、計量当日だけで1キロ近く落としたという。それまでの自信に満ちた王者の顔はどこえやら。やつれきった顔から精気は失われていた。

ところが。試合当日のシリモンコンは精気に満ちた顔に、はちきれんばかりのボディーだった。バンタム級のリミットは55・3キロだが、一晩で10キロ近く戻してきた。一方の辰吉は2キロ程度の回復で、比べて見れば、失礼を承知でいえば貧弱でしかなかった。辰吉ものちに「『でかっ』と思って二度見した」と語っている。圧倒的な体格差に「殺される」を予感した。

そんな序章から幕を開けた試合はドラマだった。「作戦通り。上を意識させてボディーを狙った」と試合後。5回に強烈な左ボディーでもん絶させてからの右ストレートでダウンを奪う。その後はシリモンコンの猛打に足がもつれる場面もあったが7回、右フックから左ボディーで再びダウン。立ち上がったところに猛ラッシュでレフェリーのリチャード・スティールが試合を止めた。辰吉が泣き、会場全体が感動で泣いた。

スポーツ記者として、その場に立ち会えて幸せと思える瞬間は少なくない。ただ、記者の立場も忘れ、涙を流すほどの場面にはそうそう出会えない。そんな経験ができた喜びは、20年以上たった今も体に刻まれている。「人生に不可能はない」と教えられた。だから辰吉というボクサーはずっと愛されている。【実藤健一】

◆試合VTR 辰吉が壮絶な打撃戦を制した。序盤から左ジャブでけん制。シリモンコンのガードが高くなって、ガラ空きになったボディーを狙い打った。5回、強烈な左ボディーがヒット。過酷な減量で動きの悪い相手に、続けざまに放った右ストレートで最初のダウンを奪った。6回に王座防衛に必死の相手に反撃されたが、ガードを下げて応戦。7回、右フックから左ボディーで2度目のダウンを奪い一気にラッシュ。1分54秒TKO勝ちした。

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タイソン氏、宿敵ホリフィールド氏と3度目対決検討

マイク・タイソン氏

エキシビション戦でのリング復帰を目指すボクシングの元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)が因縁のライバル、イベンダー・ホリフィールド氏(57)との「3度目対決」を真剣に検討していることを明かした。

21日に米情報サイト「TMZライブ」のインタビューに応じ、チャリティー事業を目的としたリング復帰について言及。現役時代に2度対戦し、タイソン氏と同じくエキシビション戦でのリング復帰を目指すホリフィールド氏(57)との対戦について「それは慈善事業にとって素晴らしいだろう」と口にした。

さらに「私と彼(ホリフィールド)が一緒にリングに立つ姿を想像できますか? 今は体調も気分もいいし、何でも可能です。楽しんで、見栄えの良くなった私の肉体を自慢してみせているんだ」と続けた。

タイソン氏によると、3~4ラウンド程度のエキシビション戦で寄付金を集め、ホームレスや薬物依存の人々を支援する意向だ。「助けが必要とする人はたくさんいるし、(リング復帰が)たくさんの人を助けられるかもしれない」とホリフィールド氏と「対戦」する意味を強調した。

ホリフィールド氏もタイソン氏とのエキシビション戦に前向きだ。21日の英紙サンによると、同氏は「マイクと私は、これについて1度話した。周囲の人間も話をした。合意に達している段階ではないが、会話はありました」と接触したことも認めている。

タイソン氏は05年6月、ケビン・マクブライド戦で棄権による6回終了TKO負けを喫した後に現役を引退。その後、グローブを装着してリングに上がっていないものの、ここ最近の練習動画などの投稿で動向が注目されつつある。

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タイソン氏「毛沢東の精神で戦う」復帰へ筋骨隆々

マイク・タイソン氏

エキシビション戦でのリング復帰を目指しているとされるボクシングの元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)が中国版ツイッターの「微博(ウェイボ)」を更新し、鍛えた上半身の肉体を公開した。

現在、約140万人のフォロワーがいるアカウントに動画を投稿。これまでTシャツ姿でミット打ちしている動画を自らのインスタグラムで公開していたが、今回は上半身裸のままでシャドーボクシングを披露。腹筋もみえていた。中国ファンに向けて「こんにちはマイク・タイソンです。リングに戻ってくる可能性をお知らせします。その時には毛沢東の精神で戦います」とリップサービスした。

タイソン氏は05年6月、ケビン・マクブライド戦で棄権による6回終了TKO負けを喫した後に現役を引退。その後、グローブを装着してリングに上がっていないものの、ここ最近の練習動画の投稿で動向が注目されつつある。英紙サンなどでは、エキシビション戦の相手として2度の対戦経験があるイベンダー・ホリフィールド氏(57)が挙がっているとも報じた。今回の動画投稿を通じ、タイソン氏は本気で戦う準備をしている姿勢を伝えたかったようだ。

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スターダム星輝ありさ引退「脳の調子良くない状態」

スターダム9周年記念日大会 林下を破り9度目の防衛に成功した星輝ありさ(2020年1月19日撮影)

女子プロレス団体スターダムは20日、星輝ありさ(24)が首、頭部負傷のため引退すると発表した。

星輝が保持していたワンダー・オブ・スターダム王座は返上される。

星輝はスターダム1期生として11年にデビュー。打撃を武器に活躍するが、12年に引退。だが、18年11月に復帰し、団体のトップに君臨。今年1月4日には、団体を代表して新日本プロレス東京ドーム大会のダークマッチにも出場した。星輝は首の負傷のため、3月8日の後楽園大会を欠場していた。

星輝は団体を通じ、以下のコメントを発表した。

「スターダムファンの皆様、プロレスファンの皆様、お久しぶりです。そしていつもありがとうございます。星輝ありさです。一度『待っていてね』と言ってからやっと公表できることになりました。3月8日の後楽園大会から首と脳の不調で欠場しておりましたが、医師や原田さん(ブシロードファイト原田克彦社長)、小川さん(ロッシー小川エグゼクティブ・プロデューサー)との話し合いの結果、引退することとなりました。

不調が出たのは1年前からでしたが、プロレスをやることが楽しかったのと好きな気持ちが勝っていたのでなんとか続けることができていました。ですが、今年に入ってから体調が悪化してこれまでの試合でいろいろ蓄積していたこともあり、精神的にも肉体的にもバランスがとれなくなってしまいプロレスはもちろん、運動すら続けられる状態ではなくなってしまいました。

現在、首は良くなりましたが、脳の調子は変わらず良くない状態です。そして、私がこのような状態になってから早くベルトを返上したかったのですが、新型コロナウイルスなどの影響でタイミングが合わなくて返上できないままで、モヤモヤした方も多かったと思います。私もでした。

夏(すみれ)選手主催興行から始まった(刀羅)ナツコ選手との決着、東京ドームから始まったジュリア選手との決着、そして大切で大好きなツンデレな相方・(中野)たむちゃんとの約束。白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)をかけてこの3人とは特に闘いたかったのですが、私の身体のせいで果たせず、この3人、楽しみに待ってくれていたファンの皆様、ごめんなさい。最後はリング上でファンの皆様にお伝えしたかったのですが、引退と同時に返上する形になってしまいました。

スターダムの大会ができない中での発表となってしまい本当にごめんなさい。今後は、身体やメンタルの様子を見つつ、この状態の私でも続けることができるお仕事をやっていきます。皆様、短い時間でしたが応援してくださり本当に本当にありがとうございました」

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総合格闘技界の神童!神龍誠は猛スピードで進む最強

パンチを打ち込む神龍(左)(C)RIZIN FF

仙台市出身で「総合格闘技界の神童」の呼び声が高い神龍誠(19)は、最強への道を猛スピードで進む。主戦場の「DEEP」では史上最年少の18歳で王者に輝き、フライ級(58・5キロ以下)で躍動。子どもの頃から地道に磨いてきたレスリング技術と「キックボクシング界の神童」こと那須川天心(21)から学ぶ打撃を融合させ、勝利の山を築いていく。

   ◇   ◇   ◇

15歳でプロデビューした逸材だ。神龍は小3で出会ったレスリングに熱中し、15年の全国中学生選手権では73キロ級で準優勝。高校へ進学せず「(同世代が学校に行く時間に)練習して誰よりも強くなってやる」。すぐに頭角を現し、無敗で迎えた8戦目に17歳でフライ級王者に挑戦した。

しかし、判定でプロ初黒星となり「負けたら終わりと思っていたので、1カ月ぐらいやる気が出なかった。負けたらどれだけつらいか分かり『途中からリベンジしたい』と練習を頑張るようになった」。環境の変化を求めて所属先を離れ、複数拠点で練習するフリーになるが、古巣ジムでの出会いが今につながる。

総合格闘技に初めて挑む那須川が出稽古で訪れたときに「めっちゃ強いな。打撃を教わりたいなと思った」。那須川の父が代表を務める「TEPPEN GYM」が千葉・松戸にオープンすることを聞き、念願かない一緒にトレーニングできるようになった。「天心さんは練習からめちゃくちゃ強いし、誰よりも追い込んでいる。お手本です」。ミットを持ってもらい打撃を打ち込むこともある。技術全般の向上とキック界の神童が得意にするカウンター習得に必死だ。

昨年6月にDEEP王者になり、同12月には「RIZIN」と「ベラトール」の日米メジャー団体がタッグを組んだ興行に参戦。大観衆の前で勝利をつかんだ。国内で活躍した上で「将来は(米)UFCに行き、引退後はプロレスラーに転身したい」と思い描く。

11年の東日本大震災を機に生まれ育った仙台を離れ、茨城、千葉と転居。故郷に思いをはせ「仙台に格闘技ジムを作り、チャンピオンを育てたい」。新型コロナウイルスの影響で試合やトレーナーの仕事がなくなり、収入はほぼゼロ。それでも不屈の東北魂で未来への扉を開く。【山田愛斗】

◆神龍誠(しんりゅう・まこと)2000年(平12)7月5日生まれ、仙台市出身。小2時に名取のジムでムエタイを半年間経験。小3時に仙台の「レッドブルレスリングクラブ」でレスリングを始め、転居後の千葉・風早中でも柔道部に在籍しながら競技継続。16年4月に「パンクラス」でデビュー。プロ戦績は12戦10勝1分け1敗。憧れは元格闘家の須藤元気氏(現参院議員)。165センチ。

フロントチョークをする神龍(左)(C)RIZIN FF
飛びつきながらフロントチョークをする神龍(C)RIZIN FF

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