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花田光司氏6日ぶりブログで景子夫人2ショット公開

貴乃花応援会公式サイト内のブログにアップされた花田光司氏と景子夫人の2ショット

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が19日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを6日ぶりに更新し、身内で食事会を開いた際の景子夫人(53)との2ショット写真を公開した。

「身内の食事会での1枚です。行きつけの中華料理屋さんで安らぎのひとときを過ごすことができました。これも中野総料理長とスタッフの方々のお陰です。いつも美味しい料理を振る舞っていただき有難うございます。これからも宜しくお願いいたします」

花田氏は、景子夫人と笑顔で見つめ合う写真など、3枚の写真をアップした。

花田氏は13日にアップしたブログで、福岡県田川市を訪れ、大相撲九州場所の際に宿舎を構え、けいこ場などを提供されてきた田川貴乃花部屋後援会の解散式に出席したと報告した。

「田川貴乃花部屋後援会の皆さんにはこれからも見守りいただけますが、苦渋の決断をした私へ断腸の思いで私を抱擁してくれています。感謝、感謝、ご厚情に大感謝です」

「田川は、花田光司へ帰れるような場所ですが、貴乃花は一代限りの授かった名前です。貴乃花は花田光司でありながら、花田光司は貴乃花でしかありませんので、花田光司として故郷田川へ」

「帰れる場所があるのは、ことあるごとに琴線に触れられる清く正しき光の居場所、そんな気がしてなりません」

「元、田川貴乃花部屋後援会ならびに相撲茶屋貴ノ花、ここに万歳三唱です。私の人生の一区切り、新たなスタートを生きれることを大切にしてゆきたいと思います」(コメントは全て原文のまま)

景子夫人との2ショットをアップしたブログは、その時以来の更新だった。

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「暴力減少もまだあるということ」年寄総会で説明

5月、「暴力問題再発防止検討委員会」の中間報告記者会見に臨む但木委員長

日本相撲協会は18日、巡業同行や九州場所担当などを除く全親方衆を対象とした、年寄総会を東京・両国国技館で行った。

今年2月に立ち上げられた暴力問題再発防止検討委員会の但木敬一委員長(元検事総長)が、調査結果をもとに出席した親方衆に説明。ある親方は「暴力は徐々に減少傾向にあるが、まだあるということだった。ゼロにしないといけない」と話した。同委員会は今日19日に、親方や力士らからの聞き取りを受けた暴力の実態調査結果の発表を予定している。

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北の富士氏「華があった横綱でした」輪島さん悼む

輪島さんの告別式に参列する北の富士氏(撮影・横山健太)

下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの葬儀・告別式が15日、東京・青山葬儀所で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、NHK解説者の北の富士勝昭氏、プロ野球巨人の原辰徳前監督、好角家のデーモン閣下ら約500人が参列した。

輪島さんと現役時代に対戦して通算7勝5敗と勝ち越した北の富士氏は「一番取りにくい力士でした」と振り返った。輪島さんの代名詞となった「黄金の左」の強さはもちろんのこと「右からのおっつけが効いた。あれは素晴らしかった。同じ左四つでこっちが十分になっても相手はもっと十分だった。足腰も強かった」と話した。

輪島さんは現役引退後に花籠部屋を継承するも、年寄名跡担保問題で相撲協会を退職。その後はプロレスラーに転向し、アメリカンフットボールの学生援護会総監督やタレント活動も行った。波瀾(はらん)万丈人生を送った輪島さんを、北の富士氏は「北の湖相手に14回も優勝するのはすごいこと。華があった横綱でした。いろいろあったけどそれも含めて話題性のあった力士でした」としのんだ。

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宿敵他界から3年…輪島さん「輪湖時代は私の誇り」

76年9月、優勝額贈呈式で互いの健闘を誓い合う輪島さん(左)と北の湖さん

70歳で死去した輪島大士さんは、横綱北の湖と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。対戦成績は輪島さんの23勝21敗。横綱を務めた73年から81年は北の湖の全盛期と重なり、2人の熱戦は昭和の相撲史を色濃く彩った。

輪島と北の湖。左の相四つでがっぷりと胸を合わせての力比べは、最高の見せ場だった。72年名古屋の初対戦から、13度目の対戦となった74年名古屋場所。輪島が1人横綱で大関北の湖を1差で追っていた。千秋楽に本割、優勝決定戦とも輪島が下手投げで連勝して逆転優勝した。場所後に北の湖が横綱に昇進して輪湖時代が始まった。

76、77年の12場所はすべて千秋楽結びで対戦して両者とも5度優勝。通算22場所あり、相星4度を含めて8度がともに優勝圏内で対戦。水入りが3度あった。決定戦を含めず輪島が通算23勝21敗だった。

後に日本相撲協会の理事長になった北の湖親方は生前「常に輪島さんとの一番を意識していた。絶対に負けられんぞと気合が入ったものだ」と明かしていた。

レスラー時代の全日本プロは国技館から締め出され、疎遠になっていた。それでも20年ほど前にサウナで会って以来、北の湖理事長から番付が送られるようになり、輪島さんは全て大事に保管していたという。09年初場所のNHK中継にゲストで23年ぶりで本場所観戦した。13年がんが判明した後、15年には雑誌の対談で両雄が再会した。「輪湖時代は私の誇り」と話していた。

15年11月に北の湖理事長が死去した際には、声が出ないために文書でコメントを寄せた。「お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」「(北の湖は)運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」「俺はもう少し頑張る。よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」。あれから3年。輪湖はともに旅立った。

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元貴乃花親方が輪島さんを追悼「輪島のおじちゃん」

元貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が10日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを通じ、大相撲の第54代横綱輪島で死去したことが分かった輪島大士氏(本名・輪島博=享年70)の死を悼んだ。

花田氏は「輪島さんに哀悼を告げます」と題し、以下の文章をつづった。

「哀悼を告げます。輪島さんに最後にお会いしたのは、未だに私の尊敬する、亡き北の湖前理事長との対談をされていたときで、その際傍でご挨拶ができました。その時は、声帯の手術と治療をされていると聞きましたが、かすれながらに『こうじ、こうじ、』と、元気にお声がけ頂いたことが思い出されます。それが輪島さんと最後にお会いした時でした。その時期の私は、北の湖理事長の下で職務を学んでいた頃でした。輪島さんに久しぶりにお会いできて大変嬉しく、同時に北の湖理事長の輪島さんに対する労わりの精神を垣間見させていただきました」

花田氏は、輪島氏との最後の対面を明かした。その上で、敬愛した当時の理事長で15年11月に亡くなった北の湖敏満氏も、輪島氏には一目置き、尊敬の念を持って接していたことをつづった。

「北の湖理事長も横綱を張った輪島さんとあって緊張された様子でした。その御心を察して、手を引くように国技館をご案内され、労わるように輪島さんの前を歩いておられたそのお姿。神が降臨したかのような北の湖理事長の優しさ、美しさ。そして、近年の実績でも追従をゆるさない横綱北の湖関に、私は魅了されてしまいました。輪島さんの緊張を察してそれをほぐすかのように、川の流れのように、自然体で深くて美しくゆったりとした風格。それこそが私には印象的でした」

そして輪島氏が気さくな人柄で周囲から愛されていた思い出話を明かした。

「輪島さんとその前にご同席できたのは、石川県にあります、かの有名な加賀温泉の加賀屋様でのひと時でした。一晩、加賀屋様にお泊めいただいた私は、「この世に竜宮城のような、こんな絢爛豪華なお宿があるのか」と思った次第です。それに加えて、従業員さんたちの礼儀正しさと、気品溢れる大女将様の仕草と語らいは、日本国を代表するこの世の居留地であり、人生のあらゆる場面で生じた喜怒哀楽を青く澄んだ海に浮かべることができるようなお宿で、展望台の中に佇んで旅情を包んでくれる御心与えしおもてなしでした。輪島さんの気さくで誰も真似のできない会話のユニークさ、そして、演出できない輪島さん節を聞きながら、天空のお宿、加賀屋様で過ごした思い出は私の人生の財産です」

また輪島氏が85年に花籠名跡を担保に借金したことで日本相撲協会を離れた後も、各界で支援されていたと明かした。

「輪島さんは定年以前に角界を去りましたが、後援会長や支援者に長年にわたり愛され、大切にされた方です。個人名は出せませんが、輪島さんを永年ご支援された方々は存じております。私の父、先代貴ノ花の師匠からも輪島さんが人々に愛され大切にされてきたお話はたくさん聞いておりました」

また幼少期に輪島氏に出会った思い出もつづった。

「私が幼い頃ですが、輪島さんは先代貴ノ花の自宅へ遊びに来られていました。夜に突然来られてあっという間に残り香を遺して帰られるような輪島さんは、私の子供の頃の記憶を辿ると、宇宙人みたいな、それこそ天孫降臨されたような方でした」

さらに父の貴ノ花親方が生前、輪島氏が代名詞「黄金の左下手」を、より光らせる技を持っていたと明かしたこともつづった。

「大相撲の時代を作った輪島さんの黄金の左下手は天才です。ふと私の父の遺した言葉が蘇りますが、"輪島は黄金の左下手といわれるがそれは違う、左を差した時の右からのおっつけが強かった。"黄金の左下手には、そんな秘訣もありました。これも私の父が遺した言葉です。"北の湖は天才。北の湖は若い頃から孤独でそれに打ち勝って横綱になった。北の湖は強かった。"もう一つ父の言葉が蘇ってきます。"俺は、玉の海関に強くしてもらった。玉の海関がいなかったら今の自分は存在しない。"輪島、貴ノ花が若手の筆頭株で、二人で幕内上位に昇り龍のごとくに活躍していた前から、バリバリの若手を相手にして息も上がらずに、一番も負けずに何十番と稽古をつけられた方が、横綱玉の海関でした。玉の海関は、解説でも著名な北の富士親方の盟友でもあった方です。私も本場所中は花田家の仏前に祈りを捧げて通っておりましたが、玉の海関の戒名もうちの仏前には書き込んでありました。毎回、私は御先祖様と玉の海関に蝋燭とお線香をたいて祈りを告げておりました」

花田氏は最後に「輪島さんの思い出を辿ると、先代貴ノ花の師匠が遺して下さったお話も尽きないほどに思い出されますが、どれもが懐かしいことばかりです。輪島さんのあの愉快な楽しい話がまた聞きたいです。グァム旅行にご一緒したこともありました。大きな大きな背中の輪島のおじちゃんとの大切な思い出を、いつまでも心にしまっておきたいと思います」(原文のまま)と、輪島さんへの思いをつづった。

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大横綱、理事長経験者が相次ぎ死去 喪失感漂う角界

北の湖さん(右)を寄り切りで破った輪島さん(1975年1月26日撮影)

近年は大相撲史に残る歴代横綱たちが、相次いで天国へと旅立っている。9日には輪島大士さんの死去も判明。「平成の大横綱」だった元貴乃花親方の退職に揺れる角界は、寂しさに襲われた。

5年前には史上1位(当時、現在は2位)の優勝32度を記録した大鵬が72歳で逝去。全盛期は「巨人、大鵬、卵焼き」と称されるほどの国民的人気を誇り、現役引退後は一代年寄として圧倒的な威厳を保ち続けた。

2015年には史上5位の優勝24度を誇る北の湖が急逝。現職の日本相撲協会理事長だった九州場所中の訃報は衝撃を与えた。輪島さんは当時、好敵手の死を受け「先に逝かれて寂しい。俺はもう少し頑張る」などと文書でコメントした。

16年には小兵ながら史上3位の優勝31度で「小さな大横綱」、精悍(せいかん)な顔つきと気迫で「ウルフ」と呼ばれた千代の富士が力尽きた。北の湖は62歳、千代の富士は61歳。ともに還暦土俵入りを務めた後だった。

「土俵の鬼」と恐れられた元横綱初代若乃花は10年に82歳で逝き、境川理事長として角界改革を目指した元横綱佐田の山は昨年に79歳で死去。11年には稀勢の里関の師匠、鳴戸親方(元横綱隆の里)が59歳で急死。後に横綱となる弟子が大関昇進へ挑む九州場所直前の出来事だった。10年以降で理事長経験者3人、一代年寄2人(千代の富士は辞退)が亡くなり、喪失感の大きさはぬぐえない。

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元横綱輪島大士さんが死去 70歳、「黄金の左」

元横綱輪島大士さん

大相撲の第54代横綱輪島で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが9日、分かった。70歳だった。

1948年(昭23)1月11日、石川県七尾市生まれ。日大3、4年時は連続学生横綱。花籠部屋に入門し、70年初場所幕下付け出し(60枚目格)で初土俵。73年名古屋場所で横綱に昇進。

「黄金の左」を武器に優勝14回。ライバル北の湖と輪湖(りんこ)時代を築いた。81年に引退し、花籠部屋を継承。しかし、85年に花籠名跡を担保に借金したことで日本相撲協会を離れた。

86年に全日本プロレス入門。88年の引退後は学生援護会アメリカンフットボール部の総監督、タレントなどでも活躍した。

13年12月に咽頭がんの手術を受けたが、翌14年には高田川部屋へ、二所ノ関一門の連合稽古を見学に訪れ、筆談に応じるなど元気な姿をみせていた。

第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務めた北の湖敏満氏は15年11月に亡くなっている。

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元横綱三重ノ海の石山五郎氏「残念」輪島さん悼む

元横綱輪島大士さん

大相撲の第54代横綱輪島で、14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん(本名・輪島博)が死去したことが9日、関係者への取材で分かった。70歳だった。

輪島さんと同年齢で、日本相撲協会理事長も務め第57代横綱三重ノ海として活躍した、現相撲博物館の石山五郎館長は「ニュースで(訃報を)知ってビックリした」と話した。2年前の名古屋場所で現地を訪れた際、ホテルのロビーで偶然、顔を合わせたのが最後だという。会話はできなかったが「こっちの方で一方的に『今後、飯でも食おう』と話しました。普通に歩いていたし元気だった。それきりです」と続けた。

同じ昭和23年の早生まれで同学年。たたき上げと大卒の違いで、初土俵は同館長の方が6年半早かったが、横綱昇進は輪島さんの方が約6年、早かった。当時を振り返り「それまで我々が教わった相撲界の中では、考え方も含めて番外でした。(地方場所で)ホテルから部屋に通うなど考えられなかった。うらやましかった」と、豪放磊落(らいらく)な性格をうらやんだ自分がいたという。

思い出の一番に挙げたのは77年(昭52)九州場所、4勝3敗で迎えた8日目の相撲だったという。「私は大関でしたが、それまで何場所か勝ってなくて(4場所連続黒星)、その場所も調子が良くなくて、彼は全勝。思い切って張り差しにいって二本差していっぺんに持って行った。翌日、支度部屋で『あんなに思い切り、ひっぱたかなくてもいいじゃないか』と言われました(笑い)。あれから俺のことを苦手にしたみたいでした」。幕内対戦成績は16勝27敗だが、その一番を含め以降は10勝3敗と得意にした。

現役引退後も、食事会を設け、年寄としては2場所“先輩”だったこともあり職務のアドバイスなどもしたという。年寄名跡を借金の担保にしたことなどで輪島さんは廃業に追われたが「その前に2人で食事した時も、心配で何度も聞いたけど『大丈夫。持っている土地を処分すれば大丈夫』と言っていた。あんな形で(廃業したのは)残念」と惜しんだ。

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輪島さんが贈った北の湖さんへの弔いの言葉/復刻版

76年9月、輪島と握手を交わす北の湖

大相撲の元横綱で、北の湖と輪湖時代を築いた第54代横綱の輪島大士氏(本名輪島博)が死去したことが9日、分かった。

輪島さんはかつてしのぎを削ったライバル、北の湖理事長さんが急死した際、文書でコメントを発表した。15年11月22日付の日刊スポーツ記事で振り返ります。(年齢は当時)。

  ◇  ◇  ◇

北の湖理事長と現役時代にしのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築いた元横綱、輪島大士氏(67)が21日、かつてのライバルの急死について文書でコメントを寄せた。咽頭がんの手術を受けて発声が困難なため。訃報について「最近、理事長は元気だと聞いたばかりだったので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」とした。

対戦成績は輪島の23勝21敗だが「運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」と説明。思い出の対戦には74年名古屋場所を挙げた。千秋楽の本割、優勝決定戦と輪島が得意の下手投げで2連勝して逆転優勝。この場所後に北の湖は横綱に昇進した。

輪島氏は引退後、日本相撲協会を退職した。その後はあまり付き合いがなかったというが「偶然、ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」と懐かしむ。

その縁もあり理事長からは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈った。

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千賀ノ浦親方「和解が一番」貴ノ岩の提訴早期解決を

千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)は6日、元横綱日馬富士関の傷害事件の被害者で弟子の貴ノ岩が約2400万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したことに「和解が一番。早く相撲に集中できるようになってもらいたい」と早期解決を望んだ。

東京都台東区の千賀ノ浦部屋での朝稽古後に取材に応じた。元貴乃花親方(元横綱)の日本相撲協会退職に伴い、旧貴乃花部屋の力士を受け入れて貴ノ岩の師匠となった。代理人弁護士から提訴の連絡はあったが、詳細について本人らには聞いていないという。「素人だし、分からない。貴ノ岩もいろんな思いがあってやったのだと思う」と述べた。貴ノ岩は左足首などのけがで自宅療養中という。千賀ノ浦親方は、休場中の秋巡業に途中から合流させる方針を示した。

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元貴乃花親方、政界進出「ありえません」馳氏と面会

元貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

馳浩元文部科学相(57)が、日本相撲協会を1日付で退職した大相撲の元貴乃花親方(46=元横綱)の花田光司氏が政界進出について「ありえません」と否定したと明かした。

馳氏は4日更新のブログで、同日昼に元貴乃花親方と面会したことを報告。「これからどうするの? 参議院議員選挙に出るとか報道されてるけど?」と尋ねたところ、「勘弁してください。ありえません。今はまず、お世話になった方々に、こうして退任のごあいさつまわりをします。今後のことはまだ考えられないですね。残してきた8人の弟子たちのことが心配ですから」との返答があったと明かした。

これまでも元貴乃花親方と食事をしたり相談に乗ってきたという馳氏。「今回のことは、一時的なことではなくて、積もり積もったいろんなことの対応の末の、一つの結論とのこと。日本相撲協会の理事全員と貴乃花親方との対立の構図だが、そういう矮小(わいしょう)化された問題でもないように感じる」と、引退騒動に触れ、「まずは心身の健康を取り戻し、次の人生に向けて足元を固めて歩んでいってもらいたい」と元貴乃花親方へのメッセージをつづった。

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元貴乃花親方が出馬打診否定「自分にできることを」

日本相撲協会を1日付で退職した大相撲の元貴乃花親方(46=元横綱)の花田光司氏が馳浩元文部科学相の東京都千代田区にある事務所を訪問し、退職を報告した。

まずは「以前からご指導いただいてお世話になったので」と笑顔で説明。報道陣に来夏の参院選出馬の可能性を聞かれると「次、何をしようとするかとか、その余裕はなくしております。これから自分にできることを模索しながらやっていきたい」と語り、安倍首相と面会したかをと問われると「お会いできる立場にない」とうわさを一蹴した。

また、元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏の傷害事件を巡り、被害者で弟子だった貴ノ岩が損害賠償を求めて東京地裁に提訴した件については「代理人(弁護士)に任せております」と話した。

馳元文科相は、元貴乃花親方との面会について「世間話を含めて1時間ほど」と明かし、参院選への出馬要請を問われると「まったくありません」と完全否定していた。

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元貴乃花親方の出廷は「あり得る」貴ノ岩の代理人

貴ノ岩

元横綱日馬富士関から昨秋に暴行を受けた前頭貴ノ岩(28=千賀ノ浦)の代理人弁護士は4日、都内で会見し、同日付で東京地方裁判所に損害賠償を求め、民事訴訟を提起したと明らかにした。

説明によると、元日馬富士関の代理人との間で損害賠償について協議したが、示談は成立しなかった。そのため、東京簡易裁判所に民事調停の申立を行い、調停委員会のあっせんによる解決を目指した。第2回の調停が予定された9月26日当日になって元日馬富士関の代理人が突然欠席すると通告したため、調停委は調停を不調として終わらせたという。そのため、今回の提訴に至ったと説明した。

請求金額は2413万5256円で内訳は次のとおり。

●積極損害

入院治療費等…合計435万9302円

●逸失利益

<1>給与差額…148万1840円

<2>懸賞金の逸失…900万円

<3>巡業手当の逸失…38万円

<4>退職時の幕内養老金等の減…172万円

合計1258万1840円

●慰謝料…500万円

●弁護士費用…219万4114円

請求金額については当初、6月に概算で3000万円程度と元日馬富士関の代理人に伝えていた。一方の元日馬富士側は当初は30万円と算出し、双方の間には100倍もの金額の開きがあった。その後、元日馬富士関側は調停の際の正式な回答として50万円を提示している。

今後の裁判に貴ノ岩本人や入門当初から貴ノ岩を指導し、今月1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方が証人として出廷する可能性について、貴ノ岩の弁護士は「あり得る。そういう展開になるかもしれない」と話した。

また、元日馬富士の代理人弁護士は、提訴を受けて「訴状を見ていないのでコメントできない」とのコメントを発表した。

貴ノ岩からの訴え提起について
貴ノ岩からの訴え提起について

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貴乃花部屋公式サイト一時閉鎖「変更準備にお時間」

貴乃花親方(2004年3月4日撮影)

1日の日本相撲協会の臨時理事会で退職が決まった、貴乃花親方(46=元横綱)を支援する貴乃花応援会公式サイトは3日、貴乃花部屋の公式サイトを一時閉鎖し、変更の準備を行っていることを明らかにした。

「この度、貴乃花部屋公式サイトを一時閉鎖することになりました。貴乃花部屋の公式サイトは、今後、皆様に配信する内容を踏まえ変更の準備を行っております。この準備にお時間をいただく事と存じますが、これからも貴乃花、旧貴乃花部屋の力士達を見守りくださいますようお願い申し上げます」

貴乃花部屋は、同親方の退職とともに消滅した。部屋の公式サイトも、2日にアクセスは出来るものの白一色の画面となった。「貴乃花親方からのメッセージ」、おかみさんの花田景子さん(53)のコーナー「女将のつぶやき」、部屋の近況を伝える「部屋便り」などの各コーナーに直接、アクセスしても「Not Found」と表示され、アクセスは不能となっていた。

貴乃花応援会公式サイトは、「皆様の多大なるご支援を承り、貴乃花部屋は今まで存続することができました。貴乃花部屋を長らく応援いただきました皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます」(コメントは原文のまま)と支援者への感謝のメッセージも掲載した。

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相撲協会サイト貴乃花消滅 部屋サイト画面真っ白に

04年3月、貴乃花部屋の新看板除幕式を終え感慨深げに看板を眺める貴乃花親方

日本相撲協会の公式サイトでは、部屋一覧から「貴乃花」の文字が消え、力士、床山、世話人の10人は千賀ノ浦部屋所属として記載された。

また貴乃花部屋の公式サイトは白一色の画面となり、コンテンツへのアクセスが不能状態に。現在の角界から「貴乃花」が消滅する形となった。

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貴ノ岩、暴行の日馬富士関に慰謝料3000万を要求

貴ノ岩

日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の弟子、貴ノ岩(28)が元横綱日馬富士関に3000万円の慰謝料を要求していたことが、2日までに分かった。

昨年10月の秋巡業中、酒席で貴ノ岩が元日馬富士関から暴行を受け、2場所連続で全休。慰謝料と休場中の補償として金銭の支払いを求めていた。元日馬富士関側はこれを受け入れずに決裂。貴ノ岩が訴訟を起こす可能性が出てきた。

昨年10月25日、鳥取巡業での酒席で起きた暴行事件は、まだ完全決着していなかった。元日馬富士関は傷害罪で書類送検後、略式起訴で罰金50万円を支払った。昨年11月29日に責任を取って引退し、9月30日に東京・両国国技館で引退相撲を行った。その約2カ月前に、貴ノ岩が貴乃花親方(当時)と同じ弁護士事務所の代理人を通じ、元日馬富士関に慰謝料と休場期間中の補償として、3000万円を要求していた。

関係者によると、この件について元日馬富士関は弁護士からコメントすることを止められているという。関係者は「あまりにも法外な金額。ただ、日馬富士関としては、警察や相撲協会に対して話したことがすべてなので、相手が訴訟を起こすというなら受けて立つ考えです」と代弁した。代理人同士が話し合ったものの示談は成立しなかったため、裁判に持ち込まれる可能性が出てきた。

元日馬富士関側が受けた説明によれば、3000万円の根拠は2場所連続で全休となるけがを負わされたことへの補償と、慰謝料、入院費、交通費などだという。貴ノ岩側の担当弁護士はこの日午後、会議など多忙のため日刊スポーツの取材に対する対応はなかった。

暴行事件が起きる前の、元日馬富士関と貴ノ岩との仲を知る関係者は「貴ノ岩は日馬富士を『アニキ』と呼ぶほど慕っていた。貴ノ岩だけの考えで、ここまでの行動を起こすのか疑問が残る」と話した。この事件については、発覚した当時から、かたくなな態度を示している元貴乃花親方の意見が大きいとの見方もある。

元日馬富士関は引退し、元貴乃花親方は退職した。貴ノ岩は幕内に復帰して2桁勝利を挙げたが、問題はまだ幕引きとはなりそうもない。

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高安、琴勇輝ら秋巡業初日から休場する19人発表

高安(2018年9月20日撮影)

日本相撲協会は2日、秋巡業を最初から休場する力士を発表した。

秋巡業は3日に東京・大田区で始まり、28日の山口・周南市まで24日間を予定している。1日時点で判明した休場者は以下の通り。

【幕内】高安、栃煌山、碧山、旭大星、貴ノ岩、千代丸、琴勇輝、石浦

【十両】荒鷲、貴源治、英乃海、千代ノ皇、志摩ノ海、青狼、水戸龍、徳勝龍、白鷹山、炎鵬、天空海

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旧貴乃花部屋引っ越し 千賀ノ浦親方「頑張りたい」

貴乃花部屋を出る貴公俊(右)ら(撮影・足立雅史)

1日付で日本相撲協会を退職した大相撲の元貴乃花親方(元横綱)が師匠を務めた旧貴乃花部屋の力士らが2日、東京・江東区の同部屋から台東区にある移籍先の千賀ノ浦部屋へ引っ越した。幕下貴公俊ら若い衆5人と世話人の嵐望が、千賀ノ浦部屋に荷物を乗せた車で現れて、同部屋の若い衆らと笑顔を見せながら引っ越し作業を行った。

その後、千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)と旧貴乃花部屋の若い衆が対面。千賀ノ浦親方は「やっと落ち着くかな。いつもと変わらず稽古してみんなでワイワイやろうと思う。みんなで一生懸命盛り上がるように頑張りたい」と晴れやかな表情。秋巡業が始まる明日3日から、部屋での稽古を始める予定だといい「九州場所でゆっくりできるかな」と話した。

貴乃花部屋から荷物を運び出す貴公俊(撮影・足立雅史)
引っ越し作業を終えて報道陣に対応する千賀ノ浦親方

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旧貴乃花部屋が引っ越し 師匠退職で消滅、涙も

貴乃花部屋を出る貴公俊(右)ら(撮影・足立雅史)

1日付で日本相撲協会を退職した大相撲の元貴乃花親方(元横綱)が師匠を務めた旧貴乃花部屋の力士らが2日、東京都江東区の同部屋から台東区にある移籍先の千賀ノ浦部屋への引っ越し作業を行い、涙を流す力士もいた。

千賀ノ浦部屋へ到着すると、力士らは迎え入れた力士に「よろしくお願いします」などとあいさつ。地域住民からは拍手が起き「頑張れ、負けるな」とエールが飛んだ。

相撲協会の公式サイトでも、部屋一覧から「貴乃花部屋」の文字が消え、小結貴景勝や平幕貴ノ岩らは千賀ノ浦部屋所属として記載された。

元貴乃花親方は元横綱日馬富士の貴ノ岩に対する傷害事件を巡り、内閣府に提出した告発状(後に取り下げ)の内容を事実無根と認めるように、協会役員から要請されたと主張して9月25日に退職を届け出た。相撲協会の10月1日の臨時理事会で、力士8人らの移籍が承認されて貴乃花部屋は消滅し、退職届も受理された。

貴乃花部屋から荷物を運び出す貴公俊(撮影・足立雅史)

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貴乃花部屋の公式サイトが「Not Found」に

貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

1日の日本相撲協会の臨時理事会で貴乃花親方(46=元横綱)の退職が決まり、消滅した貴乃花部屋の公式サイトが2日、アクセスは出来るものの白一色の画面となり、中のコンテンツへのアクセスが不能で、事実上消滅した形となっている。

サイトには、「貴乃花親方からのメッセージ」のほか、おかみさんの花田景子さん(53)の「女将のつぶやき」、部屋の近況を伝える「部屋便り」などのコーナーがあったが、それぞれに直接アクセスしても「Not Found」と表示され、各コンテンツは消えている。

貴乃花親方は現在、貴乃花応援会公式サイト内にブログを開設し、そこで連日メッセージを発信している。退職が決まった今月1日にも2度投稿し、同日夜に「貴乃花部屋 最後の弟子。貴正樹」と題し、最後の弟子となった貴正樹が相撲教習所を卒業したことを、、貴正樹とのツーショット写真込みで報告。日本相撲協会臨時理事会では、貴乃花部屋の力士ら10人の千賀ノ浦部屋への所属先変更が承認されており「貴正樹は、いい男になります。この子の信念は只者ではありません。今後、皆様のご支援をいただけましたら幸いです」(原文のまま)と貴正樹への支援を訴えていた。

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