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キャバクラ通い阿炎が引退届 6日理事会で処分決定

阿炎(2020年7月24日撮影)

大相撲の幕内力士、阿炎(26=錣山)が日本相撲協会に引退届を提出していたことが4日、分かった。

阿炎は不要不急の外出自粛を求められている中、7月場所中にキャバクラに出入りしていたことが発覚。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の判断で、7日目から休場していた。日本相撲協会は6日の理事会で処分などについて検討するため、阿炎の引退届は現時点で受理されていない。

  ◇  ◇  ◇

阿炎が師匠の錣山親方を通じて、4日までに引退届を提出していた。日本相撲協会は受理していないため、引退が決まったわけではない。6日に理事会が開かれ、処分が決まる見通し。受理されるか否かについても、議論の対象になる可能性がある。

幕内力士として責任を痛感したからこその判断に至ったとみられる。阿炎は7月場所7日目(7月25日)から突然休場した。同日、NHK大相撲中継の解説を務めた師匠の錣山親方が「数人のお客様と会食に行ったため、大事を取り休場することになった」と説明。「自業自得というか、本人がコロナにかかるのは自分の責任。協会員が一丸となり、お客さんを入れて開催するのに最低のこと」と厳しく指摘していた。

その翌日、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は会食場所について「小池都知事が言う夜の店」とし、回数についても「場所前と場所中と2回」と明かした。阿炎とは別の部屋に所属する幕下以下の力士も同席していた。関係者によると、「夜の店」は、キャバクラであることも判明していた。

日本相撲協会は観客を入れて7月場所を開催するにあたり、独自のガイドラインを作成。「基本的に外出自粛とし、不要不急の外出をしない」などルールを定めて、全協会員に周知していた。新型コロナウイルスの感染防止に向け、一丸となっていただけに、芝田山広報部長は「情状酌量の余地もない」と断言するなど、協会内には怒りの声が上がっていた。

阿炎とキャバクラに同行していた幕下以下の力士はすでに協会に進退伺を提出している。協会の力士ら協会員への処分は軽い順にけん責、報酬減額、出場停止、業務停止、降格、引退勧告、解雇の7項目。阿炎は師匠と話し合った末の引退届提出とみられ、処分内容にかかわらず角界を去る可能性が高いという。

◆阿炎政虎(あび・まさとら)本名は堀切洸助。1994年(平6)5月4日、埼玉・越谷市生まれ。小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会出場。大相模中3年時に全国中学3位。千葉・流山南高3年時に高校総体16強。卒業後の13年夏場所に錣山部屋から初土俵。15年春場所に新十両、18年初場所で新入幕。19年名古屋場所で新小結に昇進。金星2個、敢闘賞2回。188センチ、150キロ。得意は突き・押し。

◆阿炎の不適切行動と発言 昨年11月に十両若元春の手足をテープで縛った動画を自身のインスタグラムに投稿。“悪ふざけ”動画はSNSで拡散され、ネット上で「暴力を連想させる」など批判を浴びた。協会から口頭で厳重注意を受け、反省文を提出。さらに今年2月の全協会員を対象とした研修会終了後、会場を引き揚げる際に報道陣の取材に対して「爆睡していた」「寝ていたので何も聞いていない」と発言。翌日に師匠と協会を訪れて謝罪し、鏡山コンプライアンス部長から厳重注意を受けた。

◆新型コロナウイルスに対する角界のこれまでの主な動き

▼4月3日 日本相撲協会が臨時理事会を開き、夏場所と名古屋場所の2週間延期を決議。

▼同7日 政府が緊急事態宣言発令。

▼同10日 角界では初となる、三段目力士の勝武士さんの新型コロナウイルス感染が判明。

▼同25日 高田川親方(元関脇安芸乃島)、十両白鷹山ら6人の新型コロナ感染を発表。

▼同30日 高田川親方、白鷹山ら6人の退院を公表。

▼5月4日 政府が緊急事態宣言を延長。夏場所の中止が決定。

▼同13日 勝武士さんが新型コロナ感染による多臓器不全で28歳の若さで死去。

▼同25日 政府が緊急事態宣言を全面解除。

▼7月6日 希望者に行った抗体検査の結果、5人から抗体が見つかったと発表。芝田山広報部長はウイルス陽性者なしの見解。

▼同13日 相撲協会は臨時理事会を開き、7月場所の開催を正式決定。1日あたりの観客数の上限を約2500人に設定。

▼同25日 阿炎が7月場所7日目から突然休場。錣山親方は「数人のお客様と会食に行ったため。大事を取り休場することになった」と説明。

▼同27日 田子ノ浦親方が夜に外出して泥酔し、鏡山危機管理部長から厳重注意を受ける。

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新十両昇進の錦富士「次は勝ち越して上にいくこと」

錦富士(20年3月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、錦富士(24=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。錦富士は両国国技館で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も同席した。

16年秋場所で初土俵を踏み、約4年で新十両に昇進した。東幕下3枚目だった昨年秋場所で左肘を負傷して手術。翌九州場所は全休したが、今年の初場所で復帰し、3月の春場所で幕下優勝。7月場所は14日目の七番相撲で5勝目を挙げ、十両昇進を決定的にした。「ケガして苦しい時に師匠や安治川親方(元関脇安美錦)、楯山親方(元前頭誉富士)、照ノ富士関や翠富士関、照強関とか、たくさんの人に声をかけてもらって頑張ってきた。そのことがよぎって目が熱くなった」と振り返った。

心強い同期が部屋にいる。十両翠富士は近大の同級生であり、入門も同じ16年秋場所。対抗心を燃やしながら同じように番付を上げてきたが、翠富士は春場所で新十両昇進と先を越された。「幕下にいた時は僕が常にちょっと上にいた。でも休場している間に先を越されて、うれしい気持ちと悔しい気持ちと焦りの気持ちと、いろんな気持ちがあった」という。しかし、気持ちを落とすことなく奮起。翠富士からは早速「来場所から一緒に土俵入りできるな」と声をかけられたといい「負けてられないなと思いながら、うれしい思いもあった」と笑みを浮かべた。

返り入幕だった照ノ富士が復活優勝を果たすなど、伊勢ケ浜部屋にとって明るい話題が続くこととなった。錦富士は「場所前から自粛生活が続いている中で、伊勢ケ浜部屋旋風を起こそう、と照ノ富士関を中心に言ってた。今場所はそういう面でも各自が頑張っていたと思う」と団結秘話を明かした。伊勢ケ浜親方は「もっと前に出る相撲を。まだまだ取り切れていない。自分から攻める相撲が取れれば幕内もいけると思う」と期待。錦富士は「とりあえずは次の場所で勝ち越して上にいくことです」と意気込んだ。

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悪ふざけ動画、「爆睡していた」/阿炎の不適切行動

阿炎(2020年7月24日撮影)

大相撲の幕内力士、阿炎(26=錣山)が日本相撲協会に引退届を提出していたことが4日、分かった。

阿炎は不要不急の外出自粛を求められている中、7月場所中にキャバクラに出入りしていたことが発覚。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の判断で、7日目から休場していた。日本相撲協会は6日の理事会で処分などについて検討するため、阿炎の引退届は現時点で受理されていない。

◆阿炎の不適切行動と発言 昨年11月に十両若元春の手足をテープで縛った動画を自身のインスタグラムに投稿。“悪ふざけ”動画はSNSで拡散され、ネット上で「暴力を連想させる」など批判を浴びた。協会から口頭で厳重注意を受け、反省文を提出。さらに今年2月の全協会員を対象とした研修会終了後、会場を引き揚げる際に報道陣の取材に対して「爆睡していた」「寝ていたので何も聞いていない」と発言。翌日に師匠と協会を訪れて謝罪し、鏡山コンプライアンス部長から厳重注意を受けた。

◆阿炎政虎(あび・まさとら)本名は堀切洸助。1994年(平6)5月4日、埼玉・越谷市生まれ。小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会出場。大相模中3年時に全国中学3位。千葉・流山南高3年時に高校総体16強。卒業後の13年夏場所に錣山部屋から初土俵。15年春場所に新十両、18年初場所で新入幕。19年名古屋場所で新小結に昇進。金星2個、敢闘賞2回。188センチ、150キロ。得意は突き・押し。

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双羽黒、生活態度注意され…廃業/主な脱走力士

失踪事件を起こし廃業となった双羽黒(1987年12月31日撮影)

大相撲の式秀部屋の力士9人が4日、茨城県龍ケ崎市の部屋から集団脱走した。

おかみさんによる過度な指導に力士たちが不満を募らせ、東京都内に助けを求めて移動した。力士たちは日本相撲協会の通報窓口に連絡。協会側は5日にも双方の事情を聴き、問題の解決を探っていく。

<主な力士の脱走>

★琴天山 カナダ出身で85年に佐渡ケ嶽部屋に入門。同年の初土俵から三段目まで7戦全勝優勝で21連勝を達成。86年名古屋場所で幕下に昇進したが、相撲界になじめずに女性と失踪して、そのまま廃業した。その後、プロレスに転向してジョン・テンタ、アースクエイクのリングネームで日米のリングで活躍した。

★双羽黒 87年12月27日に立浪親方に生活態度を注意され、部屋を脱走。双羽黒は都内のマンションの一室に潜伏し、周囲が部屋に戻るように説得するも失敗。その間に立浪親方が協会へ双羽黒の廃業届を提出。この事態を受け、同31日に緊急理事会が開かれ、双羽黒の廃業届を受理することを決めた。

★旭天鵬 92年春場所で初土俵も厳しい稽古や日本の文化になじめず、同8月にモンゴル人力士4人と部屋から脱走。渋谷のモンゴル大使館に駆け込み、旭天鵬ら3人はそのまま帰国。その後、モンゴルを訪れた大島親方らの説得で同11月の九州場所で復帰した。

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照ノ富士が消沈…変化し批判浴びた一番元付け人述懐

15年6月、照ノ富士(左)と付け人の駿馬

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士の付け人を約5年間務めた元幕下駿馬(しゅんば)の中板秀二さん(38)は、劇的な復活劇を信じて疑わなかった。「目標があれば、必ず戻れると思っていた」。入門は照ノ富士より7年早い。13年3月の間垣部屋から伊勢ケ浜部屋への移籍や15年夏の大関昇進。兄弟子として苦楽をともに過ごしてきた。

両膝のけがなどでどん底の中、照ノ富士は弱音をたくさん吐いたという。「『何をやってもうまくいかないんです』と。(番付が)上がってるときは弱みを全く出さなかったので驚いた」。印象的だったのは優勝を争っていた17年春場所14日目。立ち合い変化で琴奨菊の大関復帰を絶つと、周囲から厳しい批判を浴びた。「あれから元気がなくなったように見えた。(その後の低迷は)体のことはもちろんだが、気持ちの問題も大きかったんじゃないか」と述懐する。

序二段で復帰した昨年春場所前、照ノ富士はすでに引退を決断していた駿馬さんの自宅を訪れ「もう1回、幕内で頑張ります」と決意の報告をした。駿馬さんは昨年夏場所限りで引退。直後に部屋で行われた断髪式では、照ノ富士に「お疲れさまでした」とはさみを入れられ、ほおにキスされた。「モンゴル流なんですかね。涙が出ました」。現在は都内で介護事業を展開する企業の職員として働いている。優勝の瞬間は仕事のためラジオで聞き「感慨深いものがあった」。元付け人にとっても格別な優勝となった。【佐藤礼征】

御嶽海(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

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八角理事長振り返り、力士らが約束「守ってくれた」

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

コロナ禍で開催された異例の場所が幕を閉じた。無観客開催の春場所以来、4カ月ぶりに開催した7月場所。日本相撲協会はガイドラインに沿って、観客数の上限を1日約2500人に設定し、来場者にマスク着用や声援自粛を求めた。力士には支度部屋で準備運動をする際にマスクの着用を義務づけ、座る場所もアクリル板で仕切るなどした。千秋楽終了時点で協会員の新型コロナ感染者は0。八角理事長(元横綱北勝海)は「力士も頑張って、協会員も(約束を)守ってくれた。内容は、横綱、大関が休場して申し訳ないが、頑張ってくれた力士がいた。お客さんには本当に拍手(の応援)で後押ししてもらった」などと振り返った。

芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、今場所後には新弟子勧誘や帰省などの外出は師匠の許可次第とする一方、新たなガイドラインを設けて制約を設けるという。また、2週間後には力士全員に、新型コロナの抗体検査を受けさせることも明かした。政府の緊急事態宣言が再び出れば「場所の開催は難しい状況になる」と話し、開催の方向性については「模索」と表現。当面は1場所ごとに開催か否かが最重要事項となる。

御嶽海を破り土俵下で天を仰ぐ照ノ富士(右)と、優勝を逃し静かに目を閉じる正代(撮影・河田真司)  

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復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。

混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。

1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯(じんたい)が、左膝は半月板がなくなった。

17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。

表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

▽八角理事長(元横綱北勝海)「照ノ富士はよく戻ってきた。戻ってすぐの優勝だから素晴らしい。こんなに早く優勝できるとは、本人も思っていなかっただろう。やっぱり、いろいろ経験してきた元大関だ。緊張感の中、気持ちで相撲を取っていた。ただ、まだ膝をかばっている感じで不安もあるだろう。来場所は難しいものがあるのでは」

▽照強(照ノ富士に前日)「明日頑張って下さい」と言ったら「ありがとう」と。優勝してもらって気持ちよく祝いたい。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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復活照ノ富士、優勝後に序二段経て幕内Vは史上初

幕尻優勝を果たし賜杯を手にする照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。

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76年魁傑は後に大関復帰果たす/復活Vアラカルト

御嶽海を寄り切りで破り満足そうな表情を見せる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、敢闘賞の三賞2つも獲得した。

大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は初場所の徳勝龍以来、史上3人目。返り入幕の優勝も徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。

◆大関経験者の関脇以下での優勝 昭和以降では1976年(昭51)秋場所の魁傑(先代放駒親方)以来2人目。このとき魁傑は西前頭4枚目で14勝1敗。8日目の横綱北の湖戦が唯一の黒星だった。同年九州場所に関脇で11勝、翌年の77年初場所でも関脇で11勝を挙げ、同年春場所で8場所ぶりに大関復帰を果たした。大関陥落の翌場所に10勝を挙げられず、後に大関復帰した力士は魁傑ただ1人。

大関陥落後、76年に復活V、後に大関復帰を果たした魁傑(77年)

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照ノ富士が奇跡の大復活V、序二段経て30場所ぶり

かみしめるように下がりを外す照ノ富士(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、技能賞の三賞2つも獲得した。

両膝の負傷や内臓疾患に苦しんだ男が、4カ月ぶりに再開した本場所で主役となった。大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

初優勝から5年2カ月がたっていた。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声が高かった。

しかし昇進後は両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に「とりあえずは治してから話をしよう」と引退を慰留された。1年以上かけて土俵に戻る決心を固め、昨年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。負け越し知らずで番付を上げ、初場所で再十両。返り入幕となった今場所、ついに“奇跡のカムバック”を実現させた。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。

御嶽海(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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三段目深井が大鵬孫の夢道鵬破りV、来場所は幕下も

深井(右)ははたき込みで夢道鵬を破り三段目優勝を飾る(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

三段目は東67枚目の深井(22=高砂)が、優勝決定戦を制して優勝した。

相手は大横綱大鵬の孫、夢道鵬(18=大嶽)。「相手への意識はなかった」と動きを冷静に見て、最後ははたき込んだ。「内容はよくなかったが、勝ててよかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

東洋大では学生選手権8強で今年春場所、三段目100目格付け出しで初土俵を踏んだ。部屋の大関朝乃山と同じスタート。その場所は5勝2敗に終わったが、2場所目に力を発揮した。

大関からは「『緊張するな』と声をかけてもらった」という。稽古場でも胸を借りてきた。ひとつ恩返しの優勝となった。

来場所は一気に幕下の可能性もある。「自分の相撲を取りきって優勝できれば」。大関の背中を追いかけ、出世の階段を上がっていく。

夢道鵬(左)を破り三段目優勝の深井(撮影・鈴木正人)
三段目優勝の深井(撮影・鈴木正人)

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元十両の希善龍が引退 日大出身08年亀井で初土俵

希善龍(2017年1月16日撮影)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

日本相撲協会は7月場所千秋楽の2日、元十両の東幕下8枚目希善龍(35=木瀬、本名・亀井貴司)が引退届を提出し、受理したことを発表した。

希善龍は日大出身で08年春場所に本名「亀井」のしこ名で初土俵を踏んだ。13年夏場所の新十両昇進を機にしこ名を「希善龍」に改め、十両在位は通算9場所、最高位は東十両11枚目。今場所は3勝4敗で負け越したが、現役最後の一番となった7番相撲を白星で飾っていた。

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朝乃山まさかの連敗、照強の足取りにはまり尻もち

朝乃山(左)は立ち合いで照強の変化について行けず足取りで敗れる(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇14日目◇1日◇東京・両国国技館

新大関の朝乃山(26=高砂)が、まさかの連敗を喫してトップに並べなかった。

勝てば2敗の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)と並ぶ照強(25=伊勢ケ浜)との初顔合わせ。立ち合いすぐに潜り込まれてあっさりと左足を取られると、なすすべなく尻もちをついた。背中に大量の土をつけながら起き上がり、意気消沈の表情。照強は2日前にも足取りを決めていたが、その策にはまってしまった。

勝てば史上9人目の新大関優勝の可能性が高まっていただけに、手痛い3敗目。取組後には2日連続で報道陣のリモート取材には応じなかった。

千秋楽は結びで3敗同士の正代と対戦する。その1つ前の取組で照ノ富士が御嶽海に勝つと優勝が決まってしまうため、自身の優勝のためには他力に頼るしかなくなった。

◆優勝争いの行方 千秋楽で照ノ富士が御嶽海に勝てば、その時点で照ノ富士の優勝が決まる。御嶽海が勝った場合は、照ノ富士、御嶽海、朝乃山-正代の勝者によるともえ戦(3人での優勝決定戦)となる。実現すれば幕内では94年春場所の曙、貴ノ浪、貴闘力以来7度目で、当時は曙が制した。

照強に足取りで敗れ、苦笑いを浮かべ土俵から引き揚げる朝乃山(撮影・河田真司)

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正代が照ノ富士撃破、リスク覚悟もろ差しで初V望み

土俵際の攻防 正代(手前)が照ノ富士を攻める(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇14日目◇1日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)が「混沌(こんとん)の千秋楽」に持ち込んだ。単独トップだった元大関の照ノ富士を寄り切り、自身も初優勝の可能性をつないだ。同じ関脇の御嶽海も3敗を守り、結びで大関朝乃山が照強に敗れる波乱で4人が優勝争いに残った。正代か御嶽海が優勝すれば、13日目終了時点でトップとの2差を覆す史上初の大逆転劇となる。異例の場所で最後にドラマをもたらすか。

   ◇   ◇   ◇

興奮を抑えられない。照ノ富士を寄り切った正代はほえるように右の拳を振り上げた。「好調な相手だったんで、前の日の夜から気合が入っていた。そういうのが出てしまったと思います」。結果も内容も完璧な相撲に感情が爆発した。

「(対策は)いろいろ考えたけど、一番納得できる相撲は、自分は立ち合いなんで」。勝負をかけた立ち合いはもろ差し。左上手を許してもかまわず前に圧力をかけ、絶妙なタイミングの引き技でバランスを崩す。逃さず右を差し、最後は土俵下まで吹っ飛ばした。

もろ差しは照ノ富士に抱え込まれるリスクもあった。「きめられることも頭にあったが、中途半端に当たって持っていかれるなら、思い切って前に出ようと集中していた」。13勝を挙げた今年初場所、14日目に徳勝龍に土俵際で突き落とされ、星1つ差で賜杯を逃した。勝ちを意識して足が出ず、逆転された相撲を反省した。味わった悔しさがこの日の相撲につながった。

自ら可能性をつないだ。「(優勝は)意識しても硬くなる。頭の片隅に置いておくぐらいで」。可能性がある4人でただ1人、優勝の経験がない。追う立場でもあり、気持ちは楽に臨める。「千秋楽なんで、楽しめればいいかなと思います」。その千秋楽は結びで大関朝乃山に挑む。先に照ノ富士が敗れていれば、決定戦への生き残りをかけた一戦。そして賜杯が現実になれば、13日目終了時点で2差から初の逆転劇となる。

故郷の熊本・宇土市では毎場所、正代が勝つと3発の花火が打ち上がる。もちろんこの日も。豪雨被害に見舞われた熊本の人々は願っている。【実藤健一】

◆優勝争いの行方 千秋楽で照ノ富士が御嶽海に勝てば、その時点で照ノ富士の優勝が決まる。御嶽海が勝った場合は、照ノ富士、御嶽海、朝乃山-正代の勝者によるともえ戦(3人での優勝決定戦)となる。実現すれば幕内では94年春場所の曙、貴ノ浪、貴闘力以来7度目で、当時は曙が制した。

◆2差逆転優勝 1場所15日制が定着した49年夏場所以降、13日目終了時点で2差から逆転優勝した例はない。12日目終了時点からは4例、11日目終了時点からは8例、10日目終了時点からは5例ある。2差を追いつき優勝決定ともえ戦になったのは65年秋場所のみ。同場所は11日目終了時点で1敗の横綱大鵬を、2敗で平幕の明武谷、3敗の横綱柏戸らが追いかけ、千秋楽で横綱佐田の山、柏戸、明武谷が12勝3敗で並んだ。ともえ戦で連勝した柏戸が優勝した。

正代に寄り切りで敗れ座り込む照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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Vかけ照ノ富士は御嶽海、朝乃山は正代と 千秋楽

正代に敗れたが、朝乃山も敗れたため2敗で単独トップを守った照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇14日目◇1日◇東京・両国国技館

日本相撲協会の審判部は大相撲7月場所14日目の1日、打ち出し後に翌日の千秋楽の取組編成会議を行った。2敗目を喫するも単独トップのままとなった平幕の照ノ富士は3敗の関脇御嶽海と、3敗に後退した新大関の朝乃山は同じ3敗の関脇正代との対戦が組まれた。

照ノ富士(2敗)-御嶽海(3敗)

正代(3敗)-朝乃山(3敗)

照ノ富士は勝てば優勝。御嶽海が勝つと、照ノ富士、御嶽海、正代-朝乃山戦の勝者、による優勝決定ともえ戦になる。

◆優勝争いの行方 千秋楽で照ノ富士が御嶽海に勝てば、その時点で照ノ富士の優勝が決まる。御嶽海が勝った場合は、照ノ富士、御嶽海、朝乃山-正代の勝者によるともえ戦(3人での優勝決定戦)となる。実現すれば幕内では94年春場所の曙、貴ノ浪、貴闘力以来7度目で、当時は曙が制した。

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照ノ富士が朝乃山を撃破、出稽古独占で磨いた右四つ

朝乃山を破り、懸賞金の束を手にする照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、新旧大関対決を制して単独トップに立った。

新大関朝乃山との1敗同士の一番を、右四つから力で寄り切った。14日目に関脇正代を破り、朝乃山が前頭照強に敗れれば、30場所ぶり2度目の優勝が決まる。序二段から史上初の幕内復帰を果たし、幕尻で迎えた今場所。大関経験者が関脇以下で優勝すれば、昭和以降2人目の快挙となる。朝乃山は2敗目で1歩後退。3敗の正代、御嶽海の両関脇も優勝の可能性を残した。

   ◇   ◇   ◇

大関経験者の照ノ富士が、相四つの新大関を力でねじ伏せた。左上手に手がかかったのは、朝乃山とほぼ同時。「(今場所の朝乃山は)大関なので強い相撲を見せているから、自分のかたちに持っていってやろうと」。相手の絶対的な左上手を切ると、右でかいなを返し、怪力で左上手を引きつけた。朝乃山を寄り切ると、土俵上でふーっと一つ息を吐く。「まだ2日あるので」。単独トップに立っても、浮足立つことはなかった。

関取に返り咲いた1月以降、朝乃山を絶好の稽古相手としていた。時津風部屋に出稽古した際は、申し合いで朝乃山を積極的に指名。初場所前の稽古では朝乃山を独占するあまり、稽古を見守っていた安治川親方(元関脇安美錦)から注意を受けることもあった。「(稽古では)右四つで組んで力を出してくれる相手がいなかった。いい稽古相手になると思ってやっていた」と照ノ富士。当時関脇だった朝乃山を“踏み台”に、右四つの感覚を磨いた。

初優勝は5年前。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声は高かった。しかし、昇進後は地獄が待っていた。

両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を慰留された。「『とりあえずは治してから話をしよう』と。相撲から1度離れて、自分の体と向き合った。今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思った」。1年以上かけて、土俵に戻る決心を固めた。

記録ずくめの優勝は、14日目にも決まる。大関経験者が関脇以下で優勝すれば1976年秋場所の魁傑以来で、昭和以降2人目。前回優勝した15年夏場所との間隔は30場所と約5年で、史上2位のブランク優勝となる。残り2日へ「やってきたことを信じてやるだけ」。コロナ禍の世の中に希望を与えるような復活劇が、実現しようとしている。【佐藤礼征】

▽幕内後半戦の伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士) 上手は朝乃山の方が早かった。上背の差が出た。がっぷり組むときついよね。朝乃山は少し突き落とし気味の投げにいったのが良くなかった。照ノ富士は辛抱したから前に出られた。(師匠として)「ここまできたら無理しないように」と常に言っている。

<照ノ富士の激動の相撲人生アラカルト>

▽11年5月 間垣部屋に入門して初土俵を踏む。

▽13年3月 間垣部屋が閉鎖され、伊勢ケ浜部屋に移籍。

▽13年9月 新十両場所の秋場所で優勝。3場所で十両を通過して新入幕昇進。

▽15年5月 関脇の夏場所で12勝3敗で初優勝。場所後に大関昇進を果たす。

▽15年9月 秋場所中に右膝を負傷。場所後に「前十字靱帯損傷、外側半月板損傷」で全治1カ月と診断される。

▽17年3月 春場所で千秋楽までトップも、稀勢の里に本割、優勝決定戦で敗れ優勝を逃す。

▽17年9月 2場所連続負け越しで大関陥落。

▽18年5月 十両まで番付を落とし、この夏場所から6場所連続休場。

▽19年3月 本場所復帰。7戦全勝で序二段優勝。

▽19年11月 幕下上位で7戦全勝。場所後、再十両昇進。

▽20年1月 13勝2敗で十両優勝。

▽20年3月 東十両3枚目で10勝5敗。場所後に再入幕を決める。

朝乃山(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

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朝乃山V争い1歩後退ショック、今場所初の取材拒否

照ノ富士(左)の攻めに耐える朝乃山(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

逆転優勝へ、負けられない戦いが続く。新大関の朝乃山(26=高砂)が、照ノ富士に負けて2敗に後退。

14日目に照強に負けて、照ノ富士が勝つと昨年夏場所以来となる自身2度目の賜杯を逃すことになる。史上9人目の新大関優勝の道は険しくなったが、逆転優勝を信じて土俵に上がる。

  ◇    ◇    ◇

新大関の勢いを、大関経験者に見せつけることはできなかった。立ち合いで得意の右四つにはなったが勝負を決められず、馬力のある照ノ富士に左上手を許してしまった。それでも何とか土俵際で下手投げを打ったが不発。体勢を立て直されると、体を寄せられて土俵を割った。初黒星を喫した10日目は報道陣のリモート取材に応じたが、この日は協会員を通して今場所初の取材拒否。優勝争いで1歩後退してしまったショックは、さすがに隠しきれなかったようだ。

逆転優勝を信じて残り2日の土俵に上がる。ひとまず14日目は勝てば、優勝の行方は千秋楽までもつれることになる。対戦相手は照ノ富士と同部屋(伊勢ケ浜)の照強。勝ち越しに王手をかけているだけに、策士の小兵は怖い存在。さらに十両だった17年春場所以来、約3年ぶりの対戦で警戒心は高まる。

10勝目を挙げた11日目には「11、12、13勝。そして優勝するのが大関の務めだと思う」と意気込んでいた。単独トップは逃したが、優勝を諦めるのはまだ早い。気持ちを切らすことなく、史上9人目の新大関優勝を信じて突き進む。【佐々木隆史】

朝乃山(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)
照ノ富士(手前)に寄り切りで敗れる朝乃山(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士、朝乃山を破って単独トップ「頑張るだけ」

懸賞金の束を手に土俵を引き揚げる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

返り入幕で大関経験者の照ノ富士が、新大関の朝乃山を寄り切りで破って単独トップに立った。立ち合いで右を差し、左上手を取ると力勝負になった。朝乃山の土俵際での投げに耐えると、体勢を立て直して寄り切った。

14日目で照ノ富士が正代に勝ち、朝乃山が照強に負けると、照ノ富士の優勝が決まる。照ノ富士の優勝は関脇だった15年夏場所以来2度目で、初場所の徳勝龍以来となる史上3人目の幕尻優勝となる。NHKのインタビューでは「やってきたことを信じてやるだけ。とりあえずあと二番。頑張るだけです」と話した。

朝乃山は昨年夏場所以来2度目、そして06年夏場所の白鵬以来となる史上9人目の新大関優勝へ、負けられない戦いが続く。

また2敗で朝乃山と照ノ富士を追いかける展開となっていた横綱白鵬が、日本相撲協会に「右膝半月板損傷、膝蓋大腿靱帯(しつがいだいたいじんたい)損傷、関節内血症により約2週間の加療を要する見込み」との診断書を提出して休場した。場所中に負傷していた箇所を、敗れた12日目の御嶽海戦で悪化させた。2場所連続45度目の優勝は果たせなかった。

栃ノ心と高安が、ともに昨年名古屋場所以来、1年ぶりの勝ち越しを決めた。3月の春場所以来4カ月ぶりの開催となった本場所で、新旧大関が気を吐いている。

御嶽海(右)は引き落としで輝を破る(撮影・小沢裕)
白鵬の休場で正代の不戦勝(撮影・鈴木正人)

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北青鵬が序ノ口初V 身長2mの大器、白鵬スカウト

雅(右)を攻める北青鵬(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

横綱白鵬がスカウトした身長2メートルの大器、東序ノ口18枚目北青鵬(18=宮城野)が、初の序ノ口優勝を果たした。立ち合い当たって西序二段103枚目雅の右上手を取ると、一気に寄り切った。「うれしいです。まわし1本取れたのであとは前に出るだけだった。そんなにプレッシャーはなかった。落ち着いて相撲を取ろうと思っていた」。3月の春場所が初土俵だったモンゴル出身の18歳は、盤石の相撲で序ノ口デビューを締めくくった。

あこがれの力士はもちろん兄弟子の白鵬。取組前には「気を抜かずに頑張れ」と声をかけてもらったという。5歳で父親の仕事の関係で北海道に移り、6歳の頃に韓国の空港で偶然白鵬と出会ったことをきっかけに相撲を始めた。高校相撲の名門、鳥取城北高を経て宮城野部屋に入門。部屋ではすでに関取衆とも稽古を行っているという逸材は「1年以内に新十両に上がれるように頑張りたい」と堂々宣言した。

雅(左)を寄り切りで破る北青鵬(撮影・河田真司)
7戦全勝で序ノ口優勝を決めた北青鵬(撮影・小沢裕)

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朝乃山「胸を借りる」新大関V占う元大関との大一番

北勝富士(右)をすくい投げで破る朝乃山(撮影・中島郁夫)

<大相撲7月場所>◇12日日◇30日◇東京・両国国技館

新旧大関が天王山に臨む。新大関の朝乃山(26=高砂)が、平幕の北勝富士をすくい投げで下して1敗を死守。史上9人目の新大関優勝へ、1歩進んだ。大関経験者で返り入幕の照ノ富士も1敗を守った。結びの一番で、横綱白鵬が関脇御嶽海に負けて2敗に後退。割崩しで組まれた13日目の朝乃山と照ノ富士による初顔合わせが、優勝の行方を占う一番となった。

  ◇  ◇  ◇

新大関の勢いそのままに、朝乃山が11個目の白星を挙げた。北勝富士にのど輪で起こされて左上手は取れなかったが、引くことなく前に出た。左に逃げる相手を組み止めて、右を差すと盤石な体勢に。暴れ動こうとする相手を組み止めつつ、右のすくい投げで裏返しにした。「黒星の悔しさをぶつけようという思いでやっている」。10日目の新大関初黒星を闘志に変えて土俵に上がっている。

2度目の賜杯へ、大一番を迎える。幕内の取組前に、13日目の取組が決まった。相手はともに1敗で優勝争いトップに並ぶ照ノ富士。初顔合わせだが、3月の春場所前に出稽古先の時津風部屋で鉢合わせし、胸を合わせていた。当時は十両だった照ノ富士を「自分よりも上背もあるし非常に重たい」と振り返る。新大関として「元大関の先輩ですし胸を借りるつもりで思い切りいきます。先に先に自分から攻めたい」と気負いはない。

目の前で白鵬が2連敗。優勝への欲が高まりかねない状況にも朝乃山は「1日一番、自分の相撲を取りきるだけ」と意識はしない。10勝目を挙げた11日目に口にした「優勝」の二文字はこの日は封印。「自分の相撲を取りきれば結果はついてくる」と構えた。

富山県出身では太刀山以来111年ぶりとなる大関昇進を果たし、今場所は史上9人目となる新大関優勝がかかる。新旧大関対決に勝った方が、優勝争いの単独トップに立つ。【佐々木隆史】

中入り後の明日の取組紹介で「照ノ富士 対 朝乃山」の一番がアナウンスされると、館内が沸いた(撮影・小沢裕)

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