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「自分の相撲」風格も生んだ意識改革/朝乃山連載3

タイを手に笑顔の朝乃山(中央)。前列右側は高砂親方夫妻、後列左から2人目は父の石橋靖さんと母の佳美さん(代表撮影)

<新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡(3)>

大相撲春場所を11勝4敗で終えた関脇朝乃山(26=高砂)が、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりとなる大関昇進を確実にした。連載「新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡」では、朝乃山の相撲人生を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

令和最初の幕内優勝を飾った昨年夏場所から、朝乃山の心境に変化があった。初土俵から10場所目の17年秋場所で新入幕。順調に出世したが、その後、約1年半は幕内下位から中位を行ったり来たり。伸び悩んでいた。昨年春場所は勝ち越し王手から5連敗で負け越した。同場所中に食べたカキにあたり、体調を崩していた。師匠の高砂親方にも未熟さを指摘された自己管理を徹底。場所中は禁酒した。何より「相手のことは考えず自分の相撲を取りきる」と自分と向き合った。

それまでは、翌日の対戦相手のことを考えて寝付けないこともあった。「昔はよく相手の取組をビデオで見ていたけど、見なくなった。最近、見るのは自分の相撲だけ。悪いところがあれば直すように。『相手が変化するかも』とか考えたら硬くなる」。口癖だった「自分の相撲を取る」という意識に拍車が掛かった。仕切りの際は、可能な限り自ら先に両手をついて待った。しかも「立ち合いの時は相手を見ない。目を合わせない。目を合わせると、のまれそうになる」と誰が相手でも同じリズム。余計な感情が生じる隙を与えず「自分の相撲」を貫いた。

初優勝後は「優勝したことを自信にしたい」と話す通り、言動に余裕も出てきた。何げない雑談でも以前は「富山弁が出ちゃった」と、方言を気にしていた。それが優勝後は自ら報道陣にクイズを出題し「富山弁で『今日はオレが、だいてやる』って、どういう意味か分かりますか? 『おごってやる』って意味です」とニヤリ。周囲の目を気にし、コンプレックスのように感じていた部分を、逆に愛する故郷をアピールする武器に変えた。

土俵上でも土俵外でも、やることや思いは変わらないが、意識改革と自信が成長と風格をもたらした。「はたきができるのは器用。自分はできない。負けてもいいので前に出る。負けるなら前に出て負けたい」。不器用と呼ばれても構わない。令和を引っ張る大器に、大関の看板が託された。(おわり)【高田文太】

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朝乃山人間性出た口上、横綱目指せ/大ちゃん大分析

大関昇進の伝達を受ける朝乃山(右)と高砂親方(代表撮影)

朝乃山の人間性が出るような立派な口上だった。定年の年に37年前、自分が使者を迎えた同じ所で、というのも感無量だ。口上の文句のように誰からも愛され目標とされる大関に、そして横綱を目指してほしい。

3年前の初場所で、高砂部屋の関取輩出が140年あまりで途絶えた。直前の九州場所で幕下15枚目以内だった朝乃山は、自分が全勝していれば…と本当に悔しそうだった。精神的に変わった分岐点はあそこかな。技術的には去年夏場所の優勝もあるが、その前から巡業で同じ右四つの栃ノ心と稽古を積んだのが大きい。大関の強さを肌で感じ型をつかんだ。

しこ名の話がよく出る。朝潮でイメージされるのは押し相撲で太平洋の潮流。富山出身の朝乃山は日本海の潮流で四つ相撲を印象づければいい。確固たる相撲になれば朝乃山のしこ名は定着する。ただ、真っ向勝負という部屋の伝統は忘れずに受け継いでほしい。

新型コロナウイルスの影響で、お祝いムードは薄いかもしれない。だからこそ活躍すればスポーツ界だけでなく、日本に明るい光を差せる。背負う看板は重いが、これも何かの運命。そうプラスにとらえて前向きに精進してほしい。(高砂浦五郎=元大関朝潮・日刊スポーツ評論家)

若手力士らに担がれ笑顔を見せる朝乃山(代表撮影)

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朝乃山「一生懸命」思い強めた16年九州場所/手記

大関昇進の伝達を受ける朝乃山(右)と高砂親方(代表撮影)

大関昇進が決まった朝乃山が日刊スポーツに手記を寄せた。16年春場所で初土俵を踏み、丸4年で夢だった大関に昇進。高砂部屋の伝統をしっかりと胸に刻み、口上でも述べた「一生懸命」を貫いて駆け上がってきた。富山県出身では太刀山(元横綱)以来111年ぶりとなる新大関が、感謝の思いや今後の夢などを記した。

   ◇   ◇   ◇

みなさまの応援、支えのおかげで、大関に昇進することができました。春場所は史上初の無観客開催で、声援がなかったことは正直寂しかった。それでも、テレビなどを通して全国から応援してくれる人がいると思えば頑張れた。本当にありがとうございました。角界入りしてから夢だった地位に上がれたが、もう1つ上の番付がある。これからさらに精進していきます。

座右の銘にしているのは「一生懸命」。誰でも意味が分かる簡単な言葉だが、すごく重い言葉だと思う。土俵に一生、命を懸ける。その決意ができたのはプロに入った時。人生は1度きり。1度しかないチャンスで、できるところまでやろうと思えた。そうすると稽古も頑張ることができた。

「一生懸命」の思いが強くなったのは16年九州場所千秋楽。その日の部屋は独特な雰囲気だった。部屋のみんなで朝赤龍関(当時十両、現錦島親方)の取組をテレビで観戦。幕下希善龍さんとの「入れ替え戦」に負けて幕下陥落が確実になり、兄弟子たちがガックリと落ち込んでいた。もちろん部屋頭が負けて喜ぶ人はいないけど、それまでの負けと明らかに違っていた。

その意味を知ったのは、翌日の新聞だった。高砂部屋は1878年(明11)の部屋創設から138年間にわたって、十両以上の関取を輩出し続けていた。その最長記録が途絶えることになった。千秋楽パーティーで朝赤龍関は「自分のせいです」と泣いていた。師匠(高砂親方=元大関朝潮)は「頑張るしかない。新しい高砂部屋の歴史をつくっていこう」と下を向かず、涙を見せずに言っていた。グッとくるものがあった。

16年の九州場所で自分は東幕下14枚目だった。その年3月の春場所で初土俵を踏み、1年で関取になることを目標にしていた。翌17年の春場所で新十両に昇進し、目標を果たした。ただ初場所は7戦全勝で幕下優勝。もしも1場所早く、九州場所で全勝だったら、関取が途絶えることはなかったのに-。皮肉なことに、伝統が途切れたことで初めて高砂部屋が「名門」と言われる本当の意味を知ったと思う。同時に自分が「名門」の新しい歴史をつくりたいという気持ちが出てきた。支えてくれる人のために-。こういう感情は初めてだった。高砂部屋に入ったから、今の自分がある。

夢の大関昇進だが(故人で母校の富山商高元監督)浦山先生の夢は、自分が横綱になること。横綱になった時が「十分咲き」なら、大関に上がっても、まだ「五分咲き」だと思う。まだ自分の相撲人生は道半ば。浦山先生や今年の初場所中に亡くなった伊東監督(母校の近大元監督)、高砂親方や高砂部屋のためにも、ここからさらに「一生懸命」に土俵を務めたい。

記者会見で笑顔を見せる朝乃山(代表撮影)

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大関朝乃山、亡き恩師2人へ「これに満足せずに」

若手力士らに担がれ笑顔を見せる朝乃山(代表撮影)

大関朝乃山(26=高砂)が正式に誕生した。日本相撲協会は25日、大阪市内で大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、朝乃山の大関昇進を全会一致で承認した。大阪市の宿舎で行われた伝達式では、昔からなじみのある「愛」「正義」「一生懸命」の言葉を口上に使用。富山出身では太刀山以来(元横綱)111年ぶりに大関昇進を果たした新大関が、亡くなった恩師2人へ、もう1つ上の番付も誓った。

   ◇   ◇   ◇

人柄の良さ、素直さがにじみ出た。協会からの使者に昇進決定を言い渡された朝乃山は、続いて引き締まった表情で、よどみない声で口上を述べた。

「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」

思いが強い3つの言葉を入れ込んだ。「愛」と「正義」は、母校・富山商高の教育方針や校歌にある「愛と正義の理想」の文言から。「一生懸命」は中学時代から座右の銘にしてきた言葉だった。本格的に相撲を始めた中学時代と、17年に死去した富山商高相撲部監督の浦山英樹さんから徹底して右四つを指導してもらった高校時代。常日頃、地元・富山からの応援に感謝の言葉を口にする、朝乃山らしい言葉選びだった。

運命的な巡り合わせになった。伝達式を行った宿舎の大阪市・久成寺は、83年春場所で大関昇進を決めた師匠の高砂親方(元大関朝潮)が伝達式に臨んだ時と同じ場所。高砂親方や部屋の先輩にあたる朝青龍(元横綱)も、大関昇進の口上で「一生懸命」を用いた。「自分も伝統のある高砂部屋に入れたし、高砂部屋の部屋頭としての責任を持って行動したい」と新大関としての自覚を持った。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、晴れの姿には代表2社など限られた報道陣しか立ち会えなかった。部屋に集まったのも両親や後援会関係者など30人程度。しかしそこには、浦山さんと初場所中に急逝した近大相撲部監督の伊東勝人さんの遺影があった。角界入りの背中を押してくれた浦山さんと、角界で生き抜く技を教えてくれた伊東さん。額に収まる2人の恩師を前に「おかげさまで大関に上がれました。これに満足せずに、もう1つ番付があるので、そこを目指して頑張ります」と誓った。

富山出身では約1世紀ぶりの大関誕生。「富山県の小さい子どもたちから目標にしてもらい、プロに入ってもらうのが、また1つの夢」と地元愛が強い。来週からは早速、夏場所に向けての稽古を再開するという。「次はたくさんのファンの前で」と夏場所でこそ、大勢のファンの前で新大関の姿を披露する。【佐々木隆史】

◆朝乃山英樹(あさのやま・ひでき)1994年(平6)3月1日、富山市生まれ。本名は石橋広暉(ひろき)。相撲は小学4年から始め富山商高3年で十和田大会2位、師匠の高砂親方(元大関朝潮)部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)と同じ近大で西日本選手権2度優勝など。16年春場所、三段目最下位格(100枚目)付け出しで初土俵。188センチ、177キロ。得意は右四つから寄り、上手投げ。通算139勝101敗。好きな女性のタイプは磯山さやか。

タイを手に笑顔の朝乃山(中央)。前列右側は高砂親方夫妻、後列左から2人目は父の石橋靖さんと母の佳美さん(代表撮影)
大関昇進の伝達を受ける朝乃山(右)と高砂親方(代表撮影)

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新大関朝乃山、月給は250万円/大関アラカルト

大関昇進の伝達を受ける朝乃山(右)と高砂親方(代表撮影)

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。

   ◇   ◇   ◇

「大関」アラカルト

◆安泰 69年名古屋場所からは2場所連続で負け越さない限り陥落せず、関脇に陥落しても翌場所10勝以上で復帰可。

◆月給 横綱の300万円に次ぐ250万円。三役(関脇、小結)より70万円増。

◆待遇 公演など海外渡航はファーストクラス。新幹線はグリーン席。車での場所入りは地下駐車場まで乗り入れ可。化粧まわしも関脇以下では禁じられている紫色が使える。

◆引退後 協会に残るためには年寄名跡が必要だが、元大関は現役のしこ名で3年間、年寄として協会に残ることができ、日本国籍取得者は委員待遇として「年寄」の上位に置かれる。横綱と大関には特別功労金が支給される。

記者会見で笑顔を見せる朝乃山(代表撮影)

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朝乃山両親も大関昇進に「感動しました」一問一答3

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

伝達式後の代表者による一問一答(その3)は以下の通り。

-看板力士になった。これまで以上に師匠からは

高砂親方 月曜日(の一夜明け会見)にも話したけど、強くなれば強くなるほど、注目度が増えるわけだし、いろいろな人から見られることが多くなる。立ち居振る舞い、自分の行動には責任を持つ。常々、私は弟子たちに言うんだけど「財団法人日本相撲協会」「高砂部屋」という看板を背中に背負って歩いている。その看板を汚したりすることは絶対、しちゃいかんと。朝乃山も、そのへんのことを考えてやってくれると思っています。

-ご両親にお聞きします。現在の心境は

父靖さん 本当にうれしい限りです。

-おかあさんは

母佳美さん 感動しました。

-この4年間は

靖さん 今思えば、あっという間に大関という地位まで駆け上がってくれた。一時期、足踏みしていたような時期もあったかもしれないけど、私の気持ちの中では早く上に上がってくれて、本当に喜んでいます。

-富山の応援が力になったと本人も言っている

靖さん 本人も言うように地元に錦を飾るのは1つの目標、夢と言っていた。優勝した時点で1つは達成したと思いますが、まだその上の大関、横綱がある。この世界に入ったからには目指してほしいと、周りの人たちも願っていると思うので、これからもそれに向かって精進してほしいと思います。

-今場所は

靖さん 私は考え方が楽観主義者で、いいように考えていたので頑張れば上に上がれると、願いを込めて見守っていたつもり。(喜びは)ひとしおです。

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新大関朝乃山「もうちょっと朝乃山で」一問一答4

朝乃山

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

伝達式後の代表者による一問一答(その4)は以下の通り。

-あらためて(亡くなった恩師の)浦山先生、伊東先生への報告は

朝乃山(以下「朝」) おかげさまで大関に上がれました、と言います。これに満足せず、さらにもう1つ(上に)番付があるので、そこを目指して頑張ります、と言いました。尊敬される、目標とされる大関になりたいです。

-口上は(過去の映像などを見て)参考にしたか

朝 いろいろな方々の口上を見ました。去年だったら大関貴景勝関や、横綱鶴竜関(の映像を参考にした)。

-「大関」と呼ばれて

朝 慣れてませんが、大関と言われるからには看板力士ですし、協会を汚したくないという思いがあります。(両親には親元で育ててくれた)高校生まで、ここまでしっかり育ててくれたので感謝しています。(師匠には)指導してもらい、大関という地位まで上り詰めることができた。親方も、もう少し(今年12月)で定年なので、その後も少しでも期待に応えたい。

-高砂部屋の大関として

朝 伝統ある高砂部屋に入った。その高砂部屋の部屋頭ですし、責任を持って行動したい。

高砂親方 (自分の場合)親方になってみて、高砂部屋のすごさとか、歴史を感じるようになった。それは続いていくもの、継承するもの。次の人にバトンタッチすることが自分の仕事だと思う。

朝 これから新たな歴史を作って行きたい。

高砂親方 私はもう定年だから、朝乃山が強くなるのを、そばで見てますよ。

-太刀山さんに近づけた

朝 小学校の時、少ししか勉強してないけど、プロに入って相撲教習所に通いながら昔の大横綱の勉強もしましたし、少しは太刀山さんに近づいてるなという実感もあります。

-しこ名は

朝 朝乃山の「山」にはいろいろな思いが詰まった、願いがこもった「山」。朝潮という名前は本当に、偉大なしこ名だと思う。(自分が)もらえるしこ名じゃないと思います。変えろ(改名しろ)というなら変えますし(一同笑い)、親方は(報道で)変えさせたくないと聞いたので、もうちょっと朝乃山で(笑い)。

高砂親方 朝乃山というしこ名、英樹という名前は、いろいろなもの(縁)があってつけてもらって今、大関に上がれたわけだから、この名前を大事にして行った方がいいと思います。

-新大関として臨む夏場所に向かって

朝 場所に向けてしっかり体をつくって、番付発表を迎えたい。

-具体的目標は

朝 優勝争いに加われるようにしたい。しっかり右四つを磨きたい。

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境川審判部長代理「より一層右四つに磨きを」朝乃山

朝乃山

大関昇進を果たした朝乃山(26=高砂)について、境川審判部長代理(57=元小結両国)がエディオンアリーナ大阪で代表取材に応じた。

相撲内容に関し「右四つが魅力だ。右四つにこだわって相撲をとっているのがいい。形がある」と話し、「引きつけてかいなを返すとか、そのあたりが課題。より一層右四つに磨きをかけていってほしい」とさらなる精進を期待した。

来場所は、かど番となる23歳の貴景勝と若い2人が大関を張る。「貴景勝はかど番となるが乗り切ってくれるでしょう。朝乃山は上り調子。さらに上を目指してほしい。1年前から世代交代は進んでいる。若いのが出てきているし、活性化になれば」と話した。

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新大関朝乃山「初優勝した時自信できた」一問一答2

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

伝達式後の代表者による一問一答(その2)は以下の通り。

-大関になった

朝乃山(以下「朝」) こんなに早く大関になれるとは思ってませんでした。去年の5月に初優勝した時に自信ができたので(力がついたのは)そこからかなと。

-ご両親への報告は

朝 千秋楽パーティーの時にお会いして…(間を置き一同笑い。言い直して)会って「おめでとう」と言われ握手をしました。いつもと(両親は)変わらずでした。少し笑顔でした。

-自身に続き37年ぶりに今度は師匠として使者を迎えた

高砂親方 この部屋で私も使者を迎えました。5代目の親方(元横綱朝潮)と一緒に会見をしたことを、うっすらと覚えています。同じ所で、大学も後輩ですし良かったんじゃないかな、と思います。

-今日の口上は? 何かアドバイスは

高砂親方 100点満点。一切(アドバイスは)してません。自分も5代目の親方に、そういったことは言われなかったもんですから、同僚だとか、先輩だとかにアドバイスをもらいながら、自分なりに考えて言った覚えがあります。

-入門から師匠を上回る速さでの昇進

-みるみる体が大きくなってきました。よく稽古もしたと思います。優勝した去年の夏場所、今でも覚えてるけど初日、2日目と左の上手を早く取って右を差す相撲が取れた。あっ、今場所はそこそこ勝つなという感覚を持ちました。本人が一生懸命、稽古したたまものだと思います。(優勝して)アメリカ大統領杯というのももらった。本人にとっても大きな自信になったと思います。

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朝乃山、愛と正義「校訓を入れたくて」一問一答1

朝乃山

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

伝達式後の代表者による一問一答「その1」は以下の通り。

-今の気持ちは

朝乃山(以下「朝」) 少しずつ実感がわいてきています。

-口上は

小学校から相撲をやってきて、高校にも大学にも進学し、高校の校訓を入れたくて、愛と正義を分けて言いました。次が中学校から使っている「一生懸命」を入れました。

-「相撲を愛する」と「正義」は富山商業高校の

朝 そうです。ハイッ。

-「一生懸命」という言葉を使い始めたきっかけは

朝 中学校で相撲(部)に途中から入ったんですけど、何事にも一生懸命に取り組むことを決意して決めました。

-口上はいつぐらいから考えたか

朝 昇進が決まったときに使おうかな、という気持ちはありました。「愛」と「正義」は決めてなかったけど、昇進が決まった時に入れようかなと思っていた。

-相談は

朝 後援会の人と話をして決めました。練習すると硬くなるので、あまり練習はしなかった。発言するからには自信を持ってと思っていました。

-富山からは111年ぶりの大関誕生

朝 大横綱の太刀山さん以来なので、少しでも太刀山さんに近づけるように頑張りたい。

-巡り合わせをどう思う

朝 大学を卒業してプロ入りしたからには、テッペンを目指してと決意をしました。こうやって活躍する中でも、富山県の小さい子どもたちの目標にしてもらい、プロになってもらうのも1つの夢です。

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八角理事長「土俵に上がったら鬼になれ」朝乃山

八角理事長

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

八角理事長(元横綱北勝海)の話 朝乃山の相撲っぷりは堂々としている。これからは右四つの型を磨くことと、もっと気迫を前面に出し、土俵に上がったら鬼になるくらいの気持ちで、普段も土俵もすべての生活を相撲にかけてほしい。期待している。

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出羽海理事「今の相撲を磨いて上を目指して」朝乃山

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。その後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。

出羽海理事の話 (伝達式で朝乃山は)緊張していたように見えた。(口上は)しっかり頑張る意欲を感じた。真っ向勝負という意味で今の相撲を磨いて上を目指してほしい。

千田川親方の話 堂々としていた。あまり緊張せず、自分の思いを話していた。同じ一門だし頑張ってもらいたい。もっと上があるので期待している。

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朝乃山、新大関へ口上「正義を全うし一生懸命努力」

朝乃山

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。この後、同協会の出羽海理事(元前頭小城ノ花)と高砂一門に所属する審判部の千田川親方(元小結闘牙)が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われた。使者から昇進決定を言い渡された朝乃山は「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と口上を述べた。

春場所千秋楽の22日、審判部(境川部長代理)の総意として八角理事長(元横綱北勝海)に、朝乃山の大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請。これを了承され、この日の臨時理事会の開催となった。

朝乃山は新三役として小結に昇進した昨年11月の九州場所で11勝、今年1月の初場所で10勝を挙げた。春場所は11勝4敗で、大関昇進の数字的な目安とされる3場所通算33勝に1勝足りなかったが、相撲内容と4場所連続2けた勝利の安定感などが評価された。

新大関誕生は19年夏場所の貴景勝(千賀ノ浦)以来、平成以降では27人目。今から約260年前、江戸時代の宝暦7年の雪見山から数えて通算250人目となった。平成生まれでは照ノ富士、高安、貴景勝に続いて4人目。富山県出身では、明治以降で1902年の梅ケ谷、1909年の太刀山(元横綱)以来、111年ぶり3人目の大関誕生となった。高砂部屋からは02年秋場所の朝青龍以来。学生相撲出身では8人目で、15年導入の三段目100枚目格付け出しでは初めての大関となった。また、3場所での三役通過は、昭和以降8位タイ、年6場所制となった58年以降2位タイの速さとなった。

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新大関朝乃山が誕生!臨時理事会で全会一致承認

高砂親方(左)と朝乃山

日本相撲協会は25日午前、大阪市内で関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進をはかる臨時理事会を開き、全会一致で承認した。

この後、同協会の理事と高砂一門に所属する審判部の代表が使者として大阪市内の高砂部屋に向かい、伝達式が行われる。

春場所千秋楽の22日、審判部(境川部長代理)の総意として八角理事長(元横綱北勝海)に、朝乃山の大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請。これを了承され、この日の臨時理事会の開催となった。

朝乃山は新三役として小結に昇進した昨年11月の九州場所で11勝、今年1月の初場所で10勝を挙げた。春場所は11勝4敗で、大関昇進の数字的な目安とされる3場所通算33勝に1勝足りなかったが、相撲内容と4場所連続2けた勝利の安定感などが評価された。

新大関誕生は19年夏場所の貴景勝(千賀ノ浦)以来、平成以降では27人目。今から約260年前、江戸時代の宝暦7年の雪見山から数えて通算250人目となった。平成生まれでは照ノ富士、高安、貴景勝に続いて4人目。富山県出身では、明治以降で1902年の梅ケ谷、1909年の太刀山(元横綱)以来、111年ぶり3人目の大関誕生となった。

高砂部屋からは02年秋場所の朝青龍以来。学生相撲出身では8人目で、15年導入の三段目100枚目格付け出しでは初めての大関となった。また、3場所での三役通過は、昭和以降8位タイ、年6場所制となった58年以降2位タイの速さとなった。

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貴ノ花「不撓不屈の精神」/大関昇進伝達式主な口上

大関昇進伝達式では決意を込めた口上が披露される。主なものを紹介する。(しこ名は当時)

▽朝潮「大関の名に恥じぬよう、これからも一生懸命頑張ります」(1983年春場所後)

▽貴ノ花「不撓(ふとう)不屈の精神で」(93年初場所後)

▽若ノ花「一意専心の気持ちを忘れず」(93年名古屋場所後)

▽武蔵丸「日本の心を持って」(94年初場所後)

▽朝青龍「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」(2002年名古屋場所後)

▽白鵬「全身全霊をかけて努力」(06年春場所後)

▽琴奨菊「万理一空の境地を求めて」(11年秋場所後)

▽稀勢の里「大関の名を汚さぬよう、精進」(11年九州場所後)

▽鶴竜「お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力」(12年春場所後)

▽豪栄道「大和魂を貫いて」(14年名古屋場所後)

▽貴景勝「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進」(19年春場所後)

▽朝乃山「大関の名に恥じぬよう相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」(20年春場所後)

(共同)

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亡き恩師にスーパースター託され号泣/朝乃山連載2

富山商高3年時に富山県相撲選手権大会で優勝した朝乃山(下段左)。上段中央は故浦山英樹監督

<新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡(2)>

大相撲春場所を11勝4敗で終えた関脇朝乃山(26=高砂)が、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりとなる大関昇進を確実にした。連載「新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡」では、朝乃山の相撲人生を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

2017年1月23日、初場所で幕下優勝を果たし新十両昇進を確実にした朝乃山は、故郷の富山で行われた富山商高相撲部監督の浦山英樹さんの葬儀に参加した。左肘を負傷して相撲を辞めようと思っていた中学時代に「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけてくれた恩師が、初場所中に40歳の若さでがんのため死去。遺族から「富山のスーパースターになりなさい」との遺言書を託され、大粒の涙を流した。

富山商高時代は1日5時間の猛稽古だった。3年間で遊んだ記憶はほぼない。記憶にあるのは毎年恒例の「元旦マラソン」。浦山さんの実家周りを、正月に猛吹雪に耐えて走ったことだ。マラソン後は浦山さんの家で雑煮を食べて初詣に行った。「今でも忘れられない味。あれよりおいしい雑煮を食べたことはない」。野菜や餅、魚のつみれが入った雑煮を食べると「また1年頑張ろう」と猛稽古にも力が入った。

角界入りの背中も押してくれた。12年に近大進学。当初、卒業後は富山に戻ることを考えていたが、近大在学中に浦山さんから「お前は富山に帰ってきても就職するとこはないぞ」と言われた。冗談半分の発言だったが、もう半分は「プロで頑張れ」という激励だった。近大2年時には同大OBで高砂部屋の若松親方(元前頭朝乃若)から勧誘を受けたこともあり角界入りを決意。大学卒業を控えた、16年春場所で初土俵を踏んだ。

16年9月、同年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した富山出身の柔道の田知本遥とレスリングの登坂絵莉が、富山で行った凱旋(がいせん)パレードをテレビで見た。「富山出身で有名な男性アスリートはまだいない。自分が相撲界で頑張って有名な人になりたい」とスイッチが入った。その約4カ月後に恩師が亡くなり、託された「富山のスーパースター」。角界入りして4年。いよいよ今日、太刀山(元横綱)以来111年ぶりの富山出身大関が誕生する。【佐々木隆史】

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朝乃山も「一生懸命」濃厚、師匠と同じ場で同じ口上

一夜明け会見で高砂親方(左)と握手を交わす朝乃山

大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会が、25日に大阪市で行われる。同会議と同理事会で大関昇進が承認されれば、関脇朝乃山(26=高砂)は歴代250代目の大関となり伝達式に臨む。伝達式の口上では4文字熟語を用いる力士が多く、朝乃山が座右の銘にしている言葉は「一生懸命」。春場所千秋楽後には「中学からずっと使っていた言葉がある」と話し、4文字熟語かどうかを問われ「そうです」と答えていただけに「一生懸命」を使う可能性は高い。

師匠の高砂親方(元大関朝潮)も38年前の同じ春場所で大関昇進を決めた。大阪市内の宿舎で行われた伝達式では「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」と口上を述べた。伝達式が行われる予定の朝乃山の宿舎は、師匠が38年前に伝達式に臨んだ時と同じ宿舎。師匠と同じ場所で、同じ口上を述べれば運命的な伝達式になる。

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ハンドボールから転向「朝乃山」誕生秘話/連載1

呉羽小時代の朝乃山(右)

<新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡(1)>

大相撲春場所を11勝4敗で終えた関脇朝乃山(26=高砂)が、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりとなる大関昇進を確実にした。連載「新大関朝乃山 “富山の人間山脈”の軌跡」では、まず幼少時代を振り返る。第1回はひょんなことから始まった相撲人生。

   ◇   ◇   ◇

ひょんな出来事だった。富山・呉羽小に通っていた4年生の朝乃山少年はある日、学校の先生に「握手をしよう」と握手を求められた。担任の先生ではない。名前ももう覚えていない。右手で握手をすると「相撲に向いているね」と女性の声で言われた。数日後、母佳美さんに突然切り出した。「相撲の試合に出るから。お昼から行くから」。混乱する母をよそに、地元で行われた地区大会に出場した。朝乃山の相撲人生が幕を開けた。

94年3月1日。3678グラムの健康体で産声を上げた。性格は明るく、幼少期は保育園に行くのが何よりの楽しみだった。友達とよく遊ぶ、ごく普通の少年。小学1年で始めたスイミングは長続きしなかったが、ハンドボールの少年団に入ると、キーパーで県の強化選手に選ばれた。だからこそ両親からも、相撲を始めた時は遊び半分だと思われた。

呉羽中に進学しハンドボール部に入部した直後の5月ごろ、夜8時になっても練習から帰って来なかった。心配している両親の元に、担任の先生から電話があった。「実を言うと石橋君はハンドボールを辞めて相撲部に行こうと思っているらしく、今見学に行ってます。心配しないで待ってて下さい」。見学が終わり、退部届と入部届を手に帰宅。「相撲部に入るから、ハンコを押して下さい」と母佳美さんにお願いした。

なぜ相撲をやりたいのか、理由は両親に言わなかった。だが両親も「やめないということは、やりたいということでしょ」と息子の気持ちを察する。呉羽小時代は、富山出身の横綱・太刀山の遺族が寄付した「太刀山道場」で稽古に励んだ。朝乃山本人も「道場がなかったら相撲をやってなかった」と感慨深く当時を振り返る。さまざまな巡り合わせがあったからこそ、今の朝乃山がいる。【佐々木隆史】

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白鵬「私の後継者かも」大関朝乃山に期待/一問一答

白鵬(2020年3月22日撮影)

大相撲春場所で44回目の優勝を飾った横綱白鵬(35=宮城野)が千秋楽から一夜明けた23日、代表取材に応じた。

-優勝から一夜明けての心境は

白鵬 長いような早いような15日間だったような気がします。今はゆっくりしたいなという気持ちです。

-達成感はない?

白鵬 ありますよ。昨日携帯を見たらお祝いのメールや電話がいっぱい来ていましたし、優勝したんだなと感じることができました。昨日は表彰式もありましたけど喜んではいけないムードでもありました。でも色々とお祝いの連絡をいただいて、やっぱり嬉しいなと思うことができました。

-今までとは違う優勝の味?

白鵬 すべてそれぞれの優勝の味は違いますけど、今回の優勝は特別ですね。

-苦しい場所をどうやって乗り越えた?

白鵬 最初は場所があるのかないのかというのもありました。でも決まったからには、やる!という気持ちで、千秋楽まで取り切らなければならないという責任も感じましたし、そういう気持ちが負けた翌日の相撲にも出たんだと思います。

-協会挨拶もいつもとは違う形でしたが

白鵬 実はあの時、涙を流してしまいました。

-確かに理事長が「全力士、全協会員を誇りに思う」と言ったあとに下を向いて目を拭っていました

白鵬 はい。理事長の挨拶の途中で胸にグッとくるものがありました。理事長がお相撲さん側に立って言葉を発してくれているような気がして。そこにこの異例の場所の初日のことを胸の中で振り返ってみたらグッときましたね。

-コロナ感染者が1人でも出たら途中で打ち切り。その緊張感は?

白鵬 それが一番怖かったですね。目に見えないもの。いつそれがやってくるのか。そういう意味で今はホッとしています。場所が終わって1日たった今日も同じことを思ってしまいますね。

-朝乃山関が大関に上がります

白鵬 昨日NHKのサンデースポーツで一緒になったので少し話したんですよ。「おめでとう。これからが大変だぞ」と。少しプレッシャーをかけておきました(笑)そしたら「はい、頑張ります!」と言っていましたね。

-朝乃山関のいいところは

白鵬 右四つの型がありますからね。大関としては長くやっていく力があると思います。そこから先になると、あとは精神的なものになると思います。これからはそれが難しい。今場所私が朝乃山関に勝った要因は、精神力と経験で上回ったからだと思います。

-コロナ問題で伝達式は報道陣も代表取材となり無数のフラッシュの点滅もない

白鵬 昨日もいろんな人に異例な場所ではいつも横綱が締めてくれる、と言ってもらいましたが、そういう意味でもこういった場所で朝乃山関が大関に上がったということは何かの運命なんだと思います。私の後継者となって相撲界を引っ張っていってくれる存在なのかもしれません。

-4月は巡業がないがどう過ごす

白鵬 今はゆっくり休みたいですね。

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高砂親方、朝乃山へ「負けることがニュースになる」

一夜明け会見で高砂親方(左)と握手を交わす朝乃山

大相撲春場所を11勝4敗で終え、大関昇進を確実にした関脇朝乃山(26=高砂)が千秋楽から一夜明けた23日、大阪市の高砂部屋で会見に臨んだ。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響により代表取材となったが、理想の大関像に「真っ向勝負」を掲げた。大関昇進となれば、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりの快挙となる。

   ◇   ◇   ◇

師匠の高砂親方(元大関朝潮)の隣に座った朝乃山は、引き締まった表情で大関像を語った。「いつもと変わらず真っ向勝負の相撲を取っていきたい」。史上初の無観客開催となった春場所で、昇進目安の「三役で3場所33勝」にあと1勝届かず。しかし、誰が相手でも真っ向勝負する姿勢、188センチ、177キロの体を生かした正攻法の右四つが評価された。高砂親方からは「これからは負けることがニュースになる。地位の重さを感じると思う。関脇でも感じるが、その比ではない。そういうことを少しずつ勉強していくことだな」と激励された。

25日に日本相撲協会が開く夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)番付編成会議と臨時理事会で正式に大関昇進が決定する。富山出身では太刀山以来111年ぶりの快挙。富山・呉羽小時代に、その太刀山の遺族が同小学校に寄付した「太刀山道場」で相撲を始めたのが相撲人生の原点。「少しは太刀山さんに近づける1歩を踏み出したという感じ」と照れ笑いした。

横綱戦2連敗を喫した春場所。「まだまだ課題はたくさん。横綱に勝てるようにならないと上の番付は目指せない」。大関昇進にとどまることなく、さらにその上も見据えた。【佐々木隆史】

◆第22代横綱太刀山 富山県出身で1900年(明33)5月場所でデビュー。横綱時代は威力抜群の突きや呼び戻しを武器に56連勝を達成。立ち合いから2発以内に土俵外へ持っていく猛烈な突っ張りは「四十五日」(1突き半=1月半)と評された。幕内勝率は8割7分8厘を誇る。1場所10日制だった当時、優勝9度のうち5度が全勝。

代表取材となった一夜明け会見で記者の質問に答える朝乃山(右)と高砂親方

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