上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

北勝富士あと横綱2人 金星獲得10傑入り/新番付

北勝富士(2020年1月14日撮影)

日本相撲協会は8月31日、開催を目指す大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、開催の可否や開催形態は理事会で決定する見込み。

現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

既に横綱白鵬(35=宮城野)が1170勝で歴代トップに君臨。どこまで伸ばせるか注目だ。ちなみに現役2位は琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の825勝。歴代10位の寺尾(元関脇=現錣山親方)まで35勝だ。

【幕内在位場所数】

今場所で白鵬が歴代5位の96場所。11月場所在位で高見山(元関脇=元東関親方)、安美錦(元関脇=現安治川親方)に並ぶ同3位に浮上する。琴奨菊は安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ同7位タイの91場所。現役3位は横綱鶴竜(34=陸奥)の81場所。ちなみに歴代1位は元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所。

【幕内出場回数】

琴奨菊が歴代6位の1321回、白鵬が同8位の1265回。現役3位は鶴竜の1027回。なお歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1076勝で、2位の魁皇に197勝もの差をつけ歴代トップ。歴代6位に琴奨菊(716勝)が名を連ねる。同5位の元横綱大鵬までは、あと30勝で届く。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」の歴代9位に1271回の玉鷲(35=片男波)が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ17年の「皆勤賞」だ。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑入りは不在だが、今場所チャンスがあるとすれば現在7個の北勝富士(28=八角)。横綱2人を倒せば通算9個で10位タイに滑り込む。東前頭2枚目まで番付を上げ、上位総当たりは確実だが果たして…。

なお8個で現役トップの逸ノ城(27=湊)は再入幕だが、上位とは当たらない幕尻の東前頭17枚目。ただ「幕尻の17枚目」といえば、今年1月の春場所で西の徳勝龍が、7月場所では東の照ノ富士が、アッと驚く幕尻優勝を果たしている。両者とも、両横綱が途中休場したため横綱戦はなかったが、大関戦は組まれた。もし逸ノ城が快進撃の末、優勝争いに加わり横綱対戦が実現すれば…。1つでも勝てば歴代10傑入りする。なお7個で追う遠藤は、返り三役のため金星のチャンスはない。

関連するニュースを読む

礼儀欠かさなかった曙親方/記者が振り返るあの瞬間

曙太郎K−1入り会見 K−1参戦を表明し会見する曙親方(右)と谷川貞治プロデューサー=東京・帝国ホテル(2003年11月6日)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(32)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

ところが話はまだ続く。

1週間後の11月6日の朝、日刊スポーツ1面に「曙親方 K-1参戦へ」の文字が躍った。スクープだった。部屋に行くと東関親方は明らかに落胆していて、退職の申し出は受けていたものの「気がついたら部屋に荷物がなかった。こういう言葉は使いたくないけど、裏切られた」と恨み節が出た。

稽古場で諭してくれた、あの「日本人の心」は一体どこに…。当時は自分もだいぶ混乱したものだった。

ただ、実際にK-1やプロレスに転向した曙はその後も部屋を訪れて師匠と肩を並べている。先日は闘病中の体を押して、東関親方として急逝した元幕内潮丸の葬儀に訪れた。非礼のままであれば、そうはいかないのがこの世界。礼儀を欠かさなかったからこそだと、曙の姿を見るたび、そう感じている。【今村健人】

福岡市の福岡国際センターで行われた前夜祭の支度部屋で、曙親方のKー1参戦を伝える本紙に目を通す小結高見盛(2003年11月6日撮影)

関連するニュースを読む

振分親方の「東関」継承承認「力士の気持ち考えて」

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、元小結高見盛の振分親方の年寄「東関」の継承と襲名、東関部屋の継承を承認した。両国国技館で行われた師匠会に参加した東関親方は「今も正直、いろいろと落ち着かなくてドキドキしている。できることを精いっぱいやりたい」と心境を明かした。

元前頭潮丸の先代師匠は、昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきも浮上。しかし周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先した。東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたってないこともあり、部屋関係者が存続の道を探っていた中で、春場所前に一段落する形となった。

師匠としての心構えを聞かれた東関親方は「まずは力士たち。親方として相撲を教えるだけではなくて、仮に相撲がダメになっても、第2の人生を考えてあげたい」と責任感を口にした。慎重な性格もあって、報道陣の前でしどろもどろになることも多かったが「先代のいいところを取り入れて、力士の気持ちを考えてやりたい」と堂々と話した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名加藤精彦。現役当時のしこ名は高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。取組前に自らの顔や胸を激しくたたくしぐさから、愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名。20年1月に年寄「東関」を継承・襲名。

関連するニュースを読む

師匠不在の東関部屋「決まった」発表は初場所後

2019年12月、東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

高砂一門は20日、都内で一門会を開き、初場所後に開催される日本相撲協会の役員候補選挙で現職理事の八角親方(元横綱北勝海)を擁立することを決めた。副理事候補には若松親方(元前頭朝乃若)を立てる。

昨年12月の前東関親方(元前頭潮丸)の死去により、師匠が不在となっている東関部屋について錦戸親方(元関脇水戸泉)は「どうなるか決まった。(発表は)場所後になる」と話した。現在東関部屋の力士らは、八角部屋の一時預かりとなっている。

関連するニュースを読む

師匠急逝の東関部屋の力士、八角部屋が一時預かりへ

大相撲の年寄総会に臨む八角理事長(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は23日、都内で理事会を開き、東関親方(元前頭潮丸)の急逝で師匠不在となった、東関部屋所属の力士らを同じ高砂一門の八角部屋の一時預かりにすると発表した。

東関部屋には部屋付き親方として振分親方(元小結高見盛)がいるが、同部屋の継承者は審議中。芝田山広報部長は「どれぐらいの期間かは不明だが、一門の長である八角部屋預かりになった。何か問題があれば八角親方(元横綱北勝海)が責任を取る」と説明。東関部屋の力士らは、これまで通りに東京・葛飾区の部屋で稽古や生活を送る。また、協会のコンプライアンス委員会から「師匠に対する指導のあり方についての特別研修の実施」など、5つの暴力問題再発防止強化策を提言されたことも発表した。

元潮丸の東関親方の通夜に参列した八角理事長(2019年12月18日撮影)

関連するニュースを読む

東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

東関親方通夜、元高見山も参列「これからだった」

元潮丸の東関親方の通夜に参列した先代東関親方(撮影・河田真司)

血管肉腫で13日に41歳で亡くなった元前頭潮丸の東関親方の通夜が18日、東京・葛飾区の部屋で高砂一門葬として営まれた。葬儀委員長を務めた相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら多くの親方衆、大関豪栄道、高安をはじめ現役力士ら約550人が参列した。

遺影は昨年2月、部屋開きの際の笑顔のものだった。八角理事長は「最後の1年間は闘病生活で、家族のため、力士のため復帰するという強い気持ちで頑張っていたところ残念でなりません。笑顔が絶えず、みんなに慕われていました」などとコメント。

参列した師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんも「まだ若い。これからだった。もう少しいてほしかった」と悲しそうに話した。

元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の祭壇には、18年2月に行われた落成パーティー時に撮影された笑顔の写真が遺影として飾られていた(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

東関親方の葬儀日程決まる 高砂一門葬として実施

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

日本相撲協会は16日、13日に41歳で死去した元幕内潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の葬儀を「高砂一門葬」として実施すると発表した。

通夜は18日午後6時、告別式は19日正午から、それぞれ東関部屋(東京都葛飾区柴又2の10の13)にて。喪主は妻の佐野真充(さの・まみ)さん、葬儀委員長は日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が務める。

関連するニュースを読む

隠岐の海「出稽古で胸出してもらった」東関親方悼む

断髪式で師匠の渡辺大五郎氏(先代東関親方)に止めばさみをしてもらう東関親方(10年1月撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名・佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、東京・葛飾区の部屋で血管肉腫のため死去した。14日に日本相撲協会が発表。41歳だった。東関親方は体調不良のため、昨年の九州場所から休場していた。

東関親方の死去は巡業参加者にも伝わり、多くの力士が悲しんだ。同じ高砂一門の隠岐の海は、新十両だった09年春場所で1度対戦したことがあり、そのときは敗戦。「若いときは出稽古で胸を出してもらったり、食事も何度か。かわいがってもらったので悲しい」と沈痛な思いを語った。同門の小結朝乃山、北勝富士もそれぞれ「びっくり。すごく残念」「何度かお見舞いに行ったことがある。悲しいです」と話した。

関連するニュースを読む

振分親方「感謝の気持ちしか」死去した東関親方へ

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

関連するニュースを読む

41歳で死去した東関親方 死因の血管肉腫とは…

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名佐野元泰=さの・もとやす)が13日に死去した。41歳だった。体調不良のため昨年の九州場所から休場していた。日本相撲協会によると13日午後9時52分、東京都葛飾区柴又の東関部屋で亡くなった。病名は「血管肉腫」。

◆血管肉腫とは 血管の内皮細胞から発生する、珍しいがんの一種。悪性度が高く、転移もしやすい。外傷を契機に生じるとも言われる。頭皮や首にできることが多いが、胴体や手足に発生することもある。

関連するニュースを読む

元富士桜の中沢栄男氏「早すぎる」東関親方悼む

元関脇富士桜の中沢栄男氏(71)が14日、元前頭潮丸の東関親方の死去を悼んだ。13日は連絡を受けて、東京・葛飾区の東関部屋に駆けつけたという。「41歳はあまりにも早すぎる。子供もまだ小さいし、これからという時だったのに」と声を落とした。

中沢氏は12年12月に中村部屋を閉鎖して転属し、13年2月の65歳定年までは東関部屋付き親方となった。元関脇高見山、元横綱曙と部屋の師範代でもあり、東関親方の入院中は稽古や合宿で指導することもあった。中村部屋から転属した力士3人と床山1人が、今も現役を続けている。「余計な口を出す身ではないが、できる限りの協力はしたい」と話した。

関連するニュースを読む

元前頭潮丸の東関親方が血管肉腫で死去 41歳

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名・佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、東京・葛飾区の部屋で血管肉腫のため死去した。14日に日本相撲協会が発表。41歳だった。東関親方は体調不良のため、昨年の九州場所から休場していた。通夜、告別式などの日程は未定。

この日、部屋で取材に応じた、おかみさんで妻の真充さん(40)によると、7日から入院していた東関親方は10日に容体が悪化。かねて「力士たちと会いたい」と話していた親方の意向をくんで、12日に入院先の病院から部屋に戻した。宮崎・延岡市で合宿を行っていた部屋の力士も急きょ帰京。部屋に戻った東関親方は、穏やかな表情で弟子1人1人の手を握ってコミュニケーションを取ったという。真充さんは「みんな見送ることができた。それだけは救い」と話した。

現役時代は先代東関親方(元関脇高見山)の弟子として、176センチと小柄な体格ながら押し相撲で活躍した。94年春場所の初土俵から02年初場所で新十両、同年秋場所で新入幕。最高位は西前頭10枚目だった。09年5月の夏場所限りで現役を引退して、同年6月に年寄「東関」を襲名。昨年2月には部屋を東京・墨田区から葛飾区に移転し、部屋開きを行った。がん発覚後、この1年間は化学療法を主に闘病生活を送っていたが、関取輩出の夢はかなわなかった。

弟弟子で部屋付きの振分親方(元小結高見盛)は「現役の頃からあんな強い人が、お酒を豪快に飲む人が何で急に体調が悪くなったんだと。あんなことになるなんて、信じられない」と、早すぎる別れにショックを隠さなかった。師匠を失った部屋の扱いは今後話し合われる。

断髪式で朝青龍にはさみを入れてもらう元前頭潮丸(東関親方)(2010年1月31日撮影)

関連するニュースを読む

白鵬が日本人国籍取得 天国父も「わが道を行け」と

報道陣に笑顔で日本国籍取得の報告をする白鵬(撮影・河田真司)

大相撲史上最多の優勝42度を誇る横綱白鵬(34=宮城野)の日本国籍取得が3日、官報で告示された。年寄名跡襲名には日本国籍が必要で、引退後「親方」として日本相撲協会に残る資格を得た。故郷モンゴルに日本と「2つの国が背中にのしかかる」と決意を口にし、秋場所(8日初日、両国国技館)では“日本人初優勝”に挑む。

   ◇   ◇   ◇

白鵬に節目が訪れた。6月にモンゴルからの国籍離脱を承認され、この日、日本国籍取得が完了した。都内の宮城野部屋で朝稽古を終えると「白鵬翔(はくほう・しょう)という名前で日本国籍を取得できました。今までモンゴルが背中にあったが、2つの国が背中にのしかかってくる感じです」と決意を語った。

「15歳で(日本に)来た時はやせっぽちで全く特別(な力士)ではなかったけど、稽古に稽古を重ねて強くなれました。18年間、相撲一筋でやってきたことが、今日につながった」と感慨深げだ。故郷モンゴルへの思いも変わらない。「人間が変わるわけでない。自分の(生まれた)国を愛せるから、日本を愛せる。両親、兄弟を愛せるから、この国(日本)の人を愛せると思います」-。

引退後、日本相撲協会に親方として残り、後進を育成したい思いで、国籍変更を「2、3年前から」(白鵬)周囲に相談してきた。決断に当たっては、昨年4月に他界した父ムンフバトさんの言葉が大きかった。モンゴル勢初となる五輪メダルを68年メキシコ大会(レスリング銀メダル)で獲得した“英雄”が、世界を見てきた立場で「わが道を行け」と言ってくれた。

スカウトしてきた石浦、炎鵬が関取として成長しており、その慧眼(けいがん)は証明済みだ。「今までは自分が相撲を取ることで精いっぱいだったけど(引退後は)強いお相撲さんを育てて、協会やファンの皆様に恩返しをしたい」と話した。

協会は現役で著しい功績を残した力士に対し、引退後に現役名で親方となる「一代年寄」を認めるケースがあり、大鵬や北の湖、貴乃花がいる(千代の富士は辞退)。白鵬も実績は申し分ないものの、まだまだ現役だ。「最近けがが多いから、けがのないように頑張りたい」。秋場所は、日本人・白鵬翔として“初優勝”を狙っていく。

◆外国出身力士の日本国籍取得 横綱では米国出身の曙、武蔵丸(現武蔵川親方)に次いで3人目。モンゴル出身では同国勢初の師匠となった友綱親方(元関脇旭天鵬)や錦島親方(元関脇朝赤龍)元小結時天空(元間垣親方)ら。その他に米国出身の元関脇高見山(元東関親方)ら。

◆白鵬翔(はくほう・しょう)3日から本名同じ。2日まではムンフバト・ダバジャルガル。1985年(昭60)3月11日、モンゴル・ウランバートル生まれ。00年10月に来日し、01年春場所初土俵。04年初場所新十両。同年夏場所、昭和以降4番目に若い19歳1カ月で新入幕。大関に昇進した06年夏場所で初優勝。07年名古屋場所で第69代横綱に昇進。優勝42回など、さまざまな史上1位の記録を持つ。殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回。金星1個。昨春亡くなった父ムンフバトさんは、68年メキシコ五輪レスリング銀メダリストでモンゴル相撲の横綱。得意は右四つ、寄り。家族は紗代子夫人と1男3女。192センチ、158キロ。

◆年寄の襲名条件 1976年(昭51)9月の理事会で襲名資格に「日本国籍を有する者」が追加された。その上で、襲名して新たに部屋を興すには現役時代の実績で<1>横綱、大関経験者<2>三役(関脇、小結)通算25場所以上<3>幕内通算60場所以上、の条件を満たす必要がある。既存の部屋の継承なら<1>幕内通算在位12場所以上<2>十両以上の通算在位20場所以上、となる。また、部屋付きの親方になるだけなら<1>小結以上<2>幕内通算在位20場所以上<3>十両以上の通算在位30場所、を満たせば可能(<3>については28場所でも願書の提出で可能となる)。これとは別に顕著な功績を残した横綱に贈られる、一代限りで襲名できる「一代年寄」がある。

笑顔で日本国籍取得の報告をする白鵬(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

親方ら9人で組織 暴力根絶へコンプラ委員会設置 

報道陣の質問に答える八角理事長(撮影・鈴木正人)

日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、相撲界の暴力根絶へ、コンプライアンス委員会の19日付での施行を決めた。

協会の暴力禁止規定によると、暴力の定義は「身体に対し不当な有形力(物理的な攻撃)を加えることをいう」と記されている。一方で「稽古・取組における正当業務行為と認められるものは、暴力に当たらない」とも記述。稽古中、稽古以外を問わず、道具を用いての暴力、多数が共同しての暴力などを禁止行為として挙げている。

また、5つの一門でそれぞれ、コンプライアンス担当年寄を1人ずつ設けた。内部の通報窓口を増やすことで、相談しやすい環境をつくるという。

委員会の以下の9人で組織される。

委員長 青沼隆之(前名古屋高等検察庁検事長、弁護士)

委員 安倍嘉人(元東京高等裁判所長官、弁護士)

〃  神津カンナ(作家・エッセイスト)

部長 鏡山親方(元関脇多賀竜、危機管理部長)

〈一門の委員〉

出羽海一門 出来山親方(元関脇出羽の花)

二所ノ関一門 西岩親方(元関脇若の里)

時津風一門 勝ノ浦親方(元前頭起利錦)

高砂一門 東関親方(元前頭潮丸)

伊勢ケ浜一門 大島親方(元関脇魁輝)

協会から発表された力士の暴力に対する処分基準(撮影・鈴木正人)

関連するニュースを読む

東関部屋が部屋開き 弟子への愛詰まった快適間取り

大きな看板の前で記念撮影する東関親方(右)と真充夫人(撮影・小沢裕)

 大相撲の東関部屋が18日、初場所後に東京・墨田区から移転した葛飾区で部屋開きを行った。150坪の敷地に新設した2階建ての建物は、1階に稽古場、風呂場、ちゃんこ場、大広間があり、東関親方(元前頭潮丸)は「力士の生活が1階だけで全部できるように。ケガした力士でも2階に上がることなくね」と弟子への愛情が詰まった部屋にしたことを明かした。

 2階には真充(まみ)夫人と、1月31日に生まれた長女ひかりちゃんと過ごすための“愛の巣”とは別に、関取用の個室を2部屋用意。現在10人の力士は全員が幕下以下で、関取不在。「まずは関取を出すこと」と意気込んだ。同じ高砂一門の八角親方(元横綱北勝海)、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏らも門出を祝った。

関連するニュースを読む

東関部屋が部屋開き「まず最初に関取を出すこと」

部屋開きに参列した先代東関親方(撮影・小沢裕)

 大相撲の東関部屋が18日、1月の初場所後に東京・墨田区から葛飾区に移転したのを機に、新しい部屋で部屋開きを行った。同じ高砂一門の八角親方(元横綱北勝海)、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏らが出席。平幕の北勝富士、千代大龍ら同門の関取衆も参加し、稽古も行われた。東関親方(元前頭潮丸)は「こういう形でいろいろな方にも来てもらってうれしいです」と笑顔を見せた。

 弟子思いの新しい部屋が完成した。150坪の広大な敷地に2階建ての建物で1階に稽古場、風呂場、ちゃんこ場、大広間を作った。東関親方のこだわりで「力士の生活が1階だけで全部できるように。3階建てとかも考えたけど、ケガした力士でも2階に上がることなくね」と弟子への配慮があった。

 2階の半分は妻真充(まみ)さんと、1月31日に生まれたばかりの長女ひかりちゃんと過ごすための“愛の巣”にした。もう半分には20畳程の部屋と、関取用に2つの個室を用意。しかし、現在部屋には関取が不在で「まず最初にすることは関取を出すこと」と意気込みを語った。

 最寄りの柴又駅には、外国からの観光客も多い柴又帝釈天がある。東関部屋と言えば、ハワイ出身の元関脇高見山、元横綱曙が所属していたことから「うちの部屋はそういう色があるからね。外国の方にも稽古場に来てもらって、帝釈天にも足を運んでもらえれば」と地域活性化を願った。

部屋開きを行い大きな看板の前で記念撮影する東関親方(右)と真充夫人(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

高山勝成、元小結高見盛のギャップに驚く「勝負師」

元小結高見盛の振分親方(左)と一緒にチャンピオンベルトを持つ高山勝成(撮影・松本航)

 プロボクシングのWBO世界ミニマム級王者高山勝成(33=仲里)が3日、大相撲春場所に向け大阪市内に拠点を置く東関部屋で朝稽古を見学した。

 後援者の仲介で実現。東関親方(38=元前頭潮丸)や振分親方(40=元小結高見盛)らと交流した。

 高山は約1時間半にわたり、稽古を熱心に見つめた。「初めて相撲を生で見ましたが、グッとくるものがある。『(疲れて)頭が回らなくなってからのもう一押し』という師匠(東関親方)の言葉に、その通りだと思った。ボクシングの試合にも共通する」。

 土俵とリングと闘う舞台こそ違うものの、1対1で競う他競技から刺激を受けた様子だ。

 稽古終了後には鴨鍋などちゃんこもほおばった。初対面だった振分親方は「(高山は)オーラを感じますし、腰が低くて礼儀が正しい人。真剣に稽古を見ていただいた。他競技の人と触れ合って、いいところを取り入れられたら、相撲界全体も盛り上がると思う」と笑顔。

 高山は振分親方の稽古中と、その後のギャップに驚き「土俵の上では険しかったけれど、終われば優しいお兄さん。勝負師という感じ。テレビの画面で見ていた雰囲気と変わっていませんでした」と振り返った。

ちゃんこを食べて笑顔の右から元前頭潮丸の東関親方、高山勝成、元小結高見盛の振分親方(撮影・松本航)

関連するニュースを読む

曙晴れやか引退会見「若貴いたから横綱に」/復刻

2001年1月23日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2001年1月23日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月23日付紙面を振り返ります。2001年のこの日は、外国出身初の横綱、曙の現役引退を報じています。

 ◇ ◇ ◇

 横綱曙(31=東関)が22日、現役を引退した。この日、師匠の東関親方(56=元関脇高見山)を伴い、日本相撲協会に引退届を提出。持ち回り理事会で「年寄・曙」襲名が承認された。その後の会見で両ひざの痛みが限界に達し、治療して再起する気力が尽きたと説明した。外国出身初の横綱で横綱貴乃花(28=二子山)の最大のライバルとして13年間、土俵を沸かせた。将来的に年寄名跡取得を目指し、後進の指導に意欲を示した。

 涙も尽きていた。昨年九州場所後2カ月、悩み苦しんだ日々を終え、曙はむしろスッキリした表情で会見の席についた。「毎日、毎日悩んだ。でも前は我慢できる痛みだったが、今は相撲を取らなくても痛い。また2、3場所休んで山を登り切れるか考えると、その気力がなかった」。師匠に決意を伝えに行ったのが、初場所12日目の18日。「もう少し頑張ってほしかった」という東関親方は、寂しそうに目を潤ませていた。

 激痛が消えない両ひざは、限界だった。特に右は眠れないときもあるほど痛んだ。「12月に痛くなったんじゃなく、ずーっと痛くて我慢してたんです」。94年に両ひざを手術して以降、土俵生活は痛みとの闘いだった。昨年は痛み止めを打ち、7年ぶりの年6場所皆勤を果たし、2度の優勝を飾った。だが、奇跡的な復活を遂げた頑張りは、致命的なダメージを与えた。

 外国出身初の横綱ばかり注目されたが、大きな功績を残した名横綱だった。在位48場所は歴代4位。在位中の勝ち星も歴代5位の432勝を数える。「8勝7敗でよければ、まだまだいけるが、横綱は勝たなければならない」。綱の重みも熟知していた。

 93年1月に横綱昇進した時、先輩横綱は不在。土俵入りの所作、意味など、「横綱とは」を教えてくれたのが、先代木村庄之助だった。初めて2人を引き合わせた関係者は、先代木村庄之助の話を曙が理解できるか疑ったという。だが、曙は2時間正座して、話に聞き入った。「横綱は若い者を育てるのも役目」という教えを実践。土俵上だけではなく、けいこ場でも横綱を立派に務めた。

 その指導力は、引退後も生きる。部屋付きの曙親方で再スタートするが、将来的には年寄名跡を取得したい意向も明かした。「これからのことは師匠と相談するが、部屋の(十両)高見盛にも強くなってほしいし、できる限りのことを教えたい」。203センチの史上最長身横綱は今後、最長身親方として、大相撲の発展に貢献していく。

 <一問一答> 

 -いつ引退を決意したのか

 曙 休場中の初場所12日目に、親方と相談して決めました。

 -引退の理由は

 曙 初場所前から両ひざの調子が悪くなった。これまでは我慢できたが、今は相撲を取らなくても、普通の生活をしていても痛い。休場して、再び山を登り切る気力がなくなった。確かに8勝7敗でいいならまだできる。でも横綱には、勝ち続ける責任があります。

 -悔いはないのか

 曙 考えて悩んで決めたので、悔いはないです。

 -一番の思い出は

 曙 横綱になれたこと。終わってみれば、雲の上を歩いていたみたい。本当に楽しかったです。

 -印象に残る場所は

 曙 やはり初優勝。あとは昨年の2回の復活優勝。もう2度と優勝できないと思っていた。子供と写真を撮れて本当に幸せでした。

 -つらかったことは

 曙 入門したころは、順調すぎて壁はなかった。やはり、横綱になってからの、ケガとの闘いが一番つらかったです。

 -同期の貴乃花、元若乃花について

 曙 貴乃花関と序ノ口で初めて対戦した一番は、今でも心に残っている。なんとなく、この世界で生きていくのだと思った。貴乃花関、元若乃花関がいなかったら、横綱に上がっていなかった。2人を追いかけて、負けたくないとの気持ちが生まれた。本当にありがとうございました。

 -今後は

 曙 部屋の高見盛にも、強くなってほしい。次の力士を育てるために、できる限り教えていきたい。

 ◇東関親方涙「立派です」

 曙の育ての親、東関親方は目を潤ませながら、引退会見に同席した。引退については初場所12日目の夜、話し合った。親方は「もう1度頑張ってみろ」と慰留したが、曙から返事はなかったという。「2人きりの部屋で、黙ったまま長い間見詰め合った。ああ終わりだなと思った」。

 外国出身力士の先輩だが、親方としては文字通り曙とともに歩んできた。1986年2月、東関部屋を独立創設した2年後に曙が入門。以来、曙の成長とともに、部屋も成長してきた。その大黒柱の突然ともいえる引退に、さすがにショックは隠せなかった。「2年前の引退ピンチの時も励まして、再起させた。今度も昨年は2度も優勝しているし、励ませば大丈夫と思っていた。でも、ひざの状態は限界を超えていた」と認めるしかなかった。

 引退を惜しんだ親方だが最後は「入門した時、まさか横綱になるとは夢にも思わなかった。大相撲をよく理解し、立派です。部屋の若い人を育ててもらいたいし、最高位までいった人だから協会に残ってもらいたい」と「曙親方」に期待していた。

 ◆精進のたまもの

 時津風理事長は「言葉や生活習慣の違うところに飛び込み、精進して横綱に上り詰めたのは立派」とねぎらった上で「この世界では、引退はいつも背中合わせ。曙は新しい世紀の場所で、貴乃花のあのような土俵を見届けて、心安らかになれたでしょう」と心情を思いやった。2横綱時代となるが「武蔵丸はまだ元気。貴乃花も復活。5大関もこのままではない。若い力も台頭して、これからいい展開になると思う」と安泰ぶりを強調していた。

 ★一力一夫横綱審議委員会前委員長 異文化の日本で横綱まで昇進した。日本で生まれた人以上の苦痛を乗り越えた努力を認めたい。

 ◇大関陣を鍛えて

 「礼儀正しさに感激しました」。横綱審議委員会に出席した脚本家の内館牧子さん(52)は曙をそうたたえた。同委員会の会議前に曙から引退あいさつされた。「帰り際もドアの前できちんとお辞儀をし、いつも曙の悪口を言っているわたしが恥ずかしくなるほど」と内館さん。「大関で1番が10勝では情けない。曙が抜けて、もっと危機感を持たなければ。曙には親方になり、彼らの気持ちに火をつける役をやってもらいたい」と残った上位陣に厳しい注文を出していた。

 ◆悲しいけど幸せ 

 「悲しいけど、彼(曙)にとってはハッピーな時を迎えたわ」。引退の知らせを米ハワイ州オアフ島ワイマナロの実家で聞いた曙の母ジャニス・ローウェンさん(55)は21日(日本時間22日)、電話でのインタビューに淡々と答えた。「ひざがまた悪くなった。引退したい」と息子から電話があったのは1、2週間前という。一家は冷静に受け止め「これで彼ももっと家に帰ってこられるし、トレーニングを一生懸命する必要もない」と思いやった。しかし、今後については「何をするかはまだ聞いていない」とちょっぴり心配そうだった。玄関には、化粧まわしをした曙の写真が飾られている。

 ◇周辺住民「残念」 

東京・羽村市にある曙の自宅周辺の住民は、ショックを隠し切れない様子だった。1軒隣に住むナンヌワニーさん(45=インド)は「奥さんとは友だちで、曙さんはたまに会うと、先にあいさつしてきた。優しい人で、まだまだ現役で頑張ってほしかったけど、残念ね」。リサ・メルコンさん(35=米国)は「本当に引退するの? せっかく相撲が好きになったのに、これからだれを応援すればいいの?」と惜しんでいた。

 ◆世界に続々打電 

 曙の引退は、世界に打電された。ロイター通信は「DAWN(夜明け)を意味するアケボノは、コニシキ以上の品格を備えていたため、タブーとされた外国生まれのグランドチャンピオン(横綱)になれた。スポーツに秀でるだけでなく、ウルトラ閉鎖的な相撲の世界にも適応したキャリアを終えた」と報じた。AP通信は「ハワイ生まれで、相撲の最初の外国生まれの横綱が引退した。横綱昇進時には多くの日本人から、横綱は日本人じゃなきゃ、と反対された。多くの逆風も無言でしのいだが、ついに輝かしいキャリアに幕を下ろした」と紹介した。

 ◇漫画家・やくみつるさん「一瞬の輝き」見事 

 年間最多勝を挙げた翌年に1度も相撲を取ることなく引退-唐突にも映るが、裏を返せば、昨年の活躍こそ、ロウソクが燃え尽きる前の一瞬の輝きだったのだろうか。むしろ一昨年に引退していてもおかしくなかっただけに、アッパレな1年だった。全盛期は、貴乃花に先んじて横綱に昇進し、3連覇も果たした93年(平5)あたりか。しかし、その後の若貴の台頭でだいぶ印象を薄められたのは気の毒。投げや引き技にゆっくり崩れていく様の方が記憶に残るハメになってしまった。取組、成績両面で「準A級横綱」の称号をあげられるのではないか。

 <横綱曙の記録>  

 ◆スピード昇進 初土俵から所要30場所。新入幕から15場所(3位、1位は大鵬の11場所)

 ◆在位 48場所(歴代4位、1位は北の湖の63場所)

 ◆優勝 8回(歴代7位、1位は大鵬、千代の富士の29回)

 ◆勝ち星 432勝(歴代5位、1位は北の湖の670勝)

 ◆休場 13場所(歴代1位、大鵬に並ぶ)

 ◆金星配給 35個(3位タイ、1位は北の湖の53個)

 ◆76年ぶり 出場した最後の場所が優勝だったのは1925年(大14)1月場所で3場所連続優勝し、場所後に引退した栃木山以来。

 ◇とっておきメモ

 曙は、巨体と対照的に極めて繊細な神経の持ち主だ。大酒豪だが、酒席では、同席者への配慮を欠かさない。泥酔者が出ると、いつも自分の背中を「担架」代わりにして、運びだす姿があった。酒席はもちろん、いつも携帯電話を手放さず、暇があると電話をかけまくる。根が飛び切りの寂しがりやということもあるが、親しい人にはとことんマメな付き合いをせずにいられない性格もある。

 他人に対する思いやりの深さは、計り知れない。1993年7月に最愛の父ランディーさんが亡くなった時、曙から「ダディのひつぎに写真や新聞を入れたい」と連絡を受け、ハワイに同行した。「チャドが呼んでいる」と言われ、霊安室に入ると、曙が「ダディに最後のキスをする写真を記者に撮らせる」と母ジャニスさんを必死に説得していた。写真や新聞を提供してくれた恩は何としても返さなければならない、その気持ちに言葉がなかった。

 「日本人以上に日本人的」。よく使われるフレーズは、曙にこそふさわしい。逆に言えば、そんな性分だからこそ、異文化に適応し、溶け込み、頂点まで上り詰めることができたのかもしれない。

 ◆横綱の引退 横綱は引退しても5年間は、現役名のまま協会に在籍できる。委員待遇で、給与は横綱の282万円から80万8000円と大幅に下がる。最近では3代目若乃花が「藤島」を襲名したが、2代目若乃花、北勝海、大乃国、旭富士はシコ名で残り、後に名跡を変更している。2代目若乃花は83年1月に引退、5月に「間垣」に名跡変更し、12月に二子山部屋から独立して部屋を興した。

 ◆曙太郎(あけぼの・たろう)1969年5月8日、米ハワイ州オアフ島生まれ。96年4月に日本国籍を取得し本名はシコ名のまま。旧名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ。88年春場所初土俵で貴乃花、元若乃花らと同期。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕。92年夏場所初優勝を飾り、場所後に大関昇進。93年初場所後、外国出身力士初の横綱に。通算優勝11回。幕内成績は566勝198敗181休。98年4月、クリスティーン麗子夫人(28)と入籍。1男1女が誕生。203センチ、233キロ。得意は突き、押し。

※記録と表記は当時のもの

関連するニュースを読む

振分親方が熊本地震の募金活動 人気ぶりは健在

熊本地震の募金活動で街の人々に協力を呼び掛ける振分親方(撮影・桑原亮)

 大相撲の振分親方(元小結高見盛=東関)が8日、支援活動に一役買って出た。東京・渋谷駅前のセンター街で行われた熊本地震義援金の募金活動に、東関親方(元前頭潮丸)や部屋の力士らとともに参加。約2時間、街頭で協力を呼び掛けた。

 現役時代からの人気ぶりは、若者の街でも健在だった。「募金、お願いします」と積極的に声をかけ、写真撮影にも快諾。「子どもからお年寄りまで、募金していただいてうれしかった。子どもたちに人気があるというのが、本当にうれしいです」と笑顔で話した。

 募金活動への参加は11年の東日本大震災以来、約5年ぶり。「少しでも自分ができることで、少しでも支えになれれば。家が壊れたり、仕事がなくなって今でも苦しんでいる方がいる。皆さん、頑張って下さい!」と被災地へエールを送った。

 活動は渋谷センター商店街振興組合の主催で、期間は10日までの3日間。振分親方は9日まで参加する予定で、プロ野球ヤクルト、NBL日立の選手らも参加した。

関連するニュースを読む