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高安「相撲取るより緊張した」口上「正々堂々」選ぶ

伝達式で口上を述べる高安(中央)と田子ノ浦親方、琴美夫人(撮影・柴田隆二)

 大関高安(27=田子ノ浦)が正式に誕生した。日本相撲協会は5月31日、名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、高安の大関昇進を全会一致で承認した。都内のホテルで行われた伝達式では「正々堂々」の言葉を口上に使い、兄弟子の横綱稀勢の里との同部屋優勝決定戦にも思いをはせた。

 表情ひとつ変えない土俵上の姿とは、違っていた。使者を待つ間、高安は時折、目をつぶった。口がもごもごと動く。「絶対にかまないように」と何度も復唱していた。緊張が伝わった。そして、使者が来た。いざ本番。「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」。力強い口上が響いた。

 式後は苦笑して「裏返っちゃった」と頭をかいた。実は出だしの「つつしんで-」の声が裏返っていた。式前に稀勢の里から「(横綱昇進伝達式の)オレみたいにかまないように」と助言されていた。それも緊張につながったか。「相撲を取るより緊張しました」と笑った。それでも、言葉はよどみなかった。「この世界に入って、まさか自分がこの場に立てるとは思っていなかった。今日を迎えられたことを本当に幸せに思います」と感慨に浸った。

 「正々堂々」の四字熟語に思いを込めた。「一番好きな言葉。自分の覚悟として選びました」。先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)からよく言われていた。「力士は感情を表に出してはいけない」「相撲の美しさは勝っても負けても、正々堂々の潔さにある」と。

 1年前から堂々としたたたずまいを心がけた。以前は闘志を前面に出していた。心を波立たせないようにすると、成績は上がった。「どんな状況でも顔色ひとつ変えずに胸を張っている。それが自分の大関像。この言葉に少しでも近づけるよう精進したい」と誓った。

 「兄貴」と慕う稀勢の里の横綱昇進から2場所。春場所は初日から10連勝で並走しており、現実味を帯びる20年ぶりの同部屋優勝決定戦も「できたら最高ですね」と夢見た。「ここから上(の横綱)に上がるには優勝しかない。現状に絶対に満足せず、向上心を持って上を見たい」。堂々と言ってのけた新大関。平成世代の旗手が時代を変えようとしている。【今村健人】

 ◆高安晃(たかやす・あきら)本名同じ。1990年(平2)2月28日、茨城県土浦市生まれ。小4から野球を始め、相撲経験はなし。05年春場所で鳴戸部屋から初土俵。10年九州で舛ノ山とともに平成生まれ初の新十両。11年名古屋の新入幕、13年秋の新三役も平成生まれ初。得意は突き、押し、左四つ。三賞は殊勲3回、敢闘4回、技能2回。金星4個。家族は両親と兄。元AKB48で女優の秋元才加は幼なじみ。186センチ、174キロ。血液型A。

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稀勢の里 高安にアドバイス「俺みたいにかむなよ」

大関昇進伝達式の後、高安(右)は稀勢の里と握手する(撮影・柴田隆二)

 横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が31日、都内のホテルで行われた弟弟子高安の、大関昇進伝達式に出席した。

 1月に行った自身の横綱昇進伝達式では、口上を述べる際にかんでしまい「控室で『俺みたいにかむなよ』とは言いました」とアドバイスを送ったという。そのおかげか、高安が見事に口上を述べる姿を見て「素晴らしいんじゃないかな。俺はかんでしまったからね。反面教師でね」と笑顔を見せた。

 以前から、高安を大関に昇進させると公言しており「本当にこんなにうれしいことはないですね」と感慨深げに話し「もう1つ上がありますからね。一緒に目指して頑張っていきたい」と自分と同じ地位の横綱に、引っ張り上げる目標を立てた。夏場所を休場の原因となった、左上腕付近の負傷の具合を聞かれると「僕はいいんじゃないかな、今日は」と話した。

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横綱稀勢の里「お祝いムードは昨日まで」体うずいた

囲み取材に応じる稀勢の里

 大相撲の新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)に向けて散歩で始動した。部屋の稽古が休みだった30日、早朝に約2時間、「基礎体力を呼び起こすために」歩いた。初場所千秋楽翌日の23日に優勝一夜明け会見に臨んでから28日までは、横綱昇進伝達式や明治神宮奉納土俵入り、優勝報告会などで大忙し。完全休養は29日だけで「1週間あっという間に終わっちゃった」と初優勝の余韻に浸ったが、体はうずいた。

 部屋の稽古始めは2月1日ながら「(まわしを)明日つけてもいいし、今でもいいし」と語り、「お祝いムードは昨日まで」とぴしゃり。「来場所に向けてしっかり体を作っていく」と、横綱として迎える最初の場所へ向けて、スイッチを入れた。

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稀勢の里へ「天下無双を歩め」父が贈った四字熟語

横綱昇進の伝達式の後、高安(手前)らに持ち上げられ笑顔の稀勢の里(上)、右端は父萩原貞彦さん、左端は母裕美子さん

 第72代横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が正式に誕生した。日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議と臨時理事会を開き、稀勢の里の横綱昇進を満場一致で承認した。

 息子の晴れ姿に感じたものは-。横綱昇進伝達式には稀勢の里の父萩原貞彦さん(71)と母裕美子さん(61)も出席した。両親が語ったのは、横綱という地位に上り詰めたわが子への率直な思いと、両親ならではの覚悟だった。

 父貞彦さんは笑いながら言った。わが子に贈る言葉を問われて。「本音としては早く引退してくれと言いたい。相撲の時期が来ると私らはつらい。勝っても負けても」。昇進をただ喜ぶ姿はなかった。両親も、強い覚悟を背負っていた。

 相撲道への考え方は稀勢の里に劣らない。「相撲はいい体だったら、最初に試みるべき。国技ですから。伝統文化を具現化したもので、あとはない。男子に生まれてきたからには国技をやらせるのが義務」。土日の大相撲中継を見るのは当然。わが子には小2でまわしをつけさせた。そう仕向けた子が横綱に上った。

 なのに母裕美子さんは「横綱になるといろいろある。大関のままでずっとテレビに映っていてもらいたいと思っていた」と笑う。父は「好きな相撲を取るのは大関まで。これからは相撲協会の代表、ひいては日本国民の代表としてやらないといけない。重責を担う。日下開山(ひのしたかいざん)、天下無双を名実共に歩んでいただきたい」。あえて厳しい言葉を贈った。

 稀勢の里が「褒められたことがない」という父。言葉通り、口上には「あまりにもシンプルでしたね。皆さんの期待に応えてあげないと。少しぐらい難しい言葉を使ってもいいのに」。望むことにも「食欲がどうしても。ちょっと太りすぎ。もう少しやせて反応の良い体、感覚にしないと」。

 ただ、厳しい言葉こそ指針になった。昨年は琴奨菊と豪栄道が優勝し、大関陣でただ1人、優勝がなかった。そのとき「相撲は、1年に1回のほかのスポーツと違って年6回ある」と声をかけた。「心に響いたんじゃないですか。焦る必要はない、じっくりやっていこうと。1歩1歩前進しながらやっとつかんだ。昨年のうちに優勝しなくてよかった」と振り返った。

 そんな両親に稀勢の里は「頑丈な体、けがしない体をつくってもらってうれしい」と目を潤ませた。目頭が熱くなった裕美子さんは「家ではそういうことを言わない子。親冥利(みょうり)に尽きます」。この両親だからこそ生まれた新横綱だった。【今村健人】

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「これがオーソドックス」稀勢の里口上に好印象の声

横綱昇進の伝達式の後、会見する稀勢の里(撮影・柴田隆二)

 25日に東京都内のホテルで行われた横綱昇進伝達式で稀勢の里関は「横綱の名に恥じぬよう精進致します」と述べた。シンプルな口上に、大相撲愛好家やファンからは好印象との声が相次いだ。

 1990年代に貴乃花や3代目若乃花が四字熟語を使って注目された。スポーツ評論家の玉木正之さんは「若貴が始めたやり方が特別だった。(稀勢の里は)格好つけることなく素直にしゃべった。これがオーソドックスなやり方」と評した。

 2011年11月の大関昇進伝達式でも「大関の名を汚さぬよう、精進します」と簡潔に述べていた。著作に相撲エッセーもある作家の乃南アサさんは「四字熟語が入っていたら嫌だなと思っていた。普段使い慣れていない言葉より、正直で素直というのが一番いい」と好印象を口にした。

 緊張した面持ちで冒頭に少し詰まったが、漫画家のやくみつるさんは「早口なのはいつものことで、そこはご愛嬌(あいきょう)。奇をてらうことなく、至極シンプルというのが稀勢の里関らしい。自覚は十分に伝わってきた」と好意的に受け止めた。

 東京・両国国技館内の相撲博物館を訪れた神戸市の主婦、子守あずささん(31)は「(過去の)四字熟語も格好よかったけれど、難しい言葉よりも若い人にも伝わりやすいストレートな表現でよかった」と感想を語った。

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稀勢、次の目標「毎場所、優勝ですね」 一問一答2

横綱昇進の伝達式の後、高安(手前)らに持ち上げられガッツポーズする稀勢の里(上)、左端は母萩原裕美子さん、右端は父萩原貞彦さん(撮影・柴田隆二)

 初場所で初優勝した、稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱昇進伝達式が25日、都内で行われた。日本出身力士としては、19年ぶりの横綱誕生に、200人を超える報道陣が会場に殺到した。一問一答は次の通り。【取材=村上幸将】

 -これまで1番辛かったこと

 あと1番、足りないという場所が何度も続きましたし、目の前で優勝が決まった相撲も何番も見ましたし、そういうのが本当に悔しかったですけど、我慢してきて本当に良かったですね。

 -今後、横綱として自分に求められる1番の役割は

 本場所では常に優勝争いに加わり、そして優勝もしないと…もちろん、優勝を目標にしていますし。そして協会のためにもね…これから伸びてくる若い力士を、引っ張り上げないといけないという立場にありますから、そういう部分でも人間として、どんどん、どんどん成長していきたいと思っています。

 -横綱は単純に相撲協会の番付の一番上ということ以上の意味合いがある

 もちろん、綱を締める立場ですから、そういうふうに思っていますし、そういう位置ですからね。やっぱり自覚を持って、やっていかなければいけないと思っています。

 -初優勝して、横綱に昇進して次の目標は

 毎場所、優勝ですね。

 -横綱には品格が必要と言われる。横綱が考える品格とは、どういうもの?

 難しいですけど…まぁ、人それぞれ、そういうのはいろいろありますけど、自分の中では、やはり見本、手本となるような力士というのが、それだと思っていますが。しっかり、相撲道に精進していくだけだと思います。その結果、周りからそう言われると思いますけど。

 -八角理事長が「相撲をやっている子もやっていない子どもたちも、姿を見て稀勢の里関のようになりたいと思うようになればいい」と期待している。今、なかなか若い力士が少なくなってきている中、どうしたらいい?

 相撲の魅力を伝えるのも、我々の仕事であり、そして巡業でも地域と触れ合って、そこに来る学生もそうですけど、少しでも相撲の魅力を伝えていきたいなというふうに思っています。相撲に興味を持ってもらって、相撲界に入ってくれれば、自分もそれ以上にうれしいことはないですね。

 -師匠から素直と言われた。入門してから、特に素直にやってきたこと、1番は

 自分は、ほとんど相撲経験がなく、この相撲界に入ってきました。右も左も分からない以上、相撲も分からない状態で、先代の師匠(故鳴戸親方、元横綱隆の里)が指導してくれる、そのままをけいこ場でやって、そして本場所でも、そのような相撲をとって…そうやってやっていくうちに、体もどんどん強くなって、ケガもしない体にもなってきましたし。言われてやり続けてきたことが今、こうなって良かったと思っています。

 -特にご両親への率直な気持ちは

 頑丈な体、ケガをしない体を作ってもらったというのは、うれしいですね。本当に良かったですね。

 -他の横綱にも特徴はあるが、自分はどこで勝負していきたいか

 そうですねぇ…自分の納得できる相撲をとるのが、1番だと思います。

 -横綱には降格がない。覚悟を、具体的に

 (覚悟は)もちろん、持っています。そういう立場になりますからね…中途半端なことは出来ない。

 -他の3横綱より自分が勝っている部分は?

 どうでしょう…体重?(笑い)どうでしょうね? 人の相撲はどうこう、なかなか評価できないですけど、前に出る力というのは相撲界に15歳で入った時から常に言われ続けてきて、そしてそれを磨き続けてきて十両、幕内、そして大関、横綱になってきましたから。やはり、それを信じてやるしかないなと自分の中では思っています。

 -横綱の白鵬が、16年に優勝争いを繰り広げた時(稀勢の里について)「横綱になるのは宿命だ」と言っていた。ご自身の宿命じついては、どう考える?

 自分を信じてやってきただけです。それ以外、ないです。

 -優勝回数含め、記録を作った白鵬と同じ時代に肩を並べ、これからどういうふうに向かっていきたい?

 う~ん…毎場所、対戦のある横綱、力士ですから、今後とも、またいろいろ自分も、もっと、もっと考えて、もっと、もっと稽古して倒していかなければいけない相手だと思っていますから。もっと、もっと強くならなければいけないです。

 -今、こういう立場になって、先代の師匠からかけられた言葉で1番、思い出す言葉は?

 1番、けいこ場で言われたのも「横綱になったら、見える景色が違う。横綱になったら分かることもあるんだ」と。常日ごろ、先代の師匠は、そう言われていました。

 -今、現在、景色が変わったところはある

 まだね、こんな状況ですから…。これから、またけいこ場はけいこ場で、支度部屋もそうですけど、1番奥になることもありますし、そうすると、またいつもと見える角度も違いますし、それ以上に、目に見えないものも、また見えてくるものもあるかと思う。見えるように成長していきたいと思っています。

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田子ノ浦親方「本当に素直…これが一番」 一問一答

横綱昇進の伝達式の後、タイを持ち上げる稀勢の里(前列中央)、左はおかみさんの琴美さん、右は田子ノ浦親方、後列右から3人目が父萩原貞彦さん、母裕美子さん(撮影・柴田隆二)

 初場所で初優勝した、稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱昇進伝達式が25日、都内で行われた。日本出身力士としては、19年ぶりの横綱誕生に、200人を超える報道陣が会場に殺到した。田子ノ浦親方の一問一答は次の通り。【取材=村上幸将】

 -師匠として、どのような思いで迎えた

 そうですね。やっと先代の師匠(故鳴戸親方)に、いい報告が出来たなと、ちょっと安心しているところと、またこれからが1番、大事な戦いが始まるんだと、気を引き締めています。

 -先代の師匠が亡くなられて、部屋を継いだ。重圧はあったか?

 いろいろなことがありましたから。(稀勢の里)本人ほどではないとは思いますが、本人を見ていて、あまり、いいアドバイスとか、なかなか出来ない歯がゆさもありましたし。もちろん先代と比べられても、勝ることは何もないです。でも、少しでも先代に近づいて、稀勢の里だけでなく、部屋の力士は皆、力を出せるような部屋を作っていきたいと常日ごろ思っていましたので。うまくいっているかは分かりませんが、稀勢の里が横綱になって結果を出してくれたことが、うれしくて。重圧は、これからも続くと思いますが、頑張っていこうと思います。

 -すぐ側で、稀勢の里が悩み、苦しむ姿を見てきた。どんな思いだった

 本当に、すごい重圧の中、場所は15日間なんですが、場所が終わったらすぐ、次の場所を考えて努力している姿を間近で見ていますので。できれば代わってあげたいところもありましたけど、そういうことは出来ないので、少しでも思い切り自分の相撲をとることが出来る環境を、作ってあげたいと思っています。

 -弟子として稀勢の里の強さ、すばらしさはどういうところ?

 本当に素直…これが一番です。やっぱり、素直が最大の武器じゃないかなと思います。

 -優勝を決めた時、何とか勝たせてやりたかったとおっしゃった

 私に出来ることは、もう…彼が相撲をとる、力を出すことが出来る環境を作るだけなので。あとは、もう…皆さんと一緒で、恥ずかしながら祈るしかなかった。祈る気持ちで15日間、ずっと見ていました。

 -どんな横綱になってほしい?

 横綱というのは、本人が言った通り、いろいろな方に見られていますし、模範的な力士じゃないといけないと思っていますので、もっと、もっと稽古を頑張って、みんなに尊敬される思い出に残る横綱になってほしいです。

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稀勢の里、口上に「ちょっとかんだ」 一問一答1

横綱昇進の伝達式の後、タイを持ち上げる稀勢の里(前列中央)、左はおかみさんの琴美さん、右は田子ノ浦親方、後列右から3人目が父萩原貞彦さん、母裕美子さん(撮影・柴田隆二)

 初場所で初優勝した稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱昇進伝達式が25日、都内で行われた。日本出身力士としては19年ぶりの横綱誕生に、200人を超える報道陣が会場に殺到した。一問一答は次の通り。【取材=村上幸将】

 -新横綱昇進おめでとうございます

 ありがとうございます。

 -伝達式を終えた心境は

 よりいっそう、気が引き締まりました。

 -使者を待つ間、かなり硬くなっていた。緊張した?

 少し、硬くなっていました。緊張はありました。

 -横綱昇進の実感は

 今から、湧いてくると思いますけど。これからですね。

 -今日の日を、どんな気持ちで迎えた?

 今までお世話になった人への感謝の気持ちを持って、今日、ここにやって参りました。

 -入門から15年の道のりを振り返ると

 本当に、いい経験をたくさんさせてもらえたのも、人に恵まれたのも、自分1人では乗り切れなかった15年だったと思います。

 -苦しい時期もあった

 そんな時も…ダメな時でも声をかけてくれる人もいましたし、助けてくれた人もいましたし、本当に感謝しかないですね。

 -ふるさと茨城でも、多くの人たちが今日を待ち望んでいたと思う。地元への思い

 いつも地元では温かい応援をしていただき、そして地元に帰ると、たくさんの人が出迎えてくれて、本当に力になりました。これから恩返しできるように、もっと、もっと強くなって、いい報告が出来るように頑張っていきたいです。

 -空の上からは、先代の師匠(故鳴戸親方、元横綱隆の里)が今日の日を待ち望んでいたと思う。何と声をかけてくれると思う?

 先代の師匠と出会わなければ、今の自分はないと思っていますし、本当に感謝しかないです。「横綱は、これからだ」と言われると思います。

 -日本生まれの横綱は19年ぶり。重圧は

 先場所、九州、初場所あたりから、気持ちの部分でも落ち着いて相撲が出来た。これからも平常心で、落ち着いた相撲を目指してやっていきたいと思います。

 -なかなか日本生まれの横綱が誕生しなかった。自分が何とかしなければ、という思いはあった?

 まぁ、そういう気持ちもありましたけど、それよりやっぱり、1日一番をしっかり大事にして、その結果が、こういう形になって本当にうれしいですね。

 -今日の口上に、どんな思いを込めた?

 自分の今の気持ちを、そのまま伝えました。

 -ご自分1人で考えた?

 はい、1人で考えました。

 -正式に、これでいこうと決めたのはいつ?

 いろいろ悩みましたけど、昨日の夕方あたりくらいですかね。

 -悩んだのは?

 いろいろな、いいお言葉をたくさんいただいていますので、その言葉を使おうか、今のまま自分のシンプルな気持ちで伝えようかと、いろいろ迷いましたけど。

 -出来は?

 ちょっと、かんでしまいました(苦笑い)

 -相当、緊張した?

 そうですね。

 -16年1年間、何度も綱とりの場所はあった。その経験は今回の昇進に、どう生きたか?

 まぁ、ああいう状況で相撲を取らせてもらうというのは、なかなか経験できないことなので。去年1年は、自分の中では成長した1年なので。結果も、去年だけではないですけど経験が、本当に生かされた初場所だったと思います。

 -去年は初場所で、同じ一門の琴奨菊、秋場所では豪栄道が優勝した。そうした中、心の中はどうだった?

 焦らずね、自分の相撲だけを取りきろうと続けました。

 -自分だけが、なかなか優勝できないという気持ちはあった?

 どこかに、やっぱりありましたけども、自分を信じてきて良かったなと感じています。

 -初優勝で横綱昇進。どのあたりが評価されたと感じる?

 うん…どうですかね? まだまだ弱い部分はたくさんあると思います。それでも、こういうふうに上げていただいたので、本当に今後が大切だと思います。

 -72代の横綱として角界の看板になる。目指す横綱像は

 横綱は、常に人に見られている位置だと思いますし、けいこ場ももちろんですけども、普段の生き方も見られていると思いますので、もっともっと人間として成長し、尊敬されるような横綱になっていきたいと思う。

 -大関時代よりも、結果が求められる

 本当に、もっと、もっと稽古してですね…どんどん稽古しかないと思っていますから。もっと、もっと強くなって、皆さんに恩返しできるよう頑張ります。

 -土俵入りについて。選んだ理由は?

 雲竜型を選びました。小さい時からの憧れというのがありまして、やっぱり雲竜をやってみたいという気持ちがありました。

 -小さい時、ということは、どなたかの土俵入りを見て?

 まぁ、そういうことでもないですけど、やはり横綱の土俵入りを、小さい時にマネした時も雲竜型をやっていましたし、そういう意味での憧れもあります。

 -先代の親方は不知火型。相当、悩まれましたか? 最終的な決め手は

 悩みました。やっぱり、自分のやりたい思いを貫きました。

 -横綱としての相撲人生が始まります。どんな横綱になりたい

 横綱は、やっぱり、もう負けられない。もっと強くなって、もう負けない力士に、常に優勝争いに毎場所、加われるような力士になりたい。

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横綱稀勢へ若乃花・花田虎上氏「ペース人それぞれ」

98年、横綱に昇進した若乃花

 稀勢の里(30=田子ノ浦)が25日、横綱昇進伝達式を終え、正式に「第72代横綱」に昇進した。

 19年前の98年夏場所後に横綱に昇進した、3代目横綱若乃花の花田虎上氏のコメント。

 稀勢の里関、横綱昇進おめでとうございます。初土俵から89場所、本当に長かったことでしょう。30歳での昇進になりますが、ペースは人それぞれです。前に出て攻める、力強い横綱になってほしいと思います。焦ることなく、横綱稀勢の里として新しい物語をつくって下さい。

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貴乃花「今後も不撓不屈の精神で」/おもな横綱口上

横綱昇進の口上を述べる貴乃花(写真は1994年11月)

 稀勢の里(30=田子ノ浦)が25日、横綱昇進伝達式をもって、正式に「第72代横綱」に昇進する。

 主な横綱昇進時の口上は以下。

 ◆初代若乃花「横綱として恥ずかしくない相撲を取ります」(58年初場所後)

 ◆柏戸「横綱として恥ずかしくない成績を挙げるために頑張ります」

 ◆大鵬「横綱の地位を汚さぬよう今後も精進します」(ともに61年秋場所後)

 ◆北の富士「しっかり頑張ります」(70年初場所後)

 ◆輪島「横綱の名誉を汚さぬよう、より努力し一生懸命頑張ります」(73年夏場所後)

 ◆北の湖「栄誉ある地位を辱めないよう努力いたします」(74年名古屋場所後)

 ◆千代の富士「横綱の名を汚さぬよう一生懸命頑張ります」(81年名古屋場所後)

 ◆隆の里「一層稽古に励み、節制に努め、栄誉ある横綱を汚さぬよう努力、精進いたします」(83年名古屋場所後)

 ◆北勝海「横綱の名を汚さぬよう、これからも一生懸命稽古し、努力します」(87年夏場所後)

 ◆大乃国「初一念を忘れずに精進、努力し、健康に注意して横綱を一生懸命務めます」(87年秋場所後)

 ◆旭富士「全力を尽くして努力、精進し、健康に注意しながら心技体の充実に努めます」(90年名古屋場所後)

 ◆曙「横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進します」(93年初場所後)

 ◆貴乃花「今後も不撓(ふとう)不屈の精神で、力士として不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫く所存でございます」(94年九州場所後)

 ◆3代目若乃花「横綱として堅忍不抜(けんにんふばつ)の精神で精進していきます」(98年夏場所後)

 ◆武蔵丸「横綱の名を汚さぬようショウジンタイ(心技体に精進)いたします」(99年夏場所後)

 ◆朝青龍「なお一層稽古に精進し、横綱として相撲道発展のために一生懸命頑張ります」(03年初場所後)

 ◆白鵬「横綱の地位を汚さぬよう精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」(07年夏場所後)

 ◆日馬富士「横綱を自覚して全身全霊で相撲道に精進します」(12年秋場所後)

 ◆鶴竜「横綱の名を汚さぬよう一生懸命努力します」(14年春場所後)

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稀勢の里、横綱昇進口上は「気持ちそのまま伝える」

昇進伝達式を前に、穏やかな表情で心境を語る稀勢の里

 25日の横綱昇進伝達式を翌日に控えた24日、稀勢の里(30=田子ノ浦)は東京都江戸川区の部屋で会見に応じて「実感はまだまだです。やっぱり、伝達していただいて初めて、実感が湧くのかなと思います」と待ち遠しそうだった。

 注目の口上については「いろんな人の話もあり、自分の言いたいこともある。自分の気持ちをそのまま伝えられればいい」と話した。

 また、横綱土俵入りは「雲竜型」に決めた。初代若乃花や大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花ら大横綱が選んできた型。先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)の不知火型と悩んだが「昔からあこがれがありました。(大横綱と)とても比べられる存在じゃないですが、少しでも近づけるようにという気持ちです」と話した。

 この日、部屋では綱をつくるための「麻もみ」が行われた。二所ノ関一門内外の力士が集まった。「こんな疲れているときに、一門外からも来てくれた。本当にうれしいことですし、本当にありがたい」と感謝していた。

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稀勢の里「部屋狭くて」伝達式は異例の高級ホテル

一夜明けの会見で笑顔を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

 初場所で初優勝した大関稀勢の里(30=田子ノ浦)の第72代横綱昇進が事実上、決まった。東京・両国国技館で23日に開かれた横綱審議委員会で、満場一致で横綱に推挙された。25日の春場所番付編成会議と臨時理事会で正式に誕生。昇進伝達式は異例の高級ホテルで開かれることになった。

 威風堂々と会見場に現れた稀勢の里の表情は、引き締まっていた。満場一致で推挙された横綱昇進。伝え聞くと「グッと気が引き締まりました」。喜びよりも責任。それを味わおうとしているようにも映った。「もっともっと努力しないといけない。稽古場の立ち居振る舞いも生き方も、周りから見られている。中途半端な気持ちでいられない」。既に「横綱」という頂点に就く自覚が芽生えていた。

 若乃花以来19年ぶりの日本出身横綱誕生には、かつてない目が注がれた。朝の優勝一夜明け会見には約100人の報道陣が集まり、東京・江戸川区の部屋がパンク。多くの記者が外にあぶれた。横審の答申を受けた夕方の会見は急きょ、区内の施設に移った。そして、25日の昇進伝達式はもっと異例の場が用意された。都内の高級ホテルだった。

 第44代横綱栃錦に始まる55年以降の横綱昇進伝達式は、部屋か地方場所の宿舎だった。鶴竜だけが宿舎寺院の「別館」から「本館」に移ったが、高級ホテルでの伝達式は異例。そこには盛大に祝福したいという支援者の願いも込められている。「支えられてばかり。その人たちの顔を見て思い出したら、きついことも我慢できた」と感謝した。

 朝の会見で「(横綱は)責任ある地位だし、負けたら終わり」と言った。その上で、これから背負う角界全体にも思いをはせる。「若い力士を引っ張っていくのも僕のできること。高安を引っ張り上げて大関に引き上げるのも自分の使命」。頼もしい言葉が並んだ。

 亡き先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)と同じ30歳での新横綱は、まるで運命。「感謝以外、見つかる言葉がない。そう思うと浮かれていられない。もっともっと強くならないと本当の恩返しにならない」。15歳から鍛え上げてくれた先代の「ここからが本番だ」という声が聞こえる。「自分でもそう思っています」と返した。【今村健人】

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鶴竜 横審満場一致で推挙

横綱審議委員会から承認されガッツポーズの鶴竜(撮影・岡本肇)

 理想の横綱を己に。大相撲の横綱審議委員会は24日、東京・両国国技館で開かれて、春場所で初優勝を飾った大関鶴竜(28=井筒)を満場一致で横綱に推挙した。明日26日の夏場所番付編成会議と理事会で、第71代横綱に正式に昇進する。

 知らせを受けた鶴竜は「ここまで自分1人の努力だけで来たわけじゃない。自分にかかわってくれたすべての人たちに感謝したい」と喜びを分かち合った。

 入門時は想像しなかった最高位。理想とする横綱はいない。これまで3人のモンゴル人横綱がいるが「自分は自分。自分をそう(理想に)つくり上げていきたい」と、違いを打ち出した。

 26日の横綱昇進伝達式で述べる口上には、四字熟語は使わないつもりだ。大関昇進時は「お客さまに喜んでもらえるような相撲」と述べたが「今回もそういう感じでシンプルに行きたい。シンプル・イズ・ベストってありますからね」。新横綱は“鶴流”で行く。

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鶴竜、横審満場一致「すべての人に感謝」

横綱審議委員会から満場一致で承認された事を電話で連絡を受ける鶴竜(撮影・岡本肇)

 大相撲春場所で初優勝を飾った大関鶴竜(28=井筒)は、横綱審議委員会が満場一致で横綱推挙を決めた知らせを受けて喜んだ。

 最初に出たのは感謝の思い。「ここまで来たのは、自分1人の努力だけじゃない。ここまで育ててくれた親方、おかみさん。応援してくれた後援会の皆さん、ファンの皆さん。そしてボクのお父さん、お母さん、親戚も、すべて自分にかかわってくれた人たちに感謝したい」と話した。

 優勝を決めた前夜は、日が変わった午前1時に就寝。ぐっすり眠れたという。横綱のイメージを聞かれると「常に勝って当たり前、優勝に絡んで当たり前。そういう成績を普通に、毎場所続けていかないといけない」と気を引き締めた。

 26日の横綱昇進伝達式で述べる口上は、大関昇進時と同じように「シンプルに行きたい」という。横綱としてどうあるべきかは、まだ分からない。ただ「今まで通りに続けて、ありのままでいたいなと思います」と話した。

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鶴竜V一夜明け「本当に良かった」

本紙を手に笑顔の鶴竜(撮影・岡本肇)

 大相撲春場所で念願の初優勝を飾った大関鶴竜(28=井筒)が、千秋楽から一夜明けた24日、大阪市内で会見を開いた。

 白い着物で、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)と登場。鶴竜は初優勝を手にした気持ちについて「本当に良かった」と、笑顔で話した。14勝1敗だった春場所については「本当に自然体でいけたと思う。1番1番集中していけた」と振り返った。千秋楽の土俵に上がる前は「今までの自分とは違うんだ」と言い聞かせていたことも明かした。

 午後に開かれる横綱審議委員会で推挙を受けると、26日の夏場所番付編成会議および臨時理事会を経て、横綱昇進伝達式が行われる。井筒部屋からの横綱は、第30代西ノ海以来91年ぶり。井筒親方は、今後について「不安もありますよ、正直。やっぱり横綱になったら負けたら引退ですからね。不安になりますね。うれしいといっても、大関とは違った立場ですから。でも、本人は余計なこと考えないで、相撲に集中することだと思う」と、さらなる精進を期待した。

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日馬「横綱丼」メニュー昇進

横綱丼創案者の「焼肉韓国料理釜山」国本善子さん

 日馬富士(28=伊勢ケ浜)の昇進を祝した「横綱丼」ができた。考案したのは、新横綱が「日本の母」と慕う国本善子さん(68)。名古屋市西区の「焼肉韓国料理釜山」で、明日10月1日から新メニューとして登場する。横綱丼は上カルビ200グラム、牛ホルモン100グラムが大盛りご飯の上に乗ったボリュームたっぷりの逸品。3500円で提供される。

 横綱昇進伝達式にも出席した国本さんは「横綱が大好きな牛ホルは欠かせない。赤字覚悟です」。日馬富士とは10年来の仲で、7月の名古屋場所中は食事面で支えた。「心の優しい横綱なので、応援してあげてください」と話した。すでに試食済みの日馬富士は「オモニの料理は最高だからね。特にホルモンは最高です」とPRした。

 日馬富士は29日、元関脇栃乃洋の引退相撲で、土俵入りを披露。国技館で初の大役に「リラックスしてできました。でも、やっぱり緊張しますね」と振り返った。西の支度部屋では、全体を見通せる一番奥に座った。「眺めがいいね。全然違う。間違って、そこ(大関の位置)に座っちゃった」と満足そうに話した。

 2場所連続Vを達成した秋場所千秋楽から、今日30日で丸1週間。「夢のようでした。いい疲れだったよね」。やっと訪れた休養日にホッとしていた。【佐々木一郎】

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日馬「全身全霊」踏襲!横綱伝達式

横綱に推挙された日馬富士は、麻揉み作業で出来上がった綱の素材を手に満面の笑顔

 大関日馬富士(28=伊勢ケ浜)が25日、横綱昇進伝達式で述べる口上を完成させた。大関昇進時に述べた「全身全霊」を入れる予定で、仕上がりに自信をみせた。この日は、綱打ちのために一門の若い衆による「麻もみ」が行われた。今日26日の九州場所(11月11日、福岡国際センター)番付編成会議と理事会で第70代横綱日馬富士が正式決定する。

 伝えるべき言葉は、決まった。注目される伝達式での口上について、日馬富士は「昨日、おかみさんが一緒に考えてくれた。おいしいワインを飲みながら。楽しみにしててください」と話した。08年11月の大関昇進時と同様、今回も「全身全霊」を用いる。「僕の好きな言葉なんで。練習しました。ばっちりです」と自信を示した。

 来場所は幕内最軽量になる133キロの体。「全身全霊」は、体のすべてを使って、戦ってきた力士によく似合う。2場所連続全勝を成し遂げた秋場所も、毎日のように口にしてきた。伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)やおかみさんの勧めもあり、気に入った四字熟語を入れることにした。

 この日、綱を作るための「麻もみ」が行われ、一門の若い衆約40人が集まった。見学に来た日馬富士は作業中の力士らに「ありがとうございます。一生懸命頑張っていくので、よろしくお願いいたします」と声を掛けた。綱を締める自分の姿は、想像できなかった。「恐れ多いというか、自分が着けるなんて、怖いです」と謙虚に言った。

 今日26日の伝達式は、八角理事(元横綱北勝海)と審判部から玉垣委員(元小結智乃花)を使者として迎える。式の様子は、フジテレビ系の情報番組「とくダネ!」で生中継されることも決まった。妻子と母はもちろん、来日中の兄2人も晴れ姿を見届けるため、駆けつける予定だ。

 この日、自宅に帰る途中、生花店でバラ100本を買った。今の心境を「まだ夢の中を飛んでいる。今はパニック。本当に大変なことを成し遂げたなと思ってます」と話した通り、まさにバラ色。夢心地の中、横綱日馬富士が正式に決定する。【佐々木一郎】

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白鵬「こういう場所で残念」/名古屋場所

白鵬(左)は上手投げで琴欧洲を破り45連勝を達成する

<大相撲名古屋場所>◇13日目◇23日◇愛知県体育館

 横綱白鵬(25=宮城野)が「昭和の大横綱」に肩を並べた。大関琴欧洲(27)の下手投げに耐え、最後は得意の左上手投げで下して初場所14日目から45連勝。1968年(昭43)から69年にかけて横綱大鵬がマークした昭和以降3番目の連勝記録に並んだ。入門時から尊敬し、07年の横綱昇進前日には「綱の心得」を教わった先輩横綱への恩返し。2敗の平幕豊真将(29)が勝ったため2場所連続の13日目Vこそならなかったが、14日目に豊真将が敗れるか自身が大関日馬富士(26)に勝てば、3場所連続15度目の優勝が決まる。

 笑顔なき記念日だった。白鵬が、尊敬する大鵬に追い付いた。連勝が始まった初場所14日目から、ちょうど6カ月。積み上げてきた白星はついに「45」になった。「こういう場所で並んだというのが、ちょっと残念です。少しはうれしいですけどね」。この日も協会員と暴力団との関係が取りざたされた。土俵に集中できない環境への怒りが、言葉に込められていた。

 硬くなった。相手は45連勝をスタートした琴欧洲。昨年夏場所で33連勝を止められた因縁の相手でもある。立ち合い、先に手をつく大関に「待った」をした。「仕切り直して良かった。立った瞬間、いいとこ取ったんでね」。呼吸を整え、2度目の立ち合いは速かった。得意の左上手をつかみ、長身大関の投げにも崩れない。体を寄せ、逆に追い詰め、最後は横転させるような上手投げで仕留めた。

 しこ名は大鵬と柏戸を合わせた「柏鵬」が由来だ。入門時に172センチ、65キロだった白鵬少年は「大鵬少年」に勇気づけられた。同じような184センチ、75キロの細身から精進を重ね、大横綱になった大鵬の新弟子時代の写真だった。「自分が相撲を始めた時と同じ。頑張れば自分も大鵬親方のようになれると思った」。

 横綱昇進伝達式前日の07年5月29日。元大鵬の納谷幸喜氏(70)の誕生日に、アポなしで駆けつけた。「横綱の心得を聞きたい」という白鵬に、納谷氏は語りかけた。「横綱は勝てなければ辞めるしかない。明日からは引退と隣り合わせだ。心を磨き、大関まで以上にけいこして、すべての記録を塗り替えなさい」。心に刻み込んだ教えだった。

 磨く「心」は完成の域まできたのか。11日目、取組を待つ土俵下では、目の前に把瑠都と稀勢の里がもつれて落ちてきた。体をのけ反らせるのが普通だが、白鵬は一目すらしない。土俵生活42年目、立呼び出しの秀男(60)は驚いた。「普通は顔つきが変わるものだけど、まったく動じなかった。最近は泰然自若というか、大鵬さんに雰囲気が似てきた。円熟だね」。

 豊真将が意地を見せ、優勝は14日目以降に持ち越された。帰り際には自ら「笑顔がないね。賜杯だけでも何とかならないかな」とつぶやくほど、重いものを背負う。周囲の騒がしい雑音そして連勝記録への重圧-。賜杯ならぬ「優勝旗レース」の先頭を走り続ける無敵横綱は、相撲界のために勝ち続ける。【近間康隆】

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