上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

王貞治氏、紺野美沙子ら大相撲の国際化など議論

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)とソフトバンク王貞治会長(撮影・中島郁夫)

日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(山内昌之委員長)の第5回会合を開いた。外国出身初の関取になった元関脇高見山の渡辺大五郎氏も出席し、大相撲の国際化など王貞治委員らを交え活発に議論した。

歌舞伎役者の松本白鸚は「相撲は神事。何かを信じ、何かから信じられれば自ずと不祥事もなくなり魅力ある相撲界になると思う」と話した。

また「相撲と女性」について女優の紺野美沙子らが意見交換。女性を土俵に上げる可否の議論を男女間の差別問題として考えるのは、なじまないのではなどの意見が出た。次回は4月に開催予定。

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する紺野美沙子(左)と松本白鸚(撮影・中島郁夫)

関連するニュースを読む

東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

東関親方通夜、元高見山も参列「これからだった」

元潮丸の東関親方の通夜に参列した先代東関親方(撮影・河田真司)

血管肉腫で13日に41歳で亡くなった元前頭潮丸の東関親方の通夜が18日、東京・葛飾区の部屋で高砂一門葬として営まれた。葬儀委員長を務めた相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら多くの親方衆、大関豪栄道、高安をはじめ現役力士ら約550人が参列した。

遺影は昨年2月、部屋開きの際の笑顔のものだった。八角理事長は「最後の1年間は闘病生活で、家族のため、力士のため復帰するという強い気持ちで頑張っていたところ残念でなりません。笑顔が絶えず、みんなに慕われていました」などとコメント。

参列した師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんも「まだ若い。これからだった。もう少しいてほしかった」と悲しそうに話した。

元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の祭壇には、18年2月に行われた落成パーティー時に撮影された笑顔の写真が遺影として飾られていた(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

振分親方「感謝の気持ちしか」死去した東関親方へ

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

関連するニュースを読む

元黒姫山の田中秀男さん通夜、元高見山らが参列

通夜の祭壇に飾られた元関脇黒姫山の田中秀男さんの遺影(撮影・小沢裕)

4月25日に肺炎のため死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの通夜が、平成最後の日となった4月30日、東京・両国の回向院(東京都墨田区両国2の8の10)で営まれた。

元号が変わり令和最初の日となる5月1日の午前11時半から、同所で告別式が営まれる(喪主は妻の田中久美子さん)。

通夜には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、芝田山親方(元横綱大乃国)、境川親方(元小結両国)、春日野親方(元関脇栃乃和歌)ら協会理事や、巡業部時代に世話になった親方衆二十数人が参列。その他の関係者を含め約250人が故人の冥福を祈った。

その中の1人で、64年春場所初土俵の同期生だった元関脇高見山の渡辺大五郎さん(74)は、強烈なぶちかましで「デゴイチ」の異名を取った田中さんを「私たち同期は36人いました。私は19歳で彼は15歳。残念です。ぶつかり稽古がうまくて巡業ではいつも『胸を出してやってくれ』と巡業部長に頼まれていた。いい人で、ものすごく健康だったのに」としのんだ。

孫で昨年夏場所初土俵の田中山(17=境川)は、序ノ口から5場所連続勝ち越し中で、夏場所は東三段目47枚目まで番付を上げた。そんな順調な出世にも「(亡き祖父は)常に四股やテッポウの基本動作をしっかりやりなさい、と言われました」という。現役時代の祖父の映像も見ており「立ち合いからの出足は勉強になります。立ち合いを見習っていきたい。稽古を頑張るだけです」と亡き祖父に誓っていた。

新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身の田中さんは、1964年(昭39)3月の初場所で立浪部屋から初土俵。それからちょうど5年後の69年春場所で新十両昇進を果たした。2場所で通過し同年名古屋場所で新入幕、翌70年九州場所で新三役の小結昇進を果たした。小結と平幕上位をしばらく昇降した後、74年名古屋場所で自身最高位の関脇昇進を果たした。

西十両8枚目だった82年初場所12日目を最後に現役を引退した。通算108場所で1368回出場し、677勝691敗2休。三賞は8度受賞(殊勲4、敢闘3、技能1)、金星も6個獲得した。引退後は錦島、山響、出来山、北陣と年寄名跡を変更し88年2月1日から「武隈」を襲名。99年3月に立浪部屋から独立し力士2人を連れて武隈部屋を設立。04年3月に引退により力士不在となり、武隈部屋は消滅。友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、13年11月に定年退職した。

「デゴイチ」の愛称で親しまれた蒸気機関車(SL)「D51」の豪快な前進力に似た、おでこからぶちかまし、前に出る押し相撲で対戦相手から恐れられた。3場所連続の北の湖を含め北の富士、琴桜、輪島から金星を獲得した。 

元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した元関脇高見山(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した八角理事長(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した孫の田中山(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

東関部屋が部屋開き 弟子への愛詰まった快適間取り

大きな看板の前で記念撮影する東関親方(右)と真充夫人(撮影・小沢裕)

 大相撲の東関部屋が18日、初場所後に東京・墨田区から移転した葛飾区で部屋開きを行った。150坪の敷地に新設した2階建ての建物は、1階に稽古場、風呂場、ちゃんこ場、大広間があり、東関親方(元前頭潮丸)は「力士の生活が1階だけで全部できるように。ケガした力士でも2階に上がることなくね」と弟子への愛情が詰まった部屋にしたことを明かした。

 2階には真充(まみ)夫人と、1月31日に生まれた長女ひかりちゃんと過ごすための“愛の巣”とは別に、関取用の個室を2部屋用意。現在10人の力士は全員が幕下以下で、関取不在。「まずは関取を出すこと」と意気込んだ。同じ高砂一門の八角親方(元横綱北勝海)、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏らも門出を祝った。

関連するニュースを読む

東関部屋が部屋開き「まず最初に関取を出すこと」

部屋開きに参列した先代東関親方(撮影・小沢裕)

 大相撲の東関部屋が18日、1月の初場所後に東京・墨田区から葛飾区に移転したのを機に、新しい部屋で部屋開きを行った。同じ高砂一門の八角親方(元横綱北勝海)、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏らが出席。平幕の北勝富士、千代大龍ら同門の関取衆も参加し、稽古も行われた。東関親方(元前頭潮丸)は「こういう形でいろいろな方にも来てもらってうれしいです」と笑顔を見せた。

 弟子思いの新しい部屋が完成した。150坪の広大な敷地に2階建ての建物で1階に稽古場、風呂場、ちゃんこ場、大広間を作った。東関親方のこだわりで「力士の生活が1階だけで全部できるように。3階建てとかも考えたけど、ケガした力士でも2階に上がることなくね」と弟子への配慮があった。

 2階の半分は妻真充(まみ)さんと、1月31日に生まれたばかりの長女ひかりちゃんと過ごすための“愛の巣”にした。もう半分には20畳程の部屋と、関取用に2つの個室を用意。しかし、現在部屋には関取が不在で「まず最初にすることは関取を出すこと」と意気込みを語った。

 最寄りの柴又駅には、外国からの観光客も多い柴又帝釈天がある。東関部屋と言えば、ハワイ出身の元関脇高見山、元横綱曙が所属していたことから「うちの部屋はそういう色があるからね。外国の方にも稽古場に来てもらって、帝釈天にも足を運んでもらえれば」と地域活性化を願った。

部屋開きを行い大きな看板の前で記念撮影する東関親方(右)と真充夫人(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

友鵬さん告別式で大嶽親方「大鵬道場を守っていく」

友鵬さんの告別式であいさつする智恵美夫人

 虚血性心不全のため8日に死去した世話人、友鵬さん(享年60)の告別式が12日、都内の大嶽部屋で営まれた。

 師匠の大嶽親方(元十両大竜)や一門の貴乃花親方(元横綱)、八角理事長(元横綱北勝海)らが稽古場に設けられた式場で弔問客を迎え入れる中、元横綱3代目若乃花の花田虎上氏や元関脇高見山の渡辺大五郎氏らが弔問に訪れた。出棺前に葬儀委員長の大嶽親方は「天国で(13年1月死去の)大鵬さんと酒でも飲んでるのか。(中略)これから大鵬道場大嶽部屋を私は守っていく」とあいさつした。

関連するニュースを読む

友鵬さんの告別式、大嶽親方「バカ!友鵬!」絶叫

世話人だった友鵬さんの告別式で葬儀委員長としてあいさつする大嶽親方(撮影・渡辺佳彦)

 虚血性心不全のため、8日に死去した日本相撲協会の世話人、友鵬勝尊(ゆうほう・まさたか、本名・長崎勝)さんの告別式が12日午後0時半から、所属していた東京・江東区清澄の大嶽部屋で営まれた。

 師匠の大嶽親方(56=元十両大竜)が葬儀委員長を務める告別式では、同親方はじめ一門の貴乃花親方(45=元横綱)や一門の枠を超えて八角理事長(54=元横綱北勝海)も、稽古場に設けられた式場で弔問客を迎え入れ、故人の人柄をしのばせた。

 大相撲秋場所の3日目が行われているため現役の親方衆や力士らは、前日の通夜で最後のお別れをした。元力士ではこの日、元横綱3代目若乃花の花田虎上氏や、元関脇高見山の渡辺大五郎氏らが弔問に訪れた。

 告別式を終え出棺後、葬儀委員長として大嶽親方があいさつ。入門時に、ちょうど1年先輩の兄弟子だった友鵬さんを慕う気持ちから声を詰まらせながら読んだ。「天国で(13年1月に死去した)大鵬さんと酒でも飲んでるのか。“まさる、まだ早いぞ”と叱ってるかもしれない。でも大鵬さんと会ってるなら、それでもいい。でも残されたボクは、きつかったこと、つらかったこと、誰と話せばいいの? バカ! 友鵬! 大鵬さんと会ってんのかよ!」。おえつと絶叫が入り交じったあいさつに、すすり泣きがもれた。「友鵬さんは人を愛していた。だから人から愛され、こんなに多くの人が来てくれた。これから大鵬道場大嶽部屋を私は守っていく」と、あいさつの言葉を締めくくった。

関連するニュースを読む

東関部屋が葛飾区に移転 指導しやすい環境模索

 大相撲の東関部屋で師匠を務める東関親方(元幕内潮丸)は31日、部屋を来年の夏ごろに、東京都墨田区から葛飾区に移転することを明らかにした。

 現在の部屋は先代師匠である元関脇高見山の渡辺大五郎氏から譲り受けたもの。現状では、東関親方は弟子と同居ができておらず、さらに指導がしやすい環境を模索していた。同親方は「若い子たちも入ってきている。一生懸命頑張っていきたい」と話した。

 東関部屋は独特の気合を入れるパフォーマンスでも人気を得た、元小結高見盛の振分親方も部屋付き親方として指導に当たっている。

関連するニュースを読む

世話人・總登さんお別れの会に八角理事長ら200人

総登さんのお別れ会で弔辞を述べる八角理事長(撮影・神戸崇利)

 大相撲の元幕下で、3月30日に敗血症のため死去した高砂部屋の世話人・總登(ふさのぼり、本名・福本光一、享年60)さんのお別れの会が29日、両国国技館内で約200人が参列して営まれた。

 お別れの会には、高砂部屋の師匠の高砂親方(60=元大関朝潮)ら部屋関係者はじめ、一門の八角理事長(52=元横綱北勝海)や振分親方(39=元小結高見盛)、元関脇高見山で先代東関親方の渡辺大五郎さん(71)、現役力士では小結隠岐の海(30=八角)らが参列。故人をしのび黙とうがささげられた後、参列者が献花した。

 總登さんは71年初場所、元大関松登の大山部屋に15歳で入門。突き、押しを武器に79年九州場所で自己最高位の西幕下2枚目まで番付を上げた。膝のケガもあり86年初場所限りで引退し、翌2月から世話人として30年間、裏方で尽力してきた。お別れの会の後には、遺影を持った遺族が国技館の土俵周囲を回り、部屋全員で記念撮影。在りし日の故人をしのんだ。

関連するニュースを読む

元高見盛が元若荒雄に押し出されマジ落ち込む

「大相撲 超会議場所」のOB戦に出場し、気合を入れる元小結高見盛の振分親方

<大相撲超会議場所>◇25日◇千葉・幕張メッセ

 1日限定で復活した高見盛が「超ショック」を受けた。ネット世代とコラボした「大相撲 超会議場所」が開催され、引退した力士によるOB戦に元小結高見盛の振分親方(38)が参戦。現役最後の相手だった元小結若荒雄の不知火親方(31)に押し出しで敗れた。

 「うれしい」と笑顔全開の不知火親方とは対照的に、振分親方の表情は沈んでいた。引退した13年初場所の千秋楽で勝っていた相手に、無残に敗れた。「右を差そうと思ったけど、体が動いてくれない。やっぱり、だめだった」。現役時代の敗戦後と同じようにマジで落ち込んだ。

 ロボコップと言われたかつての気合注入動作も再現したが、効果なし。体重も引退後は15キロ減って125キロまでしぼんだ。「高見盛に戻れるかなと思ったけど、もう高見盛じゃなくなってるんだな。はぁ…」。

 待っていたのは悲しい結末だったが、会場を盛り上げたのは確か。この日の大相撲ネット視聴者も約8万7000人に上った。「いろんな世代が相撲を見てくれるという意味では、勝ち負けよりうれしい」。若いファン開拓に貢献した自負はある。でも、悔しい。「なんで負けた自分に聞きに来るの? 余計みじめになるじゃない。はぁ…」。最後まで、ため息は止まらなかった。【木村有三】

 ◆高見盛-若荒雄VTR(13年初場所千秋楽) 東十両12枚目の高見盛は、4勝10敗と幕下陥落確実な状況で、同3枚目の若荒雄と対戦。激しい突っ張りに耐えて肩透かしで勝利も、取組後に東関親方(元前頭潮丸)と先代東関親方の渡辺大五郎氏(元関脇高見山)に引退の意思を伝え、同夜に引退会見が行われた。

関連するニュースを読む

高見山ケチャップで克服/相撲連載2

先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんは「白鵬は立派」と称賛する

<白鵬に至るSUMO道:2>

 後に弟弟子の小錦を大関に、直弟子の曙を横綱に育てた。外国勢、特にポリネシア系の道を開拓した先駆者。先代東関親方(71=元関脇高見山)は、64年東京五輪の年にハワイから来日した。「外国人力士が日本に来て2月23日で51年になるね」。誰あろう自分のことだ。「戦後20年かな。韓国や中国生まれで日本育ちの外国人はいたけど私が初めてだね」。初の「外国出身力士優勝」も果たし国際化に貢献した誇りを、先代は照れ笑いの中に包んだ。

 本名から「ジェシー」の愛称で親しまれた。オレンジ色のまわし、もみ上げ、200キロの巨漢。それでいて足腰のもろさから、アッサリ転がって負ける相撲っぷりも人気の側面。独特のしゃがれ声も相まって「CM横綱」としてテレビに引っ張りだこにもなった。

 入門時の苦労は半端ではなかった。「当時は確か23部屋ぐらいかな。私の高砂部屋は50~60人いた。兄弟子も親方衆も怖くて仕方なかった。稽古開始も夜中の3時台からだね」。白身魚が大嫌いで、ちゃんこ鍋はケチャップをかけることで克服したという。来日2年目に、へんとうを手術。その後の稽古でのど輪攻めに遭い声帯を痛め、あの声になった。股割りのつらさに涙した「目から汗が出た」の言葉は名言になった。

 白鵬の入門時は、自国のモンゴルはじめアジア系の先駆者がいた。先代とは全く境遇が違う。

 先代 だから比較はしたくない。でも白鵬は立派。師匠を尊敬する心を持っているから。本当の父と日本の父(師匠)。日本を好きになり尊敬するからこそ強くなった。心もある。同じルールの中で大鵬さんの記録を抜いた。日本人も外国出身も関係ないよ。

 現役最後の一番で敗れ、花道を引き揚げる際、花束を贈呈されるほど愛されたパイオニアの思いは、半世紀が過ぎようとも脈々と受け継がれているはずだ。【渡辺佳彦】(つづく)

 ◆渡辺大五郎(わたなべ・だいごろう)1944年6月16日、米国ハワイ州マウイ島出身。64年春場所初土俵。67年春場所新十両で外国籍初の関取。68年初場所で新入幕し72年名古屋場所で初優勝。80年に日本国籍を取得した。39歳だった84年夏場所限りで引退するまで通算812勝845敗22休。幕内在位97場所、金星12個、連続出場など数々の最多記録(当時も含め)を達成。三賞11回。引退後は年寄東関を襲名し審判委員などを歴任。86年2月に東関部屋を創設し、09年6月に定年退職した。

関連するニュースを読む

高見山サンタ「ヒマだからいつでも」

サンタクロースに扮した元高見山の渡辺大五郎さん(右)。左はひよの山

 日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で墨田区内の幼稚園児ら約700人を招待して、「クリスマスお楽しみ会」を開催した。

 地元の子供たちに相撲に親しんでもらおうと、幕内力士の隠岐の海と勢が参加。元関脇高見山の渡辺大五郎さんがサンタクロースの衣装で登場し、プレゼントを配ったり、記念撮影に応じたりしながら、来場者を喜ばせた。自前の白いヒゲをたくわえ、はまり役を務めた渡辺さんは「いいことだと思う。ボクはいつでもヒマだから、ボランティアでやりますよ」と話していた。

関連するニュースを読む

元高見盛の振分親方が「モテ髪」断髪式

断髪式後、ヘアメークされた髪形を披露する元高見盛の振分親方(撮影・岡本肇)

 次の目標はモテ男だ! 今年初場所限りで引退した元小結高見盛(37=現振分親方)の引退相撲が6日、東京・両国国技館で行われた。断髪式では約380人がはさみを入れ、最後は午後3時。入門時の師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏に大銀杏(おおいちょう)を切り落とされた。「本当にありがとうございました!!」。振分親方は土俵上で叫ぶように、集まった約1万人の観客に感謝を伝えた。

 断髪後は知人の美容師に整えてもらった。だが、知らずに設定されていたテーマは「モテ男ヘア」。薄い頭頂部を指摘されて「分かってますよ! あからさまに言わなくても…」と気落ちしつつ、横を刈り上げて頭頂部を立てられた。まゆもそろえ、最後はラメ入りのゴールドスプレーで完成。「モテますよ~」と言われると「慣れない」としながらも、まんざらでもない表情だった。

 渡辺氏は「次の目標は嫁さん(探し)ですよ!」と強調。東関親方(元前頭潮丸)も「婚活を始めなきゃね」とうながした。断髪式を口実に避けていた「嫁とり」は、いよいよ待ったなし。「まだ片付けみたいなこともやらないと…」と及び腰だったが、外堀は埋められてしまった。こうなれば覚悟を決めて、突き進むしかない。【今村健人】

関連するニュースを読む

元高見盛、断髪式「少しずつ感傷的に」

断髪式後、ヘアメイクされた髪型を披露する元高見盛の振分親方(撮影・岡本肇)

 ラストロボコップ。角界随一の人気を博し、今年初場所限りで引退した元小結高見盛(37=現振分親方)の引退相撲が6日、東京・両国国技館で行われた。

 断髪式には、漫画家のやくみつる氏やアーティストのデーモン閣下、陸上の為末大氏、元横綱曙ら約380人が参加。

 最後は入門時の師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏が止めばさみを入れて大銀杏(おおいちょう)を切り落とした。大歓声に包まれた館内で振分親方は「本当にありがとうございました」と絶叫して頭を下げた。

 この日は最後の稽古として、現役時代の青い締め込み姿で少年たちに胸を出した。最後の少年との一番では司会者の粋な計らいもあって、代名詞ともいえる気合注入を披露。容赦なく送り出して、白星を飾った。そして、断髪式。涙こそ流さなかったが「来るものが来たという感じ。少しずつ切られていって、少しずつ感傷的になった」と、しみじみと振り返った。

 断髪後の髪形は「モテ男ヘア」として、横を刈り上げて、頭頂部へと盛ったスタイルになった。「生まれ変わったという感じ。モテそう? そんなことございません。そういう経験はありませんから」と照れた。

 この日は、故郷青森から両親や兄2人も駆け付けた。母寿子さん(64)は「まげがなくてもかわいいなと思いました。今後は愛情ある指導をお願いしたい」と温かく見守った。振分親方は「これからは個性があって、相撲も強い力士を探して育てていきたい」と抱負を語った。

関連するニュースを読む

白鵬683勝 高見山になった/秋場所

碧山を肩透かしで破った白鵬は懸賞金を受け取り気合の表情(撮影・鈴木正章)

<大相撲秋場所>◇5日目◇19日◇東京・両国国技館

 無敗の横綱白鵬(28=宮城野)が前頭2枚目の碧山(27)を下して幕内勝利数を683に伸ばし、外国人力士のパイオニアである元関脇高見山の歴代7位の記録に並んだ。前日に横綱日馬富士(29)を破って勢いに乗る相手を肩透かしで退け、通算勝利数も777に。帰り際には高見山さんの物まねも飛び出した。大関琴欧洲(30)、平幕旭天鵬(39)が敗れたため、勝ちっ放しは早くも平幕嘉風(31)と2人だけとなった。

 淡々と話していた白鵬の目が、とたんに輝いた。「へ~、高見山さんかぁ」。今場所、勝利を5つ積み上げて届いた幕内683勝は、元関脇高見山と並ぶ記録。そのことを知ると、表情が生き生きとし始めた。すると突然、自らの声をかすれさせた。「『オレのこと、知ってるか? 外国人で最初の関取なんだよ』と言われましたね」。独特のしゃがれ声を持つ高見山さんの物まねを披露。それだけうれしがっていた。

 27度目の優勝と、自身2度目の4連覇が懸かる今場所。いずれも大記録だが、回数では史上2位の千代の富士(31度)にはまだ手がかからず、自身が朝青龍と並んで持つ7連覇にも遠い。場所前にテーマを聞かれると「うーん、今回は何かありますかね」と渋い表情だった。それだけに、手にした記録がうれしかった。「出会いは高見盛(振分親方)が強かったころの出稽古。『もちろん知ってます。ビデオを見てました』と。その思い出が一番ありますね」と懐かしがった。

 5連勝とした相撲では、前日に日馬富士を破った碧山を相手にしなかった。「しっかり立ち合いだけ、当たっていこうと」。193キロの巨体を受け止めると、左からの肩透かしであっさり転がした。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)は「食事に出かけても1時間で帰ってくるし、場所中は酒を飲まない。場所後でいいんだと言っていたよ」。

 どこかでまだ、燃えるものを見いだせなかった今場所。それでも序盤からの体調管理に余念はなかった。そして早くも2人だけとなった全勝街道。「嘉風関についていくよう頑張ります」。スイッチが、入った。【今村健人】

 ◆高見山 米ハワイ州マウイ島出身で、19歳時の64年春場所初土俵。67年春場所に新十両昇進し外国籍初の関取となる。68年初場所新入幕。192センチ、200キロを超える巨体からの突き押しを武器に72年名古屋場所で初優勝。横綱輪島からは金星7個を獲得した。80年に日本国籍を取得。84年夏場所後に引退。最高位は関脇で、通算成績は812勝845敗22休。引退後は年寄東関を襲名し、親方として横綱曙、小結高見盛らを育てた。独特のかすれ声で「2倍、2倍」と言う寝具メーカーのCMは大人気に。愛称はジェシー。本名渡辺大五郎。69歳。

関連するニュースを読む

高見盛 婚活親方で第2章/初場所

取組前、ほえながら最後の気合を入れる高見盛(撮影・下田雄一)

<大相撲初場所>◇千秋楽◇27日◇両国国技館

 元小結で東十両12枚目の高見盛(36=東関)が27日、現役引退を表明した。初場所で5勝10敗に終わり幕下陥落確実になり決断。千秋楽の取組後に、東関親方(34=元前頭潮丸)先代東関親方の渡辺大五郎氏(68=元関脇高見山)に意思を伝えた。急きょ設けられた引退会見では、先代から「早く嫁をもらって」と願望され爆笑の掛け合いが始まり、高見盛は「いろんな所に足を延ばして知り合いを増やす」と婚活を宣言した。今後は部屋付き親方の年寄「振分」として後進も指導する。

 角界の人気者が、丸14年の土俵生活に別れを告げた。都内のホテルで、急きょ開かれた引退会見。高見盛は、やや顔を硬直させて緊張した表情で席についた。小結が最高位の力士では、異例の100人近い報道陣が集まる中で「高見盛精彦は、力士を引退することになります」と言って深々と頭を下げた。「今、決めたばかりですので、うまく伝えられないけど、少しホッとしたのと、先行き不安なのと半々といった気持ちです」と心境を口にした。

 以前から十両に残留できなければ現役を退く考えを示していた。東十両12枚目で迎えた初場所は12日目に幕下陥落が濃厚になる9敗目を喫した。結局5勝10敗。古傷の右ひざに加え、初場所中は右肩も痛め、腰や首も疲弊し、思い通りに動けなかった。「体が結構ボロボロになった。これ以上、相撲取ってもさらに体を傷つけることになる。それを考えて決断しました」と、引退理由を打ち明けた。

 日大を経て幕下付け出しでデビューしたエリートも、稽古では弱かった。関取になっても、三段目の付け人にかわいがられ、すり足で何度も土俵の周りを歩かされた。心の弱さを吹き飛ばすために始めたのが、土俵で体をたたく気合注入のパフォーマンス。角界のロボコップと呼ばれ、人気が急上昇した。兄弟子だった横綱曙との日々の稽古で力をつけた。「200キロ以上あった曙さんの突き押しに何とか抵抗しようとして、得意の右四つに磨きを掛けた」と元付け人の松本権二氏(元幕下心勇)は言う。

 現役で取った相撲は、1125番。最後となったこの日の千秋楽は、元幕内の若荒雄を相手にすべての力をぶつけた。強烈なのど輪で押されても食い下がり、俊敏に動いて肩透かしを決めた。グッと両拳を握り締め、大歓声に応えた。それでも「悔いはないか?」と問われると「だから、引退したんです」と未練を断ち切るように話した。

 約30分の会見の後半は、高見盛らしく爆笑の連続だった。「相撲界をもっと盛り上げて、若い力士をガンガン増やしたい」と今後の夢を話した後、となりに座った先代東関親方(元関脇高見山)から「早く嫁さんをもらって!」と横やりが飛んできた。「それは、なるようにしかならないと思いますが…」と困ったような顔を浮かべた高見盛に、先代は「いい嫁がいれば…。(故郷の)青森(出身)はいいよ。都会はダメよ」と注文を出す。すると「そういうしばりをするとややこしくなるので…」と、さらに困惑した。

 先代が「グラマーな子がいいよ」とアドバイス? すると、観念したように「とにかく、いろんな所に足を延ばして出て行って、知り合いを増やして。そこからできれば…ということです」と、婚活にも力を入れることを宣言した。

 記録や圧倒的強さではなく、その必死さとまじめさが生む表情と行動が、多くの人に愛された。土俵人生の最後も、湿っぽい涙はない。しこ名の通り、会見場を盛り上げ、笑顔を見せて現役生活の幕を下ろした。【木村有三】

 ◆高見盛精彦(たかみさかり・せいけん)本名・加藤精彦。1976年(昭51)5月12日、青森県北津軽郡板柳町生まれ。小4から相撲を始める。板柳中3年で中学横綱。弘前実2年でインターハイ団体優勝。日大に進学後、4年時に全日本相撲選手権優勝でアマ横綱に。99年春場所幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所新入幕。右ひざ負傷で幕下まで落ちるが、02年春場所再入幕。同秋場所新小結。十両優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回。金星2個。通算563勝564敗(不戦敗含む)46休(83場所)。最高位は小結。得意は右四つ、寄り。独身。187センチ、142キロ。

関連するニュースを読む

高見盛引退「力士でいられるライン切った」

引退会見で思い出を感無量の表情で話す高見盛(撮影・浅見桂子)

 元小結で東十両12枚目の高見盛(36=東関)が27日、現役引退を表明した。大相撲初場所で5勝10敗に終わり幕下陥落が確実になり引退を決断。

 千秋楽の取組後に、東関親方(34=元前頭潮丸)先代東関親方の渡辺大五郎氏(68=元関脇高見山)に意思を伝えた。相撲協会に引退届も提出、理事会で年寄「振分」襲名が承認された。今後は東関部屋の部屋付き親方として後進を指導する。

 引退会見では、右肩や古傷の右足をはじめ、体の各所が悲鳴を上げていたことを吐露。「いろんな人からも(ケガを)治せばまだできるんじゃないかと言われました。自分の中では、自分のライン、自分が力士でいられるラインみたいなものがありまして、それを切ってしまった以上、力士としての力が出るのかどうか、それが出ないということが分かってきているんです、ここ数年」と話し、幕下転落という一線を越えたことで、区切りをつけた心の内を示した。

 一番印象に残っていることを聞かれると「ここまで相撲を取って、人気者と言われて、そこから自分の相撲が、取るたびにお客さんも盛り上がってくれて、いろいろなことがありすぎて、今すぐには全部は言い切れません」と答えた。

関連するニュースを読む

やくみつる氏「解雇か引退か」しかない

 大相撲の横綱朝青龍による暴行問題を受け、日本相撲協会生活指導部特別委員会の委員で漫画家のやくみつる氏は31日、「市井の人を殴ったのだから辞表を出させ、解雇か引退かを決めればいい」と、相撲協会の毅然(きぜん)とした対応を要求した。

 同氏はこの日、元幕内潮丸の東関親方の断髪式にはさみを入れた。騒動を起こし続ける朝青龍に対し「何も改善されていないから、ここは中途半端な処分にしても改善されないでしょう」と土俵を去る以外に選択肢はないことを強調した。

 史上初の外国人横綱でプロレスラーの曙も断髪式に出席。朝青龍と言葉を交わし「本当にやったか分からないし、同じ高砂一門のかわいい弟弟子だから」と気遣った。一方、外国人力士のパイオニアで先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎氏は「横綱は協会最高の力士。一番いけないのは、すぐに理事長に報告しなかったことだ。一門のOBとして恥ずかしい」と苦言を呈した。(共同)

関連するニュースを読む