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大関朝乃山、亡き恩師2人へ「これに満足せずに」

若手力士らに担がれ笑顔を見せる朝乃山(代表撮影)

大関朝乃山(26=高砂)が正式に誕生した。日本相撲協会は25日、大阪市内で大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、朝乃山の大関昇進を全会一致で承認した。大阪市の宿舎で行われた伝達式では、昔からなじみのある「愛」「正義」「一生懸命」の言葉を口上に使用。富山出身では太刀山以来(元横綱)111年ぶりに大関昇進を果たした新大関が、亡くなった恩師2人へ、もう1つ上の番付も誓った。

   ◇   ◇   ◇

人柄の良さ、素直さがにじみ出た。協会からの使者に昇進決定を言い渡された朝乃山は、続いて引き締まった表情で、よどみない声で口上を述べた。

「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」

思いが強い3つの言葉を入れ込んだ。「愛」と「正義」は、母校・富山商高の教育方針や校歌にある「愛と正義の理想」の文言から。「一生懸命」は中学時代から座右の銘にしてきた言葉だった。本格的に相撲を始めた中学時代と、17年に死去した富山商高相撲部監督の浦山英樹さんから徹底して右四つを指導してもらった高校時代。常日頃、地元・富山からの応援に感謝の言葉を口にする、朝乃山らしい言葉選びだった。

運命的な巡り合わせになった。伝達式を行った宿舎の大阪市・久成寺は、83年春場所で大関昇進を決めた師匠の高砂親方(元大関朝潮)が伝達式に臨んだ時と同じ場所。高砂親方や部屋の先輩にあたる朝青龍(元横綱)も、大関昇進の口上で「一生懸命」を用いた。「自分も伝統のある高砂部屋に入れたし、高砂部屋の部屋頭としての責任を持って行動したい」と新大関としての自覚を持った。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、晴れの姿には代表2社など限られた報道陣しか立ち会えなかった。部屋に集まったのも両親や後援会関係者など30人程度。しかしそこには、浦山さんと初場所中に急逝した近大相撲部監督の伊東勝人さんの遺影があった。角界入りの背中を押してくれた浦山さんと、角界で生き抜く技を教えてくれた伊東さん。額に収まる2人の恩師を前に「おかげさまで大関に上がれました。これに満足せずに、もう1つ番付があるので、そこを目指して頑張ります」と誓った。

富山出身では約1世紀ぶりの大関誕生。「富山県の小さい子どもたちから目標にしてもらい、プロに入ってもらうのが、また1つの夢」と地元愛が強い。来週からは早速、夏場所に向けての稽古を再開するという。「次はたくさんのファンの前で」と夏場所でこそ、大勢のファンの前で新大関の姿を披露する。【佐々木隆史】

◆朝乃山英樹(あさのやま・ひでき)1994年(平6)3月1日、富山市生まれ。本名は石橋広暉(ひろき)。相撲は小学4年から始め富山商高3年で十和田大会2位、師匠の高砂親方(元大関朝潮)部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)と同じ近大で西日本選手権2度優勝など。16年春場所、三段目最下位格(100枚目)付け出しで初土俵。188センチ、177キロ。得意は右四つから寄り、上手投げ。通算139勝101敗。好きな女性のタイプは磯山さやか。

タイを手に笑顔の朝乃山(中央)。前列右側は高砂親方夫妻、後列左から2人目は父の石橋靖さんと母の佳美さん(代表撮影)
大関昇進の伝達を受ける朝乃山(右)と高砂親方(代表撮影)

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若一郎ら7力士の引退を発表

日本相撲協会は25日、大阪市内で大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、引退届を提出した以下7力士の引退を発表した(番付は春場所のもの)。

◆若一郎(21=武蔵川)西三段目32枚目

◆春日岫(35=中川)東序二段38枚目

◆照樹(22=伊勢ケ浜)西序二段74枚目

◆琴乃島(30=佐渡ケ嶽)西序二段88枚目

◆刃力(33=錣山)西序ノ口19枚目

◆錣炎奨(22=錣山)東序ノ口21枚目

◆福ノ富士(21=伊勢ケ浜)番付外

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朝乃山も「一生懸命」濃厚、師匠と同じ場で同じ口上

一夜明け会見で高砂親方(左)と握手を交わす朝乃山

大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会が、25日に大阪市で行われる。同会議と同理事会で大関昇進が承認されれば、関脇朝乃山(26=高砂)は歴代250代目の大関となり伝達式に臨む。伝達式の口上では4文字熟語を用いる力士が多く、朝乃山が座右の銘にしている言葉は「一生懸命」。春場所千秋楽後には「中学からずっと使っていた言葉がある」と話し、4文字熟語かどうかを問われ「そうです」と答えていただけに「一生懸命」を使う可能性は高い。

師匠の高砂親方(元大関朝潮)も38年前の同じ春場所で大関昇進を決めた。大阪市内の宿舎で行われた伝達式では「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」と口上を述べた。伝達式が行われる予定の朝乃山の宿舎は、師匠が38年前に伝達式に臨んだ時と同じ宿舎。師匠と同じ場所で、同じ口上を述べれば運命的な伝達式になる。

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高砂親方、朝乃山へ「負けることがニュースになる」

一夜明け会見で高砂親方(左)と握手を交わす朝乃山

大相撲春場所を11勝4敗で終え、大関昇進を確実にした関脇朝乃山(26=高砂)が千秋楽から一夜明けた23日、大阪市の高砂部屋で会見に臨んだ。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響により代表取材となったが、理想の大関像に「真っ向勝負」を掲げた。大関昇進となれば、富山県出身では太刀山(横綱)以来111年ぶりの快挙となる。

   ◇   ◇   ◇

師匠の高砂親方(元大関朝潮)の隣に座った朝乃山は、引き締まった表情で大関像を語った。「いつもと変わらず真っ向勝負の相撲を取っていきたい」。史上初の無観客開催となった春場所で、昇進目安の「三役で3場所33勝」にあと1勝届かず。しかし、誰が相手でも真っ向勝負する姿勢、188センチ、177キロの体を生かした正攻法の右四つが評価された。高砂親方からは「これからは負けることがニュースになる。地位の重さを感じると思う。関脇でも感じるが、その比ではない。そういうことを少しずつ勉強していくことだな」と激励された。

25日に日本相撲協会が開く夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)番付編成会議と臨時理事会で正式に大関昇進が決定する。富山出身では太刀山以来111年ぶりの快挙。富山・呉羽小時代に、その太刀山の遺族が同小学校に寄付した「太刀山道場」で相撲を始めたのが相撲人生の原点。「少しは太刀山さんに近づける1歩を踏み出したという感じ」と照れ笑いした。

横綱戦2連敗を喫した春場所。「まだまだ課題はたくさん。横綱に勝てるようにならないと上の番付は目指せない」。大関昇進にとどまることなく、さらにその上も見据えた。【佐々木隆史】

◆第22代横綱太刀山 富山県出身で1900年(明33)5月場所でデビュー。横綱時代は威力抜群の突きや呼び戻しを武器に56連勝を達成。立ち合いから2発以内に土俵外へ持っていく猛烈な突っ張りは「四十五日」(1突き半=1月半)と評された。幕内勝率は8割7分8厘を誇る。1場所10日制だった当時、優勝9度のうち5度が全勝。

代表取材となった一夜明け会見で記者の質問に答える朝乃山(右)と高砂親方

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大関確実朝乃山「新たなスタート」異例一夜明け会見

一夜明け会見で記者の質問に笑顔で答える朝乃山(右)。左は高砂親方(代表撮影)

大相撲春場所で11勝をあげ、大関昇進を確実にした関脇朝乃山(26=高砂)が23日、大阪市内の部屋で一夜明け会見に臨んだ。新型コロナウイルス感染拡大の影響で代表者による取材のみ。春場所は史上初の無観客開催で行われたが、一夜明け会見も異例の形で行われた。

朝乃山は「優勝には届かなかったが、新たなスタートと思う。大関の座を目指してやってきた。ひとつは目標を達成した」と語った。無観客開催については「今まで声援を受けて相撲をとってきた。声援がないのは苦しかった。応援してくれる人たちがいて、いつも通りのイメージで1日1番しっかりやろうと思ってきた」と明かした。

25日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議で大関昇進が正式に決まる。「(大関は)ないと思っていた。(近大出身で)大阪で決めたことはうれしい。お客さんがいる中で姿を見せたかった」。師匠の元大関朝潮の高砂親方は「俺とは持っているものが違う。生かすのは自分。こうべを垂れる稲穂かなじゃないけど、おのれを磨かないといけない」とエールを送った。

一夜明け会見で記者の質問に答える朝乃山(代表撮影)

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朝乃山、立ち合い変化せず常に真っ向勝負/こんな人

報道陣から大関昇進が決定的となったことを聞かれマスク越しに笑顔を見せる朝乃山(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

新型コロナウイルスの感染拡大防止により史上初の無観客開催となった春場所で、関脇朝乃山(26=高砂)が大関貴景勝を押し倒しで破り、事実上の大関昇進を決めた。昇進目安の「三役で3場所33勝」には1勝届かず。それでも相撲内容が評価され、日本相撲協会審判部の境川部長代理(元小結両国)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。25日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に決定する。

 ◇  ◇  ◇

朝乃山はどんな時でも真っ向勝負をする。小学4年から相撲を始めてから、立ち合いで変化をしたことがないという。「立ち合い変化で勝ってもそれは勝ちじゃない。自分の相撲じゃない。自分を否定することになる」。どんな相手でも仕切りの時には先に手をつき、全力で真っすぐ当たるのを身上にする。報道陣にもそうだ。朝稽古後、報道陣の囲み取材に応じると、どんな質問にもかわさずに素直に答える。20分ほどに及ぶこともしばしば。「もう他にありませんか」と気を使って聞いてくるほどだ。

朝乃山(右)は貴景勝を押し倒しで破る(撮影・前岡正明)

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朝乃山が大関昇進へ、無観客の客席に見た2人の恩師

報道陣から大関昇進が決定的となったことを聞かれマスク越しに笑顔を見せる朝乃山(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

新型コロナウイルスの感染拡大防止により史上初の無観客開催となった春場所で、関脇朝乃山(26=高砂)が大関貴景勝を押し倒しで破り、事実上の大関昇進を決めた。昇進目安の「三役で3場所33勝」には1勝届かず。それでも相撲内容が評価され、日本相撲協会審判部の境川部長代理(元小結両国)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。25日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に決定する。

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しこ名を呼ばれて土俵に上がると、朝乃山はガランとした千秋楽の館内を見上げ、2人の恩師を思い浮かべた。「2階席の端で絶対に見てくれている」。17年の初場所中に亡くなった富山商相撲部監督の浦山英樹さん、今年の初場所中に急逝した近大相撲部監督の伊東勝人さん。2人に見守られて大一番に臨んだ。

負ければ来場所でかど番を迎える貴景勝との真っ向勝負。気合でぶつかった立ち合い、徹底した突き押しではじかれてまわしが取れない。それでも構わず前へ。懸命に伸ばした左でまわしをつかむと、振られても絶対に離さなかった。引かれてもついていき、途中でまわしから手が離れたが押しながら前へ。はたきにも落ちずにしつこく前に出ると大関が背中から転んだ。「辛抱して前に前に出られた。常に前に出る気持ちだった」とどっしりと構えた。

無観客開催の異様な重圧に負けなかった。そのために15日間、2人の恩師を2階観客席に思い浮かべた。「自信を持っていけ」「しっかり当たれ」。高校、大学時代に幾度となく掛けられ続けた言葉を、胸に刻みながら土俵に上がり続けた。これまで過ごしてきた日常をイメージできたからこそ「今場所はいつもの場所と同じ気持ちで臨めた。ありがたい」と感謝する。

全取組後の協会あいさつが終わり、まだ会場内にいる時に審判部が大関昇進をはかる臨時理事会を八角理事長に要請したことを知った。昇進目安に届かなかったこと、14日目に横綱戦2連敗を喫したこともあり「自分の中では大関はないと思っていた」と諦めていた。プロ入り後ずっと夢だった大関。近大出身とあって“第2の故郷”で、師匠の高砂親方(元大関朝潮)と同じ地位が決定的となった。「まだ実感はありません。伝達式か番付を見た時ですかね」と話した。

25日の臨時理事会で大関昇進が正式決定すれば、富山県出身では太刀山(元横綱)が1909年6月に昇進して以来111年ぶりの快挙だ。今場所は地元のファンに直接、勇姿を届けられなかった。だからこそ夏場所は「できたらいつもの場所のようにお客さんの声援を受けたい」。一足早く、理想の大関像を問われると「小さい子どもがプロの世界に入った時に尊敬される力士になりたい」。“富山の人間山脈”はさらに大きな存在感を示し続ける。【佐々木隆史】

朝乃山(左)は貴景勝を押し倒しで破る(撮影・小沢裕)

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大関昇進決めた朝乃山しこ名「山」に4個の思い込め

報道陣との会見を前に笑顔でマスクを着用する朝乃山(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

新型コロナウイルスの感染拡大防止により史上初の無観客開催となった春場所で、関脇朝乃山(26=高砂)が大関貴景勝を押し倒しで破り、事実上の大関昇進を決めた。

昇進目安の「三役で3場所33勝」には1勝届かず。それでも相撲内容が評価され、日本相撲協会審判部の境川部長代理(元小結両国)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。25日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に決定する。

<朝乃山英樹(あさのやま・ひでき)>

◆生まれ 1994年(平6)3月1日、富山市出身。本名・石橋広暉(ひろき)。

◆入門 師匠の高砂親方(元大関朝潮)部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)が近大の先輩という縁もあり16年春場所、三段目最下位格(100枚目)付け出しで豊山と同期で初土俵。

◆サイズ 187センチ、177キロ。

◆家族 両親と兄、弟。全員やせ形。血液型はA。

◆好きな女性のタイプ 磯山さやか。

◆趣味 欧州サッカー観戦。アクション映画観賞。

◆夢 一軒家の購入。

◆しこ名 「山」には出身地の富山、愛称の人間山脈、富山市出身の22代横綱太刀山、富山商の故浦山英樹監督への思いが詰まる。

朝乃山(右)は貴景勝を押し倒しで破る(撮影・前岡正明)

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朝乃山が大関昇進へ、富山県出身力士111年ぶり

朝乃山(左)は貴景勝を押し倒しで破る(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇22日◇エディオンアリーナ大阪

関脇朝乃山(26=高砂)の大関昇進が事実上、決まった。

横綱、大関の昇進をあずかる日本相撲協会審判部の錦戸副部長(元関脇水戸泉)は全取組終了後、八角理事長(元横綱北勝海)に、場所後の25日に朝乃山の大関昇進をはかる臨時理事会の招集を要請。これを快諾された。境川部長代理(元小結両国)が明かした。

この臨時理事会で承認され、その後の大相撲夏場所(5月10日初日、両国国技館)番付編成会議をへて、正式に大関昇進が決まる。

朝乃山は千秋楽で大関貴景勝に勝ち11勝4敗で今場所を終えた。大関昇進の目安とされる三役で3場所通算33勝には1勝届かないが、33勝というのはあくまでも数字上の目安。相撲内容や安定した取り口などが評価され、審判部内の総意で推薦することで意見が一致した。

~朝乃山が大関になると~

◆新大関誕生 19年夏場所の貴景勝(千賀ノ浦)以来、平成以降では27人目。

◆富山県出身 1909年6月の太刀山(元横綱)以来、111年ぶり。

◆高砂部屋 02年秋場所の朝青龍以来となる。

◆学生相撲出身 豊山、輪島、朝潮、武双山、出島、雅山、琴光喜に続き8人目で、近大出身では師匠の高砂親方(元朝潮)以来2人目になる。

◆付け出し 豊山(幕下10枚目)輪島(幕下60枚目格)朝潮(同)武双山(同)出島(同)雅山(同)琴光喜(同)に続き、三段目100枚目格では初めて。

◆三役通過 昇進目安の番付を「3場所連続三役」とすれば、新三役から所要3場所で大関昇進は00年名古屋場所の雅山以来約20年ぶり。

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番付に38年ぶり「横綱大関」白鵬か鶴竜が大関兼任

来場所は1人大関となる貴景勝(18年11月26日)

日本相撲協会審判部は29日、両国国技館で春場所の番付編成会議を開き、横綱が大関を兼ねる「横綱大関」を番付表に記載することを確認した。豪栄道の陥落、引退により、貴景勝の1人大関で西大関が空位となるため。西横綱に就く白鵬、鶴竜のどちらかが、大関を兼ねる。

横綱が力士の最高位となった1909年(明42)以前は大関が最高位で、横綱は大関から選ばれた称号だった。江戸時代から役力士と呼ばれる小結、関脇、大関の東西三役は欠かせない。平幕の成績優秀力士から補うことのできる小結、関脇と違い、大関は昇進条件があるため、不在の場合は横綱が大関を兼ねる。番付表で「横綱大関」と表記されるのは、琴風が1人大関だった82年初場所で西横綱の北の湖が兼ねて以来38年ぶりとなる。

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小兵の翠富士が新十両、炎鵬&照強のいいとこ取りを

新十両昇進を果たした翠富士(撮影・佐藤礼征)

日本相撲協会は春場所(3月8日初日、大阪・エディオンアリーナ)の番付編成会議を開き、翠富士(23=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。

170センチの小兵は、東京・江東区の部屋で行われた会見に出席し、集まった報道陣を前に「こんなにたくさんの方が集まってくれて『あっ!』となった。実感が湧いてきた」。静岡県出身の力士としては13年春場所の栃飛龍以来となる新十両。「友達や(飛龍高時代の)監督から連絡がきた。(出身の焼津市は)昔から育ってきたところ、地元が大好きなので盛り上げていきたい」と意気込みを語った。

近大を2年で中退して16年秋場所で初土俵を踏んだ。序ノ口デビューから所要3場所で幕下昇進を果たし、着実に番付を上げてきた。170センチ、107キロと小柄ながら「うちの部屋はがっちり(稽古を)やる。やってきたことが自信につながった」と、猛稽古で力をつけてきた。

東幕下2枚目だった初場所で5勝2敗の成績を収めて、新十両昇進を手中に収めた。会見に同席した師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「立ち合いが良くなってきた。相撲はいなしや技もあるが、それを生かすには最初の立ち合いでしっかり当たらないといけない。それができるようになってきた」と目を細めた。入門から20キロ近く増量したという翠富士は「(幕下上位では)圧力負けすることが多かったので、ご飯を食べる努力をした」と胸を張った。

幕内では身長160センチ台で自身より小さい炎鵬や兄弟子の照強が活躍している。「炎鵬関みたいに相手の力を逃がす相撲じゃない」「照強関みたいにめちゃくちゃな出足があるわけじゃない」と謙虚な姿勢を崩さなかったが「2人の中間のような相撲を取れれば。2人を見習っていきたい」と、“いいとこ取り”を宣言。甘いマスクも兼ね備える23歳は「いつか同世代のトップを走っていた(大関)貴景勝関や(前頭)阿武咲関と戦ってみたい」と、目を輝かせた。

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大関陥落の豪栄道が引退へ 今後年寄襲名し後進指導

1月26日、初場所の千秋楽で阿武咲に敗れた豪栄道

大相撲の大関豪栄道(33=境川)が27日、引退の意向を固めたことが分かった。この日までに師匠の境川親方(元小結両国)が、日本相撲協会に引退の意向を伝えた。

豪栄道は自身9度目のかど番で迎えた初場所で、5勝10敗と負け越して大関からの陥落が決まっていた。年寄資格審査委員会などの手続き終了後に正式に引退が決定する。

   ◇   ◇   ◇

苦労し続けてきた大関が、ついに土俵から去る決意を固めた。日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)はこの日、「豪栄道が引退の意向を固めた。境川親方から豪栄道の引退の意向を伝えられた」と明かした。29日に行われる春場所(3月8日初日、大阪・エディオンアリーナ)の番付編成会議を前に、大きな決断をした格好となった。

豪栄道はかど番で迎えた初場所12日目に、新関脇の朝乃山に負けて大関からの陥落が決まった。大関在位33場所は歴代10位の長期記録だったが、若手の大関候補を前に屈し「力がなかったということ」と力不足を認めていた。その一番を幕内後半戦の審判長として見届けていた境川親方からは「来場所はご当所。勝負をかけるならそこ。そのためにも今場所は最後まで」と期待を懸けられれていた。しかし最後は2連敗を喫し、大関としては自身2度目の10敗で初場所を終えた。

26日の千秋楽では「自分の持てる力は全部出し切りました」と言葉少なに場所を振り返り、去就については「今日はまだ答えられません」と話すにとどめた。境川親方も「続けるにしても、やめるにしてもあと1日、2日、猶予をください。今どうこうは何も言えない」と話していたが、この日までに引退の意向が協会に伝えられていた。

18歳だった05年初場所で初土俵を踏み、初優勝は30歳で迎えた16年秋場所だった。左膝の半月板損傷や両肩の剥離骨折、左眼窩(がんか)内壁の骨折など数々のケガに苦しみながらも、自身4度目のかど番で大願成就。綱取りとなった同年九州場所ははね返されたが、ここまで7度の優勝次点を果たすなど大関として気を吐き続けてきた。

初場所で陥落が決まったことで、昨年秋場所から貴景勝、栃ノ心、高安と、昭和以降初となる3場所連続大関陥落の記録を更新する形になってしまった。それでも10勝で大関復帰となる、ご当所で迎える春場所での奮起も期待されたが、ついに力尽きてしまった。今後は年寄を襲名し後進の指導にあたり、角界を支えていく。

◆豪栄道豪太郎(ごうえいどう・ごうたろう)1986年(昭61)4月6日、大阪府寝屋川市生まれ。本名・沢井豪太郎。明和小1年で市の相撲大会で優勝。小3から道場に入り本格的に始める。小5時に全国わんぱく相撲優勝。埼玉栄では高校横綱となり、境川部屋へ入門。05年初場所初土俵。07年秋場所新入幕。かど番だった16年秋場所で全勝優勝。三賞は殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回。得意は右四つ、寄り。通算成績は696勝493敗66休。183センチ、160キロ。

26日、大相撲初場所千秋楽で阿武咲(左)に下手投げで敗れ、土俵に座り込む豪栄道
初場所12日目、朝乃山に敗れ大関からの陥落が決まった豪栄道(2020年1月23日撮影)

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関脇陥落の豪栄道…親方29日までに去就「猶予を」

阿武咲に下手投げで敗れた豪栄道(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇千秋楽◇26日◇東京・両国国技館

関脇陥落が決まった大関豪栄道(33)の去就について師匠の境川親方(元小結両国)は千秋楽の取組終了後、29日の春場所番付編成会議までに結論を出すことを明言した。

12日目に負け越しと陥落が決まった時点では「戦う力はまだある。来場所はご当所だし勝負をかけるならそこ」と現役続行を示唆していたが、本人の意思確認は控えていた。「続けるにしても、やめるにしてもあと1日、2日、猶予をください。今どうこうは何も言えない」と話し今日27日にも本人の意思を確認する意向。「その(引退の)時は皆さんにお知らせするし、なかったら続けるということ」とも話した。阿武咲に敗れ10敗目を喫した豪栄道は「自分の持てる力を全部、出したと思います」と語り去就については「今日はまだ答えられません」と話すにとどめた。

豪栄道(下)を下手投げで破る阿武咲(撮影・河田真司)

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照ノ富士が十両復帰「やめたら後悔」師匠の言葉支え

照ノ富士(2013年9月29日撮影)

日本相撲協会は27日、福岡市内で来年1月の大相撲初場所(12日初日・両国国技館)の番付編成会議を開き、大関経験者の照ノ富士(27=伊勢ケ浜)、小結経験がある千代鳳(27=九重)ら5人の再十両を決めた。三役経験者の三段目以下降格後の十両復帰は明治以降、2、3人目という異例の復帰劇となった。新十両はなく30場所ぶりの魁(33=芝田山)、美ノ海(26=木瀬)、朝玉勢(26=高砂)が返り咲いた。

再び大銀杏(おおいちょう)を結える。締め込みも化粧まわしも、日の目を見る。感慨を胸に照ノ富士のコメントは控えめだ。「あらためて気が引き締まる。今よりも前よりももう少し頑張らないといけない」。

7戦全勝で条件クリアの九州場所13日目から5日後の吉報。今年1月、周囲に引退をもらした男には感謝の言葉しかない。「親方やおかみさん、落ちても変わらず応援してくれた方々の支えがあった。ファンからの声援も大きかったのでもう1回、皆さんに恩返ししたい気持ちで頑張った」。

大関在位14場所、優勝1回、優勝決定戦2回、優勝次点2回。大阪で新横綱稀勢の里の“敵役”となったのは、まだ約2年半前のこと。だが、横綱候補の前途は両膝の手術、糖尿病で暗転した。「やめたら後悔する」という師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)らの支えで、3月の春場所で5場所ぶりに土俵復帰。大関経験者が幕下以下で相撲を取るのは初めてだった。

邪魔するプライドも忘れ序二段から、ひたむきに取った5場所を32勝3敗で駆け上がった。10場所ぶりの関取復帰に「15日間、出る以上は精いっぱい力を出し切って頑張りたい」。十両を3場所通過なら、目標の「東京五輪時に幕内力士」という次なる夢がかなう。

九州場所幕下優勝の照ノ富士(2019年11月24日撮影)

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照ノ富士が関取復帰「あらためて気が引き締まる」

照ノ富士

日本相撲協会は27日、福岡国際センターで来年の大相撲初場所(1月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、九州場所(24日千秋楽)の幕下で7戦全勝優勝した、大関経験者の西幕下10枚目照ノ富士(27=伊勢ケ浜)ら5人の再十両昇進を発表した。新十両はいなかった。

照ノ富士は、昇進した15年名古屋場所から17年秋場所まで、14場所で大関に在位したが、手術した両膝の負傷や内臓疾患などで18年夏場所の東十両8枚目(9敗6休)を最後に、関取の座を失った。翌場所から4場所連続全休。「これでやめたい、という気持ちもあった」と自分の中で1度は引退に心が傾いた時もあったが、再起を促す周囲の声もあり治療とリハビリに専念した。

過去に大関から陥落後、本場所で相撲を取った力士はいるが、それも十両まで。幕下以下で相撲を取った力士はいなかった。プライドもあり、年齢的な衰えからくるものだが、照ノ富士は今年3月の春場所、西序二段48枚目で再起の土俵に上がった。

その場所を7戦全勝(優勝決定戦に敗れ優勝同点)、5月の夏場所は東三段目49枚目で6勝1敗、7月の名古屋場所も東幕下59枚目で6勝1敗、9月の秋場所は7番相撲で敗れ全勝でならなかったが6勝1敗と順調に復帰の道を歩み、7戦全勝が条件だった九州場所で13年秋場所の十両、15年夏場所の幕内に続く3度目の各段優勝を条件クリアの7戦全勝で果たした。

18年夏場所以来、10場所ぶりの再十両で関取復帰を果たした照ノ富士は、取材対応で以下のように胸中を語った。

-昇進が決まった

照ノ富士 あらためて気が引き締まる。今よりも、前よりも、もう少し頑張らないといけないという思いです。

-序二段まで落ちて、どのような思いで相撲を取っていたか

照ノ富士 親方やおかみさん、落ちても変わらず応援してくれた方々の支えがあった。ファンからの声援も大きかったので、もう1回、皆さんに恩返ししたいという気持ちで頑張った。

-関取として、どんな相撲を取っていきたいか

照ノ富士 15日間、取ることになるので15日間、出る以上は精いっぱい力を出し切って頑張りたい。

-応援してくれるファンに向けて

照ノ富士 さっきも言ったように、応援してくれる方の期待に応えられるように頑張りたい。

-来場所の目標は

照ノ富士 一番一番を集中して、具体的に何番とかはないが、1つでも多く白星を挙げられるように頑張りたい。

◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお) 1991年(平3)11月29日、モンゴル・ウランバートル出身。本名=ガントルガ・ガンエルデネ。11年5月の技量審査場所で間垣部屋から初土俵(その後、伊勢ケ浜部屋へ転属)。しこ名は若三勝から13年秋場所の新十両昇進を機に照ノ富士に改名。14年春場所で新入幕。15年春場所で新三役の関脇に昇進。13勝2敗の優勝次点、翌夏場所は12勝3敗で初の幕内優勝を果たし、場所後に大関昇進。14場所あった大関在位中は3度の優勝次点があったものの、一方で膝のケガによる3度の休場を含む7度の負け越しと苦しんだ。三賞受賞4回。192センチ、178キロ。右四つ、寄り。

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豊昇龍が新十両「着物作って」おじ朝青龍におねだり

新十両昇進の会見に臨んだ豊昇龍はおじの元横綱朝青龍関の写真を報道陣から渡され笑顔で記念撮影に臨む(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付編成会議を開き、元横綱朝青龍のおい、豊昇龍(20=立浪)らの新十両昇進を決めた。東幕下5枚目だった秋場所で4勝3敗の成績を収め、序ノ口デビューから所要10場所。おじより1場所遅い昇進となった。茨城・つくばみらい市で行われた会見に出席し、司会者に「豊昇龍“関”」と呼ばれると「自分のしこ名に“関”とついてすごく気持ちいい」と笑顔。関取に昇進した実感が湧いて出てきた。

秋場所で2敗目を喫し、その敗戦を受けておじがツイッターで書き込んだ「甘い!」「戦うなら殺すつもりでいけ!」というゲキに発奮した。「(負けて)すごく落ち込んでいたので気合が入った。俺のことを期待して、応援してくれるから」。小さい頃から厳しかったおじだが、10月2日には新十両昇進を祝ってモンゴルでパーティーを開催してくれるという。モンゴルに帰るのは入門して2度目。会見では、昇進祝いとして「おじさんに着物を作ってもらいたい」と“おねだり”する一幕もあった。

おじ譲りの強靱(きょうじん)な足腰が武器で、師匠の立浪親方(元小結旭豊)も「教えてできるものじゃない。天性の身体能力」と舌を巻く。15歳で日本に留学してきた時は175センチ、66キロだったが、5年間で187センチ、125キロに成長。身長はいまだ伸び続けているという。関取としてはまだまだ細身だが、師匠は「雑用も減るしこれからもっと大きくなる。どのくらい強くなるのか分からない。これから白まわしを締めることで内面も強くなっていく」と大きな期待を寄せた。

研究熱心な一面ものぞかせる。相撲を始めた高校時代から、相撲関連の動画を見るのが趣味。プロに入ってからも、自身が負けた取組は何度も見直す。「負けた取組を見ると、自分の悪いところが分かるから。高校の頃から布団の中で寝る前にたくさん見る」。他の力士で1番見るのは、もちろん現役時代のおじの取組。「どうしたらこの人みたいになれるのかなといつも思っている」と、最高の手本にしている。以前、足の親指の力が不足していると指摘され「新聞紙を(指で)つかむトレーニングをしろ」とアドバイスをもらった。豊昇龍の他に同じく新十両昇進を決めた琴手計改め琴勝峰、元横綱大鵬の孫の納谷、北の若ら次代の主役候補がそろう同年代。将来的な目標を問われると「おじさんのいったところ(横綱)までいきたい」と、角界の頂点を見据えた。

新十両昇進の会見に臨む豊昇龍(左)と立浪親方(撮影・小沢裕)

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琴手計改め琴勝峰が昇進会見「前に出る相撲磨く」

新十両昇進会見で佐渡ケ嶽親方(右)と握手をかわす琴手計改め琴勝峰

大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付編成会議で新十両昇進を決めた琴手計改め琴勝峰(20)が25日午後、千葉・松戸市にある佐渡ケ嶽部屋で、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)同席の元、晴れの昇進会見に臨んだ。

高校相撲の強豪・埼玉栄3年時の17年九州場所で初土俵。同高同学年で元横綱大鵬の孫にあたり幕下上位の納谷(大嶽)や塚原(春日野)、三段目の土佐栄山(阿武松)とともにライバルの出世争いを演じ、先んじて関取の座を射止めた。所要丸2年の12場所で新十両昇進を決めたが「全然、実感がわきません」と話した。昇進の一報を電話で知らせてくれた師匠からは「まだまだ上は、たくさんあるから進んでいかなければいけない」と言われたという。前述の納谷らはもちろん、やはり新十両昇進を決めた豊昇龍(立浪、日体大柏高卒)も同学年。彼らをライバル視していたかについては「そんな気持ちにはならなかった。自分は自分。ちゃんと稽古していれば番付は上がると思っていたので(ライバル)意識はない。刺激にはなるけど、自分でやることはやろうと思っていた」と話したが、師匠は全く逆で「私は気にしていました。必ず1番で(十両に)上げてやろうと思っていました。(ライバルたちの)相撲も見ていました。絶対に1番で上げてやろうと。それがかなって良かった」と、あまり喜びを表に出さない弟子とは対照的に、満面に笑みを浮かべた。

190センチ、160キロの恵まれた体を武器に、基本的には突き、押し。組んでも右四つから馬力を生かして前に出る相撲が身上だ。本名は手計富士紀。昇進を機に、しこ名を「琴手計富士紀(ことてばかり・としき)」から「琴勝峰吉成(ことしょうほう・よしなり)」に改名した。相撲を始めた幼稚園時代から「誇りに思って見ていてくれた」父方の祖母で、琴勝峰が小学5年時に他界した矣矩子(いくこ)さんの戒名から「勝」の1文字をもらい、「峰」は「てっぺんを目指すように」と加えた。さらに下の「吉成」は師匠の知人から「勝峰」の字画に合った名前として命名されたという。精神面も含め、目指す力士像に大関経験のある琴奨菊を挙げる。「しこ名の通り、てっぺんを目指してほしい。(横綱? の問いに)そこしかない」と期待を寄せる師匠を横に「押しても四つでも、とにかく前に出る相撲に磨きをかけたい」と抱負を語った。

新十両昇進会見で琴手計から改名したしこ名を披露する琴勝峰
新十両昇進を決めガッツポーズする琴手計改め琴勝峰

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元横綱朝青龍おい豊昇龍が新十両昇進 琴勝峰も

豊昇龍(左)は下手投げで彩を下す(2019年9月21日撮影・加藤諒)

日本相撲協会は25日、東京・両国国技館で九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付編成会議を開き、元横綱朝青龍のおいで日体大柏高出身の豊昇龍(20=立浪)と、埼玉栄高出身の琴手計改め琴勝峰(ことしょうほう、20=佐渡ケ嶽)の新十両昇進を発表した。将来の相撲界を背負う可能性のある逸材2人が、同時に関取となった。

モンゴル出身の豊昇龍は、昨年1月の初場所の初土俵から、所要11場所での昇進となった。前相撲で初土俵を踏んだ力士としては、現在前頭の炎鵬らの所要6場所が1位。スピード出世の上位10傑には入らないが、負け越しは3勝4敗だった今年7月の名古屋場所の1度だけ。しぶとく勝ち越しを続ける負けん気の強さと勝負強さは、おじの元朝青龍譲りだ。

185センチで120キロ足らずと、細身の筋肉質な体から、スピードと豊富な運動量を駆使しした、激しい取り口が持ち味だ。すでに多くのファンの視線をくぎ付けにしている。今月22日まで行われた秋場所も、東幕下5枚目で臨み、2勝3敗から連勝で勝ち越していた。初土俵が同じで「ライバル」と公言する、元横綱大鵬の孫で東幕下10枚目の納谷よりも先に、十両昇進を決めた。

千葉・柏市出身の琴勝峰は、17年11月の九州場所の初土俵から、所要12場所での昇進となった。190センチの長身に、160キロを超える、恵まれた体格を生かした、スケールの大きな相撲が持ち味だ。豊昇龍と同様に負け越しは1度だけで、現在は6場所連続勝ち越し中。秋場所は西幕下4枚目で4勝3敗だった。

また再十両は若元春(荒汐)、天空海(立浪)、明瀬山(木瀬)の3人だった。

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8・26番付発表、初日は9・8 秋場所日程発表

日本相撲協会は21日、東京・両国国技館で御免祝いを開き、大相撲秋場所(9月8日初日、両国国技館)前後の主な日程を発表した。

◆8月26日=番付発表

◆27日=力士会

◆31日=横綱審議委員会稽古総見(一般公開)

◆9月2日=新弟子検査

◆6日=取組編成会議

◆7日=土俵祭、優勝額贈呈式

◆8日=秋場所初日

◆22日=秋場所千秋楽

◆23日=横綱審議委員会定期委員会

◆25日=九州場所番付編成会議

◆26日=相撲教習所卒業式、入所式

◆28日=里山引退佐ノ山襲名披露大相撲

◆29日=稀勢の里引退荒磯襲名披露大相撲

◆30日=明治神宮参拝・土俵入り、全日本力士選士権

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新十両魁勝「ビックリした」浅香山部屋初の関取誕生

魁勝(右)は満面の笑みで浅香山親方と握手を交わす

大相撲秋場所(9月8日初日、東京・両国国技館)で新十両に昇進することが決まった魁勝(24=浅香山)が24日、名古屋市の部屋宿舎で会見した。会見には師匠の浅香山親方(元大関魁皇)も同席。

14年2月に同親方が部屋を創設して以来、同部屋としては初の関取となった。魁勝は開口一番「信じられない気持ち。おかみさんから電話で『上がったよ』と言われてビックリした」と、声を弾ませた。

名古屋場所では西幕下4枚目で4勝3敗と勝ち越した。だが同5枚目の若元春が5勝2敗としていた。番付編成会議を行う審判部に所属する浅香山親方は「魁勝は、若元春に負けています」と、むしろ自分の弟子よりも、他の部屋の力士が十両昇進にふさわしいとして、進言したという。だが通称「入れ替え戦」と呼ばれる幕下陥落の危機にある十両力士との取組の結果など、総合的に判断して魁勝が昇進にふさわしいと判断された。

この日が47歳の誕生日だった浅香山親方は「正直、上がるとは思っていなかった。驚いた」と、何よりのサプライズのプレゼントに目じりを下げた。6年目での関取誕生だが「早かった」と、振り返る。魁勝は高校3年時に、柔道100キロ級で愛知県大会4強の実績はあったが、相撲経験はなかった。同親方は「うちは素人の子ばかりだから、もっと時間がかかると思っていた。本当によく頑張ってくれた。とりあえず、一つの目標を達成できた」と話し、今後は幕内力士、さらには次の関取育成という新たな目標を掲げた。

実は魁勝は過去に2度、引退を決意し、師匠に伝えたことがあったという。魁勝は「番付が上がらなかったり、全敗したり…。でも辞めないでよかった。親方に『絶対に続けていれば、いいことがあるから』と言われ、それを信じてやってきた」と、満面の笑みを見せて話した。浅香山親方も当時を思い出し「今やっていることは無駄じゃない。やり切ってダメなら仕方ない。でも、まだまだ、やり切っていないと思った」と、熱い口調で語った。

師弟ともに厳しい稽古で成長してきた自負がある。だからこそ浅香山親方は「今後も厳しく指導する」と宣言。それを横で聞いていた魁勝は「ほどほどで…」と、人なつっこい笑顔を見せながら、恐る恐る返し、会見場の笑いを誘っていた。

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