上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

御嶽海休場明け初戦で白鵬に土 満身創痍で快挙達成

白鵬(右)を押し出しで破った御嶽海(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇11日目◇23日◇東京・両国国技館

左膝付近の負傷で7日目から休場していた小結御嶽海(26=出羽海)が、記録ずくめの復活星を挙げた。

全勝で42回目の優勝へ突っ走っていた横綱白鵬を押し出した。休場明け最初の取組で、横綱を倒すのは52年初場所の横綱東富士以来67年ぶり。関脇以下が1場所で3横綱総ナメは、大乃国以来35年ぶりの快挙となった。

土俵上に座布団が舞い、花道へ引き揚げる勝者は左足をひきずっていた。6日目に左膝を負傷した御嶽海が、白鵬の独走ムードに待ったをかけた。昨年秋場所から休場をはさんで25連勝中だった横綱に、まわしを触らせない。痛いはずの左足を踏ん張り、張られても果敢に前へ出た。後手後手になった白鵬を一直線に土俵外へ。「横綱は強い。自分の相撲、前に出ることしか考えてなかった」。移動は付け人に肩を借り、階段は手すりが頼り。満身創痍(そうい)の中で、会心の1勝を手にした。

2つの快挙を達成した。休場明け最初の対戦相手に横綱が組まれるのは戦後9人目。白星を挙げるのは52年初場所の横綱東富士以来、67年ぶりとなった。関脇以下の3横綱総なめも、84年春場所の関脇大乃国以来35年ぶり4人(5回)目。「良かったんじゃない。なかなかできる体験じゃないしね」と、顔色一つ変えずうなずいた。

休場中のうっぷんを晴らした。左膝の治療で体も動かせなかった4日間。幕内の取組をテレビで観戦した。「ここにいないのが不思議で悔しかった」と吐露。それでも「これも自分への試練。乗り越えたらいいんじゃない」と深く考え込まなかった。「おいしいものしか食べたくないし飲みたくない」という気分屋。プロテインなどのサプリは摂取せず「ナチュラルボディ」で勝負する。左膝の状態については「大丈夫」と弱気を見せない。残り4番、全勝する覚悟だ。【佐藤礼征】

白鵬を押し出しで破った御嶽海(撮影・丹羽敏通)

関連するニュースを読む

宇良、長期休場か 稲川親方が靱帯断裂重傷だと明言

負傷し車いすに乗り引き揚げる宇良(2019年1月22日撮影)

西幕下23枚目の宇良(26=木瀬)が長期休場する可能性が出てきた。

幕下豊昇龍戦で右膝を負傷してから一夜明けた23日、部屋付きの稲川親方(元小結普天王)が「前十字靱帯(じんたい)断裂です」と、重傷だったことを明かした。宇良は幕内だった一昨年秋場所で今回と同じけがを負い、6場所連続休場。東三段目91枚目となった昨年秋場所で復帰後、一気に番付を戻していた中での悲運だった。

稲川親方は「再び手術なら復帰に数カ月かかる」と話した。手術回避も模索しつつ、今後の方針を決めるという。また前頭琴勇輝が右膝付近を痛めて約10日間、千代の国が左膝複合靱帯損傷で約2週間、十両隆の勝が右膝前十字靱帯損傷で約1カ月の加療を要するとの診断書を提出、この日から休場した。

関連するニュースを読む

ベテラン栃飛龍「クソ~ッ」若元春との全勝対決で土

若元春の寄りを懸命にこらえる栃飛龍(左)(撮影・丹羽敏通)

<大相撲初場所>◇11日目◇23日◇東京・両国国技館

静岡県三島市出身の東幕下44枚目栃飛龍(31=春日野)に6番相撲で土がついた。

新十両を確実にしたい西幕下3枚目若元春との全勝対決。立ち合いは五分だったが、左を差し込まれた。不利な形から体を入れ替え、土俵際まで押し込んだが、最後は左下手まわしを引かれ、寄り切られた。

「クソ~ッ、惜しかった~」。13年秋場所の幕下で対戦した時は立ち合い変化から、突き落としで勝った。「一瞬(変化が)頭をよぎったけど、調子もいいし思い切っていこう」と決めた。「悪い相撲じゃなかった。あと1番、しっかりとります」。ベテランが元気よく、気持ちを切り替えた。

若元春(左)に寄り切りで敗れる栃飛龍(撮影・鈴木正人)

関連するニュースを読む

豪風「温かい声援送ってくれた」感謝の引退会見

引退会見で笑顔を見せる豪風(撮影・河田真司)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が23日、都内のホテルで引退会見に臨んだ。9日目に8敗目を喫し、負け越しが決まって決断。「ここ1、2年は豪風らしい相撲が取れなくなった」。今後は年寄「押尾川」として尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。約16年の大相撲人生の中で熱く語ったのは、故郷の秋田への思い。県勢唯一の関取として奮闘した。「勝っても負けても秋田の人は温かい声援を送ってくれた」と感謝した。断髪式は来年2月1日、国技館で行う予定。

身長172センチと小兵ながら、学生出身として史上最多の幕内出場1257回。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進するなど、数々の記録を打ち立ててきた。師匠の尾車親方(元大関琴風)は「豪風が頑張ったから嘉風や、今の若手が続いている。いい弟子に巡り会えた」と話した。

14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定していた。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

関連するニュースを読む

手芸得意な鉄人玉鷲が大関昇進欲で自己最速タイ給金

錦木(手前)を激しく攻める玉鷲(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇東京・両国国技館

関脇玉鷲(34=片男波)が、優勝戦線に踏みとどまった。平幕の錦木を押し出し、2敗を守った。横綱稀勢の里に続き元関脇豪風が引退し、この日は元幕内の幕下宇良、平幕の千代の国と琴勇輝と故障者が続出…。波乱が続く本場所で、04年春場所序ノ口デビュー以来無休、現役最長通算1146連続出場中の“34歳の鉄人”が存在感を発揮した。横綱白鵬は全勝を守り、後続に2差つけて独走態勢に入った。

腰の重さは平幕屈指の錦木も、玉鷲のパワーは止められない。立ち合いでガツンと頭で当たり、距離を置いてもう1発。右、左と交互にのど輪でのけぞらせ、最後はもろ手突きではじき飛ばした。「ちょっと緊張した。勝ち越しで? やっぱ、そうですね」。そんな繊細さをかけらも感じさせない圧勝だった。

34歳の鉄人だ。スポーツ未体験ながら、モンゴルの先輩鶴竜に巨体を見込まれて角界入りすると、04年春場所の序ノ口デビューから休場がない。この日は幕下宇良に始まり、幕内で千代の国、琴勇輝と故障者が続出したが、現役トップの通算連続出場を1146回に更新した。

横綱稀勢の里が引退、3大関は栃ノ心が休場、豪栄道と高安がもたつき、横綱白鵬の独走気配が漂う場所で「盛り上げないといけないでしょう。そのために頑張るしかない」という。今場所は4度目の三役返り咲きで、関脇に座る。「うれしいね。今までは(元の位置に)上がったな、だったけど、今は(もっと)上りたいという気持ち」。幕内での10日目勝ち越しは、12年夏場所以来2度目の自己最速タイ。根っからスロースターターが34歳で大関を夢見始めた。

188センチ、173キロの巨体に似合わず? 手先が器用だ。手芸が得意で、絵もうまい。日曜大工でイスも作る。この日の取組後は、床山にニマ~っと笑って「バリカタでよろしくね」と、まげの結い加減をラーメン風にリクエストし、周囲の爆笑を誘った。相撲は豪快で、性格はゆるキャラ。不思議な34歳が、白鵬を追いかける。【加藤裕一】

◆通算連続出場 玉鷲の通算連続出場1146回は、序ノ口から幕内までの現役力士の中で1位(初場所10日目終了時点)。昨年の秋場所初日に、それまで1位だった三段目芳東を追い抜く(幕下以下は1場所7番のため)。歴代1位は64年夏場所から86年名古屋場所にかけて、先代不知火親方(元関脇青葉城)の1630回。

関連するニュースを読む

負傷休場中の御嶽海、11日目白鵬戦から再出場へ

初場所6日目に負傷した御嶽海(2019年1月18日)

左膝付近のけがで7日目の19日から休場していた西小結御嶽海が、11日目の23日から再出場する。横綱白鵬との対戦が組まれた。

休場明け最初の対戦相手に横綱が組まれるのは、戦後では昨年秋場所8日目の豊山-白鵬以来9回目となる。

関連するニュースを読む

39歳豪風の去り際の美学 前夜尾車親方に引退意思

豪風(2018年5月18日撮影)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役を引退した。日本相撲協会理事会で年寄「押尾川」襲名を承認され、今後は尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。23日に記者会見する予定。

後悔は残さなかった。前夜の午後11時頃、師匠の尾車親方(元大関琴風)に「自分はもうすっきりしています」と報告した。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定。「力士として自分なりの潔さを」と決意を固めた。15年以上、土俵で活躍を続けた弟子に、師匠は「俺からは不満不平はない。あんな小さな体で戦えたのは節制と努力のたまもの」とねぎらった。

幕内出場1257回は史上8位で、学生出身力士として史上最多。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。16日に引退した元横綱稀勢の里に続き、角界を支えた名力士が土俵を去る。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

関連するニュースを読む

幕下宇良が朝青龍おい豊昇龍に敗れ右膝負傷、病院へ

負傷し車いすに乗り引き揚げる宇良(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇東京・両国国技館

元幕内で西幕下23枚目の宇良(26=木瀬)が右膝を負傷し、病院に向かった。

元横綱朝青龍のおい、西幕下21枚目豊昇龍との注目の取組で、掛け投げを食って敗れた。宇良は最後に右脚だけでこらえる体勢になった。土俵を降りる際も片足立ちで呼出の肩を借り、花道で車いすに乗って、館内の診療所へ。病院に向かうため、車に乗り込む時に「病院に行って、くわしく診てもらいます」と話した。

宇良は西前頭4枚目だった17年秋場所2日目、貴景勝戦で右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂し、6場所連続休場した。手術、リハビリを経て、東三段目91枚目まで番付を落とし、昨年秋場所からの復帰3場所目。古傷を痛めた可能性が高い。

宇良(左)は豊昇龍に掛け投げで敗れる(撮影・鈴木正人)

関連するニュースを読む

豪風引退 尾車親方も「節制と努力」をねぎらう

21日、若元春(右)は豪風を押し出しでやぶる

大相撲の元関脇で東十両12枚目の豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役引退を表明した。9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決まっていた。今後は年寄「押尾川」を襲名し、後進の指導に当たる見込み。

昨夜午後11時ごろ、師匠の尾車親方(元大関琴風)に「自分はもうすっきりしています」と電話で報告した。今場所が通算100場所目と長年にわたって角界で戦ってきた弟子の決断に対し、師匠も「俺から不満不平はない。あんな小さな体で戦えたのは、節制と努力のたまもの」とねぎらった。

中大4年時に学生横綱に輝き、2002年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。02年秋場所で新十両、03年春場所で新入幕を果たし、08年春場所で新小結、14年秋場所には35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。

小柄ながら突き、押しを武器に、史上10位の幕内在位86場所、史上8位の幕内出場1257回と長く活躍した。

関連するニュースを読む

元関脇豪風が現役引退を表明 「押尾川」で後進指導

21日、若元春(右)は豪風を押し出しでやぶる

大相撲の元関脇で東十両12枚目の豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役引退を表明した。9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決まっていた。今後は年寄「押尾川」を襲名し、後進の指導に当たる見込み。

中大4年時に学生横綱に輝き、2002年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。02年秋場所で新十両、03年春場所で新入幕を果たし、08年春場所で新小結、14年秋場所には35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。

小柄ながら突き、押しを武器に、史上10位の幕内在位86場所、史上8位の幕内出場1257回と長く活躍した。

豪風の話 悔いは一つもない。簡単な話ではないし悩んだが、力士として自分なりの潔さを出したつもり。長くやった分、多くの方に見ていただけた。自分の相撲道はこれからです。

関連するニュースを読む

白鵬は天覧相撲無敗 賜杯ない9年前陛下手紙に感激

土俵引き揚げ時、天皇皇后両陛下のいる方向を見上げる白鵬(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇8日目◇20日◇東京・両国国技館

横綱白鵬(33=宮城野)が平成最後の天覧相撲を白星で飾った。東前頭5枚目碧山の巨体を下手出し投げで転がした。横綱でとった天覧相撲は6戦全勝。10年8月に、史上初の3場所連続全勝優勝をたたえる「おねぎらいとお祝い」の言葉を下さった天皇陛下の前で、横綱として43度目の全勝ターン。平成最後の東京場所優勝へ、単独トップを守った。魁聖、千代の国、矢後の平幕3人が1敗で追っている。

    ◇    ◇    ◇

巨漢碧山の突き押しをしのぎ、右四つになるや白鵬が攻めた。右下手でまわしを引いた。鋭く腰を切った。一瞬の下手出し投げに館内が沸く。貴賓席の両陛下も笑顔で拍手した。横綱になって、天覧相撲は6戦全勝。平成最後の“大一番”を鮮やかに締めたのは、白鵬なりの恩返しだった。

支度部屋でしみじみこぼした。「花道でちょっと(貴賓席を)見上げました。さびしいっていうか…。9年前にいただいた手紙を思い出します。平成に育ててもらいましたからね」。

史上初の3場所連続全勝優勝を飾った10年7月25日、名古屋場所千秋楽。角界を揺るがせた賭博問題で、日本相撲協会が天皇賜杯を辞退。受け取る賜杯がなく、悲しくて泣いた。その9日後に届いたメッセージ。「おねぎらいとお祝い」という陛下の言葉が入った宮内庁の書簡に、感激した。「あの手紙があるからこそ、頑張ろうという気持ちになれた。振り返ってみれば、間違いない。あの時は賜杯がなかったからね。本当にうれしかった」。書簡原本は協会が保管しているが、たった1通のコピーは白鵬の自宅にある。

単独トップを守った。全勝ターンは昨年秋場所以来45場所目、横綱では43場所目だ。「出来すぎという気持ちがある。いろんな取組があったしね。頭になかった」。序盤は紙一重の内容が続いた。しかし、6日目からの3番で確実に内容が上がっている。初日、8日目の多い天覧相撲だが「中日で良かったね、今回は」。後半戦へ。大きな弾みがついた。【加藤裕一】

碧山(左)を下手出し投げで破る白鵬(撮影・山崎安昭)
着替えを終えて引き揚げる白鵬(撮影・山崎安昭)

関連するニュースを読む

宇良2敗目、踏ん張り効かずあおむけに「圧力負け」

海龍(右)に突き倒しで敗れる宇良(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇8日目◇20日◇東京・両国国技館

元幕内で西幕下23枚目の宇良(26=木瀬)が2敗目を喫し、星が並んだ。東幕下22枚目海龍に対し、低い立ち合いで左まわしを狙ったが取れず、前に出られ、最後は左脚の踏ん張りが効かずにあおむけに倒れた。宇良は「圧力負けですね」。10年九州場所から幕下で戦い続ける28歳とは初対戦だったが、思うような相撲が取れなかった。

17年秋場所中の右膝負傷から、手術などで6場所連続休場して、まだ復帰3場所目。「力をつけないと圧力に負けます。鍛え直さないといけない」。負傷前との体力差を「それは難しいところ。強くなってる部分もあるし、弱くなってる部分もある。バランスよく鍛えていきます」と説明した。

海龍(右)に突き倒しで敗れる宇良(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

「持ってる男」北勝富士20年ぶり2日連続の不戦勝

2日連続で不戦勝をものにした北勝富士(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇7日目◇19日◇両国国技館

北勝富士が史上3人目となる2日連続の不戦勝となった。99年秋場所の玉春日以来20年ぶりで、自身を「持ってる男」と評し、苦笑いを浮かべた。

対戦相手の御嶽海は、前日の取組を終えた時点ですでに休場をささやかれていた。それでも「今朝はもちろん出るつもりだった。やりたかった」と声のトーンを落とした。

御嶽海の休場により北勝富士の不戦勝が伝えられた(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

豊ノ島、安美錦との歴代最多カードの道のりに大笑い

安美錦(左)を寄り切る豊ノ島(撮影・狩俣裕三)

<大相撲初場所>◇7日目◇19日◇両国国技館

2人合わせて75歳の「熟年対決」で、再十両2場所目の西十両5枚目の豊ノ島(35=時津風)が、東十両3枚目の安美錦(40=伊勢ケ浜)を寄り切りで破り、4勝3敗と再び白星を先行させた。

これが通算42回目の対戦(幕内では40回で21勝19敗)で、21勝20敗と拮抗(きっこう)していた相手。平成の中盤に三役同士など幕内上位の土俵を彩ってきたカードの1つだ。対戦は平幕同士だった、15年秋場所(寄り切りで豊ノ島の勝ち)以来3年4カ月ぶり。手の内は熟知していたのか、立ち合いで安美錦が右へ変化したことも「頭の片隅に入れていた」。体を崩されることなく左を差しながら腰を密着。40歳の現役最年長関取が土俵づたいに右に回り込むのも「土俵の使い方がうまい。慌てずに(そこを)うまく対応できた」と話すように、腰を密着させながら右はおっつけで反撃のすきを与えず、寄り切りで快勝した。

ベテランの域に達したところでアキレス腱(けん)の大けがを負いながら、奮起の土俵を続ける両力士。3年前の7月に重傷を負い、幕下に陥落してすぐのころは、安美錦の存在を糧に、再起を目指していた。そんなことを口にした言葉を耳にした安美錦からは「おまえと一緒にするな」という「優しい言葉で突き放してくれた」。以後は自分は幕下、安美錦は5歳も年上ながら十両で踏ん張っていることもあり「置かれている立場も違う。安美関は安美関、自分は自分」と頭から離した。この日の対戦も「周りが意識させるから意識しちゃうけど、う~ん、まあ…」と特別な感慨は頭の片隅にはあっても、同じ本場所の一番と割り切って臨んだようだ。

ただ、番付では2枚の差はあるが同じ十両のステージに戻ってきた。その現実は「5年後の自分が、アレだけの相撲を取れるかを考えたら未知の所でやっている人」と今後の励みにもなる。「安美関も今の十両で満足しているわけがない。いい意味で何回も幕内で対戦できるようにしたい」。目指すは歴代最多カードの稀勢の里-琴奨菊戦の66回と大風呂敷を広げた後、しばし熟考。「まだ安美関とは(幕内で)40回か。ということはあと…5年? オレが40? 安美関は45?」と大笑いした。引き際に年齢制限はない。まだまだ相撲を楽しむつもりだ。

関連するニュースを読む

御嶽海が休場、北勝富士は鶴竜戦続き2日連続不戦勝

妙義龍に押し出しで敗れた御嶽海は足を痛め、1人で立ち上がれず呼び出しの手を借りる(2019年1月18日撮影)

大相撲の西小結御嶽海(26=出羽海)が初場所7日目の19日、休場することが決まった。初黒星を喫した6日目の小結妙義龍戦で左膝付近を負傷していた。

休場は2016年初場所以来、2度目。7日目の対戦相手、平幕北勝富士は6日目の横綱鶴竜戦に続く不戦勝。幕内での2日連続の不戦勝は1999年秋場所の玉春日以来20年ぶり。この時は貴乃花、曙の両横綱が休んだ。

今場所の十両以上の休場者は鶴竜、大関栃ノ心らに続いて4人目となった。横綱稀勢の里(現荒磯親方)が引退し、初日から5連勝していた御嶽海も不在となり、盛り上がりが懸念される。

関連するニュースを読む

新入幕の矢後が1敗守る「自分の形になれば勝てる」

琴恵光(右)を寄り切る矢後(撮影・狩俣裕三)

<大相撲初場所>◇6日目◇18日◇東京・両国国技館

東前頭13枚目矢後(24=尾車)が、西前頭15枚目琴恵光(27=佐渡ケ嶽)を寄り切り、1敗を守った。

新入幕ながら風格さえ漂っていた。立ち合いで左差しを狙ったが、差せないと見るや、すかさず突っ張りに切り替えた。左を差して、右上手に手を伸ばすと矢後の形。身長187センチ、体重178キロの恵まれた体格を生かし、後は前に出るだけだった。幕内で5勝目。「自分の形になれば勝てると分かっているので」と、生命線の左四つ、右上手を信頼していた。

中大出身の力士では6人目の幕内力士。近年の新入幕の学生出身力士では、16年初場所で正代、同年九州場所で石浦、17年秋場所で朝乃山が10勝を挙げて敢闘賞を獲得している。会場入りの際には「北海道から応援に来た人から声をかけてもらうことも増えてきた」と、地元の期待も背負っている。「幕内で勝てるというのは自信になる。明日も集中するだけです」と、力強く語った。

矢後は琴恵光(左)を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

栃ノ心が休場「力が入らない」右大腿四頭筋肉離れ

栃ノ心

大相撲の西大関栃ノ心(31=春日野)が初場所5日目の17日、休場することを決めた。「右大腿(だいたい)四頭筋肉離れにより約3週間の安静加療を要する見込み」との休場届を提出。その影響もあって、今場所は初日から4連敗していた。5日目は不戦敗で、対戦相手の松鳳山は不戦勝になる。

師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)によると、4日目に玉鷲に敗れた後「力が入らない」と話したという。「普段から弱音を吐かない男がそう言うんですからね。他にも少し悪いところがある。2月は巡業もないし、3月に向けてしっかり治そうということになりました」と説明した。

栃ノ心の休場は昨年名古屋場所以来8度目。再出場せずに負け越せば、3月の春場所は昨年の秋場所に続いて2度目のかど番になる。

関連するニュースを読む

復活阻んだ稀勢の里の誤算、もがいた日々を父明かす

引退会見で涙を流す稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里は横綱昇進後、在位12場所中、皆勤2場所に終わった。新横綱として初めて臨んだ一昨年3月の春場所で負った大けが致命傷になった。けがとの闘い、その裏にあった決断などを、最後に皆勤し、2桁勝利を挙げた秋場所前の昨年9月に父萩原貞彦さん(73)が明かしていた。引退に際し、もがき続けた父子の戦いの跡に迫る。

【取材・構成=高田文太】

     ◇   ◇

稀勢の里を相撲界へと導いたのは、元アマチュアボクサーの父貞彦さんだった。後の横綱、寛少年に土日の大相撲中継を見せ、小学校2年でまわしをつけさせた。英才教育だった。

最初の進退場所となった昨年9月の秋場所前に、貞彦さんは稀勢の里のけがとの葛藤、復活プラン、素顔などを明かしている。

横綱の力士生命を縮めたのは新横綱で迎えた一昨年春場所13日目、横綱日馬富士戦で負った大けがだった。寄り倒されて左の大胸筋や肩を痛めて、うめき声を上げた。だが、千秋楽で大関照ノ富士を優勝決定戦の末に退け、逆転優勝で大きな感動を呼んだ。

ただ代償は大きく、その後、横綱として歴代ワーストの8場所連続休場。当時を振り返り、貞彦さんは「復活に向けて2つの選択肢があった」と明かしていた。(1)突き、押しを多用して相撲を変える。(2)もう1度、基礎から鍛え直す。稀勢の里は(2)を選んだ。貞彦さんは「相撲を変えるのは簡単。でも、また強い四つ相撲を取るために、基礎から鍛え直す道を選んだ。時間がかかるのは承知の上」と説明していた。長期休場をも覚悟。その上で、目先の白星より再び何度も優勝できる可能性に懸けたのだった。

しかし誤算があった。負傷した左大胸筋、左上腕二頭筋の状態だ。貞彦さんは負傷前と比べて、たった30%程度の力で一昨年夏、名古屋の両場所に臨んだとみていた。一昨年九州、昨年初の両場所でようやく50%程度。そして10勝した昨年秋場所で「70%ぐらいまで戻った」とみていた。それでもまだ7割の力だった。

そんな中、出場しては途中休場を繰り返し「回復具合を見誤った」とも父は分析する。けがをする前と同じスタイルで、稀勢の里の王道を貫き、復活を目指した。その決断は尊重しつつ、出ては休む、その判断を後悔もしていた。

大けがを押しての感動の逆転優勝。代償は大きく、8場所連続休場で風当たりが強まった。その裏で貞彦さんも息子とはまた別の厳しい現実と向き合っていた。胃がんの手術を受けたのは、昨年11月の九州場所中だった。胃の3分の2を切除。手術から10日ほどで退院した。完全復活を目指す息子より先に元気な姿になった。転移や後遺症もなく元気に過ごしている。

けがとの壮絶な闘いを続けていた稀勢の里は「良い医者を知っているから」と千葉・松戸市の病院を、人知れず手配した。心配をかけまいと父には直接連絡しなかったが、母や姉には逐一、父の経過を確認していた。父の手術は周囲に一切伏せ、成績不振で九州場所は途中休場したが、その言い訳には一切しなかった。絆で結ばれた父子は、人知れず、互いに闘っていたのだ。

横綱昇進後の約2年、貞彦さんは苦悩する稀勢の里を見続けてきた。強さで存在感を示すことができなかったが、若い衆のころは1日100番にも及ぶ猛稽古で番付を上げた。関取衆となっても、他の部屋が四股やすり足などの基礎運動に終始したり、休みに充てたりといった初日2日前に、50番も取っていた。

努力で成長してきた稀勢の里を象徴するように、貞彦さんは、中学の卒業文集の存在を明かしている。将来の横綱、寛少年はしっかりとこう書いている。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」

努力に次ぐ努力で苦難を乗り越えてきた、人間くさい横綱が、ついに土俵を去った。

元横綱になった息子について、この日、父は「(引退の話は)聞いている。なんとも言えない」とだけ口にした。言葉少なだったのにはわけがある。今場所は、あらゆる取材を断っていた。場所前には横綱審議委員会(横審)から史上初の「激励」を決議された。いよいよ後がない場所に集中させたい親心からの配慮だった。厳しい結末になったが、たくましい父子は、しっかりともがき、耐えてこの日を迎えたのだった。

関連するニュースを読む

引退の稀勢の里「いつも稽古場で自問自答」一問一答

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

-引退を決断しての今の心境は

「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」

-今頭に思い浮かぶのは何か

「たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出します」

-昨日相撲を取り終えて引退を決意するまで心の動きは

「やり切ったという気持ちが最初にありました」

-17年間の土俵人生はどんな土俵人生だったか

「いろいろな方に支えられて、僕1人ではここまで来られなかったと思います」

-一番心に残っているのは

「ありすぎてなかなか思い出せませんが、やはり稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出は今でも覚えています」

-今場所はどんな気持ちで土俵に上がったか

「覚悟を持って場所前から稽古しました。自分の中で「これでダメなら」という気持ちになるぐらい稽古しました。その結果、初日から3連敗して自分の中では悔いはありません」

-2年前の新横綱の場所で負傷した時の状況は

「一生懸命やってきましたから」

-相当大けがだったのか

「そうですね」

-2年たって回復具合はどうか

「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前の自分に戻すことはできなかったです」

-ケガとの闘いの中でどういう思いで横綱を務めたのか

「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました」

-厳しい先代からの教えで心に残っているのは

「稽古場というのは非常に大事とおっしゃっていました。今後、次世代の力士にも大事さを教えていきたいです」

-天国で見守る先代にはどう報告するのか

「素直に感謝の気持ちを伝えたいです」

-思い出の一番は

「17年、横綱昇進を決めた後の千秋楽横綱白鵬関との一番です。11年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちがありました」

-高安に声をかけるとしたら

「もう1つ上がありますから。まだまだこれから」

-横綱になって変わった部分は

「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境も変わりました。意識の部分もそうですし、環境の部分もそうですし」

-モンゴル出身力士に対する思いは

「自分を成長させてもらった。横綱朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱にかわいがってもらった。背中を追っかけて少しでも強くなりたいという思いで稽古しました。上に上がれない時も、日馬富士関から非常にいいアドバイスを頂いたのを覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです」

-今後どういう力士を育てたいか

「一生懸命相撲を取る力士、そしてケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

-これまでで忘れられない瞬間は

「天皇賜杯を抱いた時です」

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。02年春場所初土俵、04年夏場所に17歳9カ月で新十両。同年九州場所に18歳3カ月で新入幕はともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ史上2位の年少昇進記録。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所で大関に昇進。16年九州場所で12勝を挙げて自身12度目の優勝次点となり、在位31場所目の翌17年初場所で初優勝。第72代横綱となった同年春場所で2場所連続優勝を飾るも、翌場所から8場所連続休場。18年秋場所で10勝を挙げ皆勤も、その後、不戦勝を除き3場所にわたる8連敗で引退を決意。得意は突き、押し、左四つ。殊勲賞5回、敢闘賞3回。金星3個。通算800勝496敗。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

関連するニュースを読む

稀勢の里、後進指導へ「ケガに強い力士を育てたい」

引退会見で涙ぐむ稀勢の里(撮影・鈴木正人)

現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

引退を決意した心境について「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません。たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出しますし、感謝の気持ちでいっぱいです」と途中で声を詰まらせながら、涙を流しながら明かした。

17年初場所に初優勝を果たし、72代横綱に昇進。同年3月の春場所で横綱として優勝を果たしたが、13日目に左の上腕筋と大胸筋を損傷。この大けがが力士生命を大幅に縮める要因となってしまった。あらためて負傷箇所について問われると「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前に戻すことはできなかったです」と声を絞り出した。

進退を懸けて初場所に臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るかというのは、いつも稽古場で自問自答していた。応援してくれる人のためにも相撲を続けようという判断になってやってきましたが、このような結果となってファンの人たちには申し訳ないという気持ちです」とまた涙を流した。

17年間の現役人生の思い出を振り返ると「ありすぎてなかなか思い出せない」。だが思い出の一番には、17年初場所千秋楽で横綱白鵬を破った一番を挙げた。「2011年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって、次に昇進する時は絶対負けないという気持ちで臨みました」と振り返った。

日本相撲協会はこの日、都内で理事会を行い、稀勢の里の引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は今後、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。「ケガに強い力士を育てたい」と話した。

引退会見を終え、頭を下げる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

関連するニュースを読む