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昭和以降初の50歳力士誕生、3元号またぎ土俵に

塵手水(ちりちょうず)を切る華吹(2017年9月23日撮影)

大相撲に50歳の現役力士が誕生した。現役最年長の華吹(はなかぜ、立浪)が28日、50歳の誕生日を迎えた。現役で50歳を迎えるのは、昭和以降初めて。

華吹は1986年(昭和61年)春場所が初土俵。同期には元幕内巌雄の山響親方らがいる。現役唯一の昭和入門で、昭和→平成→令和と3つの元号をまたいで土俵に立ち続けてきた。

師匠の立浪親方(51=元小結旭豊)は「50まで続けるのはなかなかできることではない。気力、体力とも立派。部屋としては、いなくてはならない存在ですから」と話した。華吹は立浪部屋でちゃんこ長を務める。ちゃんこ場でほかの若い衆を取り仕切り、栄養などを考えつつ、力士らの肉体を下支えしている。立浪親方は「誰が作るよりもおいしい。それを食べて、みんなが頑張っている。若い衆に言わせると、鍋の味付けは気合が入った時とそうでない時がある。気合が入った時はものすごくおいしいと言っています」とちゃんこ事情を明かした。

華吹は3月の春場所で4勝3敗と勝ち越し。中止になった夏場所は西序二段68枚目だった。現役の最後に近づいていることは間違いないが、立浪親方は「トレーニングもマメにやっているし、土俵に立てば若手のカベになっている」と話している。【佐々木一郎】

松ケ島(手前)を上手投げで破る華吹(2019年5月13日撮影)

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発熱力士は隔離中、協会「ホテルでいいから」と指示

春場所初日 協会あいさつする八角理事長(中央)(2020年3月8日)

<大相撲春場所>◇2日目◇9日◇エディオンアリーナ大阪

春場所2日目の9日、立浪部屋の幕下以下の力士1人が発熱のため休場した。日本相撲協会の鏡山危機管理部長(元関脇多賀竜)によると、当該力士は前日8日に関取衆の付け人業務をこなし、部屋に戻ってから40度近い熱を出したと説明。

インフルエンザの検査は陰性で、この日の朝には36度7分まで下がった。今場所は37・5度以上の発熱が2日続いた場合は原則として休場させることが決まっているが、師匠の立浪親方(元小結旭豊)が大事を取って休場させたという。

鏡山危機管理部長は立浪親方に「ホテルでいいから隔離するように」と指示。部屋頭の前頭明生によると、当該力士は関取衆とは隔離されているという。この日、当該力士に励ましのメールを送った明生は「本人が一番落ち込んでいると思う。(症状が)良くなってまた土俵に上がれたら」と回復を願った。なお、日本相撲協会は新型コロナウイルスの感染者が出たら即座に春場所中止との方針を示している。

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ケンドー・ナガサキさん死去、デスマッチ戦線をけん引

バラ線パーフェクトホールデスマッチに臨むケンドー・ナガサキさん(1995年3月16日撮影)

「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが亡くなったことが13日、分かった。71歳だった。死因は不明。元所属先の大日本プロレスによれば、12日に千葉の自宅で亡くなっているところを知人に発見されたという。

桜田さんは64年に大相撲立浪部屋で初土俵を踏み、71年に日本プロレスでデビュー。70年代後半から80年代にかけて米国で落武者姿のヒールレスラーとして活躍した。95年には大日本旗揚げに参加。同団体デスマッチ戦線をけん引するだけでなく、総合格闘技にも挑戦。プロレス界「ケンカ最強」と言われてきた。

この日の大日本後楽園大会では、10カウントゴングでの追悼が行われ、試合中は遺影がリングサイドに飾られた。グレート小鹿会長(77)は「彼の協力がなかったら、今の大日本はない」と感謝。米国に子どもはいるが、日本では独り身だったと明かし、「もし親戚、知り合いの方ががいれば大日本まで名乗り出てほしい。あらためてお別れの会を開きたい」と話した。140キロの巨体を誇るデスマッチエース、アブドーラ小林(43)は「入門時に体重75キロだったのが数カ月で100キロまで増えたのは竹刀を持ちながらちゃんこを食わせてくれたおかげ」と故人をしのんだ。

かつて米国で生活をともにした武藤敬司(57)は「若手時代に海外で大変お世話になり、本当に良くして頂きました。実は自分がプロデュースする大会にも来て頂こうと構想があったのですが…、残念です」。角界の同期でともにSWS旗揚げメンバーだった元プロレスラー天龍源一郎(69)氏は「あまりにも早すぎる訃報に、あんなに頑丈な人がと思うと残念でなりません」と急逝を悼んだ。

◆ケンドー・ナガサキ 本名桜田一男(さくらだ・かずお)1948年(昭23)9月26日、北海道網走市生まれ。中学卒業後、大相撲立浪部屋に入門。1971年(昭46)に日本プロレス入門。同年6月27日、戸口正徳戦でデビュー。73年の団体解散後に全日本入りし、76年から米マットなど海外で活躍。81年にケンドー・ナガサキとなる。90年にSWS旗揚げに関わり、NOWを経て、95年に大日本旗揚げに参加。98年に退団し、フリー。188センチ、120キロ。

13日後楽園ホールで行われた大日本プロレス後楽園大会では、創設メンバーだったケンドー・ナガサキさんの遺影がリングサイドに飾られた(撮影・高場泉穂)
ケンドー・ナガサキさんの思い出を語る大日本プロレスグレート小鹿会長(撮影・高場泉穂)

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ケンドー・ナガサキさん死去「ケンカ最強」71歳

13日後楽園ホールで行われた大日本プロレス後楽園大会では、創設メンバーだったケンドー・ナガサキさんの遺影がリングサイドに飾られた(撮影・高場泉穂)

プロレスラーのケンドー・ナガサキさん(71)が亡くなったことが分かった。

13日、かつて所属した大日本プロレスがツイッターで「先日、大日本プロレスの旗揚げメンバーであるケンドー・ナガサキさんがお亡くなりになられました。謹んでケンドー・ナガサキさんのご冥福をお祈りいたします」と伝えた。

東京・後楽園ホールで行われた興行には遺影も飾られ、かつて「ケンカ最強」とおそれられた実力者の突然の訃報を悼んだ。

◆ケンドー・ナガサキ 本名桜田一男(さくらだ・かずお)1948年(昭23)9月26日、北海道網走市生まれ。中学卒業後、大相撲立浪部屋に入門。1971年(昭46)に日本プロレス入門。同年6月27日、戸口正徳戦でデビュー。73年の団体解散後に全日本入りし、76年から米マットなど海外で活躍。81年にケンドー・ナガサキとなる。90年にSWS旗揚げに関わり、NOWを経て、95年に大日本旗揚げに参加。98年に退団し、フリー。188センチ、120キロ。

ケンドー・ナガサキさん

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明生145時間「通勤が大変で賞」/大相撲大賞

年6場所の通勤時間が最も多い力士

<第8回日刊スポーツ大相撲大賞(4)>

横綱稀勢の里の引退に始まり、新大関貴景勝誕生、トランプ米大統領観戦、暴力問題で十両貴ノ富士が引退など、さまざまな出来事が起きた2019年の大相撲。今年1年間、幕内を務めた全29人の力士が対象の連載「第8回日刊スポーツ大相撲大賞」は、そんな陰で生まれた好記録や珍記録を表彰する。

      ◇      ◇

本場所会場まで移動時間が最も長い「通勤が大変で賞」を獲得したのは、大方の予想通り? 前頭明生(24=立浪)だった。茨城・つくばみらい市の部屋から東京・両国国技館まで、電車で往復2時間。大阪の春場所、名古屋場所、九州場所の宿舎からは車で、マップアプリなどを駆使して計算したところ総時間は8670分=約145時間。明生は「遠いと思っていた」と、苦笑いを浮かべながら、納得した様子だった。

東京場所では、立浪部屋の関取衆は明生以外も電車を利用。他部屋の関取と違って車で移動しないのは「渋滞が怖いから」。部屋から国技館方面へ向かう夜の常磐自動車道はよく混むそう。「毎日同じ時間に着くからリズムも一定になる」と、ルーティンを崩さない意図もある。

ここ数場所の活躍で知名度が上がったためか、電車では幅広い年齢層のファンに声をかけてもらう機会が増えた。九州場所では自己最高位の西前頭2枚目。年間で最も決まり手の多い「年間彩多賞」も受賞した。三役目前のブレーク候補は「今年はまずまずだったので来年はさらに飛躍したい」と誓った。【佐藤礼征】

明生(2019年3月11日撮影)

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元朝青龍おい豊昇龍の新十両昇進に市川九團次ら祝福

新十両昇進祝賀会で歌舞伎役者の市川九團次(右)からシャンパンを贈呈される豊昇龍(撮影・佐藤礼征)

大相撲の元横綱朝青龍のおい、十両豊昇龍(20=立浪)の新十両昇進パーティーが18日、都内のホテルで行われた。九州場所で新十両昇進を果たした豊昇龍を、パーティーに出席した部屋後援者ら130人が祝福した。

九州場所は負け越したものの7勝8敗に踏みとどまり、来年1月の初場所(12日初日、東京・両国国技館)も十両として臨む見通しの豊昇龍は「皆さんの支えがあって十両に昇進することができた。九州場所は負け越してしまったが、初場所から絶対に番付を上げていきたい」と力強く意気込んだ。

パーティーには歌舞伎役者の市川九團次(47)が、後援者の紹介を通じて出席した。部屋頭の前頭明生、十両天空海、そして豊昇龍の立浪部屋関取衆3人にシャンパンを贈呈。九團次から「これからも頑張ってほしい」とエールを送られ、豊昇龍は「ありがとうございます」。だが師匠の立浪親方(元小結旭豊)から「まずは初場所で(十両)優勝してからだな。(シャンパンを)飲むのはそれから」と冗談めかしてクギを刺された。

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世話人の羽黒海憲司さん死去、立浪部屋や協会支える

日本相撲協会は5日、世話人の羽黒海憲司さん(本名・田中憲司=たなか・けんじ)が3日早朝に都内の病院で慢性腎不全のために死去していたことを発表した。53歳。親族によると最近10年は入退院を繰り返し、9月の秋場所後に体調を崩していた。1週間前に急変し、脳梗塞なども併発したという。

大阪・高槻市出身の羽黒海さんは立浪部屋に入門後、83年秋場所初土俵。最高位は東幕下6枚目で、03年九州場所を最後に引退し、日本相撲協会の世話人となった。雑務を担当し、立浪部屋や協会を陰で支えてきた。

親族の意向により近日中に家族葬を行い、九州場所後の12月にあらためて「お別れの会」を開くという。

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若隆景が新入幕、荒汐部屋から2人目の幕内力士誕生

若隆景(2018年3月28日)

日本相撲協会は28日、大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の新番付を発表した。

先場所、西十両3枚目で9勝6敗の成績を収めた若隆景(24=荒汐)が、東前頭16枚目で新入幕を果たした。荒汐部屋からは、現師匠(元小結大豊)が部屋創設後では10年秋場所の蒼国来(35)以来、2人目の幕内力士誕生となった。福島県出身では13年初場所の双大竜以来戦後7人目で、東洋大からは15年九州場所の御嶽海以来、5人目の幕内力士となった。

入幕は他に再入幕が3人。隆の勝(24=千賀ノ浦)は6場所ぶり、千代丸(28=九重)は2場所ぶり、大翔丸(28=追手風)は5場所ぶりの、それぞれ幕内返り咲きとなった。

十両昇進は5人。晴れて関取の仲間入りを果たした琴手計改め琴勝峰(20=佐渡ケ嶽)、豊昇龍(20=立浪)の2人が新十両昇進となった。琴勝峰は、佐渡ケ嶽部屋からは今年名古屋場所の琴ノ若以来、千葉県出身でも琴ノ若以来、戦後29人目の関取誕生となった。豊昇龍は、立浪部屋からは昨年初場所の天空海以来で、外国出身では68人目、モンゴル出身では35人目(ともに今年春場所の霧馬山以来)の新十両昇進となった。

再十両は4場所ぶり復帰の若元春(26=荒汐)、7場所ぶり復帰の天空海(28=立浪)、2場所ぶり復帰の明瀬山(34=木瀬)の3人だった。

九州場所は、11月8日の取組編成会議で初日、2日目の対戦相手が決定。10日の初日を迎える。

千代丸
隆の勝(2018年11月25日)

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モンゴル出身テムレンと脱サラ松崎が新弟子検査合格

秋場所の新弟子検査で身長を計測するテムレン(撮影・佐藤礼征)

大相撲秋場所(8日初日、東京・両国国技館)の新弟子検査が2日、同所の相撲診療所で行われ、昨年の世界ジュニアでモンゴル代表として活躍したトムルバートル・テムレン(18=出羽海)と、松崎龍之介(18=立浪)の受検した2人が身長167センチ、体重67キロ以上の体格基準を満たした。

福岡・希望が丘高で全国8強などの成績を残したテムレンは、中学までモンゴルに在住。モンゴル相撲を始めた8歳頃から、当時元横綱朝青龍が全盛だった日本の大相撲に憧れを抱いてきたという。中学時代は日本語の授業が充実している私立学校で勉強に励んだため、日本語に不自由はない。前相撲は興行ビザ取得後になり、11月の九州場所で初土俵を踏む見通し。「得意は押し相撲。1番上、横綱を目指したい」と目を輝かせた。

松崎は“脱サラ”して角界に飛び込んだ。相撲部に在籍していた大分・東九州龍谷高を卒業後「車が大好きだから」と、福岡県内にある自動車関連の会社に就職。4カ月勤めたが、高校の先輩が立浪部屋に所属していた縁もあり、退職して同部屋への入門を決意した。目標の力士は「突っ張りに迫力があって男らしい」と、現九重親方の元大関千代大海。高校時代は県大会で3位に入った実績がある。「幕内を目指して頑張りたい」と意気込んだ。

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元黒姫山の田中秀男さん通夜、元高見山らが参列

通夜の祭壇に飾られた元関脇黒姫山の田中秀男さんの遺影(撮影・小沢裕)

4月25日に肺炎のため死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの通夜が、平成最後の日となった4月30日、東京・両国の回向院(東京都墨田区両国2の8の10)で営まれた。

元号が変わり令和最初の日となる5月1日の午前11時半から、同所で告別式が営まれる(喪主は妻の田中久美子さん)。

通夜には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、芝田山親方(元横綱大乃国)、境川親方(元小結両国)、春日野親方(元関脇栃乃和歌)ら協会理事や、巡業部時代に世話になった親方衆二十数人が参列。その他の関係者を含め約250人が故人の冥福を祈った。

その中の1人で、64年春場所初土俵の同期生だった元関脇高見山の渡辺大五郎さん(74)は、強烈なぶちかましで「デゴイチ」の異名を取った田中さんを「私たち同期は36人いました。私は19歳で彼は15歳。残念です。ぶつかり稽古がうまくて巡業ではいつも『胸を出してやってくれ』と巡業部長に頼まれていた。いい人で、ものすごく健康だったのに」としのんだ。

孫で昨年夏場所初土俵の田中山(17=境川)は、序ノ口から5場所連続勝ち越し中で、夏場所は東三段目47枚目まで番付を上げた。そんな順調な出世にも「(亡き祖父は)常に四股やテッポウの基本動作をしっかりやりなさい、と言われました」という。現役時代の祖父の映像も見ており「立ち合いからの出足は勉強になります。立ち合いを見習っていきたい。稽古を頑張るだけです」と亡き祖父に誓っていた。

新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身の田中さんは、1964年(昭39)3月の初場所で立浪部屋から初土俵。それからちょうど5年後の69年春場所で新十両昇進を果たした。2場所で通過し同年名古屋場所で新入幕、翌70年九州場所で新三役の小結昇進を果たした。小結と平幕上位をしばらく昇降した後、74年名古屋場所で自身最高位の関脇昇進を果たした。

西十両8枚目だった82年初場所12日目を最後に現役を引退した。通算108場所で1368回出場し、677勝691敗2休。三賞は8度受賞(殊勲4、敢闘3、技能1)、金星も6個獲得した。引退後は錦島、山響、出来山、北陣と年寄名跡を変更し88年2月1日から「武隈」を襲名。99年3月に立浪部屋から独立し力士2人を連れて武隈部屋を設立。04年3月に引退により力士不在となり、武隈部屋は消滅。友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、13年11月に定年退職した。

「デゴイチ」の愛称で親しまれた蒸気機関車(SL)「D51」の豪快な前進力に似た、おでこからぶちかまし、前に出る押し相撲で対戦相手から恐れられた。3場所連続の北の湖を含め北の富士、琴桜、輪島から金星を獲得した。 

元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した元関脇高見山(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した八角理事長(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した孫の田中山(撮影・小沢裕)

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「デゴイチ」元関脇黒姫山が肺炎のため死去 70歳

元関脇黒姫山(2008年9月6日撮影)

立ち合いの強烈なぶちかましからの押し相撲で「デゴイチ」の異名を取った、大相撲の元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんが25日午後10時30分、肺炎のため死去した。70歳だった。病気療養中のところ、息を引き取った。

新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身の田中さんは、1964年(昭39)3月の初場所で立浪部屋から初土俵。それからちょうど5年後の69年春場所で新十両昇進を果たした。2場所で通過し同年名古屋場所で新入幕、翌70年九州場所で新三役の小結昇進を果たした。小結と平幕上位をしばらく昇降した後、74年名古屋場所で自身最高位の関脇昇進を果たした。

西十両8枚目だった82年初場所12日目を最後に現役を引退した。通算108場所で1368回出場し、677勝691敗2休。三賞は8度受賞(殊勲4、敢闘3、技能1)、金星も6個獲得した。引退後は錦島、山響、出来山、北陣と年寄名跡を変更し88年2月1日から「武隈」を襲名。99年3月に立浪部屋から独立し力士2人を連れて武隈部屋を設立。04年3月に引退により力士不在となり、武隈部屋は消滅。友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、13年11月に定年退職した。

「デゴイチ」の愛称で親しまれた蒸気機関車(SL)「D51」の豪快な前進力に似た、おでこからぶちかまし、前に出る押し相撲で対戦相手から恐れられた。3場所連続の北の湖を含め北の富士、琴桜、輪島から金星を獲得した。

通夜・告別式の日程は以下の通り。喪主は妻の田中久美子さん。

▽通夜 4月30日午後6時

▽告別式 5月1日午前11時半

▽場所 回向院本堂(東京都墨田区両国2の8の10)

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“大きな子ども”北尾光司さんと何度も演じた追跡劇

北尾光司さん(1988年2月17日撮影)

<悼む>

87年暮れに起きた北尾光司さんの立浪部屋脱走は大事件となった。

連日、北尾さんがいる江東区のマンション前に張り込んだ。88年の新年はマンション前で迎えた。北尾さんが、マンションを出て錦糸町駅の売店で買い物をすると、買った品々をデスクに詳細に連絡。それが記事になった。

北尾さんは大きな子どもだった。巡業では時々会場からいなくなり、何度も記者と追跡劇を演じた。付け人を空気銃で撃ったり、サバイバルナイフの収集が趣味で、よく部屋で自慢げに見せられた。横綱になっても、そんな振る舞いは変わらなかったが、大きな子どもだと思うと憎めないところがあった。

ただ、相撲の素質は群を抜いていた。199センチ、151キロという恵まれた体に、天性の素質があった。あの大きな体を前傾させ、おっつけると、かなう者はいなかった。200キロを超す巨体の小錦をさば折りで破るなど、豪快さも兼ね備えていた。その素質を当時の春日野理事長(元横綱栃錦)は高く買っていた。当時、千代の富士の次に角界を引っ張る存在として期待を寄せていた。優勝もなかったが、2場所連続で優勝争いを演じたというだけで、鏡山審判部長(元横綱柏戸)に命じて、強引に横綱にしてしまった。

そんな相撲協会上層部や、大相撲ファンの期待をどう感じていたのか。親方とのいさかいで、北尾さんは人生を狂わせてしまった。今でも、あの才能が開花していたらと思うと悔しい。北尾さん、天国で、大横綱になってください。合掌。【桝田朗】

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北尾光司さん波乱の人生に幕 豊かな才能開花できず

土俵入りを行う双羽黒さん(1987年9月13日)

大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。

   ◇   ◇   ◇

北尾さんは2月10日午前7時30分に慢性腎不全のため千葉県内の病院で亡くなっていた。13年より腎臓を患い闘病生活送っていたという。生前の本人の希望で家族葬が執り行われ、2月13日に通夜、同14日い告別式、3月28日に納骨された。

北尾さんは立浪部屋から79年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にちゃんこの味付けをめぐってトラブルになり、部屋を飛び出した。その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。

相撲界を離れた後、スポーツ冒険家と名乗り、第2の人生をスタートさせた。米国冒険旅行などタレントとして活動を2年ほど続けた後、90年2月10日に新日本プロレスの東京ドーム大会でプロレスデビュー。バンバンビガロとのデビュー戦に、ギロチン・ドロップで勝利し、華々しい船出を飾ったかに見えた。

しかし、新日本プロレスでは、単調な試合運びに目の肥えたファンからブーイングを浴びせられるなど、人気は上がらなかった。そのうちに、現場監督を務めていた長州力に暴言を吐き、契約解除を言い渡された。その後、天龍源一郎のSWS、WARでもトラブルを起こし解雇された。

プロレスで居場所がなくなった北尾さんは、総合格闘家へ転身。UWFインターナショナルや、初期のPRIDEなどで試合を行ったが、さしたる実績を挙げられず、98年に現役引退を表明。同年10月のPRIDE4で引退セレモニーを行った。相撲時代同様、プロレス、総合の世界でも周囲とうまくいかず、その才能を開花させることはなかった。

03年9月には、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋を訪れ、部屋のアドバイザーに就任した。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。

◆双羽黒光司(ふたはぐろ・こうじ) 本名北尾光司。1963年(昭38)8月12日、三重県津市生まれ。中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、79年春場所で初土俵。84年初場所で新十両を果たし、同年秋場所で新入幕。85年九州場所後に大関、86年名古屋場所後に第60代横綱昇進。同じ昭和38年生まれの北勝海、小錦、寺尾らと「花のサンパチ組」と呼ばれた。ちゃんこの味付けをめぐり87年12月27日、師匠の立浪親方(元関脇安念山)と大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし部屋を飛び出した。4日後の大みそかに臨時理事会を開き、双羽黒の廃業を決議した。通算348勝184敗24休、優勝次点7回、三賞7回。引退後はプロレスラーなどとして活動し、03年に立浪部屋のアドバイザーを務めた。

高田延彦(右)に腕ひしぎ逆十字固めを決められる北尾光司さん(1992年10月23日撮影)
アントニオ猪木(左)と握手をする北尾光司さん

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元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍

87年大相撲秋場所初日 土俵入りを行う双羽黒(1987年9月13日撮影)

大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。

  ◇    ◇    ◇

北尾さんは立浪部屋から1979年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にトラブルで部屋を飛び出し、その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。

相撲界を離れた後、90年2月10日の新日本東京ドーム大会で、本名の「北尾光司」でプロレスデビューした。クラッシャー・バンバン・ビガロとのデビュー戦を勝利。その後、SWS、UWFインターなどにも参戦し、総合格闘家としても活動したが、98年7月にプロレス、格闘技界からも引退した。

03年9月には、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋を訪れ、部屋のアドバイザーに就任した。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。

当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。

◆双羽黒光司(ふたはぐろ・こうじ) 本名北尾光司。1963年(昭38)8月12日、三重県津市生まれ。中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、79年春場所で初土俵。84年春場所で新十両を果たし、同年秋場所で新入幕。85年九州場所後に大関、同年名古屋場所後に第60代横綱昇進。ちゃんこの味付けをめぐり87年12月27日、師匠の立浪親方(元関脇安念山)と大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし部屋を飛び出した。同親方は協会へ廃業届を提出。4日後の大みそかに臨時理事会を開き、双羽黒の廃業を決議した。通算348勝184敗24休、優勝次点7回、三賞7回。幕内優勝経験がない横綱は史上初。引退後はスポーツ冒険家として遊学後、プロレスラー、格闘家として活動。03年には立浪部屋のアドバイザーを務めた。

新日本東京ドーム大会 プロレスデビュー戦を勝利で飾った北尾光司は花道でガッツポーズ (1990年2月10日撮影)
ルー・テーズ(右)自身が所有するジムで指導を受ける北尾光司(1989年6月7日)
WAR両国大会で天龍源一郎と戦う北尾光司(1995年7月)

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貴乃花一門に異変 連合稽古中止、立浪親方も距離

1日、朝稽古を終え報道陣のインタビューに答える貴ノ岩(左)と貴乃花親方(撮影・奥田泰也)

 貴乃花一門の結束力が揺らぎ始めた。大相撲の春場所(11日初日、エディオンアリーナ)に向けて、同一門が毎年行っている連合稽古が、今年は実施されないことが2日、分かった。連合稽古は一門の結束力を高める意味も込めて年1度、春場所前に立浪部屋で実施していたが、立浪親方(49=元小結旭豊)は「今年はありません」と断言した。

 さらに近日中に開催される毎年恒例の激励会は、大阪市内の会場に「貴乃花一門」で予約されているが、一門の親方衆に案内が届いていないことが判明した。実質、貴乃花部屋激励会として行われる見通し。ある親方は「聞いていないものは行きようがない。誰も行かないのでは」と困惑気味だった。場所前の一門の行事はなくなることになった。

 そんな中で立浪親方は、一門離脱の手続きなどは予定にないものの、一定の距離を置く考えを明かした。「基本的に貴乃花一門を応援するのは変わらない。ただ、いろんな意見を聞いて相撲界が良くなるように、その都度最善の選択をしていきたい。錣山親方(元関脇寺尾)と近い考え方」と話した。錣山親方は昨年末に時津風一門を離脱して現在は無所属。2月の役員候補選挙では貴乃花一門に協力したが「自由な立場で意見を聞きたい」というスタンスだ。立浪親方は昨年末の一門総会で「貴乃花親方が理事長になるまで一生懸命応援します」と宣言していたが、今後は意見が分かれる可能性もある。一門の結束力に暗雲が漂ってきた。

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貴乃花一門の連合稽古「今年はありません」立浪親方

貴乃花親方(2018年1月13日撮影)

 貴乃花一門の結束力が揺らぎ始めた。大相撲の春場所(11日初日、エディオンアリーナ)に向けて、同一門が毎年行っている連合稽古が、今年は実施されないことが2日、分かった。

 連合稽古は一門の結束力を高める意味も込めて年1度、春場所前に立浪部屋で実施していたが、立浪親方(49=元小結旭豊)は「今年はありません」と断言した。

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稀勢の里、窮地で強さ 高安と同部屋単独トップ並走

松鳳山(手前)を小手ひねりで破り、8連勝の稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇8日目◇19日◇エディオンアリーナ大阪

 田子ノ浦部屋の2人がそろって無傷で勝ち越した。06年夏場所13日目の千代大海-魁皇戦以来11年ぶりの日本人対決となった結びの一番で、兄弟子の新横綱稀勢の里(30)は東前頭3枚目の松鳳山を自身初の小手ひねりで退けた。弟弟子の関脇高安(27)も西前頭筆頭の勢を下手投げ。1場所15日制となった49年夏以降、同部屋の2人だけで中日を全勝で折り返すのは、74年夏の北の湖、増位山以来43年ぶりとなった。

 場内から一瞬、悲鳴が上がった。稀勢の里の相撲で、今場所一番のざわめき。だが、12秒4の取組で、最後まで土俵に立ったのは新横綱だった。「いろんなことがありますから。我慢してやりました」。受け取った45本の懸賞の束は、春場所の千秋楽以外では過去最多。取組後の体は、いつも以上に熱を帯びていた。

 11年ぶりに日本人対決となった結びの一番。立ち合いで押し込むも、もろ差しを許して上体が起きる。今場所初めて不利な体勢に。窮地だった。

 だが、ここからが稽古を重ねてきた新横綱の強さだった。下がりながらあらがうと、体を開いて左の小手で振る。その反動を使い、まるで右フックで松鳳山の左ほおを殴るように突きながら、小手もひねった。15年春9日目の旭天鵬以来の自身初「小手ひねり」。「そんな決まり手あるの? 初めて聞いた」と驚くほど無我夢中の逆転劇だった。

 この日のNHK大相撲中継のゲストはボクシング元世界3階級王者の長谷川穂積氏。失敗した11度目の防衛戦を生で応援し、王者に返り咲いて引退した姿に「魂を感じた」人だった。その前で見せた“右フック”で自身7度目の全勝ターン。長谷川氏は「チャンピオンとして重圧もあるでしょうし、相手も一泡も二泡も吹かせようとする。その中で戦い続けるプライドを感じました」と絶賛した。

 弟弟子の高安と同部屋2人だけの全勝ターンは43年ぶり。だが「(高安を)意識しても。また明日しっかり」。最後は涼しい顔で、後半戦に向かった。【今村健人】

 ◆同部屋力士の中日全勝並走 1場所15日制が定着した49年夏場所以降10例目で、稀勢の里、高安コンビは12年秋以来2度目。ただし、同部屋力士2人だけで並走するのは60年夏の初代若乃花と若秩父、74年夏の北の湖と増位山の2例しかなく、今回は43年ぶり3例目。最初の若乃花は9連勝、若秩父は10連勝でストップして結局、若三杉(大豪)が14勝1敗で優勝した。前回の北の湖と増位山は9日目でそろって黒星を喫し、14日目に北の湖(13勝2敗)が優勝を決めた。15日制が定着する前では41年春の立浪部屋時代の双葉山と羽黒山(11連勝)がいる。

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高安「対応力つく」連日稀勢の里と稽古、動画も確認

勢(奥)に下手投げで勝った高安(撮影・岡本肇)

<大相撲春場所>◇8日目◇19日◇エディオンアリーナ大阪

 田子ノ浦部屋の2人がそろって無傷で勝ち越した。06年夏場所13日目の千代大海-魁皇戦以来11年ぶりの日本人対決となった結びの一番で、兄弟子の新横綱稀勢の里(30)は東前頭3枚目の松鳳山を自身初の小手ひねりで退けた。弟弟子の関脇高安(27)も西前頭筆頭の勢を下手投げ。1場所15日制となった49年夏以降、同部屋の2人だけで中日を全勝で折り返すのは、74年夏の北の湖、増位山以来43年ぶりとなった。

 高安も危なかった。左四つの自分の形になるも、勢に小手で振られて俵を回った。だが、今の関脇はここで土俵を割らない。最後は「ちょっと強引」と言うも、力強い下手投げで転がした。「なかなか上手を取らせてもらえなかったけど、我慢したかいがあった」。兄弟子の前に取る相撲で、弟弟子も負けなかった。

 2月から積み重ねてきた稀勢の里との稽古。それを連日、動画に収めてきた。「(相撲を)取っているのと客観的に見るのとでは、感じ方が違う。内容よく攻めても注意しないといけないこと、ダメなことがある。悪いところをどう直すか。横綱とやるので、対応力がつきます」。横綱と相撲を取って終わりではない。復習も重ねた。だから「どんな状況でも勝ちに結びつけられているし、どんな状況でも対応できている」。

 14年名古屋以来3年ぶり3度目のストレート勝ち越し。過去2度は前頭9、11枚目と平幕下位だった。関脇の初日から8連勝は、12年九州の豪栄道以来4年半ぶり。11年秋の稀勢の里の8連勝に並び、81年春の先代師匠隆の里の7連勝を超えた。だが「1つの区切りなんでしょうが、区切りと思ってはいけない。連日同様、明日も同じ気持ちでやらないといけない」と言い聞かせた。【今村健人】

 ◆同部屋力士の中日全勝並走 1場所15日制が定着した49年夏場所以降10例目で、稀勢の里、高安コンビは12年秋以来2度目。ただし、同部屋力士2人だけで並走するのは60年夏の初代若乃花と若秩父、74年夏の北の湖と増位山の2例しかなく、今回は43年ぶり3例目。最初の若乃花は9連勝、若秩父は10連勝でストップして結局、若三杉(大豪)が14勝1敗で優勝した。前回の北の湖と増位山は9日目でそろって黒星を喫し、14日目に北の湖(13勝2敗)が優勝を決めた。15日制が定着する前では41年春の立浪部屋時代の双葉山と羽黒山(11連勝)がいる。

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稀勢の里、高安の同部屋2人の中日全勝は43年ぶり

松鳳山に両差しを差されピンチとなった稀勢の里だったが右からの小手ひねりで8連勝(撮影・岡本肇)

<大相撲春場所>◇8日目◇19日◇エディオンアリーナ大阪

 田子ノ浦部屋の2人がそろって無傷で勝ち越した。

 06年夏場所13日目の千代大海-魁皇戦以来11年ぶりの日本人対決となった結びの一番で、兄弟子の新横綱稀勢の里(30)は東前頭3枚目の松鳳山を自身初の小手ひねりで退けた。

 弟弟子の関脇高安(27)も西前頭筆頭の勢を下手投げ。1場所15日制となった49年夏以降、同部屋の2人だけで中日を全勝で折り返すのは、74年夏の北の湖、増位山以来43年ぶりとなった。

 ◆同部屋力士の中日全勝並走 1場所15日制が定着した49年夏場所以降10例目で、稀勢の里、高安コンビは12年秋以来2度目。ただし、同部屋力士2人だけで並走するのは60年夏の初代若乃花と若秩父、74年夏の北の湖と増位山の2例しかなく、今回は43年ぶり3例目。最初の若乃花は9連勝、若秩父は10連勝でストップして結局、若三杉(大豪)が14勝1敗で優勝した。前回の北の湖と増位山は9日目でそろって黒星を喫し、14日目に北の湖(13勝2敗)が優勝を決めた。15日制が定着する前では41年春の立浪部屋時代の双葉山と羽黒山(11連勝)がいる。

勢(右)と激しい取り組みをする高安(撮影・鈴木正人)

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学生横綱トゥルボルドら56人が新弟子検査に合格

 日本相撲協会は大相撲春場所初日の12日、昨年の学生横綱のバーサンスレン・トゥルボルド(日大、錦戸部屋)や、三段目最下位格付け出しの大波渥(東洋大、荒汐部屋)村田亮(東洋大、高砂部屋)ら今場所の新弟子検査合格者56人を発表した。興行ビザ取得後となる5月の夏場所でデビュー予定のトゥルボルドや大波、村田以外は2日目の13日から前相撲を取る。

 合格者は次の通り。

 阿部浩一(24)秋田県横手市出身、式秀部屋、167センチ、162キロ▽大波渥(22)福島市出身、荒汐部屋、181センチ、114キロ▽福山聖和(21)鹿児島県瀬戸内町出身、藤島部屋、174センチ、94キロ▽鈴木英樹(18)静岡県三島市出身、春日野部屋、177センチ、119キロ▽朝倉大樹(18)千葉県柏市出身、時津風部屋、172センチ、162キロ▽早坂仁希(15)横浜市瀬谷区出身、時津風部屋、172センチ、101キロ▽村田亮(22)三重県志摩市出身、高砂部屋、182センチ、167キロ▽永谷海登(15)愛知県春日井市出身、錣山部屋、171センチ、138キロ▽板東二樹(15)東京都板橋区出身、井筒部屋、165センチ、73キロ▽井上天(18)横浜市神奈川区出身、錣山部屋、180センチ、140キロ▽田辺大宜(22)岐阜県大垣市出身、木瀬部屋、190センチ、125キロ▽中尾勇聖(15)大阪府枚方市出身、阿武松部屋、172センチ、90キロ▽藤川維吹(15)佐賀市出身、尾車部屋、172センチ、126キロ▽原元有吾(15)千葉県柏市出身、佐渡ケ嶽部屋、180センチ、143キロ▽今川恭輔(15)大阪府松原市出身、佐渡ケ嶽部屋、173センチ、78キロ▽佐藤伸也(15)山形県尾花沢市出身、佐渡ケ嶽部屋、175センチ、105キロ▽長浜大河(15)神戸市須磨区出身、佐渡ケ嶽部屋、181センチ、109キロ▽塚原ヒカル(18)茨城県古河市出身、佐渡ケ嶽部屋、189センチ、161キロ▽浦崎恭乃介(15)三重県名張市出身、佐渡ケ嶽部屋、175センチ、67キロ▽梶田雅人(15)山口市出身、九重部屋、171センチ、131キロ▽山藤栄輝(15)岐阜県関市出身、出羽海部屋、176センチ、98キロ▽藤田拓也(18)宇都宮市出身、藤島部屋、181センチ、122キロ▽田井中竜昇(18)川崎市多摩区出身、藤島部屋、175センチ、117キロ▽山本隼斗(15)兵庫県姫路市出身、山響部屋、167センチ、98キロ▽斎藤聖冴(18)大阪府東大阪市出身、錣山部屋、175センチ、151キロ▽鈴木司(15)千葉県東金市出身、大嶽部屋、177センチ、113キロ▽佐藤好樹(17)福島県二本松市出身、式秀部屋、170センチ、84キロ▽早坂柊(16)川崎市川崎区出身、式秀部屋、179センチ、135キロ▽遠山瑞樹(18)大阪市生野区出身、武蔵川部屋、190センチ、103キロ▽古川光(15)大阪市平野区出身、九重部屋、176センチ、116キロ▽田中尚哉(18)兵庫県明石市出身、田子ノ浦部屋、183センチ、111キロ▽辻翔海(15)青森県大間町出身、田子ノ浦部屋、182センチ、117センチ▽佐竹風汰(18)大阪市平野区出身、田子ノ浦部屋、167センチ、84キロ▽関塚太一(15)愛知県小牧市出身、田子ノ浦部屋、187センチ、112キロ▽高橋鉄(15)愛知県小牧市出身、田子ノ浦部屋、181センチ、148キロ▽松沢亮英(18)千葉県鎌ケ谷市出身、朝日山部屋、168センチ、76キロ▽本間航平(15)東京都墨田区出身、佐渡ケ嶽部屋、170センチ、80キロ▽バーサンスレン・トゥルボルド(22)モンゴル・ウランバートル出身、錦戸部屋、187センチ、182キロ▽臼井亮裕(18)東京都足立区出身、錦戸部屋、173センチ、68キロ▽松岡裕輔(15)長野県上田市出身、東関部屋、171センチ、116キロ▽衣川真央(16)埼玉県草加市出身、玉ノ井部屋、171センチ、98キロ▽佐藤順平(15)名古屋市港区出身、千賀ノ浦部屋、181センチ、111キロ▽当真マークアーロンジャスティン(15)横浜市保土ケ谷区出身、浅香山部屋、179センチ、135キロ▽中村友哉(22)金沢市出身、宮城野部屋、169センチ、95キロ▽中野義信(15)山梨県笛吹市出身、宮城野部屋、166センチ、138キロ▽島袋璃空(15)沖縄県竹富町出身、宮城野部屋、173センチ、100キロ▽井上直輝(15)福岡市早良区出身、二所ノ関部屋、169センチ、95キロ▽上戸大輝(21)愛知県豊田市出身、立浪部屋、175センチ、117キロ▽山我裕基(18)茨城県取手市出身、立浪部屋、168センチ、89キロ▽佐藤直希(15)長崎県大村市出身、立浪部屋、177センチ、132キロ▽新垣海波(14)沖縄県石垣市出身、立浪部屋、171センチ、73キロ▽浜崎純也(15)埼玉県日高市出身、湊部屋、172センチ、114キロ▽前田剛志(15)埼玉県三郷市出身、湊部屋、169センチ、155キロ▽矢田宏太(17)和歌山市出身、尾上部屋、195センチ、203キロ▽マスヤマ・アルトゥー・ヒデミ・ソウザ(15)愛知県西尾市出身、尾上部屋、173センチ、88キロ▽今野康祐(18)東京都足立区出身、境川部屋、184センチ、158キロ

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