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栃ノ海さん死去 歴代横綱最高齢は北の富士氏78歳

北の富士氏(2020年1月8日撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海の花田茂広(はなだ・しげひろ)さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。

これで歴代横綱の最高齢は、78歳で北の富士の竹沢勝昭氏となった。現在もテレビなど大相撲中継での硬軟織り交ぜた的確な名解説で活躍中だ。北の富士に次ぐのは、日本相撲協会元理事長で三重ノ海の石山五郎氏。相撲博物館長を務め、2月4日に73歳となる。これに2代目若乃花の下山勝則氏が67歳で続く。歴代最長寿は明治時代中期に綱を張った初代梅ケ谷で、83歳で死去した。

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春日野親方「育ての親は栃ノ海」先代花田氏を悼む

春日野親方(2019年12月19日撮影)

先代春日野親方の花田茂広氏の死去を、現春日野親方(元関脇栃乃和歌)がしのんだ。

85年春場所で初土俵を踏んだ際は、元横綱栃錦の先々代春日野親方が師匠だった。指導などで迷うことがあれば、今も2人の師匠を思い浮かべるという。「稽古場で厳しくご指導いただいたことや、ご本人がけがで早く引退されたこともあり、私たちの体のケアにも注力してくださったことが思い出される。『生みの親は栃錦、育ての親は栃ノ海』だと思っております」とコメントした。

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元横綱栃ノ海が死去 小兵の技巧派横綱として活躍

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

訃報を受けて、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「突然の訃報に接し、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は、春日野部屋の師匠として多くの関取を育てられ、理事としても相撲道の継承と発展にご尽力いただきました。ご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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第49代横綱栃ノ海の花田茂広さん死去 82歳

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが亡くなったことが29日、分かった。

存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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栃ノ心が大関昇進披露会「番付も番付…」患部大丈夫

大関昇進披露パーティーで小川直也氏(右)から花束を贈呈される栃ノ心

今年5月の夏場所後に昇進を果たした栃ノ心(30=春日野)の大関昇進披露パーティーが1日、東京・文京区の東京ドームホテルに、関係者約1300人を集めて盛大に開かれた。

パーティーには八角理事長(元横綱北勝海)ら親方衆、力士では鶴竜(33=井筒)、白鵬(33=宮城野)、稀勢の里(32=田子ノ浦)の3横綱、豪栄道(32=境川)と高安(28=田子ノ浦)の両大関らが出席。八角理事長らがあいさつした後、栃ノ心が壇上に立ち「お疲れさんでございます」の発声の後、感謝のあいさつ。「日本の心、(出身地)ジョージアの心、相撲の心、春日野部屋の心を大切に、日本とジョージアのみなさんのために、さらに上を目指して稽古に精進、努力します」と謝意を示した。

鏡開きでは、先代春日野親方(元横綱栃ノ海)の花田茂広氏と八角理事長にはさまれて、豪快に木槌を振り下ろし、たるのふたを割った。また乾杯の後には、同じ明大出身で師匠と親交のある、92年バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで小川道場の小川直也道場長から花束を贈呈された。

大勢の関係者の前で晴れの席に臨んだ栃ノ心だが、新大関の名古屋場所では右足親指を負傷し途中休場。8日後に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)は、負け越せば関脇陥落のかど番で迎える。パーティー前に取材に応じた栃ノ心は「プレッシャーもあるけど番付も番付だし、頑張らないといけない。3、4日前に申し合い(稽古)も始めたし、しっかり場所が始まるまで稽古して今場所を迎えたい。(患部は)それほど痛くはないし、稽古できないわけじゃない。大丈夫、頑張るしかない」と気丈に話した。披露パーティーには「こんなにたくさんの人が集まるとは思わなかった。すごくうれしい。もっともっと頑張らないといけない」と奮起を誓った。

大関昇進披露パーティーで鏡割りする栃ノ心(中央)と八角理事長(右)
大関昇進披露パーティーであいさつする栃ノ心

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ジョージア大使は「今年中に横綱になって欲しい」

栃ノ心の大関昇進伝達式に臨んだツィンツァゼ駐日ジョージア全権特命大使(撮影・小沢裕)

 新大関栃ノ心(30=春日野)が誕生した。日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で名古屋場所(7月8日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議と臨時理事会を開き、栃ノ心の大関昇進を満場一致で承認した。

 栃ノ心の周囲からは、もう1つ上の地位を期待する声が上がった。会見を見守ったツィンツァゼ駐日ジョージア全権特命大使は「今年中に横綱になって欲しい。力、スタミナ、精神は持っている」。先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏も「手綱を緩めず一気に上を期待します」と、昇進を待ち遠しそうにした。

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