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京口紘人の転機は辰吉丈一郎の直接指導/プロに聞く

17年7月、デビューからわずか1年3カ月で世界王座を獲得して喜びを爆発させる

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。ボクシングのWBA世界ライトフライ級王者京口紘人(26=ワタナベ)は、幼少期、自身の小さな体に悩んでいた。転機となったのは、ボクシングとの出会いと、伝説の世界王者辰吉丈一郎の教えだった。日本人最速の、デビューから1年3カ月で世界王者に駆け上がった男が、道を切り開いてきた原動力と、これまでの歩みを語った。【取材・構成=奥山将志】

京口の目の前には、生まれた時から「格闘技」があった。父寛さんが空手の師範。兄、姉の背中を追い、当たり前のように3歳から教えを受け始めた。だが、活躍する兄姉のようにうまくはいかなかった。「背の順」は常に先頭。小柄な体が勝利を遠のかせていた。

「兄や姉は大会で何回も優勝していたのに、自分だけ勝てなかったんです。悔しさもありましたが、子どもながらにプレッシャーがすごかった。父が先生で、兄も姉も結果を出している。『勝って当たり前』という目で見られるのがコンプレックスでしたね」

負ける相手が、自身より20センチ以上も身長の高い相手、体重が倍以上の相手だったこともあった。「フェアじゃない」-。そんな思いは、次第に大きくなっていった。運命を変えたのは、小5の時。友人の家で見た、辰吉丈一郎-薬師寺保栄のボクシングの試合だった。「階級」に分かれ、同条件の2人が激しく殴り合う姿に、胸が躍った。

「小さい頃から『同じ体重だったら負けない』っていう思いがずっとあったんです。あの試合を見た時、自分はこれで生きていくんだって思いましたね」

寛さんは、ボクシングをやりたいと頭を下げる息子の思いを理解し、条件を与えた。「中学校に入るまでに、小さい大会でもいいから優勝しろ」「ボクシングをやるなら、死ぬ気でやれ」-。京口は父の言葉に結果で応え、小6の冬、大阪帝拳ジムの門をたたいた。指導してくれたのは、きっかけをくれた辰吉本人だった。自宅から片道1時間20分の道を、週6回。約1年半続いた直接指導から、ボクサーとして生き抜く「強さ」を学び取った。

「楽しくて仕方なかったですね。教わったのは、考え方や精神的な部分。まず先に、『世界チャンピオンになりたいでは、なれない。なるって言え』って。技術的には、意外かもしれないですが、基本の繰り返しです。『歩けないやつに走れっていっても無理やろ。基本ができていないやつにフックとかアッパーを教えても意味がない』って。ジャブ、ワンツー、ディフェンス。しんどかったですが、毎日が濃厚でしたね」

進学した大商大で、積み重ねた努力が結果として表れた。4年時には主将を務め、14年の国体で優勝。16年4月にワタナベジムからプロデビューを果たすと、驚異的なスピードで階段を駆け上がった。デビューからわずか1年3カ月。8戦目で、憧れ続けてきた「世界王座」をつかみとった。

「小さい頃に『世界チャンピオンになる』って決めたから、どれだけきつくても、やめたいと思ったことは1度もないんです。サンドバッグや階段ダッシュのような、しんどい時こそ『この1日の積み重ねが、1ミリでも夢に近づいている』って自分に言い聞かせるんです。1日で何かが変わるなんてありえない。だから、目の前の結果とか小さな満足感を欲しがっても意味がないんです。頑張る理由は『世界チャンピオンになる』という目的以外にないんですから。だからこそ、世界を取った瞬間は『報われた』という思いがわき上がってきました。あれを超える感情は、この先、もうないんじゃないですかね」

世界王者になり、かつて辰吉に憧れた自身と同じように、子どもたちから憧れられる立場に変わった。26歳。2階級制覇王者として描く未来は「人の人生に影響を与えられる人間になること」。ボクシングを通して、次の世代に伝えたい思いもあるという。

「やりたいと思ったことはとことんやってほしいですね。1つのことをやり続けるのは大切ですが、それはギャンブルでもある。野球をやっていて、サッカーに興味をもったらサッカーをやった方が良いんです。やってみて、違うと思ったら戻ればいい。サッカーをやりたいという思いがある時点で、野球は中途半端なんですから。サッカーで得た感性が、野球に戻った時に生きるかもしれない。子どもの頃はいろんなことを吸収できるし、チャレンジするのが大事だと思うんです。重要なのは、チャレンジと中途半端にやるのは違うと理解すること。挫折や、スランプはチャンスでもあるんです。目の前に道がないから、横を見るじゃないですか。偶然見た道が、目的地につながっているかもしれない。子ども時代は視野を広げて、時間を有意義につかってほしいですね」

◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年(平5)11月27日、大阪府和泉市生まれ。3歳から空手を始め、12歳からボクシングへ。中1、2年時には大阪帝拳ジムで辰吉丈一郎から指導を受けた。大商大卒業後の16年4月にワタナベジムからプロデビュー。17年7月に、日本最速デビュー1年3カ月でIBF世界ミニマム級王座を獲得。2度防衛後に王座を返上。18年12月にWBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得し、2階級制覇を達成。161センチの右ボクサーファイター。

17年7月、IBF世界ミニマム級新王者となり、父寛さん、母かおりさんと笑顔で記念撮影
18年12月、辰吉丈一郎直伝の左ボディーを集めて王者を弱らせ、WBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得
19年10月、WBAスーパー世界ライトフライ級王座2度目の防衛を果たした

裏も濃密だった辰吉対薬師寺/記者振り返るあの瞬間

94年12月、WBC世界バンタム級統一王座決定戦で激しく打ち合う辰吉丈一郎(左)と薬師寺保栄

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(45)

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

辰吉丈一郎が「勘違い君」と言えば、薬師寺保栄は「思い上がり君」と返した。ボクシングで世紀の一戦と言えば、やっぱりこれ。WBC世界バンタム級王座統一戦で、94年12月4日に名古屋で激突した。対戦前は舌戦が前代未聞の過熱ぶりで、一言で記事になった。

辰吉が前年に暫定で王座を奪回したが、当時の国内ルールでは引退の網膜剥離と判明した。薬師寺が代役で正規王座を奪取して2度防衛。その間に辰吉が海外で復帰すると、WBCから対戦指令が出され、国内復帰も特例で認められた。

因縁に中継テレビ局の違いで、両陣営とも興行権を譲らず。共催案も分裂でついに入札になると、米プロモーターのドン・キング氏も参戦する事態に。薬師寺陣営が342万ドル(約3億4200万円)とヘビー級以外の最高額で落札した。辰吉陣営は237万9999ドル、キング氏は320万1500ドルだった。

薬師寺陣営は赤字削減へ強硬手段に出た。ポスターやプログラムは薬師寺中心で辰吉は片隅。入場券1万1000人のうち辰吉陣営には3000枚だけで、グッズ販売、恒例の太鼓応援も禁止した。薬師寺陣営がファンクラブ結成に約3000人が入会したが、半分は隠れ辰吉ファンの入場券目当てだった。

薬師寺のクリハラ・トレーナーが「欠点が6つある」に、辰吉は「486個」と返した。「ヤックン(薬師寺)のダンスとキラキラの服が楽しみ。判定なら勝ちにしてあげる」と上から目線。薬師寺は「ベルトに偽物と書いて」と言い、公開練習ではあちこちサポーターやドーピング疑惑を口にし、陽動作戦も繰り広げた。

試合は辰吉が前に出るが、薬師寺が左ジャブと手数でリードした。両者とも流血。辰吉は両目を腫らせながら、終盤に反撃した。クリンチも少ない激戦も、2-0の小差判定で薬師寺の手が上がった。

1ポイント差のジャッジ1人は日本人だった。12回は唯一10-10のイーブンと採点した。残るジャッジ2人のこの回は辰吉10-9で、3人が同じだったら判定は1-0で引き分け。異議を訴える辰吉陣営もいた。

実は辰吉が左拳を痛めていたが、素直に完敗を認めた。終了ゴングが鳴ると抱き合って発言を謝り、判定が下ると薬師寺を抱き上げた。薬師寺も勝って言い返すはずが、最強だったと応えた。挑発合戦からクリーンなファイトとエンディングが脳裏に刻まれた。

両陣営の争いで笑ったのが、振込手数料をどちらが払うかでもめたこと。ファイトマネーは五分の1億7100万円で、マネジメント料33%を引いても1億1457万円。辰吉は日本人最高額となった。

薬師寺は違った。当時は試合後の報告書が公表され、2500万円と判明した。後援者のボーナスはあったが、地元での開催優先へ抑制を受け入れ、初の日本人統一戦勝者という栄冠を手にした。舞台裏も実に濃密で面白く、まさに世紀の一戦と言えた。【河合香】

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薬師寺ジムが興行中止「入場収入なければ出る一方」

薬師寺保栄会長(2016年12月23日撮影)

ボクシングの薬師寺ジムが7月12日に愛知県内で予定していた興行を中止としたことが30日、分かった。

同ジム所属のWBO世界フェザー級5位で同アジアパシフィック同級王者森武蔵(20)のノンタイトル戦をメインに計画していた。しかし、原則となる「無観客」が最大の壁となり、開催を断念せざるをえなかった。元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長(51)は「(放映権料が見込める)テレビ中継がつくわけでもなく、入場収入がなければ出ていく一方。ファイトマネーも払えない」と苦渋の決断を語った。

日本ボクシングコミッション(JBC)と日本プロボクシング協会(JPBA)は前日29日に新型コロナウイルス対策連絡協議会を開き、7月からの興行再開を決めた。ただ「原則無観客」で、客入れには厳しい条件設定。実際には興行不可能な厳しい現実が示された。

将来期待の森は来春にも世界戦が計画されている。年内に2戦で世界挑戦が描かれていたが今後の興行、試合日程も「全くの白紙」(薬師寺会長)と見通しがたたない。プロ野球、Jリーグと動きだしてきたスポーツ界だが「密」を避けるのが難しいボクシング、格闘技にはまだまだ高いハードルが立ちはだかる。

森武蔵(2017年12月22日撮影)

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重傷克服の薬師寺愛弟子…森武蔵が来春世界初挑戦へ

森武蔵

WBO世界フェザー級5位で同アジアパシフィック同級王者森武蔵(20=薬師寺)が来春にも世界初挑戦を計画していることが19日、分かった。実現すれば元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄会長(51)の愛弟子で初の世界戦となる。

森は13歳の時、交通事故で両足と腰の骨を折る重傷を負うも、そこから奇跡の再起を遂げた。“モンスター”井上尚弥らを輩出した全国U-15ジュニア大会で優勝した実力者。素質を買う薬師寺会長が「チャンスを与えたい」と、WBO同級王者シャクール・スティーブンソン(22=米国)陣営と交渉している。

王者はリオデジャネイロ五輪銀メダリストで13勝(7KO)無敗の超難敵。計画では7月にノンタイトル戦を行い、年内にアジアパシフィック王座の防衛戦を行った後に返上し、世界戦に向かう。

森は薬師寺会長に素質を見いだされ、「プロ以外に興味ない」と複数の高校の誘いを断り、プロ入りした。王者スティーブンソンとは同じサウスポーで、「最近はファイタースタイルに近づいている」という攻撃型。勢いに乗って成長をとげている時に新型コロナウイルスの影響を受けた。4月に地元の熊本でアジアパシフィック王座の防衛戦も中止となり、現在は熊本の実家でトレーニングを積んでいる。

「とにかく早く試合がしたい」と願うが、7月の試合も世間の情勢で流動的ではある。とはいえ、未知の、そして大きな可能性を秘めた若武者。その未来を開く夢舞台が実現するか。コロナ終息後の楽しみは間違いない。【実藤健一】

◆森武蔵(もり・むさし)1999年(平11)11月27日、熊本県菊池市生まれ。幼稚園から小学5年まで空手、その後にボクシング。16年12月にプロデビュー。17年度フェザー級の全日本新人王。18年11月にWBOアジアパシフィック同級王座を獲得し、2度防衛中。戦績は11勝(6KO)無敗。身長170センチの左ファイター。

森武蔵と薬師寺会長(右)(2017年12月23日)

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ハーンズ伝説のラスベガス恐怖の一撃/薬師寺の一撃

薬師寺保栄氏

<ボクシング、忘れられない一撃~2>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄氏(51=薬師寺ジム会長)の忘れられない一撃は「ラスベガス恐怖の一撃」。高校生の時に見た伝説の一戦、のちの5階級制覇王者トーマス・ハーンズ(米国)-ロベルト・デュラン(パナマ)で受けた衝撃を語った。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 84年6月15日、WBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチで王者ハーンズとWBA王者デュランが対戦した(WBAはタイトル戦を認めず王座剥奪)。「ヒットマン=殺し屋」の異名をとったハーンズと「石の拳」デュランの激突は世界中の注目を集めた。試合は序盤からハーンズが攻勢。残り約30秒、ハーンズが右の打ち下ろしでデュランのあごを打ち抜き、ダウンを奪う。立ち上がったところにラッシュで2度目のダウンもゴングに救われる。2回もハーンズがラッシュをかけ1分過ぎ、右ストレートでまたもあごを打ち抜かれたデュランが前のめりに崩れ落ちるKO負け。この右が「ラスベガス恐怖の一撃」と語られる。

◇  ◇  ◇  ◇

衝撃だったね。(享栄)高校でもうボクシングをやってたんだけど、震え上がるような右ストレートだった。いまだに忘れられないほどだよ。

あのデュランが、エッフェル塔が倒れるように、爆破されたビルが崩れ落ちるように、かな。前のめりに倒れた。今もたまに映像を見るけど、すごいシーンだったよね。

ハーンズはリーチが長くて、スピードもある。代名詞がフリッカージャブ(右構えなら左のガードを下げ腕をむちのようにしならせてスナップを利かせて打ち込む)だった。死角から強烈なのが飛んでくるから。デュランもそれで、相当にダメージを蓄積していたと思う。

リーチの長さと独特のしなやかさが必要で、日本人がまねるのは無理やね。自分もやろうとしたけど、高校のコーチに怒られた。「ガードを下げるな!」って。日本のボクシングはそれが鉄則だから。

自分の選手にも絶対教えませんよ。「ガードを下げるな!」って、同じことを言うやろね。

◆薬師寺保栄(やくしじ・やすえい)1968年(昭43)7月22日、大分・津久見市生まれ、愛知・小牧市育ち。中学3年からボクシングをはじめ、享栄高から松田ジムで87年7月にプロデビュー。91年12月にWBC世界バンタム級王座を獲得し94年12月、暫定王者辰吉丈一郎との世紀の一戦を判定で制する。95年7月、V5に失敗後、現役を引退。戦績は24勝(16KO)3敗1分け。07年に名古屋市内に薬師寺ジム開設。

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薬師寺会長、苦しいジム経営「影響は厳しい」

薬師寺保栄氏(12年6月撮影)

愛知県は10日、独自の緊急事態宣言を発令した。

名古屋市内にジムを構える元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長(51)が電話取材に応じ、「地域というか、国レベルのこと。従うしかないんで」と語った。

新型コロナウイルス感染拡大下において消毒、換気を徹底してジムを開いてきた。ただ、愛知県の宣言を受けて今後は「短縮、クローズということになるでしょう」。ボクシング界は5月末までの興行自粛となり、薬師寺ジムも予定していた3回の興行が流れたという。

さらに厳しい経営状況をしいられている中で、ジムの退会者も増えているという。薬師寺会長は「(会員は)自営業の方も多いんで。影響は厳しいですね」。

所属するWBO世界フェザー級5位で、アジアパシフィック同級王者の森武蔵(20)も今月に地元・熊本で予定していた試合が中止となった。世界に接近する大事な時期だけに、会長は「早く終息してほしい」と切に願った。

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森武蔵 ファイトマネーで故郷熊本にマスク寄贈

森武蔵

ボクシングのWBOアジアパシフィックフェザー級王者森武蔵(20=薬師寺)が6日、故郷(熊本県菊池市出身)の熊本県庁を訪れ、マスク3000枚を寄贈した。

4月18日に熊本で防衛戦が予定されていた森は、3月に地元で合宿中に新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、「何か力になれないか」。元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長や後援会の会長に相談し、自身のファイトマネーで寄贈を決めた。4月の試合は延期。「今はボクシング一本でやらせてもらっている。ファイトマネーが入らないのは正直厳しいが、何かの役に立ちたかった」と話す。

自身も苦しい思いをしてきたからこそ、人のためになりたいと思う。13歳の時、ロードワーク中に後ろから車に追突された。腰と両足骨折の重傷。半年間、入退院を繰り返した。医者からは通常の生活はできても、ボクシングは無理と通告された。再起不能の宣告だったが、森は「自分の心は折れなかった」。必死の努力で全国U-15ジュニアボクシング大会で優勝した。

そんな姿勢が元世界王者の薬師寺会長の目に留まった。母は高校進学を願ったが、森は「プロ以外に興味ない」と薬師寺会長の名古屋行きを即断した。中学の卒業式に薬師寺会長が迎えにきたという。その後に大阪で世界ランカーとのスパーリングでボコボコにされた。「やり返したる」。逆に闘争心がわいた。

サウスポーのファイターで、プロでは全日本スーパーフェザー級新人王を獲得するなど11戦全勝(6KO)。現在、WBO世界フェザー級5位で、世界挑戦も期待される。「自分は若く、まだまだ成長期。力を備えて挑みたい」。与えられた困難を乗り越え、世界のベルトを目指す。

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メイウェザー132億円/ボクシングファイトマネー

ロドリゲス戦を控えファイティングポーズを決める井上(撮影・滝沢徹郎)

WBA世界バンタム級王者井上尚弥(26=大橋)が階級最強を決めるトーナメント、ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)2連勝で計1億円超の報酬ゲットを狙う。18日(日本時間19日)に同地でIBF世界同級王者エマヌエル・ロドリゲス(26=プエルトリコ)とのWBSS準決勝を控え、井上は体重調整に専念した。軽量級では破格となる2戦合計で1億円超マネーを狙い、グラスゴーのリングに向かう。

◆ボクシングのファイトマネー バンタム級の日本人世界王者では94年に薬師寺保栄とWBC王座統一戦に臨んだ辰吉丈一郎が1億1000万円の報酬を得た。1階級上のスーパーバンタム級ではWBC名誉王者西岡利晃が11年に米ラスベガスで臨んだV7戦で100万ドル(約1億1000万円)のファイトマネーを獲得。海外戦は知名度の高さや人気によって報酬が変動。昨年8月に米国で開催されたWBO世界同級王座の防衛戦に臨んだ当時の王者ドクボエ(ガーナ)は6万5000ドル(約715万円)。中量級ではメイウェザー(米国)が15年のパッキャオ(フィリピン)戦で1億2000万ドル(約132億円)が保障され、パッキャオは16年のブラッドリー(米国)戦で2000万ドル(約22億円)が最低保障の報酬だった。

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田中恒成「普通にはならない」平成最後の大勝負宣言

WBO世界フライ級タイトルマッチの前日計量をともにリミット50・8キロでパスした王者田中恒成(左)と挑戦者田口良一(撮影・加藤裕一)=

WBO世界フライ級タイトルマッチの調印式、前日計量が15日、名古屋市内で行われ、世界最速タイ3階級覇者の王者田中恒成(23=畑中)と元WBA&IBF世界ライトフライ級統一王者の挑戦者田口良一(32=ワタナベ)がともにリミットの50・8キロでパスした。17年大みそかに対戦するはずが、田中の両目負傷で流れたカードが実現。「平成最後の大勝負」で王者が初防衛を予告した。

   ◇   ◇   ◇

勝つ自信はもちろん、誰もが見ほれる試合をする絶対の自信がある。田中は調印式で断言した。「平成最後の大勝負と言って恥ずかしくない、ふさわしい試合になると思います」。

強者と戦いたい世界3階級王者にとって、田口戦は痛恨の忘れものだった。WBOライトフライ級王者だった17年、当時「軽量級の名王者」と呼ばれたWBA同級王者田口に統一戦を呼びかけ、同年大みそかに対戦する予定だった。ところが、9月の2度目の防衛戦で両目眼窩(がんか)底を骨折し、プラン消滅。それが階級を上げて実現する。

「今更だけど、田口選手は最高のライバル。(実現まで)いろんな思い、たくさんのことがあったけど、やるべくしてやる、と思っている。普通の試合で終わらせるつもりはない、というかならないです」。

昨年は“モンスター”WBAバンタム級王者井上尚弥の“70秒KO”を差し置き、今のベルトを奪った9月の木村翔戦で年間最高試合賞を獲得。今年も田口戦で同賞を-。「こんなおもしろいカードで、つまらない試合を見せるつもりはない」。恋い焦がれた相手を倒し、忘れものを手にするつもりだ。【加藤裕一】

◆平成の日本ジム所属選手同士による世界戦 今回で47戦目。94年(平6)12月のWBCバンタム級統一王座決定戦(王者薬師寺保栄が暫定王者辰吉丈一郎に判定勝ち)や、12年(平24)6月のWBC&WBAミニマム級王座統一戦(WBC王者井岡一翔がWBA王者八重樫東に判定勝ち)など、王者同士の統一戦6試合を除く40試合中32試合で王者が防衛している。

WBO世界フライ級タイトルマッチの前日計量をパスした王者田中恒成(左)と挑戦者田口良一はにらみ合う(撮影・加藤裕一)

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薬師寺vs辰吉は1・1億円/ファイトマネーメモ

会見を終え記念撮影に納まる井上(右)とパヤノ(撮影・河野匠)

ボクシングWBA世界バンタム級王者井上尚弥(25=大橋)が世界最強を証明し、軽量級では破格となる億単位のファイトマネーをゲットする。7日開幕の階級最強を決める賞金争奪トーナメント、ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)1回戦(横浜アリーナ)を控えた5日、同級4位フアンカルロス・パヤノ(34=ドミニカ共和国)らと都内で開かれた公式会見に出席。同席したWBSS首脳からは優勝賞金が100万ドル(約1億1000万円)超えになるとの見通しが明かされた。

◆ファイトマネーメモ バンタム級の日本人世界王者では94年に薬師寺保栄とWBC王座統一戦に臨んだ辰吉丈一郎が1億1000万円の報酬を得たとされる。1階級上のスーパーバンタム級ではWBC名誉王者西岡利晃が11年に米ラスベガスで臨んだV7戦で100万ドル(約1億1000万円)のファイトマネーを稼いだ。海外では知名度や人気によっても報酬は左右され、8月に米グレンデールで開催されたWBO同級タイトル戦に臨んだ王者ドクボエ(ガーナ)は6万5000ドル(約715万円)だった。なお中量級では5階級制覇王者メイウェザー(米国)が15年の6階級制覇王者パッキャオ(フィリピン)戦で1億2000万ドル(約132億円)が保障され、パッキャオは16年のブラッドリー(米国)戦で2000万ドル(約22億円)が最低保障の報酬だった。

WBSSの会見を終え相手の顔を見つめる井上(左)とパヤノ(右)。中央はWBSSプロモーターのザワーランド氏(撮影・河野匠)

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中谷vs矢吹の東西MVP対決 きょう全日本新人王

 ボクシングの第63回全日本新人王決定戦は今日23日、東京・後楽園ホールで行われ、12階級の日本一が決まる。前日22日に計量があり、各選手ともに計量をパスした。

 注目は東西MVP対決となるフライ級。東日本の中谷潤人(18=M・T)はアマチュアで15歳以下の全国大会2連覇のエリートで8戦全勝(7KO)。「お客さんも楽しみにしている。応えるのが仕事」と注目を歓迎した。西日本の矢吹正道(24=薬師寺)はカウンターを武器にする元王者薬師寺保栄氏の愛弟子で3戦全勝(3KO)。「明日もKOしたい」と述べた。

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薬師寺保栄、天下統一 辰吉にド突き勝つ/復刻

1994年12月5日付 日刊スポーツ1面(東京版)

<日刊スポーツ:1994年12月5日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月5日付紙面を振り返ります。1994年の1面は、薬師寺VS辰吉の日本人同士によるバンタム級統一王座戦でした。

 ◇ ◇ ◇

<WBC世界バンタム級タイトル統一戦>◇4日◇名古屋市総合体育館レインボーホール◇観衆9800人

 プロボクシングWBC世界バンタム級王者・薬師寺保栄(26=松田)が死闘を制した。すさまじい打ち合いの末に暫定王者の辰吉丈一郎(24=大阪帝拳)を下し、3度目の防衛を果たした。日本人同士の統一戦は両者とも流血する死闘にもつれ、手数で上回った薬師寺が2-0で判定勝ちした。戦績は薬師寺が23勝(16KO)2敗1分け、辰吉は10勝(8KO)2敗1分けとなった。薬師寺の次期防衛戦は、同級1位のウェイン・マックロー(24=アイルランド)との指名試合となる。

 ○王者 薬師寺保栄(26=松田、53・4キロ)

   判定

 ●暫定王者 辰吉丈一郎(24=大阪帝拳、53・2キロ)

 真っ赤な鮮血でキャンバスが染まる。壮絶なド突き合いが続く。9800人の観衆をパニック状態に陥れながら、締めて903発のパンチを打ち合った死闘の終わりを告げるゴングが鳴り響いた。

 辰吉と薬師寺がリングの中央で抱き合う。「ええファイトしたのう」(薬師寺)「ああ、お互いにな」(辰吉)。その直後だった。レフェリーが採点表を読み上げ、「勝者・薬師寺」をコールした。一人はドローと判定し、二人は薬師寺の攻勢、手数を取った。2-0の判定勝ち。真のチャンピオンとなった薬師寺は、両手を突き上げ、絶叫した。

 非情なまでのボクシングに徹した。セコンドからは「目と鼻を狙え」の指示が飛び続けた。ためらいは「相手に失礼になる」と、終始、辰吉の弱点(左目網膜剥離=はくり)を攻め続けた。2度の手術からカムバックした辰吉を「ボクシングに対する情熱なのか、バカなのか。僕には絶対にできない」と言っていた男が、左へ左へと回り込んでの左ジャブ、そして右ストレートを放ち続けたのは、世界のトップに君臨するプロ同士の礼儀でもあった。

 「辰吉のファイトはものすごかった。僕が戦った26戦で、間違いなく最強の相手だった。その相手に勝てたことを、次につなげたい」と薬師寺は言った。そこに、また一回り大きくなったチャンプがいた。

 辰吉は、潔く完敗を認めた。「(薬師寺は)強かったですよ。いろいろ侮辱したことを謝りたい。想像以上に強かった。倒したかったんですけど……。すべてに強かったです」。はれ上がった左まぶたの裂傷は、パックリと口を開き、右目じりも切れていた。対決前の練習中に左こぶしを痛めていた。試合後に吉井会長が「ひびが入った状態かもしれない」と打ち明けたが、そんな不安をおくびにも出さず、真っ向からパンチを繰り出し続けた。最終ラウンドの猛反撃は、この試合を限りに燃え尽きる「浪速のジョー」の集大成だったのかもしれない。

 試合前、リングに登場するや、予告通りにディスコダンスを始めた薬師寺を見るや、腰をかがめて拍手した。敗者となるや、ベルトを巻いてファンの歓声にこたえるチャンピオンを下から抱き上げた。辰吉も、最後まで「らしさ」を失わずにリングを去った。

 「彼(辰吉)には彼の人生がある。ご苦労さんと言いたい。辰吉の分まで頑張るなんていう気持ちはないけど、今までで最高の相手だった」と話す薬師寺の左目も、また青白くはれ上がっていた。

 日本ボクシング史上最高の3億4000万円マッチは、史上まれにみる好ファイトで幕を閉じた。「もうリターンマッチはやりたくないな」と薬師寺はつぶやいた。リングを去る辰吉の分まで戦い続けるつもりだが、死闘を終えたばかりの今は、一瞬のやすらぎが欲しい。そんな気持ちが、深夜のテレビ出演でこぼれ出た。「顔の傷が治ったら、ディスコへ行きたいな」。

<薬師寺保栄(やくしじ・やすえい)アラカルト>

 ◆生まれ 1968年(昭43)7月22日、大分県津久見市出身。26歳。

 ◆サイズ 171・7センチ、リーチ168・2センチ、右ボクサータイプ。

 ◆ボクシングとの出合い 愛知県小牧市立・村中小の時から、具志堅にあこがれてボクシングに興味を抱く。バレーボール部だった小牧中3年の夏休み、アマボクサーだった父から赤い12オンスのグローブをプレゼントされ、本格的に取り組む。

 ◆やんちゃ時代 享栄高からボクシング部。入学早々、番長決めの勝ち抜きトーナメントに参加、100キロを超える柔道家にKOされたことも。3年夏インタハイのフライ級でベスト8。アマ戦績26戦21勝(9KO)5敗。

 ◆タイトル 91年(平3)6月、尾崎恵一(オサム)に9回TKO勝ちで日本タイトル獲得(防衛1)。93年12月、辺丁一(韓国)に12回判定勝ちでWBC世界バンタム級王座獲得。

 ◆カラオケ好き ロック歌手矢沢永吉の大ファン。今年の誕生日には、仲間を呼んでライブコンサートを開催。永吉ソング数十曲を踊りとともに披露した。入場のテーマ曲は、中学時代ディスコで聴いたアース・ウインド&ファイアーの「レッツ・グルーヴ」。

 ◆カーマニア フェラーリ・テスタロッサ、キャデラック、BMW、マセラッティ・シャアルの4台を所有。2500万円相当の黒のランボルギーニ購入が夢。

 ◆動体視力トレ 名古屋市中区の特別視機能研究所(内藤貴雄所長=42)で昨年3月から1週間に1回、動体視力を高めるトレーニングを行ってきた。

 ◆家族 父巧さん(51)母利子さん(49)弟恵介さん(22)。来年3月には婚約者・芳賀博美さん(24)と挙式予定。

※記録と表記は当時のもの

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井岡一翔「自分との闘い」4度目防衛へ合宿開始

 WBA世界フライ級王者井岡一翔(27=井岡)が14日、4度目の防衛戦(12月31日・島津アリーナ京都)へ向け、和歌山県白浜町で合宿を開始した。

 今回は同級暫定王者スタンプ・キャットニワット(タイ)との王座統一戦。「自分との闘い。しんどくなったときに自分を追い込めるようにやる」。元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄氏が、ジムの選手を連れて参加しており「自己管理がしっかりできている」と井岡の姿勢に感心していた。

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井岡一翔「闘える自信得たい」4度目防衛へ合宿開始

 世界ボクシング協会(WBA)フライ級王者の井岡一翔(27=井岡)が14日、4度目の防衛戦(12月31日・島津アリーナ京都)へ向け、和歌山県白浜町で合宿を開始した。いつも通り、ランニングを中心としたメニューで足腰を鍛える方針で「闘える自信を得るためにやっている。打ち合いに勝てる下半身をつくりたい」と意欲的に話した。

 過去2戦はいずれも終盤の11回にKO勝ち。円熟期を迎えている王者は、同級暫定王者のスタンプ・キャットニワット(タイ)とのWBA王座統一戦に臨む。「自分との闘い。しんどくなったときに自分を追い込めるようにやる」と厳しい姿勢を強調した。

 今回は元世界バンタム級王者の薬師寺保栄氏が、ジムの選手を連れて参加しており「防衛がたくさんできる選手は自己管理がしっかりできている」と井岡の姿勢に感心していた。

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94年には薬師寺VS辰吉/主な世界戦日本人対決

94年12月、WBC世界バンタム級統一王座決定戦で対戦した辰吉丈一郎(左)と薬師寺保栄

 WBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥(23=大橋)が12月30日に元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平(35=ワタナベ)と防衛戦を行うことが9日、発表された。会場は有明コロシアムになる。

 最近の主な世界戦での日本人対決は以下の通り。

 ◆薬師寺保栄-辰吉丈一郎 WBC世界バンタム級の王座統一戦として、94年12月4日に名古屋市総合体育館で開催。王者薬師寺と暫定王者辰吉は試合前から舌戦を繰り広げ、試合は判定で薬師寺が勝利。テレビ視聴率は関東地区で39・4%を記録した。

 ◆飯田覚士-井岡弘樹 98年4月29日、WBA世界Sフライ級王座戦として実現。人気テレビ番組出身の飯田と、元世界王者で知名度の高い井岡の対戦は世間の関心を集めた。試合は判定で飯田が勝利し初防衛に成功。

 ◆畑山隆則-坂本博之 WBA世界ライト級王者畑山の初防衛戦として00年10月11日に行われた。少年時代を養護施設で過ごすなど苦労を重ねた坂本の世界挑戦に、会場の横浜アリーナには1万6000人が詰めかけた。試合は畑山が10回KO勝ち。

 ◆内藤大助-亀田大毅 WBC世界フライ級王者内藤の初防衛戦として07年10月11日に東京・有明コロシアムで開催。大毅は劣勢のまま迎えた最終12回に内藤を押し倒して減点1、さらに抱え上げて投げ落とし、減点2が追加。大差の判定負けした大毅はボクサーライセンス1年間停止処分。

 ◆名城信男-河野公平 WBA世界スーパーフライ級王座決定戦として08年9月15日にパシフィコ横浜で開催。序盤から打撃戦を展開。名城は河野のクリンチを多用する接近戦に苦しんだが、終盤に真っ向から打ち合ってポイントを奪い、2-1判定勝ち。

 ◆内藤大助-亀田興毅 WBC世界フライ級王者内藤の6度目の防衛戦として09年11月29日にさいたまスーパーアリーナで開催。興毅は軽快なフットワークで有効打を重ね判定勝ちし、ライトフライ級に続き2階級制覇。

 ◆内山高志-三浦隆司 WBA世界スーパーフェザー級王者内山の3度目の防衛戦として11年1月31日に東京・有明コロシアムで開催。内山がリードも、3回に左ストレートで生涯2度目のダウンを喫した。内山は、4回からは左のジャブとフックで右顔面を腫れ上がらせると三浦の右目がふさがり、8回終了時に棄権でTKO勝ち。

 ◆内山高志-金子大樹 WBA世界スーパーフェザー級王者内山の8度目の防衛戦として13年12月31日に東京・大田区総合体育館で開催。内山が左フックの連打と右ストレートで圧倒。10回に右フックを浴びてダウンを喫したが、残り2回で逆に追い詰め、3-0の判定勝利。

 ◆河野公平-亀田興毅 WBA世界スーパーフライ級王者河野の2度目の防衛戦として15年9月16日に米シカゴ・UICパビリオンで開催。河野が2回にダウンを奪い、中盤からの打ち合いも優勢。手数でも上回り3-0の判定勝ち。興毅は試合後に引退表明。

 ◆田口良一-宮崎亮 WBA世界ライトフライ級王王者田口の4度目の防衛戦として16年8月31日に東京・大田区総合体育館で開催。田口が13センチ差のリーチを生かす左ジャブでペースをつかみ、プレスを掛けて先手先手と攻勢。3-0の大差判定勝利を収めた。

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寿以輝のプロテストを阪本順治監督が撮影

辰吉寿以輝のプロテストを見つめる阪本順治監督(撮影・田崎高広)

 辰吉寿以輝(じゅいき、18=大阪帝拳)が“ダウン”を奪ってプロボクサーになった。元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(44)の次男寿以輝が24日、大阪市内のIMPホールでC級ライセンス(4回戦)のプロテストを受験。実技のスパーリングで、プロ1戦1敗の小山英哉(25=ワイルドビート)に左フックをさく裂させて、レフェリーが一時ストップ。合格が即日、発表された。

 00年の「顔」で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した阪本順治監督(56)が、寿以輝のプロテストを撮影した。同監督は、95年に辰吉丈一郎-薬師寺保栄戦を中心にした「BOXER JOE」を製作。その後も撮影を行ってきた。続編の最終段階として、寿以輝が登場することになりそうだ。

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辰吉の次男寿以輝プロテストが映画になる

10月28日、帝拳ジムへの出稽古で、ミットを受けてもらう辰吉寿以輝(右)

 元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(44)の次男、寿以輝(じゅいき、18=大阪帝拳)が24日に受験するプロテストが映画になることが17日、分かった。日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した阪本順治監督(56)が撮影する。

 阪本監督は、95年に丈一郎の薬師寺保栄戦を中心にした「BOXER JOE」を製作した。丈一郎のその後を追うために、当時と同じスタッフで、定期的に撮影を行ってきた。ただ丈一郎は練習を続けているが、セミリタイアの状態となっている。「BOXER JOE」の続編として、寿以輝のプロテストをひとつの区切りとする見通し。

 20年近くにわたって同じ一家を追い続ける撮影手法は、映画界でも珍しい。その最終段階として、寿以輝が登場する。関係者は「撮影は、現在も続いています」と話した。

 阪本監督は、89年に元プロボクサーの赤井英和が主演した「どついたるねん」で監督としてデビュー。00年の「顔」で日本アカデミー賞の監督賞など5部門を受賞しており、日本映画界を代表する監督だ。

 注目のプロテストは、24日に大阪帝拳ジムが主催する興行の開場前に行われる。一般非公開で、阪本監督の撮影班が、寿以輝の一挙手一投足を追う。プロテストが映画のワンシーンになるのは異例といえる。

 寿以輝は、10月下旬に東京都内の帝拳ジムへ出向き、プロ相手のスパーリングで果敢に打ち合うなど準備を進めている。偉大な父と同じ道を歩むことについて「プレッシャーはないです。おれはおれなので」と言う。カメラも待ち受けるテストまであと1週間となった。

 ◆辰吉寿以輝(たつよし・じゅいき)1996年(平8)8月3日、大阪・守口市生まれ。幼少期から父丈一郎の手ほどきでボクシングに親しむ。守口第二中卒。家族は父、母、兄。167センチの右ボクサーファイター。

 ◆ボクサーと映画 邦画では「どついたるねん」が有名。阪本監督はブルーリボン賞作品賞を受賞した。現役ボクサーとしては、日本フェザー級王座に2度挑戦した福田健吾が「ウェルター」(87年)に主演した。昨年12月には亀田大毅が主演した「ヒットマン 明日への銃声」が公開された。海外ではシルベスター・スタローン主演の「ロッキー5 最後のドラマ」(90年)に、93年にWBOヘビー級王者となるトミー・モリソンが出演している。

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山中「深イイ」コラボでV3戦

気合の表情で連打を放つ山中

 WBC世界バンタム級王者の山中慎介(30=帝拳)が「深イイ」コラボでV3戦に臨む。今月8日、東京・両国国技館で、同級1位マルコム・ツニャカオ(35=真正)と3度目の防衛戦を控えた2日、都内の帝拳ジムで練習を公開した。試合当日は、日本テレビの人気番組「人生が変わる1分間の深イイ話」の中で生中継される異色の放送が決定し、計9人の元世界王者が同時解説する。同番組に出演経験のある山中は持ち前の技術を披露した上で、KO勝ちで締めくくる「深イイ試合」を約束した。

 滋賀・湖南市出身という関西人の山中にとって、うれしい演出だった。試合中継局・日本テレビから人気バラエティー番組「深イイ話」とのコラボ放送を伝えられたV2王者は「マルコム(・ツニャカオ)もレベルの高い選手で、自然といい試合になる。いい試合をして自分が勝つだけ。『深イイ』試合をします」と報道陣を笑わせながら喜びを表現した。

 同局によると試合当日の番組には元世界王者が集結する。輪島功一、ガッツ石松、具志堅用高、渡嘉敷勝男、井岡弘樹、竹原慎二、薬師寺保栄の各氏が出演し、山中の防衛戦に映像が切り替わった時、副音声で羽鳥慎一アナウンサーの実況のもと、元世界王者7人が解説する予定。また主音声でもセレス小林、飯田覚士の2氏が解説を務めるため、計9人の元世界王者による同時解説になるという。日本テレビの荻野陽介プロデューサーは「バラエティー番組内でのボクシング中継は日テレ初の試みだと思います」と明かした。

 今年2月にゲスト出演していた同番組内での生中継に、山中は燃えていた。この日の公開スパーリングでは試合6日前にもかかわらず、同門の佐々木洵樹(21)と激しい打ち合いを展開して報道陣を驚かせた。「深イイパンチ、深イイ攻防を見せたい。最初に技術を見せ、中盤以降でKO決着できれば」と冗談を交え、自信をのぞかせた。

 番組内では深イイ話の映像を見た後、パネリストが心のレバーで「深イイ」かどうかを判定する。山中は「テレビを見ている方もたくさんいらっしゃるので、自分を売る最大のチャンスかと思う。強いと思われるように。KO勝ちしたら、ぜひ心のレバーを前に押して深い話にしてほしいですね」とやる気満々だった。【藤中栄二】

 ◆人生が変わる1分間の深イイ話 日本テレビ系列で08年1月に特番として放送され、同2月25日から毎週月曜日午後9時の1時間枠でレギュラー化。全体の司会はフリーの羽鳥慎一アナウンサーが務める。「深イイ話」とは深い話+いい話。出演するパネリストが1分間の深イイ話の映像を見た後、深い話と感じたら「心のレバー」を前に倒して「深イイ」、もし感じなかった場合はスイッチを手前に引き「う~ん」の判定をする。

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辰吉敗戦&ドーハの悲劇に中学の内山は…

 昨年の大みそかに行われたWBA世界スーパーフェザー級のタイトル戦で、6度目の防衛に成功した内山高志(33=ワタナベ)が7日、都内で自身の経験やボクシングとの共通点に触れながら、サッカーについて熱く語った。

 中学時代、学校を休もうと思ったことが2日間だけあったという。1つ目は94年12月、辰吉丈一郎が統一戦で薬師寺保栄に敗れた翌日。もう1つは93年10月、日本代表がイラクと引き分けに終わり、W杯初出場の夢がかなわなかった「ドーハの悲劇」の翌日だった。「もうショックすぎて、しばらく立ち直れなかった」と振り返った。

 世界チャンピオンの中学時代は、サッカーに明け暮れる日々だった。サッカー部に所属し、毎日練習。50メートル6秒台の俊足をいかし、FWとして3年時にはレギュラーを獲得。リフティングも200~300回はこなした。

 苦手なものもあった。それは、PK戦。「PKは、キッカーは決めて当たり前だと思われている。GKは決められて当たり前。そのプレッシャーはものすごい」。1度もPKを蹴ることなく、3年間を終えたという。

 新聞のテレビ欄をチェックし、サッカー番組はすべて録画。「1つでも撮り逃すと悔しくて。試合が延長戦に突入したのに、テレビ中継が途中で終わってしまうのも嫌だった」と振り返るほど、サッカー漬けだった。

 高校サッカー選手権を見るため、国立にも足を運んだ。94年度の決勝戦、市立船橋(千葉)が5-0で帝京(東京)に圧勝し、初優勝を飾った試合。スタジアムの雰囲気について「やっぱりすごかった。国立が満員になるあの感じは、なかなか味わえない」と話した。

 今でも、サッカー観戦は欠かさない。地元、埼玉の浦和を応援し、埼玉スタジアムにも行く。「ボクシングを引退したら、またサッカーをやりたいですね」。

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世界戦の主な日本人対決/ボクシング

<プロボクシング:WBC・WBA世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦>◇20日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 WBC世界ミニマム級王者の井岡一翔(23=井岡)が、WBA同級王者の八重樫東(29)との激闘を3-0判定で下し、日本初の世界2団体統一王者となった。

<世界戦の主な日本人対決>

 ◆薬師寺保栄-辰吉丈一郎

 94年12月4日、愛知・名古屋市総合体育館

 WBC世界バンタム級の王座統一戦。王者薬師寺と暫定王者辰吉は試合前から舌戦を繰り広げ、試合は判定で薬師寺が勝利。テレビ視聴率は関東地区で39・4%を記録。

 ◆飯田覚士-井岡弘樹

 98年4月29日、愛知・名古屋市総合体育館

 WBA世界Sフライ級王座戦として実現。人気テレビ番組出身の飯田と、元世界王者で知名度の高い井岡の対戦は世間の関心を集めた。判定で飯田が勝利し初防衛。

 ◆畑山隆則-坂本博之

 00年10月11日、横浜アリーナ

 WBA世界ライト級王者畑山の初防衛戦。少年時代を養護施設で過ごすなど苦労を重ねた坂本の世界挑戦に、会場の横浜アリーナには1万6000人が詰めかけた。試合は畑山が10回KO勝利。

 ◆内藤大助-亀田大毅

 07年10月11日、東京・有明コロシアム

 WBC世界フライ級王者内藤の初防衛戦。大毅は劣勢のまま迎えた最終12回に内藤を押し倒して減点1、さらに抱え上げて投げ落とし、減点2が追加。大差の判定負けした大毅はボクサーライセンスを1年間停止処分。

 ◆内藤大助-亀田興毅

 09年11月29日、さいたまスーパーアリーナ

 WBC世界フライ級王者内藤の6度目の防衛戦。興毅は軽快なフットワークで有効打を重ね判定勝ちし、ライトフライ級に続き2階級制覇。