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阿武咲24歳迎え危機感「若くない」現状打破誓う

千葉県内の部屋で汗を流す阿武咲

大相撲の西前頭2枚目阿武咲(24=阿武松)が4日、24歳の誕生日を迎えた。千葉・習志野市内の部屋での稽古後、代表取材に応じ「16、17で(相撲界に)入って、これからの相撲人生は長いなと思っていたが、一瞬で24になっていつまでも若くないと思った。23と24では(年齢の)重みが違う。危機感を持たないと」と自らに言い聞かせた。

17年九州場所に21歳の若さで新三役となったが、右膝の負傷で一時は十両に転落。23歳の1年は、幕内下位で戦う場所も多く「苦しかった。けがをしてからなかなか勝てないし、思うような相撲を取れなかった」と振り返った。

現状を打破するため、尊敬する元横綱から助言を求めた。初場所後、2月の押尾川親方(元関脇豪風)の断髪式で、荒磯親方(元横綱稀勢の里)に教えを請うた。

「相撲の技術、気持ちの臨み方の面で自分がいま思っていることを確認させていただいた」

直後の3月に行われた春場所では、優勝した横綱白鵬から金星を挙げ、9勝6敗で殊勲賞を獲得。「23歳終わりがけで少しずつ形になってきた。悔しい部分もあったが、プラスになっている部分もあると感じられた」と、手応えを感じた。

7月場所(19日初日、東京・両国国技館)では、小結だった18年初場所以来の上位総当たりとなる。成績によっては返り三役も見えてくるが「細かいことは考えず、自分と向き合ってやるべきことをやれればいい」と冷静に話した。

約4カ月ぶりの本場所へ、徐々に調整のペースを上げている。この日は若い衆を相手に約30番。「今のところ順調にこれているし、感覚はものすごく良くなっている」。相撲を取れない期間は、自重トレーニングに重点的に軸に取り組んできた。

「軸を意識してやった。相撲は一瞬で勝負が決まってしまうが、(それに生かす)爆発力を鍛えるためにウエートトレーニングにだけ頼ってしまうと、(体の)軸が安定せず、その効果が(十分に)出ないと思う。自分の力を100%出せるようにするための体づくりをやっていました」

7月場所で成果を発揮する。【佐藤礼征】

千葉県内の部屋で稽古をする阿武咲

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貴景勝、先輩豪栄道引退に「埼玉栄みんなが憧れた」

貴景勝、豪栄道(右)(2019年10月16日撮影)

大相撲の大関貴景勝(23=千賀ノ浦)が引退した“先輩大関”に感謝の言葉を並べた。

1日、東京・両国国技館で行われた元関脇豪風、年寄押尾川の襲名披露大相撲に参加。28日に現役を引退し、年寄「武隈」を襲名した元大関豪栄道について「豪栄道関らしい辞め方。それだけしかない」と神妙な面持ちで話した。

貴景勝にとって豪栄道は埼玉栄高の先輩。「10個下の自分が軽はずみなことは言えないけど、本当に埼玉栄のみんながあこがれていた。みんなが豪栄道関みたいになりたいと目指していた」と、高校時代を回顧した。

数々の印象的な思い出がある。高1のときには、すでに三役として活躍していた豪栄道に、同校の稽古場で胸を出してもらった。

「(厳しい稽古で)死ぬかと思ったし、めっちゃきつかったけど、うれしかった。『沢井(豪栄道の本名)先輩に胸を出してもらった』と」

若い衆だった時代にも、各段優勝した際に声をかけてもらったことがある。歴代10位の大関在位33場所を誇る豪栄道の人物像を「器が大きい。男らしい人」と簡潔に表現した。

初めての大関とりでは、壁として立ちはだかっていた存在だった。勝てば大関昇進を手中に収める昨年1月の初場所千秋楽。豪栄道に立ち合いから一気の出足で押し出され、完敗を喫した。当時の苦い経験は「ありがたかった」と貴景勝。「大関としての力はこうと教えてくれた。歯が立たなかった。身をもって教えてくれた」。

昨年大関昇進を決めた春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)は、豪栄道の陥落、引退により、貴景勝が38年ぶりの1人大関となる。2度目の優勝へ。「ますます求められるものは高い。しっかり、一生懸命やらなければ」と、気を引き締めていた。

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白鵬、豪栄道引退に「うまさや相撲勘忘れられない」

元豪風の押尾川親方(左)の断髪式に参加する白鵬(撮影・中島郁夫)

大相撲初場所を4日目から途中休場した横綱白鵬(34=宮城野)が1日、東京・両国国技館で行われた元関脇豪風、年寄押尾川襲名披露大相撲に参加した。

初場所は「腰部挫傷、右踵部裂傷蜂窩(ほうか)織炎により約2週間の加療を要する」との診断書を提出して休場。2週間以上が経過したこの日、割に入って相撲を取ったが「(不安がある)右足はまだ使えていない。(休場してから)汗をかいたのは今日が初めて」と、回復途中にあることを明かした。

支度部屋で報道陣に取材対応している途中、傷口が塞がっていない右足裏を披露した。「これが(再び)割れるか分からない」と渋い表情。右足を気にすることで体のバランスが崩れ、腰にも違和感を覚えることになったという。

自身と鶴竜の両横綱が不在の中で、初優勝を勝ち取った前頭徳勝龍の姿をテレビで見ていた。「(優勝を争っていた正代と)どっちが優勝しても初優勝。初優勝というのは、見ていても感動しますね」。

先月28日には長年戦ってきた大関豪栄道が引退した。「びっくりした。(同年代の力士が)だんだんいなくなるのは寂しい」。豪栄道が大関昇進を決めた14年名古屋場所で、浴びせ倒しで敗れたことが印象に残っている。「自分十分になって負けた。あの辺のうまさや相撲勘が忘れられない」と、懐かしそうに振り返った。

昨年全勝優勝した春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)で再起を目指す。まずは右足裏の状態を回復させることから。「しっかり稽古を積んで、割れ目をなくさないといけない」と、淡々と意気込んだ。

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元関脇豪風が断髪式で涙「最後の取組」12歳長男と

師匠の尾車親方(上)に最後のハサミを入れてもらう元豪風の押尾川親方(撮影・中島郁夫)

昨年1月の初場所限りで現役を引退した、元関脇豪風の引退、年寄押尾川(40=尾車)襲名披露大相撲が1日、東京・両国国技館で行われた。

断髪式前には、12歳の長男海知(かいち)君と「最後の取組」で土俵に。何度も押しを受け止め、最後は自身が関取として3勝を挙げた、決まり手「一本背負い」で仕留められ土俵に正座して「参りました」と言わんばかりに頭を下げ、館内の大歓声を浴びた。

十両の取組後、出身地の秋田・北秋田市の津谷永光市長から市民栄誉賞を授与された。そして迎えた断髪式には、約270人の関係者が出席。横綱白鵬、元横綱稀勢の里の荒磯親方らがはさみを入れ、最後に師匠の尾車親方(元大関琴風)が止めばさみをいれて、約18年間のマゲに別れを告げた。

その後、国技館内で整髪し取材対応。「髪を洗っている時、入門してマゲを結う前のことを思い出しました。約18年、(頭に)あったもの(マゲ)がなくなるのは寂しい。頭にあったというより、身内みたいなもので『(頭に)いた』という、体の一部以上のものだったから」と、散髪してもらいながら、しみじみと話した。

最後に師匠から止めばさみを入れられた時は、さすがに「(こみ上げて)くるものがありました。人前では…と思っていたけど、耐えきれなかった」と大粒の涙を流した。最後の土俵上から見えた光景に「相撲をやっていなかったら、あの景色は見られなかったし、今の自分はない。相撲に感謝です」とも。地元秋田から、大勢の後援者が駆けつけてくれたことには「秋田から来てもらえなければ、豪風の断髪式にはならないと思っていた。秋田から、自分の想像をはるかに上回る、先輩や同級生や年齢の近い人とか、あれだけの人が来てくれて本当にありがたい」と喜んだ。

整髪後は、スーツにネクタイ姿で相撲案内所など各所をあいさつまわり。その間に行われた幕内の取組後、再び国技館の土俵下に足を運び、マゲを落としたスーツ姿で来場者にあいさつ。最後に、既に他界した両親の遺影を持ち「自分の息子に、綱渡りのような人生を歩んでもらいたくないと入門時も大反対した、お父さん、お母さんに引退した姿を見てもらいたかった。『お疲れさん』と言ってもらいたい一心で17年間、現役でやってきました」と、すすり泣くような声で話し、館内の涙を誘っていた。

断髪を終え「相撲に感謝」の書を手に土俵に別れを告げた元豪風の押尾川親方(撮影・中島郁夫)
長男・成田海知くん(左)と最後の取り組みを行う豪風(撮影・中島郁夫)

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嘉風、一番の思い出は負けた稀勢の里戦/引退会見1

引退会見に臨む嘉風。右は尾車親方(撮影・小沢裕)

大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見前半。

尾車親方(元大関琴風) 本日は皆さま足元の悪い中、また早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。このたび嘉風が約16年の土俵生活を終え、引退することになりました。皆さまにはこの間、大変かわいがっていただき、お世話になり、本当にありがとうございました。今後は年寄中村として後進の指導にあたってまいりますので、今後とも一つご指導のほどよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございます。

元嘉風 おつかれさんでございます。本日は足元の悪い中、また場所中のお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。私、嘉風は現役を引退し、年寄中村を襲名させていただきました。入門した時はまさか37歳まで現役を続けるとは想像できませんでしたが、親方のご指導のもと、そして、親方とおかみさんがつくる尾車部屋という最高の環境で現役をつづけさせていただくことでこの年までやれたと思います。お集まりの皆さま、応援してくれたファンの皆さま、そして現役中にケガを支えてくれた先生方、私にかかわってくださったすべての方にこの場をお借りして感謝申し上げたい。今後は親方になりますが、尾車親方のもとで、親方というものをまた指導いただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

-本当にお疲れさまでした。引退発表後数日たちました。今の気持ちは

何とも言葉にできないというか、自分が現役をやめたということと、親方になったことの実感がまだわいていません。

-引退決断の経緯を説明してください

少し報道でも、師匠からもお話していただいたと思うんですけど、6月に地元佐伯市で地元をPRするという目的で、佐伯市が企画した、誘致された合宿の行程の中で、これはあんまり言いたくはないのですが、土俵の上ではなくて、佐伯市内の渓谷でキャニオニングという渓流下りというか、調べていただければ分かりますが、キャニオニングを市のPRの目的のもとで行っている最中に、右の膝をケガしてしまって、病院に運ばれまして。その時の診断ではものすごく大きな診断をされて、これは土俵にもう1回立つのは難しいのではないかという先生の見方があったのですが、なかなかその時点で土俵を下りるのが想像できずに、先生の見解をくつがえしてやろうと思ってリハビリに励んでいたのですが、やっぱり、このケガを負って、アスリートが復帰した例が少ないというか、ほぼないということもあって、腓骨(ひこつ)神経まひと診断書には書かせてもらったんですけど、足首が動かないので、足首にまひがのこってしまって、装具をつけなければ、歩行も難しいということで、来場所、幕下に落ちるタイミングということを記事の方に書かれていたのですが、タイミング的にそういうことになったということで、自分としては土俵に戻りたいということでリハビリを続けていましたが、非常に残念ですが、土俵に立つことが厳しいということを実感したというか、あきらめざるを得ない状況になったので、そこで親方に引退しますという思いを伝えました。

-現在のリハビリ状況、ケガの回復は

順調だと思うんですけど、9月場所前に出した診断書の通り、全治は未定ということで。今後の見通しが今のところ立っていないんですけど、本当にいろんな方の支えで、皆さんが、相撲は取れないにしてもなんとか私生活はもとの状態に戻るようにということで、いろいろと考えてくれて、今後何度か手術が必要かもしれないんですけど、土俵に戻れなくても、もう1つの夢である指導者という親方になって若い衆を指導するという、その目標に向かってリハビリを続けている最中です。

-16年間を振り返って

どうかって言われますと困るんですが、相撲が好きという気持ちで始めて、相撲の厳しさに直面した高校時代があって、大相撲ではできないという思いで、体育の指導者を目指して日体大にはいりましたが、相撲がずっと好きなので、相撲を生活の中心、人生の中心にしたいと思って、大相撲の世界に入らせていただいた。学生時代より、仲良くというとちょっとおかしいですが、声をかけていただいた元豪風関の押尾川親方に「尾車部屋は最高の環境だから、ぜひうちの部屋にこい」と言われ、相撲界のことが分からない時期でしたので、豪風関の後押しもあって尾車部屋に入門させていただいて、自分が想像していたものすごい厳しい相撲部屋というのは尾車部屋にはなく、本当は師匠もいいたいことはたくさんあったのかもしれないですけど、わがままを言わせてもらったと。同期生にうちの部屋はこうだという話をしたんですけど、他の部屋の厳しさみたいなのは尾車部屋にはなかった。だからこそ、16年、入った時は関取になれるかどうかも分からないまま手探りというか必死にやってきたんですけど、振り返って37まで相撲が取れたのは最高の環境で相撲がとれたのではないかと。本当にありがたい相撲人生を送らせてもらいました。

-アマ横綱のタイトルを取ったが資格の期限がすぎて序ノ口から。その決断は

3年生の時にアマチュア横綱になって、そのまま順調に大学の4年生をすごしていれば大相撲の世界に入っていないと思う。3年生の最後に大きなタイトルを自分の中ではとってしまったので、4年生でキャプテンを任されて、なかなか気持ち良く相撲が取れなくて、それがプレッシャーになって不本意な、成績も内容もまったく自分の満足いく1年間を送れなかったので、自分の好きだった相撲を取り戻すのは大相撲の世界しかないと思って、そういう決断をさせてもらったのも3年生の時のアマ横綱のタイトルだと思います。

-決断は間違っていなかった

そうですね。間違っていなかったと思います。

-嘉風関は30歳超えてから初金星、新三役。30を超えて強くなった

自分の中では3つのターニングポイントがあって、1つは師匠が巡業部長を務めておられる時、大阪で大負けした。番付下がるのが分かった伊勢神宮での春巡業の初日にあいさつにいったら「嘉風はこのまま終わるのか。幕内上位で名前を覚えてもらったのに、下に落ちるのは、早いよ」と。自分にとっては激励だったんですけど、「稽古してもう1回上でとれるように頑張れ」と声をかけていただいて、自分なりに巡業で土俵に立つようにして、そのころ、タイミングが良かったというか、横綱稀勢の里関に声をかけていただき、三番稽古やるぞと、いうことで少し稽古をやるようになった。これが1つ。あとは、いつかの九州場所で地元から応援団がきている目の前で、相手は今は幕下の旭日松だったと思うんですけど。旭日松相手に勝つ姿見せたくて、安易にはたきにいったところ、全然通用せず、なんとも恥ずかしい相撲で負けてしまった。その前の秋場所でケガをして途中休場していたので、その復帰場所だった九州場所で、帰り道のバスの中での応援団の方の声を母親が代弁してくれたんですけど、勝つ姿を見るためでなく、土俵に立つ姿を見られた、それができたのでみんな喜んでいたという言葉をいただいたので、安易に変化にはしったことを本当に恥ずかしく思った。そこから勝つ相撲でなく、自分が相撲をとっている姿をみてもらいたいと強く思えた。もう1つは、なかなか上位に上がれない時に、妻にふと「あなたが対戦する相手が三役になっているのに、あなたは何で三役になれないのかな」と、感情のない感じで言われたのが心に響いた。言い返す言葉もなく、確かになと。家族も悔しい思いをしているんだなと思ったのと、そこでちょっと奮起して、上を目指して頑張ろうと思った。この3つで、30を超えていい相撲をとれるようになった。

-若い頃はスピード、30超えて左四つ、うまい相撲に変わってきた。何か精神面で変わったのか

精神面しか変わっていないと思うんですよね。同級生の立田川親方のような猛稽古はしたことがなくて。ただ知人に、「好きで始めた相撲がやっていて楽しくないのはおかしい」と言われたんです。「好きでやっているのに、土俵の上で楽しくないとか、成績ばかり気にして後ろ向きになっているのはおかしくないか」と言われて。確かになと思って。相撲界は30を超えると晩年というか、30半ばで終わる人が多いので、自分もそういう言葉をいただいて、いつやめてもおかしくない年齢なので、完全燃焼で終わりたいとそこで強く思った。スピード相撲からうまい相撲に変わったのは、解説をしていただく親方によく「無駄な動きが多い」と言われていたんですけど、そういう言葉も相手より少し早く動こうと思ったり、特別変えたことはないんですけど、周りの方に言っていただく言葉を自分に合うように変換できたのがよかったのかなと思います。

-引退を関取衆に伝えると、いろんなアドバイスもらったという声が多かった

それぞれ力士には師匠がいるので、自分がアドバイスは大変おこがましいので、そういうつもりはないのですが、その力士と相撲の話をするのが好きで。アドバイスといってもらえると大変うれしいですが、自分としては、自分の思いを話して楽しませてもらったという感覚です。

-琴奨菊には「相撲愛が足りないのでは」と言ったとか

元大関なんですけど、ずっと昔から顔を知っていて、ここ数年は巡業などでいろんな話をさせてもらった。相撲愛が足りない? 菊関はどういう解釈をしてくれたのかもしれない。元大関なんですけどいろいろ探求心があって、菊関自身が自分のことを信じられていないと思ったので、もっと自分を信じてやっていくというのがそうとらえられたのかもしれない。

-思い出の一番は

やめていく力士の引退会見を見て、この質問は定番だったので、考えたんですけど、思い出の一番を出すと、例えばそれが勝った相撲だと、いわゆる負けた相手を出すことになるので、それはあんまりしたくないと思ったのと、そんな中で強いて挙げるなら、確か自分が新小結で7日目か8日目か、確か刈屋さんが実況していた。まだ横綱になる前の稀勢の里関とめいっぱいの力を出し切って負けた。負けた時の声援が、負けて今までもらった声援の中で一番大きかった。体の芯から震えるような拍手をもらって、花道も堂々と引き揚げた思いがある。声援は9割9分、稀勢関へのものだったと思うんですが、ものすごくあの一番が印象に残っています

-新三役の稀勢の里戦というと26年夏場所の9日目。自分が負けた相撲が思い出の相撲というのは、嘉風関らしい

負けましたけど、すべて出しました。師匠が解説をしていたと思います。持っているものを全部だして通用しなかったんですけど、あの時の達成感、充実感は今までの勝ち星にも替えられないと思います。(後半に続く)

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関取最年長継ぐ豊ノ島が嘉風引退に「素直に寂しい」

栃煌山(左)に押し出される豊ノ島(撮影・河田真司)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

「関取最年長」の座が回ってきても、若々しさは忘れない-。16年初場所以来の幕内勝ち越しを目指す、西前頭14枚目の豊ノ島(36=時津風)が、通算27度目の対戦となった栃煌山(32=春日野)との一番を落とし、1勝4敗となった。

立ち合いで左が入り、右も巻き替えて得意のもろ差し。だが、その右を強烈な腕力で絞られ苦しい体勢に。さらに小手で振られ体をクルッと回され一瞬、後ろ向きに。体を寄せられ、そのまま押し出された。

「左は十分だったけど、右がもう一入りできたらね。(勝負を分けたのは)あそこ。入れば勝てたけど、入りきらなかった。今日も紙一重だったな」。立ち合いから二本を入れた流れに問題はない。ただ、あと一差しできたか、できなかったで明暗は分かれた。

取組前に、現役関取最年長だった十両嘉風(37)の引退が発表された。今年初場所の番付発表時点で、自分より年上だった(年齢の順に)安美錦、豪風、そして嘉風が引退し、最年長関取に押し上げられた。嘉風の引退については「ずっと同じ年代に土俵で戦った人。素直に寂しい」と惜別の言葉をかけ、自身が最年長関取になったことについても言及。「最年長というのは受け継がれるもの。自分が若いときは(その時の最年長関取を)見ていて『若いな』と思っていた。自分も『オジサン』でなく、そう思われるように取りたい」と自分を奮い立たせるように話した。現状は1勝4敗と苦境に立つが、総じてベテラン力士というのは「共通しているのは勝ち負けより、自分の納得する相撲を一番一番、取る中で白星をもぎ取っているイメージがある。勝ち負けを意識すると気持ちが下がるから、自分も明日から切り替えてやりますよ」と吹っ切れた表情で話した。

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十両豊ノ島、勝ち越しお預け「苦手」大翔丸に屈して

<大相撲夏場所>◇13日目◇24日◇東京・両国国技館

1場所での再入幕を目指す東十両筆頭の豊ノ島(35=時津風)が、7勝5敗で臨んだ初顔合わせの西8枚目大翔丸(27=追手風)戦に敗れ、勝ち越しはお預けとなった。

押し相撲を相手に、立ち合いは踏み込んで圧力をかけた。だが、押しが“本職”の大翔丸に押し込まれ、引いて体勢を立て直した。ここから二本を差そうとしたが、両脇を固める相手に差せず、逆に押し込まれ正面土俵下に押し出された。

本場所での対戦はないが、場所前に出稽古に来た大翔丸とは何番か手合わせした。少しだけ感じたのは「豪風関(現押尾川親方)とやってる感じで、苦手なイメージがあった」。よし来い! とばかりに構える「相手の高さに合わせてしまった。ぶつかり稽古ぐらいの高さに」と、体を反らせ対応しようにも、下から持ち上げられるような押しに屈した。

相撲そのものには気負いは感じられないように見えたが「勝てば勝ち越しという気負いは?」という問いかけに「ないと言ったらウソになる」と否定はしなかった。修羅場は、いくらでもくぐり抜けてきた。「泣いても笑っても、あと2番しかないから思い切って」とこの日の黒星を踏ん切って、残り2日の土俵に勝ち越しをかける。

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荒磯親方「怖さ」体感の消防訓練も相撲の火消さない

消火器を使った消火訓練を行う荒磯親方

火災の火は消しても、相撲人気の火は消さない-。1月の初場所で引退した、元横綱稀勢の里の荒磯親方(32=田子ノ浦)らが5日、大相撲春場所(3月10日初日)の会場となる大阪・浪速区のエディオンアリーナ大阪で行われた消防訓練に参加した。

訓練は午前11時5分、地下1階の調理場で火事が発生し2、3階に観客がいる想定で始まった。まず荒磯親方は2階で倒れている負傷者を、やはり初場所限りで引退した押尾川親方(元関脇豪風)らとともに担架で、1階まで階段を下りて搬出。今度は、担架を持ったまま「煙体験」として、煙が充満するテントを通過した。

次は地震体験車に乗車し、震度5から6弱、6強、7までの揺れを体験。その後はAED(自動体外式除細動器)の講習を含めた心肺蘇生の訓練も行った。最後はs消火器を使った消火訓練で、約40分間の消防訓練を終えた。

現役時代も、春場所前には大阪市内の宿舎で消防訓練をした経験があってか、動じることなく冷静に対処した。地震体験車については「(乗車は)初めて。地震の怖さというか、いい体験をした。立っていられないし、座っているのもきつかった。(東日本大震災の)関東は、あれほどじゃなかった」と話した。

親方として初めて臨む春場所は、5日後に迫る。その時の自分の姿、心境は「想像もつかない感じ」という。その春場所では、会場の警備にあたる予定で、大阪のファンも間近で見られるかもしれない。初場所では引退翌日、関係各所を回るため、両国国技館内を移動するたびに、黒山のファンに囲まれた。消防訓練は、そつなく「消火」に務めたが、相撲人気の火は鎮火させない。

地震体験車に座る荒磯親方
担架に乗せたケガ人を運ぶ荒磯親方(左)と押尾川親方
心肺蘇生の訓練をする荒磯親方

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元横綱稀勢の里は年寄荒磯襲名 引退、改名など一覧

元横綱稀勢の里の荒磯親方

日本相撲協会は25日、大相撲春場所(10日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表した。降下、改名、引退などの力士、年寄は以下の通り。

【降下】

<三役から平幕>

妙義龍(32=境川)東小結→西前頭2枚目

<幕内から十両>

琴勇輝(27=佐渡ケ嶽)西前頭13枚目→東十両2枚目

大奄美(26=追手風)東前頭16枚目→西十両3枚目

大翔丸(27=追手風)西前頭16枚目→西十両5枚目

<十両から幕下>

常幸龍(30=木瀬)西十両13枚目→東幕下3枚目

【改名<1>】(しこ名の上の部分)

<幕下>

池川→北勝陽(ほくとよう=八角)

琴稲垣→琴裕将(ことゆうしょう=佐渡ケ嶽)

<三段目>

佐藤山→北勝翼(ほくとつばさ=八角)

滝口→益湊(ますみなと=阿武松)

竹井→東照山(とうしょうやま=玉ノ井)

琴の秀→琴乃秀(ことのしゅう=佐渡ケ嶽)

湊竜→鷹翔(おうか=湊)

若中谷→八女の里(やめのさと=西岩)

若苫龍→若錦翔(わかきんしょう=二所ノ関)

宮崎山→北勝龍(ほくとりゅう=八角)

<序二段>

大国里→大國里(おおくにさと=中川)

伊藤→北勝伊(ほくとよし=八角)

江塚→爽(さわやか=式秀)

琴宇留賀→琴孝玉(ことこうぎょく=佐渡ケ嶽)

今井→剛秦龍(ごうしんりゅう=式秀)

志戸→肥後乃双(ひごのそう=木瀬)

魁隼→魁舞翔(かいぶしょう=浅香山)

勇錦→廣中(ひろなか=朝日山)

神宮→北勝泉(ほくといずみ=八角)

錣迅→永谷(ながや=錣山)

<序ノ口>

山下→若一輝(わかいっき=二所ノ関)

衣川→武東(たけあずま=玉ノ井)

田中→阿稀(あき=錣山)

伊佐→穂嵩(ほだか=尾上)

【改名<2>】(しこ名の下の部分も含める)

勇錦佑紀→廣中龍(ひろなか・りゅう)

伊佐穂嵩→穂嵩常征(ほだか・つねまさ)

田中明人→阿稀慶喜(あき・よしのぶ)

竹井健太郎→東照山恵太朗(とうしょうやま・けいたろう)

琴稲垣善之→琴裕将由拡(ことゆうしょう・よしひろ)

琴宇留賀響→琴孝玉裕丈(ことこうぎょく・ひろたけ)

錣迅功→永谷海登(ながや・かいと)

山下一樹→若一樹昇(わかいっき・のぼる)

若苫龍宏哉→若錦翔広也(わかきんしょう・ひろや)

【引退年寄襲名】

稀勢の里→荒磯

豪風→押尾川

【引退】

貴ノ岩、諫誠、朝日龍、琴鳳、彩翁、笹山、栃港、北勝花、伊勢ノ花、大翔虎、辰ノ富士、大一心、白海竜、舛天隆、渡井、若小山、井口、畠山、伊那の富士

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元豪風も初スーツ姿披露、親指立て遠くを見つめる

スーツ姿で両国国技館を訪れ、ポーズを決める元豪風の押尾川親方

初場所中に引退を表明した、元関脇豪風の押尾川親方(39)が31日、スーツ姿を初披露した。東京・両国国技館で行われた年寄総会に出席。同じく初場所中に引退を表明した、元横綱稀勢の里の荒磯親方が登場した数分後に現れ「新米は早く来ないといけないから」と、初々しく話した。

黒のスーツに白いワイシャツ、赤と白のストライプのネクタイ姿は、既製品だといい、首のあたりを窮屈そうにしていた。写真を納めようと報道陣に囲まれると「ちょっと待ってくださいよ」と言いつつ、左手でサムアップポーズ。遠くを見つめていた。

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稀勢の里、豪風ら21人 引退力士発表

元稀勢の里の荒磯親方

日本相撲協会は30日、年寄荒磯を襲名した元稀勢の里、年寄押尾川を襲名した元豪風、元前頭貴ノ岩ら21人の引退を発表した。

<引退が発表された力士>

▽稀勢の里(田子ノ浦)豪風(尾車)貴ノ岩、舛天隆、渡井(以上千賀ノ浦)諫誠(境川)朝日龍(朝日山)琴鳳(佐渡ケ嶽)彩翁、伊那の富士(以上錦戸)笹山(木瀬)栃港(春日野)北勝花(八角)大翔虎(追手風)伊勢ノ花、辰ノ富士、大一心(以上伊勢ケ浜)白海竜(宮城野)若小山(西岩)井口(玉ノ井)畠山(尾上)

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貴公俊あらため貴ノ富士、1年ぶりの十両返り咲き

1年ぶりの再十両を決めた貴ノ富士

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で大相撲春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を開き霧馬山(22=陸奥)と若元春(25=荒汐)の新十両昇進を決めた。再十両は大成道(26=木瀬)、貴ノ富士(21=千賀ノ浦)となった。

若元春は弟の十両若隆景に続く関取昇進となり、史上20組目の兄弟関取となった。貴公俊のしこ名を改め初場所に臨んだ貴ノ富士は、東幕下3枚目で5勝を挙げて再十両を決めた。付け人への暴行による出場停止を経て、新十両だった昨年春場所以来1年ぶりの返り咲き。弟貴源治(21)との双子関取が復活した。

引退力士も発表され、年寄荒磯を襲名した元稀勢の里、年寄押尾川を襲名した元豪風、昨年12月に付け人に暴力を振るった貴ノ岩や、現役力士で2番目の高齢力士だった伊勢ノ花(44=伊勢ケ浜)ら21人のしこ名が番付から消える。

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矢後、新入幕場所で勝ち越し「ガンガンいこうと」

阿武咲(右)を引き落としで破る矢後(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇13日目◇25日◇東京・両国国技館

東前頭13枚目の矢後(24=尾車)が、西前頭6枚目の阿武咲(22=阿武松)を引き落とし、新入幕場所の勝ち越しを決めた。中日に7勝1敗としてから4連敗。「(連敗中)勝ちたい気持ちが強すぎて、わだかまりがあった。とりあえずホッとした」。5日ぶりの白星で8勝5敗。やっと前に進めた。

王手をかけてから緊張で足が前に出なかったが、この日は違った。「親方から前に出ろと言われ、自分の相撲とちゃんと向き合った。相手に負けないくらいガンガンいこうと思った」という。阿武咲と胸を合わせ、まわしが切れた瞬間、相手の重心が後ろにいったスキを見逃さず、引き落とした。

新入幕場所の重圧は想像に難くないが、意識を変える出来事もあった。兄弟子、豪風の引退だ。「(豪風に)『お前はこんなもんじゃない』と言われた。豪風関のぶんまで頑張る」。これで、昨年夏場所から5場所連続の勝ち越し。北海道出身で戦後52人目、今場所1人しかいない幕内力士は、次なる目標と定める三役昇進に向かい、14日目も星を上積みする。

矢後は阿武咲(左)を引き落としで下す(撮影・小沢裕)

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佐々木山が3連勝 同郷大先輩の豪風引退に刺激

玄界鵬を寄り切って破る佐々木山

<大相撲初場所>◇12日目◇24日◇東京・両国国技館

秋田県大館市出身の東幕下51枚目佐々木山(27=木瀬)が、インフルエンザによる不戦敗、休場から3連勝を果たした。

東幕下46枚目玄界鵬(30=大嶽)との一番。左四つから上手投げで土俵際に追い込み、正対した相手を寄り切った。4番相撲から復帰して、勝ち越しに王手。

「やっとここまできた。リラックスして臨めたと思う」と笑顔を見せた。同郷の大先輩、十両豪風(39=尾車)の引退に「まだ強いのに、なんで…」と惜しんだ。「普段から『期待してるぞ』と言われていたので、それに応えたい」と関取昇進へ、名乗りを上げた。

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豪風「温かい声援送ってくれた」感謝の引退会見

引退会見で笑顔を見せる豪風(撮影・河田真司)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が23日、都内のホテルで引退会見に臨んだ。9日目に8敗目を喫し、負け越しが決まって決断。「ここ1、2年は豪風らしい相撲が取れなくなった」。今後は年寄「押尾川」として尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。約16年の大相撲人生の中で熱く語ったのは、故郷の秋田への思い。県勢唯一の関取として奮闘した。「勝っても負けても秋田の人は温かい声援を送ってくれた」と感謝した。断髪式は来年2月1日、国技館で行う予定。

身長172センチと小兵ながら、学生出身として史上最多の幕内出場1257回。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進するなど、数々の記録を打ち立ててきた。師匠の尾車親方(元大関琴風)は「豪風が頑張ったから嘉風や、今の若手が続いている。いい弟子に巡り会えた」と話した。

14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定していた。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

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手芸得意な鉄人玉鷲が大関昇進欲で自己最速タイ給金

錦木(手前)を激しく攻める玉鷲(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇東京・両国国技館

関脇玉鷲(34=片男波)が、優勝戦線に踏みとどまった。平幕の錦木を押し出し、2敗を守った。横綱稀勢の里に続き元関脇豪風が引退し、この日は元幕内の幕下宇良、平幕の千代の国と琴勇輝と故障者が続出…。波乱が続く本場所で、04年春場所序ノ口デビュー以来無休、現役最長通算1146連続出場中の“34歳の鉄人”が存在感を発揮した。横綱白鵬は全勝を守り、後続に2差つけて独走態勢に入った。

腰の重さは平幕屈指の錦木も、玉鷲のパワーは止められない。立ち合いでガツンと頭で当たり、距離を置いてもう1発。右、左と交互にのど輪でのけぞらせ、最後はもろ手突きではじき飛ばした。「ちょっと緊張した。勝ち越しで? やっぱ、そうですね」。そんな繊細さをかけらも感じさせない圧勝だった。

34歳の鉄人だ。スポーツ未体験ながら、モンゴルの先輩鶴竜に巨体を見込まれて角界入りすると、04年春場所の序ノ口デビューから休場がない。この日は幕下宇良に始まり、幕内で千代の国、琴勇輝と故障者が続出したが、現役トップの通算連続出場を1146回に更新した。

横綱稀勢の里が引退、3大関は栃ノ心が休場、豪栄道と高安がもたつき、横綱白鵬の独走気配が漂う場所で「盛り上げないといけないでしょう。そのために頑張るしかない」という。今場所は4度目の三役返り咲きで、関脇に座る。「うれしいね。今までは(元の位置に)上がったな、だったけど、今は(もっと)上りたいという気持ち」。幕内での10日目勝ち越しは、12年夏場所以来2度目の自己最速タイ。根っからスロースターターが34歳で大関を夢見始めた。

188センチ、173キロの巨体に似合わず? 手先が器用だ。手芸が得意で、絵もうまい。日曜大工でイスも作る。この日の取組後は、床山にニマ~っと笑って「バリカタでよろしくね」と、まげの結い加減をラーメン風にリクエストし、周囲の爆笑を誘った。相撲は豪快で、性格はゆるキャラ。不思議な34歳が、白鵬を追いかける。【加藤裕一】

◆通算連続出場 玉鷲の通算連続出場1146回は、序ノ口から幕内までの現役力士の中で1位(初場所10日目終了時点)。昨年の秋場所初日に、それまで1位だった三段目芳東を追い抜く(幕下以下は1場所7番のため)。歴代1位は64年夏場所から86年名古屋場所にかけて、先代不知火親方(元関脇青葉城)の1630回。

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39歳豪風の去り際の美学 前夜尾車親方に引退意思

豪風(2018年5月18日撮影)

最高位関脇の十両豪風(39=尾車)が初場所10日目の22日、現役を引退した。日本相撲協会理事会で年寄「押尾川」襲名を承認され、今後は尾車部屋付きの親方として後進の指導に当たる。23日に記者会見する予定。

後悔は残さなかった。前夜の午後11時頃、師匠の尾車親方(元大関琴風)に「自分はもうすっきりしています」と報告した。今場所は9日目に8敗目(1勝)を喫し、負け越しが決定。「力士として自分なりの潔さを」と決意を固めた。15年以上、土俵で活躍を続けた弟子に、師匠は「俺からは不満不平はない。あんな小さな体で戦えたのは節制と努力のたまもの」とねぎらった。

幕内出場1257回は史上8位で、学生出身力士として史上最多。14年秋場所には、35歳2カ月の戦後最年長で新関脇に昇進した。16日に引退した元横綱稀勢の里に続き、角界を支えた名力士が土俵を去る。

◆豪風旭(たけかぜ・あきら)本名・成田旭。1979年(昭54)6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身。鷹巣小1年から相撲を始める。昨年夏の甲子園で準優勝した秋田・金足農高を経て、中大4年時に学生横綱。02年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。得意技は突き押し。172センチ、152キロ。通算687勝746敗46休。

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白鵬が惜別白星「小さい体でコツコツ」豪風ねぎらう

全勝を保って10日目を終え、笑顔で引き揚げる白鵬(撮影・林敏行)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇東京・両国国技館

横綱白鵬(33=宮城野)が元関脇豪風(39=尾車)の引退を残念がった。「さびしいね。『横綱が東京オリンピック(五輪)を元気で迎えて、最後にそれを見届けて、自分が』と言ってくれてた。小さい体で、相撲に対してコツコツとやってきた」。

昨年初場所で豪風の十両陥落が決まった時は声をかけ、現役続行に背中を押した。この日は隠岐の海を速い相撲で一蹴、全勝を守った。「千秋楽まで取りきる。そういう思いです」。土俵を去る者を惜しみながら、第一人者の責任を果たした。

隠岐の海(右)を寄り切りで下す白鵬(撮影・河田真司)

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豪風は年寄押尾川襲名 尾車の部屋付き親方で指導へ

豪風(18年3月20日撮影I

日本相撲協会は22日、元関脇豪風(39=尾車)が引退し、年寄「押尾川」を襲名したと発表した。

今後は尾車部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。23日に師匠の尾車親方(元大関琴風)同席のもと、引退会見を行う予定。

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豊ノ島4連勝で勝ち越しに王手、豪風引退に「残念」

大翔鵬(右)を攻める豊ノ島(撮影・林敏行)

<大相撲初場所>◇10日目◇22日◇両国国技館

また1人、かつての“戦友”が土俵を去った。再十両2場所目の西十両5枚目の豊ノ島(35=時津風)が、連日の筆頭との対戦で東十両筆頭の大翔鵬(24=追手風)と対戦。押し出しで快勝し、4連勝で勝ち越しに王手をかけた。

この日午前、東十両12枚目の豪風(39=尾車)が引退を表明した。初土俵は自分の方が2場所早いが、学生横綱の資格で幕下15枚目格付け出しデビューの豪風は、常に背中を追う存在だった。新十両は10場所、新入幕は9場所の後れを取ったが、新三役は自分の方が一足早く07年夏場所に昇進(豪風は08年春場所)。三役在位や三賞、金星など幕内での実績は開きをつけたが、4歳年上で突進相撲の豪風との対戦は「苦手意識ばかりで勝つのはたまたま。どうやって行っても向こうの相撲にはまってしまっていた」と通算9勝18敗(うち十両で1勝0敗)の対戦を振り返った。

「残念ですね。安美関(安美錦=40歳)もそうだけど、タケさん(豪風)も(今年6月で)40歳でしょう? その年までできるというのが本当にすごい」と、あらためて息の長さに敬意を示した。これで現役では十両安美錦(40=伊勢ケ浜)、幕内の嘉風(36=尾車)に次いで3番目の年長関取。「そうか、ベスト3に入っちゃったか」と話すが、相撲そのものは「今日もオジさんの割には足がよく出て(相手の引きに)ついていった。右ハズもいいところに入ったし、押し相撲の基本みたいな相撲」とこの日の一番を自画自賛。アキレス腱(けん)の大けがで2年間、幕下生活を過ごしたことが、逆に相撲に関しては若さを呼び戻したようだ。「ケガする前は、基本は受け身だった。それが(幕下に落ちて)踏み込むようになった。そこがプラスアルファ。自分の強みになった」と言う。勝ち越しまで1つ。その先の再入幕も見えてきた。

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