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貴乃花が幕下最年少Vで旋風/夏場所プレイバック

89年5月21日、幕下で初優勝し賞状を手にする貴乃花(左から2番目)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。13日目は、記録達成でスター誕生の瞬間です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇13日目◇1989年5月19日◇東京・両国国技館

数々の史上最年少記録を塗り替えてきた、のちの「平成の大横綱」貴乃花が、最初の若年記録を打ち立てた記念日となった。

初めて番付にしこ名が載った88年夏場所の序ノ口から、わずか1年。所要6場所で初めて東48枚目の番付で幕下に上がった貴花田が、快進撃で白星を重ねる。全勝同士で優勝をかけた最後の7番相撲も、宮田(のち前頭龍興山=出羽海)を寄り倒し7戦全勝。柏戸(元横綱)が持つ17歳6カ月の記録を更新する、16歳9カ月での史上最年少幕下優勝を遂げた。右78キロ、左80キロで当時の横綱大乃国をも上回る握力で、前みつを引き猪突(ちょとつ)猛進の攻めで制した。

1面を飾った本紙の写真と見出しが、スピードスターぶりを絶妙に表現している。貴花田が両国から中野の部屋に戻る電車移動。途中、御茶ノ水駅で各駅止まりの総武線から中央線快速に乗り換え。その写真にかぶせて「御茶ノ水で乗り換え『関取快速』だね」の見出し。写真の絵解きも「自分の出世に合わせるように『特別快速』に乗り換えた」とある。

その予見が現実のものとなる。2場所後の同年秋場所。西幕下9枚目で再び7戦全勝優勝し新十両昇進が決定。今度は史上最年少関取の座をものにした。その後も新入幕、初金星、幕内優勝、年間最多勝、大関昇進、全勝優勝…と次々に最年少記録を更新。親の七光など通じない世界で兄若花田(のち横綱3代目若乃花)とともに、父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花、のち二子山親方)の背中を追った貴花田。空前の相撲フィーバーを呼んだ、快進撃の始まりがこの日だった。

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貴ノ浪「悲しくない」涙の引退/夏場所プレイバック

引退会見で涙を拭う貴ノ浪(2004年5月11日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。3日目は、90年代を中心に活躍した元大関の土俵との別れです。

<大相撲夏場所プレイバック>◇3日目◇04年5月11日◇東京・両国国技館

貴ノ浪は目に涙を浮かべながら、何度か言葉を詰まらせた。「全然悲しくない。悲しくないんだけど、涙が出る」。場所前に不整脈が出て入院し、医者の制止を振り切って現役に執念を燃やしたが2連敗。前夜、師匠の貴乃花親方(元横綱)と話し合い引退を決断した。「体調面がすぐれなかった。自分らしい相撲が取れないのであれば、終止符を打つのが正しいと思った」。

元大関貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門し、87年春場所で初土俵を踏んだ。取り口は豪快。196センチの長身で懐が深く、もろ差しを許しても抱え込んで振り回した。94年初場所後、武蔵丸と大関に同時昇進した。96年初場所では、横綱貴乃花と同部屋同士の優勝決定戦を制して初優勝を果たした。綱取りには届かなかったが、大関在位37場所は史上7位。明るい人柄でもファンを引きつけ、記録にも記憶にも残る名大関だった。

名門二子山部屋から38年ぶりに関取が途絶え「それが一番残念。下が来るまで持ちこたえたかった」。引退後は音羽山親方として貴乃花部屋で指導し、将来の角界を支える人材として期待された。しかし15年6月に急性心不全のため43歳で急逝。早すぎる別れだった。

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千代の富士が貴花田に五重丸/夏場所プレイバック

初日に千代の富士を破る貴花田(貴乃花)。18歳9カ月の史上最年少金星(1991年5月12日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

◇   ◇   ◇

<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。

貴花田(貴乃花)は千代の富士から金星をあげる(1991年5月12日撮影)

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貴ノ花「不撓不屈の精神」/大関昇進伝達式主な口上

大関昇進伝達式では決意を込めた口上が披露される。主なものを紹介する。(しこ名は当時)

▽朝潮「大関の名に恥じぬよう、これからも一生懸命頑張ります」(1983年春場所後)

▽貴ノ花「不撓(ふとう)不屈の精神で」(93年初場所後)

▽若ノ花「一意専心の気持ちを忘れず」(93年名古屋場所後)

▽武蔵丸「日本の心を持って」(94年初場所後)

▽朝青龍「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」(2002年名古屋場所後)

▽白鵬「全身全霊をかけて努力」(06年春場所後)

▽琴奨菊「万理一空の境地を求めて」(11年秋場所後)

▽稀勢の里「大関の名を汚さぬよう、精進」(11年九州場所後)

▽鶴竜「お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力」(12年春場所後)

▽豪栄道「大和魂を貫いて」(14年名古屋場所後)

▽貴景勝「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進」(19年春場所後)

▽朝乃山「大関の名に恥じぬよう相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」(20年春場所後)

(共同)

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【復刻】史上初の幕尻優勝 2000年の貴闘力も涙

貴闘力の史上初の幕尻優勝を伝える2000年3月27日付の日刊スポーツ紙面

<大相撲初場所>◇千秋楽◇26日◇東京・両国国技館

前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が結びの一番で大関貴景勝(23=千賀ノ浦)を破り、貴闘力以来20年ぶり2度目の幕尻優勝を達成した。

優勝を記念して、2000年の貴闘力の史上初の幕尻優勝を紙面記事で振り返ります。

   ◇   ◇   ◇

<大相撲春場所>◇2000年3月26日◇千秋楽◇大阪府立体育会館

東前頭14枚目貴闘力(32=二子山)が、史上初の幕じり優勝を飾った。勝てば優勝、負ければ決定戦にもつれ込む雅山(22)との大一番。土俵際まで攻め込まれながら執念で回り込み、最後は送り倒した。初土俵から103場所、入幕から58場所は過去の記録を大幅に塗り替えるスロー記録。32歳5カ月の年齢も、年6場所の1958年(昭33)以降の最高齢記録となった。殊勲賞、敢闘賞も獲得。土俵生活18年目で花を咲かせ、涙、涙の初賜杯だった。

貴闘力 13勝2敗(送り倒し 4秒6)雅山 11勝4敗

子供のように泣きじゃくった。武双山に力水をつけながら、花道を引き揚げながら、そしてインタビュールームで。貴闘力は、何度も青い手ぬぐいを両目にあてた。「泣くなんて、絶対オレはないだろうなって思ってた」。家族が待つ東の支度部屋。美絵子夫人(25)は「涙を見たのは初めてです」と声を震わせた。長男の幸男君(5)も「アイスが食べたい」と泣きじゃくっていた。

「運がよかったとしか言えない。本当に夢のようで、オレみたいのがとってええんかなみたいな」。史上初の幕じりの快進撃は、フィナーレも劇的だった。雅山の強烈な突き放しに後退した。両足が俵にかかる絶体絶命から、執念を発揮した。はねるように右へ回り込み、雅山を送り倒した。

がけっぷちに追い込まれた男の強さだった。持病の痛風、高血圧に悩まされ、気力もなえかけた。幕内58場所目で初めて幕じりまで落ちた。場所前のけいこでは幕下に負けた。引退も覚悟していた。だが、二子山親方(50=元大関貴ノ花)の言葉で消えかけた闘志に火がついた。「師匠にまだ老け込む年じゃない。今からでも遅くないぞ、と言われたのが一番励みになった」。14日目夜には、横綱貴乃花から「緊張しないで思い切りいったらいい結果が出るから、頑張ってください」と激励された。部屋の大きな支えがあって、栄冠を手にした。

「貴闘力」のシコ名は89年3月、新十両昇進時におかみさんの憲子さん(52)が付けてくれた。当初は「貴闘志」だったが、字画を調べて今のシコ名になった。いずれも「ただ暴れるだけじゃなく、道徳を持って闘って」との願いが込められた。それほどの熱血漢だった。今場所も獲得した敢闘賞は通算10回で史上1位。一時は若乃花、貴乃花以上のけいこ量を誇った角界一のファイターが、どん底から奇跡を起こした。

90年秋場所、若乃花と同時入幕だった。その若乃花が土俵に別れを告げた春の土俵に、遅咲きの花が鮮やかに咲いた。弟弟子たちの優勝に、ひそかな思いもあった。「いつかは自分もと……。幕内で優勝するのが夢でした」。初土俵から所要103場所、入幕から58場所、そして32歳5カ月の最高齢。長い苦労を裏付ける記録ずくめの初優勝には、大粒の涙が似合った。【実藤健一】

   ◇   ◇   ◇

◆同級生柔道古賀「俺も」

貴闘力の優勝は、4度目の五輪出場を狙う「平成の三四郎」の奮起を促すことにもなった。バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダリスト古賀稔彦(32、慈雄会)は、優勝の瞬間をテレビでしっかり見届けた。2人は同い年で、古賀が東京・弦巻中、貴闘力が福岡・花畑中の3年時、全国中学柔道大会団体戦で対戦した縁がある。直接対決はなかったが、古賀にとって貴闘力は気になる存在で、角界での活躍も注目していた。

右足首のねんざに苦しむ古賀は、五輪代表最終選考会となる4月2日の全日本選抜体重別(福岡)に強行出場する。今回挑戦する81キロ級の代表の争いはライバルたちと横一線。優勝者が代表になる可能性が高い。今場所の貴闘力の相撲に力づけられた古賀は「その年齢に応じた集中力とテクニックを発揮すればやれるんだということを証明してくれた。僕も柔道界でそれが証明できるようにしたい」と決意を新たにしていた。

(2000年3月27日紙面から)

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千代の富士は旭国を/100キロ未満大関撃破3力士

インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇9日目◇20日◇東京・両国国技館

小よく大を制した。体重99キロの西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)が、160キロの大関豪栄道を押し出しで破った。

   ◇   ◇   ◇

【体重100キロ未満の大関戦勝利】

75年以降のデータで100キロ未満の関取は炎鵬で14人目。大関戦勝利は炎鵬が3人目になる。

▽千代の富士 78年夏場所13日目に大関貴乃花を寄り切る。新三役で小結昇進の翌名古屋場所も5勝10敗で負け越したが2日目に貴ノ花をつり出しで、5日目には旭国を寄り切る。体重はともに96キロ。

▽舞の海 94年名古屋場所(97キロ)2日目に貴ノ花を、95年同場所(98キロ)14日目に貴ノ浪を、それぞれ切り返しで破る。

豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)

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100キロ未満炎鵬の大関撃破は千代、舞の海以来

支度部屋で笑顔を見せる炎鵬(撮影・小沢裕)

<大相撲初場所>◇9日目◇20日◇東京・両国国技館

小よく大を制した。体重99キロの西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)が、160キロの大関豪栄道を押し出しで破った。

1975年(昭50)以降で100キロ未満の力士が大関を撃破したのは、千代の富士、舞の海以来3人目。初大関戦で頭をフル回転して白星をもぎ取った。大関貴景勝を破った平幕の正代と徳勝龍が1敗を守った。

   ◇   ◇   ◇

自身初の結びから2番前の取り組み。168センチの小柄な体に、独特な雰囲気がのしかかってきた。余裕のある相手に対して、どこかぎこちない仕切りの炎鵬。「死ぬほど緊張してました」。一瞬で勝負が決まると、大歓声を一身に浴びた。

手の内がばれたが修正した。緊張から思わずつっかけ、つい左に飛び出てしまった1度目の立ち合い。「頭の中が真っ白になりました」。2度目の立ち合い。突進してきた相手を右にかわす。左腕を手繰って回り込むと、目の前には土俵際でつんのめる大関。その好機を逃すまいと、振り向かれる前に力いっぱい押し込んだ。「体が反応した。信じられないです。今もフワフワしています」。支度部屋では喜びよりも、不思議そうな表情を浮かべた。

17年春場所で角界入りした時、体重は95キロだった。苦手な食べ物は白米。温かい白米から出る湯気のにおいが受け付けなかった。しかし同部屋の横綱白鵬から、上位で勝つために100キロを目指すように言われて決意。焼き肉のタレやふりかけをかけてにおいをごまかし、白米をかきこんだ。加えてウエートトレーニングやプロテインなども駆使し、今も現役関取最軽量だが99キロにまで増量した。

一方で、体重を重要視し過ぎない考え方も持っている。「体重を気にし過ぎて、取り組み以外に神経を使いたくない」と、新入幕を果たした昨年夏場所以降は場所中の体重計測をやめた。「それよりも取り組みに集中したい。体が小さい分、考えることも多い」と持論を展開。初大関戦となったこの日も、183センチの豪栄道の体に圧倒されながらも「次どうするかを必死に考えた」と頭をフル回転。2度目の仕切りまでに作戦を練り、65年以降で60人目となる大関初挑戦初白星を獲得した。

8日目の遠藤戦では聞こえなかった大歓声も「体の芯から震え上がるものがあった」と味方につけた。10日目の相手は、2日連続の大関戦となる貴景勝。「頭を使いながら必死にやるだけ」。小兵の背中が、一段と大きく見えた。【佐々木隆史】

◆体重100キロ未満の大関戦勝利

75年以降のデータで100キロ未満の関取は炎鵬で14人目。大関戦勝利は炎鵬が3人目になる。

▽千代の富士 78年夏場所13日目に大関貴乃花を寄り切る。新三役で小結昇進の翌名古屋場所も5勝10敗で負け越したが2日目に貴ノ花をつり出しで、5日目には旭国を寄り切る。体重はともに96キロ。

▽舞の海 94年名古屋場所(97キロ)2日目に貴ノ花を、95年同場所(98キロ)14日目に貴ノ浪を、それぞれ切り返しで破る。

◆炎鵬晃(えんほう・あきら)本名・中村友哉。1994年(平6)10月18日、金沢市生まれ。兄文哉さんの影響で5歳から相撲を始める。金沢学院東高で3年時に高校総体8強。金沢学院大では2、3年時に世界選手権軽量級で優勝。初土俵は17年春場所。横綱白鵬に憧れ、白鵬の内弟子として入門。白鵬から「ひねり王子」の愛称をつけられる。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続で各段優勝を果たし、18年春場所新十両、19年夏場所新入幕。家族は両親、兄。168センチ、99キロ。血液型AB。得意は左四つ、下手投げ。通算117勝76敗。

インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)
豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)

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新大関貴景勝 碧山は約5年ぶり小結復帰 新番付

大関昇進の伝達式を終え会見を行う貴景勝(撮影・清水貴仁)

日本相撲協会は30日、元号が平成から令和になって初めての本場所となる大相撲夏場所(5月12日初日、両国国技館)の新番付を発表した。

先場所同様、横綱は白鵬(34=宮城野)と鶴竜(33=井筒)が東西に並んだ。白鵬は元号をまたいでの、2場所連続43回目の優勝を、鶴竜は昨年夏場所以来となる6回目の優勝を目指す。

大関は東西に豪栄道(33=境川)と高安(29=田子ノ浦)、そして東の2枚目に新大関として貴景勝(22=千賀ノ浦)が名を連ねた。新大関は昨年名古屋場所の栃ノ心(31=春日野)以来で千賀ノ浦部屋からは初めて。兵庫県出身の新大関は80年春場所の増位山以来で、初土俵から所要28場所は6位のスピード昇進(年6場所制となった58年以降初土俵で幕下付け出しは除く。1位は琴欧州=のち琴欧洲=の19場所)。22歳7カ月22日での新大関も、9位の年少昇進(58年以降初土俵。1位は貴ノ花=のち貴乃花=の20歳5カ月)。

関脇は東が逸ノ城(26=湊)、西が大関から陥落した栃ノ心。先場所、14勝1敗で優勝次点だった逸ノ城は、昨年九州場所以来、3場所ぶりの再関脇で、三役も3場所ぶり。栃ノ心の大関降下は、17年九州場所の照ノ富士(27=伊勢ケ浜)以来で、現行の大関陥落規定となった69年名古屋場所以降では18人(21回)目となる。また今回、新大関(貴景勝)と大関降下(栃ノ心)が同じ場所で重なったが、これは00年秋場所(魁皇が新大関、武双山が大関降下)以来のケースとなった。

小結は東が碧山(32=春日野)、西が御嶽海(26=出羽海)。碧山は約5年ぶりとなる29場所ぶりの小結復帰で、三役復帰は15年初場所で経験しているため26場所ぶりとなる。これは松鳳山(35=二所ノ関)と並ぶ、昭和以降7位のスロー三役復帰となった(1位は青葉城の47場所ぶり)。先場所、東小結で7勝8敗と負け越した御嶽海は、西への“移動”となり三役は死守した格好だ。3場所連続の小結で、魁皇、琴光喜、豪栄道と並び昭和以降2位の14場所連続三役在位となった(1位は若の里の19場所連続)。

夏場所は、5月10日の取組編成会議で初日、2日目の対戦相手が決定。12日の初日を迎える。

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社会現象に…大相撲を世にしらしめた「若貴ブーム」

92年1月27日付日刊スポーツ東京最終版

<平成とは・大相撲編(1)>

平成は「若貴時代」とともに始まった。大横綱千代の富士が君臨していた大相撲界に、新時代を担う宿命を背負った兄弟力士が登場した。若花田(のちの若乃花)と貴花田(のちの貴乃花)。父は元大関貴ノ花で、期待にたがわず番付を駆け上がり、日本中を熱狂させた。「平成とは」大相撲編(3回)の第1回は、社会現象となった「若貴ブーム」を振り返る。

   ◇   ◇   ◇  

平成4年(1992年)1月26日午後5時。固唾(かたず)をのんで土俵に注目していた日本中が、その瞬間に沸き上がった。

大相撲初場所千秋楽。東前頭2枚目の貴花田は三杉里を寄り切り、14勝1敗で初優勝を飾った。19歳5カ月、史上最年少の幕内優勝。この場所、日刊スポーツ(東京版)は15日間、1面をすべて相撲で貫いた。歴史的快挙は号外で報じた。日刊スポーツの号外発行は77年11月22日、江川卓の「クラウンライターが1位指名」以来だった。

若貴兄弟は88年春場所、初土俵を踏んだ。「プリンス」と呼ばれ、人気だった元大関貴ノ花の2人息子。入門した時点で人気と角界の未来を担う宿命だった。ともに順調に番付を駆け上がる。特に貴花田は89年九州場所で17歳2カ月の新十両、90年夏場所で17歳8カ月の新入幕と次々最年少記録を更新。甘く精悍(せいかん)な見た目で強い。人気は必然だった。

時代が求めていた。大横綱千代の富士が長らく頂点に君臨する角界は、人気が停滞していた。そこに登場したのが父貴ノ花、おじに元横綱初代若乃花を持つ期待の兄弟。加えて「弟を守るために入門した」という若花田との兄弟愛。名門一家の物語は性別、世代を超えて人の心を引きつけた。91年春場所の貴花田対小錦の瞬間最高視聴率は驚異の52・2%(ビデオリサーチ調べ)。主婦層がターゲットのワイドショーも連日、兄弟を追いかけた。

社会現象ともいえるフィーバーは貴花田の初優勝後、さらに過熱した。92年春場所前。大阪入りする際は羽田空港でタクシーを機体に横付けし、到着した大阪空港ではVIP出口から脱出した。東大阪市の宿舎はひと目見ようと連日、ファンが取り巻く。狭い道路脇に最高500人。巻き込まれた高齢女性が転倒し、骨折する事故も起きた。そんな周囲を冷静に見つめた若花田は「昨年(の春場所で)、光司が11連勝してからパニックが始まったんだよな。俺も表に出られないかな」とつぶやいたという。

不器用で表現が下手な弟と器用で明るい兄の構図も、分かりやすかった。フィーバーの最中、しゃべりが苦手な弟を守るべく若花田は「俺が全部対応する」とマスコミの前に立った。ただ、貴花田は自身の人気に無頓着だった。当時を取材していた記者が述懐する。

「買い物に付き合ったこともあったが、ワーワーされてもまるで気にしない。こっちがひやひやするぐらいだった。プライベートでは付け人をつけなかった。『自分の召し使いじゃない』と。(関取になった)当時は17、18歳だったけど、芯はしっかりしていた」

順調な出世はただ、天分に恵まれただけではなかった。貴花田の新十両昇進時、「今までで一番後悔していること」の質問に「(明大中野)中学時代、クラスのいじめられっ子を助けられなかったこと」と返した。そんな卓越した精神面に、見る人が「殺し合いかと思うぐらい」の猛稽古。裏側には血へどを吐くほどの壮絶な努力があった。

新弟子検査に史上最多160人が殺到したのも92年春場所。貴花田は同年11月に女優宮沢りえとの婚約、そして年明けに破局。常に話題の、時代の中心にいた。そんな立場に置かれた状況を横綱になった貴乃花に聞いたことがある。

「孤独なもんです」

89年九州場所11日目から始まった史上最長の大入り満員は97年夏場所2日目、666日でストップした。「兄弟絶縁」や「洗脳騒動」。土俵外に注目は移り、貴乃花は孤立感を深めていった。親方としても。

平成最後の年、兄弟2人とも日本相撲協会を去っている。賭博、暴力問題に大揺れした国技も今、人気は隆盛を誇る。ただ「若貴」のような強烈な個は現れていない。平成の世に一時代を築いた。「大相撲」を幅広く知らしめたのは、何よりの功績。その土台があって、大相撲は令和の新時代を迎える。(敬称略)【実藤健一】

91年6月、消防訓練後に兄・若花田(右)とポーズをとる貴花田

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貴景勝9勝 初代貴ノ花伝承の教えで大関とり王手

大相撲春場所13日目 貴景勝(右)は押し出しで高安に勝利する(撮影・奥田泰也)

<大相撲春場所>◇13日目◇22日◇エディオンアリーナ大阪

関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)が、大関とりへ望みをつないだ。過去の対戦成績が2勝6敗だった大関高安を押し出し、連敗を2で止めた。

今場所の昇進目安が10勝以上となる中、難敵を3発でもっていく圧勝で、星は9勝4敗。1月の初場所に続き、大関昇進目安となる「三役で3場所33勝」とした。横綱白鵬が初日から無傷の13連勝。14日目で1敗の逸ノ城が敗れ、白鵬が勝てば42度目の優勝が決まる。

   ◇   ◇   ◇   

貴景勝が今場所2度目の大関戦で会心の白星を挙げた。「何も考えずいけた。気持ちを最大限高めて、それで負けたら仕方ない」。3連敗中だった高安を、3発押し込んで土俵外。場所前に行われた二所ノ関一門の連合稽古では5勝7敗だったが、本場所では大関とりの22歳に軍配が上がった。

憧れの存在も実力を認めた。貴景勝が幼少期から目標としている力士は、現役時代177センチ、140キロ未満の体格ながら史上初となる2度の平幕優勝を果たした元関脇琴錦(朝日山親方)。その速さから“F1相撲”と呼ばれた同親方も、「(貴景勝は)オレとは違って度胸が据わっている」と舌を巻く。同親方が、同じくスピードが武器だった元大関初代貴ノ花から教わった立ち合いを、当時十両だった貴景勝に伝授したこともあったが、大関を目前とした現状に「オレなんか目標にしていたらダメ」。175センチと小柄ながら、押しといなしを判断良く使い分け、まわしを取らせない取り口に「私が現役だったとしたら、どうしたらいいか思い浮かばない」と白旗を揚げた。

あと1勝を乗せて2桁白星となれば、昇進への機運はさらに高まる。14日目は1敗と好調の逸ノ城、千秋楽はかど番の大関栃ノ心との対戦が濃厚。「勝ち負けどうこうではなく、明日に向かって準備をしたい」と力を込めた。【佐藤礼征】

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元貴闘力が怒りの喝「付け人制度の即刻廃止」

角界へ「喝」を入れた元貴闘力の鎌苅忠茂氏

幕内力士・貴ノ岩(28=千賀ノ浦)が付け人の力士を暴行した事件に関して元関脇貴闘力の鎌苅忠茂氏(51)が大激白した。昨年10月には元横綱日馬富士から暴行を受けた貴ノ岩が加害者となった事態に対して「自覚不足、時代錯誤、付け人制度の即刻廃止」の持論を展開した。

またも角界を揺るがす暴力事件に元貴闘力が怒りの「喝」を下した。被害者が今度は加害者という異常事態に「自覚がない。それに尽きる。理由は何だろうが付け人だろうが、たたいたら問題になる。許される時代じゃないんだよ」。貴ノ岩の自覚欠如、時代錯誤を強い口調で一喝した。

元貴闘力が激白したのは角界引退後、東京都江東区清澄にオープンした焼き肉店「ドラゴ横綱通り店」だった。イタリア語で竜を意味する店名の命名は弟弟子の元横綱貴乃花。今も親交ある弟弟子の愛弟子は昨年10月の巡業中に元横綱日馬富士から暴行を受けた。師匠の貴乃花親方が日本相撲協会と対立。この暴力事件を引き金に貴乃花親方の角界引退という事態にまで発展した。

自身も波瀾(はらん)万丈だ。引退後は大嶽親方を襲名も現役時代から型破りなギャンブルマニア。それが災いし、野球賭博問題で日本相撲協会を解雇、昭和の大横綱・故大鵬親方の三女とも離婚、プロレス転向も不調に終わった。「そんなおれが言うのもなんだけどね。現役の時はたたかれても愛のむち、自分のためだと思っていた。今は時代が違う。協会からも親方衆からも厳しく言われているわけじゃないの。やったらどんなことになるのか、まるで分かってないよ」。

今も相撲界に育ててもらった感謝は尽きず、愛情をもって土俵の外から見つめ、応援している。「付け人も協会から預かっている力士なんだということが分かっていない。付け人制度をやめた方がいい」。現役時代は豪快な張り手で魅了。激震の角界に持論の張り手を放った。【大上悟】

◆鎌苅忠茂(かまかり・ただしげ)大相撲の元関脇貴闘力。1967年(昭42)9月28日、兵庫県神戸市出身。元大関初代貴ノ花の藤島部屋に入門、83年春場所初土俵。90年秋場所で新入幕。00年春場所で幕内初優勝。通算754勝703敗。180センチ、148キロ(現役当時)。

<スポーツ界の暴力アラカルト>

◆角界 昨年9月下旬から今年1月にかけて峰崎部屋で兄弟子が弟弟子に対して4回にわたり素手で殴るなどの暴力を振るった。

◆競泳 競泳男子で20年東京オリンピックのメダル候補の小関也朱篤(26=ミキハウス)が、昨年11月からのスペイン合宿中に同じ所属の男子選手(23)に暴力を振るったことが判明。

◆アメフト 5月に日本大対関西学院大の定期戦で日大守備選手が悪質なタックルをして相手クオーターバック(QB)を負傷させた。

◆高校野球 愛知・豊田大谷高校の野球部監督川上貴史容疑者(33=同県日進市)が7月31日、傷害の疑いで逮捕された。昨年7月、練習中に当時1年の男子部員の頭と頬を殴った上、肋骨(ろっこつ)を折る重傷を負わせた疑い。

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95年に結婚、1男2女/貴乃花元夫妻アラカルト

05年6月、故二子山親方協会葬で遺族席に座る、左から貴乃花親方、景子夫人、花田勝氏

10月に日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が景子夫人(54)と離婚していたことが26日、分かった。先月25日に自ら離婚届を提出したという。

<貴乃花元夫妻アラカルト>

◆95年5月 結婚。同年9月、長男優一氏が誕生。その後、長女、次女をもうける。

◆03年1月 貴乃花引退。

◆04年5月 宮崎県の景子夫人実家が火事で全焼。

◆同6月 二子山部屋を継承し貴乃花部屋に変更。景子夫人は相撲部屋の女将(おかみ)に。

◆05年5月 貴乃花親方の父満氏(初代貴ノ花)が死去。

◆09年7月 貴乃花親方が週刊誌などの記事で名誉を傷つけられたとして発行元の出版社などに損害賠償を求め、貴乃花親方と景子夫人にそれぞれ支払いと謝罪広告の掲載を命じる。

◆16年 景子夫人が株式会社ル・クール設立。

◆16年7月 貴乃花部屋が中野新橋から江東区東砂に転居。土俵開きで景子夫人は「地元に愛される部屋にしたいです」。

◆18年3月19日 景子夫人が部屋のホームページで貴公俊の付け人への暴行について謝罪。「女将としても行き届かない点があったかと深く反省しております」。

◆同9月25日 貴乃花親方が相撲界から引退発表。

◆同10月25日 離婚

9月25日、引退記者会見で険しい表情を見せる貴乃花親方

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フジ3人娘、交際8カ月で95年結婚/景子さん略歴

花田景子さん(2017年12月25日撮影)

元貴乃花親方の花田光司氏(46)が、花田景子夫人(54)と離婚したことが26日、分かった。先月25日に離婚届を提出していた。 離婚届は花田氏自らが提出。

花田氏は1995年に、元フジテレビアナウンサーで8歳年上の河野景子と婚約した。

◆花田景子(はなだ・けいこ)旧姓・河野。1964年(昭39年)11月12日、宮崎生まれ。上智大卒業後、88年にアナウンサーとしてフジテレビに入社し、故有賀さつきさん、八木亜希子とともに“フジの三人娘”として人気を集めた。94年に同社を退職。94年10月頃から8歳年下の貴ノ花と交際を始め、95年5月に約8カ月で愛を実らせて結婚。同年9月に長男・優一を出産した。

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花田光司氏6日ぶりブログで景子夫人2ショット公開

貴乃花応援会公式サイト内のブログにアップされた花田光司氏と景子夫人の2ショット

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が19日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを6日ぶりに更新し、身内で食事会を開いた際の景子夫人(53)との2ショット写真を公開した。

「身内の食事会での1枚です。行きつけの中華料理屋さんで安らぎのひとときを過ごすことができました。これも中野総料理長とスタッフの方々のお陰です。いつも美味しい料理を振る舞っていただき有難うございます。これからも宜しくお願いいたします」

花田氏は、景子夫人と笑顔で見つめ合う写真など、3枚の写真をアップした。

花田氏は13日にアップしたブログで、福岡県田川市を訪れ、大相撲九州場所の際に宿舎を構え、けいこ場などを提供されてきた田川貴乃花部屋後援会の解散式に出席したと報告した。

「田川貴乃花部屋後援会の皆さんにはこれからも見守りいただけますが、苦渋の決断をした私へ断腸の思いで私を抱擁してくれています。感謝、感謝、ご厚情に大感謝です」

「田川は、花田光司へ帰れるような場所ですが、貴乃花は一代限りの授かった名前です。貴乃花は花田光司でありながら、花田光司は貴乃花でしかありませんので、花田光司として故郷田川へ」

「帰れる場所があるのは、ことあるごとに琴線に触れられる清く正しき光の居場所、そんな気がしてなりません」

「元、田川貴乃花部屋後援会ならびに相撲茶屋貴ノ花、ここに万歳三唱です。私の人生の一区切り、新たなスタートを生きれることを大切にしてゆきたいと思います」(コメントは全て原文のまま)

景子夫人との2ショットをアップしたブログは、その時以来の更新だった。

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輪島さん通夜に花田虎上氏、とんねるずら500人

土俵をかたどった祭壇に置かれた輪島大士氏の棺と遺影(撮影・中島郁夫)

下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの通夜が14日、東京・青山葬儀所で営まれた。現在、相撲協会の広報部長を務める芝田山親方(元横綱大乃国)、元武蔵川理事長で元横綱三重ノ海の石山五郎氏、3代目元横綱若乃花の花田虎上氏ら元力士や、現役力士では前頭輝、幕下豊響、芸能界からは関口宏、五木ひろし、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武、勝俣州和らが参列。約500人が集まった。

土俵をイメージした祭壇に飾られた遺影は、喪主の妻留美さんが選んだという横綱時代の土俵入りだった。朱色のひつぎは、昨年まで毎年のように見学に訪れていた、地元石川県七尾市の石崎奉登祭に由来。同祭への、輪島さんの出身地域からの参加者が着用する衣装の色という縁で朱色にした。ひつぎの中で輪島さんは、横綱時代に最も好んでいた薄緑色の着物を着ていた。

参列した野球解説者の田淵幸一氏は、阪神での現役時代から続く、40年以上の付き合いだと明かした。当時、輪島さんは大阪での春場所中とあって、合間を縫って甲子園球場に招き、本人の意向で打撃練習に参加したところ「5、6球打って膝を痛めて休場した」(田淵氏)というエピソードを明かした。互いを「横綱」「監督」と呼び合い、深い交流があったという。田淵氏は「豪放磊落(らいらく)。純粋で、誰かをだまそうというところがまったくなかった。最高の男だった。お通夜で、こんな話ができるのはあいつだけ」と、故人と一緒に現役時代に撮影した写真を何枚も持参し、当時を思い出していた。

他にも五木ひろしは、日本レコード大賞を受賞した際に、お祝いに駆けつけてくれたこと。芝田山親方は約1年務めた付け人時代に、当時、付け人の中でも最も若いぐらいだった自身にも気さくに話しかけてくれた話。元3代目若乃花の花田虎上氏は、父で故人の元二子山親方(元大関貴ノ花)と輪島さんが親友だった関係から「輪島ちゃん」と親しみを込めて呼んでいたエピソードなどを明かした。通夜にもかかわらず、参列者が口々に型破りな輪島さんとの思い出話を語り、笑顔の絶えない、故人の人柄を表すような通夜となった。葬儀は15日に行われる。

土俵をかたどった祭壇に置かれた輪島さんの棺と遺影(撮影・中島郁夫)

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黄金の左、のど輪落とし/輪島さん波瀾万丈人生

77年3月、春場所での輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

<輪島さん波瀾万丈人生>

◆虫嫌い 1948年(昭23)1月11日に石川県七尾市に理髪業の輪島家の長男として生まれる。4500グラム。ケガをすると家族は反対も石崎小3から相撲の町内大会などで優勝。香取中では野球部も相撲も稽古し、1年の奥能登、3年の県大会で優勝。蛇、カエル、ミミズと虫嫌い。東京五輪石川県聖火ランナー。

◆サイン稽古 金沢高では岡大和監督宅に下宿して1年で山口国体を制し、高2の夏に大鵬親方らから勧誘される。「有名になる」とサインを練習し、このため本名で通したともいわれる。監督の薦めで日大進学で新人戦優勝。3年で初めて学生横綱になる。

◆貴ノ花圧倒 日大時代に当時新十両で親友となる貴ノ花(初代元大関)に稽古で2勝1敗と勝ち越し。当時の二子山親方(元横綱若乃花)が貴ノ花に「関取の白まわしを締める資格がない」と激怒。2年連続学生横綱など大学通算14冠を引っ提げ、合宿所隣で気心知れた元前頭大ノ海の花籠部屋に入門。

◆快進撃 花籠親方は雑用を免除し、食事は親方宅、大部屋は3日で日大合宿所の2人部屋に戻った。70年初場所幕下尻付出で誕生日にデビューし、日大応援団も駆けつける中で7戦全勝優勝。「蔵前の星」と呼ばれ連続全勝優勝で夏場所最速新十両昇進。ザンバラが目に入ると美容室でパーマをかけ怒られた。

◆特例懸賞 70年夏3日目にプロ初黒星で連勝は16でストップし、名古屋で初負け越し。秋はライバルだった東農大出身の長浜(のちの小結豊山)と5戦全勝で対決。観客投票で幕内にかける懸賞の森永賞が特例でつき、この一番を制して13勝で十両優勝を飾る。

◆最短V 71年初に新入幕を果たし、夏は11勝で初の敢闘賞。72年初場所は新小結で北の富士から横綱初勝利し、初の殊勲賞となる。夏に関脇で12勝を挙げて最短15場所で初優勝を飾る。学生相撲出身では山錦以来42年ぶり。

◆貴輪時代 72年秋の千秋楽は貴ノ花と水入りの一番を制して、13勝の準優勝で貴ノ花と大関同時昇進し、貴輪時代到来といわれた。昇進を機にしこ名を博から大士に改名。63勝で初の年間最多勝。豪華マンションに住み、リンカーン・コンチネンタルを乗り回し、外国製腕時計をして、プロ野球や芸能人と交流した。引退後の81年、2人はそろって資生堂のテレビCMに出演した。

◆稽古嫌い 稽古が嫌いで、まだ若手の千代の富士が1度出稽古に来ると、部屋に入る前に「帰れ」と追い返した。腰が軽くなるといわれたランニングを導入。二子山親方が「マラソンで強くなるなら(メキシコ五輪銅の)君原は大横綱だ」と吐き捨てたという。貴ノ花は「本当に稽古しないのに強く天才」と言った。

◆本名横綱 73年春の13勝まで3場所連続準優勝で、夏に初の全勝優勝で54代横綱に昇進。学生相撲出身、本名の横綱は史上初で、石川出身は阿武松以来145年ぶり。秋に全勝で横綱初優勝。九州は貴ノ花を下して12連勝も、右手指の間を3センチ裂いて6針縫う。13日目に負けたがV4が決定し、14日目から2日間休場と史上初めて休場して優勝となった。

◆黄金の左 75年春から3場所連続休場した。秋から気分一新して黄金の締め込みに替え、「黄金の左」と呼ばれるようになった。78年から休場が多くなり、この年は優勝なし。80年九州では外出を控えて体力温存し、最後となる14度目の優勝となった。

◆親方廃業 師匠が定年を迎える81年春は3日目で引退し、12代目として花籠部屋を継承した。審判委員などを務め、82年夏には輪鵬、花ノ国が新十両など4人の関取を育てた。85年11月に実妹が年寄名跡を借金の担保にし、2階級降格と無期限謹慎処分。借金4億円などで12月に廃業し、力士らは放駒部屋に移籍した。

◆転身 86年4月に全日本プロレスに入門し、米国やプエルトリコで修行。8月に米国でジャイアント馬場とタッグを組んで白星デビュー。11月に地元石川で国内デビューし、凶暴さで鳴らすタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦。両者反則で引き分けも場外乱闘にもひるまなかった。

◆存在感 レスラー時代の必殺技はゴールデン・アームボンバー(のど輪落とし)。初のテレビ中継の視聴率は20%を超えた。87年にはリック・フレアー、スタン・ハンセンとタイトル戦でも対戦し、元前頭の天龍から妥協なき攻撃を受けて語り草に。88年12月に体力の限界で引退した。

◆家族 留美夫人と1女1男。長男大地さんは17年夏の甲子園に天理高の一員として出場。準々決勝明豊戦に2番手投手として登板した。

70年5月、夏場所の輪島さん。パーマがかかっているように見えるが…
74年7月、名古屋場所の優勝決定戦で横綱輪島さんは「黄金の左」下手投げで北の湖(右)を大逆転する
スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん(1987年4月24日撮影)

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藤田紀子、元貴ノ花とのデートにはいつも輪島氏同席

ミス・エールフランス・コンテストの審査員を勤めた貴ノ花夫妻。妻は旧姓・藤田憲子さん(1970年10月撮影)

タレント藤田紀子(71)が9日、日刊スポーツの取材に対し、50年近い付き合いの輪島さんをしのんだ。

初めて輪島さんと出会ったのは、元夫で05年に亡くなった貴ノ花との初デートの時、1969年のことだった。「私は松竹を辞めてフリー、親方(貴ノ花)は幕内から十両に落ちて、互いに再出発ということで紹介され、新橋の喫茶店で待ち合わせたんです。その時、親方が連れてきたのが当時は日大相撲部で、学生横綱だった学ラン姿の輪島さんでした。肩幅が広くて『衣紋掛けが来たかと思った』って笑ったのを覚えてます」と振り返った。

その後はデートする度に、輪島さんも同席した。「互いに『輪島』『満』と呼び合って、喫茶店でお話しした後にご飯を食べに行きました。支払いの時には輪島さんが貴ノ花のお財布を持って堂々と払っていました。明るい人で、面白いことを言って、いつも笑わせてくれました。同級生みたいな感じです。亡くなったと聞いても、楽しかった思い出ばかり。輪島さんがいてくれたから、私たちは結婚できたと思います」。

長男花田虎上氏(47)が3歳くらいの時には「勝(虎上氏)、連れてくよ」と声を掛けて、静岡の巡業先までリンカーンに乗せていったこともあったという。「子供が大好きで、お兄ちゃんは『輪島ちゃん』と慕っていました。最後に親しくお話ししたのは20年くらい前に結婚式でご一緒した時で、その後は15年前に対談の仕事で一緒になりました。本当に残念です」と“恩人”の死を悼んだ。 【小谷野俊哉】

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元貴乃花親方が輪島さんを追悼「輪島のおじちゃん」

元貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が10日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを通じ、大相撲の第54代横綱輪島で死去したことが分かった輪島大士氏(本名・輪島博=享年70)の死を悼んだ。

花田氏は「輪島さんに哀悼を告げます」と題し、以下の文章をつづった。

「哀悼を告げます。輪島さんに最後にお会いしたのは、未だに私の尊敬する、亡き北の湖前理事長との対談をされていたときで、その際傍でご挨拶ができました。その時は、声帯の手術と治療をされていると聞きましたが、かすれながらに『こうじ、こうじ、』と、元気にお声がけ頂いたことが思い出されます。それが輪島さんと最後にお会いした時でした。その時期の私は、北の湖理事長の下で職務を学んでいた頃でした。輪島さんに久しぶりにお会いできて大変嬉しく、同時に北の湖理事長の輪島さんに対する労わりの精神を垣間見させていただきました」

花田氏は、輪島氏との最後の対面を明かした。その上で、敬愛した当時の理事長で15年11月に亡くなった北の湖敏満氏も、輪島氏には一目置き、尊敬の念を持って接していたことをつづった。

「北の湖理事長も横綱を張った輪島さんとあって緊張された様子でした。その御心を察して、手を引くように国技館をご案内され、労わるように輪島さんの前を歩いておられたそのお姿。神が降臨したかのような北の湖理事長の優しさ、美しさ。そして、近年の実績でも追従をゆるさない横綱北の湖関に、私は魅了されてしまいました。輪島さんの緊張を察してそれをほぐすかのように、川の流れのように、自然体で深くて美しくゆったりとした風格。それこそが私には印象的でした」

そして輪島氏が気さくな人柄で周囲から愛されていた思い出話を明かした。

「輪島さんとその前にご同席できたのは、石川県にあります、かの有名な加賀温泉の加賀屋様でのひと時でした。一晩、加賀屋様にお泊めいただいた私は、「この世に竜宮城のような、こんな絢爛豪華なお宿があるのか」と思った次第です。それに加えて、従業員さんたちの礼儀正しさと、気品溢れる大女将様の仕草と語らいは、日本国を代表するこの世の居留地であり、人生のあらゆる場面で生じた喜怒哀楽を青く澄んだ海に浮かべることができるようなお宿で、展望台の中に佇んで旅情を包んでくれる御心与えしおもてなしでした。輪島さんの気さくで誰も真似のできない会話のユニークさ、そして、演出できない輪島さん節を聞きながら、天空のお宿、加賀屋様で過ごした思い出は私の人生の財産です」

また輪島氏が85年に花籠名跡を担保に借金したことで日本相撲協会を離れた後も、各界で支援されていたと明かした。

「輪島さんは定年以前に角界を去りましたが、後援会長や支援者に長年にわたり愛され、大切にされた方です。個人名は出せませんが、輪島さんを永年ご支援された方々は存じております。私の父、先代貴ノ花の師匠からも輪島さんが人々に愛され大切にされてきたお話はたくさん聞いておりました」

また幼少期に輪島氏に出会った思い出もつづった。

「私が幼い頃ですが、輪島さんは先代貴ノ花の自宅へ遊びに来られていました。夜に突然来られてあっという間に残り香を遺して帰られるような輪島さんは、私の子供の頃の記憶を辿ると、宇宙人みたいな、それこそ天孫降臨されたような方でした」

さらに父の貴ノ花親方が生前、輪島氏が代名詞「黄金の左下手」を、より光らせる技を持っていたと明かしたこともつづった。

「大相撲の時代を作った輪島さんの黄金の左下手は天才です。ふと私の父の遺した言葉が蘇りますが、"輪島は黄金の左下手といわれるがそれは違う、左を差した時の右からのおっつけが強かった。"黄金の左下手には、そんな秘訣もありました。これも私の父が遺した言葉です。"北の湖は天才。北の湖は若い頃から孤独でそれに打ち勝って横綱になった。北の湖は強かった。"もう一つ父の言葉が蘇ってきます。"俺は、玉の海関に強くしてもらった。玉の海関がいなかったら今の自分は存在しない。"輪島、貴ノ花が若手の筆頭株で、二人で幕内上位に昇り龍のごとくに活躍していた前から、バリバリの若手を相手にして息も上がらずに、一番も負けずに何十番と稽古をつけられた方が、横綱玉の海関でした。玉の海関は、解説でも著名な北の富士親方の盟友でもあった方です。私も本場所中は花田家の仏前に祈りを捧げて通っておりましたが、玉の海関の戒名もうちの仏前には書き込んでありました。毎回、私は御先祖様と玉の海関に蝋燭とお線香をたいて祈りを告げておりました」

花田氏は最後に「輪島さんの思い出を辿ると、先代貴ノ花の師匠が遺して下さったお話も尽きないほどに思い出されますが、どれもが懐かしいことばかりです。輪島さんのあの愉快な楽しい話がまた聞きたいです。グァム旅行にご一緒したこともありました。大きな大きな背中の輪島のおじちゃんとの大切な思い出を、いつまでも心にしまっておきたいと思います」(原文のまま)と、輪島さんへの思いをつづった。

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親交深い高田川親方「器の大きな方」輪島さん悼む

元関脇安芸乃島の高田川親方(2018年3月28日撮影)

第54代横綱の輪島大士さんが70歳で死去し、親交のあった高田川親方(元関脇安芸乃島)は9日、故人をしのんだ。

現役時代の師匠、藤島親方(元大関貴ノ花)が親しかったこともあり、輪島さんには新弟子のころからかわいがってもらったという。「輪島さんは変わった人。他の部屋の親方は、新弟子なんか相手にしないけど、かわいがってくれた。反物をくれたりもした」。

近年は、弟子の幕内力士、輝が輪島さんと同じ石川県出身ということもあり、本場所前は稽古を見に来てくれていたという。

輝が関取になる時は、輪島さんが愛用していた金色のまわしを締め、下の名前「大士」を使わせてもらうことを願い出た。「てっきり、『たいし』と読むのだと思っていたので『たいしをいただいてもいいでしょうか?』と聞いたら『いいよ。でも、これはひろしって読むんだぞ』と」。名前の読みを間違えながらも、怒ることもなく、やんわり指摘され「器の大きな方」とあらためて感じたという。

「横綱なのに、いばりちらしたりしない。人間的にすごい。亡くなった親方(元貴ノ花)と相通じるものがあったのかもしれない」と話していた。

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貴乃花部屋で花田景子さん主催のお別れ会が開催

貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)を支援する、貴乃花応援会の公式サイトが29日、同親方の退職手続きを受けて、28日におかみさんの花田景子さん(53)主催のお別れ会が行われたことを明らかにした。同親方とおかみさんが、弟子を前に涙ぐむ姿も見られたという。

「女将さんが力士のみんなを集めて、お別れ会を催しました。ささやかなお別れ会ではありましたが、親方、そして、女将さんへ弟子達より溢れんばかりの感謝の言葉が送られました。親方、女将さんも我が子のように育ててきたお弟子さん達を目の前に時折涙ぐむ一幕もあり、深い愛情を注られていた事を切に感じる一時でした」(原文のまま)

投稿には、弟子に囲まれて中央に座る貴乃花親方と、輪の外で笑みを浮かべるおかみさんが写った写真も掲載されている。

また、この日には貴乃花親方自身も、同サイトに「貴乃花の想いで」と題して投稿。「引退発表後も、多くのご声援を承り、厚く御礼申し上げます。その後も慌ただしく過ごしながら、これまでの相撲人生を振り返ったりしています」とつづり、祖父、現役時代の父の貴ノ花と一緒の幼少期の自身、自身の入門時、父の遺影、貴景勝が子供の頃、並んだ姿など、思い出の写真をアップした。

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