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20位琴勝峰へ激励「ほしいもの全て持っている」

 

第9回大相撲総選挙にご投票いただき、ありがとうございました。投票だけでなく、多くの皆さまから熱いメッセージをいただきましたので、ごく一部ですが紹介いたします。

20位 琴勝峰 920票

★琴勝峰関が中学生の頃初めて知り、お相撲さんになると分かりずっと応援しています。みんなに応援してほしいような、まだみんなには知られたくないような複雑な気持ちですが、今後も応援したいと思っています。(40代女性)

★柔らかさとしなやかさと力強さと素早さ、おすもうさんがほしいもの全て持っているような逸材だと思って応援しています。(50代女性)

★まさに将来有望! フレッシュで、気持ちの良い取組を見せてくれる。一気に駆け上がって行くのではないでしょうか!? 期待しています。(30代女性)

★琴勝峰は大ケガがなければ、横綱まで行けると思います。(40代男性)

★「次期横綱」次の次くらいかもしれませんが、それくらい期待してます。伸び代もまだある感じがします。(50代女性)

★琴ノ若と切磋琢磨(せっさたくま)して上を目指して欲しい。(30代男性)

★朝乃山のようにデカくしなやか。絶対大成します。これから自分の型をものにしたら横綱になると期待しています。(40代男性)

★思いっきりの良い相撲が目立ち将来大関以上は間違いないのと若手ということもあり期待しています。(20代男性)

★初場所で絶好調だった照ノ富士関に食らいついていったあの相撲見て、平成3年夏場所初日、貴花田が千代の富士に食らいついて離れなかったあの一番を思い出しました。負けはしたけど良い内容でした。幕内でもどんどん食らいついていってほしいです。楽しみです。(40代女性)

★琴勝峰がスマホで一括変換されるようになってほしいから。(40代男性)

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貴乃花が幕下最年少Vで旋風/夏場所プレイバック

89年5月21日、幕下で初優勝し賞状を手にする貴乃花(左から2番目)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。13日目は、記録達成でスター誕生の瞬間です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇13日目◇1989年5月19日◇東京・両国国技館

数々の史上最年少記録を塗り替えてきた、のちの「平成の大横綱」貴乃花が、最初の若年記録を打ち立てた記念日となった。

初めて番付にしこ名が載った88年夏場所の序ノ口から、わずか1年。所要6場所で初めて東48枚目の番付で幕下に上がった貴花田が、快進撃で白星を重ねる。全勝同士で優勝をかけた最後の7番相撲も、宮田(のち前頭龍興山=出羽海)を寄り倒し7戦全勝。柏戸(元横綱)が持つ17歳6カ月の記録を更新する、16歳9カ月での史上最年少幕下優勝を遂げた。右78キロ、左80キロで当時の横綱大乃国をも上回る握力で、前みつを引き猪突(ちょとつ)猛進の攻めで制した。

1面を飾った本紙の写真と見出しが、スピードスターぶりを絶妙に表現している。貴花田が両国から中野の部屋に戻る電車移動。途中、御茶ノ水駅で各駅止まりの総武線から中央線快速に乗り換え。その写真にかぶせて「御茶ノ水で乗り換え『関取快速』だね」の見出し。写真の絵解きも「自分の出世に合わせるように『特別快速』に乗り換えた」とある。

その予見が現実のものとなる。2場所後の同年秋場所。西幕下9枚目で再び7戦全勝優勝し新十両昇進が決定。今度は史上最年少関取の座をものにした。その後も新入幕、初金星、幕内優勝、年間最多勝、大関昇進、全勝優勝…と次々に最年少記録を更新。親の七光など通じない世界で兄若花田(のち横綱3代目若乃花)とともに、父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花、のち二子山親方)の背中を追った貴花田。空前の相撲フィーバーを呼んだ、快進撃の始まりがこの日だった。

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千代の富士が貴花田に五重丸/夏場所プレイバック

初日に千代の富士を破る貴花田(貴乃花)。18歳9カ月の史上最年少金星(1991年5月12日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

◇   ◇   ◇

<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。

貴花田(貴乃花)は千代の富士から金星をあげる(1991年5月12日撮影)

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遠藤が初の殊勲賞 正代、徳勝龍、霧馬山に敢闘賞

隠岐の海を破った遠藤(奥)(24日撮影)

<大相撲初場所>◇26日◇千秋楽◇東京・両国国技館

日本相撲協会は、大相撲初場所千秋楽の26日、会場の両国国技館内で三賞選考委員会を開き、各賞を決めた。

殊勲賞は、初優勝を決めた西前頭17枚目の徳勝龍(33=木瀬)が、初の三賞受賞となった。1差で追う西前頭4枚目の正代(28=時津風)は、逆転優勝なら初の殊勲賞だったが逃した。また序盤戦に2横綱、1大関を破った東前頭筆頭の遠藤(29=追手風)の初の殊勲賞も決まった(三賞は技能賞3回、敢闘賞1回受賞)。

敢闘賞は、千秋楽まで平幕で優勝争いを演じた徳勝龍と正代が受賞した。また新入幕で既に10勝を挙げている東前頭17枚目の霧馬山(23=陸奥)も初受賞となった。

技能賞は、東前頭2枚目の北勝富士(27=八角)が13場所ぶり2回目の技能賞(三賞も同じ)を受賞した。序盤戦で2横綱(白鵬戦は不戦勝)、2大関を破った押し相撲が評価された。99キロの小兵で1大関、関脇2人、小結1人を破った西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)は、千秋楽で輝(25=高田川)に勝って9勝目を挙げた場合、昨年名古屋場所以来、2回目の技能賞(三賞も同じ)が決まところだったが、敗れて受賞を逃した。

今場所の三賞は、のべ6人が受賞。これは92年初場所(殊勲賞は曙と貴花田、敢闘賞もこの2人、技能賞は若花田と貴花田)と並び最多となった。

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朝乃山の高砂部屋「ワンチーム賞」/大相撲大賞

19年部屋別各段優勝回数

<第8回日刊スポーツ大相撲大賞(1)>

横綱稀勢の里の引退に始まり、新大関貴景勝誕生、トランプ米大統領観戦、暴力問題で十両貴ノ富士が引退など、さまざまな出来事が起きた2019年の大相撲。今年1年間、幕内を務めた全29人の力士が対象の連載「第8回日刊スポーツ大相撲大賞」は、そんな陰で生まれた好記録や珍記録を表彰する。ラグビーワールドカップが盛り上がった今年の第1回は「ワンチーム賞」。ラグビー日本代表のスローガン同様、自身初の幕内優勝を筆頭に、部屋に最多5度の各段優勝をもたらす一体感を生み出した小結朝乃山(25=高砂)が受賞した。

 ◇  ◇  ◇

大関候補の朝乃山が名門高砂部屋を「ワンチーム」にまとめた。新語・流行語大賞の言葉を用いた今年ならではの賞だが、4力士で5度の各段優勝は力士数、優勝回数とも部屋別最多。朝乃山は「プロはアマチュアと違って団体戦はないので」と、個々の頑張りだと謙遜するが、周囲はそう思わない。春場所で序ノ口、名古屋場所で三段目優勝の幕下寺沢は「朝乃山関を見てああいう風になりたいと思った」と、相乗効果を口にした。

今年の朝乃山の飛躍は目覚ましかった。夏場所は12勝3敗で初優勝。新設された米大統領杯のトロフィーを、トランプ氏から受け取った。直後の名古屋場所は、初の上位総当たりで7勝8敗も、場所前には横綱白鵬のもとに出稽古。貪欲に強さを求める姿は周囲をさらに刺激し、新小結の11月九州場所で優勝次点の11勝など、結果も出した。

初の年間最多勝は、最高位が小結以下の力士としては初、関脇以下でも大鵬、貴花田に次ぐ3人目の快挙だった。初場所は三段目で朝弁慶、秋場所は序ノ口で村田が優勝。九州場所の序二段優勝決定戦で村田が敗れ、朝乃山は「勝ってれば部屋で全6場所優勝だったのに」とちゃかす。そんな和やかな雰囲気づくりができるのも「ワンチーム賞」の要因だ。【高田文太】

夏場所で優勝した朝乃山は、トランプ米大統領(中央)から「米国大統領杯」を授与された

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朝乃山が年間最多勝確定「来場所につなげたい」

琴勇輝(手前)を押し出しで破る朝乃山(撮影・栗木一考)

<大相撲九州場所>◇13日目◇21日◇福岡国際センター

小結朝乃山(25=高砂)が、新三役で2ケタ白星を挙げ、年間最多勝を確定させた。西前頭4枚目の琴勇輝を押し出し。前頭正代とともに3敗を守り、1敗白鵬のこの日の優勝を阻止した。新三役での2ケタ白星は15年春場所の照ノ富士以来、4年8カ月ぶり。大鵬、貴花田(貴乃花)らと肩を並べた。さらに最高位が小結以下の力士では初の年間最多勝。来場所の大関とりの可能性も出てきた。

   ◇   ◇   ◇

まわしを取れなくても強かった。朝乃山が突きの応酬でも、押し相撲の琴勇輝を圧倒。相手の土俵に立っても慌てず、圧力のある相手に逆に圧力をかけ続けて押し出した。「まわしは、なかなか取れないと思い、立ち遅れたけど自分から攻められた。落ち着いて取れた」。風格さえ漂わせた。

前日12日目は関脇御嶽海に完敗した。この日の朝稽古は、今場所初めて休み、御嶽海戦の残像を取り除くため、心身のリフレッシュに努めた。「昨日(御嶽海戦)は、まともにまわしを取りにいきすぎたのがダメだった」。まわしよりも、この日の琴勇輝とは13センチ差もある188センチの体格を生かして圧力をかける。結果としてリーチ差も生きる。右四つの絶対的な型を確立させつつ、柔軟に対応したことが成長の証だった。

この日で白星を2ケタに到達させた。新三役の2ケタは照ノ富士以来、4年8カ月ぶり。1場所15日制が定着した49年夏場所以降、70年間で21人目。大鵬、貴花田、白鵬らに続いた。またこの日、今年54勝目で年間最多勝も確定。残り2日連敗なら小結阿炎と並ぶ可能性はあるが、抜かれはしない。最高位が小結以下の年間最多勝は、年6場所制となった58年以降初。関脇以下としても60年の大鵬、92年の貴花田の2人しかいない。「負け越してもあきらめず7勝8敗に盛り返した」と、要因を分析した。

取組後、高島審判部長代理(元関脇高望山)は「あと2つ勝ったら面白くなるよね」と話した。断定口調ではないが、今場所12勝なら、来年1月の初場所後の大関昇進の可能性があることをにおわせた。朝乃山は優勝については自力が消滅し「考えていない」。だが「来場所のためにもつなげていきたい」と今場所12勝は意欲十分。三役での2ケタ白星で、少なくとも大関とりの起点となったのは間違いない。【高田文太】

朝乃山(左)は押し出しで琴勇輝を下す(撮影・小沢裕)

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名横綱千代の富士コレクション完成「感謝」親方夫人

千代の富士の功績をたたえた品々を集めたコレクション(撮影・寺尾博和)

昭和から平成にかけて一時代を築き、3年前に亡くなった名横綱、千代の富士(本名=秋元貢)の記念品を集めた「千代の富士コレクション」が、このほど大阪市内に完成した。

1970年(昭45)秋場所で初土俵を踏み、81年に第58代横綱に昇進する。31回の優勝は史上3位。「ウルフ」と呼ばれ、88年夏場所から53連勝を記録、89年には角界初の国民栄誉賞に輝いた。

16年7月31日に膵臓(すいぞう)がんで死去。故郷の北海道福島町には「横綱千代の山、千代の富士記念館」が存在するが、大阪のギャラリーは現在、非公開とされている。

相撲人生の収集品を管理するオーナーは、後の九重貢親方と数十年来の付き合い。12日に初日を迎える大相撲夏場所を前に、今回は特別に入場が許され、その門をくぐることができた。

「ゴルフや釣りなどにも興じる仲でした。小兵でしたが豪快な上手投げでファンを魅了した横綱の功績をなんらかの形で残したいと思いました」

それは、まるで“宝石箱”のような空間だった。大きな優勝額、プライベート写真など秘蔵の品々が多数そろっていた。昭和を代表する歌手・美空ひばりから届いた手紙のコピーもディスプレーされている。

親方夫人として支えた秋元久美子さんは「まさかあのような立派なものができるとは思っていなくて、驚きと、そして家族としても感謝しています」と話した。

若い頃は体重100キロに満たず、横綱昇進は26歳の遅咲きだった。幾度も肩を脱臼した「小さな大横綱」は、強靱(きょうじん)な精神力で、90年史上初の通算1000勝に到達し、試練を乗り越えていった。

「今の時代にはそぐわないかもしれません。でも親方の時代は厳しいのが当たり前で、本人からは聞いていませんが、よく泣いていたとうかがっていました」

91年夏場所で当時18歳の貴花田に敗れ、同場所限りで引退。記者会見では「体力の限界」と言って涙を流し、21年に及んだ土俵人生に幕を下ろした。

どの世界でも課題とされる人材育成。久美子さんは「親方は『最近の若い子はがむしゃらさが足りない』とこぼしていました。『稽古はつらくていやだろうけど、でも稽古しかないんだよなぁ』といつも話していました」と懐かしんだ。【編集委員・寺尾博和】

千代の富士の功績をたたえた記念品を収集したコレクション入口(撮影・寺尾博和)
千代の富士コレクション内にある美空ひばりからの手紙(撮影・寺尾博和)

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社会現象に…大相撲を世にしらしめた「若貴ブーム」

92年1月27日付日刊スポーツ東京最終版

<平成とは・大相撲編(1)>

平成は「若貴時代」とともに始まった。大横綱千代の富士が君臨していた大相撲界に、新時代を担う宿命を背負った兄弟力士が登場した。若花田(のちの若乃花)と貴花田(のちの貴乃花)。父は元大関貴ノ花で、期待にたがわず番付を駆け上がり、日本中を熱狂させた。「平成とは」大相撲編(3回)の第1回は、社会現象となった「若貴ブーム」を振り返る。

   ◇   ◇   ◇  

平成4年(1992年)1月26日午後5時。固唾(かたず)をのんで土俵に注目していた日本中が、その瞬間に沸き上がった。

大相撲初場所千秋楽。東前頭2枚目の貴花田は三杉里を寄り切り、14勝1敗で初優勝を飾った。19歳5カ月、史上最年少の幕内優勝。この場所、日刊スポーツ(東京版)は15日間、1面をすべて相撲で貫いた。歴史的快挙は号外で報じた。日刊スポーツの号外発行は77年11月22日、江川卓の「クラウンライターが1位指名」以来だった。

若貴兄弟は88年春場所、初土俵を踏んだ。「プリンス」と呼ばれ、人気だった元大関貴ノ花の2人息子。入門した時点で人気と角界の未来を担う宿命だった。ともに順調に番付を駆け上がる。特に貴花田は89年九州場所で17歳2カ月の新十両、90年夏場所で17歳8カ月の新入幕と次々最年少記録を更新。甘く精悍(せいかん)な見た目で強い。人気は必然だった。

時代が求めていた。大横綱千代の富士が長らく頂点に君臨する角界は、人気が停滞していた。そこに登場したのが父貴ノ花、おじに元横綱初代若乃花を持つ期待の兄弟。加えて「弟を守るために入門した」という若花田との兄弟愛。名門一家の物語は性別、世代を超えて人の心を引きつけた。91年春場所の貴花田対小錦の瞬間最高視聴率は驚異の52・2%(ビデオリサーチ調べ)。主婦層がターゲットのワイドショーも連日、兄弟を追いかけた。

社会現象ともいえるフィーバーは貴花田の初優勝後、さらに過熱した。92年春場所前。大阪入りする際は羽田空港でタクシーを機体に横付けし、到着した大阪空港ではVIP出口から脱出した。東大阪市の宿舎はひと目見ようと連日、ファンが取り巻く。狭い道路脇に最高500人。巻き込まれた高齢女性が転倒し、骨折する事故も起きた。そんな周囲を冷静に見つめた若花田は「昨年(の春場所で)、光司が11連勝してからパニックが始まったんだよな。俺も表に出られないかな」とつぶやいたという。

不器用で表現が下手な弟と器用で明るい兄の構図も、分かりやすかった。フィーバーの最中、しゃべりが苦手な弟を守るべく若花田は「俺が全部対応する」とマスコミの前に立った。ただ、貴花田は自身の人気に無頓着だった。当時を取材していた記者が述懐する。

「買い物に付き合ったこともあったが、ワーワーされてもまるで気にしない。こっちがひやひやするぐらいだった。プライベートでは付け人をつけなかった。『自分の召し使いじゃない』と。(関取になった)当時は17、18歳だったけど、芯はしっかりしていた」

順調な出世はただ、天分に恵まれただけではなかった。貴花田の新十両昇進時、「今までで一番後悔していること」の質問に「(明大中野)中学時代、クラスのいじめられっ子を助けられなかったこと」と返した。そんな卓越した精神面に、見る人が「殺し合いかと思うぐらい」の猛稽古。裏側には血へどを吐くほどの壮絶な努力があった。

新弟子検査に史上最多160人が殺到したのも92年春場所。貴花田は同年11月に女優宮沢りえとの婚約、そして年明けに破局。常に話題の、時代の中心にいた。そんな立場に置かれた状況を横綱になった貴乃花に聞いたことがある。

「孤独なもんです」

89年九州場所11日目から始まった史上最長の大入り満員は97年夏場所2日目、666日でストップした。「兄弟絶縁」や「洗脳騒動」。土俵外に注目は移り、貴乃花は孤立感を深めていった。親方としても。

平成最後の年、兄弟2人とも日本相撲協会を去っている。賭博、暴力問題に大揺れした国技も今、人気は隆盛を誇る。ただ「若貴」のような強烈な個は現れていない。平成の世に一時代を築いた。「大相撲」を幅広く知らしめたのは、何よりの功績。その土台があって、大相撲は令和の新時代を迎える。(敬称略)【実藤健一】

91年6月、消防訓練後に兄・若花田(右)とポーズをとる貴花田

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白鵬、右上腕負傷 新元号場所での連続優勝へ暗雲

優勝インタビューを終えた白鵬は取組で痛めた右腕を押さえて苦悶(くもん)の表情を見せる(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、歴代最多を更新する42度目の優勝で、平成最後の本場所を締めた。

鶴竜との横綱対決を下手投げで制して15連勝。最後まで1敗の平幕逸ノ城に追いつかれることなく、いずれも歴代1位の15度目の全勝優勝、初優勝の06年夏場所から続く14年連続優勝を達成した。だが1分2秒5にも及ぶ大相撲で、右上腕を負傷。目標としていた、新元号最初の夏場所での連続優勝には早くも暗雲が垂れこめた。

平成最後の本場所を明るく終えようと、白鵬は優勝インタビューで観衆に三本締めを促した。大団円のはずが、三本締めから拍手に変わると顔をしかめた。右上腕の痛みは限界だった。インタビューに向かう前、取組直後の支度部屋では、アイシングしながら「アーッ」と、何度も叫んだ。

鶴竜との取組は大相撲となった。得意の右四つに巻き替え、寄っては戻され1分超。最後は寄りからの下手投げで仕留めたが、すでに右上腕は悲鳴を上げていた。痛めたのは「最初」だという。それでも踏ん張れたのは常々話す「平成に育てられた」という感謝の思い。野球賭博問題の影響から、10年名古屋場所は全勝優勝したが、賜杯を辞退していたため、受け取れずに涙を流した。その後、天皇陛下から手紙をいただいたことが「1番の思い出」と、18年間の力士人生を振り返る。だからこそ平成最後の場所は譲れなかった。

今場所は場所前から、元横綱千代の富士を意識した言動が目立った。貴景勝の大関とりには「ちょっと邪魔してやろうかな」と、千代の富士が貴花田(元横綱貴乃花)からの初挑戦前に発したコメントを引用。昭和最後の本場所となった88年九州場所を制した「昭和の大横綱」を意識した。千代の富士の最後の優勝は35歳5カ月。「これを超える時は東京五輪の後」と、1年半後を見据えている。

長く現役を続けるため、昨年11月には3年連続3度目の断食を行った。期間は3日間。京都市にある杏林予防医学研究所の山田豊文所長によると「食物の摂取を続けていくと、細胞に消化できないタンパク質がたまりダメージを与えてしまう。それが老化」という。細胞を休ませ、若返りを図って“老い”と戦う。千代の富士は30代としては最多の5度全勝優勝したが、白鵬も今回で4度目と迫る。

右上腕の負傷は今後、精密検査などを受ける見込みだ。平成最後と同時に、新元号最初の本場所優勝も目標に掲げたが、現状では出場も微妙。支度部屋を出る際に白鵬は「無理したね」と、視線を落とした。「平成最後の優勝」の代償は大きかった。【高田文太】

大相撲春場所千秋楽 全勝で優勝を決めた白鵬は応援に駆けつけたサッカーJ1神戸のポドルスキと笑顔で写真撮影(撮影・奥田泰也)
優勝祝勝会で笑顔を見せる白鵬(撮影・上田博志)

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白鵬、封印中のかち上げ解禁で貴景勝ぶん投げカベに

立ち会いで貴景勝(右)をかち上げる白鵬

<大相撲春場所>◇11日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、気迫を前面に出して大関とりの関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)を寄せ付けなかった。横綱審議委員会(横審)からの苦言で、一昨年11月の九州場所を最後に、封印していたかち上げを解禁し、厳しく攻めた。負ければ世代交代を印象づける一番を豪快な上手投げで仕留め、全勝キープ。1敗は平幕の逸ノ城1人となり、42度目の優勝へ近づいた。

約1年4カ月ぶりに、白鵬が“伝家の宝刀”を抜いた。貴景勝の立ち合いの圧力を軽減させつつ、攻めの姿勢を貫くため、かち上げを解禁した。狙い通りに出はなをくじくと、相手得意の突き、押しにも冷静に対応。最後は得意の右四つから左上手投げで仕留めた。かち上げは横審に「美しくない」と苦言を呈された、左を張ってからの連続技ではない。胸から首もとを的確に狙った攻守一体、正統派の技で、その後の横綱相撲と合わせて一蹴。大きく息を吐く気迫全開で、次世代の扉を開かせなかった。

激しい内容にも「じっくりと見ていった。若いころは、あんな稽古をしていたけど激しいとは思わない」と、当然とばかりに胸を張った。1月の初場所では御嶽海、玉鷲、貴景勝に3連敗して14日目に途中休場。今場所は9日目から同じ順番で3人と対戦し、全員への雪辱が完了。「昨日は昨日、今日は今日。そして明日は明日」と、一番ごとの積み重ねと強調していた。

とはいえ今月5日には、二所ノ関一門の連合稽古に一門外から参加し、貴景勝を真っ先に指名した。17勝1敗と圧倒すると、玉鷲にも無傷の11連勝。雪辱への準備に余念はなかった。

今場所の新番付発表直後の2月末には、大関とりの貴景勝に対し「ちょっと邪魔してやろうかな」と、カベになることを宣言していた。実はこの言葉、元横綱千代の富士が、貴花田(後の元横綱貴乃花)との初対戦前に使ったもの。世代交代を許さない決意表明だったが、現実には千代の富士は敗れて引退。白鵬はその結末までは知らなかったが「有言実行だね」と不敵に笑う。平成最後の本場所でなお「白鵬時代」の盤石ぶりを示した。【高田文太】

貴景勝を破り、懸賞金を手にする白鵬(撮影・河田真司)
白鵬(手前)に上手投げで敗れる貴景勝(撮影・河田真司)

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白鵬「激しいと思わない」かち上げ解禁で貴景勝下す

貴景勝を上手投げで下し懸賞金を手にする白鵬(撮影・清水貴仁)

<大相撲春場所>◇11日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

横綱白鵬(34=宮城野)が、気迫を前面に出して大関とりの関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)を寄せ付けなかった。横綱審議委員会(横審)からの苦言で、一昨年11月の九州場所を最後に、封印していたかち上げを解禁し、厳しく攻めた。負ければ世代交代を印象づける一番を豪快な上手投げで仕留め、全勝キープ。1敗は平幕の逸ノ城1人となり、42度目の優勝へ近づいた。

  ◇  ◇  ◇

約1年4カ月ぶりに、白鵬が“伝家の宝刀”を抜いた。貴景勝の立ち合いの圧力を軽減させつつ、攻めの姿勢を貫くため、かち上げを解禁した。狙い通りに出はなをくじくと、相手得意の突き、押しにも冷静に対応。最後は得意の右四つから左上手投げで仕留めた。かち上げは横審に「美しくない」と苦言を呈された、左を張ってからの連続技ではない。胸から首もとを的確に狙った攻守一体、正統派の技で、その後の横綱相撲と合わせて一蹴。大きく息を吐く気迫全開で、次世代の扉を開かせなかった。

激しい内容にも「じっくりと見ていった。若いころは、あんな稽古をしていたけど激しいとは思わない」と、当然とばかりに胸を張った。1月の初場所では御嶽海、玉鷲、貴景勝に3連敗して14日目に途中休場。今場所は9日目から同じ順番で3人と対戦し、全員への雪辱が完了。「昨日は昨日、今日は今日。そして明日は明日」と、一番ごとの積み重ねと強調していた。

とはいえ今月5日には、二所ノ関一門の連合稽古に一門外から参加し、貴景勝を真っ先に指名した。17勝1敗と圧倒すると、玉鷲にも無傷の11連勝。雪辱への準備に余念はなかった。

今場所の新番付発表直後の2月末には、大関とりの貴景勝に対し「ちょっと邪魔してやろうかな」と、カベになることを宣言していた。実はこの言葉、元横綱千代の富士が、貴花田(後の元横綱貴乃花)との初対戦前に使ったもの。世代交代を許さない決意表明だったが、現実には千代の富士は敗れて引退。白鵬はその結末までは知らなかったが「有言実行だね」と不敵に笑う。平成最後の本場所でなお「白鵬時代」の盤石ぶりを示した。【高田文太】

白鵬(手前)に上手投げで敗れる貴景勝(撮影・河田真司)

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珍事?兄弟関取が十両に3組 過去には横綱貴乃花も

若花田(左、後の横綱3代目若乃花)と貴花田(後の横綱貴乃花)(92年9月29日撮影)

史上20組目の兄弟関取が誕生した。日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で春場所(3月10日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を開き、若元春(25=荒汐)の新十両を決めた。荒汐部屋「大波3兄弟」の次男で、三男の若隆景(24)に続く昇進。

◆兄弟関取メモ 来場所は兄弟関取が十両に3組もいる珍しい事態となりそうだ。十両28人の中に新昇進の若元春と弟の若隆景、再十両の貴ノ富士と双子の弟貴源治、さらに英乃海と翔猿の兄弟が名を連ねる見込みだ。過去には1991年九州場所から6場所にわたって、若花田(後の横綱3代目若乃花)と貴花田(後の横綱貴乃花)、逆鉾と寺尾、小城ノ花と小城錦の兄弟関取3組が幕内と十両にいた例がある。兄弟幕内は史上10組いて、兄弟横綱は「若貴兄弟」しかいない。

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引退の稀勢の里「いつも稽古場で自問自答」一問一答

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

-引退を決断しての今の心境は

「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」

-今頭に思い浮かぶのは何か

「たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出します」

-昨日相撲を取り終えて引退を決意するまで心の動きは

「やり切ったという気持ちが最初にありました」

-17年間の土俵人生はどんな土俵人生だったか

「いろいろな方に支えられて、僕1人ではここまで来られなかったと思います」

-一番心に残っているのは

「ありすぎてなかなか思い出せませんが、やはり稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出は今でも覚えています」

-今場所はどんな気持ちで土俵に上がったか

「覚悟を持って場所前から稽古しました。自分の中で「これでダメなら」という気持ちになるぐらい稽古しました。その結果、初日から3連敗して自分の中では悔いはありません」

-2年前の新横綱の場所で負傷した時の状況は

「一生懸命やってきましたから」

-相当大けがだったのか

「そうですね」

-2年たって回復具合はどうか

「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前の自分に戻すことはできなかったです」

-ケガとの闘いの中でどういう思いで横綱を務めたのか

「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました」

-厳しい先代からの教えで心に残っているのは

「稽古場というのは非常に大事とおっしゃっていました。今後、次世代の力士にも大事さを教えていきたいです」

-天国で見守る先代にはどう報告するのか

「素直に感謝の気持ちを伝えたいです」

-思い出の一番は

「17年、横綱昇進を決めた後の千秋楽横綱白鵬関との一番です。11年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちがありました」

-高安に声をかけるとしたら

「もう1つ上がありますから。まだまだこれから」

-横綱になって変わった部分は

「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境も変わりました。意識の部分もそうですし、環境の部分もそうですし」

-モンゴル出身力士に対する思いは

「自分を成長させてもらった。横綱朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱にかわいがってもらった。背中を追っかけて少しでも強くなりたいという思いで稽古しました。上に上がれない時も、日馬富士関から非常にいいアドバイスを頂いたのを覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです」

-今後どういう力士を育てたいか

「一生懸命相撲を取る力士、そしてケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

-これまでで忘れられない瞬間は

「天皇賜杯を抱いた時です」

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。02年春場所初土俵、04年夏場所に17歳9カ月で新十両。同年九州場所に18歳3カ月で新入幕はともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ史上2位の年少昇進記録。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所で大関に昇進。16年九州場所で12勝を挙げて自身12度目の優勝次点となり、在位31場所目の翌17年初場所で初優勝。第72代横綱となった同年春場所で2場所連続優勝を飾るも、翌場所から8場所連続休場。18年秋場所で10勝を挙げ皆勤も、その後、不戦勝を除き3場所にわたる8連敗で引退を決意。得意は突き、押し、左四つ。殊勲賞5回、敢闘賞3回。金星3個。通算800勝496敗。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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「貴&りえ」表面化も笑顔 言動の影響力には無頓着

日本相撲協会に引退届を提出し、神妙な面持ちで会見に臨む貴乃花親方(撮影・垰建太)

<とっておきメモ>

大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日、日本相撲協会に退職の届け出を提出したことを明らかにした。

 ◇  ◇  ◇

昨年10月20日、大阪・枚方巡業でのこと。当時、巡業部長だった貴乃花親方に「ちょっと話をしよう」と誘われ会場の体育館を出た。約1時間、熱弁を振るったのは、その2日後に控えた第48回衆院選の話題。「巨大勢力に立ち向かうって、すごいエネルギーがいるんだよね。俺はさあ…」と支持政党名は伏せるが、安倍自民党に対抗する野党の奮闘を熱っぽく話していた。協会内における自分の立ち位置と重ねていたのだろう。巡業と重なり期日前投票に行けないことにも、不満を抱いていた。世間一般と相撲界との背離を痛感すればするほど、反発力は増していったと思う。

それから1週間しないうちに貴ノ岩が被害者となる暴行事件が起きた。体制派に対するエネルギーが爆発したのは想像に難くない。騒動が勃発した九州場所中に電話で呼び出された際も「今は警察に全てを委ねているから話せないんだよ。話せ話せ、と言われてもこれだけは…。でも弟子だけは絶対に守りたい」と硬い表情で話す姿が印象深い。

善しあしは別に、自分の言動が与える影響力には無頓着だ。もう26年も前。当時の貴花田と宮沢りえの婚約が突如、表面化した。報道の引き金を引いたこともあり翌朝、事情説明に行くと「いいんだよ。むしろ早くマスコミに出て気が楽になったよ。隠れてコソコソって苦しかったから」と笑った。列島をフィーバーに巻き込んだ、まだ10代の頃からそうだった。そして今回の突然の辞職劇も同じ。周囲の騒ぎほど、本人はドラスチックにとらえていないはずだ。

ただ、やはり世渡りはうまくない。こうと決めたら一直線に走ってしまう。力士の転属を、この日の昼に突然、千賀ノ浦親方に伝えたという。現役時代は無鉄砲でも、将来の理事長候補として期待される師匠であれば、少し立ち止まって熟慮することが出来なかったか。残念でならない。目もくれず体制派に立ち向かう-。そんな一本気な性格にファンは魅力を感じるのだろうが、そのファンも置き去りにされてしまうほどの辞任劇だった。【渡辺佳彦】

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92年10月 宮沢りえと婚約発表/貴乃花光司年表

91年5月、初日に千代の富士を破る

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。

<貴乃花光司年表>

◆1972年(昭47) 杉並区阿佐谷生まれ。

◆83年 小学5年でわんぱく相撲の全国大会優勝。

◆85年 明大中野中に進学。

◆88年2月 兄勝とともに父の藤島部屋に入門。

◆88年3月 貴花田のしこ名で春場所で初土俵。

◆89年3月 春場所で序の口東11枚目で5勝2敗

◆89年5月 幕下東48枚目で7戦全勝で優勝。16歳9カ月での幕下優勝は史上最年少。

◆90年3月 春場所は西十両3枚目で臨み9勝6敗。場所後に17歳8カ月での新入幕昇進を果たした。

◆91年3月 春場所東前頭13枚目で初日から27年ぶりの11連勝。敢闘賞、技能賞のダブル受賞を果たす。

◆91年5月 夏場所では西前頭筆頭まで番付を上げ、初日に横綱千代の富士と対戦し、18歳9カ月での史上最年少金星を獲得。

◆92年1月 初場所は東前頭2枚目。14勝1敗の好成績で初優勝。

◆92年10月 秋場所後に女優宮沢りえとの婚約発表。世紀のカップル誕生は社会現象となった。

◆93年1月 東関脇で迎えた初場所は11勝4敗。20歳5カ月で大関昇進を果たし、その直後にしこ名を貴花田から父親と同じ貴ノ花に改名。また、宮沢りえとの破局が明らかになった。

◆94年9月 西大関として初の全勝優勝。場所後に貴ノ花から貴乃花に改名した。

◆94年11月 九州場所で2度目の全勝優勝。秋場所初日から30連勝で、第65代横綱に昇進。11月23日の昇進伝達式では「不撓(ふとう)不屈」(大関昇進時も使用)「不惜身命」の4文字熟語で横綱昇進への決意を示した。

◆95年5月 元フジテレビアナウンサーの河野景子と結婚。同年9月に長男優一氏が誕生。

◆01年5月 初日から13連勝も14日目の大関武双山戦で右膝半月板損傷の大けが。千秋楽に完敗し、決定戦で武蔵丸を上手投げで破り優勝、表彰式で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」の名文句が飛び出した。

◆03年1月 最後の場所となった初場所、4勝4敗1休で、30歳5カ月で相撲人生にピリオドを打った。

◆04年6月 正式に二子山部屋を継承。名前は貴乃花部屋に変更した。

◆05年5月 父の二子山親方(元大関貴ノ花)が口腔底がんのため死去。

◆10年1月 初場所後の理事選に立候補することを表明。二所ノ関一門を離脱してまで単独で立候補する貴乃花親方の行動は一門の枠を超えて親方衆に影響を与え、落選必至と言われた中で当選を果たし「貴の乱」と言われた。

◆10年5月 貴乃花グループと呼ばれていた派閥は「貴乃花一門」に。

◆16年1月 初場所後の理事選で4選を果たし、理事長選に出馬も6対2で現在の八角理事長に完敗。

◆18年6月 貴乃花一門は、貴乃花親方が離脱したため消滅。

◆18年9月 25日に相撲界からの引退を発表。

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん
花田家の家系図

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さらば貴親方…優勝22度/名場面を写真で振り返る

さらば貴乃花親方-

大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日、日本相撲協会に退職届を提出後、都内で引退記者会見。「私貴乃花光司は、年寄を引退する旨の届けを提出いたしました」。幕内最高優勝22度。千代の富士や曙らと数々の名勝負を演じ「若貴ブーム」で一世を風靡(ふうび)するなど、角界の発展に大きく貢献してきた貴乃花親方の足跡を写真で振り返る。

82年2月 藤島部屋鏡開き

82年2月、藤島部屋土俵開きで。藤島親方、母憲子さん、長男勝君(右端)と

82年2月 制服姿で角界入りあいさつ

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん

88年3月、一番出世で兄若花田と

88年3月、一番出世で若花田(左)と

88年3月、3戦全勝で一番出世を決めた若花田(左)貴花田(右)兄弟と父藤島親方

88年3月、3戦全勝で一番出世を決めた若花田(左)、貴花田(右)兄弟と父藤島親方

88年5月、夏場所で曙と

88年5月、夏場所で曙(左)と

91年5月、初日に横綱千代の富士を撃破

91年5月、初日に千代の富士を破る

貴花田に敗れる千代の富士(91年5月)

92年1月、初優勝で二子山理事長から賜杯受ける

92年1月、初優勝で二子山理事長から賜杯をうける

92年1月、19歳5カ月の史上最年少で初Vでパレード

92年1月、19歳5カ月の史上最年少で初優勝を飾りパレードに出発する貴花田(右)。左は若花田

93年1月、大関昇進

93年1月、大関昇進で

94年11月、横綱昇進、口上は「不撓不屈」

94年11月23日、横綱昇進で口上を述べる貴乃花(中央)

01年5月、優勝決定戦で武蔵丸を破り鬼の形相

01年5月、優勝決定戦で武蔵丸(左)を上手投げで破り鬼の形相

01年5月、小泉純一郎首相も貴乃花の相撲に「感動した!」

01年5月、「感動した!」。貴乃花(左)に内閣総理大臣杯を手渡す小泉純一郎首相

03年1月、最後の取組相手は安美錦

安美錦(左)に右腕を取られた貴乃花は、背後に回られ送り出され3敗目を喫する

03年1月、現役引退を発表

引退会見であいさつする貴乃花。左は二子山親方

03年6月、師匠であり実父である二子山親方の止めばさみを受ける

貴乃花親方(中央)は師匠であり実父である二子山親方(元大関・貴ノ花)の止めばさみを受ける(03年6月1日)

16年3月、横綱審議委員会で厳しい表情

16年3月、横綱審議委員会で隣の席に着く貴乃花理事(右)と八角理事長

18年1月31日、貴公俊の新十両昇進会見で満面の笑み

18年1月31日、貴公俊(左)の新十両昇進会見で

18年9月25日、引退記者に臨む貴乃花親方

日本相撲協会に退職届を提出し引退記者に臨む貴乃花親方(撮影・小沢裕)

18年9月25日、さらば貴乃花親方…

会見を終え、大勢のカメラマンが待ち受ける中、引き揚げる貴乃花親方(撮影・垰建太)

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豊ノ島「言うことない」親子2代対決制し勝ち越し

豊ノ島(2017年1月22日撮影)

<大相撲春場所>◇10日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

 関脇経験者で西幕下35枚目の豊ノ島(34=時津風)が、今場所の5番相撲で“親子2代対決”を制し勝ち越しを決めた。

 元関脇琴ノ若の佐渡ケ嶽親方(49)の息子で、西幕下36枚目の琴鎌谷(20=佐渡ケ嶽)と対戦。一回り以上も年下と若い相手に、左を差すと一気に土俵を走り、寄り切りで快勝。黒星発進からの4連勝で、2場所ぶりの勝ち越しを決めた。

 会心の相撲に「言うことない。体の寄せ方も良かったし、3連勝した相撲が良かったから前に出る相撲を心がけました」と振り返った。稽古場では幕内力士の正代(26)を一気に出すこともあり「正代を持って行けて、幕下力士を持っていけないことはない」と稽古場の自信を、そのまま本場所の土俵で示した。

 今から約13年前の05年秋場所。十両時代の豊ノ島は幕内の琴ノ若と初対戦。押し出しで破ると、翌11月の九州場所9日目には幕内初対戦。この時も寄り切りで勝ち、琴ノ若はこの場所を最後に引退した。その博多に当時、小学生だった琴鎌谷の鎌谷将且少年も訪れ、13日目の父最後の相撲を目に焼き付けた。

 当時、小学生だったその琴鎌谷と、約13年の時を経てプロの土俵で対戦。かつて横綱千代の富士が、大関貴ノ花とその息子の貴花田(後の横綱貴乃花)と“親子2代対決”したように、豊ノ島も時代の流れを実感。「年数を長くやっている感覚を、よけいに感じました。親子と対戦するというのは、それだけ長くやっているというね。まあ、親方に勝っていて息子に負けるわけにはいかないからね」と勝ち越しの喜びも込めた笑みを浮かべていた。

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白鵬、激震場所で40度目V よぎった10年野球賭博

遠藤をのど輪で攻める白鵬(撮影・岡本肇)

<大相撲九州場所>◇14日目◇25日◇福岡国際センター

 横綱白鵬(32=宮城野)が、前人未到の40回目の優勝を果たした。自身の取組前に、1差で追いかけていた平幕の隠岐の海と北勝富士が負け、勝てば優勝の結びの一番で、東前頭9枚目遠藤を押し出しで下した。全休明けからの優勝は、15年九州場所の横綱日馬富士以来16回目。その日馬富士の暴行問題発覚で揺れた九州場所を、横綱陣で唯一出場している白鵬がきっちりと締めた。

 06年夏場所で初優勝してから11年。誰も手が届かなかった大台40回目の優勝を果たした。支度部屋で白鵬は、両手でピースサインを作り「40」を表現。大記録に「想像できなかった」としんみり。「言葉にならないぐらいうれしいですね」とかみしめた。

 特別な思いがあった。序盤に発覚した日馬富士の暴行問題。当時現場にいた白鵬は、土俵の外でも注目の的になった。以降、福岡・篠栗町のある宿舎の前には、ビール瓶ケースを使用し「一般見学・取材禁止」の紙が張られた手製のバリケードが置かれた。解除したのは、当時の証言をした際の1度だけ。厳戒ムードが漂った。重なったのは、10年の野球賭博問題だった。「7年前に大変な場所を経験した。またこういうことがないようにと思っていたけど…。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。ファンが温かい声援をくれて本当にありがたいと思った」。優勝の喜びよりも、謝罪と感謝の気持ちがあふれていた。

 全休明けから復活を果たした。昨年、秋場所で全休した時に初めて行った断食を、昨年よりも1日長い4日間行った。サポートした杏林予防医学研究所の山田豊文所長は「肌のツヤも、動きもさらに良くなった。優勝は間違いない」と太鼓判を押していた。山田氏の言葉通り、強烈な右のかち上げで遠藤をよろめかせて、一気に押し出した。

 春場所を休場した時に、後援会関係者から言われた言葉が脳裏にあった。「『30回優勝は3人いるけど、40回は誰もいない』と言われた。体が熱くなった。その方に電話で報告したいね」。満足感たっぷりの表情を見せた。

 11日目の嘉風戦で敗れた際に不服の態度を示し、翌日に審判部から厳重注意を受けたが、何とか持ち直した。自身も周辺を騒がせた今場所。「明日のことは明日。今日はおいしい物を食べてゆっくりしたい」と表情からは疲れが見えた。土俵上では横綱の責任を果たしたが、千秋楽後には日馬富士の暴行問題についての聴取があるなど、息つく暇もない。優勝の余韻に浸るには、まだ早い。【佐々木隆史】

 ◆白鵬の年間最多勝 55勝目を挙げて、2年ぶり10度目の年間最多勝を単独で確定。千秋楽で勝っても、92年の貴花田の60勝を下回り、年6場所制となった68年以降で最少の年間最多勝となる。また、今年は計25休で、96年の貴乃花の15休(70勝)を上回る最多休場日数での1位。2場所休場した力士の年間最多勝は、67年の大鵬以来2人目となった。

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若乃花、引退を表明「体力を補う気力が…」/復刻

2000年3月17日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2000年3月17日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月17日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)は横綱若乃花の引退表明でした。

 ◇ ◇ ◇

<大相撲春場所>◇5日目◇2000年3月16日◇大阪府立体育会館

 横綱若乃花(29=二子山)が引退を表明した。進退をかけて臨んだ大相撲春場所5日目、明大中野高の後輩・関脇栃東(23)に押し出されて3敗目。取組後、東大阪市の宿舎に戻り師匠の二子山親方(50=元大関貴ノ花)に「体力を補う気力が限界に達しました」と引退の意向を伝え、承諾された。今日17日、日本相撲協会に引退届を提出する。横綱在位11場所は史上9位の短命だが「お兄ちゃん」のキャラクターでファンに愛された横綱。大相撲人気を支えてきた功労者が、丸12年の土俵生活に別れを告げた。

 最後の相撲も、雨の日だった。初優勝を飾った1993年(平5)春場所、史上初の兄弟横綱を決めた98年夏場所千秋楽、その場所後の奉納土俵入り、いつも雨だった。この日も未明から春の雨。88年(昭63)2月21日、貴乃花とともに入門して4408日目、雨に送られて第66代横綱若乃花は土俵に別れを告げた。

 らしい散り際だった。前日4日目、玉春日戦に死力を尽くして勝ち、この日につないだ。慕われてきた栃東に結果的に渡された引導。「強くなったか? うん、うれしかった」。後輩の成長を肌に染み込ませ、心の区切りをつけた。

 取組後の支度部屋では「ここまできたら怖いものはない。やれるところまでやります」と話していた。だが、宿舎に向かう車中で冷静に限界を悟ったという。「体力を補う気力が限界に達しました」と師匠に伝えた。宿舎で行われた会見。「全く悔いはない」。若乃花にはひと粒の涙もなかった。

 横綱ではケガとの闘いだった。横綱在位11場所は昭和以降歴代9位の短命、29歳2カ月の年齢は6位の若年。11場所中休場5場所、横綱昇進後の優勝ゼロは7人目となる。だがそんな記録よりも、記憶に残る横綱だった。

 今場所、連日館内を手拍子が包んだ。憎らしいほど強いのが今までの横綱像だったが、勝負をあきらめない執念の相撲がファンに愛された。

 最高の思い出を「兄弟で横綱になったこと」、逆に最もつらかったことを「(95年九州場所の)兄弟での優勝決定戦」と振り返った。当初は高校卒業後に入門予定だった。だが「弟のために」と中退してともに初土俵を踏んだ。その弟から98年秋場所前に「絶縁宣言」された。若乃花は傷ついた心を隠し、じっと耐えて関係を修復した。

 耐え続ける力士人生もこれで終止符を打った。「いろいろ経験して楽しかった」。若乃花らしく明るく締めくくった。小さな体で数々のドラマを生み出してきた気力の横綱。20世紀最後の年、大相撲人気を支えた「若・貴時代」が終わった。

<若乃花と一問一答>

 若乃花 体力を補う気力が限界に達したので、本日をもって引退致します。支えてくださった方々には心から感謝致します。

 -いつ、引退を決意したか

 若 今日の取組後の帰り道で考え、こういう結果になりました。

 -夏場所復帰でも良かったのでは

 若 心の問題です。今場所前に、やるぞっという気持ちになったので。

 -後悔は

 若 やることはやった。

 -横綱としての2年間は

 若 夢の中にいるようだった。

 -一番の思い出とつらかったことは

 若 思い出は兄弟で横綱になったこと。つらかったのは兄弟での優勝決定戦。

 -思い出の一番は

 若 初優勝した大阪(93年)で曙関を破った一番。初土俵も大阪だったので「最後」も春にかけてみたかった。

 -今後は

 若 3番目の娘と優勝記念撮影できなかったのが、土俵へ残した忘れ物ですが、協会に残り、後進の指導をしたい。強い力士、一般社会でも通じる人間を育てたいです。

 ◆若乃花勝(わかのはな・まさる)本名花田勝。1971年(昭46)1月20日、東京都杉並区生まれ。88年春場所、若花田のシコ名で弟の貴乃花(当時貴花田)とともに初土俵を踏む。90年(平2)春場所新十両、同年秋場所に新入幕。93年春場所14勝1敗で初優勝。翌夏場所から若ノ花に改名、同年7月大関昇進。94年九州場所から3代目若乃花。98年5月第66代横綱に昇進し、史上初の兄弟横綱が誕生。180センチ、134キロ。得意は左四つ、寄り。通算573勝286敗124休、幕内通算487勝250敗124休。家族は美恵子夫人(31)長男将希君(4)長女瑞希ちゃん(3)二女麻美ちゃん(1)。

※記録や表記は当時のもの

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九重親方の一面、弟子と交換日記に絵文字入りメール

引退会見で涙をぬぐう千代の富士=1991年5月14日

<2016年、悼む:千代の富士(下)>

 61歳の若さで7月31日に死去した元横綱千代の富士の九重親方。担当記者が取材時の思い出とともに、その人生と人柄を振り返る。【構成=河合香】

●子供と賜杯を抱いて記念撮影の始まり

 「ウルフ」とはよく言ったものだと思う。あの鋭い眼光での観察眼には何度も驚かされた。休場中でも出稽古したが、他の力士を見て研究する見取り稽古だった。当時の稽古場ではたばこも自由で、記者は居眠りをしないようにとも思って、よくたばこを吸っていた。稽古が終わると「吸いすぎ。5本吸ったな。稽古をちゃんと見てんのか」と怒られたことがある。

 支度部屋では浴衣地の上に、大きなグリーンのタオルを羽織るのがお決まりだった。あまり汗をかいたり、体を動かしたりはしない。腕組みしてジッと構えて、テレビに目を凝らしていた。打ち出し後、ある記者に「あいつと何かあったのか?」と聞いてきたことがあった。記者の座る位置や取材の様子で、仲のいい記者がケンカしたのまで見抜いていた。

 家族思いの人でもあった。1982年(昭57)に結婚した久美子夫人は福岡生まれ。準ご当所とも言える九州場所は、81年から8連覇を含めて9度優勝。85年の最後の優勝も九州場所だった。2人の間には優、剛、梢、愛と1男3女が生まれた。子供と賜杯を抱いて記念撮影を目標にした。今では当たり前も千代の富士が始まり。89年春場所14日目に左肩脱臼で千秋楽休場も優勝し、生後1カ月の末娘を抱いて撮影した。ところが、6月に急死して名古屋場所は数珠をかけて場所入り。北勝海と史上初の同部屋決定戦を制し、供養の28度目優勝となった。

 大横綱にもその時はくる。91年夏場所初日に貴花田(のちの横綱貴乃花)に一方的に寄り切られ、3日目に貴闘力に初めてとったりで敗れた。大鵬と同じ日に引退した。貴花田戦は休場明けで118日ぶりの土俵。初顔に41勝2敗、初日は38連勝だったが完敗した。実家の神棚には空き箱が飾ってあった。上京前日にあの貴ノ花から「いい体だね。お相撲さんにならない」と声をかけられ、「頑張れ」と書いた菓子折りをもらった。その箱だった。歴史的世代交代を肌で感じた。貴ノ花から受け継いだバトンを引き継ぐ後継者が現れたと決断した。

●ウルフ・スペシャル上手投げ169勝

 引退会見では「体力の限界…」と言うと言葉に詰まって涙した。潔い引退も忘れられないが貴花田戦後のコメントが記憶に残る。「三重丸って言っておいてよ。いや、五重丸だ」。これ以上ない絶賛で、リップサービスも千代の富士の魅力の一つ。土俵から支度部屋に戻ると、湯船でコメントを考えるのが常だった。貴花田とは場所前から初対決が話題にも「マスコミはもっと騒がなきゃ」と要求。まだ力士はしゃべるなという考えがあり、しゃべりがうまくない力士が多かったが、マスコミを巧みに利用し、励みにし、楽しんでいた。

 十両以上では41手で937勝した。勝った決まり手は寄り切りが最多で391勝。これに続くのが上手投げで169勝ある。横綱になってからの上手投げは「ウルフ・スペシャル」と呼ばれた。左上手からの投げで、右手は頭を押さえつけるものだった。逆に負けは29手で373敗。最多はやはり寄り切りで131敗。次がつり出しの67敗。勝ちでもつり出しは3位の58勝。データは腕っぷしの強さとともに軽量の弱みも示していた。

 通算で1045勝を挙げて246人と対戦しているが、幕内では北の湖6勝12敗、若乃花5勝9敗、輪島1勝6敗と先輩横綱にはさすがに負け越している。他では隆の里に十両時代を含めて13勝18敗と大の苦手としていた。新十両は同時昇進で、横綱初黒星を喫するなど因縁も多い。大関時代からは8連敗し、83年年名古屋場所からは4場所連続で優勝を懸けた落日相星決戦も1勝3敗だった。ただ、隆の里は遅咲きで病気もあって短命に終わり、千代の富士時代が続くことになった。

 92年に引退相撲を終えると、13代九重親方として部屋を継いだ。8人の関取を育て、現九重親方の千代大海は大関になった。現役にはいつも厳しい口調で辛口だったが、優しい一面もあった。部屋では弟子との交換日記を欠かさず、赤ペンでアドバイスを送った。取組後には絵文字入りのメールも。ケガをすると将来を優先し、無理をさせずに休場させるのが方針だった。

 理事は3期6年務め、12年にはNO2と言える事業部長に就任した。北の湖理事長の2歳下で、次の理事長になるかと思われたが、14年の理事選で落選した。周囲からの人望がもう一つだった。北勝海を鍛えて横綱にまで引き上げたが、部屋に横綱が2人になったことから、千代の富士は大将と呼ばれた。大横綱としてずっと持ち上げられ、お山の大将になっていた。親方になってもあまり変わることなく、目線を下げることができず、支援する親方も少なかった。一方で北の湖は面倒見がよく、それができた人だった。

●初取材で「名刺はいいよ、顔が勝負」

 15年には10人目の還暦横綱土俵入りを披露した。現役時代のようにトレーニングに励み、60歳とは思えぬ肉体だった。第2の千代の富士育成への思いも新たにしていた。一大イベントを終えて人間ドックに入ると、膵臓(すいぞう)がんが見つかった。「早期発見で良かった」と喜び、その後は1滴もアルコールを口にしなかった。今年になってがんが転移して鹿児島などで治療。名古屋場所4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。ケガは乗り越えたが、病には勝てなかった。

 初めて取材した時に言われたことがある。「名刺はいいよ。顔が勝負」と。この世界は稽古場に足しげく通い、顔を覚えてもらうことが第一。今も変わらない教えだ。飲みに行く時にはきついラム酒のロンリコをしのばせ、同伴者やホステスに飲ませて楽しむようなちゃめっ気もあった。

 横綱昇進、53連勝、1000勝と日本中を3度沸かせた。一方で相次ぐケガや師匠に愛娘の死と波瀾(はらん)万丈の人生。15年に北の湖が亡くなり、千代の富士と相次ぐ大横綱の死は早すぎたが、2人を取材できたのは幸運だった。【河合香】(この項終わり)

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