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京口紘人の転機は辰吉丈一郎の直接指導/プロに聞く

17年7月、デビューからわずか1年3カ月で世界王座を獲得して喜びを爆発させる

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。ボクシングのWBA世界ライトフライ級王者京口紘人(26=ワタナベ)は、幼少期、自身の小さな体に悩んでいた。転機となったのは、ボクシングとの出会いと、伝説の世界王者辰吉丈一郎の教えだった。日本人最速の、デビューから1年3カ月で世界王者に駆け上がった男が、道を切り開いてきた原動力と、これまでの歩みを語った。【取材・構成=奥山将志】

京口の目の前には、生まれた時から「格闘技」があった。父寛さんが空手の師範。兄、姉の背中を追い、当たり前のように3歳から教えを受け始めた。だが、活躍する兄姉のようにうまくはいかなかった。「背の順」は常に先頭。小柄な体が勝利を遠のかせていた。

「兄や姉は大会で何回も優勝していたのに、自分だけ勝てなかったんです。悔しさもありましたが、子どもながらにプレッシャーがすごかった。父が先生で、兄も姉も結果を出している。『勝って当たり前』という目で見られるのがコンプレックスでしたね」

負ける相手が、自身より20センチ以上も身長の高い相手、体重が倍以上の相手だったこともあった。「フェアじゃない」-。そんな思いは、次第に大きくなっていった。運命を変えたのは、小5の時。友人の家で見た、辰吉丈一郎-薬師寺保栄のボクシングの試合だった。「階級」に分かれ、同条件の2人が激しく殴り合う姿に、胸が躍った。

「小さい頃から『同じ体重だったら負けない』っていう思いがずっとあったんです。あの試合を見た時、自分はこれで生きていくんだって思いましたね」

寛さんは、ボクシングをやりたいと頭を下げる息子の思いを理解し、条件を与えた。「中学校に入るまでに、小さい大会でもいいから優勝しろ」「ボクシングをやるなら、死ぬ気でやれ」-。京口は父の言葉に結果で応え、小6の冬、大阪帝拳ジムの門をたたいた。指導してくれたのは、きっかけをくれた辰吉本人だった。自宅から片道1時間20分の道を、週6回。約1年半続いた直接指導から、ボクサーとして生き抜く「強さ」を学び取った。

「楽しくて仕方なかったですね。教わったのは、考え方や精神的な部分。まず先に、『世界チャンピオンになりたいでは、なれない。なるって言え』って。技術的には、意外かもしれないですが、基本の繰り返しです。『歩けないやつに走れっていっても無理やろ。基本ができていないやつにフックとかアッパーを教えても意味がない』って。ジャブ、ワンツー、ディフェンス。しんどかったですが、毎日が濃厚でしたね」

進学した大商大で、積み重ねた努力が結果として表れた。4年時には主将を務め、14年の国体で優勝。16年4月にワタナベジムからプロデビューを果たすと、驚異的なスピードで階段を駆け上がった。デビューからわずか1年3カ月。8戦目で、憧れ続けてきた「世界王座」をつかみとった。

「小さい頃に『世界チャンピオンになる』って決めたから、どれだけきつくても、やめたいと思ったことは1度もないんです。サンドバッグや階段ダッシュのような、しんどい時こそ『この1日の積み重ねが、1ミリでも夢に近づいている』って自分に言い聞かせるんです。1日で何かが変わるなんてありえない。だから、目の前の結果とか小さな満足感を欲しがっても意味がないんです。頑張る理由は『世界チャンピオンになる』という目的以外にないんですから。だからこそ、世界を取った瞬間は『報われた』という思いがわき上がってきました。あれを超える感情は、この先、もうないんじゃないですかね」

世界王者になり、かつて辰吉に憧れた自身と同じように、子どもたちから憧れられる立場に変わった。26歳。2階級制覇王者として描く未来は「人の人生に影響を与えられる人間になること」。ボクシングを通して、次の世代に伝えたい思いもあるという。

「やりたいと思ったことはとことんやってほしいですね。1つのことをやり続けるのは大切ですが、それはギャンブルでもある。野球をやっていて、サッカーに興味をもったらサッカーをやった方が良いんです。やってみて、違うと思ったら戻ればいい。サッカーをやりたいという思いがある時点で、野球は中途半端なんですから。サッカーで得た感性が、野球に戻った時に生きるかもしれない。子どもの頃はいろんなことを吸収できるし、チャレンジするのが大事だと思うんです。重要なのは、チャレンジと中途半端にやるのは違うと理解すること。挫折や、スランプはチャンスでもあるんです。目の前に道がないから、横を見るじゃないですか。偶然見た道が、目的地につながっているかもしれない。子ども時代は視野を広げて、時間を有意義につかってほしいですね」

◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年(平5)11月27日、大阪府和泉市生まれ。3歳から空手を始め、12歳からボクシングへ。中1、2年時には大阪帝拳ジムで辰吉丈一郎から指導を受けた。大商大卒業後の16年4月にワタナベジムからプロデビュー。17年7月に、日本最速デビュー1年3カ月でIBF世界ミニマム級王座を獲得。2度防衛後に王座を返上。18年12月にWBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得し、2階級制覇を達成。161センチの右ボクサーファイター。

17年7月、IBF世界ミニマム級新王者となり、父寛さん、母かおりさんと笑顔で記念撮影
18年12月、辰吉丈一郎直伝の左ボディーを集めて王者を弱らせ、WBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得
19年10月、WBAスーパー世界ライトフライ級王座2度目の防衛を果たした

辰吉丈一郎の次男・寿以輝がジムワークを本格再開

練習に臨む辰吉寿以輝(撮影・実藤健一)

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(50)の次男で、日本スーパーバンタム級8位の辰吉寿以輝(23=大阪帝拳)が9日、本格的なジムワークを再開した。

昨年12月の試合で日本ランカーに勝利し、年内にタイトル戦が計画された。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ボクシングの興行は、のきなみ中止。寿以輝の14戦目、初タイトルマッチも宙に浮いたままとなっている。

寿以輝は「今年に入ってスパーリングもしていないが、モチベーションが下がることはない。(年齢的に)今が一番だとは思うが、それは先になってみないと分からない」と冷静に語った。

父の丈一郎が5月15日に節目の50歳の誕生日を迎えた。ケーキを持って祝ったという寿以輝だが、「見た目は変わらないんで。何も変わらない」。

自身も8月に24歳の誕生日を迎える。ボクサーとしては最も充実期といえるが、「あせりはない。最後に世界王者になれればいい」。いまだ見えない次戦に向けて、トレーニングを積んでいく。【実藤健一】

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裏も濃密だった辰吉対薬師寺/記者振り返るあの瞬間

94年12月、WBC世界バンタム級統一王座決定戦で激しく打ち合う辰吉丈一郎(左)と薬師寺保栄

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(45)

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

辰吉丈一郎が「勘違い君」と言えば、薬師寺保栄は「思い上がり君」と返した。ボクシングで世紀の一戦と言えば、やっぱりこれ。WBC世界バンタム級王座統一戦で、94年12月4日に名古屋で激突した。対戦前は舌戦が前代未聞の過熱ぶりで、一言で記事になった。

辰吉が前年に暫定で王座を奪回したが、当時の国内ルールでは引退の網膜剥離と判明した。薬師寺が代役で正規王座を奪取して2度防衛。その間に辰吉が海外で復帰すると、WBCから対戦指令が出され、国内復帰も特例で認められた。

因縁に中継テレビ局の違いで、両陣営とも興行権を譲らず。共催案も分裂でついに入札になると、米プロモーターのドン・キング氏も参戦する事態に。薬師寺陣営が342万ドル(約3億4200万円)とヘビー級以外の最高額で落札した。辰吉陣営は237万9999ドル、キング氏は320万1500ドルだった。

薬師寺陣営は赤字削減へ強硬手段に出た。ポスターやプログラムは薬師寺中心で辰吉は片隅。入場券1万1000人のうち辰吉陣営には3000枚だけで、グッズ販売、恒例の太鼓応援も禁止した。薬師寺陣営がファンクラブ結成に約3000人が入会したが、半分は隠れ辰吉ファンの入場券目当てだった。

薬師寺のクリハラ・トレーナーが「欠点が6つある」に、辰吉は「486個」と返した。「ヤックン(薬師寺)のダンスとキラキラの服が楽しみ。判定なら勝ちにしてあげる」と上から目線。薬師寺は「ベルトに偽物と書いて」と言い、公開練習ではあちこちサポーターやドーピング疑惑を口にし、陽動作戦も繰り広げた。

試合は辰吉が前に出るが、薬師寺が左ジャブと手数でリードした。両者とも流血。辰吉は両目を腫らせながら、終盤に反撃した。クリンチも少ない激戦も、2-0の小差判定で薬師寺の手が上がった。

1ポイント差のジャッジ1人は日本人だった。12回は唯一10-10のイーブンと採点した。残るジャッジ2人のこの回は辰吉10-9で、3人が同じだったら判定は1-0で引き分け。異議を訴える辰吉陣営もいた。

実は辰吉が左拳を痛めていたが、素直に完敗を認めた。終了ゴングが鳴ると抱き合って発言を謝り、判定が下ると薬師寺を抱き上げた。薬師寺も勝って言い返すはずが、最強だったと応えた。挑発合戦からクリーンなファイトとエンディングが脳裏に刻まれた。

両陣営の争いで笑ったのが、振込手数料をどちらが払うかでもめたこと。ファイトマネーは五分の1億7100万円で、マネジメント料33%を引いても1億1457万円。辰吉は日本人最高額となった。

薬師寺は違った。当時は試合後の報告書が公表され、2500万円と判明した。後援者のボーナスはあったが、地元での開催優先へ抑制を受け入れ、初の日本人統一戦勝者という栄冠を手にした。舞台裏も実に濃密で面白く、まさに世紀の一戦と言えた。【河合香】

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辰吉も会場も泣いた激闘/記者が振り返るあの瞬間

辰吉丈一郎(2018年4月30日撮影)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(34)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

殺されるんちゃうか。リングに立った両者を並び見て、身震いした。

97年11月22日、大阪城ホール。辰吉丈一郎(当時27=大阪帝拳)は、挑戦者として戦場に向かった。相手は20歳の王者シリモンコン・ナコントンパークビュー。当時16戦無敗、「翡翠(ひすい)の顔」と呼ばれた男前でもあり、タイの若い女性の間で人気急上昇でモデルの仕事の依頼もあった、若き英雄だった。

一方の辰吉は左目網膜裂孔、同剥離と2度の眼疾による引退危機を乗り越えるも、薬師寺との世紀の統一戦に敗れ、その後もスーパーバンタム級に上げてサラゴサに連敗と世界戦3連敗を喫していた。試合前、世界初奪取時から子どものようにかわいがってきたWBCのホセ・スライマン会長が「これ以上誇りを傷つけるな」と最後通告。大阪帝拳の吉井清会長も「負ければ次はない、最後の花道」と腹をくくっていた。

事実、辰吉の勝つイメージはわかなかった。シリモンコンはムエタイでも60戦のキャリアを誇り、辰吉を「年をとって前よりスピードがない」と年寄り扱いするなど、発言も自信に満ちていた。可能性は海外での試合キャリアと減量苦。その兆候が前日に見えた。

前日計量前の健診でシリモンコンの体温は38・2度。吉井会長は「熱が出るほどだから、胃を荒らしてるんでしょうな」と冷静に言った。陣営によると、一日中サウナにこもり、計量当日だけで1キロ近く落としたという。それまでの自信に満ちた王者の顔はどこえやら。やつれきった顔から精気は失われていた。

ところが。試合当日のシリモンコンは精気に満ちた顔に、はちきれんばかりのボディーだった。バンタム級のリミットは55・3キロだが、一晩で10キロ近く戻してきた。一方の辰吉は2キロ程度の回復で、比べて見れば、失礼を承知でいえば貧弱でしかなかった。辰吉ものちに「『でかっ』と思って二度見した」と語っている。圧倒的な体格差に「殺される」を予感した。

そんな序章から幕を開けた試合はドラマだった。「作戦通り。上を意識させてボディーを狙った」と試合後。5回に強烈な左ボディーでもん絶させてからの右ストレートでダウンを奪う。その後はシリモンコンの猛打に足がもつれる場面もあったが7回、右フックから左ボディーで再びダウン。立ち上がったところに猛ラッシュでレフェリーのリチャード・スティールが試合を止めた。辰吉が泣き、会場全体が感動で泣いた。

スポーツ記者として、その場に立ち会えて幸せと思える瞬間は少なくない。ただ、記者の立場も忘れ、涙を流すほどの場面にはそうそう出会えない。そんな経験ができた喜びは、20年以上たった今も体に刻まれている。「人生に不可能はない」と教えられた。だから辰吉というボクサーはずっと愛されている。【実藤健一】

◆試合VTR 辰吉が壮絶な打撃戦を制した。序盤から左ジャブでけん制。シリモンコンのガードが高くなって、ガラ空きになったボディーを狙い打った。5回、強烈な左ボディーがヒット。過酷な減量で動きの悪い相手に、続けざまに放った右ストレートで最初のダウンを奪った。6回に王座防衛に必死の相手に反撃されたが、ガードを下げて応戦。7回、右フックから左ボディーで2度目のダウンを奪い一気にラッシュ。1分54秒TKO勝ちした。

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コロナ禍でもぶれず、50歳辰吉丈一郎が貫く現役道

息子寿以輝の試合の観戦に訪れた丈一郎氏(2019年12月17日撮影)

元WBC世界バンタム級王者の“カリスマ”辰吉丈一郎が15日、50歳の誕生日を迎えた。09年3月にタイで試合を行ったのを最後に11年。現実的に試合を行う可能性がない今でも現役を続け、父粂二さん(享年52)と約束した「世界王者で引退」を追い求める。世間が新型コロナウイルスに苦しむ中、どんな苦境にもぶれない「浪速のジョー」の生き様は励みになる。

電話取材で辰吉は「50やからな。年とったなぁ思うし。世間的にいうたら若いかもしれんけど」。誕生日祝いについては「もう50やで。楽しみなわけないやん」と穏やかに語った。

節目を迎えても変わらない。「練習はずっとやってるよ。絶え間なく。意地を張ってるわけやなく、自分のしたいことをやってるだけ。好きやからやってるんや」。国内外を問わず今後、辰吉が試合を行える可能性はほぼない。それでも辰吉は戦い続ける。「自分の目標に向かってやっている。その答えは自分にしか分からん。自分の人生は自分のためにあるんやから」。

男手ひとつで育ててくれた父の年齢に近づいてきた。「父ちゃんとは違うしな」。ただ、粂二さんとの約束は心に刻まれたままだ。

亡くなる前の粂二さんから「(最初に当時最速の8戦目で世界王座を奪取した)リチャードソンに勝って、辞めてたらよかったんや」と何度も聞いた。決められたルール、周囲の視線や声などかまわず、己を貫く。ジョーの生き様はやはり格好いい。【実藤健一】

◆辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)1970年(昭45)5月15日、岡山県倉敷市生まれ。4戦目で日本バンタム級王者、8戦目で当時日本選手最速の世界王座獲得。引退危機を乗り越えるも薬師寺との世紀の王座統一戦で判定負け。スーパーバンタム級に上げるも連敗で迎えた97年11月、バンタム級に戻してのシリモンコン戦で劇的勝利。2度防衛後、ウィラポンに敗れて陥落。1度は引退表明も撤回し、タイで2戦。戦績は20勝(14KO)7敗1分け。次男寿以輝は13勝(9KO)無敗で日本スーパーバンタム級8位。

09年3月、ノンタイトル10回戦でサーカイ(右)の右フックを顔面に浴びる辰吉丈一郎(2009年3月8日撮影)

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辰吉丈一郎50歳「世界王座とって引退」練習は継続

息子寿以輝の試合の観戦に訪れた辰吉丈一郎氏(2019年12月17日)

ボクシングの元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎が15日、50歳の誕生日を迎えた。電話取材に応じた辰吉は「50やからな。年とったなぁ思うし。世間的にいうたら若いかもしれんけど」。誕生日祝いについては「もう50やで。楽しみなわけないやん」と和やかに話した。

50歳の節目を迎えても「世界王座をとって引退」の思いは変わらず、練習を続けているという。「練習はずっとやってるよ、絶え間なく。意地を張ってるわけやなく、自分のやりたいことをやってるだけ。好きやからやっている。自分の目標に向かっている」と人生の目標はぶれていない。

54キロ契約ノンタイトル戦10回戦 辰吉丈一郎対パランチャイ・チュワタナ 勝ち名乗りを受ける辰吉丈一郎(2008年10月26日撮影)

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ハーンズ伝説のラスベガス恐怖の一撃/薬師寺の一撃

薬師寺保栄氏

<ボクシング、忘れられない一撃~2>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄氏(51=薬師寺ジム会長)の忘れられない一撃は「ラスベガス恐怖の一撃」。高校生の時に見た伝説の一戦、のちの5階級制覇王者トーマス・ハーンズ(米国)-ロベルト・デュラン(パナマ)で受けた衝撃を語った。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 84年6月15日、WBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチで王者ハーンズとWBA王者デュランが対戦した(WBAはタイトル戦を認めず王座剥奪)。「ヒットマン=殺し屋」の異名をとったハーンズと「石の拳」デュランの激突は世界中の注目を集めた。試合は序盤からハーンズが攻勢。残り約30秒、ハーンズが右の打ち下ろしでデュランのあごを打ち抜き、ダウンを奪う。立ち上がったところにラッシュで2度目のダウンもゴングに救われる。2回もハーンズがラッシュをかけ1分過ぎ、右ストレートでまたもあごを打ち抜かれたデュランが前のめりに崩れ落ちるKO負け。この右が「ラスベガス恐怖の一撃」と語られる。

◇  ◇  ◇  ◇

衝撃だったね。(享栄)高校でもうボクシングをやってたんだけど、震え上がるような右ストレートだった。いまだに忘れられないほどだよ。

あのデュランが、エッフェル塔が倒れるように、爆破されたビルが崩れ落ちるように、かな。前のめりに倒れた。今もたまに映像を見るけど、すごいシーンだったよね。

ハーンズはリーチが長くて、スピードもある。代名詞がフリッカージャブ(右構えなら左のガードを下げ腕をむちのようにしならせてスナップを利かせて打ち込む)だった。死角から強烈なのが飛んでくるから。デュランもそれで、相当にダメージを蓄積していたと思う。

リーチの長さと独特のしなやかさが必要で、日本人がまねるのは無理やね。自分もやろうとしたけど、高校のコーチに怒られた。「ガードを下げるな!」って。日本のボクシングはそれが鉄則だから。

自分の選手にも絶対教えませんよ。「ガードを下げるな!」って、同じことを言うやろね。

◆薬師寺保栄(やくしじ・やすえい)1968年(昭43)7月22日、大分・津久見市生まれ、愛知・小牧市育ち。中学3年からボクシングをはじめ、享栄高から松田ジムで87年7月にプロデビュー。91年12月にWBC世界バンタム級王座を獲得し94年12月、暫定王者辰吉丈一郎との世紀の一戦を判定で制する。95年7月、V5に失敗後、現役を引退。戦績は24勝(16KO)3敗1分け。07年に名古屋市内に薬師寺ジム開設。

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井上尚弥の第2章、真の頂へ「勝ち続けるしかない」

2019年11月7日、ボクシングWBSS世界バンタム級トーナメント 決勝 井上尚弥対ノニト・ドネア ノニト・ドネアに勝利しアリ・トロフィーを掲げる井上尚弥

ボクシングのWBA、IBF世界バンタム級統一王者井上尚弥(26=大橋)が5日、日刊スポーツの電話インタビューに応じた。

新型コロナウイルスの感染拡大により、25日(日本時間26日)に米ラスベガスで予定されていたWBO同級王者ジョンリール・カシメロ(フィリピン)との3団体統一戦が延期となり、本格的な米国進出は仕切り直しとなった。6日で、14年の世界奪取から丸6年。世界が注目する「モンスター」が、これまでの歩み、「第2章」と位置づける今後についての思いを語った。【取材・構成=奥山将志】

   ◇   ◇   ◇

新型コロナウイルスの影響で、3月17日に日本人初の3団体統一戦の延期が正式発表された。

井上 世界的な状況をみて、何となく無理なのかなと思っていたので、延期が決まった時も「これは仕方ないな」って感じでした。減量に入るギリギリのタイミングでもあったので、キャリアが浅い時期だったら、精神的に動揺したかもしれませんが、そこは20歳から世界戦を14回戦ってきた経験なのかなと思います。

現在は横浜の所属ジムにも行かず、サンドバッグなどをつるした自宅前の練習スペースを中心に調整を続けているという。

井上 試合がいつになるか分からない状況ですが、切り替えはスムーズにできています。それよりも、自分にも子どもが2人いますし、近所には90歳を超えたひいおばあちゃんも住んでいる。今はボクシングのことを過剰に考えるよりも、不要な外出を控えたり、当たり前のことをやることが大切だと思っています。

昨年末に米プロモート大手トップランク社と複数年契約を結び、今後は主戦場を米国に移す。延期となったが、その1戦目となるカシメロ戦では、軽量級では異例となる、本場ラスベガスのメインイベントを任された。キャリアの「第2章」のスタートと位置づけた重要な一戦に向け、これまで以上に高いモチベーションを保ってきた。

井上 今までは日本国内で、「世界王者」としてやってきた選手だったが、トップランクと契約し、求められてラスベガスでメインを張る。ここまできたという思いももちろんありますが、満足はしていない。ここが、自分が本当の意味で成功するか、失敗するかの分かれ目だと思っています。米国のファンを満足させる内容も求められますし、気持ちの面でもこれまでの試合とは大きく違います。日本人が立ったことがない舞台ですし、新たなステージの始まりだと思っています。

14年4月6日に初めて世界王者となり、6年がたった。「強い相手としか戦わない」と宣言して飛び込んだプロの世界。6戦目での国内最速(当時)の世界王座奪取に始まり、8戦目で名王者ナルバエスを破り2階級制覇を達成。ここまで完璧なキャリアを歩んできたように思えるが、井上自身が思い描いていたものとは違ったという。

井上 ライトフライ級で初めて世界王者になった時は、想像していたものと現実のギャップに悩んだこともありました。辰吉(丈一郎)さんとか、幼い頃に見ていた畑山(隆則)さんの時代の華やかさとは違い、世間の反応もそんなに大きくなかった。街を歩いても自分のことを知っている人の方が少なかった。実際に、1つの階級に4人も世界王者がいて、誰が強いのかも分かりにくい。ゴールだったはずが、ここではないとすぐに思いを新たにしました。

それでも、存在をアピールするための話題づくりなどには走らず、「リング上がすべて」と信念を貫き続けた。試合内容で、「世間」と闘い続けた6年間。まっすぐ進んできた先に、現在の確固たる立場がある。

井上 振り返ってみれば、ここまでくるのに時間がかかったなという印象はあります。スーパーフライ級で2階級制覇をしても、防衛戦では、名前のある相手との試合は決まらなかった。ただ、冷静にみれば、当時の自分も世界的には名前がなかったですし、「食ってもうまみがない選手」だったということ。時代とか、環境は関係なくて、ただ自分がそこまでの存在ではなかったということです。

18年にバンタム級に階級を上げたことで、流れは一変した。強豪がひしめく伝統の階級で、その名は瞬く間に世界にとどろいた。転級初戦でWBA王者マクドネルを1回TKOで破り、3階級制覇を達成。続くパヤノ戦、IBF王者ロドリゲス戦と、階級のトップ選手3人を計わずか441秒で撃破。衝撃的な試合を連発し、昨年11月には、バンタム級最強を決めるトーナメント「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ」決勝で、5階級制覇王者ドネアを破り、頂点に立った。会場のさいたまスーパーアリーナは2万2000枚のチケットが完売した。

井上 バンタム級に上げたことで、理想と現実がかみ合い、求めてきた戦いができるようになったと思っています。減量でパフォーマンスが落ちることもないですし、今は誰もが納得する相手と戦えることが楽しいですし、うれしいです。

ドネア戦は、全米ボクシング記者協会の年間最高試合に選ばれ、世界にその名をとどろかせた。米国で最も権威ある専門誌「ザ・リング」認定のパウンド・フォー・パウンド(PFP=階級を超越した最強ランキング)で最高3位に入るなど、世界の中心選手の仲間入りを果たした。

井上 PFPの存在は大きいですね。そのランクに入っていることで、同じ階級の選手だけでなくロマチェンコ、クロフォードといったPFPの前後の選手とも比較される。だからこそ、変な試合はできない。もっと上を目指さないといけないと思いますし、自分の意識を変えることにもつながっています。

階段を駆け上がり続けても、「強くなりたい」という思いは揺るがない。

井上 バンタム級に上げてから、これまで以上に海外の選手の映像を見るようになりました。以前から父に「見ろ」と言われていたのですが、やっとその意味が分かってきました。

圧倒的なパフォーマンスの裏には他選手からのヒントも影響しているという。

井上 映像を見て、無理にまねをするのではなく、イメージを整理してストックしておくことが大切なんです。たとえば、メイウェザーの防御はこういう特徴があって、ロマチェンコのサイドへのステップはこうとか。そうやってインプットしておくことで、ミットの練習をしている時とかに急に動きのイメージが頭におりてくるんです。このタイミングなら、あの選手のあの動きが使えそうだとか。ただ、パッキャオの2段階の踏み込みだけはいまだにできない(笑い)。あれが自分のものにできれば、もっと強くなれると思うんですけどね。

刺激を求める先は、リング以外にも向かうようになってきた。バスケットボール日本代表の富樫勇樹(26)、ラグビー日本代表の松島幸太朗(27)ら、他競技のアスリートとも交流を深めるようになった。

井上 以前はほかのスポーツにあまり興味がなかったんですが、最近は少し変わってきました。富樫と幸太朗は気が合う友人というのが大前提なのですが、他のスポーツを見に行けば、そこの会場の空気で感じることもある。世界王者になって、周囲からちやほやされる部分もありますし、「慣れ」が、知らない間に心の隙につながると思っています。居心地がよくない新しい感覚にさらされることで、自分が今やらなければいけないこと、進むべき道が整理できるんです。

世界のライバルが「INOUE」「MONSTER」の名を挙げ、挑発し、対戦を熱望している。だが、「強い相手としか戦わない」というデビュー当時の思いは今も変わっていない。

井上 周りからいろいろ言われてなんぼの世界ですし、そこは望むところ。1度負けたら今まで積み上げてきたものがすべて崩れるという恐怖心もありますが、負けを恐れていたらボクシングをやる意味がない。結局、勝ち続けるしかないんです。ただ、弱い相手に勝っても意味がない。どちらが勝つか分からない本物同士のドキドキ感を自分は求めていますし、ファンの方もそれを望んでくれていると思うんです。

35歳での引退を公言し、今月10日には27歳になる。見据える先はどこまでも高い。

井上 自分がどこまでいけるかは、ここからの2~3試合の内容にかかっていると思っています。パッキャオのようにアジアから世界の頂点に上り詰めたいですし、ファイトマネーという意味でもそう。何のためにボクシングをしているかと言えば、当たり前ですが、1つは稼ぐためです。残り8年と考えれば、やれても20~30試合。そう多くはないと思っています。その中で、自分がどんな試合を残せるか。「ボクシングって面白い」「井上の試合は面白い」と思ってもらえる戦いを、これからも見せていきたいですね。

◆井上尚弥(いのうえ・なおや)1993年(平5)4月10日、神奈川・座間市生まれ。元アマ選手の父真吾さんの影響で小学1年から競技を開始。相模原青陵高時に史上初のアマ7冠。12年7月にプロ転向。当時の国内最速6戦目で世界王座(WBC世界ライトフライ級)奪取。14年12月にWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し、史上最速(当時)の8戦目で2階級制覇。18年5月にWBA世界バンタム級王座を奪取し、3階級制覇。家族は咲弥夫人と1男1女。165センチの右ボクサーファイター。

2018年10月7日、ワールド・ボクシング・スーパーシリーズバンダム級トーナメント WBAバンタム級タイトルマッチ 1回戦・1回KO勝ちで、フアンカルロス・パヤノ(手前)を倒し、ガッツポーズする井上尚弥
2014年4月6日、WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ 井上尚弥対アドリアン・エルナンデス KO勝利して新王者となった井上尚弥(中央)は、家族と記念撮影。左から姉晴香さん、弟拓真、1人おいて父真吾トレーナー、母美穂さん

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辰吉寿以輝TKO勝利も父丈一郎「どんくさいなあ」

息子寿以輝の試合の観戦に訪れた丈一郎氏(撮影・前田充)

<プロボクシング:スーパーバンタム級8回戦>◇17日◇エディオンアリーナ大阪第2競技場

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男で、日本スーパーバンタム級14位の寿以輝(23=大阪帝拳)が、初タイトルに王手をかけた。

プロ13戦目で初の日本ランカー、日本バンタム級5位の中村誠康(27=TEAM10COUNT)に4回2分30秒TKO勝ち。戦績を13勝(9KO)無敗とし、来年は上位ランク入りが確実。吉井寛会長は日本に限らず、東洋太平洋などあらゆる可能性を見据え「来年早々にもチャンスがあれば、年内には必ず(タイトル戦を行う)」と明言した。

タイトル戦に見合う、進化した姿を披露した。左ジャブで1回から中村の右目上を切り裂き、左フックでダウンを奪った。最後は出血でレフェリーストップ。父の丈一郎は1回で仕留めきれなかった内容に「どんくさいなあ」と辛口。寿以輝は「今日はパンチが乗っていた。早く倒そうと飛ばしすぎた」と反省した。

中村に勝利し、インタビューに答える辰吉(撮影・前田充)
辰吉寿以輝対中村誠康 1回、中村(右)からダウンを奪う辰吉(撮影・前田充)
辰吉寿以輝対中村誠康 息子・寿以輝の試合の観戦に訪れた辰吉丈一郎氏((撮影・前田充)
辰吉寿以輝対中村誠康 父・丈一郎氏(手前右から2人目)を横目に入場する辰吉寿以輝(撮影・前田充)

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辰吉寿以輝「力になる」5位中村に4回TKO勝ち

辰吉寿以輝対中村誠康 1回、中村(右)からダウンを奪う辰吉(撮影・前田充)

<プロボクシング:スーパーバンタム級8回戦>◇17日◇エディオンアリーナ大阪第2競技場

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男で、日本スーパーバンタム級14位の寿以輝(23=大阪帝拳)が、プロ13戦目となる日本バンタム級5位の中村誠康(27=TEAM10COUNT)戦に臨み、4回TKO勝ちで無傷の連勝を伸ばした。

1回から左ジャブで中村の右目上をカットし、左フックでダウンを奪う。その後も攻め続け4回2分30秒、出血で試合続行不可能となりTKO勝ちした。寿以輝は「倒そうと思ってリングに上がった。今日勝ったことは力になる」と語った。

息子・寿以輝の試合の観戦に訪れた辰吉丈一郎氏(撮影・前田充)

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辰吉寿以輝「KO勝ちで締めくくる」ランカー初対戦

プロ13戦目へ前日軽量をクリアした辰吉寿以輝(撮影・実藤健一)

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男、寿以輝(23=大阪帝拳)が16日、大阪市内の日本ボクシングコミッション(JBC)関西事務局で前日計量に臨み、54・9キロ(リミット=スーパーバンタム級55・3キロ)でクリアした。

寿以輝はこれまで12戦全勝(8KO)で今回がプロ13戦目。17日にエディオンアリーナ大阪第2競技場で日本バンタム級5位の中村誠康(27=TEAM10COUNT)と8回戦を行う。

初めての日本ランカーとの対戦となるが、寿以輝は「俺の方が強いと思う。あまり早く終わってもあかんから、我慢比べになったら。(今年を)KO勝ちで締めくくる」と力強く宣言した。

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井上拓真が王座統一失敗、16戦無敗強敵に判定負け

4回、ウバーリ(左)にダウンを奪われる井上拓(撮影・鈴木みどり)

<プロボクシング:WBC世界バンタム級王座統一戦12回戦>◇7日◇さいたまスーパーアリーナ

WBC世界バンタム級暫定王者井上拓真(23=大橋)が正規王者ノルディーヌ・ウバーリ(33=フランス)に0-3の判定で敗れ、陥落した。過去日本人暫定王者の王座統一戦は3戦3敗。ジンクスを破れず、メインイベントの兄尚弥に勝利のバトンをつなげなかった。

パワーもうまさも、スタミナもある。そして、苦手なサウスポー。井上拓にとってウバーリは「分が悪い」と本音を漏らすほど過去最強の相手だった。実戦は昨年12月30日以来約11カ月。リーチ差は7センチ。さらに辰吉丈一郎ら過去に暫定王者で統一戦に挑んだ日本人は3人とも失敗。プロ16戦無敗12KOの強敵に夢は阻まれた。

長いブランク期間でサウスポー対策を十分に練ってきた。前回の試合後すぐに左対策を開始。さらに試合が決まってからは、3団体統一ライト級王者ワシル・ロマチェンコの練習パートナーでもある米国アマ選手ラミドやIBF世界同級王者ダスマリナスら、世界トップクラスのサウスポー日本に呼び寄せ、スパーリングを敢行。父真吾トレーナーが「最低でも五分以上(に戦える)」と認めるまで成長し、リングに立った。

兄尚弥とともに戦うのは10度目。昨年12月30日に亀田3兄弟以来日本人2組目の兄弟世界王者を達成し、ダブル世界戦という夢も今回かなった。兄と比べられるのは「小さい頃からずっと。宿命」。そんな境遇に嫌気がさすこともあったが、「ナオがいたからこそ今の自分がいる」と自分を引き上げてくれる存在に感謝する。勝って暫定王者が取れて初めて「スタートだと思っている」。兄に王者として並ぶことはかなわなかった。【高場泉穂】

◆井上拓真(いのうえ・たくま)1995年(平7)12月26日、神奈川県座間市生まれ。4歳から父真吾さんにボクシングの手ほどきを受け、小学1年から本格的に競技開始。11年高校総体ピン級優勝。12年高校選抜ライトフライ級優勝。13年12月に大橋ジムからプロデビュー。15年7月に東洋太平洋スーパーフライ級を獲得し、2度防衛の後返上。18年12月にWBC世界バンタム級王座を獲得。趣味は爬虫(はちゅう)類飼育で、現在のペットはヒョウモントカゲモドキのロビン。164センチの右ボクサーファイター。血液型A。

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京口紘人ど根性V2、直前合宿スパーで肋骨折れてた

タイトルを防衛し応援団にあいさつする京口(撮影・清水貴仁)

<プロボクシング:WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ12回戦>◇1日◇エディオンアリーナ大阪

WBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人(26=ワタナベ)が、同級1位久田哲也(34=ハラダ)を3-0の判定で下し、2度目の防衛を果たした。激しい打ち合いの中で地力の差を示し、来年予定する統一戦へはずみをつけた。

  ◇  ◇  ◇

冷静だった。勝負の12回。京口は「ちょっと逃げたろかな」と捨て身で突進してくる久田をかわし、笑った。相手はもう、足が止まった。あえて打ち合いに応じ、力強いパンチを出し続けて勝った。

2回に右のカウンターをもらい、ロープまで後ずさり。「効いた」が「これで振り出しに戻った」と焦らず、すぐ左のジャブで立て直した。9回には右アッパーに右フックをたたみかけ、ダウンを奪取。KOでの圧勝ではなかったが「自分の中でいいキャリアになった。気持ちのいい選手。強い選手だった」。タフな久田に感謝した。

8月末に行ったフィリピン合宿最終日。1階級上、フライ級の世界トップランカー、マグラモとの激しいスパーリングで肋骨(ろっこつ)の軟骨を折った。診断は全治約3週間。左耳の鼓膜も破れていた。帰国後、最初は大きく息を吸うだけで痛みが出た。9月中に回復したが、パンチをもらい続ければリスクはあった。「前回以上に意識して練習してきた」という防御で、ベルトとともに不安のあった肋骨も守り通した。

世界王者となって約2年。「引き出しを増やしていかないと」と今も研究は続く。刺激となるのは、同い年の3階級王者“モンスター”井上尚弥の存在だ。9月下旬、高級肉のコース料理をごちそうになり、年内に海外旅行に行く約束をした。京口が勝ち、井上が11月7日のワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)決勝でドネアに勝った際の“ダブル祝勝旅行”。強敵とぶつかる盟友に、バトンを渡した。

来年中のWBA王者カニサレス(ベネズエラ)や6度防衛中のWBC王者拳四朗との統一戦を見据える。「しっかり休んで。いつかファンが望む統一戦、ビッグマッチ、それがかなうように精進するだけ」。まだ道の途中だ。【高場泉穂】

◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年(平5)11月27日、大阪府和泉市生まれ。父が師範代の道場「聖心会」で3歳から空手を始める。12歳でボクシングに転向し中学1、2年時には大阪帝拳ジムで辰吉丈一郎から指導を受けた。大商大卒業後の16年にワタナベジム入りし、4月にプロデビュー。17年7月に日本最速となる1年3カ月でIBFミニマム級王座獲得。2度防衛した後、18年8月に返上しライトフライ級に転級。18年12月にWBAスーパー世界ライトフライ級王座を獲得し、2階級制覇を達成。161センチの右ボクサーファイター。

▽リングサイドで観戦した大阪府の吉村知事 ボクシングの試合を初めて生で観戦したが、非常に感動させてもらった。久田選手も激しく打ち合い、すさまじい戦いだった。最後は気持ちだったと思う。

9回、久田(右)からダウンを奪う京口(撮影・清水貴仁)

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辰吉寿以輝、プロ13戦目は12月「倒して勝つ」

プロ13戦目へファイティングポーズの辰吉寿以輝

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男、寿以輝(23=大阪帝拳)のプロ13戦目が17日、大阪市内の所属ジムで発表された。寿以輝はこれまで12戦全勝(8KO)。

12月17日にエディオンアリーナ大阪第2競技場で日本バンタム級5位の中村誠康(27=TEAM10COUNT)とスーパーバンタム級(リミット55・3キロ)の契約ウエートで8回戦を行う。勝てば日本、東洋太平洋の上位ランク入りは確実。ジムの吉井寛会長も「来年に向けて節目の試合になる」と明言した。

寿以輝は「決まってうれしい。(相手がランク)上でいいです。気持ちで負けない。自分の方がパンチあると思う。必ず倒して勝ちます」。1階級下、父親の代名詞といえるバンタム級でも戦えるとしながら「階級にこだわりは全然」。チャンスがあるところで、世界へのステップを駆け上がっていく。

プロ13戦目の会見に臨む辰吉寿以輝。右は大阪帝拳の吉井会長

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高校5冠の重岡銀次朗が最速タイの4戦目で王座奪取

4戦目で王座獲得の重岡銀次朗(左)と町田主計トレーナー

<ボクシングWBOアジア太平洋ミニマム級タイトル12回戦>◇27日◇東京・後楽園ホール

高校5冠のWBOアジア太平洋ミニマム級3位重岡銀次朗(19=ワタナベ)が、日本男子最速タイの4戦目で王座奪取した。

同級4位クライデ・アザルコン(24=フィリピン)との王座決定戦で、左ボディー一発で1回1分12秒KO勝ち。日本王座の平仲明信、辰吉丈一郎、井上尚弥、東洋太平洋王座の田中恒成ら世界王者に並ぶ、プロデビュー4戦目の奪取となった。

アマでは優勝すると表彰状とメダルやトロフィーが授与される。新王者は「ずっとベルトにあこがれていた。重くて格好いい」と満面の笑みを浮かべた。

前日は「4、5回にKOしたい」と話していた。「1回で倒せるとは思わなかった。一番練習した左ボディーで仕留められたのがうれしい」。右ジャブで様子見も、右ボディーでまずはロープを背負わせた。右を数発返され「スピードもパンチもあった。もらったら危ないと、あれで集中させられた」と振り返った。

これでWBOの世界ランク入りは確実になった。渡辺会長は「あと1年ぐらいは経験を積ませたい。防衛戦や日本や東洋太平洋王座とかも狙わせたい。世界はチャンスがあれば」と話すにとどめた。

重岡は初のベルト奪取でさらに自信を深めた。「身近に世界王者の京口さんがいる。早く同じ場に立ちたい。生意気かもしれないがいつでもやりたい」と、一気に世界を熱望する。

デビュー前から具志堅用高のV13の国内防衛最多記録更新に、無敗で引退を目標に掲げる。最軽量級で153センチしかないが、夢はビッグだ。

重岡銀次朗(左)は左ボディー一発で1回KO勝ちで王座を獲得

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辰吉寿以輝「ダメダメ」12連勝も4連続KO逃す

3回、藤岡拓弥(左)に左フックを見舞う辰吉寿以輝(撮影・上田博志)

<プロボクシング:スーパーバンタム級8回戦>◇26日◇エディオンアリーナ大阪第2競技場

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男辰吉寿以輝(22=大阪帝拳)が3-0判定で、デビュー12連勝(9KO)とした。試合前に左拳を痛めて、思うようにジャブが使えず中に入られた。

また過去9勝(1KO)9敗1分でKO負けのない藤岡拓弥(26=VADY)のタフさに苦しみ、4連続KOを逃した。

寿以輝は父丈一郎に「(左)痛いか?」と問われ「めちゃめちゃ痛い」と返した。「ダメダメでしたね。(KOを)狙いに行き過ぎました」と振り返った。ただ、極端なインファイトを仕掛ける相手と対戦経験がなく「いい経験にはなりました」と前向きにとらえた。

いつもは辛口の父も「拳痛めてて勝ったんやから、よかったんちゃう?」。拳の負傷については深刻に受け止めているようで「左はボクサーにとって(痛めると)致命的。車のタイヤがなくなるみたいなもんやから。1カ月は動かさず、ギプスとかした方がええかも」と話した。

今後は年内に初の日本ランカー(10位内)との対戦が組まれる予定だが、練習スケジュールには悩まされそうだ。

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重岡銀次朗「楽しみ」男子最速タイの王座奪取へ自信

ベルト奪取を期す重岡銀次朗(左)とクライデ・アザルコン

ボクシングWBOアジア太平洋ミニマム級3位重岡銀次朗(19=ワタナベ)が、日本男子最速タイの4戦目で王座奪取を狙う。27日に東京・後楽園ホールでの王座決定戦で、同級4位クライデ・アザルコン(24=フィリピン)と対戦する。

26日は都内で前日計量に臨み、重岡はリミットより100グラム軽い47・5キロ、相手は46・7キロでクリアした。

重岡が4戦目で王座を獲得すれば、日本王座の辰吉丈一郎、井上尚弥、東洋太平洋王座の田中恒成と、いずれも人気の世界王者に並ぶ。デビューから10カ月2日は、6戦目で東洋太平洋王座獲得の京口紘人を9日更新する。「4戦目は早いが、早くやりたかった。メチャクチャ楽しみ。早く倒して安心したい」と自信満々だ。

相手はスエットパンツをはいたままで800グラム差に、重岡は「あと1キロはどこにいったんだろう」と不思議がった。身長は153センチで10センチ劣るが「いつも自分より大きい相手なのでまったく気にならない」と意に介していない。

高校5冠でアマ戦績は56勝1敗。唯一の黒星は兄雄大と県決勝で対戦となり、不戦敗だった。実質負けなしでプロ入りし、3戦全勝。前回は初の判定も8回戦を初体験できた。今回は12回戦となるが「12回スパーリングも3回やった。スタミナは問題なく、スピードでは負けない。練習してきた左ボディーを生かし、4、5回にでKOしたい」とベルト奪取を誓った。

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辰吉寿以輝「4連続KOで」デビュー12連勝誓う

4連続KOでデビュー12連勝を誓う辰吉寿以輝(撮影・加藤裕一)

元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(49)の次男でスーパーバンタム級の辰吉寿以輝(22=大阪帝拳)が7日、大阪市内の同ジムで会見し、次戦を7月26日にエディオンアリーナ大阪第2競技場で行うと発表した。スーパーバンタム級8回戦で、9勝(1KO)9敗1分けのオーソドックススタイルの藤岡拓弥(26=VADY)と対戦する。

今回はプロ12戦目。1度は初の日本ランカー戦として同10位内選手との対戦が内定したものの、相手が約3週間前に眼窩(がんか)底を骨折、キャンセルとなった。辰吉は「僕もケガでキャンセルしたことあるんで、仕方ないです。今までと変わらず、左(の手数、使い方)と足(フットワーク)を心掛けてやります。今年中に日本ランカーとやりたいけど、まず目の前に集中。4連続KOで勝ちます」。デビュー12連勝を誓った。

吉井寛会長は「ボクサーとしての力量は確実に上がっている。コンビネーションも練習ではできてきた。試合でもいいパフォーマンスができてるしね。(日本)ランカーとやって、胸を張れるんちゃうかな」。今回は経験値を上げるため、初のサウスポー戦というプランもあった。DNAは徐々に覚醒。日本ランカー戦→ランクを上げて、日本タイトル挑戦-。その未来予想図がリアリティーを増してきた。

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井上尚弥VSドネア、日本開催なら京セラ大阪D有力

井上対ロドリゲス 1回、ロドリゲス(右)にパンチを放つ井上(撮影・滝沢徹郎)

【グラスゴー=藤中栄二】挑戦者でWBA正規王者の井上尚弥(26=大橋)が、2回1分19秒TKOでIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(26=プエルトリコ)を下し、決勝進出を決めた。2回に左フックなどで計3度のダウンを奪ってレフェリーストップに追い込み、WBAとIBFの2冠王座に就いた。5階級制覇王者のWBAスーパー王者ノニト・ドネア(36=フィリピン)との決勝は、日本開催となれば京セラドーム大阪が有力候補として浮上した。

   ◇   ◇   ◇

試合後のリングで、井上はワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)開幕前から対戦希望してきたドネアから祝福を受けた。過去最強の相手となった無敗王者ロドリゲスから計3度のダウンを奪って圧倒的な強さを誇示し、決勝の相手と堂々と向き合った。「尊敬するドネアと戦えることをうれしく思います。そこに向けて1からやっていきたい」。笑顔で抱擁を交わしたドネアから「ベスト・オブ・ベストの戦いができる。戦う運命にある」と認められた。

その運命的な決勝にふさわしい大舞台が浮上してきた。カードが決定したばかりで時期や開催地さえ決まっていないものの、もし日本開催となった場合の有力候補に京セラドーム大阪が挙がった。大橋秀行会長は「やはりドネアは尊敬されるボクサーで、尚弥もあこがれている選手。横浜で私も偶然会ってすしを食べた間柄。それなりの舞台を」と候補として考えていることを認めた。

ボクシング界の国内ドーム大会はマイク・タイソンが88年、90年に東京ドームで2度世界戦に臨み、99年には辰吉丈一郎が当時のWBC世界バンタム級王者ウィラポン(タイ)に挑んだ大阪ドーム(現在の京セラドーム大阪)の3例のみ。もし京セラドーム大阪でボクシング興行が開催されれば20年ぶり。実現すれば令和のボクシングの幕開けにふさわしい大会となる。井上-ドネアのWBSS決勝の意義もさらに高まりそうだ。

井上にとってドネアは特別な存在だ。以前から衝撃の試合として挙げるのは11年2月、ドネアがWBC・WBO世界バンタム級王者モンティエル(メキシコ)を左フック1発で失神KOに追い込んだ世界戦。14年12月、WBO世界スーパーフライ級王者ナルバエス(アルゼンチン)に挑戦する前には大橋ジムでドネアと合同練習。攻略の助言まで受けた。井上は「人間的にも尊敬できるし、縁もあるので戦いにくい。でも、そこは勝負の世界。やるしかない」と強調した。

フィリピンの閃光(せんこう)と呼ばれるドネアと、モンスターの井上が激突する階級最強を決めるトーナメント決勝。京セラドーム大阪開催が決まれば、機運も最高潮に達することは間違いない。

井上対ロドリゲス 2回、ロドリゲスに勝利し雄たけびを上げる井上(撮影・滝沢徹郎)

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メイウェザー132億円/ボクシングファイトマネー

ロドリゲス戦を控えファイティングポーズを決める井上(撮影・滝沢徹郎)

WBA世界バンタム級王者井上尚弥(26=大橋)が階級最強を決めるトーナメント、ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)2連勝で計1億円超の報酬ゲットを狙う。18日(日本時間19日)に同地でIBF世界同級王者エマヌエル・ロドリゲス(26=プエルトリコ)とのWBSS準決勝を控え、井上は体重調整に専念した。軽量級では破格となる2戦合計で1億円超マネーを狙い、グラスゴーのリングに向かう。

◆ボクシングのファイトマネー バンタム級の日本人世界王者では94年に薬師寺保栄とWBC王座統一戦に臨んだ辰吉丈一郎が1億1000万円の報酬を得た。1階級上のスーパーバンタム級ではWBC名誉王者西岡利晃が11年に米ラスベガスで臨んだV7戦で100万ドル(約1億1000万円)のファイトマネーを獲得。海外戦は知名度の高さや人気によって報酬が変動。昨年8月に米国で開催されたWBO世界同級王座の防衛戦に臨んだ当時の王者ドクボエ(ガーナ)は6万5000ドル(約715万円)。中量級ではメイウェザー(米国)が15年のパッキャオ(フィリピン)戦で1億2000万ドル(約132億円)が保障され、パッキャオは16年のブラッドリー(米国)戦で2000万ドル(約22億円)が最低保障の報酬だった。

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