上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

北勝富士あと横綱2人 金星獲得10傑入り/新番付

北勝富士(2020年1月14日撮影)

日本相撲協会は8月31日、開催を目指す大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、開催の可否や開催形態は理事会で決定する見込み。

現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

既に横綱白鵬(35=宮城野)が1170勝で歴代トップに君臨。どこまで伸ばせるか注目だ。ちなみに現役2位は琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の825勝。歴代10位の寺尾(元関脇=現錣山親方)まで35勝だ。

【幕内在位場所数】

今場所で白鵬が歴代5位の96場所。11月場所在位で高見山(元関脇=元東関親方)、安美錦(元関脇=現安治川親方)に並ぶ同3位に浮上する。琴奨菊は安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ同7位タイの91場所。現役3位は横綱鶴竜(34=陸奥)の81場所。ちなみに歴代1位は元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所。

【幕内出場回数】

琴奨菊が歴代6位の1321回、白鵬が同8位の1265回。現役3位は鶴竜の1027回。なお歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1076勝で、2位の魁皇に197勝もの差をつけ歴代トップ。歴代6位に琴奨菊(716勝)が名を連ねる。同5位の元横綱大鵬までは、あと30勝で届く。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」の歴代9位に1271回の玉鷲(35=片男波)が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ17年の「皆勤賞」だ。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑入りは不在だが、今場所チャンスがあるとすれば現在7個の北勝富士(28=八角)。横綱2人を倒せば通算9個で10位タイに滑り込む。東前頭2枚目まで番付を上げ、上位総当たりは確実だが果たして…。

なお8個で現役トップの逸ノ城(27=湊)は再入幕だが、上位とは当たらない幕尻の東前頭17枚目。ただ「幕尻の17枚目」といえば、今年1月の春場所で西の徳勝龍が、7月場所では東の照ノ富士が、アッと驚く幕尻優勝を果たしている。両者とも、両横綱が途中休場したため横綱戦はなかったが、大関戦は組まれた。もし逸ノ城が快進撃の末、優勝争いに加わり横綱対戦が実現すれば…。1つでも勝てば歴代10傑入りする。なお7個で追う遠藤は、返り三役のため金星のチャンスはない。

関連するニュースを読む

千代の富士5発で沈めた小錦/記者振り返るあの瞬間

84年9月、秋場所14日目、千代の富士(右)に押し出しで勝った小錦

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ(50)>

真っ暗な会場に蛍の光が流れ、観客もペンライトを振りながら歌う。ドームのお別れコンサートではない。中心には羽織はかまや締め込み姿の大男がいた。蔵前国技館最後の場所となった84年秋場所千秋楽。しんみりとしたフィナーレも、初日前から何かざわつき、列島を騒がせた場所だった。

場所前に立ち合い研修会があり、必ず両手をつく正常化が打ち出された。マラソンのスタートのような立ち腰、自分勝手な立ちしぶりなどが目立っていた。春日野理事長と二子山理事長代行という栃若の厳命に、力士は神妙ながら戸惑った。実際に場所ではチョン立ちで不成立とされ、5度仕切り直した一番もあった。

夏場所全勝優勝で復活した北の湖が、首を痛めて3日目から休場した。千代の富士、隆の里の両横綱に、2度目の横綱挑戦の若嶋津も早々に土がついた。全勝ターンは平幕多賀竜だけ。土俵は腰が据わらず、落ち着きがなかった。

混沌(こんとん)とする中、終盤戦に大旋風が起きた。入幕2場所目の小錦が10日目に勝ち越し、優勝戦線に生き残っていた。11日目には隆の里を押し出し、横綱初挑戦で初金星を挙げる。入門してまだ2年2カ月も破壊力抜群だった。

さらに若嶋津の綱とりを阻み、次期大関候補大乃国も撃破する。14日目には千代の富士をもろ手突き5発で吹っ飛ばした。多賀竜に1差で、千秋楽に大逆転Vがかかった。黒船襲来。300年の国技を揺るがすと言われた激震となった。

当時の記者クラブは別棟2階にあった。片隅に昼寝できる畳敷きスペース、雀卓も置かれていた。支度部屋ではたばこが吸え、力士は素足で床に踏みつけて消していた。おおらかだが、閉鎖的でもあった。

当時の外国人力士は9人で、多くの親方衆は否定的だった。ハワイ生まれの若造に次々と看板力士が倒されて「日本人の恥」とまで言った親方もいた。小錦も「協会はこれね」と頭の両脇に指を立ててみせた。「怒ってるでしょ。外国人がダメなら入れなければいい。力士になったボクは勝つだけ」と言ったものだ。

72年名古屋場所で外国人初優勝の高見山は夏場所で引退していた。バトンを受けた後輩の快進撃。大関、横綱も現実味を帯びたが、結果的に琴風に敗れて優勝はならず。翌九州場所はケガで途中休場。協会幹部は胸をなで下ろし「相撲は甘くない」と言い放った。

その後は大けがもあり、大関になったのは3年後の87年夏場所後だった。89年九州場所で初の賜杯も手にしたが、横綱の座は遠かった。ハワイの後輩の曙にも追い抜かれた。大関陥落決定の黒星は、横綱曙に喫したもの。陥落後はしのびない土俵もあった。

それでも200キロを超す巨体から爆発させた、驚異のパワーは衝撃の記憶だ。今も世界中で人種差別が問題となっている。角界でその壁を乗り越え、外国人初の大関となった。あの蔵前の悔しさが始まりで、両国国技館でのモンゴル全盛への道筋も作ったと言えるだろう。【河合香】

関連するニュースを読む

礼儀欠かさなかった曙親方/記者が振り返るあの瞬間

曙太郎K−1入り会見 K−1参戦を表明し会見する曙親方(右)と谷川貞治プロデューサー=東京・帝国ホテル(2003年11月6日)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(32)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

ところが話はまだ続く。

1週間後の11月6日の朝、日刊スポーツ1面に「曙親方 K-1参戦へ」の文字が躍った。スクープだった。部屋に行くと東関親方は明らかに落胆していて、退職の申し出は受けていたものの「気がついたら部屋に荷物がなかった。こういう言葉は使いたくないけど、裏切られた」と恨み節が出た。

稽古場で諭してくれた、あの「日本人の心」は一体どこに…。当時は自分もだいぶ混乱したものだった。

ただ、実際にK-1やプロレスに転向した曙はその後も部屋を訪れて師匠と肩を並べている。先日は闘病中の体を押して、東関親方として急逝した元幕内潮丸の葬儀に訪れた。非礼のままであれば、そうはいかないのがこの世界。礼儀を欠かさなかったからこそだと、曙の姿を見るたび、そう感じている。【今村健人】

福岡市の福岡国際センターで行われた前夜祭の支度部屋で、曙親方のKー1参戦を伝える本紙に目を通す小結高見盛(2003年11月6日撮影)

関連するニュースを読む

王貞治氏、紺野美沙子ら大相撲の国際化など議論

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)とソフトバンク王貞治会長(撮影・中島郁夫)

日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(山内昌之委員長)の第5回会合を開いた。外国出身初の関取になった元関脇高見山の渡辺大五郎氏も出席し、大相撲の国際化など王貞治委員らを交え活発に議論した。

歌舞伎役者の松本白鸚は「相撲は神事。何かを信じ、何かから信じられれば自ずと不祥事もなくなり魅力ある相撲界になると思う」と話した。

また「相撲と女性」について女優の紺野美沙子らが意見交換。女性を土俵に上げる可否の議論を男女間の差別問題として考えるのは、なじまないのではなどの意見が出た。次回は4月に開催予定。

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する紺野美沙子(左)と松本白鸚(撮影・中島郁夫)

関連するニュースを読む

48年ぶり異例場所、正代浮かれず騒がず引っ張る

松鳳山(右)を寄り切りで破る正代(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇10日目◇21日◇東京・両国国技館

西前頭4枚目の正代(28=時津風)が夢の初優勝へ、また1歩前進した。平幕の松鳳山を強烈な右おっつけから寄り切って1敗を守った。「優勝争いの実感はない」と言うが、熊本県出身力士初の幕内優勝への期待は高まる。幕尻の徳勝龍も1敗を守り、10日を終えて平幕2人がトップで並ぶのは1972年(昭47)名古屋場所の豊山、高見山以来、48年ぶり。3人が2敗で追うが三役以上は大関貴景勝だけの大混戦場所で正代が「初」に挑む。

   ◇   ◇   ◇

根こそぎ持っていくようなド迫力だった。立ち遅れた正代だが、松鳳山を左からつかまえると右の強烈なおっつけから一気に寄り切った。「ケンカ四つなんでかみ合わなかったけど、よく反応できている」。宣言している「攻めの相撲」を貫き堂々トップを走る。

「優勝争いはまだ全然。実感がない。ここからの5日間が長いんですよね」。大きなことは言わない。しかし、帰り道も「熊本から来たんよ~」というファンに囲まれた。熊本出身力士で幕内優勝者はいない。正代は「いませんでしたっけ」と薄い反応だが、5月に東京五輪の聖火ランナーを務める。郷土は「初」の快挙へ熱が高まっている。

9日目に勝ち越しを決めた。外で食事して祝うことも考えたが部屋に戻った。「変に特別なことをしたら、感覚が狂うんじゃないかと不安になって。部屋で飯食ってゴロゴロしてました。1日が終わるのが早い」。自分のペースを崩さないが、「肉体的には大丈夫だけど、精神的にはだいぶ疲れている。注目され慣れていないんで」。余計なことはまだ意識しない。そんな心情を思ってか、師匠の時津風親方(元前頭時津海)は「勝ち越したから楽しんでこい」と声をかけた。

7連敗中と苦手だった貴景勝に勝って勝ち越しを決めた後、花道で思わずガッツポーズが出た。その姿はばっちり生中継。「あれはいかん。正直、反省してます。あそこにカメラがあるのを忘れてた。見えないところでやらないと」。謙虚な男が大混戦場所を引っ張る。【実藤健一】

◆主な熊本出身の力士 現役関取は平幕の正代と佐田の海の2人だけ。横綱輩出はなく過去には、土俵上での礼儀正しさが光った大関栃光、強烈な張り手から「フックの花」と呼ばれた関脇福の花、元小結普天王の稲川親方などがいる。

◆幕内優勝力士が出ていない出身地(国内) 宮城県、埼玉県、静岡県、岐阜県、福井県、京都府、滋賀県、和歌山県、島根県、徳島県、熊本県、宮崎県、沖縄県。ちなみに最多は北海道の13人で通算120回。

正代(右)は松鳳山を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)

関連するニュースを読む

東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

東関親方通夜、元高見山も参列「これからだった」

元潮丸の東関親方の通夜に参列した先代東関親方(撮影・河田真司)

血管肉腫で13日に41歳で亡くなった元前頭潮丸の東関親方の通夜が18日、東京・葛飾区の部屋で高砂一門葬として営まれた。葬儀委員長を務めた相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら多くの親方衆、大関豪栄道、高安をはじめ現役力士ら約550人が参列した。

遺影は昨年2月、部屋開きの際の笑顔のものだった。八角理事長は「最後の1年間は闘病生活で、家族のため、力士のため復帰するという強い気持ちで頑張っていたところ残念でなりません。笑顔が絶えず、みんなに慕われていました」などとコメント。

参列した師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんも「まだ若い。これからだった。もう少しいてほしかった」と悲しそうに話した。

元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の祭壇には、18年2月に行われた落成パーティー時に撮影された笑顔の写真が遺影として飾られていた(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

振分親方「感謝の気持ちしか」死去した東関親方へ

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

関連するニュースを読む

元富士桜の中沢栄男氏「早すぎる」東関親方悼む

元関脇富士桜の中沢栄男氏(71)が14日、元前頭潮丸の東関親方の死去を悼んだ。13日は連絡を受けて、東京・葛飾区の東関部屋に駆けつけたという。「41歳はあまりにも早すぎる。子供もまだ小さいし、これからという時だったのに」と声を落とした。

中沢氏は12年12月に中村部屋を閉鎖して転属し、13年2月の65歳定年までは東関部屋付き親方となった。元関脇高見山、元横綱曙と部屋の師範代でもあり、東関親方の入院中は稽古や合宿で指導することもあった。中村部屋から転属した力士3人と床山1人が、今も現役を続けている。「余計な口を出す身ではないが、できる限りの協力はしたい」と話した。

関連するニュースを読む

元前頭潮丸の東関親方が血管肉腫で死去 41歳

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名・佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、東京・葛飾区の部屋で血管肉腫のため死去した。14日に日本相撲協会が発表。41歳だった。東関親方は体調不良のため、昨年の九州場所から休場していた。通夜、告別式などの日程は未定。

この日、部屋で取材に応じた、おかみさんで妻の真充さん(40)によると、7日から入院していた東関親方は10日に容体が悪化。かねて「力士たちと会いたい」と話していた親方の意向をくんで、12日に入院先の病院から部屋に戻した。宮崎・延岡市で合宿を行っていた部屋の力士も急きょ帰京。部屋に戻った東関親方は、穏やかな表情で弟子1人1人の手を握ってコミュニケーションを取ったという。真充さんは「みんな見送ることができた。それだけは救い」と話した。

現役時代は先代東関親方(元関脇高見山)の弟子として、176センチと小柄な体格ながら押し相撲で活躍した。94年春場所の初土俵から02年初場所で新十両、同年秋場所で新入幕。最高位は西前頭10枚目だった。09年5月の夏場所限りで現役を引退して、同年6月に年寄「東関」を襲名。昨年2月には部屋を東京・墨田区から葛飾区に移転し、部屋開きを行った。がん発覚後、この1年間は化学療法を主に闘病生活を送っていたが、関取輩出の夢はかなわなかった。

弟弟子で部屋付きの振分親方(元小結高見盛)は「現役の頃からあんな強い人が、お酒を豪快に飲む人が何で急に体調が悪くなったんだと。あんなことになるなんて、信じられない」と、早すぎる別れにショックを隠さなかった。師匠を失った部屋の扱いは今後話し合われる。

断髪式で朝青龍にはさみを入れてもらう元前頭潮丸(東関親方)(2010年1月31日撮影)

関連するニュースを読む

初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む

84年1月、初場所7日目に全勝の隆の里から初金星を挙げた逆鉾は土俵上で思わずガッツポーズ

大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名・福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。秋場所前から体調を崩し、本場所を休場して入院。16日夜に容体が悪くなった。関係者によると、膵臓(すいぞう)がんとみられる。

   ◇   ◇   ◇

土俵ではやんちゃで血気盛んだった。84年初場所7日目に、全勝の横綱隆の里を得意の外掛けで破った。初金星に、思わず土俵上でご法度のガッツポーズをした。それまで高見山が1度やったが、それ以来となる日本人力士で初めてのことだった。

両手をつく立ち合い正常化が求められた秋場所では、取り直し第1号にもなった。大関北天佑をもろ差しで電車道も、九重審判長(元横綱北の富士)に「ちょん立ちだからもう1回」と不可とされた。これに逆鉾はぶぜんとし、審判長をにらみつけながら土俵を横切って戻ったこともあった。

弟寺尾ら昭和38年生まれのサンパチ組が活躍する時代に、2歳年上も存在感があった。父譲りのもろ差しからガブリ寄りが十八番で、相撲っぷりに血統もあって人気者。金星7個に三賞9度。胸を張り、肩をいからせ闊歩(かっぽ)していた。土俵でもアゴが上がる癖が直らなかったが…。

普段はシャイでまじめ。初めて飲んだ時も「記者さん、俺なんか意味ないよ。アビ(弟寺尾の愛称)を誘った方がいいよ」とはにかんだ。小さいころから初代若乃花のファン。雑誌や本を買いあさり、現役時も読みふけった。昭和の土俵を沸かせた個性派だった。【河合香】

井筒親方(10年01月11日撮影)

関連するニュースを読む

朝乃山「一途に前へ」ラッキー呼ぶ/大ちゃん大分析

鶴竜(右)を寄り切りで破る朝乃山(撮影・中島郁夫)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

西前頭2枚目の朝乃山(25=高砂)が、無敗の横綱鶴竜を破り、初金星を挙げた。得意の右四つから寄り切る完勝で3勝2敗とした。

      ◇      ◇

ある意味、朝乃山にとってラッキーだったのは、鶴竜が安易に打った右の下手投げだ。あれで朝乃山は左上手を十分に引きつけられた。ラッキーではあるが、そうさせるだけの前に出る馬力が朝乃山にはあった。

負けはしたが攻め込んだ前日の遠藤戦、引かせた3日目の貴景勝戦も内容は悪くない。高見山さん、富士桜さん、私や小錦もそう。四つと押しの違いはあるが、いちずに前に出る相撲は高砂部屋の伝統。その姿勢を朝乃山は見せてくれた。場所前は蜂窩(ほうか)織炎で満足に稽古できなかったから「とにかく前に出ればいい」とだけしか師匠として言わなかった。朝乃山も万全ではないから、その一点に集中して臨んでいるのだろう。前に出れば自然とまわしを取れて四つになれる自信は、優勝した経験が大きい。余計なことを考えずに臨めているのがプラスになっていれば、まさにけがの功名だ。(高砂浦五郎=元大関朝潮・日刊スポーツ評論家)

出待ちファンのサインに応じる朝乃山(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

白鵬が日本人国籍取得 天国父も「わが道を行け」と

報道陣に笑顔で日本国籍取得の報告をする白鵬(撮影・河田真司)

大相撲史上最多の優勝42度を誇る横綱白鵬(34=宮城野)の日本国籍取得が3日、官報で告示された。年寄名跡襲名には日本国籍が必要で、引退後「親方」として日本相撲協会に残る資格を得た。故郷モンゴルに日本と「2つの国が背中にのしかかる」と決意を口にし、秋場所(8日初日、両国国技館)では“日本人初優勝”に挑む。

   ◇   ◇   ◇

白鵬に節目が訪れた。6月にモンゴルからの国籍離脱を承認され、この日、日本国籍取得が完了した。都内の宮城野部屋で朝稽古を終えると「白鵬翔(はくほう・しょう)という名前で日本国籍を取得できました。今までモンゴルが背中にあったが、2つの国が背中にのしかかってくる感じです」と決意を語った。

「15歳で(日本に)来た時はやせっぽちで全く特別(な力士)ではなかったけど、稽古に稽古を重ねて強くなれました。18年間、相撲一筋でやってきたことが、今日につながった」と感慨深げだ。故郷モンゴルへの思いも変わらない。「人間が変わるわけでない。自分の(生まれた)国を愛せるから、日本を愛せる。両親、兄弟を愛せるから、この国(日本)の人を愛せると思います」-。

引退後、日本相撲協会に親方として残り、後進を育成したい思いで、国籍変更を「2、3年前から」(白鵬)周囲に相談してきた。決断に当たっては、昨年4月に他界した父ムンフバトさんの言葉が大きかった。モンゴル勢初となる五輪メダルを68年メキシコ大会(レスリング銀メダル)で獲得した“英雄”が、世界を見てきた立場で「わが道を行け」と言ってくれた。

スカウトしてきた石浦、炎鵬が関取として成長しており、その慧眼(けいがん)は証明済みだ。「今までは自分が相撲を取ることで精いっぱいだったけど(引退後は)強いお相撲さんを育てて、協会やファンの皆様に恩返しをしたい」と話した。

協会は現役で著しい功績を残した力士に対し、引退後に現役名で親方となる「一代年寄」を認めるケースがあり、大鵬や北の湖、貴乃花がいる(千代の富士は辞退)。白鵬も実績は申し分ないものの、まだまだ現役だ。「最近けがが多いから、けがのないように頑張りたい」。秋場所は、日本人・白鵬翔として“初優勝”を狙っていく。

◆外国出身力士の日本国籍取得 横綱では米国出身の曙、武蔵丸(現武蔵川親方)に次いで3人目。モンゴル出身では同国勢初の師匠となった友綱親方(元関脇旭天鵬)や錦島親方(元関脇朝赤龍)元小結時天空(元間垣親方)ら。その他に米国出身の元関脇高見山(元東関親方)ら。

◆白鵬翔(はくほう・しょう)3日から本名同じ。2日まではムンフバト・ダバジャルガル。1985年(昭60)3月11日、モンゴル・ウランバートル生まれ。00年10月に来日し、01年春場所初土俵。04年初場所新十両。同年夏場所、昭和以降4番目に若い19歳1カ月で新入幕。大関に昇進した06年夏場所で初優勝。07年名古屋場所で第69代横綱に昇進。優勝42回など、さまざまな史上1位の記録を持つ。殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回。金星1個。昨春亡くなった父ムンフバトさんは、68年メキシコ五輪レスリング銀メダリストでモンゴル相撲の横綱。得意は右四つ、寄り。家族は紗代子夫人と1男3女。192センチ、158キロ。

◆年寄の襲名条件 1976年(昭51)9月の理事会で襲名資格に「日本国籍を有する者」が追加された。その上で、襲名して新たに部屋を興すには現役時代の実績で<1>横綱、大関経験者<2>三役(関脇、小結)通算25場所以上<3>幕内通算60場所以上、の条件を満たす必要がある。既存の部屋の継承なら<1>幕内通算在位12場所以上<2>十両以上の通算在位20場所以上、となる。また、部屋付きの親方になるだけなら<1>小結以上<2>幕内通算在位20場所以上<3>十両以上の通算在位30場所、を満たせば可能(<3>については28場所でも願書の提出で可能となる)。これとは別に顕著な功績を残した横綱に贈られる、一代限りで襲名できる「一代年寄」がある。

笑顔で日本国籍取得の報告をする白鵬(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

元朝青龍関「先生、さようなら」床寿さん通夜に参列

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)

4月30日に肺炎のため75歳で死去した元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんの通夜が5日、東京・江戸川区内の葬儀所で営まれた。

入門から約半世紀にわたり、角界を裏方として支えてきた。大銀杏(おおいちょう)を結う速さ、出来栄えの美しさなどから「伝説の床山」とさえ言われた。所属した高砂部屋の富士桜、高見山、朝潮、小錦らを手がけたほか、高い技術で部屋の枠を超え、同じ高砂一門の横綱千代の富士、横綱曙らの大銀杏(おおいちょう)も結った。

通夜には、その高砂一門で日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、高砂親方(元大関朝潮)、九重親方(元大関千代大海)、錦戸親方(元関脇水戸泉)、振分親方(元関脇高見盛)ら親方衆はじめ、一門の枠を超えた現役の床山ら関係者が多数、参列した。

その中の1人が、日向端さんを「日本のお父さん」と慕っていた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏だ。遺族の意向で「指名焼香」し、親族が終わった後、一般参列者の中でいの一番に焼香した。

最後まで遺族に付き添ったダグワドルジ氏は「まさかこんなに早いとは思ってなく突然のニュースでした。最後のひと言は『床寿先生、さようなら』。もう少し生きてほしかった」と惜しんだ。「お相撲さんと違って床山さんは、侍たちのヘアスタイル(を手がける)」とし、一番印象に残っている言葉に「力士の顔と体つきに合わせて大銀杏を結うんだ、ということを言っていた」と述懐した。

「癖のある自分を直すために、いろいろ言ってくれた。平成の元で出会った2人が令和で別れた」。物静かな穏やかな口調で、恩人の死を悼んだ。6日午後1時から同所(セレモ江戸川ホール=東京都江戸川区谷河内1の1の16)で葬儀が営まれる。喪主は日向端育子さん。

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)
4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの祭壇(撮影・狩俣裕三)

関連するニュースを読む

高見山、千代の富士、小錦ら大銀杏結った床寿さん死去

09年1月、初場所の優勝祝勝パレードでオープンカーに乗る朝青龍(右)と日向端隆寿さん

大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんが4月30日夜、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。2日、関係者が明かした。75歳だった。床寿は青森県南部町出身で、59年に高砂部屋に入門。高見山、千代の富士、小錦、曙、朝青龍らそうそうたる面々の大銀杏(おおいちょう)を結い、高い技術に力士からの信頼も厚かった。08年11月に定年退職し、約50年、裏方として大相撲を支えたことが評価され、同年12月には日本プロスポーツ大賞功労賞も受賞した。

特に朝青龍からは「日本のお父さん」と慕われた。朝青龍から「大銀杏を結ってください」と願い出て、横綱昇進4場所目の03年秋場所から担当。以来、幾度となく酒を酌み交わし、床寿の定年に際して朝青龍は「自分がここまでできたのは床寿さんのおかげ」と話している。最後の場所となった08年九州場所では「名人床寿さん江 第六十八代横綱朝青龍」と入った幟(のぼり)も贈られ、会場に飾られた。直後の09年初場所では優勝パレードに招待され、オープンカーに一緒に乗った。

定年後も元気な姿を目撃していた関係者は多く、高砂部屋の力士には昨年末も「何かあったら連絡するから」と、陽気に話していたという。趣味の歌はプロ級で、レコードを出したこともある。多彩な人だった。通夜は5日午後6時から、告別式は6日午後1時から、ともにセレモ江戸川ホール(東京都江戸川区谷河内1の1の16)で営まれる。喪主は日向端育子さん。

床寿の日向端隆寿さん

関連するニュースを読む

元特等床山の床寿さん死去 朝青龍から「日本の父」

優勝祝勝パレードでオープンカーに乗る朝青龍(右)と元床寿の日向端隆寿さん(2009年1月25日撮影)

大相撲の元特等床山の床寿こと、日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんが4月30日夜に都内の病院で死去していたことが2日、分かった。

青森県出身。75歳だった。通夜は5日午後6時、葬儀・告別式は6日午後1時から、それぞれセレモ江戸川ホール(東京都江戸川区谷河内1の1の16)にて。喪主は日向端育子さん。

日向端さんは少年時代から相撲が好きで、中学卒業前に呼び出しを目指して高砂部屋入門を志願したが、空きがなかった。その後、床山に空きができ、高校を中退して1959年に入門。高見山、千代の富士、小錦、曙、朝青龍らの大銀杏を担当した。趣味の歌はプロ級で、レコードを出したこともある。朝青龍からは「日本のお父さん」と呼ばれ、2008年に定年退職していた。

朝汐の大いちょうを結う床寿。右は高見山(1979年6月16日撮影)

関連するニュースを読む

元黒姫山の田中秀男さん通夜、元高見山らが参列

通夜の祭壇に飾られた元関脇黒姫山の田中秀男さんの遺影(撮影・小沢裕)

4月25日に肺炎のため死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの通夜が、平成最後の日となった4月30日、東京・両国の回向院(東京都墨田区両国2の8の10)で営まれた。

元号が変わり令和最初の日となる5月1日の午前11時半から、同所で告別式が営まれる(喪主は妻の田中久美子さん)。

通夜には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、芝田山親方(元横綱大乃国)、境川親方(元小結両国)、春日野親方(元関脇栃乃和歌)ら協会理事や、巡業部時代に世話になった親方衆二十数人が参列。その他の関係者を含め約250人が故人の冥福を祈った。

その中の1人で、64年春場所初土俵の同期生だった元関脇高見山の渡辺大五郎さん(74)は、強烈なぶちかましで「デゴイチ」の異名を取った田中さんを「私たち同期は36人いました。私は19歳で彼は15歳。残念です。ぶつかり稽古がうまくて巡業ではいつも『胸を出してやってくれ』と巡業部長に頼まれていた。いい人で、ものすごく健康だったのに」としのんだ。

孫で昨年夏場所初土俵の田中山(17=境川)は、序ノ口から5場所連続勝ち越し中で、夏場所は東三段目47枚目まで番付を上げた。そんな順調な出世にも「(亡き祖父は)常に四股やテッポウの基本動作をしっかりやりなさい、と言われました」という。現役時代の祖父の映像も見ており「立ち合いからの出足は勉強になります。立ち合いを見習っていきたい。稽古を頑張るだけです」と亡き祖父に誓っていた。

新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身の田中さんは、1964年(昭39)3月の初場所で立浪部屋から初土俵。それからちょうど5年後の69年春場所で新十両昇進を果たした。2場所で通過し同年名古屋場所で新入幕、翌70年九州場所で新三役の小結昇進を果たした。小結と平幕上位をしばらく昇降した後、74年名古屋場所で自身最高位の関脇昇進を果たした。

西十両8枚目だった82年初場所12日目を最後に現役を引退した。通算108場所で1368回出場し、677勝691敗2休。三賞は8度受賞(殊勲4、敢闘3、技能1)、金星も6個獲得した。引退後は錦島、山響、出来山、北陣と年寄名跡を変更し88年2月1日から「武隈」を襲名。99年3月に立浪部屋から独立し力士2人を連れて武隈部屋を設立。04年3月に引退により力士不在となり、武隈部屋は消滅。友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、13年11月に定年退職した。

「デゴイチ」の愛称で親しまれた蒸気機関車(SL)「D51」の豪快な前進力に似た、おでこからぶちかまし、前に出る押し相撲で対戦相手から恐れられた。3場所連続の北の湖を含め北の富士、琴桜、輪島から金星を獲得した。 

元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した元関脇高見山(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した八角理事長(撮影・小沢裕)
元関脇黒姫山の田中秀男さんの通夜に参列した孫の田中山(撮影・小沢裕)

関連するニュースを読む

大転換の時代 外国人横綱誕生で歴史塗り替え

64代横綱曙

<平成とは・大相撲編(2)>

大相撲の長い歴史の中で、平成の30年は大転換の時代だ。史上初の外国人横綱が誕生し、モンゴル勢が国技の歴史を塗り替えた。戦後初の外国人力士となった高見山から始まった異国の力士たちの戦いは、平成になって大きな実を結んだ。

  ◇   ◇   ◇  

平成の前半は、ハワイ勢が活躍した。曙、武蔵丸の2人の横綱が、貴乃花、若乃花の好敵手として空前の相撲ブームといわれた若貴時代を盛り上げた。「相撲はケンカだ」と発言し「黒船襲来」と恐れられた小錦は、大関で3度優勝しながら横綱の夢はかなわなかった。その無念を教訓に、有無を言わせぬ強さで曙が昇進したのは93年(平5)春場所のことだった。4年後には武蔵丸も続いた。

92年(平4)2月、大島部屋にスカウトされてやってきた6人が、モンゴル力士の始まりだった。160人の応募者の中から選ばれ、現友綱親方の元関脇旭天鵬に、元小結旭鷲山らがいた。「最初は留学気分。学校入って、余った時間で部活するような感覚で来た」と友綱親方。独特の上下関係や食生活など相撲部屋の生活になじめず、集団脱走しモンゴルへ逃げ帰ったことも。そんな苦労の末、95年(平7)春場所、旭鷲山が初の関取となり、その多彩なワザで「ワザのデパートモンゴル支店」と脚光を浴びた。

旭鷲山に続き旭天鵬が関取になったことで、モンゴル人力士への期待が高まった。国内の相撲有力高校がモンゴルの能力の高い若者をスカウト。高校でさらに鍛えられて大相撲に入門し、明徳義塾高から横綱になった朝青龍の成功につながった。平成の大横綱、貴乃花が引退した03年(平15)初場所、朝青龍がモンゴル人初の横綱に昇進。2年後、史上最長の7場所連続優勝、年6場所完全制覇の大記録を打ち立てる。その強さは白鵬に引き継がれ、平成後半はモンゴル勢の圧倒的強さが角界を席巻した。

モンゴル人の成功を白鵬は「40年前の日本人力士に聞いてみればいいよ。そのころと同じハングリー精神があり、故郷から出て一旗揚げてやろうという気持ちでやって来る。精神的な面が大きい」と話す。続々と入ってくる後進の面倒を先に入った旭天鵬らがサポートしたことも大きい。白鵬から「兄さん」と慕われる旭天鵬は「後輩が関取になると、必ずテレビをプレゼントした。モンゴルではなかなか買えないから」。

平成の182場所で外国出身力士の優勝は114回。うち85回がモンゴル出身力士の優勝だ。特に平成後半はモンゴル勢が優勝をほぼ独占。そんな状況を喜ばない相撲ファンの声を協会も無視できなくなった。98年(平10)4月の師匠会で、外国人は1部屋2人、全体で40人という人数制限を確認。2年後の師匠会では、モンゴル人は全体で20人までという話も出た。02年(平14)2月には理事会で、外国人力士の採用定員40人という枠を外した上で、原則として1部屋1人(平成22年には日本国籍取得者も含められた)が決定した。

日本人力士の勝利や優勝を望む雰囲気をモンゴル人力士も肌で感じている。貴乃花引退前年の02年秋場所2日目。旭天鵬は横綱貴乃花に勝って金星を獲得した。また、12年夏場所千秋楽、栃煌山との平幕優勝決定戦に勝利して史上最年長40歳8カ月と10日で初優勝。そのどちらの取組でも「オレが勝っていいのか?」と対戦前に悩んだという。貴乃花は当時、負ければ引退といわれており、栃煌山は6年ぶりの日本人優勝がかかっていた。部屋には無言電話や、嫌がらせの手紙も来た。

暴行事件で引退を余儀なくされた朝青龍や日馬富士、貴ノ岩らの不祥事もモンゴルへの逆風となっている。自分より相手への声援が多くても、それをバネに白鵬は勝ち続けた。昭和の大横綱大鵬の優勝32回を抜き去り、19年春場所まで43回の優勝。八百長や賭博問題で世間の批判にさらされた角界を1人横綱として支えた。最近は、自らが壁となり続けることで稀勢の里(現荒磯親方)を日本人横綱へと導くなど、後進の育成にも目を向けている。

「余裕が出てきて周りがよく見えるようになった。次を育てないといけないし、もっと相撲界を盛り上げたい」

国は違えど、角界に入れば思いは同じだ。今後、外国人力士は増えるか聞かれると白鵬は「(予想するのは)自信がないね。40年、50年前の人たちの体と精神を(自分たちが)つないでいければいいんじゃないかな」と話した。(敬称略)【桝田朗、高田文太、佐藤礼征】

67代横綱武蔵丸
68代横綱朝青龍
69代横綱白鵬
70代横綱日馬富士
71代横綱鶴竜

関連するニュースを読む

安美錦、勝ち越しも淡々「その日の一番をしっかり」

美ノ海(手前)をはたき込みで破る安美錦(撮影・岡本肇)

<大相撲名古屋場所>◇13日目◇20日◇ドルフィンズアリーナ

 現役最年長関取で、西十両4枚目の安美錦(39=伊勢ケ浜)が、8勝5敗として勝ち越しを決めた。

 新十両の西十両14枚目美ノ海(ちゅらのうみ、25=木瀬)をはたき込みで下した。「やったことない相手。しっかり当たってくるから(腰が)高くならないようにした」と淡々と振り返った。勝ち越しについては「残り2日が終わった時にホッとすると思う」と気に留めなかった。

 幕内通算在位は現在97場所で、来場所幕内に戻れば高見山を抜いて歴代単独3位になる。12日目には元横綱大鵬の通算勝利数を抜く歴代8位の873勝目を挙げたが、本人は偉業に目を向けず「勝ってはいるけどあと2つ。しっかり相撲を取りたいね。その日の一番をしっかり準備してやることが大事じゃないですか」とクールに語った。

関連するニュースを読む

朝乃山の平幕Vに吉兆 最も多い名古屋の高砂部屋

碧山(右)を寄り切りで破り、1敗を守った朝乃山(撮影・岡本肇)

<大相撲名古屋場所>◇8日目◇15日◇ドルフィンズアリーナ

 西前頭13枚目の朝乃山(24=高砂)が1敗を守り、優勝争いの台風の目として存在感を発揮し始めた。巨漢の碧山を、得意の右四つから寄り切る完勝で勝ち越しに王手。全勝の関脇御嶽海を、遠藤とともに1差で追走している。年6場所制となった1958年(昭33)以降、最も平幕優勝が多いのが名古屋場所。同場所での過去5人の平幕優勝のうち、3人が高砂部屋というデータも後押しする。

 立ち合いは相手の圧力に上体をのけぞらせた。それでも朝乃山は前に出た。生命線の左上手を取ると、右もねじ込んだ。自身より27キロも重い、192キロの碧山と胸を合わせて真っ向勝負を挑み、寄り切った。「突っ張られても起こされても落ち着いて取れた。止まったら重い相手。怖がったら負ける。休まず攻めきろうと思った」と胸を張った。

 3横綱と新大関栃ノ心が休場し、優勝争いは混戦模様だ。そんな中、名古屋場所の平幕優勝は5人と、最も多いというデータが後押しする。しかも5人のうち富士錦、高見山、水戸泉の3人が高砂部屋。朝乃山もこの日の朝稽古後「チャンスをものにしないと。優勝を狙いたい」と宣言した。

 今場所で新入幕から6場所目、1年が経過する。新入幕の昨年秋場所で10勝を挙げて敢闘賞を受賞。若手のホープと期待されたが、最高位は西前頭11枚目にとどまり「いつまでも下でウロチョロしているわけにはいかない」と歯がゆさがある。6月に富山市に帰省した際、昨年1月に40歳で亡くなった母校の富山商相撲部監督だった浦山英樹さんの家族のもとを訪れた。仏壇に手を合わせて「名古屋では2ケタ勝ちます。見守ってください」と誓った。

 今場所に向け、富山の名産で出世魚のブリが描かれた浴衣地を自費で作った。「ブリを横綱だと思って作った。自分はまだ金魚だけど」。成長への意欲をのぞかせた。【高田文太】

関連するニュースを読む