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北青鵬が序二段全勝優勝 白鵬名付けた期待の18歳

序二段優勝を決めた北青鵬(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>13日日◇25日◇東京・両国国技館

序二段は西14枚目の北青鵬(18=宮城野)が生田目(二子山)を寄り倒し、7戦全勝で優勝した。

7月場所の序ノ口に続く連続優勝。身長2メートルの大器は「各段優勝して上がっていく気持ちで入門した」と言い切る。モンゴル出身で5歳の時に家族と来日し、札幌市に居を構えた。横綱白鵬に見いだされ、名門の鳥取城北高をへて宮城野部屋に入門し今年春場所、初土俵を踏んだ。しこ名も白鵬が名付けた。

休場中の横綱からこの日朝、稽古場で「集中してとってこい」と激励されたという。来場所は三段目昇進が確実。「徐々に目標は達成できている。三段目でも頑張りたい」とさらなる上を目指し、気合を入れた。

生田目(下)を寄り倒しで破る北青鵬(撮影・河田真司)     
生田目(左)を土俵際で攻める北青鵬(撮影・河田真司)     

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1人受験のモンゴル出身トゥルトクトホが基準満たす

大相撲秋場所の新弟子検査が8日、東京・両国国技館で行われ、ただ1人受験したバットトクトホ・トゥルトクトホ(23=伊勢ノ海)が身長181センチ、体重134キロで体格基準(身長167センチ以上、体重67キロ以上)を満たした。

モンゴル出身のトゥルトクトホは鳥取城北高を経て同大に進学。4年生として迎えた昨年のインカレでは、大将として団体3位に貢献した。内臓検査の結果を待ち、初日に合否が発表される。

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照ノ富士が秋場所に向け始動「やれることやるだけ」

1つ10キロのダンベルを扱い汗を流す照ノ富士

大相撲7月場所で5年ぶり2度目の優勝を果たした大関経験者の前頭照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が10日、秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)に向けて本格的に始動した。

7月場所の千秋楽後、初めて都内の部屋でまわしを締めて稽古を行った。四股やすり足などの基礎運動に加えて、1つ10キロのダンベルを使って体を動かした。大相撲史に残る復活劇を成し遂げて1週間。「いろいろな方々に祝福していただき、改めて(優勝を)実感しています。番付が落ちているときも変わらず応援してくれた方たちからのお祝いの連絡がうれしかったです」と感謝した。

6日には母校の鳥取城北高を表敬訪問し、石浦外喜義校長らに優勝を報告した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で高校相撲でも大会が軒並み中止となったが、その中で後輩たちを勇気づける活躍を見せた。「後輩たちに、インターハイなど大会の機会がなくなってしまったけど、腐らずに毎日の努力がすごく大事だと思うので『頑張ってほしい』と伝えました。いま伊勢ケ浜部屋に鳥取城北から(入門した力士)は自分だけなので、励みにもなるし、教えてもいけるので『今の状況が落ち着いたらぜひ部屋に来てください』と伝えました」とエールを送った。

すでに約1カ月後に迫っている秋場所は、上位総当たりとなる見通しだ。序二段からはい上がった28歳は「特別誰というのはありません。当たる相手は誰でも関係なくやれることをやるだけなので」と淡々としていた。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(2020年8月1日)

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照ノ富士が母校の鳥取城北高に凱旋「懐かしく思う」

大相撲7月場所で2015年夏場所以来、30場所ぶり2度目の優勝を飾った元大関で平幕の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が6日、母校の鳥取城北高(鳥取市)を表敬訪問し、石浦外喜義校長(59)らに優勝を報告した。喜びを共有し「鳥取は日本の故郷。懐かしく思う」とかみしめた。

モンゴルから鳥取城北高に10年に相撲留学し、インターハイでの団体優勝に導くなど活躍。角界入り後は大関に上り詰めたが、両膝の負傷や内臓疾患で序二段まで転落。それでも諦めず土俵に上がり続け、再入幕した7月場所での優勝劇に母校は喜びに沸いた。

復活に「支えてくれた人たちのおかげ。いいときも悪いときもついてきてくれた人たちがいたから、恩返しをしたいと思った」と感謝の言葉を述べた。報道陣から大関復帰について聞かれると「あまり期待しないでほしい」と笑いを誘った。(共同)

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復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗

幕尻優勝を果たし、八角理事長(右)から賜杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司) 

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。

関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。

混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。

1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝してる。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯(じんたい)が、左膝は半月板がなくなった。

17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。

表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

▽八角理事長(元横綱北勝海)「照ノ富士はよく戻ってきた。戻ってすぐの優勝だから素晴らしい。こんなに早く優勝できるとは、本人も思っていなかっただろう。やっぱり、いろいろ経験してきた元大関だ。緊張感の中、気持ちで相撲を取っていた。ただ、まだ膝をかばっている感じで不安もあるだろう。来場所は難しいものがあるのでは」

▽照強(照ノ富士に前日)「明日頑張って下さい」と言ったら「ありがとう」と。優勝してもらって気持ちよく祝いたい。

引退を引き留めた師匠の伊勢ケ浜親方から優勝旗を受けとる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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照ノ富士が奇跡の大復活V、序二段経て30場所ぶり

かみしめるように下がりを外す照ノ富士(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館

14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、技能賞の三賞2つも獲得した。

両膝の負傷や内臓疾患に苦しんだ男が、4カ月ぶりに再開した本場所で主役となった。大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

初優勝から5年2カ月がたっていた。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声が高かった。

しかし昇進後は両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に「とりあえずは治してから話をしよう」と引退を慰留された。1年以上かけて土俵に戻る決心を固め、昨年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。負け越し知らずで番付を上げ、初場所で再十両。返り入幕となった今場所、ついに“奇跡のカムバック”を実現させた。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。

御嶽海(左)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

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北青鵬が序ノ口初V 身長2mの大器、白鵬スカウト

雅(右)を攻める北青鵬(撮影・河田真司)

<大相撲7月場所>◇13日目◇31日◇東京・両国国技館

横綱白鵬がスカウトした身長2メートルの大器、東序ノ口18枚目北青鵬(18=宮城野)が、初の序ノ口優勝を果たした。立ち合い当たって西序二段103枚目雅の右上手を取ると、一気に寄り切った。「うれしいです。まわし1本取れたのであとは前に出るだけだった。そんなにプレッシャーはなかった。落ち着いて相撲を取ろうと思っていた」。3月の春場所が初土俵だったモンゴル出身の18歳は、盤石の相撲で序ノ口デビューを締めくくった。

あこがれの力士はもちろん兄弟子の白鵬。取組前には「気を抜かずに頑張れ」と声をかけてもらったという。5歳で父親の仕事の関係で北海道に移り、6歳の頃に韓国の空港で偶然白鵬と出会ったことをきっかけに相撲を始めた。高校相撲の名門、鳥取城北高を経て宮城野部屋に入門。部屋ではすでに関取衆とも稽古を行っているという逸材は「1年以内に新十両に上がれるように頑張りたい」と堂々宣言した。

雅(左)を寄り切りで破る北青鵬(撮影・河田真司)
7戦全勝で序ノ口優勝を決めた北青鵬(撮影・小沢裕)

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照ノ富士が無傷5連勝、母校出場センバツ中止に言及

琴勇輝(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・前田充)

<大相撲春場所>◇5日目◇12日◇エディオンアリーナ大阪

東十両3枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、無傷の5連勝を飾った。

立ち合いから素早く左上手を取ると、一気に寄り切り。取組前まで2勝3敗だった琴勇輝との、約2年ぶりの顔合わせで快勝し、対戦成績を五分に戻した。それでも取組後は「普通です。変わりない」と、淡々と答えた。

前日11日に、かつて通っていた鳥取城北高が出場予定だった、選抜高校野球の中止が決まった。在籍時はスポーツ推薦入学者のクラスで、クラスメートに野球部員も多かったという。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で、大相撲も初めた無観客で開催しているだけに「仕方ない。こういう状況だから」と語った。

琴勇輝(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・前田充)

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ソソルフー白鵬杯初優勝 憧れ日馬富士と対面で興奮

白鵬杯の中学生個人で優勝したソソルフー

大相撲の横綱白鵬が主催する第10回白鵬杯(世界少年相撲大会)が2日、東京・両国国技館で行われ、モンゴル出身のアルタンゲレル・ソソルフー(15=鳥取西中)が中学生個人の部を制した。

決勝ではバヤルボルドとのモンゴル対決に勝利した。小4から出場していた同大会。中学生個人の部を海外代表選手として初めて優勝し「うれしい。中学最後の大会だったので良かった」と、屈託のない笑みを見せた。

小さい頃からテレビで観戦していた大相撲の世界にあこがれ、中1から相撲留学した。小さい頃のあこがれは元横綱の朝青龍や日馬富士。この日、会場に日馬富士が訪れており「日馬富士関の相撲を目指していたので、見てうれしかった」と興奮気味に話した。日本に来て3年足らずだが、報道陣の取材にも丁寧な日本語で対応。来日時は日本の上下関係に苦労したが「今は大丈夫」と頼もしかった。

普段は高校相撲の強豪で、4月に進学予定の鳥取城北高で稽古を重ねている。175センチ、93キロ。中1から体重は40キロ増え、身長はこの1年で14センチ伸びた。「(将来的には)185センチ、体重は130キロくらいになりたい」と理想を掲げた。「城北で3年間頑張って大相撲に入りたい」と、高卒での角界入りを宣言。「みんなが目指している関取、横綱になりたい」と目を輝かせた。

第10回白鵬杯の開会式で、記念撮影に納まる横綱白鵬と長男真羽人君(前列右から4人目)と相撲少年たち(撮影・柴田隆二)

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照ノ富士6連勝「冷静に取れた」後輩美ノ海に白星

美ノ海(左)を寄り倒しで破った照ノ富士(撮影・中島郁夫)

<大相撲初場所>◇6日目◇17日◇東京・両国国技館

大関経験者の西十両13枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、盤石の相撲で初日からの連勝を6に伸ばした。鳥取城北高の後輩、西十両12枚目美ノ海(26=木瀬)に左上手を取られたが、右でかいなを返し、左で抱えて前に出た。「差して前に出たかった。左(上手)を取れなかったけど冷静に取れた」と、狙い通りの取り口ではない中でも白星を挙げた。

2歳年下の美ノ海とは、在学期間が8カ月かぶっているという。「(稽古場で)向こうが(自分に)勝てなくて、悔しくて泣きながら『もういっちょ』と言っていた。いい稽古をしていました」と、懐かしそうに振り返った。

5日目までに同部屋の東前頭14枚目照強(24=伊勢ケ浜)も無傷の5連勝を飾っており「応援している」とエールを送った。勝ち越しまであと2勝。「ちょっとずつ感触をつかんでいければいいかな」と、さらに状態を仕上げていくつもりだ。

照ノ富士(右)は美ノ海を寄り倒しで破る(撮影・柴田隆二)

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美ノ海再十両望み、引退大喜鵬に花道飾りたい一心

美ノ海(2019年3月22日撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇22日◇東京・両国国技館

東幕下6枚目美ノ海(ちゅらのうみ、26=木瀬)が再十両に望みをつないだ。7番相撲で王輝に下手ひねりを決め、5勝2敗とした。十両の下位、幕下上位の勝敗状況次第だが、3場所ぶりに十両復帰の可能性がある。

「そうですね。でも、あまりそのへんは考えずに相撲をとりました。それより(元幕内の)大喜鵬さんが引退なので、変な相撲だけはとりたくなかった」。鳥取城北高-日大の先輩の花道を飾りたい一心だったという。

弟で西十両13枚目の木崎海はこの日、勝ち越しを決めた。木崎海は先場所が新十両で兄と“行き違い”だった。兄弟同時関取の希望は残ったことになる。

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中学横綱の吉井、高卒211キロを投げて6勝締め

吉井(19年2月撮影)

<大相撲名古屋場所>◇14日目◇20日◇ドルフィンズアリーナ

静岡・焼津港中で昨夏の全国中学校相撲選手権個人、団体2冠に輝いた西序二段66枚目の吉井(15=中川)が、6勝1敗で今場所の取組を終えた。

デビュー2場所連続勝ち越しの上、6勝したことで秋場所での三段目昇格の可能性も浮上。しかし、吉井は「相撲内容はまだまだですが、場所前の目標をクリアできたことは、ホッとしています」と冷静でいる。

この日の7番相撲は、同じく1敗の同東72枚目當眞(宮城野)だった。同期入門力士だが、鳥取城北高卒の3学年上。体重は211キロで145キロの吉井は、立ち合いから一気に土俵際まで押し込まれたが、相手のはたきを踏ん張って左前みつを手にした。その後、こう着状態になったが、右前みつも手にして一気に寄り。土俵際に押し込んだ上で、右上手投げを決めた。

「重かったです。自分では出し投げのイメージでしたが、何とか勝てて良かったです」

どうしても勝ちたい相手だった。デビューの夏場所では、昨年の全国中学選手権個人で準優勝の大辻(高田川)が、當眞に勝っていたから。「大辻のことを考えると、勝っておきたい相手でした。苦しみましたが、何とかなりました」。

理想の立ち合いから馬力で押し込む相撲ができたのは、5勝目を飾った一番のみという。師匠の中川親方(元前頭旭里)からも「内容が良くない」と指摘されている。それでも、出世は順調。吉井自身はおごらず、「ここから先は、ゆっくりと上がっていければと思います。とにかくケガをしないように、じっくりと力をつけていきたいので」と話している。【柳田通斉】

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狼雅が序二段V、優勝決定戦で元大関照ノ富士下す

大相撲春場所千秋楽 狼雅、序二段優勝(撮影・奥田泰也)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

序二段優勝は狼雅(ろうが、20=二子山)、7戦全勝。優勝決定戦で、鳥取城北高の大先輩で元大関照ノ富士をもろ差しから投げで勝負を決めた。

「頭真っ白です」。大関だった頃も稽古をつけてもらった。「めちゃくちゃ仲のいい、大事な先輩」。元高校横綱が序ノ口から2場所連続V。同学年の豊昇龍、納谷らに「少し近づいた」と笑った。

◆西15枚目 本名・アマルトゥブシン・アマルサナー。モンゴル・ウランバートル市生まれ。18年九州場所初土俵。184センチ、137キロ。右四つ、寄り。

優勝決定戦序二段 照ノ富士(左)を下手投げで破る狼雅(撮影・渦原淳)

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照ノ富士「優勝決定戦」合わず?三段目昇格もV逃す

照ノ富士(左)を下手投げで破る狼雅(撮影・渦原淳)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

よくよく「優勝決定戦」とは合口が悪いのか-。ケガや内臓疾患のため、4場所連続全休し大関から西序二段48枚目まで番付を落とした照ノ富士(27=伊勢ケ浜)が、7戦全勝対決となった西序二段15枚目の狼雅(20=二子山)に敗れた。

本割7番で全勝のため、来場所は三段目昇格は決定。番付には影響しない一番だったが、復活場所Vとはならなかった。

先場所は序ノ口でデビュー場所Vを飾った狼雅は、鳥取城北高の後輩。「勝ち負けにこだわらず1番1番に『こんなことを今日はしよう』とテーマを持って臨んでいた」という今場所。この日の一番では「(相手に)差させて(腕を)きめようと思っていた」。その通り、立ち合いから二本を差され、相手の両腕をきめたが、相手の寄り身に徐々に後退。俵で踏ん張ったが、残すところを左からの、すくい投げで転がされた。「やっぱり決めたこと(=テーマ)が悪かったかな。普通にやれば良かった」と苦笑いした。

レベルこそ違うが、優勝決定戦は大関時代の15年秋場所(鶴竜に負け)、17年春場所(稀勢の里に負け)に続き3連敗。特に前回は本割との連敗で、ケガを負って新横綱を務める稀勢の里(現荒磯親方)の引き立て役となってしまった。あれから2年。今回の大阪のファンは温かかった。取組前からしこ名を連呼する大声援に包まれる中、しかし優勝は逃した。

それでも今場所、何度も話したように「今場所は元々、稽古もできなかったから勝ちにこだわっていない。相撲を取る感覚を取り戻したいな、って感じで最初からやってた。だから優勝できなかったからって、悔しいなんてことはない」と汗びっしょりの体をぬぐいながら言った。「こんなに汗をかいた。いい稽古だよ」と本場所の計8番で手応えは十分につかんだ。場所後には、関取衆との稽古も再開したいという。「オレは人より3番、成長が早いからね」。そう言った後、「(番付の)回復も?」と問われ、意地を見せるようにはいた。「見せてやりますよ」。復活への青写真は確実に描かれた。

照ノ富士(左)を下手投げで破る狼雅(撮影・上田博志)

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元大関照ノ富士、序二段で無傷7連勝 優勝決定戦へ

支度部屋で笑みを浮かべる照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇13日目◇22日◇エディオンアリーナ大阪

ケガや内臓疾患のため、4場所連続全休し大関から西序二段48枚目まで番付を落とした照ノ富士(27=伊勢ケ浜)が、全勝対決で勝ち無傷の7連勝。千秋楽の優勝決定戦の土俵で序二段優勝をかける。

西84枚目の佐田剛(20=境川)と対戦。この日のテーマは「今場所は思い切って体を使った相撲が1番もなかった。今日は思い切った体を使った相撲を取ろうと思った」。右で張って立つと、左を瞬時に差し右上手をひきつけた。体格差は歴然。それだけで相手の上体が伸び切り、左手をグイと突いただけで押し倒した。わずか3秒の取組時間で「自分の中では物足りないなというのはある」と、やや消化不良の感は残った。

それでも復帰場所で、本割7番を全勝。この時点で17番後に取る、鳥取城北高の後輩で、やはり序二段で6戦全勝だった狼雅(20=二子山)が勝つことは見越したのか「とりあえず千秋楽(の優勝決定戦)が残ってるし」と気を緩めることはなかった。何より長期的な先を見据え「優勝が目標じゃない。幕内に上がること」と目標が遠い先にあるから、手放しでは喜べない。それでも安堵(あんど)感は、報道陣と雑談する表情の端々から見て取れた。

大関経験者が幕下以下で相撲を取る前例はなかった。プライドもある。引退も頭をよぎったが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の「やれば出来るんだから、もう1回、復活を見せたらいいんじゃないか」という言葉が「あの言葉が一番、(心に)響いた」と土俵復帰に心を傾かせてくれた。

2年前の同じ大阪の土俵。幕内優勝争いで1差リードしながら、新横綱の稀勢の里(現荒磯親方)に本割、優勝決定戦で連敗した、あの春場所の記憶は新しい。その同じ土俵に、序二段の優勝をかけて決定戦に臨む。格差こそ歴然とした違いがあるが、復活への思いをかけて臨む。

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新弟子検査に40人、当真嗣斗は最重量211キロ

大阪警察病院で新弟子検査を受ける当真嗣斗(撮影・上田博志)

大相撲春場所(10日初日、エディオンアリーナ大阪)の新弟子検査が2日、大阪市内の病院で行われ、鳥取城北高の当真嗣斗(18=宮城野)ら40人が受検、全員が体格基準をパスした。合格者は内臓検査の結果を受け、初日に発表される。

当真は体重でダントツの211キロを記録した。小学校6年で白鵬杯に優勝し、白鵬に声をかけてもらった縁から宮城野部屋に入門した18歳は「学校で200キロ以上量れる体重計がなくて、初めて自分の体重がわかった」と喜んだ。白鵬の“内弟子”といえば石浦が120キロ、炎鵬が100キロだけに、体重は早くも2人分に迫る勢いだ。

小学校入学時で80キロ、小4で120キロ、中学入学時で150キロ。体重を量れた最後が昨年5月で195キロだった。沖縄県那覇市の実家、居酒屋「イカリ亭」で父嗣有さんのゴーヤーチャンプルーなどを食べ、牛乳を1日4リットル飲み「こうなっちゃいました」と笑った。

しかし、プロは重いだけじゃダメだ。出会いで「大きいね」と言ってくれた白鵬に今は「まず、やせなさい」と言われる。「ケガをするんで160、170キロぐらいに絞って、それから稽古で体を大きくしたい」。白鵬の“規格外の内弟子”は、ダイエットからスタートする。【加藤裕一】

◆当真嗣斗(とうま・つぐと)2000年(平12)5月10日、沖縄県那覇市生まれ。小4からわんぱく相撲3連覇、小6で少年相撲の世界大会で知られる白鵬杯優勝。中学卒業後、鳥取城北高に相撲留学。押し相撲、右四つ。好きなタレントは新垣結衣。183センチ、211キロ。

◆巨漢力士 新弟子検査(体格基準=167センチ、67キロ以上、中卒見込み者165センチ、65キロ以上)の最重量記録は、07年初場所の元前頭山本山で233キロ。歴代最重量力士は元幕下大露羅で、引退した昨年秋場所前の8月に292・6キロを記録。現在、幕内力士で200キロ以上は西前頭4枚目逸ノ城(226キロ)東前頭筆頭魁聖(204キロ)だけ。

大阪警察病院で新弟子検査を受ける斎藤大輔(左)(撮影・上田博志)

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鳥取城北・当真嗣斗が211キロで体格基準クリア

大阪警察病院で新弟子検査を受ける当真嗣斗(撮影・上田博志)

大相撲春場所(10日初日、エディオンアリーナ大阪)の新弟子検査が2日、大阪市内の病院で行われ、鳥取城北高の当真嗣斗(18=宮城野)ら40人が受検、全員が体格基準をクリアした。合格者は内臓検査の結果を待って、初日に発表される。

当真は183センチと背も高いが、体重は受検者40人中ダントツの211キロを記録した。小学校6年で少年相撲の白鵬杯で優勝して、白鵬に声をかけてもらってから、お相撲さん=白鵬の一念で、宮城野部屋入門を決めた18歳は「学校で200キロ以上量れる体重計がなくて、初めて自分の体重がわかった」と喜んだ。白鵬の“内弟子”は120キロで平幕の石浦、100キロの十両炎鵬が有名だが、体重だけは2人分に迫る勢いだ。

小学校入学時で80キロ、小4で120キロ、中学入学時で150キロ。体重を量れた最後が昨年5月の195キロだった。何を食べたら、そうなるのか? 「お父さんが居酒屋をやっていて、中学まで稽古が終わると店に行って。一番好きなのはゴーヤチャンプルーなんですけど、お客さんも“これ食べて”と料理をくれるし…」。沖縄・那覇市の実家「イカリ亭」で父嗣有さんの手料理をしこたま食べ、牛乳を1日4リットル飲んだ。当真は「そしたら、こうなっちゃいました」と笑った。

ただし、角界は体重だけで通用するほど甘くない。最初の出会いで「大きいね」と言ってくれた白鵬に今は「まず、やせなさい」と言われている。「今のままじゃケガしてしまう。160、170キロぐらいまで絞って、それからまた稽古で体を大きくしたいです」。現在は“牛乳断ち”し、ご飯1杯とちゃんこを2~3杯で我慢する。規格外の白鵬の“内弟子”は、ダイエットからスタートする。

大阪警察病院で新弟子検査を受けた当真嗣斗は囲み取材に応じる(撮影・上田博志)

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206キロ“沖縄の怪童”当真が宮城野部屋で初稽古

プロ初稽古で汗を流した当真

大相撲春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)で新弟子検査を受ける182センチ、206キロの“沖縄の怪童”が、プロ初稽古でみっちり汗を流した。

3月2日の新弟子検査を受ける、宮城野部屋の当真嗣斗(とうま・つぐと=鳥取城北高3年)が26日、大阪・天王寺区内にある同部屋の朝稽古に参加。「20日まで(高校で)稽古して21日に大阪に入りました。22日から昨日までは、ずっと土俵作りをしていたので、久しぶりに体を動かしました。ハイッ、今日が(入門後の)初めての稽古です」と初々しい表情で話した。

沖縄生まれの当真は、わんぱく相撲で小4から3連覇。当時で身長180センチ、体重140キロを超え、小6の時には、少年力士の世界大会として知られる白鵬杯で優勝。「沖縄に、怪力のすごい少年がいる」という話が耳に入ったことで、白鵬が目を付け、以後は連絡を取り親交が続いていた。高校は相撲留学で鳥取へ。白鵬にスカウトされる形となった当真は17日に、鳥取城北高で入門会見を開き、白鵬も自ら足を運び出席した。

プロでの第1歩を踏み、初稽古で汗を流した当真は「プロの稽古は時間は長くなくても内容が締まっている感じでした。アマチュアとは全然、違う。ここからは仕事です」と自覚を示した。気になるのは昨年5月に痛めた腰の状態。稽古もほとんど出来ないまま臨んだ8月の高校総体は、団体で準優勝も個人はベスト8にも入れずじまい。昨秋の国体も「もっと状態は悪くて(結果は)全然ダメでした」という。試練を克服して、立派な関取になれるか-。3月1日の卒業式と、その前日の表彰式出席のため27日には鳥取に戻り、新弟子検査のある3月2日に再び大阪入りする。

プロ初稽古でスカウトした白鵬(左)の前で汗を流す当真

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ロシア生まれ狼雅が序ノ口V「いいスタート切れた」

天恵(下)を上手出し投げで破る狼雅(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇13日目◇25日◇両国国技館

6戦全勝で2人が並んだ序ノ口の優勝争いは、両者とも勝てば二子山部屋力士による千秋楽優勝決定戦に持ち込まれたところだったが、序ノ口デビューの狼雅(19)が勝ち、その一番後に序二段の土俵で取った藪岡(20)が敗れたため、狼雅の優勝が決まった。

西の花道奥の通路で、藪岡の取組を確かめた狼雅は「優勝決定戦をしたかったけど、うれしい。いいスタートを切れました」と笑みを浮かべた。母ドランナンさんの故郷であるロシア・トワで生まれ育ち、14歳まで過ごした。「モンゴル語を勉強したい」と国を越え、モンゴルへ。ロシアでは柔道、レスリング、モンゴル相撲に似た相撲の経験があり、モンゴルに渡ると横綱白鵬が主催する「白鵬杯」に出場。そこでスカウトされ15歳の2月に来日。そのまま鳥取城北高に入学し、一昨年夏の高校総体決勝では、朝青龍のおいにあたる現幕下の豊昇龍に勝ち、外国出身として初の高校横綱に就いた逸材だ。

国籍はモンゴルだが、滞在は1年あまりで「急にモンゴル人と言われても…」とロシアへの郷愁の念は強い。「今場所は右の前みつを取るという形を作っての相撲が取れた」。高校相撲と比べると「高校(の大会)は1日で全てが終わる。プロは失敗しても動画を見たりして(翌日に)直せる」と精神的にもプロ向き。昨年4月から二子山部屋での生活を始め、約半年間の「研修期間」を経て、昨年11月の九州場所で初土俵。番付に初めてしこ名が載った実質的な「プロデビュー」の場所で幸先いいスタートを切った。

◆東23枚目 本名アマルトゥブシン・アマルサナー。モンゴル・ウランバートル出身。18年九州場所初土俵。183センチ、135キロ。得意は右四つ、寄り。

狼雅(撮影・河田真司)

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貴ノ岩引退「新弟子になりたい」心残りも暴力の責任

引退会見で頭を下げる貴ノ岩(右)。左は千賀ノ浦親方(撮影・山崎安昭)

付け人に暴力を振るった平幕の貴ノ岩(28=千賀ノ浦)が7日、責任を取って現役を引退した。師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)と都内の日本相撲協会を訪れ、八角理事長(元横綱北勝海)らに引退の意思を伝えて受理された。貴ノ岩は昨年10月の元横綱日馬富士による傷害事件の被害者で、一連の騒動により師匠だった元貴乃花親方(元横綱)が今年10月に退職。部屋を移籍して第2の相撲人生を歩み出した直後に加害者となり、引退を余儀なくされた。

協会から引退受理の発表が行われた3時間後。貴ノ岩は都内の部屋で行われた引退会見場に、師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)とともに現れた。両者潤んだ目をして立ったまま、報道陣に対して約10秒間深く頭を下げた。「弟弟子に手をあげてしまい、大変つらい思いをさせたことを深く反省し、責任を取って本日をもって貴ノ岩義司、現役を引退させていただきます」と言い、また頭を下げた。

早い決断だった。貴ノ岩は4日午後11時ごろ、冬巡業で滞在していた福岡・行橋市のホテルで付け人の三段目貴大将を4、5発殴った。夕食時にはビールを1杯飲んだといい、付け人が風邪薬を忘れ、言い訳をしたことに腹を立て暴行。翌5日に事態が判明し、帰京して相撲協会から事情聴取を受けると、6日夜には千賀ノ浦親方に引退の意向を示した。引き留められた。「相撲を続ける気持ちは今もありますけど、やっぱり引退して責任取るという気持ちの方が強かったです」と、揺らぐことはなかった。

昨年10月の秋巡業中に元日馬富士から暴行を受けた被害者で、一連の騒動で元日馬富士、元貴乃花親方が角界を去った。それだけに今回の件に関して、背負った罪の大きさは計り知れない。「自分の気持ちの弱さ、自覚のなさ。反省しかない」と決断した。

9月まで苦楽をともにしてきた、元貴乃花親方の花田氏と連絡を取ったことを明かした。だが内容を問われると「そこは…すみません…」と明かさず。花田氏への思いを問われると「育ててくれた感謝と、迷惑かけて申し訳ないという気持ちが両方あります」と神妙に話した。

10年間過ごした角界を、思いも寄らぬ形で去ることとなった。今後の人生については「今のところは考えておりません」とした。会見最後に「もし相撲の神様がいて時間を戻してくれるならいつに戻りたいですか」と問われた。ひと呼吸置き「また、新弟子になりたいです」と言った声がむなしく響いた。

◆貴ノ岩(たかのいわ)本名アディヤ・バーサンドルジ。1990年2月26日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。モンゴルでは柔道、レスリングの経験を生かし鳥取城北高へ相撲留学。卒業後に貴乃花部屋に入門し09年初場所初土俵。12年名古屋場所新十両、14年初場所新入幕。元貴乃花親方が育てた最初の関取だった。得意は右四つ、寄り、投げ。182センチ、150キロ。血液型O。通算成績は371勝303敗44休。三賞は殊勲、敢闘が各1回、金星1個。独身。8歳で母、来日直後には父を病気で亡くし、きょうだいは兄3人、姉1人。愛称はバスカ。

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