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英国でも“美しすぎるラウンドガール”が大注目 23歳アポロニア・ルウェリン、人気急上昇中

※写真はイメージ

英国にも人気急上昇中の“美しすぎる”ラウンドガールがいる。

英リーズ出身のアポロニア・ルウェリン(23)は、ユーチューバー兼ラッパーでプロボクサーとしても活動するKSIらインフルエンサーたちが出場するプロボクシング興行「ミスフィッツボクシング」でラウンドガールを務めている。今年1月の英ロンドン・ウェンブリー・アリーナで開催された同興行で大きな注目を集め、現在は英紙ザ・サンやデイリー・スターでも、ルウェリンがインスタグラムなどで更新するビキニショットが紹介され、その動向が報じられている。

ルウェリンはモデルとして活動していたが、ラウンドガールに取り組んだ後からSNSでのフォロワー数も伸び、TikTokに約70万人、インスタグラムには55万人以上のフォロワーがいる。現地紙のインタビューで「ラウンドガールの仕事はすぐに成果をあげた。ミスフィッツ興行を宣伝する投稿をSNSですると私のフォロワー数がすぐに1万人近く増えました」と明かしている。

ラウンドガールを務めることによるファン増加はボクシング会場でも実感しており「ラウンドボードを持っているだけなのに試合後、ファンは一緒に写真撮影したいと求めてきてくれる。(ラウンドガールは)私にとっては仕事というより社交的なイベントのようなもの」と前向きに語っていた。

ルウェリンは19歳の時にラウンドガールを務めていたが、ギャラが安いことで一時辞めていたという。今回のミスフィッツ興行のギャラは「以前の9倍以上」の高額オファーだったことで再びカムバックしたという。

日本ではグラビアモデルとして活躍する雪平莉左らラウンドガールが注目されているが、英国でも同じようにリングを彩るラウンドガールに熱視線が送られている。

ラウンドガールのコスチュームを着用したショットを紹介するアポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)
ラウンドガールのコスチュームでバックショットをみせるアポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)
胸元が強調されたラウンドガールのコスチュームを着用するアポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)
米旅行中のビキニ姿の写真を公開した英人気ラウンドガールのアポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)
スペイン旅行中のプールサイドショットを公開した英人気ラウンドガールのアポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)
日焼けしたボディーをSNSで発信する英人気ラウンドガール、アポロニア・ルウェリン(ルウェリン公式インスタグラムから)

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大関の月給は横綱の300万円に次ぐ250万円 海外渡航はファーストクラス、新幹線はグリーン

大関昇進伝達式を終えた霧馬山(上)は騎馬の上で新しいしこ名「霧島」と記された色紙を手にガッツポーズ。左から父ビャンブチュルンさん、勇輝、神谷、大日堂、母エンフゲレルさん(撮影・小沢裕)

霧馬山改め、新大関霧島(27=陸奥)が誕生した。日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇霧馬山の大関昇進を満場一致で決めた。モンゴル出身としては2015年夏場後の照ノ富士以来6人目。大関の地位とは、月給、待遇などを探った。

<大関アラカルト>

◆江戸時代は最高位 1699年(元禄12)5月の京都興行で初めて番付に「大関」の文字が載る。1890年(明23)3月に横綱昇進した第16代西ノ海までは、横綱免許を授与された力士でも番付には「大関」と記載された。

◆月給 横綱の300万円に次ぐ250万円。三役(関脇、小結)より70万円増。

◆安泰 69年名古屋場所からは2場所連続負け越さない限り陥落せず、関脇に陥落しても翌場所10勝以上で復帰可。

◆待遇 海外渡航はファーストクラス。新幹線はグリーン席。車での場所入りは地下駐車場まで乗り入れ可。化粧まわしも関脇以下では禁じられている紫色が使える。

◆引退後 協会に残るためには年寄名跡が必要だが、元大関は現役のしこ名で3年間、年寄として協会に残ることができ、日本国籍取得者は委員待遇として「年寄」の上位に置かれる。

大関昇進伝達式後の記者会見で師匠のしこ名「霧島」への改名を発表し色紙を持つ霧馬山(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式後の記者会見で師匠のしこ名「霧島」への改名を発表し色紙を持つ霧馬山(左)と陸奥親方(撮影・小沢裕)
「霧島」に改名する霧馬山。大関昇進伝達式に駆けつけた母エンフゲレルさん(左)父ビャンブチュルンさんのキスに笑顔(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えお祝いのタイを手に笑顔を見せる霧馬山(前列左から3人目)。前列左から陸奥親方夫人、陸奥親方(元大関霧島)、1人おいて伊勢ノ海理事。霧馬山の後ろは母エンフゲレルさん(後列右から4人目)父ビャンブチュルン(同3人目)(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えビールで乾杯する霧馬山(前列中央)。前列左からおかみさん、陸奥親方、1人おいて使者の伊勢ノ海理事、枝川審判委員。霧馬山の左後ろは母エンフゲレルさん、同右は父ビャンブチュルンさん、後列右端は鶴竜親方(代表撮影)(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えた霧馬山(前列左)は陸奥親方から授かった現役時代のしこ名「霧島」と記された色紙を手に笑顔。後列左は母エンフゲレルさん、同右は父ビャンブチュルンさん(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終え記者会見に臨む霧馬山(左)と師匠の陸奥親方(元大関霧島)(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方、使者の伊勢ノ海理事、枝川審判委員(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方、使者の伊勢ノ海理事、枝川審判委員(撮影・小沢裕)

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大関昇進の霧馬山改め霧島 大関の待遇は…月給250万円、地下駐車場使っての出入りなど

大関昇進伝達式後の記者会見で師匠のしこ名「霧島」への改名を発表し色紙を持つ霧馬山(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で大相撲名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議と臨時理事会を開催し、関脇霧馬山(27=陸奥)の大関昇進を全会一致で承認した。霧馬山はしこ名を師匠の陸奥親方(元大関)の現役時代のしこ名「霧島」に改名した。

霧馬山改め霧島は、15年照ノ富士以来、6人目のモンゴル出身の大関。大関は、日本相撲協会の看板力士として、各種行事に横綱とともに参加する。月給は横綱の300万円に次ぐ250万円。関脇、小結より70万円多い。

東京開催場所では両国国技館の地下駐車場を使っての出入りが可能。2場所連続負け越しで陥落するが、関脇に落ちた場所で10勝以上すれば翌場所に復帰できる。横綱昇進には2場所連続優勝か、それに準じる成績が必要とされている。

大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方、使者の伊勢ノ海理事、枝川審判委員(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方、使者の伊勢ノ海理事、枝川審判委員(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式に臨む、左から陸奥親方夫人、口上を述べる霧馬山、陸奥親方(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式後の記者会見で師匠のしこ名「霧島」への改名を発表し色紙を持つ霧馬山(左)と陸奥親方(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えた霧馬山(上)は若い衆の騎馬の上でガッツポーズ。左から勇輝、神谷、大日堂(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えた霧馬山(上)は騎馬の上で新しいしこ名「霧島」と記された色紙を手にガッツポーズ。左から父ビャンブチュルンさん、勇輝、神谷、大日堂、母エンフゲレルさん(撮影・小沢裕)
「霧島」に改名する霧馬山。大関昇進伝達式に駆けつけた母エンフゲレルさん(左)父ビャンブチュルンさんのキスに笑顔(撮影・小沢裕)
大関昇進伝達式を終えお祝いのタイを手に笑顔を見せる霧馬山(前列左から3人目)。前列左から陸奥親方夫人、陸奥親方(元大関霧島)、1人おいて伊勢ノ海理事。霧馬山の後ろは母エンフゲレルさん(後列右から4人目)父ビャンブチュルン(同3人目)(撮影・小沢裕)
【イラスト】「霧島」比較。大関昇進で改名の霧馬山と、師匠の現・陸奥親方

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70歳迎える藤波辰爾が生涯現役誓う「プロレスが好きなんです」高橋ヒロムとの初対決へ意気込み

ドラディション15周年記念ツアー第1弾の対戦カード発表記者会見に出席した藤波辰爾

プロレスラー藤波辰爾(69)主宰のDORADITION(ドラディション)の旗揚げ15周年記念ツアー第1弾が、30日に東京・後楽園ホールでスタートする。

藤波自身もメインイベントで、IWGPジュニアヘビー級王者の高橋ヒロム(33=新日本)との6人タッグマッチに臨む。12月28日に70歳を迎えるレジェンド。節目の興行を前に、日刊スポーツの単独インタビューに29日までに応じ、「生涯現役」を誓った。【取材・構成=栗田尚樹】

  ◇  ◇  ◇

藤波の挑戦は終わらない。12月に70歳を迎えるが、情熱は色あせるどころか、色濃くなった。旗揚げ15周年の記念ツアーを前に、炎の飛竜が燃えさかる思いを口にした。

藤波 70歳までリングに立つと思っていなかったですね。でも、人生で引退はないです。生きていく上での引退は、息を引き取るということ。息絶える時までが現役ですから。

師・アントニオ猪木さんは、昨年10月に亡くなった。後輩の武藤敬司は、今年2月に引退。同年代の猛者が一線を退く中、藤波の思いは純粋だった。

藤波 プロレスが好きなんですよね。プロレス愛、それに尽きますよ。あとはずっと見続けてくれるファンでしょうね。プロレスを見て、勇気を与えられるなら、リングに上がり続けたい。「藤波」って、ケツを蹴り上げるファンがいてくれたらありがたいですね。

終わりの絵は見えない。

藤波 長州(力)から「辰っちゃん、もういいんじゃないの?」。武藤は「藤波さん、まだやってんすか?」って言われるんだけど。彼らの方が勇気あるんだよな。潔いというか、俺はまだ引退する勇気ないですもん。

今大会では、メインの6人タッグに登場。日本ジュニアヘビー級の礎を築いた藤波と、第93代IWGPジュニア王者・高橋ヒロムの初対決が実現する。「全盛期を過ぎていることは百も承知。ファンも期待していないだろうけど、プロレスに対しての炎は燃え続けています」と飛び続ける。

引き際は考えていない。考えられない。「自分のファンが今40代、50代。学生のころから今も必ず試合に来てくれる。『自分の生きがい』と言ってくれる。勝手に辞められないよね」とうなずいた。「16でこの世界に入って、プロレスがなかったら、何やっているんだろうって。家内に言われますもん。『あなた幸せだな』って、プロレスは定年もない。他の業界だと、自分の思いだけでは出来ない。相撲だと、星勘定があったり、野球もここまで長くは出来ない。今は大谷(翔平)君が頑張っているけど、プロレスラーは制約がない。自分が法律みたいなものだから」。肉体が朽ちる、その時まで、藤波辰爾としてリングに立つ。

高橋ヒロム(2023年5月28日撮影)

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【UFC】ROAD TO UFCの日本勢4選手が計量クリア 上久保周哉「人生が楽しくなる」

計量クリアし、ポーズを取るバンタム級の上久保周哉(C)Zuffa LLC/UFC

UFCとの契約を懸けてアジアの有力ファイターたちが競い合うROAD TO UFC(RTU)第2日に出場する日本勢4選手が計量クリアした。

27日、開催地の中国・上海のUFCパフォーマンス・インスティチュート上海で行われた前日計量では、バンタム級5分3回に出場する上久保周哉(30=頂柔術)が対戦相手のバーエゴン・ジェライスー(中国)とともに135・51ポンド(約61・46キロ)でクリアした。

アジアを拠点とするONEチャンピオンシップで6戦全勝と実績を残し、UFCとの契約を狙ってRTUに初出場する。主催者を通じ、上久保は「自分の人生がとても楽しくなると思う」と初戦を待ち構える。

また同級5分3回を控える野瀬翔平(25=マスタージャパン福岡)は136ポンド(約61・69キロ)、対するシャオ・ロン(中国)は135・5ポンド(約61・46キロ)でパス。昨年に続くRTU出場となる。

ライト級5分3回に出場する丸山数馬(30=Tri.H studio)は、対戦するキム・サンウクとともに156ポンド(約70・76キロ)で計量パス。同級5分3回を控えるGRACHAN同級王者・原口伸(24=BRAVE)は対戦相手のウィンドリ・パティリマ(インドネシア)とともに155ポンド(約70・31キロ)で計量クリアした。

計量パスし、ガッツポーズするバンタム級の野瀬翔平(C)Zuffa LLC/UFC
ROAD TO UFCのライト級にエントリーした丸山数馬が計量パス(C)Zuffa LLC/UFC
ROAD TO UFCのライト級に出場する原口伸が計量クリア(C)Zuffa LLC/UFC

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【WBO世界Sフライ級王座決定戦】中谷潤人が1発KO、モロニー撃破し世界2階級制覇/詳細

<プロボクシング:WBO世界スーパーフライ級王座決定12回戦>◇20日(日本時間21日)◇米ネバダ州ラスベガス・MGMグランド・ガーデンアリーナ

元WBO世界フライ級王者・中谷潤人(25=M・T)が世界2階級制覇に成功した。WBO世界スーパーフライ級王座決定戦に出場し、同級1位として同級2位アンドルー・モロニー(32=オーストラリア)とベルトを懸けて争い、王座を勝ち取った。2回にダウンを奪うなど、序盤から優勢に試合を進めた。11回にもダウンを奪い、さらに最終12ラウンド2分すぎに中谷が左強打をカウンターで決めて1発でKO。レフェリーが試合を止めた。

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦

中谷潤人12回KO×モロニー

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦でモロニーを倒して王座を獲得し祝福に応える中谷(AP)

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦でモロニーを倒し王座を獲得した中谷(AP=中央)

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦で中谷(後方)にKO負けを喫したモロニー(AP)

◆試合経過

1ラウンド

開始からサウスポーの中谷が右ジャブを突いて出るも、モロニーは高いガードでブロック。40秒すぎにモロニーが連打を振るって前に出る。中谷は左ストレートで迎え撃つ。中盤に中谷の左ストレートが数発カウンターでヒット。モロニーはガードを固めて前に出るもパンチはなかなかヒットせず。終盤に中谷の左ストレートが数発ヒット。

【日刊採点】10-9中谷 

2ラウンド

中谷が右ジャブを突いて距離を取る。50秒すぎに中谷の左アッパー、続いて右アッパーが決まりモロニーがダウン。立ち上がったモロニーは接近戦に出るが、中谷がアッパー、ボディーボローと多彩なパンチがヒット。2分すぎに左アッパーがボディーと顔面にも決まる。終盤も中谷の左アッパー、右ボディーブローが決まる。中谷の一方的なペースに。

【日刊採点】10-8中谷 

3ラウンド

開始からモロニーが前に出るが、中谷のカウンターが決まる。30秒すぎにモロニーの頭が中谷の顔面に当たり、中谷は左目尻から流血。中盤に中谷の右アッパーがカウンターでヒット。モロニーも体をくっつけて接近戦を挑むが、中谷のパンチが的中率で上回る。

【日刊採点】10-9中谷

4ラウンド

モロニーにセコンドから「中に入って戦え」の指示が出る。50秒すぎに中谷の左ボディーアッパーが決まる。モロニーは前に出るもパンチは空振り多い。中谷のカウンターがヒットするが手数は少ない。終盤の接近戦での打ち合いは互角。

【日刊採点】10-9中谷

5ラウンド

開始からモロニーが前進してパンチを繰り出す。中谷は右ジャブを突いて距離を取る。1分すぎに中谷の右アッパーが決まり、モロニーのアゴを跳ね上げる。モロニーはその後も体を押し付けて接近戦を挑むが、有効打はなし。最後に中谷の左ストレートが決まったところでゴング。

【日刊採点】10-9中谷

6ラウンド

開始早々、中谷の左ストレートがヒット。モロニーは相変わらずガードを固めて強引に前に出る。1分すぎにモロニーの左フックが中谷の顔面をとらえる。その後、モロニーが体をぶつけるように前に出て連打。終盤、モロニーが中谷をロープにつめて連打。中谷の手数が減る。モロニーにペースが傾きはじめる。

【日刊採点】10-9モロニー

7ラウンド

中谷が右ジャブを多用して距離をとる。中谷のグローブのテープが外れてしばし中断。50秒すぎからモロニーが接近してボディーを連打。中谷がロープに押し込まれる場面が目立つ。1分半すぎに中谷も左右アッパーで応戦。2分すぎからの打ち合いは、モロニーが左右連打、中谷が右アッパーでともに譲らず。

【日刊採点】10-9モロニー

8ラウンド

中谷が右ジャブを突きながら前に出る。40秒すぎに中谷の左ストレートが2発決まる。モロニーが前に出るが、中谷は距離を取って接近戦を許さない。1分半すぎにも中谷の左ストレートと、右アッパーがヒット。中谷の左ストレートを軽快してモロニーはなかなか接近できない。終了間際にも中谷の右アッパーが決まる。

【日刊採点】10-9中谷

9ラウンド

開始からモロニーが体を押し付けて接近戦を挑む。中谷は左右アッパーで応戦。中盤もモロニーが中谷をロープにつけて連打を浴びせるが、中谷が左右アッパーから左ストレートを決めて、モロニーを後退させる。2分半すぎに打ち合いからモロニーの左フックが中谷にヒットしたが、終了間際に中谷の右アッパーが決まる。

【日刊採点】10-9中谷

10ラウンド

開始から中谷の右ジャブ、左ストレートがヒット。モロニーはなかなか中に入れない。中盤も中谷のワンツーがヒット。2分すぎに中谷のワンツーでモロニーがバランスを崩す。モロニーの手数が極端に減る。終始、中谷のペース。

【日刊採点】10-9中谷

11ラウンド

開始からモロニーが捨て身のアタックも、中谷は右ジャブ、左ストレートで突き放す。1分すぎに中谷の左ストレートでモロニーがダウン。立ち上がったが、再開後も中谷の左ストレートが再三ヒット。モロニーは必死に逃げるが、中谷の追撃打が次々と決まる。モロニーは辛うじてゴングで逃げ切る。

【日刊採点】10-8中谷

12ラウンド

開始から中谷が左ストレートをヒット。モロニーは前に出るがパンチは当たらない。中谷のパンチが次々とヒット。モロニーは体をつけてパンチをしのぐ。2分すぎに中谷が左強打をカウンターで決めて1発でKO。レフェリーが試合を止めた。

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦でモロニー(右)と対戦する中谷(AP)

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦でモロニー(左)と対戦する中谷(AP)

WBO世界スーパーフライ級王座決定戦でモロニー(右)と対戦する中谷(AP)

WBOスーパーフライ級王座を懸けて対戦する同級2位アンドルー・モロニー(左から2番目)とフェースオフした同級1位中谷潤人(同3番目)(M・Tジム提供)

計量クリアし、ガッツポーズする元WBO世界フライ級王者中谷潤人(中央)(M・Tジム提供)

日の丸旗を掲げ、ファンの声援に応じる元WBO世界フライ級王者中谷潤人(M・Tジム提供)

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アントニオ猪木らと対戦の元WWWF王者ビリー・グラハムさんが死去、79歳

アントニオ猪木、ラッシャー木村らと対戦経験のある元WWWF(現WWE)ヘビー級王者ビリー・グラハム(本名エルドリッジ・ウェイン・コールマン)さんが死去した。17日(日本時間18日)、16度の世界王者と言われる「狂乱の貴公子」リック・フレアー(74)がグラハムさんの死去を報告し、米専門メディアが一斉に死去を伝えた。79歳だった。耳の感染症、うっ血性心不全、糖尿病とともに新型コロナウイルスにも感染。5カ月間近く入院生活を送っていたという。

数週間前から集中治療室に入っており、15日には妻ヴァレリー夫人がグラハムさんが生命維持装置をつけていることをフェイスブック上で報告。「医師たちは生命維持装置を外したいと考えていましたが、私が拒否しました。彼はレスラーであり、体が弱くても意志は強い。神は私たちの希望だ」とつづっていた。

グラハムさんは1960年代にボディービルダーとして活動し、ハリウッド俳優アーノルド・シュワルツネッガーと一緒にトレーニングを積んだ。70年にプロレスラーとしてデビューし、NWAやAWAに参戦。72年9月には国際プロレスで初来日。「鉄腕」の愛称で、アニマル浜口やマイティ井上らと対戦した。76年8月に新日本プロレスで来日し、アントニオ猪木とシングルで対戦した。

77年にはWWWFヘビー級王座を獲得。「悪党王者」として約10カ月間同王座を保持した。86年以降、下半身の故障で手術を受け、翌87年には現役を引退。04年にはWWE殿堂入りを果たしていた。

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【改定版】令和になってから幕内で1度もない大相撲の決まり手を一覧表にまとめてみた

【イラスト】令和になってから1度もない決まり手

大相撲の珍しい決まり手をあらためて編集した。2022年9月の秋場所前に「令和になってから幕内で1度もない決まり手」をまとめたところ、27手あった。決まり手ではない「勝負結果」の踏み出しも令和になってから1度もない。ところが、秋場所では、この27手のうちの1手、同年11月の九州場所では2手(かわず掛け、合掌ひねり)が出た。

今年に入ってからは、1月の初場所で1手、3月の春場所で1手が出た。いずれも決めたのは翠富士だ。初場所5日目に内無双で妙義龍に勝ち、春場所10日目に割り出しで翔猿を破った。

これらをリストから外し、「令和になってから幕内で1度もない決まり手」を再編集した(添付した画像を参照ください)。

現在、大相撲の決まり手は82手あり、「掛け反り」「撞木(しゅもく)反り」「外たすき反り」の3手は、十両以上の取組で1度も決まったことがない。日本相撲協会は1955年に68手を発表し、1960年1月には河津掛けを切り返しから独立させ、出し投げの上手と下手を分けて70手とした。2001年初場所からは、決まり手12を追加。決まり手ではない「勇み足」「腰砕け」の勝負結果には「つき手」「つきひざ」「踏み出し」の3つを追加した。「掛け反り」「撞木反り」「外たすき反り」は、当初の68手に含まれていたため、この3手は67年間も生まれていない「幻の技」とも言える。

「たすき反り」「つかみ投げ」「大股」は、1950年代から1度も出ていない(たすき反りは2017年に宇良が十両で決めた)。

令和になってから幕内で1度も出ていない技は22手。この記事についている一覧表が手元にあれば、本場所で決まった直後、「いつどの場所の何日目の誰以来」なのかが瞬時に分かる。ぜひ観戦のお供に利用していただきたい。【佐々木一郎】

【割り出し】翠富士(左)は割り出しで翔猿を破る(2023年3月21日撮影)
【かわず掛け】翠富士(下)をかわず掛けで破った豊昇龍(2022年11月17日撮影)
【かわず掛け】佐田の海(奥)をかわず掛けで破る隆の山(2011年7月14日撮影)
【合掌ひねり】宇良を破る玉鷲(2022年11月21日撮影)
【居反り】十両の取組で、旭秀鵬(左)を居反りで破る宇良(2020年11月12日撮影)
【内無双】旭天鵬(右)を内無双で下した朝青龍(2005年1月18日撮影)
【腰投げ】若の里(左)は海鵬を34年ぶりの秘技?腰投げで下す(2003年1月21日撮影)
【裾取り】碧山を裾取りで押し込む日馬富士(2015年11月10日撮影)
【頭捻り】十両の取組で、常幸龍(右)を頭捻り(ずぶねり)で破る翠富士(2020年11月20日撮影)
【外無双】旭鷲山(下)は、北勝鬨を鮮やかな外無双で一回転させた(1997年1月24日撮影)
【たすき反り】三段目で東里をたすき反りで下す福山(2018年5月26日撮影)
【丁斧掛け】時天空(右)は丁斧掛けで和歌乃山を破る(2004年5月21日撮影)
【つかみ投げ】大相撲トーナメントで、白鵬はつかみ投げで隆の山を破る(2012年2月5日撮影)
【吊り落とし】朝青龍(左)は北勝力を相手に大技吊り落としを豪快に決める(2003年9月12日撮影)
【二丁投げ】普天王(右)を二丁投げで下した春日王(2007年9月20日撮影)
【二枚蹴り】二枚蹴りで宝智山を豪快に宙に飛ばす時天空(2003年9月16日撮影)
【櫓投げ】朝青龍(左)は日馬富士を34年ぶりの大技やぐら投げで下す(2009年7月24日撮影)
【呼び戻し】16年半ぶりの大技呼び戻しで宝富士(後方)を下す白鵬(2013年9月22日撮影)
【割り出し】武双山(左)は海鵬を割り出しで倒す(2002年1月19日撮影)
【小褄取り】白馬(左)は高見盛の右足を持って決める小褄取りで高見盛を降した(2010年3月22日撮影)
【大逆手】安美錦(右)は土俵際の大逆手で高見盛を逆転する(2005年11月20日撮影)
【小手捻り】碧山(手前)を小手捻りで下す荒鷲(2018年5月27日撮影)
【踏み出し】幕下の取組で、先に倒れた倒れたものの、芳東に踏み出しで勝った青馬(奥)(2009年1月15日撮影)

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ヨネクラジム米倉健司会長死去、88歳 ガッツ石松氏、大橋秀行氏ら世界王者5人育成

米倉健司さん(2008年6月撮影)

プロボクシングで5人の世界王者を育てた元ヨネクラジム会長の米倉健司氏が20日に亡くなったことが21日、分かった。88歳だった。

1956年(昭31年)のメルボルン五輪にフライ級で出場。プロでは日本フライ級、東洋バンタム級王座を獲得した。引退した63年に都内でジムを開設し、柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者を育成。17年8月に高齢を理由にジムを閉鎖するまで、54年にわたり会長を務めた。

◇  ◇  ◇  ◇ 

米倉さんは高齢でジムの運営が難しくなったことを理由に、17年8月にヨネクラジムを閉鎖した。当時83歳だった。その後は医師になった息子のいる栃木県那須塩原市で療養生活を送っていた。大橋秀行らジムの愛弟子たちの訪問には、笑顔で記念写真に収まるなど喜んでいたという。

地元の福岡高校でボクシングを始めた米倉さんは、明大進学直後に日本初の世界王者の白井義男氏を育てたカーン博士に実力を認められて門下生になった。大学4年の56年にはフライ級で全日本選手権を制して、メルボルン五輪にも出場。メダルを逃したものの4位入賞の実績を残し、2年後の58年に日興ジムからプロデビューした。

プロ5戦目で日本フライ級王座を奪取。59年8月には兄弟子の白井氏から王座を奪った世界フライ級王者パスカル・ペレスに挑んだが判定負け。その後、バンタム級で東洋王座を獲得したものの、2度目の世界挑戦も僅差判定で敗れて世界タイトルには手が届かなかった。その試合直前に患った左目眼筋まひの影響で63年に28歳で引退するとすぐに都内にジムを開設した。

会長になってからは選手を型にはめずに特徴や個性を生かす指導法と、早朝のロードワークから選手と伴走する情熱ぶりで、次々と王者を育てた。ジム最初の世界王者で2階級を制覇した柴田国明は、17歳から世田谷区内の自宅に住まわせて日常生活から世話をしたという。世界王者になる前に11敗していたガッツ石松氏は17年の取材で「何でも好きな物を食べろ”とお金に糸目を付けなかった。私も意気に感じてね。負けても、これでもかとチャンスをつくってくれたから開花した。ヨネクラジムに入ったからこそ世界王者になれた」と振り返っていた。

ジム開設から54年間に育てた世界王者は5人。これは国内のジムでは3番目。日本王者は31人、東洋太平洋王者は9人で帝拳に次ぐチャンピオンメーカー。獲得したベルトの合計本数は実に52にも及ぶ。まさに70歳代まで自らミットを持ってパンチを受け続けた米倉さんの情熱のたまものだった。

◆米倉健司(よねくら・けんじ)1934年(昭9)5月25日、福岡・直方市生まれ。福岡高1年でボクシングを始め、53年に明大入学。56年メルボルン五輪にフライ級で出場して4位。58年5月にプロデビュー。右の技巧派ボクサーとして5戦目で日本フライ級王座を獲得し、60年に東洋同級王座を奪取して4度防衛。59年に世界フライ級王者パスカル・ペレス(アルゼンチン)、60年に世界バンタム級王者ジョー・ベセラ(メキシコ)に挑むも判定負け。通算戦績13勝(1KO)10敗1分け8エキシビション。引退した63年に東京・大塚にNPヨネクラジムを創設。69年に目白に移転。17年8月の閉鎖まで世界王者5人を育てた。86年から日本プロボクシング協会会長を4年間務めた。95年にスポーツ功労者として文部大臣表彰を受けた。

14年2月、大橋秀行会長(右端)のジム開設20周年パーティーに出席した米倉健司さん(左から4人目)。 他は左から川島郭志氏、中島成雄氏、柴田国明氏、1人おいてガッツ石松氏
大橋ジム開設20周年パーティーであいさつするヨネクラジム米倉健司会長(2014年2月撮影)
ヨネクラジム40周年パーティーで、米倉健司会長(中央)はあいさつする。ガッツ石松(左)、大橋秀行元世界チャンピオン(右)も祝福(2003年5月25日撮影)
ヨネクラジム40周年パーティーで、米倉健司会長(中央)は歴代チャンピオンの前であいさつ(03年05月25日撮影)
東洋太平洋スーパーウエルター級タイトルマッチ 東洋太平洋スーパーウエルター級タイトル防衛に成功し米倉健司会長(右)の祝福を受けるクレイジー・キム(2006.07.18撮影)
大橋ジム移転祝賀会 祝辞を述べるヨネクラジム米倉健司会長(2006.11.11撮影)
大橋ジム移転祝賀会 米倉健司会長(左)と握手を交わす大橋秀行会長(2006年11月11日撮影)
大橋ジム移転祝賀会 鏡開きを行う、左から輪島功一氏、金平桂一郎氏、大橋秀行会長、ファイティング原田氏、米倉健司氏(2006年11月11日撮影)
ヨネクラ会見 WBA世界スーパーフェザー級8位の嶋田雄大(右)が日本人最高齢の36歳10カ月での世界王座奪取を目指す。左は米倉健司会長 (2008年04月22日撮影)
米倉健司会長(左)と一緒に計量会場に姿を見せた嶋田雄大(2008・06・11)
WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ12回戦 エドウィン・バレロ対嶋田雄大 チャンピオンのエドウィン・バレロ(中央)から左手を上げられる嶋田雄大。右は笑顔でその光景を見つめる米倉健司会長 (2008・06・12)
プロボクシング ノンタイトル10回戦 嶋田雄大対マイク・トゥンバガ 試合後、右拳骨折の疑いを口にした嶋田雄大(右)。左は米倉健司会長(2010年9月29日撮影)
左から日刊スポーツ新聞社三浦勝男社長(当時)、川島郭志、米倉健司会長
東洋太平洋ライト級タイトルマッチで米倉会長(左)を先頭に入場する嶋田(2012年8月13日撮影)
ボクシング東日本新人王決勝戦 草野慎悟のセコンドに立つヨネクラジムの米倉健司会長(左)(2013年11月3日撮影)
完成間もない東京タワーを背に世界へ羽ばたくボクシング界のホープ、米倉健治(左=日興)と矢尾板貞雄(右=国光)(1958年12月撮影)
米倉健司(米倉健治)会長のミットにパンチを打ち込む大橋秀行(1992年9月撮影)
大橋ジム開設20周年パーティーであいさつするために登壇したヨネクラジム米倉健司会長。左はガッツ石松氏、右は川嶋勝重氏(2014年2月15日撮影)
米倉健司会長68歳!世界王者育成を目指し今日もガッツポーズで気合を入れた(2003年5月撮影)
06年1月、西武新人合同自主トレで選手を指導するヨネクラジムの米倉健司会長
米倉健司会長は世界王者育成を目指し40年間ミットを出し続けた(03年5月20日撮影)
ヨネクラジム40周年パーティーで、米倉健司会長(左)は笑顔を見せる。右は大橋秀行元世界チャンピオン(2003年5月25日撮影)
ヨネクラジム40周年パーティーで、米倉健司会長(左)はコシノジュンコさんに祝福される(2003年5月撮影)
練習中に大橋秀行(左)の汗をふくヨネクラジムの米倉健司会長(1992年9月撮影)
ヨネクラジム40周年パーティーで、笑顔を見せる米倉健司会長(左)と美土里夫人(03年05月25日撮影)
全日本アマチュア選手権兼五輪選考会 フライ級決勝 米倉健治(左=明大)は左アッパーカットを外崎(日大)のボディーに決める(1956年9月5日撮影)
全日本フライ級選手権 米倉健治(判定)福本篤 空位となった王座を同門福本篤と争い奪取した米倉健治(中央)、左は米国人レフェリーのニッキー・ポップ(1959年1月4日撮影)
東洋ライト級新チャンピオンの鈴木石松(左から2人目、のちガッツ石松)。左から菊池弘泰コミッション事務局長、1人おいて手崎弘行レフェリー、米倉健司マネジャー(1972年1月撮影)
メルボルン五輪ボクシングチーム。左から小久保勘太郎監督、ライト級石丸利人、フェザー級鈴木伸一郎、フライ級米倉健治(1956年10月撮影)

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引退発表の村田諒太に「数億円の試合オファーあった」敗れたゴロフキン戦後に 本田会長明かす

笑顔で引退会見に臨む村田(撮影・垰建太)

プロボクシング元WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(37=帝拳)が28日、都内のホテルで現役引退会見に臨んだ。

22年4月に臨んだ世界ミドル級最強と言われるゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)とのWBAスーパー、IBF世界同級王座統一戦での9回TKO負けから約1年間、去就について考え続けた村田に対し、試合のオファーが届いていたという。

所属ジムの本田明彦会長(75)は「負けた試合が評価され、ゴロフキン後にオファーがあった。数億円のオファーだった」と明かした。ゴロフキン戦後も村田の世界ランキングは4~5位に入っていた。

日本人には挑戦が難しい階級だったミドル級のトップで戦い続けた村田に向け、本田会長は「(日本人の)ファイトマネーを上げた功績は大きいね」と労った。

一方でゴロフキン戦前のコンディションについて「ひじとひざが完全に駄目だった。練習でも70%ぐらいしかできなかったと思う。最初から勝っても負けても(ゴロフキン戦が)最後だと。もう無理だと思っていた」とも振り返っていた。

笑顔で引退会見に臨む村田(撮影・垰建太)
引退会見に臨む村田(撮影・垰建太)
引退会見でおどけた表情を見せる村田(撮影・垰建太)
引退会見で記者の質問に考え込む村田(撮影・垰建太)
引退会見で記者の質問に考え込む村田(撮影・垰建太)
引退会見でビデオメッセージを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見でほほ笑みながらビデオメッセージを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見でほほ笑みながらビデオメッセージを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見でビデオメッセージを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見でほほ笑みながらビデオメッセージを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見で笑顔を見せる村田(撮影・垰建太)
引退会見で笑顔を見せる村田(撮影・垰建太)
引退会見で笑顔を見せる村田(撮影・垰建太)
引退会見で笑顔を見せる村田(撮影・垰建太)
引退会見でに置かれたプロデビュー戦からの写真が貼られたボードを見つめる村田(撮影・垰建太)
引退会見に置かれたプロデビュー戦からの写真が貼られたボードを見つめながら思い出を語る村田(撮影・垰建太)
引退会見で室伏スポーツ庁長官(左)から花束を贈られ写真に納まる村田(撮影・垰建太)
引退会見で山中氏(左)から花束を贈られ写真に納まる村田(撮影・垰建太)
引退会見で那須川天(左)から花束を贈られる村田(撮影・垰建太)
引退会見で那須川天(左)から花束を贈られ写真に納まる村田(撮影・垰建太)
引退会見で写真に納まる、左からJBC萩原理事長、マイナビ中川会長、那須川天、村田、室伏スポーツ庁長官、山中氏、村田後援会近藤太郎さん(撮影・垰建太)
引退会見を終え一礼する村田(撮影・垰建太)
引退会見を終え一礼する村田(撮影・垰建太)
引退会見を終えプロデビュー戦からの写真が貼られたボードを手に写真に納まる村田(撮影・垰建太)
【イラスト】村田諒太のプロ全戦績

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【RISE】挑戦者海人が新王者 韓国イ・ソンヒョンに判定勝利 ミドル級70キロ以下タイトル戦

RISEミドル級チャンピオンとなりベルトを巻いて勝ち名乗りを受ける海人(撮影・滝沢徹郎)

<RISE…ELDORADO>◇26日◇東京・有明アリーナ

RISEミドル級70キロ以下のタイトルマッチ(3分5R無制限延長R)が行われ、挑戦者の海人(25=TEAM F.O.D)が、王者のイ・ソンヒョン(32=韓国、RAON)を下した。

フルラウンドの末に、判定3-0の勝利。昨年6月19日の「THE MATCH」では、K-1の“怪物”野杁正明(29)に対して、延長での判定勝利を奪った海人は「今回の試合も、全然納得いっていないので」と笑顔はなかった。ソンヒョンとは、19年9月28日以来の再戦。その時はシュートボクシングでの対戦で、この日と同じように5回判定勝利していた。

海人(右)はイ・ソンヒョンにパンチを打ち込む(撮影・滝沢徹郎)
海人(右)はイ・ソンヒョンに蹴りを見舞う(撮影・滝沢徹郎)
海人(左)はイ・ソンヒョンにパンチを打ち込む(撮影・滝沢徹郎)

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【改定版】令和になってから幕内で1度もない大相撲の決まり手を一覧表にまとめてみた

【イラスト】令和になってから1度もない決まり手

大相撲の珍しい決まり手をあらためて編集した。2022年9月の秋場所前に「令和になってから幕内で1度もない決まり手」をまとめたところ、27手あった。決まり手ではない「勝負結果」の踏み出しも令和になってから1度もない。ところが、秋場所では、この27手のうちの1手、同年11月の九州場所では2手(かわず掛け、合掌ひねり)が飛び出した。今年1月の初場所では、さらに1手が出た。

初場所5日目、翠富士が妙義龍に内無双を決めた。これは2015年初場所で、栃ノ心が逸ノ城に決めて以来8年ぶりだった。

これらをリストから外し、「令和になってから幕内で1度もない決まり手」を再編集した(添付した画像を参照ください)。

現在、大相撲の決まり手は82手あり、「掛け反り」「撞木(しゅもく)反り」「外たすき反り」の3手は、十両以上の取組で1度も決まったことがない。日本相撲協会は1955年に68手を発表し、1960年1月には河津掛けを切り返しから独立させ、出し投げの上手と下手を分けて70手とした。2001年初場所からは、決まり手12を追加。決まり手ではない「勇み足」「腰砕け」の勝負結果には「つき手」「つきひざ」「踏み出し」の3つを追加した。「掛け反り」「撞木反り」「外たすき反り」は、当初の68手に含まれていたため、この3手は67年間も生まれていない「幻の技」とも言える。

「たすき反り」「つかみ投げ」「大股」は、1950年代から1度も出ていない(たすき反りは2017年に宇良が十両で決めた)。

令和になってから幕内で1度も出ていない技は23手。この記事についている一覧表が手元にあれば、本場所で決まった直後、「いつどの場所の何日目の誰以来」なのかが瞬時に分かる。ぜひ観戦のお供に利用していただきたい。【佐々木一郎】

翠富士(下)をかわず掛けで破った豊昇龍(2022年11月17日撮影)
佐田の海(奥)をかわず掛けで破る隆の山(2011年7月14日撮影)
合掌ひねりで宇良を破る玉鷲(2022年11月21日撮影)
【居反り】十両の取組で、旭秀鵬(左)を居反りで破る宇良(2020年11月12日撮影)
【内無双】旭天鵬(右)を内無双で下した朝青龍(2005年1月18日撮影)
【腰投げ】若の里(左)は海鵬を34年ぶりの秘技?腰投げで下す(2003年1月21日撮影)
【裾取り】碧山を裾取りで押し込む日馬富士(2015年11月10日撮影)
【頭捻り】十両の取組で、常幸龍(右)を頭捻り(ずぶねり)で破る翠富士(2020年11月20日撮影)
【外無双】旭鷲山(下)は、北勝鬨を鮮やかな外無双で一回転させた(1997年1月24日撮影)
【たすき反り】三段目で東里をたすき反りで下す福山(2018年5月26日撮影)
【丁斧掛け】時天空(右)は丁斧掛けで和歌乃山を破る(2004年5月21日撮影)
【つかみ投げ】大相撲トーナメントで、白鵬はつかみ投げで隆の山を破る(2012年2月5日撮影)
【吊り落とし】朝青龍(左)は北勝力を相手に大技吊り落としを豪快に決める(2003年9月12日撮影)
【二丁投げ】普天王(右)を二丁投げで下した春日王(2007年9月20日撮影)
【二枚蹴り】二枚蹴りで宝智山を豪快に宙に飛ばす時天空(2003年9月16日撮影)
【櫓投げ】朝青龍(左)は日馬富士を34年ぶりの大技やぐら投げで下す(2009年7月24日撮影)
【呼び戻し】16年半ぶりの大技呼び戻しで宝富士(後方)を下す白鵬(2013年9月22日撮影)
【割り出し】武双山(左)は海鵬を割り出しで倒す(2002年1月19日撮影)
【小褄取り】白馬(左)は高見盛の右足を持って決める小褄取りで高見盛を降した(2010年3月22日撮影)
【大逆手】安美錦(右)は土俵際の大逆手で高見盛を逆転する(2005年11月20日撮影)
【小手捻り】碧山(手前)を小手捻りで下す荒鷲(2018年5月27日撮影)
【踏み出し】幕下の取組で、先に倒れた倒れたものの、芳東に踏み出しで勝った青馬(奥)(2009年1月15日撮影)

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【RISE】外国人対決アルゼンチン出身リカルド・ブラボに軍配「何で笑う?」日本語披露

RISE166のミドル級70キロ以下ワンマッチで勝利し、流ちょうな日本語を披露するアルゼンチン出身のリカルド・ブラボ

<RISE166:ミドル級70キロ>◇23日◇東京・後楽園ホール

外国人対決となったミドル級70キロのワンマッチは、アルゼンチン出身のリカルド・ブラボ(23=WSRフェアテックス)が2回1分35秒KO勝ちした。

イラン出身のサーシャ・タダヨニ(33=TEAM OTA)に対し、序盤から攻勢を仕かけ、左右の重たいパンチを打ち込んだ。

圧倒的なパワーを見せつけての勝利。ほぼ、ダメージを食らうことはなかった。

試合後、マイクを持ったブラボが話し出すと、会場から笑い声が。「何で笑う?」と流ちょうな日本語で突っ込んだ。それだけ、なめらかな話しぶりだった。ブラボは「もっと日本語、勉強しますね」と言い、さらに会場の笑いを誘ってみせた。

RISE166のミドル級70キロ以下ワンマッチでKO勝利したリカルド・ブラボ(右)と対戦相手のサーシャ・タダヨニ

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【BreakingDown】安保瑠輝也が「マルセイユの悪童」アビディ狩り自信「確実にKO」

ブレイキングダウン前日会見に臨むアビディ(左)と安保(左から4人目)。左から3人目は朝倉未(撮影・滝沢徹郎)

元K-1スーパーライト級王者の安保瑠輝也(27)がK-1離脱後、初試合でBreaking Downに参戦する。

19日に千葉・幕張メッセで開催される1分1ラウンドの格闘技イベントBreaking Down7大会で、00年代にK-1で「マルセイユの悪童」と呼ばれた暴れ者、シリル・アビディ(46=フランス)と無差別級スペシャルワンマッチで対戦。18日に千葉県内で行われた前日会見に出席した。

ヘビー級を主戦場とし、現役時代は身長190センチ、体重109キロの体格だったアビディに対し、安保は身長180センチで体重も70キロ台とされる。K-1離脱後、初試合となる安保は「格闘技の枠を広めることが僕の使命。アビディ選手は、小学生の時から見ていてリスペクトしている選手だが、自分よりも大きい選手ですが、判定を狙いにいって技術をみせる、そんな試合をみせるつもりはない、1ラウンドから確実にKO狙って倒しにいきます」と強気の姿勢を貫いた。

K-1の大先輩でもあるアビディに対し「引退した選手とおっしゃっていますが、僕に勝てる自信はありますか」と真顔で挑発的な質問。アビディから、不満そうな表情ながら「KO負けを考えたことは1度もない。明日の対戦で分かる」と返答をもらうと、何度かアビディをにらみつけるようにみつめながら次々と自信たっぷりの言葉を並べた。

「それが聞けてよかった。オレも全力で倒しにいく。本気のシリル・アビディできて下さい」「ビビっているかと思ってました。オレはギリギリの試合するつもりないし、1発たりとももらう気はない。ここから先に見ている景色が違う。引退している選手に言うのも何ですが、圧倒的に倒させてもらいます」「シリル・アビディ選手は100キロ超えていて、なかなか公式戦で自分よりも20キロ(以上)も重たい選手と白黒つけることはないと思う。そのリスクを負ってここにやってきた」

Breaking Downには初参戦。今回の参戦を受け、DMや街角で声をかけられた際、Breaking Down参戦で知ったとの声をもらったという。安保は「Breaking Downで知りましたと。これに出る使命として、格闘技はあおり合いだけでなく、すごいパフォーマンスを出して、すごい選手がいることを知ってほしいことが僕の使命の1つでもある。それを試合で見せたいと思っている」と燃えていた。

ブレイキングダウン前日会見に臨むシリル・アビディ(左)と安保瑠輝也(右から2人目)。中央は朝倉未来(撮影・滝沢徹郎)
ブレイキングダウン前日会見に臨む安保(左)と朝倉未(撮影・滝沢徹郎)
ブレイキングダウン前日会見を終え引き揚げる安保(右)を見つめるアビディ(左)。中央は朝倉未(撮影・滝沢徹郎)

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那須川天心97点取ったボクシングプロテスト筆記 合格ライン70点の試験内容とは

筆記試験の答案用紙を披露する那須川(撮影・中島郁夫)

キックボクシング42戦無敗を誇る人気格闘家でプロボクシング転向を表明している那須川天心(24=帝拳)が9日、日本ボクシングコミッション(JBC)のB級(6回戦)のプロテストに合格した。

同日、東京・後楽園ホールでプロテストを受験。実技とともに受けた筆記試験では1問のみ間違えて97点(合格ラインは70点)の高得点。那須川は「(筆記試験では)過去1番の点数。100点でないので完成ではなくて、97点でいいでしょうと思います」と笑顔をみせた。

ボクシングのプロテストの筆記とはどのような問題なのか。この日、那須川の受けた主な内容は以下のようなものだった。

<○×形式>

(1)試合に際し、スーパーバイザー、レフェリーの許可なしにワセリン、その他の油性類は原則として塗ってはいけない。

(2)ボクサーは原則として試合終了の翌日から起算し、2週間を経過しなければ次の試合はできない。

(3)ロープの反動を利用しての加撃は許される。

(4)ワンポイントの入れ墨であれば、ファンデーション等で消さなくても試合出場が許可される。

(5)ボクサーはインターバル中、清涼飲料水やスポーツドリンクの使用が認められる。

(6)ボクサーは試合中、言葉で対戦相手を挑発したり、セコンドの指示に返事をしたりしてはいけない。

(7)レフェリーから反則の注意があった場合、すぐに修正してクリーンに戦わなければいけない。

(8)バンデージは拳の部分にテーピングがかかってもよい。

(9)対戦相手のベルトライン以下の危険性を伴うダッキングは反則である。

(10)急激な脱水減量は腎臓や肝臓に大きな負担をかけ、痙攣や意識障害をおこし緊急搬送されるリスクが高い。

(11)試合に際し、用意するマウスピースは1つだけでよい。

(12)トランクスはズボン状のものが義務付けられているが、切り込みが入っていればスカート状のものでも着用が許される。

<正解>(1)○(2)○(3)×(4)×(5)×(6)○(7)○(8)×(9)○(10)○(11)×(12)×

那須川は(12)以外は正解だった。

那須川天心の答案用紙
筆記試験を受験する那須川天心(撮影・中島郁夫)
筆記試験を受験する那須川天心(撮影・中島郁夫)
筆記試験の合格を父・弘幸氏(右)に報告する那須川(撮影・中島郁夫)

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那須川天心マウスピース忘れるハプニングもプロテスト合格 筆記試験は97点「過去1番の点数」

合格証書を手にポーズを決める那須川(撮影・中島郁夫)

キックボクシング42戦無敗を誇る人気格闘家でプロボクシング転向を表明している那須川天心(24=帝拳)が9日、日本ボクシングコミッション(JBC)のB級(6回戦)のプロテストに合格した。同日、東京・後楽園ホールでプロテストを受験。筆記試験は1問のみ間違えて97点(合格ラインは70点)となり、那須川は「(筆記試験では)過去1番の点数。100点でないので完成ではなくて、97点でいいでしょうと思います」とプラス思考の笑顔をみせた。

「ここで落ちられないでしょ」と臨んだ実技テストではシャドーボクシング、スパーリングの実技テストでテクニック面のチェックを受けた。スパーリング相手は3月20日に日本バンタム級王座に挑戦予定の日本同級1位南出仁(27=セレス)。左ジャブ、接近戦からのクリンチ、フットワークと基本技術をみせつつ、左ジャブ連打からの左ストレート、右フックと多彩なパンチも披露。「(南出と上々のスパーリングで)自信にはなります。これで本気度が伝わったのかなと客観的に見て。それを伝えることができたんじゃないかなと思います」。十分に実力を示した上での合格通知だった。

ただテスト前にハプニングもあったという。那須川は「マウスピース忘れちゃって。やばいと思ってさっき、フィットネスショップ行って買ってつけたんですけど。そういうところ新人らしい、自分で言っちゃいますけど」と苦笑いを浮かべながら振り返っていた。

バンタム級1位の南出(左)とスパーリングを行う那須川(撮影・中島郁夫)
那須川の父・弘幸氏(撮影・中島郁夫)

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九重、二子山、大島の相撲部屋3部屋が葛飾区と連携・協力協定 地元に「一生懸命恩返し」

協定の締結式に出席した左から大島親方、九重親方、青木区長、二子山親方(撮影・平山連)

大相撲の九重部屋、二子山部屋、大島部屋の3部屋が7日、東京・葛飾区と連携・協力協定を締結した。

同区の公共用地を活用し相撲部屋を運営していることを受け、今後さらに区の観光、文化、スポーツ、教育振興など幅広い分野で協力し、地域活性化に向けて緊密に連携することを確認した。

九重部屋は20年6月に奥戸に開設し、二子山部屋は21年5月に柴又に設けた。この日は同区内の男女平等推進センター多目的ホールで締結式があり、九重親方(元大関千代大海)、二子山親方(元大関雅山)、大島親方(元関脇旭天鵬)が出席。3人それぞれが思いの丈を述べた。

九重親方は「部屋の周りに何でもあり、(近所の)どこに行っても『いらっしゃい』と言っていただける」と歓迎ぶりを紹介。続けて「地元の祭りに参加して力士がちゃんこを振る舞ったり、相撲の普及を兼ねてアマチュアの大会を開いたり。相撲のことならお任せください。力士たちと一生懸命恩返しができるようにしたい」と呼びかけた。

二子山親方は「(葛飾には)70歳を過ぎてもお店をしている人がすごく多くて、活力をもらっています。母親のように力士や私の体調を心配してくれる方が多くて、情が深い。コロナの影響で何もできていませんが、(今後は)近所の方にもっと部屋を見てもらいたい」と訴えた。

大島部屋は今年10月に墨田区から葛飾区青戸に移転する。師匠の大島親方は「相撲部屋というのは入りづらいというイメージがあるみたいですけど、それをなくしていきたいと思っています。見たいという人にはルールを守ってもらって、見てもらいたい」と普及に力を入れる考えを示した。【平山連】

協定の締結式に出席した大島親方(左)と青木区長(撮影・平山連)
協定の締結式に出席した二子山親方(左)と青木区長(撮影・平山連)
協定の締結式に出席した九重親方(左)と青木区長(撮影・平山連)

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緊急入院の力道山次男・百田光雄が快方に向かう「来週ぐらいにはいい報告できる」孫の力が明かす

2019年11月、第2回デストロイヤー杯争奪スペシャルバトルロイヤルに参戦した百田光雄(撮影・加藤諒)

日本プロレス界の祖、力道山(本名・百田光浩)を祖父に持つプロレスラーの百田力(41)が3日、力道山が眠る東京・池上本門寺で行われた「節分追儺(ついな)式」に出席し、誤嚥(ごえん)性肺炎で入院中の父、百田光雄(74)の病状を明かした。光雄は先月26日に緊急入院も、現在は快方に向かっており、来週にも退院できる見通しだという。

力は「おととしに末期の肺がんになった時の放射線治療の影響で、ごくまれに喉が詰まることがあった。先月に喉を詰まらせてしまい、肉の一部か何かが気道から肺に落ちてしまった」と、発症までの経緯を説明。翌日の夜から高熱と息苦しさが出たため、緊急入院に至ったという。

現在は「どんどん回復している」とし、「来週ぐらいにはいい報告ができる」と前向きに話した。

この日は、プロレスリング・ノアのGHCヘビー級王者清宮海斗(26)、全日本プロレスの3冠ヘビー級王者宮原健斗(33)らと豆まきに参加。参加を予定していた父は来られなかったものの、「節分なので病気を追い払ってもらえるかなという気持ちを持って投げた」と笑顔で振り返った。

光雄は力道山の次男で、68年2月に日本プロレスに入門し、70年11月にデビュー。全日本プロレスの旗揚げに参戦し、00年には三沢光晴らとノア旗揚げに参加し、副社長も歴任した。09年にノア退団後、フリー選手として活動を続けている。

インタビューに応じる力道山(1955年撮影)
池上本門寺節分会の参加者。1列目左から小橋建太氏、飛ばして若村麻由美、ジュリア、桃月なしこ、木戸愛。2列目左から百田力、清宮海斗、宮原健斗、天山広吉(撮影・勝部晃多)

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村田諒太、帝拳ジム浜田剛史代表がスポーツ学会大賞 ジム初代世界王者大場政夫さん命日に授賞式

第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、トロフィーを手に笑顔の村田(右)と帝拳ジムの浜田代表(撮影・鈴木みどり)

スポーツ界の発展に貢献した個人・団体を表彰する「第13回日本スポーツ学会大賞」授賞式が25日、都内で行われ、受賞者となるボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(37=帝拳)、受賞団体となる帝拳ジムの代表で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏(62)が出席した。同ジムの初代世界王者となる元WBA世界フライ級王者大場政夫さんの50回目の命日という1月25日にボクシング界から初めての受賞となった。

村田は「普通の賞という華やかなものは、それでそれでうれしいけれど、(スポーツ学会大賞は)また違った喜びがある」と感慨深げ。浜田代表は「こんなに素晴らしい賞をいただき、本当にうれしく思います。この壇上に立つと、また来年ももらいたいなという風に思い続けてきます。選手育てるのは時間かかりますが、この壇上に立つために次から次と王者を育てていきたいと思います」と喜びを表現した。

22年は白井義男氏が日本人初の世界王者になった70年の節目で、プロボクシング統括組織の日本ボクシングコミッション(JBC)も70周年を迎えた。帝拳ジムは現存する日本で最も古いボクシングジムで、12人の世界王者をはじめ数々の名選手を育成・輩出するとともにボクシング興行「ダイナミックグローブ」を60年以上続けてきた。

また本田明彦会長は88年、90年と当時の世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦を、米国以外で初となる日本での開催を2度も実現させるなど、海外での日本の評価・信頼を高めることに寄与したことも評価された。

同ジム所属の村田は12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級の金メダリストになり、プロでも17年にWBA世界ミドル級王座を獲得。日本で初めて五輪の金メダルとプロの世界タイトルを手にする偉業を成し遂げた。また、対戦相手に対する敬意に満ちた対応は、フェアプレー精神の象徴として、ボクシングというスポーツの価値を高めたことも評価の対象となった。

◆日本スポーツ学会 1998年(平10)1月、競技団体の垣根を越えて市民レベルでスポーツを文化として考えようと設立。会員は競技団体、元選手、大学教授、企業、メディアの関係者ら幅広く、300人以上。年に数回、ゲストを招いて「スポーツを語り合う会」を実施。10年に「日本スポーツ学会大賞」を創設し、スポーツの発展に貢献した人物を毎年表彰(20年のみ実施せず)している。

第13回日本スポーツ学会大賞受賞記念講演後、囲み取材に応じる村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)

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【解説】大相撲史上初の所要1場所で十両へ 落合の昇進が25日午前の番付編成会議で決まる

【イラスト】初場所の十両〜幕下上位成績

日本相撲協会は25日に春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を行う。この時点での最大の注目は、落合(19=宮城野)が新十両に昇進するかどうか。初場所で、幕下15枚目格付け出しデビューした落合は、7戦全勝で優勝。大相撲史上初となる所要1場所での十両昇進となる可能性が高い。

落合が幕下優勝を果たした初場所13日目時点では、ほかの力士の成績が確定していなかったため、十両と幕下の昇降格が見通せなかった。22日に千秋楽を終えたため、より予想がしやすくなっている。結論から言えば、十両昇進の可能性はかなり高い。そもそも日本相撲協会には「幕下15枚目以内の全勝力士は十両昇進の対象とする。ただし番付編成の都合による」との内規がある。

幕内は42人、十両は28人という定員があり、十両以上の70人が関取と呼ばれる。関取になると給料が与えられ、付け人が付く。相撲界で一人前として認められる。この差は大きい一方、番付はほかの力士との兼ね合いで決まるため、運に左右される一面がある。

初場所中、西前頭12枚目の隠岐の海が引退し、関取の座が1つ空いた。十両の成績を見ると、西13枚目で5勝10敗の魁勝、東11枚目で5勝10敗の千代栄は幕下への陥落が濃厚。西10枚目で5勝10敗の照強も危うい。つまり、3、4枠が空くとみられる。

幕下上位の成績を見ると、東筆頭の玉正鳳が4勝3敗とし、新十両昇進が確実。15枚目格で全勝の落合は、昇格優先順位で玉正鳳に準ずるとみられる。このほか、東2枚目で4勝3敗の友風、東5枚目で5勝2敗の塚原も有力だ。つまり、成績だけを見れば、落合の新十両昇進が十分ありえる状況だ。

2000年9月に幕下15枚目格付け出しと同10枚目格付け出しが制定された。入門前に全日本選手権、全国学生選手権、全日本実業団選手権、国体(成年男子)のいずれかを制すれば15枚目格付け出しの資格を得られ、全日本+別の3大会いずれかの2冠以上なら10枚目格付け出しとなる。これまで23人がその資格を得てきたが、デビュー場所で全勝したのは1人だけ。2006年夏場所、下田(のちの若圭翔)が15枚目格付け出しで7戦全勝優勝を果たした。この時は、十両からの陥落力士が2人にとどまり、4勝3敗だった東西の幕下筆頭が昇格。下田は番付運に恵まれなかった。

今回の落合は、十両と幕下の昇降格を考慮してみても、特に懸念はない。15枚目格付け出し制度ができてから所要2場所で関取になったのは、成田(のち豪風)、内田(のち普天王)、遠藤、逸ノ城、御嶽海、矢後の6人だけ。この最速記録を落合が抜くことになる。

審判部による番付編成会議は、25日午前9時から両国国技館にて行われる。通常なら、同10時前ごろに十両昇進力士が発表される。その後、新十両力士は記者会見を行う。昇進と同時に改名を発表するケースもある。宮城野親方(元横綱白鵬)の弟子でもある落合は、何鵬になるのか? 頭髪は丸刈りに近いだけに、まげを結うころには番付はどこまで上がっているのか? 「令和の怪物」とも称される有望株が、節目の日を迎える。【佐々木一郎】

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父・勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。179センチ、156キロ。得意は突き押し、左四つ、寄り。

幕下優勝を決めた落合(2023年1月20日撮影)
(大相撲初場所千秋楽 幕下優勝の落合( 2023年1月22日撮影)
落合(左)は風賢央を突き落としで破り幕下優勝を決める(2023年1月20日撮影)
新弟子検査で身長を測る落合哲也(日本相撲協会提供)
新弟子検査を終えた宮城野部屋の落合哲也(2022 年12月12日撮影)

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