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【天龍源一郎連載8】破天荒なプロレス人生…明日死が訪れても悔いはない

2021年9月14日、殿堂入りセレモニーで藤波辰爾(左から3人目)の発声でアントニオ猪木氏の「1、2、3、ダーッ!」で締めた、左から小橋建太氏、天龍源一郎氏、1人おいて木村健悟氏

元プロレスラーの天龍源一郎(71)のアスリート人生の連載最終回は、プロレス人生の集大成。現在は腰のケガもあり、つえを突きながらの生活を強いられる。懸命なリハビリをする一方で、自身が立ち上げた天龍プロジェクトの大会には解説者として毎回駆けつけ、若手選手の戦いを見守る。お世話になったプロレス界へ恩返しするために。【取材・構成=松熊洋介】

今年3月、活動を休止していた天龍プロジェクトが、約5年ぶりに再始動した。当初はうっ血性心不全で入院していたが、4月末に退院し、5月の大会から解説者として参加し、元気な姿を見せている。試合後はリングに上がり、元気よく「エイエイオー」と叫ぶ。若手選手に抱えられ、転がりながらリングに上がるが、気にするそぶりはない。「筋力衰えているだけ、内臓系は悪くない」と笑顔を見せる。

まだ71歳だが「人の倍くらい楽しんだ。お酒も仕事も十分やってきたから」と話す。相撲界、プロレス界で体を酷使してきた中で引退する選手や、亡くなった盟友たちをたくさん見てきた。ケガもあり、自身も65歳で引退。「プロレスラーをやっていて70歳まで生きているのは奇跡だよ」と語る。

天龍 明日死が訪れても悔いはない。もし朝、俺が起きてこなくても何の後悔もなく逝ったんだと思って欲しいと(家族には)言っている。もし、死ぬ日が分かっていたら、その前に「楽しかったよ、ありがとう」と言って終わりたい。

気楽で平穏な日々を毎日感じながら、現在も楽しく生きていられるのは、娘で同団体代表でもある嶋田氏の存在が大きい。「ケツたたかれながら…。こういう娘がいて気が休まる日がないから元気でいられる」。若い時からたくさん飲んで食べ、丈夫な体を維持した。食事は大皿で10品近くがテーブルに並ぶ時も。後輩の面倒見も良く、誕生日会を開くなど、お金も出し惜しみせず使った。嶋田氏は「父・天龍源一郎」をこう語る。

嶋田氏 家庭でもリングの上と全く変わらず裏表がない。今は柔らかくなったが、自分に厳しいから他人にも厳しくて。でもすごく愛のある人。食事はスーパーで毎日カート2台分。親戚一同集まるくらいの量だった。必然的に私たちも太っちゃいますよね。お金もあればあるだけ使っていた。家が数軒建っていたかも(笑い)。

昨年2月、嶋田氏らを中心に「日本プロレス殿堂会」が発足。天龍、長州、藤波らも発起人となり、レジェンドたちをたたえ、団体の垣根を越えて、プロレスの歴史を形として残そうという活動が始まった。9月の日本プロレス史70周年記念大会『LEGACY』では猪木氏、馬場氏、ジャンボ鶴田氏、藤波辰爾、長州力とともにプロレス殿堂入りを果たした。天龍は「相いれなかった人たちが一緒に集まって表彰される。今のファンの人たちにもほほ笑んでくれると思う」と喜んだ。

「破天荒なプロレス人生だった。これからやりたいことは何もない。野望も特にない。いまさら金持って何になるんだよ」。日々一生懸命生きてきたからこそ、自信を持って言い切る。プロレス人生を謳歌(おうか)してきた天龍は、体が動く限り、これからもリングに恩返しを続ける。(おわり)

◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう) 本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井・勝山市生まれ。63年12月に13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕。幕内通算108勝132敗、最高位は前頭筆頭。76年10月に全日本入り。90年に離脱し、SWSに移籍。WARを経てフリーに。WJ、新日本、ノア、ハッスルなどにも参戦した。10年に天龍プロジェクト設立。15年11月に現役引退。獲得タイトルは、3冠ヘビー級、世界タッグ、IWGPヘビー級など多数。得意技はDDT、ラリアット、グーパンチなど。

2021年9月15日、日本プロレス殿堂会主催プロレス史70周年記念大会「LEGACY」でプレゼンターの天龍源一郎(右)は長州力と記念撮影する
2020年2月20日、日本プロレス殿堂会の発足発表で話す嶋田紋奈さん。右は天龍源一郎氏

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長州力、アントニオ猪木氏と久々再会2ショット「人の生き方は皆それぞれ」

長州力(2020年2月22日撮影)

元プロレスラーの長州力(69)が27日、自身のツイッターでアントニオ猪木氏(78)とのツーショット写真を公開した。この日の午後、椅子に座って笑顔を見せる猪木氏の横に立っている写真をアップ。「1人の人間として胸が熱くなりました、人の生き方は皆それぞれだと。今日は本当に感謝致します! 私も、その人それぞれの中の一人ですね」と対面した時の思いをつづった。

長州は午前中にも「どうなることやら、、私も少し緊張してますね。行ってきます」と、ツイートしていた。今月14、15日の日本プロレス史70周年記念大会『LEGACY』で、プロレス殿堂入りを果たした2人が、久しぶりの再会を楽しんだようだ。

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長州力が殿堂入りに喜び「これだけファンの方が来てくれて光栄」

プレゼンターの天龍源一郎(右)と記念撮影する長州力(撮影・中島郁夫)

日本プロレス殿堂会主催のプロレス史70周年記念大会「LEGACY」が15日、後楽園ホールで行われた。長州力(69)が、故ジャイアント馬場さん、故ジャンボ鶴田さんとともに殿堂入りし、表彰された。

表彰式では、現役時代に数々の名勝負を繰り広げてきた天龍源一郎から紹介されて登壇。「自分たちの後に続く若い選手たちの先は長い。少しでも何かの役になればと思って、殿堂会を立ち上げた。これだけファンの方が来てくれて光栄」と喜びを語った。

また、全日本のリングで40年以上レフェリーを務める和田京平氏が馬場さん、鶴田さんへプレゼンターとして登壇。「名誉ある賞を渡すことができ、ありがとうございます」と目を細めた。

さらに「馬場さんはいつも通路で見てくれていた。今日もほほ笑んで見てくれていると思う。ジャンボもコーナーに立って『オー、オー』やっていると思う」と語った。【松熊洋介】

殿堂入りの喜びを語る長州力(撮影・中島郁夫)
天龍源一郎(右端)の掛け声でエイエイオーをする、左から藤波辰爾、和田京平レフェリー、長州力(撮影・中島郁夫)

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諏訪魔 レジェンドたちの前で気持ち高ぶる 天龍来場で「何て言われるか」

諏訪魔(左)の腕をきめるジェイク・リー(撮影・中島郁夫)

<日本プロレス史70周年記念大会「LEGACY」>◇15日◇後楽園ホール◇観衆583人

全日本プロレスから参戦した諏訪魔(44)が、レジェンドたちの前で納得の戦いを見せた。

6人の殿堂入りが発表され、さまざまな団体の選手やファンが集まった、普段とは違う大会。「自分のプロレスがどれだけ支配できるか。レスラーとして気持ちが高ぶった」と興奮気味に話した。

3冠ヘビー級王者のジェイク・リーとタッグマッチで対戦した諏訪魔。21日後楽園大会でベルト挑戦が決まっており、前哨戦となった試合で、序盤から仕掛けた。コーナートップからフライングショルダーで飛び込むと、ラリアット、フロントスープレックスでたたみかけた。

中盤には「ジェイク、見ておけよ」と、リーのパートナーである大森に豪快にバックドロップを見舞った。リーから「あなただけのものじゃない」と挑発されていた得意技をしっかり決め「どっちのバックドロップがキレているか、21日にケリをつける」と声を荒らげた。

敗れはしたが、本番に向け「ジェイクに対して、いい揺さぶりになった」と自信をのぞかせた。この日は14日に殿堂入りを果たした天龍も来場。15年天龍の引退試合に出場したこともある諏訪魔は「天龍さんに思い入れが強い。(今日の試合を見て)何て言われるか。ドキドキしながら話してみたい」と語った。

大先輩が見守る前で、自らのパフォーマンスに手応えを感じた諏訪魔が、21日、返上していた最高峰のベルトを奪還する。【松熊洋介】

諏訪魔(左)の首をきめるジェイク・リー(撮影・中島郁夫)

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殿堂入り藤波辰爾「体が続く限りリングに」入江茂弘にドラゴンスクリュー

藤原喜明(右)にパンチを浴びせる藤波辰爾(撮影・中島郁夫)

<日本プロレス史70周年記念大会「LEGACY」>◇15日◇後楽園ホール

レジェンドのプロレスを見せた。14日に殿堂入り表彰を受けた藤波辰爾(67)が8人タッグマッチに出場。越中詩郎、新崎人生、阿部史典と組み、藤原喜明、AKIRA、佐藤耕平、入江茂弘組と対戦。敗れはしたが、軽快な動きで会場を盛り上げた。

久しぶりのリングにも往年の力強いプロレスは健在だった。いきなり藤原と激突した藤波は、コーナーに追い込みエルボーを連発。レフェリーが止めに入るも、気にせず蹴りを浴びせた。

中盤には入江にドラゴンスクリューを見舞うと、会場からは大きな拍手が沸き起こった。それでも、約1カ月ぶりの試合とあり、「ちょっと感覚が違った」と納得がいかない様子。敗れたことにも悔しさをみせ「試合数を多くしていかないと、浮足立ってしまっている。(新崎所属の)みちのくプロレスに行って修行でもしようかな」と語った。

今大会で殿堂入りした6人の中で、唯一現役レスラーとしてリングに立つ。「気持ちはいつでも現役。体が続く限りリングに上がりたい」と語る。10月末からはデビュー50周年ツアーが控える藤波。来年10月には殿堂会第2回開催も決定した。これからも歴史と自らのプロレスを後生に伝えていく。【松熊洋介】

作戦を練る左から新崎人生、藤波辰爾、阿部史典、越中詩郎(撮影・中島郁夫)
藤波辰爾(右)にパンチを浴びせる藤原喜明(撮影・中島郁夫)

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猪木氏らがプロレス殿堂入り「元気ですかー」ビデオメッセージで登場

殿堂入りを果たしたアントニオ猪木氏はビデオメッセージで「1・2・3・ダァー!」を披露(撮影・丹羽敏通)

日本プロレス殿堂会主催のプロレス史70周年記念大会「LEGACY」が14日後楽園ホールで行われ、新日本で一時代を築いたアントニオ猪木氏(78)、藤波辰爾(67)、全日本などで活躍した天龍源一郎(71)の殿堂入りが発表された。

藤波は猪木氏と一緒の受賞に「先輩と肩を並べるのはおこがましい」と言いつつも「昭和45年にプロレス界に入るきっかけを作ってくれた。殿堂の賞をまさかいただけるとは思っていなかった」と喜びを語った。

8月29日に退院した猪木氏はビデオメッセージでの登場。「元気ですかー。70周年おめでとうございます。ブラジルに行って、こういう形で入門するとは思わなかったが、これも運命とか宿命だと思う」と元気よくコメント。映像を見た藤波は「今の頑張っている姿を見るとこみ上げてくるものがある」とかみしめた。来場はかなわなかったが、藤波は「仕方ないことだけど、もし入場してくれたら、ファンの人たちも喜んだと思う」。最後は猪木氏に届けと「行くぞー。1、2、3ダー!」と叫び、大会を締めた。

藤波は15年に米団体WWEの殿堂入りを果たした際の豪華なセレモニーに衝撃を受けた。「プロレスをやっていて本当に良かった。日本でもこんな風にレジェンドたちをたたえられたら」。2世たちの力を借り、昨年2月に殿堂会を発足させた。藤波の息子でプロレスラーのLEONA、長州の娘婿の池野氏、天龍の娘の嶋田氏らと活動を始めた。コロナ禍でイベントの中止が続いたが、今年4月に藤波、長州らがトークショーを開催。ようやく第1歩を踏み出し、この日の大会につなげた。「本当はもっと早くするべきだったが、力道山先生が作ってくれたものを残すという意味では、いいスタートになったのでは」と目を細めた。

15日には故・ジャイアント馬場さん、故・ジャンボ鶴田さん、長州力の受賞セレモニーが行われ、藤波はプロレスラーとしてリングに上がる。「ライバルやファンの力があってのこと。自分は体が続く限りプロレスをやっていきたい」と力強く誓った。プロレス界に新たな1ページを刻んだ藤波は、これからもリング上からプロレスの魅力を伝え続ける。【松熊洋介】

殿堂入りを果たしたアントニオ猪木氏のメッセージが会場に流れた(撮影・丹羽敏通)
殿堂入りを果たしてプレゼンターの木村健吾氏(右)と写真に納まる藤波辰爾(撮影・丹羽敏通)
殿堂入りを果たしてプレゼンターの小橋建太氏(右)と写真に納まる天龍源一郎氏(撮影・丹羽敏通)

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丸藤正道、ノア代表としてプロレス殿堂会興行でレジェンドへ感謝の思い表現

6月6日、武藤敬司(右)を破りGHCヘビー級王者になった丸藤正道

<日本プロレス史70周年記念大会「LEGACY」>◇14日◇後楽園ホール

プロレスリング・ノアのGHCヘビー級王者、丸藤正道(41)が、レジェンドたちへの感謝の思いをリング上で表現した。

日本プロレス殿堂会の初となるプロレス興行に、ノアの代表として参戦。「レジェンドの方を崇拝する大会に出させてもらって光栄。偉大な先輩たちがいて、今の自分たちがある」と語った。

試合では宮脇と組み、岡田、矢野と対戦。矢野のエルボーはすべて受け止めた上で、強烈な逆水平を浴びせ、大きなうなり声を上げて迫ってくる岡田を場外で鉄柵に投げつけた。最後は宮脇の3カウントをきっちりアシスト。GHCヘビー級王者の貫禄を見せつけた。ノアの若手3人に「先輩たちのプロレスをしっかり見て学び、今後のプロレス界を背負っていって欲しい」と期待した。

丸藤は98年の全日本入団後、00年に故・三沢光晴さんを中心として新設されたノアに移籍。20年間団体を支え、厳しい時代もリングに上がり続けてきた。現在では副社長も務める丸藤にとって、プロレスを後世に伝えていきたという思いはレジェンドたちと同じだ。「またこういう機会があったら参加したい」。デビュー23年を迎えた丸藤は、ノアを引っ張り、若手を成長させながら、自らはレジェンドへと近づいていく。

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